por 斎藤祐司
過去の、闘牛、最新情報
98年9月20日から99年1月2日まで | 99年1月11日〜3月1日まで |
99年3月9日(火)
バダホス近郊のオリベンサの結果。
3月6日。エスパルタコ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。エンリケ・ポンセ、耳1枚、−。エル・フリ、耳1枚、−。
3月7日。エル・フリのウニコ・エスパーダ。−、耳1枚、耳2枚、−、−、耳2枚。プエルタ・グランデ。
ビクトリーノ・マルティン牧場の牛、場内一周。
カステジョンの結果。
3月7日。ホセ・マリア・マンサナレス、耳1枚、−。エンリケ・ポンセ、−、−。アルベルト・ラミレス、耳1枚、耳2枚。
プエルタ・グランデ。トマール・デ・アルテルナティーバ。
3月8日。ファン・モラ、耳1枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。モランテ・デ・ラ・プエブラ、耳1枚、−。
エウヘニオ・デ・モラ、ブエルタ、−。ミゲル・アベジャン、−、−。
9-Mzo-1999
99年3月9日
人気闘牛士Juan Antonio Ruiz 通称”Espartaco"がBadajozのOlivenzaと言う町で4年ぶりに再登場しました。彼のけがは皮肉にも牛によるものでは無く,チャリテイーサッカー試合に出場していた時で膝を痛め何度も手術を繰り返し、38歳と言う年齢からも復帰を危ぶまれていたものです。当日はスペイン中からファンが集まりEnrique Ponceまた人気急上昇の若手El Juliと言う顔ぶれの事も会って入場券は15日前に売り切れ最高10万ペセタのプレミアまで付いたそうです。 闘牛内容は期待に答え一頭目が2 orejas(耳),二頭目も1orejaと言う好演でした。これからの一層の活躍が期待されて います。 por Konyさん
9-Mzo-1999
99年3月12日
エル・フリのアポデラード(マネージャー)のビクトリーノ・バレンシアは、各地の闘牛場から180のオファーが来ている。第三級闘牛場を全て出場しない。また、サン・イシドロ祭にも出場しない。来年まで延期する。と、言った。新聞のタイトルは、Casi
segura ausencia de El Juli en San Isidro に、なっている。つまり、サン・イシドロ祭にエル・フリは出場しないだろう、と。
エンリケ・ポンセとホセ・トマスはサン・イシドロ祭に3日出場する。ホセ・トマスはその他に、ベネフィセンシア(慈善闘牛)に、セサル・リンコンとミゲル・アベジャンと一緒に出場する。牛は、エル・ピラール。セサル・リンコンはサン・イシドロ祭に2日出場する。
闘牛の開催予定。
3月28日、マドリード。去勢牛、カリキーリ。
“ハビエル・バスケス、ミゲル・ロドリゲス、アントニオ・フェレーラ”。
4月4日、マドリード。牛、ファン・ホセ・ゴンサレス。
“フェルナンド・セペダ、フィニート・デ・コルドバ、ルイス・ミゲル・エンカボ”。
3月11日、カステジョンの結果。
エル・コルドベス。−、耳1枚。エル・フリ。耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。プエルタ・グランデ。
アルベルト・ラミレス。−、−。 闘牛場は、満席だった。
99年3月14日
99年のクアドリージャという記事が闘牛雑誌に載った。それによると今年の闘牛士に付くクアドリージャが書いている。各闘牛士のピカドール、バンデリジェーロ、モソ・デ・エスパーダ(剣持)の事が書かれている。移動しない人、他の闘牛士に移っていった人が、去年の闘牛士ランキング順に載っている。
4年ぶりに復帰した、エスパルタコのバンデリジェーロには、元闘牛士で弟のエスパルタコ・チコが付いた。エル・フリのバンデリジェーロは、新たにセサル・リンコンの所にいた、マヌエル・ベルメスが付き、セサル・リンコンの所には、新たにホセリートの所にいた、ダビ・サウガル“ピリ”が付いた。
また、エウヘニオ・デ・モラの所には、ホセリートの所にいた、ピカドールのエミリオ・サンチェス、バンデリジェーロのファン・クベーロが付いた。ホセ・トマスのモソ・デ・エスパーダは前にも書いた通り、ホセリートの所にいた、ホアキン・ラモスが付いた。
つまり、ホセリートの所に付いていたクアドリージャは、壊滅状態になったことになる。これが今、ホセリートの置かれている環境と言うことだ。
この事を一体どういう風に解釈すればいいのか?
2月の末にTTTの会長がホセリートにTELした時は、 「モソ・デ・エスパーダを探している」 と、言っていた。そして、あくまで、引退はしない。闘牛を続ける。と、言うことだった。
その事を踏まえて考えると、今年は闘牛をしないと言うことなのか?ホセリートの闘牛復帰は気長に待つことにする。また、別の考え方をすれば、それだけ、TTTがホセリートを東京に呼ぶチャンスが大きくなると言うことになるのだ。
14-Mzo-1999
99年3月16日
バレンシア、火祭りの闘牛は14,15日と2日連続の雨で中止になった。これが延期なのかどうか分からない。
14日カステジョンも雨のため延期になった。よって以下の様になった。
*3/19 カステジョン。牛、ハンディージャ。
“クーロ・ロメロ、ソレル・ラサロ、エル・フリ”。
*3/20 カステジョン。若牛、マヌエル・ベルトゥラン(シン・カバージョと、書いているので、ピカなしと言うことでしょう)。
“ラファエル・デ・フリア、ホセ・カサノバ、ファン・アルベルト”。
*3/21 カステジョン。牛、ビクトリーノ・マルティン。
“フランシスコ・エスプラ、マヌエル・カバジェーロ、ペピン・リリア”。
になる。闘牛開始時間は、17時から。
カセレスで、闘牛士の、アルベルト・デ・ラ・ペーニャが、角傷によって重体になった。 16-Mzo-1999
99年3月20日
3月18日、バレンシア。クーロ・ロメロ、耳1枚、−。エスパルタコ、耳1枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。マヌエル・カバジェーロ、−、−。
3月19日、バレンシア。リトリ、−、−。エンリケ・ポンセ、−、耳2枚。プエルタ・グランデ。ビセンテ・バレラ、−、−。
3月19日、カステジョン。クーロ・ロメロ、−、−。ソレル・ラサノ、−、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・フリ、耳2枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。
18日の見出しはエスパルタコのプエルタ・グランデではなく、クーロ・ロメロの耳だった。思わず笑ってしまった。19日のポンセのPGは、地元ファンを喜ばせたことだろう。カステジョンの、エル・フリ。耳4枚。アポデラードのビクトリーノ・バレンシアが、「闘牛場に出る度に自分がエル・フリであることを見せようとストレスを感じている」と、言ってサン・イシドロ祭にでないことを発表したのに・・・。いやぁースゲェー。
99年3月21日
遅くなった。日にちが前後するが、3月17日バレンシアの結果。
エンリケ・ポンセ、耳1枚要求で場内一周、−。エル・コルドベス、−、−。エル・フリ、耳1枚、−。
3月20日、バレンシア。ビセンテ・バレラ、−、耳1枚。リベラ・オルドニェス、耳1枚、−。エル・フリ、耳1枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。
ビセンテ・バレラのピカドール、マヌエル・カラスコは、右大腿骨、骨折の大怪我をした。
99年3月22日
3月21日、カステジョン。ビクトリーノ・マルティン牧場。見出しは、!Victorino,Victorino! に、なっていた。これから判るように良い闘牛が見れた。5頭目の、マヌエル・カバジェーロが相手にした、“ガロ”という牛が場内一周をした。
フランシスコ・エスプラ、耳1枚、−。マヌエル・カバジェーロ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。ペピン・リリア、耳2枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。
観客の入りは、満員だった。
99年3月30日
この時期の、プレスの発表は、確定と考えない方が良いかも知れない。特にサン・イシドロ祭に関しては。ベネフィセンシアは去年は、早くからホセ・トマスが出ると発表されていたが、実際にはマヌエル・カバジェーロのウニコ・エスパーダになった。しかし、取りあえず記入する。
フェリア・デ・コムニダの恒例、5月2日の闘牛は、騎馬闘牛士、レオナルド・エルナンデス。闘牛士、エスパルタコ、マヌエル・カバジェーロ、エウヘニオ・デ・モラ。ゴヤ闘牛になるはずだが、その事には触れていない。こういう闘牛は普通、騎馬闘牛士は始めに牛1頭相手にし、後は普通の闘牛と同じ。
5/31、リトリ、エンリケ・ポンセ、エウヘニオ・デ・モラ。日にち未定で、ミゲル・アベジャンのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバが、パドゥリーノ、エンリケ・ポンセで行われる。
日にち未定、牛、プエルト・デ・サン・ロレンソ。マヌエル・カバジェーロ、ホセ・トマス、エウヘニオ・デ・モラ。
エル・コルドベスは、6/2、6/5に出場。ダニエル・ルイスの牛の日は、ヘスリン・デ・ウブリケ、ミゲル・アベジャンと一緒。グアルディオラの牛の日は、リトリ、ビセンテ・バレラと一緒に出場する。どちらの日か明記されていない。
ベネフィセンシアは、騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ。闘牛士、セサル・リンコン、ホセ・トマス、ミゲル・アベジャン。日にち未定。
99年3月31日
99年、サン・イシドロ祭追加カルテル。去年のフェリア・デ・オトニョの最優秀闘牛士(プエルタ・グランデした)のウセダ・レアル中心に決まった。
5月15日、サン・イシドロの日。牛、ホセ・ルイス・ペレダ。ホセ・ルイス・モレノ、モランテ・デ・ラ・プエブラ、ウセダ・レアル。
5月27日。牛、トレストゥレジャ。ヘスリン・デ・ウブリケ、リベラ・オルドニェス、ウセダ・レアル。
6月9日。牛、ビクトリーノ・マルティン。ファン・モラ、マヌエル・カバジェーロ、ウセダ・レアル。
99年4月3日
3月27日、朝日新聞の夕刊の一面、左上部分の、地球の肖像、にホセリ−ト引退の記事が載った。その真相は如何に。
夕刊の記事はこう始まった。 「 闘牛士ホセリートさん(二九)が、二十三日、引退と表明した。「今世紀最高の闘牛士」といわれ、スペイン国民の熱狂をなお一身に集めながら、引き際はその剣さばきのようにあざやかである。」
問題は、23日引退を表明した、という所だ。これは、3月23日に、スペインのプレスを集めて記者会見が行われて、それがTVで流された。その中でホセリートは、「今は牧場で牛を相手にしている方が性に合っている。お金に困っている分けでもないし、今までで手に入れれるものは手に入れてきた。闘牛をやらなくても、牧場で牛を相手にしているし、闘牛から離れる分けじゃない。」
記者が、「闘牛をやらない、ということは引退するということなのか?」 ホセリート、「15年後に闘牛をやるかも知れないし、今後の事は判らない」
このTVでの、やり取りを見ていたTTT会長の、荻内勝之さんは、実質上の引退宣言と言うことだと教えてくれた。荻内さんは、「今までは、肩にまだ力が入っていたが、もうすーうっと力が抜けたような感じになった。ホセリート自身も良く判らないんだ。1番本人が解ってないと思う。だから、他の人はもっと判らない。」、と。ホセ・トマスのコーチ役をして闘牛を関わって行くのだろうと。
ホセリートは、このまま剣を置き、ファンの前から姿を消して行くのかも知れない。とても悲しいことだ。
サン・イシドロ祭カルテル。
5月17日、フィニート・デ・コルドバ、モランテ・デ・ラ・プエブラ、ハビエル・コンテのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。
99年4月21日
噂が色々流れていた。ヘスリンが引退すると言う事について。出所が定かでなかったその噂はTVでは引退。と出たりしていた。しかし、21日付け新聞には、「セビージャで闘牛をやったとき、観客の冷たい反応に闘牛を続ける気持ちがなくなった。僕の気持ちが明日も変わらなかったら、引退の記者会見をする。」と、出ていた。
さて、彼の気持ちは変わるか、変わらないか。それは判らない。
99年4月22日
ヘスリン・デ・ウブリケの気持ちは変わらなかった。引退の記者会見が、22日予定通り行われた。悲しむ人も多いと思うが今の闘牛界を考えると当然かも知れない。世代交代が進んでいる。ホセリ−トさえ引退し、リトリが今年で引退を表明している。あのリトリでさえ今の状況を理解しているのだ。
もう、ヘスリンの時代は終わった。ヘスリン・ブームを沸き起こした頃とは状況が変わった。今は本物志向。ピコばかりのパセ。アレナの真ん中で闘牛をしない安全ばかりを考えた闘牛は、本当の闘牛ファンからは拒否された。それが本人にも判った様だ。サヨナラ、ヘスリン。あなたのおかげで闘牛ファンになった人も多いだろうから、悪口ばかりも言ってられない。
お疲れさま、ヘスリン。これからの人生の方が長いのだから・・・。君が闘牛界に貢献したことを、忘れずにいる人も多いのだ。
99年5月5日
6月10日にマドリード、ラス・ベンタス闘牛場で予定されていたベネフィセンシアは、国王家の都合により変更になった。10日では、ファン・カルロス国王が出席できない為、6月17日に開催される。
ベネフィセンシア(慈善)の闘牛はファン・カスロスが主催する。だからこの変更は仕方がないことだ。しかし、俺はおかげで観れなくなった。困ったもんだ。せっかく楽しみにしていたのに。
99年5月6日
パンプローナのサン・フェルミン祭は、今年も7月6日(火曜日)から7月14日(水曜日)まで行われる。闘牛のカルテルはまだ発表になっていないが、エンリケ・ポンセ、ホセ・トマス、モランテ・デ・ラ・プエブラ、リベラ・オルドニェスが2日出場する。エル・フリは出ない。
毎年サン・フェルミン祭は、ヘミングウェイの小説、『日はまた昇る』 の影響で観光客がドット押し寄せる。闘牛の切符の確保もダフ屋頼み感が大きい。早めに行って買える人は良いがそうでない人は、カルテルが少し良いだけで切符はない。だから、ダフ屋から買うしかなくなる。そこで注意した方が良いことがあるので書いておく。
パンプローナでは間違ってもソル席は買わないこと。何故なら、上から物が降ってくるからだ。正確には投げられる。食いかけのオレンジ、リンゴ、ワイン、そしてケーキ用の粉までまかれる。白いTシャツが、真っ赤になることは当たり前と考えた方が良い。ソンブラ席の方は金のある人が来るのでそんなことはないはずだ。
そして、ホテルなどの宿泊施設は何処も満員の状態だ。マドリードから電車で行くと、13,14時位にパンプローナに着く。地図がなければ闘牛場近くの旅行案内所で貰い(と言ってもその時はないかも知れない)、ホテルを探しても良いし、そこに一般家庭のおばちゃんが来て「家に来て泊まりなさい」と、誘っている。グループなら直ぐ決まるが1人だと難しい場合がある。
そこで、オスタルなどに行って空いてるか聞くと、「ない」と、言われるが近くの民家に、「5000pts」で、部屋があるなどと教えてくれる。そうやって捜すのが良いだろう。観光客が多いので泥棒には充分気を付けること。
パンプローナのRENFE駅を降りたら左に行って、突き当たりを右に行く。坂を上っていくと街の中心に行ける。駅を降りて右に行くと遠いぞ。
99年5月11日
パンプローナのサン・フェルミンでモランテ・デ・ラ・プエブラは、7月7日にマルケス・デ・ドメクの牛と、もう1日はハンディージャの牛を相手に闘牛をする。なお彼は5月1日にメキシコのアグアカリエンテで左足ふくらはぎを10針位縫う怪我をした。
バレンシアの7月のフェリアは、21,22,23,24の牧場は、サムエル・フロレス、ビクトリーノ・マルティン、セレスティノ・クアドゥリ、バルデフレスノに決まった。25日は騎馬闘牛。
アポデラードのシモン・カサスがクリスティーナ・サンチェスの引退を発表した。彼女はもう闘牛をやることを望まないそうだ。でも闘牛ファンは、彼女の闘牛を観たいとは思わないだろう。散々稼いだ事だし、この辺が良い引け時だ。
99年5月23日
5月22日、フランスのビック・フェセンサックで行われた闘牛で、ウセダ・レアルのピカドールで前のエスパルタコのピカドールでもあった、ホセ・ムニョスが馬に押しつぶされて死亡した。この日、6頭目の牛の時、事故は起きた。この日の牛は、ビクトリーノ・マルティン。
助けられた時に、心臓が停止していてマッサージが行われ回復、医務室に運ばれる。この時点で、膵臓と肝臓が破裂していた。直ぐに病院に搬送さえたが、合計2度に渡って心臓も止まり帰らぬ人となった。彼は代々ピカドールを職業にする家庭に生まれた。彼の兄弟のラファエルもピカドールをしている。その息子は闘牛士のホセ・アントニオ・ムニョスである。
事故が6頭目に起こった為に闘牛は最後まで行われた。この日の結果は、ファン・モラ、−、−。マヌエル・カバジェーロ、−、−。ウセダ・レアル、耳1枚、−。恐らく死亡が確認されたのが闘牛終了後だったのだろう。何故なら、闘牛中に演技者が死亡した場合は、鐘が鳴り、死んだことが報告される。そんなときは、闘牛場のあちこちで泣き声が聞こえる。そして闘牛はこの時点で中止される。
実際にそういう場面に出会った事はないが(出会いたくないが)、ジィージョの死んだ時のビデオはそうだった。ホセ・ムニョスの冥福を祈ると共に、彼の残された家族の為に、彼を讃える闘牛が開催され、その開催の純益が彼の家族に渡されることを、僕は希望している。恐らく、ウセダ・レアルとエスパルタコが中心になって開催されることと信じている。
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