2012/03/19
2・3月は、国家試験を初めとしたいろいろなイベントがあり、今は例年通りそれなりにのんびりした年度末を過ごしている。昨年から企画を進めていたブラインドテニスの講習会も、一度延期になったものの、多くの方々のご協力のおかげで無事に実施することができた。個人的には、フロアバレーの全国大会でぼろ負けし、腰痛が悪化したり、インフルエンザで1週間休暇を取ったりと、若干病弱になっているが、おそらく運動不足が大きな原因と思われるので、少しずつ意識して運動量を増やしていきたいと思う。
以前長野県の阿部知事が盲学校を訪問した様子が、長野県の情報誌「KURA3月号」に掲載され、ぼくがコンピューター利用などについて話したことや写真なども載っているとのこと。ちょっとマイナーっぽい感じの雑誌なのだが、どんな内容なのかまた読んでみてもらおうと思う。
2012/01/10
新しい年になって早々、風邪で寝込み、何となくグダグダな休みではあったが、学校関係の雑務や理教連関係の雑務や4択問題データベースの雑務など一応少しずつ仕事をしていた。個人的にはもう少しハッピーなイベントを欲しているのだが、とりあえず風邪が完治したことに感謝しつつ、いつもどおりの年明けを過ごしている。
四択問題データベースは少しずつ問題と解説を増やしている。本などで一つ一つ調べたりするのが面倒なので、今はとりあえずかなり適当な解説で数だけ確保している状態なので、間違いも多数ありそう。いずれは閲覧した人が自由に解説を投稿・編集できるようにしたいが、若干面倒な作業になりそうなので、しばらくは今のものをベースにしていきたい。
以前社会人のフロアバレーを一緒にやっていたNさんが、青年海外協力体に参加し、エクアドル(アンデス山脈の辺りらしい)で2年間滞在することになったと連絡をくれた。ぼくよりも一回り下の世代の女性だが、特に気負った感じもなく世界に向き合っている様子はとてもすごいと思うし、一時期でも一緒にバレーができたことを感謝している。実りある滞在であってほしい。
2011/12/25
このページは近くのファミレス(AプルGム)から更新している。最近wimaxのステッププランを契約し、とりあえずいろいろなところで「これ見よがしに」通信を試してみている。たぶんしばらくすると飽きてきて、やらなくなる可能性が高いとは思うが、長野の端のこんなところでもwimaxが使えることが意外にもうれしく、カレーライスがPCに落ちるプレッシャーにも負けず、モバイル環境を満喫している。
12月の前半には長盲でフロアバレー教室を開催した。前日に鍼灸師会の飲み会があり、ここ数年間でいちばんひどい二日酔のおかげで、バレーを十分楽しめたか微妙なところだが、生徒や卒業生なども参加してくれ、楽しい講習会になった。いずれは長盲でも社会人バレーのチームができるといいのだが、自分自身にそこまで盛り上げていくだけの気力がないので、とりあえず念に数回でもこのような機会が作れればいいかなというところで妥協している。
理療科の研究会・慰労会では、学生の頃の恩師でもあり、松本ではしばらく同僚として働かせていただいたT屋先生と久しぶりにお会いし、いろいろと話をお聞きすることができた。学生の頃は睡魔に負け(そもそも戦う意思もなかったかもしれない)、どんな授業だったのかはっきり覚えていないのだが、松本ではよく焼肉などご馳走になっていた。まだまだお元気そうで酒の強い先生である。
現在、パソコン・ケータイ・スマフォなどから四択問題の練習をするためのWEBページを作成している。四択問題のページ。ページを作ることよりも解説を付記していく作業が一番大変になりそうである。
そして、理教連の年末理事会、卒業生たちとのクリスマス飲み会(仮称)が終わり、ちらちらと雪が降り始め、ようやく年末になる実感が出てきている。
2011/11/03
東京の墨田区で開催されている「サイトワールド2011」を見学してきた。特に目新しい出展はなかったのだが、視覚障害者用GPSシステムの進捗状況を聞けたり、カメラの映像を額の触覚刺激に変換して周りの様子などを認識する「オーデコ」の体験などもできて、それなりに充実したものだった。
帰りに秋葉原に寄ったのだが、誰の提案だったのか、なぜかMド喫茶を初体験することになった。因みに一緒に行ったメンバーの平均年齢は60歳くらいだろうか。店内は思っていたよりも狭いスペースだったが、さすがMド文化では他の追従を許さない秋葉原というだけあって、妙な団体の来襲にもほとんど動じることなく、声をそろえて濃い「萌え」セリフを唱和したり、飲み物に魔法をかけたり、熱いプロ魂を感じさせた。免疫さへ付いてしまえば、意外に年輩の人にも居心地のいい場所なのかもしれない。
2011/10/23
篠ノ井では5月から11月まで駅前でトラック市を開催している。これは駅前通りを歩行者天国にして、トラック数十台を利用して特産品などを販売するイベントなのだが、今日はそこで路上クイックマッサージを行ってきた。有免許のマッサージを啓発するために鍼灸マッサージ師会で企画をした活動である。駅前は思っていた以上に大盛況で、一人10分という少ない時間ながら、次々に列を作る人たちにマッサージをしていった。最近はあまり地元の業団体の活動に参加できていなかったのだが、マッサージ業界も地道なPR活動をしていることを、少しでも一般の人たちにしっていただく機会になればと思う。
2011/10/15
来年度、全国障碍者技能大会が長野で開催されるということで、今日その予選となる長野大会が行われた。今回は県としてもかなり気合を入れているようで、ぼくも以前から話を聞いていたのでパソコン操作という種目に参加してみた。試験内容としては、EXCELの関数などを使って表を完成させるというもの、それ自体はそれほど難しいものではなかったのだが、初歩的な関数の予習をせずに(ヘルプは確認したのだが)試験を受けてしまい、賞にはとどかなかった。同僚のh田先生が技能賞、そして松本から参加していたk野先生が優秀賞で、この種目は知り合い同士で競い合った感じである。この大会には他の障碍者も含めて150名近くの方が参加していて、種目も、木工、フラワーアレンジメント、パソコン組み立てなど、いろいろとバリエーション豊かでおもしろかった。また試験とは別に、近くの中学校のブラスバンド演奏会があり、とてもハイレベルな演奏を、リハも含めて聴くことができ、そういう部分も含めて良い大会だったのではと思う。更に清泉女学院の学生が1日ガイドについてくれて、個人的には楽しい1日だった。
生徒のブログを発見。「ずくなし」というのは、気力がなかったり面倒がりという意味らしい。とりあえず文化祭盛り上がりましたね、ぼくもどちらかというと前夜祭の方が燃焼したような。
2011/10/09
今年も長盲文化祭「菊花祭」が終了した。今回は特に前夜祭で、「長盲ベンチャーズ」として、ダイアモンドヘッド、パイプライン、クルエルシーの3曲、他に斉藤和義の「歌うたいのバラッド」、excileの「もっと強く」のギターパートを担当し、なかなか充実した疲れた)文化祭だった。当日は点字体験コーナーを担当していたが、例年にも増して来場者が多かったようで、懐かしい卒業生などにも会うことができた。BぷMりさん、またバレーをやりましょうね(笑)。夜は中華の店で慰労会、ビールの飲みすぎで次の日になってもなかなか頭痛が取れない。
2011/09/03
この夏は宮崎で行われた理療科の研究会と理療科教員連盟の総会などに参加してきた。これから2年の任期で理療科教員連盟の広報部長を勤めることになり、一時的に仕事が増えてきている。一応何とか校務と両立してがんばっていきたい。それはともかく、マンゴーに牛肉、魚など、宮崎では美味しい食べ物を沢山食べることができ、そういう意味では満足できた旅行だった。
学校は8月22日から始まり、休み中に仕事をさぼっていたつけなのだが、理教連の冊子を発行する準備をし、テストの準備をし、文化祭の練習をしといった感じで、しばらくは退屈しない日々が続きそうである。
長野盲学校のページをようやく更新することができた。いろいろあって、当初構想していたページよりもしょぼいものになってしまったが、一応更新をしていく下地ができたということで、少しずつ内容を拡張していければと思う。
蛇足だが閉店したYむらTの後にはKエモンというツケメン屋ができた。どうも同じ系列店らしいが、個人的にはこちらの方が気に入っている。
2011/07/09
長野主幹で行われた野球大会も無事に終了した。長野は松本との合同チームで準優勝という結果。個人的にはコートのアナウンスの一部を担当していたが、練習不足と緊張で失敗ばかりしてしまった。とりあえずこれで1学期の仕事が一段落で、後は夏休みを待つばかりなのだが、急に暑くなったせいで今は完全に夏ばてしてしまっている。
最近パソコンを買い替えた。相変わらずパナソニックのレッツノート(J10)だが、64bit環境ということで勝手の違うところやソフトの買い替えも多く、しばらくはこれで楽しい時間を過ごせそうな気がしている。
近所にあるYむらTというラーメン屋がついに閉店してしまう。1年間美味しい(?)ラーメンを食べに通っていたので、(一応)これは残念な知らせである。とりあえず次にどんな店が入るのか(入らないかもしれないが)心配なような楽しみなような。
2011/06/18
5月の運動会以降風邪で扁桃がやられたり、ついでに中耳炎になったりと体調の悪いサイクルに入っていたが、何とか復調し、3日間富山で行われていた北信越バレー大会に引率してきた。今回の大会は1位が富山、2位が新潟、そして長野が何とか3位に入ることができた。結果としては3位だったが、長野は予選と3決合わせて2勝できたので、一応練習の成果を出せたのではと満足している。
ときどきびっくりするくらい高速アタックをするが一寸レシーブが苦手なTくん、指示とレシーブが上手でゲームメイクのできるFさん、最速のアタッカーだが今回はアタックが入らずブロックに徹していたAさん、初参加だったが3決での勝利を呼び込んだTくんなど、来年の試合が楽しみなメンバーである。
宿泊施設(富山駅近くのホテル)もなかなかよく、特に2日目のフランス風コースメニューはこれまで引率した大会で3本の指に入る豪華さだった。引率職員は体を動かさず食べるものは選手と同じなので、帰ってきて腹の辺りが一段スケールアップしたように感じる。体調もまだ完全とは言えないので来週は毎日ご飯と梅干しだけで過ごす予定。
再来週には北信越盲学校野球大会があり、こちらは長野盲学校が主幹になっている。学校はもうしばらく忙しい毎日が続きそうである。
2011/04/28
新学期が始まり1ヶ月、毎年のことだが4月は1年の中でも特に充実感を感じられる季節である。今年は1年生の担任になり、新たに二人の生徒との出会いがあった。
この4月は学校の仕事に加え休日に東京出張が2回入り(これから少しずつ東京にいくことが増えそう)、ギター仲間と家計湯温泉に行き、飲み会と出張を元気にこなしたが、どうも肩と腰に疲労が出始めている。
長盲恒例の春の遠足は、飯山にでかけた。やや風が強かったものの、気持ちの良い春空の中、名の花畑をゆっくり歩いたり、ソバ・オヤキ・笹寿司などを食べたり、なかなか良いリフレッシュの時間になった。8月頃には長盲の新しいホームページを公開できればと思っているが、遠足の写真なども乗せていきたい。
連休は去年と同じく新しい店などを開拓しながら、ゆっくり過ごす予定。因みに去年の連休あたりに紹介した店のほとんどは、1年通い続けしっかり常連客になっている。近くのYむらTというラーメン屋も、1年以内に店を閉めるのではと期待しながら通っているのだが、まだまだ元気に営業している。
2011/03/19
卒業式。生徒や転任の先生を送り出し、1年かけて何とか長野盲学校の組織の一員になれたかなという感慨がある。送別会の1次会は震災を受けてアルコールを飲まなかったが、やはりこういう席でアルコールがないのはストレスでもあり、結局2時頃にうっすらとした意識の中で家に戻ってきた。今回の震災ではこういう普通の生活をおくれることがとても紙一重のことなんだと痛感させられる。歩いていると床がグラグラと揺れ(地震というより千鳥足)溝の多い長野では何度も落ちそうになって危ない。
2011/03/12
長野も昨日からゆっくりとした揺れの地震が断続的にあり、夜中には震度6の地震(長野市はそれほど強い揺れではなかった)。今日は少し駅前にも行ってみたが、全く平常。東北地方の知り合いの安否が気がかりで、ラジオを聞きながら胃が痛い1日。
2011/03/09
14年一人でアパート暮らしをしているが、初めて調理中にかなりのヒヤリ体験をした。焼きそばを作っている途中トイレにいきたくなり、少し火を弱めて目を離した時のこと。ガスコンロの下には高さ調整のためにちょっとした台をおいているのだが、その脚のネジが少し緩んでいたのか、目を離している間にガス台の脚が1本外れ、調理中のフライパンが横に倒れてしまっていた。とりあえず床に落ちなくて幸い、すぐにコンロの火を止めればだいじょうぶだろうと最初はあまく考えていたのだが、既に横においてあったプラスチックの容器に引火・どんどん燃えていて、コンロを止めても火は消えず、更に慌てて中途半端に水をかけたのが失敗で、いきなり火の勢いが強くなり、パニックになりかけた(こういう時、ちゃんと火本が見えていればすぐに冷静に対処できるのかもしれない)。結局大きなフライパンをかぶせて火は消えたものの、プラスチックの容器はトロトロになるまで燃え尽きてしまった。改めてガスコンロでの調理には注意をはらわないといけないと認識し、これからはIH調理器を使うことにした。
2011/03/04
長野盲学校に赴任して初めての国家試験・入試が終わり、卒業式まで残りわずかで少しノンビリしている。
国家試験は今回で19回目になる。ここ数年で問題の難易度は大きく変わっていないものの、求められる知識の幅が広がり、視覚障害者にはそれなりに高いハードルになっている。このハードルを乗り越えた生徒たちを暖かく送り出すことで仕事の充実感を得ている訳なのだが、教える立場としてはハードルを乗り越えられなかった生徒たちのことが強く頭に残っている。3年間勉強してマッサージの技術がそこそこあるような視覚障害者が、もっと免許を取りやすいような試験のシステムにしたいという思いをずっともっている。
現在、鍼灸の業界内でISO(国際的な標準規格)ということが話題になっている。例えば現在の鍼灸は、国や人によって使う鍼の長さや太さ、病気の捉え方、治療の考え方(組織のどこを狙うか、経穴を重視するかしないか)などが異なっていて、これを世界的に標準化しようという流れである。国ごとに違う経穴(つぼ)の場所を標準化したことがマスコミなどでも取り上げられたが、今後は治療に対する考え方や教育システムなんかも標準化してしまおうということで、今回も主導権を握っているのは中国である。これまで東洋医学を一種の哲学として、鍼灸治療とはある程度切り離して考えてきた自分としては、今後の先行きが気になるところである。因みに日本の鍼灸教育は(学校によって多少の差はあるだろうが)、漢方より西洋医学の解剖・生理などを重視するような教育が行われてきている。
視覚障害者の教育についても盲学校にとっては重要な議論が進行している。「インクルーシブ教育」という、視覚に障害のある子供が通常の学校で学習することを原則とする制作で、これに向けた法律の改正・予算の配分などが今後行われていくようである。盲学校も生徒数や教員数(予算)が減っていく中で、今後の新しい役割(地域の視覚障害者の拠点)に向けて少しずつ変化していっている時期なのだろうと思う。
久しぶりの更新で何気に暑苦しいネタになったので、火事になりかけ電磁調理器に切り替えた顛末はまた暇な時に。
2011/01/22
今年は正月3日くらいにかけて風邪で寝込んでいた。気が緩むと早速不調モードに突入する素直な体である。体重も3kgは減っていたのだが、その後の食欲の回復で今は完全に元に戻っている。
そして、長野に帰ってきてからは大雪の洗礼、松本にいた頃の感覚だと、10年に一度くらいの大雪レベルで、1週間立ってもまだ結構雪が残っている。溝オプションの付いた長野の道路にはまだ十分慣れていないということで、同僚が毎日家まで一緒に歩いてくれていて大変助かっている。
最近一人暮らし14年目にしてついに禁断の電子レンジを購入した。雪のおかげでスーパーへの買い物にいきにくい状態だったことと、これまでウドン以外あまり使ってこなかった冷凍食品の解凍がおもしろくなったことから、毎日いろいろな冷凍を解凍して充実した冷凍ライフを過ごしている。
2010/12/18
最近隣の家に子供が生まれ、その影響でギターを弾くのを当分控えてほしいとの話があった。これまでも遠慮してギターは休日の昼間にだけ弾いていたのだが、それでも赤ん坊の眠りの妨げになってしまうらしい。よく考えてみると前のアパートでは11年間よく苦情を言われなかったものである。今後は練習のために近くのカラオケボックスでも使おうかと考えている。
長野市にきて半年、もうすぐ今年も終わろうとしている。個人的には思ったよりも平和に過ごせた1年だったが、学校では新しい環境、人との出会いや学級のあれこれなど、退屈しない1年だった。新しい環境がストレスにつながってしまうところもあるが、そんなことも含めてこの時期に長野市へ転勤できたことは良かったと思っている。後はそろそろ何か運動でもしないと、体重が上限を超えてきそうな雰囲気である。
2010/11/21
長野市鍼灸マッサージ師会の110周年記念式典が湯田中温泉で行われた。110周年というのは長野盲学校の歴史と同じで、設立は明治33年である。式典自体は30分ほどのささやかなものだったが、宴会・温泉・二次会と、1時過ぎまで関係者と話をすることができた。長野師会の様子やどんな人がいるかなど、まだなかなか覚えられないので、こういう機会(主に飲み会)はこれからも大事にしていきたい。それにしても、10月から立て続けの温泉巡りになっていて、長野周辺に温泉が多いことを再認識した。
11月に入って腰痛、寝ちがい、風邪と、体調が微妙に崩れ、それらからようやく復活しかけていたのだが、110周年の飲み会の後、治っていたはずの腰痛が再燃し、次の日の研修(畳みで3時間)は結構きつい苦行だった。腰とは関係がないが、先日の健康診断では軽い胃炎があると言われ、腰のためにも胃のためにもしばらくはアルコールを控えた方がよさそうである。
学校では寄宿舎に入っている子供の保護者に、「自立」についての体験談を話す機会があった。「成り行きで何となく今の状態になりました、以上」と10秒でまとめられることを1時間使って話すのもどうかと思いつつ、母校の盲学校の様子などについて話をしてきた。ぼくの母校である愛知の岡崎盲学校にあった記念碑には以下のような言葉が掘ってある。「自立に向けて、努力は自信を生み、感謝は和をもたらし、誠実は共に生きる道を開く」。時代が変わっても盲人の思いは変わらないのだろうと思う。
2010/11/06
今年は秋だなあとしみじみできる時期が少なく(長野はだいたいこんな感じなのかもしれないが)、一気に冬に突入しそうな勢いである。今の場所で半年過ごしているが、雪が降った時に溝にはまらずに歩ける自信がない。
10月は、文化祭で生徒たちとステージに立ったり(ギターで6曲も弾かせてもらい大満足)、知り合いと渋温泉や戸倉上山田温泉にでかけたり、新宿で行われたフロアバレーの大会に参加したりなど、仕事以外のイベントが多い月だった。普段あまり体を動かしていないため、バレーの大会以降、ぎっくり腰の気配につきまとわれている。鍼灸師として腰痛に屈服するのも情けないということで、毎日自分の腰に鍼をしているのだが、とりあえず人一倍腕の関節が固いため、無理な姿勢で腕が攣ったりしている状態である。
昨日は障害者権利擁護のためのシンポジウムに参加してきた。様々な障害者の立場から差別に関する現状が話され、差別を無くすための条例作りなどについて講演が行われた。ぼくも15分ほど話をするように言われていたのだが、改めて考えてみると34年生きてきて、これはというような深刻な差別問題にぶつかったことがなく、自分がそう感じないほど、親や親戚、友達や同僚などがクッションになっていたのだろうというような、その場の空気を読み間違えたような話をしてきた。その後はもやもやした気分の中、懇親会でワイン・日本酒などが出され、久しぶりに記憶が怪しくなるほど飲んできた。今度はもう少し自分の考えを整理してこの問題について話しができるといいのだが、飲み過ぎてかなり危険な状態まで脱皮しかけたため、そんな機会はもう無いかもしれない。
2010/09/11
10月の文化祭に向け少しずつ学校が慌ただしくなってきている。文化祭についても今年は大きな係は割り振られていないが、点字体験コーナーのサポートや生徒たちと参加するステージ発表など盛り上がりに便乗させてもらおうかと思っている。松本盲学校の文化祭と期日が重なっているため見にいくことができないのが唯一残念なところである。
昨日は、ノー・マイカー・デイ(通勤に車を使わないようにというエコロジーを意識したようなパフォーマンス)で多くの職員が自転車や電車・バスなどで通勤していた。せっかく車できていない日ということで、それに合わせて飲み会が行われ、それなりに沢山の職員が参加していた。学校によっていろいろおもしろいイベントがあるなーと思いつつ、ぼくもしっかり飲み食いし、早口の同僚と自宅で更に飲み、エコ以上のエネルギー消費をした感じである。
自宅のエアコンは室外・室内の温度などを、落ち着いた女性がしゃべってくれるもので(寂しい時などにボタンを押してみたりするのがお勧め、因みに給湯器もいろいろとしゃべってくれる)、夜は25度を下回るようになり、安らかな気分で眠りにつくことができるようになった。意外と秋はあっという間に終わり冬になっていくのかもしれない。
2010/09/04
学校は2学期が始まって既に2週間が過ぎているが、嫌がらせのような連日の猛暑に、扇風機に張り付いたままひからびてしまった職員や、プツリと切れてみたりする生徒などが続出している。個人的にはようやく体が熱さに慣れ始めたのか(今更遅すぎるが)、ようやく食欲も回復し調子よく過ごしている。
2学期が始まってからは、文化祭に向け生徒たちとカラオケ&バンド練習を始めたり(ギター担当)、長野で行われた関視研という盲学校教員の集まりで、微力ながら仕事をしたり、職員旅行で長瀞の川下りやSLに行ったりなど、それなりに楽しく過ごしている。ただ職員旅行では、念のためにと飲んでおいた酔い止めとバスの中で朝から飲み始めたアルコールがベストフィットで効いてしまい、1日中眠気と戦い負け続けていた。
夏休みの研修や関視研などを通して、松盲時代にお世話になった同僚たちに沢山声をかけてもらった。元々、知り合いや仲間を作ることに時間がかかってしまう性質ではあるのだが、改めてこれまでとてもいい同僚たちに支えられて仕事ができたことを感謝している(今度文化祭で演奏する「栄光の架け橋」の影響下にある)。長盲ではまだ声と名前が一致しなかったり、しっかり話たことのない職員・生徒が多数いるが、暖かい雰囲気は松盲と同じで、これから時間をかけて良い関係を作っていけたらと願っている。
長野盲学校のホームページはここ2年ほど更新が滞っているようで、このページの更新の仕事を始めようとしている。当初は今あるページに新しいコンテンツを加えていくことを考えていたのだが、アクセシビリティなどあまり配慮されていないため全面的にリニューアルした方がよいのではという意見もあり、どうするか模索している。
2010/07/02
石川で行われていた北信越盲学校の野球大会は、2勝1分けで長野・松本合同チームが優勝・3連覇した。祝!先日のバレー大会では負けて悔しい思いをしたが、練習の成果が出て勝つのも力及ばず負けるのも、学校時代の貴重な思い出になると思う。ぼくも学生の頃はバレーや野球だけでなく、陸上・水泳などいろいろな大会に出ていたが、そんな経験が今の仕事にも繋がっている。
だんだんと暑い日が多くなり、風邪気味と気力の低下が徐々に進行しつつある。しばらくはギターでも弾きつつゆっくり過ごしたい。ボーナスも入ったところで新しいギターが、OOサイズのギターが……などと考えていると、本当に楽器屋に行って即決してしまいそうで自制するのが大変である。
2010/06/19
新潟で行われたバレー大会が終わった。今回は北信越の5つの盲学校の総当たり戦を行い、長野は一勝三敗で4位という結果だった。どの試合も応援しがいがあり、そういう意味では満足のできる大会だったが、来年はもう少し持久力を鍛えて挑戦したい。「長野盲学校の人たちは負けても明るくていいですねー」と他校の監督から励まされるほど、勝っても負けてもテンションの高い生徒達だった。普段の生活ではまず絶対にみられないような必死さでプレーする姿は、どのチームにいても心を動かされる。今回新潟に行った選手たちは2週間後の野球大会にも参加するのだが、ぜひがんばってきてほしい。
2010/06/12
学校が始まって2ヶ月が過ぎ、ようやく全体の流れや生徒たちの名前と声が一致するようになってきた。理療科職員はだいたい研究室という部屋に生息しているのだが、毎日2校時と3校時の間は「お茶の時間」になっていて、長盲ののんびりした雰囲気を感じる。因みに学校全体の歩調を取っている(チャイムなどを鳴らす)時計が常に2分ほど遅れていて、きっちり動きすぎると周りと微妙にずれてくるのがおもしろい。
運動会では久しぶりに短距離走に参加した。松本盲学校の運動会は、どちらかというと普通科の生徒が中心に盛り上げていたところがあるが、長野盲学校では特に理療科の生徒たちが盛り上がっている感じで、町内の運動会(あまり参加したことはないが)という雰囲気。アルコールこそ出てこないものの、これはこれでとても楽しいイベントだった。
そして部活動で練習をしてきたバレーボールの大会がいよいよ来週である。新潟で行われぼくも引率でついていくのだが、これも理療科の生徒6名と普通科の生徒1名の参加で、本当につきあいの良い生徒が多く嬉しい。勉強は大丈夫かなあ…と心配する振りをしつつ、バレーが終わったらギターの世界に引き込む計画である。
今の家も随分訪問者が増えてきた。部屋数の多い間取りは一人暮らしにはあまり役に立たないと思っていたが、来客があるとその便利さを実感する。松本で飲み友達となっていた以前の卒業生などもきてくれて、ありがたいというか嬉しいというか。
家から歩いて3分ほどのところにトリノコーヒー館という喫茶店がある。休日に軽食でも食べようかとトーストのメニューを聞いたところ、「キャラメル・バナナ・トースト」というお勧めメニューがあるとのこと。「ちょっと量が多めですけど大丈夫ですか?」と言われ「全然大丈夫です (たぶん言うほどはたいしたことないんだろうな、もう1品何か頼もうかな)」と余裕で変じをしたのだが、出てきたものは1キンの直方体のトーストをくりぬいて、そこにバナナなどの果物やクリーム・アイスなどが山のように盛りつけられたものだった。食べ方の説明を受けるだけで5分、そして食べ終わった頃には胃がキリキリしていた。たかがトーストとなめていたことを反省して帰った。転勤によるストレスで体重が5キロほど減ったのだが、食べ過ぎの影響が7キロ分あったのか、体重計は70キロ台に突入したことを告げている。
2010/05/04
長野市にきて1ヶ月が過ぎたが、ようやく周囲の様子がわかってきつつある感じで、まあ良いスタートを切れたのではないかと思っている。連休中は、30日に学校の遠足があった以外は、gpsナビを使って家の周りを散策したり、ギターを聞きに行ったり、のんびりと過ごしている。
長野盲学校は、規模としては松本盲学校よりもやや大きく(生徒数はほぼ同じ)、場所に余裕があるせいか、校風もノンビリとした雰囲気である。逆に校舎が広いおかげで、今年度からは敷地の一部が養護学校の分校として使われていたりもするが、大きなトラブルもなく順調に運営されているようである。
今年度は週に16時間の授業とバレー部の監督など担当している。授業自体は松本でも経験しているものばかりなのでそれほど大変ということはないが、学校によって時間数や使う教材など違っていることもあり、まだまだ課題が多い。しばらくは生徒にも迷惑をかけつつ軌道に乗せていきたい。
家と学校は歩いて10分ほどなので、松本にいた時以上に通勤が楽になった。家と学校の直線上には大きな店が無いため、以前ほど外食をすることは少なくなりそうだが、途中にある大通りにはマックスバリュー、焼き鳥屋、定植屋、ファミレス、寿司屋、ラーメン屋、弁当屋、ケーキ屋、イタリアン喫茶などがあり(連休中に全て制覇)、いつ外食モードに切り替わってもおかしくない環境である。因みにアップルグリム(ファミレス)には、メガトリプルハンバーグ(ライスお変わり自由)という2000キロカロリーを軽く超えてくるメタボメニューがあり、既に数回食べてしまっている。
今住んでいるアパートは3DKと広く、夜寝る部屋、昼寝る部屋、寝ない部屋と三つ使っているが、やはりこれまでとは違い掃除がものすごく大変な気がしている(気がしているだけで実行はしていない)。あまり物を増やしすぎると次に引っ越しをする時、今回以上に大変なことになるなあと思いつつ、早速電気屋で見かけたマッサージ機能付きのソファーがほしいなあと思い始めている。学校にいけば生徒にやって(練習して)もらうことができる!と、今のところ何とか自制している。
鷲見英一さんに作っていただいたギターは相変わらず大活躍している。たまたまsumi工房にきていた「ももかん」の石井完治さんに弾いていただき、また先日行った吉川忠英さんのライブでは、1曲だけだがこのギターを使ってくださった。ぼくの実力とは無関係ではあるものの、とてもありがたいことである。
2010/03/20
しばらくこのページをほったらかしにしていたが、半年ぶりに更新をしてみる。
来年度から長野市にある長野盲学校へ移動になる。
11年前に松本にやってきて、盲学校の同僚や生徒、地域の人たちや松本の町に見守られながら、楽しい時間を過ごすことができた。今度は長野市の人たちともうまく馴染んでいけるといいなあと思いつつ、今は11年の間に部屋に蓄積された塵とか塵とか大事なものとか塵とかを捨てる作業に没頭している。
ページの更新をさぼっている間にアコギがまた2本増えた。特にその中の1本は、上田にあるSUMI工房で作っていただいた手工品。日頃はギターを粗雑に扱うことが大好きなのだが、このギターは柏手を打ってから弾くようにしている。先日は恐れ多くもアイスコーヒーのガムシロを少しお供えしてしまったが、きっとギターの神は寛大なはずである。
2009/07/04
暑い愛知県の出身でありながら暑さに弱いぼくにとっては速く通り過ぎてほしい夏である。とりあえず梅雨のためまだ本格的に暑くなっていないこともあり、今のところ比較的体調良く元気に過ごしている。6月は学校でバイオリンコンサートが行われたことなどに触発されて放課後バイオリンの練習をしていたり、学芸部の顧問として合唱に参加したりノンビリした生活をしていた。7月は教員免許更新の講習が立て続けにあり、暑さにばててもいられない。
頻繁に補聴器が壊れるようになり、とりあえず一つ新しいものを購入した。補聴器というものは基本的に高価なものが多いが、新しい機種がそのまま聞こえやすいものであることは少なく、買った後の調整をしつつ少しずつ耳を慣れさせていく時間は、かなり慎重な行動が求められる。例えば補聴器に慣れるまでの歩行というのは、既に視覚障害のある人が片耳にイヤホンを入れて大音量の音楽を聴きながら歩くようなもので、方向感覚や距離感など、微妙な感覚はかなりあてにならなくなる。そのため精密な調整を頻繁に行ってもらいながら少しずつ環境と耳との妥協点を見つけていくことになり、多少高価なものでもアフターサービスのことを考えると、まあ妥当な値段といえるのかもしれない。
最近よく取り上げられる話題として、視覚障害教育の専門性について駄文を一つ。眼の病気や見え方・障害の特性、障害者福祉、点字・拡大文字・コンピュータ指導など、専門性といっても多岐にわたる。それらを理解した上で、自分の受け持つ教科の指導・支援に活用する、またそのようなノーハウをもった組織であることが盲学校(特別支援学校)の存在意義なのだが、残念ながら様々な理由でそれらが年々失われつつあると感じる。これはもう10年以上前から盛んに言われ続けてきた、関係者にとっては周知の議論ではあるが、これまでの豊富な財産を引き継ぎながら新しい視覚障害教育の環境を作っていくことは、今後の盲学校(特別支援学校)の大きな課題である。我ながらかなり内容の薄い文章だが、このことについてはいろいろな意見や考え方があり、何が最善なのかわからなくなりつつある。
2009/05/10
連休やその後のリハビリ的休日のおかげで、随分ゆっくりできた。連休中は知り合いの家にパソコンのサポートにでかけたり、卒業生と飲みにでかけたり、夏服の準備をしたり、炊飯器ケーキやその亜流を作ったり、それなりに楽しく過ごした。連休明けからは学芸部の活動も始まるようなので、久しぶりにギターやバイオリンなどもやってみようかと楽しみである。
今年度から教員の免許更新制度が始まったが、昭和50年生まれのぼくはいきなり最初の年に更新をしなければいけないらしい。30時間の講習や試験を受けて認定してもらうのだが、視覚障害があるということで、近隣の信州大学との交渉がうまくいっていなかった。筑波まで行かないといけないかなあと諦め振り込みの準備までしていたのだが、連休明けに信州大学から受講してもいいとの返事をいただいた。試験の受け方などまだ問題もあるが、とりあえず校長初め関係者のおかげである。
2009/04/11
新年度が始まって1週間が過ぎている。今年も年度当初はかなり慌ただしくいろいろと仕事が貯まりがちなのだが体も壊れ気味である。ちょっとした微熱から全身の関節痛が起こってきて、右肘が腫れ始め動かなくなり、3連コンボのようなダメージを受けた。「いつまでも若くないんだから無理しないように」と、周りから不本意なようなウキウキするようなことを言われつつ、暖かくなるに連れてようやく回復してきた。今日は視覚障害者協会の総会、いきなりの総合司会で緊張。
今年度は松本盲の小学部が児童0となり、理療科は生徒9名でのスタートである。今後の盲学校(特別支援学校)は生徒減の中でどのように変わっていくのか、いろいろな人がいろいろな意見をもっていておもしろい。何か大きなことを実行するような力にも意欲にも欠けているのだが、このような変化の時代に教員をしていられるのはとても貴重なことのような気がする。
2009/03/20
今年もしみじみと卒業式を終え、5人の生徒が卒業していった。マッサージ・鍼灸の業界は厳しさを増していると言われているが、ぜひいろいろなところに突撃して、マッサージ・鍼灸の職域を広げていってほしい。特にマッサージはまだまだいろいろな分野に参入していける可能性があり、学校としても職域を広げる活動を積極的にやっていかなければいけないのだが、日々の仕事に追われてなかなか思うようにできていない。理療科の生徒が10人を割り込みそうな状況の中で、活躍する卒業生の話は本当に励みになっている。
花粉症があまり出ないまま本格的に暖かくなってきた。最近よく焼き芋屋と遭遇する。会う度に声をかけてくれるので時々買うようにしている。家には冷凍の焼き芋がどんどん備蓄されていく。
2009/02/19
健康診断の結果が優良だったことにかなり安心して、またファストフード生活に戻りつつある。モスの「とびきりハンバーグサンド」は超美味しい。
今年度1年行ってきた10年研修だが、ようやく今日で終了した。10年研修自体はそれほど大変ということもなく気楽に予定を消化してきたが、一応節目であるこの1年を通して感じたのは、教育というのは手を抜こうと思ってしまえばいくらでも手が抜ける一方、手を入れ・支援をしていこうと思えば、やることは無限に出てくるということである。そういう仕事である以上、そのモチベーションを維持するためには、月並みだが信念とか熱意とかいうようなものが不可欠なのだろうと思う。自分にはそういうものがあるのかと考えてみるとまだ50点くらいだろうか、赤点ぎりぎりである。
さて、土・日と第17回のマッサージ・はり灸の国家試験が行われる。今年も全員合格を目指してがんばってほしい。
2009/01/02
ペットのダックスフンドが肺炎であまり動けないため、年末年始は暇である。12月に受けた研修、今は開業している元同級生Sくんとの話、生徒の症例発表などに影響され、この冬は鍼灸関係の本をいろいろと読んでいる。古典や現代医学からの考察など、これまでの鍼灸に対する立場を整理する意味で、良い機会なのかもしれない。実家に帰り体重はリバウンド中。
2008/12/18
東京の知り合い達と川治温泉に行き冬の温泉を楽しんできた。高校の頃の同級生など懐かしい顔もあり、泡盛の一升瓶もあり、いろいろな意味でグニャグニャになって帰ってきた。今年も後わずかである。
これまで食事というのは適当にいろいろ食べていればいいと漠然と信じていたのだが、そうではない!と、研修で講義をしていた女性が早口で言っていて、どうも早速洗脳されている。バランスよく栄養を摂取するために、栄養フルコース型の食事を心がけることが必要で、年末はこれを実行している。栄養フルコース型の食事については、このページに詳しい。
2008/12/06
結局風邪をひいてしまったようで、東京では昼の研修に参加したものの夜の飲み会まで体力がもたず、ほとんどホテルで休んでいた。研修自体は学生時代にお世話になった方々の講義が中心で、久しぶりに生徒のような気分にもなり、内容的にもなかなか勉強になった。他にも今は東京にいる松本盲の卒業生達と会ったり東京の美味しい寿司を食べたり、それなりに幸の多い旅行だった。松本に戻り、スポーツ栄養学、豚の解剖、障害者福祉と、もうしばらく研修が続く。
2008/11/28
今日は八王子での研修。来週からは東京に行ったり松本に戻ったりまた東京へ行ったりとめまぐるしく研修が続く。喉と頭がかすかに痛いが、風邪なのでは。
2008/11/25
神奈川で行われたフロアバレーの全国大会に参加した。厚生労働大臣杯という、寒い時期に程良い気合いと食欲が感じられる名前の大会である。東京に転勤したMさんに加え、名古屋のチームからTさんが加わりなかなか強いチームになった。初戦では起動に時間がかかり東京のチームに負けてしまったが、その後3勝し、準優勝という結果である。長野のチームとしてはなかなかすごい結果なのだが、勝ち負けを除いても白熱した良い試合ができたのではないかと思う。2年の間に平民から監督まで上り詰めたNさんは、長野のチームとしてはこの大会で隠退である。ぼくも実力はともかく、随分長くフロアバレーとつきあっているなとしみじみする。
2008/11/01
主催していた情報関係の会議が無事終わり、また少し気楽になっている。10年研、免許更新、受験指導など、まだまだ今年も大変そうだが、とりあえず明日の飲み会、フロアバレーの交流試合に向けて静養中。
メタボ対策はそれなりに順調である。内臓脂肪はともかく体重は確かに減ってきている。とは言っても、支援教育部主催の焼肉会では方針を無効化して遠慮無く食べたりしたので、覚悟としてはやや弱いものがある。
2008/10/21
ふとしたことから、ついにメタボ対策を始めることにした。原因は何だったか、いやはっきりしていて、文化祭の際に4着持っているスーツのズボンが全てはけなくなっていることに気が付いたからである。安易に新しいスーツを買う選択肢もあるのだが、しばらく着る機会もなさそうなので、食事制限(正常化)を試みてみることにした。
これまでの食事:朝、コンビニおにぎり2つ+雪印コーヒー(通称メタボ牛乳)、昼、給食(大盛)、夜、大盛ご飯+総菜、外食は2品以上(大盛)
これを、あさ、ご飯軽く1杯または具無しウドン、昼、給食、夜、外食では反射的に大盛りと口走らず、2品以上選ばない、間食極力無し
こんな生活に変えて10日ほどになる。結局普通の食生活にしただけなのだが、これまでの外食人生の中で大盛以外のものを頼んだことがほとんど無かったため、早くもラーメン屋、喫茶店、台湾料理店のおじさんたちには食欲がないのか?と心配されている。食生活の正常化はなかなか難しい。
2008/9/21
最近連休に限って体調を崩している。と言っても頭痛が主症状で、酒を控えておとなしくしていれば治ってしまうようなものだが、今回の連休も長野の飲み会やライブに行くのを止めて家で寝ていた。もったいないがまた次の機会に奮起したい。
パンテックの簡単ケータイを購入した。AUショップで買ったのだが、休日だというのに客はほとんどおらず、AUの現状はかなり悲観的と判断した。そう思いつつ、単に面倒だという理由だけで結局またAUの機種を買っている。使い勝手は悪くないが、インパクトはいまいち。
モスでの出来事。他の客がいないと判断し、いつも座る席で10分ほど本を読みつつオニポテなど食べていたら、すぐ間近でハックション!どうもぼくが座る前から向かいに別の客がいたようである。がらがらの店で、いきなり相席してきたあげくにテーブルの半分以上を占有し点字を読んだり行儀悪く食事をするぼくに、微妙に何も言えなかったようである。悪気はないんだ、ごめん許せ!と思いつつ、ここまできたら別の席に移動するのも後味が悪いので、結局最後まで相席させてもらって帰ってきた。こういう時に少々の気まずさを乗り越えて愉快に話ができる性格なら、この先の転回というのも期待できるのだろうが、あいにくである。
2008/9/19
刑務所の職業訓練として推拿(マッサージ擬き)やエステを行っているというニュースを見つけた。このことについて思うことを書いてみる。
視覚障害者にとってちょっと深刻な問題として無免許マッサージがある。法律では、マッサージを業とするためには免許が必要となっているのだが、そもそもマッサージという言葉の定義が曖昧なため、整体やカイロ・リフレクソロジーなどなど、マッサージと名の付かない(擬き)が無免許で行われている現状がある。
職の限られた視覚障害者にとってマッサージという仕事はとても貴重というか掛け替えのないもので、そもそもぼくが曲がりなりにも教員などという仕事をできているのも、遙か昔からこの仕事お開拓してきた視覚障害者の先人達のおかげなのである。
そんなわけで、ぼくも視覚障害者の職域を脅かしている無免許マッサージ(擬きも含む)には反対の立場を取っているのだが、一方で、マッサージ師(公的な資格のある)の数(数万人)は、社会からの需要よりもかなり少ないという現状がある。
盲学校の生徒数は激減し、視覚障害者を保護する立場から、晴眼者のマッサージ師を要請する学校は全国にも数十校しかないのである。老人が増え、リラクゼーションを求める人が増え、エステなどでマッサージを必要とする人も増えている状況で、これは明らかに是正されるべきである。
このような歪みのおかげでなかなか無免許マッサージ(擬き)は無くならないのだが、とりあえず以下のようになれば理想である。
1.まずはマッサージの定義を明確にし、無免許でのマッサージは全面的に認めないことを厚労省に確認させる(違反には罰則を適応する)。
2.その上で、リラクゼーションのためのマッサージ資格は、公的な講習会などを通じてだれでも簡単に取得できるようにする(3年間で取得できる通常のマッサージ資格とは差別化する)。
ただ1.を実現することがそもそもかなり難しそうである。単に現在無免許マッサージ(擬き)を業としている人たちからの抵抗というだけでなく、だいたいマッサージってどこまでのことを言うのか(狭義のマッサージは極限られた手技である)、明確に答えられる人は少ないだろう。エステは、カイロは、整体は、リフレは、なんてことになると、なかなか難しい。この辺りをはっきりさせて明確な意志と論理で運動をしていかないと先は見えてこない気がする。
2008/09/04
松本盲学校の理療教育部は現在5クラス12名の生徒を8名の教員で担当している。ものすごいぬるま湯環境とも思えるが、少人数はたぶん生徒にとってデメリットが大きい上に、教員も週に20時間以上の授業以外に校内の雑務や校外の仕事が結構あり、実際にそれほど余裕のある授業ができているとは言えない。専門領域のノーハウを維持・発展させるためにも生徒が少なくなった学校は積極的に統合に踏み切る勇気が必要なのだろうと思う。
2008/09/02
今年の夏はビールをほとんど飲まず(酒は結構飲んだが)、自炊もしっかり行い、それなりに健康に過ごした。睡眠リズムがまた少しずれつつあるが、なんとか充実の秋に突入していけそうである。
佐助が家にきている。これは鷲見さん製作のギターの名前で、今はトライアルサービスで三日間だけの滞在である。眼と耳に障害のあるぼくにとって、ギターのビジュアルな部分や音の本質というのは実はよくわからない訳なのだが、良いギターは耳で聞こえる音以外に指や体全体に伝わる震動、手触り、抱き心地(笑)、気の臭いなどなど、やはりすばらしいと感じる。価格は一応高いパソコン1台分というところだが、どうしようか考え中。
2008/08/14
暑い夏もようやく一段落してくれている。この夏は、岡崎での視覚障害者教育研究大会、理療科教員連盟の大会、奈良でのアロママッサージの研修、学校の補修など、それなりに忙しいような充実したような日々を過ごしていた。
岡崎にはぼくが小・中学部を過ごした母校があるが、松本にきて以降ほとんど顔を出すこともなくもう10年以上になる。岡崎の研究会は知り合いの理療科教員だけでなく、小・中学部の頃の担任、なぜか給食のおばさん、どうもよく覚えていない人等々、何気に運営に働いていたりして、結構懐かしい感じであった。「社納くん!龍太くん!」などと呼ばれることがまたあろうとは(笑)。研究会自体もそれなりに勉強になり楽しかったが、これをまとめて報告しなければいけないのが憂鬱である。
奈良のアロママッサージ研修は主にオイルについての講義と全身マッサージの実技講習だったが、さすが理療科教員の研修というだけあって、講師はもちろん受講者の中にも手技に精通している人が多く、とても良い勉強になった。暑いのでしばらくマッサージはやりたくないが(この時期だけ免許を返してもいいかも)、涼しくなるまで覚えていられた場合はしっかり復習をして研修や授業に取り入れていきたい。
後は意外と沢山残った宿題をどうにかごまかしてしまう手段を考えつつ、夏休みが終わりそうである。2学期もしばらく頭にアイスネックを巻きつつがんばりたい。
2008/07/20
昨日から卒業生とダラダラ飲んでいたため今日は二日酔である。幸いかなり暇なので久しぶりに日記を更新してみる。1ヶ月も更新していないにも関わらずカウンタがどんどん上がっていくのが不思議だったのだが、結構みてくれている人もいるようである。
このところ連日の暑さでばて気味だった上、学校も相変わらずいろいろイベントがあったり、自炊熱が高まったりとよくわからない夏ばてモードに突入している。とりあえず今年の夏は10年研の研修や研究会にでかけるなどちょっと充電が必要なのだが、今から心配である。
暑さ対策にいいものはないかと探していて、保冷剤の入ったバンダナというものを買ってみた。まだ試してはいないのだがマッサージの臨床など、こういうものを使ってみると良さそうな気がする。そもそも暑さで臨床の集中力が高まったり落ちたりする弱い体というのはどうなのだろうとは思うが(笑)。
自炊熱が高まったと書いたがもちろん一過性のものである。最近は毎日朝から魚を焼いたり肉を冷凍しておいてかときちのウドンに入れたりと、それなりにがんばっていたのだが、そんなけなげな努力をあざ笑うかのように、今度は家から3・4分のところに新しいファミレス(ビッグボーイ)がオープンした。ガストの欠点を補強したという感じの豊富なサラダバーが設置されていて、「ここは野菜もしっかり取れますよー☆毎日きてもいいですよー☆」などとぼくにプレッシャーをかけてくる。ぼくの周りにご飯屋が増えてくるのは良いことなのだが、これでまた外食生活が復活するかもしれない。
2008/06/07
このホームページを開設したのは1998年6月、ぼくがまだ東京にいた22歳の頃である。それが今年で10年目になる。当時は鍼灸のQ&Aをメールで受け付けてその回答を掲載したり(今も年に1・2通メールがきている)、DOSで動くシミュレーションゲームをC++で作ってアップしたりと、今とは随分違った活動をしていた。時々日記というものを突然始めなければ、このページの寿命も短いものになっていたかもしれない。このページのタイトルを何にしようかと当時親しかった友人に話した時、「竜宮城にしろよ!」と言われ、素直に「Dragon Castle」のタイトルを付けたのだが、竜宮城は「Dragon Palace」が正しいらしいと後で知った。10年前と比べて無気力さや趣味や物の好き嫌いなど、自覚症状にはあまり変化も進歩もみられないが、これから10年でどう変わるのか変わらないのか。腹の膨張具合だけは明らかにメタボに近づきつつあるので、そろそろ防戦の準備の構えを取る振りをするかもしれない。
2008/6/01
体育祭も終わり定期テストが近づきつつある。今年の体育祭は雨のおかげで、室内での開催となった。例年の体育祭では、運動量は少ないものの日差しにやられて汗まみれになっている病弱人間なので、室内のレクリエーションはあまり疲れることもなく結構楽しむことができた。信州大学の学生が一緒に行動してくれていたが、競技にも積極的に参加しよく気配りをしてくれていた。生徒達には申し訳ないが、個人的には……楽しかった。
2008/5/01
今年は教員になって10年目になり、10年研修というものを受けなければならない。校外の研修が15日、校内の研修が20日、レポート提出などちょっと大変そうである。そして今日聞いたところによると、教員の免許更新が来年度から始まるとのこと。昭和30・40・50年生まれの教員は来年度から2年間かけて研修を受ける必要があるらしい。ぼくは昭和50年生まれなのでしっかり対象である。面倒だなあとは思うが、やれと言われないのに積極的に勉強をしていくというようなポジティブな性格でも無いので、こういう機会は大切にしたいと思っている。
家から徒歩2分ほどのところに、ツタヤがオープンした。ツタヤ自体はあまり利用することがなさそうだが、同じ建物に入ったスターバックスはティータイムの場所としてはガストと肩を並べるかもしれない、なかなか良さそうな感じのところである。同僚に見せを案内してもらったが、バス停から店の入り口までしっかり点字ブロックが引いてあるのは素晴らしい配慮である。と言ってもこの辺りで点字ブロックを利用して一人スタバに入るのは、ぼくともう一人・二人くらいのものかもしれないが(笑)。
2008/4/29
朝から気持ちよくシャワーを浴びていたら、またしても家の火災報知器が作動した。急いで体を拭き服を着て外に出た頃には、わらわらと近所から人が集まってきて、大変迷惑をかけてしまった。なぜかぼくの家の火災報知器は煙に対する閾値が低く設定されているようで、湯気などにも敏感に反応してくれるので、年に2回くらいはこういう避難訓練のような状況が起こっている。何とかした方がいいのか微妙なところである。
2008/4/27
フロアバレー協会の総会と練習。社会人のバレーも徐々にプレーヤーが減少していて、なかなか試合のできる環境になっていない。そんな中フロアバレーを経験してみたいという人もきて、久しぶりに充実した練習ができた。これからは暑くなってきて、滝のような汗をかくぼくにとっては室内の練習が結構きつくなってきそうだが、ぜひ沢山の人にフロアバレーの楽しさを経験してほしい。
学校の女子バレーはついにチームの編成が難しくなり、今年は大会出場ができなくなってしまった。ぼくにとっては部活の監督という仕事が一つ減り楽になったかなあという一方で放課後に体を動かす大義が無くなってしまいとても残念である。
2008/4/22
ここ3・4年定番になっている焼肉会。居心地の良い場所とは言い難い学校だが、こういう行事のできる点は(個人的な楽しみを除いても)良いところだと思う。ただこういう小規模な行事でも企画するにはそれなりの大変さがあり、たいてい人任せになってしまうのは申し訳ないところである。そんな訳で穏やかな日差しの中でのんびりと(がつがつと同義)肉を食べまくりまたメタボに一歩近づいてしまった。
最近はまたギターを弾く時間が増え、松本にある工房にギターの調整をお願いしている。モーリスのS-120にはピックアップを取り付け、アイバニーズのエレキはブリッジを修理し、ヤマハのLL-23Jはフレットを打ち直し、ヤイリのYA-65は弦高を低くしてもらった。いろいろと親切に対応してくれてとても助かっている。
2008/4/20
松本のアクアビーテというバーで行われた「住出勝則 with DOUG SMITH」のアコースティックライブを見てきた。住出さんは過去にドラムを叩いていた時期があるという話をしていたが、グルービーな乗りのギターサウンドは、全くまねができないだろうなあと関心して聞いていた。DOUG SMITHは優しく流れるようなギターを余裕そうに弾いていた。どちらもyou tubeなどで動画が見られるので聞いてみてほしい。
2008/4/18
今年から担任をしている3年生の生徒達(二人しかいないのだが)と一泊二日の現場実習にでかけてきた。以前は修学旅行と同じような乗りで、実習の合間にのんびり観光などしたりしていたのだが、最近はほとんどそんな余裕もなくやや慌ただしい日程であった。1日目は5時間近く電車に乗り、「蛇に刺される」となぜかタイトル付きの、縁起がいいのか不吉なのか蛇の何に刺されるのかよくわからない夢を見つつ和歌山へ。株式会社堀治療院で社長の堀さんからお話を伺った。今回の実習のテーマは、大規模な治療院の見学ということだったが、堀さん自身、視覚障害がありながら20代で多額の融資を受けて会社を設立、いろいろと苦難を経て今のような大規模な会社にした、とてもすごい人である。レーザー・超音波・干渉波を初め高額な機械が並ぶ部屋や、従業員のための食堂・寮まで完備されていて、このような規模の治療院が長野にもできないものかと考えてしまった。夕食は堀社長とご一緒させていただいたが、ぼくが和歌山へきたら娘さんを紹介してやると口を滑らせていた。昼間の夢はこのことの布石だったということはたぶんないだろうが、やる気に欠けるぼくが後継者になったりすると一瞬にして店を傾けてしまうだろう。一応アルコールを飲まなかった腹いせにご飯を三杯お変わりし満腹で帰ってきた。やはり和歌山の梅は美味しい。
二日目は大阪へ行き、十三の林田治療院でお話を伺った。ここも治療院としてはかなり規模の大きなところで、さすがに関西の人だなあと思わせる巧みな話術は学ぶべきものがあった。勤務して半年は研修期間として給料が保証され、それ以降は施術した人数によって給料が支払われるシステムになっていて、やる気と実力があればなかなか良い職場ではないかと感じた。施術前に券売機で券を購入し、施術時間や金額などはオンラインで処理されるようになっていて、券売機には「足裏30分」などと点字も貼り付けてあった。ここでは生徒たちも実際にマッサージ治療を受けたが、良い刺激になったのではないかと思う。その後はゆっくり昼食を食べる時間もなく電車で松本に帰ってきた。とりあえず心配していた雨もそれほどではなく良かったのだが、やはり今度行く時には二白三日で計画したいところである。
2008/4/05
3月からいろいろと飲む機会が多く、アルコールが抜けきらないまま4月に入った。今年度は教員も入れ替わりが多く、ぼくにとっても未経験の授業や10年研など、新鮮な年になりそうである。
他県のとある盲学校で不祥事のニュースが続いている。一言で言うときのどくだなーということになるが、根幹には入れ替わりの少ない盲学校の理療科教員、そして盲学校というやや特殊な環境の問題がありそうで人事だとは思えない。盲学校での鍼灸教育や視覚障害者への専門的な支援には、専門性をもっている(はずの)理療科教員の役割は大きいのだろうと思うが、(盲学校に限らず)同じ場所に長く勤務することで組織の体質を当たり前のもののように感じていってしまうのは、なかなか難しい問題である。ぼくも着任した頃には結構ストレスになっていた、どちらかというと管理的な教育というものについて、かなり鈍感になってきた気がしていて、これでいいのかと自戒することも多い。
2008/3/23
2泊三日で岡山に行き、フロアバレーの全国大会に参加してきた。今年で4度目となるその名も「ドリームカップ」.長野は名古屋との合同で中部選抜チームとして出場した。長野は実力的にはまだまだ普段の大会では1・2勝しかできないのだが、名古屋の後衛のレベルはかなり高く、今回はぼくが前衛でプレーしていたにも関わらず、すんなりと優勝してしまった。とりあえずミスをしないことだけを考えていたため、おもいきりプレーした実感はやや薄いが、やはりめったにできない体験でとても気分良く帰ってきた。
立て続けに試合をしたため筋肉痛がひどく、帰りは足を引きずりながらよろよろあるいていたため、周りからは目と足に障害のある人と思われたようで、途中すれ違う人から結構心配されてしまった。
帰ってきて気分の乗っている勢いで1曲録音してみた。打田さんのカントリー・ブルース(の雰囲気)。こういう曲はたぶん実力より気持ちが大事なのである(笑)。
2008/3/09
非常に短い文章だが、ほとんど月刊の更新になってしまった。学校ではここ数年恒例となっている自衛隊への実習に行き、普通科の生徒達とのバンドでギターを弾き、これで年度内の行事はだいたい終了した。後は来年度の公務がどうなるか気になるところである来年度は松本にきて10年目の節目の年でもある。
そんな訳で少し暇になったため、東京へでかけた。以前から一度おじゃましたいと思っていたTABギタースクールに行き打田さんにお話を伺ったり、馬のレースを見たり、楽しく過ごした。TABは幡ヶ谷の駅近くにある小さなビルの鉄扉の向こうにあり、何となく後ろめたい店に入るような雰囲気だったが中はとても居心地の良い空間だった。
2008/2/09
1月の終わりから雪が続いている。この連休も雪になりそうでとりあえず食料を確保し髪を切り、籠城の備えをしている。この冬は水道管が壊れ上から水漏れし洗濯機が壊れた。寒いのは比較的大丈夫な体だが、昨年から続く水難には困っている。
餃子の騒動で真偽の不明なニュースがいろいろと流れている。日頃から外食と総菜にかなり頼って生活していることもあり、食の安全という問題を改めて考えさせられている。かといって手作りではろくな物ができないのが嬉しい現実。とりあえず今は餃子が安い、さっそく。
2008/1/06
実家で運動もせず食べてばかりいたせいか妙に体が重い。正月に届いた年賀状で7割くらいの人が、メタボリックに気を付けるように警告していたのは冗談ですませていいものかどうか考えている。とりあえず今年の豊富として頭の奥の底の方に留めておきたい。
年末にアパートの下水工事があった。上のトイレの汚水管というものが壊れていて、汚水が漏れ出し、下にあるマイ便器にポトポトと落ちてくる、悲惨というか臭い苦行の日々を10日ほど過ごしていたが、それを直した上に他の水道なども点検してもらった。やはり清潔に生きていけることは、とてもありがたいと実感している。
サイバー神社のおみくじによると、近々一生の出会いがあるらしい。賽銭も出していないのに奮発してくれたようで良い感じである。
ときどき日記 2007年分へ
ときどき日記 2006年分へ
ときどき日記 2005年分へ
ときどき日記 2004年分へ
ときどき日記 2003年分へ
ときどき日記 2002年分へ
トップページへ