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その81 ('02/ 4/13)
5日の<巨大緑化計画>Mandala-2 はなかなか面白かった。レギュラーの4人に加え、おおたか静流(Vo)、加藤崇之(G)、太田恵資(Vln)の7人で蕩々と繰り広げられるフリー・ミュージックはあまりの心地よさにメンバー某さえもステージ上で眠ってしまった。4人での良いところがうまく拡大された感じ。
9日、HAYAKAWA でアケタ。このところアケタではドラム前面配置にしていたが今回はギターを左右前に出し後列に左ベース、右・北澤ds、中列左寄りに植村dsという配置。ギター・アンプが客席を直撃するのが心配だったがどっちみちウルサイのだから耐えていただくことにした。
1st set:1. 900ton 2. Pedal Tones 3. '01/10/24 (旧Tochi) 4. 新曲'02/1
2nd set:1. No Shoes 2. 新曲'02/3 3. バリタコ 4. 294
encore: Pug Bug
という曲目をグワングワンにお送りしました。2つの新曲も徐々にこなれ、旧曲も色々内容が変化して来て新鮮に感じる所多々あったと思うのだが。会場のアンケートでは勿論大好評(まあご不満があまりに多い方は何も書かずに帰るだろうけど)、次作アルバムをとの声も多くいただいた。何とかせにゃあ。12日、国立 No Trunks でトロンボーンの青木タイセイ君とウッド・ベースでデュオ。何をかくそう、ウッドを弾くのは今年まだ6回目である。しかしこれは例年に比べ非常に多い。去年はこの時期まで3回、しかもライブは1回のみであとの2回はレコーディングでちょろっと弾いたようなもの。このままでは今年は10回くらいは弾きそうだ。私はジャズ・ベーシストになってしまうかも知れない。しかしまあ、日頃弾いていないこいつをこれだけ弾けるってことに関しては天才だね、オレって。ワカイ頃の苦労の賜物ですね。さすがに終盤は指が・・・。ところで盛大な拍手に包まれてステージを終えたら大喜びのオヤジが握手を求めてきた。「いやあ、素晴らしかった!」を連発後「僕は北村栄治と友達なんだ」「え?あ、そう(なんだコイツ。いい加減手放せよ)。」「素晴らしいけど、まだ音に深みが足りないな」、これで私は怒り心頭、怒髪天を突く、いや無髪静脈浮かぶ、でしょうか。手をふりほどいて「何言ってんだ、おまえ。さっさと帰れ!」と言うと「いやあ、好きだなあ、そういう気概が。」とかなんとかモゴモゴ言っておるのを背にオトナの私は自分を抑えるべくそこを離れたのであります。程なくオヤジは黙って帰っていったようだ。後できいたら青木君にはアンコール前に「上手いけど抜けが悪い」とかなんとか偉そうに言っていたそうだ。また来いよ、アホ。
その80 ('02/ 4/2)
3月29日、いわゆるバースデイ・ライブには10日も遅れているので「生誕記念」と銘打って<アケタの店>でセッションを執り行った。メンバーは翠川敬基:cello、田村夏樹:tp、植村昌弘:dr。酔っ払っている時に思いついて電話してしまった取り合わせである。
1st set;
1. 俺は悪くない:なんとも情けないタイトルは梅津・片山あたりに付けられたものでその通りのカナシゲな曲。Dr.梅津バンド+忌野清志郎<DANGER>'82 に収録。
2.バリタコ+x:HAYAKAWA のレパートリーだが前半のアジア風パートとTOCHIの後半を接続。安易である。
3.曲名なし3拍子:'76年作のコード進行がややこしいリリカルなJazzWaltz。これはTpトリオで演った。
4.CARAVAN:Funk+ツイストのスペシャル・アレンジ。
2nd set;
1.Down Down:これもDr.梅津バンド〜D.U.B.の曲で'83年にN.Y.で録音した<DYNAMITE>に収録。今回はリズム(遅め8ビート)に乗ったフリーな展開で最後にのみテーマを使うやり方。
2.無題・翠川作品:cell,b,d のトリオ。ウツクしいフリー。
3.ケラケラ:'80年頃の生活向上委員会でやっていたマイナーのラテンもの。当時は大人数で派手だったが今回はアコースティックな感じでしっとりブエナビスタを目指したが全然違ってしまった。
4.千夜一夜:'91年のSALT<844>に入っているダサダサ・ルンバで作られたのはもっと以前、宮崎まさこ(妻)作。ドラムにもっと下品さが欲しかったがこの夜最も好評だった。
アンコール:フリーでカットアウト
という具合。さすが酔った勢いでセレクトしたメンツ、それぞれ曲への向き不向きが如実ではあったが HAYAKAWA と異なり気楽に行くという趣旨ゆえそれも良いということにする。
焼酎を2本も送ってくれた宮崎LIFE TIME 草野のオヤジ、サンキュー!!山のようなプレゼントを下さったご来場の方々にも大サンキュー!!勿論手ぶらで聴きにきてくれた方々にも厚く御礼。誕生日じゃなくたって<記念>すりゃあいいんだから2,3ヶ月したらまたやる?
その79 ('02/ 3/20)
12日も経ってしまったが3月8日の<HAYAKAWA live at 江古田BUDDY>リポート。
HAYAKAWAとして初出演のバディは当バンドの集客力からいうとかなり大きい会場ということになる。サウンドエンジニアの田中篤史君は小生愛用の強力ディストーションの制作者でもありいつもドカーンと音を出してくれるので楽しみ。4時過ぎに入ってサウンドチェック&リハーサル。5日にスタジオでリハをやったばかりであるがやはり一通りやってやや疲れてしまった。ビールとインドカレーで一汗かきシャキッとして(?)店にもどり慌ただしく着替えて7時45分演奏開始。植村撮影リハ風景。左から、しゃがんでいる増田、植村セット、
早川、北澤、ジュン。
1.Pedal Tones :ドンコドンコとドラムが絡み合う比較的新しい曲。
2.アンモナイトの悩み:CDではNS アップライトだが今回はIbanez AFR フレットレスを使用。誰のソロというのでなくイントロを長めにやっていたらいつの間にかこの間聴いていたPOLYTOWNのミック・カーンのフレーズを弾いていた。いかん。
3.C-Brain :フリーな展開、まずまず。
4.1月の新曲:前の曲と基本的なテンポやリズムが似ているので曲順に悩んでいたら、植村のヤツ「今さら何言ってるんですか。このバンドは金太郎飴ですよ、最初っから最後まで。」とぬかした。
休憩を挟んで9時、セカンド・セット開始。
5.TOCHIという古い曲に新しいパートを付けたもの:元々は実は生活向上委員会時代の曲。アレンジを変えてSALTでも時々やっていた。
6.数日前に出来た新曲:このバンドに今までになかったスロー・バラード、のはずが中身は結局ドカドカになる。
7.シャーマターラのマサカリ:これも古く、SALTの1st(86年)に収録。
8.バリタコ:数少ない、静かな部分のある曲。フレットレス使用。
9.Triple Spirals :これも古い。今気が付いた、そうだったか。先見の明か進歩がないのか。
そして感謝のアンコール、:マサコマサ・シャッフル。
総じて、手前味噌だが良いライブだった。みな回を重ねるたび確実に良くなっている。今回は特に増田君の音が今までで一番前に抜けていてバンマスとしては一安心。
その78 ('02/ 2/18)
11日に割礼のレコーディングに参加。前日一年ぶりにチェロのケースを開けて猛練習。元々自己流だから何やっていいんだか。いつの間にか沖縄民謡になってたりして。我が生涯でのチェロの最高の演奏は同じく割礼の「溺れっぱなし」(アルバム<ネイルフラン>)のディストーションでギャインギャインのやつ。そのあたりを求められているのかも知れないが、だからと言って同じ手法で演るのも悔しい。そんなわけである程度アレンジを考えて行ったのだが録音に取りかかるとなかなか様になるものが出来ない。散々トライしたものの曲後半はやはりディストーションになってしまった。もう左手がくたくた。その後ウッドベースで1曲。なんてベースって楽なんでしょ。ここまでの筈がもう1曲チェロを試したいというご要望にお応え。何通りかダビングして使えるところを後でセレクトしてもらうことにした。「失礼のないようにしますから」と宍戸君に言われ、思わず「いやいや、オレの演奏は最初っから失礼だから」とズラかってきました。
16日の東京ナミイBand、吉祥寺マンダラ-2。100人近い大入り。対バンの<ふちがみとふなと>、京都をベースにしている淵上純子Vo.etc.&船戸博史ac.B.のデュオ・グループで、初めて聞いたが色んな可能性を感じさせられ面白かった。こちらのバンドもデビューライブとしてはなかなかいいものになった感触。ナミイとは大人数の梅津企画ものでしかやったことが無かったしそれも何年も前のことだが、やっぱり基礎がしっかりしていてイカレているひとは楽しいね。
明日から KIKI Band のレコーディング開始。今回は重量級を目指す。
その77 ('02/ 2/8)
先日久しぶりに石ヤンこと石田長生からお声がかかり、彼のソロアルバムのレコーディングに1曲参加した。彼はナニワ閥なのでいつも藤井裕ちゃんや清水興といったギトギト大阪ベースマンで固めているから大体頼まれる時はウッドベース系である。今回もNSアップライトでという事で昼過ぎスタジオに出掛けて行ったら、やはり大阪から呼ばれた中村岳君〜初対面〜というカホン奏者と石ヤンのアコギとのトリオで録るという。こりゃあアコースティックもので一発OK、早く帰って室内トレーニング、と思ったら大間違い。曲はファンクのラップ、へヴィ・ロックのユニゾン・リフを延々弾かなければならん。ドラム無しは新鮮だが大変だ。「ほな、庄司敏江玲児アゲインスト・ザ・マシーンの気分で行きまっせ!」という毎度の石ヤンの駄洒落にずっこけつつテイクを重ね納得が行くまでじっくり。結局のところ帰ったらやっぱビール。
ところで最近使う人が増えているカホン、あり合わせの木の箱を腰掛けて叩くことから始まったと思しき楽器。南米やスペインのメーカーが主流だが中村君は自作して色々試行錯誤しているらしくいい音を出していた。ついでながら自分の音。NSは低域成分が豊かなのでスタジオの馬鹿でかいスピーカーで聴くと実にいい。小さい口径のものだとピッチも変わって聞こえる傾向がある。ライブでもアンプの出音より大きい会場のPAシステムの方が気持ちいいのだ。
その76 ('02/ 2/3)
そろそろ鎖骨骨折から5ヶ月、骨そのものの接合はスピーディだったがなかなか正常には戻らないようだ。周囲の筋肉、腱の損傷からのものらしく、例えば腕の回転や挙手に肩上腕の筋肉が痛む、というように実際の骨折箇所とは離れたところに支障。通常の動きには差し障りないが、回転と言えばクロールだ。まあ水泳の際の痛みはリハビリと考える。挙手といっても真っ直ぐ挙げるのはまずまず平気なのだが、辛いのは肘を直角状態で腕を上げる、すなわちゴリラがガオーっとやるポーズ。これはバーベルを担いでのスクワットの時の姿勢だ。通称スミスマシンと呼ばれている補助フレーム付きの、言うならばギロチンの歯の替わりにバーベルが上下する構造のマシンで行っているので手でしっかりホールドする必要はないのだけれど片手でしかバーを握っていないとうまく下半身に力が入らない。上体の姿勢も左右アンバランスになってしまうので痛んでもガオーっとならねばならぬ。あとは、寝転がって読書するのに右向きにはまだなれない。気にすれば、ずっと上腕筋を抑えつけられているような感覚もあるが。そう言えば何かにつけてコキコキ骨が鳴るような気もするなあ。当初は演奏と自転車への影響しか頭になかったが時間が経つと色々感じ出すものだ。
しかし、どうなるんだ?っていってもどうにもならない政局。アリもの言葉のすり替えばかりのコイズミ、薄ら笑いのネチネチ野郎フクダ、どう見ても品性かけら無しスズキ、悪党ぞろいの有力者に追求ピンボケ野党。俺様が独裁すればなあ。イタリアはムッソリーニの命で第2次大戦中も自転車レースを続けておったのだぞ。
それにあほブッシュのこの間の演説。もうアカン。4〜5月、3週間アメリカに行くんだが、イヤだよ〜、怖いよ〜。レースも出られないし。
その75 ('02/ 1/21)
うかうかと言うかバタバタと言うかダラダラと言うかしているうちに年もあらたまり前回から三週間以上たってしまった。その間なにをしていたかというと、12月29,30日は準恒例となっている年末<麗蘭>京都・磔磔ライブ。二日とも400人を越えるぎゅう詰め酸欠満員電車状態でステージの暑さも凄かった。開場から終演まで3時間半、観客の方々は大変だったろう。演奏は緻密なリハの成果ばっちり。二日目のスタッフ一同との打ち上げでは泥酔、記憶なし。こうなる可能性も考慮して大晦日年越しライブは断っておいて良かった。
新年早々3日はカオス・レーシングの初詣ランで川越・喜多院へ。混んでいて大変だったが昨年よりは人出が少ないようだ。荒川自転車道などを走って帰宅後、家の近所の北野天神にカミさんと初詣。喜多院とは大違いですいていてよろしい。昨年はクラブラン以外にはどこにもお参りに行かなかったせいで骨折したのかも知れないと、慎重に「思い通りに行きますように」とずうずうしいお願いをしておいた。で、翌日からは大掃除にかかる。なにもこの寒い時期に外回りをすることもなかろうとメインは床磨きと不要物の選別。実はまだ済んでいない。
8日、久しぶりにジムへ行った。9日、西荻のスタジオでイースタシア・オーケストラのリハ。酒飲みばかりなので迅速に終了後5時前から「加賀廣」(会長の酒乱日記に頻繁に登場)で呑む。6時半解散を目指しハイペースで短期決戦。
10日昼間、藤井郷子カルテットのまたまた弾けない新難曲のリハでひと疲れしてからPIT-INN でイースタシア。周りが殆ど年長者なので気楽、というのもヘンだな。でももっと面白くしたいというのが正直なところだ。
11日、同じくPIT-INN で藤井バンド。疲れました。ドラムの吉田君の音がデカイのでついこちらも大きくなってしまうから客席ではピアノが聞こえ辛いらしい。解決するべきなのか、このままバク進するべきか。
13日、カオスのクラブランで島さんにしごかれた後2時ころから新年会。夕闇迫る中帰宅後、夜はやや素面に戻って翌日のHAYAKAWA用新曲の仕上げ。
15日は昼間麗蘭のパーカッション・鈴木君が津軽三味線の澤田勝紀君と組んでいるユニットに加わってリハ。夜はアケタで緑化計画。あ〜あ、ったく俺以外は酔っぱらいだもんね。しかしここにしか無い音楽。あんなヒトタチでも尊敬するところアリ。
14日、本年最初のHAYAKAWA である。西荻BinSpark。植村の熱心な提案で前回アケタに続いてドラム2台をフロントにセットして弦楽陣は後方に位置。右は植村撮影、ステージの幅が狭いのでやや苦慮している図。演奏の方はと言えば、新曲で俺が間違えてテーマを一つすっ飛ばしたりはしたが、粗雑ながらもレベルアップしている実感あり。年内には新作制作にたどりつきたいものだ。ずーっとグワングワンいっているのでたまには静か目の曲も作ろうかと思うのだが、どうもこのメンツでやると思うと浮かんで来ない。必要無いってことか。
ところでこの日のライブレポートをチャボ・ファンのサイト<cafeHendrix> 内のDownTownDiary に主宰のHAGAさんが書いている。臨場感あふれスバラシイのでみんな読みなさい。「早川さんは凄くいい人」ということだぞ、どうだ、驚いたか。
1.900ton 2.PedalTones 3.バリタコ 4.新曲
/5.NoShoes 6.C-Brain 7.PugBug 8.Tochi 9.294
en. MasakomasaShuffle16日、CO2 でPIT-INN 。みんな好き勝手にやってそれが一つのバンドとしてアンサンブルしているというところだ。次回は半年くらい先になりそう。
17日、再び鈴木・澤田リハ。18日、午前中ジムで筋トレ45分&スイム1100m。午後からは COIL at BinSpark。お客は一杯、HAYAKAWA の時より5人位多いのでオレはいささか不機嫌に演奏をぶっ飛ばした。
19日、鈴木・澤田ユニットのケーブルテレビの収録。20日、2/7のギター・ジャンボリーの第1回リハ。あまりの轟音に録音のMDがオーバーロードで止まってしまうのでバッグの中で録ったがそれでもデカイ。本番がタノシミ。
その74 ('01/12/28)
12/27(木)、渋さ知らズ live at Buddy
バンド40名観客400名のすし詰め状態。7時開場と同時に客入れテキトー音楽演奏開始。7時半から本編突入の予定が、お客が入り終わらず大幅に遅れる。45分はかかったか。本編開始後1時間、まだ3曲目である。曲順表には13曲書いてあるぞ。これは4時間コースか?5,6曲目の途中にトイレに行きたいものは行ってよしというコンダクター不破の指揮?が入りバンドと客をかき分けゾロゾロと脱出、店のトイレにはとてもたどり着けないので階上のゲームセンターにどやどや乱入、無事遂行。気分も新たに修羅場へ戻り、終演は2曲はしょったものの11時、正に4時間。となりの植村のドラムで耳鳴りがキーンだがどうせあいつも同じことを言い返すのは分かっているので言及せず。
<植村昌弘撮影コーナー>
バンドの左3分の1とスタンディングの観客
持久戦なのでレース同様補給食を摂取。
レフトハンド奏法っての?吾輩の強靱な左手の押さえの
アタックによってのみフレーズを弾き右手でオニギリを
確保する図。
その73 ('01/12/11)12/8(土)、 HAYAKAWA live at アケタ。KIKI Band の短くも過酷な東北ツアーで風邪を背負い込み梅津息子車で仙台から所沢に帰って楽器類を自分の車に積み替え譜面やら着替えやら支度をして慌ただしく家を出て現場で夕方からリハ。今回は2度目のドラム前面配置セットにしてみた。後ろの壁に左から増田、俺、ジュンと並んで、ギターをぶら下げたのが3人横並びだと漫才なんとかブラザーズみたいかという気もする。風邪にいいかと紹興酒+豆腐ラーメンで演奏に臨む。
1部 1. C-Brain 2. アンモナイトの悩み 3. 900ton 4. NoShoes
2部 1. 11月新曲 2. バリタコ 3. Pedal Tones 4. 294 /en. Pug Bug我がバンド最初で最後かと思われる立ち見まで出る盛況、まあ詰めりゃあ座れるけどさ。怒濤の演奏が始まると風邪も疲れも全く関係なくなってしまいドッカンドカンのグワンギョイ〜ンで、皆さん最後まで聴いて頂いて耳は大丈夫だった?おまけにアンコールまで頂き非常に喜ばしかった。
先月後半からWindowsを頻繁に使っている。以前からノートはトレーニングの心拍解析ソフトの為に使っていたがその後それのMac版が登場し、その方が使い勝手が良いいためWin.から遠ざかり気味だった。しかし妻が前述・金森作の格安Windowsを使い始めたので教えながら使ってみるとネットには至極具合がいい。そうしているうちにiMac の不調が進行、ハードディスクの初期化も効果ナシ。HD交換を考えたがiMac用パーツは何せ割高でいっそのこと新型iBook でも、なんて気になりかかったところ山形の金森君から電話で「IBMの去年の中頃のモノ、CPU600MHz、HD容量10GB、15インチモニター付きで3万」という連絡があり、あまりの安さについ購入。メモリーは64MBしか積まれていなかったが大宮に一時帰って来た彼から受け取った帰り道にショップを覗いたらバルク品128MBなんと\960、げげげっ。Macユーザーはなんて不遇なんだ。さっそくそいつを買って帰って搭載して192MBにした。まあこんなモンでいいだろう。
しかし慣れの問題があるにしてもやっぱり総合的にはMacの方が使いやすい。ライブチラシなんか圧倒的に楽だ。HP制作ソフトも今ひとつピンと来ない。ウイルス騒ぎもまず関係ないしね。ハッカーから相手にされてないってのも寂しいが。
その72 ('01/11/28)
22日、CO2 と渋さ知らズのジョイント・ライブ。ジョイントと言っても対バンではなく、一部を済ませたCO2全員が二部の渋さに入ってしまうのである。表参道のFABには初めて出演。この日は思い切って、と言うか気分転換というか、面倒臭いというか、Gibson1本で通した。リハではいい感じだったのだがやはり本番で気合いが入るとIbanezのようにオールマイティには応えてはくれない。小振りなのも楽かと思うと実は疲れる。やや反省。
23日からは COIL 東北ツアー。初日は山形市のライブハウス、フランク・ロイド・ライト。連休初日の大渋滞は外環から宇都宮の先まで続き鬼怒の車でウチを10時半に出て到着が5時半。疲れた我々を茶白の大猫が出迎えてくれる。いや、本当にマスターが忙しく入れ違いに出掛けてしまって我々と猫しかいないのだ。カウンターの上からセッティングを眺めていたが鬼怒のギターが鳴ったら隅に逃げてしまった。そりゃあそうだ、俺だって逃げたい。まあいつまでも猫だけではなく、若いスタッフも現れコトは順調に運び、演奏もバッチリ、打ち上げもバッチリ。当地イベンターの柘植さんの手料理は名物芋煮や白菜料理、マスターの母上が作った大根によるサラダなどで皆ウマイウマイと食べました。8月から山形にいる金森君(はたち頃からのバイク仲間〜車、バイク、家電、パソコンと何でも修理の達人なのだが大宮から引っ越してしまい俺は困っている)が近所の餃子専門店から2種差し入れ、これもうまかった。青菜の漬け物もよかったな。
25日、気仙沼ヴァンガード。リハを始めたとたん、道の向かいのばあさんが「テレビもなんも聞こえん」と抗議してきたのでその場は少し下げる。しかし本番はいつも通りである。演りながら「そういえばベルギーだったかオランダで警官がステージに上ってきてアンプの電源を切られたことがあったなあ」なんて15年前のことなど思い出したが無事終了。ここはとにかくマグロを筆頭に魚がうまかった。
24日仙台、ヘヴン。もう古いつき合いの塚本君と若手高橋君が色々手伝ってくれ、演奏前に行った中華屋の豆苗炒めで栄養を補充、またしてもバッチリの演奏。打ち上げは小さな渋い居酒屋でオトナっぽく日本酒を傾けつつ気が付いたら皆立ち上がって帰るところでした。
君たち、 >>>>>>>>>
もっと人形とアンサンブルする表情しなさい。
という三日間だった。
その71 沖縄 ('01/11/11)
今月の2日から6日まで沖縄に行っていた。第3回・世界のウチナーンチュ大会という大規模な催物のなかの<ミュージック・フェスタ>というイベント出演がメイン。沖縄出身でサンパウロ在住のパーカッショニスト、翁長巳酉(おながみどり)さんのユニットである。メンバーは世話人・片山広明<ts>の人選により梅津和時<as>、小山彰太<ds>、田中倫明<perc>に早川、翁長の6人。実は小山氏以外は翁長さんとは東京でのリハが初対面。それでも出来てしまうのが我々の凄いところというか…。
まず2日に翁長、片山、田中、早川の4人で那覇の隣町、浦添のライブハウス<GROOVE>で演奏。ここはベース弾きのがちゃぴんの店で何年か前に大工哲弘さんや梅津、鬼怒と来て明け方までセッションというかドンチャン騒ぎをしたことがある。その後がちゃぴんから年賀状が来て「がちゃぴん」と書いてあったのでこちらも宛名にそう書いて出したが届いたようなので本名は知らない。10時近くからの演奏はこの間のマレーシアみたいで南国的。ギチギチ満員であまりの暑さに被り物も取って演奏、梅津さんがいなくて良かった。5人中2人スキンヘッドというのはね。演奏も面白かった。現地の若手ドラマーも参加、片山や俺の曲を譜面無しの口説明+軽い音あわせでこなしてくれご苦労さん。
3日はコンベンション・センターの大ホール。俺たち以外はディアマンテスを始めとしてシッカリしたバンドばかりである。4バンドの3つ目だったが1つ目のサルサバンドでもういきなり数千の大観衆ノリノリの踊りまくり。う〜ん、ここでやる?しかしちゃんとやってしまうのだな。しかもウケルのだ。リハを簡便に片付ける魂胆でD.U.B.時代のレパートリーにブラジルもの、インディオものを各1曲足したような構成だったが大好評(?)。出演者全員によるフィナーレ2曲もカウベル叩いてぴょんぴょん跳ねているうち無事終了。あとは泡盛三昧だ。
4日は ホテル宛に送ってあった自転車で次の滞在地仲泊のムーンビーチへ回り道しながら移動。夕方ホテル・ムーンビーチの別荘(つまりホテル内リゾートマンション)に車組の片山、翁長とほぼ同着。夜は近くの居酒屋に出かけ沖縄料理と泡盛。どこかでライブをやってきた小山さんも宿舎着。部屋で再び泡盛、3時ごろ先にリビングと障子で隔てられた和室に引っ込み就寝したのだが…。あのクソヤロー、ちっとも寝ないで5時ごろ障子越しに直立して喉自慢大会をおっぱじめ「朝だ朝だ〜よ」「サイクリング、ヤッホー」だのと際限なく続け、飽きると「早川見てるかなあ」といいながら影絵なんかやっている。やがて静かになって浅い眠りに入っていると今度は早起きの片山が洋間の寝室から居間に出てきてゴソゴソしはじめた。俺も居間に出て見ると早起きは感心だがもうビールを飲んどるではないか。しばし会話ののち双方うつらうつら。やがて野球ワールドシリーズ決勝の中継がはじまり俄然元気になった片山。俺はきのうコンビニで買っておいたイカスミ・スパゲティを食って自転車で10時半北に向けて出発。あのヤローは爆睡していやがる。数時間後、過酷なアップダウンにあえぎながら「クソォ、今晩同じことをしたらずっと年上だけどこのさい海に突き落としてやる(と言っても砂浜だけど)」と呪うのであった。5時半ごろヘロヘロになって帰り着き、どこへ出かけたのかと聞いたら一歩も出ていないという。ただ飲んではうたた寝、醒めてまた飲み。あっぱれ。
夜はまた同じ居酒屋。例の人物には「またやったらタダじゃすまない」と言っておいたので安眠できた。翁長さんの話では片山と互いに先に寝た方を起こし合っていたそうだ。おめえら、オトナだろ!!
6日は朝から台風に近い強風で自転車どころではない。昨日の疲れもある。観光潜水艦に乗りたかったが欠航。近所の食堂で食事をして昼寝。夕方迎えにきてくれた翁長さんの仲間の車で那覇にもどり市場の食堂で沖縄料理+台湾蟹で腹をぱんぱんにして20時20分発の機上の人となりました。