自転車一代記冒頭へ


第十章 2001年前期


             ● 10-1

 今年も初乗りは昨年同様三日のカオス・レーシングの初詣ラン。清瀬から浦和・所沢バイパスから富士見有料道路へ。有料道はほぼ平坦の直線路だが風の強い区間もあって先頭から一度切れるとなかなか追い付けない。今や強豪ゼルコバの人となった浅倉君の背中をはるか前方に見つつ必死に追うのは苦手な平地のいい練習になる。16号から川越・喜多院に向かい初詣、大混雑で時間がかかる。再び16号を東へ走り大宮指扇のピザ屋で昼食後荒川自転車道をリラックスペースで走り浦所バイパスに戻ると島さんががんがん引き始め(浅倉君は途中で分岐)二人で飛ばす。更に松が丘(梅津のウチの方)で走り込むという島さんと所沢へ向かい、こちらは帰還。
68km走行。

 その次に乗ったのもカオスのメンバーとで七日、走ってから新年会だということで軽く行くのかと思ったら、12月のあの88kmレース以来という飯塚君が張り切って猛然とアタック、これに島さんと俺も答えてハイペースで多摩湖〜青梅街道〜岩蔵街道を走り塩船観音で団子を食い休憩、引き返して多摩湖〜松が丘。多摩湖終盤渾身のアタック(でもないか)で前に出るがあまりの苦しさに下を向いてしまうと「先頭行くなら顔あげろ、落車するぞ!!」と叱咤される。ごもっとも。よくプロが「アマは辛くなると前を見ないから一緒のレースは怖い」と指摘するが、分かっちゃいるけどそうなっちゃうんだよな。気を付けます。それにしても飯塚君と顔を見合わせては「ホント島さん強いぜ」とゼイゼイだった。恐るべし50代。東久留米・橋本さん宅での新年会では島さんが「今日は楽に走ると思っていたのに二人がガンガン行くから休めなかったよ」と実に嬉しそうだった。ううう。帰りは雪が降り出しおまけに無灯火。すっかり酔いが醒めた。まあ一応80km走行。

 そうそう、この日の最高心拍の話になったのだが、島さん192、保谷君198等という値だったが俺は169だった。これだけ心肺に余裕があるのだから脚力さえあれば相当いけるんじゃないか・・・ったってそれが無いのさ。


             ● 10-2

 毎日寒い。ここのところローラーばかりだ。1/24に多摩湖に走りにいったが日陰は残雪が凍っているところがかなりあり、それを口実にアベレージ心拍150あたりのペースでフロントはインナーのみのクルクル・ペダリングで35km。予定ではもう1周11kmやるつもりだったのだが腹も減ったし低負荷高回転ペダリングは思いの外バテたのでやっぱり帰るか、と中途半端な気分でフラフラとUターンしようとしたのがいけなかった。右に切った前輪にゆるゆる回していた左の足先が接触、これは珍しくもない。だが防寒に2枚重ねていたシューズカバーの外側がオフロード用の、厚くつま先がやや余ってモコモコしたやつだった。これが変にタイヤに引っかかってしまい、あれ?と思った途端転倒。ゴンと路面に頭を打った。すぐに起きて歩道に上がったものの、何が何だかわからず、ぼーっとしながら周りを見回す。あそこの売店、向こうの交番、うん、良く知っている所だが一体ここはどこだっけ?俺はどっちに行くんだ?あれれ?そうだ、カミさんに電話しよう。うん?今朝出勤したんだっけ、家にいるんだっけ。待てよ、場所が説明出来ないのに連絡してもしようがない。としばしボーゼンと佇んでいたら次第に霞の中から方向が分かってきて帰路についた。帰ってきちんとバイクを室内のローラー台に据え付け、近頃始めたホエイ・プロテインの牛乳割を作って飲み、風呂を用意して入浴、昼食と、一見順調のようだったが後になるとその順番が思い出せない。よく、夜中に突然頭痛を訴え亡くなる、という事があるから病院に行こうかとも思ったが、もっとひどい有り様で救急車で運ばれても検査で問題無かった人間を何人も見ているのでやめた。実は九日目の今もまだ微かに痛みがある。でもタマさんも「五日経って生きてたら大丈夫」というから、あいつは坊さんのライセンスを持っているらしいので信じちゃおう。 

 で、ローラーばかり。浅倉君の薦めで、大阪のトライアスロン系ショップ<アトリエ ドゥ キャファ>(http://www.kijafa.com)のメールマガジンを購読し始めたのだが、ペダリング120回転/分で60分を目標に、という記述があり、他にも思うところあってローラーの内容を切り替えた。

 いままでのベーシック・メニューは固定ローラーで負荷を真ん中、フロント39×リア23から3,4分毎に1枚ずつ上げていって15分かけてアップ(ここで39×17)、そこからアウターにして52×19を基本に心拍140以下で20〜30分、リアを数段上げて心拍155〜170で5分、(根性があればこの20分+5分をもう1セット)、ダウンを15分、の55〜65分。新たに切り替えた回転重視メニューではアウターは使わず、心拍140以下の20分の部分を95〜105rpm(39×17)、心拍155以上の部分を120rpm(39×16)に置き換えた。目標60分にはほど遠く、120回転は5分でもきつい。ズルする日は5分を120:2分、100:1分、120:1分と区切る。こうすると大分気が楽だ。120に上げた時、これが5分と思うと絶望的になるからね。気分が乗っていて時間がありかつ猫が眠りこけている時はピストで3本ローラーを30分やってからロード+固定ローラーに移る。3本は必死にこいでいる時に猫が平気で下を通ったりするので眠っているすきにしか出来ないのだ。

 しかしタマさんのページを見ると彼のローラーは凄い。ピスト+3本ローラーでいきなり重い負荷で始めて45分、やや軽くして45分、さらに45分をもう2回等と書いてある。45分で休憩するわけではなく、データを書き取る為に止まるだけで3時間連続だ。これって異常だよね。競輪学校入れば?


             ● 10-3

冬季合宿初日:

 2月9日、7時過ぎにワンボックス
車に苦心して7台の自転車を積み込み、
カオス・レーシング冬季合宿先発隊は
東久留米を出発。メンバーは原会長、
橋本幹事、浅倉
、早川の4名。
昼前に土肥港の民宿「美浜」に到着。
名古屋から新幹線+フェリーでやって
来た梶田氏と合流、近くの中華屋で中
華丼を食い、荷物を宿に入れ準備をし
自転車を組み立て1時過ぎに出発。長
老組は海沿いを南下するが、俺は浅倉
君と共に東へ山に入り修善寺へ向かう
。土肥峠への上り、早くも3kmで約
500mの差。浅倉君としてはまだウ
ームアップ段階なのだろうが勾配が
出てくるにつれどんどん背中が遠く
なって行き、やがて視界から消えた。
おまけに大事な PRINCEちゃん、ぎゅ
うぎゅう車に詰め込まれたせいでリア
ディレイラーが曲がってしまったよう
でローの25Tに入れるとスポークに
カンカン当たる。23Tで頑張って来
たがボチボチあきらめて止まって直す
ことにした。

直す、ったって外側にひん曲げるだけだが、あまり力を入れるのもコワイ。そうこうしていると、上まで行っていつものように「ここで待ってても退屈だから(いつ来るか分かんないし)戻ってもうひとのぼりしちゃおっと。」と浅倉君が下って来た。ドライバーで調整ネジをいじったがラチがあかないのでやっぱりもう少し力を入れて曲げ直し、当たらなくなったので再出発。船原・月ヶ瀬方面への下りは快調ではあったが道の両側は雪で寒かった。5kmくらいの平坦路の後、修善寺に入り戸田峠への上りが始まる。この10.5kmはかなりきつく、44分05秒、平均時速13.8km。頂上前では度々時速一桁にまで落ち込んでしまった。戸田への下りも急で、風も強くバイクが振られてしまい気を抜けない。殆ど同じ距離だが下りは15分。港で休憩。浅倉「いやあ、最初のもなかなかキツかったけど、今のはキツイのぼりでしたねえ、好きですよ。明日もやりたいなあ。」勝手にしなさい。地図で見ると海沿いだから楽そうに思える土肥への道も、ここまで消耗しているとイヤになるほどアップダウンが多い。上の方から土肥港の船が見えた時はほっとした。65km走行、実走行2時間51分。浅倉君はまだ足りなくて土肥峠を上りに行ったらしい。風呂に入り、部屋の窓から海に沈む夕陽を見ながらビール、そして夕食は大漁盛に日本酒、部屋に戻り近年すっかり飲んでいないスコッチで初日は終了。

合宿2日目:

 8時の朝食後9時、5名で出発。海沿いを松崎に南下。アップダウンを繰り返し約24km、57分。北に2
kmばかり引き返し西伊豆町で後続と合流(まあ俺が行き過ぎてしまったのだが)、スーパーでゼリー飲料とあ
んパンを買い仁科峠へ向かう。もちろん浅倉君よサヨウナラ、後ろはノンビリだし中間を一人旅。どんどん上り
はきつくなり上には雪も多くなってくる。約22km、1時間27分。乗鞍みたいなものか、ずっと林の中なの
で全然眺めは違うけれど。脚がきつくて先の行程まで考え弱気になり、心拍は最大155,アベレージ136ま
でしか追い込めず。上に着くと浅倉君は勾配11%の看板の坂を上ったり下りたりしておった。レストハウスで
うどんを食べていると程なく梶田氏がやってくる。去年の合宿以来1年ぶりのロードレーサーだというのによく
走れるものだ。更に暫くして幹事、会長が到着。会長も滅多に乗らないのに、何度も足を着いたとヒイヒイ言っ
ていたが大したものだ。休憩後、昨日の修善寺〜戸田峠の激上りをやりに大回りする浅倉君、ちょっと上り始め
たものの賀茂へ下ることにしてUターンしてしまった会長・幹事と別れ、梶田氏と二人で棚場山〜土肥峠へ。車
には2台くらいしか出会わず快適な走行だった。峠の旧道から新道に合流後の下りは観光バスなどがタイトコー
ナーで大減速するため車が詰まり気味で走りにくい。下まで降りたところで梶田氏が「きついけど裏道でさっき
の所まで上って行けるんだけどどうする?」という。ううむ、これは挑戦かな?「行こう!」と受けて立ち脇道
へ。二人ともノロノロヨロヨロ、これはホントにきつかった。上の方はミカン畑で眺めはいいんだろうけど勿論
それどころではない。なんてことをして土肥に戻り、雑貨屋でプロテインのための牛乳を買っていると会長も現
れた。楽しようとした下り、急勾配と曲がりくねりと寒さ(日陰、残雪)で大変だったそうだ。宿に帰ると、今
朝出てきた後発隊5名が連休渋滞で遅れて到着、やっと走りに出ようとしているところだった。誘われたがお断
り。80km走行。しかし伊豆の80kmは東京近郊のそれと全然違う強度だ。さあ風呂とビール、おっとその
前にプロテイン+牛乳。・・・今さらだが、遅く帰ってきた浅倉君は160km走ったそうでご満悦。

合宿3日目:

 最終日、総勢13名で9時出発、昨日同様まず松崎へ向かう。2,3分で浅倉君が加速して行ったのでこっち
はどうせ始めだけだから追いかけて行く。俺は焼酎の二日酔いだってのに、他のわけえモンは全然付いて来ない。
3つ目の上りで置いていかれ一人旅。浅倉君は松崎手前で昨日原・橋本組が仁科峠から下った道を上ってから松
崎へ下りて来ると言っていた。峠まで昨日の上りルートよりずっと距離が短いから相当勾配はきつい筈。少し迷
ったが最終日くらい皆と走ろうとそのまま松崎に向かった。56分、昨日よりやや早い。一応皆を待つ。しかし
一向に現れず20分後に新人Y君がようやく到着。皆は休憩したりしているらしい。さらに10分待って待ちき
れず逆走、信号3つ位で会い、そこに明け方東京を車で出てきた保谷君が宿から力走してきて合流した。しかし
斉藤女史の希望で美術館に立ち寄るというので結局分かれてY君と二人で蛇石峠を目指す。
 蛇石の上りは7km位だがそこそこキツく手頃な峠、天気も良くて空の青さが気持ちいい。下ってから海方向
への曲がり道を2km程行き過ぎてしまい引き返していたら向こうから浅倉君がかっ飛んで来て下田方向へ行っ
てしまった。こっちの道は「何で海に行くのにまたこんな上るんだよ?」という具合だ。たどり着いたのは子浦
というあたりの妻良港という小さい漁港である。おかしい、国道に出る筈なのに。どうも地図では気が付かなか
ったが道が交差せずに下をくぐったらしい。通りかかった婆さんに聞くと「この角ずっと行きゃあいい。えれえ
上りだがね、あっはっは。」と言うので「え、いやだなあ、ははは。」と答えたがこれはドえれえモンじゃった。
最初から諦めたくなるような角度だったが中盤落ち着いたと思いきや最後の数十mは今まで経験の無い勾配で、
カーブを回って視界に入った途端思わず悲鳴が漏れた。しかし後ろから来る新人の手前投げ出せないし、ロード
始めたてにいぬふぐり会長の洗礼を受けた時とすぐあとに奥多摩周遊道を初めて上った時以来諦めて押したこと
はないのだ、くそ〜。一応立ちこぎ体勢だがちっとも踏めない。倒れそうな速度でミシミシ上がりようやく上り
終わったときには転倒しなくてホントによかったと思った。押して上がって来たY君を待ってからしばし休んで
出発、しかし我々が出てきた所は上り坂の途中で、ちょうど学生サイクリストが押して歩いてきた。前途多難。
 ここからは海沿いを北上するのみだが、このあたりは今までの海岸線に増してアップダウンがきびしい。55
km/hで快適にくだりつつも「これだけ下ってるんだからまたこんなに上るんだろうなあ、トホホ。」と思ってし
まう。途中「手打ち蕎麦」の看板につられ激坂の脇道に入った。すぐ道は平坦になったのだが林の中を行けども
行けども看板はちょくちょく出て来るのに店は無い。また上りになってしまう。Y君はとうに挫折気味で見あた
らない。2km近くも走ってようやく家があり洗車していたオジサンにきいたら、そこから急になる上りを1km
行った所だという。くそ〜、看板に距離書いとけ、バーロー!!とんだ無駄脚を使ってまた国道に戻り雲見温泉
の食堂にたどり着いたのが2時前。カレーうどんを食ったらうどんが乾麺で麺同士貼り付いてたぞ、バーロー!!
その後もヒイコラしながら松崎に戻って来て、ここからは朝走って来たからとY君を待たずにひた走る。黄金崎
で別動隊数人を追い越し宿の手前で牛乳を買って3時半頃帰着。105km走行。浅倉君と言えば南伊豆町です
れ違ってから下田〜天城峠〜湯が島と本日も150km走って帰って来た。
 晩餐は伊勢エビコースにカニ・帆立鍋。部屋での宴会ではワインを飲みまくったようで朝も顔が真っ赤でした。


            ● 10-4 

 2月25日、例年より1ヶ月早く今シーズン初レース、JCRC第1戦・下総フレンドリィ・パークだ。本来
嫌いな平坦コースなのに昨12月のここでのレース(9-8参照)で一時は先頭に立ったりして面白かったので出
場することにした。会長(E)、山田(F)両選手ともに実は密かに入賞・昇級を狙ってエントリー。少なくとも一度
くらいは前方に出られていい写真が撮れる筈だと妻も同行する。
 9時15分会場着、既に第1駐車場は満車で入れず第2に回された。この時点で「え〜?そんなに一杯来てる
のかよ、こりゃダメじゃん。」と会長。もう上位クラスのレースは始まっていたが三人の中で最初の俺・Dクラ
スが11時半出走なので余裕でローラー、坂でアップ。そして召集。出走50人とはこのコースには多すぎる。
本来今回の定員は45,通常5、6名はある欠場を見越して50人以上受け付けたら殆ど全員来てしまったので
気を付けて走るようにと役員からの注意があってレース開始。とにかく定員が守られたとしても人数が多すぎて
前に出られない。12月も44名だったがあの時は45km、今日は24kmと短いので最初からペースが速い
のか、ぎっしり詰まったまま展開する。前回はその気になれば上りで前方に出られたのに、今回はそこでも前が
つかえてしまい上りだというのにペダルを止めねばならない周回もある。序盤は前寄りに出ることもあったが数
カ所のコーナーで詰まる度に後方からドーっと割り込まれ危ない。肩が当たる、車輪がかすめる。一時は来るん
じゃなかったと戦意喪失、中盤には最後尾の審判バイクに後ろに付かれるというまさかの状態に陥り、さすがに
ビックリして前に上がる。相変わらずダンゴ状態で落車も発生した。結局最後に1位が13秒、2位が5秒集団
からリードしてフィニッシュ、その後28人集団ゴールでそのどん尻の30位。俺のあとは18秒遅れに1人、
その後は1分遅れからパラパラと10名、その他8名が周回遅れ等で失格・棄権という案配だった。ガックリ、
甘かった。大体シーズン初戦は周囲が調整不足だからか、いつもまあまあだった筈なんだが(ホントは錯覚)。
 続く会長も、序盤こそは2〜5番手くらいで頑張っていたが俺と同様に集団ケツ(しかしDより脱落が多く
17位/48名、内18名失格・棄権)でゴール。山田氏のFはもっとバラけて応援するには面白かったが24
名中12位で、結局全員夢破れる。まあ同距離だった会長のEクラスの優勝者より2分位は速いタイムだったの
がせめてもの慰めだ。あ〜あ、今年の前途は・・・。
唯一の上りでこの渋滞。


            ● 10-5 

 <3月18日>

 次のレースがなんだかんだで結局4月22日の<ツール・ド・草津>になってしまった為練習もだらけ気味。
10-2 に書いた高回転ローラー・トレもどうも芳しくない。自分の方法はずれているかもと思う。ロードに出て
重いギアを踏めなくなったような気がするし、長めのダラダラ坂等はやはり重めで踏んだ方が軽めでくるくる回
すより速い。難しいところだ。

 <最近の主な室外練習>
3/5:小沢峠〜名栗〜山伏峠〜山王峠 /85km 西から強風の日で消耗。山伏から名栗に帰ってきたらラバ
ネロの飯島選手とすれ違う。オリンピック選手はどのくらい違うものなのか追いかけて(追いつくワケないけど)
みようとしたら脚がつった。
3/11:カオスのクラブラン。浦所バイパス〜富士見有料道路〜16号〜指扇〜荒川自転車道 65km
3/16:所沢早稲田キャンパス・狭山湖裏の周回ルート16kmと多摩湖など 45km
         ・・・この日は更に夕方ジムでスピニング・マシンをこいでガクガク。
3/18:カオスに行くつもりが雨が降り出したのでこれを書いている。しかし回復しそうなので午後でも早稲田
に行くか。ヨーロッパのレースのビデオを見ながらのローラーもいい。あまり寝ていないし少々二日酔いだ。

 ところで固定ローラーはミノウラのインターリムを使っていたのだが、やはり抵抗の感覚が実走とかなり異な
るのが気になっていて年頭から新機種導入を考えていたところ、浅倉君が昨年の<キャファ通信>上でユーザー
からの質問に箕浦氏が回答している盛り沢山の文章を転送してくれた。そこにも「リムドライブ式の欠点として
は,タイヤ先端よりもはるかに内側のリム側面を駆動しているためフライホイール効果が少なく,踏み込むとい
わゆる「すかすかした」スリップを感じることがあります。(〜中略〜)フライホイール効果は直径の2乗に比
例して増大して行きますから,みかけ上の直径が小さいリムドライブでは,フィーリング面でデメリットがあり
ます。」というくだりがあった。次期候補としてはミノウラ・ハイパーマグ、サイクルオプス、キャットアイCS
-1000。サイクルオプスのオイル抵抗式が大幅に値下げをしたので食指が動いたが同社から新製品としてマグネ
ット負荷方式がリリース、やはりマグネットの方がいいということなのか?だったら長年の蓄積のあるミノウラ
の方が信頼性が高い。ハイパーマグの負荷装置はモデルチェンジしたばかりの自信作ということである。サイク
ルオプスの磁石式は負荷強度切り替えがリモコンではなく、又ハブ幅の狭いピスト車は使えないらしい。キャッ
トアイのものも良さそうだが場所を取るのと前輪を外してセットするので、普段外を走るモゼールの室内保管ス
タンドとしての意味もあるから面倒だ。というワケでハイパーマグに決定、玉サイで取り寄せてもらった。使用
感は上々である。速度が40kmあたりから回転音が大きくなるのがやや気になるが概ね静か。
 これで何と固定ローラー2台、三本ローラー2台(負荷装置ナシ・友人が粗大ゴミで見つけたものとフリマで
玉サイ常連ワカモノが5000円で買った負荷装置付きを2500円で譲りうけたもの)になってしまった。なんとか
せなばならぬ。タマさん、インターリム買わない?


            ● 10-6 

 <4月9日>

 先週は最近にしては良く乗った。月曜の午前中に気分転換にマルイシで狭山湖近辺を12km程軽く流して午
後はモゼールで35km。

 火曜は3月5日の小沢峠〜名栗〜山伏峠・脚ツリコースの復讐。前回ほどではないもののやはり向かい風、帰
りも風向きが変わってしまい下りなのに進まず。山王峠は人目をはばかるスローペースで越えたがついに最後の
上り笹仁田峠(最近まで名前さえ知らなかった、たいしたことない坂)のピーク手前で両腿がつってしまった。
70km地点、この前よりは大分保った。止まったらもっと酷いことになるから無理矢理ギシギシこいで、兎に
角停車しないよう信号を調節しつつ帰還して85km。

 木曜、タマさんと車で秩父・吉田町に出掛け「龍勢ヒルクライム」コースを上る。火曜の疲れを考え奮発して
ピナレロ+スポックス・ホイールのよそ行きセットを選択。しかし駐車場(道の駅)から上り口までの4kmの
ウォームアップで尻の筋肉痛に参る。ふくらはぎもこわばったまま。だがレースのスタート地点からはそれどこ
ろではなく忘れてしまった。タマさんは今年に入ってからもう5回目くらいらしい。最初の激坂で置いていかれ
た。その後何回か近づいた(といっても15mくらい)ものの全く追えなかった。俺が後ろにいないことを殊更
強調するように前方で派手に手鼻をかんでみせる後ろ姿がニクニクしい。14kmのゴール地点まで48分。本
番では一昨年44分59秒、昨年(大雨)47分21秒だったので不満は残るものの一人で走ると50分を切る
ことはあまり無いので練習としてはまずまずか。タマさんから1分遅れくらいだったが何とテキは全部アウター
で走りきったというではないか。恐るべし、時流逆行のアンチ高回転走法。ゴール前の3kmくらいは路肩に雪
が残り、下りの寒いこと。激坂地点まで下ってから激坂1号&2号を2回上って帰った。42km。

 日曜、9時半に多摩湖で飯塚君と待ち合わせ、山王峠〜小沢峠コース。本日もピナレロにした。途中青梅街道
でマウンテン+スリックの若者を抜いたらピッタリ付いてくる。おまけに鹿児島訛りでやたら話しかけてくる。
「ずっと乗っていなかったからそろそろリハビリで今日は100km走ろうと思って」「一人より一緒の人がい
たほうが楽しい」云々。ペースをあげても「いやあ、平地なのにガンガン踏みますねえ、オレだめだあ」といい
ながら一向に離れない。飯塚君が更に上げたら俺の方が千切れかかってしまった。東京バーディの上りでは意地
で先頭通過したが山王峠では2車身差。下って名栗川沿いを遡上しつつ話をしたら元実業団選手、座骨神経痛で
1年で一応やめたという24歳。こりゃあ参った、とんでもねえヤツを抜いてしまったものだ。後ろから来た、
ラバネロの若手選手らしい2人と小沢を上り始めるが3人はどんどん行ってしまった。下ったところで別れ飯塚
君と二人で帰路につきバーディを越え笹仁田を越えて平地になったところでコンビニ休憩中のカオスの面々に出
会う。飯塚君は帰り、俺は迷ったが彼らと共にまたしつこく小沢峠を上ることにした。まあまあのペースで行け
たもののいつ脚がつるか不安でダンシング出来ず。瑞穂で昼食後、多摩湖で花見をしようという皆と別れ所沢方
面へ。直後のゆるい上りでとうとうつってしまったが廻し続けてなんとか解消、無事帰宅した。95km。
 シャワーを浴びていたらギターの鬼怒無月から電話。自転車(普通のタウンサイクル)を買ったので調布から
ウチまで走って来るという。もう3時過ぎ、大丈夫だろうか。当分着かないだろうとごろ寝していたら意外に早
く多摩湖のあたりから電話があり慌ててモゼールで出掛け、山口城趾というところで4時半過ぎに合流。ウチに
きても帰りが遅くなってしまうから結局多摩湖の自転車道を案内することにした。普通のヒトは押している多摩
湖までのきつい600mの坂を鬼怒は根性+内装3段でゼイゼイと登り切った。ななかなかエライ。11kmの
周回道はそこそこアップダウンがあるのできびしそうだったがこちらは昼間のいいクールダウンになった。6時
過ぎに小平〜三鷹方面までの自転車道を教えて別れ帰宅。なんだかんだとこの日は120km走ったことになる。

 で、1週間で300km弱か。土曜のローラーを入れればもうチョイ数字が上がるがまあいいや。


            ● 10-7 

FunRide 森ビチ倶楽部、ツール・ド・草津

 かねてから気になっていた、ファンライド誌上で元プロの森幸春氏の指導を読者が受けるコーナー「森ビチ倶
楽部」に応募をした。心の広い俺は自分だけ向上しよう等とは考えず、いぬふぐりの皆に呼びかけ、タマさん、
ミドリさん、カオス飯塚、山田君とオレの5名でレッスンを受けることと相成った。森氏と言えば「師匠」と広
く呼ばれる名指導者。現在49歳だがほんの2,3年前に現役引退するまでは世界最年長のプロ・ロードマンで
あり、何度も出場している世界選手権の最後の参戦は94年、即ち43歳だったという凄いひと。20年余り国
内トップクラスにいて、全日本選手権、全日本実業団、国体など優勝は数知れず、ヨーロッパでの経験も豊富な
人物である。4月19日朝9時に東村山で遠路横浜からの師匠とライターの山口氏(ツールの取材記事でお馴染
み)と待ち合わせ、メンバーの待つ狭山へ向かう。あいにくの雨、上がるという予報だったのでまず師匠の車に
同乗してトレーニング・ルートを案内、更にコンビニに買い出しに行ったりしているうちに遅れていた編集部の
勝又嬢、カメラマンでタマと同じJCRC・Bクラスの綾野氏も合流。雨も上がり10時過ぎから走行開始。全
員できつい上りとほぼ平坦な直線、緩い上りで構成された周回ルートを走りつつ、師匠が前になり後ろになりし
てチェックが入る。10km程走って休憩、それぞれの寸評と関連したレクチャーを受けた。俺はいいフォーム
だと度々言われ「ほんとにカッコいいですね。これは大事なことなんです。」とのお言葉に思わずライター氏に
「メモしとかないでいいんですか?」と詰め寄りました。この時は皆ダンシングを殆どしなかったのだが、特に
俺のように体重の無い選手は通常それを多用するものなのでそのあたりの運動メカニズムの講義も受ける。
 さて場所を狭山湖・多摩湖の中間に移し、長めの坂と緩い下り、平坦路で成る2.5kmの周回で1周ずつ個
別指導。途中ポジション矯正のためサドル高、ハンドル高の調整なども行いながら後ろにみんな連なって走る。
全員自転車の調整、ポジション変更を施されたのに俺だけなんもナシのマル。つまんない。平地は言うこと無し、
上りではやや尻を後ろに引いてみたらどうか、というくらい。ダンシングに関しても、シッティングでの上り方
が非常にいいので却って使わない方が良いと言われた。(・・・実はフロント・ブレーキの右のシューを上下逆
に付けてしまっていたのを発見して頂いたが。ああ見っともない。)
 全員終わって駐車場に戻る上りの道々、しつこく併走してケツ位置とダンシングを見てもらうがそのまま駐車
場から裏山に入ってまでご教授いただいた。またしても「カッコいいね」と言われてしまうが、しなくてもいい
というダンシング、自分としては本やレースビデオで研究してきたものの脇を締めるという指導に変に力が入っ
て上手く出来ない。また、自分のダンシング時の重心が理想より前寄りであることも分かった。さて駐車場で総
括。俺はフォームに無駄が無いので逆に力を使い切ってしまう傾向があるということだった。使い切ってあの成
績なのかと思うと誉められても問題山積だ。当初無茶な高負荷を指摘されたタマさんは「あなたの場合はこれで
行っていい。すごい筋力、ヨーロッパ選手並。20年前に本気で自転車始めてたら大敵になったろう、やってな
くて助かった。」と絶賛されていた。まあ今後太ももとケツの筋肉に関しては認めなければならんな。
 綾野カメラマンは凄い。ロードマシンを一眼レフをかかえて駆り、俺達を追い越しながらパシャパシャ撮って
行くわ、前方からのカットのために上りでドカンとスパートして行くわ。三日後のJCRCで九位に終わったタ
マを差し置いて入賞、A 昇級。

 記事は5/19発売号に載るそうだ。自転車趣味のないひとは立ち読みしてくれ。


下山途中の風景。
もっと凄い雪の所もあったのだがアタマ回らず。

 4/22、ツール・ド・草津。昨年は悪天候のため殺生河原までの5kmに短縮されたが、前日の雨は止み快晴。しかし暖かくはないのでアームウオーマー、レッグウオーマーで出走。昨年のゴール17分53秒地点を18分22秒で通過。ここまでの平均心拍は160、先を考えまあまあのペース。しかしこの先はすぐ樹木がなくなりその途端凄い風。スタート時、上は現在風速20mとアナウンスされていたが凄まじい。進まない。苦しい。横から来るときは冗談みたいに風の来る方向に車体を傾けないと倒される。時々山陰で風が遮られまともになるが続かない。気が付くと猛烈に寒い。死にそう。森師匠の、ケツを引く教えどころではない。もうムチャクチャや。それでも最後は迫って来た後ろをスパートして振り切ってゴール。個人TTだから関係無いんだけど。「ウオッ、ウオッ」という呼吸がとまらない。預けてある下り用の衣類を入れた荷物のありかを係員に訊こうとしてもロレツがまわらない。「あ、あ、あ、あろ〜、い、いもつは、ほ、ほこれすか、か、か」、脚もがたがた震えてこけそう。レストハウスで配られる豚汁をガタガタこぼさないようにかきこんでもますます身体が寒さに気付いてくるようでダメだ。落ち着くまでかなりの時間を要した。


12.6km /52分47秒/Cクラス(41歳以上):14位(144名エントリー)・・・去年と同じ
 計測スタート地点〜殺生河原:4.9km/18'22"/平均速度 16km/h /平均心拍 160 最高心拍 166
 殺生河原〜白根山ゴール:  7.7km/34'25"/平均速度 13.2km/h /平均心拍 156 最高心拍 161

同行した30代のカオス・レーシングの面々には勝ちました。浅倉君が来ていないからね。
つまり今年も保谷パン対コテパンの偽パンターニ対決は俺の勝ちじゃ。


            ● 10-8 

シマノもてぎロード、カオス・ツーリング


 4月30日、第3回シマノもてぎロードレース。昨年同様40代クラス<M40+>とチームロードにエントリ
ーした。前夜雨の予報にSPOXホイールのタイヤをミシュランAXUAL Pro 20cから他のホイールに付けていた
パナレーサーStradiusPro23cに換装、そして予報通りの雨。<M40+>9.6kmの展開は約100名の内の1位
から48位までが14分台という、昨年同様の集団ゴールで30位に終わる。裸眼で泳いでいるみたいに雨が目
に入り前走車の水しぶきも浴びシューズカバーも役に立たずのずぶ濡れ+グチュグチュ足。先に終了していた、
タマとカオス飯塚の出ていた<オ−プンメン-3>28.8kmでは4回くらい落車事故があったが我々の方はスター
ト時に1件のみ。この天候と大人数はコワイ。
 どーっと時間が空いて午後3時45分からチームロードのスタート。いぬふぐりは昨年の4人×2チームから
3人×3チームへとなった。タマ、飯塚、俺の3人がエース・チームである。雨は上がったがどっと休んだため
俺の脚も上がってしまった。4.8km5周の24km、たどたどしく先頭交代をしつつTT仕様でばっちり固めた本気
チームにザーッと抜かれ、よれたチームをザーッというよりヌルヌルと抜き去りつつ調子を上げてきたと思いき
や俺がきつくなり始め、4周目では3分の2くらいを先頭交代に参加せず最後尾で回復待ち。「よし、お待たせ、
復帰するぞ!!」と5周目に入ったがあまり戦力にはならず、それでもゴール前は3人でスパートして終了した。
結果は昨年に続いて優勝したゼルコバ(浅倉君たち)からは6分30秒も遅い39分55秒11、33チーム中
19位。浅倉君なんて他の種目に出ないでこれにかけて来ているんだから困るよ。いぬふぐり第2(会長、山田、
タダシ)は28位、第3(みどり、カオス斉藤、接骨飯塚)は32位。
 帰りに水戸の手前で看板をたよりに山の中の小さい旅館に立ち寄り入浴、ビールとカレイの塩焼き(食べ物は
これしか出来なかった)で打ち上げ。帰路はタダシの運転で熟睡させてもらった。

 5月5日、立川駅にてモゼールを袋に詰め、武蔵小金井から輪行のカオスの面々と6:37立川発甲府行きの
車中で合流、握り飯を食しつつ大月へ。下車、自転車組立後コンビニで携帯食を買って出発、小菅・奥多摩への
峠越え、総勢10名。強豪・島さん、ひさびさの横倉君も手ごわい。草津で負かした保谷パンターニもペース配
分が上手いから侮れない。最近レースに出ていない吉川(弟)もBクラスの地力だ。という具合で松姫峠までの
27kmの上りが始まった。暫くして島さんが先頭、2番手に俺、後ろに吉川君、横ちゃんという構成が固定す
る。時々先頭に出るが、交代のつもりなのだがどうも島さんは俄然抜き返してくるような気がする。やがて島、
早、横の3人になり、15kmあたりの勾配がきつくなったところで先行したらそのままリードが広がってしま
い内心ヨロコビつつ一人旅にはいる。大分上ってから対向してきた車の女性が「あのー、すいません」と声をか
けてくるがこんなにゼイゼイいって上っているのに止まれるかよ!!向こうも「あ、、、」と絶句し結局こちら
は止まらずに後ろを振り返って「この先に人がいるから」(本当に2台車が止まっていて景色を眺めていたのだ)
と怒鳴るが、もう一度振り返るとなんと横ちゃんがつかまってしまっている。このまま行くのはフェアじゃない
ので俺も待つ。島さんも来た。後できいたら「富士急ハイランドへ行く道」を尋ねられたそうだ。こんな山の中
で、ガチョ〜ン。再スタート後も更にリードを広げ全然後ろに見えないのでウハウハ、なんて調子に乗っていた
ら脚に嫌な気配がしてきた。頼む、つらないでくれ、となるべく他のことを考えるようにする。そんなことに意
味があるかどうか分からないけど。やがて下のつづら折りが見下ろせるところにさしかかると、なんといままで
影も形もなかった保谷パンが軽快に上ってくるのが小さく見えるではないか。かなり距離はありそうだがつって
しまったら一巻の終わり。ペースを抑えつつもギシギシと上る。やがてようやく峠の頂上に到着、1時間28分。
ウィンドブレーカーを背中のポケットから取り出して着込んでいると保谷君が「あ〜、追い付けなかったあ」と
やってきた。1分差。数分後に横ちゃん、次いで島さんが到着、「23Tじゃ足りなかった」とボヤキ。その後
に吉川ブラザーズ、そして単独でなんとド根性オンナ・みどりさん(カオス初参加)が現れた。バッグ無しの俺
は彼女のフロントバッグにおにぎりを預けてあったので喜ばしい。そして谷中君、橋本さん、さつきさんも到着
し記念撮影後小菅、奥多摩湖へ下り昼食。食後は島さんがガンガン飛ばして行き、こちらは保谷、横倉と先頭交
代しつつ(勿論オレは短め)次の休憩地点・青梅駅前まで快調に走行、57分。みんなを待ってから岩蔵街道経
由で多摩湖に上り自転車道の外れまで走ったところで、清瀬の台湾料理屋でビールという魅力的な誘いを断り別
れて帰宅した。120km走ったのにまだ2時半、なんて長い一日だ。シャワーを浴びていたら今度は新座・い
ぬふぐりから「刺身&猪鍋」の誘い。う〜ん、疲れちゃったからなあ。
 


            ● 10-9 

ツール・ド・嬬恋


 5月12,13日、群馬県吾妻郡嬬恋村にて第9回ツール・ド・嬬恋に出場。いぬふぐり会長、タマ、みどり
と4名で出掛ける。初日は午後から個人タイムトライアル、1.5kmの上りだ。実際のところ俺のメーターで
は1.7km近くあった。よろよろ蛇行して距離が延びた?まあ兎に角短距離とはいえなかなか勾配もきつく、
短いだけに最初から全開で行くからきびしい。30秒間隔でスタート台から出るのだが、不安的中片方のクリー
トがはまらないままスタート、幸いすぐはまる。ペダルは静止状態だとなかなかうまくはまらないTIMEをやめて
T.T.の時だけシマノに付け替えておく予定だったのだが面倒になってやめたのだ。500mくらいでググッと傾
斜がきつくなる。気が付くと腕がひどく疲れている。力みまくっているのだ、いかんいかん、森師匠のレッスン
を思い出さねば。それに明日のこともある、あまりシャカリキになって疲れを残しても、と言い訳しながらやや
セーブしたがやっぱりきつかった。5分23秒75、63名中48位。最高心拍163,アベレージ157と、
理性的に抑えた。しかし俺が走った時の15名ほどのグループのタイムはいささか怪しい。3,4番手まで走り
出していたのにゴール地点の審判にスタートが伝わっていなくて、トランシーバーで「ちゃんと言ったよ!3時
丁度に出てるぞ!」等とやりとりしていたのだ。俺の二つも付けているメーターじゃあ5分15秒と16秒だっ
たもんね。1位はあの浅倉君が3分51秒とダントツ。タマさんは4分59秒の33位(しかし例の怪しいグル
ープ)、会長は温存策で出走せず。かなりの選手が温存に回ったようだ。

 二日目、本命レース。アップダウンのきつい11.5kmのコースを2周の23km。9時スタートのタマさ
んの3周34.5kmを観戦、一人が完全独走、かなり開いて2人が来てそのあとに4位争いの3,4人が遠く
から来る。タマが前にいるぞ!!ダンゴ状のスプリントで2番手5位でフィニッシュ、入賞・A昇級である。め
でたい。11時台の会長、みどりさんのレース(共に1周)は見ずにローラーでアップ、しかしあまりの好天で
消耗しそうなので15分でやめ、ストレッチを申し訳程度にやり召集場所の方に行って軽く坂を上ったりする。
12時3分、Dクラス46名スタート。2,3列目だったが始めの2kmの密集状態での下りでズルズル後退。
まあどうせこの先上りがきついのだからここは事故らないことが第一。下り終わって右折、ここから8km地点
まで殆どずっと上りだ。暫くすると集団はばらけつつ長く1列にのびてしまい一旦平らになる箇所ではあちこち
で中切れ、分断が始まる。俺も切れては追いつき抜かれては抜くのだが、おそらく30位くらいまでは落ちてし
まったのではないか。2.5kmの下りに入るがどうせ体重が軽いので不利だから無闇に踏むより回復を意識、
コーナーで側溝に突っ込んでいる選手もいる。2周目に入ると身体が馴染んできたのか、気分が良くなってきた。
実は序盤はあまりの苦しさに毎度のことながらリタイアやツーリング派転向がアタマをよぎっていたのだ。力尽
きた連中を抜き返して上る。やがて同じペースのビアンキとジャイアントとの3人で前後しながら行くことにな
る。上りでは時にブレーキをかけないと追突しそうになるが下りではやはり置いていかれかける。ケツになんと
か食いついて行くと大分前に行かれてしまっていたピナレロ・パリが視界に入ってくる。3人で捕まえたと思っ
たらパリも俄然必死になり、下り終えてゴールへの最後の短い上りの右カーブで左外からパリがアタック、まだ
早いかと迷ったが俺も右外から追走、ビアンキ、ジャイアントも追ってきて再び4人ダンゴ、もう平坦路なので
まずい。再度Parisがアタック、俺もならんで加速、二人は付いて来られない。ラスト150m、必死で踏むが
テキも必死だ。抜けないまま並んで30cm差でフィニッシュ、結果は15位だった。翌日HPで確認すると、
パリは30歳、ビアンキ16,ジャイアント34であった。ケッケッケ。まあ俺より強い50代もゴロゴロいる
けど。
 ところで初日のTTはDの中では10位だったのだが1〜9位のうち2日目に俺より速かったのは4人だった。
ということはやはり温存策を取った方が良いということだろうか。


            ● 10-10 

第3回もてぎ国際市民

 5月25日(金)、ツアー・オブ・ジャパン第4ステージ茂木で併催された第3回もてぎ国際市民ロードレー
ス。仕事の状況で出場しないつもりだったのだが昨年まずまずの展開だったので何とかなるかと締め切り直前に
エントリーを決めた。しかしツインリングもてぎに着いて準備に入ってもどうも盛り上がらない。腿の外側が疲
れている。アップは坂道の往復を15分程で止める。1時頃のプロの153kmのフィニッシュ後2時からのス
タート。昨年同様1周12kmクラス(他には3周クラスしかなくて強そうなのばっかり)である。平日とは言
え、我がクラスは僅か17名、去年は28名で4位のだったから当然密かに入賞を考える。さてスタートは意外
に緩やか、2番手で始める。やがて右から一人が前に行くのでそちらの後ろに乗り換えのコバンザメ走法。しか
しベテランのパインヒルズK氏がずっと俺の背後だ。まだまだ全員連なっている。徐々にペースが上がり先頭も変
わる。苦しくなってきたが成り行きで俺も先頭になる。後ろに戻って暫く行くが先頭交代を促されるものの苦しい。
もう少し余裕があればきつくてもあえて前に出て自分のペースで抑えるなんてことも作戦の一つだろうが勘弁して
もらう。6.5km地点の上りがポイント、去年はそこから5人で逃げ、K氏を含めた後続は切れていったのだ。
なんとかこの位置であの坂に入れればとこらえて付いて行く。ところがその手前で後ろからアタックがかかり一挙
にペースが上がって上りに入った。ゲゲゲ、ダメだあ付いて行けん。ああ、Kさんまで行っちゃうじゃねえか。た
しかにここで8人に絞られたが前の5人が速い。間が空いてしまう。3人で追うがとうとうそこからも切れてしま
った。こ、こんな筈じゃ…。次第に距離が開いて行き10kmあたりでは2人にもとても追い付けない位置になっ
た。後ろに一人だけ来ているのが気になる。単独になると風がきびしく速度が上がらない。しかし後ろの奴だって
苦しい筈だ、くそー、と踏み込む。あと1.5km、1km、もう追い付かれはしないだろう。順位は変わらない
と分かっていても吐きそうになってペースアップ、少ない観客の声援を浴びて(ありがたい!)単独スプリントで
ゴールした。本人より悔しがる妻。あ〜あ、Kさんにはここ2年位負けていなかったのになあ。最近受けているとい
う森師匠の個人指導で52歳にして伸びてきているのか?他の上位連中は終わってみれば見るからに強そうなワカモ
ノら。キミたち、同じエントリー料なんだから36kmに出なさいよ。

 「あああ、くそ、じぐしょ〜、なにがいけなかったんあだ、ああ…」と傷心の帰り道であった。もっとも途中から
妻の運転でこちらは寝こけていました。

 という悲惨な状況で今シーズン前半終了。早いがもうすぐドイツに2週間行き帰国後もそうそう乗り込めないので
回復期間を置いて次戦は7月1日の美ヶ原のヒルクライムにしたからだ。

 


自転車一代記冒頭

1998

1999

2000

レース・リザルト

表紙