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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


V.《禍乱》−2


 翌朝、ヨシュアは途中までケリーをトラックに乗せて宿を出た。
 というのもこれから一週間はここには戻らないことになっているからだ。遠い顧客に配達するには
宿への往復の時間も泊まり賃ももったいない、というのが表向きの理由だが、実際のところ今までの
ヨシュアにとっては情報屋として耳目を働かせるための時間であり、そして今回はケリーの行動に完
全な自由を持たせるためでもある。
 チェックアウトしたときも、いつものことなので宿の親父はなにも気づかないようだった。
「わかってはいるだろうが、ドジを踏むんじゃねえぞ」
 しばらく走って道路脇に駐車するとヨシュアは言った。「先は当分長いんだ。焦るこたぁない」
「うん、わかってる」
「財布を落とすなよ」
「大丈夫だよ」
「野宿するにしても、浮浪者狩りにあうなよ」
「ああ」
「連絡を寄越すときは周囲に気を配れよ」
「わかってるよ」
 ヨシュアはまだ何か言い足りないことはないか思案しているようだったが、不意にケリーの身体を
抱きしめた。
「ちょっ、おいっ、ヨシュアッ?!」
「いいか、おまえはおれの息子だ」
 慌てるケリーの動きを止めたのは、低い声だった。
「忘れるな。どんな生まれでも、どんな過去を背負っていても、おまえはおれの倅なんだ。おまえは
おれの大事な、自慢の倅なんだ。だから......だから無事に生きて帰って来い」
 不意にケリーの鼻の奥がつんとした。慌てて唾を飲み込むと、大きな塊が喉を塞いでいるのがわか
った。
「わかってる」
 腕を伸ばして厚い背中を叩いた。
「俺、あんたが好きだよ、ヨシュア。あんたとあんたの家族みんなが俺の家族だ。家族は悲しませた
くない」
 ヨシュアは抱きしめるのをやめたが、ケリーの顔を見つめた。
「男に二言無しだぞ?」
「俺の誇りにかけて誓う」
 重々しく答えると、ようやっと腕を放した。
「ようし、じゃあ、気張って行ってこいよ」
 助手席のドアから滑り降りた。「じゃあ、来週の今日、宙港のロビーで」
「おう」
 ゆっくりと動きだすトラックを見送ると、ケリーは片方の肩に引っ掛けた背嚢の紐を揺さぶり、き
びすを返して歩きだした。歩道脇のビルの大窓に映る自分の姿は、カーキ色の無地のTシャツに迷彩
柄のズボン、カーキ色の無地の上着。背嚢はカーキ色。ふと思いついて、背嚢から軍の放出品のキャ
ップを出して被る。
「こんなもんか」
 どこにでもいそうな、今流行りのミリタリールックの少年の出来上がりというわけだ。ぶらぶらと
歩きだす。
 朝のラッシュに呑み込まれ、官庁街に出ると、ケリーはあたりを見回した。地図は頭に入っている。
 官庁街の中心にネオゴシック様式で建つのが旧政府の大統領府だ。そう大きくもないが、今は《連
邦》の出先機関が入っているらしい。正面の門の前でわざとおのぼりさんよろしくぽかんとして見上
げていると、警備兵が声をかけてきた。
「こらこら、なにをしている」
 見たところ、自衛軍ではない。《連邦》の兵士だろうか?
「すっげえ建物だなあ。宮殿かなにかか? 中って見られるのか?」
 いかにも地方からのおのぼりさんという風情で訊くと、兵士は吹き出した。
「ここは《連邦》の出先機関だ。用がなきゃ、入っちゃいかんよ」
「中を見るって用事じゃ駄目なのか?」
「駄目だねえ」
 兵士は肩をすくめた。
「ここはな、《連邦》の役所とウィノアの役所や会社が相談する窓口なんだ。子供の来るところじゃ
ない、さあ、帰った帰った」
 背中を押されるように追い払われる。そのまま歩き続けて他の官庁のビルも見て回る。《連邦》の
ビル以外は警察官が立っていた。いくつかのビルは市民の出入りもあり、見ると商業や登記の関係の
役所らしい。そして国防省にはさすがに自衛軍らしい兵士が歩哨についていた。『奴ら』だ、と思う
と怒りがこみ上げてきた。マルゴを殺した奴ら。仲間達を殺した奴ら。俺の右目を奪った奴ら。俺を
仲間から引き離し、たったひとりにした奴ら。
 車道を挟んで反対側から見つめ続けるケリーを不審に思ったのか、兵士が数人集まり、こちらを指
さしながら話している。ケリーは顔を背けて歩きだした。
 自動走路をいくつか乗り換え、高級官僚や富裕階層の市民たちの居住区に入った。近くの公園のベ
ンチに座り込む。
「だめだな」
 呟いた。役所にいる間には狙えない。あれだけ警官や兵士が居ては逃げ切れないだろう。やはり、
自宅かどこかに出掛けている時を狙うしかない。と、身を翻した。細い茶色の細長い棒がケリーのす
ぐ脇を掠める。
「何するんだ!」
 声とともに顔を上げると、でっぷりと太った老年の女が憎々しげにケリーを睨み付けていた。
「おどき!」
 きいきい声で喚く。「このベンチはあたくしのですよ!」
「はあ?」
「おどきと言っているでしょう?! このあたくしに逆らうと言うの?!」
 老女は右手の杖を振り上げた。ケリーがベンチから滑り出るとそれをさらによたよたと追いかける。
「この、泥棒猫の盗人め!」
 その言葉にあっけにとられたケリーの肩を杖がぴしりと打つ。女はさらに打とうと腕を振り上げた
が、それを女の脇から飛び出してきた中年の女が止めに入る。
「奥様、まあ、そんなに興奮なさってはお体に障ります!」
「メアリ、この乞食の子を追い払っておくれ! あたくしのベンチを......おお」
 女は両手から杖を落とすと両手を握り絞った。
「ええ、奥様がこんな子供にお困りになるだなんて。おまえ、あっちにお行き」
 中年女がケリーに言い捨てるところに白衣の看護婦が近づいて女の腕をとった。
「さあ、奥様、ベンチにお座りになってくださいませ」
「ああ、ミス・ブラック、なんて日なのかしら」
 看護婦に腕を取られて座る女に構わず、中年女はケリーの腕を掴んで引きずるようにそばから離れ
ると、小銭を一掴み握り渡そうとした。
「すまないけれど、あっちに行っておくれ。これでなにか食べて」
「俺は乞食じゃない」
 睨み付けるケリーに気弱そうに頷いた。
「わかってますよ。でも奥様が興奮されるから、お願いだから」
「なんだよ、あの婆さん。あそこがなんだってんだよ」
「お気に入りのベンチなんですよ、だから悪いけれど......」
「メアリ! メアリや!」
 女の声に中年女は慌てて降りかえった。「はい、ただいま、奥様!」
 中年女はむりやりケリーに小銭を握らせると小走りにベンチに戻っていく。
 それを見ていたが、肩をすくめて背中を向けた。
 ああいう雰囲気の人間には覚えがあった。『外』から『視察』と称してやってきていた連中と同じ
ニオイの人間。施設でも嫌な連中だと思っていたが同類のいるだろう『外』でもこんなにイヤラシイ
とは思いもよらなかった。渡された小銭を捨てるかとも思ったが、それも勿体無いような気がしてポ
ケットに数えもせずに突っ込んだ。
 公園を出てまた街路をぶらぶらと歩き出す。
 大きな低層の建物が通り沿いに延々と建っている。どれも優雅な装飾が施された漆喰壁や堂々とし
た石壁だったりしている。窓にもさまざまな細工の手すりがつけられ、レースのカーテンがたっぷり
とかかっている。歩いているのとは反対側の建物では、この街に来て初めて見る「シャンデリア」な
るものがぶら下がっているのがかろうじて見える。
 歩いている人影はほとんど無い。みな、仕事をしているのだろうか?
 立ち止まった。
 歩く方向に1台の車が止まっている。やたらと大きい車だ。濃紺のお仕着せを着た運転手がドアの
前に立っている。
 こんなふうに立っている姿に見覚えがあった。施設で。軍の要人が来た時にあんな風に飛行艇に操
縦者が張り付いていた。あのとき、自分たちはまだ小さくて、訓練の休憩時間に飛行艇のそばまで教
官に連れていってもらって構造を説明してもらったっけ。
 そばまで寄ると、ショーファーはちらりとこちらを見た。
「こんにちは」
 大人しく声をかけるたがショーファーは返事もしない。
「すごい車だなぁ。スピード出るんだろうなあ?」
「あっちに行け」
 ぶすっとした返事が返ってきた。「おまえなんぞにうろつかれたら、旦那様のご機嫌が悪くなる」
 一瞬考えを巡らせた。
「あのう、この通りってゼークマン通りですよね?」
「ゼークマン通りなら、2本向こうだ」
 ショーファーは面倒臭そうに指差した。「ここはジェネラル通りだ」
 その時、車の前の壮麗な鋳鉄細工の門扉が開いて中から男が出てきた。慌ててショーファーはケリ
ーを押しのけ、車のドアを開けた。
 がっちりとした体格の老境に差し掛かった男だった。髪はやや白く、着ている物は背広だったがど
うみても軍服のほうが似合いそうだった。脇に若い男を連れている。
「副首相官邸へ行ってくれ」
 若い男は男が乗りこんで着席するのを確かめるとショーファーに言いつけ、自分も車に乗りこんだ。
 音もなく滑らかに走り去る車の後ろを、ケリーは呆然と見送っていた。
 まさか、ここであの男に会えるとはかけらも考えていなかった。
「あいつ......」
 呟くと振りかえる。「ここが住んでいるところなのか」
 西の特殊軍を首都で統括する、否、していた、軍最高総司令官だった。東西が統合し、戦争が終結
したところで司令官職から統合ウィノア宇宙軍の制服組ナンバー4(つまりナンバー1とナンバー2
は東西自衛軍の最高総司令官たちだった)になったという。
 出てきた門扉を眺める。警備用のカメラ。掌紋での解錠システム。来客用のインターフォン。よじ
登る隙間もなく、これでは侵入しにくい。見ると呼び鈴は1つしかない。となると、この番地の中に
はあの男の一家しか住んでないらしい。
 歩き出した。こんな建物ならきっと使用人の出入り口があるはずだ。
 見つけた裏門は特に見張り番の姿もなく、ぶらりと入り込んだケリーを咎める者も出てこない。入
った場所は他の建物との共通の裏庭に面していた。建物をぐるりと見渡し、気配が無いのを確認して
さっきと同じ建物の裏口のドアノブをそっとまわす。カギはかかっていなかった。
 静かに滑りこんだ。
 そこは廊下の端だった。すぐ脇にはドアがあり、複数の人間のいる気配がする。そのとなりの窓越
しに見えないように身を屈めて通過する。行った先には表に向かう廊下が折れる形で続き、立ってい
る向かい側には裏階段がある。用心しながら靴を脱いだ。背嚢に押し込むと、階段の気配を探って誰
もいないと判断し、すばやく駆け上がる。
 2階はやはり人気がなかった。左右を見渡し裏廊下を気配を消して、まず向かって左に進む。長い
廊下の間にはドアが2つしかない。手前のドアの中も無人のようで、ケリーがそっと覗いてみると豪
奢な居間だった。開けたドアは壁のひだ飾りに隠れた使用人の使うものらしい。正面には硝子張りの
温室のようなものがあり、採光の役目も果たしているらしい。その左隣にも木の1枚作りの扉がある。
 忍び込んだが硝子張りの向こうにやはり硝子のドアがあるのに気がついて立ち止まった。静かに後
ずさると廊下に出る。隣のドアを眺めた。
 耳を当てると気配はない。ドアが軋まないように祈りながら開ける。
 そこは小さなキッチンだった。見ただけで上等とわかる食器が少し置いてあるところを見ると、ど
うやら主人夫婦のお茶の準備をする場所らしい。その奥にもドアがあるので耳を当てると人の気配が
した。ぎくりとする。軽い咳が聞こえた。老年の女の声のようでこれは総司令官の細君だろうとケリ
ーは判断した。
 部屋から滑り出ると反対側に向かう。こちらはどうやら仕事部屋なのか、書類の重なった立派な机
があり、やはり無人だった。奥の扉を開けると続き部屋で寝室とバスルームがある。クローゼットの
中を覗き込み、しばし考え込んで、一緒に車に乗り込んでいった若い男(副官だろうか?)の部屋だ
ろうと判断する。
 表側に出るドアに耳を当てて気配を探る。誰も居ない。
「よし」
 唾を呑み込むと滑り出る。
 表の廊下は裏廊下とは全く違う作りだった。裏の廊下は殺風景なリノリューム張りだったが表側は
豪華な大理石造りの上に厚い絨緞が敷いてあって足音を吸収するようになっている。壁も裏側は壁紙
かなにかを張ってあったが、こちらは豪奢に織られた布が張ってあり、燭台をかたどったランプがと
ころどころについている。
 ふと、向かいのドアで人の気配がした。慌てて通り過ぎ、廊下のこちら側のドアを開けて滑り込む。
ところが気配はこちらに来るのでケリーは焦って奥のドアに突進した。気配を確認する間も無く、扉
を開けて飛び込むとドアの脇の壁に貼り付く。
 息を凝らしていると、気配は外側の部屋の扉を開けて入ってきた。そのまま部屋の中を動き回り、
なにやら引き出しを開けたりガラス戸を開け閉めしている気配がする。バサリと厚い紙の束を重ねる
ような音がして、ややしばらくしてから扉の閉まる音がした。
 ケリーはしばらく動けなかった。
「なんなんだよ、もう......」
 ずるずるとへたり込んだ。見回すときっちりと片づいた寝室だった。薄明るいのは壁に取り付けて
ある明かりのせいらしい。
「死ぬかと思った」
 うっかりここで見つかったら、泥棒かなにかで突きだされて終わりだ。
 ドアの陰から外の部屋を覗くと、音のした通り棚や引きだしが壁にずらりと配置され、真ん中には
書見用のテーブルもある。
「執務室かな」                                           ぬし  それにしてはちゃんと仕事をする環境でもなさそうだ。むしろ、資料室に近い。この寝室の主の仕
事部屋が廊下の向かい側で、その控室のような部屋が外の部屋なのだろうとケリーは判断した。
「さてと」
 部屋を見渡し、傍らの扉を音のしないようにかろうじて閉めると部屋の奥のドアを開ける。ここは
バスルームだった。もう一つ、ドアを見つけて開けてみると、上がってきた裏廊下だった。最後はこ
こから逃げ出すとしても、肝心の総司令官の部屋が見つからない。
 気配を伺うと外の部屋に移動する。ドアを薄く開けて覗くと奥にさらにドアがあるのが見える。
そこだろうか? 廊下はまだ奥まであるようだが。
 気配を消して廊下に出る。目標とするドアの中にも周囲にも気配はない。滑り込んだ。
 明るい、それでいて重々しい装飾の施された部屋だった。キツイ煙草の匂いに顔をしかめる。
 大きなどっしりとした机は今までに見た中で一番立派な家具だった。机の上の文具皿にはナイフや
ペンが置いてある。特に書類は置いてない。
 どこからも見えないように机の陰に座り込み、引きだしを順番に引っかき回す。
「俺たちの処分についての資料はないのか」
 何枚かの書類をひっくり返す。もしかしたら軍事機密で役所にしかないのかもしれない。引き出し
を閉めると奥の扉を眺めていたが、気配に気がついた。廊下に誰かがいる。
 慌てて奥の部屋に飛び込み、静かにドアを閉めるとそのままベッドの下に滑り込んだ。足の長い、
高い寝台だったのが幸いして背嚢も引っ掛からずに潜り込める。
 それに続いて誰かが部屋に入ってきた。足首と靴が見える。どうやら若いメイドらしい。呑気にな
にやら口ずさみながら壁際の家具のふき掃除を始めたらしい。
 メイドはふき掃除を終えると窓を開けてベッドメイクを始めた。ケリーの目の前を足が前後左右に
動く。続けて絨緞に掃除機をかける。ケリーは奥に入ってきた掃除機に引っ掛からないように身を縮
めた。掃除機が止まるとメイドは洗面所のほうに向かい、タオルを交換し、水を使うのが聞こえる。
 10分ほど働くとメイドは窓を閉め、部屋から出ていった。書斎も2分ほど居たようだが、すぐに
扉の閉まる音がした。
「やれやれ」
 ベッドの下から這い出ると、ケリーは身体を見回した。ところどころに綿ぼこりがついている。そ
れをはたき落とすと、化粧室を覗いた。どうという代わり映えしない場所だ。ひげそり道具だの整髪
料だのが立っており、これまた鼻が曲がるような強い匂いがする。
「こんなもんかな」
 奥のドアをもう1つ見つけてそっと隙間から覗くと、先程の廊下が見えた。あちこちに廊下に出る
ドアがあるというのは、逃げ出す算段が必要だからだろうか?
「ま、こっちには好都合だ」
 小さく呟くと、ケリーは気配を計った。誰にも気取られないように撤収しなくてはならない。廊下
には誰もいない。滑り出ると向かい側にもドアがある。無人なのを確認し、滑り込んでみる。使われ
ていない寝室とバスルームがあった。
「よし」
 頷くと再度廊下に出ようとして、廊下に誰かいる気配を感じた。音の具合からするとさっき逃げ込
んだ部屋らしい。どうやらあの部屋は始終誰か部屋の持ち主が出入りしているようだ。
「なかなかのガードだな」
 下手をすると逃げるのに時間がかかるかもしれないとケリーは覚悟を決めた。床に座り込んで待ち
の態勢に入る。30分ほど経ったころ、遠くでなにやらベルの音がした。廊下を誰かが歩いていく。
ドアを微かにあけて覗くと廊下の向こうを降りていく姿が見えた。もう少し開けて覗くと、誰も廊下
にはいないとわかった。滑り出る。
「午後のお茶には帰ってきますからね」
 しわがれた女の声がした。「旦那様は今夜はご夕食は?」
「はい、召し上がられるそうです」
 中年の男の声がする。廊下の手摺がある場所で腹這いになり、そっと下を覗くと毛皮らしきコート
を来た老女と中年の太った男が立っていた。それだけ確認すると副官の部屋に忍び込む。靴を履くと
部屋を突っ切り、裏廊下の気配を探りながら降りる。身を隠しながら最初に潜り込んだドアを開けて
裏庭に出た。そのまま素知らぬ顔で裏庭を抜け、通りに出て歩きだす。表玄関のある角を曲がると、
老女を乗せたらしい車に中年男が頭を下げて見送るところだった。
 ケリーはわざと玄関の前に立ってじろじろと建物を見上げた。中年男は門扉を閉めて玄関に入りか
けていたが、立ち止まった。
「なにかご用かな?」
 男はぞんざいな口調で訊いた。「見かけない子だな」
「別に」
 ケリーは肩をすくめて答えた。「ずいぶん立派な家だから見てるだけさ」
 門扉の奥は玄関までの間が小さな庭になっており、背の高い落葉樹が枝から若芽を出しているのが
見える。総司令官の寝室の窓が見えた。カーテンの柄で見間違いようも無い。その前には木も何も無
い。
「物乞いか」
 門扉を開くと男は出てきた。「ほれ、あっちに行くがいい」
 ズボンのポケットから小銭を出そうとするのを睨みつけた。
「俺は物乞いじゃない」
「なら、盗みの下見か? さっさとあっちに行け。警察を呼ぶぞ」
 憎々しげに言われてケリーはかっとなりかけたがそのまま門を離れて歩き出した。ここで爆発した
ら終わりだ。我慢しろ、我慢。ブロックの角まで来て振りかえると、いまだにあの男はこちらを凝視
していた。
「気に食わない野郎だ」
 口の中で呟きながら角を曲がった。この地区はもうこれでひとまず離れよう。あんまり人目につき
たくない。
 自動走路の入り口を見つけて階段をあがる。ここは官庁街までの自動走路しかない。官庁街から地
下鉄に乗るか自宅から車に乗って出かけるだけだ。これだけ自動化された都市でそれだけの贅沢が許
されることはたしかに特権だった。
 引き払った宿もある下町に向かう地下鉄に乗る。空いているシートに座ると疲れを感じた。もしも
仲間たちが一緒だったらこんなに不安を感じなかっただろうに。せめてヨシュアが一緒だったら。
 デイジーに会いたかった。あの子の小さな掌が俺に元気をくれるのに。ケリーはため息をついた。




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