叫ばせてもらいましょう(笑) 民族対立はタクティのテーマでは無いのでは?と私は考えます。 民族対立は、真のテーマを語るための背景・演出として存在するだけで重要度は低く、人と人との対立があれば民族対立でなくても問題は無かったが、設定としてそうすることで容易に戦いの原因を作り出せるから採用されただけではないかと。 ホントのテーマはもっと大きな?というか小さな?ところにある!! わかりにくい説明かもしれませんが、争いの規模には 異世界(魔界・天界)間での戦い>国間での戦い>民族間の戦い>個人間での戦い というものがあり、個人が集まって民族を形成し、民族が集まって国を形成する、そして国が集まって世界を形成していく、ということで 結局すべての争いは個人同士の対立に端を発するものであると。 ブランタ、ロンウェー、バルバトスやらの民族を指導する立場にいた人間たち の一人一人が、また彼らに従って戦った人間の一人一人が他者を思いやり理解しようとする気持ちがあれば争いは起きなかったでしょう。 4章のタイトルである「手を取り合って」は民族(意味の無い他者との区別)なんて気にしないでみんなで手を取り合っていこうよという、個人一人一人の生き方、繋がり方が重要であるということを言っていて、これこそが真のテーマであると 思うわけです。 で、他者を理解しようとするには勇気、行動力がひつようであるということを 黒ランスの「お前らが戦っているとき民衆どもは何してた?」って発言が表現 していたのではないかと思うわけです。 民族なんてもんに踊らされて、無意味な戦いに参加することの愚かしさを デニム一行のメインストーリーで説きつつ、 正しいと思ったことを誰かがやってくれるだろう、自分は弱いから悪に抗えない と考え、何も行動しないでいることの愚かしさ、許しがたさを黒ランスさんの 発言で伝えようとしたのではないでしょうか。 また、肉体的な弱さは自信の無さに繋がり、それによって信念も貫けないのでは どうしようもないということを「彼らは自分らほど強くないんだ」という白ランスの発言は逆説的に語っていて 肉体が強ければ強い精神が簡単に宿るのか、と言えばそうでもないということを 崇高な目的をもって戦争を戦い抜いた強靭な肉体の持ち主であるドルガルアが個人的な事情から闇に堕ちてしまったという事が表現していたと。だからドルガルアが最後に登場した事も、おかしくは無いのではないかと考えています。 この作品で訴えたかったのは「個人としての生き方をみがくこと(精神的にも肉体的にも強くあろうとする心構え)の重要性」に気がついてよ!!とか考えてみない?って事だと感じました。 だから、究極的に個人的な生き方をしていたニバス先生専用のルートが反面教師として存在を許されたのではないかと(^^; どうでしょ で、私的には白ランスさんには悪いけど黒ランスの言い分に全面的に賛成でなんですが皆さんもそうですか?
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