1999年9月下旬の日記

いろんなことに文句を言ってますね。でも、結構評判がよかったので、この路線は続けます。3カ月ぶりに夜遊びもしました。(1999年10月1日記)

9月21日(火) コンピューター用語のカタカナ表記は不可解だ。
[更新情報]トランスセクシュアル関連のページへのリンクAndaman CircleThe Phuket Plastic Surgery Centerを追加した。
[日記]久しぶりの朝帰りだったので、昼過ぎまで睡眠。夕方になってホルモンを打ちに行った以外は、自宅で仕事に集中。
以前からひどく疑問に思っていた(と同時にひどく不快に思っていた)ことを書くことにする。コンピューター用語のカタカナ表記の問題だ。例えばcomput
erという単語を、コンピューター業界では「コンピュータ」と表記する。printerは「プリンタ」、editorは「エディタ」という具合にだ。英語起源の語をカタカナ表記するときの通常のやり方に従えば、これらは「コンピューター」「プリンター」「エディター」と書くのが約束事のはず。どうやらコンピューター業界に限っては、erorで表記される発音は「ー」を省略して書くというローカルなルールを採用しているようなのだ。directoryを「ディレクトリ」、memoryを「メモリ」って表記するのを見てると、語尾のyの発音も「ー」を省略するのがルールみたいだ。
確かにその表記の方が原音に近いことは認めよう。でもね、銀河が気に入らないのはそういう表記法をしている人たちが首尾一貫していない点なのだ。どうしてもそういう表記法をしたいのだったら、野球でボールを投げる人は「ピッチャ」、ものを教える職業の人(銀河のことだ)は「ティーチャ」、歌をうたうのは「シンガ」、お医者さんは「ドクタ」、ボールを蹴るゲームは「サッカ」って表記しないとね。生得的な性と心の性が一致しない人は「トランスジェンダ」、自分は男だとか女だとか確信するのは「ジェンダアイデンティティ」。買い物するのは「スーパ」で、食事をするのは「ファミリレストラン」。信念を持ってそう表記してますか。
話をコンピューター用語に限っても、us
erには「ユーザー」って表記と「ユーザ」って表記が混在してる。super computerを「スーパーコンピュータ」って表記する中途半端さには情けなくて涙が出るぞ。makerを「メーカ」、mother boardを「マザボード」って書いてるのは見たことない。なんでinternetを「インタネット」って表記する人はいないの。業界の表記ルールに従えばそうなるはずなのに。すごく変だよ。とにかく「コンピュータ」なんて表記を平気でするのは知性が著しく低い(「頭が悪い」って言い換えてもいいよ)証拠だ。
で、気になっていろいろ調べてたら、ひとつだけ立派な出版社を発見した。株式会社アスキーってところだ。いま銀河の手元には『週刊アスキー』『MacPeople』しかないけど、少なくともこの2つの雑誌は一貫して「コンピューター」「エディター」「プロセッサー」「メモリー」といった「ー」を省略しない表記法を採用している(アップルコンピュータのような固有名詞は別だ)。この会社がどういう会社かよく知らないけど、この一件だけで、少なくとも他の会社と違って知的にまともな会社だということはわかるよね。えらい。
[BGM]遠藤賢司 『エンケンの四畳半ロック』。デビュー30周年記念として、これまでの代表曲12曲を再演したもの。「カレーライス」も「東京ワッショイ」も「不滅の男」も、とにかくどの曲もオリジナル以上の出来なのが凄い(昔の自分の曲を再演してもオリジナルには遠く及ばないのがふつうなのに)。50歳を過ぎてもちっとも円熟しないエンケンこそがロックだ。早川義夫あたりはエンケンの爪の垢を煎じて飲んでくれ。
[読書記録]川口和久『投球論』(講談社現代新書)。筆者はカープやジャイアンツで投手として活躍していた人。体験に基づき具体例が豊富な技術論は素人にもわかりやすい。妙な精神論を振りかざすこともなく、野球人が書いた本としては間違いなく一級品。野球ファンにお勧めです。そう言えば20年以上も前、川上監督のもとでヘッドコーチとしてジャイアンツのV9を支えた牧野茂氏(故人)が書いた本も野球の奥深さを教えてくれる名著だったなあ。

9月22日(水) やっぱり出た、iMacカラーのランジェリー(笑)。
[更新情報]トランスセクシュアル関連の用語についてに「プレオペ」と「ポストオペ」の解説を追加した。
[日記]夜まで授業。しかも明日の午後から会議があるので、その準備で忙しい(資料作りと原稿書き)。
数日前からMac系のサイトで話題になっているのがiMacカラーのランジェリー(その名もiBRAだって)。いつかきっと出ると思ってたけど、とうとう出てきましたね。まあ、このような色使いのランジェリーってよくあるんで、iMacっぽい色を5色集めてみただけと言えなくもないけど。でも、話のネタに一度ご覧を。ブラだけじゃなくて、ショーツとキャミソールもあります。iMacユーザーでランジェリーマニアの方にはよろしいかも。間違っても「なんでトランスルーセントじゃないんだ」なんてオヤジみたいなこと、言わないでね。
銀河の場合、下着は機能性重視だからなあ。あんまり関係ないや。
[BGM]The Pop Group,"For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?"  パンク以降のイギリス音楽シーンでいちばん好きだったのがThe Pop Groupだ。ノイズの洪水に聞こえるかもしれないけど、ひとつひとつの音が必然性を持って選び抜かれている。こういうのを音楽性が高いって言うんだろう。で、これを堪能すると、次はThrobbing Gristleが聴きたくなるんだ。
[読書記録]中村とうよう『ロックが熱かったころ』(ミュージック・マガジン)。1969年に『ニューミュージック・マガジン』(現在の『ミュージック・マガジン』)をスタートさせた中村とうようさん(大学生の頃とある事情で面識があったので「さん」付けにします)。このところご自分の書かれた文章を単行本にまとめて次々と出版していらっしゃいますが、これは膨大なロック関係の評論からセレクトしたもの。創刊号からの読者としてはすべてリアルタイムで読んだことのあるものばかりですが(なんと言っても私は、ジョン・レノン以上にとうようさんに影響を受けてきましたから)、こうしてまとめて読むとこんなに真剣勝負で音楽と向き合ってきた人もいないよなあって感じます。ロックが単なる趣味の音楽ではなくて、ロックこそが生き方だった人、特にパンク以降のロックファンの方に読んでいただきたい一冊です。

9月23日(木) 忌野清志郎の「君が代」にひとこと。
[日記]パンク風に演奏した「君が代」を収録した忌野清志郎の新しいアルバムの発売を、所属レコード会社のポリドールが自主規制により中止(正確に言えば、「君が代」を除く形での発売をポリドールが提案し、清志郎側がアルバムのトータル性を理由にそれを拒否)し、当該アルバムがインディーズから発売されることになったというニュースは、各マスメディアでも報じられたので、みなさんもご存じだと思う。このことを報じたメディアは概してポリドールの姿勢を揶揄し、清志郎側の肩を持つニュアンスだった(まあ、このことをニュースとして取り上げるという行為自体が自分たちがどちら側に立つかという姿勢を明示しているのだが)。確かに何を怖がっているのかよくわからない自主規制なんて言語道断だ(以前に清志郎が東芝EMIに所属していた頃、「反原発」ソングが発売中止になるというできごとがあった。これはことの善し悪しは別にして、東芝が原発企業ナンバーワンであることを思えば、よく理解できることだった。でもポリドールが「君が代」で何を怖がっているのか。右翼のイヤがらせなのか。情けない)。だが銀河は、清志郎に対しては冷ややかな気持ちしか抱けなかった。ひとことで言えば「なにをいまさら」ってね。「君が代」をパンク風に演奏するなんて先人の二番煎じ、三番煎じで、ひとかけらの革新性も感じとることのできないひどく陳腐な思いつきのように感じたからだ(断っておくけど、清志郎は好きだし、RCサクセション以来のほぼすべてのアルバムを所有している)。
ロックミュージシャンが独自の解釈で国歌を取り上げた秀逸な例は、これまでに少なくとも2例ある。いちばん有名なのがジミ・ヘンドリックスによるアメリカ国歌(「星条旗よ永遠なれ」)の演奏、特に1969年夏のウッドストックでの演奏だ。ヴェトナム戦争真っ最中の60年代末、ジミヘンはギターでアメリカ空軍による爆撃音を模写するフレーズを織り込みながら、当時のアメリカの現実(泥沼の侵略戦争、黒人兵がより危険な任務を負わされるという人種差別)を串刺しにする批評精神あふれる演奏を展開した。
もうひとつの例はビートルズだ。1967年に世界初の衛星生中継番組のために用意された「愛こそはすべて(All You Need Is Love)」。その前奏にフランス国歌(「ラ・マルセイエーズ」)のメロディーが流用された。これについてきちんと解説してある文章を見たことはないので、「ラ・マルセイエーズ」を前奏に流用した意味がちゃんとわかっている人は(ビートルズファンのなかにも)あまりいないのではないだろうか。以下は銀河の勝手な解釈だ(でも絶対に正しいはず)。「ラ・マルセイエーズ」というのはフランス革命時にうたわれた革命歌で、「悪魔のごとく敵は血に飢えたり/立て国民、いざ矛とれ/進め進め仇(あだ)なす敵を屠(ほふ)らん」だとか「かの暴虐なる兵士ら/われらの妻子を殺さんとす/武器をとれ人々よ/進め、進め」だとか、やたら血なまぐさい歌なのだ。そのフランス国歌を前奏に置くことで、「愛こそはすべて」は「愛さえあればなにごともうまくいく」というその歌詞さえも客体化しポーンと突き放すすぐれた批評性を発揮し、単なる能天気な愛と平和のメッセージソングに終わらない深みを獲得しているのだ。
話を「君が代」に限っても、清志郎がやろうとしたことと同じようなことはすでに20年ほど前に試みられておりマスメディアでもずいぶん話題になったものだった。当時の福岡県のある県立高校で、なにかの式典(たぶん卒業式)の際に「君が代」のピアノ伴奏を仰せつかった音楽教師が、だれもそれに合わせてうたえないようなジャズ風のアレンジで「君が代」を演奏し、結局はその高校をクビになったという事件だ(このアレンジの「君が代」は、当時発行されていた『80年代』という新左翼とエコロジーが結託したような雑誌の付録ソノシートに収録されている。演奏自体は至極平凡)。実はこの高校の卒業生が銀河の通っていた大学に入学してきて、その縁で、この音楽教師の講演会を企画するのに一枚噛んだことがあり、それでよく覚えているのだ。講演会は我が大学の自治会を牛耳っていた革マル派に話を通していなかったため、革マル派の妨害を受け(以来、革マル派には目の敵にされ、やがて彼らの立て看で名指しで批判されるに至り、身の安全のためしばらく大学構内に入れなかったという苦い経験がある)、さらには右翼系の学生団体がヌンチャクを持って殴り込みに来て、彼らとのひどい殴り合いの末に中止された(銀河はこのとき3人をぶん殴って1人を鼻骨骨折させ、逆に顔面を蹴られて血塗れになった)。
で、いまさら「君が代」をパンク風に演奏してもなあって、ひどく懐疑的になったのだ。国旗や国歌が法制化されるという社会状況に対して自分なりの意思表示をするために、(ジミヘンの真似をして)君が代をパンクにして演奏するなんて、安易な思いつきもいいところだ。でも、音楽は実際の演奏を聴くまで批評はできない。二番煎じ、三番煎じでも、それがすぐれた音楽になっていれば文句はない。そういうわけでこの件については沈黙を守っていたのだ。22日に当のアルバム『冬の十字架』が発売されたので、さっそく買ってきて聴いてみた。うーん、やっぱり感心しない。演奏はありきたりで、なんの説得力も感じ取れない。歌い方もパンク的類型から一歩も出ていない。なぜいまパンク風「君が代」なのかという答えが見つからないのだ(そもそもなんでパンクなの。パンクなんてとうに死んでしまった音楽なのに)。収録されている他の曲が、ここ数年の清志郎の曲のなかではかなりよい出来なので、余計「君が代」のつまらなさが目立つ。
もう一度くり返そう。「君が代」をパンク風に演奏したからといって発売を自主規制するなんてのは言語道断だ。でもね、「君が代」をパンク風に演奏したというそのことだけをもって(実際の演奏を聴きもしないで)まるで英雄のような扱いをするマスメディアも、同じくらい危険だって思いませんか。清志郎の本質って結局、お茶目で正直なお調子者だというところにある(もちろん褒め言葉だ)。お調子者が安易な思いつきで「君が代」をパンク風に演奏してみたけれども見事にコケてしまった。こんなのロックでもパンクでもない。それだけのことだと思うんだけどな。音楽がそれ自体の持つインパクトで社会に影響を与えるのならよい。でも音楽性以前の話題(発売中止になったというようなこと)だけが先走りするのは、音楽にとって非常につまらないことだと思う。
[BGM]Jimi Hendrix,"Live at WOODSTOCK." というわけでジミヘン。記録映画『ウッドストック』のジミヘンは当時の中学生に強烈なショックを与えた。ここに収録されている演奏を聴いていると、「星条旗よ永遠なれ」に限らず、今日でもそのインパクトを失わないジミヘンのギターには驚愕するばかりだ。でも当然のことながらバンドのメンバーたちはジミヘンの先鋭性について行けていない。ジミヘンのギターのグルーヴ感に応えることができないのだ。夭折したのも必然。ジミヘンの悲劇を感じてしまう。

9月24日(金) 椎名林檎がこんなに凄いとは。
[日記]午前中で授業は終わり。仲良しの同僚の女性ととあるブランドのお店でお買い物。黒いフェイクレザーのブルゾンとロングスカート、ダークブラウンのロングスカート、赤いニットのカーディガン、黒い半袖のニット、サンダルとポシェット。合計で10万円。その後、担当の店員さんも交えて昼食。いったん帰宅して、7時過ぎに新宿へ。長*さん(銀河の彼氏)と居酒屋で食事。長*さんの事務所でくつろいだ後、長*さんの行きつけの歌舞伎町のスナック(ふつうのスナックね)へ。長崎出身(銀河の母親と同じだ)のママさんにチャンポンを作ってもらう。12時過ぎに帰宅。
椎名林檎っていう女性ロックシンガーがいる。新宿系を自称する彼女は、R&B系の女性シンガーが主流の現在(まあ、MisiaとかUAは好きなんだけど)、珍しく70年代の吉祥寺か高円寺あたりに多数生息していた青臭くて観念的な女の子を思わせるところがあって、以前から好感を抱いていた(銀河と同郷だし)。そのアルバム『無罪モラトリアム』は観念だけが先走った曲も多くて玉石混淆なんだけど、「歌舞伎町の女王」とか「幸福論」とか「ここでキスして」とかは秀逸だと思う。ところで今日たまたま立ち寄ったCDショップで流れていた「翳りゆく部屋」にはぶっ飛んだ。ユーミンの楽曲なんだけど、ユーミンのオリジナルとはずいぶん感じが違う。妙に惹かれるものがあって耳を傾けていたら、サビのところでヴォーカルが突然暴走しはじめてビックリした。椎名林檎っぽいなとは思ったんだけど、『無罪モラトリアム』の椎名林檎よりも格段に凄みがあるし、なんでユーミンの曲なんてうたってるんだと思って店員に訊くと、
『Dear Yuming〜荒井由実/松任谷由実カバー・コレクション〜』というアルバムの一曲だという。10組のミュージシャンがユーミンの曲をカバーするという趣向らしいんだけど、そのなかに椎名林檎がカバーした「翳りゆく部屋」が収録されているというわけだったのだ。ユーミンのカバーアルバムなんて興味もないし、収録されている他のミュージシャンもどうでもよいような顔ぶれだったので、かなり迷った。でも、どうしても家でこのすさまじい「翳りゆく部屋」を何回も聴いてみたくて購入を決意。こんなのを買うのはかなり恥ずかしいので、キンクスの過去のアルバムの再発盤でまだ手元になかったやつを一緒にレジに持っていった。
というわけで下の
[BGM]のコラムに続きます。
[BGM]『Dear Yuming〜荒井由実/松任谷由実カバー・コレクション〜』。ふつうだったらこんなCD、絶対に買わないけどね。「翳りゆく部屋」って中学校や高校の合唱コンクールの課題曲になったりするくらいの端正なバロック調の曲。ところが椎名林檎がうたうと見事にぶっこわれたロックになるのでビックリ。息づかいの荒い彼女の歌い方のせいもあるが、情緒不安定なヤク中のインテリ女って感じだ。シド・ヴィシャスがうたった「マイ・ウェイ」に通じるところがあると言えば、褒めすぎでまるっきりウソになるが、方向性は同じ。あの衝撃の少なくとも100分の1は感じられるんじゃないかな。聞きどころは、サビの「どんな運命が愛を遠ざけたの/輝きはもどらない/わたしが今死んでも」のところ。「どんな運命が」の「運命」で声がふらつき始め、「が」で急に感情がヒステリックに爆発し、「遠ざけたの」の「の」で声のコントロールがきかなくなる。「輝きはもどらない」の「輝きは」はイキっぱなし。「ない」のあたりで沈静しはじめ、「わたしが今死んでも」で落ち着きを取り戻す。出だしから(本人のオリジナルアルバム『無罪モラトリアム』よりもずっと)抑え気味な禁欲的歌唱だったのが、サビにかかったとたん暴走しはじめる、そのダイナミクスが気持ちよい。この曲ばかり50回、このサビのところだけ100回くり返して聴いた。『無罪モラトリアム』のどの曲よりも、この「翳りゆく部屋」は椎名林檎のシンガーとしての破天荒な魅力を浮き彫りにする。ということはこの楽曲自体の懐が深いということか。ユーミン、あなどり難し。あとの曲はどうでもよいのだが、森高千里とゴスペラーズが辛うじて合格点。残りのNOKKOだの露崎春女だの大江千里だの奥居香だのはゴミ。聴くに耐えない。でもこのCDは椎名林檎の一曲だけで3,059円の価値は十分にある。

9月25日(土) 長*さんと東京ドームで野球観戦、そのあと夜遊び。
[日記]銀河の職場は福利厚生制度のひとつとして、東京地区の各野球場(東京ドーム、神宮球場、横浜球場、西武ドーム、千葉マリンスタジアム)に年間ボックスシート(2席で1組)を持っている。勤務歴は10数年になるが、これまで一度も利用したことがなかった(生で見たいほど野球がすごく好きってわけでもないし)。ところが先日、熱狂的ジャイアンツファンの長*さんに訊いてみると、生でプロ野球を観たのは中学生の頃に数回あるだけだと言う。だったら長*さんに東京ドームを体験させてあげたいし、東京ドームで一緒に野球観戦をするというのも「デート」みたいで楽しいだろうなと思い、担当部署に申し込んでみた。東京ドームのジャイアンツのゲームの場合、競争率が非常に高いそうなのであまり期待していなかったのだが、みごとに当選。今日を迎えたというわけだ。
ここのところパウダリーファンデだけの5分間手抜きメイクで済ませることが多かったんだけど(毎朝仕事に行くときにしなきゃいけないことなんだから、時間なんてかけてられないんだよね)、一応「デート」だから、充分に時間をかけ「念入りなナチュラルメイク」(手数は多いんだけどナチュラルに見えるメイク)を施す。長*さんとは新宿で合流し、5時半に水道橋に到着。駅のそばでお寿司やおにぎりを買い込み東京ドームへ。銀河にしても東京ドームで野球を観るのは初めて(東京ドームへ行ったのはローリング・ストーンズのコンサートで2回とプロレスで2回)。ワクワクしながら一塁側の内野席に着く。試合前にミニゲームやらチアガールのダンスやらがあるのにビックリした。いちばん感激したのは"Take Me Out to the Ball Game"(「ぼくを野球に連れていって」)という歌の演奏があったこと。メジャーリーグのゲームの前には必ず演奏され、観客がみんなで大合唱し、第2のアメリカ国歌ともいわれる歌なのだ。
ゲームの方は残念ながらジャイアンツの完敗。スワローズの伊藤投手に完封される。ジャイアンツの攻撃はあっという間に終わって、スワローズの攻撃ばかりに時間がかかるという最悪の展開。横で見ていて長*さんの機嫌がどんどん悪くなるのでハラハラした(だから生ビールを買ってあげたりして機嫌をとった)。でも初めての東京ドームは充分に堪能してくれたようで、ドームの客席からあちこちに携帯で電話し「いま東京ドームにいるんだ」なんて自慢している。帰り際には「また来て、今度は雪辱しよう」って言っていた。本当にまた来ようね(銀河はどちらかというとアンチ・ジャイアンツなんだけど、まあいいや)。
ゲーム終了後は新宿へ戻り、西口の『嵯峨野』で軽い食事。当初はこのまま帰宅するつもりだったのだけど、なんだか朝まで長*さんと一緒にいたい気分。長*さんにはこれから一緒に「ジュネ」(いわゆる女装スナック)に行こうと強く誘われる。「アマチュア女装界」とは一線を画した身だからすごく迷ったのだけど、今日は気分が妙にハイだし(月曜日に引き続き)3ヵ月ぶりの新宿夜遊びを素直に楽しむことにする。こんな気持ちになることなんてめったにないだろうから、長*さんには先に「ジュネ」に行っておいてもらい、先にひとりでいくつかのトランス(用語についてを参照)系の飲み屋さんを回ってみることにした。
「びびあん」「たかみ」「MISTY」「ジュネ」の順番でお邪魔した。「びびあん」は以前に南麻衣子さんに2回ほど連れてきていただいたことがあるだけなのだが、最近インターネット上にホームページを持っていらっしゃるネットアイドル系(?)のTV/TG/TS(用語についてを参照)の方たちがたくさんいらっしゃっているという情報をある人から入手していたので、偵察のつもり。お客さんは見知らぬ方ばかりだったので、目立たない席に着いてこの手の店には慣れていない初心者を装う(というか、最初についてくださったお店のスタッフの方に「(この店は)まだ3回目なんです」と伝えたら、新宿のこの手のお店で遊ぶのが3回目の新人さんだと間違われたので、その勘違いにそのまま乗っかっただけなんだけどね)。でも銀河という名前を名乗ったとたん、まわりのお客さんたちの視線が集中し、あちこちから「あっ、銀河さんだ」という声が飛ぶ。というわけで素性はすぐにバレてしまった。いちばんうれしかったのは敬愛する増田恵子さんに1年半ぶりくらいにお会いできたこと。最近はお仕事がお忙しいそうだ。大阪のパレットハウス(女装ルーム)出身の3人組、永井紀代香さん(最近徳島から東京へ引っ越してこられた)、岩本靖美さん(名古屋在住)、夏樹さん(東京在住)にも初めてお目にかかれた。銀河に会えたことを感激してくださってどうもありがとうございました。こちらこそ、大感激でした。ネットアイドル系(?)ではとてもカッコイイまゆらすさん、制服系のこいけけいこさん鬼百合さん(この方はネイティヴの女性)とお話をした。初対面の方によく言われるのは「銀河さんってもっと怖そうな人だと思ってたけど、やわらかい感じの人なんですね」とか「大きな人だと思ってたけど背が低いんですね」というようなこと。怖くないし、チビです。どこかで見かけたらよろしく。
「たかみ」は超混雑状態。「びびあん」から移動してこられた永井紀代香さんとゆっくりお話をする(自宅が近所だということも判明)。初めて行った「MISTY」(ここは女装スナックというよりはニューハーフ系のお店)では、久しぶりに新井香恋(かれん)ちゃんと会えておしゃべりできたのがうれしかった。3時頃ようやく「ジュネ」に到着。いつも通り長*さんとベタベタしながら睡眠モードへ。閉店後、ジュネのママ、スタッフのあきひさんと美央さん、お客さんで来ていた横浜の小川亜樹ちゃん(銀河の大学の後輩なの)、長*さん、銀河というメンバーで、「屋台村」へ。7時には長*さんの事務所へ引き上げしばらく2人でベタベタする。10時前にお茶を飲み、帰宅。
3ヵ月に一度くらいだったら、夜遊びも楽しいのかもしれませんね。今日お会いできたみなさま、どうもありがとうございました。

9月26日(日) トランス系のお店に行くのに気が進まない理由。
[日記]夕方まで睡眠。その後も横になったまま読書。昨日の日記の内容が2日分あった反動で、今日は書くことが何もない。
昨日「びびあん」でふと思ったことをひとつ。日常生活でおおむねパス(用語についてを参照)していても、トランス(用語についてを参照)系のお店でパスするのは非常に困難だ(たとえば女装スナックとかに行ったとき、この人はネイティヴの女性だと思ってもらえるのは難しいということ)。やっぱりそのレベルまで行かなきゃホントにパスしてるとは言えないんだろうなあ。トランス系のお店に行くのに気が進まないのは、ふだん女性として生活しようとしてるのに、その手のお店に行くと「女装している男性」というレベルに引き戻されてしまうからだということに気づいた。少し真剣に整形手術のことを考えはじめた。
[BGM]早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』。9月21日(火)の日記で早川義夫に批判的なことを書いたので(「エンケンの爪の垢を煎じて飲んでくれ」)、そのフォロー。早川義夫が実質的なリーダーだったジャックスの『ジャックスの世界』(68年)と『ジャックスの奇跡』(69年)は日本のロックの先駆けとも言える衝撃的な内容だったし、解散後のこのソロアルバム(69年)は早川の奇妙な個性が充分に発揮された内省的なアルバムだった。ジャックスをビートルズにたとえれば、このアルバムはジョン・レノンの『ジョンの魂』に相当するとでも言えばよいだろうか。しかもこのアルバムを最後に音楽界から引退し、本屋さんになったのも潔くて素敵だった。ところが先年、25年ぶりに突如音楽活動を再開。現在までに何枚かのアルバムを発表してきている。あの早川がということで期待も大きかったのだが、どのアルバムも平凡で聞きどころがない。なによりもいま音楽がやりたいんだという衝動が、どこからも感じられないのだ。遠藤賢司のような本当に才能のある人に比べて、早川の場合は若いときに一瞬の輝きを見せただけの凡人だったということだろう。だからと言って一瞬の輝きを記録したこのアルバムの価値が落ちるわけではないが。あのまま引退していればよかったのに。
[読書記録]松井力也『「英文法」を疑う』(講談社現代新書)。著者は私と同じ大学・学部の後輩にあたる人で、高校の英語教師をしながら「rockin' on」などで音楽評論を執筆しているという経歴に惹かれて、買って読んでみた。ちゃんとした研究や考察に基づいているというよりは、基本的には現場からの思いつきが中心。なかには見どころのある思いつきもあるんだけど、全般に考察が浅い。誠実であろうとする姿勢は買えるんだけど。正直言って、これだったら私の方がいい本が書けます。いや、本当の話。

9月27日(月) 長*さんとベタベタしているのを職場の同僚に目撃された。
[日記]夜、例によって新宿西口の居酒屋『嵯峨野』で長*さんと夕食をいただいたあと、花園神社の隣にある長*さん行きつけのスナック(ふつうのスナック)へ。ここに来たのは2回目だったので、少しリラックスして長*さんとベタベタする。ふと気づくとカウンター席のいちばん隅にいる男性客がニコニコしてこちらを見ている。「なんだろう、あの人は」と思いつつ(銀河は目が悪くてメガネやコンタクトをしても両眼とも視力0.6程度なの)ベタベタをつづける。重要な電話をしなければならなかったので、いったん店の外に出てから戻ってくると、お店のママさんが「あちらのお客さんがお姉さんのお知り合いだそうですよ」とひとこと。ええっと思い、よく見ると、職場の同僚の世界史の先生だった。いやん。職場でも女性用の衣服を身につけお化粧をしているし、自ら公言はしていないものの、まわりからは「どうやら最近話題の性同一性障害(用語についてを参照)とやらに関係ある人」と思われてるから、その点は別にかまわないんだけど、長*さんとベタベタしながら思いっきり女性のジェンダー・ロール(用語についてを参照)を演じてたからなあ。かなり恥ずかしい。おまけに職場の同僚だと判った瞬間に、反射的に「やだぁ」とか言いながら長*さんに抱きついちゃったしなあ。しかも、あの世界史の先生、結構おしゃべりだし。だけどまあ、きっと銀河が気づいていないだけで、これまでにもいろんなところを同僚や生徒たちに目撃されてるんだろう。でもショック。
店を出て、呆然としながら長*さんのあとをついていくと、なぜか「たかみ」(女装スナック)に到着(桂木美穂ちゃんに会えた)。昨日の日記で「気が進まない」と書いたばかりなのに。で、朝までベタベタのつづきをする。
[BGM]Jesse Winchester,"Jesse Winchester." ヴェトナム戦争時に徴兵を忌避しカナダへ移住したシンガーソングライター、70年発表のデビューアルバム。The BandのRobbie Robertsonがプロデュースしたということで一部のマニアから注目された(商業的にはまるっきり成功していない)。完成度の高い楽曲に硬質の演奏。まさに名盤というにふさわしい。オリジナルジャケットを復刻した限定盤ということで(すでに持っているのだけど)今日購入したばかり。見開きジャケットの4面すべてが同じポートレイトというデザインも話題を呼んだ。

9月28日(火) 10月1日から掲示板を再開する予定です。
[日記]新宿の高島屋で「大九州展」なるもの(物産展みたいなものらしい)が今日までの予定で開催されているというので、長*さん(屋久島出身)と銀河(福岡出身)はワクワクしながら新宿南口へ。ところが4時15分に現場に到着して大ショック。今日は最終日なのでいつもより早めに4時に終了したというのだ。銀河たち以外にも、呆然と立ちつくしているお客さんが何組も。というわけで今日の日記のネタがなくなってしまいました(e-oneの悪口を言うのも飽きたしなあ)。
ところで、今日のMac系のサイトは10月初旬にも発表されるという新型iMac(コードネームはKihei)の話題で持ちきり。というのも、いかにももっともらしい写真が出まわっているからだ(The Kihei Siteを参照、ただし同じ写真を掲載していた他のいくつかのサイトではアップルの顧問弁護士の要請によりページが削除されているので、いつまで掲載されているかは保証できない)。この写真を見ると、トランスルーセントというよりもまるっきりのシースルー。なんでも、標準モデル(今まで通りの5色)以外に、ハイエンドモデル(G4と同じグラファイト)とローエンドモデル(ブルーベリーのみ)が用意されるというのだが、本当かなあ。iBook発表直前のMac系サイトの事前情報もほとんどハズレだったし。まあ、当たっているかどうかは発表されてからのお楽しみだ。
かなり分量のある日記を毎日更新しているとそれだけで手一杯で、準備中のコンテンツもできあがらないし(いいネタはあるんだけど)、掲示板の運営なんてことまではとても手がまわらないでいたのだが、窪田理恵子さんのホームページ掲示板が一部、銀河のページの掲示板化してしまってご迷惑をおかけしているので、10月1日の更新に合わせて、掲示板を設置することに決めた。よろしくお願いしますね。
[BGM]Rokia Traore,"Mouneissa." 80年代アフリカのポピュラー音楽の代表的ミュージシャンたち(ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタなど)が電子楽器を積極的に取り入れ自分たちの音楽を強化することでインターナショナルな場への進出を模索していたのに対し、90年代後半から、民俗楽器やアクースティックな音作りにこだわる新しい感覚の世代が台頭しはじめていると言う。マリの女性歌手Rokia Traoreもそのひとり。98年のこのデビューアルバムは、ンゴニ(弦楽器)やバラフォン(木琴)といった民俗楽器にギターやパーカッションがからむサウンドがクール。単なる伝統回帰ではない。ロックやヒップホップを通過したポップなセンスが光る。

9月29日(水) 今日の銀河はイヤな人だった。
[日記]今日は湿度がやや高めだったせいか、妙にかったるかった。体も重かったし、なんだかすぐにイライラしてしまった。お昼をいただいたレストランでは、何度頼んでも灰皿を持ってきてくれなかったので(銀河のテーブルにだけ灰皿がなかったの)、タバコを吸うときだけわざわざ離れたテーブルに移動し、吸い終わると自分のテーブルに戻るというイヤミなことを何度もくり返してしまった。本屋のレジでは、店員が直前のお客の応対でモタモタしてなかなか順番が回ってこないのにキレてしまって、買おうと思っていた本をレジに放り投げて(ホントに投げたの)帰ってしまった。夕食時に入ったファミレスでは、お水を持ってきたきりいつまでも注文を取りにきてくれないので、タバコを吸ってお水だけ飲んで、そのまま店を出た。ああ、ヤダヤダ。イヤな奴。こんな日は外をウロウロしていてもろくなことがないし、絶対に取り返しのつかない失敗をしそうだから、すぐにおうちに帰って、ベッドのなかにもぐり込んだ。
[BGM]原田知世『a day of my life』。発売されたばかりの新譜。初めてのセルフプロデュース作品で、12曲中7曲が自身の作詞作曲(他の曲も作詞は全部自分で担当)。決して歌唱力のある人とは言えないが、ここのところ自分の声の有効な活かし方を完全に確立している。個人的には鈴木慶一プロデュースの一連の作品(『カコ』とか)が好みなのだが、フレンチボサノーヴァ風(ピエール・バルーとかの感じ)のこれも悪くない。
[読書記録]松本明『アダムの脳・イブの脳 神経解剖学からみた「性差」の秘密』(現代書林)。著者は順天堂大学助教授(神経解剖学・神経内分泌学)。書かれている内容のほとんどはすでに知っていることだったが、脳の性差についての知識(だいぶあやふやだった)のまとめとしてはちょうどよかった。同性愛にはかなりのページ数をさいているが、性同一性障害に関しては2ページだけ。左利きにアンドロゲンが関係しているという仮説(ハーバード大学のゲシュビント)が紹介されているのにはビックリした(真偽は定かではないとのこと)。

9月30日(木) 新型iMac、その後。
[日記]28日の日記で触れた新型iMacの写真、今日の時点ではすでに、掲載されていたどのサイトからも削除されてしまった模様だ。Appleの顧問弁護士がかなり積極的に動いた様子で、Mac系のサイトでは、かなり信憑性の高い情報だったのではないかという見方がなされている(例えばMacWire Onlineここ)。ちなみにMacWEEK.comここでは今でも、「引用」という形で新型iMac(グラファイトのハイエンドモデル)の写真を見ることができる。ホントにシースルーです。ところでApple Computerは、10月5日(日本時間10月6日午前2時)にSteve Jobsによるspecial Apple eventをQuickTimeで放送すると発表した(ここを参照)。ひょっとするとここで新型iMacが発表されるのかもしれませんね。
iBookが出ればそれが欲しくなる。G4が出ればそれが欲しくなる(今日、新宿西口のT-ZONEで触ってきた)。そして新型iMacと聞けばそれも欲しくなる(しかも全色とも)。物欲には限りがない。
昨日に引きつづき、体がしんどい。仕事に全神経を注ぐと、もう他のことはやる気にならない。というわけで、今日はこれで終わり。
[BGM]Zabadak『[ prunus ] ☆ zabadak in concert』。吉良知彦と上野洋子のユニットとしてのZabadakのラストアルバム(94年)。以降、吉良のみがZabadakを名乗り、上野はソロ活動へ。Zabadakの音楽って言葉では説明しにくいのだが、アイリッシュミュージックの影響を強く受けた独自のポップ音楽とでも言えばよいだろうか。初期のムーンライダーズ(『イスタンブール・マンボ』とか『ヌーベルバーグ』あたり)やリアルフィッシュ(福原まり、覚えている人いますか)あたりに通じるところが多い。吉良と上野のZabadakはどのアルバムも高水準で、一枚たりともハズレはない。透明感のある上野のヴォーカルが吉良のひねりの効いたアイディアの上でのびやかにその魅力を発揮する。吉良ひとりになったZabadakはヴォーカルの弱さが致命的だし、ソロの上野は音作りが平凡で声の特性を活かしきれていない。残念だ。


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