闘牛、最新情報 2001年−NO1

por 斎藤祐司


過去の、闘牛、最新情報

98年9月20日から99年1月2日まで 99年1月11日〜3月1日まで 3月9日から5月23日まで
5月27日〜11月10日まで 2000年1月2日〜4月17日まで 5月18日から12月31日まで

*フリオ・ロブレス死亡

2001年1月22日

 14日午後、サラマンカで有名闘牛士のフリオ・ロブレスが死亡した。あの事故から10年が過ぎた。1990年フランスのベジエ闘牛場にフリオ・ロブレスは立っていた。牛が出てきてベロニカを右に左に何度かパセを繋いだ。そして、右側に行った牛を誘いベロニカをしようとしたときに事故が起きた。牛は、角と角の間の頭で勢い良く吹っ飛ばした。フリオ・ロブレスの体は回転してプロレスのバックドロップのように頭から落ちた。

 みんなが助けに走ったが、首が曲がり胴体と尻が頭の上にある体勢を牛がまた襲った。人形のようにまた吹っ飛ばされた。ようやく助け起こされて医務室に行った。医師の診断は第5頸椎と第6頸椎の間の損傷が非道く、リハビリをしてももう闘牛士に戻ることは出来ないだろうと、言うものだった。丁度同じ時期に同じ様な怪我をしたフランスNO1闘牛士ニメーニョUがいた。

 ニメーニョUは、ハードなリハビリをして車椅子生活は免れたが左手だけが動かなかった。フリオ・ロブレスもリハビリをしたが機能回復は思うようにいかず車椅子生活を強いられた。二人で卓球をしている写真が、ニメーニョUの特集号に載っていた。「闘牛より美しい物は何もない」と、言ったニメーニョUは、翌年(91年)11月に自宅のガレージで首吊り自殺をする。事故以来、懸命のリハビリを支えた、兄アランと、妻と幼い子供たちを残して。フランスのインテリは、「彼は闘牛場で牛に向かっていくのと同じように死に向かっていった」と、闘牛士のニメーニョUを讃え、その死を惜しんだ。ニメーニョUは、事故以来極度の躁鬱病を発症して、その鬱状態での自殺だった。

 フリオ・ロブレスのリハビリ生活は惨めなものだった。南米の金持ちの娘と結婚していたが事故後、「私は看護婦じゃない」という有名な言葉を残して去っていった。ニメーニョUの様な環境でリハビリが出来なかったようだ。前記の卓球を二人でやっている写真でも車椅子に乗っていた。

 僕は何度かフリオ・ロブレスにあったことがある。92年10月25日、マドリード、ラス・ベンタス闘牛場で彼を讃えるための闘牛が開催された。そのときにも見ているし、97年9月にフランスのバイヨンヌで車椅子で闘牛を観ていた。そのとき、ポンセが彼にブリンディースしたのを今でも覚えている。

 彼はサラマンカで生まれたわけではないがサラマンカに住んでいたようだ。古典的な闘牛をしてアポデラードも同じだったオルテガ・カノと一緒に闘牛場に立つことが多かったようだ。14日メキシコでエル・フリは、死んだフリオ・ロブレスにブリンディース(牛を捧げた)して闘牛をした。

 15日サラマンカの町は2万人の人がフリオ・ロブレスのために集まった。ラ・グロリエタ闘牛場には4千人の闘牛ファンが集まり、最後の場内一周の中、「トレロ、トレロ」の最後のコールが起きた。そして最後のプエルタ・グランデが行われた。多くの闘牛士も駆けつけた。棺は、ポンセ、エル・ビティなどに担がれた。

 列席者を少し書いておきたい。ホセリート、ホセ・トマス、ウセダ・レアル、マノロ・サンチェス、オスカル・イガレス、ミゲル・アベジャン、エウヘニオ・デ・モラ、フリオ・ノルテ、ホセ・ルイス・ラモス、ファン・ディエゴ、ハビエル・カスターニョ。エル・ビティ、ニーニョ・デ・ラ・カペア、オルテガ・カノ、エスパルタコ、パコ・カミノ、エル・リトリ、ホセ・マリア・マンサナレス、フランシスコ・エスプラ、ダマソ・ゴンサレス、ロベルト・ドミンゲス、パロモ・リナレス、ビクトリアノ・バレンシアなど。ダニエル・ルイス、ビクトリーノ・マルティンなどの牧場主、フェルナンド・フェルナンド・ロマン、ミゲル・アンヘル・モンチョリなどの闘牛中継担当者もいた。


*各地の見習い闘牛情報

2001年1月22日

*2/4 バルデモリジョ(マドリード)。牛、ヘルマン・ヘルバス。

“ミゲル・マルティン、ホセ・イグナシオ・ラモス、アントニオ・フェレーラ”。

*2/5 バルデモリジョ(マドリード)。若牛、エル・クボ。

“ハビエル・バルベルデ、ホセ・ルイス・トゥリビーニョ、クーロ・サンチェス”。

*2/8 バルデモリジョ(マドリード)。若牛、ホセリート。

“リカルド・トレス、フリオ・ペドロ・サアベドゥラ、ペドロ・ラサロ”。

*2/9 バルデモリジョ(マドリード)。若牛、アントニェーテ。

“ダビ・コルティホ、フリオ・ペドロ・サアベドゥラ、ミゲル・クビジョ”。

*2/10 バルデモリジョ(マドリード)。牛、アントニオ・サン・ロマン。

“ホセ・ルイス・ボテ、マノロ・サンチェス、エル・レンコ”。

*2/11 バルデモリジョ(マドリード)。牛、ロシオ・デ・ラ・カマラ。

“フラスクエロ、ペピン・ヒメネス、ルイス・デ・パウロバ”。

 

*1/28 ビスタアレグレ(マドリード)。若牛、ロス・グアテレス。

“アンヘル・ロメロ、ホセ・ルイス・トゥリビーニョ、ヘスス・カラスコ”。

*2/4 ビスタアレグレ(マドリード)。若牛ビクトリアノ・デル・リオ

“レアンドロ・マルコス、セサル・ヒメネス、イバン・ビセンテ”。

*2/11 ビスタアレグレ(マドリード)。若牛、イエルバブエナ。

“セルヒオ・アギラル、フェルナンド・カントス、マティアス・テヘラ”。

*2/18 ビスタアレグレ(マドリード)。若牛、ホセリート。

“ホルヘ・イバニェス、サルバドル・ベガ、フリアン・ミレト”。

 

*2/17 サン・セバスティアン。若牛、モンタルバ。

“レアンドロ・マルコス、エル・ハリスコ、マティアス・テヘラ”。

*2/24 サン・セバスティアン。若牛、ラ・キンタ。

“アブラアム・バラガン、ゲリータ、ハビエル・バルベルデ、”。

*3/3 サン・セバスティアン。若牛、サン・マルティン。

“ファビアン・バルバ、サルバドル・ベガ、セサル・ヒメネス”。

*3/10 サン・セバスティアン。若牛、マリ・カルメン・カマチョ。

“フェルナンデス・ピネダ、セルヒオ・アギラル、フリエン・レスカレット”。

*3/17 サン・セバスティアン。若牛、セバダ・ガゴ。

“ルイス・ビタル・プロクナ、サンチェス・プリド、レジェス・メンドーサ”。

*3/24 サン・セバスティアン。若牛、ペドロ・イ・ベロニカ・グティエレス。

“  ”。

*3/25 サン・セバスティアン。若牛、マルティネス・エリソンド。

“  ”。

*3/30 サン・セバスティアン。若牛、フエンテ・インブロ。

“  ”。

*3/31 サン・セバスティアン。牛、ビクトリーノ・マルティン。

“ルイス・ミゲル、ファン・ホセ・パディージャ、フェルナンド・メカ”。

*4/1 サン・セバスティアン。牛、サンティアゴ・ドメク。

“エンリケ・ポンセ、エル・フリ、ハビエル・カスターニョ=トマール・デ・アルテルナティーバ”。

 

*2/23 ニーム(フランス)。若牛、マリア・ルイサ・ドミンゲス。(18時開始)

“リカルド・トレス、フェルナンデス・ピネダ、マティアス・テヘラ”。

*2/24 ニーム(フランス)。若牛、ウベルト・ジョベルト。(18時開始)

“フリオ・ペドロ・サアベドゥラ、ルイス・プロクナ、フリエン・レスカレット”。

*2/25 ニーム(フランス)。仔牛、ピリッペ・クイル。(11時開始)

“ホナタン・ベイルネス、ミゲリン・ムリージョ、ミゲル・マエストロ”。

*2/25 ニーム(フランス)。若牛、フエンテ・インブロ。(16時開始)

“イバン・ガルシア、セサル・ヒメネス、フリアン・ミレト”。


*ホセリート、ホセ・トマスがセビージャのフェリア・デ・アブリルに出場

2001年2月4日

 TV放送の肖像権を主張して去年に続きバレンシアの火祭りの出場を拒否していた、マドリード出身の2人の闘牛士、ホセ・ミゲル・アロジョ・デルガド“ホセリート”とホセ・トマスが、セビージャのフェリア・デ・アブリルへの出場を決めた。

 開幕は、キリスト復活の日、4月15日に、トレアルタ牧場の牛で、エスパルタコ、ホセ・トマス、エル・フリ。

4月28日は、ヌニェス・デル・クビジョ牧場の牛で、ホセリート、ホセ・トマス、モランテ・デ・ラ・プエブラ。

4月30日は、ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛で、エスパルタコ、エンリケ・ポンセ、ホセ・トマス。

 5月3日は、ビクトリアーノ・デル・リオ牧場の牛で、ホセリートが出場する。

 サン・イシドロ祭には、2人は出場するのだろうか?注目が集まる。が、どうやらビア・ディヒタルと話が着いたようだ。よって主な第1級闘牛場及び主要な闘牛中継をするフェリアには出場する模様だ。


*TVEがセビージャのホセリート、ホセ・トマスの中継を断念した。

2001年2月20日

 TVE(テレビシヨン・エスパニョーラ。闘牛中継をするビア・ディヒタルの母胎もTVEなので同じ)がセビージャのフェリア・デ・アブリルでの、ホセリート、ホセ・トマスが出場する日の闘牛中継を断念した。

 闘牛士の契約は、出場する闘牛場の興行主と行う。TV中継は、興行主とTV局との間でフェリアの一括中継の契約で行う。興行主は、闘牛士とTV局と別々に契約をする。殆どの場合、これでTV中継は出来るのが今までも慣例だった。何故なら、有名じゃない闘牛士なら良い闘牛をTV中継されれば他の闘牛場にも呼んで貰えるので大きなチャンスを得るのでTV中継を喜んでいる。これが闘牛士の今までの考え方だった。

 TV中継されれば闘牛士にお金が入るのか?入るという話もあるし、全く入らないと言う話もある。恐らく、入っても少額だろう。

 一方、ホセリート、ホセ・トマスが言っている、肖像権はそこを突いている。闘牛士にも肖像権があるのだから、興行主が勝手にTV局と契約を交わして闘牛中継するのは闘牛士の権利を侵害するものだ、と言う主張なのだ。TV中継したいなら、TV局は闘牛士と契約をするように要求している。

 去年から今年のバレンシアまでの間、ホセリート、ホセ・トマスはそのことを主張してTV中継する闘牛場のフェリアへの出場を拒否してきた。今年のセビージャの出場決めたのは、興行主とTV局の闘牛士を無視した契約を、2人には適用されないと言う、条件で行われたようだ。よって、フェリア・デ・アブリルの出場は彼ら2人が1番初めに決まり、その後で、TV局と改めて話し合いがもたれたが金銭的な合意がなされなかったためにTV中継をTVEが断念した。

 2人の動向はセビージャ以降のフェリアにも影響してくるだろう。マドリードのサン・イシドロ祭も、セビージャと同じ契約で行われる公算が大きいように思う。闘牛ファンは2人の闘牛を観たがっているので、何とかフェリアに出て欲しいと思っている。TV局も何とか中継をしようと思っている。興行主も何とかフェリアに出そうと考えている。だから今年はセビージャへの出場を決めたようだ。

 殆ど多くの有力闘牛場の興行主は、有名闘牛士をアポデラードとして抱えている一部の勢力(カサ・デ・ロサノ、カサ・デ・チョペラなど)によって闘牛産業が支えられ運営されている。つまり、話は、興行主、TV局、闘牛士、と言う単純な図式ではないのだ。多くの有名闘牛は、興行主とアポデラードが一緒(興行主とアポデラードが同一人物または兄弟)の所で仕事を貰っている。ホセリート、ホセ・トマスの様に主張したくても出来ないでいるのが現状だ。この事は非常に複雑で、闘牛と言う興行の根本的問題に関わることなのだ。

 ホセリート、ホセ・トマスは、その勢力の外にいる。アポデラードは、エンリケ・マルティン・アランス。個人である。NO1騎馬闘牛士のパブロ・エルモソ・デ・メンドーサも抱えている。規模は小さいが、エンリケ・マルティン・アランスが抱えている闘牛士たちは超1流である。闘牛ファンなら誰でも観たがる闘牛士である。ここが強みである。エンリケ・マルティン・アランスは、ホセリート、ホセ・トマス、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサと言う切り札を使って闘牛界の改革をしようとしているのだ。

 本来、全てを満足することは出来ないが、もし出来るなら、TV局が闘牛士に対してTV出場料を払えば問題は解決する。今後この問題がどうなっていくのか注目だ。


*エル・カリファ、サン・イシドロに3回出場。

*ホセ・トマス、エル・フリ、サンタンデールに2回出場。

2001年2月27日

 2000年サン・イシドロ祭、最優秀闘牛士のエル・カリファは、2001年サン・イシドロ祭に3回出場する。初めは、5月2日のゴヤ闘牛。次が牧場のコンクールの闘牛。もう1日はポンセと一緒に出る。どうせなら、5月2日は、アベジャンとホセ・トマスと一緒に出て欲しい。そうすればセビージャ蹴ってマドリードだ。

 7月21日から26日までサンタンデールで行われるフェリアに、ホセ・トマスとエル・フリが2回出場する。他では、エル・カリファ、モランテ、エル・コルドベス、フィニート、ヘスリン、パディージャ、など。牧場は、ヌニェス・デル・クビジョ、トレストレジャ、アントニオ・バニュエロス、ダニエル・ルイス、プエルト・デ・サン・ロレンソ、ビクトリーノ・マルティン。

 ビルバオにエル・フリが8月21日ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で出場。22日は、トレアルタで出場の模様。 


*ホセリート、ホセ・トマスがサン・イシドロに2回出場。

2001年3月11日

 未だ正式に決まったわけではない。ブルラデロ・コムに載っていた情報だが、エンリケ・マルティン・アランスと興行主の“トレスマ2”(エルマノス・デ・ロサノ)が話し合いに入っていて、その内容の予測としてサン・イシドロに、ホセリートとホセ・トマスは2回出場する模様。1回は、アボノの中で出場しTVカメラがあると言うことなのでTV中継されるようだ。もう1回は、アボノ以外で出場してそれはTV中継はされない。また、出場機会が増える可能性もあるようだ。

 カルテルについてホセ・トマスは、アドルフォ・マルティン牧場とエル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場の牛を相手にする模様。それが本当に実現するならアドルフォ・マルティンはホセ・トマスの叔父さん。そして、ビクトリーノ・マルティン(叔父)と共に良い牛を出す。シン・パラールの牛を相手にホセ・トマスがどういうファエナをするかとても楽しみだ。考えただけでワクワクする。

 ホセリート、ホセ・トマスは2回と言わずに3,4回出て欲しい。去年の分まで出てマドリードの闘牛ファンを沸かせて欲しいものだ。なお、上記の内容は、マリアさん宛に来たホセリートのメールの内容と合致している。


*サン・イシドロでホセリート、ホセ・トマス、エル・フリが共演。

2001年3月12日

 今年のサン・イシドロ祭で、アドルフォ・マルティン牧場の牛でホセリート、ホセ・トマス、エル・フリが出場する。ホセリートは、他にパルティード・デ・レシナ牧場の時に出場する。この時はTV中継が行われる。同じくホセ・トマスは、エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場の牛の時に出場する。上手く訳せないがアドルフォ・マルティン牧場の時はTV中継はされないようだ。この事は12日早朝に、ラス・ベンタス闘牛場の興行主とドス・ホセス(ホセリート、ホセ・トマス)の代理人の間で正式に契約が交わされた。 他の日にも出場するかどうかは明記されていないので不明。


*サン・イシドロのホセ・トマスのカルテル

2001年3月15日

 今年のサン・イシドロ祭のホセ・トマスの出場予定が決まった。

5月18日、マヌエル・カバジェーロ、モランテ・デ・ラ・プエブラ。エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場。(Via digital でTV中継)

6月1日、ホセリート、ミゲル・アベジャン。アドルフォ・マルティン牧場。(TV中継なし)

 当初はアドルフォ・マルティン牧場の時にはエル・フリが出る予定だったが変更になった。闘牛界はこのようなことは良くあること。珍しいことではない。5月18日もとても良いカルテルだ。目玉の1つになるだろう。

 ホセリートは、「マドリードがとても好きで4回が5回闘牛をやりたい。しかし、そのいう風にたやすくはない」と言っている。もうすぐ、サン・イシドロのカルテルが発表になるはずだ。


*セビージャのフェリア・デ・アブリルの結果。

2001年5月12日

  最優秀闘牛士: ホセ・トマス
  最優秀騎馬闘牛士: パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ
  メホール・ファエナ: オルテガ・カノ
  メホール・エストカダ: ホセリート
  メホール・バンデリジェーロ: ファン・モンティエル
  メホール・バンデリージャ: パコ・ペニャ
  メホール・ピカドール: マヌエル・モンティエル
  メホール・トロ: “ディスパラテ”(ビクトリアーノ・デル・リオ牧場。フィニート・デ・コルドバが相手にした牛)

 ホセ・トマスは、セビージャに3回出場して2回連続プエルタ・デル・プリンシペした。最後の30日は1頭目の剣刺しで左太股を刺されたが耳1枚を受け取ってから医務室に向かった。サグラド・コラソンに入院中にTVインタビューで、「プエルタ・デル・プリンシペを3回連続でやるよりも、プエルタ・デル・プリンシペ2回とプエルタ・デル・エンフェルメリア(こういう言い方をすることに感心し納得した)をしたことの方が上だと思う。この内容には大変満足している」と言っていた。復帰は5月12日バジャドリードからの予定。また、4月22日バルセロナで耳2枚取ったのにプエルタ・グランデを拒否した。自分に満足できなかったのだろう。これで一昨年から続いていた、バルセロナの連続プエルタ・グランデの記録は7回でストップしたことになる。

 今年復帰した、オルテガ・カノが素晴らしい。セビージャで観た2回は全盛期を思わせるカポーテ、ムレタ捌きを見せて観客を虜にした。今年復帰した理由は、体調が良いからと言う。納得のコメントだ。

 3日、エル・フリは土砂降りの雨の中、田圃のようになったアレナでバンデリージャまで打って闘牛をしこの日2枚目になる耳を取った。観客は「トレロ」コールでエル・フリの勇気を称賛した。

 また、5日にペピン・リリアが良いファエナをしたがプレシデンテが3枚目を出すのを拒否したためにプエルタ・デル・プリンシペを逃した。場内には、「ペピン」コール、「トレロ」コールが鳴り響いた。ペピンの娘は勘違いして、プエルタ・デル・プリンシペの前で待っていたが出てこなかった。

 6日、パディージャが最後の牛でコヒーダされて右足を痛める。その代償として耳1枚を取る。

 セビージャのフェリア・デ・アブリルの期間に、72人のダフ屋が出て切符を売りさばいた。ダフ屋も非道いのがいるので気を付けた方が良い。信用できないダフ屋からは買わないことだ。良いダフ屋の方が概ね値段が安い。

 セビージャが終わったばかりだが、今年は全体的に牛が悪いような気がする。記録的な大雨などで牧草が育つのは良いことだが牛の運動不足が原因かも知れない。暑くなる前には牛の運動不足は解消するかも知れない。


*2001年マドリード、サン・イシドロ祭の結果。

2001年7月27日

最優秀闘牛士: ラファエル・デ・フリア
最優秀見習い闘牛士: ハビエル・バルベルデ
最優秀騎馬闘牛士: アンディー・カルタヘナ
メホール・ファエナ: モランテ・デ・ラ・プエブラ
メホール・エストカダ: エル・フリ
メホール・バンデリジェーロ: ホセ・アントニオ・カレテロ
メホール・ピカドール: アンデルソン・ムリージョ
メホール・トロ: “クリオソ”(エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場)
最優秀牧場: ビクトリーノ・マルティン牧場

 今年のサン・イシドロは牛や最優秀闘牛士で意見が割れた。これも牛が全体的に悪かったことと、モランテが剣刺しに失敗したことが原因だと思う。最優秀闘牛士では、ビア・ディヒタルとプレミオス・マイテは、エル・フリを選び、テレマドリーとブルラデロ・プント・コムはフランシスコ・エスプラを選んでいるし、エウヘニオ・デ・モラを選んだ所もある。


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