第十四章 2003年

表紙


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2002年その後

 昨年9月のJCRC川場大会でぱったり途絶えていたこのページだが、'03年の記載を始めるにあたりその後の状況を簡単に書いておこう。昨年は川場以降殆ど走り込む目処が立たなかったので「今年はこれで終わってしまうのか」と記したが実はもう1レース出た。10月27日の龍勢ヒルクライムだ。国内ツアーやマレーシア・レコーディングなどで全く乗れていなかったのだが、小径車クラスがあったのでエントリー。8名参加、結果4位。GIANT 24"改20"の選手と出走前喋っていたら乗鞍のタイムがオレよりすこし遅い。彼に付くのを当面の目標にと思ったのだが2kmも行かないうちに置いていかれる。さらにバイク・フライデイにも抜かれ、全然抵抗できず「あーあ、3位か。しようがねえなあ。」と暗く苦しく走っていたら14kmのゴール手前1.5kmでなんとツーリング仕様のDB-1にあっさり抜かれてしまった。レーサーウェアさえ着ていない、カジュアル・バイクウェアのワカモノである。な、なんでこんな終盤にこんなことが起きるの?みんな疲れてんだろ?慌てて追うが縮まらず、ゴール手前500mの追い越し禁止区間までに差を詰めたが届かず。ゴール後2位のバイクフライデイ君に「ホームページ見てます」と言われ、一層うなだれたのである。下山して駐車場に戻ったら浅倉君やパインヒルズの倉林さんに「えー、こんなので出て優勝じゃないの?」と散々な言葉。しかし1,2位は確かに速かったぞ。もはや小径車ブームのお陰でこのクラスは安住の地ではなくなってきたな。

 11月は1ヶ月近い欧州ツアー、12月も国内ツアーが2本などと多忙で殆ど乗れず。実走は11月末に多摩湖を流した程度で12月に至っては1時間のローラーを2回やっただけ。

2003年スタート 

 さて年も新たになり、まともに走らねばならぬ。恒例カオス・レーシング初詣ランは天候不順のため中止。5日の日曜の通常クラブランは保谷夫妻とみどりさんしか来なかったがこれを初詣ルート<浦所バイパス〜富士見有料〜川越・喜多院参詣〜16号で大宮・指扇のイタリアンで昼食〜荒川自転車道〜浦所バイパス>にする。行きは苦しくも快調に飛ばしつつかすかに脚ツリの予兆、帰路の浦所ではメロメロで、奥さんのサポートに後方に下がったきりの保谷パンターニはともかく、「悪いから少し先頭引きます」と前に出たみどりさんにそのまま置いてきぼりにされるという悲惨な有様だった。65km。
 7日:ローラー50分
12日:カオス・クラブラン 午後から新年会のため青梅・塩船観音コース 50km。
(この間関西・東海ツアー)
21日:ローラー、30分で後輪パンク中止
22日:多摩湖 55km 最後の15kmはハンガー・ノックもあり全然回せずヨロヨロ。
23日:ローラー1時間
26日:カオス・クラブラン 富士見有料〜荒川コース 68km。富士見では最後は島さん、吉川弟のスプリントに付いて行けなかったが5日のような帰路脚ツリや極度のペースダウンもなく大分持ち直して来た。
28日:ジムでスピニング・マシン45分
30日:ローラー1時間
31日:多摩湖 42km 22日よりかなりマシ。

 と、1月は約370km(ローラー含む)の走行に終わる。昨年1月もこれくらいだったがランニングとジムをもっとやっていたので比較すると運動量は少ない。一昨年は450km、'00年は650km走っていたのでこれではアカン。でも今年は寒いからなあ・・・。


           ● 14-2 

2〜3月中旬

 2月あたまはマレーシア。帰国翌日の6日にローラー1時間、8日に1時間20分、9日1時間。10日は多摩湖で33km、12日ピストで3本ローラー1時間20分、13日も3本1時間。14日はジムで筋トレとスイム1000m。15日固定ローラー45分、16日1時間15分、17日多摩湖42km。しばし国内ツアーで不在後23日多摩湖〜岩蔵街道(カオス・クラブラン途中離脱)50km、25日ローラー40分、26日筋トレ&スイム1200m。27日山王峠〜小沢峠で60km、28日筋トレ+スピニング20分+スイム1200m。2月も計410kmに終わる。一昨年なんか600km走って月末には早くも下総のJCRCに出場していた。昨年は2月半ばにランニングで膝をいためたから250km位だったけど。1月よりは大分まともに走れては来たが長い距離をやっていないのが気がかり。

 3月、ぼちぼち4月初旬のチャレンジ・ロードに向けて負荷を上げていきたいところ。しかし忙しくてさっぱりである。2日清瀬から多摩湖を経由して青梅方面に向かうカオスのコースを多摩湖から逆走して清瀬に向かい合流して再び多摩湖を走って午後仕事があるので離脱、45km。4日午前中からスタジオ入りなのでその前にジムで筋トレのみ。5日ローラー1時間、6日40分、8日1時間、9日前週同様多摩湖逆走・カオス合流〜岩蔵街道で離脱60km。10日からの1週間の東海近畿ツアーが車移動だったのでCarreraを積み込んで行くが演奏〜打ち上げ〜半二日酔いでホテルのチェックアウトまでに走るってのはなかなか出来ない。まともに走ったのは豊橋〜遠州灘の往復28km(すごい強風のため距離の割にいいトレーニングになったが二日酔い)と新神戸〜六甲山有料道路入り口あたりのきつい上りをやったくらいだった。神戸は坂がきついので自転車の需要が少なく店もあまりないと言われているが、ホントにすごい。青谷という地区だと思うが行き止まりの激坂が無数にある住宅地でよくこんな所にと感心する。六甲の上りも随分上の方まで開発されていて人も車も多いが自転車は一台も見かけなかった。住んだら強くなるなという考えがよぎったがこんな激坂を上って帰宅するにはトレーニングを軽めに抑えなきゃなんないワ。16日に帰ってきて18日に再開、ローラー45分。こりゃあチャレンジ、きつそうだな。

 そう言えば、Moser をみどりさんのローラー用に売却。フロントエンドとBBの距離がかなり詰まっているので、峠でヨレ気味のときに車を気にして後ろを振り返ったりするとぶれた前輪につま先が引っかかりよろけてしまったり、以前書いたがボーっとしてUターンした際に厚手のシューズカバーがもろに前輪を右に切った状態で止めてしまいこけて頭を打ち脳震盪を起こしたこともある。そんなワケであまり乗らなくなっていたところ新年会の席で話が決まってしまった。危ないものを押しつけたのではないぞ。彼女はローラー専用にするので構わないという納得済み。なので練習はもっぱらタマさんに「硬くて使えない」と酷評されたクロモリのCARRERA。カオス斉藤女史から入手した旧デュラエース・クランクに同じくカオス古寺女史からの新デュラSTI、みどりさんからのデュラのアウター(これは53Tなのでいずれは52Tに替えるつもり)と、女性陣の無言の励ましをうけつつ走っているのだが、どうも調子があがらんのは励ましではなく祟りが秘められているのか?


           ● 14-3 

3月下旬〜チャレンジ、草津

 3月はその後、小沢峠〜山王峠を回る60km弱のルートを二回、カオスで多摩湖〜小沢峠75kmを一回、ローラー1時間二回、ジムのスピニングマシン40分。前日小沢・山王を走った30日、多摩湖でカオスに合流しようと家を出たら大塚和平氏に遭遇。新しいコースだというので誘われるまま付いていったのが運のツキ。アップダウンのきつい、しかも下りにタイトコーナーがいくつもあるような2.2kmの周回をパインヒルズの猛者が30周のバトルを繰り広げる。付いて行けたのは2周目まで。15周で「午後から仕事だからなあ」と独り言い訳をして降りるまで3回もラップされて退散した。

2周目の最後の上りで1分後スタートの50歳以上クラス大塚和平選手に抜かれるところ。

<4月6日第28回チャレンジ・ロードレース> 4月に入っても忙しく、1日に多摩湖を走ってから青梅街道旧道から多摩湖への600mの上りを花見客を尻目にインナー・アウター交互に10本、2日にジムでスピニング40分、という乏しい練習量でついに6日今季緒戦のチャレンジ・ロード。
 修善寺・日本サイクルスポーツセンターの5kmコース3周、結果は惨敗。エントリー82名中50位。デビューの97年〜99年はB5(40代)が脚力でA・Bに分けられていたので比較は出来ないが(勿論下位のB。99年に17位だったのでAに昇格の筈が翌年から区分けが無くなった)順位としては最低、タイムも昨年より1分10秒も遅い32分50秒。自分より少し速いヤツに行けるところまで付いて行くといういつもの気合いも「ここで無理したらあとが・・・」という実に弱気なありさま。それなのにゴール後はひっくり返ってゲホゲホいっている体たらくであった。いよいよ引退か。


<4月20日第8回ツール・ド・草津> さてその週後半は仕事でマレーシア、当然暴飲暴食暴演。ホテルでスクワットをして気休め。月曜帰国、火、水とローラー1時間20分ずつ。金曜に多摩湖で30kmばかり走ったのみで19日土曜にカオスの面々と総勢8名で草津入り。あいにくの雨の中6kmばかり上っておくが下りでこごえる。風呂場で会った浅倉君は何とゴールまで行ってきたという。げげげ。夕食後の酒宴は程々に終了、と言ってもいつものように先に潰れる。
 6時起床。雨は本降りだ。女性陣3名のうち2名出走取り止め。浅倉君はホテルのスキー用具置き場でローラー。9時からの開会式〜10時のスタートまで雨の中つっ立っているのは嫌だ。ズルして遅れていく。装備は散々迷ったすえ半袖ジャージ+アームウオーマー+7分丈パンツ+レッグウオーマー+長指グローブにウィンドブレーカー。足にはシューズカバー。スタートまではヘルメットカバーもしておく。10時に各クラスごとに順次スタート、温泉街を5kmのパレード走行。温泉街からスタート地点への上りがなかなかきつくいいアップになる。そしていよいよ13kmのレース・スタート。ここはスタート時からセンサーで個別に計測してくれるところが素晴らしい。乗鞍なんかスタート合図から自分のいるところが動き出すまでヘタすりゃあ1分くらいかかるからな。
 スタートしてすぐいいペースで行く浅倉君のチームメイト、ゼルコバの選手がいたのでとにかくダメになるまでは彼に追走しようとする。しかし2.5km位から時としてこっちが前になってしまい、いつの間にか一緒になったTREK5200が結構いい感じ。3kmで先行していったのでこちらに乗り換える。いぬふぐり会長の小判鮫走法。心拍は165〜7あたりで丁度いい。やがてBIANCHIを新調して張り切るカオス吉川(兄)君に追い付きセンパイっぽく肩なんか叩いてみる。殺生河原通過が17分52秒。後で調べたら前回18分22秒、悪天候でここまでに短縮された前々回が17分53秒だからまずまずだった。ここからがきつくなって前回は脚が回せず心拍が150台から上がらなかったが今日は落とさないよう心掛け、ギアも入れられるところはなるべく重目を踏む。と言ってもインナー38T、リアは12〜27なのでせいぜい21。ぼちぼちTREKに付いて行けなくなったが新たなペースメーカーも現れあえぎつつも30代の選手たちを抜いていく。しかし辛い。脚は当然だがハンドルを持つ手のひらが痺れて無感覚。尻のナントカ筋も痛てえ。ヒイヒイ声が漏れてしまう。それに加え霧で視界が悪い上グラスが曇って困った。指で内側を何度も拭うがよろける。やがて単独行になり「あと3km」の看板、やっとここまで来た。「あと2km」余力が不安なれど悔いの残らぬようややペースアップ、「あと1km」の看板を過ぎ最後の500mで更に上げてゴール手前の平坦路は踏み倒してフィニッシュ。そのまま倒れるかと思ったがよろよろと駐車場に誘導されコケずにペダルを外せた。
 レストハウスで預けてあった荷物を受け取り下り用に着替えて(オートバイ用のカッパの下は実は長袖アンダーにホテルのバスタオルを羽織った情けない格好)ごった返す中でココアを飲み歓談後下山。またまたサングラスが曇って全然見えず0.1の裸眼でのキョーフの下り。
 結果:49分09秒、エントリー162名中23位。順位は連続14位の'00年、'01年より落ちたもののタイムは前回より3分半以上短縮(あのときは強風だったからなあ)、平均心拍も殺生まで165、後半164(前回159/156)とタレることなく走れ良かった。勿論カオスではトップ。保谷君には24秒差まで迫られたが。元カオスの浅倉ゼルコバは俺より10分以上も速く30代クラス連続優勝。総合優勝は毎度の村山利男氏で同じ40代ながら36分台だった。という訳で、練習不足にも関わらずチャレンジの個人的雪辱を晴らせたってところか。


           ● 14-4 

5月~6/1エンペラー・カップ

 5月はスケジュールが合わず参加出来るレース無し。関係ないがジムで常設ではない高性能測定器(チェーン展開のスポーツジムなので他支店間を定期的に移動)で有料の「体成分検査」というものを5月6日に受けてみた。自転車乗りとしては気になる体脂肪率は9.3%、標準値は14〜23%なのだがプロは5%。アマチュアとしてはまずまずか。がっかりだったのは筋肉量。7段階で上半身は標準より一段上だったが下半身は標準値内だった。そんな筈は・・・。その他タンパク質、脂肪量、骨量など問題なく体格判定グラフではやせ型のエリアに近いものの筋肉質の範疇。総合的フィットネス・スコアは一般としては最高値の85ポイントだったがアスリートの目標は95以上ということであった。心拍の解析がなかったがこれは以前別のマシンで計ったら20代前半にしても良すぎるって言われたな、ムフフ。

 ツアーが二本あったりと何かと忙しかった5月、走行は440kmに留まる。数日間連続で乗れない期間が何回かあったが20日からは仕事が殆ど都内だったので6月1日のエンペラー・カップに向けてはかろうじて乗っておくことが出来た。そのエンペラー、数日前には台風までやって来て大荒れ予報の天気だったが明け方には雨もほぼあがり一安心。タイヤが殆ど新品だったのでスリップが心配だったのだ。パナレーサーのストラディアス・エクストリーム。ミシュランのアクシュアル・プロに似たスリックだがグリップ力は高そう。今まで使っていたストラディアス・プロもその前モデルも耐久性に不満があったのでそこいらが気になるところだ。
 今年はクラス分けがなぜか46〜55歳となっていて、これでは20、30代をも年中打ち破っている強豪50代連中と一緒になってしまうではないか。まあどっちみち入賞とは程遠いのだから関係ないが。コースは筑波・真壁町の人造湖「つくし湖」を中心とするアップダウンのある3.6kmを5周の18kmで大きい上りは二つ。エントリーは67名、再び降り出した小雨の中11時40分スタート、まず平坦〜緩い下りで700m、そこから直角右折で350m行きUターンして来て直線400mほどの上り、同じくらい下ってから左折してやや曲がりくねる上りが600m、その後300mゆるい下り上りがあって直角左折でスタート・フィニッシュ地点への500mの平坦路というレイアウトだ。真中あたりでスタートしたが最後尾に近かった大塚選手がもう前に行っている。密集状態で飛ばすが右折前で大きく減速、ほぼ1列で直線を進みUターン地点でまた詰まる。ターン後どっと加速して一つ目の上りへ。ここで15番手あたりか。下って左折の二つ目の上りで4、5番手に。しかしまだ入れ替わりは激しい。結局1周目は7、8番手で2周目に入るが良かったのはここまで。平坦〜下りで先頭集団からこぼれそのままどんどん抜かれる。一つ目の上りに入る頃には分裂した第3集団あたりからも離される。二つ目の上りでカオスの島さんに追い付き先行、しかし前のグループには全然届かず後ろの3人ほどとも離れて単独走行になってしまい消耗。3周目その後続の2人に抜き返され置いていかれるが4周目終盤でなんとか距離を縮め3番目にへばり付く。最終5周目の一つ目の上り、3人の2番手だった内房レーシングK選手が後ろから飛ばして来た別の選手のケツに乗り換えたのにくっつきペースアップ、そのまま先頭に出る。下り・平坦はテキの方が速いのは明らかだったのでまだアタックは早過ぎかと思ったが更に後ろにいる島さんとの距離も気になったので決断。下りでやられるかと思ったがK氏にピッタリ後ろにつかれたまま二つ目の上りへ。ここで離さなければ勝てない、と必死にもがく。少しは開けられたが先は不利な平坦だ。もうフォームも何もデタラメで踏みまくるが案の定再び後ろに付かれゴール直前に並ばれた。ここで最後のモガキで再加速、なんとか20cm差で取った。と言っても先頭はとっくにフィニッシュ(ぶっちぎりで大塚氏)、順位は腹をすかせたタマさん(前のクラス)や妻にせっつかれ発表を待たずに撤収したので分からないが真中あたりかな、くそっ(リザルト表を受け取り次第加筆)。しかし心拍データ上は平均163、最大181(ゴール時)とまずまずの強度で走れた。
・・・・・25位(エントリー67名)、タイム32'20"141、トップからは3分も遅れてしまいました。


1周目終盤。ここまではねえ・・・。


ゴールライン前のバトル。これが優勝争いだったら。

    


           ● 14-5 

6/29・美ヶ原~7/13・JCRC

 6月29日、15% の勾配がウリのツール・ド・美ヶ原。昨年のタイム、1時間31分24秒を上回るのを目標に臨む。しかしエンペラー・カップのあとドイツに行っていたり帰国後も仕事が詰まっていたりでローラー台+多摩湖数回といったところで全然長い上りのトレーニングが出来ていない。前の週には休みが結構あったのだがこの期に及んで高負荷の練習をしても疲れが残りそうという弱気な姿勢でやってきた当日。


最後の上りを右からスパート。しかしこの青い選手にはゴールで抜き返されてしまった。

 雨の予報だったが明け方にはかろうじて上がる。我がクラス(41〜50歳)は342名のエントリー。4つのグループに分かれて8:01から2分置きにスタートだ。年令順ゼッケンなのでもはや俺は最後の第4グループ、8:07出走。スタート地点の松本市野球場から浅間温泉旅館街を抜けるまでは例年通り2、3番手でこの先の15% 激坂でも例年通り順位をひたすら下げる。例年通り押し歩きの列が連なる中をギアを38T+27Tに入れマイペースで上る。ここは500m位の直線で終わるがこの先一旦緩くはなるものの幾つもきつい勾配が現れる。「ここが一番の難所」という激励の看板があるのだが「ああ、ここを越えれば何とかなる」と錯覚させる迷惑な代物で確か3ケ所くらいにあったな。まあ毎年だから分かってはいるんだが苦しいと信じたくもなる。ということでリポートも毎年同じようなモンだからいいか、もう。しかし俺のクラスでも昨年より100人ほど多く、全体的に参加者が増大して押し歩きや蛇行する選手が増えていていささか走りにくい。必然的に力のバラつきが多いせいか、うまいことペース・メーカーになる選手が見つけられずタイムは大分落ちてしまった。これは言い訳、実際27Tを踏みながら「現行デュラエースじゃあこれ以上軽いギアはないぞ。来年はどうすりゃいいんだ?」という思いばかり。去年はなるべく27を使わないよう意識して行けたのに。中盤小雨と湿気、汗で曇ってどうにもならないサングラスを外してしまったので裸眼0.1未満では去年62km/hをマークした武石峠の下りも57.7km/h どまり。
 結局タイムは1時間33分45秒で昨年より2分21秒落ち。一昨年よりは37秒速かったのがせめてもの慰めだ。昨年10秒勝った30代クラス・カオス保谷君には何と6分も負けてしまった。草津だって俺が勝ったのに(僅か24秒でしたけど)!!チャンピオン・クラス3位の浅倉君なんざあ俺より29分も速いでやんの。しかもローギアが21Tだってんだから。で、順位はゼツボーのクラス88位(342名)、総合593位(2089名)であった。

 


 一向に練習量が増えない。むしろ減少傾向のなか、全く出る気のなかった7月13日のJCRC第5戦に締切り当日エントリー。せっかく登録料を払っているのに全然出なくては勿体無いというセコイ動機もある。群馬CSCの6kmコースを4周。前日12日にはタマさんがZ-1クラスで出て60kmを1時間44分の18位(48名)、13日の通常クラス・レースに出るいぬふぐりメンバーは俺だけだ。

 そして雨。止んでいたのにしょっぱな9時スタートの我がDクラスの時には本降りである。ここでは度々落車に遭遇しているから嫌なカンジ。エントリーは79名。指や腕に怪我をするワケには行かないからスタート直後の大集団では無理をしないが少し車間を空けるとすぐ割り込まれる(まあ晴れてりゃあ俺もやるだろうけど)。1周目はその先頭大集団で走り終えるが2周目に入った途端まさかの集団最後尾ではないか。げげげっ。追い上げようとするが先頭のペースアップがあって既に遅し。前から落ちて来た数人と走るがここでも走りが噛み合わず遅れたり先行したりでバラつき消耗してどうにもならず、カメラを構えつつの妻の声援も虚しく響く。これでは彼女のニコンF3+モータードライブが勿体ない。少なくともモードラが必要な速度ではないな。3周目にはこのコースの小刻みなアップダウンが響いて来て通称「心臓箭破り」の坂は言うに及ばず、アウターで行けていた上りまで応えて来て、おまけに曇って見えないグラスを外してしまったら今度は前車のしぶきが余りに凄いので後ろに付けない、ま、どっちみち付けねえ。4周目でそれまで前後していた3、4名から取り残されゴール500m手前でつりかかってしまった右ふくらはぎをかばいつつ寂しく単独でモガいてフィニッシュ。上がらない脚を無理矢理上げて自転車からやっと降りて1分程開いて入って来始めた後続のゴール人数を数えて「これでビリから何番」と自分の順位の見当を付ける。ああムナシイ。翌日ネットで確認、44分35秒の61位でした。


   雨に煙る中の3周目終盤。キビシ〜。

 しかし前回ここを走った99年、やはり雨だったJCRC・Dクラス、46分02秒だったのに34位だったぞ、しかもスタートラインでサドルが緩んでひどく前に傾いてしまったまま走ったのに。日本のアマチュア・レースのレベルが上がったという喜ばしいことなのだろうか?けっ、チクショー。おめえら若いんだからもっと上のクラスで走れ!!まあカオスの島さん等僕より年長で上位の方も3名いらっしゃいましたが。


         ● 14- 6 

乗鞍前夜

 本日はビッグイベントである乗鞍ヒルクライム出発前日である。散々だった7月13日以来心を入れ替えて練習に励んだ、ということはなくバタバタと日々過ごす。それにしても雨か熱中症日和かどちらかの夏だった。全国的に皆さん練習不足であったことを祈る。

 そんな中の7月27日、<サイクルフェスタin 川口>に昨年に続き出場。前回は毎年優勝の<蟹味噌カオス>飯塚・島・浅倉組の島さんの代役だったが今年は4人で走ることになった。川口オートレース場の真っ平らな800mオーバルコースを3〜5人交替でひたすらグルグル廻る2時間耐久。浅倉9周〜島6周〜早川6周〜飯塚6周で回して行くことにする。ピーカンで日射しを遮るもののない灼熱のなか10時過ぎスタート。浅倉君はさっさとぶっちぎりの56〜59秒台でラップを重ね2番手島さんが1分05〜09秒(6周で6'45")、3番手早川1分05〜11秒(6'52")、4番手飯塚君1分04〜12秒(6'53")で1回目のローテーションが終わり2順目に入る。「2回目からは身体が慣れて楽になる」と皆が言う通り、ペースが落ちてしまったかと感じるのに実際のタイムは変わらず、心拍160〜164をターゲットに周回。2巡目は6'53"、3巡目6'52"と数値を見ると一定だが意外に風の影響を受けて上り坂があるような錯覚さえある。それに一瞬たりとも脚の回転を止めないのでかなりきつい。チームメイトが見ていたりすると手を抜けないからもっと辛い。最終4回目は浅倉君以外は1周増やして7周ずつ走り終了した。勿論ダントツの 110.9周で優勝。3人だった昨年は108周だった。ラップタイムも一人当りの周回数が多かった昨年ではあるが1分10〜15秒だったのが今回5〜10秒だったのでまずまず。それに飯塚君より幾分上回ったし平坦得意の島さんにも大きい差はつけられなかったし、賞品のシャツはとても着られないデザインだったが楽しく終えた。それにしても去年もそうだったんだが、優勝より下位の方の賞品がいいんだよなあ。なんで?暑いなか計測係のみどりさん、御苦労様でした。


キノと愛車Minerva+オールド・カンパレコード(左)、TREK5500

 その後日程の合うレースもなく過ごしていたが8月16日の小樽での日本最大規模のロック・フェス<ライジング・サン>に出演ついでに札幌の牛馬の獣医師、木野本君に自転車を用意してもらい17日に豊平川〜石狩川を50km弱ツーリング。木野本センセイは長距離専門で乗鞍と同日開催の<十勝160km>を年間のメインイベントにしている。当てがわれたのは勿体なくも預かりもののTREK5500、D/A仕様である。センセイ謙遜していたくせにいきなりアベレージ40km/h超のペースで走り出され、平坦に弱い俺はややアセるが程なく脚も回り出し適度に先頭交代しつつ快適に、真駒内近辺からイサムノグチ設計の巨大な<モエレ沼公園>を往復。平坦とは言え風がありなかなか走り応えがあった。
 しかし楽しさに加えて考えさせられるモノあり。レースももう7年目だがぱっとしないし、やっぱガキのころ遠くに行きたいと思ったのが自転車遊びの原点だしなあ、など。木野本君の仲間達の走りっぷりなどを聞くとトレーニング、レースと気ばかり追われている自分(その割りには練習不足!!)には無い気持ちの余裕を感じさせられた。

 なんて弱気になっている内に明日は乗鞍に前日入りだ。今年は何とチャンピオンクラスでのエントリー。後ろから抜かれる一方だから走り易いだろうが規定の1時間20分を切れるだろうか。自己ベストは23分なんだよね、実は。さて、支度にかかるか。


         ● 14- 7 

乗鞍その後

 さて、カオスの保谷君、吉川兄、斉藤女史、小藤嬢、いぬふぐりタマさん、みどりさん、パインヒルズの怪物・二階堂翁、ワダレーシングのクライマー御木君、そして優勝争いを担うゼルコバ浅倉とで乗り込んだ乗鞍。受け付け会場の出店で思わずBENIXなる、カナダで開発されたという「耐久力増加、熱量生産増加、疲労軽減、筋反応向上、反射速度向上」リストバンドを\4,500も払って買ってしまった。シモーニが装着してジロを走っている広告写真、もう藁にすがるぞ。
 と、と、ところがである。夜中がら土砂降り。明け方起床して様子を見る。皆も安心したいから「あっちの空は明るいぞ、これは上がるだろう」などと言ってはみるが小降りと本降りを行きつ戻りつ。朝食を済ませビニールカッパをはおりアップをかねて宿から2kmほどのスタート地点へ向かう。この上りのほうが競技コースより傾斜がありそう。もう一度下って、遅れて出てきたタマさんに出会いUターン、一緒に上って会場へ。三千人以上がごった返すなか、所定のクラス位置に自転車を横たえ満員電車のような観光センターで雨宿りする。雨足は一向に変わらない。その内場内に設置されたオーロラビジョンに山頂ゴール地点の様子が映し出された。台風リポートの如くマイクを持った人物が吹き飛ばされそうになっている。風速25m、「こりゃあダメそうだな」と周囲から口々に声があがる。やがてついに「大会中止」のアナウンスがされた。落胆のどよめき、出場者たちが散会していく中、タマさん「途中まで行きましょうよ、せっかく来たんだから」と囁き、よっしゃ、と二人で走り出す。序盤は何人も走っているので、皆同じつもりなのかと思ったらすぐ先の国民宿舎に泊まっている連中だった。そこからはタマさんと二人でいいペース。しかし上がりそうになった雨がまた激しくなったり道の向きで強風にあおられたりで、これでは選手層に幅のあるこの大会の中止は仕方ない。やがて後ろから早いペースで二人が抜いて行った。「行けば?」とタマさんをそそのかすが乗らなかった。やがて7km地点の第一チェックポイントに来たがここまで。パイロンと車でコースが塞がれ4、5人の係員に「この先は呼吸できないくらい風が強いよ」と止められた。ここから勾配がきつくなってくるのだが、残念。下って行くとスタート地点にはすでに走行禁止の看板が立てられていた。早く走り出して良かった、せめて7kmでも上れて。
 とっとと風呂に入りに行ったタマさんと別れ、ずぶ濡れのまま抽選会に残るが大分進行してもちっとも当たらないので業を煮やして旅館に戻った。さぶい、俺も一緒に帰れば良かった。

 そんな具合に終わってしまった夏の大イベント、その後さっぱりやる気も出ず次のレースのめども無し、9月はなんと3回120kmしか走らなかった。しかしこのままではこの血と汗と骨折の7年間が無駄になってしまう。築き上げたワタシの脚と心肺機能が、、、てなワケで気候も良くなったし再開しよっと。
                                     <10/1記>


         ● 14- 8 

武尊(ほたか)ヒルクライム

 10月トレーニング再開宣言したものの総走行距離525km。多摩湖に5回(1回35km程度)と小沢峠往復または小沢〜山王峠(57〜60km)を4回、あとはローラー(45〜60分、負荷+2)7回。全然あかん。まあそれでも山王峠脇の5kmの行き止まり激坂ではタイム更新が出来たしローラーの内容も短時間ながら充実感がほのかにただよい、距離や頻度が少ない割には復活の兆しがおぼろげに見える。そして11月1〜2日の第7回武尊ヒルクライムに臨んだ。99年には見事3位入賞した由緒正しいレースであるがそれ以来だ。1日が年代クラス別レース、2日がタイムトライアルで特にこのTTのゴール前の斜度21%というのがレースコースとしては国内最高勾配であることを売り物にしている。
 まずまずの天気の中、午後1時からスタート。全体でも70人程度なのでのんびりしている。40代は16名しかいないぞ。と思いきや、なんと日本一のクライマー、村山利夫選手が同じクラスでねえの。なんでこんな人がこの草レースに出てくるだ?ひょっとして俺が不在の3年間でこの大会のステータスがぐっと上がったのか?これで貴重な順位が1コ失われたわけだ。コースマップでは8.1km、標高差470mとなっているが実際はスタート地点が例年より1km近く下になっていて距離は9km強。13:05スタート。いきなり一人飛び出して行くがさほど離れず集団が行く。毎度ながら始めだけ前にいる俺は集団の2番手。しばらくするとズドーンという感じで村山選手が右を抜いて行った。これが上りかよ。そのうちどんどん抜き去られあとは時々同じような数人と抜いたり抜かれたり。半ばからは道も狭く傾斜もきつくなってトップクラス以外はてんでバラバラに喘ぎつつ単独行である。心拍計だけがお友達。160以上をキープするようにした。低心拍王としてはキツ目の値であるが前述の山王峠脇道でもアベレージ160を心掛けていたのがいい練習になった。33分29秒でフィニッシュ。結局アベレージは162、マックスは170。上りとしてはいいペースだったが草津では平均165だったからもっと行ける筈だったのだろうか。しかしゴールしてからゴホゴホ咳き込みは止まらないししばし動けないし、まあこんなもんだろう。・・・でも例年のスタート地点からの測定では99年より2分半遅かった。大ショック。結果はクラス11位、総合40位と悲惨なものであった。
 翌日は個人TT。距離7.5km、標高差600mとあるがこれもスタート地点が昨日と同じなので実際は8.6km、標高差不明。しかし旧データで昨日が470m今日が600mなのだから相当きつい。21%に備えてスプロケットを25Tから27Tに交換。ゼッケン順に30秒間隔でスタート、俺は40番目。走り出して暫くして前の選手を抜く。後ろの選手も見えなくなっている。昨日の結果に滅入っていたがちょっと気が晴れてきたぞ。3.8kmくらいで左折、武尊のスキー場へ入る。スキー場なんだからぐっときつくなるわけ。ここでもう一人抜く。途中なだらかなところも出てくるが終盤に16,7%と言われている上りがあってどっと脚に来てそのあと平坦が少しある。そして道が右に曲がった途端目の前に21%がそびえるのである。このあたりにいたカミさんの話ではここで「なんだこりゃあ」と呻く選手多数。99年には周りに「降りて押したほうが速い」「よろけてコケる」「前年乗って上れたのは5、6人」と散々脅かされたので押してしまったが今回はそんなことは出来ん。今年の南伊豆ではもっときつい勾配にも遭遇しているのだが一人で自分のペースで行くのならともかく少しでも早くという意識のせいで死にそうに苦しい。蛇行して上がる道幅もない。ギシギシと膝、腿、ふくらはぎが悲鳴を上げ腕もパンパンだ。ここまで来て今さら押せるか、という気持ちだけでなんとか上り終えラインまでの僅かな平坦をヘナヘナダッシュしてフィニッシュ。36分33秒。クラス8位。これによって2日間の総合が40位から29位にアップし、これでなんとか初日の情けない気分を挽回することが出来た。心拍は平均161、最高175。二日目なのに落ちずに走れた。今年はこれでレース終了か。


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