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  Lルート第4章 手をとりあって 2000-12-14 17:38  黒騎士
      ちょっと質問 2000-12-15 11:51  かぼちゃ
       これは… 2000-12-16 16:17  灰色の騎士
      ということは 2000-12-14 18:56  白い扉
       タクティはテーマがまとまっていない 2000-12-14 20:56  マナコ・アンドウ
        妄想・・・ 2000-12-15 18:03  黒騎士
         限りなく繰り返す叫び声 2000-12-15 21:01  マナコ・アンドウ
          そしてまた叫び声が聞こえる 2000-12-16 14:58  マナコ・アンドウ
           それでは私めも… 2000-12-16 17:38  灰色の騎士
            タクティのテーマ 2000-12-17 12:52  白い扉
             そうだった…(^^; 2000-12-17 16:20  灰色の騎士
              尽きせぬ叫び・・・声にならないテーマ 2000-12-18 14:42  マナコ・アンドウ
               タクティがオウガバトルである限り・・・ 2000-12-18 18:15  monta
                こっちでもこんにちわ 2000-12-19 02:41  灰色の騎士
                 オウガ 2000-12-19 15:24  白い扉
                  レスどうもっす 2000-12-19 20:04  黒騎士
                   連ねられた叫び声、いい加減にしてくれ!! 2000-12-20 16:20  マナコ・アンドウ

 


enjeru-n-ke Lルート第4章 手をとりあって 2000-12-14 17:38  黒騎士      

デスナイトとして出てくるあの二人ですが、Lルート第3章で分岐をつけるっていうのはどうでしょう。その名も「ニバスルート」

不老不死の研究をするうち、どうしても強い肉体を持ったものでの実験が必要不可欠となっていくニバス。そのニバスが死者の宮殿を根城にヴァレリア島を相手に実験素材を手に入れるための反乱を企てるというものです。
ブランタはニバスに使者を送り、強力な人間を生け贄として捧げ、不可侵提携を結び解放軍、暗黒騎士団相手に襲いかかる。バルバス、マルティムは討ち取られ、暗黒騎士団はほぼ壊滅、ランスロットらは生け贄とされるところを解放軍に助けられ、同胞の敵を討つべく戦う(ブリュンヒルドはあきらめて)というストーリー。

これならデスナイトもあって当然というものになるし、「戦争で死に逝く人」と言うことで結構まとまった話になると思います。皆さんぜひいろんな意見をお願いします。

あ、フォリナーの長女もデスナイトとしてでてきますよ(涙)





serie ちょっと質問 2000-12-15 11:51  かぼちゃ      

>あ、フォリナーの長女もデスナイトとしてでてきますよ(涙)

これってどういうことですか?
まだ知らないところってけっこうあるんですが、
このことできれば詳しく教えてほしいです。



zonbinaito これは… 2000-12-16 16:17  灰色の騎士      

はじめまして。
いきなり現れて私見をしゃべりまくっちゃいますが聞いてやってくださいな(^^;

>あ、フォリナーの長女もデスナイトとしてでてきますよ(涙)
ってのは、妄想としてのニバスルート(笑)には、例のイベントでひどい目に
あってお逝きになられたセリエ嬢もデスナイトとして登場しちゃって欲しいッ!!
ってことじゃないかな。
 
でも、私的にはセリエには何の思い入れもないし、普通に育ててるとたいした
能力にもならないので、ニバスの求める優秀な肉体の持ち主としてセリエでは
役不足だと考えます。
ニバスが彼女を使うとすればそれは、彼女の持つシャーマンとしての能力、炎の精霊力との特異な繋がりを利用しようと考えた時だろうと思うので、デスナイトとして彼女が登場することは無いのではないかと…
きっともっと魔法よりのクラスになるんじゃないでしょうか。



reona-ru ということは 2000-12-14 18:56  白い扉      

ニバスを倒した時点でエンディング、というか、ドルガルアはどうでも良くなるということですか?今のストーリーの中でも結構どうでもいいのですが(汗)。

あと、「ランスロット」は当然、黒ランスですよね、解放軍と共に戦うということですか?



t_ransurotto タクティはテーマがまとまっていない 2000-12-14 20:56  マナコ・アンドウ      

黒騎士さん、ここはもはやゲームの容量は無視してもいいのですね?
いえ、むしろ無視しましょう。私は些細なことに囚われ過ぎていたのです。

というかいきなりですけど、ドルガルアなんてどうでもいいですよね。(←マズイ?)
私はむしろ、ニバスルートがメインでいいと思います。(←ニバスが語るテーマからしても)
もっと大局的に、全ての人間は皆ニバスによって利用される、
ドルガルアもそのパーツの一つである、という話ということでどうでしょうか?
ブリュンヒルドには強引に別の伏線をつなげて・・・。(←ブリュンヒルドの定義自体実は強引かも)

最後で魔界の力とかいきなり言われるよりも、ニバスなり、アスモデなり、デムンザなり、
死者の宮殿の設定が本筋に絡んできた方が解りやすかったはずです。
・・・ってデムンザとははて? 世界観に話が着いて行ってないですよね。
本来死者の宮殿は、その存在自体が隠されたものであるという魅力もあるのですが、
実はその中身はかなりいい加減なんですよね。オマケに過ぎない?

まぁ、タクティがオウガバトルサーガの一幕に過ぎないというのならば、
そこであまり多くが語られ過ぎるのを避けたのかもしれませんが・・・。

以上です、今日はこのへんで。





enjeru-n-ke 妄想・・・ 2000-12-15 18:03  黒騎士      

かぼちゃさんへ Lルートでゼノビアの騎士達が仲間になった後。レポートを読んでください。かなりショッキング・・・

白い扉さんへ もちろん黒ランスです。でもストーリーの流れ上、白ランスも加われないこともないので仲間になってもいいかなあ。と思います。

マナコ・アンドウさんへ ゲームの容量なんて無視しちゃってください(ヤバイ)
何と言っても4章で話が一本にまとまるのが納得行かないのです。僕は。
魔界とかだすのならもうちょっと伏線なりなんなり張っておいてほしい。って事と、マナコさんの立てたツリーに誘発されてこれを立てました。

第一ラスボスがドルアルガというのが納得いきません。民族の対立からまとまっていく世界、というのがタクティのテーマの一部なのでしょうが、それなら暗黒騎士団が(もしくはブランタが)ラスボスでいいはずです。人と人との対立の方がそのテーマは際だつはずです。
ドルアルガがラスボスな理由は「過去を断って未来へと」と言うことなのでしょうが、そこに魔界という設定を加えなくてはいけない以上、そこいらはきっちりやってほしいものです。
そこでニバスの出番です。彼は人の道として考えると絶対悪という条件を満たし、魔界という設定もクリアできる。だったらニバスルートがあってもいいはずなのです。

また長くなってしまいましたが、あの馬鹿がまた叫んでるって気持ちでいいので読んでやってください。お願いします。




t_ransurotto 限りなく繰り返す叫び声 2000-12-15 21:01  マナコ・アンドウ      

> あの馬鹿がまた叫んでるって気持ちでいいので読んでやってください。お願いします。

黒騎士さん、どうも。いえ、むしろ私はそういう叫びが聞きたかったのです。
あえて言いましょう・・・、人は・・・、若者は・・・、志を持つ者は皆、その心のままに叫ぶべきなのです。
そう・・・、私も叫びたいッ、叫びたいんだアアアアーーーーッ!!

・・・すいません、大人げない姿をさらしてしまって、でも、私は黒騎士さんの書き込みを見て感動したのです。
感動というか、本気で私のフィーリングが刺激されました。肉体と精神の次元で私は揺さぶられます。
私の言いたいことは、黒騎士さんの妄想・・・と全く同じです。詳しいことは・・・。

以上、チョット時間が無いので今日はこのへんで、また明日。





t_ransurotto そしてまた叫び声が聞こえる 2000-12-16 14:58  マナコ・アンドウ      

あわわわわ・・・、上の私の書き込み、また変なことになってますね〜。
言っていることがほとんど意味不明です。そのまま暴走してしまいそうなところ、
ちょっとした事情もあって(運よく?)未遂に終わりました。ふぅ、危ない、危ない・・・。
現在は精神的に落ち着いているので、そこで改めてまた私の想いを以下に・・・、
・・・というか言いたいことは黒騎士さんと同じなので、ここからはほとんどダメ押し状態・・・。

で、まずはドルガルア、やっぱりどう考えてもあれ(あの方?)はどうでもいいですよ。
なんとなくインパクトはあるのですが、よく考えてみる程にますますどうでもよくなってきます。
メインテーマでもある民族対立にしても、結局、突き詰め切れていないというか、
4章の展開では「カチュアさえいれば万事うまくいく」みたいな感じで終わってしまうし、
そこでいて、そもそもの民族融和の象徴であるドルガルアがあれでは、
全くテーマとして矛盾している、と言わざるを得ないと思います。
タクティはテーマがまとまっていない、ということは上でも言いましたが、
「あれもこれも」で最終的にはどれも中途半端、テーマとして語り切れていないという印象は拭い切れません。


と、ここまで一方的な毒舌になりましたが、ここからはも少し建設的な話をしてみましょう。
思うに生命とは、生と死(創造と破壊)の本能を同時に発動しながら無限にその欲動を満たすべく・・・(略)・・・。

・・・ゴホッ、つまり、ニバスの行いは全人類に対する非道な犯罪行為として裁かれるべきものであり、
ヴァレリアの各民族が団結してこれに立ち向かうという、いわゆるそのための大義がここに生まれるのです。
大義は所詮、大義に過ぎないのですが、少なくともそのおかげで民族が団結できるのですから、
それに設定として魔界との契約を絡ませて、彼を全人類共通の敵としてでっち上げるのです。
だからニバスには、もっと大量かつ大規模に、限りなく無差別な人体消費をやりまくってもらわなければなりません。
加えて、魔界とは人類にとって禁断であり、その力を得ようと禁忌を侵す者は許されない、
断じて許されることはない、というような人々の常識みたいなものが強調されれば、なお結構です。
というか、そうでもしないと民族と魔界なんてテーマは互いに飛びすぎていますし、
私も4章で話が一つにまとまるのには納得がいかないクチです。(←完全に容量無視した発言)
でも、魔界とかいうことになってくると、どうしても話がベタになってしまう・・・。

なんか、結論が出されていないような気もしますが、まぁ、こんな話ということです。
いや、しかしこの話は建設的だったのでしょうか? ちょっと心配。


そういうわけで以上、とりあえず今日はこのへんで。





zonbinaito それでは私めも… 2000-12-16 17:38  灰色の騎士      

叫ばせてもらいましょう(笑)
 
民族対立はタクティのテーマでは無いのでは?と私は考えます。
民族対立は、真のテーマを語るための背景・演出として存在するだけで重要度は低く、人と人との対立があれば民族対立でなくても問題は無かったが、設定としてそうすることで容易に戦いの原因を作り出せるから採用されただけではないかと。
ホントのテーマはもっと大きな?というか小さな?ところにある!!
 
わかりにくい説明かもしれませんが、争いの規模には
異世界(魔界・天界)間での戦い>国間での戦い>民族間の戦い>個人間での戦い
というものがあり、個人が集まって民族を形成し、民族が集まって国を形成する、そして国が集まって世界を形成していく、ということで
結局すべての争いは個人同士の対立に端を発するものであると。

ブランタ、ロンウェー、バルバトスやらの民族を指導する立場にいた人間たち
の一人一人が、また彼らに従って戦った人間の一人一人が他者を思いやり理解しようとする気持ちがあれば争いは起きなかったでしょう。
4章のタイトルである「手を取り合って」は民族(意味の無い他者との区別)なんて気にしないでみんなで手を取り合っていこうよという、個人一人一人の生き方、繋がり方が重要であるということを言っていて、これこそが真のテーマであると
思うわけです。

で、他者を理解しようとするには勇気、行動力がひつようであるということを
黒ランスの「お前らが戦っているとき民衆どもは何してた?」って発言が表現
していたのではないかと思うわけです。
民族なんてもんに踊らされて、無意味な戦いに参加することの愚かしさを
デニム一行のメインストーリーで説きつつ、
正しいと思ったことを誰かがやってくれるだろう、自分は弱いから悪に抗えない
と考え、何も行動しないでいることの愚かしさ、許しがたさを黒ランスさんの
発言で伝えようとしたのではないでしょうか。

また、肉体的な弱さは自信の無さに繋がり、それによって信念も貫けないのでは
どうしようもないということを「彼らは自分らほど強くないんだ」という白ランスの発言は逆説的に語っていて
肉体が強ければ強い精神が簡単に宿るのか、と言えばそうでもないということを
崇高な目的をもって戦争を戦い抜いた強靭な肉体の持ち主であるドルガルアが個人的な事情から闇に堕ちてしまったという事が表現していたと。だからドルガルアが最後に登場した事も、おかしくは無いのではないかと考えています。

この作品で訴えたかったのは「個人としての生き方をみがくこと(精神的にも肉体的にも強くあろうとする心構え)の重要性」に気がついてよ!!とか考えてみない?って事だと感じました。
だから、究極的に個人的な生き方をしていたニバス先生専用のルートが反面教師として存在を許されたのではないかと(^^;

どうでしょ

で、私的には白ランスさんには悪いけど黒ランスの言い分に全面的に賛成でなんですが皆さんもそうですか?
 




reona-ru タクティのテーマ 2000-12-17 12:52  白い扉      

成程・・・かなり解りやすい説明ですね。でも、テーマは「束縛か、自由か」でいいんじゃないかな・・・駄目か。なんともいい加減ですみません。

黒ランスと白ランスのどちらに賛成かということですが、僕も黒ランスに賛成です。でも、全面的に、ということはないです。レオナールとかもそうなんですが、極めて現実的な割り切った発言をしますよね。

「人は一切れのパンのために他人を殺す、だから人間が人間である限り争いはなくならない」
「自由とは与えられるものではない、勝ち取るものだ」

こういう考えに僕は賛成なのですが、しかし、ハミルトンの言うように、それ程「強くない」んですよね・・・現実としての自分は。だから全面的に賛成することは出来ません。

つまり、賛成と言うよりは、「そんな生き方や考え方が出来るほど強ければ・・・」という、一種の憧れなんだと思います。

なんか暴走気味なのでこの辺で。



zonbinaito そうだった…(^^; 2000-12-17 16:20  灰色の騎士      

「束縛か、自由か」…そういえばそんな分かりやすいテーマがありましたね(笑)
 
ただ、束縛がいやだから自由を選ぶって程度にしか理解されなかったら残念だな
と思って、なんかもう少し掘り下げてみたいな〜と思っちゃったんですよね。
自由を選ぶにしても束縛を選ぶにしても自身の生き方について考えなきゃいけない
んじゃないかと…。
まま、ここで論議を交わしてる皆さんに関してはこんなのは無用の心配っぽいのですが(笑)
ちと、語ってみたい衝動を抑えられませんでした。
 
で、そこなんですよ!
白い扉さんがおっしゃられている「そんな生き方や考え方が出来るほど強ければ・・・」という、一種の憧れ。まずはこれを持つことから始めることが重要なのだと思うのです。
で、次の段階で憧れの考え方に賛同すれば自分は現時点では管理される側の人間でしかないことに気がつくはず。ここで選択を迫られるわけです。

1、どんなに正しいこと、将来的に全体としての利益につながることでも現在の自分 が不利益を被るのならそれは実践されるべきではないとしか考えないか

2、正しいとおもう考え方を見つけたなら、現時の自分は不利益を被るが自らを磨き 変えることで、将来的にその不利益を無くそうと考えるか。

1だと考えれば世の中はそれ以上よくはなりません、甘え合いからずるずると
最悪の方向にしか進んでいかないでしょう。

2だと考えられたとしても、必ずしもそれが実現できるとは限りません。
しかし、そう考える限りよい方向に前進する可能性は残り続けるわけです。
 
自分の弱さを言い訳にするか、弱いことを自覚し強くなろうとするか
黒ランスさんは前者に対して、支配されると言う特権を与えようと言っているのではないかと思うわけです。
 
偉そうなこと言ってますが自分自身、弱いことを言い訳にしたくはないと考えているだけで、目指すべき強さとにはどうすればたどり着けるのか分かっていない状態です。でもそれを模索しながら生きることは重要だ…と思うんですよね。とかいってたいした行動も起こしてない言い訳をしてみたり(笑)

勝手な勘違いからかもしれませんが、このゲームを通じて私の中の世の中をよくしたいという思いはさらに強くなりました。
やっぱタクティはすばらしいゲームですね(^^




t_ransurotto 尽きせぬ叫び・・・声にならないテーマ 2000-12-18 14:42  マナコ・アンドウ      

灰色の騎士さん、どうも、はじめまして。いや〜いいですねえ、叫ぶのって。
う〜ん、でも最近の私は暴走し過ぎのような・・・。今回は大丈夫なんでしょうか? ああ! 私の品性が壊れていく!!

・・・さて、つまらぬ自己愛は置いといて、私も灰色の騎士さんと、白い扉さんの書き込みを読み、
たいへん納得できるものがありました。現在、また感動、というか脳覚醒しております。
やっぱり人それぞれの見方があってこそ、それはより高みの頂へと収束されていくのです。
いや、必ずしも収束される必要はないのですが、同じ考えばかりを積み上げるのでは、いずれ足折れになってしまいます。
反論みたいになってしまいますが、ここからまた私の見方を、というかまだ納得できないことを叫びます。
あえて、納得せずに叫ぶのです・・・。


まず、灰色の騎士さんは、民族対立はタクティのテーマではないとおっしゃっていますが、
私が思うのは、語られるべきテーマの、テーマとしての重みが不安定だったということです。
話が進む程にまたテーマが次々とすり替えられて、全体としての一貫した方向性というのが見えてきません。
そしてこれは、よく批判の的とされるNルートに限らず、L・Cルートにも言えることだと思います。(特にLルート)
つまり話がまとまっていないというか、まとめ方が非常に強引なのです。
まとまっていないといえば、「アンタの書き込みの方がよっぽどまとまっていない」とか言われそうですが、
それでも私は、タクティはテーマがまとまっていないと思います。

ですが、まとまっていないの一点張りでは、そこから論議は進まず、
灰色の騎士さんのおっしゃるように、テーマを段階的に突き詰めていけば、
世界的な対立も、民族対立も、つまりは個人間の対立として収斂される、これは正しいと思います。
結局、全ての争いごとは個人のエゴに端を発するものであり、
しかし、それは人が生きてゆくための本能とも常に隣り合わせの関係にありながら、
そのことが民族対立の形で利用されるのは、たしかに中身が無く、また不毛なことこの上ありません。
ただ、テーマを突き詰め、争いが個人の問題に帰結されるにしても、
そもそも民族対立そのものが存在しなかったと、果たしてそう言い切れるのでしょうか。
たとえそれが仕組まれたものであったとしても、さらに多くの者達は、
そこに抑えられぬエゴを吐き出し、そうすることで自らの欲望を満たそうとしていたのは恐らく事実なのです。
にもかかわらず、一部の権力者のみに罪を着せ、自分達は何の贖罪も無しにまたのうのうと生きていく、
それはあまりにもたやすく、そして無責任です。
何故、民族対立は起きたのか? その背景を明確にし、そこに過ちがあったとするならば、
全ての人々はそれを知り、また一人一人が自省し、改め直すことで、
そうすることによって初めて、彼らは平和というものを手にする資格を持つのです。
平和とは、そこに自然と降って湧いたりするようなものではないのですから。


・・・そう考えるに、タクティのあの結末は、まるで敗戦日本と象徴天皇を彷彿とさせるような、
もしくはそれを揶揄しているんじゃないか? と思えるほど、私にとってはなまぬるく感じられるのです。
しかも、もう一方の結末は、全く人の体温が感じられない、
むしろ現実的ではあるけれども、あまりにも希望が無いという両極端で、
いずれにしても、そのために戦い、そうすることで積み上げてきたものとは一体何だったのか? という思いにかられます。
・・・いえ、というかもはや、これは完全に好みの問題なのでしょうか?
ゲームのテーマについてそんなに深く考える必要も無いかもしれませんし、
こうして不満ばかり言ってますけど、私もタクティというゲームは好きです。
言うなれば、こういう身勝手な姿勢というのも、タルタロス曰わく「弱者だから不平を言うのではない。
不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。彼らは望んで『弱者』になるのだよ。」
・・・なのかもしれません。

しかし私も、二人のランスロット、つまり同じ人間の、一人ずつに別々の姿があることこそが、
タクティが語る本当の、最も大切なテーマなのだと思います。(そう思いたいのです)
人は思うように生きられるほど強くはなく、かといってそこであきらめてしまうほどに弱くもない、
だから人は無限の可能性と共に生き、あらゆる希望、絶望がそこにはある、
矛盾を抱え、その間で揺られながら、それでもほんの少しだけ優しくなれたなら・・・。
きっと、それ以上に望むものは無いでしょう。


以上、つれづれなるままに書き込んでしまいましたが、今日はこのへんで。





serie タクティがオウガバトルである限り・・・ 2000-12-18 18:15  monta      

魔界との繋がりは表現せざるを得ないかと。
オウガバトル全体では、「神&人対悪魔」的かと。
タクティではやはり、「支配する者対される物」的かと。
イマイチ表現しきれていない部分が、
多々あると思いますが、4章の冒頭にも、
同じような表現があるので。
そう考えると、白黒ランスの、
激論バトル(?)も生きてきます。
ラスボスは両テーマを、無理矢理結びつけた
結果でしょう。




zonbinaito こっちでもこんにちわ 2000-12-19 02:41  灰色の騎士      

こんちわ〜
 
マナコさんのご意見、なにやら反論と言うか言いたいことは結構同じなのかも
という気もしないでもないです。が、もう少し話していたいので疑問点を(^^;
 
確かにゲーム全体を通して語りたかったのであろうと私が考えるテーマについて
の重みづけは結構不安定だったと感じないでもないです。
 
しかしテーマが次々とすりかえられ…というのがよく分からないのです。
よろしければ、どこでどのようにテーマが変わったとお感じになられたのか
教えていただけないでしょうか。

で、ちと誤解が生じているかもしれないので言わせてもらいますと
私も民族対立そのものが存在しなかったとは考えていません。まさにマナコさんが
おっしゃる通り、個々人が己の欲求を満たそうと考えその中で民族という単位で集まるのが都合がよかったために、結果民族間で戦いが起きることになったんです。
でも形としては民族紛争でしたが、戦う理由は自分達の利益を追求するためだけであったわけです。
集団の力を利用して我を通そうと考えた民族の構成員の一人一人、そして
集まった力をこれまた私腹を肥やすために利用しようとした支配階級の者達。
戦いに参加した兵士にも家族は居るでしょう。兵士として家族が戦いに参加
することを止めなかった家族の中にもひょっとしたら彼が戦うことで自分達の
生活がよくなるかもしれないという思いがあったはず。
そういった意味で、あれは民族紛争ではなく個々人が欲望を満たすために
起こった戦争であったと言えると思うのです。すべての戦争は戦闘に参加する
もの、それを送り出す者の身勝手さ、無責任さから起こると言うわけです。

アメリカ軍対日本軍。アメリカ軍と日本軍だったから戦いになったわけではなく
兵士の一人一人が欲望を満たすこと以外何も考えてなかった考えようとしなかった、送り出すほうも同様だったから戦いは起こったのではないでしょうか。

そういった、無責任な生き方をしている者全てを黒ランスは管理してやらなきゃ
ならないといっているのだと思うんですね。

私には同じ日本人だから信頼できるとか思う感覚がまったくないので
民族が同じだからとか、人種が同じだからと言った理由で団結しているのを
みると、哀れにさえ思うのです。そういった考え方が、人種差別などをうむ土台となっていると思うので。しかしそういった仲間意識は事を起こす・起こさせるにはどうやら利用し甲斐のあるものらしいんですよね。
一人一人が、自分で考えて行動することを推奨はする一方で、ローディスと言う
敵を前にして、みんながそうなるのを待っている時間はなかったと。
とりあえずの団結のためにも、民族融和を果たした男の娘の存在は利用し甲斐のあるものだった。彼女のもとに集まることは、他の誰に支配されるよりもわだかまりが少なくてすんだと言うことでしょう。
その結果、カチュアが居たことで島の平和は守られたと。
一方デニム君だけになってしまったことでわだかまりは抑えきれず、団結は
なされなかったために、ローディスに屈する。またはそれを待たずして暗殺
されてしまった。

一見テーマから離れているように見える物語の展開も、その無意味さに実は
意味があって、訳もわからず死んでいく者たちがいる、その馬鹿馬鹿しさを
認識するためにあるのだと解釈できなくもないと思うのです。

全てをひっくるめて「一人一人が生き方を見直せ」と言っているのではないかな。

で、世の中は希望あれば絶望もある。何かをなそうとしてもしても必ずなせる
という保証はない。報われるとは限らない。だからといってあなたは努力することを止めるのか?ということを言いたいのかもと解釈して納得(笑)

ってのはダメですかね。

なんか私も言ってることがまとまってないです。すみません。

そうそう、でオウガだから魔界ネタとか絡めなきゃねって発想で
ああいう演出になったというのはガッテンです。



desureo オウガ 2000-12-19 15:24  白い扉      

よく「タクティクス」とか「タクティ」と略すため、オウガというものの存在を忘れがちになっていました。伝説もやってませんし。

これは、OGRE BATTLE SAGA EPISODE 7ですね。肝に銘じておきます。



enjeru-n-ke レスどうもっす 2000-12-19 20:04  黒騎士      

ども。黒騎士です。
いやはや、暫く忙しかったため久しぶりに来たのですが・・・凄いことになってますね(笑)タクティのテーマという根幹まで話が及んでしまった。うむむ、こんなハズでは。僕はニバスルートについて語るのが目的だったのに。
まあ、「妄想・・・」であんなこと言ってしまった自分が悪いのですが(核爆)

皆さんのご意見は非常におもしろいです。いろんな人の考え方に触れるのっておもしろいですよね。だんだん自分の見聞が広まる感じがします。
ですから皆さんどんどん叫んでください(笑)

で、皆さんを煽るだけあおって自分はなにもせずっていうのはずるいのでここで一つ言わせてもらいましょう(爆笑)。

タクティのテーマはどこにあるのかって言うことですが、皆さんは黒ランスと白ランスの対話がそれを物語っている。と言います。が、他の部分に大きな意味を見いだせないものでしょうか。
たとえば民族問題。
最初っから繰り返されている部分に大きな意味があるはずです。んで、あの対話はそれを演出するオプションって考えるのが一つ。
もう一つはレオナールが迫る選択。
理想か現実か。というこの二択も同様に重要です。

つまり僕が言いたいのはあの対話はそれだけで大きな意味を持つものではあるが、それまでの流れを重視して見てみると、それを強調している部分ではないか。と言うことなんです。
あの対話が最大のテーマで他がそのオプションなのか、それともその逆なのか。と言うことを考えましょう、と。

それではこのへんで・・・
(あ、これって新しく投稿すべきものでは?・・・まあ、いっか)






t_ransurotto 連ねられた叫び声、いい加減にしてくれ!! 2000-12-20 16:20  マナコ・アンドウ      

灰色の騎士さん、貴方と私は似ている・・・そうは思いませんか?
いや、我々は同類だ、しかし、貴方は常に私より先を見つめている・・・。

・・・なんて、ちょっと失礼なことを言ってみたり、
というか「アンタと一緒にしないでくれ」と思われるかもしれませんが、
たぶん、私たちの言いたいことは同じはずです。
ただ、それまで二人は、それぞれ違った場所で生きてきたと・・・。
・・・うわああああ!! 何を言ってるんでしょう私!
でも、貴方には自分と同じ匂いを感じるのです。(←こういうこと言うのって失礼なのでしょうか?)


さて、灰色の騎士さんがおっしゃるのは、タクティのテーマはまとまっていないのではなくて、
あえて、それらをまとめることをしなかった、ということですね。
一見、まとまりがないようでありながら、そのことも含めて、テーマは全てとして語られている、
そう考えることによって納得ができる(できないこともない)、・・・ということでしょうか?

いや・・・、たしかに納得できないこともありません、というか納得してしまう、その方が早いのでしょう。
でも私は、ただ単に納得したくないだけなのかもしれませんが、
何か、納得してしまったらそこで終わりのような気がするので、
いつまでも納得せずに、また叫び続けるのでしょう・・・。

それでも、どこに向かって叫ぶのか? ということは重要なので、黒騎士さんのネタ振りを踏まえるに、
結局、私が気に入らないのは、主人公=デニムが青くさいまま話が終わってしまうということです。
青くさいことが悪い、そうは思いません。しかしそれが物語上の出来事であるにしても、
まま現実的に勝利してしまうのは、テーマの終着点として、やはりどうかと思うのです。
彼とは相容れない者達の、その生き様が、つまりは無駄死にに終わっているんですよ。
主人公が人格的に成長し切れていたか? ということで疑問があるのと、
それによって、変に物語の現実的な部分が浮いてしまっているということです。
彼は少なからず、もっと現実を知るべきだったのではないでしょうか?

理想を捨てろ・・・とまでは言いませんが、他人との歩み寄りをもって現実は変わっていく、
“手をとりあって”変えていこうする、そういう姿勢がまず求められるべきで、
他人との妥協をすること無しに、現実は変わり得ないはずです。自分の理想のみを貫くのは、ある種極端でもあり、
理想を求め過ぎる者は理想に終わる・・・。だから、人はありのままの現実を直視しなければならない、
やはり、このことは人が現実と向き合う、理想を現実に投影する上で、まず何よりも重要なことではないでしょうか?
そこにいる人々=他人の心を理解する、少なくとも理解しようとする心が無ければ、
どんな崇高な理想も、結局は独断的なエゴイズムでしかなく、やがてエゴは他人に対する攻撃性へと転化する、
そして、そこにまた新たな対立が生まれる・・・そんなふうに思うのです。


とはいえ、こうした観点に立つと、Lルート2章「誰も僕を責めることはできない」、あれは最高でした。
理想のために戦い、しかしその求める理想の形は、飽くまでも現実のものとしてしか手にできず、
しかるに、理想と現実のギャップ、それは埋めようがなく、人はその間でのバランスを取ろうとするが、
そうしようとすることで、またそこに生じる心の隙間、それから人が逃れることは、やはり永遠に不可能であり、
虐殺の現実と非現実、そしてそこに見え隠れする理想、そのための覚悟と答え・・・。
・・・の描かれ方がすばらしかったと(私的には)思います。

ただ、ここで誤解の無いように言いますが、私は虐殺が必ずしも現実的であったとは思いません。
虐殺という考え方自体、戦争という非日常的な空間の内でこそ、現実味を帯びるのであって、
いわば、それは超現実主義の産物であると・・・そんなふうに思います。
虐殺をその一面だけで捉える、それだけでは戦争には勝てない・・・というより勝つ資格が無い、
それは何を意味し、また何をもたらすのか? その全てを納得し、それでもあえて虐殺をする理由とは?
しかし、主人公は理想のために現実を破壊した・・・、ただそれだけであり、
それ以上に、虐殺を現実的に理解していた人間はいなかった・・・と曖昧ながらそう感じます。
破壊するだけでは未来はあり得ず、そこにまた創り出すことによって、人も世界もまた生まれ変わる、
このあたりのテーマが、まじめに語られようとしていたLルート2章だったと思ったのですが・・・。

全てはレオナールの死によって、跡形もなくぶち壊されます。
テーマのすり替わる瞬間、それはどのルートでも彼の死が決定的です。
やはり、レオナールの存在が、物語全体の内でも、まだ青くさい主人公との緩衝材の役目を果たしていたのだと、
その死によって最も顕著に感じる瞬間だと思います。さすがに瞬間的な違和感を感じることはありませんが、
これを境界線と見れば、その前後でのテーマのズレが、私にははっきりと見て取れるのです。
たしかに、Cルートはテーマのすり替えこそ無いかもしれませんが、話の展開が都合よ過ぎるというか、
自分で民族紛争に参加しておきながら、何故、それが存在しないと言い切れるのか?
LとNも、どういうわけか突然この方向性に話が収斂されてしまう、
上に立つ権力者さえ葬り、あとはその場所にカチュアを立たせればいい、それで全てがうまくいく、
こういう考え方が表面上まかり通っている・・・このことに私の最大の不満があります。


・・・いや、しかしこういうのは、ほんとに表面的な、主人公を中心としたストーリー内だけのことであり、
実際には、よりシビアな現実も、これに当てつけてか、いくつか語られていたのも事実です。
要するに私はただ、タクティの主人公的な生き方に反発したいだけなのでしょう・・・。
・・・っていうか、エゴ吐き出しまくりなのはむしろ私なのか・・・!?


以上、何かとんでもない長さになっているかもしれませんが、今日はこのへんで。




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