2003/12/26

2学期最終日。午前中まで授業をやり、午後から終業式。ようやく学校ともしばしの別れである。
夜は学校職員の忘年会。今日は早めに帰ろうという決意もいつの間にか心の奥底に埋没していき、結局2時頃まで飲んでいた。手当たり次第に人と話し(からむと同義)、躁状態が続いた。2次会では、居酒屋の自動ドアに指を挟んで流血してしまい、最後まで周りに迷惑をかけてしまった。ぼくにとっては、ある意味相応しい年末かもしれない。
明日から愛知の実家に帰る予定。今年のときどき日記はこれで終了。

2003/12/25

やはり1時間目の授業は、生徒が6人中1人しかきていなかった。ぼくももし学生なら、よほどの下心がない限り休んでいるだろうと思う。
生徒にホームページの作り方を教えることになった。音声環境でHTMLを作るには、やはりタグを覚えてもらうのが良いだろうと、いろいろ考えてみたが、やはりリンクの設定のところでつまずいてしまう。慣れれば簡単なのだが、説明するといがいとややこしいような気もしてくる。
しばらく前に夜中の停電があったが、実はちゃんと家に通知が届いていた。今日家にきたホームヘルパーの人に郵便物を読んでもらっていて知ったのだが、かなりタイミングを外している。

2003/12/24

トッポが美味しいという話を聞いてさっそくコンビニへ。「トッポくださーい」と言うと、おじさん店員が「ロッテのトッポ、トッポのロッテのロッテの…」と、妙なふしまわしで歌いながらもってきてくれた。もしかして、こういうCMがあるのか。とりあえずトッポはとても美味しいことがよくわかった。
クリスマスイブ、しかし後二日間はしっかり授業である。長野の学校の休みの少なさは、どういうことか。キリストのことはおいといて、何となく休みにしたい心境。

2003/12/22

午前中、共同作業所についての研修。午後、雑務。年休を取ればよかったかも。

2003/12/20

バイオリンの練習へ。ザイツの協奏曲、ついに年をまたぐこととなった。来年の発表会までには終わらせるべく、目標を下降修正。
夜は、フロアバレーボール協会の納会と忘年会。空の中ジョッキをマラカスのようにがらがら振っていたら、隣のジョッキとぶつかって、ジョッキの一部が無くなってしまった。乾杯もほどほどにしなければいけない。

2003/12/19

寄宿舎職員IT(最近結婚)お宅へ呼ばれて(押しかけてと同義)飲み会。職員住宅密集地なので、ひそひそとしゃべるよう心がけていたのだが、酒が回るに連れて、だんだん抑制が聞かなくなり、ついには普通の宴会になってしまった。ごめんごめん。

2003/12/18

28回目の誕生日。一応職員朝会では教頭がバースデイの紹介をしてくれた。ちゃんと調べてるんだなーと関心してしまう。
今年度から始まった学校自己評価の係内評価の資料をまとめ始める。試みとしては賛成なのだが、年末に貯まる仕事がますます増えて困る。ぼくの今年の主たる仕事は情報関係で、他の人に比べると結構楽ではあるが。あ、そういえば受験生の担任でもあったっけ。

2003/12/16

校内の点字検定。最近は点字電子機器のおかげで、生の点字を読み書きする機会が減っているのだが、生徒と一緒に点字を競い合うのもたまには楽しいものである。もちろん、負けないようにがんばっている。
フロアバレーの練習では、最近信州大学周辺に貼ったポスターを見てくれた大学生が数人きてくれている。思ったより早くポスターの効果が現れたようで、大変嬉しい。

2003/12/11

夜中に目が覚めると、妙に周りが寒い。暖房・炬燵も入らず、なぜだかお湯も出てこない。どうやら停電らしいとわかるが、何となく落ち着かず眠れない。結局朝方になってようやく復旧。

2003/12/07

フロアバレーの練習へ。東京からきた「フェイカーズ」との練習試合で、1勝1敗のおもしろい試合になったが、ぼく自身は良いとこ無しで、最後まで調子が上がらなかった。ボールは心の鏡ということもあるので、精神の弱さが原因かもしれない。
夜は鍼灸マッサージに関わる業団体の理事会と忘年会。帰りに寄ったラーメン屋「ミムラ屋」のネギチャーシューがすばらしく美味しい。

2003/12/06

2ヶ月ぶりにバイオリンの練習へ。ザイツの協奏曲五番が、そろそろ終わりそうな、まだまだのような感じになってきた。最後の速いフレーズは、楽譜も読みにくいし、なかなか覚えられない。
夜は卒業生と焼肉を食べに出かける。韓国からの土産に海苔をもらい、1週間分のおかずには困らなくなった。塩がふってあるところなど、さすが韓国である。

2003/12/01

学校では早くも今年度の反省が始まっている。今年度からは、学校自己評価のシステムがスタートし、これまでになく会議や個人作業が増えそうである。気分は早くも年度末。

2003/11/29

羽毛布団の訪問販売がやってくる。東京にいた頃は結構頻繁だった訪問販売も今のアパートに住むようになってからはあまり出会わなくなっている。久々に関西人のプロの話術で時間をつぶそうと相手をしていたのだが、途中から販売員の仲間らしき人たちが二人やってきて、説得されること2時間。危うく50万円の超お得な布団セット(定価は100万らしい)を買ってしまうところだった。どうやら年収200万円で借金が山ほどあるという事実を信じてくれたらしい。因みに今使っている布団を検査してもらったところ、いつ体長を崩しても背骨が曲がってもおかしくないようなC24ランクの布団だそうである。どうやら最近酒を沢山飲んでしまうようになったのも布団のせいに違いない。
夕方から急遽長野市へ行って飲むことになる。先日のスポーツ大会の飲みメンアーが集まるらしく、何だかぼくも参加させてもらうことになった。夜中まで飲んで障害者スポーツセンターに宿泊。なんだかいろいろなものに申し訳ないのである。

2003/11/23

フロアバレーの県大会。現在長野県で継続的に活動しているチームは松本だけで、身内で朝の9時から夕方5時までひたすら試合をする。足の指先までビリビリと疲れてしまった。終わった後の打ち上げでは、久しぶりに激しく飲んで自爆。

2003/11/21

進路研修会。今回の講師は、ぼくの高校時代の同級生のお父さんの知り合い(笑)で、公演中に突然「○○ちゃんってしってますよね、社納先生」とふられて狼狽えてしまった。鍼灸マッサージは、いかにして仕事を見つけてくるかが重要という話は、ぼくにとっても大変勉強になった。

2003/11/14

全校研究授業。合同音楽の授業を見て、子どもたちがとても楽しそうに音を出しているのがとても新鮮だった。夜の打ち上げもあったようだが、少しアルコールからは遠ざかるつもりで参加せず。
全国障害者スポーツ大会のレポートというか日記を書いてみた。興味のある方はこちらから。

2003/11/12

久しぶりに学校へ戻ってきたんだなーと心から実感できるのは、授業をした時でもなく、もちろん校長・教頭の声を聞いた時でもなく、給食を食べた時である。非常に美味しく感じたのは、弁当やホテルの食事に飽きていたせいばかりではないだろう。

2003/11/11

静岡から帰宅。今回はなかなかエピソードの多い道中だった。またこのページでも紹介したいが、とりあえずわかふじ国体公式ホームページから様子がわかる。

2003/11/04

明後日から静岡で行われる「全国障害者スポーツ大会」に参加する。五泊六日の長旅であるが、あいにくと言うか幸いと言うか、あまり天気はよくないらしい。松本市役所で松本市長に挨拶をしたり、新聞の取材があったりと、なかなか面倒なことも多いのである。気持ち的には完全に遊びにいくつもりでいるが、「抱負は?」などと聞かれて、ついつい「練習の成果を出したい」などと口走ってしまう小心者である。

2003/11/02

フロアバレーで、横浜からきた「トツカユーユー」との交流試合。松本にくる道中がとても渋滞していたようで、到着したのが2時を過ぎてしまっていたが、何とか2試合ほどゲームができた。全体的に、松本チームが優勢なゲーム転回で、試合を進める。夜は両チーム共アルコールが入り、大変賑やかに親睦を深めた。とても楽しいチームである。

2003/11/01

同僚Sさんの結婚式。松本盲学校での余興では、ぼくもギターを弾いたりして大活躍。新郎・新婦共、よく知る人であり、結婚というのもそろそろ身近な存在として感じられるようになってきたような。

2003/10/31

総合教育センターにて、5年経験者研修。「障害のある子の豊かな育ちを支援する」という講義で、大阪電気通信大学の先生の話を聞いてきた。子どもの発達段階に応じた教育について、思っていたよりおもしろい話だった。

2003/10/26

神奈川から講師を迎え、フロアバレーの審判・ルール講習会。昨晩の飲みすぎで体はやや重く、試合初盤から息切れしてしまう。昼はファミレスのドリンクバーで、コーラを6杯飲み、充電完了。

2003/10/23

ここ数日、忘れ物が頻発している。一昨日はフロアバレー練習の帰りに、送ってくれた知り合いの車中に靴を忘れ、昨日は帰宅途中に寄った台湾料理の店に鞄を忘れた。今日は気を確かに持って暮らそうと思っていたら、給食に出た柿の名前をど忘れしてしまい、メロンじゃなくて瓜じゃなくてとしばらく考えてしまった。どうやら記憶力は青年を脱皮したらしい。
昨晩、感染症についていろいろと思いをめぐらしながら眠ったぼくは、恐ろしい夢を見た。焼肉を食べているぼくの横で見知らぬ女性が「エボラ焼肉のたれ」と呟いたのである。自分の脳からわいてきたとは思えない洗練されたおやじギャグ(死後)にびっくりして、思わず目が覚めてしまった。どうやら無意識領域も青年を脱皮したらしい。

2003/10/19

一泊二日で全国障害者スポーツ大会に向けての強化合宿と記録会。とは言ってもここまできて突然強化されるということはなく、日頃の練習に見合った低記録であった。久しぶりにスパイクをはいて足が痛くなったが、とにかく気持ちの良い上天気で、日向でぼーっと瞑想してしまった。本番は3週間後、入賞はできなくても楽しい大会になると良いなー。

2003/10/12

職員旅行から帰還。今回は東京方面の一泊旅行で、1日目は新宿で吉本の演芸を見た後、浜松町からの屋形船に乗り、2日目は子どもの頃以来のディズニーランド。
ディズニーランドでは、何だか非常に愛想の良いフルートに抱きしめられ、証拠写真まで取られてしまった。ハロウィンのパレードは結構楽しめたが、「人類が死に絶えた未来に遊園地ではパレードだけが華々しく上演されていた」という情景のビデオを最近見た影響で、ハイテンションのナレーションが何となく怖いもののような気もした。
モノレールの入り口では、小さな男の子が「まま、怖いよう」と怯え、母親に「ジェットコースターじゃないから、怖くないよ」と慰められていたのが妙に印象に残っている。ぼくは昔根拠もなく焼き芋屋を非常に怖がっていた頃があっったが、そんなことまでふと思い出してしまった。

2003/10/07

母親が来宅。部屋の掃除をしてくれたせいか、花粉のせいか、風邪のせいか、クシャミが止まらず目が痛い。姪が幼稚園の入園試験に合格したらしい。小さい頃からの試験や人との競争はあまり良い人格を育まないのではと思ってしまうが、親になれば心境が変わるかもしれない。

2003/10/06

学生の時に免除の手続きをしていた国民年金の掛金40ヶ月文の通知がきていた。8年も前のことなので未納だったことをすっかり忘れてしまっていたが、さすがに役所はしっかりとチェクしていた。合計すると60万以上になるため、とりあえず分割して払っていくことになるが、どうやらこれを納めておかないと、将来もらえるだろう老齢年金が1/3になってしまうらしい。共済年金・老齢年金は同時にもらえて、共済年金・障害基礎年金は同時にもらえないというのは、何となく不思議な気がする。

2003/10/04

文化祭当日。午前中、ステージ発表。昨年に引き続き橘家亀蔵さんの落語やちょっとレトロな趣味の小学生バンドも登場。午後は鍼灸コーナーで来場した人に治療をしたり、やや一般客の少なめだった作品展示や学校紹介のコーナーの様子を見たりしていた。改修工事のために体育館に各種コーナーを詰め込んでの文化祭だったが、思っていたよりは来校した人も多く、それなりに盛り上がった気がする。ひたすら疲れきった反動かどうか夜の打ち上げでは妙にハイテンションで暴走し、気分良く熟睡。

2003/10/03

文化祭前日。今年は工事の関係で規模をかなり縮小して行うこととなったが、例年のごとく前夜祭では、簡単なゲームをして盛り上がる。生まれて初めてビンゴゲームでビンゴが成立してしまった。

2003/10/01

しばらく寝不足が続いているため、家ではまったくパソコンも触らず、テレビも見ず、ギターも弾かずにひたすら眠る努力をする。おかげで、学校では貯まったメールの処理が結構大変。寝ている時間は長いのだと思うが、何となくウトウトして目が覚めるということを繰り返し、基本的に一日中眠い。
昇級の通知をもらった。忘れられているのか財政難の事情か、はたまた校長のいじわるとかで、今年の昇級は見送りになるのではと不安に思っていたが、ちゃんと昇級できたようである。

2003/09/29

改修工事では、1枚数万円のレリーフを何十枚か廊下の壁に飾るという構想があるらしい。殺風景な学校であることは間違いないのだが、こういう話を聞くと何となく金の流れに関して邪推してしまうのは、まあ仕方ないだろう。

2003/09/27

教研修会。支援教育について、いくつかレポートが出された。地域の普通学校に通っている視覚障害のある子どもに対して、盲学校はどのような支援をしていくか、課題は多い。単に専門教育というだけでなく、視覚障害に対する受け止め方や社会福祉・ノーマライゼーションについての考え方を育む意味で、盲学校の役割は大きいと思っている。
帰ってきた後急いで冬服を出し、寄宿舎職員の結婚前祝いで飲みにでかける。

2003/09/23

中央体育館にてフロアバレーの練習。額を切って以来のフロアバレーである。朝のバスには乗り遅れ、せっかく買った昼食のおにぎりは家に忘れ、なんだか冴えない午前中。

2003/09/22

視覚障害者の歩行研修。晴眼の職員もアイマスクを付けて校外の歩行体験を行った。生徒は休みになっていて給食もないので、研修のついでにガストで昼食。

2003/09/21

長野県障害者スポーツ大会が松本平広域公園で行われた。朝からの雨にも関わらずしっかりと行われた。ぼくにとっては11月の静岡大会に向けた練習も兼ねている大会なのだが、なぜかまったく練習していない一昨年・去年よりも悪い結果。急激に寒くなってしまった1日である。

2003/09/20

バイオリンの練習へ。ザイツの協奏曲、いまだ最後までいかず。10月は一度も練習にいけないので、今年中に終われるかどうか怪しくなってきた。台風の影響か、帰りの雨はなかなか激しく、そのせいか、普段はほとんど迷わない電車のホームを勘違いし、別のホームから乗るはずの電車を見送ってしまった。
最近届いた超音波歩行支援具ミルブルをもってでかける。いろいろなところに超音波を発射して、ブルブル度を試してみている。概ねはっきりした障害物はこれで探知できそうな感触だが、今日みたいに片手で白杖・片手で傘をもっている時などは、どこに装着しておけばよいのか。やはりいつもこれをもって歩けるとは思えない。

2003/09/19

明後日の長野県障害者スポーツ大会に備え、一応幅跳びの練習をする。久々なのでなかなか距離は出ないが、気持ちの良い汗をかき、前日のアルコールを1滴残らず浄化することができた。
南沢大介さん、ソロギターのしらべ4が届いていた。このソロギターシリーズも4作目となり、すっかり定着した感がある。ここ3年くらいの間に、すばらしい生ギター関連の名盤や楽譜集などがどんどん発売され、ぼくも財布を気にせずそれらを手に入れることができるのは、なかなか幸せなことである。

2003/09/18

岡谷で行われた「ホワイトスネーク」のライブへ行く。このバンドは、元ディープパープルのメンバー、デビッド・カバーディルとその他のメンバー(入れ替わりが多いので詳細不明)という編制のブリティッシュロックで、ぼくも高校生くらいの時に少し聞いたりしていた。前から2列目という良い席のチケットが取れ、ベースやギターアンプの音がガンガン響いてくる。ライブ自体も非常に見応えのあるもので、久しぶりに80年代サウンドに興奮してしまう。今は生ギターしか弾かないぼくも、学生の頃はエレキをもったりしていたのである。終了後、同僚・その知り合いたちと居酒屋で飲み始め、次の日の学校も忘れかなり泥酔。

2003/09/15

敬老の日。血縁のじー・ばーちゃんはすでに他界しており、あまりこれといって思い入れのない祝日となっている。同僚HT氏のお宅へ行き、パソコンのセットアップ等をする。昼食など沢山ご馳走になり、盲導犬のプーマとじゃれあい、なかなか楽しかった。外は相変わらず暑い。

2003/09/12

中高部職員との懇親会。1次会の料理が何となく物足りず、普段ぼくの夕飯の支えとなっている台湾料理の店へ。ダラポダラポと汗を流して食べた激辛ラーメンは非常に幸せな味がした。

2003/09/10

県の教育委員会から偉い肩書の役人が学校視察にくる。ぼくの授業も少し見学するということでやや緊張していたら、生徒がすてきな案を出してくれた。役人が入ってくるのを見計らって空かさず、社納「おれの授業はどうだ(絶叫)?」、生徒A「最高です、最高です(涙)!」、生徒B「幸せです、幸せです(涙)!」。実際にこの劇は実施されなかったが、教師をやめたら教祖になるのも良いかもしれない。

2003/09/10

午前中・奉仕治療で近隣の老人ホームへ。生徒にとっても良い経験になる恒例行事であるが、ぼくにとってもこの行事は、いろいろなことに気づくことのできる貴重な機会となっている。
先週のけがから1週間、ようやく抜糸となった。傷跡もとても小さくなり順調な回復。
最近発売された、超音波を使った歩行支援具を注文してみる。ぼくの歩行に実用的かどうかはおいといて、何となくコウモリのようになれるといいなー。

2003/09/09

今週は給食週間。カリスマ栄養士OMの「赤・黄・緑の食物」に関するトークがあって楽しい給食である。今年度から地元で取れる安全な食物のみを使った給食日「地域食材の日」が設定されているが、地元の食べ物がほんとに安全なのかなーという素朴な疑問がある。最近温泉卵初め簡易料理を作ることが増えているものの、朝は相変わらずオンビニむすびを食べているぼくは、食に対する意識が高いとは言い難い。

2003/09/05

ここ2・3日特に朝の寒さが増している。このまま秋に移行するとすれば、ほんとに短い夏だった。
包帯を外してよいことになり目の上の絆創膏のみとなった。切れる時も速かったが付くのも順調。とは言っても、家の中でさえいろいろなところにぶつかる ぼくは、なかなか油断のできない男なのである。
明日・明後日と予定していた、支援教育部主催のデイ・キャンプ(バーベキュー)や視覚障害者協会のスポーツ大会も、けが回復のため欠席することにした。暇な二日間をどのように過ごそうか。

2003/09/04

飛ばされた補聴器が見つかった。ぼく自身完全に諦め、探してもらうことにも消極的だったのだが、TE先生が一応ということで現場に行ってくれたところ、たまたま小学生が見つけて拾ってくれていたらしい。壊れることもなく無事手元に戻ってきた。ぼくのけがの余波で今週は陸上の練習が中止になったり、面目なくお騒がせしている。
目の上に包帯を巻いて歩いていると、方向感覚が非常におかしくなる。もともと全く視力が無いのだから関係ないはずだが、目の上の圧迫で視力が閉ざされた気になってしまうのは不思議である。歩けなくなってしまうことはないが、少し普段より慎重に歩かなければいけない。
現在PDAを使ったユビキタスラジオなるものを試させてもらっている。ニュース等の情報に簡単にアクセスできるもので、結構便利かもしれない。

2003/09/03

三段跳びの練習中に不名誉な負傷。勢い余って鉄柱に頭からつっこみ、額を3センチ程割ってしまった。日頃から額の堅さには自信があったのだが、相手が相手だけに難なく敗北。自分では何ともないような気がしていたが、大量出血でしばらく血が止まらなくなり、周りの人たちにはとても迷惑をかけた。信大病院で9針縫ってもらい、1週間くらいはおとなしくしなければいけないようである。病院にきた校長に車椅子を押してもらうという、貴重な体験もしてしまった。ぼくの自爆行為に周りを巻き込んでしまったのはとても心苦しいことであるが、それと共に鉄柱にぶつかった時に片方の補聴器がどこかへ飛んでいってしまったのが大変悲しい。額以外には大きなけがも無いようである。

2003/08/31

中央体育館にてフロアバレーの練習。外は風もあって比較的涼しかったが体育館内は非常に暑い。昼食時に1リットルの牛乳を飲んでしまったのも、ばてばての原因かもしれない。

2003/08/30

幅跳びのための競技用靴を会に、駅前の石井スポーツへ。予め電話で確認しておかなかったのがいけないのだが、ここには陸上関係用具は置いてないことが判明。店員に調べてもらったところ、少し遠いがゼビオにいけば目的のものがあると教えてくれたので、タクシーを頼んでゼビオまで行く。10分くらいで買い物も終わるだろうと、運転手さんには待ってもらっていたのだが、その運転手さんが店員に、サイズやピンの付け方、注意事項等を念入りに確認してくれたり、何となくぼくより真剣に靴を選んでくれていたのがおもしろかった。とても親切なドライバーさんであった。
ぼくの酔狂につきあって「温泉卵」を調べてくれた奇特な友達の情報により、ぼくの数少ないレシピに新たな1ページが加えられた。ご飯を炊くついでに、卵を30分くらいジャーに入れて、温泉卵完成。付け汁の素と味醂と醤油と辣油(?)を混ぜ少し火を通して、だしの完成。我ながらなかなか上手にできて美味しかったが、できた後冷えるのを待つのがやや面倒。
もう一つ大変大きな収穫としては買い物に行った際に「激カラムーチョ」に出会ったこと。ぼくがスナック菓子業界から目を離している間にこんなにすてきなものが日本中を席巻していたとは、夢にも思わなかった。辛いが美味しーい、辛いが美味しーい。ひー・ひー、おばあちゃん。

2003/08/29

信州大学の教育授業参観。ぼくは授業の案内とその後行われた研究会の助言者をすることになっていた。ぼくももう5年目なのでずいぶん慣れてはきたが、特に研究会では校長が横に座ってしまい何となく緊張。時間が余ったら何をしゃべったら良いだろうかと心配していたが、幸い学生からの意見・質問が活発で大変助かった。学生の一人は以前部活のフロアバレーに参加してくれていたそうで、ぼくの顔を覚えていてくれた。ぼくは相手の顔がわからないので、ひたすら恐縮してしまう。

2003/08/27

何となくインターネットで「温泉卵」を検索していたら非常に多彩なレシピがあるのに驚いた。例えばこんな感じ。後はだしの作り方がわかれば自分でも試してみたい。

2003/08/25

生徒が登校し、いよいよ本格的に授業が始まった。暑さのため仕事(特に授業)にもまるで身が入らず。帰宅時、学校から家まで15分も解除してくれたおじさん、ありがとう。何となく一緒に歩いてきてしまった。

2003/08/24

KYが帰り、島村楽器へバイオリンとギターの試奏会に出かける。マーチン社からのスタッフもきていて、たくさんの楽器を弾かせてもらうことができた。今日は特に爪の伸び具合が良い感じになっていて、どれを弾いても妙に低音のサスティンがきいていた気がする。D-18もなかなか優しげ。
注文しておいたVAIOの新しい電源アダプターが届いた。\13,000はちょっと高いんじゃないかと思うが、これで少しでもパソコンの寿命が延びてくれると嬉しい。

2003/08/23

バイオリンの練習へ。引き続きザイツの協奏曲。しばらく練習していないと、すぐにボーイングの姿勢を忘れてしまう。
夜は卒業生KYが訪ねてきて、安酒で泥酔して泊まっていった。

2003/08/22

全国盲学校野球大会で北信越選抜チームは、準優勝。宮城で行われていたのだが、甲子園の盛り上がりのおかげで、あまりニュースにならなかったのが残念である。

2003/08/20

午前中の研究会、午後の会議や職員研修で疲労蓄積。とりあえず情報担当としては、学校のパソコンがMSblastから免れていて一安心。それにしても今日は地獄悪人的に眠い。昨日の夜中にパソコンの電源周りが反乱を起こしてしまい、あれもこれもとデータのバックアップや保険処理をしているうちに朝になってしまったのが原因。新しいパソコンは何が良いか?レッツノートか引き続きVAIOか。

2003/08/18

いよいよ明日から勤務が始まってしまう。「やめて・やめてー」という人々の慟哭が聞こえてくるようである。しかし今週は生徒も登校してこないので、まだそれほど忙しくはならない。
この休みは寝たり食べたり読書したり「ひまわり」で遊んだり、ビックリしたり、ガストの点字メニューにクレームを付けてみたり、なんだか冴えない日が続いた。ギター・バイオリンの練習はあまりできず。水泳で逞しい体と強靱な忍耐力を培う計画も、この雨と涼しい夏のおかげで見事に破綻。もちろん、こんなことで破綻する計画自体、忍耐力とはほど遠いものである。
読了したのは、西沢保彦「仔羊たちの聖夜」 茅田砂胡「デルフィニア戦記」 荻原規子「これは王国のかぎ」 養老孟司「バカの壁」 谷甲州「航空宇宙軍史」 シャフィック・ケシャヴジー「世界の宗教どの教えが優れているのか」 財部誠一「ドキュメント金融危機の真相」。我ながら節操無し。

2003/08/11

明日からいよいよ7連休。今回はアパート周辺でぼんやり過ごす予定。久しぶりに集中してアコギの練習ができそうで嬉しい。

2003/08/03

神奈川県座間市で行われたフロアバレーボールの全国大会「サンフラワーカップ」に泊まりがけで行ってきた。ぼくは今回風邪が治りきらず試合にはあまり出られず夜のラーメンも食べにいけなかったが、見ているだけでも十分楽しい大会であった。長野は予選で1勝1敗という結果。来週からはようやく学校に行くだけの日々に戻る。

2003/08/01

とりあえず体調も良くなり、出勤できるようになった。いがいと早く治ったところからすると、何か悪いものにでも当たったのかもしれない。明日・明後日は、神奈川でサンフラワーカップ。

2003/07/31

忙しい研修続きが一段落し気が抜けたのか、昨日から風邪で寝込んでいる。食欲無し・腹痛・嘔吐・下痢。どうやら胃腸がやられたらしい。学校のプール当番も欠席し、ひたすら寝る。

2003/07/29

塩尻の総合教育センターにて、5年経験者研修。ロールプレイの実習等。ぼくは同僚の先輩を何とか飲みに誘う役とか、学級崩壊しているクラスの生徒役を演じた。特に学級崩壊のロールプレイでは、普段この問題に直面している先生たちが教師・生徒役を演じただけあって、とてもリアルな感じで関心してしまった。この研修では初任者研修で一緒だった人たちが何人も声をかけてくれて、とても懐かしく思った。5年の間に学校を移動したり結婚したりした人も多かったが、改めて初任者研修で知り合った人たちに心強さを感じる。
夜はフロアバレーで今週土・日に神奈川で行われるサンフラワーカップに向け最後の練習。

2003/07/28

長野県理療科教員研修。午前・午後共に「リンパ・ドレナージ」の講義と実技講習。これはリンパ浮腫の吸収を促進させる手技の一つである。臨床で使うにはまだまだ練習が必要そうだが、とても勉強になった。

2003/07/27

午前中、鍼灸師会青年部のボーリング大会。今回はガータを無くして(溝を埋めて)もらっているので、まっすぐにボールを投げられないぼくでもスコアー196を出すことができた。
午後は、同じく青年部の懇親会・飲み会。最近の飲み会続きで体よりも財布のダメージが大きいような気がしている。以前に予約した通販のDVDや本などがまとめて届いたりするので、それらの出費も笑ってごまかせない額になっている。

2003/07/26

地域の学校に通う視覚障害児生・保護者・担任等を対象とした「目の教室」が盲学校で行われた。午前中は奈良県立盲学校からきてもらったS先生による講演会。この手の支援教育には長年の実績がある奈良・京都での活動の様子が紹介された。午後、担任や保護者を交えての座談会。
夜は1学期の慰労会。酔った職員に校長がからまれていたり、日頃は二次会・三次会にはこないような女性が残っていたりして、ぼくも久々の1日ぶりに飲み過ぎてしまった。結局1時過ぎに帰宅。

2003/07/25

22日から東京で行われていた「夏の理療科教員講習会」から帰還。今回は情報教育関連の講習会で、ぼくは一応講師の一人として参加。なかなか予想通りと言うべきかスムーズには進まなかったが、何とか無事終了。4980円の格安ホテルも思っていたより快適であった。
講習会とは別に、教員養成施設時代の同級会・同窓会・情報処理委員会等で毎日飲み会が続き、体(特に肝)を酷使したものの、とても楽しく過ごすことができた。後一日いられると、東京付近にいる友達たちとも遊べて良かったのだが、明日の予定もあるので今回はおとなしく戻ってきた。大雨の影響で、帰りの「アズサ」が甲府辺りで止まってしまい、結局松本に着くまで4時間半もかかってしまった。

2003/07/21

松本の島村楽器にて、マーチンギターの試奏。いろいろ弾いた中ではD-45の鳴りが最高。1音1音が自分の技術を数段飛び越えているような響きで感動の嵐。さすがに定価100万以上のギターは、ぼくには不相応と思うが。
ふれっ手バザーの打ち上げ飲み会でかなり食べ過ぎ&飲み過ぎてしまい、明日からの研修がちょっと心配。明日は朝4時出発で、四日間東京へ行く予定。

2003/07/19

ふれっ手駅前募金の後、バイオリンの練習へ。ようやく五番1楽章が半分まで終わる。帰り道、女子高生の群れに急接近し危うく幸せな目に遭いそうになったり、買ったばかりの白杖が自転車に巻き込まれポキリと折れそうになったり。危険な1日である。

2003/07/17

卒業生FAさんの自宅で、売り飛ばしたブレイルメモのアフターサービス。FAさんの奥さん・兄弟・知り合いの女性などがいて、夕食に加えて夜食のラーメンまでごちそうになってきた。FAさん所有のマーチンD-28もとても良い音だった。

2003/07/13

新潟の高田盲学校へ行き、社会人フロアバレーの練習試合。相手チームは、昨年松本にもきてくれたMAX新潟。MAXは女性のみのチームで、こちらは男女混合。結果は、第1試合1:2で新潟、第2試合0:2で新潟、第3試合2:0で松本。技術と体力のあるチームで、とても楽しい試合だった。

2003/07/12

マッサージ業団体の講習会。午前中は、日本あん摩マッサージ指圧師会会長の時任先生による講義。マッサージや鍼灸をめぐる最近の動向等。午後は、ぼくが筑波大学理療科教員養成施設にいた時に指圧を教えにきてくれていた木下先生の実技。ぼくを含めて最近の理療科教員はほとんどこの先生に指圧を教えてもらっている。

2003/07/11

中高等部の、意見・体験発表会。真剣な内容の中にも冷めたユーモアがあったり、笑い話の中に説得力のある本音があったり、練られた発表が多かった。ぼくも学生の頃は、些末なことを発表する機会が多かったが、今はできればこういう発表は避けて通りたいと願っている。会議などで、込み入った話やいわゆる正論を聞いていると、どうも信用できないような気持ちになるのである。まあ、そんなことを言っていると授業なんて成り立たないのかもしれないが。

2003/07/10

改修工事のための荷物移動で腰痛再発。校舎改築という訳でもないので、何となく脱力な引っ越しである。汚くて腐りかけているカーテンを外したものの、さてどこで洗濯をするか。理療科主任HTの私物洗濯機を使うのが良いだろうという意見が、本人不在のまままとまった。なぜ個人の洗濯機が学校に置いてあるのか、もちろん洗濯をするためなのである。

2003/07/09

長野市で行われている北信越盲学校野球大会では、松本は石川・長野と対戦し、残念ながら予選で負けてしまった。

2003/07/07

10年以上ご無沙汰になっていた豊田の従兄弟からメールがきてびっくり。子どもの頃は頻繁に遊んだりしていた懐かしい親戚なのだが、ほんとに長らくご無沙汰していた。

2003/07/06

いよいよ建設が始まった授産施設『ふれっ手』関連のバザーがデパートの一部区画で行われた。例年のようにぼくもマッサージコーナーのスタッフとして参加。

2003/07/05

バイオリンの練習へ。右手の弓の握り方を直されているうちに時間になりほとんど進まず。

2003/07/03

期末テスト終了。よく考えてみたら、今年6月でホームページ開設5周年になっていた。自分で言っても仕方ないが、よく続いておめでとう。因みに1998年開設当初の内容は、ネットハック、マッチメーカー等のゲームの解説が中心で、非常に子どもな内容であった。当時から続いているのはギターと鍼灸Q&Aくらいだろうか。
学校で自分の聴力低下についていろいろ考えさせられる話にやや暗い気分になったり、修理に出していた補聴器が\3000で復活し明るい気分になったり。

2003/07/01

今日から期末テストが始まる。生徒の試験問題を家でテープに録音しようと思っていたら、ラジカセに内蔵マイクが付いていないことに気づく。仕方なくパソコンで声を録音→オーディオCD形式に変換→ラジカセでCDからテープへ録音という、面倒な手順になってしまった。
フロアバレーでは平日の練習には珍しく、メンバーが沢山集まり、充実した練習ができた。名前を聞いていないが、新メンバーの女性も登場し、やる気は1.3倍増である。

2003/06/30

先月の入札で談合疑惑が問題になった盲学校の改修工事について、27日に2度目の入札が行われたらしい。全回の落札価格は予定額の88%にあたる3010万円だったが、今回の入札での最低価格は予定額の65%にあたる2218万円とのこと。談合の是非はともかく、この落札が問題なく通れば、ようやく工事が始まる。予定額の65%というのが何となく不安だが。

2003/06/29

昨日に引き続き、サンアップルにて視覚障害者協会主催のフロアバレー教室。初参加の人なども多く、あまりちゃんとした試合はできないだろうと思っていたが、以外にも午後からはかなり白熱したゲームとなった。県大会でも、これだけたくさん人がいれば楽しいだろうなーと思う。
松本に戻って島村楽器へ。イベントで1時間近くいろいろなメーカーの生ギターを弾かせてもらった。特に印象的だったのは、テイラー、ハミングバード・マーチンのクラプトンモデル。カポタストを忘れてきてしまったのがちょっと残念。

2003/06/28

長野市の障害者スポーツセンター「サンアップル」にて、視覚障害者協会の青年部総会と講演会。総会ではどういう経緯かわからないが議長さんを引き受けることになり急遽打ち合わせをする。幸いそれほど大変な議題はなく、補聴器の電池も切れることなく、腹も減らず、順調に終えることができた。
講演会は、元松本盲学校の同僚WK先生の障害者スポーツについての話。熱の入った話は相変わらずの吸引力をもっている。ぼくも見習いたい。バイアスロンで使う銃のデモンストレーションもあり、なかなか楽しく懐かしい時間だった。
近くの居酒屋で懇親会の後、バレー仲間のNAさんに勉強中の撚鍼を試し、そのままサンアップルで宿泊。

2003/06/24

単なる衝動で食材を沢山買い込んできたので、外食0週間を実行することにした。雨の中で壊れた傘をゴソゴソ直していたら、同僚のKHが傘を貸してくれてとてもありがたい。

2003/06/23

風邪が回復せず学校には行かないことにする。起きるとフラフラするので、結局ひたすら布団にくるまれながら過ごす。自分の食欲・財布・レトルト食品の在庫・健康状態・今後のやる気等、様々な角度から推し量って、男らしく10キロの米を買うべきか、5キロの米を買って外食を増やすか、真剣に考える。何となく朦朧としているので、考えることは果てしなくレベルダウンしていく。
同僚MTの研究授業が見られず残念……、だが。

2003/06/22

朝から何となく咽が痛い。昨日の募金活動で声を出しすぎた影響だろうと思って社会人フロアバレーの練習に行き、ガシガシ動き回っていたら、咽に加えて顎と手足の関節まで痛くなってきた。どうやら風邪のような気がしている。

2003/06/21

ふれっ手建設のための駅前街頭募金でしばらく叫び続けた後、バイオリンの練習へ。ポジション移動、全弓を使ったキラキラ星、ザイツの五番1楽章の前半を練習。

2003/06/19

フロアバレー新潟大会終了。詳しい内容は長くなるので別ページにする。興味のある方はコチラをクリックしてください。
新しい白杖が届く。こんどの長さは111センチにしてみた。

2003/06/14

三日ほど前に島村楽器の店員Mさんが、ギタークリニックが行われることを電話してくれていて、今日さっそく「シグマ・マーチン」をもって島村楽器へ行った。楽器店にはモーリスの関係者や職人の方が何人かきていて、実際ぼくが購入したS-120の製作に関わった方がシグマを見てくれることになった。せっかくなのでS-120ももってくれば良かったなーとは思ったが、後で考えると一番性能不良が気がかりなシグマを見てもらって本当に良かった。本来ぼくはアコギが無条件に好きな人間である(ナイロン弦はどうも苦手だが)。そしてアコギが周りにたくさんあったりアコギ好きな人間が側にいるだけで、ほぼ間違いなく嬉しくなるのである。それが今回は、Sシリーズを作った方がぼくのすぐ目の前でシグマのサドルを削ったりフレットを打ち直したりバインディングを付け直したり弦高を調整してくれたりしたのである。これらの調整にかかった時間は30分以上になる。このような至福の喜びは、何とも表現しがたいものがある。さらにモーリスのS-106(スプルース&マホガニー)なども試奏させてもらい、これら全て無料というのは何にかはわからないがとても申し訳ない気がする。実際ぼくのシグマは見違えるほど、プレイアビリティが向上して戻ってきた。これまで使っていた愛着のある楽器にこのような調整をしてもらうのは、新品の楽器を持ち帰るよりも嬉しいことかもしれない。ちょっと一生懸命弾きすぎて、何となく指が痛いのはまあ仕方ないだろう。
最近調子の悪いブレイルノートを修理に出す。今後しばらくはブレイルメモが活躍しそう。ピンディスプレイが2台あると、こういう時にとても助かる。

2003/06/13

何となく疲れが貯まって利息が付きそうな1週間だった。来週の北信越フロアバレー大会に向けて最後の練習。レシーブのレベルアップがめざましく、まだまだ練習をしていたいような(できればもっと涼しい時に)気がする。
夜は点字サークルの飲み会。どうもかなり眠いかなーと思いつつ結局2時頃までカラオケ店にいるが、あまり歌わず。

2003/06/09

半年の間愛用していた白杖が「わしゃ、もう耐えられんばい!」と一声叫んでバラバラに砕け散った。なかなか壮絶な最後である。とりあえず同僚MTの所有する射程距離の長い白杖(これで周りにいる○○○を捕捉するらしい)を借りて郵便局へ行ったりするが、何も捕まえられなかった。

2003/06/07

昼寝中に恐ろしく値の張る高級羊羹を食べる悪夢を見てしまい、何となく脱力したままバイオリンの練習へ。ついにザイツの協奏曲二番3楽章から五番1楽章へ入る。出かける時には雷が鳴っていたが、帰りには雨も上がり、買い物をして帰ってきた。決して羊羹を買ったわけではない。

2003/06/06

開校記念体育祭。年に一度行われるこの運動会は職員の方が暑くなってしまうという真実を含む高齢行事である。ぼくが参加したのは、鉄線走・綱引き・借り物競走・円周リレーなど。晴天の中、朝日町小学校の子どもたちや信大の学生・保護者等も加わり、小規模ながら楽しく進行した。ぼくが所属した紅チームはポイントが伸び悩み終始最下位を独走したが、不屈腐敗の魂が感じられた。個人的には財布が軽いため夜の慰労会には参加せず。

2003/06/04

外耳道炎のせいか、朝からどうも調子が良くない。ぼくの場合炎症がひどくなると、外耳道が完全に閉塞されて聴力が1/10くらいまで落ち込むことがあり、そんな時の歩行はすりルと恐怖にあふれている。フロアバレーでも体長を崩す生徒がいたり、気を付けなければ。
久しぶりに撚鍼法(鍼を刺す技術の一つ)の練習をする。もちろん生徒の体で。

2003/05/30

中間テストも終わり、生徒のフロアバレーの練習も再開された。新入生のNMも、力のあるアタックが決まるようになってきた。新潟で行われる大会まで後19日。今回はぼくも応援に行くことになりそう。
夕飯前の暇つぶしに瀬名秀明『あしたのロボット』を読んでいたら、ついつい最後まで読んでしまい、結局食べそびれてしまった。まあ、いつものことか。

2003/05/29

朝から牛乳をがぶ飲み。気になるなら食べるな(苦笑)。
暑くなりトンビもヒョロローンと泣いているので、扇風機を出してくる。飲み会の後の暑さに耐えかねて、衝動的に扇風機を出してしまうというのが例年のアターンなのだが、今回はかなり冷静である。

2003/05/28

職員の部対抗フロアバレーボール(研修)。ぼくは本来所属している理療教育部ではなく支援教育部チームに入って試合をし、骨肉の争いの結果我がチームが優勝した。たまにはこういう研修もおもしろい。
今日は月に一度くることになったホームヘルプサービスの日である。これを機会に先送りにしていた冬服の撤収を断固として誓い、30分でこの難事を成し遂げた。やはりこういうバタバタイベントは助けがあるととてもはかどるのである。ただ、ぼくの鼻粘膜は敏感に反応し、夜もクシャミが止まらず。
ニンニク料理を食べ、消臭にコーヒー3杯と1リットルの牛乳を一気飲みしてみたが、効果があるかは不明。

2003/05/26

今週から中間テストに入り生徒たちは慌ただしく勉強に励んでいる。ぼくが学生だった頃のテスト勉強は、とりあえずちょっと早めに始めておいて、テスト1週間前には終了しているというスタイルだった。テスト期間中はほとんど寝て過ごしていたため、周りからは結構不思議がられていたが、テスト期間のストレスに曝されると、勉強しようとしてもろくに頭に入らない気弱人間なのである。

2003/05/25

部活動のフロアバレーで長野盲学校との練習試合。午前中1:1で引き分け、午後0:2で長野盲という結果部員5人がそろって試合をするのは今回が初めてであり、個人的には十分な健闘・楽しい試合になったと思う。TK、FAも慣れない前衛で頑張っていた。やや何となく悔しがっているのは職員だけだったりして。

2003/05/24

午前中、床屋に行ったり島村でギターアンプを見たり。午後、バイオリンの練習で再びザイツの協奏曲。暑くなってきたので、そろそろ本格的に夏服を出してしまいたいところ。

2003/05/20

体温6度9部でようやくB肝ワクチンの接種ができた。しかしぼくの体は過去のワクチン接種の経過からみて、4度くらいは注射しなければ抗体が付いてくれないのである。
今週は読書週間である。小学生の頃に読んで妙に印象に残っている「いればをしたロバの話」という作品がたまたまナイーブネットに登録されていたので、おもわずダウンロードして読んでしまった。今読んでもやはり良い作品だと思う。ぼくが小学生時代を過ごした愛知の岡崎盲学校は、今考えても児童用の点字図書がとても充実していた。「ゴセシケ初め児童SFシリーズ」「ズッコケ3人組シリーズ」「寺村輝夫の王さまシリーズ」「怪人20面相シリーズ」「長靴下のピッピ」「小松左京ショートショート」等、子どもの頃の読書体験は確実に今の好みに影響している。
卒業生のITさん、ホームページ見てくれてありがとう。

2003/05/18

11月に静岡で行われる『全国障害者スポーツ大会』に参加するための記録会が一泊二日で行われた。計ったのは、「立幅跳び(本命)」「立三段跳び(初体験)」「砲丸投げ(高校体育の授業以来)」である。特に「立三段」はぼくが考えていたものとは飛び方が違っていて、初めから丁寧に指導してもらった。
この合宿で、以前松本盲で一緒に働いていたすてきな女性TCと再開。2歳になった彼女の子どもも、母の応援にきていたが、二日目は体長不良で欠席してしまった。
長野盲学校の卒業生木我将規君には初対面にも関わらず、二日間介助等でとてもお世話になった。帰りの交通までつきあってくれて、とても感謝である。
何となく耳の閉塞感があったり(耳内の発疹が耳道を閉塞して聞こえがとても悪い)、ヘルペスの出そうな予兆があったり(帽子を忘れてまた紫外線に曝されてしまった)、体長はかなり落ち込み気味。

2003/05/16

給食便りの「新ジャガ」に体がビクリ・ビクリと反応して、久しぶりにモスのフライドポテトを食べにいった。これも新ジャガかな。ポテトサラダでないところが、ぼくの不良な食生活を司る視床下部なのである。なお、最近の給食にはほぼ各日でミカン(八朔かな)が出場している。

2003/05/12

YH宅に花見酒に呼ばれ、魚・馬・鹿等、いろいろごちそうになった。藤の花がきれいに咲いている。帰宅後、良いでフラフラしていると電話の音。口も手も動かすのが面倒なので聞かない振りをして1度目はやり過ごすものの、立て続けにかかってくる電話に仕方なく出ると、おむつ大好きの姪の声。鹿はかわいい動物なので食べてはいけないと言われてしまったが、もう遅いのである。

2003/05/10

突然思い立って押入から以前購入したプレクストークを出してきて、エレアコやサイレバ(サイレントバイオリン)と繋げて遊んでみた。この機器では簡単にmp3ファイルが作成できるので試しに公開してみる気になった。ほぼ1時間くらいで17曲も録音してしまったが、著作権の関係で3曲だけ試しにアップしてみる。録音したデータはこちら。HTMLを作る方が時間がかかったみたい。

2003/05/09

ガイドヘルパーの事業所の一つと契約。月25時間の利用はやっぱり無理があったかも。
先日行った社会見学旅行の様子を盲学校のページにアップ。山下公園にてみんなで取った写真にはぼくも写っている。

2003/05/08

雨が降り、だが午後にはやみ、草取りをすることに。スリッパをはいたまま出てきてしまい、泥を洗い落とすのに一苦労。部活動のフロアバレーには野球部の男たちが応援にきてくれ、なかなか白熱した試合となった。

2003/05/06

B型肝炎のワクチンを注射する予定だったが、直前の体温計測で7度5部あることが判明し、とりあえず延期。体長はそれほど悪くないのに何度計っても7度以上になってしまい、精神的な発熱も予想される。社会人のフロアバレーも激しく頑張るが、特に体長も悪くならずとても元気である。

2003/05/04

一人住まいとして目下の懸案事項だった炬燵を片づける。勢いで夏服を出し始めるが、埃でクシャミが止まらなくなり、とりあえず挫折。近くの神社で祭りが行われているらしく、朝からボンボン花火らしき音が響いているので満足に昼寝もできない。もちろん不満足には昼寝する。

2003/05/03

急に寿司が食べたくなり、回転寿司に備え朝から準備。と言っても単に腹を空かせておくだけなのだが。Y電気の隣のスシオンドで30皿ほど食べてかなり満足するが、夜に卒業生KYが訪ねてきて、飲んだ勢いでガストで二度目の夕食。食べ過ぎと断定。

2003/05/02

社会見学旅行の会計処理も終わり明日からは連休の後半。何となく嬉しくて早足で歩いていると、運悪く目の前に出ていた木の細枝がブスリと鼻の穴に入る。考えてみるとかなり怖いことである。おかげで夜まで鼻がムズムズしていた。

2003/04/27

何となく寝不足で頭痛有り。午前中、松竹師会の理事会。今期の行事予定や来期の役員改選などについて話し合いが行われた。
午後、アコースティックマガジン16が届き、付属CDを聞いたりして、グダラブンブと過ごす。AKIさんの「Trust」やサイモンとガーファンクルの有名曲「ボクサー」のギターインストがかっこいい。

2003/04/26

理療科の歓送迎会。今年度から同僚になったS師が最終電車を放棄して泊まっていった。

2003/04/25

23日から出かけていた社会見学旅行からようやく帰ってきた。今回は旅行隊のまとめ役兼全体会計をやることになっていたので、どうにも気の抜けない三日間だった。内容はだいたいこんな感じ。

1日目:松本→新宿→目白→上野→石川町→横浜中華街

目白駅内にあるピエ・コンフォールという店でリフレクソロジーの体験をした。下見では30分2000円でやってもらっていたが、当日行ってみると同じコースが3000円になっていた。おかしいと思ってよく聞いてみると、下見の時はキャンペーン期間だったということらしい。いきなりのトラブルである。
アメ横では60パーセントOFFの革ジャンを買う生徒1名。実はぼくもここでリュックサックを買うことになってしまった。バッグのチャックが壊れていて、行きの列車から周りにいろいろ言われていた上に雨が降ってきてしまい、どうにも新しい鞄を買わざるをえない状況になったのである。「社納さん登山にでも行くの?」と呆れられる。

二日目:石川町→大船→江の島→藤沢→熱海< 山下公園を散策したり、江の島で杉山検校(江戸時代の鍼師)の墓を見に行ったり。何とか雨も降らず、歩いて気持ちの良い日だった。生徒の一人にもらった花粉症の薬も劇的な効果を上げていた。

3日目:熱海→東京→新宿→松本

移動と土産買いが中心の日。新宿の近くにある「医道の日本」に行き、参考書や鍼灸関係の用具を買う生徒・職員もいた。夕方6時頃、無事に松本に帰り着いた。

2003/04/21

夕方ホームヘルプサービスの説明に、関係者が家にくることになっていた。客は一人だと思っていたので、洗濯物も取り込まずトイレの掃除もせずにいたら、市役所の人含む3名の女性がぼくの帰りを待っていた。内心結構焦りつつも、幸い部屋はかたづいていたので、とりあえず上がってもらって話を聞いた。これまで一度も利用したことのないサービスなので、うまく活用できるかどうか。

2003/04/20

ジメジメしている。松本市中央体育館でフロアバレーの練習。

2003/04/19

バイオリンの練習へ。最近ギターばかり弾いているので、未だザイツの協奏曲二番3楽章から抜け出せずにいる。長いつきあいじゃのー。雨が降りそうだったので傘をもっていくが、結局使わずにすんだのが幸い。

2003/04/18

花々を見ながら野外での給食。美味しく食べた後の授業は何となく眠くて良い感じ。
アパートの前では、何だかよくわからない工事をしていて、外に出にくいことになっている。仕方なく外での夕食を諦め、S-120を出そうとした時、ハードケースの角がボディにぶつかって、小さな傷ができてしまった。この楽器も過酷な運命を辿ることになりそうである。

2003/04/17

学生フロアバレーが始まる。今年度もめでたく担当になることができた。昨年度まで前衛でぼくを怯えさせたHC,HKの二人が卒業してしまい部員も減ってしまったが、もちろん今年も張り切っている。
バイオリン占いという、変わったものを発見。

2003/04/15

ポツポツと雨が降り、避難訓練も中止になった。なかなか花粉症状から抜け出せず、鼻も耳も絶不調。

2003/04/13

午前中、松本市鍼灸マッサージ師会の総会。午後、松本視覚障害者協会の総会と懇親会。アルコールの抜けない日が続いている。

2003/04/10

授業が本格的に始まった。理療科9名の新入生の名前も声も、まだほとんど覚えていない。社会見学旅行の切符を準備。
昨日母親が来宅して、周りでゴソゴソ動いている。三つ上の兄が京都ライトハウスに入所したとの報告。おむつを自慢する3歳姪が電話でろれつの回っていない英語の歌を聞かせてくれるが、何の歌なのか?

2003/04/07

盲学校の入学式。17名の新しい生徒を迎えた。花粉症で鼻水とクシャミが止まらず。校長の話「嫌いな友達がいたら、まずその相手に近づいて良いところを見つける。もし良いところが見つからなかったら、その相手を反面教師とする」とてもおもしろい。
支援費制度が始まり、受給証が届いた。ぼくは月に25時間までのガイドヘルプサービス、1時間のホームヘルプサービスを受けられることになっている。自己負担は30分300円。

2003/04/05

以前中国へ研修に行った際に現地でお世話になった方が松本にきていて、歓迎の飲み会が行われた。周りの話を聞きながらウトウトとパイチュー(中国で毎日飲んでいた酒)を飲んでいるうちに、かなり目が回ってきた。恐ろしい酒である。帰ってからもまったく動けず。

2003/04/02

今年度から情報視聴覚係の責任者をすることになった。学校のホームページも真面目に更新していこうとおもう。
新任職員の歓迎会。今年度は、以前同じクラスで教員免許を取得したS士が山梨から赴任してきた。「松本盲の理療科もすごいメンバーになってくねー」と知り合いたちから噂されているとか。

2003/03/31

松本盲学校に就職して4回目の職員室座席移動。今回は初任の時に座っていた場所に戻ってきた。目立ちにくいぼくにピッタリの場所である。
左鼻に単純ヘルペスの水疱ができはじめた。先週末の下見で長時間紫外線にさらされたせいだろう。自分の体質を忘れて日焼け止めをもっていかなかったことに、いつもながら反省する。

2003/03/29

一昨日から三日間、社会見学旅行の下見に行ってきた。東京でリフレクソロジーを受けたり横浜で杉山検校の墓を見学したり熱海でウロウロしたり。今回は花粉症が爆発的にひどく鼻水タラタラのとても情けない旅行であった。電車やバスの中では周りに同じ苦しみを分かち合う人々が結構多くいて、同病相憐むという心境だった。江ノ島電鉄の社内では床の上を鳩が歩いていて、ほのぼのとしていて良い感じだった。旅行の本番は4月末の予定。ああ、疲れた。

2003/03/26

4月から始まる支援費精度についての説明会。これまではガイドヘルパー・ホームヘルパーなどほとんど利用したことがなかったが、今後は積極的に活用していこうと思っている。
夜は職員の留別会。司会をすることになり、終始緊張していた。

2003/03/24

今日から2週間は残務整理と新年度への準備期間である。来年度の公務が気になるところ。社会見学旅行の下見にでかける準備を始める。

2003/03/23

名古屋市の総合体育館にて、フロアバレーの全国大会「エンジェルカップ」が行われた。ぼくの参加したチームは3試合行い、初戦はぎりぎりの点差で勝ち、2戦目は惨敗、3戦目はぎりぎりの点差で負け、という結果だった。久しぶりに筋肉痛がしばらく残るかもしれない。たまたま中学時代の体育教師がきていて、久しぶりに話しをすることができた。

2003/03/20

卒業式と離任式。学校の教員をしていると卒業式の感慨にも慣れてしまいそうな感じだが、卒業生の答辞もすばらしく良い式だった。
ぼくは12年前、岡崎盲学校の中学部を卒業して付属盲学校に入学した。今回卒業した中学生、HKとHCも二人は同じ付属盲学校に進学していく。中学の時の卒業式を思い出しながら、あまり覚えていないものの、何となく同じ穴のムジナ的感慨もあったりする。
夜は生徒が主催してくれた謝恩会で美味しく酒を飲んだ。昼に弁当を三つも食べたせいかどうか、料理が少し残ってしまった。
イラクへの空爆のニュース速報が次々に入ってくる中、平和な1日を過ごしている。

2003/03/19

人事異動が発表された。ぼくと同じ時期にこの学校にきた先生も何人か転任していく。
ギター関連の書籍やDVDが届く。岡崎倫典さん「フィンガースタイルで弾くソロ・ギター名曲集 青春のメロディ20」並木健司さん「ソロ・ギター・ベスト・ヒット'80s」岸部眞明さん「オープン・チューニング&フィンガー・ピッキング」

2003/03/18

久々に学校のページが更新される。高等部の送別会があったり来年度の科目分担が発表になったりと、気分はまさに年度末である。夜、湯船の中で送別会でもらってきた「コアラのマーチ」を食べる。手を洗う手間が省けて便利なのである。

2003/03/16

少しずつ暖かくなっているせいか、フロアバレーでは久しぶりにかなり汗をかいた。来週日曜に名古屋で開催される「エンジェルカップ」に向けて最後の練習である。激辛ラーメンを食べてヒーハー。

2003/03/15

午前中、時計を修理に出したり石鹸とか鯛焼きを買ったり。
午後、視覚障害者の授産施設「ふれっ手」建設街頭募金の呼びかけに参加。天気が悪いせいか、駅前にしては人通りがあまりないような感触。ひたすら声を出していると結構疲れてくる。間違えてフラッシュと言ってみたり。
その後バイオリンの練習へ。久々のザイツのバイオリン協奏曲は中盤の速いフレーズがまるで弾けず。第3ポジションへの移動を始める。

2003/03/12

帰りに寄ったカレー屋でたまたま学校の生徒KTとHYに遭遇。そのまま逆家庭訪問となった。久しく家に客を呼ぶことのなかったぼくは、初めてトイレの電気がつかなくなっていることを知った。ついでに風呂の電気も切れているらしい。まあ電気というのも特に無くてもよいようなものではあるので、早めに交換しようと思う。

2003/03/10

入学試験の合格発表。来年度の1年生は大人数になりそうである。
歩道の山状に積んであった雪につまずいて、商売道具の指を負傷。気を付けて歩きましょう。

2003/03/09

一昨日から積もっていた雪がようやく溶け始めた。今日は『松竹師会』の理事会と慰労会。年度末で慌ただしく時間が過ぎていく。

2003/03/05

現場実習二日目。生徒と伊那市駅で待ち合わせしていたが、乗る電車を間違えてしまい、あやうく見当違いの所へ行きそうになった。同僚の職員が途中で気づいたので何とか修正できたが、我ながら方向感覚の無さに頭が冷える。

2003/03/04

朝からとても寒く冷たい風が吹いている。今日と明日は生徒の現場実習の引率として伊那市の治療院へいく。現場実習というのは、卒業生など実際にマッサージや鍼などで改行している方のところにおじゃまして、いろいろ勉強させてもらおうという企画である。
バイオリンとギターのページの内容を追加。久々の更新である。

2003/03/03

耳の日であり松本盲学校入学試験の日。理療科にも何人かの受験生がきた。小論文の試験監督と面接の係を何とかやり終える。

2003/03/02

バイオリンの発表会無事終了。何だか必要以上に緊張して、自分としては45点くらいのできばえ。40人ものバイオリン演奏を半日聞き続け、楽しい時間ではあったがさすがに疲れた。詳しい様子はバイオリンのページに書く予定。
モーリスのS-120をようやく取りにいってきた。とりあえず今日はこれだけで幸せ。自分で弾いてみて、右手指が余裕をもって動かせることを実感。これも詳しいことはギターのページに書く予定。こういうすてきな日は、何はさておきガストへいくしかないのである。

2003/03/01

島村楽器に注文しておいたS-120を取りにいく予定だったが、あいにく朝から雨で外出は見合わせることにした。こんな日はとても暇で困る。DVDを見たりバイオリンの練習をしたり本を読んだり。
masaki μさんのギタープレイのサンプルを聞いているが、どんな奏法なのかとても気になる。アルバムを買ってみようかな。
京極夏彦の「続 巷説百物語」を読んで、結末のまとめ方にちょっと感動。他に「敵国日本 太平洋戦争時,アメリカは日本をどう見たか?」や「ソニーと松下、21世紀を生きるのはどちらだ」など無差別乱読。

2003/02/26

学年末テスト終了。職場のパソコンがリース更新で新しいものに切り替わった。職員室でも無線LANが使えるようになり、便利な環境になりそうで嬉しい。
家に戻って最近ようやく手に入れた北斗の拳DVDを見ているうちに深夜になってしまった。25枚組はなかなかの見応え。

2003/02/24

昨年9月に長野県の障害者スポーツ大会に参加したが、来年度は全国障害者スポーツ大会に出場できることになった。どういう基準で選ばれるのかとても不思議である。今さら!という感じもしたり大会に向けての練習とかにもあまりやる気がないが、とりあえず参加の意を表明してみた。すてきな出会いに期待しつつ。因みにこの大会には17歳の時に一度参加している。

2003/02/23

ようやく国家試験終了。と言ってもぼくは留守番なので、家で問題の検討をしていただけである。メーリングリストやWEBなど、教員間でのIT活用が進んだおかげで、問題の入手や回答の見当など素早くできるようになって嬉しい。

2003/02/21

明日から二日間、按摩鍼灸の国家試験。ぼくは受験学年の担任ではないので、松本でお留守番。

2003/02/20

何だか眠い毎日。小学生たちが学校にきて点字の勉強をしていった。ぼくが使っている点字ディスプレイ『ブレイルノート』も珍しがっていた。どうだどうだ!

2003/02/18

注文していたモーリスS-120が近々入荷するとの連絡があった。発注してまだ2ヶ月もたっていないのに妙に早いと思ったら、別の店からの発注がキャンセルになって、ぼくに順番が回ってきたということらしい。受注生産でキャンセルなんてありなのか?どちらにしても何ヶ月も待たずにすんで良かったか。

2003/02/16

バイオリン発表会に向けてピアノとの音会わせ。ぼく自身はなかなか思うように弓が動かずヘナヘナの演奏だったが、上手なバイオリン演奏も沢山聴くことができた。それにしても昼夜が逆転して昼間はとても眠くて眠い。

2003/02/15

午前中、年度末に発行予定の職員文集「松かさ」の原稿を書き始める。何を書くかちょっと迷ったが、当初の予定通りこの日記をネタとして使うことにした。できた原稿は自分で読んでも幼稚で意味不明な駄文である。
午後、バイオリンの練習へ。発表会で演奏予定のガボットを弾いたが、少しテンポが変わるだけで、とたんに弓がおぼつかなくなる。これはちょっと見落としていた。
練習に行く途中で、昨年松盲高等部を卒業したYJに会った。独特な雰囲気の物静かな女性で懐かしい。

2003/02/14

バイオリン関係の知り合いとラーメンを食べに行ったり点字サークルの飲み会に出たり。2次会にミスドのお粥セットを食べにいくことを主張したが却下され、結局持ち帰りで買ったドーナツをカラオケ屋にもっていって食べることにした。何だか悪酔い。
今日はチョコレートの日だと聞いているが、ぼくは二日も前に義理チョコらしきものをもらっている。これは義理のレベルとしてはどういう位置づけになるのだろう。
今週は担当しているクラスの生徒が風邪で学校を休んでいて、あまりやることがなかった。来週末はいよいよ按摩・鍼灸の国家試験である。

2003/02/12

職員研修でバリアフリーについて取り上げられた。昨年はやはりこの手の話題で講演会の講師を引き受け、バリアフリー・ユニバーサルデザインなどには関心はあるのだが、どうもこの話題は苦手でもある。理想と現実・本音と建て前にどのような折り合いを付けるかも難しいが、気配りとか障害に対する甘えということが頭をよぎると大変混乱する。

2003/02/09

結局PHSは見つからず、Y電気でパナソのKX-HF300を\100で購入。帰りに安い回転寿司を発見。家からは少し遠いものの、なかなかぼく好みの店である。
学校は火曜まで連休。テレサポートの実験をしたり楽器店でギターを弾いたりバイオリンの練習をしたり本を読んだり電話で受験生の質問に答えたり、何となく暇な休みではある。因みに今一生懸命読んでいるのは、京極夏彦 の京極堂シリーズ。
スキーの障害者世界大会に参加している松本盲学校中学部のHCから無事完走したとのメールが届いた。こういう生徒を見ていて、自分が中学生の頃何をしていたのか思い返すと頭が下がる。

2003/02/05

学校で毎日職員に配られる日報に『朝は読書がトレンディ』などと書いてあった。教育とトレンディは何となくなじまない気もするが、とりあえずおもしろい。朝からドンヨリ内向的精神世界の小説を読んで一日中落ち込むのも結構すてきかもしれない。

2003/02/04

五日ほど前から愛用のPHSがいなくなっている。粗雑に扱ったのでふてて逃亡したか。

2003/02/01

年が明けたと思っていたらもう1ヶ月も過ぎてしまった。朝寝ていたら受験生の一人から電話で起こされオンラインの補修までしてしまう。ラストスパートでこけないように祈りつつ。
午後、バイオリンの練習へ。『若者たち』のセカンドパートを練習。
夜、マクドナルドにて店員に「どのお席が良いでしょうか?」と聞かれ「とりあえず日向が良いです」と言ったら、ヒーターのすぐ側に案内された。冗談がわかったのか混乱したのか、ぼくもよくわからない。

2003/01/28

アパートの水道復活。つまみを撫でたり捻ったりして喝采。

2003/01/27

風呂が使えないからというわけでもないが、体験入社で一日だけ寄宿舎に泊めてもらった。久しぶりに夜と朝にご飯を食べ、ポテトチップスやアイスクリームなど、激しく間食までしてしまった。
夜はお約束のお茶会で遅くまで口を動かし(食べるという意味ではない)なかなか寝かせてもらえず、朝は慢性躁状態の小学生NMに身を挺してのモーニングコールで起こされ楽しい一夜だった。毎日はもたないけど。

2003/01/25

午前中、学校に行ってフロアバレーのデモンストレーションに参加する予定だったが、11時頃まで眠ってしまって結局学校に行くのを諦めてしまった。(8時に目が覚めた後でまた寝てしまったのが敗因)特に電話もこなかったので、何とかなったのだろう。
顔を洗おうとして水道のつまみを捻るがお湯がまったく出ない。風呂のお湯も水も出ない。何だか以前にも経験のあるまずい状況である。またしばらく銭湯通いか。
午後、バイオリンの練習へ。バッハのガボットなかなかよくできた。

2003/01/24

情報ネットワーク連絡協議会という妙な名前の会議に1日参加していた。午前中ウトウトしているうちに昼食になり、午後ウトウトしているうちにプリントが沢山配られ、さらに我慢してウトウトしているうちに研修が終わってしまった。幸いなことに長野盲学校のKS氏がきていて、寂しくなくて助かった。帰りの電車では隣に座っていた女性の香水に悩殺されかけて目がさえて困った。

2003/01/23

昨日寝坊したので今日は朝早くから張り切って外に出た。家の前は30センチくらい雪が積もっていてなかなかうまく歩けない。国家試験に向けての模試も午前中だけしかできず、午後は雪掻きと会議。

2003/01/21

信州大学医学部のご協力で解剖見学が行われた。ぼくは松本にきてから4回目の見学になるが、特に今年は標本・ご遺体がとても充実していて、例年にも増して有意義な時間であった。毎年いろいろなご遺体を触っていると、ヒトという同じ種の中にも様々なところで個体差のあることがよくわかっておもしろい。これが個性ということなのだろう。
小川倫生さんのアコースティックギターアルバム「雪夢」が届いていた。日本にもすばらしいギタリストが沢山いるなーと最近特に思うようになった。

2003/01/18

テレサポート用のテレビ携帯電話をもって家の周りをチョロチョロしたり駅前をウロウロしたりした。自販機やミスドの看板に携帯のカメラを向けながら大声で話しをするぼくは、かなり変な人だったろう。何度も道行く人に心配そうな声をかけられてしまった。
夜は卒業生が泊まりにきて、ビール・日本酒・ワインなどをミスドのドーナッツをつまみに飲んだ。なぜか彼が聖闘士星矢のDVDをもってきており、結局朝までアニメを見ている救いようのない暇人なのである。

2003/01/17

高等部職員の新年会。1日検診の事前調査票には、アルコール→「普段はほとんど飲まない」などと書いていたりするが、それはもしかしたら間違っていたかもしれない。主任に好みの女性のタイプは?などと問いつめられて「静かで明るく優しく美しい女性」と言ったら、そういう女性は内の女房以外には滅多にいないと言われた。善哉善哉。1時前には帰宅。

2003/01/16

テレビカメラ付き携帯電話を使った視覚障害者の遠隔サポートシステム『テレサポート』の実証実験をしばらく行うことになった。とりあえず学校にカメラ付きの電話が届いていたのでちょっと触ってみているが、まだ何となくよくわからない。便利そうだがカメラの操作がうまくできるのか。テレサポートについては左のホームページで詳しく説明されている。

2003/01/14

長野市の健康センターにて人間ドック。11時には全ての検査が終わってしまったが、総合判定が終わるころにはやっぱり3時を過ぎていた。特に時間がかかったのは食事指導。コーラを飲み過ぎるなとか、朝食はちゃんと食べた方が良いとか、コーヒーには砂糖を入れすぎないようになど、とても気分の良い栄養士の女性からいろいろとアドバイスをもらってきた。もっと話ていたかったな。今日わかった範囲では聴力低下以外は特に問題は無さそうである。体重は風邪のせいか昨年末から3キロも減っていた。

2003/01/12

フロアバレーの新年会。昨年末には同じチームのメンバー同士がめでたく結婚し、しっかりお祝いをするつもりが、酒を飲んだり温泉に入ったりしているうちに泥酔してしまった。頭が痛いなーも。

2003/01/11

昨晩は点字サークルの新年会で今朝5時までカラオケ屋にいた。アルコールはひかえていたので二日酔にはなっていないが、三次会では眠さを超えてかなり「インザ トリップ」していた。午前中は爆睡。
午後、バイオリンの練習へ。年末からまったくバイオリンに触っていなかったので、ポジション移動もアコードもすっかり忘れてしまっている。とりあえず3月の発表会にはバッハのガボットニ長調を弾くことになったので、その復習を中心に行う。一度完成した曲ですらかなり沈没している。
岸部眞明さんのアコースティックギターアルバム『GROWING UP』『BLOOM』が届いていた。メロディアスな曲が多くとても刺激される。でもしばらくはバイオリンの練習に精を出さねば。

2003/01/08

寒い日の続く松本ではあるが、とても寒い。今日から授業開始でほんとに授業が始まってしまった。ある雑誌に乗っていたあまりに内容のない後味の悪い短編を読んだため、どうも頭の回路も混戦しているようで、とりあえずサークルKのクリームパンを食べるしかないのである。

2003/01/04

さて新しい年になって四日目。豊田の実家では風邪で寝込んだり、風邪が治っても胃が痛んで食欲が(人並くらいしか)出なかったりと、どうも年始めからつまずいている。まあ二日で完治したのは元気な証拠か。
今年の初夢は、昼まで朝寝坊して授業に遅れて周りから白い目で見られる夢。なんか現実的すぎてなさけない。

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