平成9年5月28日
日本精神神経学会
理事長 山口成良殿
「性同一性障害に関する特別委員会」
委員長 山内俊雄「性同一性障害に関する特別委員会」答申
「性同一性障害に関する特別委員会」は、これまで10回にわたり 性同一性障害の診断と治療について検討してまいりましたが、蕃議の結果がまとまりましたので、ここに答申し、併せて提言を申しあげます。
今後、学会として、答申の趣旨に基づき、医学会ならびに関係省庁などに対する働きを積極的に推進するよう、要望いたします。はじめに
平成8年7月2日に埼玉医科大学倫理委員会が性同一性障害(性転換症)の手術療法を正当な医療行為と判断したが、その際に、性転換治療をおこなうにあたって必要とされる手続きならびに環境の整備について、次のような条件を付記した。
1)関連する学会や専門家集団による診断基準の明確化と治療に関するガイドラインを策定すること。
2)性同一性障害の診断、治療に関係する各領域の専門家からなる医療チームを結成し、適切な対象選定と治療選択、術前、術後のケアーのための体制の整備をすること。
3)性同一性障害に対する理解を深め、外科的性転換治療に伴って生ずる諸間題を解決するための働きかけ、例えば、法律家をまじえた有識者による現実問題の解決への作業や、当事者の参加のもとに、一般のひとびとの理解を得るための努力が必要。日本精神神経学会では埼玉医科大学の答申を受けて、平成8年9月21日に学会理事会の下に「性同一性障害に関する特別委員会」(以下、特別委員会)を設置し、主として上記1)「性同一性障害の診断基準の明確化と治療に関するガイドラインの策定」に関して、検討することにした。
1.蕃議の経過
特別委員会はまず、牛島定信、中島豊爾、中根允文、山内俊雄の各理事によって構成されたが、審議の経過とともに順次、必要な領域の専門家に委員としての参加を要請し、また必要に応じ、オブザーバーとして、関連する専門家に出席を依頼して(付表1)、委員会を構成し、合計10回にわたる討議をおこなった(付表2)。そのうちの1回はDr.Reiko Homma Trueによるアメリカの状況に関する公開講演会を開催し、海外の事情を検討し、我が国に望ましいあり方を求めた。また、その結果をいわゆる当事者ならびにこの問題に関与している人々にも開示し、意見を求め、以上の検討を経た上で本答申をとりまとめた。さらにまた、検討の過程で浮び上がった、性同一性障害とその周辺の問題に医療が適切に対応するために乗り越えなくてはならないいくつかの問題についても提言を行なった。
性同一性障害とそれに関連する性の問題が医療だけでなく、社会においても適切に対応される事を望み、ここに報告する。2.委員会の基本的姿勢
審議にあたり、特別委員会の墓本的姿勢として次の事を確認した。
1)埼玉医科大学倫理委員会の答申を基本的に支持し、性同一性障害の医学的診断ならびに治療が適切におこなわれるように推進する。
2)性同一性障害の診断基準ならびに治療の基本を呈示する。
3)精神科医がこれまでかかわることの少なかった性にまつわるさまざまな精神医学的問題に的確に対応できるような方策も検討する。
4)埼玉医科大学倫理委員会答申の付帯条件にあるように、法律家や当事者ならびに関連するひとびとの意見を聞きながらこの問題を検討する。
5)本答申に基づき、日本精神神経学会は医学界ならびに関係省庁などに積極的な働きかけを行ない、性にまつわる問題が正しい評価を受けるよう努力する事を本特別委貫会から要望する。
以上の基本的姿勢に従って、特別委員会で検討した結果は以下の通りである。3.審議結果
性同一性障害とは「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」と定義される。すなわち、男(女)性の肉体を持ちながらも本来自分は女(男)であって、男(女)性に生れてきたのはなにかの間違いであると考え、こうした確信に基づいて、日常生活においても女(男)性の装身具類を身につけたり、女(男)性の性別役割を実行する。さらにこのようなことだけで安心せず、本物の女(男)性になりたいという変性願望や性転換願望を持ち、ホルモン投与や性転換術までも行おうとする場合もある。
このような性同一性障害を診断し、治療するにあたって要請される墓本的事項は次の通りである。1) 医療チーム
性同一性障害を有する者は単に、生物学的性と性の自己意識の不一致に悩むだけでなく、きまざまな医学的、心理的、社会的、家族的ならびに経済的問題を抱えていることが多いので、その診断、治療には多彩な間題に対応できるように、つぎのような関連領域の専門家からなる医療チームを作り、常にチームとして問題を把握し、解決するように努めるべきである。
(1)医療チームは精神科医、外科医(形成外科医)、泌尿器科医、産婦人科医などの他に、必要に応じて、内分泌専門医、小児科医などによって構成される事が望ましい。
(2)医療チームには医師の他に心理士、カウンセラー、ソシアルワーカーなどの参加が必要である。
(3)医療チームのメンバーは個々のケースにつき、医学的判断とともに、本人が抱える問題を把握し、きめこまかに援助、対応することが求められる。2 )診断のガイドライン
診断は次の順序に従っておこなわれる。
(1)性の目己意識(gender)の決定
次のような方法により、まず、性の自己意識の決定をおこなう。
(1)詳紬な養育歴、生活史、性行動の経歴について聴取する。目常生活の状況、例えば服装、言動、人間関係、職業の経歴などを詳細に聴取し、それをもとに性役割の状況を明らかにする。また、本人のみならず、家族あるいは本人と親しい関係にある人たちから、症状の経過、生活態度、人格構造、家族関係ならびにその環境などに関する情報を得たうえで、性の自己意識について、多面的な検討をおこなう。
(2)ICD-10またはDSM-IVなどの性同一性障害の国際診断基準をみたしていることを確認する。
(3)性同一性障害の診断、治療に十分な経験を有する精神科医2名(1名は主治医)が性の自己意識について独自の判定を行なう。両者の意見の一致をみない時は3人目の精神科医の判断を求めて決定する。(2)生物学的性(sex)の決定
(1)染色体の検査、ホルモン検査、内性器ならびに外性器の検査、生殖腺検査などを行なう。
(2)半陰陽、間性など、生物学的性の異常のないことを確認する。
(3)以上の結果をもとに、生物学的性の異常はなく、いずれの性(sex)に属するかが明らかであることを確認する。(3)除外診断
(1)精神分裂病、人格障害などの精神障害のために自己の性意識(gender)を否認するものではないことを明らかにする。
(2)文化的、社会的理由による性役割の忌避、職業的利得などのために別の性を求めるものでないことを確認する。(4)診断の確定
以上の点を総合し、生物学的性(sex)と性の自己意識(gender)が一致しないことが明らかであれば、これを性同一性瞳害と診断する。3) 治療のガイドライン
性同一性障害の診断が確定し、かつ、治療を希望する者に対して、治療は次の順序にしたがって行なう。
(1)第1段階の治療(精神療法)
(i)第1段階の治療として次のことを行なう。
(1)これまでの生活史の中で、性同一性障害のために受けてきた精神的、社会的、身体的苦痛について、十分な時間をかけて聞く。治療者はあくまでも受容的、支持的な姿勢に徹する。
(2)いずれの性で生活するのが自分にとってふさわしいかの選択を援助し、選択した性での生活を行なわせる。その期間、必要に応じて面接をおこない、希望する性の選択が揺るぎなく、安定したものであるか、生活場面でどのような性質の困難があるかを明らかにする。
(3)選択した性での生活の期間は原則として1年以上とする。
(ii) 第1段階の治療にたずさわる者
第1段階の治療にたずさわるものは、性同一性障害の臨床にかかわったことがあり、十分なる経験を有する精神科医もしくは心理士、カウンセラー、ソシアルワーカーなどであること。
(iii)第1段階の治療の効果判定
第1段階の治療効果とその判定、ならびに次の段階に進むことの判断は治療に加わったものを含む医療チームにおいて検討し、決定する。すなわち、治療の中心となった精神科医もしくは心理士は、治療期間中の患者の精神的変化、症状、抱える問題点などを明らかにし、それをもとに、次の段階に進むことの功罪も含めて医療チームのなかで検討し、決定する。
(iv)第2段階への移行
次の条件をみたすとき、次の段階へと移行する。
(1)初期治療が十分に行なわれ、選択した性での生活の結果からして、希望する性で生活することがよりふさわしいと判断されること。
(2)選択した性に対する適合感が持続的でかつ、安定していること。
(3)選択した性で生活することにともなう身体的な困難、現在の社会的立場や家庭内で起こる可能性のある問題などに対処できる条件が整っていること。(2)第2段階の治療(ホルモン療法)
(i)第2段階の治療を始めるにあたって、次の条件をみたすこと。
(1)選択した性に対する持続的で、安定した適合感があり、第2段階に移行するための条件を満たしていること。
(2)十分な身体診察、必要な検査(SGPT、ビリルビン、トリグリセライド、血糖など)をおこない、ホルモン療法に支障がないこと。
(3)ホルモン療法の手技、効果と限界、起こりうる副作用について十分なる説明を行ない、文書で同意を得ること。
(4)家族、パートナーにもホルモン療法の効果と限界、起こりうる副作用について十分な説明を行ない、納得を得る努カをすること。
(5)年齢は満20歳以上であること。
(ii)ホルモン療法について
(1)男性が女性性を望む時にはエストロゲンの投与を行う。一方、女性が男性性を望む場合にはテストステロンの投与を行う。
(2)ホルモン療法の際には常に副作用に注意し、定期的な検査を行なうこと。
(3)地域性を考慮して、近医でホルモン投与が行なわれる場合でも、定期的な専門医の診察が行なわれること。
(iii)ホルモン療法にたずさわる者
(1)ホルモン療法は内分泌学、泌尿器科学、産婦人科学を専門とする医師によって行なわれるべきである。
(2)ホルモン療法を行なっている際も、精神科医あるいは心理士は時に応じて、面接を行ない、精神的側面に対する配慮と対応により、より適応の良い状態が保てるようにすべきである。
(iv)第2段階の治療効果とその判定
第2段階の治療効果とその判定、ならびに次の段階に進むことの判断は第2段階の治療に加わった者を含む医療チームにおいて検討し、決定すること。すなわち、治療の中心となった内分泌科学、泌尿器科学、産婦人科学の専門医師は治療期間中の患者の変化、治療効果、現在の症状、抱える間題点などを明らかにし、医療チームに報告する。それをもとに、医療チームは次の段階に進むことの功罪も含めて検討し、決定する。その際、精神科医、心理士などは、ホルモン療法期間中の精神的側面について明らかにし、次の段階に進むことの決定に供する。(3)第3段階の治療(手術療法)
第2段階までの継続的治療にもかかわらず、その治療では限界があり、手術治療が必要と判断される時には手術療法を考慮する。
(i)第3段階の治療に移るための条件
手術療法に当たって、次の条件をみたすことが必要である。
(1)十分な第1段階(精神療法)ならびに第2段階(ホルモン療法)の治療が行なわれていること。
(2)十分な第1段階(精神療法)ならびに第2段階(ホルモン療法)の治療にもかかわらず、依然として生物学的性 (sex) と性の自己意識 (gender) の不一致に悩み、手術療法を強く望んでいること。
(3)精神療法ならびにホルモン療法を通して、選択した別の性に対し、持続的で、安定した適合感があること。
(4)選択した性で生活することにともなう身体的な困難、現在の社会的立場や家庭内で起こる可能性のある問題などに対処できる条件が整っていること。
(5)手術を望むものの性格、薬物依存の有無などの観点から、手術とその結果に対する事態に十分対処できる人格を有していること。
(6)手術を望むものが、手術によって生ずる身体的変化、随伴症状、社会生活上の変化、家族や友人との関係、性的問題などを十分理解し、判断していること。
(7)家族や親しい人が手術治療に理解を示していること、特に両親や配偶者、時には子どもの同意が得られていることが望ましい。
(8)あらゆる可能性を考慮して医療チームが手術療法に移ることが適切であると判断したこと。
(9)年齢は満20歳以上であること。
(ii)手術療法に当たってまず次の手続きを踏むこと。
(1)どの身体部位の手術が適切であるかを医療チームにおいて明確にすること。例えば、喉ぼとけや乳房の手術などに留めるか、外性器、内性器の手術も行なうか、行なうとしたらどのような順序でするか。
(2)手術の範囲、方法、起こりうる間題点、随伴症状などについて十分な説明を行ない、文書で同意を得ること。
(3)医療チームは個別例についてそのつど、診断ならびに治療経過に関する資料、同意書などの関係書類を添え、当該施設の倫理委員会に手術をおこなうことの倫理性の判断を求めること。
(4)当該施設の倫理委員会は申請のあった個別例について、診断ならびに治療がガイドラインにそって的確におこなわれていたかどうかを確認し、その障害が手術以外に軽減する方法がないかどうかの判断をおこない、医学倫理の立場から審議すること。
(iii)手術を行なう者
手術を行なう者は、十分な技術を有するものであることはもちろんであるが、同時に性同一性障害についての知識、特に患者の心性に対する十分な理解を持ち合せていること。
(iv)精神的側面に対する配慮
手術の前後も含めて、手術に伴う精神的負荷、適応上の問題は図り知れないことと思われる。従って、強力な精神的側面に対する支援、支持が必要である。
(1)精神科医または心理士が十分な配慮をもって、術前ならびに長期にわたる術後の精神的援助を行なう。
(2)手術患者が周囲に適応するための援助、例えぱ化粧法や発声法、身のこなしかたなど、社会適応の、阻害因子になると思われるものに対して、援助をすること。4)付言
ここに述べたガイドラインは、性同一性障害の診断ならびに治療が適切に行なわれるための基本となるものである。このガイドラインの運用ならびに今後の問題点として次の事柄を指摘しておきたい。
(1)すでになんらかの形で治療が開始されているケースについても出来る限り、本ガイドラインの趣旨に添って診断ならびに治療が行なわれるべきである。
(2)欧米における性同一性障害のガイドラインではreal-life(あるいはtrue-life)testという言葉や「希望する性でのフルタイムでの生活」(live full-time in the cross-gender role)などといった言葉が用いられている。しかし、これらの言葉は、用いる人によって、ホルモン療法下でおこなうテストに限定されたり、あるいは第1段階から適応すべきテストと位置づけたりと、一定ではない。また、テストの内容も厳格なテストを求めるものと、緩やかなものであったりとさまざまである。現時点で、本邦においてどのようなテストが適切であり、現実的かを定める十分なデータはない。本ガイドラインでこのような表現を使用しなかったのはこの言葉を用いることによって意味内容の混乱をきたすことを危倶したことと、今後時間をかけて、本邦にふさわしいテスト方法を考案すること、その際に各段階にふさわしいテストが設定されることも考慮べきと考え、今後の課題とした。
(3)手術療法についても乳房切除術と外性器、内性器の手術などが同列に扱われていいのか、例えば乳房切除術は第2段階(ホルモン療法)で考慮することも考えられるのかといった点などについても今後の検討課題としたい。4.提言
性同一性障害をはじめとする、性にまつわる間題に対して、精神医学をはじめとする医学はこれまで、一部のものを除いて、正面から取り組むことが少なかったように思われる。今後、性同一性障害の診断と治療を契機として、性をめぐる問題が医学的に正当な地位を占めることを期待して、以下の提言を付け加えたい。
1)医師ならびに関連の医療関係者が性に関する問題を正しく理解し、対処することが出来る能力を身につけ、資質の向上をはかることを推進する
性同一性障害ならびにその周辺疾患の診断と治療について、これまでは共通の議論の場がなく、正しい対処がなされないまま、現在にいたっている。そこで、当面次のような方法で、能力の向上を図る必要がある。
(1)性同一性障害の診断と治療をおこなう医療チームは経験した症例につき、学間的議論を積み重ね、そこで得られた知見を公表し、関心のある医師ならびに医療関係者の能力向上に寄与すべきである。その際、診断と治療の質を高めるために必要な検査、すなわち機能・器質的検査とともに心理学的検査などの有用性も明らかにする事が望まれる。
(2)日本精神神経学会をはじめ、性同一性障害に関連ある学会は学術集会などの場で、シンポジウムや講習会などにより、この問題に対する理解、知識の普及を図るべきである。
(3)以上の活動を通じて、専門家が養成され、それにともない、研究会が組織され、資質の向上がはかられることが望まれる。2)国内医療チームの組織化
性同一性障害ならびにその周辺疾患の治療は医療チームによっておこなわれることが必要とされるが、障害を有するものは日本全国に散在することが想定されるので、医療チームは国内の適切な地域に分散していることが望ましい。そこで、
(1)全国の各地域に、これらの問題に相談に乗り、適切な判断および指示を与えることのできる医師あるいはコメディカルスタッフを整えるべきである。当面、目本精神神経学会は日本性科学会などと連携をとり、早急に対応可能な拠点を設定することが望まれる。
(2)中核的医療チームを有したジェンダークリニックを全国に2〜4カ所設置し、必要に応じて、上記の拠点から紹介された患者の診断、治療にあたることが望ましい。
(3)医療チームによって構成されるいわゆるジェンダークリニックには性の変更によって生ずる適応障害に対処する精神科医、あるいは心理士、カウンセラー、ソシアルワーカーなどを配備し、きめこまかな対応をする事が必要である。さらにまた、単に精神的側面のみならず、身のこなしや化粧法、発声法などに対する指導など、社会適応を増進する種々の方策をおこなうことも必要である。
(4)国内の各拠点医師ならびに医療チームによって構成される組織(ジェンダークリニック)は中核的な性同一性障害だけでなく、その周辺群である性にまつわる障害に対しても適切に対応することが望まれる。
(5)診断と治療の各時点で、治療者は適切な助言と説明を行ない、治療の自由な選択を保証する。そのために、説明ならぴに同意の書類を作成することを推奨する。3)経済的援助
性同一性障害に悩む多くの人は社会適応にさまざまな困難があるなどの理由により、必ずしも経済的に恵まれているとはいいがたい。そのために、十分な確認がないままに、治療を急ぎ、その結果、新たな困難を抱えることも国の内外の報告にみるところである。したがって、次の点に対する配慮が必要であり、日本精神神経学会としても、厚生省などの関係省庁に働きかける事を要望する。
(1)ガイドラインにそった診断と治療がおこなわれる場合には、それを医学的障害と認め、健康保険の対象疾患として認定するか、特定の医療機関に限って、たどえば高度先進医療の対象疾患として認定するなどの方法により経費の軽減をはかることが望まれる。
(2)長期にわたるカウンセリングや相談が必要であるので、それに対する治療費も必要不可欠な治療として認定し、援助の対象とすぺきである。4)法的問題に関する指針を早急に出すことを望む
性同一性障害の治療に当たって、【母体保護法】第28条の「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行なってはならない。」という条文との関係が間題とされる。性同一性障害についてこれまでみてきたように、また、埼玉医科大学倫理委員会答申にあるように、性の転換の希望は単なる好き嫌いの問題ではなく、生物学的性(sex)と性の自己認知(gender)の不一致からくる障害であり、ある意味では人間存在の本質に関わる課題でもある。 従って、選ばれた医療グループにおいて、学問的論理に裏付けられた綿密にして、慎重な検討の上で選択された治療であれば、それは正当なものであり、「故なく」行なわれる単なる医療操作ではないとみなされる。特に、診断の過程において、中核的性同一性障害とその周辺群とを峻別し、その上で、性の転換によって生ずる可能性のある問題を吟味して行なうものであれば、個人の苦しみを軽減するだけでなく、個人の生活の質(QOL)を高めるための医療と考えられる。
ところで、性の転換にともない、性別や戸籍の変更など、さまざまな法的問題が生じることは当然のことである。このような法的間題が性同一性障害の治療効果を妨げ、生活の質を損なう事もすでに指摘されている通りである。したがって、法曹界はこれらの法的問題について早急に討議を開始し、適切な結論を出すことを要望するものである。
これらの間題が解決されてはじめて、医療の目的も達せられる事を認識したうえで、日本精神神経学会は法的問題の解決を法務省をはじめ関係省庁に要望すぺきである。おわりに
生物学的性は生下時にはすでに決定されており、付与された神聖なもので、濫りに手をつけるべきではないとされてきた。しかし、性は単に生物学的なものだけではなく、社会的、文化的な側面も併せ持っており、性をどう生きるかの選択が個人に委ねられている部分のあることもまた、無視する事のできない事実である。すなわち、個人が自らの性をどう受け止め、どのように生き、自らの生活を豊かなものにするかは個人の選択に負うところが大きいといえよう。
しかしながら、性同一性障害においては自らは抗しがたい障害があり、性をよりよく生きる事が損なわれている状態ともいえる。このような状態を医療や社会が軽減することが出来るとすれば、それもまた、人類の幸せにとって重要なことと考え、ここに答申し、提言をおこなうものである。なお、ここに示されたガイドラインは我が国の現在の状況での現実的にしてかつ、望みうる目標を示したものであるが、今後、性にまつわる障害に関する知識や経験が豊富になり、社会の性に関する認識が変化するとともに、ガイドラインもまたさらに形を整え、より良いものとなることが望まれる。参考資料
・穴田秀男:「性は変えられるか」現代性医学シり一ズ. メディカルトリビューン日本支社、1976.
・Blanchard,R and Steiner,B.W(eds.):Clinical Management of Gender Identity Disorders in Children and Adults. American Psychiatric Press,1990.
・Gender Dysporia Program,Inc.(formerly Stanford Univercity Gender Dysphoria Program) :Letters.
・菱木昭八郎:スウエーデン・性の転換に関する法律、尊修法学論集、68:87-89,1996.
・石原明:「医療と法と生命倫理」. 日本評論社、1997.
・The Founding Committee of the Harry Benjamin International Gender Dysphoria Association, Inc.:Standerds of Care, The hornomal and sergical sex reassignment of gender dysphoric persons. Revised draft (1/90)付表1
日本精神神経学会「性同一性障害に関する特別委員会」委員委員長 山内俊雄(埼玉医科大学、精神医学)
委員 阿部輝夫(あベメンタルクリニック、精神医学)
牛島定信(慈恵会医科大学、精神医学)
加澤鉄士*(埼玉医科大学、精神医学)
斉藤慶子*(武蔵野赤十字病院、心理学)
塚田 攻(亀田総合病院、精神医学)
中島豊爾(岡山大学、精神医学)
中根允文(長崎大学、精神医学)
野田文隆(東京武蔵野病院、精神医学)
原科孝雄*(埼玉医科大学総合医療センター、形成外科学)
(*:非学会員のため、特別委員)オプザーバー 内島 豊(埼玉医科大学総合医療センター、泌尿器科)
都築忠義(聖徳大学、心理学)付表2
委員会開催目1. 平成8年10月5日
2. 11月1日
3. 12月18日
4. 平成9年1月25日
5. 2月7日 Dr.Reiko Homma True公開講演会
6. 2月27日
7. 3月15日
8. 4月5日
9. 5月10日
10. 5月24日 一般関係者との会議資料室(トランスジェンダー関連文献)に戻る トップページへ