シベリウス

紹介される曲目リスト

孤独なシュプール
カッサツィオーネ
春の歌
抒情的アンダンテ(弦楽のための即興曲)

 

孤独なシュプール

 アダージョ・カラヤンの大ヒット以来、癒しの音楽・ヒーリングミュージックがひそかなブームを呼んでいます。それに伴って、と言おうか便乗して、北欧の音楽も注目を集めつつあるようです。アダージョ・カラヤンでも、グリーグの「オーゼの死」「ソルヴェイグの歌」、シベリウスの「悲しきワルツ」「トゥオネラの白鳥」が取り上げられ、フィンランディア・レーベルからも「白夜の・・・」「オーロラの・・・」といったシリーズがリリースされ、主に北欧の弦楽オーケストラの作品を中心に、無名曲の発掘も盛んに行われています。

 さて今回は、シベリウスの最晩年の沈黙の時代に書かれた、メロドラマ「孤独なシュプール」を紹介しましょう。弦楽オケとハープの伴奏に朗読が重ねられる編成で、演奏時間はわずか3分にも満たないほどです。説明している間に、曲が終わってしまいそう・・・。簡素な響き、何とも切ない旋律、あぁ、どうやって文章にしたらいいのだろう・・・・・・・。
 1925年にピアノ版を作曲、1948年にオーケストレーションされたこの作品、何だか彼が「交響曲第8番」を書かなかった(書けなかった)秘密をはらんでいるような気がします。最晩年「沈黙こそが雄弁なのです」と語った彼にとって、「交響曲」という形式は、あまりに饒舌なものではなかったか。最晩年の彼が珍しく完成させたこの貴重な音世界には、聴衆を自己の音楽に引きづり込もうというベートーヴェン以来の伝統は微塵も感じられない。朗読のバックに音楽は慎ましく控えており、耳をそばだてて、音楽に意識を傾けた者のみが味わうことのできる至福の時。美しく、心に染み入るような深い味わいを持った作品です。とにかく聴いてみてください。お薦めCDは、BISの、ヴァンスカ指揮、ラハティ交響楽団。カップリングの、初期の交響詩「森の精」、中期の劇音楽「白鳥姫」の世界初録音も素晴らしいですよ。
 なお、音楽之友社刊「作曲家別名曲解説ライブラリー/北欧の巨匠」のシベリウス作品リストには「孤独のスキタイ人」とある。壮絶な誤訳ですね。

(1999.2.11 Ms)


カッサツィオーネ 作品6

 10分ほどの小管弦楽のための単一楽章の作品。中間部の弦楽器による、ゆったりとした3拍子の悲しげなメロディーが絶品。これもまた、魅力的な、癒しの音楽だ。

 カッサツィオーネとは、モーツァルトの時代の多楽章の娯楽音楽。ディベルティメントと同義である。モーツァルトの作品目録にも、「カッサシオン」という曲を見つけることが出来るだろうが、全く同じ意味。しかし、シベリウスのこの作品と、娯楽音楽はとうてい結びつかない。

 作品6と言えば、「クレルヴォ交響曲」の手前、随分初期の作品のようだ。が、「名曲解説ライブラリー」によれば、1895年の作で「4つの伝説」の時期。BISのCD(ヤルヴィ指揮)の解説には、1904年の作で、「バイオリン協奏曲」と同時に初演とある。そして、最晩年の1927年、「テンペスト」のヘルシンキでの再演の際、新たに追加された1分足らずの「エピローグ」にも、美しい中間部の素材が引用されている。結局、生前出版されなかったために、シベリウスの「忘れられた秘曲」扱いになっているが、彼の創作全期間を通じて何度も手を加え続けた、彼のお気に入りの素材であったのか?お気に入り故に、彼の完璧主義によって改訂に次ぐ改訂で、決定稿が完成されなかったと言うことか?

 ここからは、私の憶測。シベリウスにとって初めての交響曲の下書きのため、多楽章の管弦楽曲として構想される(ブラームス初期の、管弦楽のためのセレナーデと同じ。結果として交響曲とはなり得ず、謙遜して軽めのタイトルを付けたのだ。)が、不完全なまま放置。中期に一度、完成され初演されるも納得せず改訂を手掛けるが、最終的な完成には至らず。彼にとって、本格的な管弦楽曲創作の出発点ともなる思い出の曲、結局、創作の終焉を自覚し始めた頃に、どうしても形に残しておきたくて、純粋な素材のまま「テンペスト」に編入した・・・・。

 最後に、終わり方の謎。交響曲第1番の第1、4楽章、そして交響曲第2番の第2楽章の最後。ピチカートによる2音、短3度の下降。全く同じ発想によってカッサツィオーネも閉じられる。一体何を意味するのか?伝統弦楽器カンテレの何かのフレーズなのか?これら初期の交響作品になぜ共通しているのか?残念ながら私に説明できる知識は無い。ひたすら、その美しい音楽を聴くだけ・・・・。

(1999.2.22 Ms)


交響詩「春の歌」作品16 及び 抒情的アンダンテ

(2つの「即興曲」に関する即興的考察)

 盟友、清流氏がこのたび、「春の歌」を演奏するのに啓発されて私も一つ書いてみようと思い立った次第。

 まず「春の歌」
 野に咲く花・・・・。そんな、素朴な味わいを持った、管弦楽による小品である。緩やかな3拍子で終始する、難しいところの全く無い、メロディアスな美しい作品だ。明るい春を謳歌する、と思わせながら、途中、悲しみを帯びる部分が感動的でもある。初期シベリウスを愛する私としては、まずオススメしたい。「エン・サガ」「カレリア」の影に隠れてしまっているのが惜しい。詳しくはまず、清流氏の解説を読んで頂いた方がよろしいだろう(リンク一覧よりアクセスできます)。
 1894年初演。1892年の「クレルヴォ交響曲」の大成功、そして続く「エン・サガ」。さらに1893年、「カレリア」と、フィンランドが生んだ最初の大作曲家として期待されていた彼が、フィンランドのヴァーサでの祝祭のための機会音楽として作曲(シャンドス版CD、ライナーノーツより)。しかし、初演時は「管弦楽のための即興曲」というタイトル。翌年改訂。スペイン舞曲風な後半部を削除し、題も「春の歌」に改めた。さらに1903年の出版時にも改訂。 

 続いて「抒情的アンダンテ」
 弦楽オーケストラのための小品だが、実は、1986年まで出版されなかった。楽譜には「即興曲、作品5の第5、6曲によるとのみ表記。その作品5とは、ピアノ独奏のための6つの「即興曲」のこと。1893年にメロドラマ「嫉妬の夜」のための音楽を付け、その素材によって作品5の第5、6曲は書かれた。その2曲の即興曲をもとに、弦楽用に編曲したのがこの作品。編曲年代は不明で、1924年の説もあるが、1894年2月にトゥルクで作曲者自身が初演、との説もある(BIS版CD、ライナーノーツより)。
 悲しげなそして柔らかなゆったりとした歌に始まり(第5曲に基づく)、続いてやや明るさを持ってワルツ風な楽想が現れる(第6曲による)が、その明るさはいつの間にか悲しみを帯び、冒頭の悲歌が回帰して静かに終わる。まさしく「癒しの音楽」、心休まる佳曲。

 さて、なぜ、この2つの対照的な作品を並べて紹介したのか・・・・キーワードは「即興曲」である。
 シベリウスと「即興曲」・・・・なんだか不釣合いな組み合わせだと思ったのは私だけだろうか。厳しい自己批判、練って練りまくって作品を完成させるというイメージの彼が「即興曲」とは・・・・。音楽史上、シューベルトや、ショパンのピアノ曲として「即興曲」という題の作品は生まれた。作曲家がインスピレーションのままに、一気に書き上げる、そんな「即興曲」を、あのシベリウスが・・・・。
 まして、独奏曲でなく、合奏曲で「即興曲」などと言われたら、ジョン・ケージあたりの偶然性の音楽をも想起させて、違和感も格別。また、英語で「インプロビゼーション」なんて言ったら、ジャズにおけるアドリブの意味にもなる。これまた違和感。それは、ともかくとして・・・・。
 既に、大成功した「クレルヴォ交響曲」の撤回を決意した彼である。自作に対する批判の目はこの時点でかなり厳しいものがあっただろう。そして、1893年は、民族的オペラの作曲のためバイロイトへ出かけ、ワーグナーを研究、しかし、幻滅。作曲家としての方向性を模索し、苦しんでいたに違いない。しかし、作曲家である以上、次々と作品は完成させねばならない。歌劇や交響曲といった大作へ向かうのをためらった彼は、ひたすら劇音楽等の委嘱に答え(「カレリア」「森の精」など)、また、自発的にも小品くらいしか手掛けられない日々が続いたと思われる。そんな中、純粋器楽作品に、謙遜の意味を持って、「即興曲」と名をつけ、管弦楽と弦楽と、姉妹作として書き上げたその2曲が、今回紹介する作品では・・・・と邪推してみた。

 ここで一言、「抒情的アンダンテ」という名の由来は不明である。スコアにもその題が無いのだし・・・。ただ、1924年完成説を採るなら、かの有名な「祝祭アンダンテ」との姉妹作として、後世の者、身近な者が名付けたという可能性もあるのではないか。シベリウスとしては「即興曲」としか名付けていないのだ。
 さらに、1894年初演説が事実かどうかは私は確かめようも無いが、単なる誤解でなくその根拠があるのであれば、シベリウスの作品の常として、改訂時期を作曲時期と混同しやすい側面を考慮するなら、1894年に弦楽用編曲が初演され、また、1924年にさらに再編曲されたとの見方も充分可能ではなかろうか。

 この2曲が時を同じくして作曲されたとすると、双生児的な姉妹として、彼が「即興」と謙遜した共通項が浮かび上がる。
 それは、全く異なる2つの素材(部分)を連結しただけの曲、ということだ。
 「春の歌」は、当初、現行の緩やかな音楽の後に、スペイン舞曲が続いていた。
 「抒情的アンダンテ」は、その成立過程からして、そのものずばり、異なる2曲の連結である。

 この2曲が書かれたと想定される1893〜1894年という年を考えると、ドイツ旅行(1893年夏)そして歌劇の計画の挫折、と多忙、そしてスランプの時期を迎えたであろうにもかかわらず、劇音楽「カレリア」及び組曲の初稿版の初演(1893年11月)、「トゥオネラの白鳥」の原型完成、「6つの即興曲」「ソナタ」などのピアノ作品、合唱曲「恋人」を手掛けており、本稿で取り上げた2曲の「即興曲」も、推敲の時間も充分無いまま、文字通り、即興的に一気に書き上げたのかもしれない。
 そのため、特に、機会音楽ともなれば接続曲風な単純な構成となり、それが気に入らず後に改訂をしたのではなかろうか。
 そして、「管弦楽のための即興曲」は、翌年、前半部のみを残して、構成的に散漫にならないよう改訂され、「即興曲」という謙遜から離れ、具体的なタイトルとして「春の歌」と名付けられたのだ。
 一方の「(弦楽のための)即興曲」はそのまま放置されたが、ひょっとして(根拠の無い空想だが)、交響曲第5番第1楽章、交響曲第7番を完成させた、その手腕でもって最晩年に、全く異なる2つの部分の自然な融合を果たし、現在の姿となった、と考えてみることもできるかもしれない。(逆に1894年時点で、この自然な融合を果たしているのなら、晩年の楽章融合の先駆となる重要作との位置付けも可能である。)

 また、この2作品の共通点として、長調部分が自然にいつの間にか短調に変化する部分を指摘できよう。その変化の瞬間の旋律の動きが、よく聴いてみると同じ雰囲気を持っているように思えるのだが・・・・。短調の音階の隣接する4つの音が順次進行するメロディーラインが、である。
 そんなことを気にしながら、全く違う面持ちの2曲が、作曲当時は姉妹作であったことを(勝手に)想像するのも興味深いことではある。(あくまで、私の知り得た知識を再構成した空想である。信じないで下さいね。)


 ここで、「春の歌」だけについて、ちょっと触れておきたい。
 シベリウスが、フィン語で「春の歌」と名付け、フランス語でサブタイトル「春の悲しみ」と付け加えたのは、清流氏の指摘によって初めて気が付いたことだ。きっと、フィンランドの人々は、春に悲しみがあることを知っているのだろう。しかし、外国人は知らない。そこで、わざわざ、国際的な言語の一つ、フランス語で付け加えたのだろうか。(なぜ、英語、ドイツ語、イタリア語でないのかは????)
 私が昨年、フィンランドを訪れたのは夏であったが、奇しくも、シベリウスの家「アイノラ」へ向かう途中、晴れていた空がいきなり、瞬時に真っ黒くなり、嵐の如く雨と相成った。夏でもこのありさま、春はもっと気の許せない季節なのだろうか。当HPの「曲解シリーズ第1回」のシベリウスの解説でも取り上げたが、春とは言え、寒の戻りも激しく、春に襲う寒波が鳥たちの命を奪いかねず、人々が鳥の保護をするのだとか。春だ、春だ、と手放しには喜べないようなのだ。一進一退、冬との格闘の後、ようやく陽気が落ち着いた頃、季節は既に夏へと移っているのだろう。
 メンデルスゾーンやドビッシーの描いた「春」との相違を、シベリウスとしては、他国に人々に是非わかってもらいたかったのだろうか。

 そのように思いながら、このフィンランドの「春」が「冬」と格闘しているありさまを、「春の歌」の中に、私は想像してしまう。
 冒頭の穏やかな春の訪れ、しかし、いつの間にか暗雲は垂れ込め、嵐のような寒波が襲う(一瞬にして空が雲に覆われた、あの感じ、私はあの嵐の時の経験を思い出す)。悲しみの到来。それを乗り越え、軽やかに前へ進んで、冒頭の幸福感溢れる旋律も回帰。しかし、再び嵐の前兆が・・・・・「冬よ、来るな!春よ、がんばれ!」その祈りの瞬間、鐘が打ち鳴らされる。その祈りが届けられ、一瞬、宗教的ですらある幸福感、そして感謝が高弦で歌われ、最後、再び明るく春を称えて終わる。最後のアーメン終止もいいねぇ。

 今度の12月の岐阜県交響楽団さんの演奏、楽しみにしています。岐響の皆さんは、はたして、どんな「春の悲しみ」を表現されるのだろう?

(1999.10.6 Ms)

演奏の結果は、こちら(今月のトピックス’99 12月)で紹介しています。


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