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 番号 日付  題名 投稿者 返信元  読出数
31 1/7(月)
18:20:13
 天才ヴァイダ・ブルーの奇跡と悲劇  メール転送 古老  No.21  486 

 
チャック・ノブロックさんもピート・ローズでMLBに目覚めた?ということでしょうか。
牛親方さんもそのようなことを書かれてましたし、やはりローズの魅力は絶大ですね。
彼の賭博行為は、ノブロックさんも書かれたとおり安易に許されるべきものではないと思います。
MLBはそうやって100年の長い歴史を刻んできたのですから。
ただ、この件に関しては別の思いもあります。それはまた別の機会に書きたいと思います。

今回は、予告済みのヴァイダ・ブルーの話です。

ブルーの奇跡(その1)・・・彼は1974年のア・リーグのプレーオフ第3戦に登板し、101球を投げ、6球以外は全部速球という、現代の野球ではまず考えれない投球をしました。許した安打はシングル2本、四球なし、試合時間2時間足らずで強豪オリオールズを完封しました。

ブルーの奇跡(その2)・・・彼は、1970年にメジャーで本格デビューしました(前年にも12試合ほど投げているがこれは例外的措置)。デビュー第1戦の1970年9月11日にいきなり1安打試合、次の登板の9月20日にはノーヒットノーランを達成しました。

翌1971年はブルーの独壇場で、24勝8敗(リーグ2位)、防御率1.82(リーグ1位)、ア・リーグのサイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞しています。以上はすべてアスレチックス時代の話です。

これほど優れた投手なのに、トラブルのオンパレードのような人生を歩みます。まず1972年の契約更改でのトラブル。真実はどうだったのかわかりませんが、これにより彼の評価はぐっと下がりました。連投による疲労で故障がちになり、不振にあえぐ(といっても毎年20勝近く挙げているのですが)彼の姿に麻薬疑惑まで浮上しました。そして、ヤンキースへ高額金銭トレードが発表されると、コミッショナーから不当な契約行為としてストップがかかり、続いてレッズへの高額金銭トレードが発表されますが(いずれもあの悪名高いフィンリーの仕業!)これもストップがかかり、結局ジャイアンツにトレードされます(1978年)。それからロイヤルズへ移籍しますが、そこでコカイン売買の容疑で逮捕。1年間の出場停止。またジャイアンツで復活を果たすも、最後のアスレチックスとの交渉で、結局麻薬疑惑を振り切れず契約不成立。2ケタ勝利できる力を持っていながら引退に追い込まれました。

私がブルーの名前を知ったのは、ジャイアンツ時代の頃ですが、当時のジャイアンツは地味なチームだったため、ブルーの投球についてはほとんど記憶がありません。当時ナ・リーグの速球王は断然J.R.リチャードだったので、かつての速球王ブルーはもう過去の人といった感じでした。日本に来るという話も一時期ありましたが、結局実現しませんでした。アスレチックスからジャイアンツへ移籍の際、交換相手が6人もいたのですが、そのうちの一人ゲイリー・トマソンは日本に来ています。どのチームでどんな活躍をしたかは、皆さんお分かりでしょう。

それにしても、101球投げて95球ストレートというのは、何度考えても凄まじい限りです。もしビデオが残っていたら今一番見たい試合の一つです。


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