15日から始まったシドニー・オリンピック。24日(日)の女子マラソンの高橋尚子選手の金メダルが盛り上がりのピークでしたね。その他は特にどうということもなく、坦々とした日常でした。(2000年10月9日記)
9月21日(木) ハイテク時代の超ローテク。
[日記]自宅のトイレの水洗装置の調子が芳しくないので、水槽のふたを開けて、中の様子を確かめる。やっかいなことになってしまったかなと思いつつ、水面に浮かんだ白いボールにつながっている針金をちょっと曲げてみると、不調だった水洗装置があっさりと直ってしまった。このハイテク時代に、水洗トイレの仕組みってあきれてしまうほどの超ローテクだけど、こうやって素人でも容易に仕組みが理解できて、すぐに修理することができる(つまり、ブラックボックス化していない)っていうのは、ひどく貴重なことなのかもしれない。
ところで、ハイテク時代の超ローテクというと、なんと言っても、チョークと黒板を使って授業をするというシステム。90分の授業を終えると、チョークの粉が髪の毛の中に入り込んだり、色とりどりの粉がまるでアイシャドウみたいにまぶたにくっついていたりして、悲惨な様相になってしまう。照明を落とす必要もないし、大教室のいちばん後ろでもはっきり見え、しかも低コスト。現時点では、チョークと黒板に変わりうるシステムはまったくないそうなんだけど、これだけは早急になんとかならないものだろうか。9月22日(金) セクシュアル・ハラスメント専門相談員としての打ち合わせ。
[日記]10月から、銀河の勤務している予備校では「セクシュアル・ハラスメントの防止と対応のための施策」が本格的に稼働し始める。担当プロジェクトが作成した「セクシュアル・ハラスメントの防止および対応ガイドライン案」に対して意見書を提出し、その要望が取り入れられたことがきっかけで、銀河もセクシュアル・ハラスメント専門相談員として協力することになった(7月17日の日記、8月17日の日記、8月23日、29日の日記を参照)。今日は午後から、体制スタート前の最後の打ち合わせ(事務的な手続きについての説明が中心だった)。山のような資料をいただく。
このプロジェクトには外部のカウンセラーの方々も多数参加されている。そういった方々を含め、今回のことを契機に、多くのフェミニズム関連の人たちと知り合いになれたのは、大きな収穫だった。銀河自身がフェミニズムにシンパシーを抱いている(決してフェミニストというわけではないけど)ということもあるのかもしれないが、フェミニズム関連の方々とご一緒していると、ひどく楽な気分でいられるのだ。また、精神疾患の当事者のための支援グループに参加されているという方のお話は興味深かった。近年の精神疾患の治療においては、医者が患者の治療にあたるだけでなく、患者同士がお互いの体験を語り合う「コ・カウンセリング」というシステムが重視されているというのだ(「ピア・サポート」という言葉で呼ばれているシステムと同じようなものなのかな?)。性同一性障害(GID)(用語についてを参照)の当事者としての銀河の経験と照らし合わせてみても、これは十分に納得のいくことだった。
夜は、銀河の自宅に緑川りのちゃんがやって来る。長*さん(銀河のパートナー/同居人)も一緒に近くで食事をしようということになったが、お目当ての焼き肉屋(8月27日の日記を参照)はお休み。どこかいい店はないかなとぶらぶらしていると「ニュー浅草」の看板が目に飛び込んでくる。銀河もりの(同じ大学の後輩だ)も、学生時代にコンパなんかでよく利用していたお店だ。あんまり懐かしいんで、その場の勢いでここに入る。結構たくさん飲み食いしたけど、3人合わせて5000円弱のお会計だった。その後はもちろん(笑)、りのはうちに泊まっていった。9月23日(土) 一日中、テレビでオリンピックを観ていた。
[日記]惚けたように、一日中、テレビでオリンピックを眺めていた(「観戦していた」というよりも「眺めていた」という言い方がぴったりだ)。野球の日韓戦(予選)での松坂大輔投手のピッチングと、ソフトボール(日本対ニュージーランド戦)と、トランポリン(これが妙におもしろかった)を見たのは覚えているが、後はなにがどうだったか、まるで覚えていない(苦笑)。
[読書記録]島尾伸三『ケンムンの島』(角川書店)。ケンムンというのは、奄美大島で言い伝えられている空想上の生き物(河童に似ているんだそうだ)。本書は、奄美で過ごした著者の少年時代を振り返り、自然との交流や少年の心の揺れ動きを描く「胸キュン」(死語か)の一冊。平易で読みやすい文章が、たおやかな詩情をたたえる。島尾敏雄(本書の筆者の父親)の愛読者としては、名著『死の棘』で描かれていた精神を病んだ妻との生活を子供の側からとらえるとこうなるんだなあと、一種の感慨めいた気持ちを抱いてしまう。なお、著者は写真家であり、中国・香港の庶民生活を題材にしたエッセイの書き手でもある。『女子高生ゴリコ』で知られるマンガ家兼美大生のしまおまほの父親。で、もちろん、作家の島尾敏雄の長男だ(もっとも高見恭子のお父さんは『死の淵から』の詩人、高見順だと言っても今の世の中じゃまったく通じないから、しまおまほの父親が島尾伸三、そのまた父親が島尾敏雄って言ってもあまり意味がないかもしれないけどね)。9月24日(日) 金メダルの高橋尚子選手もスゴイけど、銀河的には小出監督が(笑)。
[日記]軽々と走ってあっさり金メダルを獲った女子マラソンの高橋尚子選手には、「感動」したというよりも舌を巻いてしまった。「すごく楽しい42キロでした」というレース後のコメント、高橋選手のちょっと幼さの残るルックスと相俟って、世間的には好感度の高い発言と受け取られるんだろうけど、銀河としては本当に強い人だけが持つ凄みを感じ、(比喩ではなく本当に)背筋がゾクゾクした(この人は本当に強いから、「国」という名の村落共同体の期待を背負って走ったりはしていないんだよね。何かを「背負う」のは何かに「頼る」のと同義だと、銀河は思うのだ)。
で、高橋選手もスゴイ人なんだけど、「酔っぱらいオヤジ・フェチ」(笑)の銀河は、実は、コーチの小出義雄監督のことがすっかり気に入ってしまったのだ。レース後、高橋選手と対面する感動のシーンで、高橋選手に「監督、お酒臭い〜」って言われてしまうところなんかを見ていると、銀河はもうほとんど本能的にこの人に全面の信頼を置いてしまいますね。というわけで、今の銀河は小出監督に萌え萌え〜って感じかな(爆笑)。9月25日(月) スポーツ新聞の一面にはあきれてしまった。
[日記]通勤途中の駅の売店に並んでいるスポーツ新聞の一面が、(読売系の報知新聞だけでなく)軒並み「長島ジャイアンツのセ・リーグ優勝」だったのには心底あきれてしまった(名古屋や大阪や福岡では、一面は「高橋尚子選手の金メダル」だったそうだ)。スポーツ新聞の読者層に合わせてそうしたのだろうが、著しくバランスを欠いていると言わざるを得ないなあ。まあ、「世界一」よりも「日本一」の方が偉いのがこの国なんだろうけど、「セ・リーグ優勝」なんて「日本一」ですらない。それとも、ただ単にみんなジャイアンツが大好きなだけなのか?9月26日(火) 閉会式の行進についての思い違いを訂正しておきます。
[日記]シドニー・オリンピック開幕前日の日記に東京オリンピック(1964年)の思い出をつづったが、そこで、閉会式のときに各国の選手が思い思いに入り乱れて行進したのは東京オリンピックが初めてだったと書いた(9月14日の日記を参照)。ところが、それが間違いだったことが判明した。1956年(銀河が生まれた年だ!)のメルボルン・オリンピック(東京の2つ前のオリンピック)の閉会式が最初だったのだ(教えてくださったみなさん、ありがとうございました)。銀河のまわりの大人たちはみんな、東京オリンピックの閉会式の行進に感嘆し、口々に「こんなのは見たことがない」と言っていたので、てっきり東京が初めてだったと思い込んでいた。
考えてみれば、メルボルン・オリンピックのあった1956年当時は一般家庭にはテレビなどほとんど普及していなかったし(銀河の家にテレビが入ったのは1957年)、衛星中継だって1964年の東京オリンピックに間に合うように開発された技術なのだ(実際には、東京オリンピック直前に起きたケネディー大統領暗殺を受けて、ジョン・F・ケネディーの葬儀が衛星中継によってライヴで伝えられた初めての海外のできごととなった)。平均的な日本人がテレビでオリンピックを観戦するなどという体験をしたのは東京オリンピックが初めてだったのだから、あの閉会式を前代未聞のものととらえたのも当然だったのかもしれない。
でも、メルボルンからローマを経て、8年後の東京。閉会式で選手が入り乱れて入場するということは少なくともオリンピック関係者には周知の事実だったはず。なのに、ただ一国だけ整然と隊列を組んで行進し、満場の失笑を買った日本選手団。いったいなぜ、あんなことになってしまったんだろう。9月27日(水) 窪田理恵子さんと長電話。
[日記]千葉県の某校舎での夜の授業を終え、自宅に帰ってきたのが午後9時。ちょっとした用件もあって、窪田理恵子さんに電話する。で、そのまま午前0時頃まで延々とおしゃべりを続けてしまった(笑)。実のところ、銀河は普段、だれかと電話で話をするなんてことはめったにないし(うちの携帯は1週間まったく着信がないなんてこともしょっちゅうだ)、メールのやりとりも苦手。信じてくれない人も多いんだけど、間違いなく非社交的な部類の人間だと思う(何もないのだったら、1日中家にこもっているのがいちばん楽だ)。で、このところ「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」が「休火山」状態になっていることもあり、自助グループとかトランス(用語についてを参照)仲間の集いに顔を出すのも、もうそろそろいいかなって思いかけていたんだけど、理恵子さんと電話でお話ししていて、うん、お友だちっていいなって、つくづく感じましたね(今さら何を言ってるんだって感じですけど)。そのうちまた、お茶でも飲みながらまったりとした時間を過ごしましょう。
[読書記録]金城一紀『GO』(講談社)。今年の6月に発表された第123回直木賞受賞作。朝日新聞の書評では「さながら『在日』文学の『ライ麦畑』だ」と評された。軽快でテンポのよい文体で、喧嘩と友情と恋愛と差別が、明るく、かつまた悲しく切なく描かれた青春小説の王道。主人公がとにかくかっこよくって魅力的。ともすれば重くなりがちなテーマを最後までさわやかに描ききった作者の力量には、感服。個人的には今年のベストワンかな。お勧め。9月28日(木) 江崎グリコの「和風巻き」。
[日記]銀河はお酒がまったく飲めない分、甘いものが大好きだ。特にアイスクリームは、食べ過ぎてお腹をこわしても、それでもなお(「お腹が痛い」と泣きながら)食べ続けるほどだ(アイスがなければ生きていけないのさ)。そんな銀河に今いちばんピッタリくるのが、江崎グリコの「和風巻き」っていう新製品。アイス(バニラと抹茶の2種類あり)とお餅(!)を和菓子の調布皮で包んだもので、ロッテの「雪見だいふく」の食感をもう少しだけ和菓子寄りにしたような味わいだ(こんな説明じゃだれにもわかんないだろうなあ)。我が家(銀河と長*さん)では、9本入って500円のちょっと大きめの箱を、2日で3箱消費しています。9月29日(金) ザ・バンドのデジタル・リマスタリング盤を聴いて。
[日記]ザ・バンドの初期の4作品(68年の"Music From Big Pink",69年の"The Band",70年の"Stage Fright",71年の"Cahoots")がデジタル・リマスタリングを施されて、再登場。発売日の9月27日に速攻で手に入れて、何度もくり返し聴いている。
今回のデジタル・リマスタリング盤では、ひとつひとつの楽器の音色が驚くほどクリア。そのため、アメリカのルーツ音楽の現代的再構築と言えるザ・バンドのサウンドのできあがり方、つまり、どういう音楽の要素がどこにどのように取り上げられているかといったことを、細部まで明確にとらえることができる。30年来のファンにとっても、新しい発見の連続だ(ボーナス・トラックもたっぷりだしね)。
しかしながら一方で、なんだか釈然としない気分に襲われたのも事実。アナログ盤のモコモコした音で聴きなじんでいたザ・バンド独特の土臭さがきれいさっぱり消え去っているのだ。過去のポップ・ミュージックを現代に再提示するための方策として、リマスタリングだのリミックスが有効なのは認めよう。だが、すぐれたポップ・ミュージックがミュージシャン個人の作品という以上に、その時代の空気を(録音技術や再生技術の限界も含めて)表現するものだとすると、このリマスタリング盤はあの時代に輝きを放っていたザ・バンドのサウンドではない。2000年の現在の新しいザ・バンドの音なのだ(一部のトラックはまるでベックの新作のように聞こえる)。
とは言っても、今になって初めてザ・バンドを聴く人たちにも、リアル・タイムでファンだった人たちにとっても、この盤がスリリングな魅力に満ちあふれているのには間違いない。久々にBGMとしてではなく、ヘッドフォンで全神経を集中させて聴き入った1枚(4枚か)。9月30日(土) 川越の赤心堂病院へ。
[日記]月に2回の女性ホルモン注射の日。いつも通り、池袋駅10時30分発の東武東上線の急行に乗って、川越の赤心堂病院泌尿器科(内島豊先生)へ。ペラニンデポー10mg。
ホルモン療法(用語についてを参照)自体を開始したのは1997年の3月だが、内島先生のところへ通院し始めたのは、今年の2月から(2月7日の日記、2月21日の日記を参照)。最初のうちは川越がむやみに遠く感じられたが、半年も経った今では別にどうってこともない。年内には、精神科医のセカンド・オピニオンをいただくために埼玉医大(川越からさらにバスで20分)へ通い始める予定なので、これから先も川越との縁は当分続きそうだ。銀河の事情(日記と更新情報)に戻る トップページへ