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12.30  今月のトピックス’00 12月分 豊田楽友協会管弦楽団 ファミリーコンサート 掲載。 
12.29  今月のトピックス 2000年の総括 掲載。 ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報整理。
       たぶん、だぶん 「人類の夜明け」は近いか? 掲載。
12.24  (仮)アマ・オケの舞台裏 記事追加(打楽器パート楽器分担)。
       名古屋フィルハーモニー交響楽団第265回定期演奏会
12.23  刈谷市民管弦楽団第13回定演が、創立10周年記念コンサートに名称変更した事に伴う手直し。
12.18  (仮)アマ・オケの舞台裏 記事追加(曲順要望事項)。
12. 6  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<7>前半 掲載。
12. 5  今月のトピックス’00 12月分 ある結婚式<0> 掲載。
11.24  今月のトピックス’00 11月分 岐阜県交響楽団 芥見地区わが町わがふる里コンサート 本編 掲載。
11.21  今月のトピックス’00 11月分 岐阜県交響楽団 芥見地区わが町わがふる里コンサート 序編 掲載。
       〜訪問者10000人突破(推定)〜 
11.15  今月のトピックス’00 11月分 東京フィルハーモニー交響楽団 第421回定演 掲載。
11.12  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<6> 掲載。
11. 9  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<5>−3 掲載。
11. 7  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<5>−2 掲載。
11. 4  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<5>−1 掲載。
11. 2  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<4> 掲載。
10.28  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<3> 掲載。
10.24  今月のトピックス’00 10月分 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント<1><2> 掲載。
10.18  (仮)アマ・オケの舞台裏  手直し。
10.15  たぶん、だぶん 忘れられない9・11 掲載。
       (仮)アマ・オケの舞台裏  新設。刈谷市制50周年企画に関するページを移転。
10. 9  定演予習  曲目決定に向けて さらに続き 掲載。
10. 5  定演予習  曲目決定に向けて 続き 掲載。
10. 4  曲解履歴 第12回定演 Msの感想 <1><2> 掲載。
       定演予習  曲目決定に向けて  掲載。
 9.30  今月のトピックス’00 9月分 大友直人プロデュース・東京芸術劇場シリーズ第52回 後半 掲載。
       今月のトピックス’00 8月分 名フィル ファミリーコンサート 掲載。
 9.25  たぶん、だぶん 消しがたきもの 掲載。
 9.24  今月のトピックス’00 9月分 大友直人プロデュース・東京芸術劇場シリーズ第52回 掲載。
 9.20  今月のトピックス’00 北欧音楽紀行 スウェーデン・スコーネ地方 編  掲載。
 9.10  今月のトピックス’00 9月分 プロムス2000ラストナイトコンサート ジャズ組曲第2番世界初演の謎 掲載。
 9. 2  今月のトピックス’00 7月分 レイヴンス ピアノ五重奏団 掲載。
 8.31  今月のトピックス’00 北欧音楽紀行 デンマーク編  掲載。
 8. 6  曲解履歴 第12回定演 Msの感想 導入部分 掲載。
 8. 3  ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。
 8. 2  今月のトピックス’00 7月分 名古屋シンフォニア管弦楽団 掲載。
 7.29  今月のトピックス’99 東欧旅行 ドイツ・ライプチヒ編 後半 掲載。
 7.28  曲解履歴 第12回定演 交響曲第5番(「運命」) 掲載。
 7.26  としきのページ へリンク。
       曲解履歴 第12回定演 カルメン 掲載。
 7.25  今月のトピックス’00 7月分 NHK芸術劇場「館野泉トリオ」 掲載。
       曲解履歴 第12回定演 ロメオとジュリエット 掲載。
 7.24  刈谷市制50年記念コンサート・プログラムに関する考察を、次回定演予習ページへ移設。
       曲解履歴 第12回定演 各曲タイトルのみ掲載。
 7.17  今月のトピックス’00 7月分 読売新聞「利用された大作曲家ショスタコービッチ」 掲載。
 7.12  今月のトピックス’00 7月分 日本フィルハーモニー交響楽団第522回定期演奏会 掲載。
 7. 9  今月のトピックス’00 7月分 <東京の夏>音楽祭(「新バビロン」日本初演)続編 掲載。
 7. 8  今月のトピックス’00 7月分 <東京の夏>音楽祭(「新バビロン」日本初演) 掲載。アイノラ交響楽団さんのHPへリンク。
 7. 5  今月のトピックス’00 7月分 パイヤール室内管弦楽団 掲載。
 7. 4  刈谷市制50年記念コンサート・プログラムに関する考察 Msのオススメ企画 第1案 掲載。
 6.29  今月のトピックス’99 東欧旅行 ドイツ・ライプチヒ編 掲載。
 6.27  隠れ名曲教えます ウェーバー トゥーランドット序曲 を掲載。
 6.17  刈谷市制50年記念コンサート・プログラムに関する考察 これから団としてなすべきこと<1> 掲載。
 6.11  ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。
 6.10  今月のトピックス’00 6月分 豊田楽友協会管弦楽団 第11回定期演奏会 掲載。
 6. 6  たぶん、だぶん コクタイの思ひ出 掲載。
 5.28  今月のトピックス’00 5月分 セントラル愛知交響楽団 第46回定期演奏会 掲載。
 5.27  ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。山の作曲家 近藤浩平のページ へリンク。
 5.24  刈谷市制50年記念コンサート・プログラムに関する考察 追加記事 掲載。
 5.18  刈谷市制50年記念コンサート・プログラムに関する考察 掲載。
 5.15  今月のトピックス’00 5月分 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団第18回定期演奏会 掲載。
 5.14  今月のトピックス’00 5月分 中田喜直氏逝去 <3><4> 掲載。
 5.13  今月のトピックス’00 5月分 中田喜直氏逝去 <1><2> 掲載。
 5. 4  ショスタコBeachへようこそ! フリーマーケット ’00 5月分 <3> 掲載。
 5. 3  ショスタコBeachへようこそ! フリーマーケット ’00 5月分 <2> 掲載。
 5. 2  ショスタコBeachへようこそ! フリーマーケット ’00 5月分 <1> 掲載。
 5. 1  今月のトピックス’00 4月分 ピカソ・新響・サティ展 掲載。
 4.28  センチュリー室内管弦楽団さんのHPへリンク。ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。
 4.25  たぶん、だぶん Sunday DAJARE Battle 掲載。
 4.24  今月のトピックス’00 4月分 ピカソ・N響・センチュリー <3> 掲載。
 4.23  今月のトピックス’00 4月分 ピカソ・N響・センチュリー <2> 掲載。
 4.22  今月のトピックス’00 4月分 ピカソ・N響・センチュリー <1> 掲載。
 4.16  ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。
 4.15  今月のトピックス’00 4月分 N響コンサート〜ショスタコーヴィチ没後25年〜(4/14) 掲載。
       よしぢゅんづHomepage、 大府市楽友協会管弦楽団さんのHPへリンク。
 4. 8  たぶん、だぶん 2000年春、我が3大Bを称えて 掲載。
 3.20  今月のトピックス’00 1月分 新交響楽団 <2>ブラジル風バッハ第7番、<3> 掲載。
 3.19  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <2>交響曲第4番 音にならない最後の一言 を掲載。
       たぶん、だぶん 私の、とある言い訳と、池辺晋一郎の、とある言い分と  を掲載。
 3.18  今月のトピックス’00 3月分 ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ <1>〜<4> を掲載。
 3.14  今月のトピックス’00 3月分 ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ 導入 を掲載。
 3.11  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <2>交響曲第4番 第3楽章 続き を掲載。
 3. 6  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <2>交響曲第4番 第3楽章 導入 を掲載。
 2.26  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <2>交響曲第4番 第2楽章 を掲載。
 2.24  たぶん、だぶん プロコフィエフ。とモーニング娘。 掲載。
 2.23  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <0> 訂正記事追加。
 2.22  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <2>交響曲第4番 第1楽章 を掲載。
 2.21  今月のトピックス’00 2月分 オーケストラ・ダスビダーニャ第7回定期演奏会 <0><1>を掲載。
 2.17  今月のトピックス’00 2月分 安倍圭子 講演会 を掲載。
 2.13  隠れ名曲教えます ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハ第7番 を掲載。
 2.11  今月のトピックス’00 1月分 新交響楽団 シューマン「ライン」 掲載。キルピネン研究会 のHPへリンク。
 2. 5  隠れ名曲教えます 諸井三郎 交響曲第3番 を掲載。ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。Shostakovich のHPへリンク。
 2. 4  今月のトピックス’00 1月分 セントラル愛知交響楽団 掲載。ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。
 2. 2  ショスタコBeachへようこそ! イベントステージ 情報更新。
 1.31  今月のトピックス’00 1月分 オケ三昧の三日間 掲載。たぶん、だぶん シルク・ストッキング 掲載。瀬戸市民オーケストラさんのHPへリンク。
 1.26  〜訪問者5000人突破(推定)〜 ショスタコBeach フリーマーケット の模様替え。
 1.22  たぶん、だぶん 5年前、10年前 掲載。
 1.15  今月のトピックス’99 東欧旅行 ドイツ・ドレスデン編 掲載。たぶん、だぶん ユーミン・ポケビのミレニアム 掲載。
       あまちゅあ おーけすとらーず るーむ のHPへリンク。
 1.13  隠れ名曲教えます ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハ 導入を掲載。
 1.11  音間 鳴のページ へリンク。
 1.10  曲解履歴 第11回定演 ブラームス 交響曲第1番後半部分 掲載。予習を兼ねた曲目紹介 第12回定演 掲載開始。
 1. 8  曲解履歴 第11回定演 ブラームス 交響曲第1番前半部分 掲載。たぶん、だぶん 私の2000年の幕開け 掲載。
 1. 5  曲解履歴 第11回定演 トリニタ・シンフォニカ(交響三章)掲載。

 1. 3  曲解履歴 第11回定演 威風堂々第1番 及び追記(映画「ブラス」における「威風堂々」)掲載。
 1. 2  ショスタコBeachへようこそ!海の家 掲載。


’00 倉庫

今月のトピックス

 December ’00

12/16(土) 豊田楽友協会管弦楽団 ファミリーコンサート 

 今年6月の定期演奏会では、シンフォニックダンス(もちろんウェストサイド)、ラプソディ・イン・ブルーという大曲難曲に挑戦、その存在感をおおいに高めた当団の次の演奏会である今回のコンサート、ファミリーの名は付くものの、これまた、プロコフィエフの「ピーターと狼」に挑戦、近隣のアマオケにはない、斬新な選曲が目白押し、エキストラとして呼んでいただいた私も当然ながら盛り上がらずを得ない状態であった。まずは、私を呼んでいただいた当団に感謝の念を表します。ありがとうございます。

 さて、今回のプロは、オープニングに、ミュージカル「キャッツ」のメドレー。そして「ピーター」。休憩をはさんでクリスマス気分満喫できる選曲として、チャイコフスキーの「胡桃割り人形」組曲、そしてアンダーソンの「そりすべり」そして「クリスマス・フェスティバル」。打楽器団員のSさんとは、今回は「軽いプログラム」なんて言い合っていたわりには、いざやってみるとそうでもない。なかなか重厚な内容である。

 「キャッツ」は、前回の定演のアンコールで「メモリー」を取り上げ、その延長で、メドレー全曲を今回の冒頭に演奏。私は今回、鍵盤を主に担当、久しぶりに叩きがいのある鍵盤の楽譜を演奏した。ほとんど休みなく、木琴、鉄琴、ヴィブラフォン叩きづめ。しっかり練習した上で本番に臨み、余裕もって出来て満足。よくよく思い出したら、ブラスでもほぼ同じアレンジでやっていたし、他のオケでも大昔やっていたパートと判明、どおりですぐ暗譜できたわけだ。
 全体としては、ステージが左右に広く、おまけに私の鍵盤、さらにドラムスがステージの一番隅で、演奏はすごくやりにくかった。特に冒頭はかなりオケ全体としてずれが生じていたと思われます。そんな最低なコンディションながらも、後でビデオで確認したら、とりあえずは許せるかな、といった具合で安心。

 今回期待の「ピーター」。正直、オケの力量から言えば、かなり背伸びだったと言うのが正直な感想です。練習のたびそう思いました。しかし、本番は集中力も高く、一番良いできに仕上がった感があります。良かった良かった。管楽器それぞれのソロに付いては、困難なパッセージも多く、完璧、とはいかないのは当然ですが、それぞれの最高の演奏を本番に持っていけた、さらには上達の過程が把握できた、という意味においても、私は奏者として一緒に演奏できてとても嬉しく感じました。
 演奏に先立ち、楽器紹介がありまして、我がパートも狩人の鉄砲という、全くの脇役ながら、ソロを披露する事が出来ます。私は大太鼓、Sさんがティンパニ。ティンパニが主役ですが、ソロパッセージを導くロールに大太鼓が重なります。リハーサルでは、スポットライトがまずティンパニに当たり、私のロールが終わって座ったところに私のスポットライトが当たって大変恥かしかったのですが、何も言わなかったにも関わらず、本番では、まず私にライトが当たり、私の出番が終わってから瞬時にティンパニのソロにライトが移って、効果的なライト当てがなされており、おおいに満足です。
 本番の曲の中では、鉄砲の最初の出番でロールの終わりの打点が2人でずれて、ありゃりゃって感じになったものの2回目のソロは息もぴったり、大迫力の鉄砲乱射、Sさんも、堂々たるrit、そして両手叩き、続くナレーターの「撃たないデーーー」との叫びを導くのに充分な迫力は舞台にいて大変心地よいものでした。
 ちなみにこの作品は、打楽器は壮絶な持ち替えを要する(かなり辛い持ち替えだ。)二人の奏者用に楽譜が書かれておりますが、今回は3人での演奏で行いました。ティンパニを中心とした第1奏者、小太鼓を中心とした第2奏者という割り振りのパート譜より、私が第3奏者として、第1からはトライアングル・タンバリン、第2からは大太鼓のパートをもらって演奏したところ、3人の分担がほぼ均等化できました。・・・ホントは小太鼓ソロも捨てがたかったなァなどと思いつつも、やはり、こんな小品とは言え、プロコフィエフの打楽器における大太鼓の妙技が堪能でき、良い経験が出来ました。プロコの大太鼓はホント楽しいですな。特にロールの使い方。そして弱奏の存在感。
 さてさて、この曲を生かすも殺すも、やはりナレーター次第。今回は地元の劇団で地域密着の活動を続ける、近藤博さんという名優を得、とても聞きごたえある音楽物語が演じられたと思います。キャラクター分け、音楽を理解してのタイミング、テンポ感ともに優れた喋り、こんな語り手を得てこそ、オケも燃え、その情景を作り出すイマジネーションも高まり、今回の演奏のレベルに至ったのかと思います。音楽と語りとのコラボレーション、素晴らしい物がありました。当然、その協働の要に、指揮者の力量、があるのですが。

 その指揮者が今回は、地元の教員の方、ということで驚き。指揮の技術も確かですし、そのオケにあった、甘過ぎず厳し過ぎずの絶妙のスタンスでここまでひっぱってきた功績は、素晴らしいものがあります。このような人材に恵まれたオケは幸せですね。・・・昨月の岐阜県交響楽団でもそうでした・・・。ちなみに、パンフレットに寄れば、前回の「ラプソディ・イン・ブルー」での冒頭クラのグリッサンドを難なく吹き切ったのが今回の指揮の方ということです。

 後半、「くるみ割り」はかなり苦しかったです。やはり、特に弦楽器の力量の限界は見えていたように思われます。テンポも基本的に遅く確実に。私は、ティンパニ以外の打楽器各種をほとんどの曲、でづっぱりで楽しくやらせていただきました。「葦笛」における弱奏シンバルはてこづりましたが、その他は自信もってステージに乗せる事が出来ました。「トレパック」のダブル・タンブリンも爽快!

 続く、「そりすべり」、この曲が最もオケとしても気楽にリラックスムードでできましたね。私は、鍵盤と鞭。中間部で鞭を鳴らす瞬間、持ち方を間違えてオヨヨ。鞭のチョウツガイに近い方ではない逆に持っていた事に気付いたが時既に遅く、鞭の端を持ったまま、鳴らすしかありませんでした。映像的にはかなり変。あぁハズカシ。しかし、音響的には問題無しです。

 最後の「クリスマス・フェスティバル」は良かった。演奏会の最後を飾るに相応しい壮麗な演奏となりました。私は、鍵盤(鉄琴と鐘)、トライアングル、大太鼓、そしてコーダのシンバル。そして、さらに最後は、ティンパニのSさんが、オルガンがない場合のオプション楽譜で演奏しつつ、私が本来のティンパニ譜もそれに重ねて、あたかもマーラーの如く、ダブルティンパニでかっちょよく曲は閉じられると言うわけです・・・おぉブラーヴォー!!
 オケ全体としても、それぞれの部分のキャラクターの違いを生かしつつ、スマートな快演であったと思います。
 追記ながら、この「クリスマス・フェスティバル」、アンダーソンの作品としてはマイナーではありますが、諸人こぞりて、ジングルベルその他賛美歌をつないだメドレー風な作品ながらも、アメリカの派手なクリスマスのお祭り騒ぎが彷彿とされる、いいアレンジの作品です。途中、チャイコフスキーの交響曲第五番第1楽章に現れる木管のパッセージの真似があったり、コーダはほとんどブラームスみたいなオーケストレーションがあったりと、遊びの精神も垣間見せます。もっともっと取り上げられて良い作品ですね。今回のファミリー・コンサートを閉じるに相応しいものでもありました。
 アンコールは同じくアンダーソンの、お馴染みな「トランペット吹きの休日」。
 お客さんもほぼ客席いっぱい集まり、演奏会としても、みなさん満足行くものとなったのではないでしょうか?

 コンサート後は、Sさん宅にて、今回のビデオなど見つつ、今後の活動計画やら、ショスタコの話等しつつ午前4時まで語り、飲み、今年の演奏納め、叩き納めは、充実感の中に閉じられたのでした・・・・Sさんいつもありがとうございます。

今年の書き納め。みなさま、今年1年おつきあいいただき、たいへんありがとうございました。(2000.12.30 Ms)

12/14(木) 名古屋フィルハーモニー交響楽団 第265回定期演奏会 

 岩城宏之を迎えてのオール・シベリウスプログラム。「タピオラ」、Vn協奏曲、交響曲第5番。

 あまりシベリウスを振らないという岩城氏、特に、だからといって期待するわけもなく、はなから期待しないわけでもなく、シベリウスの生演奏が愛知県でもなかなか恵まれないので聴きに行ったという程度の認識。

 さて、「タピオラ」から。相変わらず、最初のトランペットの出番(普段意識した事もない箇所なのだが)からして、プワーってな感じで興ざめな開始。鑑賞意欲を先に失せさせるようで、まったく・・・。ただ、弦楽器も冒頭、原因は不明だが不安定な響きをしていたものの、だんだん調子を上げ、ビオラのパートソロなどなかなかいい雰囲気を醸し出し、良い。チェロの背後の席でいまいち音響的には不利な面があったとは言え、チェロの響きの豊さにも感激できた。
 しかし、全体的には管楽器が足をひっぱっていたようで、イマイチ。フルート、ピッコロは息の音ばかり目立つは、オーボエはシベリウスらしからぬ、明るくあっけらかんとした響きに終始し、このコンサート全てにおいて浮きまくっていた。ティンパニは、やや荒め。初期シベリウスなら大歓迎。タピオラでははたしてそこまでやるかなぁ?

 協奏曲。ソロは、角田美樹さん。全体に線が細いな。冒頭などは、その線の細さがいい雰囲気で期待充分。オケも、控え過ぎといえるほどに抑制されていたのが印象的。冒頭の弦の囁きは、ラハティ管並か?テュッティの合いの手なども、私的にはもっと出しても良かろうと思えるほどおとなしい。10年も前、ヒナステラのハープ協奏曲で、ソロをほとんどかき消すのに終始した当オケ、音友でもかなりな辛辣な批判を受けたのだが、そんな演奏をしていたのも過去の話、協奏曲を聞くお膳立てはしっかり出来ていて安心。
 フィナーレが始まるまでは、好演と言える。一部ソロの細かな腕の動きのミスと思われる暴走などあったものの私を引きつけるに充分な魅力ある演奏とみた。のだが、フィナーレ冒頭のソロのテーマが、以上なまでぎこちない。付点音符が異様に後ろ向き、もたれ過ぎ。ソロの難所も、テンポに乗りきれず、決めの音は毎回はずすし、乱調ぶりが手に取るほどよくわかり、ハラハラドキドキ。今思えば、テンポの主張で、ソロとオケが食い違っていたのか?確かに、もう少し伴奏を重たくしておけばソロの乱調も多少は緩和できたのでは?ソロとオケの協力体制ができてない協奏曲ほど聞いていて苦痛なものはなし。ふと、先月の東フィルのショスタコのVn協奏曲第2番の生演奏の安定感と対比させてしまう。
 しかしながら全体的には、満足行く演奏。特にオケのみの部分がよくできていた。第1楽章の後半のクライマックスへ導く切迫感とクライマックスの堂々たる雰囲気、良かった。さらに、第3楽章の第2主題の民族舞踊風な骨太な感じがいい・・・これらは曲自体の魅力に負うところが大きいだろうが、そういった好きな場面で、期待を裏切らない演奏というのは大事なことではあろう。名古屋においてこれだけの演奏が聞ければ、まぁ満足ではある。

 交響曲第5番。これはいただけんなぁ。シベリウス慣れしてない(?)岩城氏の解釈の問題に尽きる。とにかく速いのなんの。第2楽章は、そのテンポ感で成功しているとは思う。しかしながら、第1楽章冒頭部分、さらに第3楽章全体!!!。こんな演奏聞いたことない。
 とにかく落ちつかない。冒頭の田園的情景も、まったく穏やかな落ちついた雰囲気のかけらもない、せわしないもの。ふと、思う。そう言えば、この夏訪れたシベリウスの家、アイノラにしても、自動車が高速で走る騒音の気になる都市郊外の新興住宅地になっていたではないか?時代の流れが、シベリウスの音楽もこんな風にさせるのかしらん?悲しい事だ。オマケにテンポの速さ故に、オーボエの指が回らずに、はたまたあっけらかんとした音色もあって、ヘビ使いの音楽にさえ聞こえた・・・・来年ヘビ年だからと言って、シベリウスに蛇を持ち込むことはなかろう・・・。
 さらに落ち着かない事に、これはオケのせいではないのだが、斜め前の老人が突如、飴を包んだビニールを延々グチャグチャと音を立て始め、序奏からアレグロに移る部分、まったく音楽の記憶がない・・・よっぽど腹が立ったというわけ。
 しかし、最後、やってくれた。タピオラでは、ちょっと・・・と思っていたティンパニの炸裂。5番の第1楽章最後は決まった。ここまでド迫力で、この腕が動かせない難易度の高いソロを叩ききって終わる爽快感を味わった演奏はない。生演奏はもちろん、CDも。ここの部分聞けただけでも、今回聴きに来た甲斐はあった。ブラボー。
 さて、フィナーレの速さは、強引に過ぎる。オケの皆さんは、よく付いて行った、と誉めるべきなのだが。特に第2主題のホルンの鐘の主題のあっさりとしたこと。感動させてもらえないじゃない。その、あっさりさは、楽章後半にいたって最高潮に・・・昨年のラハティが、まるで宇宙の広さを音楽化したかのような、とてつもなくドデカイ表現で、大感激させたのとは全く逆で、聴いている方がとまどってしまう。さらに、最後、結論である和音打撃に向かって猛烈に加速し始めたのにはびっくり。これはこれで面白かったのだが。ティンパニの2台交互にロールするパターンが、加速を煽る役目ではあったが、あそこのあのパッセージが、まるで「フィンランディア」のアレグロのテーマの回帰と同じ性格を持って私に迫っていたのだ。第5番も、愛国的な、世俗にまみれた底の浅い歓喜の表現を目指せば、こんな演奏になるのだろうか。(注記。決して「フィンランディア」が低俗曲だとは言ってません。ただ、作曲家の意思に反して、音楽以外の要素が一人歩きすることを許容することの出きるほどの、親しみやすさがある、という訳です。5番は、音楽以外の要素、国家、民族なる視点など、とは切り離して、もっと純音楽的なアプローチで行くべきかと思います。その場合、果たして、今回のようなテンボ感が妥当なのか?ちょっと首をひねったわけです。一概にテンポ感だけでは判断できないとは思うのだけれど・・・・・。つい2ヶ月前のシベリウス協会イベントにおけるピアニスト館野さんのコメント、もっと素直に楽譜に忠実に、細工をせずに、といった姿勢が必要か?と強烈に感じさせる演奏でした)

 大満足、とはいかないものの、シベリウスの演奏の難しさ、を認識するに足るコンサートであったのは確かです。シベリウスで聴衆を満足させるのが、いかに至難な技か?またしても、私にとっての名フィルさんは、反面教師として私に教え諭してくれたかのようです。

 追記、風邪をこじらせて、無理を押しての鑑賞。辛いものあり。他のお客さんに迷惑はかけなかったつもり。それにしても、熱っぽいようなフワーッとしたぼうっとした頭の中に入ってくる、特に「タピオラ」、なんとも夢幻的ではありました。

いまだに風邪で困ったもんだ(2000.12.24 Ms)

12/3(日) ある結婚式 

 駄文系ネタではあるのだけれど、ちょっと長くなりそうですし、駄文コーナーの小さな文字ではとても読みづらくなりそうで、ただ、そんな理由のために、トピックスネタとして取り上げてみた次第。

 私の7,8歳ほど年下のいとこ(女性)の結婚式で久々に大阪へ行って来た。お相手は、私より一つ年上・・・。まぁ、そんな細かい事を書いていってもこのコーナーに似つかわしくはないだろう。
 ただ、新郎の友人達が関西のインテリジェンスな方たちで、スピーチがなかなか楽しく、かつ堪能であったこと、新郎自身がロマンチストらしく、最後の新婦の両親への手紙でおおいに涙したことなどが、印象的であった(ちなみに新郎は大学病院勤務。友人は、開業医、飛行機のパイロット、人工衛星開発など、凄い職種の人達だ・・・我が家系に比較して)。
 仲人なし、親族も両家一人づつ最初の方で短いスピーチだけ、あと余興はカラオケは新婦友人1曲のみ、あとは、友人のスピーチが何人かあり、ドンチャン騒ぎ披露宴では無しに、様々なスピーチから2人の人柄、交友関係などが両家の人達に伝わってくるというコンセプトで、なかなか新鮮であった。ただ、それだけの役者と台本がそろわないとこんな披露宴は難しいね。その点、関西の人達は、私が思うに東海地方の人達よりは口が達者である。聴く耳持てるスピーチばかりで良かった。

 少なくとも披露宴においては音楽ネタは皆無。だが、なぜここにこんなネタを書き始めたのか?おいおい明らかに致しましょう。

<0> 冗長なる序章(いつものこと)

 そもそも、12/3は、久々の奈良旅行を企んでいた。ちょうど、奈良交響楽団の定演がある事をHPで知り、シベリウスの5番と珍しい「春の歌」(私の曲解な解説もありますよ)、グリーグのこれまた実演は珍しい「叙情組曲」というプログラムで、どんな団体かは知らなかったが、特に「春の歌」の実演目当てに行こうと思っていた。奈良の南方、桜井の駅南にある某ペンションがとても格安かつおいしいフランス料理を食べさせてくれた記憶もあり、飛鳥の遺跡巡り兼奈良オケ鑑賞、1泊二日を目論んだのだが、結婚式の話が来て立ち消えである。
 その結婚するいとこは、昔から男勝りなちゃきちゃきした女の子で随分小さい頃、私にもよくなついてもいたし、当然、結婚式優先にはなったのだが、「春の歌」の穴埋めをしないとなんだか損をしたような気もして、大阪に前泊し、何かコンサートでも、とも思ったが好みのものが何もなく、でも、大阪まで一日でとんぼ帰りもつまらない、とりあえず前泊ということには決めた。

 名鉄急行で名古屋まで、そこから近鉄特急でなんばまで。新幹線をあえて使わないエコノミーな旅である。前日の午後過ぎになんば着。
 大阪と言えば、名古屋に住んでいた頃はよく行った記憶がある。海遊館、造幣局の桜、あと、私的には、道頓堀の辺りの散策が懐かしい。道頓堀に昔ながらの大衆食堂があり、
織田作之助の小説にも出てくるとかで、カレーチャーハンみたいなライスカレーの上に生卵を乗せた一品がたしか「夫婦善哉」に綴られている。その縁か、食堂には堂々と「織田作文学発祥の地」なる看板が出ていたような記憶がある。無頼派ファンにはたまらない名所であるはず。そんなカレーを食べた後にデザート、すぐ近くのぜんざい屋に入る。もちろん「夫婦善哉」(めおとぜんざい)を食す。・・・あまりに、くどい昼食で、みなさんにはオススメはしないけど。
 ちょうど、そんな辺りも5年ぶりくらいに歩いた。しかし、礼服ももって大荷物なのでのんびり散策とは行かず、心斎橋方面へ歩く。結局音楽ネタ探し。ヤマハ心斎橋店。ここも大学の頃寄った覚えがかすかにあるが、アーケード街のなかにあって、えらく庶民的な場所にある。それにしても、人人人・・・。
 最近出た、シベリウスの評伝を見つけて購入。実は、この夏フィンランドでこの本の元の本をアイノラにて購入。こりゃ珍しい、日本で自慢できると思ったのも束の間、10月のシベリウス協会コンサートにての話で、すぐ和訳が出ると聞いて、なぁんだ、がっくりしたのだが、なんのことはない、かなり違うぞ。その辺りの話は、違うところで書く予定。10月のシベリウス協会の補足にて触れる事としよう。
 スコアもなかなか変わったものがあって楽しい。結局今年のバッハ・イヤーに関連して、
ブラジル風バッハ、そしてヴィラ・ロボスについて精力的に取り上げようとしつつ不発になってしまい関係者にはご迷惑をおかけしましたが、そのヴィラ・ロボスの管弦楽作品のスコアが充実していて見ていて楽しかった。とても演奏する機会は無さそうで購入までは至らなかったが、特に「ショーロス第10番」(MTトーマスのCDでも快演。アフリカ及び未開的なサウンドの心地よさを是非体感したい。)のスコア・リーディングは楽しかった。
 安売りコーナーで見つけたのは、ニールセンの作品2のロマンス。・・・あれ?こんな作品だっけ。小規模管弦楽の伴奏付きバイオリン独奏曲。原曲は、オーボエとピアノのための作品、それを、ハンス・ジットがオーケストレーション。グリーグの「ノルウェイ舞曲」のオケ編曲者か。珍しかったが、珍しいだけの存在であったので見送り・・・きっともう2度とお目にかかれないかもしれないが・・・。
 また、今度、ホルストの「木星」を演奏する事もあって、最近日本でもスコアが出版されたので解説に何が書いてあるかぺらぺらめくると、これがまた面白い。「木星」ではなく、「天王星」だが、冒頭にも出る、G・Es・A・H(ソミラシ)という主題が、
v olst の名前からとは知らなかった。「奇術師」・・・無から有を生み出す作曲家ホルスト自身ということか?ホルストも味な事やるね。ショスタコのレミドシの先輩かぁ。ホルストももっと知りたい、聞きたい。そう言えば、ホルストのスコアもいろいろあったな。知らない作品ばかりだったが。個人的には、惑星の次の作品である「日本組曲」のスコアが欲しいのだが・・・。

 続いて、HMVにも立ち寄る。それほどめぼしいものは無し。それほど広くもないし。ただ、モスクワ放送響の25周年CDのシリーズで、シベリウス作品集があり興味津々で購入。ただ、パッケージに注意。「En Saga」は「Saga」とのみ表記。中身を見ると、(和訳すると)「交響詩「サガ」変ホ長調」・・・・おい、どこが変ホ長調なの?いい加減な!!あと、これは重大なミスだが、「交響的序曲「カレリア」作品10」と書かれてはあるものの、インデックスは3曲分、聞いてみれば作品11の組曲。ロシアでのシベリウス認識ってこんなものかしらん。ただ、中身にあるフェドセーエフの笑顔には心休まるものがある(ちなみに私の父はフェドセーエフに似ている。祖父はムラビンスキーに似ている。ホントです。きっと将来、私の顔に似た大指揮者がロシアから誕生するであろう!!?)。 
 その後、閉店セールの「そごう」に寄って買物を企んでいたが、中に入るのに30分以上かかるとのことで諦め、人の波を分け入りつつ、地下鉄に乗りホテルへ。大阪城近くのホテル。シベリウス本をじっくり読みつつ就寝。

 翌日、結婚式は昼過ぎなので、午前は、大阪駅近くのササヤ書店にて楽譜を物色。これが面白い掘り出し物が断然多く楽しい。東京のアカデミアより私的には興味深いもの多数。時間も足りないくらいであったが、スコアとしては、ユダヤ人作曲家のブロッホのヘブライ狂詩曲「ソロモン」(実質チェロ協奏曲です)が6000円近いところ900円で買い。ショスタコ作品は別格として、チェロ協奏曲としては最も好きな作品。
 さらに嬉しかった事に、
ロバート・シンプソン著の「カール・ニールセン、シンフォニスト」を入手!!当然英語だ。しかし、日本語の文献がほとんどないのだから仕方ない。ニールセン研究のバイブルである。夏にデンマークで買ったもう一つの著作と合わせ、おいおい勉強するぞ。ちなみに、今回のシンプソンの方は、FS番号の完全なリストが収録されていて、彼の全作品がわかるのだ。日本の文献においては、これが全て網羅されていない(音楽之友社の作曲家別ライブラリーも不完全)。この資料を出発点に、当HPでも新たに、ニールセンのコーナーを作りたい・・・・のだが、果たして・・・・。でも、とても嬉しかったなァ。大阪まで来て良かった。ニールセンへの傾倒は今年深まるばかり、彼の健全なる楽天的エネルギーを栄養に、(少々早いが)来年もがんばろう!!

さて結婚式の本題はいかに?また引き伸ばし??(2000.12.5 Ms)

<1> 結婚式にて

 いつのまにやら、新年改まってしまいました。ただ、めでたく新世紀を迎えたこの新春、めでたく新婚生活を始めた私のいとこ夫妻の前途も祝しつつ、記事を書くということで、私の遅筆ぶりお許し頂ければ幸い・・・・この記事、誰も待っていないんじゃなかろうか?とも思いつつ・・・。

 キリスト教による教会式の結婚式、クラシカルな音楽もふんだんで、結構好きなのである。結局のところ、教会の豪華なステンドグラスも、厳かな宗教音楽も、文字を知らない、言葉も通じない邪教の民族でさえもまずは雰囲気で、感覚的な問題で、改宗させるきっかけをつかもうという魂胆で作られたものではなかったか?かく申す、異教徒の私Msも、改宗こそしないものの、教会式結婚式お気に入りなのだから、その雰囲気に完全に取りこまれているというわけか。

 さてさて、オルガンと女声コーラスが、宗教的ムードをおおいに高めるのだが、まずは式次第に沿って順番に。

 奏楽−新婦入場。新郎は中で待つ。新婦は実父と共に入場。父から夫へとパートナーが変わるのが、ぐっと来ます。オルガンによる、ワーグナーの結婚行進曲
 賛美歌「いつくしみ深き」。他の歌詞をつけて、小学校でもよく歌うお馴染みの旋律。女声の先導でみんなで合唱・・・4声の楽譜が載っているが、まずソプラノ以外のパートを歌う人はいないな。
 聖書、祈祷、誓約式。神父の厳かな言葉の背後に、オルガンの賛美歌風なメロディーが2曲ほど控えめに流れる。
 再び、賛美歌「いもせをちぎる」。これはあまり有名でない。楽譜を見ただけで歌える人は、あんまりいない。・・・ので、私は思いきり歌う。しかし、旋律線のぎこちないところがあって歌いにくい、覚えにくいもの。たまにとちると目立つ。
 最後に再び奏楽。新郎新婦退場。今度はオルガンによる、メンデルスゾーンの結婚行進曲
 解散・・・帰る際には、オルガンが控えめに、モーツァルトの「アヴェ・ベルム・コルプス」うん、名曲だ・・・。

 てな具合な訳だが、この15分位の式の間に考えた。フラット系の調性の音楽がほとんどである・・・。
 冒頭、ワーグナーは変ロ長調(フラット2つ)、続く賛美歌「いつくしみ深き」はヘ長調(フラット1つ)、その次は知らない曲だが変ニ長調(フラット5つ)、次はト長調のアメージング・グレース、続いて賛美歌「いもせをちぎる」もト長調(それぞれシャープ1つ)、退場のメンデルスゾーンはハ長調(調号無し)、最後のモーツァルトは変ホ長調(フラット3つ)。

 全体の流れとして、フラット系の音楽を主体とし、前半に多く使用しつつも、二人の結婚がかわされて祝賀ムードが高まるのに伴い、フラットからシャープへと調性が変化。そして、最後は余韻に浸るかのように再びフラットへ。

 すべての音楽が長調で明るいのだが、フラットとシャープだと、大まかに言って、性格を異にするような感覚があるように思うのだ。フラットの方がより宗教的な深さ、落ちつきを感じさせる。シャープの方が、宗教的というよりは世俗的な、より単純なあっけらかんとした明るさ、といった趣がないか(シャープもあんまり沢山つくと、単純さは薄らぐが)。ちなみにメンデルスゾーンの結婚行進曲、ハ長調ではあるが、旋律冒頭の和声付けはホ短調的な傾向、ゆえにシャープ系を匂わせるものではある旨、付け加え。
 仮に、入場と、退場の行進曲を逆にしたらどうだろう?やはり、教会に入るという厳粛さは、ワーグナーの方が効果的か。逆に、式を終えた後は、ワーグナーの落ち着いた雰囲気よりは、より祝祭的なメンデルスゾーンこそ相応しい。これが、また、結婚式ではなく、披露宴の入場であるなら、メンデルスゾーンの華やかさこそぴったりであり、ワーグナーで披露宴が始まろうものなら、ちょっと肩透かし的な感覚にならないか?(神聖な感覚に、より富んでいるワーグナーの方を使用するのも納得出来ないこともないのだが、昨今の披露宴のノリから言っても、より祝祭的派手さのメンデルスゾーンに分があろう。でもいまや、クラシックは使わないか??)
 賛美歌の統計をとるつもりはないけれど、フラットの方がより宗教的雰囲気に合うような気がするのは私だけだろうか?

 思い出してみると、例えば、最も宗教臭さをただよわせる作曲家ブルックナーの交響曲の主調のほとんどがフラット系である。例外は6,7番だけ。6番が失敗作として評価の低い傾向が見られるのも、慣れないシャープに始めて挑戦したからか?いまいちインスピレーションが羽ばたかなかったということか?その失敗と経験あって次の7番は持ちなおすが、やっぱり、8,9番と、作曲しなれたハ短調、ニ短調というフラットへと回帰したのではないか?根拠のない邪推。
 他の作曲家をちょっと思い出しても、宗教的、と思わせるものと言えば・・・
 季節柄、ベートーヴェンの第九、それも安らぎを感じさせる第3楽章、変ロ長調(フラット2つ)。逆に言えば、フラット系の前3楽章そして第4楽章の序奏から、シャープ系のニ長調ヘ移行するから、歓喜の歌の華やかさが際立つということか?
 マーラーの2番「復活」のフィナーレ、変ホ長調、8番「一千人」も同じく(フラット3つ)。
 シューマンの3番「ライン」の第4楽章、「厳格な儀式のスタイルで」は変ホ短調(フラット6つ)。
 肝心の宗教音楽に詳しくないもので、まったくもって説得力に欠けるような気もしないではないが、交響曲を例に取ってみて、フラット系音楽の持つ穏やかさが、宗教的場面に相応しくもあり、また宗教的雰囲気を漂わせているような気はするなぁ。

 そんなことを、結婚式の間にひらめき、帰りの近鉄特急の車内にていろいろ思いを巡らせたという次第。

 しかしながら、結婚式の間、変ニ長調の賛美歌のみは、すぐに調性が判明せず、変ニかニか迷った挙句、みんなが、感動的な指輪の交換を注視し教会中央に視線が集中する間、私のみが、教会隅のオルガンの鍵盤を横目でじっと見つつ、オルガン奏者の左手の小指が、白鍵でなく黒鍵の上にあるのを確認しつつ、「良かった、賛美歌フラットお似合い説でいけそうだ」なんて考えていた・・・・、不謹慎はなはだしいですね。

こんなレベルなら、コンパクトにまとめて駄文ネタにすりャ良かった・・・と書いたのを後悔、しかし公開(2001.1.3 Ms)

 

 August ’00

8/5(土) 名古屋フィルハーモニー管弦楽団 ファミリーコンサート

 某関係者のみに開放されたコンサート故に、このコンサートの潜入記は、他に読むことはできないであろう、貴重なものであるはずだ。

 さて、ファミリーコンサートなわりには、格調高く、と言おうか、難しかったのではなかろうか?子供たちには興味不足、親達にしても知らない曲ばかりだったのでは?何せ、こんな「曲解」な私が満足いくコンサートは、とうてい「ファミリーコンサート」の名に相応しくないと思うな。

 オープニングは派手に、チャイコフスキー「エフゲニーオネーギンのポロネーズ」かっこよく決まりましたね。名フィルも何年ぶりか、久しぶりだったが、そんなに下手さを感じない好演。金管も外さずに、迫力満点に吹ききってくれました。弦とのバランスは、アマオケ程度の考慮ぶりでしたが、通常の定演と違い、客席に批評家面した耳の肥えた聴衆がいないと想像できる故のリラックスぶりということで笑って許せると思います。なお、ティンパニ奏者は、新人だろうか、見なれない人物であった。4台必要な当曲を3台で難なくこなしていたのが良かったです。
 (なお余談だが、チラシには「エフゲニーオネゲニー」と書いてあった。あぁ情けない)

 さて、今回のコンサートのメインとなるのが、林光の、オーケストラのための童話「セロ弾きのゴーシュ」。珍しい体験をさせていただいた。これがなかなかの名曲であった。ただ、子供に受けるとは、思いづらいのだが。
 ソプラノ歌手兼語り、そして藤原真理さんの独奏チェロ。そして2管編成オケ。
 音楽的には、とても分りやすい、調性音楽。ただ、おおまかな筋だけを追っているので語りがあるとは言え、童話そのものをしっかり把握していないと分けがわからない、とは思った。組曲だが、かなり断片的な構成。動物たちとの逸話の部分を重点に曲が書かれている。語りも、童話全体を聴衆が知っているものとしてセリフが作られており、説明不足だ。私にとってはそれで充分ではあったが。
 まず、第6交響曲の練習から帰ってきたゴーシュ、ということで、ゴーシュを表わすと思われるメインテーマは、か細くチェロにより、ベートーヴェンの第6交響曲「田園」の冒頭の3音を含むモチーフで登場。そして、練習でこっぴどく怒られたシーンを回想するごとく、「田園」のテーマがパロディ風に悪夢のようにオケ全体に波及、面白い場面だ。
 そして動物たちとのやりとり。猫。童話にも出てくる出典不明な作品「インドの虎狩り」も創作されている。テンポの落ち着いたロック風なシンコペーションが多用されたリズミカルなもの。
 続いて「カッコウ」ここでソプラノはカッコウを歌う。しかし、ドレミファを教えてくれ、というのにカッコウは「カッコウ」としか歌えない。チェロがいくら音階を弾いても、3度音程しか歌えない。ソプラノ歌手の唯一の歌の出番だが、ひたすら「カッコウ」と歌うだけ。走り回って「カッコウ・カッコウ」とのみ歌うシーンは見ていて苦しい。子供たちもどんなものだろう?音楽としては面白く出来ている。二人のやりとりがユーモラスに描かれてはいる。
 さらに狸の登場。ここでは、ゴーシュにリズムが甘い、という指摘を狸がするのだが、その模範的な狸のリズム取りが、小さな木魚で表現されている。これまたわたし的には楽しい場面。
 そして最後にネズミ。ゴーシュのチェロを聞くと病気が治る、と言うネズミに対し、ゴーシュは、バッハの無伴奏を弾いてあげる。これまた感動的なシーンである。チェロソロが歌い出し、少しづつオケがハーモニーの色取りを添え、森、野原いっぱいにゴーシュのチェロは鳴り渡り、聞くものたちを幸福にする、というのだ。さすがの私も疲れ始めたときを見計らって、このシーンがやってくる。絶妙のタイミング、構成感、そして楽想である。
 バッハが終わったところで、語りは、「演奏会は大成功」などと言うのでいささかびっくり。ちょっと飛ばし過ぎじゃないかね。演奏会の場面は割愛されているのか。家に帰ってきたゴーシュを描いてこの作品は閉じられるのだが、確か、今までの動物たちとのやりとりを回想していたと記憶する。しかし、最後のセリフ、カッコウに対する謝罪のあと、やや騒々しいコーダが続き、ニールセンの第1交響曲の最後を彷彿とさせる、ハ長調のV−Iの和音打撃で曲が終わったとき、「おい、それは違うだろう」と思ってしまった。
 カッコウが全く音階を覚えないのに腹を立てて追い出したことに対する謝罪、この童話の最後の場面は、もっとしみじみとした、淋しさすら感じるのだけれど、ギャグのずっこけの後の如き、チャンチャン、で終わられた日にャ、今までの感動もどこへやらって感じだ。まぁ、でもこれはこれで、作曲者が、この童話に対して、このような余韻を感じ取ったのなら、それはそれで受け止めよう。自分と、その読み方が違ったのは当然と言えば当然だろうし。最後にやや不満は感じつつ、全体としては、とてもうまく表現された(音楽化された)作品で良かった。

 休憩をはさんで後半は、ドビュッシーの「小組曲」とストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲。特に特筆すべき感想も無かったが、ただ、さすがに「火の鳥」まで来ると眠る子供が多く、それを見越してか「カスチェイ」の冒頭で大太鼓が、いまだかつて私が芸文において聴いたことの無いぐらいの大音響でドカンドカンと工事現場さながらに容赦無く叩きつづけたのには笑えた。案の定、私の周りの子供は目を覚ましていた。
 なお、新人らしきティンパニストは、「火の鳥」のフィナーレで7/4拍子のロール部分で見事に間違え混乱し、ロールの後の四分音符連打が訳の分らない曖昧な状態になったのは「おいおい」という感じ、その影響で、最後のコラールの頭の打楽器陣の一発が、3人ともずれ、ティンパニ、大太鼓、シンバルが、ドンガラガッシャーンてな具合に情けなかったのは涙が出てクラァ。聴く人は聴いているんですから、名フィルさんももう少ししっかりしてくださいな。足も遠のくってもんですよ、まったく。

(2000.9.30 Ms)

July ’00

7/30(日) 名古屋シンフォニア管弦楽団 第37回定期演奏会

 いつも貴重な、かつ、楽しい経験をさせていただいているシンフォニアさん。今回のお題目は・・・。
 メゾ・ソプラノの小山ゆうこさんを迎えてのステージと、チャイコフスキーの5番。私は前半のみ、それも「カルメン」第1幕への前奏曲の大太鼓だけという負担の軽いもの。ほとんど観客気分?。練習日程も、自分のオケの練習、本番と重なり、結局は前日からの合流。
 正直、今までになく気楽な気持ちで現地入りしたのだが・・・・セッティングされた大太鼓を叩いてびっくり。おいおい。皮がダブダプ。半年間眠ってたままで、そのまんま置いてあったのだ。ちょっと待て。合奏まで30分ないぞ。おまけに、みんな音、鳴らしまくってうるさくってチューニングなんかできやしない。冷や汗たらたらで調整するものの、あきらめた。指揮者の江原先生も、音色にはうるさい人なんで困った!!見つからないように静かに叩こう。ということで前日は過ぎた。本番前になんとかしよう。ということで。

 さて、前半の声楽のステージ。小山さんの十八番、「カルメン」より、まず第一幕への前奏曲。そして、「ハバネラ」「セギディーリャ」と続き、第三幕への前奏曲(フルート・ソロの曲)で一休み。そして「ジプシーの歌」。
 続いて、「カバレリア・ルスティカーナ」より間奏曲、そして「ママも知るとおり」。最後にヴェルディの「ドン・カルロ」より「むごき運命を」。

 声量もあり、また自信たっぷりな堂々たる歌いっぷり。練習の時から「凄い」と感じっぱなし。特に自分のオケで「カルメン」の組曲をオケのみでやったばかりということもあり、声楽のもつ表現の豊さは際立つほど感じられ、また、本物を聴いた!!という感激もある。
 さて、シンフォニアさんも、テンポが揺れ、かつ、情景も変化が激しいアリアの伴奏を的確にこなしていたのではなかろうか。よい経験をされましたね。さて、お馴染みの顔ぶれの打楽器陣だが、直前にトレーナーやら関係者やらがよってたかってタンバリンのバランスが大き過ぎだとか忠告されて、結局、どうも悪い方向へ行ってしまったのが可愛そうであった。確かに、音量は控えるべきであったかもしれない。しかし、あくまで指揮者がそれを判断すればよい。全ての練習が済んでからとやかく言われても、もうどうしようもないですよ。オケのあり方として疑念を抱かせてしまう光景であった。残念。
 私は楽勝なパートなのだが、出番の最後、カルメンの死の動機の最後の一発は、そこそこ緊張。ティンパニとシンバルとの完璧なアンサンブルが要求される。結構、こういうパターン、合わない人とは合わないんだよなァ。リズム感の相性という問題。今回は見事に決まった。お二人のお陰です。これに失敗したら、もう今回私に出番はなく、雪辱の晴らしようもなく、ビールもまずくなるところだった。良かった良かった。
 さて、リハーサルでも問題だったのは、「ジプシーの歌」の最後のプレストへの壮絶な加速。滅茶苦茶。しかし、本番当日、舞台上では、独唱の加速にホルンがうまく乗っかって、その背後のタンバリンが確実なアッチェレの持続的なリズムをキープし、さらにプレストでティンパニにそのリズムを受け継ぐというリレーがうまく行き、けっこう綱渡りな部分も無事に突き進めた。指揮者も、プレストで完全に3拍振りから、1小節1拍振りになり、オケもよくついて行けたな、というのが正直な感想。指揮者も妥協しなかったのは、オケを信頼していたからか?
 イタリア・オペラものは、ほとんど耳に馴染まない性質の音楽なのだが、今回、生で体験して、悪くはない、と感じた。やはり、いい演奏で聴けば、嫌いな曲も、良く聞こえるのか?説得力ある演奏というのは、私は大好きだ。自分の狭い枠を広げてくれる。説教じみた言葉の羅列でなしに、音楽のみで説得される、というのは快いことだ。今回のイタオペはいい経験をさせていただいた。ありがとうございます。

 後半のチャイ5は、着替えもすませて完全な観客。
 予想どおり!?、濃厚なヤツを聴かせていただいた。テンポの変動激しく、かつ、強弱やニュアンスにも様々な配慮がみられた。
 私の最も感じ入ったのは序奏かな。おそめなテンポで、途切れ途切れにかなり病的な感じ。ただ、旋律のクラのユニゾンが、ずっと途切れない。次の音符に常につながっている。こんな解釈は初めてのような。それがなかなか効果のあるものだったように感じた。さらに、第一楽章のコーダ。ここの音色の感覚も繊細だ。普通にやると、最後に超目立つ、ファゴットの最低音、それも主和音の第五音で目立つとうっとうしい音なのだが、これがうまく消え去るように処理され、次に、チェロの第三音がちょっと聞こえ、また消え、ティンパニの高音域の主音が消え、最後にコントラバスの最低音の主音が残る、という素晴らしく、落ち着いた、安定した和音を聞かせてくれた。この絶妙な色彩感、裏を返せば、かなり指揮者のリーダーシップが感じられる。奏者の自由度とは正反対のものが感じられる。最近、世間もそうだが、自由ばかりで無秩序な光景がよく目に入る。そんな世相ゆえか、私は、「統制された美」、「自由を主張しすぎず、自分の役割を果たしつつ他人との関係に充分に配慮する」、という姿勢に感動の度合いが高まってきているのだ。(・・・つい先日の私のオケでの「運命」のティンパニも私は、そんなことを強烈に意識して演奏したのだが・・・・・一部には覇気のない、主張のない、迫力のない、という批評も賜ったのだが、はたしてどうだろう?)
 ただ、自由度の高い部分は必要だ。しかし、団体競技である以上、統制のかかるところはバシッと決めなきゃ。第1楽章の最初と最後はかなりよい部分だった。
 低弦の話がでたので、引き続いて。やはり、うまいですわ。チェロの歌う部分とかも、積極性が感じられ、また、弦の大ユニゾンでも下をしっかり支える安定した存在感を感じる。コントラバスも、音楽自体のスケールの大きさを表現するのに果たした役割は多大なものがある。
 全体に、やはり「統制」のイメージは強く、(テンポの変動の激しさ故か?)また、全体的に、特に弦は、よく付いて行ってるなァ、と思ったのだが、一点、重大な欠点が感じられたのが残念。金管に、統制、計算が感じられないこと。
 特にトランペット、1本でテュッテイ全体と張り合う、短い合いの手の部分などは完全にオケの中に埋没、しかし、テュッテイ時に、倍管で吹くと、オケ全体のバランスから逸脱。最初から、異様に威容を誇っていようが、いよいよ最後、というところで効果的な存在感が示されなかったのは、おおいに残念無念。
 ホルンが要所で吠えているのはまだ大丈夫だったが、トランペット、トロンボーンは、ここぞ、という時の為に温存していただかないと・・・。特に冒頭楽章からむやみに盛り上がりすぎ。フィナーレは、コーダの手前で完全燃焼したかのようで、最後の勝利の凱歌が、はなはだしく効果的に鳴らなかったのだから、聴く側としても困った。最後でいい気持ちにさせてくれないチャイ5なんて・・・・。そんな中で、オケの最後列、最頂点にたくましく鎮座するティンパニは、バランス的にも申し分なく、かつ、ペース配分も適正。金管とは対極にある、大局に立った素晴らしい演奏を聴かせてくれたのが嬉しい。ややミスも見つけたが、そんな枝葉末節なことは、最終的に感じさせない。ティンパニに見習うべし。

 というところが大雑把な感想。
 おっと、一言忘れてました。今回、「ハバネラ」で、我がHPで話題沸騰の、ショスタコの5番第一楽章の引用部分が高らかに歌われた。ラ・ムール〜ラ・ムール・・・・・隣の「清流」氏とニヤリ。ちょうど1年前、シンフォニアさんの練習時(タコ5)に、「ハバネラ」とタコ5の関係の話で盛り上がった。まさか1年後、タコ5の元ネタあかしが、同じ場所で披露されようとは・・・・シンフォニアさんも目の付け所が違うねえ。・・・えっ、まだ、ご存知なかったですか?ショスタコが「カルメン」にこだわらざるを得なかったことを・・・・そんな方は、
こちらを読んでおいてくださいまし。

 最後に、お馴染みの打楽器陣ですが、とりあえず今回で、当分この5人が舞台で揃うことはないのかなァ・・・・てな話。毎度、楽しく、また、有意義に、また、演奏しやすい環境で、がんばってきましたが、これも時の流れですかね。ひょっとして私も今後、お呼ばれも危ういかな。またの再会は是非とも願いたい。これからもがんばろうね。

(2000.8.2 Ms)

7/9(日) NHK芸術劇場「館野泉トリオ」

 ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲第2番が演奏されました。弦の二人はアイスランドの女性とのこと。これがまた、凄い迫力な、ダイナミックな演奏。第2楽章の速さ、そして、三拍目への特徴的なクレシェンドの表現の鋭さ。聞いていて気持ちよくなる。フィナーレなども、ユダヤの主題のバックの暴力的な重音のピチカートが良い。「見た目」的にも、バイオリンの方など、チェロ以上に大股開きで、こちらが恥かしいくらい。でも、鋭角的な鋭さ、もしくは重厚で重ぐるしい表現といい、要所要所で的確にショスタコならではの音楽を展開しており、いい演奏と感じた。
 曲の素晴らしさも再認識。特に、フィナーレにおける先行楽章の主題回帰が特徴的だが、特に、クライマックスでの、ピアノの高速なアルペジオ風な音型が、館野氏のピアノということもあってか、私は、
シベリウスの作品5の即興曲の5番を想起した。悲しくまたたく天の星・・・なんて感じのイメージがでてきて、そんな美しさの中から、第1楽章のさらに美しい泣かせ節が高音でバイオリンから歌われるのはホントに感動的だなぁ。それが一転、第3楽章の重厚な和音連結がピアノで再帰、疑問、未解決なムードを漂わせ終わるのだ。意味深な作品といえないか?友人の死が前面に掲げられつつも、ユダヤのテーマがあったり、と気になる存在ではある。
 そう言えば、去年の今頃も、この曲のこと書いていたなァ。かなりつまらない記事だがリンクでもしておこう。
どうぞ

(2000.7.25 Ms)

7/1(土) パイヤール室内管弦楽団 演奏会(名古屋国際音楽祭)        

 Msよ。どうしたんだ、一体。前半がバッハのオーボエダモーレ協奏曲とチェンバロ協奏曲第1番。後半が、ビバルディの四季。何故そんなコンサートに?

 実は、職場で急に行けなくなったと言ってS席のチケットが手元に。それならば、というだけの話。急に暑くなり、夜も寝苦しく、前日、2時間あまりしか寝てないことも手伝って、案の定、ウトウト。申し訳ない。

 しかし、こんな小編成な団体のプロのサウンドと言うのは、感動モノ。普段、アマチュアの弦の音の醜さに慣れ親しんでいたためもあり、これが弦の音なの?という驚き。弦を弓で摩擦させる、といったプロセスを感じさせない、純粋な音、と言おうか音程感、というのが心地よい。たまには、こんな音も聞かなきゃだめね。素晴らしい機会を与えてくれた先輩に感謝だ。

 期せずして、バッハとビバルディの音楽の聞き比べのようなコンサートであり、振って沸いたようなバッハ記事となり、安心。しかし、バッハの音楽はビバルディほどサービス精神がない。大真面目だ。四季は描写音楽ということもあり、多彩な音楽を一つの楽章の中に詰め込んでいるのが楽しい。しかし、バッハはとにかく、動機の展開、といった進み方で、当然ビバルディのような劇的な変化に乏しい。その音楽の性格と、寝不足が、チェンバロ協奏曲でのウトウトに結実。チェンバロの音も生で聞くのは初めてかもしれないが、か細く、耳をそばだてねばならない。そんな細やかな感覚が当日の私に欠如していたか。ただ、チェンバロ協奏曲の曲の進み方で面白いと思ったのは、意外なところでソロがあり、かつ、意外なほどカデンツァ的なものがあったりと、ビバルディのややそこの浅い展開と違って、構成でおやっと思わせる部分があったこと、さらに、そんなカデンツァも古典派以降のまってました的な、決めの和音(一度の和音の第2展開形か)による導入に慣れ親しんだ私には新鮮な感覚であった。

 でもやはり、四季の方が聞いていて断然楽しかったなァ。名曲として親しまれているのもわかる。とにかく興味が持続する。標題のおかげもあるが、それがなくとも、旋律の親しみやすさと、やはり劇的な展開、がポピュラリティの所以だ、としっかり認識できた。

 さて、演奏に関しては、バッハではさほど気にしなかったが、解釈がロマン的、といおうか、テンポルバート、ため、など、バロックではあまり聞かれないような音楽の作り方をしているように感じた。古楽的な流れが目立つように最近思うのだが、そういう流れとは正反対な演奏、と感じた。それが、私にとっては大変聞きやすかった。旋律と伴奏、あるいは伴奏間における音量の歴然たる相違(春の第2楽章)に舌を巻き、また、スル・ポンティチェロ風なサウンドに驚き(夏)、どちらかと言えば現代的な解釈とも言えよう(当時の音楽を再現という感覚ではなさそう)。テンポが全般的に速いのも現代的か?冬の第2楽章はもう少し情感たっぷりとゆっくりと・・・とさえ私が思うほど。
 あと、特筆すべきは、オーボエダモーレの音にはしびれたな。オーボエより少々低く、かつ、コーラングレほどに低くまた鼻にかかった音でなく、素直なキレイな音だった。旋律も幸福感溢れる、バッハにしては人懐っこい感じさえした。隠れ名曲だ。えっ、隠れちゃいないよ、って?

 アンコール、いきなり、フランス近代的な和音がなり始め、何だ?といぶかしがったのも束の間。バイオリン・ソロが「からーす、なぜなくのー」などと弾き始めて、観客からも笑いが漏れる。しかし、フランス的な洒落た和音に、この素朴な旋律が流れ始めるや、万博のお膝元である当地、という意識が立ち上る。自然との共生。東京では石原都知事のカラス撲滅作戦。しかし、つい数10年前は、カラスに対して、こんなに優しい感情を我々は持っていたのだ。久方ぶりに、この歌詞を思い出して、複雑な心境。カラスを悪役にしたのは人間じゃないか。先人達のカラスへの慈しみを今日はじめて意識した。そんな優しさに満ちた感動的な、美しい演奏に感じ入った。きっとこの演奏、CDにはなってないのでは?でも、素晴らしかったです。聞く価値ありです。
 まさか、これで終わるわきゃなかろう、と思ったら、パッヘルベルのカノン。これまたロマン的な情感溢れる演奏で良かった。満足満足。
 この感覚忘れたくないなァ・・・と思っていたのだが、結局翌日、我がオケの練習。パイヤールと同じわけにゃぁいかんかったですわ。

(2000.7.5Ms)

 April ’00

4/22(土) ピカソ・N響・センチュリー        

 ふぅ、年度末から年度始めの怒涛の如く濁流状態の仕事も収束しつつある休日。ほっと、一息。今日は久々にのんびりできた。てな訳で今日の出来事などつらつらとおもんみるに・・・・。 

<1> ピカソ〜天才の秘密〜

 4/20のBSで、標記の映画を放映していたのでビデオで録画。今日、午前、ざぁーっと見てみる。
 ほとんど言葉は無し。ピカソ本人が上半身裸で絵を書いている。(ワイルドな風貌だ。)そして、その絵が、どのようなプロセスで出来るかをひたすら映像が追うだけの映画だ。
 最初の内は面白く見ていたが、見れども見れども、ひたすら、例のわかりにくい絵が出てくるのみ。途中からは早回しにしながら見た。分かりにくい絵も、最初は明らかな人や動物の描写にすぎない。しかし、時を経るにつれ例の如き様相を呈してくる。興味深いのだが、正直、80分付き合うのは辛かった。
 音楽担当は、ジョルジュ・オーリック。フランス6人組の一人。私にとっては、今まで意識したことの無い作曲家だ。しかし、名作「ローマの休日」の音楽を書いてたりして、映画音楽作曲家としては有名だったのね(今日、インターネットで調べて知ったのだけど)。
 金管打の威圧的な音楽で開始。何となくショスタコの映画音楽を想起したり。ほとんど言葉の無いこの映画、絵が出来あがる過程において、ずっと流れている音楽はとても重要な役割を果たしている。絵との関連性も当然ある。闘牛の題材らしき絵にスペイン風、ギター曲。わけわからん絵に、ドラムセット・ソロ。多少分かりやすい静物画的なものに、新古典的な、バッハを現代的オーケストレーションで再現させたような曲やら、もろフランス印象派的音楽だったり・・・・オーリック、なかなかに器用な作曲家のようだ。フランス近代音楽ファンなら充分、音楽だけでも楽しめる映画かもしれないと思ったが、私にはなかなかに、やはり辛い内容ではあったなぁ。

 ちなみに、いろいろ調べたら、この映画、第9回カンヌ映画祭で、審査員特別賞を受賞(1956年)。
 さらにオーリック(1899〜1983)、最近までご存命、昨年は生誕100年・・・・まだまだ私、未知なるもの多く、勉強不足である。

(2000.4.22 Ms)

<2> N響コンサート(インバル指揮、ショスタコ10番など)

 午後2時より、BS生放送で、N響定演を聴く。先日のショスタコの5番の感動に引き続き、インバルの指揮によるショスタコの10番は多いに期待していたのだが、残念。特記すべき事項はない。
 凄みに欠ける。
 それ以上にミスが目立つ。緊張感の欠如。例えば第1楽章の再現部の手前、ヴァイオリンが見事に約1名、明らかに早く音の動きを開始し、興も覚めた。これからいい所なのに・・・・。
 オープニングのストラヴィンスキーの組曲第2番は楽しかった。N響も約70年ぶりの演奏とか・・・。1920年代の簡単なピアノ連弾曲から管弦楽化したものだが、パロディ精神はショスタコを予告するかのよう。ただ、私の持つ、ストラヴィンスキー自作自演のものの方が断然面白い演奏。特に終曲のギャロップのテンポ感については、インバルの解釈は納得しかねる。トリオで不必要に遅くしていたのは、トランペットが演奏不能だったかのように感じられるのだが・・・・妥協だとすれば、許されざる行為では・・・・。

 なんて具合に結構辛辣に批評してしまうのだけれど、普通なら切って捨て、ここに書くことも無いはずだったのだが、今回の放送で面白かったのは、解説。
 今をときめく作曲家、西村朗氏の解説。
 私にとって、彼がレコード芸術で10数年前、ショスタコの5番のCD聴き比べを執筆した文は、とても大切な役割を帯びている。当時出た、「証言」の「強制された歓喜」を踏まえて、フィナーレ最後の大太鼓に意味を付与していた文を読み、私とショスタコの音楽との距離が一気に近くなった。詳細は
こちら(「ティンパニと大太鼓の微妙な関係」参照)
 今回の解説でも、5番のフィナーレ冒頭の重いテンポ感についても触れていた。この楽譜通りのテンポ感についての認識も、前述のレコ芸で私は知ったのだった。
 解説の内容は概ね、ショスタコ・ファンなら今や常識とされているところではあったが、私が目を見張ったのは、彼が中学の頃購入したと言う、ブージー&ホークス版の5番のスコアを持ち出し、最後のページに、大学時代、ショスタコの訃報に接したときに書きこんだメモを見せてくれたこと。
 音楽的に直接的な影響を受けたわけではない、と注釈はしていたものの、ショスタコの死により、一つの時代が終わったと感じ、その訃報のニュースをスコアにメモしたという。彼の生きた時代、彼が時代錯誤作曲家として無視されることも少なくなかった時代、一現代作曲家の卵が、そんな行為をなしたこと自体、ショスタコ・ファンの私は何だか嬉しくも感じ、その行為の主が、私に影響を与えてくれた西村氏であったことにも嬉しさを感じた。
 そんな解説に接することができて、期待も胸に、インバルのタコ10を聴いたのだが、その感想を、歓喜をもってここに書くことが出来なかったのはなんとも残念である。

 

<3> センチュリー室内管弦楽団

 午後4時までN響のテレビ鑑賞。そして電車に乗って1時間余。豊田市に向かう。
 アマチュア・オケ、センチュリー室内管弦楽団の第11回定期演奏会を聴きに行く。
 ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスという、アマオケの王道の如き作曲家の並ぶものだが、曲目がふるっている。
 「シュテファン王」序曲。ピアノ協奏曲第24番ハ短調。交響曲第3番へ長調。
 アマオケのなかなかやらない曲ばかり並べた意欲的なもの。ただ、曲目としては・・・正直、あまり期待する事無く演奏会に望んだのだけれど・・・。さて。

つづく(2000.4.23 Ms)

 ここのオケの聴き所は、木管である。特に今回はフルート、オーボエの活躍ぶりには感激することしきり。個人の能力、技術の高さもさることながら、セクションとしてのアンサンブル能力に素晴らしさがある。
 モーツァルトの24番のピアノ協奏曲は当時としては珍しく、オーボエとクラが両方ともパートがあり、さらに、ピアノと木管のソロ、そして、ピアノと木管セクションという形でのアンサンブルがあまりにも目立っている。特に第2楽章など、ピアノと木管セクションをソリストとした、協奏交響曲のスタイルとも言えそうだ。そのソリスト達の連携がとても好感が持てると同時に、美しい調和、ハーモニーをもって見事に「協奏」していた。
 得てして、アマチュアの才能豊かな奏者が陥りやすい罠として、「協奏」ならぬ「競争」するケースもある。団体種目としてのオーケストラにおいて、やはり重要なのは他者の立場も理解した上での演奏、ということに尽きるのではないか。深い反省を私にも促しつつ、美しい音楽を堪能させていただいた。この楽章がこのコンサートの最も脂の乗りきった場面であった。

 曲自体も、モーツァルトに珍しい短調のピアノ協奏曲ということで、ベートーヴェンの押し付けがましい「悲劇」ならぬ、爽やかですらある「疾走する悲しみ」が快い。第1楽章の主題は心に訴えかけるものがあるな(ベートーヴェンは3番のピアノ協奏曲で、このモーツァルトのハ短調の影響を受けているとの話も聴いたことがあるが、あまりにも質が違う。ベートーヴェンはあまりにも野暮ったい。モーツァルトとセンスを比較しちゃ可愛いそうか?)。フィナーレは、これまた珍しく変奏曲形式。やや俗っぽく、すぐに歌えてしまう旋律。だが単調に陥らず、巧妙に盛り上げ、また長調への転調も交え(何かのCMで使われたところ)、モーツァルトの変奏曲にしては飽きさせない構造だ。いつぞや、どこかのアマオケで聴いた時は、木管との協奏交響曲だとも感じず、変奏は飽きてつまらないものだった。やはり、ソリスト達の連携プレイの成せる技ということか。
 ピアニストは、主に地元で活躍されている(と思われる)下平弥生さん。初めて聴かせていただいたが、コロコロ宝石が転がるようなキラキラした流れるようなスケール、そして感情豊かな表現、そして、時折見せるたくましさ、この作品の素晴らしさを充分に堪能させてくれた好演であった。

 前後してしまったが、「シュテファン王」、
昨夏の東欧旅行以来、旅行ビデオ編集で使った曲として(王を祭るイシュトバーン聖堂にて)私にとってはお馴染な名曲。第九の歓喜の旋律の原形が第2主題で使われていることでも有名だ。しかし、東海地区では知名度ゼロに近いなぁ。
 冒頭の重々しい音の肉厚が、やはり不足気味なのは惜しい。第一、コントラバスが2プルトでは・・・。刈谷も団員ゼロで苦労しているが、どうも西三河地区、低弦不足な地域なのか?全国のトヨタ系列のサラリーマンの皆さん。コントラバス経験者は、豊田周辺ではかなりオケからモテモテだと思いますので転勤の際は是非コントラバス持ってきて一緒に演奏しましょうよ。
 それはともかく、結構難しそうなこの序曲も案外じたばたせずスマートにやってのけたという感じで良かった。まぁ、バイオリンの細かいパッセージが明瞭には聴き取れなかったり、という難点もあったが些細なことでしょう。

 さて、問題なのはブラームスの3番。木管に助けられて、中間楽章はうっとりと聴かせていただいた。ただ、両端楽章はというと・・・・。
 まず、第1楽章、冒頭のエスパンシーヴォな(ニールセンじゃないけど「広がり」感覚に満ちた)2つの和音は期待度充分なもの。特に主題を導くクレシェンドには感動。しかし、ボロはすぐ見えてしまうのがブラームスの厳しいところ。第2主題への経過ですでにリズムのズレはかなり目立ち苦戦が明らか。コントラバスの不足も痛い。コントラファゴットの音色がよく確認できたのは面白い発見ではあるが、コンファゴが目立ち過ぎるのも、深刻味や重厚感を減じていたような感じ。やはり低音を支配するのは低弦だ、ブラームスは。
 フィナーレは、ちょっと待った。確かに、ブラームスにしてはテンションの高い、劇した、激しいものだが、発散し過ぎていないだろうか。トランペットがかなり夢中になっていたようではある。
 気持ちは分かるし、ハイになる音楽ではある。しかし、ブラームスであることを忘れるべからず。禁欲、抑制。それが前提でなければブラームスにはならないのでは。弦の乱れも最高潮に達して、聴いている私も少々困った。もう少し冷静になってほしいと観客としての私は心の中で叫んでいた。もう、オケ全体が動転していたかのようなフィナーレ。弱音で開始され、初めてティンパニとトランペットが強烈なアクセントをつける二打ですら、ずれずれ。同じブラームスでも、1番、2番はまだ、フィナーレは勢いで押せないことも無い(でも押しまくりじゃイヤだが)。3番は、最も感情的になりがちなフィナーレだが、奏者が、指揮者も含めて情熱に浮かされすぎて崩壊を招いていたのではないか、とすら見えてしまう。
 そう言えば、ティンパニも、なかなか着実に自分の役割をこなしている良い奏者、とお見受けしたが、なんと、ティンパニ4台を駆使して、叩くたびに音が変わってしまう(コントラバスと同じ音で演奏しているのだろう)楽譜に改変されていたのが・・・・あぁぁ。特に第1楽章のクライマックスで、どんどん音が変わっていく様は多いに違和感を覚えた。ふと、数時間前にTVでみたショスタコの10番のフィナーレを思い浮かべた。この改変は私の趣味ではない。この辺りの意識からして、禁欲的な、抑制されたブラームス像からかけ離れた発想と言えそうだ。
 せっかく第2、第3楽章が良かったのに残念だ。第3楽章のメランコリーな旋律、チェロは苦しかったが、フルート、オーボエ、ホルンのオクターブによる主題再現のところなど、まさしく息もぴったりで素晴らしかったのに・・・・。

 私の知る限り、西三河地区では、最高のオケだと思っています。故に、もっと切磋琢磨していただきたく、かなり辛辣なことも書いてしまいました。技術的には上手いオケだと思います。木管の感覚が、オケ全体に広がったとき、愛知の誇るオケになり得るのでは、とさえ感じました。

 最後に、また苦情?アンコールはなかった方が私は幸福でした。未経験者と思しき団員がトライアングルを叩き、楽音を発していなかったのですから。拍手は差し控えさせていただきました。今後気をつけて下されば、と思いました。

次回はフランスものとか。センチュリーの木管ワールドがさらに楽しめそうで期待充分ですね。(2000.4.24 Ms)

 March ’00

3/11(土) ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ

 久々に映画館で映画を見た。自宅から車を走らせて、5分足らず。サティ内のワーナー・マイカルに初めて行った。あまり、巷で話題になってない「ジャクリーヌ」の映画が目当てだ。
 しかし、昨日の新聞を見て、時間を確認したのがまずかった。朝一番の映画が1000円均一なのに目をつけたのだが、朝10時、行ってみてらやってない。土日は、お目当ての映画は夜しか上映していない。てなわけで、夜9時以降の映画も1000円均一なため、そちらに変更。チケットだけ先に買って、ついでに諸々の買い物を済ませて出直し。床屋に行って、そしてHPの原稿書いて一日暮らし、夕飯、風呂も済ませてから21:25より映画鑑賞と相成った。

 インターネット上の感想など先に見てから行ったのだが、特に音楽関係者からは大不評。そして早期打ち切り必至なほどの興業行的失敗との報告。案の定、客の入りはさっぱり。6人しかいなかった。終演が23:30、さすがに土曜でも深夜だしなぁ、と思いつつ、それでも「ケイゾク」「トイ・ストーリー2」はけっこう入ってたなぁ。さすがに朝行ったほどの賑わいではなかったが。「ウルトラマンティガ」「ドラえもん」には負けるよなァ。

 さて、この「ジャクリーヌ」、もうご存知でしょうが、世界的な女流チェリスト、ジャクリーヌの姉ヒラリーの手になる、一種の暴露本が原作。映画の原題は「ヒラリーとジャッキー」。アメリカでは、クリントン、そしてケネディ大統領の夫人の名を冠する映画として話題になったとか。それにしても日本ではさっぱりな知名度。何でも、これは「ほんとうの」ジャクリーヌではない、と非難ごうごう。彼女と付き合いのあった演奏家たちが抗議したとかで、その影響で、映画配給会社も積極的な宣伝が出来なかったのか。

 私の感想。デュプレにいいイメージを持っているなら見ないほうが良かろう。見ていて、けっして楽しくもならないし、快くもない。私は、彼女についてそれほどの知識もなかったので良かったが、かなり不気味におぞましく描かれているように思った。
 さらに、音楽映画、といおうか、演奏家の伝記映画としては見ないほうが良かろう。天才である彼女の生涯を、凡人である姉から眺めた、姉妹の確執こそが重要なテーマで、音楽目当て、あるいは彼女の演奏目当てでは失望すること間違いなし。当然ふんだんにクラシック音楽も取り入れてはあるが、映画音楽は別にオリジナルに作曲されており(一応、チェロのソロっぽい曲ばかりではあるが)、この辺り、せっかくなら彼女の演奏するチェロの曲ばかりをBGMとした方が良かったようにも思う。
 また、デュプレ役の女優に対しても非難は多々あり、「かわいくない」とか・・・・。でも私は、本人のイメージが皆無なためそれは気にならなかった。チェロの弾きっぷりも、以前の日本のテレビドラマ
「ハルモニア」の大笑いなシーンの数々に比べれば、うまく演じられていたと思う。

 なんだか、散々な感想ばかりだが、いわゆるクラシックファンではない映画ファンの感想では、なかなか評価が高いようで、私自身、人間ドラマとしては面白さは充分認められた。まだ見ていない人のために言っておこう。邦題の「ほんとうの」という言葉を信じる事無く、実在の人物、人生を換骨奪胎して全く作り物の物語として映画を鑑賞できれば、そこそこ面白い映画として見られそうだ。

 と、多少は持ち上げた上で、Msならではの、曲解な感想など、ちらほらと書いて見よう。あらすじについては適当に他の情報を参照して頂いて・・・・

 もう、ホント忙しいなァ最近。てなわけで小出しにしつつ、つづく(2000.3.14 Ms)

<1> ある夫として思うこと

 この映画の最も衝撃的な場面は、ジャッキーが姉ヒラリーの家庭に突然訪れ、居候を決めこみ、姉の夫と性交渉・・・・・という場面だろう。
 バレンボイムとの結婚生活のすれ違いから、愛に飢え、最愛の姉を頼って突然やってきて、「セックスしたい」と姉に頼み込む。それを避けさせてきたのだが、ある日、ジャッキーは全裸で姉の家から山中に逃亡(姉の家は田舎の一軒家の農場)、彼女を探し出した姉に対し、「人に愛されている証が欲しい」と嘆願、姉は夫を一晩、ジャッキーに与える。その一夜に満足するジャッキー、しかし、姉はその後夫に対しての拒否反応を示してしまう。 なんだか、おどろおどろしい感想しか持ち得ない。私の立場に置き換えたら・・・・・などとふと考えつつ、意識してその空想をかき消そうとした私であった。

<2> あるロシア音楽ファンとして思うこと

 この映画の、些細な楽しみ方として、実在の音楽家をどんなルックスの配役で演じられているかのチェックである。ジャッキーは前述のとおり非難もあるが(私は「かわいくない」とは感じなかったが、ちょっと年を取りすぎているような気もした。30過ぎの女優さんのようだ。彼女に10代後半くらいから演じさせているのでちょっと無理があったか?)、夫バレンボイムはなかなか似ていたようだ。
 また、彼ら夫婦とあるバイオリニストとの共演で、ピアノトリオのレコーディングする場面、バイオリニストは顔が写らなかったが、私の妻は、パールマンではないか?と推測していたようだ。
 さて、ジャッキーのモスクワ旅行での場面、大勢の若きチェリストに対してチェロを教えていたのが若き日のロストロポービチ!!おお、何て似ているんだ。おまけに、チェロの弾きっぷりも、ジャッキーより堂々たる風格を備え、俳優のとってつけた演技ではなく、ほんとに弾いているように見えた。彼は一体何者だったのだろう。
 ふと、ロストロの伝記映画とか将来作ったら、などとも空想した。ソルジェニーツィンをかばって国外追放。という大きな山場を持つドラマだ。当然、ショスタコとの交友もまじえてストーリーは進むだろう。是非、今回の若きロストロ役の方に、ショスタコのチェロ協奏曲なども弾いてもらって・・・・。
 ただ、ロストロとの通訳を介しての会話の場面、一人ロシアで孤独を感じていた彼女が、「あなたが最も素質がある」とのロストロの言葉に対し、「私はチェリストになんかなりたくない」などとのたまうが、こういう辺りが「ほんとうの」ジャッキーはこうではない!と批判されるところだろう。果たしてこの会話は事実だったのだろうか?まして、姉がこんな場面まで知り得ていたか?

<3> ある打楽器奏者として思うこと

 打楽器関係者のつどう某HPで、日本のドラマで、クラシックを扱うものを対象に、打楽器、もしくは打楽器奏者の描かれ方に目をつけたものがある。今回の映画など格好の材料になりえるぞ。
 この映画で2度、「オモチャの交響曲」の演奏シーンがある。そして、ジャッキーが太鼓の役だ。
 1回目は幼い頃。BBC放送から母に依頼がある。フルートの上手な姉に、フルートでカッコウのパートを吹いてくれ、と。ジャッキーも当時チェロを始めていたが、とても出られる腕前でなく、太鼓の役でしょうがなく出させることとなる。そして、演奏する場所を忘れてしまい母から大目玉。この事件をきっかけに、チェロが上手くなりたい、と決心するのだ。
 2回目はチェリストとして名声を得たものの半身不随状態となり演奏活動が無理になってからのこと。
「何でもいいから演奏したい。トライアングルでもいい」、と夫に頼み込んで、再び「オモチャの交響曲」の太鼓役だ。しかし、その太鼓ですら叩けない。演奏が止まったところで、彼女はおもむろに一発ポンとかろうじて腕を動かして叩く。すると聴衆が総立ちで暖かい拍手をする、というあまりにも痛々しい場面。
 しかしねぇ。またトライアングルや太鼓が誰でも叩ける、などというイメージ、固定観念、蔑視が助長されてしまうよな。まさに今、東海地区でドラマ
「それが答えだ」の再放送しているが、そこでも、「クラが吹けないならおまえはトライアングルだ」などと宣告されてしまうシーンがあっておおいに憤激したっけ。

<4> おまけ 〜哀れなるドヴォルジャーク〜

 この映画で悲壮感をおおいに高めているのが、エルガーのチェロ協奏曲。第1楽章。映画の終わり近く、半身不随のジャクリーヌが涙を流しながら、自分の演奏のレコードを聴くシーンはすごく感動的であったなァ。
 それに対して、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲。第2楽章中間部。突如現れる、短調の、田舎芝居のような通俗的な悲劇的シーン風な音楽。底の浅さを音楽に感じてしまう。それも、ジャクリーヌはその演奏中に、オケの音がだんだん聞こえなくなりパニックに陥り、演奏終了後も立ち上がれなくなる、というシーンでの音楽なのだが、その演奏シーンに先立つのが、控室でいつの間にか彼女が失禁していたという哀れなシーン。
 それ以来、私は、ドボコンのそのメロディーを頭に思い浮かべると尿意を催し始めるのだ・・・・・というのはウソだが、どうも、田舎臭いドボ、というイメージもあって、ドボコンと便所、あるいは肥溜め、などという連想のルートが確立してしまったのだ。あぁ、哀れなるドヴォルジャーク。

 以上が、Ms流の感想でした。まだ、1週間ほど上映されるようです(3/18現在)。興味持たれたなら是非見ておいて損はないでしょう。将来、テレビで放映されるか、ビデオになるか、ちょっと怪しげな映画ですので(映画の上映に対する反対活動もあったぐらいだし)、この機会にお見逃しなきよう。

(2000.3.18 Ms)