2006/12/18
今日から31歳。そして、今年も後わずかである。久しぶりに自己紹介のページを更新してみた。
2006/12/16
長野で唯一の国営公園「アルプスあずみの公園」で視覚障害者用の触れられる地図を作成する計画がある。今日は公園をぐるりと一周して地図についての意見を出してきた。園内は広い原っぱ、様々な植物、池、美術や科学などの体験コーナーなどもあり、1日ゆったり過ごせそうな場所だった。触地図があれば、視覚障害者単独でも散策できそうな気がする。
夜は知り合いとの飲み会。5年ぶりくらいに会う人たちが多く、結婚した人、子供ができそうな人など、それぞれ環境の変化がありなかなか楽しい会だった。
2006/12/15
障害とは何か?こんな質問は「五体不満足」が出た頃によく話題になったテーマだが、たまたま最近このような議論が何度か(飲み会の魚として)話題になった。こういう疑問は「障害をどのように捕らえれば(本人や家族が)納得して生きやすいのか」というところから出てくるので、「障害は個性である」、「障害は自然からの試練である」など結論は何でもいいのである。因みにぼくが自分の障害について考える時にいつも想像するのは「カードゲーム」である。最初に配られたカードが自分の属性や環境、それがかなりやばめのものであっても、どのタイミング・順番でカードを使うかでゲーム進行は様々に変化する。つまり障害とは「なかなか勝てそうにないカードを引いた状態」ということになる。カードゲームと違うのは、周囲の人より早く上がることが目的ではないということだろうか。もちろん、こんな人生劇場的な冗談が当てはまらない環境の人たちが沢山いるのも事実であるが。
2006/12/14
解剖室の掃除を理療部の職員総出で行った。これまでやりたくてもなかなか手賀付けられなかった模型の分別や使えなくなったものの整理などもできて、随分部屋がすっきりとした。この学校には、かなり古いが多彩な模型・標本があり、かなり古いが大事に使っていきたい。
2006/12/07
飲み会の2次会で2年ぶりくらいにカラオケで歌った。元々歌うのは決行好きなのだが、最近は音が半音くらい低く聞こえたりリズム音だけが聞こえなくなったりすることがあるため若干拒否感をもってしまっている。今日は久しぶりにいろいろ歌った。12字過ぎに帰宅。
2006/12/03
授産施設「ふれっ手」の懇親会。卒業生や退職・転任した先生など懐かしい人たちに会うことができた。今回、二胡(中国の弦楽器)の生演奏を初めて聴いたが、独特の素晴らしい音色で、弦楽器の好きなぼくとしてはとても満足な企画だった。どこかでこういう楽器を弾ける機会を作りたい。
2006/12/01
社会見学(さぼりと同義ではない)として、障害者の授産喫茶店へ行ってみた(学校から徒歩2分)。外は一応車いすを意識してスロープになっていたが、中は昔懐かしい普通の喫茶店。2時頃だったが客も4・5人入っていて、コーヒーもなかなか美味しかった。コーヒー1杯300円のところを障害者割引で270円。
2006/11/25
「缶詰おでん憲章」というのを見つけた。この発想は素晴らしいとしか言えない。缶詰おでんは食べたことがなかったが、この機会にぜひ買って食べてみたい。ここでいきさつと本文について書かれている。
2006/11/22
支援教育の活動としてO小学校へ行き、1年生の授業と職員研修に参加してきた。小学校で1年生を相手にするのは初めての経験でやや不安もあったが、比較的穏やかな雰囲気のクラスですんなりと受け入れてくれた。二人ペアになって手引き歩行の練習をしたり、目の見えない人への配慮考えたりと、1年生の授業としてはかなりハイレベルな企画であったと思う。休み時間には服を引っ張ってくる子、くすぐり攻撃をしてくる子、自分の帽子をかぶせにくる子、消しゴムや手袋や動物の絵、なぜかサツマイモの切れ端などをもってきて当てさせようとする子など、完全に遊んでもらった(遊ばれたか)感じである。もっていった点字ディスプレーがなかなか好評で、ピコピコ動く点を不思議そうに触る子供たち。初めは「うわっ、なんか虫みたいできもちわるーい」というごく当たり前な反応だったが、「点字は30秒以上触ってると、いつもは眠ってる指の神経が目覚めてきて気持ちよくなってくるんだよ、30秒だからね」と言うと、素直に信じて「あ、今なんか気持ちよくなってきたー」「おっ、気持ちいー」などと言い始める子供たち。こういう素直な子供がそのうち反抗しはじめるんだよなーと思いつつ、ぼくにとってもなかなか有意義な1日を過ごした。
2006/11/19
名古屋で活動しているフロアバレーのチーム「シャッチー」との練習試合。松本から7人で名古屋に行き、1日で3試合9セットをこなした。松本が5セット、名古屋が4セットを取り、何とか勝ち越すことができた。松本のチームも日頃の練習の成果かどうか少しずつレベルが上がってきているなーと実感した。ぼくは相変わらず足を引っ張っているが、今の耳の状態を考えると、まあこんなものかなとそれなりに満足している。
2006/11/17
幼稚部の研究授業。今回はうどん作りとそれにより手の運動を高めることがテーマになっていた。研究授業という堅苦しい環境の中にあって非常に和やかな雰囲気の良い授業であった。ぼくもかつては盲学校の幼稚部に在席していたことがある。当時のことはほとんど覚えていないが、今と違ってひ弱な子供で、給食などはあまり食べられず残してばかりいたように思う。ほとんどの食べ物が好きな上に大量に食べる今とは大違いである。
バイオリンのことが知りたいという生徒に、放課後の時間を使って教えることになった。と言っても、ぼくもほとんど初心者のため、持ち方と音の出し方くらいしか教えられないのだが、少しでもこの不思議な楽器に興味をもってくれるといいなと思う。
2006/11/15
いじめによる自殺が後を絶たない。どれほど嫌なことがあっても、逆にどれほど幸せなことがあっても人間の寿命は概ね限られたものである。自分の命をどう使うか(または使わないか)は自分のみが決める権利をもつが、一応一生懸命(その振り含む)生きていこうとすることが、生きることの唯一の目的なのかもしれない。宗教じみたことを考えると、鼻に住み着いているヘルペスウイルスが騒ぎ出す。
いよいよ教員の間でも評価による給与査定制度が始まる。どんな制度かやってみるまでは感触がわからないが、やはり心情として教育レベルを金に評価することには納得しがたいものがある。いっそのこと予備校と同じように成績主義のわかりやすい学校にいきたいなーと最近は思うことがある。
2006/11/13
長野市の健康センターにて1日検診。最近は知り合いの多くから腹の膨張を指摘され「この腹からは必ずや何か出るであろう」と予言までされ少々不安であった。3日前から3食を低カロリー&ヘルシーメニューに切り替え、アルコールやコーヒーなども控え、できるだけ安らかな気持ちで検便のうんこを取り、ついでに1日2回入念な歯磨きをして検診を迎えた。この摂生した態度が良かったのかやや増えた体重とやや高い血圧以外は全て正常値の範囲内、安心という土産をもらって帰ってきた。さてもちろんここまでのリバウンドとして、さっそく夕食は松屋の焼き肉定食大盛り+マクドナルドのビッグマックセット+アップルパイを食べてしまった。人間はそう簡単に生活習慣を変えられないのか。因みになぜか松屋のカウンターに健康診断の結果表を置いてきてしまい、結局翌日も焼き肉定食を食べにいくことになる。
2006/11/12
組合主催のヨガ講習に参加。男の参加はぼくを含めて2名のゴールドプランである。昔から体の固さでは30年物のブリキに匹敵するといわれてきたが今回の講習はストレッチが中心で決行大変だった。ついでにマッサージの講義(正式なものではなく民間治療のようなもの)も受けたが、日頃はほとんどやらないような掟破り(笑)の手技などもあり、それなりに勉強になったように思う。
2006/11/11
受験生につきあって1日自宅で勉強。「先生が一番暇そうなので」という暴言であっても、一応補修を頼まれて嫌な気はしない。しかしどうもこちらにも休日というゆったり感があり、いまいち勉強モードに入っていけないのが問題である。
2006/11/04
久しぶりに母校の筑波大学附属盲学校の文化祭を見学。とりあえずプログラムに載っている模擬店のカレー、ホットドッグ、牛丼を全て食べ(茶道サークルのお菓子も食べにいこうかと思いつつ腹の都合で断念)、あん摩サロンで思わぬ人に施術を受け、学生時代の先生や知り合いの生徒たちにも会うことができた。ぼくの昔を知る人たちからはことごとく腹のふくらみについて聞かれ(保健の先生にはあやうく体重測定までされそうになり)、自分で思う以上に体型が変化していることを再認識する機会としてなかなか有意義であった。防犯上の理由から校内への出入りがやや厳しくチェックされるなど、やはり時代の流れのようである。今回はあまりステージやバンド演奏などは見ず、午後は松本に帰ってきた。こちらはかなり涼しい。
2006/11/03
錦糸町で行われた展示会「サイトワールド」を見学に行った。デパートの8・9回を借り切り、38のブースから視覚障害関連の様々な機器が出展されている。とにかくこの手のイベントとしてはかなりの盛況で(同じ松本からきた知り合いに声をかけられびっくりした)、あまり一つのものをじっくりと見ることができなかったのがやや残念でやや歩き疲れた。既に見知っているものも多かったが、特に印象に残ったのは、「しゃべる経穴人形」、KGS社製の小型点字電子手帳「ブレイルメモ・ポケット」、中国製の低価格点字ディスプレイ「清華」、JTR社製の超高速な点字プリンタESA300Pro、windows/CEの入った「ブレイルセンス日本語版」などである。便利なものも多いが、やはりどれも結構な値段である。夜は一緒に行った知り合いと久しぶりに池袋で飲み会をし、運良く現地で取れたホテルで宿泊。
2006/10/31
知事が替わり2ヶ月。前知事の行った様々な制作が見直されている。脱「脱ダム宣言」などと言われているが、とりあえず気になったところでは、公共施設における敷地内禁煙の見直し、組織名の変更など、混乱に拍車をかけているだけのような気もする。減額された給料の調整額も戻してくれないものだろうか。
2006/10/28
卒業生の家で焼き肉会。肉が美味しかったのは言うまでもないのだが、ビールに始まり、日本酒・焼酎・濁り酒と次々にいろいろなものを飲み、今年始まって以来の泥酔状態になりかけた。とりあえずちゃんと帰って布団に寝ていたのが不思議なくらいである。現在二日酔。
2006/10/14
長野盲学校との交流試合。初めての試みで若干不安があったが、同僚やNFVAの協力があり思いもかけず白熱した試合ができた。交代要員がいて15点3セットの試合はぼくにとってはちょうど良いくらいの運動量である。接戦であったが、今回は松本が勝ちをもらった。
2006/10/07
水仙祭。松本にきてもう8回目の文化祭である。準備段階ではパンフ作りくらいしかしなかったため個人的にはあまり忙しいということもなかったが、当日は午前中は受付、午後はマッサージコーナーに専従し、ステージ発表や他のコーナーなどほとんど見ることができなかった。これからいろいろと様子を聞き回りながら公式ホームページを作っていこうと思う。個人的に一番印象に残ったのは美鈴ヶ丘高校の吹奏楽部のオープニングセレモニー。びりびりと躍動感溢れる演奏が本番で発揮できる実力・技術の高さに脱帽である。
夜の打ち上げでは1次会で帰るつもりでいたのが、何となくガンガン飲んでしまい頭もガンガンのまま3次会まで行ってしまった。最近は酒を飲んでストレスを解消することにあまり興味が無くなりつつあると思っていたが、とりあえず環境によってはあまり説得力がなくなってしまうなーと自戒している。
2006/10/04
マーシャルのアンプとエフェクターが到着した。買った後で今更だが、このアパートのどこにアンプを置くんだという当たり前な問題が出ている。当面アンプ・エフェクター・ギター(実は今回ギタースタンドも一緒に買っている)をゴミ箱の横に設置することにした。
まず数年ぶりにエレキの弦の張り替え。どういう訳だか、このストラトタイプのエレキは左右両端をペンチでカット、ブリッジをアームで持ち上げつつ弦を差し込み(腕が攣りそうになる)六角レンチで固定、糸巻き側もレンチで固定するという、何だかまじめに面倒くさい仕様になっている。思い出す時間も含めて張り替えるのに1時間以上、チューニングが安定するまで更に1時間、これは正に暇つぶし用のギターであると断言する。
さてマーシャルのアンプであるが、思っていたよりも重く素晴らしいものであった。安くてもマーシャルなんだなーというようなどうどうとした重厚なディストーションがかかる。こりゃまじすげーっと10年程頭が退行しそうになっている。しかし、やはり大きな音の出せないアパート暮らしではあまり意味が無いともいえる。
次にコルグのパンドラである。まずポケットサイズの小ささが素晴らしい。そしてマニュアルがホームページからダウンロードできて読める状態であるのが素晴らしい。更にクリーン・歪み共に音も十分満足できるものである(耳が悪いため音については自信無し)。これでヘッドホンに接続すれば夜中でもエレキが引ける環境ができあがった。あまり持続することはないだろうが、とりあえずしばらくはこれで遊んでみることにする。
2006/09/28
先日のひどい外耳炎が補聴器には過酷すぎる環境だったようで、ついに音が聞こえなくなってしまいメーカーへ修理に出すことになった。しばらくは旧式の補聴器で聞こえにくい日々に耐えなければならないようである。
2006/09/25
ポール・ギルバートのうなるようなギターソロ(ミスタービックのスシII)を聞いていて、エレキを弾くべきと決心した。RP-7はもう見限ってkorgのパンドラというマルチエフェクタとマーシャルのアンプを注文した。練習用の安価なモデルらしいのでマーシャルと力んではみてもあまり期待できないのだろうが届くのが楽しみである。
2006/09/23
休日の土曜日。暇をもてあまし新しい世界の開拓ということでパチンコをやってみることにした。とりあえずカードを買って(このシステムも今まで知らなかった)その場で選んだ機種が「子連れ狼」でハンドルを握りながら座ること30分。なんと5000円という金がすっかり無くなってしまった。為替や株でも数十分で数千・数万の損切りをすることもあるが、何も考えずにとりあえず何となく無くなってしまう金というのは非常に納得できないものがある。負けたから言うのだが、ゲームとしての娯楽という意味ではリーチや当たりなどのイベントなども子供用のTVゲーム以下、ギャンブルという意味では麻雀以下、醍醐味という意味では株や為替相場以下のパチンコになぜ人々はでかけていくのだろうか。と思いつつ帰る道のりは大変寂しいものがある。
夜の11時に突然目が覚めると今が平日なのか休日なのか朝なのか夜なのかわからなくなる。今日も覚醒したとたんに、しまった寝過ごしたとパニックになり、慌てて主任のケータイに電話。まったく夜中に電話することになるとはなさけない。
2006/09/19
寮祭りに参加。いつもながら各部屋から出し物やゲームなどが発表されなかなか楽しかったのだが、寄宿舎には昨年カラオケを普及させる団体(?)からカラオケセットが寄贈されていて、半分くらいは理療科のおじさんたちに活用(どちらかというとジャック)されていた。
2006/09/18
三連休だったが…何を食べたのがいけなかったのか、金曜から耳の中の炎症が激しくなり土曜には全く音が遮断され更に久しぶりに風邪を引き熱まで出てしまった。とりあえず耳は補聴器も入れられない状態にまでなったため外にも出ることができず、熱であまり動くこともできず、ほとんど寝込んで過ごすことになった。三日目にようやく熱も下がり一応耳も元に戻ったため、何とか洗濯をしたり床屋に行ったり最低限の予定は達成したが(我ながら生活レベルが低い)、かなり悲惨な連休であった。これでまたしばらくは健康で過ごせると良いのだが。
2006/09/13
唐突にDigiTechのRP-7というマルチエフェクタを使ってみたくなりエレキに接続してみたのだが全く音が出なくなっていた。おかしいなと思いつつ点字のマニュアルを探し出し、いろいろとボタンを押したりつまみをいじったりしてみたが、次第に本体の音頭が78度くらいまで上昇し(推量)、更に周囲に不思議な臭いが漂ってきた。さすがにこれ以上このエフェクタに関わると大変なことになるのではと思い断念。そういえば以前にこのエフェクタを動かして以来もう3・4年は過ぎている。エレキを弾くことはあまりない訳なのだが、新しいアンプとエフェクタがあってもいいかなと思い始めている。
2006/09/11
今年も秋の花粉症が始まりくしゃみが止まらない。今日は飲酒運転の講習会(もちろん飲酒運転を勧める講習ではない)。ビデオでは、やり手で仕事も上昇気流に乗っている会社員が気の緩みから飲酒運転、人を轢き死亡させる、会社は解雇、多額の賠償金、被害者家族の悲嘆、社会的な制裁、妻の自殺と次々と悲惨な状況に陥っていく。8月以降この手の事件が注目された結果の研修なのだが、これまでの日本の酒に対する甘さがそもそも問題であるような気もする。そういえばぼくも子供の頃は、よく飲酒運転の車に乗せられていたことが思い出される。今更だが大きな事故がなくて良かったと改めて思う。
2006/09/09
最近は20〜30代の人の横の繋がりが希薄になり、共同体に属するのを嫌う人が増えていると言われている。ぼく自身もどちらかというと人との関わりが乗ずでない人間なのだが、単位と関係のない行事に出ない生徒、組合や勤務と関係のない行事に参加しない職員、業団体に属さない鍼灸師など、根はやはり自分中心主義ということなのだろう。これが良いことなのか正すべきことなのか信念の量が少ない(と思っている)ぼくにはよくわからない。
とりあえず背骨と頭の模型は、家に入ってきた人をびびらせるために玄関の靴箱の上に設置しているが、今のところ激しく反応してくれる人がいないのが残念。
2006/09/06
とある事情で学校の仕事が少し暇になっていて、気が休まるような退屈なような微妙なところである。
10月に青年部主催で長野盲学校とフロアバレーの交流試合を企画している。といっても今のところやってみようかと言っているだけなのであまり何もしていないが、とりあえず協力してくれる人たちも何人かいて何とか実施できそうな感じである。
バレーの練習の帰りによった持ち帰り寿司屋で、閉店間際ということで手巻きを4本もサービスしてもらった。もらった手巻きは買ったものの数倍美味しく感じるのが貧乏根性なのである。
2006/09/01
さて唐突に日記を再開する。9月に入り松本もようやく涼しくなり、ぼくも少しずつ夏ばてモードから脱しつつある。この夏は実家に1週間ほど帰って2匹の犬をいじめまわしたり、近くのプールに行って泳いだり教材を作ったり本を読んだりして過ごした。久しぶりにアルコールから遠ざかり身体的には健康に近づいたのではないかと思っている(体重は微増)。
「人体探査航」というパソコンソフトやミニ人体模型など久しぶりに個人持ちの教材をいくつか購入してみた。県の予算でいろいろと揃えられるのが一番理想的だが、なかなか末端の教材には予算が付かないのである。
2006/06/30
6月は季節の変わり目か、何となくテンションを低くして過ごしていた。そのせいかどうか、いろいろなところに物を忘れるていたらく。松元駅のホームのどこかに1万円札を落とし、バレー大会の帰りのバスにバレーシューズを落とし、長野市のスタバックスに時計をおいてきてしまった。どうも集中力に欠けるなーとは思いつつ、家では冷房の恩恵を受けて生活している。
とりあえず大きな行事であった北信越バレー大会も無事に終了した。今年も選手たちが張り切っていたため、ぼくにとっても充実した大会だった。大会の様子はこちらのページで紹介している。大会では毎日パワーディナーを食べていたためいっそう腹付近の脂肪が増殖してしまっている。
2006/06/03
体育祭が終了し梅雨時の6月に入った。今年も北信越盲学校のバレー大会に引率する予定になっているので、それまでは気を抜かずに生活しなければならないのだが暑さのせいかどうも力が入らなくて困る。
3年ほど使っていたICレコーダが壊れてしまい、新しく三洋のICR-S340RMを購入。音質はあまり変わらないような気がするが、暇つぶしもかねてギター曲をSPモードで録音してみた。久しぶりの録音で質は高くないが、そのうちちゃんと練習する予定。
2006/05/06
連休中は松本城を見学にいったり丘の宮神社の祭りにいったり、卒業生のYKと飲んだり、久しぶりにギターの練習をしたりと、それなりにのんびりと充実した休みだった。寝ぼけて家の柱に頭をぶつけ三段跳びの古傷を開いてしまったのがなかなか痛い。
2006/05/02
理療部の飲み会。ぼくの鞄の中からなにやら音が聞こえるとのことで調べてみたがケータイも入れておらず何の音かわからなかったのだが、なぜだかICレコーダの録音スイッチが入ってしまっていて、飲み会の内容が逐一記録されていたようである。ぼくの問題発言もいろいろとあっただろうと思われたので、あわてて削除。この機械が壊れているのか、タイマーがセットされていたのか、原因がよくわからない。同僚Mに信号24をしているところを見つかってしまったらしい。近くに知り合いが多いとあまり悪いことはできないなーと思いつつ、やはり安全に歩かなければと改めて認識したのである。
2006/4/30
愛知から母親がやってきた。たまに暇になるとやってきては掃除をしていったり新しい家具など買ってみたりするのだが(代金はしっかり請求される)、ちょうど最近家の中がザワザワと散らかっていたため、なかなかタイミングが良かった。何を思ったか帰り際に鯉のぼりまで飾っていってくれたが、それはさすがに間違っているような気持ちになって1日で外してしまった。
2006/04/27
いつものように朝シャワーを浴びていると、突然外からジリリリリという音が聞こえた。他の家で何かやらかしたな、まったく早く止めればいいのになどと、そのままシャワーを使っていたが鳴りやむ気配がない。もしかしてと思い慌てて外に出てみると、やはり音源はぼくの家の火災報知器であった。後でアパートの管理をしている不動産屋に聞いてみると、どうやら換気扇を使っていなかったためシャワーの湯気に反応してくれたらしい。朝から近所の人には大変迷惑をかけてしまった。
2006/04/24
9年使っていた洗濯機が壊れてしまった。すすぎが終わって脱水に入る直前で、ぴーっというかなきり声をたてて止まったので、スタートボタンを連打したり揺らしたりたたいたりしたが、全く反応なし。洗濯も途中になってしまい、向かいにある綿半で新しいものを購入することにした。三洋の全自動洗濯機「HSW-50S3」で19000円。安いなと思って即決したのだが、後でよく調べてみると三洋ハイアールという中国とのゴールデンコンビ会社であった。とりあえずなかなか静かで落ち着いた洗濯ぶりである。
バレー部の活動が始まった。今年度も監督をやることになったのだがなかなか部員が集まらず、これは発足も難しいだろうと半ばあきらめていた。今週になって何とか4人の部員が集まり、放課後の活動をすることになった。ヲーミングアップの試みとしてちょっと走ってみようかと言ってしまったために、ぼくまで筋肉痛になっている。とりあえずしばらく退屈せずにすむのがうれしい。
2006/04/19
夜うとうとしていると、点訳サークルの知り合いから電話があった。以前点訳をお願いしていた深堀骨の「アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記」が完成したとのこと。10時過ぎに点訳サークルの人たちがわざわざ家までもってきてくれた。よほどうれしかったのか、データの入ったフロッピーに花や飴玉が飾ってあったり、よく飲み込めないところもあったりしたが、とりあえずぼくも感謝して読ませていただきたい。
2006/04/15
最近近くに引っ越してきた同僚S夫婦の家を訪問。寿司などをつまみにして飲みながら学生の頃のことなどいろいろと話しをしていたら、1時過ぎになってしまった。家賃の割にはかなり広く、住み心地の良さそうな家だった。ガストで増水を食べて解散。4月になって同じ部の同僚が次々と近場に引っ越してきていて、この地区もにぎやかになりそうである。
2006/04/14
新年度が始まりようやく1週間が過ぎた。今年こそ平和な1年を過ごしたいものである。年度初めは新しい授業の準備や雑用や資料作りで忙しいのだが、それにもまして大変なのは家にある古い本やテープの整理(分別して捨てるだけなのだが)である。学生の頃に取った講義のノートやどこだかで買った鍼灸関係のテープや練習機など、狭い部屋にもいろいろと隠れているのである。
講義のノートの中で特に量が多く熱心に取っていたのは、生理学の世界では多くの業績を残された人間総合科学大学副学長(当時は東京総合老人研究所副所長)の佐藤昭夫先生の講義である。当時は肺ガンの手術直後で、なかなか大きな声が出せない中での講義だったが、そこで話された内容・生理学的にみた鍼灸の考え方や研究に対する姿勢にとても感銘を受けたことをよく覚えている。ぼくが人間の体の不思議や、勉強し考えることのおもしろさを知ったのはこの先生の講義の影響がとても大きいと思っている。その先生がつい先頃お亡くなりになったそうである。ぼくはいろいろな研究をしていく能力も自信もあまりないが、当時受けた講義のおもしろさを少しでも他の生徒に伝えていければと思っている。
今年の理療科の生徒は9名の新入生が入り、18名となった。久々に人数が増え楽しくなりそうである。
2006/03/26
鍼灸マッサージ師会の理事会。今回は師会長会と合わせて1泊2日で行われた。ぼくはどうも温泉というヌルヌルベタベタしたお湯があまり好きではないのだが、1泊した旅館の風呂はなかなか気持ちの良いお湯だった。この会の理事の期限も一応一区切りということで、4月の会議で後任が決まれば理事の仕事は終わりになる予定。
2006/03/22
ようやくパソコンが戻ってきた。壊れたパソコンの引き取りから修理完了後の配達まで、松下のアフターサービスには好感が持てる。ハードディスクその他諸々の交換で、いろいろなデータやソフトを入れ直さなければいけないのだが、1月に40GBの外付けハードディスクを買ってしっかりバックアップを取っていたためかなり助かった。修理代68000円。
2006/03/19
日本科学未来館へ。発売中止になってしまったソニーのAIBO、「世界一癒し効果がある」とギネスにも乗っているらしいアザラシロボットのパロ、レスキューロボットなど、実際に動いているところを触らせてもらったり、不思議な形の深海魚の標本たちをみたり、宇宙食を買ったり、なかなかおもしろかった。因みに「ストロベリーアイス」と「チョコレートケーキ」は、やはりなかなか宇宙っぽい感じの味であった。他にも宇宙エビグラタンや宇宙たこ焼きなどもあったが、何となく今回は挑戦を断念。
2006/03/17
卒業式。当たり前だが3年前に入学した生徒たちが卒業していく。毎年この式をみていると、自分が年を経ていくのを実感する。ぼくにとっての卒業というのはまだまだ先のことになるのだろうか。
2006/03/13
パソコンが使えないため、仕事は最低限のことを学校のPCで行い、家ではアルコール飲料をたしなみつつ本を読んだりビデオをみたりという生活をしている。こういう生活もたまには悪くないが、ぜひ早く戻ってきてほしい。
2006/03/06
実際にこのページを更新しているのは3月26日である。3月6日にパソコンのハードディスクがクラッシュし、修理に時間がかかってしまった。ディスクの壊れた直接の原因はパソコンの筐体に肘をぶつけたことなのだが、修理に出してみて、ゴミが詰まっているとか、液体を零した痕跡がいくつかあるとか、あまりにも思い当たりすぎることばかり言われた。新しいノートを買おうかとも思ったが、OSも使うソフトも代わり映えしないので、今のノートをもう少し使ってみる気になっている。
2006/02/16
最近公共の案内などで、障害を「障がい」と表記しようという動きがあるらしい。ひらがなで表記してもあまり本質が変わる訳ではないと思うが、ぼくも視覚障害という言葉で自分のことを説明することはあまり好きではない。かといって、盲人というのも何となく違和感がある。「盲民(モーミン)」、「盲者(モーシャン)」という言葉を推薦したい。
ぼくはこの2年ほど舎監になっているのだが、この「舎監」という名前を何とかしたいという話が出ている。舎監というのは文字通り寄宿舎(またその職員)を監督するという意味があり、現状にはそぐわないという意見である。確かに盲学校に寄宿舎が設置され舎監が置かれた時代と今とでは、随分状況が違ってきているので、こういう考えももっともだなーと感じる。その昔、伝説の安倍晴明が「名前は最も短い呪である」と言ったようだが、こういう議論も大切なことなのだろうと思う。
2006/02/10
トリノパラリンピックに出場する選手・スタッフの壮行会。OBの職員なども集まりなかなか楽しい会だった。どの人も挨拶の中で選手の背中を押すべくプレッシャーをかけまくっているのだが、特に選手の一人で同僚でもあるKは人一倍プレッシャーに弱そうな人でもあり、完全に逆効果になっているような気がして非常に楽しい。という訳で今日も沢山飲んできた。酒で身が滅びないよう気を付けたい。最近体重急増中。
2006/02/09
最近は盲学校でも教員評価システムが押し進められている。授業や学級運営・様々な公務などを4段階の数値で評価していくというようなものである。これらの評価を推進・実行するための仕事ができたりと何となく本末転倒という感じもするが、基本的に競争原理の働きにくい障害者教育の現場で、何か自分の位置や役割を見直すという意味では、この評価ということはやっていく意義のあることだろうと思っている。もちろん成果主義の考え方を教育に取り入れることには身長になるべきである。
2006/02/08
歩行に関する研修。高校時代に少し面識があり、テレサポートでもお世話になった付属盲のR先生が講師として来来校し、触地図や歩行指導について話をしてくれた。夜は顔見知りの何人かでそばを食べにいき、母校の様子など、いろいろと話を聞くことができた。ごちそうさまでした。
2006/02/01
朝から新聞担当者の訪問。電話と違って随分新設な対応である。8枚もらったビール券は全てビールにして飲んでしまったのだが、もらった枚数は自己申告で妙に丼勘定のような感じの人だったので適当に少なく申告、結局1600円だけ回収して帰っていった。契約無効なので新聞代はいらないとのこと、ついでに31日分の新聞まで回収していってくれてありがたかった。決してわざとまとめて保存していた訳ではない。
荒俣宏の「妖怪大戦争」。とにかくタイトルが爽快だが、意外にも哀愁たっぷりの小説でおもしろい。
2006/01/30
読売新聞は取るのは簡単だが止めてもらうのは大変であるということが判明。数日前から販売店に電話をするものの、担当者が不在でそれ以上の対応はできないということを繰り返すので、仕方なく読売本社の販売管理部と消費者生活センターにクレームの電話を入れて2方向からの援護射撃に期待。その後ちょっと危なそうな担当者から電話。新聞を止めるとは何事だといきなりけんか腰で順切れしている担当者。とりあえず明日の朝から止めること、ビール券を回収するということなどで話がまとまった。不謹慎ながら切れた生徒(最近はいない、一応)と切れた販売員とどっちが対応しやすいのか微妙なところかもしれない。
2006/01/28
マンション販売の電話にしばらくつきあわされた。いかにもセールス上手なおばさん。「今日は天気がいいので散歩がてらに家を見にきてよ」、「年収はどれくらいあるの」、「早く結婚しないと将来大変だよ」、「家をもっていれば結婚しやすくなるよ」、「お金がないなら少し親に援助してもらえば!」など、いろいろとためになることを聞くことができた。
2006/01/27
解剖見学。毎年信州大学医学部の協力でこういう体験ができるのは非常に勉強になる。今回は脳脊髄と末梢神経だけをきれいに取り出したものなど良い状態のものを観察することができた。ただホルマリンの臭いはどうも後まで残ってしまうようで、帰りにキムチ鍋と餃子で臭い消しをしてきた。明日は誰にも会うまい。
最近発売されたらしいハバネロという唐辛子の入ったスナックが辛くてなかなか美味しい。モスにもハバネロフォカッチャというものがあるようなので今度食べにいく予定。
2006/01/25
校内の歩行研修。今回は視力のある教員がアイマスクを付けて校内を歩き、それを全盲の職員が案内するというDIDを意識した企画である。意外にもどの職員も手探りや白杖を使って着実に目的の場所まで歩いていた。途中ドアに指を挟んで痛がっていた人もいて案内の難しさを感じたが、歩行は情報処理能力によるところが大きいということを改めて感じる研修だった。研修の中で目隠し状態で紙幣や物品を触ってもらったりしたが、新しい紙幣の識別マークはぼくも未だにほとんど識別できない。いったいどれだけの視覚障害者が識別マークで紙幣を確認しているのだろうか。
2006/01/22
ライブドアショックとやらで株が全面安になっている。ぼくも昨年はライブドア関連会社の株を保有していたことがあり、結構人事ではないような気がしている。株にはしばらく手を出さないように心がけたい。
2006/01/20
どうも昨年末から回りで風邪が流行している。寒い刺激には滅法な抵抗力(?)を示す体をもっていると自負しているが、そろそろそんなことも言っていられず屈服しそうな気がしている。昼頃から熱っぽさがしのび上がってきている。
夜中に何度か家のドアを叩かれ、怖いながらも誰かと思って出てみると、どこだかの道を教えてほしいという怪しさ93%の訪問。松本も物騒になってきたなーと痛感。
2006/01/18
同僚のぜひにという誘いで社交ダンスの練習に顔を出す。人と対面して手を重ねるだけでも何となく緊張してしまう上に、足は決められたステップに合わせて動かさなければならない。社交的でないぼくが社交ダンスをすること自体、不条理で救われない現象であるような気もするが、とにかく良い経験にはなりそう。
最近買ったバッファローのHD-PHS40という外付けハードディスク。手の平サイズで軽く、これで40GBの容量とはすばらしい。これまではパソコンのバックアップを定期的にDVDに取っていたが、これがあればもうそんな面倒なことをしなくてよさそう。
2006/01/13
穂高西小学校の子供たちが点字学習の成果として、点字の手紙を送ってくれた。これほど沢山の手紙を受け取るのは高校時代のバレンタインデー以来(もちろん嘘)。どの手紙も苦労の痕が滲み出ている努力の結晶という感じで、気合いの入ったものばかりだった。久しぶりに集中して点字を読ませてくれた4年生の皆さん、どうもありがとう。
2006/01/10
業者にトイレと風呂の氷を溶かしてもらい、ようやく水回り復活。銭湯に行ったり西遊のトイレを借りたり、とりあえず二日で済んで良かったかな。
1月から毎朝読売新聞が配達されている。昨年末に販売員の訪問があり、普段ならすぐに帰ってもらうところなのだが、暇をもてあましていたぼくは何となく話しを聴いてしまい、結局しばらく新聞を取ることになってしまった(ほとんど身よりのない老人に類似したカモっぷりである)。視覚障害者にも晴眼者と同様に一生懸命勧誘する販売員はある意味なかなかの人なのかもしれないが、無意味な新聞が貯まらないうちにクーリングオフする予定。
2006/01/08
開けましておめでとうございます。2006年が始まり速くも1週間が過ぎたが、今年がどんな年になるのか今から楽しみである。もっともあまり刺激の強い出来事はない方がいいのかもしれないが。
とりあえず今年の初夢らしきものは、草履虫の体をハンマーで叩く夢。何を暗示しているのか謎だが。
年始めは久しぶりに腰を据えて雑煮や焼きそばを食べたり、いろいろと本や論文を読んだり、超武闘伝をやってみたり、年末に衝動買いしたシティーハンターのDVDを見たり、ほとんどヒキ的な生活をしていた。鍼灸についての本もいろいろと読む時間ができ、脈診の歴史などついつい没頭してしまったが、少しは外に出ないと体がなまってしょうがない。
そんな訳で、今年は体質改善を目標に掲げ、すっきりと生活していきたい……と、張り切って松本に帰ってきたら、家中の水という水が全て氷結。風呂はどうする、それよりもトイレはどうするという悲しい現実が待っていた。
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