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その90 HAYAKAWA, CHABO Band Live など ('02/ 8/30)

 8月9日(金)、HAYAKAWA3回目の江古田 BUDDY 。いつもながらエンジニアの田中君がバランス良くドカンと出してくれて気持ちいい。録音したMDでもバンドはいい調子。高校時代のベース仲間の石原君が来て最前列。色々といい感想を聞かせてくれ励みになる。
リスト:
1. Pedal Tones 2. C-Brain 3. Tochi 4. Pordoi
<休憩>
5. 900ton 6. バリタコ 7. Em のバラード 8. Masakomasa Shuffle
アンコール:Pug Bug

 14日(水)、レコーディングを除くと2年ぶりになるチャボ・バンドのライブ。大阪の新しいホール、<なんば・ハッチ>。カット・ダイアモンド型の巨大なビルの中の1500人クラスのところ。ギター弾き語りの龍之介、トリオの nil、斉藤和義バンドの順でわしらがトリ。持ち時間60分の筈がワカモノ諸君を混ぜてのアンコール終了まで2時間、なんと11時半近い終演だった。チャボは突撃しました。オレも今回はよく歌った。
 打ち上げも、気になる存在のベーシスト佐藤研二君(斉藤バンド、酒井泰三のErectricNomad)と意気投合、「俺達は世界一自由なんだ、という音楽をやろう!」というサトケンの名言に盛り上がる。

 実はこの夕方、18歳の愛猫コマサが妻に看取られ大往生していた。小動物と生活する以上覚悟の上のことだが終演後それを知った時はやはりショックだった。思えば18年前、血気盛んな雄の柴犬・トチと共同生活をしていた俺の家に、しかも庭で放し飼いにしていたのに、ある晩手のひらサイズの子猫がビャービャー大声で鳴きつつ門の隙間から強引に入り込んで来たのだ。目も鼻も鼻汁でドロドロ状態、駆けつけた猫に詳しい彼女〜現在の妻だが〜と近所の獣医に連れて行ったら「今晩がヤマ」とまで言われたのに見事に回復、その後もたくましく、また波瀾万丈もありつつ天寿を全うした。様々な感謝を込めて合掌。

 

1985年、八ヶ岳高原にて物想いに耽る二匹

 24日、HAYAKAWA では珍しい同月2回目のライブ。4ヶ月振りのアケタだ。皆さんのご意見には、バディのような大きいところでPAシステムを通してデカい音を味わうのがいいという人と狭いスペースで音に巻き込まれてしまうのがいいという人の二通りある。もちろん、どっちもイイ!!という方が一番多いと信じているが。
 それにしても音響的にちょっと失敗だった。店にはギター・アンプが1台しかなく、2人のギタリストは車を持っていないので自分のアンプを持ってこない・・・のみならず増田君はなんとアンプを所有していない。結局彼は俺が用意したアンプより店のベースアンプの方を選んだのだが、リハではいい具合だったものの本番になったら音が埋もれ気味になってしまった。それに2人のドラマーのうちの音のウルサイ方(誰とは言わん)が前に出てしまうセッティングになったのもバランスを悪くしたようだ。俺自身も先月から使い始めた新しいアンプ・ヘッドに今ひとつ慣れていないのでツマミの加減がつかめず何とヴォリュームが小さかったらしい。生音、エンジニア無しというのはこのバンドでは難しい。
  1. Pordoi 2. Tochi 3. バリタコ 4. Emのバラード
        <休憩>
  5. Wormhole(ベース・ソロ) 6. シャーマターラのマサカリ(働く人々) 7. アンモナイトの悩み
   8. Pedal Tones    en. 294

 次は東海ツアーである。やったるゾー。


その91 黒猫一家 ('02/ 9/16)

 3月の下旬、庭を横切る黒猫を呼び止めてドライフードを出してみたら警戒しながらも食べて行った。それからちょくちょく現れるようになった、まだ幼さのある雌だったがお腹が大きくなり始め、ウチの2匹の食べ残しベースだったのに新規じゃないと食べなくなり食事量も回数も増え、そのうちどこかで出産したようで現れる頻度が減っていた。7月初頭には食事をくわえて去って行ったり皿の前で仔猫を呼び寄せるように鳴き続けていたりしたが子供達はなかなか姿を現さず、7月7日、クラブランから帰ってきてようやく目撃する。しかし警戒心が強くすぐ隠れてしまうので何匹なのか分からない。夕方2匹と判明する。

 7月10日、台風が迫りつつあるのでカミサンが一家のためにログハウス風犬舎を購入、設置。入ってくれるだろうか。残念ながらこの日は現れず。しかし翌朝はクロ(まあとりあえずの名)が現れ、犬舎のなかに置いておいた食事をくわえて去って行った。夜になると親子3匹で小屋の中や屋根に上ってくつろいでいたが仔猫のほうは人間の動きにすぐ逃げてしまう。こうして次第に3匹そろって朝晩のメシを要求するようになるが本宅はどこにあるのか晩飯後から早朝まではいない。

<黒いと何が何だか分からないが、縁台の上の3匹>

 家猫のコマサとムギは紐につないで外に出すのが日課。コマサは庭側より道路の見える玄関側に繋がれるのが好みなのでそれ程彼らを気にしていなかった。娘のムギは庭が好みなのと神経質なので折り合いが悪く、顔を合わせぬよう見計らって出すのが一苦労。

 仔猫たちは元気に駆け回り取っ組み合いをしたり木に登ったり洗濯物に飛びついたりしている。彼らは物置が気に入って家にしてしまった(クロだけは夜中はいない)。よくある金属製のガレージなのだが中は車ではなくオートバイが3台と自転車が4台、ベースアンプが3台、ボール盤やエアコンプレッサー、ドリル、サンダー、電ノコ等の工具、オイル缶や各種スプレー缶、バイク部品などでゴチャゴチャなので本当は入れたくない。これでもバイクにかまけていた頃はもっと整然としていて、「モトメンテナンス」というバイクいじりマニア雑誌や他にも2誌に紹介されたこともあった。そもそもある程度整理されていないとオートバイの出し入れが出来ない。しかし自転車一辺倒になると、置き場は隙間があればなんとかなってしまうし整備もどこでも出来るのでいつしか整頓とはほど遠くなってしまった。で、猫を入れたくなければドアを閉めれば、と思われるだろうが夏場は高温になってしまうので窓だけでなくドアも開けておきたい。そこで開放したドアの下半分をプラスティックの波板と角材で作った高さ120cmの簡易ついたてでふさぐようにした。しかし好奇心旺盛な仔猫は果敢にもこれに飛びついて出入りするようになってしまった。大雨の日にはつい下に隙間を開けて出入りしやすいようにしてやったのでもう面倒くさくなってしまって殆ど開けっ放しである。彼らが中の物で怪我をしたり自転車のタイヤに噛みついたりしなければ良いのだが。メインのピナレロとカレラは玄関内なので安全だが、何しろ庭のホースは丈夫なナイロンネット編み込みタイプだったのに穴だらけだもんな。


その92 HAYAKAWA 東海ツアーなど ('02/ 9/27)

 22日は2月レコーディングに3曲参加して以来の割礼およびチェロ。渋谷・屋根裏で<割礼15周年記念>の3本立ての1本目。1本目が昼間でワンマン+ゲスト(さねよしいさ子vo、山際英樹g、早川)、夜が対バンあり、夜中が灰野敬二氏とのジョイント。前の週のリハでチェロの勘(正にカンで弾いているのだが)を取り戻し車のなかでMDを聴き直し熟考をかさね臨む。最近使い始めたBOSSのエフェクター型チューナーの反応が良く演奏しながらピッチを確認出来るので、そういうレベルの問題以上のところに集中できたと思うのだが。なにしろステージ上では自分の音は殆ど聞こえないのだ。
 割礼は今のメンバーになって益々その独自の世界を強めている。

 23日、セブンゴッド・プロの麻田さんが貸してくれた、トヨタ・ハイエース・ロングハイルーフ・ディーゼルターボ4WDにベースアンプ、ドラムセット1台(植村)、それぞれの楽器類、荷物を積み込み10時半アケタ前出発。初日の豊橋を目指す。連休の混雑を予想していたが順調過ぎて4時入りの予定が3時前に着いてしまう。

 

 

<他人の車は運転しない>宣言をしていた植村だが昼飯後の眠そうなオレを見かねてか45分ばかり交替。

House Of Crazy は COIL で度々来ているBlues、R&Bの雰囲気たっぷりの店。ステージがやや狭いのでセッティングを決めるまでなんだかんだ言っていたが意外とすんなり収まった。ベースアンプは店のTraceElliotを使用。リハ後ホテルにチェックイン、すぐ出て中華屋で食事後本番。果たしてお客はいるのだろうか。前日の割礼でも、俺からしてみれば人気バンドなのにリーダーの宍戸君は「5人くらいだったらどうしよう」なんて楽屋で言っていた。そういうモンなんだな、バンマスってのは。ステージ裏からぞろぞろ出ていくと、予想以上の入りで6月のCOILより3割くらい多く安心。ちょっと志が低いか。全員生音でドカンドカンと気合いが入りつつもバランスを崩すことなくいい演奏が出来た(と思う)。
 豊橋のジャズ系統の古参、グロッタのマスターが打ち上げをセットしてくれて入り口に古いDUCATIの単気筒がディスプレイしてあるシックなイタリアン・レストランにて十数人でワインやビールを飲みまくり食いまくる。H.O.C.のマスターもグロッタも「素晴らしかった。次回はもっと集客する!」と言ってくれ、ワシは感涙にむせんだ。ホテルに帰ってからジュンと北澤が買い出しに行ってきた酒を飲んで更に盛り上がる。

 24日、何時に寝たのか覚えていないが兎に角寝不足である。チェックアウトしてさっさと四日市を目指し、宿泊先のブルース・ハープ奏者の松井君の豪邸に転がり込みビールを飲んで耳栓+安眠マスクで完全武装して昼寝。今日の会場 VeeJay は諸般の事情により8時まで音を出せないということなのでのんびりする。6時前からセッティング、メシ。8時45分演奏開始。騒音苦情が予想され1曲目は押さえ気味だったが徐々に(すぐに、だったか)ヴォルテージは上がり、気疲れはしたもののいいところまで行けた。2ステージ目にPugBug をやり松井君も参加。アンコールでもMasakomasaShaffleに参加してもらった。打ち上げは焼き肉屋。松井君宅に戻ったのが3時半、オレと植村は4時に就寝したが襖を挟んだ居間ではメンバー、松井、マスターなどなど10人くらいが6時まで呑んでおった。

 25日、早起きのオレは勿論また寝不足である。旨い旨いと評判の鰻屋で昼食。土用の丑の日には店を開けないという、強情そうな店なので店内を見回しても見あたらない山椒を要求したりせず素直にそのまま食べる。確かに旨かったです。でも運転でビールが飲めない悔しさが。


  肝とニラの卵とじ鉄板焼き


   丼からはみ出した鰻がそそる


 さて、HAYAKAWA全国ツアーも最終日、名古屋トクゾー。今回一番でかく出せるので店のアンプと自分のと二台鳴らしてやる。ワッハッハ。皆も昨夜の反動でバキバキである。しかしそこはオトナのバンド、自制心も少しある。そこへ新幹線でやってきたカミサンが1ステージ後に楽屋に「みんなもっと大きくていい」と言いに来た。俺知らんもんね。昨日でさえ「音が大きくて良くわからなかった」なんて感想をアンケートに書いたヒトがいたっていうのに。そして更にデカくなったかどうかは別にして、実にすがすがしく終演。メンバー全員耳鳴り止まず。
 いつもの<味仙>で打ち上げ。お疲れのせいかシンプルにお開き。トクゾーに戻って少し飲んで終了。オーナーのブルースマン森田氏も喜んでまたやろうと言ってくれ(本心だろうな?来ちゃうぞ)、バンマスとしては肩の荷が下りた。ツアーをもっとやろうとうるさいメンバーもいるし皆さんからご要望も多いので考えなくてはならんが、こう見えても気苦労が多いんだぜ、バンマスともなると。

 ご来場の皆々様、二日、三日とオッカケをしていただいた方々、宣伝活動をしてくれた有志の方々、ライブハウス関係者各位、その他色々手を貸してくれた皆様、心から感謝しております。

 


その93 Kowloon-KualaLumpur('02/ 10/28)

 10月4日、HAYAKAWA at Buddy。この日は渋さ知らズがらみのバンドのロシア・ツアーに駆り出されてしまった、いつものサウンド・エンジニア田中君に替わって、おそれおおくもGOK Sound の近藤さんが来てくれた。いやあ、全然違うもんである。勿論田中君は田中君で素晴らしいが。アンケートでも殆どの方が音響の良さ(抜けが良かった、細部まで聴き取れた等)に触れていた。さすが師匠。バンド自体もツアーでヴォルテージが上がっている。

 7日、ソロアルバム<Kowloon>の先行発売ライブを渋谷 7th Floor にて行った。林栄一、渡辺隆雄、藤井信雄と4人。CDにはない組み合わせである。JAZZった。

 8日午後1時30分、マレーシア航空機でクアラルンプールへ。Pete Teo という、Vo &アコースティック・ギターの中国系マレーシア人のレコーディングに呼ばれたのである。他のメンバーは;Lewis Pragasam/インド系超絶技巧のDs,Percで伝統音楽にも通じたこちら諸国のオオモノ、Sherry;マレー&アラビア系ギタリスト/今回はアコギだが携帯の着メロはレッドツェッペリンだし暑いのに皮ジャンだしTシャツはメタリカだし志村けんのファンだという小柄な長髪男、それにRonan Chris Murphy;プロデューサー兼エンジニアのアメリカ人でトニー・レビンやテリー・ボジオを手がけたりキング・クリムゾンの録音をしたり今回のようなインディーズ系にもかかわったりと多忙な大男。
 基本はギター弾き語り、一口で言ってしまえば静かな音楽だからいささか不得手ではあるが、ローナンが事前に俺の音を聴いていて「方針を変えた。ハヤカワそのものでやって欲しい」と言ってくれ(たのだと思う)、楽しく仕事が出来た。9日から4日間リハーサル、1日おいて14日からレコーディング開始。ところが13日にシンガポールのフェスに出ていたルイスがバリのテロの影響による向こうの空港の大混乱で帰国時間が大幅に遅れてこちらは夜までスタジオで待ちぼうけのうえ中止になり15日午前中から始まった。
 スタジオの機材はいいのにメンテナンスがなっていないからローナンは初日てんてこ舞い。しかしさすが百戦錬磨、特にフレットレスはいい音で録ってくれ我ながら感激。ミキシングルームにプレイバックを聴きに行くと、いい出来の時は出番待ちのシェリイが「トッテモダイスキどらえもん」とヘンなうたで讃えてくれる。
 二日目を終えて飲みにいったら、実は今回トニー・レビンが予定されていたのをピートとシェリィが俺にしたいと言ってくれたというのを知った。「彼は完璧だがハヤカワはデンジャラス。それが必要なんだ。」、ん〜、気分いい。単にギャラの違いのせいだったりして。
 しかしこう連日では夜遅くなってくると英語が面倒くさくなって(もともとダメだけど)ピートやローナンに<Oh! This take, you play perfect!><You genius!!>なんて言われても日本語で「そう?でも聴き直さなきゃわかんないよ」、「ここはさあ、8bars にするってWe decided in riharsal だろ?」なんて具合である。次第に、朝の迎えの車の中で「良く休んだか?」なんていうのに返事しながら<あ〜今日も1日英語かあ>という感じになって来る。女の子のことなんかでくだらない冗談をいっているウチはいいんだが、<うん、今言ったのウケたな>なんて思っているうちアタマが付いて行かなくなって適当に相づちを打っていると「で、日本はどうなんだ?」「へ?(何の話だ?)あー、It's very difficult in Japan」で医療保険制度の話だったりするんだな、これが。やっぱり多人種を相手にしてきたからヒドイ英語に慣れているのか、ローナンが間に入って通訳(?)してくれることも。ピートもシェリイもロンドン仕込みのちゃんとした英語を話す。

 まあそんな有様で録音4日目18日にベースとドラムの分は終了。19日昼はメンバーと友人達を交え郊外の山に出かけた。昨年の<その63>に登場の老婦人の山荘でマレー料理を味わう。夜は西野氏宅へ招待いただき、かわいい三姉妹と麗しい奥方の賑やかさに圧倒されつつ刺身各種、アボカド、納豆などで手巻き寿司。更に本職並みの西野氏の握りも味わう。そのあと全員でインド人街のナイトマーケットをぶらつき、一番ダサいジャケットのCDを二枚購入。
 20日夜9時の便で出国。日本人学校の和田先生のスズキ・スイフトによく似た国産車で、途中おいしいケーキをごちそうになりつつ空港に送ってもらった。おまけに空港隣接のホテルで夕食までおごられた。センセイは26歳、普通世間じゃあこのトシの男がこんなに年下の女性に払わせないよな。しょうがないね、バンド屋って。

今回の主な飲み食い;
10日昼:骨肉茶(バクテイ):骨付き豚の漢方鍋。えのき、白菜、油揚げ、湯葉がはいる。
   夜:紙包鶏(ズーパオジ又はPaperChiken):紙に包まれた鶏の蒸し焼き。/淡水エビの辛焼き
11日夜:高級焼き肉店(ジンロ小瓶を西野氏と2本開け最後は椅子から転落するが見事着地)
12日昼:バングサの中国系カレー屋でフィッシュヘッド、チキンなど
12日夜:日本人学校の奥脇先生と山口カメラウーマンの2名のうら若き方々に誘われ四川鍋。紹興酒飲み過ぎ。その後先生のVolvoでナイトマーケットに案内され布など購入。2人に煽られ派手な中国服を勝ってしまったが・・・。
13日夜:ピート宅でバーベキュー
14日夜:再び骨肉茶
16日夜:寿司
17日夜:再々骨肉茶
18日夜:再び紙包鶏/淡水エビのゆでたもの
  その他ジャラン・アロー(半路上食堂街)の蝦ソバ、ワンタン麺など
  スタジオ近くの中華食堂、インド食堂など

ホテルの朝食:食券に<AmericanBreakfast>と書いてあるのに毎日焼きそば、焼きビーフン、ピラフ、激辛小魚カレーなどのビュッフェ。朝から夜まで同じような日もあったな。忙しかったから仕方ない。


夜中のジャラン・アロー/左からローナン、ピート、シェリイ


バングサのカレー屋/ピート、ローナン、カメラマン、映画製作者のデイン、友人のリンさん、シェリイ

 


当地ではこのように飲み物はポリ袋+ストローで売られることが多い。ホットコーヒーをすするローナンと俺。

タブラの音を出す壺を叩くルイス


バクテイ食堂


バクテイを出てから夜店のドリアンを品定めするピート。「猫生王」というのか。このまま路傍のテーブルで食す。そう言えばホテルのエレベーターには<ドリアン持ち込み禁止>のマークがあった。それくらい強烈に匂う。

 

こんなん、いつ着るんや?


       紙包鶏

 

 
高床式の山荘

 


   ここで供されたマレー料理

 そして帰国翌日から<Kowloon>発売記念ライブ2Days at AKETA's。

22日<アコースティック・パート>。林栄一as、藤井信雄dsとのトリオ。一晩ウッドで通す。このメンツでのアルバム収録2曲のほかソロのEthology(旧名<俺は悪くない>)やTango(CDでは翠川氏とデュオ)その他の自曲に加え、モンクやR.カークのものもやった。

 23日<エレクトリック・パート>本来前日に組みたかった翠川氏のスケジュールが合わなかったためこちらに。ほかは渡辺隆雄tp、関根真理perc、それに吉田達也が国外のため助っ人に植村昌弘ds。tpトリオで録った2曲のうちアマツキツネは3+perc、OffTheDoorや一人多重で録ったDownDownを全員など、CDとは違う編成でやってみたがなかなか面白い。こんな顔ぶれのバンドもやってみようかと思った。翠川氏や真理ちゃんとのデュオはそのまま。翠川氏の緑化計画の曲もcello+perc+ac.bで1曲。

 

 ついでに今回のタイトルについてよくある質問への回答;
Kowloon:かつて香港にそびえていた魔の巣窟、混沌の回廊「九龍城」。
Kinabalu:俺としては東南アジア最高峰のボルネオ・キナバル山に思いを馳せたのだが向こうではリゾート地のコタ・キナバルを連想するらしい。
SambalChili:シンガポールやマレーシアで何かと出てくる唐辛子の薬味。紙包鶏の左上に写っているもの。

 

 ピートに進呈したら彼はなんとキナバル生まれ、少年時代には香港にもいたので「オー、カウルーン、キナバル!!」と喜んだが、どうして付けたのか、行ったことがあるのかと訊かれ、実は九龍城は10年くらい前に近くを通っただけ、キナバルは未知(今回の帰路1時間コタ・キナバル空港で待たされたが)。うかつだった。 

 さて明後日からは今度は寒そうなヨーロッパ・ツアーに出る。おそらく来月末までは更新が出来ないだろう。
皆さんごきげんよう。


その94 藤井郷子カルテット Europe Tour #1('02/ 12/31)

10月31日12時45分発のスカンジナビア航空機にてコペンハーゲンへ、11時間。1時間15分でヘルシンキ行きへ乗り継ぎ。現地時間午後7時過ぎ着。目指すはタンペレのジャズ・フェス。迎えのフォードのミニバスに揺られホテルに着いたのは9時半、日本時間朝4時半、即ち家から20時間の旅だった。ホテルのレストランがもう終わりだというのでかすかに雪の舞う中近くのレストランへ4人で出向き食事。フォッカチオを注文したがイメージとは程遠い巨大ハンバーガーのようなパンに生ハム、トマト、オリーブ、クリームチーズがたっぷり挟まったものだった。まあ味は悪くない。メルローの赤を2杯。帰ってパソコンをネットに接続しようと試行錯誤するがIT先進国なのに繋がらず。諦めて12時頃寝るが2時間半で目が覚める。再度接続に挑戦するが徒労に終わり、出発前夜のHAYAKAWAのライブMDを聴きつつうつらうつら、終わると目が覚めるというのを2回繰り返したあと浅い眠り。


    会場の建物とバンマス夫妻

 1日、8時にあきらめ起床。雪が降っていて外は真っ白。頭を剃って朝食。再びうつらうつらしていると昼食の誘い。フェス配給の食券で近くのパブで食事。ドナケバブとビール。スーパーでワインとビールを買って帰る。眠いが少し楽器をいじりパソコンで曲作りなどしてから夕寝。6時半〜8時頃までフェス会場周辺をうろうろ。部屋に戻ったらプレス・レセプションに出ていた夫妻が帰ってきたので4人で会場の2階の関係者用レストランで食事。ニシン、インゲン、トマトなどのサラダ、煮込みライスなどと赤ワイン。9時からの最初のバンドを観るがボワーっとしていてつまらないので上でワインを2杯引っ掛け帰って寝ていたら会場に売りCDを持って行こうと起こされる。2つ目のバンドも似たようなアンビエント系。関係者食堂に飲みにいくが既にワインは終了、ビールを飲む。CD売り場でD.Fiuczynski'sHeadlessTorsosを購入。アケタさんのCDが数種並んでいていささか感激する。ホール・ロビーのようなところにもステージがあり3つ目のバンドが12時半頃から始まったがこれも同系統ですぐ帰った。

 2日9時過ぎに朝食。粉雪。食後やっとネット接続が出来た。昼12時からセッティング、リハ。バックステージ・レストランで食事後2時から本番。しょっぱな。いざステージにあがったらエフェクターのACアダプターがいかれたようで電源が入らずスタッフもトランスなど持って来てしばしドタバタする。ディストーションが使えないのは困ったが電池を入れている暇はないし弾き倒せばよいのだからと諦めダイレクトで行く。後でバンマスに「いつもは余裕でカッコ付けているのに今日はトラブルのせいで真剣で良かった」などと言われた。心外だ、私はいつでも真摯に取り組んでいる。分かってないな、俺は元々カッコいいのでカッコつけてるワケじゃないのだよ。
 2つ目の、年配のTb兄弟とac.g,el.g のカルテット<ドッペルモッペル>の演奏を少し観て一旦ホテルへ帰ったが熟睡。1時間少々で起こされ再び会場へ行き3つ目のフランスのEKOVAという、女性のVoとウード、パーカッション、サウンドプログラマーなどから成るバンド、まあ面白かったが2曲観て昨日のパブで夕食。サーモン・ステーキとワイン。これはなかなか旨く、夏やんは今回ツアーのベストにランクしている。そのあと休憩に入った会場でビル・フリーゼルのリハをちょっと見てからCD売り場でCDを回収して帰り(2枚売れた)7時半ごろ寝てしまった。2時間ほどで目が覚めた時はもう朝の9時半だと思って大慌て。寝冷えしてしまったようで寒い。メール後ビタミンCとビールを呑んで就寝。

 3日9時15分車でホテル出発。11時ごろヘルシンキ空港着、英国を目指す。乗り継ぎのコペンハーゲン空港の売店でACアダプター(250V→直流可変)発見、購入。ロンドン・ヒースローに現地4時着。大量の荷物を抱え地下鉄で40分、アールズ・コートの小さいホテルへ。狭く傾いた階段で4階へこの荷物というのはオオゴトだった。小さい中華屋でメシを食ってから夫婦の部屋でワインをあけ自室に戻って「イーストウィックの魔女たち」を見つつ11時過ぎ就寝。

 4日。時差ぼけは相変わらず、1時半に一旦起きてまた寝たが4時前に目が覚めてしまった。朝食後コインランドリーに行く夫妻にTシャツ4、パンツ4、靴下3を頼み頭を剃って朝寝。11時のチェックアウトを1時まで延ばしその後荷物を置いてチャイナタウンの夫妻お気に入りの店に飲茶を食べに行く。アールズに戻ってからスターバックスでコーヒーを飲んで時間潰し。5時、エージェントのヤニンカと稀覯本ディーラーに勤めているクリスの運転するエスティマでラジオ局へ。ここがすごかった。楽器店の並ぶストリートのインド・レストランの奥にあって、ドアをあけるとすぐ狭い通路とスタジオがあり、荷物を車に残しておくと危ないというので全部ここに運び込んだ。アンプもドラムもピアノさえも無いのに最低1曲はライブをやってくれと言う。前の番組が終わるまで居場所が無い(!)ので楽器店を見てから隣のパブでビール。7時からのオンエアー直前に部屋に入りラップトップより小さいミキサーにベースのラインをつっこみ、吉田のキーボード付き携帯サンプラーも繋いでバンマスが弾くことに。マイクが1本立ちトランペットと吉田の小さいダルブッカを拾う。チェックもくそもなく番組スタート、狭い階段の2階でDJがCDをかけ喋る。カルテットのCDから1曲、それから演奏開始なのだが上と下の伝達手段がなくアシスタントが駆け下りてきてキュー、約8分超のフリー・インプロ。途中サンプラーの電池がなくなりバンマスはヴォイスになった。終っても上には分からないものだから「終ったよ」とマイクに言う。そのあと高円寺百景がかかっている間に上にあがりトーク。次にKowloonのDownDownをかけるが凄いノイズで中断、別のCDプレイヤーでかけなおそうとして流れたのは「この曲は全部一人でやった」と説明していたのにHAYAKAWAの294。終了後訂正をいれ改めてDownDown。これで大分時間を食い、トークに交え田村・藤井デュオや吉田のほかのプロジェクトをかけているうちにカルテットのものを流す時間が無くなってしまい最後に新作からの曲を1分弱でフェイドアウト、番組終了というドタバタかげんだった。放送中にも次の番組の老DJがLP盤をかかえて入ってきて俺たちとマイクの間をかがんで横切ったりと、すごい所だった。隣のインド・レストランで食事後出発、1時間強走ったところのモーテルに宿泊。

 5日、いかにもイギリスという感じの羊や牛が放牧されているなだらかな丘陵地帯をひた走る。北ヨークシャーのブラウディというところが公演地。途中築数百年と思われる石造りのレストランで昼食。ラムを食べたが肉は硬くソースは塩と砂糖が多すぎ。ヤニンカたちのお勧めだったのだが。夕方宿泊地の小さな町の築400年のホテルに入る。そこからブラウディは30分ほどの村であたりは真っ暗、果たして人がいるのかというようなところの会場TheShedは平屋の公民館みたいなところだったがまあまあ。

 


ラムを食べたレストラン

 

 6日、リーズのTheWardrobe というロック系らしきライブハウスで盛況。しかし終了後主催者のジイサマに1杯づつビールをおごられただけなのに皆さんなんとホテルに直帰、おやすみ。トラベルロッジという立派な新しいところなのだがフロントにはジュースしかないし部屋にはなにもない。あれれ?で1時前就寝。

 7日5時過ぎ起床。弾けない難新曲を1時間半近くかかってパソコンに打ち込み練習。腕立て、腹筋を終えシャワーを浴びて朝食後9時ロングドライブに出発。会場はエクセターのPhenixという小ホール。昨日シールドを忘れてきたことに気づく。ここはPAマンが全然ダメで皆これ以上要求しても収拾がつかないと諦めムード。しかし本番自体は好評のうち終了。宿はそこから1時間の野生の馬の産地(?)の農村の民宿。宿のオーナーは元銀行マンでかつて丸の内にもいたそうでさりげなく廊下に紅葉や神社の写真が飾ってある。今日はちゃんと会場でワインを1本確保。ヨーロッパにはコンビニはそうそう無いし商店は早じまいだしこれが大変なのだ。結局クリスがホールのバーで買ってくれた。持って帰ると眠いくせにみんな群がってきて12時過ぎ帰宿後2時半まで俺の部屋でぐたぐた。

 8日4時間近いドライブでロンドンへ。昼3000円くらいの大丼入りキノコリゾットを食べたが始めは良かったけど中ほどから下はオリーブオイルとチーズからの油か、ギトギトで食えなかった。会場はTheSpitz という大きいクラブ。ここが今回一番いい状態で演奏出来た。機材はレンタルのトレースエリオット。これもデカくて良かったがなんといってもミキサーのジュマイナちゃんが素晴らしかった。アンプのセッティングの時に女性にはちょっとためらう力仕事をてきぱき手伝ってくれたし、サウンドチェックの時にエフェクターを踏んでくれと言われ必殺ディストーションの田中製作ScreamingFuzzをグギャ〜ンとカマしたところコブシを振り上げ喜んだ。その後全員でのチェック時、どこへ行っても問題になる、ステージ上でドラム&ベースの音量に対してピアノが聴こえにくいという状況。もっとモニタースピーカーのピアノのヴォリュームを上げてくれと言ったところ「これ以上はハウリングするから無理。でもすごくエキサイティングでいいサウンドだからベースもドラムも音量を下げるな。このままで聴こえにくくても我慢してプレイせよ。外の音はいいバランスに出来るから心配無用。」という趣旨の言葉。

こんないさぎよいこと言うエンジニアはそうそういない。結局のところ大変気持ち良く演奏できたと皆絶賛した。訊けば彼女もテナーサックスを吹くミュージシャンだそうで、ふ〜んと納得。そして翌朝6時台のオーストリア行きフライトに備えてナントカ空港近くのモーテルへ1時間半のドライブ。晩飯食う暇なし、途中のガソリンスタンドの干からびたサンドイッチで我慢。酒も入手できずわびしく就寝。大英帝国滞在はこうして寂しく幕を引く。

 


その95 藤井郷子カルテット Europe Tour #2('03/ 1/13)

 11月9日、2時間の睡眠でモーテルを出発、6:45の飛行機でザルツブルグ、更に車で1時間走りウェルズに到着。3日間のフェスティバルの2日目、5〜6バンドの2番手でドカンとカマシてやった。前日に出ていた山塚アイ・大友良英も喜んでおった。本心は知らんが。P.ブロッツマンのバンドが二つ後だったが眠くて帰った。 

 10日はオフでそのまま滞在。会場のレストランで飲み食いしながらちょくちょく覗いたフェス、ハン・ベニンクとハミッド・ドレイクの2ドラムに若い2ギターTerrie Ex, Andy Moor のユニットがデタラメで面白かった。ベニンクのデタラメにはやはり年季と重みがあるな。トリは迫力のデブ・バアサンEsma Redzepova<Vo>のバンド。トランペット、クラリネット、アコーディオン、ダルブッカ、キーボードという編成のジプシー・ミュージックで感涙にむせぶ。でもどの曲も同じ感じなので暫くすると飽きてしまった。感激は何処へ。

 11日ウィーン。Miles Smiles という小さい店でピアノはエレキ、ドラムはTamaのマヌ・カッチェ・モデル子供用という珍しいもの。ベースアンプもHertkeの小さいやつで「これしか用意できなくて済まない」と言われる。ピアノは普段の鬱憤を晴らしに音量を上げてきそうだし、ドラムも良く鳴ると達ちゃんは言ってるし、「今日はオレが一番音が小さい」と宣言していたのに本番になったらデカくなりました。いいアンプだ。店のオーナーはDr.梅津バンドを二回見たことがあるそうで終演後は懐かしのドイツ盤LPを出してきて酒も進んだ。

 12日、5時起床6時出発7:30ウィーン発9:25パリ着。電車でパリ・リヨン駅へ30分、ここでの列車の乗り換えがさっぱり分からずインフォメーション・センターでも英語が通じずサトやん苦戦、11:15の発車30秒前に飛び込み乗車、大汗をかく。2時間半の行程だが食堂車も車内販売もなし。そしてやっと着いたNeversの街、ホテルに荷物を入れメシを食いに出たら2時からどこも昼休みで散々歩いた末仕方なくスーパーで総菜とパンを買うがここのレジのおばさんがこの世のものとは思えない遅さでおまけに俺達の時に釣り銭切れになってしまい、ホテルに戻ってようやく食べ始められたのは3時15分。あー、もうアッタマ来た。うまかったけどね。
 会場は古い教会のような、フレスコ画の描かれた丸天井の建物。サウンドチェックでエンジニアに「ベースとドラムが大き過ぎる。なぜならピアノは静かな楽器なのである。」とアホみたいなことを言われる。8時半開演、終わって用意されたレストランで食事&ワイン、そして翌朝も早いのだ。

 

13日7時出発、パリに戻りあのオオゴトの乗り換えをまた行いベルギーの古都ゲントへ。会場はVooruitアートセンターというところ。86年にDr.梅津バンドでやった場所である。主催の男性は当時スタッフの手伝いをしていたそうだ。近所の小さいバーのようなレストランで本番前に食事。彼と俺と達ちゃんでワインを1本空けた。アメリカからのts,eb,ds のトリオが前に演奏。ここはメシもスタッフもよろしかったので演奏も大変よろしかった。

 14日はワルシャワへ移動。翌日のリトアニアへの経由地としてだが16,17の主催者であるマルティンが日本レストランへ案内してくれ寿司を食べた。実はウィーンの本番前も寿司だったのだ。何故かイタリア人の韓国寿司だったが。マルティンはソニーに勤めている日本アングラおたく、携帯着メロが大友君の絶叫曲なので鳴るたびにたまげる。


その96 藤井郷子カルテット Europe Tour #3('03/ 1/20)

 11月15日、ワルシャワからリトアニアの首都ヴィルニウスへ向かう。ワルシャワの空港では我々の周遊券状のチケットを見たことがないらしいカウンターの連中と一向に話が進展せずあっちへ行け、いや向こうだとたらい回し。おまけに変なところに荷物X線検査台があり何度も同じ兵士の同じ検査を受けるというバカバカしさ。ついにブチ切れた我がバンマスがねえちゃんを締め上げて上のフロアの旅行代理店になんでも知ってるオジサンがいることを白状させる。行ってみると小部屋に銀髪長身トレンチコートの男性が一人だった。我々の、と言うかサトやんの説明を聞いて快くオフィスを閉めてカウンターに同行してくれあっという間に問題解決。搭乗券を手にするまで一時間、普通ヨーロッパ内の移動は国内線感覚だから乗り遅れ必至だがたまたま送ってくれたマルティンの都合で早めに来ていたので助かった。このあとまた、何だったか忘れたがトラブルになり、他の客といたオジサンに助けてもらう。自由にカウンター内を出入りしていて、推察するに社会主義時代の空港幹部職員が自由化後自分でオフィスを開いたので顔かきくのではないか。
 こうしてオジサンとサトやんの活躍によって(自分のバンドを俺が引率してたら絶対無理だもんね)、19歳の時に乗ったYS11以来のプロペラ機で着いたリトアニアの空港は中位の古い鉄道駅といった風情。会場はいかにも社会主義国調の威圧的な大劇場。第一回VilniusJazzFestival は主催者・スタッフともども興奮気味でやる気満々、観客も熱狂的であった。しかし我々のあとに演奏したオーストリアのエリントン・トリビュートのビッグバンドも同じ様に大受けだったので何でもいいんだろう。打ち上げはでかいナイトクラブで先程のバンドや地元の連中、翌日出演のアメリカからのLesterBowie's BrassFantasy のメンバーとセッションをするように主催のゴッドマザーから強く言われていたが隙を見てトンズラ、ロシアン・マフィアのイメージそのもののドライバーに超豪華ホテルへ送ってもらった。

 翌16日、まず12時にホテル出発ちゅうんがポーランドとリトアニアは時差が1時間あるのだが、つまりリトアニアの方が日本に近くて1時間早くて、腕時計はここに合わせてあった。で、朝飯にいつも一番乗りの食いしん坊・吉田が俺がのんびり食っている時に現れたので(時差忘れ)笑っていたのに部屋に帰ったら無意識に腕時計はバッグの底へ、標準ヨーロッパ時間で目覚まし代わりの携帯がテーブルにあったワケ。なんか今日は余裕あるなあと思いつつ腕立て腹筋背筋をして頭を剃りシャワーを浴びゆったり荷造りをし始めたら「迎え来てるよ」とロビーの夏やんから電話。1時間間違えていたことに気づき(なにせ部屋が馬鹿でかく奥行き25歩くらいあるのでとっちらかったモノを集めるので大変)大慌て。で空港に行ったら今度は凄い霧で欠航が続出している。ウィーン行きが飛ばなくて昨日のビッグバンドは路頭に迷っていた。ロンドン行き、コペンハーゲン行きなどが次々と欠航になる中、ワルシャワ行きはプロペラ機なので多分最低基準の視界がジェット機より低くてOKなのだと思うが40分遅れで出発。あー疲れた。そうそう、ここの空港はなんとレストランもカフェも無かった。
 会場の JAZZGOT は古い立派な建物の中に劇場と併設されているライブハウス。演劇上演中は音が出せないためチェックは6時半まで、本番は9時半;実際は10時15分から開始。満員バカ受け。CDはGwoh-In2枚Kowloon6枚を置いてあったので休憩中宣伝文句を枚数文メモ用紙に書いて挿入しに行ったら既にHAYAKAWAは無く残っていた3枚のソロに紙を入れていると次々売れてしまった。あー、部屋からもっと持ってくればよかった!!アンコールも2回、それでも終らずピアノソロを1曲やってようやく終った。ビールとワインをかっくらっていろんなヤツにつかまって話し込まれたが1時半頃退散。部屋でリトアニアの免税店で買ったスペインワインをあけようとしたらコルクが崩壊して中に落ちた。しかたなくなるべく飲もうとしたが半分でアウト。

 という期せずしてなった二日酔いのなか、17日11時ホテル出発12時発の「速いノンストップの特急」で400km3時間もかけて(全然速くないじゃん)クラコー(Krakow)に向かう。観光名所の古都。レストランやカフェがいい感じである。会場はレンガ造りの地下のワイン蔵を改造したクラブ。ほぼ満員、9時過ぎ開演11時半終了。何杯か飲んでホテルに徒歩で帰る途中ケバブ屋があいていたので買って食いながら帰ってきたがすごい量。ソースが辛くてビール!!と思ったら部屋に冷蔵庫なし。フロントもとっくに終っている。なんでこんな酒飲みの国が・・・。しかたない、洗面所の水のんで寝るか。


 バザール


 深夜のケバブ


食堂車にて、ここの代表的料理だというBigos。キャベツと刻みソーセージの煮物、素朴で旨い。

 18日は諸般の状況により公演中止。しかしカリスマ的人気を誇る吉田達也は断り切れずにドラマー3人でのインプロ・セッションをすることになったが俺は休み。クラコウで散策・買物をして2時の特急でワルシャワへもどる予定だったがあいにくの雨で12時の便にした。3時過ぎホテルに入り一人で街に出る。ここは共産主義時代の面影が濃く、無表情な官公庁街的趣だったが少し歩いたらショッピングセンターを発見。1階はスーパーと周囲に置物やアクセサリーなどを売る小さい店から成り、2階は吹き抜けの回廊で中古テレビやプラモデル・ショップ、アクセサリー、携帯電話、工具、自動車部品、洋品、ジーンズなどの店。これといったものはなくスーパーでヒゲの軍人のマークのSTRONGというビールと土産用にチーズ2種、スパイス2種購入。そこから裏通りに出たらガクゼン、4時過ぎでもう真っ暗の中、駅の売店状の小屋がどーっと並んでいてソーセージ、燻製魚、ピクルス、チーズ、アクセサリー、靴、カバンなどそれぞれ専門店がひしめいている。街灯がないんでよく分からないがかなりの面積の広場に碁盤の目のように並んでいるようだ。明るいうちにこっちを歩けばよかった。いままでポーランド人ってみんなおしゃれでいい服着てて颯爽としたエグゼクティブ風でハナシが違うじゃんという印象だったのがここは全く様子が異なる。庶民的で中国人もいるしいささかヤバそうな感じもある。雑誌・ペーパーバックの屋台で細長い猫カレンダーを買ってホテルに帰った。夕食は寿司、世話になりっぱなしのマルティンと彼女にご馳走する(バンマスが)。そのあと皆さんセッション会場へ。俺はあとから行くと言っていだがホテルで熟睡してしまった。

 いろいろ面白く旨かったリトアニア、ポーランドから西欧への旅立ち、またしてもワルシャワ空港でもめた。到着地ブリュッセルの空港税を払えというのだ。そこまでもたらい回し。そんなハナシ(目的地の税なんて)聞いた事ない。すごい剣幕で怒りまくって係官を前回の謎のオヤジのオフィスまで同行させたバンマスは偉い。今回も彼に助けられたが同じように時間を食った。達ちゃんがチョコレートをオジサンに進呈。どうせ残ったポーランドの小銭(まだユーロになっていない)で買ったものだと思うけど。
 さてブリュッセルでのオフ。ホテルに着いてキャリー・バッグの前面ポケットに手袋と洗濯ロープと洗濯袋に入れそびれたバンダナ1枚を突っ込んでおいたのがカラッポになっているのに気づいた。まったく、どうせワルシャワ空港に決まっている。金竜飯店で麻婆豆腐、なんとかナス、パクチョイ炒め、椎茸鶏炒めを食べる。前夜寒くて風邪気味だったがどっと汗をかいて直ったようだ。

 20日、電車でフランスのリルLille へ。ここも古い美しい町で昼にタイ・レストランで食事したがなかなか旨かった。会場はLaMalterie というライブハウス。古い石造りの、何かの工場か倉庫だったようなところ。リハでは音の回りがひどくて頼むから本番はこれ以上大きくしないでくれとミキサーに言われてしまった。本番前に対バンのドラマーの家でホームパーティ夕食。このままゴロゴロしたいが程良いところで会場へ。件のバンドはピアノ・トリオ+ギターで知性的なムズカシイ曲ばかり。こちらは破壊的なムズカシイ曲ばかり。大入りでタバコが煙くてまいった。

 

 21日、ブリュッセルからフランクフルトへ飛び電車でドイツの古都(だろう、どこも)マインツへ乗り込む。夕方一人で2時間近く街をうろつく。昼ブルッセルの空港でパスタ3種盛り合わせを食べたらひどく不味かったというのに夜は主催のおばちゃんがパスタを2バンド分(明日一緒のマーク・ドレッサーbassのトリオ)作って待ち構えているという。達ちゃんはパスしてアジアン・フードを求めて街へ。バンド6名+ドイツ女性2名+スイス人(だったか)男性1名でのパーティだったがルッコラや赤・黄ピーマンなど豊富な生野菜となかなかのパスタ類、おいしいワインでデタラメ英語を駆使。フェンネル・シードの茎というものを初めて食したが実と同じ味で美味しかった。
 22日本番。文化センターのホール、Up Art Festival の初日。マークのトリオ、フランス人2人の各種楽器やエレクトロニクス+日本女性の舞踏、そして我々が演奏した。客の入りは今ひとつだったが反応は素晴らしく、おばちゃん(俺より大分若かったが)も上機嫌で終了。これでなんとかサトコ・カルテットの02年ヨーロッパ・ツアーも無事終った。さあ、飲むぞー!!毎日飲んでるけど。

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ひとり8時間過ごしたフランクフルト空港でのメシ。
味なんかどーでもいいカンジ。

 で、実はちっとも無事じゃなかったんだよね。翌日俺だけ飛行機に乗り遅れ。夫妻はハンガリーで仕事、達ちゃんはギリシアに石見物、俺は帰国だったのだが。聞くも涙、語るも涙の顛末は別の機会に。