呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


その2

8 戦果拡大

 とんでもない穴場の発見に我々は興奮状態にあった。かなりの時間をかけて我々はその書店内を探査し、再び車を発進させた。
 「いやあ、凄い本屋だったね」
 久部さんの意見には全く同感である。
 「しかも写真集の類がなんか異様に安かったよ」
 なんでも、某アイドルグループのさよなら写真集が札幌のその手の古本屋に持ち込めば充分に転がせる価格だったのだそうだ。
 「それは凄い・・・で、買われたんですか」
 「いや、あんまり凄いから買わないで来てしまったよ」
 ま、確かにインパクトのある本屋であった。たぶんに、文学書やプロレタリア、部落問題の書籍が主で、漫画や写真集は完全に従なのだろう。
 更に少し行くと『BOOK OFF』が見えてきた。どうやら『のえ書房』は我々にツキをもたらせてくれたらしい。

旭川のBOOKOFF

旭川のBOOKOFF

 「そう言えば、柴田氏の『ラブ・シンクロイド』文庫版にに蛇足がついたの知ってる」
 店内を散策しながら久部さんが言われる。
 「は? どんなですか?」
 「うん、向こうの人達、ヴァウフェークでこっちに観光に来まくっちゃうんだ」
 その手があったかあ・・・。確かにあのラストは一抹の侘びしさがあったことは確かだが・・・。そうしたか柴田氏・・・。
 そうこうしている内に、久部さんが探していた一冊の新書を我々は発見したのである。
 「こ、これだから地方の古本や巡りはおっかないんだよ」
 かなり昔からその本を探されていたのは知っていたが、まさか、今回の旅行でその新書本が見つかるとは・・・。
 本当にお誘いした甲斐があったというものである。我々はこの戦果に意気揚々と次なる目標を求めて北上したのである。

9 恐怖、旭川ナンバー

 緩い上り坂のカーブ。坂の向こうに逃げ水が輝き、その先は完全に見えない。少し前を行く、この道を生活道路としている軽自動車。この場合、追い抜きをかけるのは無謀である。
 しかし、突如、私のボロ車の後ろを走っていた普通のおじさんの普通のセダンが轟音一発。追い抜きをかけるではないか! 坂の向こうから車が来たらどうなるのだろうか? 
 更に、対向車が見えるにもかかわらず、強引に追い抜きをかけるスポーツカー・・・。一瞬、道路は完全に三車線と化した・・・。
 道東旅行ではせいぜい一回の旅行に多くても一回程度のヒヤッとする出来事が、今回なんだか片手の手に余るほど起こったような気がするのだ。
 むろん、私の運転は必ずしもうまくはない。しかし、にしたって、時速70キロほどで流れに乗っている私のボロ車をびゅんびゅん抜いていく車がこれほどあっていいのだろうか。
 「これは、旭川ナンバーの習性なのかな」
 久部さんが助手席で首を傾げる。
 「そうなんでしょうか?」
 「それにね、古本屋の駐車場でも、道東では見なかった、迷惑駐車が結構いたでしょ」
 そういえばそうである。さっきの『BOOK OFF』でもけっこうあった。
 「じゃあ、今度は追い越されたら流れに乗ってついていって見ましょうか」
 軽自動車が左折した。後ろから猛スピードで旭川ナンバーのワゴン車が追い抜いていく。私はボロ車のアクセルを踏んだ。メーターの針がじりじりと上がっていく。前の車はまだまだ加速する。うわあ、制限速度を大きく超越してしまった。わたしの車は古いので、あるスピードを超えるとチャイムが鳴る。そのチャイムが車内に鳴り響く・・・。
 私はアクセルを緩めた。どうやら道北は私のような運転の下手な人間は来てはいけない場所なのかもしれない。

10 名寄にて

 車はひたすら北上する。
 途中、可愛い女の子の軽自動車にまでブッ千切られた私のボロ車はとぼとぼと5:30頃、名寄市内に入った。
 「うーん」
 久部さんがのびをしながら言った。
 「なんだか、今回の旅行、ずいぶんとまったりとしてないかい?」
 それは言えるかもしれない。何せ、今頃名寄である。いくら開いてないよくある本屋を加えて6件の本屋を廻ったとしても、すこしゆっくりしすぎたかもしれない。いや、出発が少し遅かったと言うべきなのかもしれないが・・・。ま、目的のない旅である。よしとしよう。
 名寄の街は私がこっちに住んでいた頃は特別な街だった。ここより北にはセイコーマート以外のコンビニも、映画館も、モスチキンも、確か、ケンタッキーもなかったのである。まあ、10年も昔の話だが・・・。
 しかし、街の中に入った私の感触は、
 「寂れたな・・・」
 だったりする。何となく活気がない。北海道の不況は確実に地方の中堅都市を蝕んでいるのだろうか?
 と、一件の古本屋が目に入る。
 古本・新刊『GEOブックスレインボー』。

GEOブックスレインボー

GEOブックスレインボー

 「新刊売ってるGEOなんて初めて見たよ」
 久部さんも吃驚の古本屋である。
 中身は推して知るべしだが、なんと、古本座り読みコーナーがあるではないか・・・。凄いぞ名寄。しかし、大多数の古本にはビニールがかかっているのだ。これではほとんど座り読みができない。道東の、新刊本屋でありながら、大量の椅子を用意していた某書店に比べるとなんともどうもだ。
 「道東の方が僕には向いているのかなあ」
 そう呟く久部さんとともにボロ車は更に北上するのだった。

11 音威子府攻略戦

 音威子府(おといねっぷ)。ここは蕎麦がうまい。かの昔、北見枝幸で教員をしていたSはここの蕎麦を北海道のかけ蕎麦のベストと言い切ったほどである。また、過去にこの蕎麦を販売していた万屋は冴速氏の親戚という我々には結構縁の深い蕎麦なのだ。
 ここの蕎麦は駅がうまい。夕方、7時位まで、優しげなお婆さんが一人、駅の立ち食い蕎麦店で笑いながら蕎麦を茹でている。
 しかし、6:30、唾を飲みながら音威子府についた私たちは、直ちに新しくなった駅の立ち食い蕎麦店に飛び込んだ。しかし店は堅くシャッターが下ろされていた。

音威子府駅

音威子府駅

 私は車で休憩する久部さんを残し、一人駅前大通りを歩いた。十年前、何度かSの住む北見枝幸からここへ蕎麦を食いに来たものだった。色の黒い、ボディの太い蕎麦だった。
 そう言えば・・・。一度手違いで七時近くに音威子府に着いたことがある。その時、Sはどうしただろうか? 確かあの日はSの家で蕎麦と日本酒と洒落込んだのでは?
 そう、販売店があったはずだ。私は記憶をたどり商店街にある蕎麦屋さんへと向かった。
 店はあった。しかし、時間は確実に過ぎていた。Sが札幌にでてから2年後、今から8年前、あの、お婆さんは亡くなり、駅の立ち食い店は5時の急行で閉まるようになっていた。私は生そばを4つ買って駅へと戻った。
 「どうしたんだい」
 久部さんの問いに私は今の出来事を話した。
 「そうか、ま、そう言う時は笑うに限るよ」
 と、大老は一枚の看板を示した。
 これは、書いた人を褒めるべきか、見つけた大老を称えるべきか?

面白い看板1 面白い看板2

無料駐車場が

15台完備!!

 「パーク&トレイン 駐車場完備」
 15台で完備・・・。これは札幌人の奢りだろうか? 
 私は笑い転げてあのお婆さんの記憶を封印した。どうかお婆さん安らかに。

12 稚内異変

 稚内には北がない。
 「ここは最北端なんだね。ここより北に日本はないんだね」
 などとSが立松和平の物まねをするくらいなにもない。
 まともな本屋が1件。あとはコンビニに毛が生えた程度。ホタテラーメンはまずいし、何もない・・・。そんな町だったはずだ。ところが、稚内に入ったとたん、開店セールにわく『BOOK MARKET』なる店が飛び込んできたのである。

BOOKMARKET

稚内BOOKMARKET

 「これは・・・」
 既に時間は8:00を越えている。普通の旅行ならば、一刻も早く宿へ向かう時間だった。しかし、この旅行は普通ではない。
 まるで約束されたコースを辿るかのように私たちはその店に車を停めたのだった。
 店内は何というのだろう、旭川の店よりも活気に満ちていた。
 書棚の本が自分を主張している。私は『少年の町ZF』の全巻揃えを見つけてもう少しで財布のチャックを開けるところだった。もう少し安ければ・・・。ま、1冊300円、それだけの価値はあるのだろうが、
 私たちは明るい希望を持って駅へと道を進めた。と、すぐにもう一軒の店を見つける。今度は『サンホーム・ビデオ』ではないか。

サンホームビデオ

稚内サンホームビデオ

 その1Fで私は『東京魔人学園剣風帳』とその外伝たる『朧奇譚』を購入したのだが、それはまた別の話である。その時は、冴速さんお勧めのゲームが中古で安かったから買ったに過ぎないのだが、98年のゲームにここまではまってしまうとは思わなかった。
 しかし、まじめに10年前とは偉い違いである。私がこの地にいた時にここまで古本屋があれば・・・。あんな悲劇的なことにはならなかったのかもしれない。
 ま、過去のことを言っても始まらない。私達は更に駅へと向かったのである。

13 ホテルがない

 そうして、私たちは稚内駅に到着した。なんだか名寄より遙かに活気のある街と化した稚内は、観光客としての私を優しく迎えてくれているかのようだった。十年前、この地の住人として挫折した時はもっと、冷たい街だと思ったのだが・・・。やはり日本人は、そして日本の街も旅人には表面的に優しいのかもしれない。
 既に時計の針は十時に近かった。当然、我々のいつもの手段、旅行センターで宿探しは使えない。しかし、駅である以上改札には人がいる。これは永久不変の真理である。
 「すみませーん」
 こう言う時は猫をかぶって改札の駅員さんから情報収集である。昔からは考えられない立派なガイドブックをもらってホテルを探す。
 あまり高いところは当然パスである。今更食事付きの所に泊まっても空しいだけだ。
 「これなんていいんじゃないかな」
 久部さんの選んだのは『稚内ステーションホテル』。宿代は五千円から。まあ、例の三千円の宿には及ばないが、この時間の宿としてはまずまずではないだろうか。
 しかし、見つからない。ステーションホテルである。ステーションホテルなのだ。しかし、ここは稚内である。この思いこみを私たちは修正すべきであった。
 一泊七千円の瀟洒なホテルはすぐに見つかった。しかし、こっちだろうと見当をつけた方向を暫く走るともはや繁華街を外れてしまう。流石にこの先にステーションホテルはあるまい。直ちにUターン。逆方向にも敵影はない。私たちは車中泊さえも覚悟し、ともかく原点に戻るべく駅前駐車場に車を入れる。
 私たちは車から降りて当たりを見回した。
 「あれ・・・」
 駅の横の細い小路。白く輝く看板がその奥に見えた。3F立ての民家のような建物。それがステーションホテルだったのだ。

ステーションホテル

これがステーションホテル

14 栄光なくとも

 私たちはチェックインすると直ちに深夜と言っていい夜の街に繰り出した。せっかく稚内にいるのである。新鮮なオホーツクの海産物など、稚内らしいものを食しても罰は当たらない・・・。いや、当たるのである。私たちのこの旅ではそんなことは許されない。
 もしも、ここで海産物を喰ってしまったら、それが目的になってしまう。この旅は目的のない旅なのだ。『いやあ、GWに稚内行って、海産物をしこたま食べてきたよ・・・』では、普通の旅行と変わりない。
 「何か海産物以外のものを食べたいね」
 久部さんもそう言われた。
 「居酒屋がありますが・・・」
 稚内まで来て居酒屋。シュールである。
 「いや、あれにしないかい」
 久部さんの指さした先に牛タン屋があった。

牛タン屋さん

牛タン屋さん

 「稚内まで来て牛タン。どうだい」
 最高である。こんなに凄い旅はそうはない。この瞬間、歴代の旅はこの旅に跪いたのだ。
 その店に向かうのと中から女将さんが出てくるのはほぼ同時だった。もしかしたら店を閉める気だったのかもしれない
 「あのう、いいですか?」
 「どうぞ、どうぞ」
 申し訳なかったが店に入る。ここの牛タンは少し変わっていた。輪切りではなく縦に裂いた牛タンを備長炭で焼くのだ。
 店内では棚の上のTVが『ロッキー3』をやっている。野球中継で遅れたらしい。
 「稚内でロッキー見ながら牛タン喰った」
 なんと素晴らしい旅だろう。しかし、その牛タンが非常にうまい。私は疲れた体にビールを流し込みながら牛タンを頬張った。しかも、鯨のベーコンまである。これもうまい
 グルメの久部さんも定食を食べて同意してくださる。単なるウケ狙いの選択だったが、非常な拾いものをしたのかもしれない。
 こうして稚内の夜は更けていったのだった。(01,5,23)


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