2000年2月下旬の日記

ホルモン投与に行き、メンタルクリニックに行き、「TSとTGを支える人々の会」の催しに参加し、そして、そのあいまに日常的な雑用を片づけるという日々でした。親族関係のとある事情で、ここしばらく緊迫した状況が続いています。(2000年3月1日記)

2月21日(月) 川越市の赤心堂病院へ。
[日記]午前11時30分の受け付け終了時間寸前に、川越市の赤心堂病院に到着。泌尿器科の内島豊先生(埼玉医大のジェンダークリニックのメンバー)の診察を受ける。今日の目的は、前回(2月7日の日記を参照)おこなった血液検査の結果を伺い、今後のホルモン療法(用語についてを参照)についての相談をすること。
血液検査は2点(後述)を除き、すべての値が基準値の範囲内に収まった(女性ホルモン投与による重篤な副作用の徴候はないということだそうだ)。基準値の範囲の外にあったのはプロゲステロン(女性ホルモン)の数値。680ng/mlを越えていた(女性ホルモン投与者の平均は100ng/ml前後らしい)。また、テストステロンとフリーテストステロン(男性ホルモン)の血中濃度も成人女性の基準値の下限ぎりぎりなので、内島先生のアドバイスに従って、ホルモン投与量を減らすことにした(性ホルモンの基準値については、性同一性障害の人のための、ホルモン療法の基礎知識のなかにある成人における性ホルモンの血中濃度を参照)。
それを受けて、今後は、内島先生の管理下で(埼玉医大のジェンダークリニックでの正規のホルモン療法に準じた形で)ホルモン投与をしていただくことになった。ガイドライン(性同一性障害に関する提言と答申)に沿った性同一性障害(GID)(用語についてを参照)の精神療法を受けていることを重く見て、フライング的なホルモン療法に関しても、内島先生が面倒を見てくださるということになったのだ。くわしい注意事項の説明を聞き、前回いただいていた「性同一性障害(MTF)に対するホルモン療法の説明及び同意書」(ここを参照)にサインし、提出。これまで(血液検査の結果を参考にしながら)自主的(?)におこなっていたホルモン投与は、注射(プロギノンデポー10mg)を週1本、経口剤(プレマリン1.25mg)を1日1錠という分量だったのだが、今後は経口剤をやめ、注射(ペラニンデポー10mg)を2週に1本にする。身長、体重、血圧を測定した後、今日はその第1回目の注射を打っていただいた。注射には保険は効かないが、1本410円。ホルモン投与をおこなっている他の病院では1本2000円程度が普通なので、格安だ(ちなみに血液検査の方は保険が効く。これも他の病院では保険が効かずに何万円もかかる)。
もうひとつ基準値の範囲の外にあったのが、***(諸般の事情でしばらく伏せ字)の数。基準値をはるかに上まわっていた。ホルモン投与との因果関係はないらしい(したがって、ホルモン投与は続けてもよい)が、重篤な病気の可能性が疑われるし、そうでなくてもなんらかの感染症にかかっている可能性が高いので、さらにくわしい検査のために採血する。結果は、Eメールで教えていただくことに(この件では、ちょっと精神的ダメージを受けている。まあ、あまりくよくよしても仕方がないので、検査結果待ちだ)。
赤心堂病院から至近距離のところに、最近、銀河の勤務先の予備校の校舎ができた。仲のよい女性職員の方がいらっしゃるので、帰りがけに寄ってみる。できたばかりの校舎をこれからみんなで作り上げていこうとする熱気が伝わってきて、うれしくなった。1時間くらいお茶を飲みながら、あれこれと意見交換をする。
[読書記録]吉永みち子『性同一性障害』(集英社新書)。「気がつけば騎手の女房」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した吉永さんが、昨年『小説すばる』に連載した文章をもとにまとめ直したのが本書。当事者にとって情報的に目新しいものはほとんどないが、きちんとした取材、正確な記述、そして特定の立場に偏りすぎないバランス感覚という具合に、性同一性障害をとりあげたルポルタージュとしては出色(というか、新書本という制約のなかではこれ以上のものはなかなか書けないだろう)。なによりも、名の通ったノンフィクション・ライターがこの問題をとりあげ、入手しやすく安価な新書版で出版されたという事実が貴重。この問題に関心のある非当事者の方には、ぜひ読んでいただきたいなと希望する。私自身は何冊か買っておいて、この先長い付き合いになりそうな人には、差し上げて読んでいただくつもり。

2月22日(火) 屋久杉の工芸品の展示即売会へ。
[日記]屋久島出身の長*さん(銀河の彼氏)の知り合いの方が、屋久杉の工芸品の展示即売会を開催していらっしゃるので、見学に行ってきた。会場は、新宿西口の青梅街道沿いのギャラリー(長*さんの事務所から至近距離だ)。会場や宿泊先の手配を長*さんがやったこともあって、長*さんの会社が協賛ということになっている。メインは樹齢数千年の屋久杉の座卓。見事としか言いようがないんだけど、ひとつが軽く200万円とか300万円もする。それでも、伐採制限のために屋久杉工芸品がどんどん値上がりしている現状では、かなり安い値段なのだそうだ。だが、そんなものには当然手が出ない。今週いっぱい開催しているというので、もう一度出直してきて、お箸(ひとつ300円)とか箸置き(ひとつ150円)を何揃いか買うつもり。
[BGM]John Lennon,"Imagine." ジョン・レノンの『イマジン』(1971年)。リミックスとデジタル・リマスタリングが施され、ミレニアム・エディションと銘打って新装発売された。オリジナル盤に比べると、全体的にヴォーカルがクリアになっていて生々しい。一般にロック系の音楽はヴォーカルがオフ気味になっているのが好みなんだけど、この盤に限って言えば、今回のリミックスは大成功だと思う。ジョンの声自体が持つ色気や艶っぽさが、ストレートに伝わってくる。個人的には精神療法(プライマル・スクリーム療法っていう名称)の一環として制作された前作『ジョンの魂』(原題"John Lennon/Plastic Ono Band")の方が好きだが、くり返し何回も聴きたくなるのは『イマジン』。で、今回久々に聴き直して思ったのは、ポップ・ソングとしての完成度の高さだ。「イマジン」や「ジェラス・ガイ」のような有名曲以外にも、カントリー調の「クリップルド・インサイド」、キング・カーティスのサックスがファンキーな「アイ・ドント・ウォナ・ビー・ア・ソルジャー」、ちょっと「アイ・アム・ザ・ウォルラス」を連想させる「ギヴ・ミー・サム・トゥルース」(個人的にはこれがいちばん好き)、ジョージ・ハリスンを感嘆させたという「ハウ?」など。改めてその魅力を再確認した。ところで、オノ・ヨーコさんってステキですよね。昔からずっと、ああいう女の人になりたいって思っていました。

2月23日(水) 部屋のお片づけ。
[日記]ぼんやりしているうちに、長期休暇も20日間が過ぎ去った。重い腰をあげてこの時期にしかできない部屋の片づけにとりかかったのだが、全然はかどらない。いちばん困っているのが衣服の処理。昔着ていた男性用の衣服は、女性用として転用できそうな一部のものを除き、もう二度と着ることはないだろう。でも、かなり高価なものばかりなので(一着5万円とか10万円とか20万円とか)捨てるわけにもいかない。しかも半端じゃなく大量にある(バブルの頃は衣服代に年間400万円くらいかけていた)。まあ、部屋の装飾品になるんだろうなあ。
ある意味でもっと困るのは女性用の衣服。「アマチュア女装」のサークル内にいた頃に買った服の多くは、現実離れし過ぎ(つまり、日常的には使えない)。こっちは捨てればいいだけなんだけどね。
[BGM]Yoko Ono With Plastic Ono Band,"Approximately Infinite Universe." ヨーコさんのソロ・アルバムのなかでいちばん好きなのが、この『無限大宇宙』(73年)。ヨーコさんが39歳のときの作品だ。フェミニズムの立場をとっているんだけど、歌詞はかなり内省的。そして、ニューヨークのミュージシャンたちによるファンキーな演奏。ローラ・ニーロあたりを連想するのは私だけだろうか。このアルバムを聴いた17歳の私は、カッコイイ女の人ってこういう人のことを言うんだなって思って、心からあこがれていたものでした。
[読書記録]永井均『マンガは哲学する』(講談社)。著者は哲学者(千葉大学教授)。何年か前に『<子ども>のための哲学』(講談社)という著書が話題になったりしたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれない。藤子・F・不二雄、諸星大二郎、萩尾望都、西原理恵子、佐々木淳子、業田良家(傑作『自虐の詩』!)、楳図かずお、吉田戦車、赤塚不二夫、手塚治虫(順不同)といった人たちの作品を、哲学的な観点から読み解く試み。それぞれのマンガ作品が突きつける「意味」や「私」や「時間」や「死」や「存在」の問題を、さらに深く掘り下げて、読者に再提示してみせる。マンガを素材にした哲学入門でもあり、哲学を通したマンガ評論とも言えよう。本書のなかにある次の発言に注目。「哲学とは、要するに、なぜだか最初から少し哲学的だった人が、本来のまともな人のいる場所へ―哲学をすることによって―帰ろうとする運動なのだが、小さな隔たりをうめようとするその運動こそが、おうおうにして深淵をつくりだしてしまうのである」。

2月24日(木) 身内の事情、緊迫した状況。
[日記]身内の事情で、ここ数日、一日に何度も実家から連絡が入る。ひょっとしたら、(財産相続にかかわる無用なトラブルを避けるために)我が人生でおそらく最後の「男性」としての務めを果たさなければならないできごとが生じるかもしれない。実家からは事態が好転の兆しを見せるまで、一日24時間、絶えず連絡が取れる状態にしておいてくれと、釘を刺される。長*さんに頼んで、男物の冠婚葬祭用のスーツを準備してもらう。いつでも帰省できるように、荷物をまとめておく。緊迫した状況。
[BGM]ネーネーズ『オキナワ〜メモリアル・ネーネーズ〜』。99年11月14日(東京)、15日(沖縄)の「さよならコンサート」のライヴ盤。91年のデビュー以来(本作を含めて)9枚のアルバムをリリースしてきたネーネーズ。渋谷公会堂、日比谷野音、浅草木馬亭、渋谷クラブ・クアトロ等々、実際に体験したコンサートの模様が脳裏をよぎる。沖縄伝統音楽のエッセンスを損なわずに(いやむしろ強化して)、ロック/ヒップホップ/レゲエ/ラテン等の要素を大胆に取り入れ(チャンプルーだ!)創出してきた豊穣な現代ポップは、未来に向けての貴重な財産だ。もちろんプロデューサーの知名定男の力が大きいんだけど、それをこれだけすがすがしく凛々しいものにしているのは、なんと言っても4人のネーネー(姉姉)たちの歌唱の魅力。それにしても「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のウチナー化はスゴイ。この曲からクラーベ(キューバのリズム)で始まる次曲「ヨーアフィ小」にかけてがこのCDの最大の聴きどころだろう。今後は、99年暮れから2000年にかけてのNHK「ゆく年くる年」に出演した新生ネーネーズ(全員が新しいメンバー)に期待。

2月25日(金) あべメンタルクリニックへ。夜はお友だちと。
[日記]市川で長*さんの商談に同席した後、4時前に浦安のあべメンタルクリニック(阿部輝夫先生)へ。今日も待ち時間はほとんどなくて済んだ(銀河が来た後、待合室が患者さんで混み始めたから、ラッキーなタイミングだった)。まず最初に、赤心堂病院泌尿器科の内島豊先生(埼玉医大のジェンダークリニックのメンバー)のところで、(埼玉医大のジェンダークリニックでの正規のホルモン療法に準じた形での)ホルモン投与をしていただくことになったこと(21日の日記を参照)を報告する。
で、その後は相談することがなにもなくなってしまった(笑)。今日で5回目なんだけど、話すべきことはすでにみんな話してしまったような気がするのだ。でも、これで終わりってのもなんだなあって思っていたら、阿部先生が「自分史を書くのはつらくないですか」って質問してくださる。書いていてつらく感じるのは、なんといっても肉体的な違和感(特に性器に対する違和感)のこと。子どもの頃のことから話し始め、ホルモン療法(用語についてを参照)を開始してから多少は緩和されたとはいえ、女性として社会生活を送るようになっても、自分の性器に対する違和感はまったく解消されず、部屋のなかでひとりになるとひどく落ち込んだりすることを訴える。話し始めると止まらなくなって(おまけに涙まで出そうになって)、結局30分近く経過したところで、終了。
終了後は新宿へ。西口のヴェローチェで長*さんの商談に加わる。そうこうしているうちに、関あゆみちゃんとNOVAさんがやって来る。今日は関あゆみちゃんの呼びかけで、お友だちが何人か集まることになっているのだ。7時半頃、行きつけの居酒屋さんへ移動。おいしいお料理を堪能しているうちに、NOVAさんのご友人がおふたり(初対面の方々だった)と、緑川りのちゃん、商談を終えた長*さんが合流。9時すぎにぽんぽんさんが登場した時点で、パーティーに行くというNOVAさんグループとお別れし、長*さんが最近よく行く新宿3丁目のスナック(普通のスナックね)へ。メンバーは、関あゆみちゃん、ぽんぽんさん、りの、長*さん、そして銀河だ。りのとふたりで、カラオケで盛り上がってしまった。11時過ぎに帰宅。

2月26日(土) じゃっきーさん&眠夢さんにお会いする。
[日記]銀河のホームページの掲示板によく書き込んでくださっているじゃっきーさんが静岡から上京されるというので、ぜひお会いしましょうという話になっていた。夕刻、ホテルに到着したじゃっきーさんから、お友だちの眠夢さん(東北在住の方)もご一緒だという連絡が入ったので、急遽、3人で会うことに。
おふたりのその後の行動の利便を考えて、場所は新宿3丁目の喫茶店。2時間半ほど話し込んだ。お互いの自己紹介から、話題はさまざまな方向へ展開していったのだが、特に盛り上がったのは性同一性障害(GID)(用語についてを参照)の医療に関する意見交換。眠夢さんが中心メンバーのおひとりとして活動されているES-T東北(東北地方のセクシュアル・マイノリティーのための自助グループ)のお話などをうかがっていると、地方でも当事者の努力によって、ガイドライン(性同一性障害に関する提言と答申)に沿った精神療法やホルモン療法(用語についてを参照)を受けられる環境が整いつつあることがわかって、感銘を受けた。
東京という恵まれた土地で暮らしていると見過ごしてしまうようなさまざまな問題点を彼女たちに指摘してもらって、一緒に考えていくことで、大いに励まされ勇気づけられた。明日からまた、しっかりと生きていこう。
[BGM]Beastie Boys,"Anthology: The Sound Of Science." 82年の"Pollywog Stew"から98年の『ハロー・ナスティ』までのベスト。昨秋、日本で先行発売された2枚組CDだ。ビースティー・ボーイズが台頭してきた時期には、すでにロック系の音楽をリアル・タイムで追いかけることはなくなっていた。だから思い入れもないし、初めて聴く曲も多いんだけど、とにかくカッコイイし何よりも楽しいので驚いた。最初はハードコア・パンク・バンドだった彼らがヒップホップ・アーティストとして認知されるに至ったということがそのまま、ヒップホップがロック系からサブ・カルチャーを彩る音楽の地位を奪取した事実を象徴しているのだが、逆に、ヒップホップ全盛の現在だからこそ、ビースティー・ボーイズの音楽を素直に楽しめるんだろうなと、当時「白人ヒップホップ」には冷ややかだった私などは思うのだ。

2月27日(日) 第78回「TSとTGを支える人々の会」催しに参加した。
[日記]今日は「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」の催しがある日。開始時間(午後1時10分)よりも少し早めに到着して、会場設営のお手伝いをする。今回の催しはワークショップ「トランスジェンダーのためのメディアリテラシー 新聞&雑誌篇」というタイトル。ワークショップ形式ということで、定員を30名に限定してのこぢんまりとした(しかしながら密度の濃い)集まりになった。
まず最初に、講師の井上輝子先生(和光大学人間関係学部教授)から、メディア・リテラシーとは何か、フェミニズムの立場からどういうメディア研究がなされてきたのかというテーマで、お話があった。井上先生は長年、「女性とメディア」あるいは「ジェンダー(用語についてを参照)とメディア」というテーマを研究されてきた方で、フェミニズムの世界では非常に有名な方なのだそうだが、不勉強な銀河は、そういうことも今日はじめて知った。以下、井上先生のお話を銀河なりの言葉で簡単にまとめてみることにする。
メディアが伝える情報というのは事実をそのまま表しているのではなく、自覚的であれ無自覚であれ、発信者や社会的多数派の思想を反映している。そもそもメディアは商売なのだから、売れる情報を選別し、売れるような伝え方(センセーショナルな見出しなど)をするものだ。一方で、メディアの発信する情報は社会に影響を与え、社会を作り上げていく働きもする。そういうことを踏まえて考えると、現代のようなメディア主導型社会(情報社会と言ってもよいだろう)に暮らす私たちは、メディアが発信する情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に受け止める力を身につけることがなによりも大切になってくる。メディア・リテラシーというのは、平たく言えば、その力のことであり、配られた資料によれば、「メディアを解読するのに必要な技能、知識、態度の習得をつうじて、クリティカルな主体性を確立し、各自のエンパワーメントに寄与する」ことを目標にしている。
フェミニストの立場からのメディア研究(フェミニスト・メディア・スタディーズ)が明らかにしてきたこととしては、次のようなことがあげられる。(1)メディアの登場人物は、現実の人口構成よりも社会的多数派に偏る傾向がある(例えばセクシュアル・マイノリティーが主人公のテレビドラマは、現実のセクシュアル・マイノリティーの人口に比べると圧倒的に少ないし、その取り上げられ方もセンセーショナルなものだったりする)。(2)性差別表現は、性差別社会を反映しているだけでなく、その支配-被支配関係を維持し、強化している(メディアが発信する情報を鵜呑みにする人たちが、その情報の影響を受けるというわけだ)。(3)社会的少数派は有徴化される傾向がある(「女性初の」とか「女性弁護士」というような冠詞がつく。逆に「ヘテロの男性作家」などという言い方はしない)。(4)社会的少数派がメディアに登場する場合、ステレオタイプ的に表現される傾向がある(ゲイを取り上げた記事では、いわゆるゲイ風の言葉遣いが使われるとか)。
以上のような井上先生のお話を受けて、参加者が、7、8人ずつ4つのグループに分かれ、具体的な作業と討論へと移る。今回素材として使うのは、98年にドイツで在職中にトランス(用語についてを参照)してリコールされたMTFTS(用語についてを参照)の村長(リントナーさん)のことを報じる新聞記事と、まだ記憶に新しい藤野千夜さんの芥川賞受賞の新聞記事。ひとつひとつの記事を詳細に検討しながら(見出しの付け方、記事のなかの表現、全体のトーンなど)、メディアがトランスジェンダー(用語についてを参照)をどう扱っているのかを明らかにしてみる試みだ。
実際に作業をしてみると、頭のなかではなんとなくわかっていたことが具体的にはっきりと見えてきたり、自分が気づかなかったことを他の人に指摘されたりして、非常に有意義な体験だった。メディア報道っていうのは、本当に社会的多数派のためのものなんだなあということが、はっきりと実感できた(セクシュアル・マイノリティーに対しては、物珍しいものを面白がるスタンスだね)。欲を言えば、討論のための時間がもっとあれば、なおよかったのだが。
近所の居酒屋さんに場所を移しての二次会。銀河のテーブルは初対面の方が多かったので、自己紹介をしながら、それぞれが抱えるいろんな問題を語り合う。都合で途中で退席せざるをえなかったんだけど、いつもとは違う雰囲気のなかで、いろいろと勉強させていただいた。

2月28日(月) 長*さんと一緒に、営業の毎日。
[日記]ここのところ、長*さんのお仕事の営業活動に付き合うことが多い。とある機会に、長年営業をやっている長*さんよりも銀河の方がセールストークが上手だということがわかったからだ(予備校講師という口先勝負の仕事をしているから当然と言えば当然なんだけどね)。そのうち肩書きを考えてもらって、長*さんの会社の名刺を作ってもらう予定。
[BGM]スーパーベルズ『モーターマン』。有線やCDショップで耳に入る機会が多くて、気になっていた。今日ようやくミニ・アルバムをゲット。JRの車掌さんの車内アナウンス(の真似)を加工してヒップホップに仕立て上げるというアイディアは最高。日本語のグルーヴ感を再確認する。

2月29日(火) 富士銀行(初台支店)って、最低!
[日記]戸籍名変更のための布石として、また日常生活上の利便も考えて、通称(戸籍上の姓+女性ととれる名)での銀行口座開設に動き出すことにした。まずは、第一候補として、立地条件のよい(つまり銀河の日常的行動に便利な場所にある)富士銀行を選び、東京オペラシティータワーのなかにある初台支店へ行く。
窓口の女性に通称での口座開設が可能かどうかを尋ねる。「このリストに載っているもののうちどれかひとつで確認できるお名前でなければ、口座は開設できません」と言って、リストを見せてくれる。リストに挙げられているのは、住民票や運転免許証や保険証などの戸籍名しか記載できない書類ばかり。「ということは、日常生活ではまったく戸籍名を使用していなくても、戸籍名以外では絶対に口座は開設できないんですか」と訊いてみる。「私ではわからないんで、ちょっとお待ちください」と、しばらく待たされる。
約5分後に、担当責任者だという中年男性が登場。同じ説明をくり返すので、「どんな特別な事情があってもムリなんですね」と言うと、「特別というのは、どのようなご事情ですか」という答え。ちょっと躊躇したのだが、口座開設のために必要ならばと思い、こちらの事情を説明する。性同一性障害(用語についてを参照)の診断書まで見せてやった。相手はちょっと驚いた表情を見せ、「なにぶんうちでも初めてのことですから、本部と相談してきます」と電話をかけにいく。ずいぶん待たされた後で、「やはり戸籍名でなければ、認められません」との返答。あんまり腹が立ったので、「私は本来公開する必要のないプライヴァシーまでお話ししたのに、そのひとことで済ませるのはひどいんじゃありませんか。人権についてどうお考えですか」と(自分でも論理的に飛躍したことを言っているなと思いつつも)尋ねてみる。すると、「うちは人権とかではなく、規則でやっておりますから」との答え。
ダメだったらダメでいい。でも、だったら最初から「一切の例外は認められない」と言って、話を打ち切るべきなんじゃないかな。こちらのプライヴァシーまで訊いておいて、あの対応はないと思う。戸籍名以外はダメだという法的根拠を説明させればよかったなあ。私は根に持つ方だから、富士銀行の他の支店にも同じ質問をして嫌がらせをしようっと(笑)。
[BGM]King Crimson,"Lizard." キング・クリムゾンのデビュー30周年記念企画として、昨年の12月17日に、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』(原題"In The Court Of Crimson King")が、オリジナル紙ジャケの24ビット・リマスター盤で再発された。それに引き続き、セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』、サード・アルバム『リザード』、フォース・アルバム『アイランド』の3枚が同じ仕様でようやく店頭に並んだ(正式な発売日は3月1日)。で、今日取り上げるのは『リザード』。71年の発表当時は『クリムゾン・キングの宮殿』に比べて、なんだかぱっとしない内容だなって思っていた。面白さを発見したのは、70年代の終わり頃、オーネット・コールマンにのめり込んでから。デビュー・アルバムの衝撃の大半はマイケル・ジャイルスのドラムスにあったが、この盤はなんと言っても、キース・ティペット(オーネット・コールマンに影響を受けたジャズ系のミュージシャン)の繊細でいて破壊力のあるピアノに尽きる。「ジャズは格闘技だ」という趣旨のことを言ったは、たしか山下洋輔だったと記憶しているが、この盤のいくつかの曲はガラス細工のように精密な格闘技の試合(いっときのパンクラスのような)を連想させる。


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Now I must set about my work.