第八章


             ● 8-1

 ここまでは過去の記録だったのが、ついに追い付いてしまったので現在進行
になる。章のタイトルもどうも付けにくいしまだレースも始まらないし困った。
で、『今年の目標』だ!!

1:筋力アップ
2:脚の痙攣(つり)撃退
3:長距離に強くなる
4:平地に強くなる
5:やっぱり上りも強くなる
6:公道ではコーフンせず安全第一

1:筋力アップ まずは時々現れる右膝の痛み対策としての大腿筋の強化。
これは昨年5月の「高尾〜糸魚川294kmファスト・ラン」の予行演習で所沢
〜蓼科200kmを走った際、160km地点で余りの激痛に動けなくなって
Dr.飯塚の診察を受けて以来、アドバイスにより心がけてはいた。ジムのマシン
でレッグカール、レッグエクステンションを積極的にやっていたもののそれ程
頻繁には通っていなかったのを改めることに。インストラクターに今までのトレ
ーニングプログラムよりきつめ、多種のものを組んでもらって全般的にもアップ
を計る。もちろんムキムキになるのではなくバイクに必要なところをトレーニン
グする。従来はベンチプレス、バタフライマシン、バック・エクステンション、
レッグプレス等に前述の大腿筋トレで35分ぐらいで済ませてから泳いでいたの
だが、新たなメニューでは色々増えて1時間半かかる。さらにランニングをとり
あえず 2.4km 加える事にした。以前は1kmぐらいで右膝がなんと言うか突き指
したように痛んで走れなくなってしまったのだが久々に走り始めたら今のところ
大丈夫だ。会長が3km15分とか言っていたので 2.4km の内の2km を10分で走
り始め、今は9分にしている。しかし会長は近頃3km13分台に突入したもよう。
いずれはこちらも3kmに延ばし12分を目指そう。
 目標は週2回。まあ無理だが。

2:脚の痙攣(つり)撃退  大体60km走行ぐらいで軽くつり、収まってか
ら80kmあたりで再度重症になって現れるのがパターンだ。特に昨12月の<ツ
インリングもてぎ99km>では悲惨な状態(第七章5節)だった。あの苦しさは
ご免じゃ。トレーニング後も昼寝しようとすると突然襲われることが多々ある。
カリウム不足が原因とも言われるがバナナやプルーンをいくら食っても改善のき
ざしは無い。面倒臭がらずにストレッチの習慣をつけることに決定。走り終わっ
てすぐのビールも我慢してまずはストレッチ。でもこの程度じゃ変わりそうもな
い。バナナ以外にカリウムを採る方法はないのか?<つり防止>効果大と言われて
いる有名なベルギー製ドリンク<3 Action>も2年使っているが効かない。尤もこ
れは粉末なのでついケチって薄めに作ってしまうせいかもしれない。だれかいい方
法を教えてくれ!!

3:長距離に強くなる  <つり>も長距離には問題だが、当然ながら純粋な脚
力も大問題だ。前述の<もてぎ99km>では序盤37〜38km/hだった平均速度
が50km走行あたりでは32km/h、80km過ぎでは遂に30km/hを割り込んで
しまった。まだ脚がつる前にである。その時点での周回ごとの平均心拍は140前
後だった(序盤は156〜162)ので本来なら全く余裕の筈なのに回せない。脚
力が心肺機能に全然追い付いていないと言うことなのだろう。単純な筋力だけでな
く回転力を磨く必要もありそうだ。

4:平地に強くなる  平坦コースはどうも苦手なのでなんとかしたい。

5:やっぱり上りも強くなる  平坦が苦手とはいうものの、だからといって上
りが得意と言えるかというとこの程度では<いぬふぐり>以外では通用しないので
ある。体重の軽さと心拍の低さを生かしてもっと強くならねばいかん。

6:公道ではコーフンせず安全第一  12月の事故で反省。その時はエキサイ
トしていた訳じゃないが、自分では色々な局面を想定して走っているつもりだった
のに避けられなかった。特に前方に遅い車やスクーターを発見するとシャカリキに
抜こうとする習性は改めないと危ないよなあ。

 

             ● 8-2

 昨12月9日の事故以来、12日の<もてぎ>は意地で走ったものの全く乗らな
いで年を越えた。もともとシーズン最後の<もてぎ>を終えたら暫くは休む予定だ
ったが、痛みと仕事とで期間が長引いた。ジムでのオフトレも出来ず。折れてしま
ったモゼールの後継フレームに悩んだが各誌絶賛、「吸い込まれるようにペダルが
回る」「剛性としなやかさが両立」「緊張するような下りのタイトコーナーでも何
事も無かったかのようにクリア」と誉められっぱなしの PINARELLO社の PRINCE
に決定。これ程評判のバイクで遅いのは恥ずかしいからかなり躊躇した。レースで
高級車を抜くたびに「ケッケッケッ」と思ってそれも励みになっていたのに逆の立
場になるのだ。だから酒の席で会長やタマさんに煽られてその気になったものの日
にちを置いての実際の注文は某代理店で安くしていた型遅れのウィリエールにした。
しかしタマさんから嬉しそうに「もう完売。ピナレロならあるそうだ。」と連絡が
入る。しかもピナレロを大々的に扱っている別の代理店では半年待ちということだ
ったのに、そこには一台残っていてしかも正に希望のサイズである。雑誌で散々見
たイエローだったので本当は他の色にしたかったがそうすると数カ月後ということ
なので決定してしまった。12月20日に受け取り少しずつ組み立てて元旦の夕方
に完成。ホイールも黄色スポークの Spox なので目立つ。マズイ。

 これで 1月3日にCHAOS のクラブランに参加。3週間振りのライディングだっ
たが浦和所沢バイパス〜富士見有料道路という風の強い平坦コースで先頭グループ
を前半は一応視界内に走れたのはPINARELLO のお陰か。反応がシャープな気がす
る。65km走行。

 数日後の午後、PINARELLOで玉川サイクルに出かける。「やっぱ反応がいいよ
ー。踏み出しは軽いし。」等と言いつつも何せ自分で組んだのだから余り安心出来
ないので各部チェック。するとボトムブラケット(ペダル&クランクの中心部の部
品)がガクガクにゆるんでいる。専用工具が無かったので代用品で締めていたのだ。
これで反応性云々も無いもんだ。やっぱり俺にはホンモノの違いなど分からんのだ
なあ。「見せびらかし小僧が来ましたよ」というタマさんの電話で会長もやってく
る。派手で下品という嫉妬のこもった意見を頂く。あれだけ俺を説教口調で煽って
おいて「しかし買うかねえ、普通。こんな高いモンを。」という。自分のDeRosa だ
って相当したくせに。大切なPrince ちゃんに傷など付けられぬ様早々に引き上げ。
それにしても「プリンス」ってモデル名は恥ずかしい。でもピナレロは他も「パリ」
や「オペラ」などあまり芳しい名前が無いのだ。

 

             ● 8-3

 1月下旬、またまたもう一台組み終えた。PINARELLO入手後、あまりのウツク
シサに「トレーニングでコケでもして傷付けちゃったらどうしよう」と心配になり、
オシャカになったMOSER<Alu Gara>の翌年のモデルが在庫処分で半額以下だった
のでまたタマさんにそそのかされ買ってしまったのだ。昨秋イトーチャンとDr.飯
塚が同じのを既に購入しているのでためらったがモゼールにしか使えない部品のス
トックも持っていたし何たってメチャ安。しかし愛車だった97年型と比べると、
ダウンチューブが剛性確保のためボトムブラケットにむかってテーパー状に極太に
なっておりズングリしてどうも馴染めない。塗装はじっくり見ないと黒だと錯覚す
る超ダークグリーン・メタリックで、それだけならいい色なのだが、MOSERのロゴ
が朱色に銀色のシルエット付きでデカくてバランスが良く無い(イトーチャン&ド
クター、ご免よ。個人的好みだからさ)。近所の、オートバイのカスタム・ペイン
ト工房「ウレタン屋」(以前カワサキW1SAのタンクのレストア塗装を以前依頼し
て大成功)に持ち込もうと考えたが、そうなるとこいつも丁寧に扱わざるを得なく
なり練習用という訳にはいかなくなってしまう。まあ、そもそも練習用にはマルイ
シがあるのだが。ということでそのまま組むことにした。そうそう金を掛けられな
いから、AMANDAに付けていたシマノ105・9速のユニットを移植、AMANDAには
インターネットで安く手に入れた旧105・8速コンポを付ける。完成後暫くは3台の
ポジションを同じにすべく細部の寸法を計測し微調整する日が続く。特にピナレロ
はアヘッド・フォークだからハンドル高を決めコラムを切断しなければならない。
一度切ってしまったら更に下げることは出来ても上げられないので慎重に何度も切
っては試乗する。こうやっていると、悲しいかな、やっぱりマルイシが一番しっく
り来るんだよな。タイムもマルイシが一番良くてピナレロが最下位だったりして。

 それが気になっていたからではないが、2月の初旬、某所にピナレロとモゼール
を運んで、アップダウンのあるコースで16kmづつ走り比べて見た。さすがにマル
イシまでは。本当はもっと短い距離で何回も乗り換えたほうがいいのだろうが。
モゼール、ピナレロの順で測定してタイムはやはり力があるうちに走ったモゼール
の方が良かった。アベレージが27.9km/h対27.8km/k、最高速が56.1km/h対53.4km/hで
ある。後に走りバテて更に最高速にこれだけ差があったのに全体で30秒遅れで済
んだのはやっぱりプリンスが素晴らしいって事にしておこう!!

 

             ● 8-

 2月11〜14日、CHAOS の静岡・藤枝の合宿に参加。車移動組と自走組に分か
れ、もちろん車便乗。長距離の達成感は魅力的だが、国道をトラックにあおられな
がら排ガスで真っ黒になって走るよりは景色のいいところまでさっさと行って気持
ち良く走りたい。とは言え連休初日の大渋滞で朝7時に清瀬を出たのに藤枝到着は
1時頃。早速小さい峠を入れた20km程の周回路をJCRC Aクラスの浅倉君(TREK
カーボン)の背中を必死に追いながら走る。原会長、橋本氏、古寺女史という他の
メンバーはツーリング・ペース。峠であっさり置いていかれ、一人下っていると向
こうから上ってくる自転車が見え、やはりいいコースだから他にも走っているやつ
がいるな、と思っていたら浅倉君だった。物足りなくてもう一度上っているのだ。
これで追い付かれたら悔しいとばかり必死に走るがよく考えたら道を知らないのだ
った。まあさほど心配の必要もなく下の平地で追い付かれてしまった。なんとかく
っついて1周目を終えたが2周目は向い風に勝てずすぐ置いてきぼり。周回を終え、
宿への上りをとぼとぼ上っているとまたしても浅倉君が下って来るのであった。
あ〜あ。やがて宿に名古屋から輪行してきた梶田氏も現れ、風呂に入り、みんなで
ビールを飲んでいると自走組の島さん(50代強豪レーサー)と若手の横倉君が到
着。去年は自走組は5人ぐらいいたそうで、減ってしまった今年、島さんは少々御
立腹のよう。夜は大宴会。

 12日は大井川沿いから国道150号で御前崎まで走る。往路前半は島・浅・横
グループで走るが無謀にも一時前を引いて頑張ってしまいおまけに道を間違えて後
ろも見ずに一人1km くらい突っ走り、心優しい横ちゃんが追ってきて「なんか違
うみたい」と言われて引き返すが川沿いの向かい風でどっと疲れる。三人に合流し
たものの国道で次第に遅れやがて一人旅。御前崎で速・遅両グループは合流、昼食
後はツーリング・グループで宿に戻った。しかし走行距離が88kmほどだったので
折角だから100kmを越しておこうと一人前日のコースを走る。途中別の峠から帰
ってくる速グループとすれ違った。夜はまた大宴会。俺はカメラ、しかも小型がウリ
だった古いオリンパスとは言え一眼レフをウエスト・パックに入れて走っていたので
島さんに「あんな重いものブラ下げて俺達と一緒に走ろうってのは無理だよ。あれが
無きゃあ所々で待っててあげたのに。」とお叱り。そう言えばいつもカオスでは速い
ひともゆっくりな人も誰もウエスト・パックなど付けていない。いぬふぐり会長なん
てレースでもたまに平気でデカいやつを着けて走っているが。実は出掛けるとき持っ
て行くかどうか迷ったんだが、きっと自走組も少しは疲れを見せるんじゃないかと密
かに思い携行した。大々甘だったな。ということでこの日以来私はトレーニングでも
ウエストパックは着けないことにしました。

 13日、自走組を見送ってこちらは蔵田、清笹峠などを始めとする上りコースへ。
例によって浅倉君と先行するがどうも二日酔いだ。後ろを7、8km走ってから並んで
「気にしないで先に行ってよ」と声をかけるが「いや、今日はずっとこれぐらいのペ
ースで流しますから」と言われてしまう。並ぶのも結構必死だったのに。次第に上り
になって来て彼の背中が遠のくと同時に後ろの方に気配が。ありゃ、昨日は最後尾の
方を走っていた名古屋の梶田氏じゃないの。ズルイぜ、油断させといて。酔って「何
で速く走るのか分からん。僕は景色を楽しみながら走るのがいい!!」と言い張って
いたくせに。語尾上げコトバを使ったので俺が首を締めたから復讐する気か?並んで
来たので呼吸の乱れをさりげなく隠し「何だよ、もっと景色を楽しみなさいよ」など
と話しかけておく。「いやあ、さすがにAクラスは速いなあ」と言いながら先に行って
しまった。グヤジイ。ピークが近づくとまたまた浅チャンは上り直しの為に下ってく
るのであった。後続グループはここから別ルートを行くのだが、梶田氏はもう疲れたか
らここで皆を寝て待つというので再び浅倉君と同行、二つ目の清笹峠を目指す。距離は
短いがかなりの激坂がありヨロヨロ。そのあと笹間川〜川根〜身成と快適に走ってショ
ートカット組と合流する筈が大分先の方まで行って迷ってしまい1時間近くロスをして
合流。ここまで67km走行。ラーメンをかき込んで再出発。ここから宿まで30km弱
だが10kmも行かずに浅倉君は見えなくなり淡々と一人で行く。宿に着いても当然浅
チャンの姿は無く、明日は帰るだけだからこのまま自転車を車に積むだろうと脇の芝生
でうたた寝。50分くらいで皆さん帰着。浅倉君はこちらが入浴中に帰還、あれからま
た一つ目の蔵田の峠を上ってきたという。
 当然また大宴会。

 という疲労困憊の三日間だった。帰って来て数日は疲れが抜けず。

 

 

             ● 8-


 2月は合宿以降冷え込みがきつく、27日にカオスで富士見有料道や荒川沿いなど平
地を65kmばかり走った以外ローラー台とジムのみで終わった。3月に入ってすぐカ
オスで同じコースを走ったり一人で早稲田・所沢キャンパス周辺を走っていたが9日、
今年初の<いぬふぐり>合同練習を行うことになった。しかし会長は10時の集合時間
に某所から電話してきて昨夜からまだ帰宅していないとキャンセル。みどりさんもダメ、
タダシは体調悪しで結局タマさんと二人で大泉中央公園・朝霞樹林公園に行く。
約2.5kmの周回コースを1周ずつ先頭交替しながら16周。平地だが風が強くきつ
かった。タマさんが引いていた最終ラップ、終盤に飛び出しロングスプリントを決めて
終えた。タマさんのページから無断転載:3月9日木曜日会長と早川パン吉君と3人で
樹林公園周回を走る約束をしていたのに、会長が飲んだくれてキャンセルしパン吉君と
2人で走る。こちらの練習不足かパン吉君の仕上がりがいいのか自転車がいいのか、
ついていくのが精一杯という感じでゼコゼコ走る。
はっはっは、照れるなあそんなにチームのエースから絶賛されちゃうと。

 しかし翌週は自分のバンドのレコーディングでスタジオにこもっていたためレベルダ
ウン。終えて日曜19日一人で早稲田に行くと丁度パインヒルズが15、6名でスター
トしようとしている。しまった。大塚先生に一緒に走ろうと言われ、今さら他のところ
にも行けないので入れてもらう。激坂を省いた2.4kmの周回。1周目はなんとか先生
の後について行くが2周目に脱落、先にスタートしていた表彰台常連の I 女史と若者に
追い付き3人で行くが若者は暫くして後退、女史と二人先頭交替しつつ走る。ほぼ対等
に交替していたが次第に彼女の方が前を引く割合が多くなった。ツライ。前から落ちて
きた中高校生ぐらいの男と3人になり、12周目トップの4人がぶっ飛ばして来たのに
3人で必死でくっついて行ったがふくらはぎがつってしまった。0.7周で脱落、その
ままほかの2人はペースを落としてしまったのでかろうじて一応は女性に負けずに20
周走ったところで離脱。その頃にはトップグループ以外は皆自主終了。23周目、先生
は相変わらず凄い形相でブッチギリ・ゴールしていた。I 女史の鍛え上げられた太もも
に打ちのめされとぼとぼ帰り周り道をして最近開店した<台湾家庭料理の店>『珍味』
にて青島ビールと辛子ソバで寂しく誕生日の昼飯。

 そして悲劇は終わらなかった。23日(実は昨日)、レースエントリー関係の書類を
玉川サイクルに持って行ったついでに会長に電話して大泉でも走ろうと誘ったのがマチ
ガイ。タマさんがどれ位走るつもり?って言うから「ま、会長を2回周回遅れにしたら
やめようかな」と高笑いしていたら、やって来た本人に言い付けられてしまった。その
せいか、病み上がりだと言っている癖に速い。後ろにぴったり付いてくる。ここの周回
は車の多い一角があるのでタマさんと走ったときはそのあたりは無理せずに流すことに
して大人っぽくしていたのに、会長ときたら信号待ちの車の列をここぞとばかり右から
大回りで抜いて行くし、車が来るのに強引に赤信号を突っ切っていくのでたびたび置い
ていかれてしまいその都度追い付くのに労力を使わされた。最後の10周目、絶対来ら
れないだろうとスパートをかけるがしぶとく付かれゴール20m手前で抜き去られた。
もう嬉しそうで、帰ってすぐホームページに書くとはしゃいでいる。俺はもう真っ暗で、
2日後の今シーズン初レース、マジで当日下のクラスに変更してもらおうかという考え
が頭から離れない。まあここは会長得意のコースで昨年秋に皆で走った時もゴールでや
られたのだ。明日はどうなることやら。書きたくないなあ。

 


            ● 8-6

 3月25日。5時半過ぎに家を出発、順調に修善寺・日本C.S.C.には9時前着、駐車
場で会長達と合流。風が強く、駐車場の外周でウォームアップするが横風に持って行か
れてしまう。レースは9時台にS、A、B、Z(全レースの開始から終了するまでひたす
ら外側を走り続ける耐久クラス。昨年から新設)が始まり、10時50分からC、D、E、
O、Fの順で1分間隔でスタート。我がDクラスの出走リストは88名、5kmコースを3
周だ。ここでは昨年の4月のチャレンジ・ロードで32分15秒、5月末のJCRCで32
分45秒。しかしチャレンジは今日とは逆周りだしスタート後しばらくはペース・バイ
クに先導される。5月のJCRCは前の週に<高尾〜糸魚川 295km>をやった疲れがあった。
だからどちらのタイムも参考にならないのだがシーズン始めとして一応31分台、真ん
中以上の順位を目標にしておく。更に、いぬふぐり内での身分も重要である。タマさん
は不参加、会長は一昨日大泉で俺をカマしたとは言え、この山岳コースでは敵ではない
だろう。問題はタダシとツトムの19歳コンビである。二人はFクラス、3分後スタート
の2周なので追い付かれるワケはないが2周のタイムでも上回っておきたい。
 スタート後すぐに上りになるがその割にはバラけずに進行。その後の下り高速コーナ
ーの連続で集団は長くなり順位を落とし中程以降か。1周目は辛い。2周目に入り身体
もなじみ3、4人で集団になったり飛び出したりしつつ進行。半ばにデカい外国人が前
に入って来たので風よけに利用、しばし楽をしたがフィニッシュ・ライン前の上りで後
ろに行ってしまった。3周目は殆ど某強豪チームの選手と並走しつつ落ちてくる選手を
抜く。下りでも離されないよう頑張るがどうしても遅れる。最後の上りに入ったところ
でアタックをかけ抜いたが、しまった、まだ早すぎたか、と一瞬後悔。しかし近付いて
いたもう1人前も抜き、絶対ゴール前の平坦路で抜き返されると思いながらもうヤケク
ソでダンシング。ところが意外に回せる、延びる。平坦になって必死に漕ぎつつ後ろを
見るがいない!いつもの感じだと絶対やられるのに、もう一度振り返るが大丈夫だ。と
にかく目一杯回してゴール。
 結果は二人に8秒、26秒差で31分36秒の30位。しかし後で分かったが5秒前
に1人いたのでもっと早めに頑張らにゃあイカンかった。ま、一応の目標(低いけど)
はクリアした。ツトムは2位、タダシは8位。ツトムは20分54秒で俺が2周目を終
えた時のタイムが21分ジャストだから、う〜ん、負けた。しかし俺だって2周で止め
るつもりで走ったらもっと速いぞ!?しかしPinarello は良いようだ。先日パインヒルズ、
会長・大泉と立て続けに打ちのめされた時はMoser だったのだ。

                      photo by まさこ

 

 

 

 

2番目が早川選手。

 

 

 


            ● 8-7

 話は戻るが2月の末に片倉シルクのピストをタマさんの仲介で格安で手に入れた。引
退した競輪元A級のM選手が現役時代にオーダーしたものの直後に片倉自転車が倒産し
てしまった為に規格外扱いで実戦使用出来なくなり(その辺の規則はよく知らない)油
紙に包まれたままタマさんの師匠の店の奥深くに保管されていたというものだ。一体い
つ頃のものなのか、つまりいつ片倉がつぶれてしまったのか良く知らないのだが、20
年前には結構元気に宣伝をしていた記憶がある。10年くらい前までは町の自転車店の
メーカー看板にも「丸石自転車」「ブリヂストン・サイクル」などと並んで名前があっ
たような気がする。ビンテージの雰囲気を漂わせる、細いクロモリ・フレームは美しい
グリーン・メタ。フォークとリアのチェーンステイ、シートステイは落車やぶつかり合
いの傷を防ぐためメッキ仕上げで闘う道具といった趣き。塗装部との境はボカシになっ
ている。フレーム、ハンドル、前後チューブラー・ホイール(タイヤ無し)という状態
だったが、ホイールはとりあえず形にするために付けてあったようなものでリアは変形
も見られ使えなかったのでハブをバラしグリスアップしてWOリムで組み直し。ついでに
フロントもブレーキの装着を考え、事故ったモゼールに最初に付いていたメッキ・フォ
ークに交換。大幅にコラムを短くカット、ネジ切りにはタマさん、タダシと3人で交替
しながら汗だくで完了。シートステイはサイズが分からずMongooseのMTBに付いている
26.2mm を入れてみたらゆるかったので26.4mm を取り寄せたが太くて入らない。そもそ
も現在の競輪の規格では26.8、27.0、27.2 しか無いはずなのだが。しかたなくディスク・
グラインダーで荒削りしてからサンドペーパーで少しずつ慎重に仕上げてピッタリはま
るようにした。そこにサンマルコのサドルを装着。ここまで出来た夜、恐る恐る家の前
で乗ってみるがやはりブレーキが無いのはコワイ。競輪やトラック競技に代表される固
定ギアの自転車を、よくコースター・ブレーキと勘違いして「あれって後に踏むとブレ
ーキがかかるんでしょ?」と言う人がいる。また知ってはいてもただ脚を止めればいい
と漠然とイメージしているようだ。実際は、急に脚の動きを止めるとガツンと身体が持
ち上げられてしまうし自転車が慣性で動いている間は脚の方が回されてしまう。かなり
低速になってからでないと脚を後に踏んで止まるというのは無理なのだ。という具合で
取って返し、まずはローラー台で試乗。全く空回りしないというのは不思議な感覚でロ
ーラーでさえ別物のトレーニングになるようだ。
 数日後ブレーキを付ける作業をする。まず、余りにも前下がりの競輪用ステムとハン
ドルをロード用に換装。ステムは以前モゼールで短くしてみようと思って買ったつもり
が同サイズだった新品のITM。ハンドルは3月20日のフリーマーケットで買った20
0円の日東。それに500円で買ったサンツアーの新品ブレーキと1000円の古いレ
バーというラインナップ。フロントはロードのフォークだからそのままO.K.だがリアは
苦労した。アルミ板を3枚使ってなんとか付けた。いよいよ外を走る。う〜ん、面白い。
知らなかった世界だ。滑らかな、滑空するような感じ、無音なのも実に新鮮だ。部品が
少なくシンプルなのも美しい(いい加減な台形の自作ブレーキプレートが問題だが)。
モノの本によれば歴史にのこるチャンピオン達の中にもピスト車でのトレーニングを取
り入れていた人は多かったという。アワーレコード(1時間にどれだけの距離を走れる
かという記録競技)だって固定ギアで行われるから運動理論上はムダがないわけだ。と
は言えやっぱり非常時に脚が止まらないというのが恐くてスピードはまだ上げられず、
外ではトレーニングというレベルには到っていない。ジムに行ったり図書館に行ったり
と、なんでも無いことに使っているだけだが緊張してそれが面白い。

とりあえずノーマル状態に組んだところ。
これでもステムは上限マークまで上げて
あるのでハンドル下部を握ると相当な前傾。


            ● 8-8● 

 4月16日、ツール・ド・草津。雨の中、前日からカオスの面々(浅倉、飯塚、武重、
斉藤女史、保谷夫妻、谷中&彼の同僚:小川、吉田)と現地に乗り込み、その名も<草
津ホテル>で温泉と豪華絢爛宴会の一夜が空けた。雨も上がり時折陽も差すがホテルの
外で用意をしていると曇ったり雪が舞ったりと安定しない。スタート会場でも寒くて寒
くてもう殆どの出場者が並んでいるがなかなか建物から出られない。開会式が始まった
ので覚悟を決め外に出る。そこでショッキングなニュース。ゴール地点がマイナス5度
&強風、雪という悪天候の為距離が公称6km(実際のところ5kmだった)に短縮されて
しまったのだ。
 さて、レースはまず草津の温泉街を5kmのパレード走行。800人あまりが5分間隔
の3グループに分かれて走りだすがアップダウンや狭まる所も多くかなり混雑。落車も
何件かあったようだ。沿道の人々に日の丸の小旗を振られたりしてちょっといい気分。
最後にきつめの上りの後で正式スタート地点に到る。一人ずつチップ計測なのでセンサ
ーの手前でウィンドブレーカーを脱ぐ選手が多いようだったが速度がのっていたのでその
まま通過。短いからペース配分も大して考えずひたすら踏む。本当の順位というか位置は
分からないわけだが快調に抜いて行く。勿論つらいが更に寒さがきつい。指はかじかんで
いるし上るに従って風も出て、枝々に積もった雪がバサッと飛んで来て顔に痛い。終盤で
一人に初めて抜かれしばらく後につくがすぐ切れた。ゴールが見えてからはとにかくスパ
ート(といってもコーナーの向こうだったから大した長さではない)。そのあたりはもう
雪の中である。殺生河原レストハウスによたよた入り無料の豚汁で暖まった。

 結果は41歳以上クラス142名中14位。クラス1位は山岳王・村山氏で総合でもト
ップの13分20秒。我がタイムは17分53秒であった。随分違うものだわ。浅倉君は
30歳未満クラス120名中堂々3位で14分19秒。それでも「上りはキライ」という
ニクッたらしい言葉。他のカオスからの参加者は俺のテキではなかった、はっはっは(前
夜の日本酒作戦が良かったか?)。しかし後が恐いよ、ね、飯塚君。斉藤さんが女子ロー
ドクラスで5位でした。

 反省点:心拍から見るともっと攻められた筈。アベレージ161、マックス164まで
しか上がらなかった。あとでグラフにダウンロードしたらほとんど平らだった。無意識に
パワー切れを恐れてしまっていたのだなあ。


            ● 8-9● 

 大型連休のなかの5月3日、昨年は9月だった「シマノ・ロードもてぎ」第2回が開催。
前回はオープン・クラスに出たのだが、40、50代の実力者達の多くが距離の短めな年
齢別クラスに出ていたので今年は我々もそうしてみることにした。同じ金額を払うなら距
離が長い方がトクだと単純に去年は考えたのだが。しかし2周 9.6km であんなに遠くまで
行くのは勿体ない。ということで、面白そうな<チーム・ロード>にダブル・エントリー。
4人一組で走り3番目の選手のタイムで計測する。前走者から20m以上離れると失格。
3人目で決まるので一人は脱落しても良い。5周24kmだ。ツトムが仕事を休めないとい
うことでカオスから飯塚君と斉藤さんを助っ人に頼み、A:タマ、タダシ、カオス飯塚、
早川 B:会長、Dr.飯塚、みどりさん、斉藤女史 という2チームを結成、と言っても何
もしていない。さて、まずは個人レースだ。

 我々のしょっぱなはカオス飯塚君の<マスターズ30+>、8時25分スタートで4周。
100名程の出走、30人近い先頭グループの中、好位置で展開しトップに4秒22遅れの
23位でゴール。パチパチパチ。次いでずっと時間が空いて、タマさんと俺の<マスターズ
40+>。リストの112名の中にはオープンM-3(6周)やエリート・クラスで走るべき選手
の名前がいくつもある。思わず「なんでえ、これっ!こんな連中と一緒かよ!!」とパドッ
クで大声を出してしまい妻にたしなめられる。時間はたっぷりあるのでブースで小物を買っ
たり、ローラーでアップ後タマさんと外を走ったりでスタート時間を迎える。真ん中あたり
で始まり順位を上げようとするが、ここ<ツインリングもてぎ>は特に左周りだと集団がバ
ラけない。ひしめく中をなんとか前に出てもコーナーですぐ前が詰まり無謀な追い越しを掛
けてくるヤツに譲ってしまう。唯一の上りらしい上りで折角周りのスピードが落ちてもライ
ンが塞がっていて前に行けない。とは言っても距離が短いせいで最初からハイペースである。
先頭集団にはいるものの後ろにどれぐらいいるのか全くわからない。JCRC・Sクラスの選手が
飛び出し後ろに一人付けてリードを広げるがすぐに吸収、その後も何度かペースアップがあっ
て集団が長くなりかかり必死に切れるまいと心臓バクバクで食い下がるがタイトコーナーなど
で後続に追い付かれ再びダンゴになるという繰返し。終盤になってそれまでダンゴの左右の端
寄りに分かれていたタマさんと並ぶ。前のヤツがしきりにその前に「しっかり走れ、ふらつく
な!」と怒鳴っている。この固まりで力尽きて蛇行されたら危険だ。後ろのほうから叫び声と
クラッシュ音が聞こえたのはさっきだったか序盤だったか朦朧。やがて最終コーナーで一旦速
度が落ちてラストスパートである。一瞬タマさんの為に前を引こうかと思ったが全然ラインに
余裕がなく(勿論アシにも)そのままフィニッシュ。トップに3秒64遅れの28位、27位
のタマさんには0秒76遅れ。結局トップから5秒に40人もいるというラッシュだった。タ
マさんは俺が草津で走った日のJCRC第2戦・Bクラスでなかなかの成績だったからDの当方とし
ては彼に迫れたのでかなり充実感アリ。

 往路は結構な降りだったが到着後上がっていた雨がまた降り出す。やがて土砂降りと雷。車の中で仮眠するが、その間、いぬふぐり新規加入のさいぞう君が1時間レースに出て20位、御立派。3時45分のチームロードをひかえ、上がりかかってきた雨の中、初の4人練習。俺が本で仕入れてきた「基本は左回り、間隔は3、4秒」という先頭交替の方法は気を使ってかえって遅くなってしまいそうで2、30秒間隔にしようということになる。今気付いたのだが、この基本ってのは普通のロードレースのローテーション方法でした。皆さんご免なさ

い。この他にも上りが苦手なタダシのために坂では残る3人で交替するとか、いや上りは動かず
に行こうとか、下りはタダシが思い切り先頭を引くとか作戦を相談したが結論は先頭が余り長く
引かずに交替、上りでタダシを置いて行って失格にならぬよう気を付けるってことぐらいで時間
になる。チームロードA(実業団未登録)は25チーム、10秒間隔でスタートのタイムトライア
ルだ。よたよたと発進し、え〜とどうするんだ?と慣れないローテーションをする我々の横を
「左行きます!」等と声をかけてシャーッとあっという間に抜いていく組もあればそんな我々に
抜かれるチームもあり、次第に慣れてきていい感じになって来る。2周目半ばタマさんが「タダ
シがもう限界だから(タダシの名誉の為に言っておくが、JCRC第2戦Fクラス優勝者)次の上りか
ら3人で行こう」と言った矢先、飯塚君のリアがパンクしてしまった。こうなったらタダシに死ぬ
気で頑張ってもらうしかない。3周目に入ってすぐの下りのシケイン、なんと今度はタマさんのフ
ロントがパンク!こうして我々いぬふぐりメインチームのレースは終了。こんなサーキットでは滅
多にないパンクが二人も出るなんて。審判員も気の毒がってくれた。セカンドチームは全員無事完
走、しかもビリではなかった。

 

 帰路、温泉に寄り打ち上げ。


           ● 8-10● 


 近頃機嫌が悪い。年間を通して自分としての重要なレースにことごとく出られなくなって
しまったからだ。まず毎年のオープニングにしていた4月あたまのチャレンジ・ロードが中
止、5月は一大イベントの高尾〜糸魚川300kmが今年から出場が抽選になってしまい落
選、6月のエンペラー・カップの日には阿蘇で仕事、7月のミヤタ・カップもツアー中、。
8月最終日曜の乗鞍ヒルクライムはエントリー料を払い込んだ翌日に同日の本牧ジャズ・
フェスに出演が決定してしまい、9月川場村ヒルクライムも仙台で仕事、10月のツール・
ド・嬬恋も、数少ない一桁順位を狙えるレースである龍勢、武尊の両ヒルクライムもツアー
とぶつかっている。仕事がなきゃあ文句、あっても文句。

 とは言えトレーニングをさぼってはいられない。小沢峠〜正丸峠往復(100km)をやった
り、定番の狭山近辺周回コースでラップタイムのデータを細かく取ったり、日曜日のカオス・
レーシングの多摩湖〜小沢峠〜青梅〜多摩湖(90km)に参加したりしている。最近気に入っ
ているのはスポーツジムでのバイク・レッスン。普通のバイク・マシンとは別物の、「ずれ
ずれ草」その17に書いたスポーツバイク・ショウで体験試乗したものがウチのジムにもあっ
たのだ。4年以上も通っているのに知らなかった別室で週3回インストラクターの指導のも
と40分のトレーニングが行われており、昼間は水曜のみなので(夜はアルコールを摂取し
ているから駄目)時々しか行けないがこれはキツい。負荷装置には目盛りがなく自分なりに
インストラクターの「重く」「更に重く」「軽く」などの指示に従い調整するので楽をしよ
うとすれば出来るのだがどうしても意地が出て来て重めに設定。ダイエット目的のオバサン
達の間でただ一人ぐあー、ハッハッハッと床に水たまりが出来るほど汗を垂れ流しておる。
心拍の上の方の滞留時間などは峠の単独トレーニングより長かったりする。先週初めての
30過ぎ位の男性が来たが始まって10分もせずに脚がつって倒れ込んで帰ってしまった。
それに引き替えオバサン達は強い。

 


           ● 8-11● 


 5月26日、21〜28日まで開催される Tour of JAPAN の<茂木ステージ>に併催され
る「第2回もてぎ国際市民ロードレース」に出場。プロは9時半スタートで153kmだが、
その終了後2時から12kmと36kmの2クラスで行われる。以前の私なら当然「同じエ
ントリー料なら長く走れる方がお得」と考えるのだが、今回はちょっとクレバーに、たぶん
強いやつは36kmに出るだろうと踏んで短い方で上位を狙ってみることにした。

 10時過ぎに到着すると本番の方では6人が大集団から逃げつつあるようだ。目の前をザ
ーッと音を立てて高速で通り過ぎる集団は迫力満点。暫く見てからこちらも準備に入る。今
日は外周道路も使ったコース設定なのでレース開始後はパドック裏に車を入れられず、停め
た一般駐車場には日差しを遮る物はない。快晴・真夏日の今日はとてもローラーなど出来な
いのでゲート〜駐車場間の坂等でアップをする。ここいらも一部片側通行にしてコースにな
っている。サーキットから出てきて直角にこの道にぶつかり右折して行くのだがこのコーナ
ーで目にした、集団通過後にひしめき合ってやって来る各チームの約20台のサポートカー
のドライビングがまた凄かった。狭い所に強引にハナを突っ込んでタイヤを激しく鳴らして
行く。どっちがレースやってるんだか。車はレガシイ・ワゴンに統一されているのだが、四
駆でたぶん前後適正トルク配分装置などついているからあれだけタイヤが鳴るというのは相
当な運転だろう。おそらく17チーム中一番派手だったのはイタリアの2チームの内のどち
らかだと思う。
 1時過ぎのゴールに備えて地下通路でパドックに移動、あたりをぐるぐる回って脚を動か
しつつ付近を選手達が通過するときは見物。6人の逃げはそのまま決まりゴールスプリント
になった。こちらとは殆どコンクリート・バリアのみの間隔で眼前を怒濤の如く駆け抜ける
迫力。真ん中あたりの全日本チャンプ・藤野選手に思わず「フジノー!!」と絶叫する。先
のフィニッシュラインで左に抜け出してゴールするのが見えたが3位だったらしい。1分少
々後には大集団がこれまた大迫力でゴール、接触でもあったらこちらにぶっ飛んで来そうで
結構怖い。1位はニュージーランドのミラー。

 表彰式、インタビュー等が済んでいよいよ出番だ。エントリーは36kmクラス70名、
私の12kmクラス28名(少ない!平日だもんねえ)。2時に36kmがスタート、その
3分後に我々。ベテランのKさんに、マークすべき何人かを教わっていたのでそれに従い、
と言うかまずKさんをマークして4番手で始める。2km位の所で後ろの連中がどっと前に
来て飲み込まれ、ああ好位置もここまでか、と思ったがすぐに現れた上りで挽回、また4,
5番手になった。Kさんは下がってしまい代わりに始め俺の後ろにいた、「強い」と教わっ
ていたCさんが前にいる。上りきってからの下りでは先頭になってしまいそうになるが、今
回の趣旨<クレバー>に徹し3〜5番手をキープ。先頭はいつの間にか落ちて行き後ろにい
た選手がトップに上がってきたようだ。中程パドック前を通過、5番手だったがカミさんが
見えたのでついハンドルを低く持ち替え加速、3番手に上がってしまった。いかん、クレバ
ーなのだった。このあたりまでは後続も連なっていたが 6.5km地点からの上りで先頭がペー
スアップ、メンツも入れ替わって5人での逃げ。千切れては終わりだとなんとか付いて行く。


        <
パドック前を行くハヤカワ選手>

気が付くと後ろはコーナーの向こうで全く
見えない。あと4km、逃げ切れるか。苦
しくて、ともすれば4番手と間隔が開きそ
うになるがこらえて詰める。ようやく見え
てきたフィニッシュ・ラインめがけ僅かな
牽制とアタックが始まり、きつさの余り、
もうこのまま緩めても5位確定だからいい
か、と一瞬諦めがよぎるが奮い立たせてス
パート。一人抜くもののその前のCさんに
は1秒届かず4位でゴールした。いやあ、
ホントに苦しかった。こっちのクラスにし
ておいて良かったよ。

 


            

           ● 8-12● 


 6月某日、前夜の電話で急に匿名希望 Tと峠を走ることとなった。ALANでやってきた
と9時半出発、こちらはMOSER。「なんだかふくらはぎが去年までと全然違う」と羨望の
眼差しで見られちゃって「え、そう?そんなに練習してないけど。」とウソをついておく。
青梅所沢線から岩蔵街道〜小曽木〜成木街道を走り小沢峠を越え名栗川に出て、酒屋の自販
機でお茶を飲み一休み。ここまでの坂は全部オレが取ったぞ、と密かににんまりしつつ「い
やあ、ほんとにキツイねえ」と牽制。俺は缶茶だったのだが隣のペットボトルの自販機でス
ポーツドリンクを買ったが声をひそめて「千円札入れたらお釣りがこんなに出てきた」と
20個ぐらい100円玉を示した。もし真実ならば故障を店の人に教えてあげなくてはと思
い、確認のため俺も買って見た。ところが正確に850円出てきたばかりかその内の350
円が50円玉であった。更に気の毒がったが「おごる」と言って150円くれたので小銭
入れがズッシリと重くなり、オマケに飲むあてのないボトルを背中のポケットに突っ込んで
走る羽目になったのでこれからの峠で圧倒的に不利になってしまった。ハメられたのだろう
か?まあいい、重い方がトレーニングになる。
 下名栗〜上名栗とだらだら上ってから山伏峠の上りに入ると「今日はダメだ、先に行って
くれ」とが言うので先行することにした。ひと月前に一人で走ったがやはり相手がいると
心拍レベルが上がる。ダメだと言っておきながら時々間隔を詰めて来るのも油断ならぬ。苦
しかったが逃げ切りしばらく下ってから正丸峠を上る。峠の茶屋でざるそばとの誘惑に乗
せられビール。そのまま下って刈場坂峠〜顔振峠の奥武蔵グリーンラインを走るプランもあ
ったが4月に行ったら途中道路が崩れていて(去年から)通れなかったのと(しかしこの間
浅倉君が担いで通ったと言っていたが)顔振から吾野に下った後の国道299がダンプやト
ラックの量が非常に多いので協議の上、ほぼ同じルートを戻ることにした。小沢峠に代えて
山王峠を上ったが先行、小曽木の東京バーディクラブの上りではとうとう右ふくらはぎと左
ももがつってしまったが止まったら動けなくなってしまうので回し続けた結果また先行。も
うこれでキツイ上りはない、ほっ。と思ったら脚が回らなくなり最後の坂らしい坂である岩
蔵街道の木野下あたりでは大分置いて行かれてしまった。その後ウチまでは全く前に出られ
ず赤信号でしか追い付けなかった。これは結局負けたということか?我が家でタマ、いや
の買った500ml の缶ビールを4本空けてから再びALANに跨って14km先の自宅を目指し
て走り出した彼の背中は偉大であった。私は彼の後ろ姿が見えなくなるまで合掌して見送っ
たのである。


           ● 8-13● 


 6月11日、白馬・栂池高原での第10回つがいけヒルクライム大会に初参加した。乗鞍、
鳥海山と並ぶ三大ヒルクライム大会の一つである。JR白馬大池駅上から栂池温泉、栂池高
原スキー場を経てロープウェイ終点の自然園駅までの17.1km、平均勾配7%、最大
10%のコースだ。乗鞍が平均6.3%で23km、川場が9%で7kmだから辛いにして
もイケそうだ。コースレコードが50分位だからだいたい1時間15分見当、目標は10分
にしておこう。

 前日入りして、一番きついと言われるスタートからの2.4kmをふくめ5kmほど試走。
火曜に奥多摩周遊道を上り水曜にジムのスペシャル・バイクマシン、木曜に狭山湖付近の坂
を10本という軽めの週間トレーニングだったのだが木曜の午前中〜午後みっちり草取りを
して普段使わない筋肉で労働してから坂だけ走ったせいか、翌日から腿裏側の経験のない筋
肉痛がひどい。皆かなり走り込む様子だが、早々にバイクをしまい宿泊先「やまじゅう山荘」
に入る。大会本部のある体育館からやや離れているせいか客はカミさんと俺だけだ。風呂に
ビール、夕食には山菜が豊富に出た。こごみ、うとぶきのおひたし、タラの芽、ふきのとう
の天ぷらなど美味であった。地ワインを一本空けて9時過ぎに寝込んでしまったので夜中目
が覚めてしまいあまり眠れなかった。しかし乗鞍の時はいつも睡眠3時間くらいだし高尾〜
糸魚川294kmのときは30分しか眠っていなかったのだからまあいいのだ。 

 さて朝、小雨が降っている。8時40分集合で9時からクラスごとに2〜5分おきにスタ
ートで、殆ど最後の我が40代クラスの出走は9時28分。この天気でこれではアップをし
てもすっかり身体は冷えてしまう。という事にしてローラー台は出さずスタート地点までは
5,6分なのでギリギリまで宿にいた。召集場所近辺で軽くアップ、雨は一応止んでいる。
あとは雑然と並んでただ待つのみでようやくスタート時間だ。ここは序盤で頑張り過ぎると
後半もたないと雑誌に書いてあったので20番手あたりで心拍も160以下に押さえて様子
を見る。その最もきついという2.4km後に短いながらもゆるい下りと平坦路があるのだ
が、ここも「序盤の遅れを取り戻そうとするのは禁物。絶対後が続かない。」と書いてある
のでクールに水分補給しながら適度に行くがやはり抜かれると抜き返したくなってしまうわ
なア。800mほどで上り始め旅館街を抜け再び勾配がきつくなって来て5,6km地点ま
でがなかなかきつい。このあたりから序盤セーブしていた連中が前に行き始め、反対にオー
バーペースだった者が落ちはじめた。元ヨーロッパ・プロ市川雅敏氏が沿道にいて、俺の後
方に2人いる彼のクラブの選手に「頑張ってね、先頭すぐそこだよ!」と声をかけるがその
「すぐそこ」が徐々に離れて行く。5分前スタートの30代クラスの遅れた連中も混ざって
しまって順位はもう分からん。大会パンフレットには旅館街から先はずっと7%でほぼ一定、
と書いてあったが走る立場にとっては真っ赤なウソ。タイトコーナーも多く短い急勾配はか
なりある。地元長野の某チームが2人でいたので、彼らはこのコースは良く知っているだろ
うと判断してマーク。うち1人はかなりいいペースでいくので隙間に入り込みひたすら付い
ていくことにした。もう1人はやがて切れてしまった、悪かったなあ。彼のペースでどんど
ん(大げさ)抜いていくものの、まあ大方は前のクラスの選手達だろうから順位は上がって
いるのかどうなのか。彼のチームの先行していた選手を含む4人の集団も抜く。しかし10
kmあたりだったか、勾配のきつくなった所でついに千切れてしまった。気が付くと162
〜165あたりだった心拍がペースメーカーがいなくなった途端155近辺まで落ちてしま
っている。イカン、と思っても脚が重い。尻の筋肉がえらく痛む。先ほど抜いた長野県人に
も抜き返されてしまった。おまけに3月のJCRCで最後の上りで抜き去った某選手にも、
前半に抜いていたのに抜き返された。ペースの合いそうな固まりを見つけては追いつき、更
に前の手頃なグループを目指すというのが理想なのだが、後半にもなると前に見えて来るの
は大抵は力尽きつつある遅れ気味の選手だからそうそう上手く運ばない。やがていい選手を
見つけた。ここに来てなかなかメリハリのある走りでダンシングを多用、ラインも良いので
徹底マーク。ゼッケンからすると多分同クラスだ(しかし後でリストで確認したら36だっ
た)。二人でそこそこ抜いていく。やがて残り5kmの表示が出てここからは1kmごとに
看板があるので自分のメーターより励みになる。というより、この苦行から解放されたい一
心なのだ。残り3kmすぎからは4、5人で抜きつ抜かれつで兎に角苦しい。残り1kmを
過ぎしばらく待ってから先頭に出るが皆しっかり付いているようだ。やがてコーナーに陣取
る応援の集団の中の、ゴンドラ&ロープウェイで先回りしていた妻に檄を飛ばされスパート、
後続に12.4秒差でゴールした。しかしホントに苦しかった(レースのたびに同じことを
言っている)。ケツの下部の筋肉の激痛はゴール後しばし動けないほどだった。

 結果は96名中24位、1時間12分08秒6。目標の1時間10分に及ばず。実は、草
津で142名中14位だった比率でいくと10〜15位くらい行くかも、と密かに思ってい
たのだが全く甘かった。10位は俺より5分も早かった。1位についてはもう言いたくない
大差。しかし20代、30代クラスでも27,8位相当のタイムではありました。


2000年後期
           ● 9-1● 


 仕事のせいでさっぱりレースに出られなくて更新も手つかず。合間を見てチョコチョコ乗
っている程度ではやはりダメだった。麗蘭のツアーの後半の7月23日、東京のライブの翌
日が空いたのでカオス・飯塚君を誘い山王峠〜小沢峠を走った。他のカオスの面々は佐渡で
合宿か酒盛り中。この日は予想最高気温39度で、そのせいか9時半の多摩湖の待ち合わせ
までのウォームアップで既にいつもより1割心拍が上がっていた。それでも序盤はそこそこ
走れ、「さっきの坂、心拍いくつまで行った?」「178です。」「オレ160行かなかっ
たよ。」「えー?なんでこんなに違うんだろ。」なんて圧力をかけていたのだが、山王を数
秒差で超えて名栗川沿いを北上し始めたとたん両ふくらはぎがつる。そのままこらえて回し
続けるが小沢の上り口で休憩を申し出た。止まったが片足がペダルから外せず飯塚君の手を
借りるという情けない状態。ストレッチで回復したが兎に角暑い。いくら水分を採っても足
りない感じ。上りはもう全くダメでどんどん置いていかれた。先の東京バーディの激坂で力
を使い果たしたという飯塚君にその後の2つの短い上りでは先行出来たが平坦になってから
はまた大きく遅れた。瑞穂でラーメン屋に入るがあまりの疲れに半分食べるのがやっと。
あのツリざまといい、これはやはり熱中症・熱射病かもしれない。一人ゆっくり帰るつもり
で、ここで解散しようと提案したが彼が俺のCDが欲しいから家まで来ると言う。嬉しいけど
辛かった。

 8月1日、京都で麗蘭ツアー終了。何とか20日のレースまでに調子を上げなければ。
4日にKIKI Band で群馬・桐生市でコンサートがあり個々自分の車で行くことになったので
Pinarelloを積み翌日赤城山を上った。毎年五月頃にカオスでこのヒルクライムをやっているが
いままで一度も参加出来なかったので初コースだ。国道沿いの「道の駅」に駐車して3km先
(渋川寄り)の登り口を目指す。赤城への道は以前有料道路だったルート。昨日の宴会の席
で主催者が「古い設計の道路だからズドンとまっすぐ登っていて角度がきついよ」と言って
いたが、なるほど、上り始めて6kmほどでぐっときつくなってきた。しかもカンカン照りで
8時半から走り出したのだがどんどん暑くなる。地図では上の大沼まで19km、奥多摩の時
間で考えて予想経過・到達時刻を設定するがどんどんオーバーして行く。ステムにボタボタ
汗が落ちる。速度も度々10km/hになってしまう。6〜13km地点までの平均速度10.7km/h、
最低速度7.9km/h。しかし平均心拍154、最高161という按配で心肺には余裕のはず。またして
も脚力とのアンバランスが証明されてしまった。結局最高地点のエネルギー資料館とかいう
ところまで上り始めから15.5kmを1時間16分40秒、平均12.2k/h。そこから大沼までは下
りだったのでいささか拍子抜け、到着後さっさと資料館まで上りなおし売店でバナナ牛乳を
飲む。なんと空はかき曇り、大汗でずぶ濡れ状態での下りはウィンド・ブレーカーを着ても
寒かったが、車に邪魔されることなく登り口まで20分、平均45km/h、最高62km/hで快適な
ワインディングだった。

 しかしこう暑くては復帰トレーニングもままならぬ。


           ● 9-2● 


 8月20日、2ヶ月と10日振りのレース。日刊スポーツ・ツール・ド・ジャパンの第2
戦 、修善寺ステージだ。JCRCに準じたクラス分けになるので Dクラス、日本サイクルス
ポーツ・センターの5kmコースを5周。 いぬふぐり青梅支部長、Eクラス6位入賞で昇格し
てきたヤル気バリバリのさいぞう(32)と対決せねばならぬ。カオスの飯塚君(37)もいぬ
ふぐりでDエントリー、 この間小沢峠で脚がつって自転車を降りられなかった醜態の雪辱を
果たしたいが彼はB認定を受けたこともあるので手ごわい。自転車からウェアまで常に最新の
パンターニ・ルックで固めて有名な、カオス保谷君(36)も同クラスだ。チーム・プレイと縁
のないレベルの我々ではまず仲間に勝ちたいからこれはオオゴトである。しかし夏場あまりト
レーニング出来なかったし オレは大人だしなあ、と諦めもほのかに漂わせつつ会場入り。軽く
アップを済ませ9時10分召集、30分スタート、87名出走。 右回りなのでまず<心臓破り
の坂>を逆から上りそれを下ってからは緩いアップダウンだ。先頭の20人くらいの中にいる
のに心拍は150台。なんか楽だぞ、ひょっとしてオレって調子いいんだろうか、と一瞬思っ
たがやっぱり錯覚でした。2.4kmあたりから続くだらだら上りで一挙に苦しくなり167
まで上がる、順位は下がる。そのさなか、「あ、どうも」とかなんとか言いつつさいぞうが抜
いていく。アシストせいっ、と心で叫びつつ「おお」とさりげなく返すが、くそっ、全然速度
が違う!1kmこらえて下り連続コーナーを飛ばし1km弱、最後のきつい上りが500m程
あってから200mくらいの平坦でゴールライン。2周目に入り抜きつ抜かれつではあるが着
実に順位は落ちていそうだ。4,5人で下りで飛ばしているときに 左から保谷君が流麗なフォ
ームで抜いて行った。付いて行こうともがいてラインが乱れたのか、続いて左を来た選手と接
触、反動で右のやつにも当たる。65km/h位だったので ヒジョーに怖かったが弱気になった
らこけると「ウオー」とか「ガー」とか怒鳴り合い気合いを入れた。驚いた保谷君が振り返る
がやっぱり置いていかれた。そして3周目、前半力を温存していた連中が出て来る。保谷君の
背中が向こうにずっと見えてはいるが近付けない。まだ並んでこない飯塚君にプレッシャーを
感じつつ踏み込んでいるつもりが回らなくなってきて1周目にさいぞうに抜かれた坂などでは
遅さに逆に心拍が楽になり150を切ってしまうという情け無さ。147という数字を見た時
にはこれじゃイカンと奮起、また167,8まで上げる。下りを懸命に飛ばしていよいよ左カ
ーブ後最後の上りにかかる。3月にここで2人抜いているから何としてもこの坂では順位を落
としたくない。上げたいが前は離れている。しかし皆きつそうだ、ダメでも行ったれ!カミさ
んもニコンF3をかまえつつわめいているではないか。心臓バクバクでダンシングしつつ詰めて
行き1人抜きその前のヘロヘロの様子の選手を見ると、もしやさいぞうか!?

 初めは目を疑ったがあのゼッケンは間違いない。このままそっと後ろに付いてゴールで刺せば簡単に勝てそうだ。しかしオレはそんな小さな勝負にこだわる人間ではない。迷わず左から前進する。と、オレに気付いたさいぞうが突如蘇ってガンガン踏んでくる。こっちも必死に先行、二人で左右から1人2人抜き、絶対彼の方が平坦が強そうなのでとにかく踏みまくる。そしてフィニッシュ、かろうじて0.8車身差くらいで競り勝った。吐きそう。ここで本日最高心拍の176(低い)を出した。へんなチーム。
 リザルトは39位/87名、32分05秒。3月より29秒遅かった。さいぞう君がいなかったらもっと遅かったろうからこれもチームプレイの一種なのか?保谷君には間に4人、16秒及ばず。飯塚君は次週の乗鞍に余力を残したか30秒余り後ろでフィニッシュ。


最終コーナーからの上りでエジキになる選手達を
見据える早川。真ん中がさいぞう選手。


           ● 9-3● 


 何だか知らないがこの夏はよく脚がつる。2月のカオス合宿では連日100kmくらい走って
いて平気だったのが、思えば5月末にカオスのクラブランでワカモノ3人と競り合ったせいで帰
路の昼食中に座敷で突如つりまくりのたうったのが前兆だった。幸い俺のクラスの通常のレース
距離ではこの激ツリ症状は現れたことが無い(今年の冒頭に記したが60〜80kmで訪れる)。
 次が9-1に書いた7月23日の小沢峠。そして実にひどかったのが9月2日、関東が今年の最高
気温を記録した日。前項9-2のレースでAクラス優勝、ついにSクラス昇級となった浅倉君と荒川自
転車道の浦和・所沢バイパスとの交差点で9時に待ち合わせ、自転車道を北上し一般道に出て東
松山の物見山に1時間余りで到着、ずっと後ろで平均心拍134で楽をするがカンカン照りだ。
先行していた飯塚夫妻と合流し、浅倉君の先導でアップダウンの激しい14kmの周回ルートに
出るが既に家から50km、気温は39度超。コース半ばから早くもつり始め足首を突っ張らせ
たままなんとか一周は走り終えるが兎に角暑くて脱水、自販機のお茶やスポーツ飲料を三本飲み干
す。遅れて合流した彼らの仲間がもう一人加わり、今度は浅倉君が移籍(?)した強豪チーム<ゼ
ルコバ>の一周5kmの練習コースに出るがすぐの上りで早速ひどいツリ。下りでごまかすがまず
右脚が腿からふくらはぎまで突っ張って動かなくなり、止まっても降りられそうもないのでギャア
ギャア悲鳴をあげながら無理矢理ギシギシ回す。しかし次のやや長目の上りで今度は左が動かせな
くなりとうとう路肩に止まった。捻れるような痙攣・激痛に跨ったまま身動きできず冷や汗と暑汗?
だらだらで時が過ぎるのを待った。やっと動けるようになって暫く押して歩いてからストレッチを
しようとしゃがみかけたら片脚がつま先までまっすぐに突っ張りまたしても激ツリ、のたうつ。そ
の後は他メンバーが2〜3周する中軽いギアでゆるゆるとスタート地点にたどり着いた。山から下
って食事後皆と別れ鶴ヶ島〜入間と大型貨物に蹴散らされつつもハイペースで走れ、回復したと思
いきやまた襲われた。所沢までの最後の10kmは何度も休みながら上り坂では歩道をよろよろ走
るという体たらくで100kmを終えた。しかも二日たってもまともに歩けなかったという我が生
涯最大のツリであった。

 その一週間後の9日に仙台の近郊の山を仙台在住のカオス若手・I 君の案内で雨の中60km程
走った。この時には全く問題なく、逆にI 君がひどくつってしまい気の毒だった。そして昨日15
日、飯塚君といぬふぐり新加入の山田氏とで多摩湖〜小沢峠等85km走ったが76kmでつった。
それでも何とか続けたが自宅まで2kmの信号で、止まるために左ペダルからシューズを外そうと
ひねった途端ギョエ〜と激ツリ、5,6分動けず。
 一体ワタシに何が起こってしまったのだ?全く動けなくなるような「激ツリ」は昨年12月の
「もてぎ99km」ぐらいしか無かったのに(高尾〜糸魚川300kmだってそんなことは起きな
かった)今年はどうしたことだろう。昨年までとの大きな違いと言えばこの夏のロード・トレが少
な目だったことか。或いは今年からジムのメニューに加えたバーベルを背負ってのスクワットがま
ずいのか。そう言えば9/2、15共にその筋肉痛がしっかり残っていて走った。ジムだとつい見
栄を張ってウェイトを重くしちゃうしな。あ、そうか、激ツリ・準激ツリの陰に常にいる人物が
 ・・・**×+だっ!!


           ● 9-4● 


 次回レースは10月末の秩父・吉田町の<龍勢ヒルクライム>だ。しかし10月は仲井戸麗市
バンドのツアーなのでトレーニング不足になりそうだ。昨年9位の、数少ない一桁順位の可能性
のあるこのレースをいくらかでも有利にするために一昨日の9月27日、車にピナレロを積んで
試走に出掛けた。ポイントになる急勾配の箇所と距離をサイクル・コンピュータにインプットし
つつ上った14kmは50分10秒。去年の本番は44分59秒だったから練習としてはこんな
ものか。本当はもう一度細かくチェックしつつ上るつもりだったが下りで身体が冷え切ってしま
ったので(実は先週走ったタマもきつくて一回でやめたというのを朝電話で聞いちゃったから)
取りやめ。帰りに泥ネギ、でかい椎茸、ツルムラサキ、ナス、コンニャクを買った。安い!

 で、その翌日である昨日は一日仲井戸のリハーサル。そして今朝何となく去年のトレーニング
・データを見ていたら何と同じコースの試走が49分08秒ではないか。この時はシューズを忘
れてスニーカーで走ったのに1分速かったとは。説明しちゃうとだね、レーサーシューズっての
は底の前方にクリートという金属あるいは硬質プラスティックのプレートが付いていてこれが専
用ペダルの金具にガチャンとはまるようにできているのだ。これによって踏み込んでいる時だけ
でなく引き上げている時も入力出来る。底の材質も力を逃がさないように固く薄くカーボンなど
で造られている。更に俺の使っているSPDペダルというやつは小型なので普通の靴底では非常に
踏みにくく滑り易い。こんな哀れな条件だったのに。しかも、一昨日は数日前に大枚をはたいて
買った新しいシューズを初使用したのである。自転車だって超グレードアップしている。もう
ゲゲゲっと落ち込んでいたところにタマから電話。「ピナレロ向いてないんじゃないの?練習用
にしちゃえば?」などと言う。クソっ、と練習用モゼールで激坂トレーニングに出た。午後はプ
ールでオバハンたちを追い抜きまくった。ヤケクソついでに3万円もするT社のペダルを玉川サ
イクルに注文した。新シューズにもこのペダル用のアダプターを買い足さなければならない
(¥3,900もするんだ.SPD用を買ったばかりなのに.)。ああなんてツライ人生なのだ。


           ● 9-5 ● 


 昨日10月29日、久々のレースは前述の<第3回龍勢ヒルクライム大会>。いぬふぐり新会
員・山田氏の快適ドイツ製ワゴンで雨模様の所沢を5時半過ぎ出発、1時間半余りで受付場所の
秩父・吉田町の施設「元気村」到着。受付を済ませたものの雨は強くなり一向に組み立て、ウォ
ームアップをする気になれない。車内でコンビニ食を腹に入れたりぼけーっとしたりしていたが
8時を過ぎ重い腰を上げセットアップ、寒い。9時半に走り出して6km先のスタート地点に向か
う。後輪の跳ね上げで尻がビショビショで気持ち悪い。10時20分からスタートなのに早々と
召集・整列、開会式。雨のなか周りは「寒い〜、早くスタートさせろ」という雰囲気だ。

 ようやく20分、エキスパート&A(10,20代)、23分にB(30代)が出て26分C(40代)&D
(50代)のスタート。レース・デビューの山田氏(41)も同じCクラスだ。エントリーは41名と
少な目の上この天気で出走をやめた選手も多そう、ということは自信のあるやつの比率が高い?
スタートからゼルコバ二名とパインヒルズの一人が中心で引いて行く。ゼルコバの一人は40歳、
すなわち去年出ていたとすれば違うクラスだったワケだからこれで既に順位が一つ下がったも同
然だ。などと下らん事を考えている場合ではない。7、8番手でおそらく11、2人の先頭集団
(道幅が狭く曲がっている上にまだ勾配がゆるいので速度が速く後ろを振り返るどころではない)
を走る。2.5kmあたりから傾斜が序々にきつくなってくると後ろの50代クラスから常勝・大塚和平
氏などがずんずん前に出て来て集団は長く伸び4.5km地点の最初の激坂で予定通りチギれてしまっ
た。 ここでは先にスタートしている30代が早くも2人降りて押し歩いている。こちらもややもす
ると10km/hを割り込んでしまい力を絞り出そうとハンドルを引くと前輪が浮いてしまう勾配。
実は9月27日に加え、今月も16、26としつこく走りに来たのでどれ位い耐えれば勾配が緩
くなるか分かっているので少しは心理的に楽な筈だがずっと後ろにいたであろう選手に抜かれて
置いていかれるのは絶望感をあおる。

 5.7kmからの2つ目の激坂で5,6人抜きはするが、こちらが抜けるのは20,30代の落ちてきてい
る選手ばかり。ヒルクライムの常ながら今回も同クラスは先に行ってしまったか大分後ろにいるか
で単独行になってしまった。ここいらで2人の同クラスに相次いで抜かれた。勿論暫くは付いて行
こうとあがいたが。なぜここまで俺より遅かったヤツがあんな速度差で行けるんだ?やっぱり序盤
マイペースで走るべきだったのだろうか?その後先に抜かれたヤツは抜き返すことが出来た。しか
し雨は随分強くなっている。やがて行程3分の2あたりの太田部峠のピークに到着、ここまで33
分44秒は3日前より1分32秒速いものの本番なんだから3分ぐらいは縮めたかった。下り前に
少しでも有利にと30代を強引に抜いて前に出、1kmにも満たない下りを飛ばし最後の上り区間の
上武秩父林道に突入。右折のうえコーナーに格子状の溝のふたがあり泥も溜まっていて、本来下り
の勢いで突っ込みたいところだがこの雨でグッと減速してから上り始めることになった。後ろが気
になるがさっきの30代が見えるだけでやや安心。しかし順位を上げるには同クラスの背中を見たい。
射程圏内に同クラスが残っている可能性は低いがあと4kmの辛抱だ、兎に角踏むのだ。しかし相
変わらず追い越せるのはワカモノばかり。ゴール前1kmのところでよろよろガードレールにつか
まったヤツがいたので「あと1km!」と励ます。なんていい人でしょう。結局40代を抜けぬまま
単独スパートでフィニッシュした。47分18秒の15位。がっくりだ。昨年より2分19秒も遅
かったし順位も一桁ならず。下山ルートで大塚先生と一緒になり(当然クラス優勝)、「去年より
2分以上遅かった」とこぼしたら「こんな天気だからみんなタイム悪かったんじゃないの」と言っ
てくれたがどうにも悔しい結果だった。練習不足は分かっているが、あまり根を詰めすぎても本業
に差し障る。脚が強くなる酒、発明されないモンだろうか?


           ● 9-6 ● 


 11月11日札幌、13日新潟というCHABO Band ツアーの最後パート、12日他メンバーは一旦帰京した
が俺は居残った。前回7月に札幌に行った際計画した牛の獣医・木野本君と自転車ツーリングをする魂胆だった
のだ。しかし先週の電話で数日前からぐっと気温が下がり乗るのは無理そうだということであった。とはいえ前
夜中落ち合って酔った勢いでやっぱり少しでも走ろうという事になった(むしろ関東で1,2月に走っている身
からすると別に大した寒さには思えなかったのだ)。朝起きると曇天で早朝は小雪も舞っていたが昼ころはやや
晴間も見え、キノの四角いボルボ・セダンで豊平川を真駒内の方へ遡る。余談ながらボルボのトランクは広くて、
後輪をつけたままのレーサーがすっぽり入り2台重ねても余裕。適当なところに車を止めキノの自慢の愛車、
ミネルバ(札幌のビルダー)クロモリにデッドストックのE.メルクス仕様カンパ・レコード6速を組み込んだク
ラシカル・レーサーにまたがる。本人は街乗り用というビアンキのサンレモに乗り、川沿いの自転車道(ちゃん
と自転車用と歩行・ラン用とが分かれて2本通っている)まず3kmばかり上流に向かい丸山公園の3km周回
コースを1周。ツール・ド・北海道の最終ステージで使われるお馴染みのコースだが、走ってみるとタイトコー
ナーもあるし軽い起伏も周回を重ねたらつらくなりそう(ツールは20周)。ここから再び自転車道に戻り下流
に向かい、札幌中心部を左に見て菊水、苗穂の先まで気持ちよく走った。始めはギアが上手く入らなかったオー

ルド・カンパにも次第に慣れ、そうなるとこれは軽くて反応はダイレクト、ピストのような無駄のない回転をする気がする。今のカンパはシマノに比べ音がかなり大きいがこのレコードは実に静かだ。手稲山をバックに記念撮影をしてUターン、車に戻る。30km余りの走行で、サイクルウェアでなくトレーナーに木野本君のフリースジャケットで走ったので汗だくである。上はすぐ着替えたがズボンの尻には汗のシミがくっきりデカ丸で現れて相当みっともない。しかしこれも練習不足を補う為の努力だ。ケツを隠しながらイタリアン・レストランに入りエスプレッソであたたまる。その後宿泊先の、高校の同級生・切替君の真駒内の家まで送ってもらった。切替もミネルバ(旧デュラエース7速仕様)で札幌の大学まで通勤しているのでしばしバイク談義。


           ● 9-7 ● 


 11月19日、今年初開催の「ツール・ド・奥利根」に出場。札幌のサイクリング以来この
週は金曜にローラーを1時間乗っただけという史上最低の練習量で前日会場の新治村・群馬サ
イクルスポーツセンターに行く。レースは水上から数km西に上った「こぶしの里」からスタ
ート、そのまま5km上って4km下り、また2km上り2km下り、国道17号を800m
南下してから左折してサイクルスポーツセンターまで6.2km上る20kmのコース。上級
クラスは更にセンターの6kmコースを数周する。最後の6.2kmだけでも相当きついので
せめてそこだけでも試走しておこうとやって来たのだが開会式に抽選会があるというのでイヤ
シクも走るのを後回しに。しかし地元お偉方のスピーチが次から次ぎへと続く上、薄陽が差し
ていた天気も時折小雪混じりの霧雨になり風も出て寒いのなんの。やっと始まった抽選会でも
サッパリ当たらず敗者復活でようやく川場村のヨーグルト15本詰めが当たった頃にはとても
走る気温ではなくなったが根性で出発、国道まで下ってすっかり冷え切り、上れば暑くはなる
が手足は寒い。結局4km程でやめて妻の運転する伴走車にガクガク震えながらバイクを積み
込み旅館へ入った。この某温泉はかなりのハズレで更に湯冷めまでするハメになった。

 今回はJCRCの変則クラス分けで行われ、練習不足は見込んでいたのでDEクラスに申し込
んだ。<いぬふぐり>からはさいぞう君がCD、会長と山田氏がEF。この、いわば下位3クラス
は上位のSA、AB、BCが時間差でスタートしたあと同時に9時3分に出走。いきなりの上りだが
序盤はまだゆるいのでぎっしり密集した集団。2km程で後方にいたパインヒルズのK氏が上が
ってきたので(8-11、5/26に登場)とにかく離れないよう付いて行く。集団も前後にバラけて減
り始めた。しかしつらい。パンクでもしてリタイアできたら、と思ってしまう。ようやく4.5km
の岩仏トンネルの入り口が見えてくるころには4人になっていた。トンネルを出ると4kmの長
い下り。濡れた路面と落ち葉にコーナー、暗黙の了解でベテランK氏のリードで押さえ気味に行
くところ、後ろから上りの遅れを挽回しようという何人かがゴーっと飛ばして我々を抜いて行く。
もう一度アップダウンがあって一旦国道に出るがこの左折からの立ち上がりで3人に置いて行か
れてしまった。こんなところで千切れたくない。上り前に温存したいところだが懸命に踏んで追
いつき最後の上り6.2kmに入ると、もうペースが上がらないのかいきなり十数人が視界にはいる。
勿論こっちもがくんと遅くなるが必死でK氏をマーク、悪いので何度か前に出るが引けるほど保
たない。残り2kmで再び前に出てペースを上げるが持続の自信無し。ところがK氏やその後ろは
付いて来ないようだ。そのままセンター手前の短い下りを飛ばして同クラスのワカモノに追いつ
き2人でセンター内のラスト1kmの上りに突入。すると前方右寄りを苦しそうに上っているヤ
ツ・・・さいぞうではないか!?8月20日と同じ状況だ。へへへ、ワカモノの陰に入って二人
で抜くがチラリと横目で見られやっぱり気付かれてしまった。俺の黄色のホイール、目立つから
なあ。前回同様またしても蘇ったさいぞうが俄然前を引き始め俺がケツで三人連なって行く。最
後の200mでワカモノがスパート、これにくっついてさいぞうをかわす。あと120m、きつ
い、苦しい。ギアを一,二枚重くして踏み込みたいところだがもう脚が残っていない。離された
ワカモノとの距離をやや詰めるがさいぞうも再び迫ってくる。グワー、ギョエーという感じでゴ
ール、かわされてしまった。
 ワカモノ:51分26秒01、さいぞう:26秒43、オレ:26秒72という接戦?だった。
クラス15位に終わる。
 結果はともかく、なかなか他に無いダイナミックなアップダウン・コースで、短いながらも
(勿論オレには充分だが)公道レースならではの本場のニオイのするものだった。次回はもっと
暖かい時期に開催して欲しいものだ。


           ● 9-8 ● 


 翌週の26日、次週の12月3日と三週続けてレースになった。26日は<第25回チャレ
ンジ・サイクル・ロードレース>、毎年四月頭なのが紆余曲折の末この時期になった。昨年
<B5-B>で17位だったので20位以内昇級ということでB5-Aで走らなければならない。と思
っていたら規模縮小でA/Bの区分が無くなった。喜んでいいのか悲しむべきか。昨年のタイム
ではAで出ていたとしても15,6位の順位だったが二つ合わさるとなれば単純に考えると30
位以下ということになる。イヤだなあ。前レースのときの「史上最低練習量」はそのまま持続
しているし、でもまあ好きな修善寺のコースだからなんとかなるか、と出走。5kmを3周だ
が始めの2kmあたりまで10人程の先頭集団にいたものの切れてしまった。いつになく乳酸
がたまる感じであとはポツポツと抜かれる一方。2周目中盤の上り、始めの内に抜いていたパ
インヒルズのS選手(44)が、我々の1分後にスタートしている50代クラスの大塚先生にくっ
ついて追い越して行った。上りのレースでは俺の方が強い筈だったのに、暫く懸命に追尾する
が保たなかった。この時に最高心拍が出たがわずか172。3周目に入りこの期に及んで2人
に抜かれるがその内の一人と他の一人を中盤抜き返し、最後の坂でもう一人抜く。これに下り
とその後のゴール前平坦で抜き返されそうだったので心臓バクバクで踏み続け7,8m差を保
ちゴール。このあたりがせめてもの救いという散々な結果だった。順位はいまだ(12/11)送ら
れてこずまだ分からない。

 不本意なままシーズン閉幕と思いきや、平坦コースなので出る気のなかった12月3日の下
総フレンドリー・パークでのJCRC最終戦に平地得意の会長にそそのかされ、とっくに締め
切っていた開催数日前にミドリさんのオバサン・パワーで追加エントリーした。しかしCD混合
30kmクラスにエントリーしたつもりがD以下混合45kmクラスになっていた。あ〜あ、
1.5kmという短いコースを30周、これじゃ周回遅れ失格〜クラス降格になちゃうかも。かなり
重い気分で臨んだが9:50からのEOG30kmでの会長の活躍(一時は2番手を守る)を目の当
たりにして回復するも、その後の15kmクラスでミドリさんが失格になる。これはパインヒ
ルズK氏などがガンガン飛ばしていたので無理もない。で、ずっと時間があいて12時半スター
ト。エントリー44名。召集に気付くのが遅れ最後尾からのスタートだったが徐々に前に出て
3周目からは5〜10番手くらい。とはいえ集団のままなのでコーナーのラインの加減でどっと
後続が10人くらい前に行ってしまう。緩い上りが2カ所あるが大体そこで前に戻るというパタ
ーンだ。会長が馬鹿でかい声(どんなに混んで騒々しい居酒屋でも注文が響き渡る)で「いいぞ
早川、その位置でいけー!」とか「もう少し前に出とけ!」と叫んでくれる。はからずも16,
7周目までに2,3回先頭になってしまうと「早川ダメだー、前引くんじゃない!」、おかげで
その周囲では「早川って誰だ?」「リストでチェックしよう」と有名になってしまったという。
残り5周の上りでまたまたトップに出て踏んだらふくらはぎが軽くつってしまった。ごまかしつ
つ回すがペースが上がり順位を大分落としたが残り3周で再度10番手くらいに上がる。しかし
最終周では更にペースが上がり下方へ。結局最後の上りで少し順位を上げたものの21位に終わ
った。1位に6秒遅れの1時間13分31秒。結果はだめだったが苦手な平地でまずまず面白い
展開であった。


           ● 9-9 ● 


 今シーズン最後のレース、12月17日の<ツインリングもてぎ>での「第二回99kmサイク
ルマラソン」はシーズンオフ突入の時期でもあるので遊び心を出してカオス飯塚と<小径車ク
ラス>にエントリーした。全クラスが88kmに短縮になってしまったが、兎も角ノンストップで
この距離を走っておこうと9日(土)に飯塚君と荒川自転車道でトレーニング。当方Amanda、
飯塚RoyalNorton、共に20インチ・ロードタイプだ。なんとかアベレージ30km/hにはなったが
70km前に左膝が痛み出し、家からスタート地点までの18km も含めることに変更、90kmの時点
で自主終了。飯塚君は完走。後は軽く流す。羽根倉橋(荒川と浦和所沢バイパスの交点)で昼
食をすませ別れたが、そこからは痛みで左脚に体重をかけられずただママチャリのごとく歩道
を走って帰ってきた。2、3日は立ち上がる時や階段の上り下りに苦労した。従って練習も出
来ず、水・木とリハビリ程度にローラー台。金曜にようやく乗る気がでてモゼールで多摩湖周
辺など40km走る。まずまずの感触だ。 

 そして二日後の日曜、いよいよ今年最後のレースに臨む。玉川サイクルに5時集合、タマ、
みどりさん、ツトム、タダシ、山田、飯塚と俺の7人だが、タダシの車のルーフキャリアを見
て唖然とした。ツトムのBMXが2台のロードに挟まれて乗っているではないか。BMXったら、
なんつうか曲乗りする為のスケボー自転車版。確かに20インチだが変速機も無いしこれで延
々サーキットを走るとは。エライというか何というか。で、2台の車で7時半到着。9時レー
ス開始。五百数十人が一斉にスタート。固まっていたいぬふぐりもタマさんがさっさと行って
しまいそれを飯塚君と俺が追いゴチャゴチャ状態で良く分からないがあっさりバラバラになっ
た模様。チームプレイは今回も望めなかった。1.5kmのショートコースを終え4.8kmの本コース
(18周)に入り全体いよいよペースアップ、始めこそ3番目あたりの集団にいたと思うのだ
が全体が良く見えないので分からない。所詮本気のフルサイズ・マシンにはかなわないから後
退。しかしまだ集団も絞り切れていないから色んなレベルがごった返しているのでコルナゴや
らデローザやらの高級マシンをこのチビバイクでどんどん抜けるのが楽しい。と調子に乗って
いたら4周目に早くも右ふくらはぎに軽いツリ。至近距離だったクラストップの飯塚君の背中
が遠ざかっていく。やはり本番だと知らない内に高負荷になっているのか。平均心拍は156,
7と大したことはないのだが。症状が本格化しないことを祈りつつややペースダウン。そして
悪夢は7周目に起こった。1時間1分・33.5kmあたり、筋肉をほぐそうと平坦路で立ち
こぎ体勢になった途端両脚が真っ直ぐ突っ張って激ツリ。どうにも動かない。つまり脚を前後
に開いてペダル上にすっくと立ち上がった状態のまま惰性で進行、そのままコースアウトして
芝生で脚も出せずにバッタリ転倒。さっき内心「ケッケッケ」と思って抜き去ったロード5,
6人の集団が傍らを通り過ぎて行く。ああみっともない。しかしペダルから足をはずすのがや
っと、地面で激痛に悶えるのみ。3分経過ようやく立ち上がりかけた時十数人の集団に食らい
ついている飯塚君が「大丈夫ですか」と怒鳴ってくれ「激ツリだあ」と叫び返す。転倒で外れ
たチェーンを直し再スタート、8周目はなんとかアベレージ31km/hに戻しここまでロスを含め
て30.5km/hの平均だ。これを守れれば良いのだが。

 ひっくり返って1分後位にクラス3番手のリカンベントが行ってしまったので追いつき2位
に返り咲きたいと走るが姿は一向に捕らえられない。11周目まではまあまあだったが以後次
第に落ち始めた。気合いや根性を持ってしても下手に力んだら再ツリ間違いナシ。15周目前
後からはもう早い連中は終わっているので上りなんぞは遅い人たちがひたすら耐えて黙々と連
なっている。相当ヘロヘロなのに一応坂だとつい抜いてしまう。残り3周で2時間28分20
秒、1周10分で行かなければと朦朧としたアタマで計算したがその周は10分50秒、次が
11分18秒、そして最終周突入時のタイムは2時間50分28秒、3時間まで9分半しかな
い。1周目7分台だった自分が遠い夢のようだ。なんとか、なんとかと回そうとするがどうに
もイカン。とうとう残り2kmというところでまたつってしまったがギシギシと回し続けやや
回復、しかし300m手前で再発した。もう3時間は超えてしまったが少しでも前にゴールし
たいとよろよろの連中をヒイヒイ言いながら何人か抜いてゴール、3時間2分。ここで止まる
と昨年もまたがったままこむら返りで動けなくなってしまったからひどい方の左足をペダルか
ら外して右でソロソロこぎながら車の所まで戻った。皆と合流しても暫くは降りられず(足が
上げられない)幾分ほぐれるのを待ってやっと下車できた。
 ホントはマッサージかストレッチでもしなければいけないのだが下手に動かすとまた激ツリ
だからビールにする。ついでにもう1本飲んでいるとリザルトの掲示を見に行って来たメンバ
ーが戻ってきて、俺が3位でタイムも記載してあったという。何だかわからないが失格だと思
ったのが入賞らしい。着替えてビール片手に行ってみると、どうやら最終周回に入る時点での
タイムで完走させるかどうか決定するシステムだったようだ。なんか色々メガホンで説明があ
ったけど良く聞いていなかったし開会式も駐車位置が離れていたのでのぞかなかったからな。
結局規定距離に達していなかった選手も皆終了時の周回数とタイムを元に全員順位が付けられ
ていた。つまり耐久レース方式に変更になっていたワケだ。ということでなんとか表彰台に立
てました。総合では完走552名中285位。

 それにしてもBMXで70km余りをノンストップで走ったツトムの記録はギネスもの。あま
りの無謀さに観客の声援を集めウィリー走行でサービスしていたらしい。こんなのに抜かれた
ロード乗りはさぞ落ち込んだことだろう。
 しかしとうとう今年もツリ対策は果たせなかった。
俺に明日はあるのか!?

真ん中:飯塚選手。「初めてレースで早川さんに勝った(練習じゃいつも勝っているのに)」と喜びを隠さない。もっと目標を高くしなさい。
 賞品は全員賞状、盾、シクラメンと施設内の<ホテル・ツインリング>での\3000の食事券。この2枚でみんなの食事をまかない帰路につきました。坦坦麺はかなり旨かったです。


自転車一代記冒頭

1998

1999

2001

レース・リザルト

表紙