鹿友会員。毛馬内町。井上中佐は、上海に於て名誉の戦死。 参考(出典):「十和田町の先輩」
− 山口流剣道の達人 − 井上尹人は伊太郎の長男として、明治二十八年六月二十六日毛馬内に生まれた。 明治三十五年毛馬内小学校卒業後、盛岡中学校、仙台中央幼年学校を経て、 大正六年五月陸軍士官学校を卒業して少尉に任官した。ついで仙台歩兵二十九連隊付となり、 数年間仙台で暮した。 大正十年サガレン洲派遣、チャイオ守備となり、昭和二年歩兵大尉に任ぜられた。 七年には満洲駐在となり、長春勤務を終えて昭和十一年八月陸軍少佐に昇任した。 翌年歩兵第一〇四連隊を新編成して上海戦線に出動した。昭和十二年十月十八日、 江蘇省櫓網湾附近の戦争で名誉の戦死を遂げた。同月従五位、勲三等、功四級、陸軍中さに補された。 尹人は、資性温諄にして、山口流の剣士として、祖父新十郎の血筋をひいた剣道の達人であり、 信頼の厚い武人であった。 以上述べたように、この一家には文武両道にすぐれた人材が出たのである。 |