第3回続編

家庭人 ショスタコーヴィチの選択

〜交響曲第5番に聴く「愛の旋律」?〜
(続編)

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<3> すぐには着手されなかった交響曲第5番
       
(「プーシキンの詩による4つのロマンス」の曲目解説を兼ねて)

 本稿では、ショスタコーヴィチの交響曲第5番作曲にからむ、ショスタコーヴィチの家庭事情を推測、曲解を試みているところだが、前章までは、「カルメン」からの引用を手がかりに、娘ガリーナの誕生と、妻ニーナの対応を中心に話を進めさせていただいた。 

 さて、本章では、前章の年表を見て気付く第2の点、交響曲第5番が、第4番の撤回後すぐ作曲されなかった事実に注目したいと思う。第5番の着手までの空白を埋めるのが、「プーシキンの詩による4つのロマンス」作品46である。作品番号は、当然第5番の直前に位置している。

 交響曲第4番を撤回し、何としても、生き延びるべく、「人民の敵」というレッテルをはがさねばならぬ。しかし、その役割を負うべき曲がどんな曲になるのか、すぐには決定しかねたのだろうか。様々な可能性を思案した上、熟考の末に第5番に着手し、一気呵成に3ヶ月あまりで完成させたのだろうと推測する(彼の常として、曲のプランは作曲が開始される以前に固まっていた、と言われている)。
 その、第5番のプランを練っている最中に、作曲、完成されたのが、「4つのロマンス」ということになろう。

 その成立過程からして、第5番の誕生に至る秘密が、この作品に隠されているのではないか、と私は考えるのだが、どうだろうか?

 まずは、歌曲集である以上、歌詞に注目しながら考えてみよう。

第1曲 復活

 短い詩なので全文を紹介しよう。

未開人の画家が うつろな筆さばきで 天才の絵を塗りつぶし 
法則のない勝手な図形を その上にあてどもなく描いている。

だが 異質の塗料は年を経て 古いうろこのようにはがれ落ち
天才の創造物はわれわれの前に以前の美しさを取り戻す。

かくて苦しみぬいた私の魂から かずかずの迷いが消えてゆき
はじめの頃の清らかな日々の幻影が 心のうちに湧きあがる! 
 (全音楽譜出版社 ショスタコーヴィチ歌曲集 1 より 以下同じ)

 まさに、これがショスタコーヴィチの本音をうかがわせはしないだろうか。第4番の撤回と第5番の作曲との間に、敢えてこの詩を選び、歌曲集の冒頭に置いたのは、それなりの思い入れがあってのことだろう。
 この「復活」が、葬り去られた第4番の復活なのか、(家庭人が優先され、ひとまず葬り去られた)芸術家ショスタコーヴィチの復活なのか、それとも、とにかく「人民の敵」というレッテルをはがし世俗的成功をおさめるべき、という意味においての「復活」であるのか、それはここでは断定できない。しかし、とにかく、生きて、作曲を続ける決意、という意味では、どの「復活」も共通していよう。生きて、それらの「復活」を見届けることこそ、彼の次なる命題となったことをこの歌曲は物語っているのではなかろうか。

 音楽的な観点からは、まず、歌い出しの音程が、A−D−E−F、と交響曲第5番第4楽章冒頭主題と同じであること、そして、上記の歌詞の第3節の伴奏型が、同じく第5番第4楽章の展開部の最後に現れるハープの旋律(239小節以降)と同一であること、が指摘できよう。
 つまり、交響曲第5番のフィナーレの鑑賞の前提として、この「復活」という詩は欠かすことが出来ない、密接不可分な存在と見て良いのではなかろうか。

第2曲 嫉妬深い娘が激しく泣きながら若者を責めていた

 これもまた短いので全文を掲載しよう。

嫉妬深い娘が激しく泣きながら若者を責めていた 彼女の肩にもたれていた若者は突然まどろみ始めた。
娘はすぐに泣くのをやめ、彼のひとときの眠りを見つめ、安らかな涙を流してほほえみかけた。

 この詩を知ったとき、とっさに、ショスタコーヴィチ夫妻のやりとりではないのか?と私は直感した。
 交響曲第4番の発表の決意を聞かされた、妻ニーナは、当然「激しく泣きながら」ショスタコーヴィチを「責めていた」、と想像してしまった。全く根拠のない空想ではある。

 さて、音楽的観点からは、冒頭及び最後の、伴奏の旋律の特徴、短9度上昇、そして半音の下降、が、マーラーの交響曲第5番第2楽章の第2主題と同じ音程関係を持っている点に注目したい。
 マーラーの交響曲第5番こそ、夫婦の「愛の旋律」に満ちた作品である。特に第4楽章、そして、大雑把に言えば、第3楽章以降全てが、である。新婚ホヤホヤの、偽りのない、(倦怠期を迎える前の)爽やかな愛に包まれて完成された交響曲だ。しかし、その前半部分は、第1楽章「葬送行進曲」、第2楽章「嵐のような激動」である。その第2楽章からの引用だとするなら、この第2曲で歌われる内容は、「嵐のような激動」の最中の出来事であり、その嵐が去ったところで、夫婦の愛が高らかに宣言されるのだ、といった筋書きがほのめかされている、ようにも聞こえるのだが・・・・・(我ながら、かなりな「曲解」ぶりだとは思う)。
 とにかく、第1曲が、「芸術家」としての立場からの詩とみるなら、第2曲は「家庭人」としての立場からの詩であることは明白であろう。まずは、その点だけ確認して、次に進もう。

第3曲 予感

 後半2曲は、前半2曲に比べ、倍近い規模を持つ長さとなっている。前奏、間奏、後奏も充実している。そして、内省的で暗い色調をもつことで統一されているこの歌曲集にあって、前半2曲が、かろうじて最後の和音が、救いのごとき長調の和音で閉じられるのに対し、後半2曲は、消え入るように短調で終止する。

 歌詞の冒頭一節を引用するならば、

ふたたび雨雲がわたしの頭上に ひそかに集まってきた
ねたみ深い運命が 不幸をかざして ふたたびわたしを おどしにかかっている
運命を無視する心を守れるだろうか?
貫き通せるだろうか わたしの誇り高い若さの 不屈と忍耐の精神を? 

 ここで、第1曲で掲げられた「復活」の意思が、揺らいでいるのが見て取れるようだ。
さらに、続く歌詩でも歌われるが、この詩における「予感」とは、「私の天使」との別離、つまり「死」であると私は解釈する。

穏やかな心暖かい天使よ そっと私に言ってくれ さようならと

 そして、「死」のイメージは続く第4曲で決定的となる。

第4曲 スタンス

ところで運命は どこで私に死をよこすのだろう 戦場か放浪の旅先か 海の波間か
または隣の渓谷が 私の冷たい亡骸を 迎えるのだろうか

たとえ感覚のなくなった体が どこで朽ち果てるも同じとは言え
なつかしい故郷の近くで わたしはずっと横たわっていたいのだ。

そして墓の入口のそばに 若い命がたわむれていてもかまわない
また無関心な自然が 変わらない美しさで輝いていようとも。 

 この歌曲集の最後は、このように閉じられるのである。
 音楽的にも、冒頭及びこの歌詞が歌われる後半部は、常に低音で重々しく四分音符が続く、葬送の足取りが絶えることがないのだ。
 そして、この歌曲のちょうど中間あたりで、伴奏だけによる、葬送の足取りによるクライマックスが築かれているのだが、その直前では、音楽は突然長調の3/4拍子となっており、この歌曲集で唯一の持続する長調で書かれた愛らしい表現となる。その部分の歌詞が、

可愛い子どもをあやしながら すぐさま私は考える。さようなら
きみに席を譲ろう わたしは枯れる時 きみは花の盛りだ。

 文字通り解釈するなら、この詩の主人公は「死」を決意しながら、次の世代へのバトンタッチを考えているようだ。
 しかし、ショスタコーヴィチが、交響曲第4番と心中するという「死」を選べば、彼の娘は「人民の敵」の子供となり、「可愛い子ども」に譲るべき席まで失うこととなるのだ。こどもの「花の盛り」を現実化するためにも、「芸術家ショスタコーヴィチ」こそ、「枯れる時」を迎えなければならなかったはずだ。

 以上のとおり、彼は、第4番の撤回後、第5番の構想を練りながら、「死」の恐怖に怯え、また「生」への決意を心にとどめ、さまざまな逡巡を重ねていたのではなかろうか。そんな時、すぐさま、社会主義リアリズムの路線にのっとった、楽天的作品を手がけることはせず(できず)、自らの迷いを、プーシキンの数ある詩から厳選し、妻や子との関係を念頭に置きながら、(芸術家としての)自分のために、この歌曲集を書き上げたのではないか。
 そして、その作曲過程において、次第に、彼の気持ちは、第1曲「復活」にこそ活路を見出し、それが、交響曲第5番として結実した・・・・と、邪推、曲解するのである。

 妻子の存在あってこそ、交響曲第5番は誕生し、ショスタコーヴィチは汚名返上、「復活」をとげる。そして、プラウダ批判という最大の危機をくぐりぬけ、命永らえたこそ、芸術家の良心にかなった作品を作曲し続け、後年、第4番も晴れて発表する機会が訪れたのだ。
 「4つのロマンス」を聴きながら、父になったばかりの彼の苦悩を想起し、また、その強さの根源に思いを馳せるのだ。それを踏まえつつ、再び交響曲第5番を聴くならば、(自分もそうありたいという感情も手伝って)その感動も、また、ひとしお、という訳なのだ。

 最後に、ショスタコーヴィチの家庭観についての、文献からの引用を紹介させていただこう。

 「ニーナ・ワシーリエヴナは、登山遠征の際に生じた腎臓の病のせいでこどもを産むことができなかったが、片やショスタコーヴィチは子どもを切望し、子どもなしでの家庭の幸福など考えられなかった。」
 そこで、ニーナとの離婚までも決意するのだが、
 「1936年5月、ショスタコーヴィチ夫妻に長女が誕生した。・・・・彼は子どものために家庭を守らなければならないという強い考えの持ち主でした。」

(筑摩書房 驚くべきショスタコーヴィチ より)

  とりあえず、「つづく」こととしておこう

  追記 
 この「4つのロマンス」には、作曲者自身による管弦楽編曲版も存在する。それについては、また機会を改めて紹介したいと思う。

明日から待望の東京旅行、はやる気持ちを抑えつつ、拙速を自覚しつつ1999.7.9 Ms)


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