第1回

祝! 藤前干潟(名古屋市)埋め立て断念 

野鳥との交流 〜シベリウスの交響曲第1番〜

ちょっと長いけど特にシベリウス・ファンを自認する方には是非読んでいただきたいな

 森と湖の国、スオミ(フィンランド)、そしてスオミを代表する作曲家シベリウスを語る上で避けて通れないのは「自然」である。厳しく長い冬と、白夜の夏。ひとけのない森の中、湖のほとりのログハウスに住み、煩わしい営利がらみの人間関係で精神をすり減らすことなく、自然と共生しながらの家族みずいらずの暖かな生活。お風呂の代わりに、サウナでたっぷり汗を流したすぐ後で、透き通る湖にダイビング。何だか、日本から見るとユートピアにも思える、憧れのスオミ。そのスオミと、シベリウスをもっと知るためのキーワードとして本稿では「野鳥」を選んでみた。2005年、環境万博を目指す愛知県より、「自然との共生」さらに「野鳥との交流」という視点から、スオミとシベリウスの音楽を眺めてみよう。

 極北の地にあるスオミは、野鳥にとって、夏は涼しい繁殖地、冬は去るべき酷寒の地。スオミの人々は、冬の訪れとともに、庭の木々にライ麦の束を掛ける。散歩がてら森の木々のくぼみにピーナッツを置く。氷の張る池に向かってスーツ姿の男性も毎朝カバン一杯のパンくずを持っていく。越冬する鳥たちに食料を与えるためだ。春先、南から鳥たちが渡ってきた後、寒の戻りがあれば、テレビ、新聞こぞって鳥の保護、さらなる食料提供を呼びかけるという。初夏、畑の真中に巣作りする鳥があれば、トラクターは見逃すことなく、避けて通る。学校では、数多くの鳥の名をそして、生態を教えられ、巣箱を作る実習もしっかりと行われる。
 スオミの人々は、ただ、困っている隣人を助けるような自然な気持ちで、鳥たちと接している。人間にとって最も身近な動物である野鳥たち(大型動物はあまりいない)も、人間と同様に厳しい自然を耐えねばならないという環境が、そんな優しさを生んでいるのだろうか(自然が急速に失われつつある現代日本において、その優しさを見つけることが困難になりつつあると思うのは私だけであろうか)

 シベリウスも当然、そんな野鳥を愛する一人であった。少年時代、常に彼は自然の中にあった。小鳥のさえずりに聞き耳を立て、初夏の大地の香りを嗅ぎながら恍惚感に浸っていたという。そして、お気に入りのバイオリンを携えて、湖畔で、さらには、島巡りのボートの舳先で、鳥たちに向かってコンサートを開いた。39歳でヘルシンキ郊外のトゥースラ湖畔に居を構え、それから死ぬまで自然の中に彼はいた。渡りの季節、鳥たちが羽を休めにやってくると、飽きずにその姿を見守っていたという。そう言われてみれば、彼には鳥に関する曲が少なくない。名曲「トゥオネラの白鳥」を始め、「鶴のいる風景」、劇音楽「白鳥姫」「鳥の言葉」。さらに「エン・サガ」の冒頭の低いオーボエは白鳥の声だし、交響曲第5番第1楽章のコーダは、渡り鳥が一斉に飛び立つ様がイメージされている。抽象的で難解な交響曲第4番の解説を求められ、1枚の風景画を取り出したという彼のことである。彼は常に自然の中にあって、自然の中から作曲のインスピレーションを得ていたのだろう。当然、野鳥たちとの交流からも様々な作品、アイディアが生まれ出ても不思議はない。

 さて、交響曲第1番にも鳥たちの存在は認められそうだ。第1楽章第2主題、ハープの和音の上、鳥のさえずりを思わせる木管のこまやかな動き、餌をついばむような素早いトランペットの同音連打。第2楽章中間部、唯一トライアングルが鳴るところ、フルートの可愛らしいトリル。この辺りに、即物的ではあるが、鳥の声、仕草を感じる。しかし、もっと抽象化された形で私は、この交響曲に鳥を思うのである。

 シベリウスの作品に特徴的なメロディーラインとして、”引き伸ばされた長い音の後に細かい動き”という一定の形がある。交響曲第1番で言えば、第1楽章、バイオリンによる第1主題。展開部でソロ・バイオリンの掛け合いにもなる第3主題。第2楽章中間部のホルン・ソロ。これらが顕著にその性格を持っているのだが、もっと言えば、第1、4楽章冒頭の悲劇的なテーマ、第4楽章、ビオラ、バイオリンと引き継がれるスキップリズムを含んだ第1主題も、あまり長く引き伸ばされないが同じ傾向を持つ。さらに、第2、3楽章の冒頭の主要主題も、フレーズ最初の同音の部分をタイでつないでしまえば、いささか強引だが、似た形となる(他には「トゥオネラの白鳥」、交響曲第2番、「悲しきワルツ」などに顕著な例がある)。

 このパターンに私は、鳥の鳴き声が反映していると考えるのである。つまり、日本でおなじみの鳥を例に挙げれば「ホーーー・ホケキョ」、うぐいすである。この鳴き声をそっくり使って描写しているわけではないが、シベリウスの鳥との交流と、メロディーの特徴を考え合わせると関連があるように私には思われる。無意識の所産だとは思うが。 そこで、スオミにうぐいすがいるのか?という話になるが、野鳥の専門家に聞く前に、音楽芸術の立場で考えてみよう。鳥の鳴き声と言えば、やはり、ベートーヴェンの「田園」第2楽章最後。フルートの奏でる鳥のさえずりが「ホーホケキョ」風だ。さらに、アンデルセンの童話に基づく、ロシアのストラヴィンスキーの交響詩、その名もずばり「うぐいすの歌」の中で、フルートがうぐいすの鳴き声を描写しており、それがやはりシベリウスの前述の旋律と同じ性質なのである。つまり、ドイツ、ロシアの作曲家が耳にしていたと想像できるのだから、当然スオミにも、日本のうぐいすと似たような鳴き声の鳥がいて、シベリウスの旋律創造のヒントになっている、と考えてもよいのではなかろうか。

 そんな戯言はさておき、一応解説らしきこともしておこう。ロシア帝国からの独立運動が激化する1899年、交響詩「フィンランディア」によって音楽による独立運動の旗手となった彼の初めての本格的な交響曲である第1番は、当時の社会情勢も関係して、民族的、愛国的、政治的な色調で語られがちである。第1、4楽章の終結の悲劇的な弱奏は、北欧の英雄伝説との関連を思わせ(「クレルボ」「エン・サカ゛」との同質性)、また、「幻想曲風に」と題された第4楽章は、闘争、革命的な激しさと、未来への期待、希望とが交錯する、士気高揚の音楽にも聞こえる。余談だが、「幻想曲」とは、夢、幻といった類のロマンティックな曲を指すのではなく、ソナタ、ロンドといった伝統的な形式を離れた自由なスタイルによる曲という意味である(バッハ、モーツァルトなどにその例がある。ベートーヴェンも伝統破りの緩やかな第1楽章を持つピアノ・ソナタを幻想曲風ソナタと名付けている。現在「月光」と呼ばれる曲だ)。つまり、シベリウスは、自由、そして伝統破壊、つまり、ロシアからの独立を、この幻想曲に込めたのではないか、との推測も成り立とう。

 さらに、1900年のパリ万博以来、ヨーロッパ各地で演奏され、スオミの独立への国際世論を盛り上げた(ナイチンゲールを始めとする著名人の支持も集めた)この交響曲は、他国に対するスオミの紹介、という側面も持っているように思う。第1楽章は、ずばり「祖国の自然」第2楽章は、厳しい冬にあって助け合い、暖炉を囲む「家族の暖かな絆」第3楽章は、ティンパニによる主題提示という、マーラーですら考え付かなかった独創的な管弦楽法で描く「シス」と呼ばれる強靭で不屈な「フィンランド魂」、そして第4楽章は、スオミの現状、「ロシアの圧政とスオミの反抗」が、それぞれの音楽の根底にありそうな気がするのだ。そして、その背後で常に響いているのが、シベリウスにとって身近な野鳥の歌声であり、彼にとっての、祖国の自然からの創作上の恵みのひとつとして、野鳥の存在があるように思われるのだ。

 本来は、標題を持たない交響曲に対して具体的なイメージを押し付けるべきではない。しかし、その作品の背景を知ることで、見過ごしてきたその作品の一側面が見えてくることもあるのではなかろうか。さらに、環境万博のお膝元であるこの愛知県で、日本最大の野鳥の楽園、名古屋の藤前干潟がゴミ処分場に変わろうとしている現在、私はシベリウスの音楽が、私たちに対して何らかのメッセージを発信しているようにも思われてならない。「自然との共生」、「野鳥との交流」、我々はもっと意識すべきなのではなかろうか。

 最後に、再度、シベリウスと野鳥との交流を紹介して、この独善的な本稿も筆を置くこととしよう。
 彼が、トゥースラ湖畔の自宅で亡くなる二日前、南へ帰る鶴の群れが飛んできた。普段より低く飛んでおり、鳴き声もよく聞こえ、嬉しくなって彼は急ぎ外へ出た。湖の上にさしかかると、その中の一羽が突然群れから離れ、別れを惜しむように頭上を旋回し、再び群れに戻って大空へ消えていったという。
 私も、この夏、自然を、そして鳥を愛する一人の女性と、スオミを旅する予定である。歌の翼に乗って、シベリウスの足跡を訪ねよう。そして、「スオミのうぐいす」を探し当て、帰国後はシベリウス研究の第一人者になっているのかも ?


(某K管弦楽団第9回定演のため1998年初めに脱稿。字数超過で撤回。拙著「世紀末音楽れぽおと」に収録。)
「世紀末音楽れぽおと」に関する情報は「Msからのお知らせ」を参照してください。

 追記

 とりあえず、藤前干潟のゴミ処分場化は阻止されたようです。めでたし、めでたし。
 あと、予告どおり昨年夏、北欧旅行に行ってきましたが、「スオミのうぐいす」は見つかりませんでした。でも、私はシベリウスの旋律造形と、鳥の鳴き声の関係はあるような気が今もします。何か、ご存知の方、いらしたらメールをお待ちしています。メールは
「Msからのお知らせ」のページから送れます。それでは、ごきげんよう。

(1999.2.8 Ms)


次回は「早過ぎた野蛮主義者、ラフマニノフ」を予定しています。うまくまとまるかな? 3月中には発表できるようがんばります。

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