その1
1 ただ、栄光のためでなく
北海道の春は短い。その短い春はやがて更に短い夏と、夏に比べれば遙かに長いが、内地の人間には冬と変わらぬ秋を迎え、そして冬が来る。
しかし、この北海道においても春は、日本人の遺伝子に組み込まれた花見の季節であり、その南端に位置する函館の桜は、GW後半には例年、美しい花を咲かせるのだった。
昨年秋、旅行に重要な要素である金銭と時間の内、十分な時間を得ることが出来ずに苦渋を舐めた我々、久部さんと私が、復讐を誓うには十分すぎる状況である。
ならばこそ、今年の春の旅行は、昨年秋にいい思いをした二人、SとTをこき使い、後席でのんびり麦酒でも啜りながら大名旅行を行う。これこそが正しい旅行のはずであった。
むろん、S一人がえらい重労働になるのは覚悟の上である。覚悟するのは我々ではないが。
しかし、この奸計を見透かしたかのように事件が起こる。
4月から酷使し、GW前半さえ出勤したSの体は既に限界を超えており、5月の4連休には高熱を発するに至った。
ここに、我々は重要な足と運転手を失ったのである。
更に、Tは一生分の仕事が突然降ってきたかのような状況で参加を断念。遂に我々はギャグメーカーさえも失ってしまったのだ。事態は混迷の度を増しつつあった。
結果として、5月3日深夜、上杉宅の作戦会議で、上杉は今回の旅行を如何にすべきか頭を抱えていたのだ。
しかし、常人ならざる久部大老はこの事態に欠片ほどの混乱すら示さなかった。
大老は、こう言い放ったのである。
「上杉君、旅行って目的が必要なのかな」
その言葉が、過去に例をみない旅行へ我々を導きつつあった。
2 作戦企画
「目的のない旅行ですって」
上杉はその言葉に目を剥いた。
「そんな莫迦な・・・久部さん。目的のない旅なんて・・・」
そうだった。いくら莫迦とか無謀とか名前をつけようと、今までの旅行には確かに目的があった。
最初の帯広旅行は、芽室の松久園のニジマス料理と、然別湖。神田日勝美術館。帯広地ビールと、ついでに帰りに上富良野地ビールを購入。という明確な目標の元に実施された健全なものだった。
道東無謀旅行記は、結果として無謀な旅行となったとしても、然別湖へ霊的存在を戻すこと。北見市内で地ビール購入。そして第4次カムイワッカの滝攻略と池田町でいくら丼をかきこむという目的が確かに存在したのだ。
「風任せ武田暗」に至っては、友人Sのカムイワッカの滝登頂というあまりにも大きな目的が存在していた。
むろん、最後の旅は残念なことに作戦は天候によって中途で失敗し、以後はDCを道東で購入するなど、お笑い旅行になったのだが・・・。
これらの旅行は間違いなく目的が存在したのだ。しかし、今、我々はそれすらも超越しようと言うのであろうか・・・。
「今度の旅行に目的はいらない。結果があればいいじゃないか。桜満開の南ではなく、北へ進路をとってあてどなく彷徨う。これがいいんじゃないかな」
大老は東方不敗の湯飲みでおもたせの「菊姫山廃仕込み」を飲みながら言った。
「は・・・はあ」
久部さんは間違いなく酒飲みだ。で、なければヌキで酒が飲めるか・・・などと混乱しながら私は呟いた。
「北へ帰るのか・・・」
こうして、この旅は始まったのである。
3 作戦開始
北へ帰る。
実は、私は過去に短期間ではあるが、北に住んでいたことがある。オホーツクの海はどこまでも冷たかった。まだ、その傷は癒えていないのだが・・・。
なにはともあれ、賽は投げられた。第一目標は旭川。ならば、通過休憩所として、古本や巡りは決定事項である。
それを前提に、問題が発生した。
旭川着を10時過ぎにしなければ、旭川の古本屋は私たちの前に、その脂身のような豊穣な門戸を開いてはくれないであろう。閉まっている古本屋くらい我々の旅行で悲しいものはない。
ならば、到着時間から逆算して、出発は8時過ぎで充分のはずだ。高速ならば1時間強で旭川である。なんだったら、目的もない旅である、245号線を通って北上するのも乙なものかもしれない。などと、目的がない故に作戦は散漫化し、その対象は非常に曖昧なものへとなりつつあった。
結局、8:30過ぎ出発。9:22、厚別にて朝食購入。あとは北上するだけだ。土地勘のある私は自信満々に愛車、ボロ車のハンドルを握っていた。
しかし、誤算は裏街道の使用にあった。目的のない旅に高速は不要。その判断が当然のように裏目に出る。私の裏街道使用は常に深夜であった。昼は逆コースしか使用したことがない。そう、昼日向の生活道路使用者が存在する裏街道、その車の流れを読み違えたのである。通常道路よりは遙かに速い、しかし、高速道路よりは遙かに遅い。せめて、所要時間は高速の1.5倍。この願いは空しくも費えてしまった。結果は見るまでもなかった。12:00。旭川の最初の書店を発見。予定よりも2時間の遅れである。
しかし、我々はなぜか、まったりとした時間の流れに身をまかせていた。
4 旭川は骨董の町?
今回の旅行、最初の標的は『本DEマート忠和店』だった。
本DEマート忠和店 |
そのチープなネーミングが何とも言えない。そういえば、昔、『パンチDEデート』という番組がなかっただろうか? そんなことを考えながら、乗り付ける。 店内は意に反して普通だった。この場合の普通とは、誉め言葉ではない。天下の旭川である。北海道共和国第二の都市の古本屋にしてはやけに小さくまとまっている。
「なんなんでしょうね」
久部さんお勧めのコミックを購入するも、拍子抜けの感は否めなかった。
更に本屋を求めて走り続ける。
「そういえば、さの氏のコミックが出ていたね」
は・・・。
さの氏と言えば言わずとしれた『スマイルはゼロゴールド』の作者である。この作品とあと、松沢氏の『勇者はツライよ』はガンガン誌上に燦然と輝くトンデモ勇者の出てくる漫画なのだ。(あと、『ハーメルンのバイオリン弾き』もそうだったが、あそこまで正統に終わられるともう、トンデモとは言えまい)
「おお」
急遽、近くの新刊書店に突入する。しかし、そこはなんだか変な店だった。
アメリカ雑貨の本屋 |
確かに、本屋ではある。しかし、店内の半分以上がアメリカの古い雑貨で埋められている。
「なんだか、そぐわないねえ」
私もこんなとこへ入ったのは初めてだ。
「旭川の人って骨董が好きなんだろうか」
久部さんの言葉に私も首を傾げる。確かにやけに骨董品店のようなものが目に付いたが、はたして、それは旭川人の特色なのか? 札幌では裏通りにしかない骨董屋がメインストリートにどどんとある、本屋で西洋骨董品を売っている・・・。我々は気がついてはいけないことに気がついてしまったのだろうか。
5 変な物
私たち札幌の人間はもしかしたら、他の街の人々から見ると変なのかもしれない。大歓楽街でありながらなんか小綺麗な、あまり犯罪のにおいのしないススキノを擁する170万都市札幌。魔界都市新宿は成立しても、魔界都市薄野は成立しないような気がするのだ。
しかし、そんな我々も奇妙な風習、奇妙な物品をそれと知らずさらしているのかもしれない。いや、私の場合はこのサイトがそうかもしれないが・・・。
昼は開いてない古本屋 |
よくある、昼は開いていない古本屋を通過しようとしたとき、久部さん言われた。
「あれはなんだろう」「はい?」
奇妙な看板だった。
『北の』
いったい何なのだ?何の看板だったのだ。肝心の店名その他は塗りつぶされ、ただ、「北の」この2文字だけが残されている。
更に、その看板を写真に撮ろうとして駐車した怪しい古本屋の駐車スペースにぶら下がっていた謎の看板。
『唄』
まさか、これは市外者を炙り出すための仕掛けではないだろうか? もしくは何か呪術的な仕掛けがなされているのだろうか? 北海道第二の都市の放った北海道第一の都市の旅行者に対する何らかの刺客なのか? 私たちは混乱しながら車を走らせたのだ。
と・・・。道すがら、またまた妙な物を見つけてしまった。
馬である。間違いなく馬である。しかし、その馬が金網に包まれている。
「開拓に活躍した馬なんでしょうか?」
「でも、だったらどうして金網で囲ってあるんだい。夜になったら動くとか・・・」
深夜、銅像の馬が旭川の街を駆け抜ける・・・。なんだか怖い考えになってしまった私たちはひたすら道を急いだのであった。
6 ゲリラ戦
旭川は古い町である。だから、もしかしたら一昨年の帯広と同じ状況なのかもしれない。
『BOOK OFF』や『GEO』といった大きな本屋がなかなか見つからない。
「うーん旭川ってなかなか古本屋が見つからないね」
「まったくですね」
これが北見だったらごろごろ大規模古書店が転がっているのだ。
「いやあ、本当に北見はそそられるよね」
「また、カニ喰うついでに行きましょうか」
なんだか、今年の秋もまたまたあっちの方へ行きそうな勢いである。
しかし、旭川を弁護するならば、我々が現在すすんでいるルートが悪いのかもしれない。40号線沿いの北へ向かうルートにほとんど本屋がないだけなのかもしれない。
と、13:56。一件の古書店が目に入った。『旭文堂コミック店』とある。
旭文堂コミック店 |
何はともあれ寄ってみる。
その中は一時代昔の世界が広がっていた。全体的に品揃えが古い。15年ぶりくらいに月刊ジャンプ連載の『影の戦闘機隊』なんぞがあったりする。全巻そろっていたら買っていたかもしれない。
「ま、写真集は手堅い価格付けだけどね」
とは久部さんの評価である。品揃えは平凡だが、価格は相場より平均300円程安いのだそうだ。
たいした戦果もなくここを後にした我々は更に北上。14:09に新刊書店の『Bibros』に寄って何冊か新刊を購入した。
Bibros旭川店 |
しかし、旭川にまで来て本を買う私は何者なのか。しかも、さの氏のコミックはない。
どうやら、帯広方面へ向かう道に比べて40号線には本屋も古書店もないのかもしれない。そう思っていた矢先、その思いを覆す今回の旅行で最大の古書店に我々は出会ってしまったのだった。
7 偶発遭遇
当初、その店の間口はあまりにも小さかった。だから見つけたときには通り過ぎてしまったほどだった。
「どうする、行ってしまうかい?」
久部さんが聞いてくる。何でもないような気もするし、帯広のあの書店と同じような引っかかりも感じる。暫く進んでから左折した。
「とにもかくにも、寄ってみましょう」
私はそう言うと車をその本屋、『のえ書房』の横に停めたのだった。
のえ書房 |
中に入る。広くはない。しかし、独特の古書の臭いが鼻をつく。コミックでも新書でもない、古い学術書の放つ独特の臭いだ。向かって中央の棚にはコミックや新書。そして、左側には文学書や評論、そして写真集がハトロン紙やビニール袋にくるまれて鎮座しているではないか。
久部さんは写真集の前から動かない。
私は文学書を一瞥し、向かって右側。本棚と本棚の隙間のような場所に潜り込んだ。
「!?」
私は、歴史を専攻する人間ではない。単にSから聞き囓っているだけだ。だから、その場所の凄さは良くわからないかもしれない。しかし、プロレタリア関係、同和関係書籍の山ではないか。雰囲気は非常に北大前の『サッポロ堂』さんに似ている。(ような気がする)小林多喜二の初版本。持っていないと歴史家として大きな顔ができないらしい(Sも持っていない)大月書店の『マルクス・エンゲルス全集』一揃い。
おそらくは宝の山だろう。そのはずだ。
その中で私は『海賊の歴史』なるイロモノっぽい上下巻を2冊で3000円で購入、Sへの土産とした。その時は、オレンジがたわわに実る山に入ってレモンをひとつ、もぎ取ったつもりだったのだ。
ともかく、なんとなくまったりとした初日。最初のピークはこうして訪れたのだった。(01,5,14)