1999年2月〜6月


その10:クラッシュ・その後          (1999年6月30日)

 というワケで1月末に次いで2度目のハードディスクの反逆にあった。ギョイ〜ンという、電ノコで切断されるようなデカイ音を発して息絶えた。もう修理に出して3週間を過ぎたがまだ iMac は旅に出たままだ。仕方なくこの古Macintosh(Performa575)で書いている。こいつにホームページの作業を切り替えるのは面倒そうだったし苦労してそうした直後に「修理完了しました」なんて電話が来てガックリするのを想像すると手をつける気がしなかったんだがこのままじゃあ俺のほうが旅にでてしまう。

 あと一週間でアフリカ行きだが勿論準備などしていない。デジカメを買おうか迷って、ネットで機種や価格を調べたぐらい。両替もどうも損をしそうで先延ばし。本は図書館で借りて何冊か読んだ。何年か前の観光案内書には、広大な自然、素朴で暖かい人々云々と通り一辺のことが書いてある。だが新しいものには「治安は悪化の一途。町中は近いところでも絶対歩かずタクシーをつかえ。しかしタクシーも信用してはイカン。」だの「象牙の密輸が出来なくなったので密猟団がそのまま都市部でギャング団になっている」だの。黄熱病の予防接種を検疫所に受けに行って種々雑多な病気や食品衛生の注意書きをもらったが、これまた暗澹とした気分にさせてくれる。まあ悪いことを色々想像しておけばきっとそれほどの目にも会わず楽しく過ごせるだろう。かなり甘いか?

 その9: 緊急連絡::もうぶっこわれそうだ!!
 凄い音がするぞ、助けてくれえ!!!6月8日


その8:HAYAKAWA live at ShowBoat          (5月31日)

 5月25日、3ヶ月振りに自分のバンドのライブをやった。高円寺のSHOW BOAT。バンド
の音から言ったら日頃出ているアケタや新宿Pit-Inn 等JAZZ系のライブハウスよりこういうROCK
の店の方がふさわしいので力を入れていた。特にドラムを二人にしてからはいわゆるROCKゴヤで
やるのは始めてである。前日夜のリハーサルもぐぁんばった。その甲斐あって、まあ各々細かいマ
チガイはあったし反省点は多々あるもののキモチいいライブだった。P.A.エンジニアの村岡氏もい
い音を作ってくれた。会場でのアンケートも好評、メールをくれた方もいる。そりゃま、つまらん
と思ったら大抵なんにも言ってくれんわな。特に菅原さんという方はご自分のホームページで絶賛
して下さったぞ。ライブに来なかった人は読んでおくように。このページはなかなかオモロイ。
http://member.nifty.ne.jp/giantswing/index.htm です。対バンをつとめてくれた
<BabyKrishnaLoversBand>も色々とアイディアを与えてくれる演奏だった。
いや、パクっちゃうって意味じゃないよ。

 


その7:高尾〜糸魚川                (5月24日)

 いやー、5月5日の所沢〜蓼科ランに挫折して以来重く心にのしかかっていた<第28回
 東京〜糸魚川ファスト・ラン>。一昨日22日、無事完走いたしました。約290km、5
時50分スタート、19時14分24秒ゴールの13時間24分24秒。塩尻峠でバックミラ
ーの破片でタイヤを切ってしまうという(パンク修理不能)リタイヤ級トラブルも運良く某選
手のホイールをそっくり借りることができ解決。途中朦朧となったりケツの痛みに耐えられず
止まってしまったりしたが、最大の不安材料だった膝の激痛は現れず。終盤に腫れぼったくな
ってきて痛みの予感があったがセーフ。飯塚君のおかげ。ペース配分の具合も良かったようだ。
4ケ所のチェック・補給ポイントでの休憩が10分、15分、30分、40分と次第に長くな
ってしまったのとパンクさえなければもっと短縮できたのだが。約370名参加、完走318
名中194位。40代完走100名中64位、みんな凄いんだなあ。通常のレース参加者とは
全く違う、淡々と行くタイプの人達が手強い。

 さて、これで心おきなく音楽にアタマを向けられて、今晩は先程まで自分のバンドのリハー
サル、明日は高円寺ShowBoat でのライブだ。やるぞっ、みんな来てね。今頃言っても遅いよな。


その6:さて、どうだか                (5月18日)

 いまHDを初期化して旧いMacにバックアップしておいたフォルダを移動しているところだ。
不思議なことに(私にとっては)、このホームページのソフト、ファイル全部で22MBあった
のが旧Macにコピーしたら7.6MBに、そしてまたこちらのコンピュータに再コピーしたら何と
4.2MB になってしまったぞ!???なんとキッカイな。項目数226は変わっていない。なんだ
か分からんので試しにこれだけアップロードして見よっと。   

 と書いて小一時間、その他のことも大方済んでシステムを終了しようとしたが、思い立って
修復ソフトの<NortonDiskDoctor>を起動。もっと早い時間にOS付属の修復ソフト<DiskFirstAid >
をかけて見て、「問題ありません」の嬉しいお言葉を頂戴していたのに(初期化前は「修復不能」)、
Doctor は無情にも「ディスク表面に重度のエラー。不良ブロックあり」と言うではないか。<修復>
指示で「問題をすべて解決しました。」と言うくせに、ファイル断片化解消ソフト<SpeedDisk>
をかけると「ディスクに障害。DiskDoctorで修復せよ。」と表示される。そこでまたまた Doctor
に診断を仰ぐと「重度のエラー、不良ブロック」で同じことの繰り返しだ。
  俺のとるべき道は何処に!??? 
 
あ、どうせアフリカに行っちゃうんだから直前に修理に出しちゃえばいいか。 (5月19日)


その5:なんとか壊れず

 Macはぎこぎこと無気味な音をだしながらも未だ壊れていない。いや、壊れているのか
も知れないが動いている。色々自分なりに手を変え品を変え状況を好転させようとしてい
るのだが、修復ソフト2種をしつこく何度やっても「修復不能」だの「重度のエラー」だ
の「予期せぬエラーで続行不能」だのというコワイ表示。挙げ句に画面が修復CD-ROM と
ゴミ箱のアイコンしか無くなってしまったりする。家庭教師が必要。大体基本的なことが
分かっていない。マニュアルは読まない、とにかくやってしまえ、という姿勢だからな。
小学校の時、水泳の「級」を取るのにクロールも平泳ぎも出来ないのになんとしても25m
の級が欲しくてイヌカキで 泳ぎ切ったのも今の状態を物語っているようだ。

 もう一つの重大な不安材料、膝の故障のこと。5月22日に参加する<第28回 東京
〜糸魚川ファスト・ラン>の試走の為、途中までで山に入ってしまうのだが各々の家から
<いぬふぐり蓼科支部>山荘まで約200kmを5月5日に走った。天気予報が芳しく無か
ったので会長は早々と単独で3日に行ってしまった。当日は晴れ、みどりさんは午前3時
に出発、俺とタマさんは7時に日野橋で待ち合わせてひた走る。順調に大垂水峠を超え大
月を過ぎ、笹子トンネルまでのダラダラと延々続く上りを時々ひどい脚のツリに見舞われ
ながらヒーコラ越えて盆地の甲府まで快適に下ったのが12時頃。コンビニで軽食小休止
して再出発すると、もう随分脚にきているのが分かる。まだ110kmしか走っていない
のに。おまけに強い向い風でちっとも進まない。韮崎あたりからとうとう持病の膝痛が出
て来た。レースで必死に走っても、日帰り120kmの峠巡りランでも、走っている最中に
は出ることは無かったのに。笹子の上りと甲府盆地の向い風は思いの他きつかったのだ。
タマさんが脚がつって走れん、と路肩で休んでいたら地元のじいさんが、夕方になれば風
向きが変わるだに、と言ってくれるが待っているワケにはいかん。白州からは次第に富士
見峠へ上って行くが、もうダメ。やがてタマさんの背中も視界から消える。力をかけると
頭のテッペンまで激痛が走り拷問のような苦しさで「その通りです。翠川と玉川も一味で
す。」と特高に白状してしまう幻覚が。たまらず止まると改めて朦朧状態なのがわかる。
足はもつれ、目は焦点が合わない。無理矢理携帯食を口に入れ膝に力を入れないようノロ
ノロ走り出す。そこいらに旅館でもあれば入ってしまおうと思うがサントリーの工場しか
ない。第一、心優しいタマさんがどこかで待ちくたびれているだろう。二人ともケータイ
なんぞ持っていない。やっとタマさんと合流、俺に構わず行ってくれ、と言うが見通しは
ない。とにかく山荘に電話を入れようということになり、結局山荘近くの友人の別荘に勿
論車で来ていたイトーチャンに連絡がついて富士見の手前の蔦木というところで救出され
たのである。自宅から160km地点。その時は歩くのでさえ激痛を伴った。翌日にはそこ
そこ走れ、諏訪まで走り「南大門」で白昼宴会後、上諏訪駅から八王子まで輪行して無事
帰宅。

 翌日すぐ、関節強化のスポーツ選手用栄養剤を注文。数日後、いぬふぐりの若手、飯塚
君の診察を受けに朝霞の病院まで往復35km激走。本日14日、飯塚君のはからいで金曜
の午前中だけ彼の病院に来る高名なスポーツ・ドクターの診察を受けたところ(当然今日
も激走、カブとスクーターを抜いた)、負荷の掛け過ぎでオーバーヒート状態なのだとの
こと。大腿部の筋力トレーニングを勧められるが、それにも増して、一週間後の糸魚川に
備えては勇気を出して休養するようにとのお言葉。ようするに、やっていることに筋力が
付いてきてないってことか。コンジョーがあり過ぎなのか、加減を知らないってことか。
飯塚君にも「上りが得意といわれているわりに腿があまり太くないですね。」と言われて
しまった。果たして完走できるのか?手術が必要ですね、なんて言われればリタイアの言
い訳になったんだが。


その4:警報です。

 ちょっとこのスペースには相応しくないんだが、どうも最近このパソコンの調子が芳
しくない。2月に味わったハードディスク交換というキョーフの再来に怯えている毎日。
こわいよん。おまけに膝の故障で選手生命の危機までやってくるかも知れん。来週の高
尾〜糸魚川 294km は途中リタイアか?数日後に権威ある先生に診てもらうのだが。そ
のことは後日書きます。まあそういうワケで、ちっとも更新されなくなったらパソコン
が入院中だと思ってね。そうなると、いままでメールを下さった方々のデータも
無くなってしまうから、復帰したらお便り下さい。


その3:うるさい人たち

 ものに凝っている人々の事では無く、やかましい人々のことです。ま、私のベースの
 音量のことはおいといて(石田長生と三宅伸治は「もっとヴォリュームを上げてくれ」
 と私に注文する数少ない良心的ミュージシャンだ。彼等に幸あれ。)。

1:朝7時台のNHK の男女アナウンサー
   やたら表情をつけて喋りうっとおしい。特に女性アナはいつもニコニコして口をひ
   らべったくして大袈裟な抑揚をつける。毎朝まあ良くはしゃげるもんだと感心さえ
   する。4月の番組改編で人が変わるかと思ったらそのままでがっかり。しかし世間
   の大抵の人は、ほがらかでイイ、と思うのだろうか。そもそもミュージシャンとし
   ては異常な早起きの俺に問題があるのか。おまけに去年の正月から新聞をとるのを
   止めたのでニュース番組をよく見る。なぜ新聞を止めたかというと、どんどんたま
   ってしまうのに加え、勧誘の人間達が世の中皆新聞をとるのが当然という態度で回
   ってくるからだ。じゃあ俺の CD 買えよ、と言いたくなってしまう。で、代わりに
   牛乳をとることにしたのだ。

2:F-1の実況アナウンサー
   あんまりウルサイので最近見てないから異動があったかも知れないが。「あーっ!!
   何ということだ、シューマッハが、シューマッハが!!これは一体、一体どうした
   んでしょう!!」等という具合に始まりギャーギャー大騒ぎして、おいおい、大丈
   夫かよ、と思わせるほど絶叫しておいて「こういう時のドライバーの心境というの
   は、今宮さん、どうなんでしょう?」とアッサリ平常の調子でしょうもないことを
   言う。あそこまで叫びまくったのならそのまま興奮のあまり放送席から飛び出して
   どこかへ走り去ってしまう ぐらいの根性が欲しい。F-1中継は始まった頃は確か音
   声多重放送で場内音声のみに出来たのだが。いまでは wow wow がそうしているが
   一週間ぐらい後の放送だからなあ。それにも増して、やっぱ無公害に少しでも近い
   自転車レースだよ。日本じゃほとんど放送がないなあ。

3:スポーツジムに集うオバサンたち
   自転車のトレーニングのほうが圧倒的に多いので、ジムに行くのは月2、3回になっ
   てしまった。ベンチプレスをしてから数種のマシン・トレーニングをすませ、その
   あと泳いでから帰るのだが、時々<リラクゼーション・ルーム>というのを使う。
   マッサージ・チェアが5台並んでいて、そのほかに何というのか、環境音楽が聞こ
   えてくるフードが付いているイスが2台。静かに心身を休める部屋である。私は夜
   はアルコールが入るから昼間行くのでオバサンが多い。この間奥から2番目のマッ
   サージ・チェアを使いはじめたら右隣、一番奥にあとからオババがドスンと来た。
   そして「あーら、久しぶりねえ」とガアガア声でなんと部屋の反対側、一番向こう
   のオババと俺のアタマ越しに世間話を始めちゃったのだ。しかもそっちのオババの
   隣が空いているのにだ。俺の左隣の静かだったオバサンのことも無理矢理話に引っ
   張り込もうとする。とうとう「るせえなあ」と声を出したのだが隣のオバサンが慌
   てて読書態勢になっただけで、オババどもには無視された。説教をすることも勿論
   考えたがどんな反論をされるか想像したら気が滅入ったのですごすご出て来た。
   人間って、あんなになっちゃうモノなのね。

                                 <4/27記>


その2:4月某日

 本来この<ずれずれ草>は自転車や音楽と関係ない内容で行くつもりだったのだがちっとも進まない。たまに夜遅く、酔いにまかせ社会・政治問題について持論を展開しちゃったりするのだが朝になると「んー、こんなのアップロードしたらマズイかもなあ」と、フォルダの片隅に追いやってしまう。一向に更新しないのもなんだから、今日のところは自転車で勘弁してくれ。レースではないってことで。

 4月ももう二週目だというのに昨日あたりからまた冷え込んでしまった。遅霜の注意報が出ている。しかし朝目覚めると、陽が実に良く照っているではないか。気温は低く風もかなり強いので確かに寒い。しかし予報では昼ごろには風はおさまると言っているので気温も上がる筈だ。今日は休みである。まあ、珍しいことでは無いんだが。で、急遽日常のトレーニング・コースから足を伸ばすことにした。1月14日にタマさんと走って以来の奥武蔵グリーンラインである。あの時は所沢〜成木〜小沢峠〜名栗〜正丸峠と走ってからグリーンラインを刈場坂峠〜顔振峠とたどり吾野から299号で飯能経由で帰って約100km(タマのページの<脳汁理論の部屋>にアニメ・マップあり)。今日は飯能側から上り刈場坂峠まで行ってからその後のルートを決めることにした。レースが済んだばかりだし、たまには気楽なツーリング・モードで走らなきゃ、と20インチのAMANDAに、一応輪行袋も用意する。去年の10月にこのルートで刈場坂峠まで行ってから丸山林道で秩父へ出て、更に北上し11月の龍勢ヒルクライムの下見に吉田町から城峯山を上ったのだが、再び秩父市内に戻って来た時には夕闇が迫っていて結局念のため携行していた輪行袋のお世話になり電車で帰ったのだ。ダンプや大型貨物がぶっ飛ばしている299号を暗くなってから無灯火で走るのは無謀だ。今日はそんなになるまで走る気は全くなく、ただラクしようというだけ。

AMANDA 20'' ハヤカワ・オリジナル
 20インチとは言え、乗車時のポジションはフルサイズのロードレーサーと同じになるよう造ってある。前後輪を外しシートピンを抜くと後三角がオートバイのスィングアームのようにBBの後ろを支点に動きそのまま上に畳める。シマノ105・9sをメインにシュパーブ・プロのFD、BB、クランク、アルテグラのチェーンホイール等で組んだ。

 10時45分、自宅を出発。11時半に飯能市内を抜ける。高麗のコンビニに立ち寄ってゼリー飲料とカロリーメイトを買う。弁当を買っていたSR400の若者に「速いですねえ、どこまで行くんですか?」等と話しかけられる。飯能で信号待ちで並んでいたのだ。一応俺も何年も動かしていないホコリまみれの83年型SR500を持っていて彼のも同じ年式だったり、向こうがAMANDAのフレーム構造に興味があったりして少々話し込んでから出発。吾野の、顔振峠への入り口に12時過ぎに到着、28.5km、実走1時間13分。ウィンドブレーカーを脱ぎすぐ出発、しだいにきつくなる傾斜に肌は寒いのに身体は汗ばむ。車は殆ど通らず、若いウグイスのさえずりなどが聞こえ気持ちいいが結局のところツーリングではなくトレーニング・ペースになってしまい、ひたすらゼイゼイハアハアと上って行く。顔振峠を越え稜線に入っても道は緩急に富み、きつい上りも現れる。傘杉峠先で下ってくるロードとすれ違い挨拶をかわす。サングラスごしで顔は分からないが、なんだか見覚えのある印象だ。雑誌でよく見る選手かもと思うがジャージにスポンサー・ロゴが無かったから違うか、でもあのジャージはチーム名がアタマのほうのアルファベットしか読めなかったがよく見る気もするな、などと苦しいなか考える。しばらく行ってから、上りの緩くなった見晴らしの開けたところでまだ写真に収めたことのないこの自転車を撮っておこうと木に立て掛けてコンパクトカメラを用意。すると、どこまで下ったのか先程のロードレーサーがまた上ってくる。「ミニヴェロ(小径ホイール車)じゃ大変そうですね。」「いや、そうでも無いですよ。」と短い言葉を交わす。大変そうと言われていささかムッとした俺は(まあ当然のコトバなのだが)、急いで2、3枚シャッターを押すと追跡を開始。ただの小径車じゃない、あの著名なビルダー、千葉洋三氏の手になるフレームだぞ。まあフレーム、ホイール以外は自分で組んだので有り合わせのものを使っている部分もあるが。テキも何回か上ったり下りたりしてペースが落ちているかも知れない(?)。ヨーシとばかりペダルに力がはいる。ハイペースで上りながら、俺はハタと気がついた、あの人物の正体に。関東某所でレーサー専門店を経営し、ずっと上のクラスでちょくちょく優勝している選手だ。俺は丁度二年前に車でたまたま通りかかって店に立ち寄ったことがある。何に乗っているのか尋ねられ、当時はまだ一台目だったので「エンペラーのRX100 仕様」と答えると「国産車のことは良く知らないが、その仕様ではレーサーとは言えない。スポーツ車だ。」という主旨のことを言われ、そのときも大いにムッとしたのだ。一緒にいた妻のほうがむしろ怒っていて、以後ずっと、たまにレースに同行する度に、あっちでウォームアップしてるだの、チーム車がそこに停めてあるだの、俺が終わった後も、何時からの何クラスに出るからどういう走りをするのか見てやろうじゃないの、などと言う。どうりで身体つきまで見覚えがある筈だ。こりゃあ絶対後姿など見えるわけがない。とは分かっていても悔しくて無理なあがきは止まらない。飯盛峠を過ぎ刈場坂峠の茶屋に着いたのは1時半頃、吾野から1時間7分も掛かってしまった。昨年来た時には1時間を切っていたのだからやっぱり「ミニヴェロじゃ大変そう」なのである。
 しばし呼吸を整え、看板の地図を見たあと大野峠から丸山林道を経、芦ケ久保に出ることにする。しかし走り出すと、一休みしてしまったせいと強風に加え、山の日陰側になる部分が多く寒い。止まってウィンドブレーカーを着たが変わらない。おまけに無駄に急いだせいで脚に来ている。もともと滅多に立ちこぎはしないのだが態勢を変え筋肉をほぐそうと立ち上がると途端に脚がつる。ようやく峠を越え下りに入ると今度は強風だ。ずごい寒さ。1月に走った時は路肩に雪があったけどこんなに寒くはなかった。考えてみりゃ着ているものが違ったのか。正面から突風が吹いて来て下り坂で45km/h を越えていた速度がブレーキをかけたかのように瞬時に30kmちょっとに落ちたりする。あまりの寒さに「うぉっ」「ぐわー」と喚きっぱなし。やっと里におりてきても陽当たりがいいのに震えが止まらない。もうすっかり気力は萎え、素直に芦ケ久保から電車に乗ることにした。国道299 に出て駅を目指したが3km 余りも行き過ぎてしまうというオマケ付き。両脚つりながらたどり着いた駅は国道から上がった山の斜面でこれまた風通しが抜群ときている。かじかんだ手と風にはためいてしまう輪行袋に苦労しつつ分解、収納。日なたで気持ち良さげな大勢のハイカー達の間でハナをたらしてガクガク震えながら14時57分、車中のヒトとなったのだった。なんとも悲惨な後半だったなあ。血液が白くなってしまったような気がして、4時過ぎに帰宅後、赤ワインを2杯あおってから風呂につかったがちっとも暖まらなかった。


その1:2月某日〜モーターサイクルをめぐって

 今の俺が自転車三昧の有り様なのは順序正しい読者の方々は御承知の通りだが、先日取材を受けた<MOTO MAINTENANCE>という雑誌の、自分が出ている最新号(第22号)が送られてきてパラパラと読むうち、バイクマニアであった過去が蘇ってきた。で、今日は久々に1971年型カワサキ650 W1SA を動かす気になった。片道 21,2km に過ぎず、近頃は自転車で行っているのだが荻窪までコーヒー豆を買いに行くことにした。このバイク、実に力強くズドドドドンと痺れる音を出すのだが、しばらく火を入れていなかったエンジンはいくらキックしても一向にかかる気配を見せない。こういう時はさっさと新しいプラグにすればOK な性格のバイクなのはさんざんやって分かっているが今付いているプラグだってそんなに使っていないから付け替えるのもシャクだ。しかしもう右脚ががくがくに疲れてしまい諦め新品を出す。不思議なことにすんなりかかる。しばらくすれば、はずみでも付くのか、古いプラグにもどしても大丈夫なのだ。2月だというのに汗だくになったので着替えて出発。その後は実に快調だった。もう34年も前の設計のエンジン(ルーツはメグロK1 だから40年になるとも言える)だが出足だけは横に並んだ400cc の小僧には負けんぞ、どうだ!とぶっ飛ばす。しかしあくまで信号GP のみ。何せ、止まらない、曲がらない、重たい奴なのだ。
 スピード違反や駐禁で捕まるのはご免だが警官に停められてみたいことが二つある。ひとつはロードレーサーでレーダーにひっかかること。自転車だからいいんじゃないか、いや、こんなにスピード・オーバーしてるんだから、と警官達がもめるが結局注意だけされ放免になるという筋書き。もう一つはこのW1 で「こんなデカイ音出して改造車だろう」と言われること。そしたら俺は言う、「おたく若いねえ。これはこういうモンなの。知らないの?ムカシはこれ、白バイに使われてたんだよ」と。しかし最近は規制緩和の一環で車検場でさえカスタム・マフラーに文句言わなくなっちゃったから望み薄だな。
 年式相応に金属疲労も進み、キャブレター・ボディの歪みや左エンジン・ケースの小クラックなど、ぼちぼち手を着けなきゃならない作業が待っている。もう一台の愛車、MotoGuzzi 850 LeMansIII も去年は二回しか乗っておらずキャブ不調で要整備。しかし4月からのレース・シーズン開幕への準備も進めなきゃならん。いつになることやら。

左;奥武蔵グリーンラインでのW1SA。しかし最近はこの辺りも自転車で激走している。
右;道志村近辺でのMotoGuzzi/LeMans3 '82年型。

 

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