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その97 ああ思い出の11月23日  ('03/ 2/09)

 乗り遅れの顛末。マインツからフランクフルト空港まで各停で確か20分余りのところ、定刻に来た電車に乗り込んだ、と思ったのが2分前の特急が遅れて入ってきたヤツだったのだ。検札の車掌に言われ愕然となる。そう言えば来たときと違ってずいぶん豪華である。何せ俺は大量の荷物を車内に入れるのと置き場所を確保することに専念していたので全く気が回らなかった。今にして思えば、物価に敏感な達ちゃんがいればすぐに「これはヘンだ」と気が付いたろうが1時間後の便でギリシアに向かう彼は出がけに異常に重たいメールの受信が始まってしまいホテルに残ったのだ。最初の停車駅は空港方向と途中で分岐して40分ぶっ飛ばしたマンハイム。親切なご婦人やマンハイムの駅員に助けられ空港駅に12時05分着の特急に乗れた。俺の便は12時35分発、バンマス達は5分後のブダペスト行き。その間、ホームから電話でサトやんのドイツ人の友人に「必ず乗る!!」旨スカンジナビア航空に連絡を依頼。降車後必死でカウンターに走る。たどり着いたのは電車の少々の遅れもあり12時15分、汗だくのバンマスがペラペラとまくし立てるが「確かに電話も受けたが搭乗口から飛行機までバスだしセキュリティ・チェックも厳しいから無理」と頑として応じない。別の発券カウンターに行くよう指示され、ここでこのチケットが使える便は明日はキャンセル待ちが200人もいて明後日になると言われる。明後日はKIKI Band でPitInnだ。今夜の便は空席があるが37まんえん!げげげっ、ワタシのこの1ヶ月近い苦難の旅はなんだったのか?このまま移民になっちゃうか、何でもいいから梅津氏に電話してケンカしてバンドを辞めるのがいいか、とアタマが素速くカイテンする。そのうちディスカウントの18万くらいのチケットもあるということが分かりここでサトやん時間切れ、勿論ここまでサトやんまかせで俺は横に立っていただけだが「彼はあまり英語が得意じゃないからくれぐれもよろしく。」とカウンターのおばさんに言い残し走り出して行くのであった。さてどうするか。誰かに電話で相談しようにも土曜日でこのカウンターにも長蛇の列。一旦離れたらこのおばさんのところに戻るのは無理そうだ。明後日の便にするったって土日のホテルを探さなければならない。安いホテルのオヤジと電話で話したって何言ってんだかさっぱり聞き取れないだろう。それにこの荷物の山。第一、やっと帰れると気持ちが高まっていたのにこれから無為な2日間を過ごすのはきつい。着替えもきっちり計算していたので洗濯しないと足りないぞ。いやいや、何といってもワタシの演奏を聴きに来る方々に申し訳ないじゃあ有りませんか。ええい、ねえさん、今晩のチケットのいいとこ1枚くれ、とカードを取り出し夜9時の全日空を購入。忘れずにマイレージ・カードも提示するクールな俺。このチケット、3ヶ月以内の往復なので無意味ながら3ヶ月目の成田〜フランクフルトも予約した。あと3ヶ月延ばせれば6月のKIKI Band メルス・ジャズフェスに使えるのだが。そして荷物のカートと共に夜まで約8時間ロビーを彷徨うのであった。

 さて長旅の末迎えのカミサンと帰宅したとたんブダペストから安否確認の電話、太っ腹な社長(この場合バンマス個人としてよりレーベル・オーナーとして考えた方がこちらは気が楽であるな)がチケット代を払って下さると言うではないか。いやいや、それはオレも負担するから、とモゴモゴ言いつつ受話器を置くのであった。

 


その98 またしてもマレーシア  ('03/ 2/27)

 一昨年1回、昨年2回訪れたクアラルンプールだが、毎回世話になっている現地実業家の西野氏がついにライブハウスを開いてしまった。先月オープニングに梅津和時・板橋文夫デュオの演奏が行われ、ついで今月はCOILが呼ばれることになった。2月1〜3日の三晩の演奏。今回はな、な、なんとカミサン同行。海外に一緒に行くのは結婚のはるか前、幕末の、ではなくて84年のイタリア・ギリシア・トルコ貧困旅行以来である。猫第一主義の妻は長期に家を空けたがらなかったからであるがこの旅は慌ただしく3泊4日+機内泊、5日目の朝に帰れるので決断。

 1日正午前出発の筈が予定のJAL機のトラブルで1時間半後のマレーシア航空に変更され、ただでさえ夜6時着、店に7時半、そして簡単なチェック後演奏という詰まった行程が一層きびしくなった。でも今回で4回目となるワタシは、シンプルなJALと違ってマレーシア航空の方が各席にモニターがあり多数の映画を選べたりゲームが付いている(やらないが)ことを熟知しているので良しとした。待たされた間にソフトドリンクとアップルパイとテレホンカードしか出なかったがな。ビールは断られたのだ。欲を言えば帰りがそうなった方が食事がなかなか旨いので望ましかったのだが。

 ライブがChineseNewYear、春節と重なってしまったので西野氏は客足を心配していたがまずまず。実は初の海外となるドラムの田中栄二君、よろしいテンション具合。3人とも疲れを忘れた演奏を繰り広げ、そのまま飲んだくれる。眠くてそれほどでもなかったが。

ところでその春節、店が軒並み休んでしまうというので旨いものが食べられるかどうかというのが我が夫婦の最大の心配ごとで西野さんも先月アタマに「次の機会にしたほうがいいかも」と言っていた。PeteTeo にメールで訊いたところ、俺が行きたいような<食堂>は大体開いているというので、次回うまく妻が休みを取れるかどうか分からないしまあいいか、ということになった。
 翌日遅い朝食後、ホテルの玄関先で獅子舞が行われた。迫力の動き、ドンドンジャンジャンと音もでかく実に良かった。

 昼食はバングサの印度カレー屋。ドラムのルイスのお気に入りのところで3回目になるか。当然だが相変わらず辛い。頭から汗が噴出。妻は喜ぶ。西野氏の挑発にのり激辛唐辛子に挑戦した鬼怒・田中が火を吹く。
 夕食はリハ後にカミサンと穏やかに辛くないベトナム麺。

 この日はクルバ氏というインド人のタヴィールという太鼓奏者やディジリド奏者2名が数曲加わって演奏。まあ津軽三味線や和太鼓とのセッションでもよくそうなってしまうが名人芸応酬というか速弾き自慢大会というか・・・。盛り上がりますけど。国際親善だからまあね。

 


Coil+太鼓+筒。鬼怒はアコギをかかえて背を向けている図。


バクテイ食堂の猫

 

 三日目昼、前夜シンガポールの滞在を切り上げてライブに来てくれたピートが昼飯を一緒にというのでお馴染みのバクテイ<新峰肉骨茶>をリクエスト。これについては'01年<その62>を参照。昨年7月と10月にも行っているが。ヘルシーな薬膳風鍋。その後道を挟んだ露店でドリアン。ここも昨10月<その93 >に写真を載せている。あの時はローナンが拒絶反応を示した。この度は田中が真っ青。写真ではかろうじてテーブルに付いてはいるがその後遠くに行ってしまった。おい、俺の酒ならぬドリアンが喰えねえのかい?(俺のおごりである。バクテイが5人でビールも少々飲んで90リンギットだったがドリアン1個が50リンギットだからいかに高貴な果物であるか知れよう。)なんだか一時田中HPの掲示板がドリアンをめぐって喧々囂々だったようだがハッキリ言ってあそこまで酷評するのは異文化に対して失礼なんじゃないの?俺は旨いと思うがねえ。

この夜、即ち最終公演は2ステージ目にピートが一曲歌った。前夜、10月に参加した彼のCD(まだテスト盤)を聴いたのだが俺は自分が弾いた後アルバムがどういう仕上がりになっているのか全然知らなかった。果たしてそれは素晴らしい出来だった。スタジオで挨拶しただけだった胡弓奏者の音やルイスの民俗打楽器群によってアジアの融合が大きく出ておりここに参加出来たのが心底嬉しい。COILの演奏後こちらの若手連中とセッションもあり、三日目月曜ともあって観客数は今ひとつだったが盛りだくさん。
そして飲んだね。


    Coil + Pete Teo

 そして出国の日。飛行機は夜11時なのでのんびり。昼食は<その93>にも登場の紙包鶏食堂。残念ながらペーパーチキンは夜メニューだと断られたが具沢山焼きそばや心空菜炒め、湖水エビなどを食す。

 

夕方は買い物、夜は7月に鬼怒と夜中3時に
腕立て伏せ対決(勿論圧勝)をしたジャラン
・アロー(庶民食堂街)の手羽の店。そして
無事飛び立ち帰国。
 皆さん、西野さん、ご苦労さまでした。
連日来てくれた和田・奥脇両先生もありがとう。


その99 3月  ('03/ 3/22)

 3月1日、ついに重い腰をあげ緑化計画がCD発売、その記念ライブを録音現場である西荻<音や金時>にて行う。毎度の事ながら車で飲めない俺以外の有様は・・・。仙台から森さん御一行まで来てくれ、どさくさに紛れ自分の<Kowloon>も4枚お買いあげいただく。

 3日はPit-Inn にてKIKI Band の<新曲発表会>。全曲初演である。2曲提供。特筆すべきはこのバンドでは初めてになる新井田耕造曲。アジアン・プログレ作品、面白い!

 5日、19年前のDANGER(ドクトル梅津バンド+忌野清志郎)の再現。83年のLP盤と85年の4曲入りのレコーディング以外にはテレビ番組でアテ振りをしたのと雑誌<宝島>(当時は先鋭的雑誌だったのでアル)のイベントでちょっと演奏したぐらいだと思うが無謀にも1回スタジオに入っただけで臨んだ。しかしさすが腐れ縁の俺達、見事にこなした。ま、練習不足のアンコール曲で一瞬ボロボロになってしまったが(なんと「雨上がりの夜空に」でだ)。

 7日、東京ナミイBand ライブ・レコーディング、吉祥寺Starpine's Cafe。入念なリハーサルの結果ばっちりと行きたかったがかなりの雨だったのでワークブーツを履いていた俺はファズのボタンスイッチが靴底のゴツゴツにはまってしまい踏み損ないがあったりと各自小事故あったもよう。でもいい雰囲気だったのではないか。

 10日から15日まで6カ所連続の COIL ツアー。俺の車にルーフボックスを付け楽器と荷物満載で後ろが沈む。初日の豊橋House of Crazy はダイレクト感たっぷりでやりやすく好きな店で気持ちよかった上、またしてもグロッタのマスターにいい店に案内されベロンベロン。
 11日、当然二日酔いながら今回無理矢理自転車を積み込んできたので8時過ぎによろよろと部屋を出て駐車場で支度して遠州灘まで行った。実は自転車のために積めなかった楽器があったので走らないと申し訳ない。あー気持ち悪かった。おまけにすごい風。この日は3ヶ月連続の名古屋トクゾー。いろんな人が来てくれて演奏も盛り上がる。ツアー前から忙しかった皆は疲れたようで打ち上げはそのまま店でおとなしく終わる。
 12日、京都磔磔。年末から4ヶ月連続だ。入りは今ひとつだったがいいライブ。音出し時間の制約に即したステージを考えるべきだったな。打ち上げは中華食堂。
 13日朝走るのによさそうな京北の山の方を目指して車を出すが地図の印象と異なりいいところに当たらず市内に戻って鴨川で時間切れ。大阪へ。新しい店<Knave>は機材充実、音も良く今後も来たいところ。堺筋を挟んで道頓堀の向かいのエリアのホテルのすぐ傍「羊肉串店<故郷>」という韓国食堂で打ち上げをした。ホテルは和室でエアコン+コタツ+電気毛布まで備わっている寒さ。
 14日神戸BigApple。2時にホテルに入り店に向かうのが5時なので走る。六甲側はほんとにキツイ激坂ばかり、自転車に乗っている人間なんて俺だけであった。演奏の方は益々佳境。打ち上げの中華料理屋では寝てしまった。
 15日は一路静岡へ飛ぶ。10時出発3時半到着。雨。Velvet Sound はマニアックな大型楽器店の中のライブ会場。弦やEBS のコンプレッサーなどを買い込んだ。終演後は3カ所参戦の愛知の金田君たちと食事後12時東京に向け出発。田中宅〜鬼怒宅までは運転を鬼怒に任せ寝ていた。帰宅は3時40分。

 17日、HAYAKAWA at ShowBoat。Ruins とのジョイントだ。向こうのほうが圧倒的に集客力がありそうだから「俺達が先にやる」と言ったのだが「大人数のバンドのあとにやるのはきつい」というのでこちらが後発になる。リハにIbanez 社の人が来てくれ、新しい楽器の打ち合わせ。楽しみである。
 しかしルインズはずごい。よく二人だけであんなややこしくてサウンドの厚い音楽が出来るモンだ。しかも基本的にベース&ドラムなのにCD以上のライブを繰り広げるとは。勿論こっちも負けてはおれん。一応の持ち時間が60分、いつも通りだと4曲で終わってしまうからなんとか5曲突っ込むべくアレンジ変更。20分いってしまう<Tochi>の後ろの方をカットして<バリタコ>と接続。やはり20分の<Em のバラード>も短縮して臨み、Pedaltones、 Tochi〜バリタコ、新曲その1、Em でちょいオーバーで本編終了。最後にルインズと合体して<294>でバタバタドカンと盛り上がり無事終了。HAYAKAWA を聴いたことのなかったRuins ファンに見ていただき意義があった。なんて謙虚。

 19日、アケタの店にてほぼ恒例の誕生日セッション。翠川敬基cello、関根真理perc、北澤篤ds に加え初めて共演する旧橋壮(ふるはしつよし)sax,fluteというメンツ。10月のレコ発ライブが面白く好評でもあったので何か発展させてみたくなったのだが今回はほぼその10月のメニューに近いもの。後半の<DownDown>にパンデーロで翁長みどりが飛び入り。音域の低めなサウンドにいいアクセントになってくれた。全体としていい所も多々あったとは思うがもう少し準備を整えるべきだったと反省しておる。次回こそは、といっても1年先ではないつもりだが。ご来場の方々山のようなプレゼントに感謝。

 21日、緑化計画 国立 NoTrunks。ずっとアケタでしかやってこなかった緑化、最近すごいな。ポックリいっちゃうんじゃないかと心配です。昼間峠を3つ走ってから行ったのだが片山に「お前そんなことばっかやってると死んじゃうぞ」と言われる。キミこそ肝臓をいたわりなさい。


その100   ('03/ 4/09)


<折角なら出血中の写真撮っておけば良かった。翌々日。>

 3月27日緑化計画アケタの店、久しぶりの電車出勤だったので終演後張り切って加賀廣に乗り込んだのだが引き戸を閉める時に勢い余って指を挟み大出血。翠川氏は「おお、これじゃギアチェンジ(もち自転車)出来ないじゃん」と嬉しそうに言う。バーロー、演奏のほうを心配せい。ま、お騒がせしました。どうせもう誰も覚えてないだろうけど。
 翌日がMissingLink と魔の藤井郷子4 のリハ。この指でまたまたの新難曲は二日酔いの脳味噌共々大変きつかった。勿論誰にも言わず耐えました。

 4月3日、Ibanez社から新しい楽器が届く。<BTB1005EOL>:エクストラロング・スケールの5弦、バルトリーニのカスタム・ピックアップ、マホガニーのボディを薄目のメイプルでサンドイッチした本体、メイプル&ブビンガの5ピースネック、各弦独立ブリッジ。3バンドEQ+ミドルの特性切り替えスイッチで豊富な音色。特筆すべきはネックの厚みの処理で<エルゴノミクス非対称形状>と呼ばれるもの。ワイドな5弦でしかもスーパーロングなのに何が何だか左手が楽で間違いなく今まで弾いた5弦では最高の弾きやすさだ。3日藤井郷子4のBUDDYで早速使用し2ステージ目からは全曲使った。このバンドの難曲ドモには今まで4弦の音域を越える低音が譜面上ある場合にはダウンチューニングやオクターバーで対処していたがこの楽器なら5弦でも行ける。

 4日、横浜 Stormy Monday でHAYAKAWA。この日もアンコールのみMC924 で本編はBTB で通してみた。違いを実感したくて勝手にアンコールに応じたきらいもあるが。ヴォリュームでか過ぎたかな。昨年替えたヘッドアンプ HARTKE が目盛り1〜2でドカンと出てしまうので細かい音量設定がしづらいせいもある。以前のPeavey のプリアンプ+パワーアンプ(使っていたパワーアンプの旧CS800はあまりに重いので売却)に戻そうかとも考えている。

 6日今季初レースで修善寺の山中。80名中50位の惨敗。

 7日、3日後クアラルンプール行きのトリオ、片山広明・藤井信雄・早川の初ライブ。古いつき合いだがこの3人のみで演奏するのは初めてだ。片山や俺の曲に加えドカドカ8分の6でフリーキィな「パリの空の下」など。楽器はBTBとNSアップライト。大分BTBもこなれて来てまずまずの評判。

 8日免許更新。一昨年の駐禁のせいで警察署では済まず鴻巣の免許センターへ。行きも帰りも渋滞にはまり往復4時間+手続き等40分+講習2時間。一日つぶれた。
さて明日からマレーシア。新型肺炎も気になるところだが同行メンバーの酒量も想像するだに恐ろしい。


その101   ('03/ 4/29)

 10〜14日のマレーシア帰国から半月、SARSは体内に潜伏していなかったようだ。しかしすごい事になってしまったな。クアラルンプール到着早々この騒動で夜の人出がさっぱりだと西野氏から聞かされたが、二日間のライブ、特に二日目はなかなかの盛況だった。K君も凄い酒量、**一歩手前の好演であった。しかしなあ、夜中の3時にマレーシア人のテーブルに居座って演歌メドレーを際限なく吹きまくるのは・・・。あっぱれ!!ちょっと気になるのは二日目本編終了後ジャムセッションしに現れる筈だった現地若手ミュージシャンが一人も来なかったこと。到着の夜、彼らのライブのときにべろんべろんで俺と藤井が加わったせいだろうか。へべれけでヒトの6弦ベースを弾くのは至難の技、なにやってんだか自分でも分かんなかったもんね。それでも俺は途中でバンドの収拾がつかなくなった時カウントをがなって二回も再起動をしたのだ、エライ。それに引きかえ藤井のほうは曲さえ覚えていなかった。H.ハンコックのカンタロープ・アイランドでした、多分。

 帰国翌日、渋谷 7th Floor で緑化計画。久々にRiverHead のヘッドレスを使った。音量の小さいバンドにはこの低域の乏しさがいいかも知れない。チェロとの分離も良いし。
 16日は我が
HAYAKAWAライブ、江古田BUDDY。4日のSTORMY MONDAYでその前のBUDDY と違うメニューを意識したので再度変えようとすると結局前回BUDDY に似た選曲になってしまった。だが今は新曲を作るより現在のレパートリーをもっと掘り下げたい。実に久し振り、このメンバーでは初めて<翼竜の海>をやった。名曲だ。
 この日、某ルートで手配してあった<iBook>12"コンボドライブが届いた。ボンダイブルーiMac の絶不調から(起動と頭を剃るのと競争したら勝った)このHPを気が遠くなる程遅い PowerBook1400C で作っていたがこれでやっとマトモになる。先日メモリを最大の640MBに増設、プロセッサは800MHz G3。1400C が64MB/133MHz だからえらい違いだが10倍速いわけではないな。
 17日はまた緑化、アケタ。この日は昼間シャイのリハでずっとNSアップライトを弾いていたので夜はいつものMC924。
 翌18日、シャイのレコ発ライブ、ジロキチ。彼は近年ギター1本抱えて全国を旅してるからエンターテイナー振りがすごい。パーカッションのきんちゃん(金武いさお)と俺のアップライトの3人だが十分すぎる盛り上がり、さすがウチナンチュ。
 19、20は草津でレース。22、船橋<月>で COIL、24日ShowBoat でA、KillingFllor とKIKI Band。25日 COIL、BUDDY。そのあと二日間ベース教室。慌ただしかった。昨日ようやく今月二回目のジムに行けた。24日ぶりのベンチプレスのせいでプールでは腕が回らず、おまけに前日小沢峠で保谷パンターニとバトル後の帰路のふくらはぎ激ツリがまだ回復しておらず1000m(250mを4本)でおばさんに追い付かれ上がった。今年78になる父が殆ど毎日1000m泳いでいるらしいのでせがれが同じ距離では格好がつかないが仕方ない。

 最近のヒット:Ry Cooder & Manuel Galban < MANBO SINUENDO > キャバレー・ムードラテンみたいだが二人のギターが実にいい。ベースはカチャイート・ロペス。


その102   ('03/ 5/27)

 前章に続きSARSから入るが、今後一体どうなるのだろうか。自転車をめぐっても、台湾メーカーが欧米ブランドの中下位クラスのモデルの下請け生産を数多く行っている為出荷に影響が出ているようだ。日本最大の国際的ステージレース<ツアー・オブ・ジャパン>(5月18〜25日)も中止になってしまった。来週からのドイツ行き、さほど心配はしていないがこちらの方が中国人と混同され怖がられるかもな。

 さて、さっぱりの更新だったが、今月8〜11日はCOILの<COIL 3 発売記念ツアーvol.2>と銘打ち3月の東海・近畿に続いて宇都宮、原町、仙台、水戸を回った。以前KIKI Bandでやった仙台SatinDoll以外は初めての所ばかり。BigApple(宇都宮)、Giga(原町)、Bubble(水戸)と皆ロック系のハコで仙台もふくめてどこもやり易くいい感触だった。今回は水戸から直帰の3泊なので自転車は携行せず、ジョギングシューズを持っていくつもりが忘れ、心置きなく二日酔い。

 14日、CO2。栄ちゃんが新曲を沢山持ってきた。そのうちの一つが1曲目、後で片山から「あそこんとこあんなにベースがデカいと分かんなくなっちゃうよ」と苦情。「悪い悪い、俺もよく分かんなくてついデカくしちゃったんだ」「全く、いい根性してるよ。普通自信なくなったら音量下げるだろ!」と怒られました。

 15日からは藤井カルテットのツアーで飯田Canvas、京都・拾得、飛騨高山・遊朴(ゆうほう)館、金沢もっきりや。古裂・古い器趣味のある妻が高山に出没し町を散策したもよう、金沢では昼食に名物治部煮と珍しい旬のほたるいか刺身を食べて満足だったようだ。もっきりやには元<めんたんぴん>、コクシネルの池田洋一郎氏が来てくれた。そうそう、86年のコクシネルのアルバム「Boys Tree」が再発されている。俺のベースが消されて石渡のフレットレスに差し換えられていた曲があったな、確か。勿論再発に際してじゃなくて当時だぞ。

 その他、MissingLink は益々充実、轟音は益々暴れ、KIKI Band も益々、れれっ?なんか足りないじゃないの。そうか、今月はHAYAKAWA がない!どうも気楽だと思った。

 ところで本日我がベース教室のメンバーである長野・豊科在住のM君に託して塩尻の T's Guitar に愛器MC924 をメンテナンスに出してもらった。すり減ったフレットの打ち直しと使用していないプリアンプ/イコライザー配線の整理。楽器コーナーにも書いてあるが、コイツは貴重な80年製プロトタイプで市販品とは全く違うかけがえのないやつだ。配線に関しては、色々な電気的ロスの上で今の音色になっている訳だから少々迷ったが<使わないのに繋がっている配線を整理すればもっと倍音が出て前に出る感じの音になる>とのことなので行うことにした。<現状での完璧コピーも制作出来る>との技術に裏打ちされた心強いお言葉、仕上がりが楽しみである。新参のIbanez BTB も好調。


その103 32nd International New Jazz Festival MOERS  ('03/ 6/24)

 T's Guitar から戻ってきた愛器MC924、高橋氏の<フレットを同タイプのものに交換し、コントロールは余分な回路を切り離して無駄な損失を抑え、よりダイレクトな音を出す。現在ネックはやや順反り(特にローポジション)なので、ほぼまっすぐになるように修整、今より楽に同じ音が出せるようにしたい。>という意向に全面的にお任せした結果、その通りの大変素晴らしい出来上がりだった。

   <Moers HP ここで出演者の音と画像チェック可能>

大切なこいつを抱え、6月5日正午ドイツに向け出発。勿論抱えて行った訳ではなくハードケースで預ける。本当は心配だから他の楽器にしたいところだったがライブレコーディングになるのでやはりMCでないと。エールフランス機は座席前後が狭い上に満席、脚やケツがしびれつつ12時間でようやくパリ、慌ただしい乗り換えでデュッセルドルフに着いたのは出発から現地夜8時だから15時間。そして迎えの車で小一時間のドライブのはずがなんと荷物が出てこないではないか。オフィスに行くとまだパリにあって2時間半ほど後の便で着き、ホテルまで届けるというので宿舎のあるデュイスブルグの町へ。20年前にも梅津バンドで泊まったホテル・ガルニ。古い、まあ向こうでは民宿といったところだ、一昨年の藤井カルテットでもここ。部屋割りが何とツインふたつだというのをなんとか3部屋確保、じゃんけんで梅・鬼がツイン、俺がシングル、トップのコーちゃんがツインを一人で使うことになった。シングルは病院の個室といった趣きだ。近所のイタリアン・レストランでビール、ピザ、パスタを食い12時頃荷物を受け取りダウン。

 6日、この時期にしては暑い。朝食はパン各種、ハム、チーズ、ジャム、コーヒー。昼はスーパーで総菜(アジ、玉ねぎ、カリフラワーなどのマリネとザワークラウト)を買い部屋でビール。会場のメルスは隣町なので皆はタクシーを呼んで3時過ぎに出て行ったが俺は自転車のドイツ1周レース(Tour of Germany)のTV中継を観ていたのでパス。しかし居眠りしてしまい気が付いたらゴール後で表彰式のフィナーレだった。総合トップがエリック・ザベルなのは分かったがこの日の勝者は分からず仕舞い。眠いながらも路線バスと徒歩(町の中心部から広い公園内の巨大テントの会場まで歩きで12、3分)で行ったが2番目の本日目玉のサン・ラ・アーケストラには十分間に合った。60年代からデタラメをやっているイカレたじいさんの集団はそれなりの迫力はあったもののもはや往年の面影・内容なし。存在自体に感銘を受けるところはあるが、なんで宇宙からのメッセージだとかキンキラの衣裳なのに古臭い4ビートなんじゃ?そのあとボスニアのジプシー・バンドを途中まで見てから(これはなかなか感涙)明日の昼間リハに貸してもらうクラブ(20年前ここでも演奏した)に顔を出して帰った。

 7日、相変わらず暑く夜も窓を開けたままだ。朝腕立て、腹筋、スロースクワット。そのあと剃髪、シャワーで朝食。うつらうつらしたり曲をいじったりしてから午後会場に行きパレスチナのウードのデュオを見る。次のビル・ブラフォードとピアノのデュオ(やはり元クリムゾンということでミュージシャン凝視)を1曲見てつまらないのでビールを飲んでから町をぶらつき屋台のドナケバブを食ってそのままクラブで皆と合流してリハを1時間半ほどやった。再び会場へ戻って「チャン・バンド」(ピアノ弾き語りのチャンこと佐々木彩子が中心の渋さ知らズの縮小版的メンツ+白塗り舞踏)を見る。チャンの豪胆なステージングに感心、感動。勿論大受けだった。次のアフリカのすんごいオバチャンたちのバンドが俺としてはあまりの事に今回のハイライトだったのだが途中で切り上げ楽器を取りにクラブへ戻った。こちらのセッションに参加するよう言われたのを幸いに、重い楽器を置いてきたのだ。結局梅津以外は疲労とセッティングが面倒なので参加せず、切れ目にステージ上の楽器を引き取ってホテルに帰った。

 8日。朝食後マジメに練習してから腕立て、スクワット。昼飯に出ようかと思っていたら突然の大雨、雷、ヒョウで凄い有り様だ。地下のキッチンが浸水してオーナーのおばちゃんは大忙しだ。雨が弱くなるのを待っているうち梅津と二人で同宿のドイツ人ジャーナリストの車にロシア人プロモーターと便乗していくことになって助かった。二つ目のギリシアのバンドに間に合う。これは良かったが民族色の強い曲とアヴァンギャルドな曲がありそっちの方はあまり趣味ではなかった。次のヨーロッパ人のピアノ・トリオがやっている間に関係者用飲み食いテントでチャンバンドの何人かと飲んだあと会場の外のテキヤや大道芸もにぎやかで楽しいので覗きに行く。帰ってきたらマダガスカルが終わったばかり、鬼怒がすごく良かったというのでCD売り場に行ったが完売だった。ラストはサックスのチャールス・ロイド爺様。良いのだがあまりにJAZZなので退屈になりひとりバスで帰り部屋でスポーツニュースを見つつワインを飲む。

 9日、ようやく本番の日が来た。朝食後もう一度寝ようと思ったら皆気合いが入って部屋で練習するものだからうるさい。諦めて俺も楽器を出してペンペン。12時にタクシーでホテルを出発。今日は良い天気、涼しく本来の気温だろうか。しかし楽屋もテントなのでだんだん蒸してくる。昼食はタイ風チキン煮込みを白飯にかけたものをレストラン・テントで。辛いのだがビールは我慢だ。一つ目のジョージ・ラッセルのオーケストラがつまんねえのに30分もオーバーしやがってKIKIのスタートは3時半の予定が4時過ぎ。ドッカ〜ンとカマシてやった。1時間のところ70分以上やったので幕を引かれアンコールには応えさせてくれなかったが大受けであった。次のは大して面白くなかったのでビールやワインを飲みソーセージを食い、その次もパス、楽屋で寝ていた。トリはトルコのグループ、これはなかなか良かったがビール、赤白ワイン、加えて屋台の得体の知れぬピンクのキツーいカクテルをチャンにおごられ更にワイン追加でべろんべろん。トルコバンドは終盤には3人のダンサーがイスラム密教の旋回舞踏を始め、ステージ下から見ていたこっちのアタマもぐるんぐるん回ってしまった。

 10日。アッタマいてえと言いながら6:30起床、前日からお湯が出なくなってしまったシャワーの冷水を気合いで浴びて朝飯、荷造り。8:50送りの車でデュッセルドルフ空港へ。10:55、また狭い座席の長旅が始まった。いつの日かビジネスクラスでツアーが出来る日が来るのであろうか?10年くらい前2回だけあったなあ。


その104   ('03/ 7/31)

 更新をさぼっている間に7月も今日で終わりだ。今日、と書いたものの、昨日から梅津KIKIK Band で北海道ツアー中、今晩の函館のホテルでうまく繋がってアップできればいいが。

 今月のニュース(済んじゃったことでもニュースなのか)というと、むむ。
1:HAYAKAWA at Stormy Monday with 田中栄二 (7/11)
 植村が欠場することになって、北澤のワン・ドラムでも良かったのだがこの機会に田中君を誘ってみた。譜面とライブのCD-Rを前もって渡していて、あとは当日のリハだけでラフに暴れてもらおうという魂胆(ただのリハ嫌いとも言われているが)はまんまと成功し、ドッカンドッカンと盛り上がった。北澤にしても植村にしてもそうだが、田中君も曲を捉える勘が鋭いのでバンマス・コンポーザーとしては気楽で楽しい一夜であった。
2:COIL Special at Pit Inn (7/7)
 鬼怒の誕生日ということでゲストを贅沢に三人も呼んでのコイル。一人目はオルガンに中山努、彼は我が輩の推薦で来ていただいた。他のメンバーとは初めてでCOILの曲3コに参加。Missing Link 以外ではあまりライブ活動をしていないので観客の方々にもあまりお馴染みではなかっただろう。俺は定かではないが15年位前にBSか何かの帆船の番組の音楽の録音にスタジオに行ったらその作曲者が中山君で、コード進行しか書いていないような譜面だったので一安心、いいヤツだと思ったのが最初の出会い。パンタのPanta & HAL というバンドにいた。その後シオンのバックで何回か一緒になったが、訥々とした人柄に変態チックな演奏は他の追随を許さない。今回はウーリッツ
ーのオルガンが殆どだったがMissing Link ではキーボード全般及びギターでも好演を繰り広げているので是非ご拝聴を。
 二人目、お馴染み酒井泰三。スタジオでのCOIL+泰三のリハでは耳が・・・。轟音の泰三Vo.曲一つと名曲<スージーQ>(鬼怒リード・ヴォーカル)。勿論爆音でした。
 三人目、カルメン・マキ。面識は古いが一緒に音を出すのは初めてである。レッド・ツエッペリンの Rock and Roll、ディープ・パープルのミステュリーテッドの二曲。私はどちらの曲も初体験。大分前に日比谷野音で石田長生、三宅伸治、新井田耕造と<紫の煙>を演奏したときも「このトシでこの曲を初めてやるとは思わなかった」と感慨深かったが今回も大御所との初ツエッペリン、しかも30年以上出ている新宿PitInnでというのが味わい深いではないか。ってこともなかったがマキさんは圧倒的でした。
 で、アンコールのSpoonfullに飛び入りでヴォイス・パフォーマーの福岡ユタカ氏。という盛大な一夜だった。
3:緑化計画・初遠征(7/19,20)
 殆どアケタでしか演らない緑化計画、東京横浜以外での初演奏。宮城の岩出山町<感覚ミュージアム>と鳴子温泉<みやま>での二晩。帰路の都合が各々あるのでバラバラに行くことになり、折角だから雨にも負けず自転車を積んで行く。現地での状況は翠川氏や緑化のページを見ていただこう。初日の420kmの運転と演奏にとっととくたばった俺は<みやま>の4人部屋で5時過ぎに目覚め、遅れて5時半に起きた翠川氏は立ち上がるやいなやタオルをつかんで浴場へ。後から俺も行くとやがて片山君も。さっさと上がった翠川氏、頭を剃っているうちに片山も去り後から出ていくと「あ、翠川さんにロビーでビールが待ってるって言っといて」とK君。まだ6時過ぎだぜ。もう知らねっと。俺には理性と走る予定があるので半杯だけつきあってやった。一向に緩まない雨脚に見切りをつけ、裾をちょん切ったビニールカッパに身を包み山道を上る。6km上の潟沼(日本一の酸性湖という看板アリ)まで三回上下してずぶ濡れで戻ってきたら雨が上がった。がっくり。昼飯どきはビール、前述二名は日本酒に移行、本番前はいいちこに翠川ロシア土産のウオッカ(私はあまりの有り様に車に避難、仮眠)、演奏は大入り大好評にて終了、宴会はいつ終了したのでしょうか。俺はイワナ一尾と古代米おにぎり二個漬け物少々を確保して速めに布団にはいる。耳栓・安眠マスクと準備万端、であったがこの夜は翠川+仙台酒豪三名との5人、寝言といびきに負けた。5時半にとっとと逃げ出して帰路に付き途中にイワナとおにぎり休憩を挟んでぶっ飛ばした。


その105   ('03/ 9/13)

 更新をさぼっている間に9月も半ばだ。と、前項のコピー&ペーストで始まりました。しかし天候不順な夏だったな。おまけに9月に入ってからこんなに暑い。
 その不順な8月をどう過ごしていたかと言うと、前回書いたようにまずKIKI Band の北海道ツアー。これが7月30日から8月2日で札幌、函館、福島町、江差。で、3日に羽田から吉祥寺マンダラ2に直入りで金沢のユニット、<コクシネル>に参加。かつてはバンド形態だったが活動休止、今回の再開に際しては野方攝<vo>、池田洋一郎<g>の二人のみだ。ツアー前に、ライブを見に行くという趣旨のメールを出したら池田氏は当然弾きに押しかけると思ったようで「バックトラックからベースを抜いたものを作った」という返事を直前に頂き参加することになった。当日の3バンドで時間的余裕の無い会場リハ、その後ホテルの部屋での打ち合わせのみで臨んだライブだったがばっちりグイグイ弾けました。
 それから怒濤の麗蘭リハーサル&イベント3本。赤坂BLITZのクロージング・イベント、大阪なんばハッチ、そして小樽ライジング・サン・ロック。3ケ所とも40分という短い持ち時間、もっとドッカ〜ンと行きたかったけどいい内容だったと思う。持ち時間を守るなんてチャボもおとなになったもんだ。でも弾き語りのツアーじゃ相変わらず3時間半も演っているらしい。
 その間やその後、FORE、COIL、藤井カルテットなどレギュラーをこなし20日に
HAYAKAWA ジロキチ。前回同様、13ozの企画、対バンである。彼らのお陰ではあるがお客も大入り。どうも我がバンドの連中は対バン、しかも知り合いのバンドと一緒になった方が対抗意識からいい演奏を繰り広げる傾向があるな。これからも彼らとのジョイントはやって行こうという話になったので見逃したかたは次回を期待して下さい。
 23日には懐かしのドライシェリー・片山トリオ、No Trunks。この間メルスで会ったが演るのは久々のつの犬のドラムはウレシかった。楽しい演奏だったけれど終わった途端極上オーディオで87年録音のアルバムが流されると、「何だ、全然変わってねえなあ」とガックリ来た。まああれはいいアルバムだ。(CD化済み。「アルバム自画自賛」参照)

 などというところが通常の活動以外のところ。今月あたまには沖縄に行ってきた。南国に不似合いな藤井郷子カルテット。珍しい銘柄の泡盛をいろいろ味わう。と言うか飲んだくれる。そしてこのバンドの来週のレコーディングに備えて、これではイカンとパソコンに曲を打ち込み猛練習の日々である。この暑いさなか、アタマバクハツ。


その106   ('03/ 10/3)

  前項の藤井郷子カルテットのレコーディング直前のリハーサルを吉祥寺GOK Sound で行ったのだが、終わってロビーにたむろしているとエンジニアの近藤さんが「早川さんにぴったりのアンプがあるよ。Peaveyの古いやつ。あの禁断の歪みスイッチ付きだよ。」と悪魔の囁き。実際は大声で非常に嬉しそうであった。その日は試奏出来なかったので翌々日、ペティ・ブーカのレコーディングのあとに立ち寄りSUNNの4発入りスピーカーで鳴らすとゴキゲンのドライブ感。シリーズ400というモデルで、裏に輸入元の日本楽器のひからびて黄ばんだ紙シールが貼られており117V仕様のまま。100V仕様になっていないのでこれはかなり古いと見た。25年位だろうか。ノーマルチャンネルとディストーションチャンネルがあってディストーションとファズのブレンドつまみという、なんだか訳の分からんものと、さらにこれらをコントロールするらしきもっと訳の分からんでかいフットスイッチが付属。普通の仕事に使えるかどうかは別にして、大いに気に入った。近藤さんはしきりにスピーカーも持って行かせたがったが断固お断り。これ以上箱は増やしたくない。
 その翌日早速藤井カルテットのレコーディングに使った。念のためヘッドはHartke 3500 と2台用意して目黒エピキュラス・スタジオに入る。さすがに吸音のしっかりしたブースに設置するとノイズが気になる。電源を入れただけでジー、ガサガサといっているが、まーデリケートな音楽じゃねーしな。MC924 は全曲PEAVEYと組み合わせBTB5弦の3曲のうち1曲をHARTKEで録音。やっぱりPEAVEYの方が乱暴で良い。

 翌週マレーシアのピート・テオと吉祥寺で再会した。日本での世話役・竹内さんとイタリアンで昼食後会場の<のろ>で3時過ぎからリハーサル。ピートとは初対面になる、ブルース・ハープの大御所、八木のぶおとパーカッションの関根真理。1部弾き語り、2部全員。あいにくの台風襲来だったが観客は大入りで良かった。そして終演後事件が。以前アケタなどによく来ていたI君という若者が実に久しぶりに現れ、「実は持って来たものがあるんですが」と、な、な、なんと Ibanez MC900 という愛器924の原型モデルをこの私に進呈すると言ってくれたのだ。「勿体ない。借りるという形で、いつでも君が使いたくなったら返すということなら受け取る。」と固辞したが結局根負けして(少々早めに?)頂くことにした。打ち上げ歓談後アケタに直行、早速店のアンプで鳴らす。「このままでは使えないのでは」とI君は謙遜していたがMCらしい太いいい音がする。俺の楽器よりはるかに美しい。そのまま店に保管してもらい翌日の緑化計画でブリッジ調整のみで使用した。やはり良い。MCは俺にとってはFenderなどより格段に弾き易い。ネックの微修正などをして弾き込めばもっと良くなるだろう。・・・「保管してもらい」ってことは電車で行ってベロベロになったということを密かに意味しているのだ。見にきたピートも緑化の自由な音楽に大喜びしていた。記念撮影もしたが皆あまりにだらしない顔なのでボツ。


四隅の金具は錆びパネルの銀プラメッキは退色して文字が消えている 。
左半分が禁断の歪みチャンネル、右側がノーマル。


     右:Ibanez SRX700 +Peavey Series400 +GK 410B+GK115B/JBL

 その数日後、IbanezからSRX700というモデルが届く。同社に現行の4弦も使ってみたいとお願いし先日3本試奏して、値段は安いのだが一番気に入ったモデル。現行ではIbanez社唯一のスルーネックモデルで、同時に弾いてみたバルトリーニ搭載の最上級モデルよりこの機種に使われているオリジナル・ピックアップが荒々しく良かった。・・・こうしてハードケースが一挙に2個増え、数えてみたらケース13個!!これは何とかしないと。楽器の数も残された我が人生を考えると多すぎるか。ということで全然使っていないMusicManの5弦をネットオークションに出してみた。売れれば売れたで惜しい気がするのは目に見えているが。 


その107   ('03/ 11/4)

  Peavey Series400 は10月のWillie Oteri のライブで乱暴にブイブイ鳴って大活躍した。MC924とBTB5弦を使ったのだがどういうわけかMCの時だけエキサイターかエンハンサーをかけたようなエッジが出る。面白い。BTBも開発コンセプトから外れてしまったような音が出るようになってきた。と言うか俺なりに弾けるようになってきたのだ。で、ライブの方もなかなか面白かった。ウィリーは殆ど何も決めごと無しで僅かなモチーフから演奏を繰り広げるタイプで、緻密なケイサンと冷静な状況判断で演奏する俺とは対照的だから色々とヒントになることもあった。「そうか、あんまり考えないでテキトーでいいか」というような具合ではありません。

 最近運転中にNHKの第一放送の、言葉をテーマにした番組を何度か聞いた。ファミレス・コンビニ言葉として「こちらコーヒーになります」「以上でよろしかったですか?」「千円からお預かりします」などが槍玉に上がっていた。俺も大嫌いである。で、これがまた関係ないところにも浸透していくのがもっと嫌だ。この直後某ライブハウスに電話したらバイトの若者が「ありがとうございます、・・(店名)になります。」と出た。こんな言い方が別に指導されるわけでもなく広まる。「へー、いつなったんだよ」と言いたくなってしまう。別の日には<全然>についてやっていた。<全然>は否定に使うのが正しいと教育を受けていたので、自分でも使ってしまう「全然大丈夫」なんてのは全然ダメなはずである。しかし古い小説などには肯定に使われていることも多く、深くは考えずにムカシっぽいものだと捉えていた。番組によれば否定型に決めたのは戦後の文部省だそうである(確か)。年配の人からの「<全然>は漢文で<全く然り>であるから肯定に使うのに違和感はない」というファックスだかメールも紹介されていた。漱石も芥川も使っている筈だもんな、考えてみりゃ。と、まあ言葉の変遷というものがあるのだからファミレス・コンビニ語に目くじらを立てることもないのかも知れない。俺の文体にだって我慢ならない世代もあるだろう。しかし嫌じゃ嫌じゃ。
 ずっと前にも書いたけど、俺にとってワースト3:1.語尾上げ 2. 「じゃないですか」 3.「なのかなあと」
「今後の我が国にとって重要なことなのかなあと考え」なんてバッカな言い方するな、間抜け!! ぼちぼち「マニフェスト」もランキングに登場だな。海部か宮沢が総理だったころだっけ、「国民的コンセンサス」が連中の口から流行語になったのは。あの時も腹立たしかったが、一体なんで「合意」や「宣言」じゃいけねえんだよ!我が輩が少年時代に読んだ、トリスタン・ツアラの<Manifestes Dada>だって『ダダ宣言』と訳されていたんだぞ。、、、でも俺もカタカナ一杯使っとるわなあ。


その108   ('03/ 11/29)

  昨年に続きまたしてもこの11月は藤井郷子カルテットでヨーロッパに出かけた。11月9日、一ヶ月前からヨーロッパを回っている吉田達也と俺より二日早く出てベルリンかどこかにいるバンマス夫妻とはライブ初日10日ワルシャワで合流する。今度は乗り遅れないぞ!!と固い決意で臨んだのだか出発で飛行機の方がどーっと遅れた。12時25分発ウィーン行き、ここで1時間半後のワルシャワ行きに乗るはずが成田で約2時間の遅れである。これは急いでくれと言っても間に合わん。現地時間9日夜到着して昨年世話になったマルチンが空港に迎えに来てくれる手筈なのだが俺は彼の連絡先を知らないしホテルも「去年と同じ」と聞いただけで名前なんか覚えていない。会場もメモして来なかった。ううむ。一応携帯からバンマスのパソコン宛に到着が遅れる旨メールを出しておく。まあなんとかなるだろうと機上の人となりビールにワイン、映画、それにHAYAKAWAのレコーディング・プラン等を検討したりして11時間を過ごしウィーン着。2時間後のポーランド航空の便に乗ってワルシャワに9時、さとやんからマルチンに連絡が行っており無事に会えホテルに入った。長い一日だった。
 ワルシャワ、ポツナン、クラコウと三ケ所でのポーランド公演は熱狂的な観客の反応で盛大に終わった。クラコウの翌日は列車でウィーンへ、の筈がなんと鉄道ストライキでバスで行くことになった。3、4時間の睡眠で5時半ホテルをチェックアウト、6時40分の、リトアニア発チェコ経由ウィーン行きのバスに乗る。さほど混んでいなくて快適だった。途中メル・ギブソンのコメディ映画を上映していたがなんと吹き替えを男一人で全部やっているのだ。元の音声も出ているので同時通訳と言うべきか、なかなかウルサかった。午後5時前ウィーン着。サウンドチェックは無し。ホテルにチェックインしてからベトナムレストランで豪華な夕食をしてからどっと眠気に襲われつつ会場入り。市がバックアップしているといういいクラブだった。終演後頼んだホーレン草とカボチャの種のパスタも旨かった。オリーブオイルに漬け込んであるのか、種は殻ごと調理してあったが柔らか。大量のホーレン草にホワイトソース。

 翌日イギリスに飛び迎えの車で2時間 ドライブしてCirencesterという小さい町のホテルへ5:30チェックイン。スコットランドがキャンセルになり今回唯一の休日だ。町から離れた、400年続いているという Red Lion というパブに案内された。8畳も無い、暖炉のある真四角の天井の低い部屋にベンチとテーブルと壁に酒棚と生ビールのサーバーが2つあるだけの殆ど居間だ。物静かな地元の先客6人と我々5人(サト、ナツ、おれ、エージェントのヤニンカと旦那のクリス)でもう満席である。ひっそりと歴史を味わいつつ黒ビール。
 翌15日は海辺の観光地、Teignmouth のジャズ・フェス。会場のCarlton Theatre は大きくないがいい所だった。しかし観光地、近所のレストランはひどかった。
 最終日はロンドン。少し回り道をして石造物マニアの吉田のリクエストでストーンヘンジ見物。吉田は2、3回目らしいが3人は初めてだ。<世界3大ガッカリ>というそうである。寒かった。ロンドンのライブハウスVortexは機材はしょぼかったがいい雰囲気で楽しく演奏ができ無事ツアー終了。ロンドンに残る吉田、翌々日ケルンに向かうバンマス夫妻、俺は翌朝の便で帰国なのでヒースロー空港近くのホテル、とバラバラで打ち上げもなく解散。さて無事に済んだ、と思いきやまたまた空港でトラブルが。帰りもウィーン経由だったのだがウィーン空港のストでロンドン発の機の到着が遅れているのでこの乗り継ぎは間に合わないとオーストリア・エアのカウンターで言われる。am 7:45。で、指示によりルフトハンザのチケットカウンターに並ぶが長蛇の列。一時間かかった。並びつつ俺の10人くらい前にいた日本人女性二人組にどうなったか尋ねたら関空への直行便になったが9時間後の午後6時発だ、なんていうのでグエ〜となっていたがこちらはなんとか12:25発英国航空の成田直行便、予定の便より30分くらい早く帰国出来ることになって一安心。と思ったら、ここで言われたターミナルが間違っていて大量の荷物とともに何度もターミナル間の電車に乗るはめになった...。それにしてもイギリス人の英語は聞き取りにくい。


ポツナムのエジプト・レストランで鶏肉の料理


ポツナム〜クラコウの食堂車、豚の腸のスープ。旨い。


さすが英国はストリートミュージシャンもバグパイプ。
あれ、スコットランドだよなあ。


世界三大ガッカリをバックに。なかなか良かった。