第十一章 2001年後期
            ● 11-1 
ツール・ド・美ヶ原

 いよいよ今季後半戦のスタート、7月1日<ツール・ド・美ヶ原>。前日入り、雨のなか夕方車でコースの下見。松本市野球場から美鈴湖、美ヶ原スカイライン頂上までの21.6kmである。サイクルスポーツ誌5月号のヒルクライム特集にこのレースの昨年優勝者のコメント「いきなりの15%激坂出現にめまい。道幅狭く渋滞、止まってしまうと再発走できない。」とあったが正にその通り。それ以降もゲゲゲッという急勾配が頻繁に出現、車もローギアでないと登れない。完走さえ不安になってくる。27Tのスプロケットは家に置いてきてしまった。25Tでのぼれるのだろうか。しかも上の方は激しい横風と霧だ。頂上ゴールまで車でさえ小一時間、もう笑っちゃうワ。

 4時45分起床、天気は快晴。バイクと身体の準備、5時半朝食、6時10分旅館をチェックアウト。妻はゴールへ車で向かい一応最初の激坂のとっかかりだけでも試走しておこうとゆっくりのぼる。きついのでほどほどに切り上げスタート地点に下った。1,100人余りの出場者でごった返すなか、パインヒルズ・Kさんに会う。「去年こたえたんでローに27T付けてきたよ」と言う。やっぱりなあ。工具は全部持って来たのにあのスプロケットは別の工具箱の中だったのだ、不安倍増。

 7時半からクラス別スタート開始、我がD(40代)は151名、激坂渋滞回避のため4分間隔2つに分けられ俺は後発の8時3分に出走。序盤は心拍160以下に抑えて行こうと思うが速度を上げずとも勾配に心拍が上がって行く。まだ数百mなのにすでに降りて押している選手もパラパラ、幸い渋滞にはならず右側を抜いていく。1kmあたりからの15%直線では左側は前のクラスの押し組がゾロゾロ連なっている。俺も苦しくて「ここで我慢しては却って力が残らないのではないか」「一体何でこんな辛いことをやってるんだ?」と降りる誘惑がアタマのなかで飛び交う。1.4km地点で最低速度時速6kmを記録。しかし「歩いた」とヒトに言いたくない一心でこらえた。ここは4,500mで一旦ゆるくなるがまたきつくなる。3kmあたり、とうとうまっすぐ上れずに蛇行して行く。前後もそうしているので交差しないよう注意。その後美鈴湖にむけて下りになる。1km地点からこの下り始めまでの2.2kmの平均時8.4,平均心拍163,最高168。低心拍王としてはまあまあ?約1kmの下りで回復、ここがゴールでも充分であるがまだまだ先は長い。湖畔の平坦路はすぐ終わり再び急な上りが始まる。ここからは九十九折り。一番きついところは過ぎたとは言え、下りで一度148まで落ちてしまった心拍はオーバーペースを恐れる気持ちと回らない脚のせいで155あたりに滞留。速度も度々10km/hを切る。ようやく<中間地点>の看板が見え、54分近く経過。目標は昨年の優勝者の1時間7分32秒の約1.5倍プラスαの1時間45分を設定してある。残りの地形を考え時間を予想しようとするもアタマ回らず。行けるとは思うのだが。もうひたすら「よろよろでも踏んでりゃいつかは終わる」と耐えるのみ。14kmすぎに短い平坦がありほっとする。その後18km武石峠から道は開けて下りが2回ある。ここで5人の集団ができて飛ばし61.5km/hをマーク。ワカモノが猛然と先行していくが上り直しで抜く。2度目の下りで前

を飛ばすがまたしてもさっきのヤツがえらい速度で突っ込んでいく。そして最後の1kmの上りに突入。すぐ抜き返したが今度は前方に4人見えてきた。どうやら内2人は同クラスのようだ。追いついて少し間をおいてダンシングでアタック、一人が付いてきたが必死で振り切る。そしてバクバクでのゴール前、センサー計測のためパイロンで二手に分けられ右を行ったのだが前の2人に追いついてしまった。しかも左にいたヤツが自分だけ左だったので間違えたと思ったのだろうか、俺の前に割り込んだおかげで大幅にスピードダウン、左は無人なのに右だけ4人固まってフィニッシュ。後でリザルトを見たらクラス37位、おそらくアタックしたときの選手だろう38位とは1秒差だったので危なかった。タイムは1時間34分22秒、弱気の目標はクリアした。ケツの猛烈な筋肉痛で30分くらいまともに動けず。先にゴールしていた30代クラスのカオス・レーシングの保谷君と歓談、彼は1時間29分55秒と立派だった。草津でも松姫峠でも俺が勝ったのに、悔しい!!パインヒルズ・Kさんには4分半勝ったので5月のもてぎの借りは返したぞ。

 

 

 

 

 

クラス(40代)37位/151名
総合302位/1161名

 


            ● 11-2 

 猛暑

 猛暑のこの夏あまりきついトレーニングはダメージになりそうで、海外でもアメフトのスター選手がトレーニング中に熱中症で死亡というニュースもあった。7月に入ってからというもの、朝8時台に家を出てもすぐ暑くなってしまう。氷を詰め込んだボトルも20分も走るとぬるま湯になり、汗は滝になる。一人の時は多摩湖を走るがクラクラ来てしまうので距離もタイムも上がらず。気分転換に6月に組んだCARRERAもだびたび使用。これがクロモリなのに硬い。平坦ではダイレクトでスピードが伸びるのだが上りではこたえる。多摩湖でのデータでもMOSERやPINARELLOよりタイムははっきり落ちるのに平坦区間の最高速は時に2,3km/hも速い。でも疲れるワ。もっと筋力を付けないと乗りこなせない。

 15日にカオスで走ったが猛暑ということで小沢峠までは行かず途中の塩船観音まで。島さんに鍛えられる。多摩湖に戻って来て更に松が丘を走るが平坦直線で45km/h以上で心臓バクバクで後に付いているのに島さんがハンドルの下を持ってケツを上げてズド〜ンとアタック、あっという間に置いていかれた。この日はそのまま12時半から清瀬の台湾料理屋で飲み会。生ビールのあと紹興酒を10名中実質6名で4本空けてしまい2,3回居眠りして5時半ごろ起こされ解散。「今日はあそこで早川に平地のスプリントってものを見せてやろうと思ってね。レースのゴールじゃいつも大塚先生やジンさん(共にバケモノと言われる50代強豪)とああなるんだ。」と島さんのお言葉。ありがとうございました。

 7月18日から仕事が詰まって更に北海道やマレーシアに行っていて8月まで全く乗らず。2日に久々に多摩湖を走ったが前半のタイムは落ちていなかったが20kmあたりで脚がつってしまった。そのまま回せる程度ではあったがイカン。3日、4日はローラー。120回転以上5分持続は出来なくなっているだろうと思ったが持ちこたえた。思いのほか力は落ちていないようで安心。5日はカオスで7/15と同じコース(夕方からリハがあったので宴会〜なんとこの日もあった〜には不参加)、またまた島さんにシゴかれ、「もっとアタマ使わなきゃ。80%の力で後に付いて行けるのに前が遅いと思うとすぐ前に出て100%使っちゃうから最後のスパートが出来ないんだよ。回転力あるし練習してるのに。」と走りながらお説教。はい。でも「16号の交差点まで模擬レースだ」なんて聞いてなかったぞ。

 その後もローラーと多摩湖でボチボチ。乗鞍まで二週間を切ったからそろそろ長めの峠を走っておかないといけないが腰が重い。そこで思いついたんだが、乗鞍で1時間20〜30分心拍155〜160位で上るとしたら同じように多摩湖でその時間走れば同じ効果があるかも知れない。本日13日実行に移してみたが、峠では速度が遅くともおのずと心拍が上がるのと、小刻みなアップダウンの多摩湖でその心拍をキープするためにガムシャラに踏むのでは全然違った。とてもじゃないが無酸素域でその時間は走れず、45分までは平均158(大体150〜167)だったがその後の25分で148まで落ちた。ここで断念、長めの坂を1本やって終了とした。帰路は3.5kmだが最近は少し回り道して「急勾配のため車両通行禁止」と看板のある50mの坂をギシギシ上って帰ることにしている。さあ、こんな具合で乗鞍はタイム更新なるのか!?


            ● 11-3 

 第16回全日本マウンテンサイクリングin乗鞍

大会前日の8月25日、乗鞍の宿の手配を依頼したカオス保谷君たち(保谷夫妻、斉藤女史)といぬふぐり山岳隊(会長、タマ、みどり、タダシ、オレ)は2台の車に分乗、新座の玉川サイクルを9時に出発。夏休み最後の土日とあって大渋滞の中央高速を避け、なんとか1時半頃に塩尻から木曽路に入った楢川村の蕎麦屋「ながせ」に到着した。会長が「兎に角ウマイから」と予約しておいたのだ。そば粉たっぷりの黒く太い、いわゆる田舎蕎麦で酒によく合う。酒もここいらの「七笑い」という銘柄でこれもスイスイと飲める。

で、そんな具合になってしまい、楢川から乗鞍のふもとに抜ける「上高地乗鞍スーパー林道」では後部座席で眠りこけ、コーナーの連続するこのルート、ボコンボコンと頭を窓にぶつけ続けた。4時頃大会本部に到着、手続き後民宿に入る。少しへこんだような気のするアタマも幾分醒めたのでPinarelloを組み立て少し走ってから風呂、ビール、晩飯、宴会。勿論レース前夜だから相当セーブしたんだが、何故かこんな写真が。これが<いぬふぐり>のダブル・エース、タマさんとオレの姿とは信じられない。おかしいなあ。

 22km、スタート標高1400m、ゴール2800mに挑む朝。5時起床、5時半朝食、6時20分出発。宿から会場まで2.3kmの上りでこれが既になかなかの勾配だ。到着するとスタート地点及び開会式会場の観光センター駐車場は3,500名の選手と自転車で大混雑である。なかんずくオレとタマさんのEクラス(40代)は最多で548名もいる。まず7時30分にチャンピオン・クラスがスタート。これは1時間20分以内に完走出来る者という条件だが自己申告なので、クラス順位にこだわらず個人的にいいタイムを出したければ道中混まないのでいい。カオス保谷君はここで出走。次いで身内では7:31、会長のF(50代)、女子クラスがスタート。7:40にタダシのA(16〜25)。

 我がEは7:48に盛大にスタート。事前にズルズルとタマさんと二人で前方に移動していたのだが、それでも実際に自分達の周囲が動き出してスタートラインを越えるまで30秒かかった。これは3グループ位に分けてスタートをずらす等の対策をして欲しい。半ば強引に割り込んで進んで行くタマさんのケツにくっついて遅めの選手達の間を縫って前方へ行く。しかし4分前に出ている20代後半クラスの遅い連中に早くも追いついてしまいどこまで行ってもヒトだらけ。2kmチョイ、7、8分というところでタマのペースに付いて行けず離脱した。

 最初の30分で8.76km、平均心拍159、最高166。中間地点の看板を通過時に38分台だった。これからきつくなるので単純に倍にしても意味が無いが、ひょっとするとなかなかいいんじゃないか。しかしやっぱり甘かった。石畳で路面が悪い、急勾配・急カーブの「難所」がこたえた。ここを抜けたところでタダシに追い付く。「石畳でもう脚を使い果たした」と言う。「頑張れよ!」と言い残し先へ。次いで会長発見。「全然ダメだよ〜。タマは?」「大分先行ってる筈だけど」「えー?気が付か無かったなあ。」「じゃあね。」とゼイゼイ会話。次に斉藤さん、「頑張ってね」「今年はキツイわ」。とにかく混走なのでペースを掴みにくい。自分よりやや強そうな、つまり無理すればしばらくは追走できるレベルの選手をペースメーカーにして、千切れたらまた別の選手を探すワケだが、計らずもいつの間にか抜き返していたりして上手くいかん。給水ポイントで水を受け取る時にミドリさんと一緒になる。「あれっ?」と驚かれるがこれは後で、タマの方が随分先だったのでクラスが違うのかと思ったというニクタラシイ疑問符だったことが判明した。気が付くと心拍がさっぱり上がっていない(30分〜1時間経過時点:6.54km、平均心拍153、最高160)。ペースを上げようにも脚の方が言うことをきかん。心理的にも、最後に踏ん張れる力が残せるかというのが不安で現状のツラサに甘えてしまっておる。ここでもっと踏まなければ平凡なタイムで終わってしまうぞ、とムチ打つ。まだまだ先だという感覚だったのに突然残り5kmの看板、周囲もペースが上がるが、反面あたりにはもうへばり切ってノロノロの連中も多く、力を出し切るのが怖くなる。回らないアタマで残りの距離と速度で時間を計算してタイム更新が出来るかどうか呪文のように計算したりしつつ1kmごとの看板を励みにただ耐え、ラスト500mは必死で踏んでゴールした。1時間24分12秒、無念、98年初参加でのベストタイム、1時間23分42秒に30秒及ばず。スタートの30秒を返せ〜!!

 <クラス548名中95位、総合3,564名中736位>

 預けてあった防寒用カッパを着込んで下山、宿で入浴を済ませ一路諏訪湖へ向かう。いぬふぐり夏合宿(今年はナシ)等、何かにつけて訪れる焼き肉屋「南大門」で盛大な打ち上げ。ここでワタシは重大な発表を行った。
「タマは1時間17分27秒だったのだが会長を抜くときに挨拶を怠った。よってタマは失格、いぬふぐり内優勝はワタクシ早川である。」パチパチパチ(自分の拍手)。こうして楽しく打ち上がってワシは座敷にひっくり返って眠ってしまったのである。


            ● 11-4 

 右鎖骨骨折

 9月6日午後3時25分、多摩湖周辺でトレーニング中に脇道から飛び出してきた小学生の自転車をよけてすっ飛び、頭・右肩から地面へ。腰も強打した。一体どういう風に飛んだのか良く分からないが小学生は自転車に跨ったままポカーンとしていたのでぶつかりはしなかったらしい。不幸中の幸いである。本人の状況写真は<ずれずれ草>その65を見て頂くとして、自転車のほうは御覧の有様だ。Timeのカーボン・フォークは肩の部分のアルミの芯を車体側に残してボッキリ折れてしまった。下側ヘッドパーツにもへこみが出来て要交換、フロントのギアも一カ所歯が欠損。ヘルメットは右横から斜め上にぱっくり割れた。

今のところカラダが思うように使えないので細かくチェックしていないからほかにも破損した箇所があるかも知れない。まったく、Pinarello Prince ちゃんじゃなくて良かったぜ。ヘルメットも皆さん忘れずに。

 8、9日のJCRC・川場村ヒルクライム大会棄権は悔しいが、次に予定していた10月28日の秩父「龍勢ヒルクライム」は果たしてどんなものだろうか。いぬふぐりメンバーの接骨飯塚選手は「大丈夫、出た方がいいです!!」と言ってくれるけど、もうシーズンオフに突入ってことにして同日開催の宇都宮のジャパン・カップにシモーニやツーレ等海外スター選手を見に行っちゃおうかなあ。でもジロで手首骨折しリタイアしたカサグランデはギブスをしてローラーをすぐ始めたというし、ツールで大活躍したジャラベールも庭仕事で梯子から落ちて腰椎骨折した後だったそうだ。一昨年の世界選手権のバンデンブルックなんて90kmあたりでの落車で手首を数カ所骨折していながら260kmのレースで最後まで先頭争いに加わっていたぞ。って俺が無理して頑張ってもなんの意味も無いんだが。そうそう、タマさんも鎖骨を折ったときもう翌日から飲み歩いていたんじゃなかったっけ。


            ● 11-5 

 沖縄滞在

 10月28日の<龍勢ヒルクライム>は鎖骨のせいではなく仕事の事情で不参加になった。替わりに、といってもレースではないが仕事で行く沖縄に自転車を持っていくことにした。11月2,3日が演奏なので2泊延長、更に3日目の帰りも最終便を手配してもららう。パッド内蔵輪行バッグを玉川サイクルで購入、バイクと工具、シューズなどを入れてホテルに送った。折れたカーボンフォークを未使用の元々のアルミフォークに交換したMOSERである。

 4日、那覇のホテルからやや二日酔いながら11時に出発、本日から滞在する仲泊のムーンビーチを目指す。国道58号は片側三車線の主要幹線道路で交通量も多くつまらないが浦添、宜野湾と来て嘉手納にさいかかるとどこまで走っても基地が横にある。ようやく基地が終わったところで国道ものんびりしてきたが適当に見当をつけて左折、読谷村を海に近づいたり離れたりしつつ残波岬に到着。眺めのいいところでゴロゴロしてからレストランに入りソーキソバを注文、ゆっくり食事休憩。再び走り出すと30分少々でムーンビーチに着いてしまいまだ2時半。もの足りないし同宿の連中は4時入りで彼らが到着しないと着替えが無い。3km先に入り口のある石川岳というのを地図で見つけ上ってみた。国道からの入りが急勾配でよろしい。車も通らない。ところが残念なことに2km上ったところからはじまる最後の急勾配のところから立ち入り禁止。頂上に自衛隊の施設があったのだ。仕方なく下ってもう一度上ってからホテルに帰った。65km。

 


     <読谷のおそらく比謝川というあたり>


   <残波岬>

 2日目は前日に輪をかけた二日酔いと寝不足(ずれずれ草参照)で10時半出発、とりあえず北を目指す。国道58号はこの辺だと大分走りやすい。路側帯の幅がひろく歩道にはハイビスカスやアラマンダが咲いている。名護に1時間ほどで到着、ここから暫く内陸を走り再び海沿いに出るともう車も少ない。真喜屋で小休止、地図を広げすぐ先の源河(げんか)から源河川に沿った山越えの道で東海岸に抜けることにした。この源河有銘(あるめ)林道という道は熱帯林を切り開いたようで、これでこそここまで来た甲斐があるという感じ(やや大げさに感動しないと元が取れない)。しかし走っている内にどこまで舗装してあるのか不安になってきた。が、2カ所工事でダートになっているところがあっただけで源河から15km、45分あまりで有銘湾に下った。


<有銘湾*ここ以降はカメラを取り出す気力無し。>

 有銘からはふたたび国道になる。殆ど車は走っておらず快調に南下、と思ったら海から逸れた途端きつい上りが出現した。その後もヒルクライム・レースのようなきつめの勾配が何度も現れ、漠然と持っていた海沿いの国道というイメージは裏切られた。山越えのようなはっきりしたピークが無く、幾つあるのかも分からないというのはかなりメゲる。おまけに雨が降り出したと思ったら土砂降りになって木の下で雨宿り。小降りになったところで走り出し、大浦湾・汀間の民宿兼食堂で3時近くに昼食。またソーキソバにした。前日のよりソーキがたっぷり入っているが疲れて食が進まない。なんとか平らげ「この先も結構きついです、頑張って下さ〜い!」とおねえちゃんに励まされ、トホホと走り出す。まだ70kmちょいなのに。雨は上がったが道も上がって行く。しかし有銘大浦間ほどでは無く持ち直して辺野古〜久志とくると市街地の様相になる。宜野座のコンビニで缶コーヒーと補給ゼリーを摂取、裏の壁にもたれ休憩。ここからはもう大したアップダウンもなく快調なペースで南下、石川から軽い山越えで西海岸に出てすぐホテルに帰着、5時を大分過ぎてしまった。115km、実質走行時間4時間48分23秒、平均時速23.5km。高尾〜糸魚川291kmの時は大休止や修理までひっくるめて平均21.7km/hだったのに、今回は車輪が回っている間だけでこれである。ああ情けな〜。ムーンビーチ〜名護〜源河は平均28km/h、地形もあるが後半の落ち込みがひどかった。もっとロングを鍛えないといかん。

 最終日は明け方から台風のような強風が吹き荒れてあっさり断念。自転車をパックしてホテルの向かいの(と言ってもホテルが国道から海へ100mくらい引っ込んでいるが)ヤマト運輸の営業所に風でよろけつつたどり着き自宅へ発送手続き。さああとはビールでリゾートだ!!


            ● 11-6 

 第3回 もてぎ99kmサイクルマラソン

 骨折後初レースにして今シーズン最終レース。99kmといいつつ今年は4.8kmを21周の101km。前年に引き続き、この時期ということでお遊び(のフリ)として小径車クラスにエントリー。昨年3位の俺と同様、優勝者・カオス飯塚選手も再タイトルを目指す。久々に復帰の山田選手のメルセデスのなんとかいうワゴンで3人で颯爽とツインリングもてぎに乗り込む。出走リストを見ると今年は600人以上のエントリー、ただし小径は12名。

 9時過ぎに600人一斉スタートだが、召集地点でせっかく前方に位置取りしていたのに突然回れ右、後方からコースインするように指示。なんてこった、殆ど最後尾スタートになってしまった。まあいい、先は長い。昨年は序盤に張り切りすぎて(なんたってチビバイクで高級ロードマシンを抜いちゃうのは楽しいもんね)で33kmにして脚が攣ってひっくり返ってしまった。「早川さん、調子に乗って先頭なんか引いてるんだもん、ダメですよ。」と飯塚君にも釘を刺されているのでなるべくヒトの後ろにくっついて押さえて行く。飯塚君とはつかず離れずで大体同行。しかし7周目に早くも先頭大集団にラップされ、その際にこちらの中集団も一時的にペースが上がった為か、右ふくらはぎが軽くつり始める。後ろから来た飯塚君にその旨伝えこの集団から後退したがその後大事にはいたらず回復。以後同じようなペースの連中と小集団で、上り先行下り後退はあるもののアベレージ32km/h台で淡々と進行する。よくツリにあう目安の走行60kmあたりも1時間48,9分で越え、今回はつらずにいけるかも、と考える。しかしもう一度飯塚君を捉えるべくペースを上げるのは怖い。このまま無難に2位キープか、しかしそれもつまらない。
 しかし16周目突然ペースが上がらなくなりアベレージ30km/hを切ってしまう。ハンガーノックかと背中からゼリー飲料を取り出し摂取、いくらか戻ったものの85kmあたりでもうイヤになってきて18周目のアベレージは27km/h。19周目はすこし上がったが20周目中盤のダラダラ上りでとうとう激しいツリが始まった。無理矢理ギシギシ脚を動かしよろよろ上る。世界中でこんなに脚がつっているのに自転車こいでいるやつは俺しかいないぞ、絶対!と思って見てもどうにもならない。上り終わって一旦やわらぐが、最高速下り後のホームストレートへの本来一気に行ける上りで更に激しいツリ。右足首は下に伸びきったまま、とうとう両脚とも全く動かせなくなりコースアウトして芝生に転倒。やっとの思いでペダルから足を外したが起きあがれず痛みに咆吼するのみ。やがてゴール間近の飯塚君が集団の中から「大丈夫ですか?」と怒鳴ってくれるがダメに決まっとる。5分もひっくり返っていてようやく再スタート、なんとかラスト1周を再発に怯えつつこなしてゴール、3時間24分。最後は尻を一回り針金で縛られているようなツリに見舞われる。結果は、19周目にやけに早いモールトンに抜かれて「あれ?あんなのいたっけ?」と思ったワカモノが優勝、飯塚2位、早川3位だった。ひっくり返っている間に4位に転落しなくて良かった。総合では600名中276位。ロードCクラスの山田選手は75kmにてハンガーノックでリタイア。いいペースだったのに惜しいがリタイア(4時間の制限時間オーバーも含む)は180名以上にのぼった。

昨年同様3位。賞品も盾替わりの飾り皿、立派なシクラメンなどほぼ同じだったが残念なことにホテルの食事券\3,000が無くなりレトルトの「ツインリング・カレー」1ケになってしまった。食事券2枚を3人で豪勢に行こうと思っていたのに予定が狂ったぞ。

 ということで今年は終了。誰か、いつまでたっても改善されない俺の脚ツリにいい対策を教えてくれ!!


自転車一代記冒頭

1998

1999

2000

レース・リザルト

表紙