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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


V.《禍乱》−4

 それから3日をケリーは結局棒に振った。
 夜明け前に裏庭から忍び出たは良かったが、街頭TVのニュースで旧東西特殊軍の総司令官たちが
旧東ウィノアの首都に赴いたと報道されたのだ。「相討ちになったはずの東西特殊軍が実は政府の方
針で処分されたという悪質な流言蜚語が《連邦》に伝わったのでその件に対応するため」だという。
 座っていたベンチで呆然と画面を見上げているケリーの脇で、年寄りがふたり、それを種にしゃべ
っていた。
「なんだ、やっぱりそうだったのか」
「わかりきってたことじゃないか。連中はそのために生まれてきたんだしよ。わしらの税金で無駄遣
いしてくれてたもんだよなあ」
「そうだよなあ。結局、連中に突っ込んだ金は無駄になったんだろ、旦那衆が儲かっただけで」
 ぎくりとして振りかえると老人たちは特に悪意も見せずにのんびりと日向ぼっこをしていた。              かす   おり  彼らの言葉はケリーの心に滓のように澱のようにその後も残っていた。4日後、ダウンタウンの情
報センターの端末で総司令官が首都から帰ってきたと知ったときには澱みから抜け出られるような気
がしてほっとした。

 夕刻、ケリーは再び邸宅街にやってきた。総司令官の屋敷の前には黒塗りのリムジンが数台駐車し
ている。それを横目にながめながら裏庭に回った。
 裏庭は相変わらずがらんとしていた。夕食の準備にはまだ早いのだろう、メイドたちも歩いていな
い。裏口のドアも相変わらず不用心に鍵が開いていた。
 気配を消して影のように2階にあがる。副官の部屋も誰もいない。部屋を突っ切ると総司令官の寝
室に誰も居ないのを確認して滑り込んだ。
 窓の鎧戸とカーテンが殆ど光を遮っており、部屋の中は闇に近かった。ベッドの下に潜り込んで寝
転がる。
 いよいよだ。今夜こそあの男を殺す。
 ぞくぞくするような高揚感。狭い空間の中でケリーはにやりとした。
 それから何時間待っただろうか。
 あまりにも帰ってこない部屋の主をケリーは胸のうちで罵り続けた。知る限り、思いつく限りの言
葉で罵ったが語彙も尽きて疲れて来る。いったい客はいつまでこの屋敷に居るのだろうか。もしかし
て泊まるつもりで帰らないのだろうか?
 俺、疲れちゃったよ、ランディ。
 いつも愚痴る相手は一番の親友だった。今はもういない親友。今いるのは、今そばにいてくれるの
はディーだけだ。それでもあの子はずっと遠い村に居る。
 隣室で誰かが入ってくる気配がした。複数の気配。耳を澄ませた。
「ともかく、政府に《連邦》がねじ込んできたというのだから、しかたあるまい」
 ぼんやりと声がした。
「自分たちのやったことには口をぬぐって勝手なことを言いおって。人権委員会だかなんだかしらん
が、困った連中だ」
 低い声がなにやら返事をするが、良く聞き取れない。
「いや、アカデミーの連中がそこらへんは相手をする。しばらくはきみも休暇のつもりでのんびりし
たまえ」
 聞き取れない返事だったが、やがてドアのしまる音がした。歩き回る気配。書斎との間のドアが開
く。
「....でございましょう?」
 中年男の声がした。「この際、退役なさることもお考え遊ばしてはいかがでしょう?」
「それでただの年寄りになれというのか?」
 苛立つ声。「わしは《連邦》の軍事委員会のポストを狙っておるんだぞ。上から4番目など、やっ
てられるか? 馬鹿馬鹿しい。東の後塵を拝していろというのか、おまえは?」
 男の靴が2足、寝室を歩き回る。1足がもう1足に近寄る。ばさりと音がした。
「なに、統合司令本部付と言ってもせいぜい1、2年のことだ」
 上等の革靴がケリーの潜り込んでいるベッドの脇に近寄った。ぎしりと軋んだところを見ると、ベ
ッドに腰掛けたらしい。
「心配することはない」
 靴を脱ぐとベッドのそばのスリッパに足を入れた。
「それを聞いて安心いたしました。明日は何時にご朝食を召し上がられますか」
「そうだな、まぁ8時くらいで良かろう」
「では、そのようにメイドたちに申しておきます。お休みなさいませ」
「うむ」
 スリッパの足がベッドを離れ、それとは別にドアが閉まる気配がする。洗面所のドアの閉まる音が
すると、ケリーはほうと息を吐いた。腕時計を見ると午前1時を回っている。
 いよいよ正念場だ。落ち着け。気配を消して周囲に溶けこむ。
 部屋の主は洗面所から出るとベッドに入った。枕もとの明かりをつけ、本のページをめくる音がし
ていたが、やがて咳払いをしながら横になる気配があり、明かりも消えた。
 しばらくは寝返りを打ったりしていたが、落ち着く姿勢になったのか、やがて寝息が感じられた。
 ケリーが動き出したのは、それからしばらくしてからだった。
 ベッドの裾から脱け出すとちらりとベッドの男を見てドアに向かう。廊下の明かりも消えているの
を確認すると、ベッドに眠る男の背に戻った。何気ない動作で手刀を首筋に落とす。寝息が一瞬止ま
り、ぐったりとした男の背を押してうつぶせにすると、頚椎めがけて渾身の力をこめて再度手刀を叩
きこむ。
 ぼきり。
 意外なほどに大きな音が部屋に響き、ケリーは思わず首をすくめた。壁に身を寄せ、部屋の外の気
配を伺う。1分。2分。誰も来ない。誰もこの部屋の異常を感づいてはいない。上着の袖で額の汗を
ぬぐった。
 ざっと部屋を見渡す。なにも残してはいない。髪はバンダナでくるんであるから毛1本も落ちては
いないはず。手も薄い手袋を嵌めているから指紋も出ないはずだ。
「よし、撤収だ」
 そっとドアを薄く開いて廊下に出ると、影のように廊下の反対側の端まで進む。副官の部屋も過ぎ
螺旋階段も通過して右側のドアを伺う。中には誰もいない。そっと忍び込むと焙煎された上等のコー
ヒーの匂いが残っている。暗いがガラス張りの空間から外の明かりが入ってきてつまずくこともない。
 裏階段も降り、裏口の脇で窓から身を隠す。腕時計を見る。たしかあと30分は警備の巡回は来な
いはずだ。
 ドアから滑り出ると建物の陰に身を潜める。もう一度巡回が来てから脱け出すほうが安全だろう。
毛布を入れた背嚢をコインロッカーに入れてきたので上着しか寒さよけは無かったが、妙に寒さを感
じなかった。
 警備の巡回をやり過ごすと、ケリーは裏庭から脱け出した。邸宅街から一般居住地区に入り、地下
鉄が動き出すのを待たずにダウンタウンに向かって歩き出す。じっとはしていられない気分だったし
凍えたくもなかった。それに警備の人間をやり過ごせる自信が今のケリーにはあった。

 ダウンタウンに入ったのは、夜の明けぬまだ暗いうちだった。ふと公衆電話に目が行った。
 ヨシュアに言うべきだろうか。一瞬考えたが振り払った。ヨシュアもまさか今回いきなりケリーが
行動を起こすなどとは思ってもいまい。今連絡したら、心配になって仕事が手につかなくなるかもし
れない。それにどこで盗聴されてるかだってわからない。
 疲れと眠気を覚えたケリーはスラム地区に向かった。そこならダウンタウンのあちこちに設置して
ある治安維持用の監視カメラもない。ごみの陰で少しは眠れるだろう。
 あちこちの古い崩れかけたアパートの排気口には、浮浪者たちが暖を取るために群がって眠ってい
た。そこには近寄らず、風の吹き込まない隙間に潜り込んで身を縮めた。
「やったよ、ランディ、マルゴ」
 口の中で呟く。俺は総司令官をこの手で殺せたよ。まだ仇の連中はたくさん生きてるけど、それで
も二人片付けた。きっと全員片付けて、みんなの無念は晴らすから。
 目を閉じる。マルゴ。俺のこと子供扱いしてたけど、俺、ちゃんと自分で決めてこなせるようにな
ったよ。
 眠りに落ちていくケリーの瞼の奥には薄茶色の髪の少女の面影が揺らめいていた。大丈夫。少女が
優しく囁いてくれたような気がした。ケリーなら出来るの。
「うん」
 夢うつつに呟く。守ってみせるよ。誓いも。あの子も。

 
 
 ヨシュアはノート型情報端末の接続を切った。
 旧西ウィノア公安当局と軍のネットワークから最新情報を大急ぎで吸い上げ、さっさと引き上げて
きたところだった。なにせ、東との統合作業でセキュリティはかなりぼろぼろである。このときとば
かりあらゆる情報屋がハッキングにやってきている。ヨシュアとしては重い回線の中でできるだけす
ばやく効率的に動く必要があった。
「ま、特殊軍兵士の作り方なんてのはやってられんな」
 シートによりかかると呟いた。あそこはヨシュアでも10年近くかけても攻略できないエリアだっ
た。海賊たちや犯罪組織からはさんざっぱらリクエストはあったが、外部とは独立しているネットワ
ークに入れるわけが無い。それを確認するまで3年を要した。特殊軍の開発研究所よりは、そのうち
技術情報が移転される《連邦》の科学アカデミーのホストに侵入したほうがよっぽど楽である。
 おそらく、今回の統合作業のうちにうっかり足跡を残して逮捕されるドジな情報屋の一人や二人は
出るに違いないとヨシュアは踏んでいた。それでも「おれの狩り場を荒らすんだからな、諦めろ」と
いう気分がある。
「さて」
 のんびりと吸い上げた情報の記録を見始める。まずは政府上層部と特権層の隠し財産の口座情報。
今までの特権層は連邦加入で重税がやってくるので、財産隠しに必死である。国税当局も《連邦》の
課税部局にすごまれては調べざるを得まいが、どうせ一部しか情報を流さないのはわかりきっている。
「安心しろ、残りはおれが有効に使ってやるよ」
 貴族、とヨシュアが呼んでいる連中のセキュリティなんて、赤子の手をひねるよりも簡単に破れる。
クーア・セキュリティ社の特別仕様の製品ならいざ知らず、井戸の中の蛙な連中ばかりだ。個人情報
も認証鍵もちゃちなレベルで、さっさと偽造して預金情報を操作する。引き出した資金はあちこちの
ペーパーカンパニーを経由して洗浄し、ツァイス銀行の架空口座に入れてしまう。本来の預金者が気
がついたときには、隠し口座からかなりの預金が引き出されているはずだ。
「こっちも金が要るんでな」
 くわえタバコで呟く。なにしろ開拓農地はやっていくのが大変なのだ。しかもおそらく数年のうち
にケリーが使える宇宙船を手配せねばならなかった。《引き網》を彼に譲るつもりはヨシュアには毛
頭無い。
「ん?」
 流しながら目を通していた情報に引っかかるものを感じてヨシュアは慌てて見直した。
 旧西ウィノア特殊軍の総司令官の解剖検死報告? 
 読み出すうちに、ヨシュアは眉をひそめ、舌打ちをした。
「とんでもねえ餓鬼だ」
 就寝中に頚椎破損のため即死、とある。
 おれと別れてからさっさと総司令官の屋敷に潜り込んで首の骨を叩き折っただと? 
「あンのせっかち小僧め」
 がりがりと頭を掻く。おれが考えているよりも素早く動けるのかと苦々しく考えた。子供だと思っ
ていると本当に足元をすくわれかねない。
 ケリーと合流するのは明日の午後だった。会ったとたんに殴りつけるべきだろうか? 
 考えたが、首を振り振り諦めた。ケリーが復讐する気でいるのはわかりきっている。子供っぽいせ
っかちさなのか、生来のものなのか。こうなると逆にぐずぐずとやって足のつく前に全てを終わらせ
て人生を切り替えさせるほうがいいのかもしれない。
 吸い殻を押しつぶし瓶の水を一口飲むと、ヨシュアは再び仕入れた情報のチェックに取りかかった。


 ケリーは落ち着きなく周囲を見回した。
 宙港の人混みの中、ヨシュアらしき人影は見当たらない。
「変だなあ」
 腕時計を見る。約束は今日の午後2時、この宙港の国内線出発ロビー。かれこれ30分は待ってい
る。
 ふと鳩尾が冷たくなった。
 もしかしたらヨシュアは情報屋として俺がやったことを耳にして、警察や軍が動きだしたことも察
知して迎えに来ないことにしたのかもしれない。俺が気がつかないだけで、どこかでドジを踏んだん
じゃないだろうか? 戦闘は得意だけど、諜報は経験とカンがものを言うとヨシュアは言ってたっけ。
ヨシュアやおばさんはディーのことだけを心配してたし、ディーを守るためなら俺を切り捨てるくら
いのことはヨシュアならやるだろう。
 別に心細くなんかない、とケリーは唇を噛みしめた。息子も同然だとヨシュアは言ってくれたが、
何も知らないデイジーが自分の素性のために不幸になるなど、ケリーにとっても論外だった。
「なんとか生きていけるさ」
 声に出して言う。ヨシュアの作ってくれた身分証もあるし、浮浪者に混じって生きていくやり方も
判ってきた。働く場所さえ見つかればこの町には居られるんだ。金だってまだあるし。
「ディーに買ったお土産が無駄になっちゃったな」
 きれいに細工された砂糖菓子。あれからあちこち見物と下見に歩いてケリーが買ったのは、名も知
らない、だが可愛らしい小さな花の砂糖漬けだった。こんな物の満ちあふれている都市で花まで食べ
るのかと驚いたが、透明な小瓶に入ったそれは花が好きなデイジーが喜びそうな物に思えたのだ。
 だが、あの家に戻れないとすればそれも要らなくなってしまった。戻れない? もう、二度とディ
ーに会うこともない? ジェーンに頭を撫でてもらうこともなく、ヨシュアと腕相撲をしたりするこ
ともない? 家族全員で夕食の後にのんびりと香茶を飲みながらくつろぐこともない?
 胸の中がからっぽになったようだった。仲間を失った時と同じように、いや、それ以上にぽっかり
とした穴が開いている。12人の仲間を無くしたときよりも3人の家族を無くしたほうがショックが
大きいだなんて...........
「馬鹿げてる」
 出した声が変だった。しゃがれていた。俺の声はこんなんじゃない。
「馬鹿げてるよな」
 床を見つめ、出入り口の方に踵を返した。ここにいても無駄なだけだ。
 ドアを通りすぎた途端に、ぐいと肩を掴まれた。
「ああ、居たか」
 ヨシュアが顔を真っ赤にしていた。「やれやれ、済まなかったな」
「ヨシュア」
「ハイウェイで事故があってな。渋滞に引っ掛かっていたんだ。心配掛けたな」
「心配なんて......」
 咳払いをした。「心配なんてしてなかったさ。腹は減ったけど」
「そうか? まぁとにかく乗船手続きを済ませて、それから昼飯にしよう。おれも腹ぺこだ」
 太い腕をケリーの肩に回し、ヨシュアはカウンターに歩き出した。その掌は温かかった。


 ジェズの街は寒いだけだったが、外は真っ白な世界だった。
「こりゃあ、思ったよりも時間かかるか」
 走り出すとヨシュアはためいきをついた。
「そうなのか?」
 隣で膝を抱えて座っていたケリーは窓の外から運転席に目を転じた。
「スピードをあげると巻き上げる雪が増えて視界が悪くなるな。のんびり行くか。ケリー、おまえ、
これを運転してみるか?」
 半ば退屈していたケリーは嬉々として運転を替わった。
「今のおまえではちと身長が足りないか」
 シートの位置やら高さやらを調節するのを見てヨシュアは笑った。
「まあ、育ち盛りだからな。じきにおれよりもずっとでかくなって、腕力でも勝てるようになるんだ
ろうなあ」
 振り向いたケリーは、しかしなにも言わずに、前に向き直るとアクセルを踏み込んだ。
「そんなに飛ばさなくてもいいぞ。事故を起こしちゃ元も子もないだろ」
「うん」
 そろそろとアクセルを緩め、ハンドルを握りなおす。
「肩に力が入り過ぎだ。そんなんじゃ、長距離をこういうトラックでやってたら肩が凝っちまうぞ」
「うん」
 ヨシュアの両手がケリーの肩を押し下げる。「ようし、そう、その姿勢だ」
 しばらくは2人とも無言で前方を眺めていた。雪が白い礫になって窓ガラスに当たってくる。日が
昇ってかなりの時間がたつはずなのに、どんよりと暗い。
「それでおまえ、どうやって総司令官の家に潜り込んだんだ?」
 ヨシュアはすらりと訊いてきた。「まさか玄関からごめんくださいと入ったわけじゃないだろう?」
「裏口が開けっぱなしだったよ」
 前方を睨みつけながらケリーは返事をした。視界はたしかに悪い。
「あの家、意外と不用心だったな。玄関はカメラもあったし夜なんか警官が巡回してたくせに」
「いささか政府も持て余していたようだな」
 ヨシュアは暖房の温度を上げた。「どうもな、あの件がなければ特殊軍を使ってクーデターのひと
つもやりかねないと言われていた男らしくてな。野心家だったらしい」
 思わず振り向くとヨシュアは前方を指差した。「脇見をするなよ、いくら誰も通らないからって」
 慌てて前を見直して座りなおす。
「俺たちがクーデター?!」
 むっとして言う。「そんなこと出来るわけが無いじゃないか! どうやってだよ?!」
「東の自衛軍に首都を攻められたとかなんとか言って、動かすつもりだったんじゃないかね。ま、政
府にしてみれば制服組でもうっとうしい派閥の頭が潰れてくれたんで、深く追求するつもりはないら
しい」
 ケリーはため息をついた。「俺たちってそんなに奴らの都合よく動かされてたのかなあ」
「無知というのは時として結構だが、大概は不幸を呼びこむもんだ」
 窓を薄く開けるとヨシュアはタバコを取り出した。
「だから、おまえもよくよく目を開いていろんな物を見て、耳を澄ませてなんでも聞いておけ。情報
量が多い不幸ってのよりは少ない不幸のほうが不幸の度合いがデカイだろう?」
 ケリーはしぶしぶ頷いた。「うん、まあね」
「まあ、最初のジジイといい、今回の野郎といい、運が良かったと思っておけよ」
 ヨシュアは煙を吐き出しながら言った。「いきなり大物を狙いやがって」
「たまたま、目の前を歩いていただけだよ」
 むくれて言う。「本当に偶然だったんだ」
「運のいいやつだぞ、おまえは」
 ヨシュアは苦笑した。「それに甘えるなよ」
「わかってる。それで、あんたのほうは仕事はどうだったんだよ?」
「まぁ注文はほどほどだな。毛皮の注文が殆どだ。東との競争は雪が解けてからだ。北半球の作柄か
らすると種麦の価格も下がってきそうだしな」
「東には行けそう?」
「さあて。村長は頭の柔らかい爺さんだが、長老連中が頑固だからな」
 こめかみを掻くとヨシュアは灰皿に灰をはたいた。
「ルナド山を過ぎたら運転を変わるぞ。今日中にはせめてテルノンには着きたいからな」
「俺、まだ運転できるよ」
「スピード上げて車ごとひっくり返られたらたまらんからな。このペースじゃ雪の原野で野宿する羽
目になりそうだ」
 ヘッドライトもフォグランプも白い世界に吸い込まれていくばかりだ。
「なんにも見えないなあ」
「宇宙なんか、これどころでなく何も見えないんだぞ」
 ヨシュアはのんびりと言った。
「なんにもないのか?」
「いいや、見えなくてもいろんなものがある。重力穴とか隕石とか磁気嵐とかな。そういうものを感
知するためにレーダーや探知器がある。そしてな、普通の人間にゃ見えないがすごいものもある」
 見えなくてもあるすごいもの? ケリーは首をかしげた。「よくわからないや。真空なんだろう?」
「絶対零度だからうっかり出ると即死だがな。だが空気以外のなにかで満ちあふれている、ご機嫌な
場所さね」
 ますますわからないケリーにヨシュアは機嫌良く笑った。
「行けばわかるさ。いつか連れていってやる。きっとおまえも気に入るだろうさ」



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