2002/12/28

今日から冬休み。とりあえず片づけなどして明日から帰省する予定。
風呂のお湯を貯めようと水道の取っ手(つまみ)をおもいきり捻ったところ、取っ手が外れてしまった。蛇口だけでなく取っ手の外れた部分からも熱いお湯がどんどん吹き上がってくる。とりあえず手袋をして取れた取っ手を付け直すものの、それでもお湯は止まらず。どうやら取っ手の中に嵌っていた水量調節の捻子がどこかへ落ちたようである。これはもしかしてかなり先行きの暗い状況ではないか、たぶんそうではないか。しかし運の良いことに10分ほど浴槽やタイルの上を探索して、とりあえず目的の小さい捻子を見つけ、お湯を止めることに成功。排水溝に流されていなくて本当に良かった。
島村楽器にてモーリスの手工ギターS-120を注文し、来年へのプレゼントとした。自分の耳がこれ以上ひどくなる前にいろいろなギターを弾いておきたい(もちろん言い訳)。
今年の日記は今日が最後になる。これを読んでいる数人の皆さんのためだけに、良いお年を。

2002/12/26

午後から終業式。臨床実習の反省会や臨床質の掃除なども行われた。夜は学校の忘年会でまたまた大騒ぎ。その会で衝動的に『親子丼を守る会』初代会長に就任したぼくは、四次会でガストの親子丼を食べ3時過ぎに帰宅した。しかし明日も職員研修で朝から出勤なのである。
明日の研修は、教師のセクハラ問題に関するもので、飲み会で女性職員にスリスリすることについてもちょっと風当たりが強かった。ただ柱かと思っておもわず掴んだのが、たまたまそこに立っていた女性の脚だったとか、周りから見て問答無用・弁解無用の状況もあったりしてなかなか難しいのである。

2002/12/25

クリスマスとはほとんど関係なく授業が行われている。ただ給食はローストチキンやケーキなどとてもすばらしいメニューで、落涙しながらの食事だった。今年の勤務も後二日である。

2002/12/22

フロアバレーの納会と忘年会。4時から飲み始め10時頃にはかなり泥酔。アルコールが入っている時には極力職業行動を人に行うことは自制しているのであるが、今日はついつい周りに乗せられ(周りは大半が同業)、少し労働してしまった。揉みつ揉まれつ2次会のラーメン屋『若大将』でも大騒ぎになり、店員には非常に同情。チャーシュー麺がとても美味しかった。店を出た後も、東西南北どこを歩いているのかあまりよくわからなかったが、知り合い(同じく泥酔)のつれている盲導犬に運転を任せて歩いていると、ちゃんと駅入り口の会談にたどり着いた。さすがに賢い犬である。

2002/12/21

先日からの雪でほとんど外に出られず(出る気せず)。バイオリン練習にはいけず予定の飲み会もなくなり、久しぶりにマーチンD-1を出してきて弾いていたら、これがなかなかすばらしい音であった。基本的に炬燵→寝床で布団乾燥機と添い寝→炬燵→寝床で布団乾燥機と添い寝を一日中繰り返す。おかげで布団乾燥機との仲はかなり親密なものになったと思われる。

2002/12/20

明日から3連休。このまま冬休みにすれば良いと切実に思うが、学校へは来週いっぱいまで行かなければならない。まあそれにしても3連休なのである。

2002/12/18

今日から27歳になる。生徒におめでとうといってもらえるのがこの仕事の幸せなところかもしれない。会議よ早く終われ終われという願いは聞き入れられず。帰宅後ふて寝。

2002/12/15

フロアバレーで、新潟の女性チーム『MAX新潟』との交流試合。このチームは声も大きく力も強く、練習相手にはとても良いチームだった。今年のフロアバレー練習も後わずか。
夕方から、鍼灸マッサージの業団体『松竹師会』の理事会と忘年会。理事会では、この業界が直面している問題がいろいろ取り上げられ、改めて自分の勉強不足を強く感じ・反省。早めに帰宅したが、年末のアルコール摂取はまだまだ続きそうである。そういえば、「宴会気分」というノンアルコールの日本酒が出たとか、どんなものかちょっと飲んでみたいような。

2002/12/14

とりあえず暇な1日。床屋に行ったり靴を買ったり学校でやり残した仕事をしたり。年末に向けて大量(ダンボールいっぱい)のレトルト食品が届いて、嬉しいような悲しいような。
松本にモーリスのギター工場があることを、とある掲示板で教えてもらった。灯台もと暗し、これはぜひ見学にいく必要あり。松本の島村楽器もモーリスブランドをもっと充実させてほしい。

2002/12/11

なぜか毎週水曜の10時頃に、ヤクルトの販売員が職員室で販売活動(出張サービス)をしている。幸運なことにその販売拠点はぼくの席のすぐ横に置かれ、自称人一倍気弱な性格のぼくはそれを無視して仕事ができず、結局今日もヤクルトを買ってしまった。
学校改修工事の関係で今後しばらくは職員室を含んだ南塔が使えなくなる。今日も南塔の物品などを別の教室へ運ぶ作業が行われたが、今年はこのような職員作業が頻繁にあって大変である。

2002/12/09

昨晩からの雪で学校へ出勤するのも一苦労。あっちへふらふら、こっちへよろよろ。視覚障害者の雪道歩行はいつもながらなかなかの冒険である。そういえば今年の2月の大雪では、雪が膝上まで積もったにも関わらず日曜に学校へ呼び出され雪掻きをした。これから大雪の季節、気を付けて歩かなければ。
ぼくが高校から6年間通っていた東京の筑波大学付属盲学校について、中学生の進路の参考として話す機会があった。ぼくも12年前はまだ中学生だったのかと思うと何となく感慨。高校の時の話をするにもまだ照れのある年頃なのである。

2002/12/07

バイオリンの練習へ。ザイツのコンチェルト出だしがうまくいかない。

2002/12/06

期末テストの最終日+食堂の大掃除。生徒の少ない松本盲学校では、このような大掃除や草取りなど、放課後に職員作業として総力戦で行われてしまう。食堂においてある点字付きの電磁調理器を初めて触ったが、この点字は点の間隔がとても狭くほとんど識別できなかった。最近販売されている電化製品などには結構点字の付いているものが多いが、ぼくのような『自称熟練点字使用者』にも読めない点字がなぜ採用されるのか不思議である。
夕方から理療科の忘年会。危なく悪酔いするところだった。

2002/12/03

フロアバレー関係の知り合いが言うに、その人が先日出かけたとある神社では昔この土地で大暴れをした悪霊が封印されていて、その封印に乗せられていた石像がぼくの顔にとてもそっくりだったらしい。その顔が封印された悪霊のものなのか、封印した神仏のものなのか、とても気になるところである。因みにぼくの顔は、イースター島のモアイ像にそっくりだとよくいわれる。
帰宅すると、なぜか家の中に人の気配と不穏な雰囲気。実家(愛知)にいるはずの母親であった。自分の死を息子に知らせる例の現象かと一瞬身震いしたが、それにしてはどうもぴんぴんしている。いつも「アパートにはくるなくるな」と言っているので、連絡を入れずに突如現れたということらしい。

2002/12/01

フロアバレーの練習へ。一応ルール講習会が企画されていたが、受講者がいなかったため通常の練習になった。ちょっとだけ残念。
家に帰るとアコースティックギターマガジンVOL14や、ソロギターのしらべ、ジャズ編などが届いていた。ソロギターのしらべは(まだ全て聞いていないが)前2作に引けを取らないすばらしさ、使用されているギターがマーチンD-35からモーリスS-120に変わっているのも興味深い。これでまたバイオリンの練習時間が減ってしまいそう。そして今回のアコギマガジンでは付属CDに収録されていた岸部眞明さんのギターインストがとてもすばらしかった。他にも岡崎倫典さんのソロ・打田十紀夫さんのブルース口座、マーチンギターの音質比較もあり、とても当たりの1冊である。

2002/11/30

午前中、風の大陸22巻を読んでいるうちに寝てしまう。午後は久しぶりにバイオリン練習へ。バッハのブーレからザイツのバイオリン協奏曲に入る。

2002/11/29

朝から校長室に呼び出され紙幣についてのコメントを求められた。校長とひそひそ金の話をしていると、何となく悪いことをしているような後ろ暗い気分になる。視覚に頼らず紙幣を識別しようとする場合、千円・2千円・5千円・1万円とで横幅が数ミリ違うことと、裏面に付けてあるわずかな凸マークという判断材料があるが、これらで短時間に識別することはとても難しい。このような識別マークが不十分なため、結局財布にしきりを作って紙幣を種類ごとに入れ分けるなどしなければいけなくなる。

2002/11/27

朝会で本校中学部に所属する生徒の作文が紹介されていた。これは全国中学生人権作文コンテストに応募されたもの(長野県の最優秀賞)で、人権感覚への意識の高さと豊かな表現力に改めて脱帽させられた。ぼくも人権については一応健常者以上に意識しているつもりでいるが、このような豊かな感性をもつ生徒たち(数年後の社会人)は同じ視覚障害者としてとても心強く思う。自分の障害に甘えのあるぼくのような人間には問題もあると思うが、人を動かし社会を変える力は障害者にこそ潜在していると信じたい。
夜は、視覚障害者の授産施設『ふれっ手』建設のためのチャリティーイベントとして、フランス料理のテーブルマナー講習が行われた。ナイフ・フォークの扱いはぼくの不得意事項の上位に位置するもので、ナイフの刃のない側でステーキを切ろうとしたり、パンに塗るバターを指に付けたり、その指をおもわずなめたり、レタスをテーブルにばらまいたり、ケーキをたおしたり、なかなかの成果を上げてきた。幸いなことに隣の席にいた福祉学校のすてきな女性がいろいろと気配りをしてくれたおかげで、テーブルマナーの重圧にも負けず最後まで楽しく美味しく食事ができた。それにしても最近「隣の席にいるすてきな女性」というシチュエーションが結構多く、これは非常にぼくの望むところである。前述の『自分の障害に甘えのある…』の件はこういう状況でのみまったく説得力を失う。

2002/11/26

今年度末から長野県でも教職員の給与の大幅減給が始まる。民間の状況の厳しさを考えれば公務員の減給も仕方ないと思えるが、県の財政の今後のプランについては十分な説明が必要だろう。各種の福祉制度に影響が出ることも心配である。
最近『あぶないコンビニ食』や『日本からコンビニがなくなる日』や『コンビニの光と影』を立て続けに読み、急いで自分の食生活を反省した。そんなわけでまた細々とご飯とみそ汁を作るようになっている。いつまで続くか我ながら自信なし。

2002/11/25

卒業以来4年間連絡をしていなかった同級生から電話があった。懐かしいというよりも学生の頃とまったく雰囲気が変わっていない。自分はどうなのだろうか。
打田十紀夫さんの生ギターアルバム『Acoustic Delights』のコピーを始める。近々アコースティックギターマガジンなども届く予定。嬉しいことである。

2002/11/21

全国の盲学校理療科の共通模試が行われた。やはり自分の担当していた科目の正答率は気になるところである。ぼくのような人間が、公衆衛生学などを教えていることも不思議だが、とりあえず他の科目の足を引っ張らないようにしたい。

2002/11/20

ようやく歯医者通いが終了。治療後に歯科衛生士の人から歯磨き指導をしてもらい、何となく緊張。

2002/11/19

とあるメーリングリストで、The curb gameが紹介されていた。これは、音を頼りにして車に惹かれないよう道路を横断するというだけのシミュレータ(ゲーム)だが、この想定は視覚障害者にとって非常に日常的なものである。ステレオヘッドホンを使って試してみてほしい。「無理をせずに信号を探せ!」それはもちろんその通り。

2002/11/17

二日酔にも負けず、フロアバレーで新潟チームとの練習試合。結果は3戦3敗。最近は久しく白星を見ていないような。

2002/11/16

塩尻にある病院で、腕の整形外科的疾患についての講義が行われた。普段はこのような話を聞くことがないので、ぼくも張り切って聞きにいく。
夕方から夜中まで、卒業生KYとアパートで酒を飲み、いろいろと仕事の様子などを聞いたりすることができた。日本酒一升と、「6缶で米5キロが当たりまーす」という殺し文句で買ってしまった缶ビールを飲み、ついつい遅くまで話しをしてしまう。因みに米5キロは当然ながら外れだった。

2002/11/14

自立活動の全校研究授業。自立活動というのは、障害が有ることによる様々な困難を最小限にするために、基本的力を養っていく授業である。改めて最近の自立活動は頑張っているなーという認識をもった。
ぼくは他人からよく「」障害があるのに自立していてすごいですね」などと言われるが、自分ではまったくそんな気がしない。なぜかと思ってみると、普段の生活で困ることはあまりないものの、料理・掃除・洗濯は最小限しかやらない上に日常生活に関連しないことについてはとても弱いのである。たまには知らない道を無目的に歩いて頭の地図を広げたり長野の名所を見学に行ったりしたいと思ってみるが、なかなかそれが実行できない。もちろんこれが全て自分の障害のせいだとは思わないが、少なからず影響しているのは確かだと思う。因みに4年間住んでいる松本市の地図でさへ、まだぼくの頭にはほとんど入っていない。ぜひ視覚障害のための触地図を学校で作ってほしい。

2002/11/10

フロアバレーの強化練習。前衛同士のパス回しを強化すべく、うろうろ・ばたばた動き回り、結構疲れた。
帰りにはセーターやバイオリンの教本を買いにパルコへ。モーリスのM300を見たりヤマハのLAやミニギターのJR-1を弾いてみたりした。店員に「お上手ですねー」などとおだてられ、結局予定外のJR-1を買ってしまう小心者であった。因みに家には、産地が不明で繊細なチューニング技術と底知れぬ妥協点の中で音が出ているミニギターがあるが、さてこれをどうしようか。

2002/11/08

最近学校では働きに応じた現物支給制度が導入され比較的まじめに職務に専念しているぼくは、ご飯・パンなどを持ち帰ることがしばしばある。これら食品の出所については行政の先生から堅く堅く口止めされているので書かないが、今日はご飯に加えてコロッケを二つももらってきた。夕食は安泰である。

2002/11/06

盲学校における今後の組織再編についての話し合いが非常に具体的になってきた。文部科学省の特別支援学校に関する答申など、今後の盲学校の激変を予想させるようなニュースがいろいろと入ってきている。
歯医者では、子どもの頃に治療し金属をかぶせておいた歯を改めて治療。久しぶりに歯の麻酔を体験し、歯にあいた洞窟の入り口のような大穴にびっくりさせられた。
ぼくが管理者をしている300人以上の会員を有するメーリングリストでトラブル発生。ちょっと退屈していたせいか、何となく血が騒ぐ。

2002/11/04

フロアバレーの講習会。今回の会場は伊那市で、初めてフロアバレーを体験した方は4名。講習は試合形式を中心に行われたが、最後まで体が暖まらないまま終了してしまった。

2002/11/03

バイオリンの練習が急遽中止になり『エマージングウイルスの世紀』や『いじわるな遺伝子』などを読んだり、セーター・手袋を買ったり、MP3ライブラリを整理したり、なかなか味わい深い1日を過ごした。
休日にはよくあることだが、前の晩から食事をさぼっていたので夜は張り切ってガストへ。ロースカツ定職(大盛)・ソーセージとポテトフライ・キノコスパゲティ・カキフライを食べ、勢いに任せて帰りに立ち寄ったコンビニで、中華まん四つとチーズタルトを買い、これもすぐに腹の中。水を飲んでいるとさすがに胃の辺りに圧迫感を覚え、結局そのまま眠ってしまった。この食生活はもしかしてまずいのではないかなーと夢の中で考えてみる。

2002/10/30

授業の中でどういう話の流れか自分の聴力低下について話していたら、何となく気分が沈んでしまった。ぼくよりはずっと苦労している生徒たちの中にいて暗い気持ちを表してしまうのは、まだまだ人間ができていないということだろう。
そろそろ中華まんの恋しくなる季節。コンビニで餃子ドッグや焼きそばまん・カレーまんなど買ってきたのはいいけれど、食べる前についつい1時間も眠ってしまう。電子レンジを買おうかと真剣に考えさせられた。

2002/10/28

学校公開。毎年学校説明・授業見学・入学相談などが行われるが、今年は見学者が少なくぼくも特に仕事がなかった。昨年度はソフトウェア開発の大学を目指す高校生が見学にきていて、視覚障害者のIT活用の意義についていろいろと説明する機会に恵まれた。今はその彼の妹が本校に在籍していて、今日職員室でうとうと眠りかけていたぼくは彼女に急に声をかけられ、かなり寝ぼけた対応をしていたりする。

2002/10/27

フロアバレーの長野県大会。当初4チームの参加予定だったのが最終的に2チームになってしまい、3試合を立て続けに行うことになった。2試合目以降は予想通り消耗戦となり、結局ぼくの参加したチームは逆転負けであった。

2002/10/26

職員旅行。山梨県立美術館・サントリー登美の丘ワイナリー・八ヶ岳アウトレットモールなどを見学。行きのバスからアルコールを摂取していたこともあり、帰りにはかなり意識朦朧で、何となく失言があったのではと後で不安になっていたりする。土産に買ったワインも帰りのバスで飲んでしまった。

2002/10/24

今後予定されている定期テストや模擬テストなどの問題に集中して取り組む。短時間で作れば簡単になる問題も、集中すればするほど難易度が上がっていき、我ながら性格の悪さに慄然としてしまう。

2002/10/22

市内で開業している鍼灸・マッサージの施術所を2件見学。経営の様子や患者の動向などの話を聞くことができた。

2002/10/20

日東医の学術大会では、講演や実技指導・各種医療用具の展示など、なかなか良い大会であった。特に複数の講演会では鍼灸マッサージなどについて多くの考え方に触れることができた。鍼灸の効果や可能性について多くの先生が共通認識をしている一方で、作用メカニズム、現代医学との関わり、代替医療としての役割など様々なとらえ方があり、改めてこの領域の奥深さを感じた。またそれと同時に、それらの考えを表現する話術についても、参加者として・教員として非常に感銘を受けた。

2002/10/18

文化祭も終わり、落ち着いた週だった。明日・明後日と戸倉町の“ふるさと創造館”で日本東洋医学会の学術大会が行われる。一応地元での大会ということで、ぼくも一泊二日で参加することになっている。

2002/10/16

改修工事の埃のせいか豚草の花粉のせいか、1日中、鼻がむずむずしている。ちょっと気を緩めると鼻水がポトリと落ちそうになりかなり情けない。

2002/10/14

点字サークルの集まりで、乗鞍岳へ。久しぶりに良い運動になった。山へ行くのは昨年度に上った北岳以来になる。帰りに立ち寄った白骨温泉は硫黄の匂いがとても強いところだった。因みに文化祭の代休で明日も休みである。

2002/10/12

午前中、ステージ発表。今回は生徒の発表に加えて飯田市出身の落語家、橘家亀蔵さんをゲストに迎え、なかなか盛り上がった。午後、各コーナーでの活動。ぼくも『鍼灸マッサージコーナー』や『高等部コーナー』など行ったりきたりすることになり、結局昼の弁当を食べそびれてしまった。サウンドテーブルテニス(盲人卓球)のコーナーでは、初めこそネットの下を転がしていた小学生たちであったが、そのうちに一般の卓球を始めてしまい、ちょっと規格に問題があったかなーと反省。何となく体も重く感じ(自己催眠)、いつになく疲れる1日だった。
夜、慰労会+PTAとの懇親会。2次会では隣の席のすてきな栄養士OMに、給食の牛乳を止めてコーラを出す構想について激しく提案したが、あまり好意的な回答を得ることができなかった。最後はガストのドリンクバーでがぶ飲みし3時頃帰宅。

2002/10/11

昨日に引き続き文化祭の準備。ぼくの担当しているコーナーも何とか形になり、組織のありがたさに感謝である。
内輪での前夜祭では、マルバツゲーム・ビンゴゲーム・じゃんけんゲームなど、ほのぼのと行われた。ぼくの隣の席には信大の学生(助成)が座っていて、学校でなければ結構舞い上がってしまいそうな状況でもあった。
文化祭の関連でたまたま自分の体重を量る機会があった。これまでは自分のことを、かなり痩せている人間という風に認識していたのだが、いつの間にか体重が5キロも増えていて完全な標準体重になっていた。原因は高カロリー食の過剰摂取・運動不足、後は年と共に現れる肥満の前段階ということだろうか。24年間自分の血液型をO型と思っていたのが、献血に行ってA型であることを知らされた時の気分によく似ている。

2002/10/10

午後から明後日の文化祭に向けての準備が始まる。きちんと計画を立てていたにも関わらず、どんどんと新しい仕事ができてきて何だか慌ただしい。
夕方、点字サークルのメンバーと親睦会。帰ってからの仕事を残しつつ、ほとんど自棄気味に飲んで自爆。

2002/10/08

久々に朝寝坊で20分ほど遅刻。朝から授業のある時に限って寝過ごしてしまう気がする。
夕方、近隣の高校の学生が、視覚障害についていろいろ聞きたいと訪ねてきた。最近自分の障害や日常生活についてこれまでになく人に話す機会が増えてきた。

2002/10/06

フロアバレーで『ファルコン』との練習試合。かなり接戦ではあったものの、2:0と全敗。後1点というような時の勝負にはどうも弱い我がチームである。

2002/10/05

午前、歯医者に行ったり、AKIさんの新作アコースティックアルバム『HARVEST MOON』を聴いたり。
午後、バイオリンの練習にて、たまたまぼくの前に練習していた男性が、以前ケーブルテレビでぼくが出た番組を見ていたという話になった。自分でもほとんど内容を覚えていないだけに結構冷や冷やする。
夕方、明日行われるフロアバレーの練習試合のためにわざわざ長野にきてくれた『ファルコン』のメンバーとの親睦会。顔見知りが多く懐かしい。

2002/10/03

9月に行われた長野県障害者スポーツ大会のトロフィーが届いた。これは長野にきてから毎年もらっているもので、狭いアパートにはまったく置き場所がない。このトロフィーと同じ容積のレトルトカレーをくれたらなーと不謹慎なことを思ってしまう。

2002/10/02

十日ほどしか使っていないブレイルノートの調子が、いきなり悪くなってしまった。保証期間の切れた頃に壊れるというのはありそうな話であるが、それに比べればまだ良いかな。とりあえずしっかりと修理してもらおう。
夕食に、炊き込みご飯(牛肉入り)の缶詰を食べた。思っていたよりおいしい。

2002/09/29

夏服をしまうのに5分、冬服を出すのに1時間。『ソロギターのしらべDVD版』とLL-23Jで充実した一日を過ごした。耳が悪くなったせいか、最近耳での音取りが非常に不正確になってきた。

2002/09/28

特殊教育諸学校の研修会。子どもの食事指導やコミュニケーションなど、まじめな話題が取り上げられていた。因みにぼくの食事マナーは実家では『犬よりひどい』と言われ、友達からは「ダスターシュート」とからかわれるくらい救いようがない。以前にある同僚からは「社納さんの箸使いを見ていて、生徒の食事指導は、まあいいかと思うようになった」などと褒められたことがある。

2002/09/27

県内特殊教育諸学校の情報研究会。今年度公開した松本盲学校のホームページの紹介をしてきた。7月以降なかなか更新ができずにいる。会議中、知らないうちにポケットに入っていた音声時計のタイマーボタんを押してしまっていたようで、「30分経過」「50分経過」などとしゃべっていたらしい。ぼく自身は会議が終わるまでまったく気づかなかったのだが、これはかなり顰蹙だったかな。そういえば隣に座っていた先生がくすくす笑っていたような。

2002/09/26

このごろは学校改修工事のために、不断はあまり通行しないような廊下や、天井の低い出入り口を使用しなければいけなくなっている。低い出入り口の近くを歩いていると「社納先生、頭大丈夫ですかー」とすれ違う同僚が非常に明るく声をかけてくれたりする。「まあ何とか」とか「一応大丈夫です」とか反射的に答えているが、何となく第三者からは誤解されるのではないかと少し心配である。因みにその出入り口を通るようになって以来の脳細胞の死亡率は確実に増加している。

2002/09/25

今日から三日間は中間テスト。この期間は授業がないので、あまり忙しくない。盲学校は学生の数が少ないので、特に理論科目の採点は一瞬にして終わってしまう。

2002/09/24

ケーブルテレビ『テレビ松本』で、6月に講師として呼ばれた講演会の様子が放映されていたことを、学生のSKに教えてもらった。1時間40分もの意味無く長い話が全て放送されたようで、前もって知っていなくて良かった。因みにぼくの自宅ではケーブルテレビを見ることはできない。

2002/09/23

肌寒い日が続いている。そろそろ長袖服を準備しなければと思いつつ、なかなか体がその気になってくれない。
モスバーガーでは、店員の女性に『いつものお席がいっぱいですので』などと大きな声で言われる。最近はそれほど頻繁には行ってないんだけど。

2002/09/21

教職員障害学校青年部主催のバレーボール大会。アタックやブロックは難しい(というか、ほとんど不可能)なので、サーブのみ参加。10回中だいたい半分くらいは相手コートに飛んでいった。結果は0勝2敗。
午後、バイオリンの練習へ。バッハのブーレに入る。スラーが面倒・移弦が多いなど結構大変。

2002/09/19

(株)KGSから発売された点字ディスプレイ『ブレイルノート46X』を注文した。\45万とかなり高い買い物。これを活用してこれからも本を読みたいものである。

2002/09/16

以前から楽しみにしていた、銀河鉄道999のインターネット配信が始まった。インターネット用に新たに書き下ろしたストーリーやテレビ放映されたもののダイジェストが3月末まで見られる。しみじみとしたナレーションが懐かしい。

2002/09/15

昼の外食後、家に帰る途中の砂利道で部屋の鍵を落としてしまう。人通りなし、管理人不在・アパートの住人不在、近くの店休業、学校入れず、携帯家の中と、悪い偶然が重なる悲しい状況である。人が通るまで待とうかと思ったが、結局近くの公衆電話からタクシーを呼び、駅前へいくことにした。もちろん本来の目的は、車に乗る前に運転手に鍵を探してもらうことにある。おかげで鍵は無事に戻り、パルコで買い物をして戻ってきた。
パルコでは、何となくうろうろしているうちに、いつもは使わない出口から出てしまう。さて、どっちにいこうかと思っていると、近くにいたおじさんが声をかけてくれた。その人は、『駅前ボランティア』に所属しているそうで、これは駅などで障害者の案内をするための組織らしい(拠点は横浜)。駅ボランティアに入って2年ほどになるその人であるが、駅前で障害者に声をかけるのは今回が初めてと言っていたのが、ちょっとおかしかった。

2002/09/13

最近、ぼくのPHSからの無差別ダイアルが頻発するようになった。キーロックをかけ忘れるのが原因のようで、例えば鞄などをごそごそ触っていると、その刺激の伝達によって知らないうちにボタンが押されてしまうのである。アドレス帳や履歴に入っている電話番号は要注意。今日は知らない助成から、「さっき、あたしんとこに電話しましたー?」と電話があった。これはちょっと不思議がり。
久しぶりにLL-23Jの弦を張り替える。勢い余って4弦のピンをどこかへ飛ばしてしまった。

2002/09/12

来週土曜に行われる、青年部のバレーボール大会の練習を、夕方から行った。通常のバレーなので、視覚障害の職員はサーブのみ参加する。なかなかまっすぐ飛んでいかない。

2002/09/11

午前中、敬老の日が近いということで、近隣の老人施設などを回っての奉仕治療。治療が終わった後、意識レベルが低下してしまった方がいて、ちょっと心配。
午後、塩尻の民生委員を対象とした講演会で、講師として1時間ほど話をした。今年度、ぼくにとって2回目の講演会になるが、結構緊張してしまう。

2002/09/10

8字25分起床。また遅刻してしまった。涼しくなってきているせいか、どうも朝と夜はかなり眠い。

2002/09/09

今日と明日は、学校の改修工事の準備として、倉庫などに入っているいろいろな昔のものなどを片づける作業がある。久しぶりの重労働に、サンダルは壊れ靴下には穴があき、何だか大変だった。
夕方、寄宿舎の中庭で寮祭が行われた。今年は特に模擬店が充実し、気持ちよい夕風の中で食べるカレー・うどん・牛丼・かき氷等は絶品である。

2002/09/08

長野県障害者スポーツ大会で、立ち幅跳びに出場。この種目では視覚障害男がぼくだけで、あまり張り合い無くメダルをもらってきた。記録は、228センチで、昨年よりもさらに落ちたことになる。自己ベストは、確か258センチ。
朝、学校関係の選手・職員をバスターミナルで待っていると、女子高生2・3人(たぶん)に声をかけられた。「障害者スポーツ大会にいくのなら一緒にいきましょうか?」。「はいはい、えっと、絶対に一緒にいきたいです、嬉しいな、嬉しいな」と、これは心の声。結局、ふと自分の予定を思い出し、学校関係の選手たちを待つことにしてしまったのである。我ながら、もっと心の声に素直にならなければと強く反省した。
上記は一応ぼくの中でのせめぎ合いの結果であるが、これに限らず、ぼくには心で思っているのと全く逆のことが反射的に口から出てしまうことが結構ある。例えば、「リンゴとバナナとどっちがほしい?」と言われるとする。心では、「よっし、絶対リンゴだ、リンゴだ」と思っているにも関わらず、「えっと、バナナください」と言ってしまうのである。何かこれは心と口がうまくシンクロできないような重篤な病気なのではないかと疑いたくなる。

2002/09/07

再び歯医者、ようやく本格的な治療に入った。歯をキュインキュインと削るのは、髪を切るのに類似しているようで、何だか気分が良い。ただ髪と違って一度削ってしまうともう伸びてこないものなので、何となくもったいない。
バイオリンの練習、バッハのガボットニ長調。帰りに突発的な雨に降られる。

2002/09/06

同僚の中で最年長であるTI氏のお宅で親睦会。いろいろと学校のことを話しつつ、不断はあまり食べないようなものをいろいろとごちそうになった。

2002/09/05

1ヶ月ぶりに外来患者の治療をすることになった。フロアバレーで痛めた右手親指と練習不足と暑さと歯痛と寝不足の影響で、マッサージや鍼など結構違和感を感じる。鍼灸・マッサージを教えるはずの教員がこんなことで良いのだろうか?まあ良いのだろう。

2002/09/03

松本盲学校にて、(株)KGS製品のデモンストレーションが行われた。画面に表示されているグラフィックを点図として表示する、DotView(ドットビュー)や、携帯高機能点字ディスプレイ『ブレイルノート46X』などを見ることができた。特にドットビューは、パソコンの画面に表示されている漢字やアナログ時計などを点図として確認できる優れもの。新しいプレクストーク(説明略)も発売になり、ほしいものがいろいろと出てくるものである。
暑い日が続く松本である。授業では、ぼくのやる気のなさが生徒にも伝染し、ほとんど墜落寸前までテンションが下がっている。みんなで「暑い暑い、やる気がしない」などとぶつぶつ言っている間に1時間が過ぎてしまったりする。

2002/09/02

8日に行われる、長野県障害者スポーツ大会の練習を始める。種目は立ち幅跳び。使い慣れない筋肉の悲鳴が聞こえるような聞こえないような。
補聴器を購入している店から、『敬老の日キャンペーン』などという案内が届いた。おそらく、利用客全員に送られたもののようだが、どうも何となく気分が良くない。

2002/09/01

視覚障害者協会のスポーツ大会+懇親会。テーブルテニスとフロアバレーの2種目が企画され、フロアバレーに参加した。未経験者が多かったこともあり全力プレーはできなかったものの、楽しい大会だった。

2002/08/31

以前治療済みの親知らずが歯茎を圧迫しているらしい。今日はレントゲン撮影など診察が中心で、とりあえず痛み止めをもらってきた。それにしても、歯医者から戻ってきたとたんに再び痛み始める悲しさよ。午後からは珍しいことに用もないのに外出。無目的に2時間ほどうろうろした。

2002/08/29

歯医者に行くが、閉店していてがっかり。もう2日くらいは歯痛を我慢することになった。
夜は野球大会の慰労会。歯痛も忘れて気分良く飲み食いする。善哉善哉。

2002/08/28

ようやく2学期に行う授業や係の仕事を思い出してきた。夕方から、どうも歯茎がしくしくと痛み始める。明日は歯医者に行くべきか否か。

2002/08/26

2学期が始まった。今週からはまた急に暑くなり、授業にもあまり集中できない。

2002/08/24

バイオリンの練習へ。バッハのガボットニ長調。突き指のおかげで、弓を保っていると右手が痛む。

2002/08/23

香川で行われている第十七回全国盲学校野球大会で、北信越選抜チームが優勝した。松本盲からは3人の選手と二人の先生が参加している。

2002/08/21

今日から学校へ出勤。とりあえず今週は生徒が登校してこないので、のんびりと過ごす。会議がなければ言うことなし。

2002/08/20

久しぶりに打田十紀夫さんの教則カセットを聞きながら、LL-23Jを弾いてみる。突き指が完全に完治せず、いまいち指の動きが悪い気がする。昨年見つけたこのカセットであるが、これを聞くまで、チャーリー・パットンのテクニックやスタンブリングベースなど、どのように弾いているのかまったくわからなかった。視覚障害者にとっては特にありがたいカセットである。
最近エアコンから出てくる冷風に、妙な匂いを感じるようになった。一応ダスキンに電話をして掃除にきてもらう。1時間ほどの掃除で\14,000。これからも安心してエアコンが使えるようになった。

2002/08/18

実家(豊田)では、主にペット(ダックスフンド)をいじめたり、姪(2歳)をいじめたりして過ごし、久々の長期帰省となった。
十日から二白三日で父親の実家(京都)の親戚旅行。旅行先は有馬温泉。10年ぶりくらいに会う人たちが多く、いろいろと感慨だった。前に会った時には中学生・高校生だった子が、大学生だったり働いていたり、次に会う時には子持ちになっているだろうか。
今日はしばらく留守にしていたアパートの部屋を一応掃除。

2002/08/05

1学期の残務整理とプール当番。夏休みの自宅研修がしにくくなったので、結局年休をたくさん使うことにした。明日からはいよいよ夏の休暇で、しばらく実家へ帰る予定。

2002/08/04

サンフラワーカップ終了。ぼくの参加したチームは、予選リーグで1勝1敗。これは公式の大会での初白星である。試合中に右手親指を突き指したり、他の選手も含めて、けがの多い大会でもあった。

2002/08/02

受験生の補修がようやく終わった。この四日間は、補修の後1時間ほどプールで泳ぐことができた。学校で働いていて良かったなーと思える貴重な時間である、。
明日・明後日とフロアバレーの全国大会『サンフラワーカップ』に出るため、神奈川へ行く予定。朝5時出発なので、今日は早寝。

2002/07/30

今日から四日間、受験生の補修をすることになっている。来年春の国家試験に向けて、どのようにポイントを絞っていけばよいか試行錯誤である。
昼食を食べに外出中、歩道を横切ってきた大型自動車に左足親指を踏まれる。幸い骨折にはいたらなかったが、改めて交通事故には十分注意しなければいけないと実感した。

2002/07/29

1日、理療科の研修。学生の臨床能力を客観的に評価するためのシステム『OSCE』の歴史と理論について講義があり、午後からは実習が行われた。

2002/07/28

中央体育館にて、フロアバレーの練習。今度の土・日に行われるサンフラワーカップに向けての模擬試合。汗でびしょぬれ。

2002/07/27

目の教室。これは、地域の小・中学校に通っている視覚障害生・担任や保護者を対象とした企画で、年に一度松本盲学校で行われる。講演会、保護者・担任との懇談会、盲学校の体験学習などが行われた。他の盲学校からも見学にきている先生もいて、非常に有意義な会である。
グレープフルーツジュースを求めて、三度コンビニへ。今日は、店頭での確認に加えて、レジでも、「これ、グレープジュースじゃなかったですよね?」と、心細そうな雰囲気で駄目押し。まったく三度目ともなると背に腹は代えられないのである。おかげで、一昨日からの念願を叶えることができた。
夜は1学期慰労会。まだまだ忙しい日が続くが、とりあえず乾杯。

2002/07/26

ようやく終業式。午前中から退勤時間まで、ひたすら掃除をしていたような気がする。
さて今日は、昨日の雪辱戦、再びコンビニへ。「グレープフルーツ・グレープフルーツのジュースをくださいっ」。しかし、家に帰って飲んでみると、やはりグレープジュースなのである。悲しみがこみあげてくる。

2002/07/25

7月に入ってから、昨年度の卒業生(一応担任だった)が、何人か近況報告をしてくれている。鍼灸を武器にみんな頑張っているようで嬉しい。明日の午前中まで授業をする松本盲学校である。
帰宅途中、衝動的にグレープフルーツジュースが飲みたくなり、近くのコンビニへ立ち寄った。「果汁100パーセントのグレープフルーツジュースをくださーい」。元気よく帰ってきて、飲んでがっかり、それは、『グレープジュース』なのである。うらめしや・うらめしや。

2002/07/23

今日と明日は地域奉仕治療ということで、近隣の公民館へ行きマッサージの施術を行う。松本も最高気温34度まで上昇し、頭の中までぐにゃぐにゃになった。

2002/07/19

寄宿舎職員ITのアパートにて飲み会。非常に申し訳なく思いつつも、焼き肉・焼き魚・焼きそば・デザートなど、沢山ごちそうになった。帰った後、風呂の中で眠ってしまい、鼻から水を吸って覚醒、危うく溺れるところだった。

2002/07/18

昨晩の夢。有人ロケットで宇宙に出られる民間人に選ばれた。実験的に民間人を乗り込ませるこのプロジェクトは2回目で、前回はロケットが発車直後に炎上、14名の死者を出している。ロケットに乗り込むまでの葛藤と期待が、目覚めた後まで生々しく残っていた。SFの古典的テーマである。

2002/07/16

期末テストや野球大会も終わり、夏休みまでの残り2週間は惰性といった感がある。今年度の夏休みからは、従来からの自宅研修がしにくくなり、極力出勤して仕事をしなければいけないようになってしまった。受験生からは補修をやれとの希望(圧力と動議)もあり、一応計画を立てておかなければいけない。
フロアバレーでは、8月前半の全国大会(サンフラワーカップ)が近づいているが、体育館が蒸し暑く、練習の疲労度は非常に激しい。

2002/07/14

島村楽器へ行き、サイレントバイオリン『SV-120』を購入。これで夜でもバイオリンの練習ができるかもしれない。音自体は、キーボードなどの電子バイオリンを思わせるが、下手なボーイングに付きものの雑音は消して、ダイホールのリバーブをかけてくれる。エレクトリックと割り切って使えば、結構おもしろいおもちゃになりそうである。

2002/07/11

北信越盲学校の野球大会では、松本は4位に終わる。朝早くからの試合で、選手たちもかなり疲労していたようだが、台風の接近にも関わらず何とか試合ができて良かった。
午前中はいまいち体調が良くなかったが、夕方床屋で髪を切手もらっている間に、どんどんと体力が戻ってくる。どうやら今回の風邪は、早く髪を切れとの警告だったようである。

2002/07/10

風邪が回復せず、1日学校を休むことにした。外は相変わらず雨で、アイスクリームと水だけを摂取して、1日寝て過ごす。

2002/07/09

昨晩から咽と頭が痛く、どうやら風邪をひいたようである。
今日から三日間、北信越盲学校の野球大会が松本主観で行われる。今日は各チームの練習が予定されていたが、会場に着いたとたんに大雨が降り、練習は中止。台風が接近しているということなので、明日も試合も厳しいかもしれない。

2002/07/07

松本に建設が予定されている、視覚障害者の授産施設『ふれっ手』に関係するバザーが、近くのデパートの店舗を一部使って行われた。バザーだけでなく、お客さんに、マッサージを格安で行うコーナーもあり、ぼくもそのコーナーのスタッフとして、施術に参加した。このようなイベントでは、これまでマッサージを受けたことのない人たちが多くやってくるので、啓蒙という意味でも、とても意義のあることだと思う。

2002/07/06

午前中、野球部対職員の練習試合(グランド・ソフトボール)。6:5で野球部のサヨナラ勝ち。
午後、バイオリンの練習へ。ガボット/ベッカーに入るが、最後までいかずに終了。
帰る途中で島村楽器へ寄る。目的はサイレントギターを試奏することだったが、予約でも2・3ヶ月は手に入らないほどの人気らしく、やむなく諦める。一応、ミニギターや別メーカーのサイレントギター(みたいなの)をいくつか弾かせてもらうことができた。中でも、ランバーというメーカーのF10が練習用に良さそうだったが、今日は衝動買いをせずに帰ってきた。バイオリンケースを抱えて、ギターだけ弾いて帰ってしまう客も珍しいかもしれない。ネットでランバーを調べてみたが見つからない。聞き間違えたかな。

2002/07/05

担当クラスのHY、授業前の野球部の壮行会にて、気合いの入ったエールを披露、そこで力を使い果たし、授業をせずに帰ってしまった。すばらしい生き方である。
研究授業当日。助言者は、学生時代の指導教官でもあった准身内のYK先生。とりあえず指導案通りに授業が終わった。授業後の研究会では、授業のレベルが高すぎる・速すぎる、生徒の実態に合わせた工夫が必要など、コメント&助言は結構辛口。YK先生にも寸止めの学習をしてもらいたいものである。今回の研究授業では、指導案など面倒なことも多かったが、実際の授業を見てもらうのはそれなりに勉強になるなーと感じる。

2002/07/04

蒸し暑い1日だった。臨床実習ではあまりの暑さに、室内をうろうろと徘徊。午後、解剖学室でうとうとしていたら、同僚のKMが静かに近づいてきて、いきなり肩を叩かれとても焦る。明日はいよいよ研究授業。

2002/07/02

5日に行われる研究授業の事前研究会。理療科の研究体制の不備や授業の進め方についていろいろと質問が出た。答えながら答えを考えるのがぼくの感心できないスタイルなので、いつも通り支離滅裂のスピーチになる。学生の時であれば、周りからもう立ち直れないくらい、ばきぼきに痛めつけられるところであるが、教員はみな寸止めを心得ているので、何だか曖昧ながらも一応研究会を終えることができた。

2002/07/01

4校研修会。これは、近隣の小・中学校の職員との合同研修で、夕方1時間ほどのレクリエーション(野球・バレーなど)とその後の懇親会(飲み食い)がセットになったもので、ぼくも4回目の参加になる。雨が降ったりやんだりして何となく蒸し暑い日である。

2002/06/30

矯正法の講習会。午前中講義で午後は実技を中心に、カイロプラクティックの基本的な技術や診察法が紹介された。あの背骨をばきばきと鳴らす手技は、指の関節を鳴らすのに類似していて、頸や腰などでの手技を実際に体験することができた。危険な手技が問題になりやすいカイロであるが、その有効性と危険性を正しく理解して施術すれば、効果も大きいと思う。因みに受講していた按摩・マッサージ・指圧師の中にも結構いろいろな矯正法のテクニックをもっている先生たちがいて、とても勉強になった。

2002/06/28

先日行われた松本盲学校創立90周年記念の特集ページが完成した。特に、近隣の中学校と合同での4部合唱『我がシンボル』のMP3データはおすすめである。
ついでに来週行われる全校研究授業の指導案も完成。研究授業というより研究指導案という気もするが、とりあえずもう授業が終わったかのような気分である。

2002/06/26

講演会無事終了。結局行きの列車内で要点をメモ書きして、後は口を運に任せることにした。もちろん、そのようないい加減な話なので、内容が転々とし、支離滅裂。1時間40分の話と10分間の質疑、一応時間通りにまとまったのが不思議なくらいである。教員という職業のおかげかどうか、しゃべることについての度胸は、悪い意味でもしっかりと根ざしてしまったようである。
学校では、来週の研究授業に向けての会議が長引きとても疲労。授業者なので寝ている訳にもいかないが、実際の授業内容についての話し合いはほとんどなく、指導案の形式的な書き方・用語の使い方など、まったくおもしろくない話し合いである。

2002/06/25

 7月にある北信越グランドソフトボール大会に向けて、生徒対職員の模擬試合。7:3で生徒チームに負けてしまった。因みにぼくは守備・攻撃共にまったくボールに触れられなかった。ボールの音が聞こえないという逃げ道もあるが、耳が良くてもたぶん結果は変わらないだろうと思う。難しいスポーツである。

2002/06/24

予想通り昼間は結構眠い。期末テストの問題作成、講演会の構想、研究授業の指導案、職員研修の予定など、何となく忙しい時の典型的な逃避反応である。因みに夜にはぱっちりと目が開くので、仕事もはかどる。

2002/06/23

この二日でまた昼夜が逆転してしまった。26日は講演会で2時間話すことになっているが、未だに構想がなく、当日は大丈夫かなーと一応心配になってくる。

2002/06/20

北信越女子フロアバレーボール大会、松本盲は3位に終わった。来年度に向けての目標ができたという意味では、良い結果だったのではないだろうか。職員も、もっと実力を付けて、良い練習相手&ライバルになれるよう、励んでいかなければいけないだろう。

2002/06/19

高田で行われている北信越女子フロアバレーボール大会。松本盲は初戦を大勝したものの、二試合目で(昨年度決勝で対戦し負けてしまった)新潟盲との雪辱戦、0:2で今年も敗れてしまったようである。力及ばずというか、クジ運が悪いというか、これも勝負の厳しさというものだろう。明日は三位決定戦。それにしても、今年度初出場のTKがアタックエースを決めたとかで、みんなの喜ぶ顔が目に浮かぶようである。

2002/06/17

給食はソフトメン。前からとても気になっていたのだが、このソフトメンというのは、給食専用の食材なのだろうか?スーパーなどで売られているパスタとは、何となくにおいも味も違い怪しげな気がする。今度栄養士の先生に聞いてみたい。

2002/06/16

学生フロアバレー、大会直前練習。レシーブがとても安定していて、職員チームは惨敗。今日で一応部活としてのフロアバレー練習は終わりになる。この部活を一番楽しんでいたのは、ぼくではないかと思っている。因みに、大会は、水・木曜の二日間、高田で行われ、松本・長野・富山・石川・新潟の各盲学校が参加する。楽しく充実した試合をしてきてほしい。

2002/06/15

バイオリンの練習へ。ユーモレスク終了。『20世紀SF4』を読み始める。

2002/06/14

『丸ごとカッティングギター』という教則が届いた。特にがしがしとカッティングしてみたい訳ではなく、ついつい名前の勢いに押されて購入してしまったのである。
いよいよ、学生フロアバレーの練習も後一度となった。今日は対新潟盲戦に備えて秘密練習、体育館はめらめらと暑く、かなり疲労。
夜の11時過ぎ、雨が強くなり、雷もごろごろとなっている。こんな時間と天気にも関わらず、夜食御用達のガストは大盛況。店に入って、これはしばらく待たないとだめかなーと思っていると、いきなり店員の女性「社納さま、しばらくお待ちくださーい」!!げげっ…今のは何!どうやらガストのブラックリストに掲載されてたらしい。今後外食は控えなければならないと、強く心に誓った。

2002/06/12

ここ2・3日とても蒸し暑い日が続いている。特に職員室は人口密度が高く、あまり仕事をやりたくなる環境ではないので、解剖学室にこもって修行。この部屋は名前通りあまりさわやかな場所とは言えないが、いろいろな意味で涼しさを感じさせてくれる要素があり、夏向きで気に入っている。

2002/06/10

昨日の夢。登場したのは『キンピカゴボウ』と名乗る者(昨日の昼に食べようかと思って結局買うのを止めた牛蒡サラダの思念と思われる)。こういう怪しげなやつが夢の中で何をするのかはだいたい決まっていて、唐突に後ろから追いかけてくるのである。一生懸命逃げているうちに、なぜか足下にはボールガ(もちろん、対ロシア戦の思念)。いつの間にかドリブルで後ろからの追撃を振り切る選手になっていて、会場を埋め尽くす大歓声の中で目が覚めた。我ながら発想が単純だなーとあきれる。

2002/06/09

最近、毎日一度は浜田隆史さんのライブアルバム『ライブラギング』を聞いている。聞いているだけで、もちろん弾けるようにはならないのであるが、何となくこのアルバムを聞いた後は指が速く動くような気になって嬉しい。それにしても、すばらしいライブ演奏である。
夜はテレビで対ロシア戦を観戦するので、5時前にガストへいき早めの夕食。不断この時間には結構空いているガストであるが、今日は非常に混雑。こういうとき、もっとも速やかに出てきそうなビーフカレーを注文してみるが、ただいま品切れと言われてしまった。

2002/06/08

午前中、松本盲学校の創立90周年記念式典。担当クラスのHY、生徒代表の言葉を昨日から練習、何とかうまくいったようである。
午後、祝賀会。久しぶりに転任した先生や卒業生とも話しをすることができた。人が多いので、声をかけられても、すぐに名前が出てこない。

2002/06/06

先日関視研でみせてもらってさっそく注文した、音声対応のPDA(G-fort)が届いた。パソコンではないので、勝手がわからずちょっと手がつけられないでいる。早くPHSと繋いでみたい。
学生フロアバレーも大会まで2週間となり、放課後の練習ももうすぐ終わりになる。今日はTKが何時にもまして元気な指示を出してチームを盛り上げていた。ぜひ来年も続けてほしいと強く激しく希望する。

2002/06/05

このページが、信濃毎日新聞で紹介されていたと、同僚のKAから教えてもらう。トップページの内容がそのままの形で掲載されていて、もうちょっと気の利いたページにしておけばよかったなーと、少し後悔。
今日は、プールや学校内外の掃除などがあり、特に今週土曜日に予定されている、創立90周年記念式典に向け、ちゃくちゃくと準備が進んでいる。

2002/06/04

学校の後頭部職員歓迎会(飲み会)。会が終わり、家に帰ってきてぐっすり朝まで寝る予定だったのであるが、何の間違いか1時間ほど眠って目が覚めてしまった。通常は本を読んだりメールを見たりして、眠くなるまで待つことになるが、今日に限ってはとにかく首から頭が、がんがんと痛く、これからの数時間がとても憂鬱に感じられてくる。
まず試みたのが、職業的な反射行動で首から頭を自己マッサージ。ついでに、転がっているLL-23Jのネックで、背中をぽんぽんと叩いてみる。このあたりはまだ酔っぱらっているため、非常に自由度の高い人間になっているのである。続いて・全身を使ったハナゾノ体操(自作)を試みるが効果なし。体を冷やして血管を縮めようと扇風機を出してきて30分ほど風を送ってみるが、体が寒くなるだけで頭痛は止まらない。
結局、その後ぬるめのお湯に1時間以上入って、ハナゾノ体操を実施し、ようやく頭痛が治まった。さて、後は朝まで寝るだけなのだが、妙な覚醒感があり、この日記を書いている。何となく明日も寝不足な日になりそうな気がする。

2002/06/03

26日に、『見えないということ』という題目で講演会の講師をすることになった。年に一度くらいこのような依頼をいただくが、自分自身障碍について深く考えることをしないので、あまり自信をもって話すことができない。さらに、考えがまとまらないうちに妙なことを口走る困った悪癖もあったりする。

2002/06/02

学生フロアバレーの対OG戦。特にOGの前衛KMのアタックに苦戦し、かなり接戦ではあったが、0:2で負けてしまう。転任したWK先生も駆けつけ、とても見応えのある試合になった。

2002/06/01

両親が車でやってくる。実家の豊田から松本のアパートまで2時間くらいでくることができ、電車での4時間(乗り換え含む)と比べると不思議と速い。とりあえず、古いCD-RWドライブ、HDDがだめなPCG-C1/XF、買ったけど使っていないソフトなど、「父さん、これ、あげてもいいよ!」と言ってもっていってもらう。
久しぶりにバイオリンの練習へ。ほとんど楽譜を見ていないユーモレスクを一通り弾いてみるが、やはりうまくいかない。ぼくにバイオリンを教えているMK先生は、演奏中、激しくバイオリンが暴れ弓が飛び交う。すてきな演奏に聴き惚れていると、突然弓が面に入ったり、バイオリンが肩に飛んできたりするので、結構油断ができないのである。
グインサーガ84巻読了。ショートショート1001、12冊目。『贋作坊ちゃん殺人事件』を読み始める。

2002/05/31

体育祭当日。9人9周リレー、借り物競走、綱引きなどに出る。特に疲労度の激しかったのは綱引きで、とにかく腕がへとへと。おかげでリレーでは、途中でバトンを落とすんじゃないかと、とても不安だった。しばらくは、カポタストを使う握力もなさそうである。
松本盲学校には、鉄線走という変わった種目がある。これは、白線が見えなくてもまっすぐ走れるよう考えられたもので、出場者はコース上に張り渡されている鉄線に沿って走る。もちろん、そのまま鉄線をもって走ると火傷を起こすので、握りが通されているのであるが、熱く暑く走っているとこの握りが手から離れてしまうことがある。今日も同僚のMTが握りを離してしまっていた。ぼくも最初きた年に、鉄線走でまったく同じことをやり、「あっちちち」な目に遭っている。人間の闘争心は、火傷よりも優先するようで、人ごとながら懐かしく楽しい気分になった。全体的には、我が紅チームが優勝。今日はゆっくり眠れそうである。
いよいよ5月も終わりになるが、今月のカウンタが40アクセスを超えている。これは結構珍しいことなのである。大型連休の影響だろうか。

2002/05/29

最近、担当クラスのHYに、朝会前の20分ほどパソコンを教えている。人にパソコンを教えるのは、ある程度のレベルに達するまで非常に大変であるが、ようやく先行きが見えてきた感じで嬉しい。やはりこういうのは、教える方も経験が第一だと感じる。
放課後は、心肺蘇生法の講習会。人工呼吸の実習では、肺活量を全て送り込もうと気合いを入れるが、胸が多少膨らむ程度で良いと言われちょっと拍子抜け。
明後日の体育祭では、9人9周リレーをすることになり、一緒に走るSSとちょっとだけ練習。20メートルくらい走って、さっそく息が切れ、まだ見ぬ明後日の空に黒雲が立ち籠める。

2002/05/27

ぼくが小・中学部時代を過ごした母校の理療科職員から電話があった。松本に就職して4年目になるが、初めてのことである。たまには母校に顔を出さなければと思いつつ、ご無沙汰してもう10年になる。
中間テストも終わり、学生フロアバレーの練習再開。HKの荒れ狂うスパイクの的になり、少し鼻が高くなった。TKの初エールが、何となく淡泊でおもしろい。

2002/05/26

フロアバレーの審判講習会。2名の新しい参加者もあり、午前・午後共に試合も楽しめた。だんだん暑くなってきて、少しばてぎみ。

2002/05/25

先日の情報分科会では、助言者のNM氏が、点字使用者に対するピンディスプレイの重要性についてコメントしていた。ぼくも日頃から強く感じていることで、大変感銘を受ける。同じ分科会に参加していた、横浜市立盲学校のSS氏から、音声対応PDAのデモ機を見せてもらい、これが非常にほしくなる。
昨晩は、高校の時の友達が8人ほど集まってくれて、久しぶりにみんなで飲み会。こちらのぼけに対して絶妙のタイミングでつっこみを入れてくれるところなど、さすが学生時代からの友達ならではというべきか、とても楽しく嬉しかった。ぼくは日頃からあまり人づきあいの良い方ではないが、改めてそんな友達たちのありがたみを実感し、感謝する夜だった。
そして、今日は無事松本に帰還。帰りの『あずさ』では、ショートショート1001の『午後の恐竜』などを読む。この話を読むのは、子どもの頃も含めてたぶん3・4回になるはずであるが、なぜかとても感動した。ショートショートは一度読んでもしばらくすると、ストーリーを忘れてしまうものの多い、とても贅沢なジャンルだと思う。

2002/05/23

今は池袋のグランド・シティホテル。夕食にジャンボ餃子と炒飯を食べて非常に満足。PHSの通信状況がよく、久々に64kbpsに近い通信ができている気がする。
特急『あずさ』の中では、光瀬竜の『辺境五三二〇年』を読む。ブレイルメモのおかげである。

2002/05/22

ナイーブネットで、『星新一ショートショート1001』の(2)と(3)をダウンロード。ショートショートは久しぶりに読むが、なんとこの本は点字で各46冊にもなる。これから、92冊読むのはちょっときついかも。子どもの頃に読んだ本の影響で、未だにショートショートという言葉にはどうも弱いのである。
明日から土曜にかけて、東京へいく予定。久しぶりに学生の時の友達に会ったり遊んだりするついでに、関東地区視覚障害教育研究会の情報処理分科会にも出席してくる。

2002/05/21

授業案の着手開始。とりあえず12,000バイトほどキーを叩く。何となくこの『ときどき日記』よりも長かったりする。いがいとやり始めると集中するのである。
フロアバレーでは、PRのためのポスター用写真を写してもらう。少しでも長野でチームメイトが増えてくれると嬉しい

2002/05/20

授業社をやることになっている全校研究授業が7月5日に決定。連休前から構想だけはあった授業案であるが、未だ着手にはいたっていない。
レンタルしている補聴器を職員会で試着。やはり両耳に付けるとそれなりによく聞こえる。因みに、左右共ボリュームを0にすると、当然ながら耳栓と同じで何も聞こえなくなる。遊び心はよくわかるが、2感を断たれてしまうため、健全な視覚障害者はまねをしてはいけない。

2002/05/19

雨のため1日家の中。まだ少し寒い松本であるが、とりあえず暇なので夏服を出したりして過ごす。
松本盲学校90周年式典以降にWEBで公開する予定の『我がシンボル 4部合唱』のMP3ファイルを試しに作成。できるだけコンパクトに抑えたい。何か良いエンコーダはないかな。

2002/05/18

松本盲学校にて、学生フロアバレーの対長盲戦が行われた。午前は、2:0で松本、午後は1:1の引き分けとなった。長野盲学校のフロアバレー部は、選手が3人しかいないということで、前二人・後ろ一人という非常に苦しいフォーメーションにも関わらず、HKの荒れ狂うスパイクをしっかり抑えていた。将来社会人チームの要になってほしいと強く激しく希望する。

2002/05/17

外来臨床にて、担当のKY、30代前半女性の肩を触診しつつ、「先生、肩をひねると少し痛むそうです。五十肩でしょうか?」。おもわず他人の振りをしそうになるのを何とか抑え、ひたすら苦笑。
明日は学生のフロアバレーで長野盲学校との練習試合が行われる予定。ぼくも一応部活の担当なので毎日楽しませてもらっているが、ここ2・3日は非常に不調である。やっぱり睡眠不足が原因かもしれない。

2002/05/16

8時20分起床。幸いなことに家から15分歩けば学校に到着するので、とりあえず学校には20分の遅刻にとどまった。やはり不規則な睡眠は何とかしなければいけないようである。
久々に、松本盲学校のページを手直し。HTMLは、手書きの部分、ホームページビルダー製、一太郎製などが混在してるので、だんだんわけがわからなくなっている。
外来臨床では、担当のKY、授業時間が終わってもひたすら一生懸命治療をし続ける。今日はチャイムが鳴らないことをすっかり忘却していたようで、給食が食べられなかったらどうしようか、困った困ったと冷や冷や。

2002/05/15

点字理解についての研修があった。最近では、小学校の国語の教科書、中学校の英語教科書などで点字が取り上げられているようで、点字使用者としてはなかなか嬉しいことである。そういえば、漫画『名探偵コナン』でも、ダイイングメッセージとして点字を使った話があった。これはかなりマニアなトリックではと思っていたが、今日の話を聞くとそうでもないのかもしれないと思わされる。ただ、点字については、非常に意味の無い使われ方をしていることもよくある。例えば、明らかに視覚障害者には操作困難なタッチパネル式のATMに、点字で『カード入り口』と書いてあったり、タクシーのドア内側に、点字で『タクシー』と書いてあるものなどである。

2002/05/14

最近夜の睡眠リズムが非常に悪い。11時に就寝しても2時くらいには目が覚めてしまい、その後は朝まで眠れない。もちろんその反動で昼間に眠くなる悪循環なのである。

2002/05/11

左耳の聞こえが悪く、新しい補聴器をしばらくレンタル。すぐに買えと言わない良心的な店なのである。
久しぶりに『アルハンブラの思い出』を弾くが、トレモロの指が動かない。LL-23Jは、相変わらず良く鳴っている。

2002/05/08

 注文していた白杖がようやく届いた。最近はほぼ半年に一本の割合で城杖を折っている。原因の多くは自転車及びぼくの不注意によるところである。今回きたのは半年保つかな。
宅配の後、米騒動+Α+Β事件勃発。
1.ちょっとした不注意で床に粉洗剤をばらまく。
2.一応冷静な判断で掃除機をもってくるが、掃除機用の使い捨てゴミ入れがセットされていないのである。さて、どこにあったかなと、やや焦りぎみに流し台下の引き出しを開けてごそごそ。何もしらずに佇む米袋を床にひっくり返す。
3.かなり逆上しつつも被害範囲を手探りで確認。途中で洗濯機から風呂場まで伸びている排水用ホースをうっかり引っ張ってしまい、床に落ちたホースカラ大量の残留水がざばざば。
洗剤・水・米の混合物の掃除に1時間以上かかったのは言うまでもない。おかげで、米はずいぶんきれいになったのかもしれない。

2002/05/05

フロアバレーの練習。9人しか集まらずちょっと寂しい練習だったが、連休中の運動不足により、結構へとへとになる。
SFマガジンを点訳している方をブックマーカーMLで紹介してもらい、早速電話。このデータを利用しているのはまだ3名だけらしい。

2002/05/04

昼食モスバーガー、夕食マック。後は、ギターの練習と、スペースコブラを見て、だーらだーらと過ごす。
リンクページにも紹介している、ラグタイム・ギタリストの浜田隆史さんから、メールで『オタルナイチューニング』を教えてもらう。6弦から、(eフラ aフラ c f c eフラ)だそうである。びっくり。

2002/05/03

大掃除(といっても1時間くらい)で、今まで先送りにしていた炬燵をようやく片づける。床に掃除機をかけるだけで、非常にきれいになったような気になり、気分が良いのである。フィリップ・K・ディックの高い城の男を読み始める。それから、田村彰の『世にも奇妙な物語C』の中の、『失われた文字を求めて』という作品が妙におもしろい。

2002/04/30

amazon.co.jpで、スペースアドベンチャー『コブラ』の全話を収録したDVDボックスを衝動買い。アニメDVDは、以前に何となく買った『スレイヤーズ ネクスト』以来である。研究授業関連以外の仕事はすいすいと進む。

2002/04/28

山田電気へ。9pin→9pinのリバースケーブルがほしかったのだが、なぜか店頭には置いてないと言われる。コンピュータ館なんじゃないの、おい。仕方がないので、CD-Rメディアとヘッドホンを買って帰る。
今日は久しぶりにバイオリンの練習がはかどる。月に一度の練習ではうまくならないと思い、点字楽譜を見つつギーギーガリガリ。近所の人、ごめんごめん。
SF西遊記を読みつつ、連休のために貯めておいた仕事にはまったく手をつけず。

2002/04/26

明日から連休に入ります。何とかこの休み中に、研究授業の指導案や各授業の進度表などまとめて作ってしまいたいなー。

2002/04/22

避難訓練。担当クラスのHY、避難途中に忘れた下足をとりに部屋へ戻る事件勃発。残った仲間を救助に行くならまだしも、相手が靴では死んでも死にきれないのではないかなーと推察。
フロアバレーでは、宿命のライバルHCと一進一退の激闘。練習にきている学生から、このページを見てくれたという話を聞いて嬉しくなる。また、誤字があったら教えてください。

2002/04/21

午前中、松竹師会の理事会。午後、暇なので読書など。読もうと思ってなかなか手を付けていなかったアルスラーン戦記10巻を読了。それから、アニメ・特撮ソロギターをスキャナ&OCRで解析。

2002/04/20

バイオリンの練習へ。直前にあわてて楽譜を見たわりにはすいすいとガボットト短調/バッハまで終わる。次回はユーモレスク。

2002/04/19

理療科の歓迎会(飲み会)。酔っぱらってよけいなことをいろいろしゃべってしまったようである。

2002/04/18

部活動でフロアバレーの練習が始まった。一応バレー部担当になっているので、放課後も雑務はおいといてフロアバレーを楽しむことができるのである。1年ずっとやっててくれると良いなあと思う。
ぼくがいつもソーセージやハムを買っている、ミートアンドデリ花城という店から、ドイツでは有名らしいソーセージグランプリ(?)でその店のハムが金賞を受賞したというメールがきていた。そこでたのんでいた受賞記念セットという詰め合わせが今日届いた。これからじっくり食べようと思う。

2002/04/16

最近朝食はコンビニのおにぎり三つとカフェオレが定番になっている。今朝いつもの朝食を買って学校へ行き、いざ食べようと思うが、鞄の中には何もないのである。あれ、どこいったんだろ。結局おにぎり三つ&カフェオレは行方知れずのまま1日終わってしまった。不思議なことである。単に途中で落としたなんていう、つまらない結論であってほしくない。

2002/04/14

松竹師会(長野県鍼灸マッサージ師会の松本支部)、視障協(日本盲人会連合の長野支部)の総会。今年度は松竹の役員ということで、まだあまりよくわかっていないのではあるが、とりあえず1日お疲れ様でした。

2002/04/13

アニメディアで、鉄腕アトムを6本立て続けに見る。こんな土曜日のはずでは…。

2002/04/10

7月の研究事業の授業社をやることになってしまったらしい。今の研究授業でほんとに日々の授業が良くなるのか、少なからず疑問をもっているが、やはり少しでも良い授業になるよう努力をおしんではいけないという気持ちも一応あったりする。

2002/04/07

フロアバレーの練習。新しく仲間になった同僚と一緒に中央体育館へ。せっかく買ったシューズを忘れてしまい、裸足で練習。終わった後は、花見会と称して居酒屋へ。

2002/04/03

今年度は、専攻科理療科2年生の担任。それにしても、午前中職員会、午後入学式というのはどうにかしてほしい。ああ、疲れたぞ。

2002/04/01

松本にきて4年目に入りました。これまで2年間続けてきた理療教育メーリングリストをリニューアルして、新しくあはき教育メーリングリストをスタートさせました。
いよいよ学校が完全週休二日制になります。社会参加の苦手なぼくとしては土曜に何をするか思案中ですが、とりあえず1日パソコンに向かうというのは避けたいところです。

2002/03/30

職員室席替え。今年度は、一番後ろの席になってしまった。同僚が作った大変芸術的な席順表を見つつ、またこれを覚えるのに3ヶ月はかかるなーとため息。

2002/03/28

按摩・マッサージ・指圧師、鍼師、灸師試験の合格発表。とりあえず、担当クラスは全員合格していましたが、按摩試験のみを受けた人たちには厳しい結果となったようです。

2002/03/25

送別会。2次会は特に気分が良くついつい飲み過ぎてしまう。

2002/03/20

卒業式。一応卒業学年の担任ということで何となくそわそわ。中学部、高等部の生徒の答辞がとても良く、式を盛り上げていた。

2002/03/19

フロアバレーで使うシューズを買いにホームセンターへ。スポーツシューズをくださいということでサイズを言ったら、さっそく一つのシューズをもってきてくれた。いろいろ説明してくれるか、試しにはかせてくれるかと思いきや、いきなりレジへもっていくのである。選択の余地がないのか、このシューズにかなりの自信があるのか、売れなくて困っているのか、そのあたりのことは謎である。

2002/03/16

バイオリンの練習へ。メヌエット/ボッケリーニとメヌエット/バッハの短調部分が中心。LL-23Jというギターを買って以来、あまりバイオリンを弾いていない。何とか挽回したいものである。

2002/03/15

大腸カメラの当日。とりあえず事前に飲む下剤が非常にまずい。検査自体は午前中に終わってしまい、午後からも学校にはいかず、グインサーガの83巻を読了。得した得した。

2002/03/13

2月の健康診断で大腸のファイバースコープ検査が必要と言われ、検査予約。

2002/03/05

今朝家を出ていつもの大通りに出たのであるが、慣れているはずの道に今日はなぜか非常に恐怖感を感じる。おかしいおかしいと思ってよく考えるといつも右手にあるはずの杖がないのである。その代わり、小さな折り畳み傘が握られていた。

2002/03/02

唐突にときどき日記を始めます。単なる暇つぶしです。

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