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その59 ドイツ記・後半 ('01/7/02)
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5日(火)、デュイスブルグから列車でケル |
前田君の不在中、特にテレビのことは尋ねていなかったのだがビデオデッキとプロジェクターがある
のに気付き、さっそく勝手に配線、壁にでっかく映してテレビ番組を見られるようにした。陽光を遮る
ものがブラインドしかないのでくっきりは見えないがありがたい。おまけにメルスと違って都会のここ
は37チャンネルも入る。問題のジロは毎日長時間中継しているイタリアの放送をそのまま流している
局(オランダかベルギーの局)を発見し満悦。昼間は田村氏とゴロゴロとテニス全仏オープンとジロを
見て過ごすのが日課になった。その間藤井さんはソロでワルシャワに出掛けたりしていた。懸案の一つ
だったライン川自転車走行は前田君の所有車があったのであっけなく実現。しかしスポーツ車でないと
どうにも心拍があがらず(心拍計は持っていった)トレーニング・レベルにはならない。で、ライン川
走行は自転車からジョギングに切り替わった。6時頃起きだして餅とチーズを電子レンジでチン、即席
餅ピザを食して5分ほどでライン川に着く。川沿いの道はランナーも多いがローラーブレードも目立ち、
老若男女幅広く軽快に滑走していく。前田君の通勤もローラーブレードである。少々やって見たくなる。
慣れないランなので3,40分で切り上げて戻り、パンとコーヒー。ドイツはパンが多様で美味い。と
いうところが朝の日課。実際に走ったのは三回だけだったが。
ケルンでの主な食生活:
中華料理屋/トルコ・レストラン/テイクアウト寿司/バーでピザやサーモンステーキなど:各一回
自分で作ったもの:手羽白菜カレー、キムチ・スパゲティ、玉子ペペロンチーノ・スパ、
豚白菜焼きそば(韓国麺)、じゃこオムレツ、チコリ・サラダ(これは並べただけのようなもの)
・・・とまあ材料の関係で似たようなものが多くなってしまった。
演奏のことを忘れていたな。8日、LOFT
というところで6日に帰国した吉田君を除いたTp,P,Bの3
人で公演。ドラムレスはスリリングかつ繊細(ゲッ?)で新鮮。準備期間の短さから客足は今ひとつ。
10日に列車でハノーバーへ。不似合いなオーソドックスなジャズ・クラブMarlene
が会場だったが、
昨年ここで梅津・鬼怒が現地学生らとおそらくフリー・インプロのセッションをしている写真を見せら
れたので「なんだ、こんなんでもエエんか」と思う。ここもあまり入らなかったが客は熱心だった。久
しぶりに立派なホテルで就寝、翌11日午後の列車でフランクフルトへ向かい19時45分発ソウル行
きで延々機上の人となるのであった。帰路の映画はサンドラ・ブロック演じるオトコ勝りのFBI捜査
官がミス・コンに潜入して犯罪を暴くドタバタ・アクションもの。二度目のビビンパもうまかったです。
ソウル・インチョン空港に現地(すなわち日本)時間12日午後1時到着。ソウル滞在する田村・藤井
夫妻とはここでオツカレサマ。しかしまだ日本は遠く、成田行きの乗り継ぎまで5時間40分もあり、
思わずすぐ出る名古屋行きに乗変しようかと思ったぞ。空港内レストランでユッケジャン定食を食い大
汗をかく。やっぱりウマイ。街に行ったらもっとウマイんだろうなあ。後はぶらぶら店を覗いたり椅子
に寝そべって昼寝したりして時間をつぶし6時40分発、8時50分成田着。帰宅は12時。長かった。
その58 ドイツ記・メシ ('01/6/27)
突然ですがメシの一部です。
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前田宅のキッチン。冷凍庫にあった韓国餃子の大袋(勿論中は赤い)を発見、田村氏がこんがり焼き上げ2人で食いまくる。 |
5月31日早朝5時過ぎ、前夜CO2のライブもありまだ眠っている身体でハードケースに入れた愛器
MC924の重さによろけつつ電車を乗り継ぎ京成スカイライナーの始発で7時29分成田着。田村・藤井
夫妻の車に預けてあったスーツケースを受け取りチェックイン、トマトスープの朝食後9時30分発大韓
航空機でソウルへ2時間20分。その間スパイスチキン+ピラフの食事。まあまあ。1時間チョイで次機
フランクフルト行きに搭乗して退屈な11時間半長旅開始だ。早速何年か前に機内食大賞を受賞したとい
うビビンパ。具とパックご飯が別々に出て自分でチューブ入り辛子みそ(コチジャン)と胡麻油をブレン
ドする。旨い。回ってくるワゴンには唐辛子チューブのストックがどっさりあって韓国の人々は追加でバ
ンバン使う(のだろうか?)。ビールとこれで頭から汗を噴出。その後は読書、睡眠、映画。<伏虎飛龍>
だったかなあ、まあとにかく虎と龍のタイトルのチョウ・ユンファ主演中国武闘時代劇、空を飛んじゃった
のでややアホらしかったが暗闇にまぎれて目頭熱くなってしまうのだった。二回目のメシはヨーロッパに入
るからか韓国風味は隠し味になっていた肉モノ。あんまり覚えていない。
フランクフルトに現地時間17:35着、鉄道にてデュイスブルグに9時半頃着、トルコ人の売店でドナ
ルケバブを買ってタクシーで18年前にも泊まったホテル・ガルニに10時過ぎ到着。食堂で女主人のおご
りのビールでドナルを食う。マトンと野菜のすごい具の量で大口を開け続けていたら唇の端が切れたので皿
とナイフ、フォークをもらってばらして食べた。家を出て丁度24時間。とっとと寝る。
6月1日。時差のせいで何度か目が覚める。朝7時にテレビをつけたらいきなり自転車にまたがったウル
リッヒのインタビュー映像。ハナクソをほじっていた。アナウンサーのアップに切り替わったら向こうのほ
うで背をむけて手鼻をかんでいたぞ。いやねえ自転車選手って。期待していたジロ・デ・イタリアの中継は
見つからず(この日は第13ステージ、見どころの4つの峠越えだったのだが)、毎日昼間2時間くらいあ
るらしいドイチェランド・ツアーの放送にダイジェストが入るようだ。しかしドイツ・ツアーのほうもザベ
ルやバルトリなど大選手が出ていて見応えがある。初日からテレビにかじりついているのもナンなので夕方
バスに乗って隣町のメルス・ジャズフェスの会場へ出向く。公園内に設置されたヨーロッパ最大のサーカス
・テントが本会場、周囲には凄い数の出店とキャンプ組の観客のテント。6時半からWRD(ドイツの放送局)
Bigband。つまらない。2つ目、バンジョー(多分ギターバンジョー)の弾き語り+ピアノ。古いミュージ
カルやチャップリン映画の曲をやっていて歌詞が面白いのか客は良く笑っているが一向に面白くない。初日
のあと2バンドは南アフリカから。1つ目はTheSoulBrothersというかなり恥ずかしい名前なので期待した
が普通のリンガラ・バンドでこの手は曲やバンドが替わってもテンポ、リズム、コード進行など殆ど変化が
ないから猛烈な睡魔に襲われ何度か気を取り直したが2つ目は断念して帰って寝た。
6月2日。土曜なのでレストランが開いていない。昼食をテイクアウトのドナケバブとスーパーで買った
ワインで部屋で済ます。メルスの方は2時半からやっていたがアタマの2つは生真面目そうだったので昼寝
とレースのテレビ観戦後5時からの3つ目のDefunktBigBandに合わせて会場へ行く。デファンクトはトロ
ンボーンのジョセフ・ボウイ率いるジャズ・ファンクバンドとして20年位活動していると思うが、今回は
大編成というので力を入れているのだろうと期待していた。J.ボウイは殆ど楽器を吹かずヴォーカルとダン
スとパーカッション。チープなP-Funkのようで大した事はなかった。ヘンチクリンなソロを1曲だけとった
アルトサックスが良かったがプログラムに名前の載っていないオリバー・レイクだった。次もアメリカのバン
ドでRussellGunnEthnomusicologyという、若いトランペッターの率いるHipHop,R&Bがかったジャズ・ロ
ックバンドでフツー。30年前のブルーノートの売れ線レコードにターンテーブルを足したようなモノだ。
どれも大ウケなので虚しくなってしまう。その後はキューバ・バンドが2つ。これは一つ目のTonyMartinez
&TheCubanPowerしか見なかったが若手サルサ・バンドで強力だった。2つ目はどうにも眠くてセッティン
グ中に帰った。帰ると別便のドラムの吉田君がホテルにたどり着いていて先に帰っていた夫妻と食堂にいた。
実は会場にホテルの女主人が来ていて自分がフェスを見たいものだから吉田君の部屋のキー(玄関と部屋のキ
ーがセットになっていてこれがなければ建物に入れない)をこちらに押しつけたので仕方なく夫妻が帰ったのだ。
6月3日、ようやく演奏。出番はしょっぱなで2時。こんなに早い時間で客足はどうなのかと思ったが始まる
ころには満員になっていた。バキバキ、ドカドカ、ガランガラン、ブヒャーっと激しい演奏を繰り広げ、当然の
ことながら場内は興奮のるつぼと化し大好評であった。まあ今まで見ていて何でも受けていたけどね。わしらの
あとはセルビアの10人のおっちゃん達の哀愁ただようブラスバンド。こういうのを聞いちゃうと今まで見たバ
ンドが虚飾の音楽と思えてくる、勿論自分らのも含めて。でもやっぱりずーっと同じ感じだから飽きちゃうんで
関係者用レストランテントで一杯1マルク(50円)のビールを重ねてしまうのだ。次はセネガル、オランダ、
ロシア、ドイツ、ブルガリア、アメリカ混合バンドだったがとてもツマラナカッタ。そしてイギリスのSoupsongs
というバンド。これはトロンボ−ンの姉御の率いる6人+ホーン3人、ロバート・ワイアットの曲をやるバンド。
おかまチックなギタリストと女性ヴォーカリストが歌を分担、曲もアレンジも良かった。ステージ右側に椅子を
並べている3人の老ホーンセクション(ソプラノ、テナー、ペット)は参加曲は多くはなかったが皆すごくいい
フリーキイなソロをして感激。ソプラノは楽屋で見かけたときからひょっとしたらと思っていたのだが健在とは
驚いたロル・コックスヒルでめちゃんこカッコよかったしペットのハリー・ベケットという人も良かった。この
日の最後はノルウェイのバンドだったが面白くなさそうなので帰った。
4日、フェス最終日。同時にドイチェランド・ツアーの最終日でもある。月曜だが祭日なので昼飯はいよいよ
テイクアウトもスーパーもなくてありつけない。散々歩いたがこの街ではバーとアイスクリーム屋とケーキ屋し
か開いていない。会場にいけば色々あるがテレビ観戦も見逃せないので最後のバナナ1本とコップ半分のワイン
で済ます。レースはドイツテレコムのエリック・ザベルがゴールスプリントを競り勝ち、総合優勝は同チームの
若手カザフスタン人アレクサンドル・ビノクロフに。昨年のオリンピックで銀メダルと共に祖国に錦を飾った時
の映像なども出てウルウルの感涙モノ。
で、会場には5時半に行った。テント脇でソロの演奏を終えビールグラス片手のフレッド・フリスに久々に会
う。今来たとは言いづらく「最近は一人での演奏が多いの?」「いやあ、これは実験的なトライなんだよ。」等
といかにもステージを見たような会話。出し物はいよいよラスト2つ。まずこのフェスの顔的なデビット・マレ
イのM'Bizo featuring the
WorldSaxophoneQuartetという、アメリカ・アフリカのミックス・ユニット。こ
れがまた、締まらないホガラカな曲ばかりで全然面白くないので出店でチャパティにカレーペーストを塗って肉
野菜を包んだ変則ドナケバブを買ってきて関係者レストランテントでビール。同じくつまらながっている藤井バ
ンドのメンバーも飲み食いしていた。そうこうするうちいよいよトリのTheResidents。パンフでは鬼太郎の目
玉オヤジがシルクハット&タキシード着用の扮装のメンバー写真だったので期待。セットも映像スクリーンや紗
幕ブースにセットされた電子機器など面白そう。で、始まると確かに面白かったが変化がないのですぐ飽きた。
外でこちらのレーベルの人間にCDを進呈して話をしたりサンプル盤をもらったり。バンドのメンバーも飽きて
いて出たり入ったりしている。で、開いているのを見つけていた<長城飯店>に皆を誘って繰り出した。麻婆豆
腐、肉野菜鉄板焼き、焼きそばなど4、5品頼んだが中身も味も全部同じようだった。分かってはいたが。と言
う風に打ち上げて前半終了。
その56 ('01/5/29)
明後日からドイツに行くので休みの今日はその準備に当てようと漠然と思いつつも午前中45kmばか
り走り納めをした。となるとやっぱりシャワー後はビール。去年のツール・ド・フランスのビデオを見な
がらスパゲティ・アラビアータ+豚+卵かき回しを作りついワインまで行ってしまい昼寝。結局済ませた
事と言えば夕方郵便局に行きカミさんから預かっていた彼女の分の自動車税を払い(自分の分は納付書が
どこかに紛れてしまって見つからず)、7月1日のツール・ド・美ヶ原のエントリー費を書留で送り、コ
ーヒー豆を買って帰ったくらい。朝一昨年のアフリカ以来使っていなかったトランクを引っ張り出して日
に干しておいた。それで思い出した、アフリカで使い道のなかったトラベラーズチェックとドルの残りで
カネはしのぐとしよう。
6月11日に向こうを立つのだがその間仕事は3本のみ。メインは83年84年と続けて出演して以来
の<メルス・インターナショナル・ニュージャズフェスティバル>、名前はNewJazzでも種々多様なジャ
ンルのものが見られて面白い。最近ではP-FUNK
も出ている。4日間あるのでじっくり見てこよう。その
後はケルンに滞在するらしいのだが、ライン川沿いに数百km続く自転車道があるのでレンタルバイクで
サイクリングでもするか。それとも本格的な物は望めない貸自転車よりランニングでもした方が少しは脚
力維持になるんだろうか?でも実は期待しているのは<ジロ・デ・イタリア>のテレビ観戦なのだ。この
3週間3572kmのレースに今年はドイツのエース、ヤン・ウルリッヒが出ているので国営放送が生中
継しているという情報があった。ムフフ。特に6,7,9日は厳しい山岳コースだ。いいなあ。俺も頑張
ってテレビ見ながら腕立て伏せしちゃおう。あ〜?シゴトって何日だっけ?ダブってないだろうな。
その55 ('01/5/20)
ぐずぐずしている内に更新せぬまま三週間。原因の一つは何たってネット・オークションである。あっ
という間に小一時間、それも朝・夜二回覗いてしまう。五月一日深夜にイタリアのカレラのフレームを落
札してしまったのが始まりだ。これは5年位前のモデルの新品で格安、開始価格より相当上がるだろうと、
まあ半分様子見で終了日の5、6日前にそのままの価格で入札しておいた。その後時折考えては「やっぱ
り必要ないよな。今の手持ちで充分なんだし一台組むとなったらパーツにカネかかるしだいたい何処に置
きゃあいいんだ?それよりいいホイール買っちゃおうかな。」なんて結論に達しつつあった。だいたい終
了間際に入札が相次ぎ価格がどんどん上がっていくものだが夜中の1時12分締切だったので眠くてどう
でも良くなって寝てしまった。朝メールチェックしたら「おめでとうございます、あなたが落札しました。
」という通知、嬉しいような困るような。そして今度は必要なパーツ探しが始まった。これがなかなかオ
オゴトである。適価だったものが格安店の新品価格を上回るまで上昇していくのも多いし、開始価格から
して大阪の「・・パーツ」や川崎の「・・サイクル」より高いなんてザラ。それでも買い手がどんどん付
くって、ベンキョー不足なんじゃないの?俺なんか雑誌を隅から隅まで熟読してるからね。記事なんかす
ぐ読み終わっちゃうから後は次の発売日まで毎日広告を吟味するのさ。それに腹の立つ仕組みに「自動延
長」というのがある。この制度を売り手が選択した場合、終了間際に入札があると自動的に5分延長され
る。これがどんどん繰り返されるのだ。何日も様子を見ていて一人しか入札しておらず、シメシメと15
秒前にそれより100円高く入札して「やったな」と思っていると画面の残り時間表示が5分になってい
る。で、俺より高い値をつけたやつがいると言う通知がくる。あれ?何で?で、今度は5秒前に更に高値
で入札、よしこれで決まりだな、と思っているとまた「あと5分」の表示。で、さっきのやつがしつこく
俺より高値で入札し、・・・とずっと続くのだ。始めはこの仕組みを知らなかったので激怒、次第に理解
してくるとアホらしくなった。この争奪戦で新品より高くなってしまうのだから。売り手にとっては実に
嬉しい仕組みだ。結局のところその後落札したのはハンドル1ケ。新品実売5千円程度のものの中古を2
千5百円、まあまあだ。これもフレーム同様俺しか入札者がいなかった。しかし着払いで送ってもらった
ら送料が10,60円、振込手数料まで考えると3,780円の買い物。ちっとも安くないじゃないの。
やっぱり中古はフリーマーケットに限る!オークションと違って値切れるんだから。もうやーめた。
その54 ('01/4/29)
<47>にジムで会うムキムキ爺さんの事に触れた。彼があんまり重いバーベルを上げるので俺はベン
チプレスよりは幾らかマシだと思っていたスクワットを隣りで見栄を張ってやったワケだ。ところが一昨
日凄いものを見てしまった。同じスミスマシンのスクワットで爺さん何と片側20kg+15kg3枚+10kg3枚
=95kg、つまり両方で190kg+バー20kgの210kgをやり始め、更に徐々にウエイトを足していってついに
はインストラクターを呼んで後ろから介添えを頼んでもう計算する気になれない程プレートをつけたのを
持ち上げていた。私が悪う御座いました、たかだか60kgで見栄を張ろうなんて。今後はすぐマシンを譲り
ます。
25日のHAYAKAWAのPit-Innでのライブ、石井が抜け急遽鬼怒無月に頼んだ。なんと前々日の午前
中である。譜面を10曲ばかりFAXしてあとは当日の現場リハのみ。Pit-Innは昼間の部もあるので実際
セッティング後に合わせられた時間はごく僅か。それでもバリバリに弾きこなしてくれ(1ステージ目は
鬼怒の音がデカ過ぎだったらしいが)、おかげでバンドのテンションも上がり皆いい演奏を繰り広げてく
れた。アンケートでは「いつもの人の音が無いとHAYAKAWAじゃなくてCOILを聞いているみたい」とい
う方が1名いたが他は大好評でした。まあ色々あるのヨ。もとにかく殆どリハなしでこなしてくれた鬼怒
に大感謝。そして高校1年の時に組んだバンドのメンバーが二人来てくれたのも嬉しかった。ベースのI君、
ピアノのO君。ベース?そうなのだ、2ベース(ウッド)、サックス、ピアノ、ドラムという変則バンドだ
ったのだ。HPで見つけたというO君とは俺もI君も26,7年振り。ネットのお陰だね。
そんなワケで(?)5月22日のマンダラ-2では新メンバーが加わる予定。確定したら告知します。
その53 ('01/4/16)
三日前の緑化計画のライブの時に片山から「ずれずれ草、ちっとも更新していないじゃないか」とお叱
りを受けた。ここのところ暇な時間は(ホントはヒマばっか)トレーニングとWindowsいじり(実は動
作チェックと称してフライト・シュミレーターでつい遊んでしまう)、それについつい開いてしまうオー
クション・ページに費やされてしまっていた。目の毒であるオークションを見始めて一週間少々、何も落
札しないうちに冷静さをとりもどしつつある。良かった。これ以上自転車増やしてどうすんだ。
清志郎のファンクラブの会報が送られてきた。<その49>に書いた、自転車ウンチク講座のことが出て
いるが、路上で三人で撮った写真が載っている。俺はその時2Wayのサングラスをかけていてその黒レンズ
を上に跳ね上げていたんだが、写真が小さいせいでそれが眉毛に見える。たれ眉でニコニコしている情けな
いおっさん風情だ。キヨシロー・ファンクラブ会員に告ぐ、俺の眉毛はハの字ではない!!まともだ!!
まあ普通より濃くて太いけど。ああ、そう言えばこの間浦安で
KIKI Band のジャケット撮影をしたときも
このメガネだったぞ。しまった。
ということを無理矢理書きました。どうでしょう、片山師匠。本日はこれから藤井郷子バンドのレコーデ
ィングです。一昨日、昨日と連続で小沢峠〜名栗〜青梅の峠コースを違うメンツで走り疲労困憊だったが昨
日は帰宅後ちゃんと練習したぞ、楽器の。リハのMDを聴き直していたらいつの間にか居眠りしてしまいま
した。でも一番難しい曲はピアノとドラムのデュオでやることになったので心底ウレシイ。
その52 ('01/4/
4)
4月1日、久々に<渋さ知らズ>に参加。確か一昨年の10月横浜ジャズプロムナード以来なので1年
半振りだ。新宿Pit-Innのステージ上はどエライ数のミュージシャン。何せドラム4人、パーカッション
2人、ベース2人のリズム体にギター3人、キーボード、エレキヴァイオリン、そして勘定できない人数
の管楽器群は少なく見積もっても15人。総勢おおよそ30人、さらにダンサー数名。8時に始まった演
奏はノンストップで11時10分前まで、正に修羅場。冒頭こそそこそこのバランスだったが次第にヴォ
ルテージは上がり、もう中盤からは右隣のドラムのUの音で耳が痛くて左に逃げればそちらもOのドラム。
こっちもヤケクソで最後はもうディストーション+ハーモナイザーでグワングワンだった。翌朝目が覚め
たらまだ耳鳴りが。前日はペティ・ブーカのレコーディングで、ドラム無し、生ギター、ウクレレ、スティ
ールギター、ウッドベースという実に耳になごむ音だったからその落差の凄さに完全にやられてしまった。
しかしまあ、とんとご無沙汰の渋さだったがちっとも変わらない曲目と内容に脱帽しました。
不破はオオモノである。
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前項のアフリカン・フェスタでの |
結局前述のフィルム・スキャナーはエプソンのHPを見たら
iMac、新G3、G4 では作動しないことが
分かった。ダウンロード・ページに<漢字Talk7.1以上必要>なんてかなり古い事が書いてあったからダ
メな予感はあったが。エプソンはもうフィルム・スキャナーから撤退してしまったからドライバが更新さ
れることも無いだろう。残念。
24、25の土日、外務省主催の「アフリカン・フェスタ」というものが日比谷公園で開催された。
アフリカ各国のブースやNGO団体の展示、物販などのテントが並び、仮設のステージが作られてそこで
KIKI Band
で演奏した。トークショウ(羽仁進、渡辺貞夫両氏が日替わり)や民族衣装のファッション
ショウも行われた。演奏の方は3時から「東京ナンガデフ」というジャンベ中心の打楽器・ダンスのグ
ループ、わしら、このために来日したベキ・コーザBeki Kohza
のバンドという順。ベキはアフリカ紀
行のページにも書いた南アフリカのギタリストで、ホワーンとしたところとスピーディな面の混在した
不思議な音楽性を持ち、スケール感も西洋、アフリカ、アラブが入り交じったところがある。バンドで
見るのは初めてだ。1,2曲めはフュージョン、ポップスっぽくて上手いとも言えずつまらなかったが、
それ以降は彼らしく又アフリカっぽくなりなかなか良かった。始めからこういうのをやればいいのに、
彼らとしてはサービスのつもりなのだろうという小林さん(外務省のアフリカ・エキスパートで99年
ツアーの首謀者)の意見。2日目も同じメニューだったようだがベキが乗りまくっていてバンドももっと
良かった。しかし実に変わったギター、アウトの仕方が面白い。腕の立つプロデューサーがいればいいア
ルバムを作れると思うのだが。
ヨハネスブルグでは4、5曲一緒にやったが今回は時間が短いのでこちらのバンドに1曲彼が参加した
のと彼のバンドにこちら全員が入って1曲のみの共演だった。梅津氏が風邪でひどく具合が悪かったのと、
俺も2日共夜シゴトが入っていたので国際交流的宴会はナシ。
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ステージは撮り忘れた。終了後の楽屋テントにて。左から(後ろ向き)コーちゃん、ベキ、唄のねえさん、ベースマン、キーボード弾き、ドラマー、梅。名前、発音が全然聞き取れなくてキーボーディストの姓<クッパ>しか覚えられなかった。 |
ついに妻がパソコンに手を染めることとなった。いままで撮りためた膨大な35mmフィルムを整理する
と言う。友人・金森君が233MHz/4.2GB/64MB/CD/FD/モデム+外部スピーカーのWindowsマシンを
組んでくれたのだが何と2万円。それにエプソンのフィルム・スキャナーを格安で探してくれた。スキャ
ナー自体の速度が遅いから本体の性能は当面こんなものでいいだろうということ。ディスプレイは目的が
目的だけに評判のいい新型三菱RDF171Sを別途購入した。俺は一銭も出していないのでさわらせてもらえ
ない。が、スキを見て早速自分のフィルムを取り込んでフロッピー経由でこちらのMacに移し、楽器コーナ
ーの画像を2つ入れ替えた。フロッピーにコピーする段階でJPEGにして更にHP上ではGIFに変換するか
ら紙焼きを普通のスキャナーで取り込んだものとさほど違いは出ていないかも知れないが、向こうの画面
ではキレイ。
そして時々俺もフィルム・スキャナーを使っちゃおうということで、近所の怪しげな小さい中古品店で
未開梱のSCSI-USB変換コネクタをゲット(これも金森君の情報から)。エプソンのHPからドライバを
ダウンロードして完璧だ。実は普通のスキャナーもSCSIタイプなのでiMacとは今まで接続出来ず、一旦
古Macに取り込みそれをイーサネットでiMacに移していた。当然こいつのドライバもダウンロードしたの
で大分スッキリした。
ところで、ホントWindowsは安いなあ。このiMacは初期型BタイプでCPUは233MHz、HDは4GB。
CPUのグレードアップには特殊であるiMacは4,5万かかる。G4/433MHzのカードなんてな、なんと
\78,000ですよ。もっとも今年に入ってまだパソコン雑誌を買っていないので近況は知らないが。HDだ
って発売当時は4ギガなんて何に使うの?という意見も多かったのに時代はとっくに20だのと40だの言
っておる。メモリは96MBなのだが(購入時32)、これでOS9.0.4
を使っていると言ったらアケタで島田
マネージャーとドラムの植村にワライモノにされた。256MBまで上げたら、というがとにかく拡張性のな
い旧タイプは今までのメモリを外さなければならないし、いずれ次期機種を購入するとなればその256も
他機には合わず使い道がなくなる。ええい、この費用を金森君に渡してWindowsを作ってもらったら相当
なモノができるぞ!!
でもまあ、当分これをこのまま使い倒すもんね。なにせ俺のオートバイは71年型カワサキ650と82年式
モトグッツィ850、古くたってバリバリだぜ、まいったか。自転車ばっかりで全然乗ってないけど。
その49 ('01/3/
1)
おとといHAYAKAWA のリハーサル後、吉祥寺にて有名ロック・シンガーの◆野▼▲郎及びその一味と
ミーティング。電話があった時は、そうか、キミもオンガクが分かってきたな、オレのベースが必要なのね、
と言ってやりたかったが、用件は自転車。無謀にも秋に3人で鹿児島まで走るという計画があり、自転車の
選択やなんやかやと話がききたいと言うことだった。自分が当面新しいものを買えない分、他人に色々ああ
でもないこうでもないと勧めるのは楽しい。買い物というのは思い悩んでいる時が一番楽しいものだ。あっ
という間に1時間以上経ってしまった。最後は「どうせもっといいのが欲しくなるものなんだからまず買っ
てしまいなさい」という乱暴なお言葉でお開き。あまりに自分を当てはめ過ぎたかと、翌日ややマシな忠告
をFAXしておいた。
ところで自転車旅行といえば、坂口エミコさんという、10年間世界中を走っているひとがいる。サイク
ルスポーツという雑誌に旅行記を連載しており、なかなか凄い体験を積んでいて感動する。その彼女がパキ
スタンで癌に倒れ、手術のため一時帰国している。
http://www.ny.airnet.ne.jp/kanami/emi.htm にぜひアクセスしてみて下さい。
実はオレは89年に胃癌の手術をしている。88年に分かった時には食事や気功で直そうと色々なことを
した。中国人の老人に郭林気功というものを習いに通い「余命が半年以上なら自分の教えの通りやっていれ
ば必ず直る」と言われていた。しかし教え通り明け方に樹木の多いところで気功をするのは、公園で人にビ
ックリされる、仕事柄すっかり寝不足になってしまう等大変だった。34、5という年齢で半年以上進行し
なかったのは効果があったのかも知れないのだが、結局周囲、特に片山に説得され手術することにした。坂
口さんの闘病記を読んで、すっかり忘れていた術後の苦しさを思い出した。あの時は「あと3年でいいから
生きたい」だの「癌患者のための活動をしよう」だの考えていたのに、喉元過ぎれば全く脳天気に忘れてし
まってこの体たらく。そもそも先生も驚く回復の早さ、16日間で退院したというのに数日後食い過ぎで再
入院1週間というみっともない有様だった。ホントにオレという人間は・・・。
その48 ('01/2/23)
珍しく風邪を引いてしまった。先週の水曜日の朝、コンコーニ・テストというものをやった。これは有酸
素運動から無酸素運動に変わって行くポイントを調べるもので、これを元にトレーニング・プログラムをつ
くるのだ。色々方法はあるが、今回はローラー台に自転車をセット、16km/hから始めて2分ごとに2km/h
ずつ速度を上げていき最高心拍値まで持って行き、そこまでの心拍のグラフの曲線の変化からポイントを特
定する。ヒジョーにきびしいので随分やっておらず久々の挑戦だったが予定よりはやくダウン。値は簡易計
算で算出するものより上だったのでまあまあだった。どうせまた午後これで作るメニューでローラーするの
だから風呂はその時でいいや、と寒いのにシャワーで済ませ、暖房をまともにセットせぬままパソコンに向
かってしまった。短時間の筈がついズルズルと長くなり、気が付くとすっかり湯冷め。高校のとき風邪で具
合が悪かったのにヤケクソで体育のサッカーで走り回っていたら直ってしまったのが未だに忘れられず、午
後明らかに症状が出ているのにローラーを1時間。翌日は色々電車+歩きで動き回りこれも追い打ち、夜中
から関節や頭の痛みがひどくなって発熱、翌金曜日は一日寝込むはめになった。土曜には熱も下がり身体の
痛みも消えたが今度は喉がひどい。一昨年ナイロビでもらったトローチも効果無く、飲み物を口にしても喉
を通る時の激痛で味など分からない。唾液もオオゴトで、普段意識していないのに随分飲み込んでいるもの
なのだ。それなのに日曜日、いくらか軽くなったので直ったということにしてカオスに走りに行った。途中
で帰るつもりだったのに調子に乗って前半先頭を引きまくり(つーか、独走ね)結局70km位走ってしま
った。これだけゼイゼイいって走るのがいいわけはない。帰宅すると益々悪化。夜も喉のせいで眠れず、月
曜とうとう医者に行った。ところが日曜やって月曜休みの診療所で、他を回る気もなくなり帰る。夜のアケ
タ・緑化計画はひたすらお茶で喉をしめらせ耐えた。
それでも週末のレースに備え、気休めに火・水と一応一時間ずつローラーはやっておく。ようやく木曜日、
喉の痛みは時に忘れてしまう程度にはなった。本日金曜、咳はときおり連続するがまあまあ。ピナレロに本
番用ホイールを付けて昼前、激坂付きコースを19kmハイペース、往復を入れて30km弱走ってみた。帰宅
後すぐ緑茶でうがい、その後ゴーヤ茶(ゴーヤの葉・種を乾燥させたもの)に朝鮮人参蜂蜜をたっぷり入れ
て飲む。うん、これで大丈夫そうだ。
というワケでより良く休養するためにビールを飲んで昼飯、さらに身体を冷やしてはいけないので赤ワイ
ン。これで昼寝をすればバッチリと、猫とともにガーっと寝始めた途端電話が鳴った。田村夏樹氏<Tp>がプ
ロフィールをメールしてくれという。HPから取ってよ、と言いたかったが愛想よくお返事。起き出してMac
に向かっていると再び電話、英文も付けろと言うじゃないの。すっかり昼寝のユメは消え、デタラメの英作
文に頭をひねるはめになってしまった。風邪がぶり返さなければよいが。
その47 ('01/2/
8)
明日から<カオス・レーシングクラブ>の冬季合宿だというのに右膝が芳しくない。一昨日午前中、ジム
でベンチプレス(スミスマシンという、補助の柱がついた安全なもの)をやっていたら、常連のムキムキ爺
さんが横で何ていう種目か知らないが、床に置いたバーベルを持って立ち上がる、というやつをドヒェーっ
という量のウェイトを付けてやっていた。それがベンチで潰れかかっている俺の所に来て「これ使ってもい
いかな?」と、並べてある15kgのウェイトを指して言う。俺は片側15+2.5+1.25=18.75
kg×2、それにバーが20kgなので合計57.5kgをやっていたからもう15kgの盤など絶対必要
ないから「ど、どうぞ、ハアハア。」と返事。そうしたら爺さん、15kg2枚と10kg4枚も持ってい
った。彼のバーには既に少なくとも20kg、15kgが複数枚付いている。おそろしくて勘定出来ず。バ
ーの長さが間に合うのだろうか?小柄な人なのだがすごいのだ。くそ、脚なら、とつい見栄を張ってバーベ
ル担いでのスクワットや、前後に脚を開いて同様のことをするナントカカントカというのを隣でやる。更に
マシンのレッグカール、エクステンション、プレス等、脚を重点的にやってその後1200m泳いで帰った。
アホなことをしたせいで、夕方既に膝に痛みが出ていたのだが、軽く回しておいた方がいいだろうと3本ロ
ーラーを30分。軽く、の筈がやっぱりどうせやるなら、と負荷を+3にして短時間ではあったが結局ゼコ
ゼコやってしまった。昨日になったら屈伸するとかなり痛む。昨日はなにもトレーニングをしなかったので
今日はやや回復した。懲りずにリハビリということで1400m泳いでおいた。これで明日から西伊豆の峠
を走り回されるのだ。
バラエティ番組は滅多に見ないのだが、昨夜「ここがヘンだよ日本人・スペシャル」を少し覗いた。スタ
ジオに来ていたり街頭質問されるニホンジンって、ありゃ何なの?特別にアホだけ面接してるのか?「アメ
リカの首都は?」ときかれて「え?えっと、ゼルス(ロスのつもり)」というコムスメや何と「カナダ」と
答えたバカオトコ。「アメリカ初代大統領は?」に「赤いの着て、なんかハットかぶったひと。あ、ナポリ
タン!(ナポレオンのつもり)」。「クリントン(初代という言葉の意味さえ分からんのだ)」。「第2次
大戦の日本の同盟国は?」「アメリカ」もう絶望的。地理も歴史も必要ないというのだ、スタジオのニホン
ジンたちは。「これからが大切、前向きに」等と偉そうな事を言う。カナダ人男性が「日本国籍を持ってな
くて本当によかった。おまえらと一緒にされたくない。」とがなっていたが、日本国籍しかないワタシラに
未来は無さそうだ。教育にゆとりを、なんて言っていて益々アホにならないのだろうか。
ところでこの番組に国会議員達が出たらどの程度の正解率だろう?想像するのも恐ろしい。
その46 ('01/1/27)
ベースマガジンから「マイルス・デイビスのバンドにデイブ・ホランドがいた頃のことを何か書いてくれ」
という依頼があり、本日締切。さっき上がったのでついでにここに出しちゃおう。ズルイ?一昨日締切の、
ミック・カーンの新譜のCD評もあるんだけどまあそれまで載せるのはあんまりだから出さない。
ストレート・アヘッドな4ビート・ジャズとしては最先端を行っていたマイルスのクインテットは<Fore
& More>、< In
Berlin>等のライブ盤にそのスリリングでスピーディ且つ繊細な演奏を残している。鉄壁の
リズム・セクションであったH.ハンコック、R.カーター、T.ウィリアムスの3人だったが、W.ショーターの
加入以降の方向性の変化からか、ベースがD.ホランドに変わった時には驚いた。そのアルバム<InA
Silent
Way>を手にしたのは高校2年の正月。菜食主義のG.ピーコックが「マイルス・バンドのロンのトラをやった
がそのときはやむを得ずばくばくステーキを食って臨んだ」という嘘か本当か分からぬ記事を読んでいた純
真な少年は、え?白人、それもヨーロッパ人になっちゃったの?務まんのかよってなもんである。しかしア
ルバムには少なからずショックを受けた。その前の<InTheSky><キリマンジェロの娘>から既にエレクトリ
ック化・8ビートへの気配はあったがサウンド的にはエレピ導入くらいで基本は2管+3リズム。ところが
<InA
SilentWay>ではエレピ2台(計3)+ギターが加わる。そしてそれを支えるホランドのベースはとい
うと、殆どシンプルなパターンに徹していて、やっぱりロン・カーターじゃこうは行かないよな、と生意気
な高校生を納得させたもののおとなし目の曲調に不満もあった。
そして続いて発表された<BitchesBrew>。この2枚組を当時の大枚¥3,600を投じて手に入れた俺は
その混沌とした壮大な世界にすっかりダウンしてしまった。オーネット・コールマンのダブル・カルテット
というのがそのずっと前にあったが、トリプル・カルテットと言っていいような重なりまくった編成で展開
する音のうねりと空間的な広がり。かなりウッドに近い音色のH.ブルックスのフェンダーと時に判別し難く
からみあうホランドのベースは、メインをel.b.にまかせてソロ・オブリガード的アプローチを見せるだけで
なく、パターンに重なっていたり、時には主導権を持ってリズムをリードする場面もあったり、B.モーピン
のバス・クラリネットと同時ソロを低音同士繰り広げていたりと聴く度に発見があった。もちろん今聴き直
しても新鮮だ。実は高三の学園祭で訳も分からずBitchesBrewを演奏したのだが悲惨だったろうなあ、自
分達は陶酔していたんだが。そして以後、よりロック・ファンク的リズムに進んで行くマイルス・バンドの
ベースパートは完全にエレクトリックに移行したのである。
とまあこんなモン。ホランド加入直前のあたりはあまり詳しくなかったので表現が妥当かどうかトラン
ペットの北陽一郎・渡辺隆雄両君のアドバイスをうけた。
大晦日・元旦は昨年と同じくアケタ・セッションと新宿Pit-Inn・KIKI
Bandだった。アケタでは仕切人の
山崎弘一のベースを借りて久々にウッドでJazzをやった。滅多にないことだから(多分1年振り)記憶も定か
なので折角だから内容を書いておこう。
参加した曲&共演者:BemshaSwing/岡野等<tp>、清水くるみ<p>、小山彰太<d>、
BugsGroove/小太刀のばら<p>とデュオ
RoundMidnight/小太刀、岡野、高橋知己<ts>
Mysteriouso(こんなスペル?)/岡野、高橋、渋谷毅<p>古澤良治郎<d>
おまけに山崎の策略にはまり途中で一人で1曲やらされてしまった。フリーから自曲「手品師のルンバ」
(CO2のアルバムTOKAIに収録)をやろうとしたら難しくて全然メロが弾けずズタボロになったのだが誰にも
分からなかったろう。それも寂しい。
で、明田川荘之のソロピアノを聞きつつ世紀の替わり目を過ごしてからPit-Innhへ。実はこちらの曲目はシ
ラフだったのにあまり覚えていない。ま、今年もよろしく、じゃあね、と明け方帰る。
正月恒例大掃除(まだ済んでいない)、友人夫婦招待、カオスの初詣ラン、4日後のトレーニングラン+新
年会、HAYAKAWAとFOREに曲作り、KIKIのリハ等々ドタバタしながらレコーディングに入った。KIKI
Band
である。録音のほうは順調に行った曲もあればなかなかいいテイクが録れない曲もあった。「河童」なんて1発
OK、名曲だからね。昨夜は最後の最後に一番最初に録った<KIKI>を10時からやり直し。それでもなかなか会心
作が出ず苦労して終わったときはもうフラフラだったがそこから更に入れないことになっていた別の曲にとりか
かるという半分拷問のような怒濤のレコーディング。今もスタジオでミックスダウン中だ。午後からかかって7
時過ぎにやっと1曲目が上がるという状況だったが日程的には3,4曲仕上げねばならない。幸いその後は順調
で現在2時だが4曲目の終盤に来た。でもまだまだ帰れない。眠い。