テロリスト
この『呆冗記』は『人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。』なのだから故意に政治ネタは避けてきた。300回近い中で、政治ネタはせいぜい『日の丸・君が代問題』程度のはずである。(ニュースネタとしては、半熟卵とか、雪印問題とか、柔道金メダル問題だとか、少女の自殺問題だとかがあるが、本当の意味での『政治ネタ』は『日の丸・君が代問題』だけと思う)
しかし、今回、再び禁を破ることをお許し願いたい。
「おそらく、2001年9月11日以前と以後では世界の情勢が大きく変わってしまった・・・」とは、朱雀だけではなく多くの人に同意してもらえる話だろう。
すなわち、超大国アメリカに対し、軍人同士の正規戦でも、ゲリラ兵によるゲリラ戦でもなく、テロ活動によって大きく歴史が動いたのだ。
そう、テロは戦争ではない。活動である。
テロは戦争ではないのだ。
まあ、朱雀のようにしのご言うつもりはないが、しかし彼も言うとおり、テロは活動であり不正規戦でも正規戦でもないのだ。
テロの対象は民間人である。軍需工場でも、基地でもない。そんな場所にいる民間人を女子供の区別なく殺す行為なのだ。
むろん、不正規戦であるゲリラを刈るとう言う目的で銃口が敵の民間人に向けられる事態は多々ある。しかし、今回の場合、宣戦布告も何もない。いや、アメリカはどこの国とも戦争状態にはなかった。
しかし、犯人はアメリカの貿易センタービルに航空機を突っ込ませたのだ。
現在の情報化社会は、その画像を何度も伝える一方で、パレスチナの民衆が驚喜している様子をも映し出す・・・。
何千という人間の死を、自分たちの敵の死に歓喜の声をあげる人々。
むろん、そこに至るまでの状況は大国のエゴと謀略に翻弄された結果だとわかっている。しかし・・・。
その姿を見て、嫌悪感を持ってしまうのは私の甘さだろうか?
小泉首相は米国の行動に追従する談話を発表している。
しかし、その発表はアメリカにテロ行為をしかけたテロリストたちの標的となることを意味することをどれだけの人々が理解しているだろうか?
欧州の国々が微妙に距離を置く中、日本の突出ぶりはどうしても目立つ。
しかし、日本人は何もわかっていないのではないだろうか・・・。
かくいう私も何がわかっているのだろうか? 人と人の間の闇は斯様に深いのだろうか?
今後、あの第二次世界大戦すら「古き良き時代」と思われるような凄まじい新しい戦争の時代が始まることは間違いない。
しかし、どれほどの日本人がそのことに覚悟しているのだろう。かくいう私にも覚悟はあるのだろうか?(01,9,14)