ヴィラ=ロボス |
ブラジル風バッハ
(管弦楽編成の作品の紹介)
2000年初の、当ホームページのオリジナル曲解記事となる本稿は、今年が、J.S.バッハ生誕250年ということもあり、予告通り、バッハに関するものとしたい。のだが、いきなり詐欺めいたことになってしまいスミマセン。私に、バッハを語る、知識も無ければ、能力もありません。結局、このような切り口になるわけです。弁解がましいですね。
さて、ブラジルの作曲家、ヴィラ=ロボス(1887〜1959)といえば、当然にして、代表作「ブラジル風バッハ第5番」が思い浮かぶ方が多いだろう。チェロ8人とソプラノ独唱。特に第1楽章、憂いに満ちた、それでいて情熱を秘めたヴォカリーズ(母音唱)がなんとも素敵ですね。そして、その歌を支えるのが対位法的な処理がなされたチェロのアンサンブル。まさしく、南米の民族的精神と、バッハを頂点とする西洋音楽の技術が合体した魅力的な作品だ。しかし、この連作、9曲存在しているのだが、なかなかその他の作品を聞く機会は少ないのではないか?
私も、せいぜい、あと、チェロ合奏による第1番を聴いたことがあるきりで、それ以外に親しむきっかけを持たなかった(なお、1番も名曲だと思う。冒頭の衝撃的な和音連打の中から、低音から立ちあがる精力的な主題。引き込まれること間違い無し)。しかし、偶然が私をもっともっと、ヴィラ=ロボスに近づけてくれた。
今月末、詳しくは、2000年1月29日、東京芸術劇場で行われる、新交響楽団さんの定演の演目が、このブラジル風バッハの第7番である。昨年の、オール芥川也寸志のコンサートの素晴らしさも思い起こされつつも、実は、そのコンサートに行こうと思わせたきっかけは、諸井三郎(諸井誠氏の父であり、ドイツの正統派から学んだ手堅い手法を特徴とするらしい)の交響曲第3番であった。1944年、大戦末期の悲惨な日本で、果たしてどんな交響曲が生まれたのかが、とても興味がそそられる(戦争と音楽についても、また別項で取り上げたいテーマだ。私のライフワークです。)。ただ、CDもレコードも存在しない。(ホントに「隠れ名曲」だったりして。もし、そうだったら、また紹介します。紹介はこちら。)ので、あまり知らない未知の曲ばかりでつまらない思いもしたくないため、ブラジル風バッハ第7番が鑑賞に耐え得る曲かを確認してからチケットを買おうとしたのだ。
そして、マイケル・ティルソン・トーマスの国内版CDを購入したところ・・・・ハマッタ。僕の心に、しっくりとはまったのだ。
そして、その後、彼の作品集、数枚のCDを買うに至った。そして、今回の紹介記事へと至るわけだ。
さて、このコーナーでは、今のところ基本的に管弦楽曲を紹介していることもあり、この連作の中から、オーケストラで演奏されるものを取り上げてゆこう。具体的には、2番、4番、7番、8番の4曲である。
(2000.1.13 Ms)
第7番
順番は前後するが、今回の生演奏の体験をふまえて第7番の紹介から始めよう。
しかし、その前に少し余談。上記の通り、第5番、第1番が有名でかつ、バッハとブラジルの結合が自然に感じられるのだが、その次に聴かれる機会もあるのが第2番の第4曲ではなかろうか。「トッカータ(田舎の小さな汽車)」というタイトルの曲だ(ちなみに、各曲の各楽章には、バッハを思わせる古典的なヨーロッパ音楽的なタイトルと、ブラジルの特有な音楽のジャンルや標題と併記されている)。これを第5番、第1番に引き続き聴く機会を持った時、面白い!とは思ったが、「どこがバッハだ!」「何がトッカータだ!」と感じた。単なる、汽車が走って行く場面の描写であり、高度な対位法的な作曲技法もなく、バロック的な節回しもなく、バッハなるものは不存在ではないか!いい加減なものだ、と思ったことがある。そして、今回、第7番を聴いたところ・・・・。
これこそ、まさに「ブラジル風バッハ」の名に相応しい音楽であると感じられる。
第1曲「前奏曲(ポンテイオ)」。ブラジルの音楽スタイルを彷彿とさせる歌の旋律(セレナーデ風との指摘)が緩やかにかつ悲しげにコーラングレから出る。その背後に弦のピチカートの対位法的な確実な動き。それが徐々に広がり、テュッティによる壮大なうねりのような歌へと発展する。感情むきだしの嘆き歌が、西洋の洗練された感覚とは相違する、やや暑苦しい、ふてぶてしさをも兼ね備えた雰囲気で爆発する。対位法的な絡みを持つ音楽の構造が、4本のトロンボーンを含む金管楽器に主導権のあるオーケストレーションで分厚く響く様は、音響としてはストコフスキー編曲のバッハの雰囲気に近いのだが、旋律の俗っぽさはブラジルらしさを感じさせ、まさに「ブラジル風バッハ」なのである。
情熱、人の心に直接的に訴えかける力といったものをも感じ、私の心をグッとつかんで離さない魅力が潜んでいる。
また、静かな静謐な雰囲気のところも、擬バロック的であり、ふと、アイヴズの交響曲第2番の第1楽章への接近も感じたが、両者は無関係だろう。
第2曲「ジーグ(田舎のカドリール)」。古典舞曲ジーグのリズム、テンポにブラジル奥地の民族舞踊を合体させた6/8拍子のせせこましい音楽。スケルツォ的だが、自虐性はなく、健康的な明るさに満ち、聴いているだけで楽しくなってくる。ホルンの連続する雄大なグリッサンドも気持ち良い効果をあげる。
第3曲「トッカータ(デサフィオ)」。即興的な歌合戦、といった意味らしい。実は、これも連作中では、そこそこ有名な部分かもしれない。私の経験では、シンセサイザーの大家、富田勲氏が前述の「田舎の小さな汽車」とともにシンセサイザー用にアレンジしており、それにまず馴染んだのだ。(最近発売された冨田氏のベスト版にも2曲とも収録されている。)ちなみにこのデサフィオは富田氏のアレンジでは、「ペガサス」というタイトルになっており、そんな空飛ぶ天馬の雰囲気も充分感じられる。ただ、驚くべきは、ヴィラ・ロボスの原曲もシンセと同レベルなほどに、通常のオーケストラサウンドを超越した、カラフルかつ華麗な音世界が展開されている。
まず冒頭からして不思議な浮遊感を思わせるのだが、ハープ、チェレスタ、そして木琴、ココの織り成す音群は言葉で説明できないほどに魅力的な響きがする。特に木琴のこまごました動きはこの曲の特徴の一つだが南国的雰囲気を高める効果もあり、また、耳を充分に引きつける。この作品中、もっとも端的にブラジルを思わせる部分を数多く含んでいるのだが、その反面、バッハからは遠く離れてしまってはいる。しかし、西洋にはないオケの鳴らし方は一度体験しておいて損はないでしょう。
第4曲「フーガ(対話)」。中間楽章がバッハを離れ、大きくブラジルにシフトしていたのを一気にバッハの側へ引き戻す、深遠かつ悲愴味に溢れたフーガだ。第1曲の雰囲気の再現でもあろう。構成としてはうまくまとめているとは思うが、少々音楽的魅力には欠けるかもしれない。先行楽章がユニークなだけに、フィナーレを飾るこのフーガが、あまりにバッハの模倣的で苦しい感じもしないわけではない。が、曲の統一感を高める意味で、この祈りのようなフーガは必要であろうし、「ブラジル風バッハ」の名にもっとも説得力を持つ作品として、今後もっと親しまれてゆくことにもなるだろう。と私は思う。
(2000.2.13 Ms)
第4番
近日紹介予定です。
第2番
第8番