鹿友会員。台湾の匪賊討伐に従事。明治三十三年十二月病没。 参考(出典):「鹿角のあゆみ」
− 手記 − 明治二十八年九月八日台湾の基隆に上陸し、匪賊の討伐に従事した、毛馬内城の下 (俗称井戸端)の井上伊太郎大尉(子息尹は日支事変中上海に於いて戦死、孫にあたる のは現小坂高校教諭井上明)は手記を残している。 「雨のふる中を五日間壕の中で敵とにらみあい、衣服はどろだらけ、尻は常にかわく ことなく、日を経るにつれて臭気を発し」 と当時の苦労を書いている。 参考(出典):「十和田町の先輩」
井上伊太郎は慶応元年三月二十三日生まれ、明治十六年秋田師範学校卒業後、毛馬内小学校に勤務したが、 志を立てて陸軍教導学校に入学し、卒業して少尉に任官、明治二十七年には、日清戦役に従軍、 戦後台湾守備に任じ、三十二年十月陸軍歩兵大尉に任ぜられ、秋田歩兵第十七連隊付を命ぜられたが、 台湾でマラリヤにかかったのが原因で、翌年十二月二十日病気のため死亡した。 |