こんちわ〜 マナコさんのご意見、なにやら反論と言うか言いたいことは結構同じなのかも という気もしないでもないです。が、もう少し話していたいので疑問点を(^^; 確かにゲーム全体を通して語りたかったのであろうと私が考えるテーマについて の重みづけは結構不安定だったと感じないでもないです。 しかしテーマが次々とすりかえられ…というのがよく分からないのです。 よろしければ、どこでどのようにテーマが変わったとお感じになられたのか 教えていただけないでしょうか。 で、ちと誤解が生じているかもしれないので言わせてもらいますと 私も民族対立そのものが存在しなかったとは考えていません。まさにマナコさんが おっしゃる通り、個々人が己の欲求を満たそうと考えその中で民族という単位で集まるのが都合がよかったために、結果民族間で戦いが起きることになったんです。 でも形としては民族紛争でしたが、戦う理由は自分達の利益を追求するためだけであったわけです。 集団の力を利用して我を通そうと考えた民族の構成員の一人一人、そして 集まった力をこれまた私腹を肥やすために利用しようとした支配階級の者達。 戦いに参加した兵士にも家族は居るでしょう。兵士として家族が戦いに参加 することを止めなかった家族の中にもひょっとしたら彼が戦うことで自分達の 生活がよくなるかもしれないという思いがあったはず。 そういった意味で、あれは民族紛争ではなく個々人が欲望を満たすために 起こった戦争であったと言えると思うのです。すべての戦争は戦闘に参加する もの、それを送り出す者の身勝手さ、無責任さから起こると言うわけです。 アメリカ軍対日本軍。アメリカ軍と日本軍だったから戦いになったわけではなく 兵士の一人一人が欲望を満たすこと以外何も考えてなかった考えようとしなかった、送り出すほうも同様だったから戦いは起こったのではないでしょうか。 そういった、無責任な生き方をしている者全てを黒ランスは管理してやらなきゃ ならないといっているのだと思うんですね。 私には同じ日本人だから信頼できるとか思う感覚がまったくないので 民族が同じだからとか、人種が同じだからと言った理由で団結しているのを みると、哀れにさえ思うのです。そういった考え方が、人種差別などをうむ土台となっていると思うので。しかしそういった仲間意識は事を起こす・起こさせるにはどうやら利用し甲斐のあるものらしいんですよね。 一人一人が、自分で考えて行動することを推奨はする一方で、ローディスと言う 敵を前にして、みんながそうなるのを待っている時間はなかったと。 とりあえずの団結のためにも、民族融和を果たした男の娘の存在は利用し甲斐のあるものだった。彼女のもとに集まることは、他の誰に支配されるよりもわだかまりが少なくてすんだと言うことでしょう。 その結果、カチュアが居たことで島の平和は守られたと。 一方デニム君だけになってしまったことでわだかまりは抑えきれず、団結は なされなかったために、ローディスに屈する。またはそれを待たずして暗殺 されてしまった。 一見テーマから離れているように見える物語の展開も、その無意味さに実は 意味があって、訳もわからず死んでいく者たちがいる、その馬鹿馬鹿しさを 認識するためにあるのだと解釈できなくもないと思うのです。 全てをひっくるめて「一人一人が生き方を見直せ」と言っているのではないかな。 で、世の中は希望あれば絶望もある。何かをなそうとしてもしても必ずなせる という保証はない。報われるとは限らない。だからといってあなたは努力することを止めるのか?ということを言いたいのかもと解釈して納得(笑) ってのはダメですかね。 なんか私も言ってることがまとまってないです。すみません。 そうそう、でオウガだから魔界ネタとか絡めなきゃねって発想で ああいう演出になったというのはガッテンです。
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