※お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい。 鹿角教学の祖。 学徳を以て世々我が郡に名あり。 毛馬内生れ、慶応3年〜昭和19年。鹿角郡内小学校教師や校長を歴任。 鹿角の民俗・風習を採集、また鹿角自生植物の採集分類を行なった。 名は充、字は始達、履齋と号す、泉澤和右衛門の二男。 少年時代を小坂町で過ごした。画家。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.22。 大湯の人。秋田藩士二階堂南竹の門で経史を学び、すこぶる文名があった。 「中村一戸系図」によれば、長牛氏も谷内氏も一戸系とされているが……。 「鹿角縁記」を著した。 「松茸 鹿角来満山の産を美味とす。」…… 鹿友会員。花輪。昭和十年十二月 日。 「鹿角の民謡」伝承者。尾去沢。 平成10年民生の安定・社会福祉の向上で鹿角市一般表彰。尾去沢字軽井沢。 江戸人。 南部藩士、筆録「祐清私記」をまとめる。 「鹿角の民謡」伝承者。蟹沢。 明治35〜平成2、宮城県出身。十和田高等学校長として鹿角に6年間居住し、 郷土教育を進め、また昭和38年「現代語訳・菅江真澄翁の鹿角遊覧記」を著した。 長く町長として郷土に尽くした。 「鹿角の民謡」伝承者。八幡平。 鹿友会員。台湾の匪賊討伐に従事。明治三十三年十二月病没。 ……。宮川。昭和十二年九月十三日岩手県平舘にて没。 花輪専正寺を建立。 鹿友会員。毛馬内町。井上中佐は、上海に於て名誉の戦死。 鹿友会員。明治三十八年夏山形区裁判所判事に転任、任地で病没。 藤原北家の支流・冷泉家の流れを汲む。錦木塚に入江為守 「錦木のふることしのふ此ゆふへあき風さむし毛馬内の里」の歌碑がある。 昭和55年鹿角市文化功労者。 元毛馬内町長。 毛馬内の人で幕末の俳人。於曽此一撰「花のちり」、江戸小林見外編「槻弓集(つきゆみしゅう)などに入集。 鹿友会員。宮川。 大湯出身。一水会賞受賞、同会々員。画家。 昭和59年鹿角市文化功労者。 平成19年鹿角市功労者。 秋田県埋蔵文化センター副所長。 「上津野」講演バックナンバーNO.7。 |