今年度の授業がすべて終わり、ヒマになったせいか、日記の文章量が急に増えました。2月6日の日記に書いた阿川佐和子さんのこと、2月7日の日記のホルモン療法と血液検査のことあたりは、ぜひ読んでいただきたいなって思います。あとは、発売されたばかりのロス・ロボスの新作と、マレイシアのアタン(アコーディオン奏者)のソロ・アルバムにはまっていました。(2000年2月11日記)
2月1日(火) 今年度の担当授業が全部終わった!
[日記]今日で今年度の担当授業が全部終わった。生徒たちが入試本番に臨むこれからの時期は、予備校講師はお役ご免。3月下旬に新しい生徒たちを迎えて春期講習の授業を担当するまでの約2ヵ月間はオフ・シーズン、長期のお休みだ(途中に3日だけ客寄せイベント的授業があるけど)。この時期は海外で過ごす講師仲間が多いんだけど、旅行嫌いの銀河は毎年、自宅でゴロゴロしているうちに休みが終わってしまう。今年は、この半年おざなりになっていた家の中のケアをちゃんとして、3月からの長*さん(銀河の彼氏)との同居生活(予定)の準備をしよう。
帰宅途中、池袋の芳林堂書店で、藤野千夜さん(1月10日の日記、1月14日、15日の日記を参照)の芥川賞受賞作品『夏の約束』(講談社)が単行本化されて平積みになっているのを見つけた。奥付には2月1日発行と記されていたので、書店には数日前から出まわっていたのかもしれない。ここ数日、書店に寄る余裕などなかったので、気がつかなかった。旧作の『おしゃべり怪談』(98年。野間文芸新人賞受賞作)、『恋の休日』(99年。芥川賞候補作)(いずれも講談社)も増刷されていたので、あわせて3冊をゲット。『少年と少女のポルカ』(海燕新人文学賞受賞作の「午後の時間割」を所収)(ベネッセ)はすでに発売当時(95年)に購入しているので、これで全部そろったことになる。こうして書いているうちに改めて気づいたんだけど、藤野さんって、新人作家の登竜門的な賞を順調に受賞してきてるんだよね、うーん。読んだらこの日記の[読書記録]で報告します。
昨日が給料日だったこともあって、池袋の丸井のVirginでCDも大量に購入。ちょっと散財しすぎてしまったかもしれない(苦笑)。
[BGM]Los Lobos,"This Time." 一般には「ラ・バンバ」のヒットで知られるロス・ロボスだが、92年にミシェル・ブルーム(プロデューサー)とチャド・ブレイク(エンジニア)を迎えて制作された『KIKO』(実験的傑作)で、イーストLA出身のベテランのチカーノ・バンド(簡単に言えばメキシコ系アメリカ人によるラテン・ロック・バンド)として十分に熟成された魅力をたたえる楽曲を、パンク/ヒップホップ以降の新しいサウンドの衣に包んで以来、まったく新しいバンドとして生まれ変わったような展開を見せてきた。96年に発表された前作の『コロッサル・ヘッド』はロック史上に残る傑作だったが、それ以来の新作がこの『ディス・タイム』。『KIKO』以来のロス・ロボスに強い影響を受けた新しい世代のチカーノ・バンド(オソマトリやケッツェルなど)や、メキシコのロック・バンド(カフェ・タクーバなど)がロス・ロボス以上に現代的な感覚でブレイクしている現状での、本家の満を持しての新作だ。ルーツ・ロックやボレロを妙に不安定だが心に引っかかる音の配置と硬質に処理されたサウンドで聴かせるのは、前2作と基本的に同じ。前2作に比べるとキャッチーなメロディーの曲が少ないので地味な印象を受けるが、聴き込めば聴き込むほどに味の出てくるムダのない音作り。格闘家のストイックな肉体のような音楽とでも言ったらよいか。今年の個人的なアルバム・ベストテンの有力候補だ。日本盤にはボーナス・トラックとしてシェリル・クロウをフィーチュアしたマーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイン・オン」が収録されているのもうれしい。2月2日(水) あべメンタルクリニックへ。
[日記]4時に浦安駅で待ち合わせて、Tくん(もと芹沢香澄)と一緒にあべメンタルクリニックへ。今日は先客が2人しかいなかったので、あっという間に順番が来る。
まずは阿部輝夫先生の「近況はいかがですか」という質問に答えて、1月22日の「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」催しで当事者のひとりとしてスピーチさせていただいたこと、職場の人事担当者にも来てもらって話をしてもらえたこと(1月22日の日記を参照)を報告。阿部先生には「よい職場を選びましたね。それに、よくがんばりました。普通はなかなかそうはいかないんですよ」と言っていただける。
その後、前回(1月11日)尋ね忘れたホルモン療法(用語についてを参照)に関することを、こちらから質問する。端的に言えば「フライング的に始めたホルモン療法を、今のやり方で続けていってよいのか」ということ。実は、阿部先生に「ホルモン療法を続けていくことを止めはしないが、今の方法には不安がある」と言われて、A区のU病院を紹介してもらったという話を、阿部先生のところに通っている複数のお友だちから聞いていたので、銀河の場合もそうした方がよいのかなと思ったからだ。自分のホルモン療法(ホルモン投与を受けている病院のこと、血液検査を受けてアドバイスをいただいている病院のことなど)についてくわしく説明すると、阿部先生に「それが最良の方法だと思います」と言っていただける。阿部先生によれば、「ジェンダー・クリニックのメンバーのなかには、フライング的なホルモン療法に対してかなりきつい意見をお持ちの方もいるが、あなたの方法なら誰も文句は言わないでしょうね」とのこと(「誰も文句は言わない」というのには、多分に「政治的」な理由もあると思うんだけどね。この書き方でわかる人にはわかってもらえるかな)。というわけで、ホルモン療法は今のやり方で継続することにする。ホルモン投与を受ける病院に関してだけは、A区のU病院に変更するかもしれないけれどもね(今週末か来週初めに血液検査に行く予定なので、銀河のホルモン療法の詳細については、その時の日記に書くことにします)。
と、ここまで話が進んだところで、ここのところ薄々気づいていたことがはっきりした。今の銀河には阿部先生に相談に乗ってもらわなければならないような悩みがまったくないのだ(笑)。最終的な目標は明確だ。そこへと至る方法も間違ってはいない。障害はあるけれど、乗り越え方はわかっている。時間がかかっても仕方がないと思っているから、あせりもない。周囲の理解にも恵まれ、精神は安定している。これで悩みがあったら、それはあまりにもぜいたくというべきだろう。
というわけで、今日はこのくらいかなって思ったんだけど、阿部先生の提案で、性別再判定手術(SRS)(用語についてを参照)までに克服すべき課題をリストアップすることになる。今日の時点で挙げておいたのは、(1)改名、(2)声(ヴォイス・トレーニングと手術)、(3)まだ完全には終わっていない下半身の脱毛、(4)両親の同意。それぞれについて阿部先生のアドバイスをいただく。今日はここまでで終了。所要時間は20分強。いつものことだけど、他の患者さんよりも余計に時間をさいてもらえて、本当にありがたい。
Tくんとお茶を飲みながら話をした後、知り合いの方とお酒を飲んでいる長*さんに合流。長*さんの交友関係の中でもキーになる大切な人のひとりだということで、ぜひ銀河を紹介しておきたいということだったのだ。7時頃から11時過ぎまで。お酒が一滴も飲めない銀河にはちょっときつい時間だったし、銀河を無神経にあれこれと質問攻めにする(しかも下ネタ中心)のにも参った。まあ、世間一般の無理解な人のTS(用語についてを参照)に対する典型的な反応のひとつだろうし、きちんと筋を通した形で自分のまわりの人たちに銀河のことを認めてもらいたいという長*さんの気持ちも十分にわかるから、我慢した。我慢じゃなくって、軽く受け流せるくらいの懐の大きな人間になりたいものだ。
[BGM]Ozomatli,"Ozomatli." ロサンジェルスのアンダーグラウンド・シーン最高のライヴ・バンドとも評されるオソマトリ、98年のメジャー・デビュー・アルバム。ブックレットの写真や名前から推定して、10人いるメンバーの半数がメキシコ系。黒人がひとり、パーカッション担当の日本人(!)がひとり(ジロー・ヤマグチ)、あとは白人。基本的にはボレロやサルサなどのラテン系音楽をベースとするサウンドだが、ヒップホップやアシッド・ジャズ的な味付けがなされ、曲によってはラップも混じるという具合に、現在のイーストLA(全米最大のメキシコ系アメリカ人居住区)の若い世代のストリート感覚をストレートに表現した音楽と言えよう。歌詞は政治的なメッセージを含んだものが多いが、とにかく一度ライヴを体験したいと思わせる活きのよさが最大の魅力。実験的な意欲作がそのまま大傑作となっているという意味では、ベテランのロス・ロボスの方が一枚うわてだけど、オソマトリの若々しいノリも捨てがたいな。2月3日(木) 関あゆみちゃんと久しぶりに会う。りのも一緒。
[日記]7時半頃、新宿西口のヴェローチェで仕事帰りの緑川りのちゃんと合流。藤野千夜さんの『夏の約束』の読後感を語り合ったり、性自認(用語についてを参照)って何だろうとか、自分がすべきことを的確に知るためにはどうすればいいんだろうとか、ちょっと真面目に、でもリラックスした気分で意見を交換する。8時過ぎにこれまた仕事帰りの関あゆみちゃんが到着。3人で「嵯峨野」(新宿西口にある行きつけの居酒屋さん)へ移動。
関あゆみちゃんとは、以前に通っていた女装会館「エリザベス」(趣味で女装を楽しむ人を対象にした健全な女装ルーム)で知り合い、やさしいお人柄に惹かれ、仲良くお友だち付き合いをさせてもらっていたのだが、銀河が「エリザベス」を離れたこともあって、98年の12月に会ったのが最後になっていた。そのうちどこかに一緒に遊びに行こうねって約束して、そのままになっていたので、ずっと気になっていたのだけど、あゆみちゃんがインターネットを始めたことがきっかけで交流が復活。1年以上ぶりにお会いすることになったのだ。本当に久しぶりだったのでお互いの近況などを語り合う。以前と変わらず、心を割ってお話ができたのがうれしかった。9時過ぎに所用を終えた長*さんも駆けつける。話の細部はよく覚えていないんだけど(笑)、なんだかやけに楽しく盛り上がる。りのと長*さんはかなりお酒が入って、上機嫌。あゆみちゃんも銀河もニコニコ状態。
11時過ぎに終電の関係でりのが帰った後、残りの3人で西武新宿駅近くのルノアールでまったりとした時間を過ごす。12時過ぎに帰宅。心の底から楽しいって思える時間を一緒に過ごせる人たちがいて、本当によかったって実感した。
[BGM]Permata,"Permata." マレイシア音楽界では、97年に、当時18歳だった若手ナンバーワン・アイドルのシティ・ヌールハリザが1950年代の伝統歌謡を新しい感覚で取り上げた傑作アルバム『チンダイ』を発表して以来、伝統的な大衆歌謡が大ブームになっている。そんな流れのなか、ベテラン女性シンガー3人で結成されたグループ、プルマタが98年に発表したのがこのアルバム。年輪を感じさせる渋いコブシまわしも魅力的だが、何と言ってもプロデューサーのS・アタン(マレイシア伝統派の大御所。SANDIIのアルバムでもおなじみのアジア最高のアコーディオン奏者)の作り上げるサウンドが見事。バックの演奏のほとんどはアタンによる打ち込みで、そこに彼の演奏するアコーディオンが絡んでいくのだが、イスラム色の強い伝統的旋律を現代的な感覚(ロック的と言ってもよいだろう)の音に仕立て上げている。
[読書記録]藤野千夜『夏の約束』(講談社)。2000年上半期の芥川賞受賞作。以前に読んだ『少年と少女のポルカ』(ベネッセ)もそうだけど、とにかくサクサク進む。装飾のほとんどない素直な文体は、一読した者に「これなら自分も書ける」と思わせるかもしれない。でも、何回も読み返してみると、言葉の選択が巧妙だし、ひとりひとりの登場人物の個性がきちんと描き分けられていて、時間をかけて練りに練って書かれた作品だということに気づかされる。人によっては、この作品の淡泊さを不満に思うかもしれない。でも、たとえトランスセクシュアルであれゲイであれ、どんな境遇の人間であっても、一日24時間、一年365日、悩み苦しみながら生きているわけではない。日常生活は淡々と流れていくもの。だから、藤野さんのこの文体が作品にかえってリアリティーを与えているのだし、日常のほのかな切なさをくっきりと浮かび上がらせているのだ(そもそもトランスセクシュアルをテーマに濃厚な文体の重い小説を書かれたら、絶対に読む気がしないな)。しつこくくどい純文学小説が多いなか、この淡い味わいは実に貴重。なお、今日発売の『週刊文春』2月10日号に掲載されている藤野さんのインタビューも必読(聞き手は阿川佐和子さん)。読んでいるうちにポロポロ涙がこぼれてきた(阿川さんが勘の鋭い頭のよい人だということもよくわかる。阿川さん、立派だ)。2月4日(金) 戸籍名の変更へ向けての布石。
[日記]昼過ぎに、長*さんと一緒に取り組んでいるネットワーク・ビジネスの製品説明会に出席するため、本社のある初台の東京オペラシティータワーへ。説明会終了後、会員として登録している名前を、戸籍名から通称へと変更したい旨を申し出る。窓口の案内係の人が「本人確認の都合上、住民票の氏名でなければならないので、変更はムリです」と言うので、「あなたとお話するつもりはありません。責任ある立場の人を呼んでください」と要求。しばらくしてお客様相談室長と名乗る人が出てきたので、性同一性障害(GID)(用語についてを参照)云々のことにはいっさい触れず、「日常生活で戸籍名は使っていませんし、他人に知られたくもありません。戸籍名を使うことを強要されるのなら会員活動はできません」と訴える。書類(たぶん氏名が書いてある会員登録書のコピー)と銀河の顔を不思議そうに見比べていた室長さんは「規約にもある通り、本名以外での登録は認めていませんし前例もないのですが、お客様に気持ちよく活動していただくことが私たちの願いですから」と、意外と簡単に名前の変更を認めてくれた。やっぱり交渉ごとの鉄則は「トップと話をする」だね。
戸籍名の変更が家裁で認められるためには、新しい戸籍名となる通称が日常生活で一貫して使われていることを証明するもの(書類等)が必要らしい。電気とガスの名義は、すでに戸籍名から通称に変えた(この2つは窓口で用紙に記入するだけだから簡単)。職場での名前も通称へと変更した。あとは水道と銀行預金とクレジット・カード(銀行は住民票を必要とするらしいので、たぶんムリだろうけどね)かな。戸籍名の変更へ向けての布石、ひとつずつトライしていこう。
[BGM]Siti Nurhaliza,"konsert 'live'." 17歳でデビュー。人気アイドル歌手として活躍していた18歳のとき(97年)に、伝統歌謡を現代的な感覚でとりあげたサード・アルバム『チンダイ』が大ヒットし、マレイシアのポップ音楽界を制覇した若手ナンバーワン歌手シティ・ヌールハリザ(ルックスは永作博美に似ている)。99年の『パンチャワルナ』も伝統的要素と現代的感覚のバランスが絶妙な傑作アルバムだった。出たばかりのこの新作はライヴ・アルバム。昨年の10月のコンサート(スタジアム級の会場)を収録したものなのだが、なんとこれが彼女にとって初めての本格的なコンサートだったらしい(コンサートに使える会場が非常に少ないマレイシアでは、人気歌手でもソロ・コンサートはなかなか開けないのだ)。内容の方は、伝統歌謡よりもポップ・ソングが中心だが、その歌唱力の急成長ぶりにはビックリする(デビュー当時の曲の再演を聴くと、それがはっきりとわかる)。2月5日(土) 作曲家の山本寛之さんのパーティーに出席した。
[日記]長*さんの飲み屋さん人脈は強力だ。ときどき「あれっ、こんな人と知り合いなの」って思うことがある。その飲み屋さん人脈に連なるひとりとして、作曲家の山本寛之さん(河島英五のうたった「野風増」が代表曲)がいらっしゃる。今日のお昼は、その山本さんを囲む「野風増の会」っていう親睦会の年に一度のパーティーに、長*さんと一緒に出席した。
前岡山県知事(山本さんは岡山出身だそうだ)や岡山県選出の国会議員の夫人(当人は国会会期中で忙しいらしい)、芸能関係者(銀河にわかったのは女優の中野良子さん、歌手の二葉あき子さん、俳優の山谷初男さんくらいだったけど、他にもオペラ歌手とか邦楽家だとか映画監督、作詞家や作曲家のお仲間などいろいろ)、そしてご友人や一般ファンに至るまで、多彩な顔ぶれ(全部で100人くらい)。知らない人ばかりのパーティーに銀河を連れ出したことで、長*さんは銀河のことをしきりに気遣ってくれたたけど、銀河は逆にこういう大きなパーティーはわりと慣れてるから、美味しそうなものは抜け目なく食べ、会場内をすいすい遊泳しながら、結構楽しんだ。
パーティー終了後は、長*さんの事務所でのんびり過ごす(半分寝ていた)。居酒屋さんで夕食をいただいて、帰宅。
[BGM]S.Atan,"Dondang Sayang." マレイシア伝統歌謡の最高のプロデューサーで、アジア随一のアコーディオン奏者であるS・アタンの初のソロ・アルバム。ブラジル音楽やインドネシア音楽のアルバムのプロデュースを多数手がけてきている田中勝則さん(音楽評論家)のプロデュースで、ブラジルの打楽器奏者ベト・カゼスも参加。ロス・ロボス『ディス・タイム』とともに、今年の個人的なアルバム・ベストテンの有力候補だ。S・アタン(1949年、シンガポール生まれ)は、1970年代半ばからマレイシアEMIの専属ミュージシャン兼プロデューサーとして活動を始め、80年代半ばまで、500曲にものぼる作曲と100枚以上のアルバムのプロデュースを手がける(我が家には当時のマレイシアEMIの音源を復刻したCDシリーズが20枚ほどあるが、なるほどアタンのプロデュース作品が大多数だ)。その後、マレイシア国営放送の専属アレンジャーを経て、現在はシンガポールに拠点をかまえ、プロデューサーとアコーディオン奏者として活躍している(マレイシアの若手ナンバーワン歌手、シティ・ヌールハリザの出世作『チンダイ』のプロデュースも彼だし、日本のワールド・ミュージック系のファンには、久保田真琴プロデュースのSANDIIのアルバムでのアコーディオンが印象深いかもしれない)。マレイシアの音楽は、交通の要所マラッカ海峡(ポルトガルやオランダなどの欧米列強やイスラム勢力がインド洋を経てアジアへやってくるときの通り道)をおさえる東西諸文化の交差点という地理的環境もあって、アラブ、インド亜大陸、ポルトガル、そして(おそらく)東アフリカ(特にターラブというジャンルの音楽)などの伝統と共通の要素が感じ取れる。50年代には日本の歌謡曲やラテン音楽の強い影響も受けた。このソロ・アルバムは、そんなマレイシア音楽の歴史と全体像を語る楽曲を並べた壮大な作りであるとともに、マレイシアの古い伝承曲をサンバのリズムで演奏する(これが見事にハマっている)といった興味深い実験も見られる。世界の大衆音楽にくわしい人だったら、随所でいろんな発見ができてスリルを感じることだろう。でも、なんにも知らなくても、聴いていてなごめるのがマレイシア音楽のいいところ。ここ数日は、これとロス・ロボスばかりくり返し何度も聴いている。
[読書記録]藤野千夜『恋の休日』(講談社)。99年下半期の芥川賞候補作「恋の休日」と「秘密の熱帯魚」を所収。トランスセクシュアルとはあまり関係ないけど、読後に感じる切なさは『夏の約束』と同じ。選び抜かれた言葉(特に登場人物のセリフ)は随所で読み手の心の琴線に触れるはず。ふだん小説を読み慣れていない人だったら、例えば、柳美里さんや町田康さんの作品を最後まで読み通すのはしんどいかもしれない。でも、藤野さんの小説なら、だれもがサクサク読めて、その淡い切なさを感じ取ることができる。一方、小説好きな人(特に自分でも小説を書こうとした経験のある人)なら、とても微妙な言葉の使い分けにうならされる。その練り上げ方に舌を巻く。(アタンのアルバムもそうだけど)音楽であれ文学であれ、そういう二重構造をもった作品って大好きだなあ。2月6日(日) 阿川佐和子さんってステキな人だと思った。
[日記]現在発売中の『週刊文春』2月10日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」(阿川さんが聞き手をつとめる各界著名人へのインタビュー)、2月3日の[読書記録]でも触れたように、今回のゲストは藤野千夜さんだ。で、これ、何十回も読み返しているんだけど、何度読んでも涙がポロポロ流れてくる。藤野さんの控えめなお人柄にも好感を持てるんだけど、このインタビューを感動的なものにしている最大の要因は、なんといっても阿川さんにある。
話題の芥川賞作家に対する週刊誌のインタビューだけに、当然、藤野さんの性別違和感(用語についてを参照)のことへと質問は及ぶ。仕事だから仕方はないとはいえ、根掘り葉掘りの質問に対する藤野さんの誠実だけどつらさを隠しきれない受け答えは、TG/TS(用語についてを参照)の当事者だったらきっとその心情が手に取るようにわかって、いたたまれない気持ちになることだろう。インタビューの前半は話がうまく噛み合わないままに進んでいく。普通だったら、たぶんこのままインタビューが終わるはずだ。ところが阿川さんは、その藤野さんのつらい気持ちを対話中にきちんと感じ取って、インタビューの方向転換をするのだ(その後インタビューは急速に暖かい雰囲気に包まれていく)。そこの部分を引用してみる。阿川:今は以前のような、自分とは違うんだという不快感はないですか。
藤野:でも、今回受賞して、そういう扱いとか受けると……、結局そういうことですよね。
阿川:あ、そうか。私のこういう質問もそういうことですもんね……。
藤野:そうなんです。取材が苦手っていうのは、それがあって。そうじゃなく生活していれば……。
阿川:波風も立たないし、いちいち答えを探す必要もないしね。ほんとにそうだね。やめよう、こういう質問。自分が多数派であることに安住している人たちの想像力の欠如、特に善意の人(理解者を装う人)の始末におけない無神経さ。当事者の方だったらきっと経験があるはずだ。「普通」を疑わない人たちは自分の無神経さに永遠に気づかないまま、自覚なく他人を傷つけ続けて生きていく(このことについては改めてこの日記にも書くつもり)。でも阿川さんは違った。インタビューを終えてのあとがきに、阿川さんは「めでたきこの期にかこつけて根ほり葉ほり質問するうちに、途中でハッとしたのです。私の無知が藤野さんをメッタ打ちにしているなと。」と書き、サン・テグジュペリの『星の王子様』に出てくる内気なキツネの話に触れている(ここの部分、今この文章を書くために参照しているだけで、涙がとまらない)。阿川さんって、本当に勘が鋭くて頭のよい人だ。
『週刊文春』は結構よく買って読んでいるので(東野圭吾さんや宮部みゆきさんの小説、小林信彦さん、養老孟司さん、宮崎哲弥さん、室井滋さん、土屋賢二さん、近田春夫さんのエッセイなど、読みどころが満載だ)、「阿川佐和子のこの人に会いたい」も以前から愛読していた。そして、よくわからないけど、なんとなく好感の持てる人だなって感じていた(その昔、TBSの「筑紫哲也のニュース23」に出ていたときもそう思っていた)。でも、その感じのよさが何に起因するものなのかは、よくわからないでいた。それが今回はっきりした。謙虚な人なんだよ、普通の人には及びもつかないほどの謙虚さ。そしてその謙虚さは、並外れた想像力から生まれてくるものなのだ。
阿川さんの書いた本は読んだことがなかったけど、阿川さんのファンだという緑川りのちゃんに女優の壇ふみさん(この人も好きだなあ)との往復エッセイ集を勧めてもらった。近日中に購入して読んでみよう。
『週刊文春』は毎週木曜日が発売日だから、藤野さんへのインタビューが掲載された2月10日号は、9日(水曜日)までは書店やコンビニの店頭にあるはず。まだ読んでいない方には、ぜひご一読をお勧めします。
[BGM]Black Dog Bone,"The Best Of BDB." 70年代、80年代のマレイシアEMIの音源を復刻したCDシリーズ"Koleksi Lagu-Lagu Terbaik"のうちの一枚。当時人気のあったロック・グループ、ブラック・ドッグ・ボーンのベスト盤だ。プロデューサーはマレイシア最高の音楽家、S・アタン。収録曲の半数以上がアタンの作曲だ。で、音の方なんだけど、演奏している当人たちはロックだと思っているんだろうし、ジャケット写真を見ても、6人のメンバーたちは髪を長くしてベルボトムのジーンズをはいて、いかにも当時のロックの人っていう風貌。たしかに、70年代ロック風の曲もあるんだけど(といっても、沢田研二のバックをやってた井上尭之バンドみたいなサウンド)、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「ファンタジー」のカヴァーなんてのもあるし、典型的ラテン・リズムの曲もある(これが本格的でカッコイイんだけど)。つまり、外国のかっこいい曲ならなんでもやるっていうキャバレー・バンドなんだね(マレイシアは音楽市場が小さいので、どんな曲でも演奏できなければプロとしてはやっていけない。50年代くらいまでの日本のジャズ・バンドやハワイアン・バンドがそうだった)。そのなかで、アタン作曲の楽曲がすごい。マレイシア伝統歌謡のエッセンスを保ったまま(ジョゲットっていうマレイシアの伝統的ダンス・リズムをベースにしている)、ラテンや日本の歌謡曲の風味を取り入れた見事なモダン・マレイシアン・ミュージックに仕上がっている。現代のマレイシア歌謡(シティ・ヌールハリザなど)のプロトタイプ、ここにありって感じだ。2月7日(月) ホルモン療法(内分泌療法)と血液検査について。
[日記]午前中に川越市の赤心堂病院へ行く。泌尿器科の内島豊先生(埼玉医大のジェンダークリニックのメンバー)にホルモン療法(内分泌療法)(用語についてを参照)に伴う血液検査をお願いするためだ。ちなみに、「ホルモン療法」というのは、ホルモン投与だけではなく、必要な血液検査や医師の診察までを含めての呼称であり、血液検査もせずにホルモンを投与するだけなら、それは「ホルモン療法」ではなく恣意的なホルモン投与でしかないのだそうだ。きびしい意見を持つ専門家のなかには、それを称して「趣味のホルモン投与」って呼んでいる方もいらっしゃるらしい。
仕事が忙しかったこともあり、前回から半年も間隔があいてしまった(本当は3カ月に1回、検査を受けるのが望ましい)。前回とは事情が大きく変化したこと、つまり、浦安のあべメンタルクリニックでガイドライン(性同一性障害に関する提言と答申)に沿った性同一性障害(GID)(用語についてを参照)の医療を受けはじめたことを報告する。内島先生からは「じゃあ今後は、埼玉医大のジェンダークリニックでの正規のホルモン療法に準じた形をとりましょう」と言っていただく。これまでは内島先生に血液検査(埼玉医大のジェンダークリニックでおこなわれているのと同じ内容)とアドバイスをお願いし、ホルモン投与は別の病院でおこなっていたのだが、今後はホルモン投与も内島先生の管理下でおこなうということになったのだ。具体的なことについては、血液検査の結果が出る約10日後に指示を受けることにし、今日は「次回のときにくわしく説明しますから、熟読しておいてください」と言われて、埼玉医大のジェンダークリニックで使用している「性同一性障害(MTF)に対するホルモン療法の説明及び同意書」(ここを参照)をいただく。くわしい説明を受け、これに署名した上で、正規のホルモン療法(あるいはそれに準じたホルモン療法)が開始されるというわけだ。
そういうこともあって今日は、必要な血液検査以外に、「ガイドラインに沿った医療ではいずれ必要になりますから」ということで、染色体の検査(これも採血して検査する)もしていただくことになった(染色体に異常があれば、GIDではなく別の疾患ということになる)。あとは任意の診察(拒否権あり)ということで、睾丸の触診(大きさを測定する)とバストの触診およびサイズの測定(トップとアンダー)。睾丸は10cc(成人男性の平均値は15ccから20ccであり、10ccを下まわると、おおむね生殖能力が失われる)。バストはホルモン投与者の平均よりも色素沈着が少なく柔らかい。トップが95cmで、アンダーが83cm(太りすぎかな)。
GID治療の一環としてのホルモン療法については最低限、女性ホルモンの理解のために(EON/Wのホームページに所収)を読んでいただきたい。天然型の女性ホルモンと違い、ホルモン剤に使用されている合成型の女性ホルモンは検査では測定できない。したがって、ホルモン療法が効果的に(つまりムダやムリがなく)おこなわれているかどうかを判定するには、血中の男性ホルモン(テストステロンとフリーテストステロン)濃度を調べるしかない。ホルモン投与により血中の男性ホルモン濃度の数値を徐々に成人女性並みに下げていき、成人女性並みの数値になったら、今度はその値を維持するために投与ホルモン量を減らすなどして調節するのだ。女性ホルモンを投与していると往々にして、成人女性の基準値の最低ラインよりも男性ホルモン濃度が低下することがある。これは免疫不全などを引き起こす怖れが多分にあるので、かなり危険なのだそうだ。もちろん、それだけでなく、血栓症、肝機能障害、耐糖能障害などの副作用を引き起こす怖れも大きいので、一般的な項目の血液検査も必要だ(これについては銀河は内島先生にお任せしているので、具体的な項目は上述の女性ホルモンの理解のためにを参照してください)。で、これらの検査はできれば3カ月に1回はおこなった方がよい。
いずれにしても、女性ホルモン(エストロゲン)の副作用は自覚症状に非常に乏しいため、自覚症状が現れるようになった頃にはもう手遅れだという。また、効果の判定の方も、テストステロンとフリーテストステロンの数値を調べる以外には適切な方法はない。ホルモンによる外見の変化は個人差がはなはだしく大きいので、外見を判断材料にして投与量を決めるのは(例えば、胸がなかなか大きくならないから投与量を増やしてみるなどということは)愚の骨頂だ。効果が得られないばかりか、副作用の危険性だけが増大する。
ホルモン投与をおこなっている医療機関といってもさまざまだ。もしも上記のようなこと(特にテストステロンとフリーテストステロン値の測定が必須だということ)を知らなかったり、それに無関心だったりするような医師だったら、即刻、違う医療機関に変えた方が賢明だ(もちろん、医師を教育するという方法もあるだろうが)。またホルモン療法は医療である以上、素人が自己責任によって投与するというのも危険であることは言うまでもない。
夜は都内の某校舎で、4月から高校3年生になる生徒たちを対象に、客寄せ目的のサンプル授業をする。初めて銀河に接した最前列の生徒たち(女性)が、「女の先生なのに、声は男みたい」とひそひそ話をしていた。うん、その反応はポイントが高いかもしれない(笑)。2月8日(火) チャボの30周年記念CDボックスを買った。
[日記]古井戸、RCサクセションを経て、現在はソロ(CHABO BAND)で活動している仲井戸麗市(チャボ)のデビュー30周年記念のCD4枚組ボックス・セットを買った(本当は明日が発売日なんだけど、今日CDショップの店頭に並んでいた)。こういったボックス・セットっていうのは、これまでの代表曲を網羅した上で、全体の3分の1くらいは未発表曲だとか別テイクを収録するのが、普通の作り方。ところがこのチャボのボックス・セットは、なんとこれまでの代表曲をすべて新録(一部ライヴ音源を含む)で収録するという冒険にトライしている。
過去の自分の代表曲を再演すると、オリジナルの出来にははるかに及ばないことが多い(自分の持ち味を過剰に演出しちゃうんだよね)。ところがチャボのこのボックス・セットは、ほとんどの曲がオリジナルをしのぐ出来映えになっている。遠藤賢司 の『エンケンの四畳半ロック』(これも、デビュー30周年記念として、これまでの代表曲12曲を再演したもの。9月21日の日記の[BGM]を参照)もそうだけど、これはチャボが今を生きているミュージシャンだということの証明だよね。
チャボのライヴ、一時は頻繁に通っていたけど、最近はご無沙汰気味。久しぶりに「きまぐれラプソディー」をナマで聴いてみたくなったなあ。
[BGM]仲井戸麗市『works』。仲井戸麗市(チャボ)の30周年記念のCD4枚組のボックス・セット。1枚目は古井戸時代の曲をソロで、2枚目はRCサクセション時代の曲やソロの曲をCHABO BANDで、3枚目はストリート・スライダーズの土屋"蘭丸"公平とのユニット「麗蘭」、4枚目はソロ・ライヴのときによくやるポエトリー・リーディング。このすべてを合わせたものが現在のチャボなんだけど、古井戸時代の曲の再演が特に興味深い。古井戸では本人の意に添わない形(典型的フォーク調)にアレンジされていたりもしたんだけど、この再演によって、チャボは古井戸の頃から一貫してブルースマンでありロッカーであったことがよくわかる。個人的には「きまぐれラプソディー」がいちばん好きなんだけど、「さなえちゃん」ってホントはこんな曲だったんだなんて発見もある。2月9日(水) 理解者を自称する人の当事者に対する人権蹂躙(激怒)。
[日記]トランスセクシュアル(用語についてを参照)の理解者であることを標榜し、トランス(用語についてを参照)界の近辺で活動していると思われる人(非当事者)のとある行為にひどく不快感を覚えたので、(いろんな経緯があったんだけど、最終的には)抗議のメールを送った(謝罪の返事が来た)。ところがその後ご当人のWebサイトを点検してみたら、とあるトランスセクシュアルの方に対するひどい人権侵害(絶対にやってはいけないこと)がおこなわれていることに気づいた。ことがことだけに今はこれ以上は書けないが、とにかく先方に抗議と当該の記述の修正要求のメールだけは送っておいた。銀河自身のことだったらたいていのことは我慢できるけど、銀河が好意を抱いている人の心を踏みにじるような行為だけは、絶対に許せない。ひと段落したら、詳細をご報告するかもしれません。
理解者を装う人の始末におけない無神経さ。こういう人って、自分の無神経さに永遠に気づかないまま、自覚なく他人を傷つけ続けて生きていくんだろうね。暗澹たる気分だ。
[読書記録]群ようこ『都立桃耳高校』(新潮文庫)。群ようこさんの小説を読むのは初めて。で、理屈抜きに面白かった。70年ごろの都立高校1年生の女の子を主人公にする、自伝的色彩の強い小説。糸居五郎の「オールナイト・ニッポン」やモコ・ビーバー・オリーブの「パンチ・パンチ・パンチ」、ジミヘンやグランド・ファンク・レイルロード、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて」、大阪万博や三島由紀夫の切腹、こんなネタが満載のユーモアたっぷりの青春小説。ちょっと時代背景はズレるけど、芦原すなお『青春デンデケデケデケ』の女の子版といったおもむきだ。2月10日(木) 頭、悪過ぎ!
[日記]昨日の日記に書いた件、先方からお詫びのメールが来た。ご当人のWebサイトの当該の記述も修正されていた(反応だけは速かった)。それはいいんだけど、なにか勘違いしているんだよね。銀河のことをクレーマーかなにかだと思ってるみたい。
この際だからはっきり書いておくけど、先方のWebサイトの藤野千夜さんを紹介するページ(東郷健さんとキャンディーさんとハリー・ベンジャミンを同じページで紹介してるってのも乱暴な話なんだけど)に、彼女の戸籍名が堂々と記載されていたわけ。銀河の抗議に対して、先方は「文学関係のホームページのなかには彼女の戸籍名を記載しているページもあるから問題ないと思うが、このホームページに書いても何のメリットもないし、戸籍名は削除します」っていう趣旨の返事(悪かったとは思ってないんだ)。おまけに「他のWebサイトにもある藤野さんの戸籍名記載にも同じようにすべて抗議してください」なんていう趣旨のことまで書いてあったんだけど、銀河は別に「差別撤廃運動家」じゃないの(そんなヒマな人じゃないよ)。
あのね、先方がトランスセクシュアル(用語についてを参照)の理解者を自認しているようだから(そういうつもりでご自分のWebサイトを運営されているらしい)、それにしてはやっていることがおかしいんじゃないのって指摘しただけなの。理解者だったら、女性として日常生活を送っているトランスセクシュアル当事者の戸籍名を暴くことがどういうことなのか判ってるはずでしょ(文学関係のサイトには戸籍名が書いてあるっていうのは言い訳にはならないよねえ)。
ついでに「うちのホームページで販売しているCD-ROMに対する注文のメールの発信日時が、あなたの抗議のメールの発信日時とまったく同じだった。CD-ROMの内容を細かくチェックしてクレームをつけるつもりなら、やめてほしい」なんて趣旨のことも書いてあったけど、勝手に決めつけないでよ。誰もお金を出してそんなもの注文なんてしないって(笑)。まったく被害者意識丸出しなんだから。一応、返事のメールを書いて送っておいたけど、頭の悪い人の相手をしてるとこっちの頭まで悪くなりそうだ。
悪気がないだけに、最悪。そういえばどこかのことわざかなんかに「地獄への道は善意で敷きつめられている」っていうのがあったよね。
[BGM]Latin Playboys,"Dose." ロス・ロボスのデヴィッド・イダルゴ(ギター、ヴォーカル)とルーイ・ペレス(ドラムス、ギター)に、ミシェル・ブルーム(プロデューサー)とチャド・ブレイク(エンジニア)を加えた4人による実験的なユニットがラテン・プレイボーイズ。これは99年発表のセカンド・アルバム。ロス・ロボス本体のアルバムのような完成度の高さはないが、サウンド・エフェクトやサンプリングを多用し、頭がクラクラするような麻薬的サウンドを提示する(タイトルは「(薬などの)一服」という意味)。インチキ沖縄民謡の「マスタード」が強烈。銀河の事情(日記と更新情報)に戻る トップページへ