番号 | 日付 | 題名 | 投稿者 | 返信元 | 読出数 |
32 | 1/7(月) 19:27:30 |
返信: 天才ヴァイダ・ブルーの奇跡と悲劇 | まさひろ。 | No.21 | 1068 |
古老 wrote ; > > 今回は、予告済みのヴァイダ・ブルーの話です。 > > ブルーの奇跡(その1)・・・彼は1974年のア・リーグのプレーオフ第3戦に登板し、101球を投げ、6球以外は全部速球という、現代の野球ではまず考えれない投球をしました。許した安打はシングル2本、四球なし、試合時間2時間足らずで強豪オリオールズを完封しました。 > > ブルーの奇跡(その2)・・・彼は、1970年にメジャーで本格デビューしました(前年にも12試合ほど投げているがこれは例外的措置)。デビュー第1戦の1970年9月11日にいきなり1安打試合、次の登板の9月20日にはノーヒットノーランを達成しました。 > > 翌1971年はブルーの独壇場で、24勝8敗(リーグ2位)、防御率1.82(リーグ1位)、ア・リーグのサイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞しています。以上はすべてアスレチックス時代の話です。 > > これほど優れた投手なのに、トラブルのオンパレードのような人生を歩みます。まず1972年の契約更改でのトラブル。真実はどうだったのかわかりませんが、これにより彼の評価はぐっと下がりました。連投による疲労で故障がちになり、不振にあえぐ(といっても毎年20勝近く挙げているのですが)彼の姿に麻薬疑惑まで浮上しました。そして、ヤンキースへ高額金銭トレードが発表されると、コミッショナーから不当な契約行為としてストップがかかり、続いてレッズへの高額金銭トレードが発表されますが(いずれもあの悪名高いフィンリーの仕業!)これもストップがかかり、結局ジャイアンツにトレードされます(1978年)。それからロイヤルズへ移籍しますが、そこでコカイン売買の容疑で逮捕。1年間の出場停止。またジャイアンツで復活を果たすも、最後のアスレチックスとの交渉で、結局麻薬疑惑を振り切れず契約不成立。2ケタ勝利できる力を持っていながら引退に追い込まれました。 > > 私がブルーの名前を知ったのは、ジャイアンツ時代の頃ですが、当時のジャイアンツは地味なチームだったため、ブルーの投球についてはほとんど記憶がありません。当時ナ・リーグの速球王は断然J.R.リチャードだったので、かつての速球王ブルーはもう過去の人といった感じでした。日本に来るという話も一時期ありましたが、結局実現しませんでした。アスレチックスからジャイアンツへ移籍の際、交換相手が6人もいたのですが、そのうちの一人ゲイリー・トマソンは日本に来ています。どのチームでどんな活躍をしたかは、皆さんお分かりでしょう。 > > それにしても、101球投げて95球ストレートというのは、何度考えても凄まじい限りです。もしビデオが残っていたら今一番見たい試合の一つです。 どうも古老さん、ヴァイダ・ブルーのお話、ありがとうございます。 実は私が知っているのは71年当時のブルーですね。なにせ 当時、 日本でも多いに話題になったのですから。如何にブルーが凄いピッチングをいていたか ご理解いただけると思います。当時はメジャー・リーガーが話題に あがることはめったになかったですからね。ですからその後のブルーに関しては あまり知らなかったのです。長い間、現役を続けていたのですね。 びっくりしました。でも本当の輝きは最初の数年じゃなかったでしょうか? ほんと 当時はブルーのピッチングはどんなだろうとよく想像したものでした。 |
○ 21 ’70年代MLB 古老 → ↑この記事を引用して返信を書く ┣ 22 返信: ’70年代MLB 3:16 ┣ 23 返信: 返信: ’70年代MLB 3:16 ┣ 24 返信: ’70年代MLB 古老 ┣ 25 返信: ’70年代MLB 3:16 ┣ 26 パーカーの話、続き 古老 ┣ 27 ┣ 28 返信: サーマン・マンソン まさひろ。 ┣ 29 ┣ 30 ┣ 31 天才ヴァイダ・ブルーの奇跡と悲劇 古老 ┣ 32 返信: 天才ヴァイダ・ブルーの奇跡と悲劇 by まさひろ。 ┣ 33 ご存知レジー・スミス。彼も70年代のスラッガーの一人です。 古老 ┣ 34 トム・シーバーに感動したことがあります。 古老 ┣ 35 ’70年代MLB特集、とりあえず中断 古老 ┣ 36 返信: ’70年代MLB特集、とりあえず中断 3:16 ┣ 37 (もう一つの掲示板)秘密結社さんの質問に関連して(ディーツ&キングマン) 古老 |
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