第3回

家庭人ショスタコーヴィチの選択 

〜交響曲第5番に聴く「愛の旋律」?〜

 

 唐突だが、私は今年で31歳になる(1999年現在)。昨年結婚もした。
 ところで、私の尊敬する作曲家ショスタコーヴィチは、1937年、最高傑作と見られる交響曲第5番を完成させた。まさに31歳であった。
 題名すら知らなかった小学校高学年の頃より、すでに20年のつきあいとなる、この作品を鑑賞しながら、思考をめぐらすのもなかなか感慨深い今日この頃である。
 さあ、例によって、また、根拠薄弱な、「曲解」が始まろうとしている。31歳のショスタコーヴィチについて、31歳を目の前にした私が何を思ったか、綴ってゆこう。

 <1> 交響曲第4番撤回の謎

 交響曲第5番を語る上で絶対はずせないのが、作曲の1年前の出来事、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」及びバレエ「明るい小川」のプラウダ批判(共産党機関紙上の公的批判。彼には「人民の敵」のレッテルが貼られる)、そしてそれを受けた、交響曲第4番の撤回である。
 しかし、ここで私が疑問に思ったことがある。年表を見ると、プラウダ批判後も、第4番の作曲は続けられ、そしてリハーサルの段階で、撤回されているのである。
 てっきり、権力側の批判に怖れをなしたショスタコーヴィチが、すぐさま社会主義リアリズムの国策に反する第4番の替わりに、第5番を作曲し始めたのだと思っていたのだが、違うのである。批判を受けながらも彼は、五線紙の上では国家権力との闘いを続けていたのだ。もし、第4番が1936年、初演されていれば、人民の敵として、粛清されていたことも予想される。しかし、彼は権力との対決姿勢を打ち出したのだ。
 ところが、いざリハーサルが始まると、彼は対決姿勢から一転、180度転換する。その理由は謎だ。
 とある本に拠れば、

「ショスタコーヴィチは「人民の敵」との嫌疑をかけられた困難な時期にも、作曲の筆を一時も止めなかった。まず彼は、すでに着手していた<第4交響曲>を5月に完成して、レニングラード・フィルの演奏に回した。周囲では「人民の敵」の粛清が、刻々と進んでいた。音楽家も例外ではなかった。(中略)変わらず彼を支持してくれるものもいたが、ほとんどの人が彼の側には近寄らなくなった。<第4交響曲>のリハーサルを指揮したシュティードリはマーラーの弟子であり、ナチスのユダヤ人狩りに追われてレニングラードに来ていたが、困難に巻き込まれる気持ちは、さらさらなかった。その投げやりな練習態度に、ショスタコーヴィチはいち早く危険を察知し、自ら作品の欠陥を認めて、曲そのものを引っ込めた。」

春秋社「ショスタコーヴィチ大研究」より

 確かに、初演に向け、指揮者、そして演奏家が怖れをなしていたのは想像できる。前衛的かつ難解な音楽で、社会主義国家にふさわしい、労働者の歓喜の表現とは無縁な作品だとすぐわかったことだろう。そんな初演のステージに乗ること自体、人民の敵への協力と見なされるだろう。いざ、リハーサルが始まって、非協力的な指揮者や奏者の態度を見て、ショスタコーヴィチが撤回したのは充分想像できる。
 しかし、そんなことは、百も承知で、この命を賭けた博打に打って出たはずではなかったのか?
 交響曲第4番の初演をマーラーの弟子に託したのも彼の並々ならぬ意欲が感じられはしないか?
 作曲家生命が失われるのも覚悟して、芸術家としてのプライドをもって、そこまでの決意をしたはずなのに、なぜ撤回したのだろう。まだ、理由があるのではないか?

 そこで、改めて1936〜37年を中心に年表を見てみよう。何かが見えてこないだろうか?

時期 作曲及び作品発表の状況 社会状況 家庭状況
1932/5/13     ニーナと結婚
1935/9/13 交響曲第4番作曲開始    
1936/1/28   プラウダ批判(歌劇に対する)  
1936/2/ 6   プラウダ批判(バレエに対する)  
1936/5/20 交響曲第4番完成    
1936/5/30     娘ガリーナ誕生
1936/8月   第1次モスクワ裁判(大粛清)  
1936/12月 交響曲第4番リハーサル開始
初演中止
この前後「プーシキンの詩による4つのロマンス」を作曲
   
1937/1月   第2次モスクワ裁判  
1937/4月 交響曲第5番作曲開始    
1937/6月   トハチェフスキー元帥秘密裁判・処刑
(ショスタコーヴィチのパトロン・理解者)
 
1937/7月 交響曲第5番完成    
1937/11/22 交響曲第5番初演(名誉回復への第1歩)    

 例の如く、邪推な訳だが、結婚4年目にして、始めて自分の子供が誕生していたこと、これも交響曲第4番の撤回と、全く無関係とは思えないのだが、いかがだろうか。

 家庭を持つこと、それは即ち自分の人生が、自分だけのものでは無くなる事、を意味する。
 彼が、例えば、芸術家の良心だけに従って、ソヴィエトにおける画一的な、国策主導の芸術表現しか認められないという権力の横暴に対し、断固闘う姿勢を貫き、自滅覚悟で、交響曲第4番を予定通り発表したのなら、彼の作曲家生命が絶たれると同時に、親族はもちろん、生まれたばかりの娘も「人民の敵」の子として悲惨な運命をたどることとなっただろう(大粛清は既に開始されていたのだ)。
 当然、彼はそのことも想像し得ただろう。
 そして、妻とも将来について語り合ったことだろう。
 その際、子が生まれたばかりの母親が、父のプライドだけのために、我が子までも悲劇の渦中に放り投げることを許せるだろうか?
 音楽に詳しくない妻であろうと、(交響曲のスコアだけでは理解できないにしても)実際の作品の音を聴いたとしたら、夫が危険な賭けに出たことは察知できたのではないか?
 経緯はどうであれ、娘の将来を巡る夫婦の対話が、交響曲第4番の撤回の決定に影響力を持ったという可能性はゼロではないと思うのだが、いかがだろうか。 

 彼は、当初、権力に追随するつもりは無かったはずだ。しかし、権力に対する闘いの狼煙をあげるその直前に、1年余り続いた、芸術家としてのショスタコーヴィチと家庭人としてのショスタコーヴィチの葛藤の末、やはり、家庭人である立場を優先させざるを得なかった、と思うのだ。
 妻に対する愛、子供に対する愛、それは、必ず、夫の職業人としてのプライドなどよりも、格段に上位にランクしているものなのだ。夫として、父として、そうでなければならぬ、と実感している。

 などと、まるで自分に言い聞かせるかのように(?)、この文章をまとめているのだが、上記のような家庭人としての原点に立って、その次の交響曲第5番と接すると、私には、その作品から、妻から夫へ「愛」の旋律が聞こえてくるのだ。(「曲解」はとどまる事を知らず!)

 

 <2> 交響曲第5番、「カルメン」引用の謎

 ショスタコーヴィチの作品の特徴として重要なものに、「引用」が挙げられる。自作、他者の作、問わずたくさんの例がある。当然、この交響曲第5番にも、引用は見つけることができる。
 5番において、原型をとどめる露骨な引用として、第1楽章260小節から始まる、ビゼーの歌劇「カルメン」第一幕の「ハバネラ」におけるオブリガート旋律がある。フルートとホルンによるカノンで演奏され、かなり目立っている引用だと思うが、不思議とこの明々白々な引用に対し説明している文章には私はお目にかかったことが無い。超有名曲の引用で当然、作曲家としては何がしかの意味を含ませているはずだ。それとも、単なる気まぐれなのか?

 まず、それを考える前に、第1楽章の構成を把握しておこう。私なりの、ソナタ形式にのっとった大雑把なアナリーゼであることをお断りしておこう。

提示部 第1主題提示部分 序奏主題提示 1小節〜
  同上 第1主題提示 6〜
  同上 副次的主題提示 18〜
  第2主題提示部分 第2主題提示 50〜
展開部   第2主題確保 106〜
    第1主題中心に展開 122〜
    第2主題縮小 157〜
    第1主題のカノン 176〜
    第1主題の行進曲風展開 188〜
    序奏主題を伴奏とした、第2主題のカノン 217〜
再現部 第1主題再現部分 副次的主題の展開的再現(クライマックス) 243〜
  第2主題再現部分 第2主題の展開的再現 (ハバネラ?) 259〜
結尾   第1主題反行 300〜
    序奏主題再現 309〜

 問題の引用は、第2主題という位置付けにはなるが、提示部と再現部では、全く違う性格を持っている。
 旋律自体のリズム、そして旋律の輪郭は共通しているものの、提示部においては、「カルメン」とはかけ離れた姿をしており、全く調性不定、不協和音による和声付けだが、再現部では、始めてニ長調の明確な調性を持ち、ここでやっと「カルメン」が認識できる(第2主題の再現において始めて長調が持続的にカデンツ型で出現している)。
 また、展開部は、徐々に凶暴性を増す構成となっており、クライマックスは第1主題再現部分に置かれている。その絶叫するかのような最強奏(銅鑼の一発がとどめを刺す)が静まったところで、この楽章で始めて現れる、穏やかな明るい表現・・・・、その重要な役割を「ハバネラ」が負っているのだ。意味も無く、その位置に引用が置かれるとは考えにくいように思う。

 そこで、引用の旋律には歌詞がついているので、そこから確認しよう。
 思い出してみよう、情熱的なジプシー女「カルメン」が、男たちを誘惑しつつ、歌うハバネラ。冒頭の旋律が短調から長調に転調し、オケの伴奏に旋律が回ってきて、歌手が対旋律を歌う箇所・・・・ラームーーーー・ラームーーーー・・・・ 
 l’amour,l’amour 愛、愛、という訳だ。女性から男性への挑発的な愛の訴え、ではないか!
(ちなみに続く歌詞は、
 「恋はジプシーの生まれ、おきてなんか知ったことじゃない。好いてくれなくても、あたしから好いてやる。あたしに好かれたらあぶないよ!」 
  音楽の友社 「新編 世界大音楽全集 声楽編17」 より

 第1楽章は、極度の緊張感が持続する、それこそプラウダ批判を受けたショスタコーヴィチの心境を彷彿とさせる雰囲気を持っている。芸術家としていかに生きるか、あるいは死ぬのか?その葛藤、闘争が展開部に見て取れよう。そして、その葛藤の果てに、「愛」(「ラ・ムール」)が待っているのだ。具体的には、女性からの強烈な愛情、なのであり、ショスタコーヴィチにとってその女性は当然、妻ニーナであろう。
 結局のところ、妻からの愛情を一心に背負って、 ”妻子のために生きる”・・・これが彼の結論になったのではなかろうか?
 (余談ながら、フルートとホルンのカノンによる、この「愛」の呼び交わしが、だんだん、男女のからみ、を想像させて、聴くたびににやけてしまうのだ。ただ、「マクベス夫人」に見られる生々しい動物的な性交ではなく、端から見ても美しいプラトニックな光景なのだが。)

 しかし、続くコーダでは、第1主題の反行、そしてチェレスタの上昇音型が、(家庭を取り、芸術家としてのプライドを捨ててしまったという)疑問を象徴的に表現する。そして、第2楽章で、生きるための、仮面をつけた道化を描き、第3楽章で、つい本音が出てしまい、諦観と慟哭が表現される、という訳か。

 さて、最後のフィナーレは、またも、第1楽章展開部を思わせる戦闘的な音楽となるのだが、「カルメン」の「ハバネラ」に妙にこだわってみると、やはり、この楽章でも、最後の持続的なニ長調の確立の場面で「ハバネラ」を聴くことができる。
 第4楽章、コーダ、325小節からの、金管による冒頭主題の長調での再現、これは、「ハバネラ」後半の、合唱による合いの手(A−D−E−Fis)をそのまま、4倍に拡大したモチーフに他ならない。おまけに、内声部(A−Fis−A−D)もそっくりそのままだ。ロシア・オケの演奏による堂々たるテンポでは気がつかないが、バーンスタインの速さで聴くと、ハバネラの合唱がふっと頭をよぎるはずだ。
 (第4楽章冒頭主題の全貌が長調で再現されることなく、「ハバネラ」との共通部分のみが丁寧に2回も念押しされており、ハバネラの引用をわざわざほのめかしているような気もしてくる。なお、冒頭主題も、ハバネラも、A−D−E−Fis(F)の音型のうち、A−Dが、4度上行する形と、5度下行する形と両方現れる点も共通している。)
 そこで、再びこの引用の歌詞を確認しよう。
 Prends garde a toi!(プラン・ガル・ダ・トワ!)
 
上記の、カルメンの歌う最後の歌詞を繰り返す部分、「あぶないよ」、直訳すれば「注意しなさい。気をつけなさい。」という部分に相当している。

 歌劇「カルメン」においては、このカルメンも歌う「愛の危なさ」にひっかかってドン・ホセが破滅する。
 (余談ながら、作曲家ビゼーも「カルメン」によって破滅した、との指摘もある。が、この点はまたいつか書きたい。 新曜社 「音楽と音楽家の精神分析」参照

 ならば、このショスタコーヴィチの交響曲第5番において、「愛」によって破滅したのは誰か?

 家庭人ではない、芸術家としてのショスタコーヴィチ、ではなかろうか?
 家庭内の愛を成就することで、ひとまず芸術家ショスタコーヴィチは葬られた格好になるのではないか。
 よって、この交響曲は、家庭の幸福、子供の幸せを願う、妻の側からの主張、「(芸術家のあなたにとっては)あたしに好かれたらあぶないわよー!(純粋に、芸術の道だけに精進できなくなるわよ)」という絶叫をもって、結論付けられているのでは・・・・・というのが、私の今回の「曲解」である。
 
当然、芸術家ショスタコーヴィチは、完全に死に絶えたわけではない。ただ、交響曲第4番の撤回という一点において、家庭人ショスタコーヴィチが勝ったというだけではある。

 相変わらずな偏見ぶりで、申し訳有りません。
 ただ、「カルメン」からの引用の露骨さが、あまりにも明瞭で、何らかの意味が付与されていている、と考えるのが妥当だとは思いませんか?

 そこで、「カルメン」の「ハバネラ」引用の、他の意味付けも考えてみるならば、

 まず、ブラウダ批判にあった「マクベス夫人」もまた、女主人公とその魅力に取りつかれた男性の死を扱った悲劇的歌劇であることから、「マクベス夫人」の復活を「カルメン」の引用に託した、とか、

 スペイン情緒たっぷりの「カルメン」ではあるが、スペイン民謡の借用は一切無く、すべて(スペインを直接知らぬ)ビゼーの創作、とされながらも、「ハバネラ」だけは、初演時の歌手からの圧力で、既存のスペインの流行歌にとって換えられてしまってそのままになっている、という説に基づき、交響曲第5番の成立過程を暗示させる

 ・・・・・などなど、深読みの余地は様々で、第5番と「カルメン」の関連性は、単なる偶然と考える方に無理があると思うのです。
 また、音楽的にも、調性の不安定なこの第5番にあって、作品の結論であるニ長調が持続的に確立している箇所が、第1楽章の第2主題再現、そして終楽章のコーダのみであり、その両者とも「ハバネラ」の露骨な引用であることは、もっと気にすべきことだと考えます。

 さぁ、ここまで、お付き合いいただいた皆さん、今度、交響曲第5番を鑑賞するときは、是非、「ハバネラ」を口づさんでみましょう。この作品の本質が見えて(聞こえて)くるのかもしれません。(ほんとかな)

 「ラ・ムール、ラ・ムール」、「あたしに好かれたら、あぶないよ」。

まだまだ、つづく

(次章においては、交響曲第5番の直前の作品「プーシキンの詩による4つのロマンス」に触れる予定です。)

(「愛」を語るにふさわしい(?)、七夕の夜に脱稿す。1999.7.7 Ms)


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