番号 | 日付 | 題名 | 投稿者 | 返信元 | 読出数 |
34 | 1/19(土) 16:16:23 |
トム・シーバーに感動したことがあります。 | 古老 | No.21 | 1091 |
予告では今回はデイブ・キングマンのはずでしたが、いざ書こうとすると、キングマンについての 記憶がかなりあいまいなことが分かったので、代わりにトム・シーバーについて書くことにします。 シーバーは1974年の日米野球で来日しました。前年ナ・リーグ優勝のメッツの一員としてですが。 このメッツは弱かった。その3年前に来日したオリオールズがいかにもメジャーという強さを発揮 して記憶に残っていたので、いっそう弱く感じました。 そのなかで、スター選手といえば、シーバーくらいなもので、打線の軸がギャレット(後に中日に 入団)、ミヤーン(後に横浜に入団)などでは、3Aのチームみたいなもんです。 シーバーも本調子ではなかった、というか、明らかにシーズンオフの気分で来日していました。 そんなシーバーをテレビで見たのは、後楽園球場での巨人戦でしょう。そのときも途中までMAX 140キロくらいしか出ていなかったように記憶しています。そして巨人打線にぼこぼこに打たれます。 私が印象深かったのは、その後からです。 普通なら、エースとしてのプライドもあるので、体調も万全でないときに無理して投げることもな いし、ちょっと打たれた段階で引き上げるということも”親善試合”ではありがちな話なのですが、 シーバーは違いました。テレビで見てもはっきり分かるほど、表情が厳しくなり、球速のない分コ ントロールやテクニックで打者を翻弄し始めました。すると、どうしたものか、球速も出てきて、 降板する直前には140キロ台後半のストレートをびしびし決めて、本格派投手の片鱗を見せてくれた のです。シーバーをそこまで追い込んだ王選手など巨人打線もたいしたものですが、やはり、 これぞメジャーリーガーという感動を覚えました。 私にとって、1968年のギブソン、1974年のシーバーが、メジャーの凄さを教えてくれたような気が します。実際、この両投手は、それぞれの年代のベスト・ピッチャーに選ばれてもおかしくない選 手であることは皆さんご承知のとおりです。 入団以来ずっとメッツで活躍していたシーバーは1977年にレッズにトレードされました。そして、 翌年レッズの一員として再来日しましたが、その時の印象はあまり残っていません。その後、また メッツに戻った後、ホワイトソックス、レッドソックスと移って、1986年に引退します。最後はク レメンスと一緒になったわけですが、シーバーはクレメンスに何か影響を与えたのでしょうか。右 の本格派として共通点もあるので、ちょっと知りたいところです。なお、シーバーはメッツ時代の 同僚ノーラン・ライアンに影響を与えて、かれが大投手になるきっかけを作っています。そして ライアンはR・ジョンソンが安定したエースになるときに貴重なアドバイスを与えていますから、 シーバー→ライアン→ジョンソンという系譜が成り立つのですが、クレメンスもそうだとしたら、 興味深いと思います。どなたかご存知でないでしょうか? |
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