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ストリート外/今はない所
大曽根は北区?東区? 乗換えに時間がかかる大曽根駅 新しく道が出来たり廃道になったり 名鉄瀬戸線及び名鉄大曽根駅昔の計画 星印
 

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名鉄大曽根駅・ミュープラット
ミュープラットは旧大曽根プラザ耐震化に伴い令和2年7月に開店した。店内にドラッグストア、108・110均、飲食店、ファミリーマートなどが入る。ファミリーマート反対側の階段を上がって名鉄大曽根駅に行く。ファミリーマート前は下街道から分岐した瀬戸街道旧道の一部。
立ち並ぶ居酒屋
名鉄瀬戸線高架沿いの道に入るをくぐると、たから屋、さっちゃん、なつきと続き、しばらく歩くと鶴よしがある。たから屋は再開発工事が本格的に始まるまで環状線近くにあった。居酒屋が建ち並んでいるのは、南口しかなかった当時の国鉄大曽根駅と瀬戸線大曽根駅とを連絡する道を歩く乗り換えの人たちをねらった店舗が軒を連ねていた頃(東京新宿西口思い出横丁や大阪十三西口駅前のような雰囲気)の名残。
名鉄セントラルフィットネスクラブ
名鉄線高架下。プール、ウェイトマシン、有酸素マシン、ランニングマシン、スタジオ、ゴルフレンジ、ボディーケア、フリーウェイト、ファンクショナルトレーニング、キッズなど。JR側から中の様子が見える。
営業時間:朝9時〜夜10時(土、日祝は異なる)
ふじみ家
赤萩町線角に、とんがり屋根で茶色い建物がある。将来の大曽根の街を見越して建てられたのだろう。地下に日本酒とワインのセラーがあって、東海テレビが取材に来たことがあるという。外からは、秋田・岩手・新潟・石川・鳥取といった東北〜日本海側地域の地酒が置いているのが見られ、店内では千円〜2千円代のフランス産やイタリア産ワインから1万円以上する高級洋酒が売られている。更に地下セラーのワインは50年以上寝かせてあるものがあり、1本(700mlくらい)で、んーじゅう万円する。
営業時間:昼10時〜夜10時。定休日:水曜、第3火曜。
JR大曽根駅南口
もう一つの大曽根。平成19年にJR社員大曽根住宅を兼ねた駅舎が完成。現在は3代目。かつてJR大曽根駅の入口はこちらだけで正面口だった。JR全駅全車両基地で南口駅舎が掲載されているのはその名残。昭和46年に地下鉄名城線開通に伴い乗り換えの便宜を図り北口が新設されたため利用者の殆どは北口を利用するようになり、南口は閑古鳥が鳴くような寂しさになるほどさびれてしまった。大曽根に南口があることを知らない人もいるかもしれない。バンテリンドームへは南口が近い。「さびれ」を払拭する意味での新築でもあるようだ。南側の立体駐車場をまわった所に、戦時中、空襲で犠牲になった国鉄駅員のための「殉職者慰霊碑」がある。
キャッスルタウン大曽根
ユニー(ピアゴ)大曽根店跡地に平成22年12月、「キャッスルタウン大曽根」がOPENした。東部にプレイランドキャッスルと称されるパチンコ・スロットル店、その1F北に面した部分に博多中洲うどん・木村屋と寿がきやもテナントとして入っている。西部のスーパー銭湯・湯の城はそれにさきがけてOPENしている(営業時間:9時〜24時)。風俗店に属するプレイランドキャッスルに関して付近の中学校に近いことから反対が強かったが、一定の距離があるため結局開店となってしまった。
   
徳川園・徳川美術館
元尾張徳川家の大曽根下屋敷。空襲で表門を残し消失した。紀州や江戸では徳川家に関する物は戦災等で焼けてしまったが、徳川美術館には戦時中名古屋城にあったものを含め疎開地・信州に避難させていた書物・宝物が保管展示されている。南西には尾張徳川家書物の博物館の蓬左文庫、北には山・海・里のコーナーに分けた庭園(有料)がある。
徳川街園
徳川園表門を出て真正面の道を進むと樹が生い茂った「道路上の島」にでくわす。由来や正式な名称は不明。尾張徳川二代藩主・徳川光友が植えたとされたヤブツバキがあったオアシスであるが、そのヤブツバキは空襲で焼け、現在のヤブツバキは二代目。
そのオアシスに石に囲まれた井戸とみられる所がある。
片山八幡神社
旧社名は大曽根八幡神社。大曽根の鎮守。秋の瑞龍みこし担ぎ(例大祭)は1年と通しての最大行事だ。始まりは26代継体天皇の時(1171年)だとされている。当時のここの地名、尾張国山田郡片山郷に由来している。誉田別尊(15代応仁天皇)、天照皇大神、菊理媛神が祭られている。尾張徳川家2代藩主・徳川光友も厚く信仰していたそうだ。昭和4年に県社に指定、20年の空襲で焼失したが、32年に隣接していた神明宮を合併し34年本殿等を再建。その後神楽殿や社務所等を建築し、平成10年に復興は完成。東側の入口を入った所には谷龍神社、坂を上がった所には愛宕社など末社の祠が6つ並んでいる。
名鉄森下駅
名鉄瀬戸線駅で無人駅。隣駅・尼ヶ坂やその西の清水と、平成2年同時に高架駅化したため駅構造が似ている。
昭和40年代までは市電の乗換駅で乗降客が多く準急も停車し有人駅、またその付近はかつての大曽根の中心地で賑わっていたという。ところが市電の廃止や、賑わいが大曽根駅付近に移り、森下駅は乗車人員が減少、平成19年は瀬戸線20駅中17位と、下から4番目にまで落ちている。(ウィキペディアによる)
昭和50年代の高架でなかった頃、駅東側の道路の踏切には信号機があった(信号が青であれば一時停止せず進むことができる)。平成18年秋に改造し自動改札を設置した。
 
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