11月6日〜11日まで、静岡県で行われた第3回全国障害者スポーツ大会「わかふじ大会」に参加してきた。この大会は、もう一つの国体と言われるほど規模の大きなもので、3年前に身体・知的障害それぞれの全国大会が統合され、今の形になっている。

今回は、ぼくも長野県選手団として競技を行うこととなったので、この大会について簡単にレポートしてみる。あくまで個人の行動と主観で不謹慎な表現もいろいろあるが、一つの感想として読んでいただければと思う。

11/6

8時に家を出発。長野県のユニフォーム(上下ジャージと帽子)を着たまま電車で長野へ。派手なジャージは、ぼくが聞く限りあまり評判が良くないらしく、見えないぼくでさえ何となく電車に乗るのに気後れを感じてしまう。

10時にホテル「メトロポリタン長野」に集合し、結団式。以前、大会の強化合宿で一緒になった、木我さん、細江さん、伝田(でんだ)さん、滝沢さんたちと再会。伝田さんから、かっこいいジャージの着方(?)について鋭いレクチャーを受ける。60名ほどの選手団の中で、視覚障害はぼくを含めて3人しかいない。少し寂しいような気がするが、視覚以外の障害の方と接する機会は非常に多くなりそうで、きっと良い経験になるだろう。

結団式ではいろいろな人たちが挨拶し、練習の成果を出すことを決断したりしたが、「健康・けがには十分注意してください」と再三強調された。スポーツは最終的には自己責任でやるものだとは思うが、最近協議中に具合が悪くなり突然亡くなるという話をよく聞くので、この点は十分配慮されるべきだと思う。

昼の弁当を食べ、バスで出発。1時に出発し、宿泊予定のホテルに着くのは夜の7時である。暇をもてあましながらバスに乗っていると、途中ぼくの実家にとても近い上郷インターにバスが止まった。ここにはぼくの従兄弟の家があったりして、子どものころは頻繁にきていた場所である。しかし今回は実家に帰る訳にもいかないので、爽健美茶とソフトクリームを買うだけで見逃してもらうことにする。

バスで隣に座った細江さんと話をしていて、彼が去年松本盲学校を卒業した生徒の親戚だということが判明。世の中と言うか長野は狭いのである。

長野県選手団はいくつかのホテルに分かれて宿泊したが、ぼくが泊まることになったのは浜名湖ロイヤルホテル。到着するとさっそく、今回長野県選手団のサポートをしてくれる「わかふじアミィ」の学生たちが出迎えてくれた。一通り挨拶などして、さっそく夕飯。このホテルの夕食メニューには、ほぼ毎日一環したポリシーがあるようで、ご飯・みそ汁・メインディッシュ・小皿料理・サラダ・フルーツなのであるが、このメインディッシュが、スパゲティ・焼きそば・シチュー・酢豚・ハンバーグというように、なかなか意表をついてくるのである。味自体は大変ぼく好みで良かったが、何となくおもしろい。

土産を見た後、30分ほどミーティング。この時点でかなり疲れていたのだが、ついつい自販機でカップ酒を2本買い、部屋で飲み始める。この酒は「出世酒」というなかなか縁起の良い名前で、大変美味しかった。因みに泊まるのは4人部屋で、同室者は陸上コーチの北澤さん、弱視でぼくの介助を非常に丁寧にやってくれた木我さん、上肢に障害のある細江さんで、その中で酒を飲むのはぼくと細江さんである。カップ酒も無くなりウーロン茶を飲んでいるうちに、ついついウトウトしてしまい、気が付いたら椅子に座ったまま寝ていた。時間は1時、当然周囲にはだれもいなくなっていて、慌てて布団に入る。よっぽど疲れていたようで、後で聞いたところによると、何度か声をかけても起きなかったらしい。

11/7

6時起床。朝食を食べ、練習のためにバスで会場まで移動。毎日通うことになる会場であるが、バスで1時間以上かかるところにあり、往復することを考えるとなかなか大変である。

練習は、各県に少しずつ時間を割り振り行われたが、それでも非常に多くの人たちがグラウンドを使っているため、走ったり飛んだりできるコースを探すのも大変な状態である。アップの後、砂場で立幅と立三段を3回ほど飛び、終わりにする。記録は立幅223p、立三段532p、概ねこれまでの練習と変わらない。

弁当を食べた後、バスでホテルへ戻る。3時にはホテルに到着し、大浴場に行ったり土産を買ったり部屋でゴロゴロしたりと、後で思えばこの日が一番のんびり過ごせた気がする。

9時を過ぎ、細江さんに誘われ向かいの部屋へ。この部屋では、年輩の選手たちがビールや焼酎を飲んでいた。明日が競技という人もいるだろうに、大丈夫かなー(自分のことは棚上げ)と思いつつ、選手たちの話を聞きつつ焼酎を飲む。つまみもどんどん出てきて大変豪勢な宴である。通常、障害者と言われる人たちも、自分の障害、ぼくの場合は視覚障害に関連した人や制度しか知らない場合が多く、上下肢の障害や脊損の方の壮絶な体験談などは、不謹慎だがとてもおもしろく興味深い話だった。こういう機会が作れるのも、この大会の良いところではないだろうか。ぼくは10年前にも、徳島で行われた全国身体障害者スポーツ大会に参加したが、この時は視覚障害者が沢山いたため、このような他の障害区分の人たちと関わることはほとんどなかった。結局12時過ぎまで話しをして、部屋へ帰り熟睡。

11/8 大会初日

4時30分起床。朝からシャワーを浴びる。周りではゴーゴーという迫力のあるいびきが鳴っているが、ぼくもきっとその仲間なのである。5時30分から朝食を食べ、6時30分にホテル初。大会中は全てこの日程で、睡眠不足が心配される。

9時から入場行進が始まった。以前全国大会に出た時にも入場行進をしたが、この行進は、月並みではあるが、結構感動する。特に今回はワールドカップでも使われたエコパスタジアムがメイン会場で、5万人収容できるこの会場に半分以上の観客が入り、拍手と声援を送ってくれるのである。このような大きな会場の中を歩いたり競技することは、おそらくもう無いだろうと思う。

10時から開会式が始まる。皇太子、静岡県知事の話、歓迎の挨拶、選手宣誓、炬火への点火が行われた。この炬火の点火は、高校時代の同級生で同じ水泳部員(レベルはかなり違うが)でもあった河合純一が行っていた。今回は静岡の選手として、水泳に出るようで、後で連絡しようかなーと思いつつ、結局忙しさの中で忘却してしまった。

ぼくの1日目の競技は立幅跳び。2時頃からアップを始めるため、開会式終了後一足早く昼の弁当を食べる。ところが、ぼくが弁当を食べ終わった直後に、弁当が回収されてしまった。どうやら弁当の中にあったほうれん草に異臭があったのが、回収の原因らしい。ちょっと柔らかすぎるなーと思って食べていたが、すっかり食べ終わってしまったぼくは、もう後戻りできないのである。

さて、2時になり、アップ開始。1時間ほど念入りに走ったりストレッチをしたりする。北澤コーチも、疲れた疲れたとブツブツ言いつつ、一生懸命アップにつきあってくれた。しかし、残念ながら本番の記録はそれほど良くなく、215pと練習以上に飛べなかった。同じ障害区分で、盲導犬を連れた人とメダルを争い、一応ぼくが優勝ということになったが、本番では、もう少し緊張した方が良いかもしれない。

例によってバスで1時間以上かけてホテルへ戻り、夕食や風呂を終えると、すでに9時過ぎになっている。

昨日と同じように肢体障害の人たちと飲み始める。明日はぼくの競技はないので、話を聞きながらゆっくり飲めるのである。酔いかけたところでぼくの仕事の話になり、「実はマッサージの先生だった」という意外な展開というか落ちに周りはビックリ。さっそくリクエストにお応えして一人の肩をマッサージしたところ、これが大変好評で、気を良くしたぼくはその後6人ほどの首・肩をマッサージしてしまった。もちろん無料である。結局12時を過ぎたところで部屋に帰り熟睡。

11/9 大会2日目

5時起床。前日と同じ日程で会場へ向かう。今日は1日競技が行われるが、ぼくの出番はまったくなく、専らいろいろなところへ応援にいく。

今回の「わかふじ大会」のマスコット人形、フジッピー(富士山に顔が付いたようなものらしい)の着ぐるみを付けた人(笑)が会場を歩いていて、一応握手をしてくる。さすがに、ディズニーランドのフルート君みたいに突然抱きついてきたりすることもなくありがたかった。

弁当を食べ応援席でウトウトしていると、突然「しゃのう!しゃのう!」と呼ぶ声。どこぞの怪しいおじさんがぼくの肩を叩いてくる。当然まったくだれかわからず困っていると、「榊原だ」と名乗るおじさん。実はこの人はぼくが中学生だった頃の体育の先生で、たまたま愛知選手団の役員としてこの大会にきていたらしい。どっかで見たような顔のぼくに声をかけてくれたみたいだが、よく人から老け顔と言われるぼくとしては、ちょっと複雑な気分である。久しぶりにぼくが中学時代を過ごした岡崎盲学校の話などして、とても楽しかった。

雨が降りそうな天候がしばらく続いたが、結局今日は何とか曇り空の中、無事競技が終了した。長野も着実にメダルを増やしているようである。

自分の競技はなかったものの今日も結構疲れた。耳の悪いぼくは、普段補聴器を付けたり、耳が疲れると補聴器を外したりしているが、今回の大会中はほとんど補聴器を入れっぱなしにしているため、とても疲労する。

「疲れたー、もう嫌だっ、もうぜったいきたくないっ」と激しく布団に倒れ込む北澤コーチの声を後ろに聞きつつ、伝田さん、細江さん、宮尾さんと、飲みに出かける。とりあえずウナギが食べたいなーと言うことで、タクシーの運転手に任せて美味しいと評判のウナギ屋に連れて行ってもらうが、この辺りは9時を過ぎると結構店じまいしてしまうところが多いらしく、あまり開いている店がない。非常に良い感じのホテルなのだが、周りに繁華街のないのが寂しいところである。車中では伝田さんは早くも気分良さそうに運転手をあおったり意味不明な造語を呟いたりしている。パラリンピック選手は非常に陽気なのである。スナックはどう?パブもあるよ?と高そうな店を進めてくれる運転手の誘いには乗らず、カッパ寿司やスカイラークもグイグイと通り過ぎ結局居酒屋チェーン店の「つぼ八」に落ち着く。日本酒を飲みつつ、大会最終日に向けて気分を盛り上げる。明日競技があるのはぼくだけなのだが、それはそれとして、とりあえず1時頃ホテルへ戻り熟睡。

11/10 大会最終日

5時起床。いいかげん早起きにも慣れてきたがやや睡眠不足である。

いつもと同じ日程で会場に向かう。しかし、外はあいにくの雨で、会場に着くころには、かなり本降りになってきていた。

今日の競技は立三段。9月の練習中にサッカーのゴールポストに突撃してけがをした因縁の競技である。とにかく雨が強くなり、テントも使えずアップも室内で行うことになった。とりあえずコーチの北澤さんにも見捨てられることなく、アップを念入りに行う。今日は非常に寒いため、アップ後も体を動かしていないと、すぐに冷えてしまう状態である。

本番前の練習では、踏切台から足が出てしまい、ファールとなってしまった。呆れる北澤コーチ。「ぜったいにファールだけはやめてよ、たのむから!」と念を押されたぼくは、本番1本目はそのことばかりを考え、何と着地で尻餅をついてしまった。今日長野選手団の中で競技をしている人は少ないため、スタンドでは結構沢山の人が応援している。さすがに、かなり恥ずかしい思いをした。2本目・3本目と少しずつ記録を伸ばしたものの、結局1位とは差が縮まらず銀メダルということになった。因みに同じ障害区分でこの競技に出ているのは、二人だけで、つまりぼくは最下位ということにもなる。だんだんと天気が回復し、思ったより体の暖かい状態で競技ができたのはたいへん良かったが、やはりもうちょっとレベルアップして競技に臨むべきである。立三段でメダルを争った千葉の選手は、非常に愛想の良い感じで、握手をして一緒に写真を撮ったりした。

全国障害者スポーツ大会には毎年多くのボランティアがサポーターとして関わっている。その中でも今回「わかふじアミィ」という学生のボランティアの男女数名が長野選手団の介助・サポーターとして、行動を共にしてくれている。どうもぼくのこれまでの行動上、今回はアミィ(の女性)と話をしたり介助してもらう機会はないだろうなーと、悲しく思って泣いていたのだが、伝田さんがそんなぼくの苦境(?)を見かねて、アミィ(の女性)にぼくの介助を依頼してくれた。自分の写真を探したいという、なかなかに怪しい口実(事実でもある)で、おかげで30分ほどではあったが、すてきな感じの女性と一緒に写真を見たり土産や飲食コーナーを回ったりして、大変楽しかった。

さて、昼の弁当を食べた後、閉会式を行うエコパアリーナへ移動。長い閉会式が始まった。それぞれが色の異なるペンライトをわたされ、フジッピーからのメッセージのところで一斉にそのライトを点灯させると、それが「ありがとう」の文字になり、周りは大変感動していた。「障害者も健常者も共に未来へ向かって歩いて行きましょう」と呼びかけた盲学校の生徒の言葉は、なかなかすてきだった。最後に静岡出身のボーカリストによるコンサートで「ふるさと」を合唱し、3日間の大会が終了した。

雨も少し降ったが、結局全ての競技が無事終了した。長野県選手団の獲得したメダルは40ということだそうである。

夜は、長野県選手団の打ち上げ。「最後の夜はアルコールも出るけど、期待しないでね」と言われていたので、せいぜいカンビールとかコップに2・3杯くらいのものだろうと、予め二次会の相談をしたりしていたのだが、以外にも沢山の酒が出てみんな最初の会でかなり酔ってしまった様子。打ち上げの中で、選手一人一人の感想発表というのが行われ、みんな真面目に結果発表をする中で「毎日美味しいお酒が飲めて感謝しています」と、場違かつ不謹慎な発言をしてしまい、周りからは大変呆れられる。すっかり酔ってしまったようである。

今日はこれで寝ようと思っていたのだが、結局二次会の誘いに積極的に乗ってしまい、昨日と同じつぼ八へ行くことになった。メンバーも昨日と同じであるが、アミィの男女二人も一緒にきてくれた。やや冷静さを取り戻した伝田さんの配慮で唯一の女性の横に座ることになったぼくは、久しぶりに気分の高揚を味わい、単なる躁状態を超越した。1時過ぎにホテルへ戻り爆睡。後で聞いたところによると、部屋に入って3秒くらいで布団に入り、すぐに寝息をたてていたらしい。記憶無し。

11/11

7時起床。さすがに今日は起こしてもらって初めて目が覚めた。最終日は静岡の観光と帰宅が予定されている。

バスで、清水ドリームプラザへ行き、買い物などする。ちびまるこちゃんやエスパルスのグッズなど、最後までぼくの介助をしてくれた木我さんと土産を見て回る。気分は悪くないのだが、先日のアルコールがまだ抜けていない感じで、午前中くらいまで顔が赤かったらしい。「酒で身が滅びつつある男」というありがたくない烙印を押されてしまった。「普段はあまり飲まないんです、ほんとです。」と言っても、だれも信じてくれないのである。寿司ミュージアムで昼食。

午後は、富士サファリパークの見学。バスで移動するだけなので、見えないぼくにはあまり様子がわからなかったが、周りの人たちが一生懸命道行く動物の説明をしてくれて、それなりに楽しめたと思う。

後はひたすら松本に向かってバスに揺られる。隣に座ったスポーツ指導員と水泳について話しをしていて、久しぶりに泳いでみたくなった。一応かつては水泳部に所属していたのである。来年の障害者の県スポーツ大会では水泳で出ようかなー。7時過ぎに松本へ到着。

 以上が障害者スポーツ大会の道中のレポートである。ただ単に規模の大きな大会というだけでなく、多くの人たち特に静岡県民の意気込みが感じられる素晴らしい大会であり、いろいろな障害者が交流を深める良い機会でもあった。久しぶりに沢山飲んだことも含めて、きっと良い思い出になるだろう。

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