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その120   ('04/ 9/06)

 10日ほど前にiPod を購入した。20GBのモデル、3週間のヨーロッパツアーに備えて物欲を押さえられず。どんどん音を入れても現在5GBちょっと、それでも約70時間分だ。あらためて自分の所有するアルバムをいろいろヘッドホーンで聴いてみると今まで気付かなかった細部が聞こえなかなか新鮮な発見があり面白い。耳には悪いだろうが。しかし人気沸騰で入手困難のようで、地元所沢とリハのついでがあった池袋で探したところ僅かに1軒「40GBモデル緊急入荷!」があっただけで、ある店では2〜3週間待ち、ipod mini だと5週間と言われた。しかしアップルのサイトで取り扱い店を調べて所沢市内の行っていない店に適当に電話してみたら幸運なことに一発目に1台のみ残っていたのでそいつをゲット。これで出かける時に慌ただしく持って行くMDやCDを選んで汗だくになり遅刻しそうになるってこととオサラバできる。私は几帳面に見えるが実はギリギリまでツアー支度が整わない人間なのだ。

 さて、前々回に次いでまたズルをしてしまおう。ベースマガジン8月号のブルース特集に書いたコメント。<ブルースとの出会い>というテーマで依頼を受けたものだ。

 12小節ブルース進行は言うならばロック、ジャズ系の音楽に関わる殆どの演奏者にとっての共通レパートリーである。僕自身はコード進行などという言葉を知る以前の小学生の頃にテレビやラジオから耳に入る、例えばTVドラマの「ルート66」、エルウ゛ィス・プレスリーの「監獄ロック」、レイ・チャールズ「ホワッド・アイ・セイ」、ベンチャーズ「ワイプアウト」といった曲に共通するものが体に入り込んで、「あ、この曲もあの感じだ!」と識別するようになった。特に5度〜4度〜トニックの流れに血が騒いだものだ。それがブルース形式というものであることを知り、R&Bや、更にブルースの影響をもろに受けたブリティッシュ・ロックを経てルーツの黒人ブルースマンの音にたどり着くには少し時間がかかったが。こんな風にいつの間にか我々に馴染んでいるブルース・パターン。いくつものコード・ウ゛ァリエーションがあるわけではないし多少変則的でも耳で追える。だから色々なミュージシャンと簡単な打ち合わせで、あるいは打ち合わせ無しでセッションが可能だ。しかしシンプルな基本形であるだけに目立たぬところにセンスの有無が現れてしまう。誰もが同じようなことを弾くがそこに自分を出したい。更に自分自身でもワンパターンに陥りたくないから工夫をする。曲ごとに自分なりのポイントを考えてラインを組み立てる、また共演者に触発されフレーズがひらめく。起承転結の集約されたこの12小節に奥の深さと面白さがたっぷりある。

9月2日、HAYAKAWA at Stormy Monday
 1.Pordoi 2. Tochi 3.新曲名前ナシ 4. No Shoes
<休憩>
5.Am曲名未定 6.アンモナイトの悩み 7.マサカリ 8. 294 /アンコール:Masakomasa Shuffle
 でした。デカかった。 


その121 KIKI Band ヨーロッパ旅日記・前半  ('04/ 10/12)

 直前の9月13日夜中、酔っぱらって駅の階段を駆け降りて転落、ひどい捻挫だと思っていたが15日に病院に行ったら左足小指付根骨折が判明した。6週間松葉杖を使うよう言われるが、そりゃあ無理、お断り。「三週間も動き回るのでは骨がくっつかない可能性大。そうなったら手術しかない。」とのことであったが、いたしかたない。カルシウムを買い込む。

[9月17日] 12:00成田出発だと思っていたら代理店の間違いで10:25、しかもバンド内で俺だけその連絡が漏れてしまう。当初の集合時間10時に丁度いい所沢からの高速バスが無かったので9:10着の便に乗っていたら2度も梅津さんから「今どこ?」と電話があって「随分気が早いな」と思ってカウンターに行くともう皆揃っているのに驚く。それからが重量オーバーで30分近くもめチケットを受け取ったのが9:50、そこで初めて俺は時間が変わっていたことに気付くという有り様で慌ただしく搭乗。


<アムス空港の便器。ご丁寧にもハエの絵が。
しかも一個ずつ違う。>

11時間半でアムステルダム着、ヴィルヌス行き乗り継ぎまでの3時間はカフェでビールを飲みつつヴェルタ・エスパーニャのテレビ・ライブ観戦。いいなあヨーロッパは。第13ステージ、ペタッキ優勝、またしてもザベルは2位に終わる。
 2時間の飛行で到着した藤井カルテットの一昨年以来2度目になるヴィルヌス、前回はフェス会場の巨大な劇場と立派なホテルと打ち上げに案内されたクラブ以外殆ど出歩く余裕がなかったが今回は前日入り、公演日翌日オフで滞在なので楽だ。と言っても足の具合がこんななので...。西ヨーロッパより+1時間時差があり何だかんだで落ち着いたのが11時近く、ホテルのレストランで飲み食いして就寝。


[18日] 寝たのは1時頃なのに4時前に目が覚める。もう一度寝ようとしたがついネット環境が気になって「ちょっと試してまた眠る」つもりでiBook起動、しかしLAN環境があるのにうまく行かない。フロントに問い合わせると接続の為のユーザーネーム、パスワードを部屋まで届けてくれたが何でこういうものが要るのかチンプンカンプン、手引きはウィンドウズ向けだしさっぱり分からん。諦めて電話回線を使おうとするがこちらも途中までしか行かない。再度フロントに電話すると別の人物が来てくれたがMacは触ったことがないらしく即諦めて「ビジネス・センターを使って下さい」と改めてキーを届けてくれた。行ってみるとパソコン、プリンター、ファクスが1台ずつあるだけの小部屋だ。勿論日本語に対応はしていないのでマイクロソフトのページから日本語OSをダウンロード、インストールしてしまおうとしたがだめ。結局ウェブ経由でメールチェック、日本語はちゃんと表示されるが入力は出来ないのでローマ字で返信。こんなことをしている間に二度寝どころではなくなってしまった。しっかり朝食をとる。前のホテルもそうだったがビュッフェが非常に旨い。フィンランドも旨かったが双璧である。ワルシャワも旨かったっけ。あー、クアラルンプールも朝から辛いが旨かったな、と全然関係ないですね。満腹になったところで部屋で素直に寝ようとしたが今度は楽器を出してしまい結局KIKI新曲を大幅に作り直し始めた。昼前にようやく寝たところに鬼怒から「昼飯に行きませんか」と電話。ええい、もういいわい、寝るのはやめた。街はちょっとしたお祭りらしく路上に出店が沢山でていたが飲み食いよりもアクセサリーやアート作品展示が多い。公園では大きいステージも組まれ下手くそなロックバンドが数人の友人相手にデカイ音で演奏していた。俺達にしては高級なレストランに入りあまり空腹ではなかったので一番安いスエーデン風ミートボールというのとビールにしたがこれも付け合わせのジャガイモ共々旨かった。
 昼寝後夕方ジャズフェス会場の古い劇場に行く。藤井カルテットの時より小振りな場所だったがフェス自体は今回の物の方が有名らしい。しっかりした機材とスタッフで6時過ぎからの本番は好演だった。終わって片付けにステージに行くと準備に来ていた次のバンドはなんと一昨年フィラデルフィアで藤井カルテットと対バンしたトランペットのクンのトリオだ。あのときも本番前に客席の階段で転落して今回同様左足に酷い捻挫をして大騒ぎだったのだ<その83>。メンバーに「その後足は大丈夫か?」と訊かれ返答に窮す。クソっ。
 ホテルに帰ってビーフストロガノフとワイン、旨かった。

[19日] せっかくのオフだがこの足では歩き回れない。部屋で曲を作ったり練習したり昼寝したり、まだ早いが洗濯をしたり。どういうワケかiMacでは音がうまく鳴らなかった譜面製作ソフト<Finale>が突如ほぼまともに作動するようになった。日本に帰っても鳴りますように。昼食もホテルですます。メニューに郷土料理という欄を見つけたので一番高価(といっても700円くらい)なナントカカントカ(英語で<Chanterelles with boild potatos, bacon bits, cream souce>と並記)と地ビール。これも旨かった。豚のカルシウムをキノコのビタミンDで吸収しやすくする為に骨折にも良い筈である。夜はフェスを見に行く。なんとか言うイギリスのピアノ・トリオがいい演奏だった。晩飯は鶏のナントカにしたらでかいチキンナゲットみたいなものでハズレ。
 蛇足ですがホテルでの飲み食いは主催者持ちだった。いいとこだね。

[20日] 朝5時に出発、ヴィルヌス空港には何もないことを知っていたので前日の朝食の際確保しておいたバナナとオレンジを食す。コペンハーゲン経由でサンクトペテルブルグに午後2時過ぎ着。街中のフラットのワンフロアを改造したらしい民宿風ホテル。モスクワから来た世話役のサーシャと近くの小さいバー兼食堂で食事、適当にビーフ、ポーク、サーモンとスープなどを注文、なかなか良かった。その後会場の下見に行ってからさらに別のクラブにシンバルを借りる段取りやら何やらと動きまわる皆と足が痛むので別れて帰り仮眠、2時間後帰ってきた皆と買い込んできたビール、ウォッカとつまみで夕食替わり。


<サンクトペテルブルグ、食堂の猫我が膝に乗る>


丁度1週間経過の日本時間20日am1:00の足。矢印が骨折箇所>

[21日] 明け方目が覚め曲いじりなどするうち、8時過ぎ元バレリーナのかくしゃくたる老婦人が朝食の支度をしにやって来た。全く英語を話さないがミワさんかミヴァさんである。ハヤカワは何度言ってもアヤカワになる。9時半皆を起こして朝食。なんとかいうパンケーキにたっぷりとサワークリームをかけたものやチーズ、ハム。コーヒーはインスタントだったがこういうシンプルな食事にほっとする。
 午後は楽器屋に行きたい鬼怒・早川と本屋に行きたい梅津・多田、とりあえず楽器屋方向にサーシャの案内で地下鉄で移動。しかしサーシャもサンクトペテルブルグには3回くらいしか来た事が無いそうで迷い歩き、目的の楽器店に着いたのはかなり遅く、しかもIbanezがメインの店で、壊れたファズの代用を差し迫って探していた俺以外には鬼怒にも勿論ほかの二人にもあまり興味のない所だった。結局Ibanezのファズを購入し、またこれにも試奏待ち、カード払い手続きにえらく時間がかかり、トルコ系ファーストフード店で昼飯をしたらもうあまり時間が無くなってしまいまたメトロに乗ってホテルに帰って終わり。演奏の準備等をして一時間足らずで会場のクラブ<Platforma>に5時過ぎ出向く。アンプはFender Bassman の60ワット、とほほ。Made in Mexico。ドラムはラディックだがこちらもMade in China。まだ新しいクラブでライブも数回しかやっていないということでエンジニアの音造りに細かく注文を出したり提案したりせねばならず大幅に時間を食った。そのため手慣れたメニューを、しかも音出し時間に制限があるということで短縮気味のステージ。客は大入り、大受けなのだが終始がやがやうるさい。そう言えば藤井カルテットのポーランドもこんな感じだった。終わって食事後、1:25発の夜行列車でモスクワへ経つ。し、しかし、やっと停めた白タク2往復でたどり着いた駅がなんだか静か、暫くして間違っていたことが判明、大慌てで荷物を引きずりふたたび白タク確保、正規の出発駅に向かいセーフとなる。ビール等を買い込む余裕もなく、苦労して荷物を収納したあとは皆疲れ果て電灯もつけたまま寝台で眠り込んでしまった。そうは言っても誰も熟睡は出来なかった模様。

[22日] 駅間違いがケチの付き始めか、ろくな目に会わぬ。朝8:30にモスクワ着、ホテルに入れる筈が英語の全然通じない迎えのオッサンに連れていかれたのは演奏会場。れれっ?そして誰もいなくなってしまう。梅・鬼が買い出しに行っている間に世話を任されているらしい若者が来たが彼もあまり英語が出来ず身ぶり手ぶりではどうも11時になればホテルに入れるらしい。やがて帰ってきた二人の買って来てくれた黒い葡萄パン、ハム、チーズ、オリーブ、牛乳と青年が持って来たコーヒーで朝食。11時ようやく宿舎のクレムリン広場に面した世界一大きいらしいモスクワ・ホテルに行くがチェックイン出来ず、12時と言われる。12時、今度は2時と言われる。バッキャロー!こちらの物価からしたらバカ高いホテルのカフェのビールとコーヒーで時間を潰す。そしてやっとキーを受け取ったが、部屋はこの回廊状の巨大ホテルのフロントと正反対のエリアである。痛む足と絨毯で滑らないトランクを引きずって10分も歩いた。バッキャロー!!何せ客室が各階3百数中ある、それの11階である。梅津さんは休む間もなく放送局へ連れて行かれた。
 会場のDOMは芸術全般を取り上げている小ホールのようなクラブだ。ここも大入りだったがBアンプ、ドラム共にあまり良くなかった。何だかんだと時間が無くなり食事に出られず、本番前に黒パンのサンドイッチ一個(大きいが)、終演後も同じサンドイッチ一個+ソーセージという貧しい食生活の一日だった。

[23日] 夕方の便でモスクワからパリへ。この日もアッタマ来るはめに。巨大ホテルの中を足を引きずり迷いつつたどり着いたレストランでは名簿に名前がないと朝食を断られ部屋に別ルートで戻ろうとしたら建物の角を利用したような簡単なバーが吹き抜けの下にあり朝食を取っている客が2、3人いる。どう見ても高くはなさそうなので席に着いたがメニューはロシア語のみでチンプンカンプン。なんでこんな高級ホテルでこの態度なんだ。コーヒー二杯と目玉焼き、ソーセージ2本、茹でイモ、ひどいパンとチーズを食したが勘定を見てビックリ、560ルーブルである。こちらの感覚では5千円くらいだろう。バッキャロー!!!「え〜〜〜っ?」と騒ぐとロシア語しか話さないおばはんに替わって若いこが説明にくる。しかし俺は370ルーブルしか持っていなかったので「部屋に付けてくれ」といったらノー、ドルとルーブル以外はユーロもダメだという。じゃあホテル内の両替所に行ってくるから待ってろと言ったらカードOKだというのでなんとか済んだ。こんな通路に作り付けたような店でカードとは全く思い付かなかった。
 1時前に送りの車で出発、途中で食事をと計画していたのに馬鹿みたいな渋滞、割り込みの応酬が続く道路事情で諦め空港へ直行する。2時頃ついたら今度はロビーから人々が溢れて行列を作っている。入り口すぐのところで荷物検査をやっている為人間が集中してえらい混雑で進まぬ。なんという効率の悪さ。これは普通の感覚でやって来たら間に合わない。やっと中に入ってカウンター前で再検査、チェックインをすませ食事をすべくレストランに行くと「料理は全部40分以上かかる」と言われ唖然。しかたなく愛想の悪いコムスメのスタンドでレンジでチンしたピザとビール、これで420ルーブルもする。全くおめえら!!とうとうモスクワではちゃんとした食事に1度もありつけなかった。バッキャロー!!!!最も旨かったのが到着した朝会場で待たされていた時のスーパー買い出し朝食だぜ。

 パリでは俺の乗った方のタクシーが道に迷いホテル近辺を行ったり来たり、やっとそれまで2回くらい通り過ぎていたホテルにたどり着いた。もう1台は40数ユーロだというのにこちらは62、3ユーロ、勿論まけさせる。現地世話役の学生、布目桂子さんと30年在住の通訳・ガイドの渡辺氏の案内でベトナム料理屋に行く。久々のまともな食事。

[24日] 昼食に鬼怒とアルデンテと程遠いパスタと山盛りサラダを食べてからエスパス・ジャポンという小さな図書室のような文化センターに行ってパソコンを借りてネット、30分2ユーロ。なにせ持参した一行中のiBook4台、未だにどこでも接続に失敗しているのだ。ヴィルヌスのローマ字メール以来の受信だが殆どいらない広告ばかりが数百数も溜っている。ウェブメールではサーバーから削除出来ないため接続の度に同じものを受信するから迷惑メールは余計腹立たしい。
 パリでは同じ場所で二晩演奏だ。5時すぎ会場にタクシーで向かうが前日同様酷い目に。道には迷わなかったが細い通りでゴミ収集車が作業をしていて大渋滞だ。服屋の並んだストリートなのだが右側はずらっと駐車車両、ゴミのバスケット3、4個づつが5〜7メートル置きにあって機械式のウィーンと持ち上がってさかさになって中身を収集車にぶちまける形式だから一々時間がかかり後ろにずらっと車が連なっている。まれに脇にスペースがあってもちょっと避けて後続車を通すなどという感覚は全く持ち合わせていない。クラクションにも無関心。ようやく交差する道に出て右折して逃れたと思ったらこちらにも収集車、運転手怒って通せと抗議しているがさっぱり。もう一度曲がったらなんとこの通りにもいた!!なんでこんな夕刻のラッシュ時にこんなことやるんだ、パリは。イカレてる。メトロ2駅くらいのところに45分もかかった。会場はいくつかのリハスタジオを備えたライブスペースで若いバンド連中の音が漏れていて???というものばかりで面白い。アンプはFender StudioBassというビルトイン・タイプのもので古いがいい音質だった。ロシアが恵まれなかったので梅津さんも「久々のベースらしい音だ」としきりに言っているので音量をサービスしてやったらエンジニアに下げてくれと言われました。しかし足元のモニターからでかく返してくれたので気持ち良かった。終わってからメトロをのりつぎ散々歩いて中華。そのせいか夜中右ふくらはぎが激しくつる。骨折で心配な脚力低下だが庇いながらの歩行や演奏は意外に運動になっているようでふくらはぎ、ももは両足とも程度は軽いとは言えトレーニング後と似た疲労感がある。


<ロビーの猫>


<左の緑の看板がホテル、右の白いドアがコインランドリー。>

 

[25日] 午前中は宿の向かい側のコインランドリーで洗濯。表示を見てもさっぱり手順が分からなかったが先客のぶっとい腕に入れ墨をしたオッサンがフランス語と身ぶりで親切に教えてくれた。後は読書しつつ他の客を観察、乾燥機の使い方を探る。ここいらは安全なのか、皆出来上がりを待たずに出ていってしまうのが大半だ。インド人の青年がやってきて俺同様に途方にくれていたのでいささか得意気に使用法を教える。午後は街をぶらぶら歩いて、いやよたよた歩いて昼食は中華ファストフードで焼そばとブロッコリ炒めを食す。昨夜のところより旨いかも知れない。そのあと再度エスパス・ジャポンに出向きネットと日本の新聞を3日分読んでホテルに戻り曲いじり&昼寝。


<アラブレストランの前菜。左は茄子のペースト。>

夕方メトロで会場に行き二日目なので曲の入れ替え、手直しのリハ。本番前に近くのイタリアン<サンタルチア>で超薄シシリアーノピザを食す。旨かった。演奏の出来もなかなか良く、今までのところ一番いい感じ。この日から念のため持参していたBossのエンハンサーを使う。高域が出過ぎて針金みたいな成分(?)が混ざってしまうがザラついた感じがあるので今回のどちらかと言えば上品なSR3005を荒っぽくするにはいいようで「何だか昨日より格段にいい」とメンバーにも評判が良かった。ふっふっふ。しかし愛用の田中篤製作Screaming Fazz が壊れていまったのは痛い。購入したIbanezのPhat Hed もいいのだがやはり田中Fazzの押し出しの強さにはかなわない。撤収、ホテルに機材を降ろしてからアラブ料理の小さい店に行く。クスクス、ケバブなどとワイン。最後は眠りこけ、店のおばさんに笑われながら帰った。


その122 KIKI Band ヨーロッパ旅日記・後半  ('04/ 10/31)

[26日] 前夜パリまで迎えに来てくれた、ドイツの仕切りの前田君とドライバーのギタリストX(名前忘れた)とでハイエースに荷物満載で一路ケルンへ、11時過ぎ出発5時着。開演直前に楽屋に店併設のレストランから巨大サラダとツナ・パイが届けられたがあまり食えず。まずまずの入りにダイレクトな反応、やはりドイツはやりやすい。アンプは前田君の持ち物のMenessisで10インチ2発の200Wビルトインだが小径スピーカーにも関わらず充分な音圧があり気持ちいい。終演後その併設レストランに行くが生憎オーダーストップ、ケルンビールとワインを1杯ずつのんで、皆はイタリアンに行ったがやや風邪気味だったので薬をもらい一人ホテルで就寝。

[27日] ケルンにてオフ。朝食はシンプルなコンチネンタル、昼はさほど食欲なく朝食時確保しておいたキウイとバナナ。午後は皆で前田君のフラットに楽器屋に立ち寄ったりしながら向かう。一昨々年長逗留した快適なところ(58,59参照)だ。ここでやっとiBookを初接続する。ホテルで接続出来ない原因の一つがアクセスポイントの共通化にあるらしい。日本でも<全国共通ポイント>に併合が進んでいるが大抵のホテルの電話ではこれに接続できないがこちらでも同様だそうだ。夕方韓国系の食料品店に買い出しに行き夜は白菜・青菜・豚・豆腐の鍋。締めにキムチとうどんを追加。卵買い忘れが惜しい。ぐうたらと休みらしく過ごし夜中帰る。

[28日] ケルンからフランクフルトへハイエースで約3時間。昼飯はホテルの朝食のときにしっかり作っておいたハムチーズサンド2種とリンゴ、バナナ。会場のJazz Keller は86年にドクトル梅津バンドで来ている。周りはすっかり高級ブティックが並ぶようになってしまい店のビルも奇麗な外壁になったが地下の穴蔵のような店内はかつてのまま、1952年創業。入りはあまり芳しくなかったしオーナーからも「ウチには音がデカ過ぎる」と言われたがやってしまえばこちらのもの、客は喜び当方もストレスなくはじける。

 


  18年ぶりに我が音を響かせる 撮影:多田葉子

 

[29日] 午後4時頃に出発、ボン・フランクフルト空港へ向かい、ポーランド・コトヴィッツ行き21:45という遅い便に乗る。どのシートのひじ掛けもガムテープで補修してありおまけにリクライニングしないという珍しい代物だった。さすが格安チケット。0時過ぎ到着、藤井カルテットの時知り合ったのが縁でポーランドのブッキングを依頼したMarek Winiarski氏(Not Two Records 主宰、藤井カルテット<Zephyros>をリリース)の迎えの車でクラコウまで1時間半、缶ビール1本で3時すぎようやく就寝。長い一日。

[30日] 本日から5連チャンだ。朝10時過ぎマレクの案内で会場<Klub Alchemia>へ行き下見、1階が古風なカフェ、その地下にあるライブスペースだ。上のカフェでコーヒーと美味しいケーキを食べてから徒歩20分ほどの中心の大広場へ鬼怒・多田と向かい、ネットカフェでメールチェック後マレク推薦のメキシカンで昼食。旨かったがチリコンに45分も待たせるとは。こちらの人々は気が長い。夕方会場入り、アンプ、ドラムセット等機材類はこのツアーで一番良いものだった。ベースアンプはAmpeg SVT Pro3 にHartke の10インチ4発と15インチ1発の2段積み。エンジニアもいい腕だ。客は大入り、やや騒ぎ過ぎがポーランドらしいけれどいい反応で演奏も今回最高の内容である。俺がアイドルだと言うベース弾きの若者がCDにサインを求めてきたので貴重な為撮影しておく。別の若者が前に藤井カルテットで出たクラブのオーナーから飲みに来いという伝言を持って来たので撤収、ホテル立ち寄り後メンバーを連れて歩くが発見出来ず。散々歩かせたのでお詫びにケバブとビールをおごる。


店の入り口の1階カフェ


地下のライブスペース。これは左半分。


カフェでのマレクと甥のバルトス君(アンドレコフには彼の車も動員)


(この界隈はこういう庶民的な雰囲気だが観光古都としての風景は<その96>にある。)

[10月1日] クラコウから60km程のAndrychow(発音出来ず:アンドレコフが近いか)という町でのライブ。何かの倉庫だったような造りの細長い2階建ての1階、右半分がカフェ、左側がライブホールだ。アンプはHartke5000に東欧製らしきスピーカー。ここも客は大入りの大騒ぎ。ただし始まる前に店のマスター(というより社会主義時代のこの建物を市だか国だかから文化的活動の名目で借り受けているということらしい。あと何年出来るか、と漏らしていた。)に教えられて遠くまで歩いて行ったレストランはダメだった。それにそういう施設だからか、終わってからビールを頼んだら「ノーアルコール」だったのもいかん。どうも客が無駄口叩かずにちゃんと聴いていると思ったら彼らも飲んでいなかったのだな。車でクラコウまで深夜帰る。

 

Klub Pod Baszta

[2日] 朝9時台の列車で7時間かけてバルト海の町グダンスクに向かう。食堂車で通っぽくメニューにない郷土料理ビゴスを頼んだが無いというので(一昨年は言えば出て来た:<その96>)ボードに手書きしてあったさっぱり分からないものを頼んでみたらソーセージと野菜の盛り合わせにパンで11ズロチ(350円)。珍しく茹でたものではなく炒めてあったので満足。ここの会場はアートセンターの立派なホールだった。椅子は無し。絵画・造形作品が溢れている。本番前にスープ、サラダ、芋から作ったと思われる餅のようなもの、豚肉などを振舞われた。ワインも3本も栓を抜いて持って来てくれた。しかし本番前に飲むのは我が輩のみがちょこっとというバンドだ。折角だから赤を2杯いただきました。演奏の方は何だかモニターのバランスが滅茶苦茶で梅津氏怒る。リハでは問題なかったのだが。おそらく配線ミスでこちらの要望と全くずれてしまったのだろう。しかも終わってみると、館長の女性を始めとして皆俺たちをほったらかして酔っ払っておりムっとする。こちらもガンガン飲んで更に帰りに楽屋からワインを2本奪取、ホテルで皆で飲む。

 

イモ餅(?)

Klub Zak Klub Zak本番前、食い散らかしたあともアートっぽい。


グダンスクのホームにて。2、3日の引率をしてくれたナントカ氏と。
[3日]
 前日同様の列車で更にワルシャワで乗り換えをしてコトヴィッツへまた7時間近い旅をして演奏だ。ワルシャワまでの同じ食堂車の同じおっさんに(去年も一昨年も同じ車両と同じおっさんだったような気がしてきた)同じものとビールを注文したが昨日より高い。釣り銭切れだ。いい加減である。コトヴィッツの会場は大きな劇場かなにかの一角にある<Klub Hipnoza>という、広いライブハウス。ここにはクラコウのスタッフ、機材が来てくれたので今ツアー中ベストの環境だった。マリクもクラコウから預けておいた荷物と共に車でやって来る。本番前に店が出してくれた食事も豪華(大量過ぎたが)、終わってからもたっぷり飲み食いした。地元の若者たちと飲んだくれる。


ショットグラスのスペシャルドリンク。下からクランベリージュース+蜂蜜+ズブロッカが三層になった代物を一気に飲む。

[4日] いよいよ最終日。朝出発前、部屋のデスクを片付けていたら裏にイーサネット・ケーブルが垂れ下がっているのを発見した。げげっ、今頃気付くなんて!既に電源を落としていた iBook を起動、ばっちり繋がるじゃないの。しかしもう出発10分前だ。このこじんまりしたホテルが今回の11の街でもっとも進んでいたとは。せっかくあるのならもっと得意そうに書いておいてくれ!わざわざフロントで鍵を借り入り組んだ建て増し部分のようなところの4階にあるビジネス・ルームに行ってデスクの下に潜り込んでそこのパソコンのケーブルを外して自分のに繋いでいたのに。

 さて3時間半くらいだったかのワルシャワまでの列車、これの食堂車は大分モダンであった。ラムステーキを食べる。まあまあ。ワルシャワのホームには一昨年・去年と藤井カルテットで世話になったマルチンが迎えに来ていて再会の抱擁。会場は古い城(かつて国王の別荘だったそうだ)の中庭。市の中心部からは離れていてホテルも会場近く、初ワルシャワの皆には残念ながら街歩きは出来なかった。城のレストランでのんびり食事後セッティング、リハ。次第に冷えびえしてくる。本番は9時近くからだったので寒かったが始まってしまえば演奏の熱気で気にならず。終演後、梅津さんが密かにマルチンに頼んでおいたケーキを囲んで楽屋にてマネージャー多田葉子のバースデイ・セレモニィ。このあと当然ながらツアー打ち上げにくり出すつもりでいたらあっさりホテルに送られ、頼みの綱のマルチンは車に次のコンサートのチラシを満載してどこかに行ってしまうし、同宿のマリクがフロントで店を訊いてくれたがもう開いているところはないし酒もないとのこと。まあ明日も早いし寝るかぁ〜、と尻すぼみにツアー終了であった。寝酒を確保しておくべきだった。カ*ヤ*君なんて会場に到着したら酒屋のことしか気にしてないもんな、ああならんといかんのだ。


   


 テラスからの眺め


  城の中庭で最後の熱演 撮影:多田葉子


 楽屋で歓談中のマルチンとマレク

[5日] マルチンとマレクの車で空港へ送られ重量オーバーも問題にされずすんなりチェックイン。10:45まずヘルシンキへ2時間ちょい、ここで成田への乗り継ぎが4時間もあって退屈した。6日日本時間朝8:30着陸。長かった。

 

 足の怪我でか弱くなった私の荷物の運搬に手を貸してくれたメンバー各位に感謝。細腕で重いハードケースの楽器を持ってくれた多田、それを持って夜のパリを始めよく歩き回ってくれた鬼怒、もちろん梅津・新井田両氏にも何かと助けられました。お礼に年内のライブでは音量を一目盛りサービスしましょう。


その123   ('04/ 12/26)

 前回更新からうかうかしていると2ヶ月近く経過だ。何でこうバランスが悪いのか今年の師走はやたらに忙しい。11月下旬から麗蘭のリハーサルが始まり12月あたまからツアー、4日間の空きにCOILのツアー、そのまま大阪で麗蘭と合流、東京を済ませてのオフのあと長崎に飛び博多〜名古屋の移動日に東京に戻ってKIKI Band、翌日名古屋に取って返し神戸、京都と続く。明日の京都でのオフで書こうと思っていたが確かあのホテルは部屋にLANが来ていなかったなあと急いで今書いている。
 遅まきながらこういう不便の解消に無線LAN= Air Mac を導入しようと思い立ったのになんと現行モデルと同じ外観の我が iBook 用のカードは5月で生産終了、市場には無いではないか。ネットオークションでも高額になっている。大体Apple はモデルチェンジするとすぐバッテリーやら電源アダプターやらの周辺機器の製造を打ち切ってしまう。以前使っていたPower Book 1400C でもバッテリーの寿命が来たときには既にモノがなくて交換出来なかった。むむむかぁ〜。それに内蔵モデムの具合が悪いのか半年ほど前からダイヤルアップが滅多に繋がらないのだ。という訳で寝不足二日酔いなれど短文を書いておきます。あちこちで「最近更新してない」と叱られるもので。でも写真でごまかしちゃいます。

COIL ツアー&KIKI Band 第1期ファイナルライブ機材

Ibanez MC824改+Peavey TNT160(下段は磔磔のヤマハ)


足下は上左から時計回りに:VooDoo Bass 、Boss チューナー、EBS MultiComp
Sans Amp、Screaming Fuzz、 Boss Super Oct、 Boss イコライザー

麗蘭ツアー機材
MC924,MC924ゴールド,SR3005,NS Upright
Peavey Max Bass(プリアンプ),Hartke3500,
JBL15" + 10"×4


右の二つは上と同じチューナー&コンプレッサー、三番目はロシアで購入したIbanez Phat Hed (fuzz)、左は初期型Sans Amp

 MC924などを麗蘭のトランポバスに預けっぱなしの為 2002年マレーシアに持って行って以来の824バルトリーニ仕様をその他のライブに使った。7日のHAYAKAWA では熟考の結果SR905 をメインに使ったのだがメンバーにも観客にも「聴き取りにくい」と不評。その時アンコールのみで使った824の方が好評だったので調整を施してCOIL ツアーに持っていった。COILではなかなか良い感触。ドンシャリ・アクティブの傾向を補正するため生徒の太田君からSans Amp を借用。音は太くなるがボケ気味のため場所・曲によっては使用せず。
 麗蘭の方でもローディのマサミ君のSans Amp 初期型を拝借中。これは4曲ほど使うMC924ゴールド(元々パールホワイトだったのが変色)のときのみ通している。このMCも借り物だ、そう言えば。先月の横浜のイベント「おばんです」の主宰バンドのベーシスト浅野君の所有物。僕のプロトタイプ924と比べるとこの市販モデルはやや音が細いようだが、自分のでは取り外してしまったイコライザー回路で自然な音造りが出来る。この回路はどうも僕の924や924フレットレスとは中身が違うようでノイズが出ない。
 で、突然ですが腹減った。朝飯、シャワー、剃髪などホテル出立前の行事があるのでこれにて失礼。

COIL,12/17の金沢もっきりやでの打ち上げで行ったPaper Moonの入り口に鎮座していたむっちゃん。


その124   ('05/ 1/10)

 新年明けましてと言うには大分経過している。経過ついでの話、10月末についに4年以上使ったシンプルこの上ない携帯をカメラ付きに機種変更した。ライオンズ優勝割引き、50歳以上応援割引きにポイントも使って70円だったかな。モチロン最初は\3,070 と言われてね、「この<50歳以上割引き\3,000>も使ってくれ」と言うと「ええっ?ほんとですか?」なんて言われたがな、ふっふ。で、麗蘭ツアーの携帯カメラでの数コマをご紹介。

12/22 長崎の夜
/前を行く赤ジャン男が映像作家林ワタル、左並びが公平

12/23
福岡への列車内にて<鯨かつ弁当>。たれに漬け込んだ
鯨肉が美味。

12/27 京都
オフ日の夜、金閣寺近くの閑静な住宅地の中の湯豆腐屋の
入り口に向かう仲井戸君の後ろ姿。

12/28 京都
朝散歩中に見つけたレコード屋。いつ頃までやっていたのだろうか。


 こうして見るとなかなか使える。モデルチェンジに際しての特価旧型128万画素だったっけな、加工なしでこの程度だ。
とりあえずどんな風に見えるか確かめたいから内容に乏しいがアップしてしまおう。
 そうそう、前項で触れたAir Mac カード、上の赤男・林ワタル氏(今回のツアーに同行撮影、DVD化)が「事務所の処分しようかと思っているほったらかしの古いiMacに入ってるんじゃなかったかなあ」と言うので「ええっ!?林様、それはぜひワタクシめに」ということで一昨日宅急便で届いた。いやあ有り難い。バッチリ稼動している。昨夜なんか横浜のStormy Monday 脇に停めた車の中で待ち時間に試してみたらどこの電波に便乗したのか接続できたぞ。


その125   ('05/ 2/8)

 そうそう、前項ケイタイ写真、画質はノーマル設定だったからファインだったらもっといいワケだ。たいしたもんだ。愛用のかさ張るデジカメ(数年前の240万画素モデル)と、HPで使う分には変わりない。何から何まで進歩するものである。音楽を聴くにしたって、最初にカセットのウォークマンが出た時に「こんなにいい音でどこでも聴ける」と感激したものだ。いやそれより前にまずオープンリールのモノラル・テープレコーダーに友人からレコードを借りてステレオの前にマイクを立てて録音してたんだもんな、俺たちの中高生時代ってのは。そんなテープでも充分感動出来たのだ。ステレオ・カセットデッキがやっと買えそうな価格になって登場した時には夢の様に感じたものだ。それが今やDATやMDを経てMP3でアルバム1枚分がそのままに近い音質で数分でコピー出来てしまう。数百枚分の音をポケットに入れて持ち歩ける。そしていつか気が付くとそれすらも過去のものになってしまうのだ。
 その一方、何と言ってもモノラルSPの音が最高というマニアもいるし俺程度でもやっぱりアナログの方が音がいいと感じる。ジャズの名盤リマスタリングなどというものでLPとCDを同時に掛けてアンプのセレクターを切り替えながら聴き比べると断然LPの方が音が太くて深い。CDは各々の音がクリアな気はするが細く一体感に乏しい。それは音源のせいでデジタル前提で造られたものではないからかも知れないがやはり操作にもメンテにも手間のかかるものの方がいいというのはなんだか嬉しい。俺の71年型カワサキ650で最新のバイクをぶち抜いたときのように(ただしブレーキがムカシのは効かんからその先はヤバイ)。ひさしぶりに1眼レフにフィルムを入れてみるかな、何年も放ってある買い置きのカラーフィルムが3、4本ある。でもどうせなら白黒を買ってくるか。・・あ、でもあとでスキャナで取り込んでから加工すりゃいいか、などと思ってしまう安易な私であった。

 1月22日、本年初HAYAKAWAライブをアケタで敢行。久々のせいか土曜日のせいか人気が上がったのか補助椅子まで並べる大入りであった。といってもそれほどのものではないかな。しかし非常に嬉しかったのは言う迄も無い。感謝。じつはギターの増田君が「橈骨(とうこつ)神経麻痺」というものになってしまい右手が使えないということを1週間前に知らされた。回復期間は予測できず数日〜数カ月という診断を受けたということだったが当日にはなんとかダウンピッキングのみ出来るという状態まで取り戻してきてつつがなく演奏できた。勿論本人にとってはツツガムシだらけの歯がゆい出来だったのだろうがメンバーにとっては新鮮だったり気にならなかったりと問題はなかった。
 そういうちょっと危うい状況だったのでややこしい新曲はやらずテーマ部で増田の負担が比較的少ないものを選んだつもり。

1. Syllogisme Colonial  2. No Shoes 3. Tochi 4. 294
 <休憩>
5. マサカリ 6. 04/8/21 7. Am 8. Alu Gara
9. (アンコール) マサコマサ・シャッフル

8: Alu Gara はこのメンバーになってからは初めて。即ち増田が初演ということだ。これを含めて 2,4 の3曲が前作<Gwoh-In>から、9 は前々作からの曲。5.マサカリに至っては85年の作だから今回は随分古いものが多かった。しかしこれも新鮮である。評判もよかったしこういうことも時々必要だな。
 1、6 、7 でSR3005 を使用、あとは MC924。こういう、何がどうなるか分からないバンドではやはり4弦のほうが飛び回れる。しかしもっと5弦も自在に弾けるようになりたいものである。

 

 


photo:島田正明/島田写真館より


その126 KL滞在その1  ('05/ 3/17)

 春になりそうでまた寒さが戻ったりしているらしいが8日からクアラルンプールに来ている。こちらは暖かいどころではなく暑い!!このところが今の時期にしてはまた特に暑いらしい。
 今回はライブではなくピート・テオのレコーディングに呼ばれてやって来た。02年にやはりこちらで録音した<RusticLiving For Urbanites>はこちらの音楽賞のインディーズ部門では4つのタイトルにノミネート、イギリスやドイツでも好調なセールスを記録している。自分の唄ものの参加作品としても非常に気に入っている1枚なのでどんなものが出来るかどんな演奏が出来るか楽しみである。

 8日夕方空港でピートの迎えを受けて愛車レンジローバーで市内へ。今回の模様を撮影する女性映画監督のタン・チュウムイ(ムイ)とやはり映画監督で東京映画祭でも作品が上映された(このあたりは英語力不足で詳細は帰国してから調べて加筆予定)ジェームス・リーも一緒だ。前回と同じく屋台・食堂がずらっと並ぶジャラン・アロー近くのホテル Allson Genesis にチェックイン後俺のリクエストでペーパー・チキンのレストランに行くが閉まっていたのではす向かいのお馴染み「新峰肉骨茶」でバクテイ。中盤いつも世話になっている西野氏も合流してビールを飲みつつ盛り上がる。いやことさら盛り上がっている訳でもないのだがピートも西野さんも話が止まらないのだ。11時過ぎに部屋に帰る。

 9日、朝11時にピートと同乗のルイス・プラガサン:Dsが迎えにきて早速スタジオ入り。郊外の街ペタリン・ジャヤにある立派な「シンクロサウンド・スタジオ」。ゆったりとしたロビーには古い民俗楽器がところどころに博物館のように飾られている。リズムトラック録りのメンバーはピート、ルイス、キーボードの若者ジャスティンに俺。エンジニアはこちらに在住のオーストラリア人グレッグ、アシスタントがアンドリュー。全員英語名だがピート、ジャスティン、アンドリューは中国人、ルイスはインド人だ。俺も何か付けるか。
 アンプはAmpeg SVT Pro 。+4発入りキャビネット。グレッグはかつては豪ロックバンドMidnight Oil のプロデューサーだった人物である。いい音になりそうだ。・・・でも俺はリハーサルだと思っていたのだ、実は。初期のメールのやりとりで4、5日リハをしてからレコーディングに入りたいと言っていたのでそう思い込んでいた。昨晩あれからスタジオに行ってグレッグらと準備を3時までしていたのであまり寝ていないと言うし、リハなのに随分本格的にやるんだなと半ば呆れていたのだ。アップライトで<Lost In America>という曲をじっくり何度も7時半までかけてやって初日は終り。どうもこの念の入れ方は妙だなと、さすがに大勢の前では言いにくくてジャスティンと二人になった時に「これはリハなくて本番なの?」と訊いたら「ディスカッションしながらやっててリハみたいだけど本番だよ」と言われた。あっちゃ〜、本番になったら弦を張り替えたり内蔵電池を交換したり細かい調整をするつもりだったのに。
 昼カレーだったのだが夜もバンサー(ちょっとハイソな街)のしゃれたバーでギネスを飲んでからカレー屋へ(ここはハイソではない)。昼のところもここもヤシの葉を皿替わりにテーブルに敷いて食すスタイル。つけ合わせは空心菜、揚げ小魚、ウリのサラダ、これに4つの小鍋がくっついたものに入った4種のルウにライス。メインがチキン、魚、イカ。これらは全てカリっと揚げたもの。薄いチジミのようなものも旨かった。昼間もルウは3種だったが大体このようなメニューで、珍しいのではウズラのような茹で卵のチャツネがあったかな。

 10日、10時半にピックアップされスタジオへ。昨日から知らされていたがエアコンが修理の為不動。35度の外に比べたらじっとしていればひんやりしていると思えないこともないが演奏すると顎やひじから汗がしたたり落ちる。1曲目<Shine>という曲を試行錯誤している時合間にピアノの間奏16小節のメロディをチョロっと弾いていたら「それはクールだ、そこはベースで行こう」ということになってしまいやや手こずった。ようやく一段落しての昼食は4時にスターバックスのケイジャンチキンパイ。ルイスの、インドのなんとかいうところのスタジオは最高でメンバーにひとりずつ召し使いみたいな人間がついてお茶だ菓子だフルーツだとひと休みごとに供され食事も凄いし景色は信じられないくらい良くてどうのこうの、次は絶対インドに行こうと盛り上がる。「じゃあインド映画みたいにダンサーを大勢使ってプロモビデオを作ろう!」と応えつつスタジオに戻ったら今度はエアコンに加えエレベーターまで止まってしまっている。5階まで上って汗ダラダラ。再開した1曲目がようやく6時に終了。2曲目はラテンぽいニュアンスだったのでアップライトでルーズな感じでやって成功、大好評であった。8時頃終了。
 スタジオの別の大部屋でこちらのスーパースターが連日リハをやっていて、マイルス・デイビスのバンドにいたパーカッションのスティーブ・ソーントンや4年前に梅津さんと二人でKLに来た時セッションしたイギリス人のサックス奏者G.ライオンなどKLのトップクラスの連中が集まっていて休憩になるとコンソールルームに覗きにやってくる。アンペグのヘッドはここのベースのアンディ(インド人でルイスとよくコンビを組んでいる)から借りているのだ。みんな陽気で大声で喋りまくっている。アンディは俺のアップライトを「雑誌でしか見たことがなかった」としきりに感心。アリアのアップライトを持っているそうだ。
 ルイスと3人でホテル近くの、前回よく通った英国パブGreen Manに行ったが開け放してエアコンを入れていなかったので冷気に飢えたピートが嫌がり並びの<Yoko>という日本バーに行った。エビスビールと天ざる。店員に日本人はいなかったが旨かった。
 

 11日、2時スタートにしたので余裕。午前中カフェでイングリッシュマフィンとクリームたっぷり乗せココア。洒落た感じだが本当はショッピングセンター前の歩道上のスターバックスである。1時頃来たピートとホテルの通りの食堂でチャーシュウ、蒸鶏、青菜を食う。旨いがクーラーなどないただの食堂であるから暑い。もう汗だく、早くエアコンの直ったスタジオに行きたい、と思ったのに行ってみたら本日も不動である。エレベーターは直っていたが。

 
<これはケイタイ写真。>

 1曲目が7時に出来た。2曲目カリプソやリンガラにあるようなコード進行だったので何気なくハイノートで細かいことを弾いて遊んでいたらまた「クール、それで行こう」ということになってしまいまたまた少々手こずる。SRの高域は音が細い分よけいにフレットノイズが気になるので録音となると気楽に弾けない。8時頃エアコン復旧、しかしコンソールルームはダメで機材の発熱でムンムンする。10時頃OKテイクが録れたもののどうもベースの音が気に入らない。低音の歪みがひどい。アンディのアンプに歪みが出始めたのでスタジオの小さいビルトインタイプのアンペグを昨日迄のキャビネットにつなげて解消していたのだが。色々いじって入力レベルの切り替えパッドをかませるとノイズが出ないことを発見、ベースだけ単独で弾いて差し替える。2テイクやって11時終了。

 KLに戻りジャラン・アローの「黄亜華焼鷄翼小食店」通称チキンウイングにてピートと食事。手羽のタレ焼き、スペアリブ、青菜炒め、デカい蟹。音楽やアートについてのピートの話が止まらずホテルに帰ったのは1時半、すぐにも眠りたかったがあまりの汗にズボンの洗濯をしてからシャワーで2時半過ぎ就寝。

 

 

 

 

 


その127 KL滞在その2  ('05/ 3/25)

 12日:全員で「豆腐屋」で昼飯。豆腐といっても日本風のものもメニューにはあったけれど厚揚げや魚の練り物(はんぺんのシッカリしたようなもの)がメインの食堂。ナスやゴーヤ、デカ唐辛子、オクラなどにそれらが挟み込まれたもの。餃子も中身は練り物だった。唐辛子には「辛くない」というピートを信じず躊躇していたがアンドリューが真顔で辛くないというので信用したら辛い!!笑われつつバリバリ食ったら「おおっ、信じられない!」だと。辛いので詰め物のところしか食べないのが普通だという。おめえらっ!!スタジオに1時に入って9時半に終わった時にはもうミキサールームで音を聞きながら朦朧状態。それからピートが主にグレッグ相手に話し込んじゃってこれから録る曲を次から次へとアコギ弾きつつ解説・アイディア提案などが始まり止まらない。ジャスティンはにやにやしながら「楽しんでね」とささやいて帰ってしまった。ピートの車に同乗してきたので一緒に帰るルイスも「腹減った」とこぼしながらもせかさずに待つこと1時間半。これでまた3人で昨夜の隣の店にメシ食いに行ってからも話が止まらないんだから。思い起こせばここはKIKI Band で来た時に夜中3時半酔って素面の鬼怒と腕立て伏せ対決をして見事打ち破った店だな。しかしまともな食事は毎晩スタジオを出て夜中だから太りそうだ。間食もカレーと油ぎとぎとの薄ナン、揚げパンのテイクアウトだったし。


     昼メシ


 晩餐のルイスと小生

13日:11時半に迎えに来たピートと旧市街の古いカフェで昼食。元々英国人向けに料理していたから中洋折衷料理が得意だとか。コーヒー、トーストのココナッツジャム添えに牛モツ大根スープ、揚げ魚、半熟卵。アンドリューしかまだ来ていないスタジオに入ってピートと二人で<Blow>という静かな6+5拍子の曲を合わせる。大分やってからルイスの壺のマイクセッティングをして録音開始。何度もやっている内にヘッドフォンの雑音が気になりだした。なんと雨音。1時間半中断。こんな立派な建物なのに。カメラのムイの短編映画のVCDをコンソールのコンピュータで鑑賞。2本見た。やがて雨も止み再開。OKテイクが録れg、bの直しが済んだのが6時。更にギターのメインパターンにグレッグのアイディアでハモりギターを重ねたり仮唄入れで7時半。協議の結果珍しくここまでで本日終了、8時半に退出。ジャラン・アローでルイスを降ろしてから「国民体育館海鮮生鍋点」とかいうところに行く。炭火の鍋でエビ、白菜、豆腐、餃子、麺。そのほかに辛いバンブー・シェルや海鮮硬焼きそば。本日も話は止まらず音楽談義から紅白歌合戦を以前住んでいたシンガポールでよく見ていたとか子供のころ五輪真弓や中森明菜が好きだったとか日本マレーシア両国のアイドル事情などまで。ホテルに帰ったのは12時すぎ。たまには早く寝たかったが寝酒もホテル周辺では入手出来ず。


     タブラの音を出す壷


帰りに何故かスタジオの出口(5階)にいた猫とアンドリュー

 

14日:朝食にホテルのレストランに降りて行ったが満席なのでブキッ・ビンタンのスターバックスでツナサンドとコーヒー。ホテルに戻りながらジャランアローの屋台でバナナ購入、中位のもの11本で3.5MR=95円。部屋に帰るともう汗ダラダラだ。11時15分ピートがやってきてホテルの通りの、先日の店の数軒先で同じくチャーシュウ、蒸し鶏にモヤシ、ライス。
 1曲目にスローをSRでやった。本日も昨日と同じ時間に雨と雷で中断。間食はまたサモサ、揚げパンなど油っこいインド・テイクアウトなので手を出さないつもりだったが最後に残ったニラみたいな野菜の混ざったドーナツ状の小さいパンを食べてしまった。2曲目、静かに始まり後半E/E/D/Aの繰り返しで盛り上がる今回で最もロックな曲。グレッグのFender Japan 製Jazz Bass を弾いた。フロントのPUの4弦位置にガムテープが貼ってあったが俺の弾き方ではその程度ではガチャガチャいってしまうので全幅にテープを貼ってみた。ネックがやや反っているので6,7フレットが押さえにくくフレットノイズが出てしまう。本当はネックの調整をしたかったがピックガードを外さなければ出来ないのでブリッジ調整だけ行った。それでもOKテイクは1,2カ所ビビリが出てしまったしコーダの盛り上がりでは4弦解放が振り切れてまともに鳴っていないところも多々あった。全般にガチガチ硬い音、皆は暴れるベース&ドラムに大喜びだが愛器MC924を持って来れればもっと思うように弾きまくれたのに、とすっかり暗くなってしまった。OKテイク前に別件で他のスタジオに行ったグレッグに替わりアンドリューがEQ補正をしてくれなんとか納得し9時過ぎ退出。ピートとトルコ料理を食べにいく。ちゃんとしたレストラン、しかしアルコールなし。12時前にホテルに帰る。期せずして断酒。

 

15日: 昨日の戒めから午前中ショッピングセンターで酒を探し回りインフォメーションでもインド人のおねえさんに訊いたのだが見つからず。諦めてホテルに戻る途中「第一酒店」というしょぼいのを見つけ「おおっ、こんなところにあったのか」と感激して飛び込んだが何かヘンだ。左手に薬屋みたいなカウンターがあっておばちゃんがいるんだが酒など無い。その奥の暗い方に工事の職人が数人いて立ち働いているので「なんだ、表が漢方薬で奥が酒屋なのか」ずんずん入っていったら後ろでおばちゃんがうるさく騒ぐ。あんまりうるさいので何だ?と戻ってみたらここは安ホテルではないか。中華では酒店・酒家と言えばホテルだったな、そう言えば。浅ましい。そのあとやっと雑貨屋店頭にビールがあるのを見つけて奥の冷蔵庫をじっくり調べそれぞれレッドワイン、ウォッカアイス書いてある小瓶275ccを購入。すでに迎えの時間の5分前だったので急いで吉野家で牛野菜丼とワカメのみそ汁、連日のマレーシアン中華味を避けたつもりが牛肉とともに盛られている野菜というのがとろみのかかった中華風のものであった。

 スタジオでは1曲目にNSでスロー8〜3拍子のもの。2曲目に前回も録音してボツになっていたLast Good Manを色々試行錯誤(唯一ファンクっぽくなった)したが結局断念、もう曲数は充分録れたということで尻切れのまま9時頃終了。1曲目で音数を減らしてくれと言われ(3拍子パートで1小節にほとんど音一つ)いささか欲求不満を覚え発散していたのだが。食事はどこに行くかというので早く済ませて寝たかったからジャラン・アローの屋台食堂にしたのにやっぱり話し込まれてしまった。11時半には帰れたけれどついに初の胃薬を飲んでそのままベッドカバーの上で眠ってしまい4時に目が覚めた。仕方なくNHKで相撲を見つつ苦労して見つけた酒を開けたのだがそれが飲んでみたら甘い炭酸ものだった。甘いワイン・ソーダとウォッカ・ソーダを飲み6時過ぎ再就寝。9時に別の部屋のトイレ詰まりを直しに来たボーイに間違って起こされ起床。

 

 


その128 KL滞在その3  ('05/ 4/4)

16日:午前中伊勢丹の地下の食品売り場でようやくワインを発見した。しかし1番安いクラスが48RM、日本で良く買う幾つかはこちらの方が高いではないか。缶ビールも日本と変わらない値段だ。不思議。そのままそこにあったフードコートでついつい「日本拉麺・餃子」の旗につられて冷やし中華と餃子。冷やしはタレの味が薄かったが紅ショウガを混ぜてまあまあに。餃子は普通のレベル。各々\220、\170くらいだ。
 今日は全曲を聴き直してベースとドラムの最終確認、前述の、ベースが高域でメロディを弾いた<Shine>の間奏に通常のベースラインを弾き加えた。あとは撮影のみ。いつものインドレストランからのテイクアウトのサモサ(彼らはカレーパオと呼ぶ)等と袋コーヒーで歓談。片付けて帰り支度もできたのだが例によってここからが長い。ようやくドアの外に出たので俺も楽器類を出したらまたそこからグレッグと立ち話が30分である。俺は椅子に座ってアンドリューに「あいつらは本当に話が好きだな」というと彼もチラチラ時計を見ながら苦笑。前に藤井カルテットの曲の難しさを話題にしたことがあったので譜面を見たいというからiBookを起動させCicadaをフィナーレで演奏などして時間つぶし。
 6時頃出てホテルの近くのイタリアンで生ビールとワインを2杯ずつ飲んでから路地の屋台で焼きそば、汁ビーフン、小松菜・豚肉スープ。焼きそばに干しエビか小魚を揚げたものか入っていると思ったら豚の脂肪だという。なかなか旨かった。でかネズミや下水臭も全く気にならなかったぞ。しかし本当に油ものばかり食っている連中だ。それなのにピートはちっとも太らない。


ジャスティンは鋭いセンスと耳の持ち主。


  グレッグとサモサと袋珈琲

屋台のピート

暗い中の怪し気な食卓


17日:予定よりスムーズに進み期せずして本日から三日間の休みになった。午前中HP更新、午後はチャイナタウン(徒歩25分くらい)と隣のヒンズー寺院に行こうと思って12時半頃出たのだがあまりの暑さにちょっと歩いて断念、近所の巨大ショッピングモール「ブキッビンタン・プラザ」をうろついた。やたらにDVDが売られている。例えば化粧品店なのに入り口の一角にどっさり映画ものが並べられているし専門の間口一間の店もやたらに乱立している。映画は8リンギット=220円。ただしケース無しでケースに入っているべきジャケ紙と盤がぴったりサイズのビニールに入っている状態だ。クラプトンの企画した「クロスロード・ギターフェスティバル」(B.B.キングやサンタナなど大勢のギタリストが出演)を買ったがこれは2枚組で26リンギット(700円)も?した。「何で?」ときくと「2枚組だから」と言うがじゃあ16じゃないかと思ったがケースと外箱を付けたので素直に払った。空ケースを引き出しから出してジャケ紙をその場で挿入、勿論中のリーフレットなど無し。それと日本語の字幕なしでも構わなそうなアホっぽいホラーを2本購入。英語、中国語、マレー語、タイ語の字幕付きだ。字幕で英語の勉強になるかと思ったがちょっと見たら替わるのが早すぎてそう都合よくは行かない。まあホラーの英語なんてロクなもんじゃないだろうけれど。

 聞くところによればマレーシアのDVD市場は80%海賊盤で、ジャケットも盤の印刷もホンモノに見えるがそれもそういう会社の規模が大きいからだそうだ。ギター・フェスのものは箱付なのでホンモノ臭いのだが日本での値段を考えるとやはり怪しい。
 6時過ぎピートに呼び出され英国パブで合流。あとからイヴリンがやってきた。現在は休業中だが夏に新しい場所でオープンするライブバー<No Black Tie>のオーナー、チョー・ハイテンションで早口で喋りまくるのは相変わらずだ。そのあと若手ロックバンドTempered Mentalのベーシスト・ヴォーカリストのメリナ、それに西野さんもやってきた。ひとしきり飲んだあと初めてKLに来た時に居座って明け方追い出されたお粥屋に行った。またしてもへろへろ。

 

 


色々な具の並んだお粥屋のテーブル


18日:ピートとチャイナタウンをうろつき本屋やお茶屋に立ち寄ってから足マッサージに行った。始まってから思い出したのだが俺は足の裏に関しては風呂で一大決心をしないと洗えないほどくすぐったがりだったのだ。拷問のような50分間だった。確かに気持ちよかったけど上半身は突っ張ってしまった。夕食はピートのガールフレンド、リサの家でというので連れられて行ったらドアを開けた途端に大勢の歓声に迎えられた。一日早いバースデイパーティだ。あ〜ビックリ。ガイコク映画みたいだな。グレッグ、ジャスティンを始めメイキング・ビデオのムイ、ジェームスやジャケ写のカメラマン英国人ポール、それから女性カメラマンやイラストレーターのヤティやその友人や、ええともう名前覚えられないから今度は名札付けてくれ。
.........
...美味しい料理とワインにケーキ、ハナシが細かいところよく分かんないから酒が進むわ進むわ、見事に沈没。

 19日、最後の日だ。そう言えばF-1マレーシアGPの予選を見に行くという話が出ていて昨日夜返事することになっていたけどすっかり忘れてた。もはやガソリン・エンジンのレースには興味がさほど持てないのでヤメ。夕方をバンサーのカフェでだらだらと過ごし街をそぞろ歩きKLに戻って夜はお洒落なベトナム・レストランでゆったりと最後の食事を楽しんだ。10時前にピートたちと別れホテルに帰り荷造り。ビールでも開けようかという時に電話がかかってきた。昨夜のヤティと友人がロビーに来ている。一杯飲もうと言われたのだと思って降りていったら「ドリンク」じゃなくて「ドリアン」のお誘いだったのだ。ジャラン・アローの屋台に行ったのだが、彼女達が食うわ食うわ。俺はささやかに6粒くらいだったけれど二人で丸々6個くらい食べたんじゃなかったかな。あまりの食いっぷりに最後の1個は店のおっさんの奢り。
夕方のバンサー   ドリアン姐御たち

 満腹の一夜が明け、20日朝8時過ぎピートの車で空港で向かう。途中 F-1のコースがあるので混雑するんじゃないかと俺は少々心配だったのだが「こんなに暑くちゃ見に行くやつは少ないだろう」というピートの意見通りなのかどうなのか特に混雑もなかった。それより危惧していた重量オーバーの料金、なんとタダ。ハードケースのNS分の23kgがそっくり超過しているのだがカウンターのインド人のご婦人はあっさり手続きをしてくれた。日本では6万ナンボと言われたのでFedExで別送したというのに。カフェでコーヒー(ピートは朝っぱらから超辛カレーヌードル!!)を飲みしばし最後の音楽談義をして別れ、11時離陸した。
 機内では映画を2本見た。After Sunset というアクション・コメディものと何とホラー Grudge(「呪怨」のハリウッド・リメイク)。機内映画でこんなホラーをやるとは、重量のことといいマレーシア航空は素晴らしい。


その129   ('05/ 6/2)

 更新さっぱり。気が付けばマレーシア以来ではないか。

 マレーシアと言えば先日ピートからメールが来て、レコーディング風景を撮っていたムイ:Tan Chui Mui(陳翠梅)のピート主演作品<A Tree In Tanjung Malim>がドイツの「オーバーハウゼン国際短編映画フェスティバル」(ヨーロッパ最古の短編映画祭)で二つの賞を受けたことを報告してきた。DVDを貰っているが、淡々と進行する男女の会話とカメラワークに独特の叙情性があるいい作品だ。アジアの若者が評価されるのは喜ばしい。「ピートも遅れて来たニューフェイスだな」とからかうと「なぜだ?俺はまだ18だぞ。」だと。まあ確かに画面では若造に見える。

 

<<<車内でカメラを構えるムイ


 最近煮詰まり気味の作曲行為に新展開を求めてMTRを購入した。大体俺の作曲というのはふと目が覚めたときに頭の中に浮かんでいる音を枕元で走り書きしたモチーフを元にしたり、或いはそのままベッドの中で書き続けたりすることが多い。それなのに五線紙は用意されていなくてそこらの紙にリズム譜と音名を書きなぐるという状態だ。頭の中のサウンドはバッチリ、さあ出来た、と起きだしてちゃんと五線紙に楽器を持って向かうと「あれ?なんか違うなぁ。これじゃあ同じ繰り返しばかりだな。」「こんなベースパターン弾けないじゃないか!」ということも多々ある。こうしてきっかけが始まりこれをパソコンに入れていじくり回して行くわけだ。パソコンに向かってしまうとどうもパートごとのリズム、バッキングパターンのくり返しに縛られがちになる。このあたりを、実際に楽器を弾きまくって崩壊させるべくMTR:マルチトラック・レコーダーを使うことにしたのだ。20年くらい前のカセット(メタル専用)倍速の6トラックのものは持っている。思えば当時これでベース、ドラムマシン、ギター等で多重録音して「元気の出る音頭」(清志郎+D.U.B.〜「たけしの元気の出るテレビ」の挿入曲)のデモテープを作ったのであったな。投資額の元は取れたんだろうか?取れてねえな。このテレコ、下手なギターなんかでミスってはやり直し、ちっとも聴けるようなものは出来ないので殆ど使わなくなってしまった。しかし今のものはデジタル処理、パソコン上のように切り貼り・コピー&ペーストが出来るしドラムマシンも内蔵している。俺でもなんとかなるのではないかと購入を決意、しかし俺のことだからすぐ飽きてしまう可能性もある。ということでそれほど高くないものにした。Zoomの8トラック、SDカード記録のモデルでドラムパターン500種類以上、勿論自分でも作れる。コード進行も入力できる。エフェクターも200種以上の音色を内蔵している(らしい)。良く分からないがパソコンにもつながる(らしい)。説明書を読むのが嫌いなので今はドラム、ベースに加えでギター替わりにエフェクター処理したベースで5、6トラック使って録音している状況だ。これで作りかけだった2曲になんとか先が見えた。その段階で改めてパソコン上の譜面ソフト<フィナーレ>で整理、譜面とMIDIファイルを作ってメンバーにメール添付で送って5月28日のHAYAKAWAライブ前日スタジオでリハーサル、なかなかスムーズに進行した。結構役に立ったな。しかし結局のところ何と言っても人間である。顔を合わせて音を出し試行錯誤するのが一番。

 さてこうして出来た新曲2曲と共に繰り広げた28日のアケタでの白熱ライブ、自分で言うのもナンだが(しょっちゅうか)非常によろしかったのである。お客さんも史上最高(?)の大入りで大感謝。

1. Pedal Tones 2. Am 3. Dressler#36(新曲)4. Alu Gara 5. 玄武
 <休憩>
6. SC-61(新曲)7. 04/11/20 8. バリタコ 9. 04/8/21 10. MoonStone
en. Triple Spirals

photo:<島田写真館>より転載>>>>>>>>>>>>>


その130   ('05/ 6/16)

 6月5日、日比谷野外音楽堂にて第20回ブルース・カーニバルに麗蘭出演。35分のステージながらリハーサルで細部を詰めた内容は手応え十分、曇っていた空も五時半からの演奏前後は土砂降りになってしまったが観客もノッてくれていい音が出せた。
 出番が済んで、さてオレにとってのこの日のメイン・イベントはバディ・ガイにサインを貰うことである。その為に10年前に出版された日本語版の自伝「アイ・ガット・ザ・ブルース」を持参、フェス主催の事務所M&Iの見城君に「ねえねえ、ど、ど、どうかなあ、会えるかなあ」ときいてもらった。おっかねえマネージャーの話では「バディは本番直前に来て終ったらすぐ帰るから7時に楽屋に来い」(出番は7時10分)とのこと。おお、さすがだ、カッコイイ。そしてそわそわしながら7時になりキーやんとともにビビリつつ楽屋に入れてもらう。バンドの連中がずらっと並んでいる一番奥に大御所は鎮座していらっしゃった。担当のスタッフに「今日演奏した日本のバンドのメンバーです」と紹介され握手。「やあ若けえの、どうだい。バンドやってんのか。来たのは二人だけかい?ワッハッハ」なんていう感じで気さくな人だったが緊張しました。「えーと、自伝ってなんて言うんだっけ、ああ、This is your book、ええと Can I have your sign? ああ、ペン持ってます、サンキューベリマッチ」、自分の本が日本で出版されているのは知らなかったと喜んでいた。印税はちゃんと入っているんだろうか。まあ明細なんて見ちゃいないんだろうな。北澤はスネアのヘッドにサインを貰いついでにオレのカメラで写真撮影も頼むと肩なんか抱いてくれて感激のあまりガキみたいな顔になってしまった。

 そして素晴らしいステージだった。切れまくる鋭いギターサウンドにノックアウト。ヴォーカルも勿論揺るぎない迫力。69歳のほとばしるエネルギーに降参いたしました。

 

 

 

 

北澤め、オレよりデカく写ってるじゃないか・・・


 ところで自伝ついでだが、ニューオリンズ・フリークの北澤からネヴィル・ブラザーズとドクター・ジョンの自伝を借りて読んだところ。凄い連中だ。漠然としたイメージで捉えていたニューオリンズ・ファンクというものの深みが見えて来たけれど謎は深まる。もっと色々古いものを聴き直してみなきゃあいかんと思う。


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