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ホームマルタ設計長野は、こんな会社です>なぜ、「家の設計」をするのか

なぜ、「家の設計」をするのか。

物作りと笑顔が原点。



【父を亡くして、得たものは・・・。】

同情して欲しいわけではないのですが、
私を理解していただき少しでも不安な気持ちを
解消してもらえるように、私がどんな人間なのか、
そして、どうして家の設計をするのか
お話したいと思います。

私には小学校2年生の時に大きな転機がありました。
父親をガンで亡くしたのです。

突然暗くなるような話で申し訳ないのですが、
私の元になっている部分の話なのでお付き合い下さい。

父が亡くなったと聞いた時、
大人がみんな泣いていたことは覚えています。
私は意味も解らず泣くこともなかったです。

亡くなって間もなくして、
母親の実家にお世話になるようになりました。
大きな転機ですね。
この転機がなかったら、今の私はありません。

私達は母の実家に温かく向かい入れてもらえました。
でも、そこはまだ他人の家です。

当時の母は、当然暗く悲しい顔ばかりしていました。
周りの大人もみんな暗い顔をしていました。

悲しい気持ちは人をドンドン悲しい顔にしていきます。
それを小さいながらも周りの大人を見て感じていました。

私はそんな暗い顔をしている大人達、雰囲気がとても嫌いでした。

最初は、嫌だという思いしかなかったのですが、大人達から笑顔が
こぼれる瞬間があることに気付きました。

小さいながら適度に困らせたり、ふざけたり、明るく振る舞うことで
大人が笑顔になって行くことを感じました。

漫才のようなことが出来る子供ではなかったので、
いろいろと工夫しましたね。大人の楽しませ方を。

大人に気を使い、「どうしたら、みんなが笑顔になるんだろう」と
考えるようになりました。

こうして、小さいながら大人達の「心を読む訓練」を
本能的にしてきたように思います。

良いのか悪いのかありますが、
そんな「明るい雰囲気」を作ることが、
今の自分の元になっているのは確かです。


【紙から傘が・・・。】

「物作り」には小さな頃から執着していました。

小学3年生頃からでしたが、
祖母が作っていた煙草の箱の紙を
いくつも使って作る傘(左写真)や
ひょうたんを作りました。
ビーズや編み物も祖母を真似て
作っていました。
三十数年前は流行っていたのですが
ご存じですかね。

凧などもいっぱい作りました。
空高く飛ぶ凧を眺めていると
心が大きくなる気がしました。

竹ひごを使ったゴムのプロペラ飛行機なども作りました。
材料をどうやったら買ってもらえるかなど考えましたね〜え。
買ってもらえる工夫をしたことを覚えています。
一般的ですがお手伝いが一番効果がありましたね。

絵を書くことも好きでいろいろな絵を書いていました。
6年生の頃には銀河鉄道999が流行っていて列車や登場人物をよく書いて
いました。根っからの図画工作好きというやつです。

そんなこんなで物作りに夢中になり、人の気持ちにすごく敏感な子供時代を
過ごしてきました。


【笑顔好きが建築の道へ】

「物作り」「人の気持ちに敏感だった子供時代」が
今すごく、設計という仕事に役立っています。

私が、建築の道に進む決意をしたのは中学生の時です。
物作りが好きでしたから「もっと大きな物を作りたい」と思いました。
また、人の笑顔が大好きで、「家の中で家族が幸せに暮らす」
ということに興味がありました。
それは自分の家族という枠から、もっと多くの人が笑顔になったら
良いなという思いに変わっていきました。
図書館で楽しそうに本を読んでいる親子や
デパートで買い物をしている親子、
友達の家に遊びに行った時の友達のお母さん、お父さんの笑顔など
楽しそうにしている人達が大好きでした。

そしてある時、
「これって! 人が笑顔になる建物を作りたいということなんだ」
と気づきました。
小さな頃から笑顔と物作りが好きだったからですね。

笑顔は人を楽しい気持ちにしてくれます。
そんな笑顔の絶えない建物を作れたら幸せではないかと
おぼろげながら考え始めたのが中学生の時です。

そして、建築の勉強が始まったのですが、
高校時代はサッカーばかりをしていました。
このサッカーとの出会いも「人の思いや考えに気付く」という意味で
大いに役立っています。

サッカーは相手の選手が何を考えているのか、
味方が何を考えていてどうして欲しいのかが解らないと
パスもつながらないし、ボールを奪うこともできないスポーツです。
それに没頭できたことがとてもプラスになっています。
ここでは「人の心を読む」という力がかなり養われました。

今は、建主の望みを察し、先回りをして建主の気持ちを考えること
に役立っています。
この「気持ちを読む力」が養われなかったらゾッとします。
建主の希望や望みの本質に応えられないからです。

職場は、建設会社に就職しました。建物を実際に作る仕事です。
現場代人ですが、下っ端なので雑用ばかりしていました。
大きな声では言えませんが3か月以上1日も休みがなかったです。

雑用が嫌だったわけではないのですが、
働き始めて3か月が経った頃、「なんか違うな?」と思い始めました。
建物は作っているのですが、人が考えた建物を忠実に作って
いるということに気が付いたのです。若かったですね。
就職前には「建設会社」の仕事内容をあまり理解していませんでした。
情けない話しです。

働き初めてやっと、「自分で考えた建物を作っていない」
ということに気付き、違和感を覚え始めたということです。
設計部門もあったのですが、そちらへの配属はかないませんでした。

そして、設計事務所に職場を変えました。
そこで、一級建築士の資格が取れるだけの設計・監理の経験を
積みました。

朝9時から11時まで毎日残業が当たり前でした。
仕事の内容も濃く、人数も少なかったので設計も監理も全てのことを
やりました。短期間で急激に知識と経験を増やして行きました。

22才の頃には生きていれば父親ほどの年齢差の人に指示をして
工事をしてもらわなければならない。言い方を変えると工事を
指示通りにやらせなければならないという立場になりました。
その時は大変でしたね。ストレスで、吐いてしまうこともしばしば。
でも、ここで経験した「人を監理する」という大変さは、仕事の本質を
理解できるとても貴重な体験となりました。

建物を作る人と設計する人の立場の違いや凛とした態度、
知識武装で打合せに臨む必要性(事前準備の大切さ)など
多くのことを学びました。
この時の経験があるので、今ではある程度のことには驚かなくなり
ましたし、どのように対処したら良いのか、どこに問題の本質がある
のか見抜けるようになりました。

工事の「監理」という経験と知識を積み重ね、建主にとっての良質な家を
どのように監理していけばよいのか、手抜き工事などをさせない方法など
を身に付けました。

そんな経験を積んで、一級建築士の試験を受ける資格が与えられたのが、
結婚をして子供が生まれたばかりの頃でした。
子供と遊びたいばかりに必死に勉強しましたね。

毎年試験を受けても受からない人が周りに何人もいたのですが、
「試験に落ちて、来年も試験勉強することになると子供と遊べなくなる」
という思いから必死に勉強をしました。

朝は6時に起きて8時まで勉強、会社に行き、夜11時まで仕事をして
帰宅後12時には寝て、また朝6時から勉強。土日は一級建築士の学校で
1日中缶詰。そんな日々を半年間過ごしました。
子供と遊ぶ時間も削って、頑張ったかいがあって合格しました。
人生で一番勉強をした半年間でした。

怒られそうな話ですが・・・。
一級建築士の資格は必要なものですが、設計を仕事にする以上、
あって当たり前の資格だと思います。
それで、資格があるから「良い設計士」とは限らないという話です。

資格の知識は必要なのですが、資格の知識だけでは良い家、良い建物
にならないことをこの時に学びました。

知識と経験を元に、建主の夢と希望を最大限に実現させられる能力
がなければ良い設計士とは言えないと思います。

一級建築士の資格はバッチのようなもので、良い設計士の選択基準
にはならないということです。


【3人の自分がしてくれること。】

建主の笑顔が見たいという思いを助けてくれているのが、
小さな頃からの「人の気持ちに反応する敏感さ」です。

小さな頃から「この人は、何を思っているんだろう」ということばかり
考えていましたから、建主の本当に建てたいと思っている家を探し出す
能力が磨かれてきました。

私には3人の自分がいます。

1.「設計士である自分」
2.「建主になりきって考えている自分」
3.「1.2を第三者的な目で上の方から鳥瞰図のように見ている自分」

1.は、今までの経験と建築知識を踏まえて、建主の家を考える
2.は、建主の立場で、建主になりきって、建主の住みたい家を考える
3.は、1.2よりももっと大きな目で大局的に建主の家を考える
ということです。
これは、いろいろな方向から考えているということになります。

このことによって、建主が本当に建てるべき家の姿が見えてきます。

いろいろな見方をしているので勘違いや失敗も少なくなっていきます。
また、
建主が潜在的に住みたいと思っている家を見つけ出すことができるんです。
それを具体的に家にしています。

なので、建主の皆さんがおっしゃいます。
「なんか、ずっと前からこの家に住んでいるような気がする」と。

新居なのに違和感がないんですね。
ごく自然に新居を受け入れられるんですね。
これは、笑顔を作る為には非常に重要な要素となります。

だって、誰も居心地の悪い家では笑顔になれないですよね。

笑顔の絶えない家を作ってもらいたいという思いから、
平成12年にホームページを作り始めました。

その後、コツコツと自分の経験や思いをアップしてきました。
読みやすく、理解してもらいやすくするためにいろいろと工夫もしました。

なので、兵庫からわざわざ話を聞きに来てくれた人もいます。
仙台や新潟、富山の方もいらっしゃいました。

実際に家造りのお手伝いをさせてもらった遠方の方は、岐阜の方、
東京の方、名古屋の方、新潟の方もいらっしゃいます。
当然、長野の方もいっぱいいらっしゃいます。

問合せは、北海道から沖縄まで全国の方から来ています。
とてもありがたく思っています。

そして、もっと多くの建主の方に自分に合った、自分らしい家を
建てて頂けたらと願っています。

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