呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


人生激情

 本当は、この題名は、私が実名を出していろんなことに噛みつく予定のサイト(公開未定)のコンテンツ名として考えていたものである。人生激情とかいて「じんせいげきじょう」とよませるつもりだった。その、隠し球をどうしてこんなところで、使う気になったのか。
 先日起きた事件に大きな衝撃を受けたからだ。だから、今回『呆冗記』の一回として使うことをお許し願いたい。
 こんなサイトのコンテンツ。2年で1000ちょっとのアクセス数のコンテンツが叫んでも何の意味もないのかもしれない。しかし、サイトを持っていて、情報を発信する場所を持っていて、今回の件で発言しないのは間違いのような気がするのだ。
 笑い事ではない。そう思うのだ。
 だから、ここへ笑いに来られている方は以下の文章は読まれず次の莫迦話へと進んでほしい。

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 昔、不遇の詩人はこう歌った。

 生きたいとは思わないが、死ぬのも面倒だ。

 ある、戯作家も弾圧にあったときにこう呟いた。

 家なし 子なし 版木なし 金もなければ 死にたくもなし。

 ここには捻くれた、純粋ではないが、しかしどこかにおかしみがある。
 人間、生きていればいつかは笑い話になるのだ。どんなことでも、笑い話になる。バイクで死にかけたこと。中学校で虐めにあったこと。大学で急性アルコール中毒になったこと。私の友人、知人にもごまんといる。
 友人Sなぞ、机の上に花瓶の花を飾られ、机に「Sくん、安らかに眠ってください」と悪戯書きされたほどの虐められっ子の猛者である。
 「あれで、絶対に死んでやるものか。そう思ったぞ。うん」
 まだ、瘡蓋になる前、そう言ってはSは酒を呷っていたものだ。
 花瓶が机の上に置かれてから20年。今では、生徒に笑い話として言えるほどだと言うが、それもこれも生きていたからではないだろうか。

 しかし、死んでしまったら。終わりだろう。
 女子高生が二人、死を選んだ。

 死ぬ理由はない。しかし、生きていく理由もない。

 ただ、上記の言葉の前後がひっくり返っただけなのに、ここには漆黒の闇が広がっているではないか。
 何よりも恐ろしい闇。そうとしか表現できないとんでもない代物が、ここにはある。
 彼女たちをそこまで絶望させてしまったのはなんなのだろう。本来、楽しかるべき青春の日々を、こんな無味乾燥の言葉を残すほどの無味乾燥なものにしてしまったものはなんなのだろう。いった、何が彼女たちに死を選ばせたのだろうか?
 もののけ姫の宣伝の一言、「生きろ!」
 に対して、ブレンパワードの「言われなくたって生きてやる!」
 が、対応している、とは「を」の間では有名な話だ。言われないでも生きている。それが若者の特権ではなかったのか? 
 若者は生命力にあふれ、脂っこく、傍若無人で大人の気持ちもわからず言いたい放題、やれ、恋だ、愛だ、運命の人だと赤面するような言葉を吐き散らし、大人に対して尊敬のかけらもなく・・・。ああ、私は若者に生まれなくて良かった・・・。
 そういうものだったはずなのに・・・。最近の若者の体温が低いような気がするのは私だけだろうか?

 しかし、そんなことはともかく、どうでもいい。ともかく、なんでもいい。だから、ここを訪れた若者よ。

 死ぬな!

 生きたくっても生きられなかった人間はごまんといるのだから・・・。
 次回から脳天気に戻ります・・・。(00,5,16)


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