灰色の騎士さん、どうも、はじめまして。いや〜いいですねえ、叫ぶのって。 う〜ん、でも最近の私は暴走し過ぎのような・・・。今回は大丈夫なんでしょうか? ああ! 私の品性が壊れていく!! ・・・さて、つまらぬ自己愛は置いといて、私も灰色の騎士さんと、白い扉さんの書き込みを読み、 たいへん納得できるものがありました。現在、また感動、というか脳覚醒しております。 やっぱり人それぞれの見方があってこそ、それはより高みの頂へと収束されていくのです。 いや、必ずしも収束される必要はないのですが、同じ考えばかりを積み上げるのでは、いずれ足折れになってしまいます。 反論みたいになってしまいますが、ここからまた私の見方を、というかまだ納得できないことを叫びます。 あえて、納得せずに叫ぶのです・・・。
まず、灰色の騎士さんは、民族対立はタクティのテーマではないとおっしゃっていますが、 私が思うのは、語られるべきテーマの、テーマとしての重みが不安定だったということです。 話が進む程にまたテーマが次々とすり替えられて、全体としての一貫した方向性というのが見えてきません。 そしてこれは、よく批判の的とされるNルートに限らず、L・Cルートにも言えることだと思います。(特にLルート) つまり話がまとまっていないというか、まとめ方が非常に強引なのです。 まとまっていないといえば、「アンタの書き込みの方がよっぽどまとまっていない」とか言われそうですが、 それでも私は、タクティはテーマがまとまっていないと思います。 ですが、まとまっていないの一点張りでは、そこから論議は進まず、 灰色の騎士さんのおっしゃるように、テーマを段階的に突き詰めていけば、 世界的な対立も、民族対立も、つまりは個人間の対立として収斂される、これは正しいと思います。 結局、全ての争いごとは個人のエゴに端を発するものであり、 しかし、それは人が生きてゆくための本能とも常に隣り合わせの関係にありながら、 そのことが民族対立の形で利用されるのは、たしかに中身が無く、また不毛なことこの上ありません。 ただ、テーマを突き詰め、争いが個人の問題に帰結されるにしても、 そもそも民族対立そのものが存在しなかったと、果たしてそう言い切れるのでしょうか。 たとえそれが仕組まれたものであったとしても、さらに多くの者達は、 そこに抑えられぬエゴを吐き出し、そうすることで自らの欲望を満たそうとしていたのは恐らく事実なのです。 にもかかわらず、一部の権力者のみに罪を着せ、自分達は何の贖罪も無しにまたのうのうと生きていく、 それはあまりにもたやすく、そして無責任です。 何故、民族対立は起きたのか? その背景を明確にし、そこに過ちがあったとするならば、 全ての人々はそれを知り、また一人一人が自省し、改め直すことで、 そうすることによって初めて、彼らは平和というものを手にする資格を持つのです。 平和とは、そこに自然と降って湧いたりするようなものではないのですから。
・・・そう考えるに、タクティのあの結末は、まるで敗戦日本と象徴天皇を彷彿とさせるような、 もしくはそれを揶揄しているんじゃないか? と思えるほど、私にとってはなまぬるく感じられるのです。 しかも、もう一方の結末は、全く人の体温が感じられない、 むしろ現実的ではあるけれども、あまりにも希望が無いという両極端で、 いずれにしても、そのために戦い、そうすることで積み上げてきたものとは一体何だったのか? という思いにかられます。 ・・・いえ、というかもはや、これは完全に好みの問題なのでしょうか? ゲームのテーマについてそんなに深く考える必要も無いかもしれませんし、 こうして不満ばかり言ってますけど、私もタクティというゲームは好きです。 言うなれば、こういう身勝手な姿勢というのも、タルタロス曰わく「弱者だから不平を言うのではない。 不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。彼らは望んで『弱者』になるのだよ。」 ・・・なのかもしれません。 しかし私も、二人のランスロット、つまり同じ人間の、一人ずつに別々の姿があることこそが、 タクティが語る本当の、最も大切なテーマなのだと思います。(そう思いたいのです) 人は思うように生きられるほど強くはなく、かといってそこであきらめてしまうほどに弱くもない、 だから人は無限の可能性と共に生き、あらゆる希望、絶望がそこにはある、 矛盾を抱え、その間で揺られながら、それでもほんの少しだけ優しくなれたなら・・・。 きっと、それ以上に望むものは無いでしょう。
以上、つれづれなるままに書き込んでしまいましたが、今日はこのへんで。
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