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迎春 |
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【N011】 |
昨年は猿之助さんを追いかけて、お互い、東奔西走の一年でしたね。
今年も早々の春秋会に続いて新・三国志が開幕。またまた走り回る一年となりそう
ですが・・・どうぞみなさま、昨年同様よろしくお付き合いくださいませ。
■ やっと家のコンピュータも、ネット接続ができ、家でもみれるようになりました。
さてさて、やっと来ました25日。もう、この日をどれほど待ちわびたでしょうか。『ヤマトタケル』の千秋楽からですから、ちょうど3ヶ月になりますね。長かった〜。
昼夜公演両方とも行ってまいりました。
お昼が花道すぐ横の3列目4番。夜が真中のブロックの10列目13番でした。残念なことに、客席は結構空いていました。きっと、メイシアター&吹田市のPRの仕方が悪いんでしょう。吹田市報を見るまで私も知りませんでしたから。
今まで観た公演は、いつも満員だったんで、『なんで?』という気持ちになってしまいました。さらに、“鳴神“が終わると帰ってしまう人までいました。夜の公演の場合は、「終演時間が気になって」というのがあるかもしれませんが、お昼の公演なんですよ?
夜、隣に座ったおばさんが、「今回は花形が来てないのねぇ」なんていっていて、なんて失礼な!『みんな花形やっちゅうねん!』と心の中で叫んでしまいました。みんなの舞台を観てから、そういうことは言ってほしいですよね!もっとも帰りにはそのおばさんも「よかったわねぇ!」ってとっても喜んでましたけど。心の中で『そうやろ、そうやろ』と私は少し誇らしかったです。
母親は最初客席の入りぐあいを見て「見たい人が来てくれたんやから、べつにええやん」とか言ってたんですけど、鳴神が終わって帰っちゃう人を見て「ホンマ失礼やな!」ってさすがに怒ってました。ホンマに失礼ですよ。あれは。他のホールはどうだったんでしょう?
次ぎの巡業の時にメイシアターが削られてたらいややなぁ。
吹田市とメイシアターはもっとPRしろ!!ってね。見た人はみんな「よかった〜」って言ってるのに、絶対PRが足りないんですよ。
さて、愚痴はこれぐらいにして、感想を書きますね。
“操り三番叟”ですが、笑野chanがカワイ〜。猿弥さんすご〜い。門之助さん厳か〜、って感じでした。幕が上がって最初に出てきた
笑野chanは、ピンクの着物がとっても似合ってました。踊る姿も堂々としていたし、とても私と同い年とは思えないぐらいです。
顔も綺麗だし、カワイイし、踊れるし。今回の抜擢で、今後は大きな役がついてくるんでしょうか。これからが楽しみ。がんばって、私の目標になってほしいです。男の人を目標にして『〜さんみたいに綺麗になりたいわぁ』というのも、「ん?」って感じだけど、確実に私よりずっと綺麗だもの。目標にしてもおかしいことないですよね。
話を元に戻しまして門之助さんですが、なんかちょっと固かったように思いました。ふりが少ないぶん、逆に難しいのかもしれませんね。
それにしても、あの装束似合ってましたよ。この前が皇后と、おばばでしたから、翁姿を見て『ワァ…ヤッパリ、男前なんや』って思いました。あの装束を着て、座ってるだけでも絵になる。これも今日まで積み重ねてきたもののあらわれなんでしょうか。
そして、猿弥さん。すごい! この前松竹座に行った時、隣に座っていたおばさんと“操り三番叟”の話をしたんです。(松竹座の初春の公演の演目にも“操り三番叟“があるんで)そのおばさんは以前に右近さん歌六さん笑也さん段治郎さんというメンバーの、“操り三番叟”を
観はったらしく「右近さんのもよかったわよ。でも元気がよすぎて操り人形というより、ちょっとゼンマイ仕掛けのお人形さんみたいだったわ」って言ってはったんですね。猿弥さんのイメージもどっちかって言うと元気なイメージなんで、『ひょっとしたら猿弥さんもそうなってしまうかも』って思ったんです。しかし、猿弥さんの三番叟はちゃんと操り人形でした。見た目はちょっと(かなり?)重そうだったんですけど、すっごい軽やかでした。あのお化粧も似合ってたし。(あんまり誉め言葉になってない?)本当にすごかったです。
メイシアターの照明って、きついんですね。絶対、目
乾きまくってると思うんですけど、ぜんぜん瞬きしなくて、ほんと感心してしまいました。後見の寿猿さんも〈スマートにてきぱきと〉って感じで、すごくカッコよかったです。
次に“鳴神”ですが、延夫さんのお坊さん姿が、とってもかわいかったですね。
花道から出てくる前にすっごい咳込んではって、さがってからもすごい咳込んではったんでひょっとしたらお風邪をひいてはったんでしょうか。でも、舞台の上では、そんなそぶりはちっとも見せないんで、『やっぱりプロやわ』って思いました。
笑也さんの雲の絶間姫も、よかったです。滝壷に入って死のうして止められて、その時に言う科白の「死なせて、殺して」っていうのが、スッゴイ色っぽくって、ゾクゾクってしました。
段治郎さんの鳴神上人も、ほんとにお坊さんにしとくにはもったいないぐらいのカッコよさ。背が高いから荒事がすごい似合いますよね。
祖母は、「段治郎って、段四郎の息子やったか?」って。段四郎さんの息子さんは亀治郎さんだということ、ちゃんと教えておきましけど、けっこう歌舞伎を観てる祖母がそんな風に思うぐらい、段治郎さんの鳴神がよかったっていう事ですよね。
鳴神上人が、絶間姫の懐に手を入れる瞬間、『うわっ!いや〜!』って思ってしまいました。
ちゃんとわかってるんですよ。乳探りの場面があるということも、2人が男同士だということも。なのに『きゃ〜、段治郎さんのエッチ。笑也さんもなに感じちゃってるのよ!』って心の中で叫んでしまっていました。なんだか私の胸まで痛くなってきちゃうし、終わるまでずっとドキドキしたまんま。亀治郎さんと、辰之助さんの“鳴神“をテレビで見たときは、こんなにドキドキしなかったのに。やっぱりテレビと生の違いってことなんでしょうか。
最後の六法もすごくカッコよかったです。もっと花道が長かったら、もっと思いっきり六法ができたんじゃないかな?って思いました。
そして、笑野chanが、今度は後見で活躍してました。
次に“女伊達“ですが、他の二つは客席が完全に暗転にしないでやってましたけど、“女伊達“は突然暗転になったんで、『おっ、なんや?』って思いました。そしたら、幕が開いてパッと舞台の照明がついて、そこに、とっても美しい笑三郎さんと春猿さんが立っていました。吉原の賑やかな景色の中に、白と黒の着物をビシッと着こなしたお2人、カッコよくって綺麗でした。傘をクルッとまわし、渡すのが成功した後、手を取り合ってニコッと笑った顔がまたカワイかった〜。倭姫と弟姫の姿とはまったく違ったイメージでした。
春猿さんの目のまわりの紅が笑三郎さんより濃い気がしたんですが、それは、お2人の着物の違いでしょうか。笑三郎さんは白地で帯が赤、春猿さんは黒地で帯びも黒でしたもんね。
11月の松竹座で宗十郎さんが踊られた“女伊達“と唄は同じだったと思うんですけど、(覚えてるのは♪わっちゃお前にほの字と書いて〜というところだけなんですけど)踊りは、まったく違うものだったみたいですね。男伊達も出てこなかったですし。
“女伊達“が終わって時計を見ると、けっこう時間が経ってましたけど、『もっと長い時間見ていたかった』って思いました。本当に楽しい3時間でした。
次に皆さんを、そろって拝見出来るのは9月ですよね。(私はね)
3ヶ月がこんなに長かったんだから半年はもっと長いでしょうね。
4月から暫く松竹座で歌舞伎がないんで、4月からがつらい時期に入りそうです。がんばって耐えて、お金貯めて9月と10月にいっぱい観に行こうと思っています。
『熱烈猿之助ファンの妻を持って』を読み、「うちの親もそう思ってるのかなぁ」って思いました。最近、自分でチケットを買って、一人でも行ったりしてるんで、母親も呆れてきています。
でも、普通なら、同じお芝居を何度も観たりしない母親が、11月の歌舞伎を「もう一回観たい」なんて言い出し、『影響されてきたな』と思いました。母親もそのうち猿之助さんにはまっていくのでしょうか。私の親ですから、きっとはまったらとことんまで行くんでしょうね。
そうなってくれると、私の出費も減るんですけどね。(なんてね)
それでは、がんばって半年耐えます。またもや長々とゴメンナサイ。
1999年1月31日 / おさよ
■近畿地方での二十一世紀歌舞伎組の巡業が無事に終了しました。私は大阪狭山市SAYAKAホールと八尾市のプリズムホールに行って来ました。
1月9日に東京方面で巡業がスタートしてからというもの友人からの報告に一喜一憂していたのですが、ようやく自分の目で見ることができました。いつも本公演では贅沢ができず、いい席に座れないのですが、今回は巡業でしたので、前の席でじっくりと観ることができました。
『ヤマトタケル』が終わって、残念ながら東京までは足が伸ばせなかった私は、たまたま巡業の演目がすべてこちらで(松竹座・南座)上演されたと言うこともあって、予習(?)万全で観ました。
『操り三番叟』は、門之助さん猿弥さん寿猿さんそれぞれすばらしかったですが、なんと言っても笑野さんの抜擢には驚きました。とってもお綺麗でお若いのに堂々と踊っておられました。近くの席の方も「あれ誰?」と言った感じでパンフレットをパラパラとされていました。
友人とも言っていたのですが、あそこで笑野さんに初めて注目した人の中で何人の方が、後の二つの演目にも後見として活躍されていたのに気が付かれたでしょうか。
『鳴神』は、顔見せの団十郎さん&時蔵さん、浅草の辰之助さん&亀治郎さんと言うことで、どうしても比べてしまったのですが、どれが一番というのではなく、それぞれにいいなと思ったところがありました。
笑也さんの絶間姫は、予想を越えた好演だったと思います。欲を言えば全体にもう少しメリハリがあったらもっとよかったと思いましたが、溜息が出るような美しさとともに絶間姫の「意志」が見えた気がしました。
段治郎さんは私が観た三回の舞台の中で、本当に一回観るごとにどんどん演技が良くなっていくようでした。観る度に濃く(?)なっていくので、息をのんでドキドキしながら観ていました。
また、白雲坊をやっていた延夫さんが本当に楽しそうに演技をしておられるので、舞台を観ながらついついつられて私までも口元が緩んでしまいました。
『女伊達』去年の松竹座での宗十郎さんがやられたのとはかなり違った演出になっていましたが、春猿さん笑三郎さんのお二人の格好良さ、粋さが存分に味わうことができました。
男伊達のいない女伊達だけの踊りだったので、「わっちゃお前にホの字と書いて・・・・」の下りでは思わず「えっっ」っと思ったり・・・二人が張り合ったり、手を取り合ってにっこり微笑んだりの場面にも引きつけられました。15分と短かったですがお二人の美しさを本当に満喫できました。
待ちこがれて待ちこがれてやっと来た舞台ですが、早くも関西を終えてもう九州です。役者さんも大変でしょうががんばって欲しいです。
ああ、次に舞台が観られるのは2月末の春秋会なのですね。待ち遠しいです。
PS:毎日日課のようにこの『翔』のHPを見て、ネットに接続していない友人にはプリントアウトして見せてあげています。陰ながら応援しています。がんばって下さい。また機会があればどんどん投稿しようと思っています。
1999年1月30日/ 春 霞
■ かぜが流行っていますが、皆さんお元気ですか。
さて、私も先日猿之助さんを囲む会に行ってきました。最初は後援会に入りたてでもあり、知り合いもいないので迷っていたのですが、猿之助さんのお話を聞きたいので、思い切って申し込んだのです。
当日はやはり女性が殆どで、男性は数えるほどでした。
少々気後れを感じつつ、同じテーブルの方に話しかけたところ、そこは同じ猿之助ファン同士であり、楽しくお話をする事が出来ました。
丈のお話のなかで虎の話がでたのですが、中国から来た方が素晴らしい演技をしたとばかり思っていたのですが、実際は違ったとゆう事などを知り、驚きました。
(初日の頃のアクシデントで負傷。その後はお弟子さんたちが交代で勤めたりと、たいへんだったとか。日によって虎の演技が違ったりしたのは多分そのためだったのではないでしょうか。でもどの日の虎も、そんなことは夢にも思わせないような出来栄えで、拍手喝采を浴びていましたよね)
さて、1年前には後援会に入る事など夢にも思っていなかったのに何故入ってしまったのかを、少々説明したいと思います。
やはり泥沼に引き摺り込まれるきっかけは、インターネットで「翔」のホームページを見つけてしまったことでしょう。皆さんの発言を伺っているうちに、自分も段々と感化されて行った様に思います。
また、「翔」(本)を送ってもらい、それを読んで益々興味が湧いてきました。
そうこうするうちに、後援会にまで入ってしまったというわけです。
ホームページを見て、私と同じ様に猿之助ワールドに引き込まれる人が他にも出てくる事を期待しています。とにかく仲間が増える事は非常に嬉しい事です。
2月に国立劇場でお会いしましょう、勿論他の劇場でも。
その時は宜しくお願いします。ではまた。
1999年1月29日/矢橋の橋蔵でした。
【編集部より】=やったネー! そういうの聞くと、HPやっててよかったなァ・・・って思います。「翔」作ってよかったなァ・・・って、しみじみ嬉しいです。猿之助さんは常々「男性にももっと見て欲しい」とおっしゃってますから、矢橋の橋造さんが泥沼に引き摺り込まれ、ついには後援会にまで入会してしまわれたこと、猿之助さんもきっとお喜びだと思いますよ〜。
面白いな、いいな、と思ったら、とことん惚れこんで、のめり込んでみる!!そうしてこそ初めて見えてくるもの、開けてくる世界があるのです。ただし、相当ハードな日々を送るハメにはなりますが・・・・。
■月曜日25日に、吹田市メイシアターホールの二十一世紀歌舞伎組公演に行って参りました。
操り三番叟は、門之助さんの格調高い舞いから始まりました。舞台に向かって(本当はそうではないらしいですが)お辞儀をされるところなど、座長挨拶かと錯覚しました。笑野さんの千歳も良かったです。初め出てきたとき「あんなに可愛い人は誰だ?」と慌ててパンフレットをめくりました。笑也・笑三郎・春猿の三人衆とは又違った個性の笑野さん、今後が楽しみです。
猿弥さんは本当にお人形みたい。文楽で壽式三番叟を見たことがあったので、そのイメージでいましたが、糸操りだったのですね。上につるしてあった操作する板が去年見た中国泉州の木偶戯公演のものにそっくりでした。猿弥さんの踊りも首がふらふらするところ等、糸操り独自の動きを思わせるところがあって感心しました。
人形振りというと去年松竹座の阿古屋で段四郎さんがされていた文楽人形の人形振りしかみていなかったので、双方の共通点と相違点が楽しめました。
鳴神、あぁ、鳴神。本当にすごかった。十二月顔見世の団十郎・時蔵の鳴神を見に行って、亀治郎さんのはテレビで見て予習をしてこの日に臨んだのですが、圧倒されました。時蔵さんの絶間姫もすごく良かったので、笑也さんの絶間姫をどう感じるか不安だったのですが(時蔵さんはそう思わせるほど本当に良かったのです)、笑也さんの絶間姫もとってもとっても良かったです。
笑也さんの絶間姫は、時蔵さんのとは型やセリフが少し違っ
たように感じました。特に鳴神上人が胸に手を入れる場面の動作やセリフの違いが際だっていたように感じました。
時蔵さんの絶間姫は、上人をだますぞという意気込みを時折見せます。胸に手を入れられて感じている場面でも、どこか演技(以前「義務と演技」というドラマや映画がありましたが……関係ないか)をしているように感じられました。
一瞬だけ演技ではなくて、本当に“感じている”時間があるのですが、その前後は演技なのです。南座の三階から見ていたので、はっきりと主張できませんが、私はそう感じました。だから注連縄を切る前に、謝るセリフがちょっとわざとらしく聞こえるような気がしたんです。しっかりだますつもりだったと思うんだけど?ってつっこみを入れたくなりました。
笑也さんの絶間姫にはあまりその意気込み(だますぞという)は感じなませんでした。ですから絶間姫は本当に“感じている”ように見えました。その場面では会場が静まり返って、その中に絶間姫の「お上人様」という声がこだまする。体中がゾクゾクしました。どうして絶間姫の恍惚?の表情を見て女性の私まで“感じて”しまうのでしょうか。本当に不思議です。したがって注連縄を切る前に謝る場面では、初めは勅諚で来たけど、そのうち上人に情が移ってしまって、だましたくなくなった。それでも干ばつに苦しむ人々を思うとやらねばならぬ、という心情が感じられました。
パンフレットでは「鳴神上人をだますところや懐に手を入れられてうっとりするところなど、演技なのか本当の気持ちでだますのか、そのあたりがむずかしい」と書いてありました。
またメイシアターの冊子(「MAYTHEATER PRESS」一月
号)でのインタビューで、笑也さんは大阪の土地柄や印象に残っているところを問われて「お客様の反応がとても良い土地柄なので、演じやすい反面、怖い時もあります。演技面では、東京で演じる時よりは突っ込んでたっぷりと、ややオーバーアクション気味に演じるようにしています。」と答えておられるので、吹田の絶間姫はややオーバーなものなのかもしれませんが、それにしても本当にすごかった。
私が市川笑也という俳優さんに魅力を感じるのは、この場内を静まり返らせてしまう時にセリフを発する、その時に、(猿之助さんは役者さんは気を飛ばすとおっしゃっていますが)、体中からにじみ出るオーラというか、会場中を包み込む空気を支配する力というか、そういったものを発しておられるからなのだろうと思います。
もちろん、段治郎さんの持っておられる男の色気といったものも相乗的に働いているのだと思います。団十郎・時蔵コンビでは、時蔵さんの色気を団十郎さんが引き出すというより、団十郎さんのおおらかな滑稽さ、二枚目半ぶりが舞台をコミカルな味のあるものにしていたように私には感じられました。
けれど段治郎さんの鳴神上人は、確かに貫禄はまだ不足ぎみでしたが、色香に迷ってしまうような、強いのに弱さも併せ持つ男性という面がなんとなく感じられ、かえってそこに魅力、色気を感じました。
二十代後半の私ばかりでなく、会場の熟年層の方にも好評で、私の隣のおばさま方も顔見世の鳴神を見ておられたようだったのですが、「これも現代風でよかったなあ。」「ほんとに良かった、おもしろかったなあ」とおっしゃっておられました。
六時半に始まった公演も鳴神が終わった時点で8時45分頃。女伊達が始まったのが9時前。というわけで、帰る時間を気にしてそわそわしながら見た女伊達でした。
15分ぐらいで終わって「もっと見たかった」と思う反面、家に帰る時間を思うとちょっと安心しました。松竹座のように終演時間を会場に掲示しておいてもらえると、心配なく楽しめるのではないでしょうか。と
笑三郎さんも春猿さんもセットも、きれいで、粋で、鳴神が濃かっただけにあっさりと見れて、これも本当に良かったと思いました。以上が感想です。
1999年1月28日/紅娘
■ 1/23日に【浅草花形歌舞伎】を観て参りました。
…なんだか今とってもコーフンしちゃってます(^0^)。それは猿之助さんおっしゃる処の「歌舞伎とは>瑞々しいエネルギーの燃焼」ってのを目の当たりにしたからなんでしょうか…。
いったい・いつの間にこんなに大きくなって、上手になっちゃったの〜???(!@o@!)
ってな感じです。そしてテンションも高くパワーに満ち満ちていました。最後に【三之助】って認識して観たのっておととしの国立劇場かもしれないくらい、彼らを観てなかったので衝撃度が高かったのかもしれませんけど、ああ〜良かったです。めっちゃ感動してしまいました(*^^*)。
…これって初めて「雪之丞変化2001年」を観た時の感覚に近いのかな。あのときもボ〜っとなって劇中の人と化し(^^;)
、次の日またフラフラとチケットを買ってしまったくらいの衝撃だった>遠い昔の自分(笑)。(それまでだって「伊吹山のヤマトタケル」も観てたのに)
ひたむきな一生懸命さとすっごい爽やかな若さで、舞台が一丸となって燃えてるって、まさにそんな、あの、感じ。それに当てられて巻き込まれてしまったんでしょうか。
もしかしたら今だけの、今しか見られない、特別のキラメキなのかもしれません(きっとそうだと思います)。でも確かに「これよ、これ」って思ってしまったんですよ〜。
さてさて、落ち着いて、それぞれの感想です(^^;)
。
『鶴亀』
うむむ〜、これってこれだけの踊りなんでしょうか(-
-;;)。従者の亀寿さんが一番よかったです。
『寺子屋』
新之助さんの源蔵が若いよ〜。玉太郎さんの戸浪も固いよ〜。亀治郎さんの千代は、まるで学芸会の中にひとり、プロフェッショナルな人が入ったかのように素晴らしかったです。ホントにあの若さで不思議なほどちゃんと歌舞伎なんだもの〜(*^^*)。辰之助さんの松王丸は、ん・ん・ん……。
でもね〜、面白かったですよ。思わず引き込まれてしまいました。思いの外の大健闘。
『娘道成寺』
きいたか坊主との押し問答もなくってあっさりした作りでしたが、菊之助さんがキレイ
!!でした〜。
もう艶やかな大輪の花って感じ。ちょっとくにゃくにゃ柔らかすぎる気もしないでもないですけど(^^ゞ)、品もあるこぼれんばかりの愛嬌に見せられました。(以前・三人道成寺を観た時はあんなちっちゃかったのに…)
『鳴神』
…私的に、今回のメインイベントでした(笑)。もう亀治郎さんの雲の絶間姫は言うことなしです。色っぽくって、ハァ〜(#。#)
。固さもちょっとあったけど、可愛くってキレイでした(*^-^*)。
辰之助さんの鳴神上人は地でやってるかのような感じでしたが(ちょっとお上人様には見えないかな…^^ゞ)、荒事になってからは豪快で良かったです。
21世紀歌舞伎組と比べると、話はこっち(浅草花形歌舞伎)の方があっさりしてるけど、演者がこってり。21世紀の方は、話はよりおおらかにエッチ(^^;)で面白いけど、演者があっさり。ってところかな?
話も演者もこってりだったら、また違ってたんでしょうね〜(その反対もね)。
皆さん・ご意見さまざまでしょうが、私はこちらの『鳴神』の方が気に入りました。
『勧進帳』
これはめっけものでした。新之助の弁慶、辰之助の富樫、菊之助の義経。
いやぁ〜、もうどの子(^^;) もとっても良かったです。みなさんそれぞれが先祖の方々が乗り移ってらっしゃるんじゃないかと思うよな(^-^;)実力以上(たぶん)の出来だったような気がしました〜。こんなにテンションの高い『勧進帳』は久しぶり。
きっと評論家の先生がご覧になったらいろいろあるんでしょうけど、稚拙でも何でもそれを越える何かがある舞台って素晴らしいと思いました(^-^)。
気になった点は、新之助さんと辰之助さんがやたら早口になったり、新之助さんは顔が(特に目が)キレイで錦絵の様に立派なのに、腰から下が安定してないないのかなぁ〜、スピーディな動きがちょっとぉ(^〜^;)とも思いましたけど。
二人ともちょっと劇画っていうかゲームっぽいような印象はあるんですよ、良くも悪くも。メリハリがあってわかりやすいっちゃわかりやすいんですけどね〜。まぁ彼らには、どれもやっぱり早すぎる演目ばっかりだったんですけど、でもそういうマイナス要素を考えても、なお余りある【旬のおいしさ】でしたわ〜。
だから当分、亀治郎さんとの4人組を私的に【四天王】って名付けて(笑)、次の共演を楽しみにしております(あ・でも大阪へは行かれないんですぅ…T_T)。
お正月の教育テレビの歌舞伎中継のインタビューで、亀治郎さんが(亀柄のネクタイをしてたのがお茶目でしたね…^^ゞ)、三之助との共演を「一番望んでたことかも知れません」って言ってたのが印象に残ってます。もちろんファンだって心待ちにしてたことですもん。
…さぁて、うかうかしてられませんね〜、21世紀歌舞伎組
(^〜^;)。
…でもこういうのって、お互いに刺激になって歌舞伎の将来の為にも良いことなんですよね〜。切磋琢磨できるわけだし。亀治郎さんは両方共に出られるわけだから、楽しみなり(^。^)。
それではまた。
1999年1月26日/幸せごはん
■はじめまして。
「ヤマトタケル報告白書」読みました。良かったですよお。猿之助さんの熱気が伝わってきて。
「ヤマトタケル」:前々からうわさには聞いていたけどなかなか見る事ができずに悔しい思いをしていた舞台ですが、松竹座でやってくれたのでやっと去年の秋に見る事ができました。
面白かった。見れてよかった。感激しました。
「白書」を読んでいて、あの舞台にはこんな苦労があったのかってかんじで・・。去年の感動を思い出しました。大碓と小碓の早替わりなんか、なんであんなことができるんだって自分の目が信じられなかったですしね。
でも音楽にしても、衣装にしても舞台にしても、ケンケンガクガクやって、あんな素晴らしい舞台に結びついているんですねえ。
カットした部分が余りにも多いのにもびっくり。是非、「伊吹山のヤマトタケル」みたいに、カットした部分も別に見てみたいものです。
猿之助さんの歌舞伎は見た後すごく元気が出てくるので大好きです。今年も何をしてくれるのか今から楽しみ。
ホームページ、これからも楽しみにしてます。頑張ってくださいね。
1999年1月25日/ 順子・N
【編集部より】= 恭子さんといい、順子さんといい、あたらしいお仲間が増えるのって、ホントに嬉しいことなんですよ〜。折りにふれ、いろんなことメールしてやってくださいね。楽しみに待ってます!!
■ こんにちは はじめてのmailです。
神戸在住の私にとって、一生忘れることが出来ない一月十七日がまたやってきました。毎年この日が近づくといろいろ思い出し、眠れなくなります。
あのころ、家を失い、肉親も失って・・・、つらい時にはよく眼をとじました。いつ行けるともわからないお芝居を夢みていました。
そんな時に思い出すのは何故か「四の切」。そして赤い色。静御前の着物の色。
そうして、自分をなぐさめていました。
ズタズタの交通機関をあちこち乗り継いで、やっとやっと大阪に出ることができたとき、猿之助様は、私たち被災者に大きな
presentをくださいました。チケットがなくっても、毎日、「四の切」を見せてくださったのです。長い間涙を流すことさえ忘れていた私でしたが、毎日ポロポロ泣きながら舞台を見続けました。そうして私は私自身を呼びもどすことができたのです。
つらかったけどもう一度立ち直ることができたのはお芝居のおかげです。 早くも4年たったけど、猿之助様に、お礼を申しあげたいのです。
「その節は本当にありがとうございました」と。
1999年1月25日/恭子・E
■今年も全速力・・・と云っても一年は長いので、まずはゆっくりウォーミングアップから・・・
と思っても、エンジンかかると止まらない(止めれない)私(-_-;)))
誰かさん???を見習って『ブレーキの壊れたトラック』(←!?)は卒業しなければと自省しつつ・・・99年も走り出してしまいました。
12月は千秋楽とともに高熱を出し、流行のインフルエンザで(大掃除も結局途中で放り出したまま)年末年始を迎えました。
それでもしっかり、四天王&浅草中継は観ましたよ。ホント、猿之助さんの舞台を観つつ(録画といえど!)年明けなんて嬉しい限り。
実際の初観劇は、8日浅草夜の部となりました。
三之助は昨年より数段の進歩で、昨秋三人形を観たときも感じましたが、客席の、より強い期待と歓喜を促す「何か」が出てきたように思います。
もともと梨園の超御曹司たちですから生まれた瞬間から、DNAの継承を観たい!という歌舞伎独特(というか父子相伝伝統芸能特有?)の宿命は背負っている訳けですが、ファンの方には申し訳けないけど、私は数年前に三人吉三を中継(録画?)で観たときには、「悪いけど、これだったら三之助観なくてもいいや・・・」と思ったのが、三人形を観て以来「いや〜〜、これから彼らがどうなって行くのか、観ていきたい〜〜。」と思いました。
さて、やっぱり気になるのは鳴神です。
ちょっと辰之助くんには荷が重かったか・・・一生懸命なのは充分伝わってくるけど、どれもこれもいっぱいいっぱいで、で、どうしても顔立ちが幼いから、行を積んだ徳の高いお坊さんには見えません。
亀ちゃんはきっちり演っていましたが、色香で男を落とすには、「女」が不足しているような気がします。
花道からの出のとき、使命を帯びた毅然とした感じがあったのは良かったけど、白雲坊、黒雲坊&鳴神に夫とのことを語って聞かせる場面、もっと色気と、ある意味女のあざとさみたいな部分があった方が面白いと思います。
古典ものってまず『かたち』っていう処があるのかもしれませんが、このお芝居の見所は男女の機微の部分も大きいと思うのでその辺もしっかり魅せて欲しい。
その点は巡業の笑也&段治郎コンビの方が、私にとっては見応えがありました。
21世紀歌舞伎組の巡業はまず、初日の横須賀、そして茅ヶ崎と観ましたが、心配していた(←なんで?((~_~)笑也さんの絶間姫が、なかなか良い出来で、もしかして、笑也さん女性でこんな風に苦労してきた?と思わせるような(笑)目の配り方、さあさあひと芝居打ちますわよ(絶対落しますわ)という女の余裕、(特に「聞いてくだしゃんせ」あたりから。)あっ、あと乳探り(←凄いネーミング^^;)の前(「あ痛っ、痛たた・・・」の台詞に入る前)の間も絶妙でした。客席中の人が鳴神同様、絶間姫の話に引き込まれていくし、乳探りでは静寂が(!)客席を支配しましたもんね。。。
酔いつぶれた鳴神に向かって「本心からではない。」と詫びるものの、でもそれでも勅命を全うすること、ひいては自分の好きな男の役に立ちたいという意志の方が勝る訳けだから、民衆の難儀を救うためというかっこうのエクスキューズがあって良かったね、と思うのは穿ち過ぎ!?
あまりにも絶間の女の描写が自然で、新派っぽくなってしまうのとぎりぎりのところで踏みとどまっているという感じですが、私は笑也さんの絶間姫大好きです。
段治郎さんは、すっきり二枚目の上人で、やっぱり坊さんにしとくには惜しい(爆)約束を反故されたからって、一般人民をも困らせるような法力を使うような狭い了見ならさっさと還俗して、もっと甘美な人生を送りましょう。(←スミマセン。ちゃちゃでした^^;)
上背もありぶっかえってからの扮装も良く似合ってますが、段治郎さん、ちょっと体調が良くないのでわ?と思えるような、やや覇気に乏しいところがありました。
順序が逆になりましたが、操り三番叟ですけど、びっくりしたのが大抜擢の笑野さん。初日から臆することのない流石の踊り手です。(どちらかと云うと門之助さんの方が緊張されていたような。。。)
オグリの三幕目が開いたところで芯に立っていた時から注目していました。
美貌も資質の一つですから、それに加えて舞踊の素養がある、そして、昨年5月の軽井沢での勉強会では台詞もなかなか良かったですから、(←入門して日が浅いわりには)これからが本当に楽しみです〜〜。自分の出番が終わってからも後見が続き、終演まで大健闘でした。
三番叟の猿弥さん、ふとした表情の作り方が猿之助さんを彷彿させるものがあり、もちろん猿之助さんの部屋子として、小さい頃から芸を学んでいるのですから当然といえば当然ですが、前述したような血のつながりはなくとも(←DNAの継承!?)受け継がれていくものがあり、なんだか凄い感傷的な気持ちになってしまって、いつか遠い将来、舞台上に猿之助さんは不在で、お弟子さんたちの中にだけ猿之助さんの面影を見出す日々が来ることを想定してしまって、切なくなってしまいました。
というのは全く私の個人的な想い入れで、舞台上は明るく輝いていて猿弥さんキレイですよ〜〜。
顔も衣装もよく映えてます。
寿猿さんの存在は舞台上の猿弥さんとそして客席にいる私たちをも安心させてくれます。
女伊達はとにかく、最初の視覚的インパクトが強いので(場内が真っ暗になり、幕が上がったその刹那ぱっと照明がつくと、そこは華やいだ吉原の町〜〜という・・・私は立ち並ぶ引手茶屋の遠近法に観る都度感心致します〜〜。)どこの劇場でも歓声が上がります。「まぁ、ずいぶん、いろいろ観せてくれるのねぇ。」という溜め息とともに、感嘆の声が聞こえてきたこともありました。
今回、巡業用には、演目立てもいいし、時間の配分も適切だと思います。
女伊達は(時間的に)物足りなく思う人もいるかもしれないけど、(私の連れも『ずいぶんさっさと終わっちゃうんだねぇ。』とは言っておりましたが)あの最初の感嘆を持続(華やかな背景と光量の強さ、美しい女形の登場。豪華な出囃子など)させたまま、粋な踊りとシンプルな立回りがあって、すっきり終演というのが客席の生理にも合っていたと思います。
実は横須賀・茅ヶ崎の後は新宿〜沼津〜浜松と(私も巡業!?)観劇しましたが、どこでも観客が満足そうに劇場を後にする姿を目撃して、私もとっても嬉しかった!!
話は変りますが、24日は東京で「猿之助さんを囲む会」が開催されました。十二月の国性爺についてや今後の予定等、いろいろなお話がお伺いできて、そして、一ヶ月ぶりに猿之助さんのお顔が見れて、幸せでした(*^^*)
三国志については来月の記者発表で、いよいよ全容が明らかになるとのこと。お楽しみに〜〜〜!!それでは、今年も良い舞台との邂逅を期待して!(で、ブレーキの修理が間に合わない私は、絶間姫以上に評判がいいと噂の亀ちゃんの千代と、巡業千秋楽@大分も観に行く予定です。。。)
1999125/ Yasuko.W
■ ご無沙汰していますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、二十一世紀歌舞伎組の巡業は、東京圏最後の19日、新宿文化センターにやっと間に合いました。今回は右近さんという看板が一枚抜けた公演ですが、華やかに三つの演目が並び、しかも全体としてはなかなかやるじゃない!という感じの舞台で、やっぱり無理しても見に行ってよかったです。
というわけで感想です。ただし昔からの澤瀉屋一門ファンとして、期待が大きいからこそ今回はあえてちょっと辛口の感想になっちゃうところもあると思うのですが・・・。
「操り三番叟」。さすが、踊りの名手の猿弥さん、軽妙に楽しく見せてくれました。それと、特に後見の寿猿さん!とっても印象的でした。本当に後見に踊らされてる、って感じがあったんです。一朝一夕には絶対できない、老練な芸を見せていただいたように思います。
片や千歳の若い笑野さん、落ち着いていてきれいで、踊りもとっても上手。感心しました。
それに対して「鳴神」です。面白く見せて、観客も沸いていました。ただ、うーん、個人的には何だか歌舞伎十八番物を見たという気がしなかったんです。それは笑也さんの演技がスーパー歌舞伎の時とあまり違わないからじゃないのかしらと。たとえば、例の、偽の癪を起こす「アイタ!」も、あまりにもナマな感じでした。もう少し様式的なというか、そういう表現であってほしいなと思うんです。
色仕掛けで上人を誘惑するなんていうアブナイ場面にもかかわらず、格調を失わないのは、多分そういう古典の演技術が効いてるからんですよね。それがナマな表現になるとどうしてもちょっといやらしくなるような気がするのですが。
それよりも一番ショックだったことは、注連縄を切ろうとして蔦にすがって岩山に登るところです。
確か10年ほど前の「獨道中五十三驛」でも、重ノ井姫が滝壷に身を投げようとして同じ様に岩山に登るところがありましたが、当時は全然見せ場になってなくて、まあ10年前のこととて、ファンとしても「まだできなくても仕方ないよね」という感じでした。ところが今回の雲の絶間姫でも10年前の重ノ井姫の時と大差なかったような気がするんです。
確かにスーパー歌舞伎の笑也さんはきれいで光っていますね。
でも昨年暮の歌舞伎座昼の部のときに、ふと漏れ聞いた会話、「猿之助の所の人達はスーパー歌舞伎だけだからね、こういうのには出ないのよね」が胸に突き刺さりました。
「そりゃ誤解だ!」と言いたかったけど、あの絶間姫を見たら、やっぱりグッと詰まってしまうものがあります。ファンにとっては、それって、本当に悔しいことなんです。
そういう世間の偏見を打ち破るためにも、古典だって立派にやれるところを、一門の立女形であり、門之助さん、右近さんと共に二十一世紀歌舞伎組の“顔”である笑也さんに見せてほしい!!後に続く人達のためにも。こんな大役をやらせて下さる師匠のためにも。
でも段治郎さんの鳴神上人は“健闘”だったと思います。確かにまだ若すぎるので、あまり鳴神上人らしくは見えなかったけれど、何よりいいのは、教えられた通り、それこそ「やなことしたりせず」真っ正面から丁寧に一生懸命やってるのが伝わってきたことです。最初は硬かったけどだんだん伸び伸びしてきて、特にぶっ返ってからは長身が生きて大きく、六方も迫力があって、とっても魅せていました。
最後は「女伊達」。皆さんのおっしゃる通り、よく似合って本当にきれいでした!でも、私は欲深なので、二人女伊達という設定で、しかもあの二人だったら、もっと面白くできたんじゃないかなんて思いましたけどね。二十一世紀歌舞伎組の「売り」の一つ、きれいな女形コンビの魅力をもっと存分に発揮できるような振り付けにしてほしかったなアと。尤も、15分という短さでは仕方がなかったのかもしれませんけれど・・・。
それにしても私って、「よかった・・・」と思っても、何か言わなきゃおれない、手放しでは誉められないホントに因果な性格なんですねエ〜。皆さまおゆるしを〜。
1999年1月23日/SHOKO.Y
■ もうすぐ吹田に歌舞伎組がやってくる。早く来い来い25日!
でも、その前にテストが!次の日もテストが!という状態です。
今とってるチケットは夜の部だけ。だから今、昼も行こうかと迷ってるんです。後悔しないためにも行ったほうがいいですよね。でもそうなると、またお金がなくなっちゃう。今悩んでるのはそこ。でも、悩むんだったらやっぱり行ったほうがいいですよね。チケット残ってたらいいんですけどね。
帰る電車の中でもう一遍 悩もうと思っています。
早く笑野さんがみたい。(いつのまにやら)笑野さんが千歳をしていたと言うのを読んでから、早く見たくってしょうがないんですよね。
この前愛之助さんの千歳を見たんですけど、どうしても笑野さんがダブってきちゃうんですよね。(玉三郎さんの花子には笑三郎さんがダブってしまいました)笑也さんの絶え間姫も楽しみです。それでは。
1999年1月21日/ おさよでした
■ もぉぉぉぉどぉしますぅぅぅ?
今年の七月は「伊達の十役」ですよ?!!どぉしよぉぉぉ〜♪♪(*^0^*)
そんなそんなそんなっ!いや〜んっっこうなったら歌舞伎座の横にテントでもはるしかないんと違います?!
古いファンの方はそうでもないかもしれませんけど、私なんかまだ5年そこそこしか観てへんので、もぅ正直いってあきらめかけてたんですけど、「ホンマにやってくれはるんですか??ちぇ〜〜〜かたじけないっっ!」そんな感じですぅ。
ついこないだも友人と観たいねっていってたところなんですよぉ〜実現するなんてホンマに涙もん!!嬉しい!!!
もしかして心の声が猿之助さんに届いたんやろか??
これって一種の<心がよい>??そんなアホなことまで考えしまう私って底無しのアホかもしれん。
今日、骨粗鬆症の検査が会社であって、しっかりした骨ですってお墨付きをもろたんですけど、もしかしてホンマにすかすかなのは脳みそやったりして……(苦笑)
そやけど、猿之助さんってば…ここまで狂った私をこれ以上狂わせてどうするんやろ。責任とってエエ舞台みせてくださいよ〜。(健康管理も含めて!)
はぁ〜ぁ。私も仕事がんばろっと!
あっ、そうそう、猿之助さん出演のスタジオパーク、26日ですね。もちろん私は花道つくりにまいりますわ。NHKのHPをみればご丁寧に地図までありますのよん。
http://www.nhk.or.jp
1999年1月19日/YUKA蔵
■仲見世通りは、人が溢れて、急ぎ足では歩けなかった。どの店の軒先にも、紅白の繭玉が飾られ、この町は、まだ正月が続いていた。
なにはともあれ、観 音様に初詣をすることにした。浅草の観音様にお参りするのは生まれて初めてという、正真正銘の初詣であった。青春時代に(ボケオヤジにも青春はあったのだ)8年間も東京に暮らしたことがあるというのに、今から思えば、バチアタリなことであった。
それでも図々しく、家内安全と健康長寿を御願いして、
浅草公会堂へ向かった。
【松梅桜 鶴亀ことぶき 千代の舞 観音様の 御加護あれかし】
明るく華やかな舞台だった。客席は若い人が多く、20代、30代の男性も
みうけられ、歌舞伎の好きな人たちが集まったという感じだった。大向こうさんも5〜6人いて盛り上げて下さった。
小生は、気合いを入れて真剣に観て いたためか、終演後にボーッとして、眠くなってしまった。御大の舞台を、ファンの立場で気楽に見るのとは違い、保護者??応援団として見たせいか、妙な疲れかたをしてしまったようだ。
【鶴亀】明るく華やかな舞であった。初春の御祝儀として、ゆったりと格調高くまとめられていた。従者・亀寿さんが良かった。音楽に乗り節目々々のキレも良く小生の好みに合っていた。
【寺子屋】亀治郎さんの千代は評判に違わぬ、いやそれ以上の出来栄えであった。
花道から登場し 本舞台の門口での台詞を聞いた時ビックリしてしまった。<アルト>だったのだ。浅香姫・お里のソプラノ?、ヘタルベのテノール?からは想像できない声の使い方だ。
話は進み、源蔵に切りかかられた場面では・・♪文箱で刃を受け止めて、形
を改め経帷子を、見せてかねての覚悟を示す、♪母の台詞わぁ〜、デンデン、メッゾソォップラノォ〜〜√ここで吼えなきゃ男じゃないと、気合いを入れたしっぺぇ太郎、声張り上げて〜√おもっだかやっ・・・
台詞だけでなく、要所々々の細かな演技も丁寧に積み重ねていた。例えば、
野辺の送りをするため、戸浪が、奥から小太郎の遺骸を抱えてきた時、千代は黒紋付を脱いで、白装束に変る途中だったが、戸浪の方を向き、子供をおもう仕種を見せたとか。
しかし、上手なら上手で、年寄りの取り越し苦労が始まってしまった。この
日の舞台では、亀治郎さんの持ち味・魅力を出しきっていなかったような。他の人たちが自分の個性を前面に押し出していたのに比べるとやや物足りなさを感じた。お里の茶目っ気、ヘタルベの思いっきりの良さは、どこへ行ってしまったのだろうか。舞台に立つのが楽しくてしょうがない、という若々しさを感じられなかったのが残念なのだ。
(ゴツン)痛ぇなあ・・・馬鹿もいい加減にしとくれっ!千代はねぇ、子供を殺されて泣いてんだよ。おまけに、若旦那は御自分が泣いてるばっかしじゃあ済まねぇんだよっ。客を泣かせなくっちゃあ、いけねぇんじゃないか。何が茶目っ気だい。どこが楽しいんだい。四の五の言う前に、おまいの頭のタガあ、締め直して来いってんだ・・・
新之助さんは顔がいいから得よね、と家内が言った。演技としては一本調子
の感じがし、表情もあまり変化しなかったが、気持の動きが目に現れていた。多分、御本人は意識していないのであろうが、成田屋の目は<睨み>以外にも役にたっていた。
玉太郎さんは、過日の、シッカリした若侍の好印象が強い
せいか、女方に成りきれていなかったように思われた。
辰之助さんは気力にあふれていた。√でかしゃったあ〜源蔵どのお〜、のと
ころで√ぅとわっやっ、と声を掛けてしまった。しかし、√思うにつけ、桜丸は・・ごぉめぇ〜ん、では、その気にならなかった。翌日、某HPを見たら、点滴をうちながらだったとか。まったく気がつかなかった。演技の巧拙をいっては失礼に当たるであろうが、感じたままを書かせて頂いた。
【娘道成寺】舞台化粧をした菊之助さんは、素顔のとき以上に菊五郎さんソックリになってしまった。稽古充分でシッカリしていたこともあり、娘踊りの部分は、菊五郎さんよりも良いと思われた方もひょっとするとあったかもしれない。しかし、鐘に対する恨みは、強く表現しなかった。現在の菊之助さんの魅力を強調するために、総てを承知の上で、軽く流したのかもしれない。
道成寺の前の幕間に、富司 純子さんがロビーで御知り合いの方と歓談されていた。音羽屋夫人としての御立場もありましょうが、小生は、やっぱり母親だなと思った。
猿十郎さんが、寺子屋の村人役で出演していた。道成寺では所化も勤めてい
た。ぶつかり合った時にバタンと倒れるほうの役です。相変わらず御元気ですが、勿体無いというか、贅沢というか。
笑子さんも所化役で出演していた。真面目にやっていたが、ついつい女方のクセが出てしまうのが微笑ましかった。筋書きによると笑子さんは、鳴神の後見もするとのこと。
主役・準主役をされた皆さんは、それぞれの個性があり、それぞれの魅力を
持つ若者たちです。豊かな未来に向かって頑張って頂きたいと願っています。
【競い合い 励まし合って 若獅子よ 想ひをつなぎ
天に翔たけ】
1999年1月19日/しっぺえ太郎
■ 昨日、松竹座の夜の部を観てきました。2列目の9番、花道寄りの通路際という、た〜らた〜ら(涎が…)という席で。
普通、猿之助さんの公演だと、原則として(ということはタマに例外もあるってことですが。)3列目までは取らない、イエイエ取れない!私です。だって、ドキドキ、バクバク、芝居どころじゃない、なんて感じになってしまうんです。
昨年の10月、松竹座で久しぶりに最前列に座ったんですけど、手の置き場所はこれでええかな?とか、脚はキチンとしとかなアカンとか、コッチばっかり観てんとアッチも観な悪いしとか、笑い過ぎたかな?もっと涙ごぼした方がやり甲斐あるやろな…とか、とにかく疲れる、疲れる!!
「みんな一生懸命にやってはるのに、誰がそんなこと気にするネン!」って、分かり過ぎるくらい分かってるんですけど、理屈じゃないんですね。それにあんな至近距離から猿之助さんを見つめるなんて、考えただけでも汗は流れる、目眩は起こるで、私にはやっぱり毒がキツ過ぎるって思うから。(屈折もいいとこだけど、ホントのホントなんですゥ。まったく自分でもよ〜わかりません)
でも昨日は、ジッカリと観て帰ってきましたよ!
昼の部は千秋楽の日に観ることにしたんですが、運良く前がポツンと空いてたりして、私、こちらも迷わず最前列をゲット!この辺が猿之助さん出演の時と違うところやなァ〜、なんて思いながら。
さてその舞台ですが、どの演目も面白く見ごたえがあって堪能して帰ってきました。
土曜の夜ってこともあるのでしょうが、補助席も目いっぱい出ていて、客席は観るぞ〜!という気合充分。
どの演目のどの役者さんも、それぞれがその役に没頭している感じがあって、お芝居の面白さに加えて、「ああ、いいもの観られて、よかったなァ〜」って、とっても爽やかな気分にひたれた舞台でした。
『毛谷村』の段四郎さん、”気は優しくて力持ち”の見本みたいな六助で、いかにもピッタリ。でも初役だったんですね。福助さんの押し掛け女房お園とのやりとりにも、思わず笑いがこぼれてしまうような独特の面白味があったし、なかなかよかったです。それと段四郎さんの声って、強くてふくらみがあって、ホントによく通るいい声だなァと。それにしても『毛谷村』って、平和〜な感じのするお芝居ですねェ。
反対に『時雨の炬燵』は、地味でとっても辛いお芝居というか。
いくつもの義理と人情がぐっちゃぐちゃに絡み合って、「そりゃあもう尼になるより、心中するより、どもしょうがないわなァ…」みたいな。
でも流石 は 若き日の猿之助さんを虜にしたという”和事”
だけあって、見事というか、絶妙というか。
笑わせて、楽しませてを繰り返しているうちに、舞台はいつの間にかグングン悲劇に突入していき、観客は三者三様の思いにもらい泣き。近松さんって、ホンマ上手やなァ〜って、つくづく感心してしまいました。
鴈治郎さん、秀太郎さん、扇雀さん、吉弥さんたちで固めた舞台は、間といい、味といい、独特でしたね。サラサラ軽妙に進んでるかと思ったら、ここぞ!という時には一転、クサイ乗りとしつこい突っ込み!これぞ大阪、これぞ上方って感じの劇空間になっていました。
特に揺れ動く女房おさんの心理を見事に表現しきった秀太郎さんはすごかった!別れを決意して花道を入っていく時の迫真の演技はゾクゾクもの。客席からも大きな拍手がわきおこりました。
そしてまた、ガラリと違う玉三郎さんの『娘道成寺』。
酔いしれました。ほんと、酔いしれましたとしか表現のしようがありません。
出来れば花道の出のところからやってほしかったですけれど、松竹座の場合は時間の制約が厳しいので仕方なかったのでしょうか。
『娘道成寺』は、これまでにも玉三郎さんのはもちろん、菊五郎さん、鴈治郎さん、勘九郎さんのほか、春秋会では猿之助さんのものまで観ていますが、それぞれに印象が違って、やはり何度観ても興味のつきない演目ですね。
玉三郎さんの『娘道成寺』は、切ない切ない、ひたすら切ない・・・そんな空気が舞台全体を覆っていました。
目も眩むほど華やかな舞台で、溜息がもれるほどに美しい花子が、文字通り爛漫の花のように舞っているのに、とても切なくて哀しいのです。
晴れ渡った青空が、澄んでいればいるほど、高ければ高いほど、泣き出したくなる感じってありますが、玉三郎さんの花子はそれに似ているというか、とにかくそんな感じのする『娘道成寺』でした。
猿之助さんの『娘道成寺』、もう絶対に出ないのかなァ・・・。
玉三郎さんのとも、他の人のとも違った、”意思”を感じさせる、鐘をも焼きつくしてしまいそうなほどに激しく狂おしい恋に泣く猿之助・花子の『娘道成寺』。ああ、ホントにもう一度観たいです。
1999年11月17日/ Miyako K
■15日に、グローブ座カンパニーの「夏の夜の夢」を観てきました。
今、渋谷のコクーンでも「夏の夜の夢」を上演していて、こちらには寺島しのぶやら世間的にも知られた俳優達がでているので、世間的知名度はこちらでしょうね。
私が観たのは東京グローブ座というシェイクスピアものをメインに上演する劇場で(もちろん、他の劇団も使っています。たとえば優◎機械/全自動シアターや、今年はキャラメルボックスもここでやります)、小さいながらも、とても良い空間です。
このカンパニーに、明楽哲典さんが参加している為、私は毎年観ています。
さて、明楽哲典という名前を覚えていて下さる方は、どのくらいいらっしゃるでしょう!?
初期の21世紀歌舞伎組に参加していましたし、89年のアメリカ公演の「義経千本桜・花矢倉」で「明楽がいなければ、あれだけのスピーディーな大立廻りはできなかった」と猿之助さんに言わさしめましたし、あの「リュウオー」で猿之助さんを相手にしてバック転での花道の引っ込みと言えば思い出して下さる方も多いのではないでしょうか。伝説の(と、私は思っているんだけど)9人の返り越しをしたのが、彼でした。
その後野田秀樹作品に参加したり、グローブ座や様々な舞台の経験を積み、良い役者になりました。
猿之助一座にいた時は声を聞く機会はほとんど有りませんでしたけど、なかなか良い声をしていてセリフもよく通ります。
そして何より、筋肉は健在です! 「十二夜」では体育会系の公爵サマを演じて、とっても可愛かったです。ちょっとムチムチとしたカンジなのですが(何故か毎回、登場人物が彼に対しそういうセリフがある・・・)、今回ちょっとスリムになって、ことに顔がすっきりして益々ステキになりました。妖精パックに翻弄される二組の恋人達の一人ライサンダーを、熱く、そしてさわやかに演じました。
オベロンは青年座出身で、{子供の為のシェイクスピア}の演出兼出演を続けている山崎清介。ティターニアは花組芝居の加納幸和。パックは夢の遊民社出身の上杉祥三。というように、その他の出演者あわせ、芸達者で魅力たっぷりの役者揃いでしたから、実に良い舞台でした。
妖精王夫妻は隈取りのようなメイクで、なかなか濃い演技を見せるのですが、それが嫌みにもあざとくもならず、パックの時に軽妙、時に滑稽、時に皮肉な芝居とも合わせ、すっかり魅せられてしまいました。
ドタバタと展開して大笑いさせられ、ところどころで語られる七五調の文語体のセリフに心地よく酔わされ、その挙げ句に人生など所詮一乗の夢に過ぎない事を感じさせられました。それも、誰の夢なのか・・・
そして、恋というものの激しくも滑稽な他愛なさも・・・
この後は1月21日〜24日まで、大阪MIDシアターで上演されます。
先日、「もののけ姫はこうして生まれた」という本を読みました。あの映画のメイキング・ビデオの監督が書いたものなのですが、とにかく宮崎駿が凄まじいです。
中でも私が興味深かったのは、「趣味のある人間は(アニメを創る人間としては)だめだ。すべてをアニメに吸い取られている人間でないと出来ない」というコメントでした。
猿之助さんに相通ずる話ではないかなぁと思ったのです。宮崎監督も、そして猿之助さんも、実に知識欲旺盛で、ありとあらゆる方向に御自身のアンテナをのばして、貪欲に吸収し続けていらっしゃいます。それ全ての行き着く先は、アニメであり、歌舞伎であります。
それほど凄まじい執念で物を創り出していらっしゃるわけで、趣味などという逃げ道をもってはいないと言う事でしょうか。
頂点に立つ人間の凄まじさという事ですね。
仕事でよれよれになって年末に滑り込み、元日からインフルエンザで寝込みました・・・情けない事です。
ずいぶんと質の悪い風邪が流行っています、
みな様、どうぞお身体にお気を付け下さいませ!
1999年1月17日/Chikako T
■こんにちは。はままつです。さっそくのお返事ありがとうございます。楽しみにお待ちしております。えーっと。もし、まだ配送の手続きをしていないのでしたら、勤め先にお送りいただけますか?不在がちなもので・・・。
さて、私が歌舞伎を 一番最初に観たのは、高校の時、歌舞伎教室で、吉右衛門さんの”四の切”でした。そのときから、興味はあったのですが、自ら観に行くという行動にまではうつせませんでした。今から思えば惜しいことです。
7、8年ほど前、アルバイト先の休憩室で’今度玉三郎観に行くんだ’という話になりました。
その人は、もと劇団員ということでしたが、歌舞伎はお初だったようです。
”いいなぁ、わたしも観てみたいんだけど、なんだか敷居が高い気がします”という話をしていたら、”わたしも行きたい、行こう”という人がいて、行くことになったのです。
演舞場でした。
2人とも、大感激&大興奮でした。そのときに、「オグリ」のポスターが貼ってあったのです。
それで観た「オグリ」は、おどろきでした。こんな世界があるとは、という。
歌舞伎って、こういうものなんだ、こんなにパワーがあるんだと思いました。
そして、「猿之助ってかっこいい!」 って、単純に思いました。(それまでは、名前しか知りませんでした。お恥ずかしい限りです。)
それから、毎月歌舞伎座に通うようになったのです。でも、東京以外までは追いかけるということはありませんでした。千秋楽もわざとはずしていたし。(いい席がとりずらいから)
が、ある時、たががはずれました。(笑)
きっかけは、なんだったんでしょうねぇ。よく覚えてませんが、再演時の”八犬伝”だったと思います。
当時、上司とあわなくて、会社が嫌で嫌でしかたがなかったのです。
一般事務という単調な仕事もいやでした。嫌で嫌で仕方がなかったけど、でも、何も行動に移せない自分も嫌だったのです。
そのようなときに、”不幸なのは何も生み出さないこと”という台詞を聞いた時に、だーっと涙があふれてしまって・・・。憑き物がおちたように、すっきりしました。
あいかわらず、上司も会社も仕事も嫌だったけど、そんなこと、たいしたことじゃない、わたしにはやりたいことがあるんだって思ったんです。
”ガラスの仮面”という漫画で主人公の北島マヤが”舞台に立っているときは、生きている、って思う”というような台詞をよく言いますが、逆にわたしは舞台を観ていて、その、舞台のパワーを感じるのです。残念ながら、わたしには、それを人に与えることはできませんが。
と、いうわけで、遅ればせながら、びょーき発症したわけです。
昔の舞台写真とかみると、猿之助さんと同じ時代を生きてきたかったっっっっっ!!って痛切に思います。
でも、まぁ、過去を振り返っても戻れないので、今、これからの舞台を追っかけようと。
そのために、働こうと、決心したわけです。
いまだに、会社も仕事も嫌で、いらいらする毎日が続くけど、まぁそれもこれも舞台のためだと。ある程度、割り切れるようになりました。
明日は、水戸まで行きます。もちろん会社は休みます。だって、そのために働いているのだから。
長々と書き続けてしまいました。ここまで読んでいただいてありがとうございます。もし、何か、いつかお手伝いできることがあれば、と思います。
まだまだ、寒いですので、お体には十分気をつけてください。
1999年1月11日/はままつ
■東京に、3大テノールを聴きに行ってきました。
テストも控えていたので(今日がテストでした)勉強道具とともに、時間があれば読もうと思って『翔』を東京まで持っていたんですね。新幹線の中ではちゃんと勉強してたんですけど、コンサートが終わって、ホテルに帰ってきてまず見てしまったのは『翔』でした。
五号のほうを持っていったんですけど、コンサートに行くときもロッカーに荷物を入れておくときでも、『翔』だけは、ずっとかばんの中に入れていました。だって、ホテルにおいておいて火事がおこったり、何かあったらいやでしょ。ロッカーも信用していないわけじゃないんですけど、やっぱり肌身はなさず持ってるほうが安心やし。
それで、帰ってきて『翔』を読んでたんですけど、予想通り読み出したら止まらず母親に「早くお風呂に入りなさい!」と怒られてしまいました。
お風呂から上がってもまず真っ先に『翔』に手が伸び、読んでしまいました。気がつけばもう2:30(夜中の)。寝なければと思い、何とかきりのいいところまで読んで寝ました。
私は文章を読むのが遅いので、そのせいもあると思うんですが、段四郎さんがおっしゃっていた通り、2日どころか3日ぐらい徹夜して読んでしまいそうです。
まだまだ、読んでないんで早くテストが終わればいいのに。
7日に8日提出のレポートをやってたんですけど、夜中になってしまって何も好きなテレビがやっていなかったんで、『四天王〜』をかけながら、レポートをやってたんですけど、ビデオのほうに気が行ってしまって、レポートはぜんぜんはかどらず、3時ぐらいまでかかってしまいました。
しかも、決められた枚数にいかず、それ以上頭も働かなかったんで、(だって頭の中は『四天王〜』の舞台でいっぱいだし)いさぎよくそのままレポートは出しました。
この調子じゃ、テスト勉強をせずに『翔』を読んでしまいそうです。
もし単位を落としたら、『翔』と猿之助さんのせいですからね。なんてね。自業自得ですよね。
まあ何とか乗り切ってみせます。早く『翔』を読むためにも。それでは。
1999年1月11日/おさよでした。
■寒いです〜。横浜も本格的に寒くなってきました(>_<)。 年々寒いのが苦手となってきてるので、早く暖かくなって欲しいモノです。 (北国にはきっと住めないんだろうなぁ…)
さてさて、昨日(1/9)横須賀芸術劇場にて二十一世紀歌舞伎組の公演観てきましたよ〜。
このホールって、今回の公演のこけら落としにふさわしいよい会場でホントよかったですわ。
おととしの秋も(あ〜もうそんなんなっちゃうんか…)思ったけど、もう音響が最高。つけ打ちの音も拍手の反響も耳に優しく響くんですわぁ。
3つあった演目に全て長唄が入っているのですが、もう〜・その音楽が声が、心地よくて気持ちよくって。
…特に杵屋崇光さんの声って良いなぁ〜って改めて思いました。 出突っ張りなので、この季節どうかノドの調子充分に気をつけてくださいませ<(_
_)>。
で、お芝居の感想です。
オープニングは猿弥さんの「操り三番叟」。軽妙にやってくれます。門之助さんの翁は ちょっと緊張してたみたい。笑野さんの千歳は落ち着いててキレイだったなぁ〜。
私的に一番、気に入ったのは寿猿さんの後見(役名であるんですよ〜)。
いつも猿之助さんの後見を一手に引き受けてるからでしょうね。動きがとってもよくって、 もうすごい光って見えました。最初に舞台に出たときの、四方を睨む時からカッコよかったし(^-^)。
そして「鳴神」。 今、浅草で亀治郎さんたちがやってるのはまだ未見なので、後で比べるのも楽しみです。
で・パンフレットにも書いてあったけど、現行よく上演される「鳴神」とちょっと違う型なんですよ。
…これがなかなか(きわどくって)面白くって。ちょっとしつこくてくどい(笑)んですけど、
それが良いんですわ。
でも鳴神上人の段治郎くん、ちょっと爽やか過ぎちゃうかって。キレイなんですけどね〜、場数をふんで図太くなってく事に期待します。
お相手の笑也さんの雲の絶間姫はヒットでした〜(^o^)v
。文屋豊秀が好きで、役に立ちたくて必死に来たって感じしましたも〜ん。
…ちょっと脱線しますが、木原敏江さんの漫画「轟く滝の下で」で強引に最後はハッピーエンドになる二人(鳴神と姫)ってのを頭の中で想像しながら、観てたので、後味悪くなかったです。(やっぱそうじゃないと鳴神上人が可哀想すぎる気が…^-
^;)
で、ラスト「女伊達」。幕が開くとそこはパッと明るい吉原。そこにこれはまたおうつくしぃ〜お二人 [笑三郎&春猿]が控えてるので、会場も沸きます。ほんとにキレイでうっとり(#
。#) 。
席が上手側だったのせいか、近くだった笑三郎さんばっか観てしまったけど、理屈抜きに楽しかったです。 こういうあだっぽいのにキリリってした女形さんの出るのって好きだなぁ〜。
まぁ「操り三番叟」を観てた時に『猿之助さんの三番叟が観たいかなって(前に観た段四郎さんとの 「二人三番叟」の感動が蘇ってきたりして)』、ちょっと思いましたけど(ああ猿弥さんごめんなさい…^-^;;)
今年の観劇(感激)初めにはちょうどよい今回の公演でした。
何しろ3つ演目の配分が絶妙でしたしね〜。
ふつう巡業の演目って2つしかないのが殆どなのに、3つあるってすごいですね。
だから、休憩があった とはいえ4時間近くありましたもん。さすがおもだかやらしい「太っ腹なてんこ盛り」(笑)。
あとは今月、浅草も楽しみだわ〜。
それではまた。寒さに負けずに行きたいと思います。でわ(^_^)ノ。
…今夜から始まった大河ドラマ「元禄繚乱」面白いですね〜。 見るつもりなかったのにちょっとテレビつけたら引き込まれてしまいました。年末頃には討ち入りになるのなぁ…。でわでわ。
1999年1月11日/ 幸せごはん
■松竹座の新春大歌舞伎の夜の部を9日に観劇してまいりました。
所用で 大阪に行くことになり 今までなら 用件が済んだらそのまますぐに
香川に戻ってましたが歌舞伎を知った今年の私は違います。大阪行きが決まった時から松竹座の夜の部だけでも見てかえろうと計画をたててチケットも発売日に予約してました。
欲をださないほうが いいお席ってとれるものなのでしょうか・・・花道近くの最前列、かぶりつきのお席が取れたのだから。
第一部の毛谷村、段四郎さんの 六助。。。
なぜか 段四郎さんとは ご縁があって 私が歌舞伎に目覚めて以来8月の屋島かがり火歌舞伎にも出演されていたし猿之助さんの舞台以外を観劇するときにも必ず出演されていらっしゃいます。
段四郎さんの六助からは人のよさ、大きさ、力強さ、かわいらさが感じられました。福助さんとのコンビも体型の差がかえってよくてちょっと美女と野獣(悪意はありません。。誉めているつもり)ぽくってなかなかお似合いのカップルでした。
第二部の 京鹿子娘道成寺 の 玉三郎さんには
悩殺されました。
12月に 歌舞伎座で玉三郎さんを見た時は まあ。。きれいね。。というくらいの感想だったのですが、今回は違った。
妖しくて、可愛くて、うつくしくて、可憐でというようにその瞬間、瞬間に女性の持ついろんな種類の魅力を見せてくれました。本当にあの方は芸術作品ですね。
ぼうぜんと 見る私は 玉さまが投げた手ぬぐいが私の
あけたままの目に当たった瞬間我にかえりました。もちろん手ぬぐいはゲットしましたけど。
お坊さま達が投げる手ぬぐいも 一個ゲットしてなんて
私ってツイているのと感激、感激。
帰り道 今年は歌舞伎に関してはツイているかも
幸先いいわと勝手に 思い込み軽い足とりで新大阪駅についた私を待っていたのは寒波のための雪で新幹線のダイヤが遅れているとの情報でした。凍えながらいつ来るか分からない新幹線をプラットホ−ムで45分も待ちやっと着いた岡山駅では乗る予定のマリンライナ−はすでに発車した後、次の最終のマリンライナ−が来るまで一時間近くある。。。
ホ−ムに しゃがみこんで寒さに耐える私に向かって同行者が
「猿之助さんに 金毘羅歌舞伎に来て欲しいですよね。。」と
突然話し掛けてきました。
「私、今は猿之助さんよりも マリンライナ−に早く来て欲しい。。」と
とっさに答えてしまい笑われました。それぐらい寒かったんです。普段の私だったら何に変えても来て欲しい!!と答えるのに。
幸運と不幸が重なった一日でした。それにしてもやっぱり
おっかけには 体力が必要ですね。
1月2月と まだまだ寒い日が続きます。みなさま、雪でのダイヤの
乱れにはくれぐれも御用心ください。
1999年1月10日/ Kikuko T
■ 私、とうとうパソコン買ってしまいました!
理由は言うまでもなく、「翔」のホームページを見たい!!!
これです。
それにしても”歌舞伎”のキーワードで検索したら、なんと約2000件もあって、びっくりでした。知らないうちに凄い世界が増殖し広がってたんですね。
パソコンのパの字も知らないのに、手探りしながら、眼が痛くなりそうになりながら、勉強中です。
今日は、朝の 6時まで、それこそ徹夜で「翔」のHPを初めて見て、コーフンして、手がぶる〜んぶる〜んです。
「翔」の本誌は最高だけど、ホームページもいいですねェ、いろんな人からのお便りがいっぱいで、飾ったりカッコつけたりした文じゃなくて、どれも”本音”って感じがして、驚きました。
私も早くインターネットのプロバイダ決めて、メールが送れるようになりたい!!
ペンネームももう考えてるんです。杏っ子です。元々この字で命名されるはずだったのに、私が生まれた頃は人名辞典にこの字がなくてダメだったそうなので。
早く入力できるようになりたーい!メールが送れるようになりたーい!
そしたら私、「翔」ホームページの強力メンバーになります!!よーっし、「翔」ホームページの中で、あばれてやるかー☆♪★♪*☆♪
PS=いまうちにはモジュラーが1コしかないので、パソコンのためだけに2Fを工事するんですが、6〜7万円もかかるって!!ホームページのためだ・・・ガマンガマン・・・。
1999年1月8日/杏っ子
【編集部より】=Eメールじゃなく封書で届いたものなんですが、杏っ子さんのお便り第一号というわけですね。こちらこそどうぞよろしく・・・そしてお手柔らかに。
それにしても、「翔」のホームページを見たさにパソコン買って、6〜7万円も工事費かかって、なんて(そういや四国は丸亀のK.Tさんもそんなこと言ってた)すっごいプレッシャーですゥ。
みなさんからのお便りだけに支えられて、お便りページの更新だけでなんとかやってるようなエエ〜加減なHPなもんで、そういうふうに言われると嬉しいのを通り越して、なんか胸にグサグサッって感じですわァ・・・。
でもそれって、みなさんからのお便りがなかなかのモンだってことでもあるわけで、それはホントに素直に嬉しいです。ということですから、みなさん、折りにふれお便り送ってやってくださいませ〜〜。
■ゴメンナサイ。「翔」5号、少し読んだだけで、その後はまだ読んでいません。ちょっと読んだ時、「これは読み出したら止まれへん!」と思ったので、冬休みの課題&定期試験が終わるまではお預けにしてるんです。
実は、今年になってから「お金を貯めよう!」(もちろん9.10月のために)と固く心に決めたんですが、母が松竹座の1,2月は連れてってくれそうもないので、自前で行くしかなくて、既に「本当にたまるのか!?」と心配です。
笑三郎さんのビデオも欲しいし、演劇界も毎月買いたい、バックナンバーも買いたい、というふうに欲しいものや観たいものがいっぱいで、結局は一年間ギリギリの生活をしていそうです。
実は「四天王楓江戸粧」もビデオは撮ったものの、同じ理由でまだ観ていません。
放送時間中は友達七人と友達の家で忘年会をやっていて「教育テレビ観たいねんけど・・・」なんて言える雰囲気ではなかったんです。それでもどうしても観たかったんで、午前3時近くになってみんなが眠いと言い出した時、「ちょっと観ていい?」ってやっと少しだけ観ることが出来ました。
一人で
「猿之助さんや!やっぱカッコええわぁ〜」
「笑三郎さんや!キレーな〜」
とか騒いでたら、「なんで顔みただけで分かんの?」とみんなに感心されてしまいました。
そういえば去年の今ごろは猿之助一門の方々も他の一門の方々も、顔と名前が一致する人なんて殆どいませんでした。僅か一年でここまで歌舞伎にハマってしまったのも「翔」のHPのおかげ(せい?)でしょうか。
以前猿之助さんが”はなまるカフェ”に出演された時、軽井沢の合宿所での食事風景を撮影した写真が出ましたよね。当時はまだここまでハマってなかったんで、ただ「いかにも合宿所いう感じの写真やなァ」くらいにしか思わなかったんですが、年末にその写真と、たくさんの靴が並んでる写真が、98年度の”はなまるカフェ優秀賞”に入ってもう一度観たら、
「うわっ、門之助さんと段治郎さんと春猿さんだったのねェ〜」と素顔でもハッキリ分かるようになっていて、自分でもビックリしてしまいました。
もうすぐ待ちに待った歌舞伎組の公演です。
フラッとホールに行ってはチラシを束で持って帰ってきてしまうんで、家には何十まいもチラシがあります。別に何をするというわけではないんですが・・・ファイルの中にも山ほどチラシが入っています。何か使い道を考えないと・・・と思いながらも「何に使うネン!」と自分で自分に突っ込んでしまう私です。
長々とゴメンナサイ。それではまた。
1999年1月 6 日/おさよ
■ 昨日、浅草に行ってきました。
若い人たちの舞台だから、まだまだ御勉強芝居って感じがしないでもないけど、どこかに書いてあったように30年後は間違い無く、この人たちが歌舞伎界の中心にいるんだろうな、という実感がありました。
新之助君、よくもまああんな顔して成田屋に生まれてきたもんだ、と思います。
鬼に金棒じゃないですか、まったく。
それで、汗ポタポタかいて、必死で弁慶やってて、まだ未熟なんだけど、ヤなこと(意味もなく顔振り回したり、作ったり、やたらと声ふるわせたりみたいなこと)しなくて、真っ直ぐないい弁慶でしたよ。
口跡もいいしね。
それと菊之助君! まだ御勉強芝居って感じの中で、この人の道成寺は「本物」だと思いました!
時分の花が咲き匂うようで、はんなりして初々しくて可憐な少女の色気があって、ひたむきに無心に一心に踊ってる感じがして、すっごくよかったです!!思わず亀治郎さんの道成寺も観たいと思っちゃいました!!!
その亀治郎さんですが、やっぱりうまいと思いました、特に千代は。
でも雲の絶間姫となると、ちょっとまだ無理なのかな....。
あれって少女の色気じゃないでしょ、必要とされるのが。でもか〜わゆいんですもん。
大体辰之助君の鳴神上人にしてからが、修行を積んだ尊いお上人様っていうよりは、まだおぼこい少年に見えちゃって。
でも、一生懸命で、やっぱりヤなことしなくて、私は好きでした。
御曹司たちがこんなにうまくなってて(御勉強芝居なんて言いましたけど、どんどんうまくなってる、その途上だってことです)、こんなに華があって、それで努力もしてるってこと、21世紀歌舞伎組の人達は、知ってると思うけど......。
とにかく御曹司たちも21世紀歌舞伎組の人達も、みんな頑張れ、頑張れ、頑張れですね。
1999年1月6日/ Kyoko O
■ 明けましておめでとうございます。
12月の歌舞伎座は昼夜共に楽しみましたが、年末の忙しさに負けて書き込みが年を越してしまいました。
ということで、久方ぶりにメールをお送りします。
私は相変わらずの<玉三郎ファン>なので、12月もやはり玉三郎さんがメインの観劇となりました。
で、「昼夜のどちらがより…」と言われれば、昼の部の『蜘蛛の拍子舞』の方が見応えがあったかな…といった気持ちですが、でもどちらもなかなかでしたよね。
特に12月は多くの役者さんが風邪を引かれていたようで、私が観劇した時は猿之助さんも「コホコホ」状態でいらっしゃいましたが、凄い熱演でいらして、それだけでも感激!、でした。
といったところで、昼夜の感想です。
昼の部は、『敵討天下茶屋聚』が通し狂言ではありませんでしたが非常に面白かったです。
7月の『義経千本桜』同様、猿之助さんの芸達者ぶりを再認識しました。
きっと通し狂言はもっと迫力があって胸に迫るだろうな、と思います。
それから『蜘蛛の拍子舞』…これは玉三郎ファンとしては大いに満足致しました。
玉三郎さんの隈取りは6月の『日本振袖始』についで年2度目でしたが、美しい妻菊が蜘蛛の精となるその豹変振りには、やはり目を瞠ります。
そして、蜘蛛の精になったと同時に滲み出る玉三郎さんの<男>には、とってもドキドキしてしまいます♪♪。…なあんて蜘蛛の精は男でも女でもないのにねえ!?…私が勝手にそう感じているだけなんですけれど……。でも、そのくらい玉三郎さんの隈取りって迫力ありますよね♪。
〜〜にもかかわらず、学生時代からの親友は「キレイな玉三郎さんが好きだから」と、『蜘蛛の拍子舞』の途中で夜の部に出演する役者さんの入待ちに3人で席を立ったというではありませんか!?。
この一言をお正月早々聞かされたワタクシは、「一体、何考えてんの??。舞台では役者さんが熱演されているのよ!。そういった心ない行動が贔屓の役者さんの評判をおとすってことがわからないの!?」と、憤慨してしまいました。
皆さんは入待ち・出待ちのためならば他の役者さんの舞台はどうでもいいと思われますか?。
自分の好みに合わない舞台だったからといって途中抜けが許されるでしょうか?。
(まあ、鼾をかかれるよりはましだ、とも言えなくはありませんが…)
我が友人ながら少なからず情けなくなって
「あなたのようなファンがいるから、玉三郎さんは入待ち・出待ちを禁止されているのよ!?」と言っておきましたが、
(「僕のファンクラブは評判が悪いから…」と仰りながらも、「他の役者さんに失礼になる」と入待ち・出待ちは原則として禁止です。)
彼女は…わかってはくれないだろうな…きっと…。
歌舞伎観劇の最低限のマナーって必要だと思うのですが…私の考えが間違っていますか?……少々考え込んでしまっています。
と、昼の部は思ってもいないことにも遭遇して……でした…。
夜の部の『国姓爺合戦』は、舞台がかなり目まぐるしく変化するので、ミュージカルの『ラ・ミゼラブル』を思い出しちゃいましたが、壮大なスケールのお話ですよね。
玉三郎さんはとてもお綺麗でしたが、猿之助さん同様かなり感情を抑えられた舞台だな、と感じました。
それから定番のお衣装……綺麗ではありますけれど……お地蔵さんのアブチャン!!、に見えてしまったのは私だけでしょうか!?。
それから猿之助さんも私にはどう見ても<狐忠信>(鳥居前)に見えてしまって…。
……ワタクシ、疲れが溜まっていたのかもしれません…。
でも、虎は可愛くて素晴らしかったですね!!。場内が大いに沸きました。京劇の方や立ち回りの方々の大活躍で躍動感溢れる舞台になっており、また史実では悲劇に終わる物語も華やかな大切りで幕となっていて年の終わりにふさわしい舞台だったと思います。
…といったところでしょうか…。
2月の春秋会には玉三郎さんがBプロに出演なさるのでそちらも楽しみです。
そういえば、玉三郎さんのファンクラブからの連絡より早く<おもだか会>から春秋会のお知らせが郵送されてきて驚きましたが、どうやら7月の舞台観劇の時にアンケートに記入した関係で発送されたようです。
猿之助さんの<春秋会>への力の入れ方をひしひしと感じた出来事でした!?。
1999年1月6日/ NagakoY
【編集部より】=本当にそういう無神経な人がいるんですよね、どなたのファンにも。だからこそ玉三郎さんも入り待ち出待ち禁止令を出されたのでしょう。さすが玉三郎さんだな・・・と思います。
もちろん猿之助さんや猿之助一門のファンの中にもそういう人たちがいますし、またそれをNagakoさん同様苦々しく思い嘆いているファンも大勢います。
贔屓の役者さんの素の姿を一目!と思うファン心理は、とーってもよく理解していますが、だからって上演中に席を立つなんてのはもってのほか!!入り待ち出待ちにだってやっぱりルールはありますよ。
そういう人たちは、自分たちの行為が結局のところは大好きな役者さんの足を引っ張っているんだってことを思わなくてはね。
あ、それから、「12月は多くの役者さんが風邪を引かれていたようで」 というの、本当にその通りで、猿之助さんもズーッと点滴しながら勤めていらっしゃったんだそうですよ。とてもそんな風にはみえなかったけれど・・・。
■ テレビ桟敷+ビデオ観劇でお茶をにごしているうちに、(仕事の)初日の幕が上がってしまった。新しいノートの後の付録に「年齢早見表」があった。昭和14年の項に、己卯(つちのとう)60才と書いてあった。それにしても御大が、うさぎ年とは意識していなかった。どうしてもイメージが合わない。狐年なら・・(ゴツン)痛ぇなあ。龍か虎なら納得できる・・虎といえば国姓爺・・強引に時計の針を逆戻りさせて・・一人合点の本歌取りの元ネタ探しをさせて頂きます。
◇序幕早々に春猿さんの皇后が殺されてしまった。千本桜の卿の君を思い出し春猿さんに同情をしていたが、第三幕で御先祖様の白髪頭で登場した。ファン泣かせとも言えるが、御大の遊び心+師匠の親心と受け止めて頂きたい。多様な役に挑戦することが修行であり、御本人の魅力の拡大につながる、本当のファンサービスだと思います。
◇笑三郎さんの柳歌姫。武芸の達人・男勝りの女性を女方=男性が演じるのだからヤヤコシイ話である。舞台の情景は小振りながらも碇知盛の大物浦。最後の台詞は、八大竜王・・・先年のツアー公演の典侍の局を思い出さざるを得なかった。
◇千里ヶ竹。猿弥さんの安大人。顔の造りでオグリの長殿を思い出し、臆病さを表わす花道の演出では、吉野山の速見藤太を思い出した。
◇虎が活躍すれば伊吹山の猪が浮かんでくる。
◇松江の湊で、亀治郎さんの栴檀皇女の足元にひざまづく笑也さんの小むつを見れば、兄姫の後を追うヘタルベを思い出し、配役の妙にうなづく始末。
◇平戸の浜の小むつの、歌舞伎では定番の女房衣装を、鮓屋の若葉の内侍だとは、サスガに言い過ぎかもしれない。
◇立回りになって、笑也さんの衣装が変わった。緋色の胴着に白袴。鳥居前の義経の衣装ではないか。静御前の笑也さんが演じるのだから楽屋落ちの味付けをしたパロディの傑作であろう。
◇肝心要の御大は、衣装は弁慶、鬘は暫く、揚げ幕内での台詞が『待ちゃがれっ。待ちゃぁがれ〜』と、くれば、鳥居前の忠信。三つもまとめて演じるとは、欲張りというべきか、貫禄というべきか。楽しさ嬉しさを通り越してアッケとられていました。
◇物語の本筋を損なわずに、上手に本歌取りをして、名作ダイジェストをオーバーラップした演出に感心しました。話を戻して、卯年といえば、亀治郎さんも年男。テレビ観劇の雲絶間姫は、初日のせいかダイジェストのせいか、元気がないような気がして心配していましたが、評判は上々のようです。浅草が私どもの生初芝居。楽しませて頂きます。
1999年1月6日/ しっぺぇ太郎
■ 翔の皆様、そして猿之助ファンの皆様、あけましておめでとうございます。
新年そうそう ホ−ムペ−ジを 訪問したらさっそく
更新してあるじゃないですか...紅白を見ながらパソコンをたたいていらっしゃったのかしら・・と想像してしまいました。ご苦労様です。
昨年末は 歌舞伎座の千秋楽を観劇できて 大満足!!ほんと
いい年が越せました。個人的には蜘蛛の拍子舞が一番素敵だったと思っています。あの舞台だけでもできることならもう一度見たい気分です。奇麗、奇麗の連続の舞台、出演者も豪華だし蜘蛛のぬいぐるみも(?)出るし、玉三郎さんの演じ分けが見事で初心者でも退屈する間もなく楽しめて一時間があっという間にすぎていきました。
観劇前には猿之助丈のお衣装がいまいち似合ってないという
噂(??)も聞きましたが、名前を聞いても、説明されてもちっともピンとこなかったあの衣装..事実まったく違うお衣装を想像してました。(だれか私の頭に合わせてはっきりと”えりまきとかげ風の襟”といって欲しかった。)
でも あの お衣装 、とーっても似合っていたし
素敵でした...もちろん あのお衣装でのプロマイドを買わせていただきました。
それにしても夜の部の 補助席の数は すごかったですね。こんな
ところにまで..ここから見えるのかしら...という場所まで椅子がならんでいて人気のほどがうかがえました。
夜の部で 印象に残っているのは やはりあの愛らしい
虎...いえいえ、 猿之助さんの花道での飛び六法でのひっこみ!!!素敵のひとことです。はるかかなた上手の席だったことが残念です。もっと近くで見たかったな..。
21世紀歌舞伎組の皆さんも それぞれ 持ち味が出ていてよかったですね。。。昼、夜、違う魅力の猿之助さん、21世紀歌舞伎組の皆さんを観ることができて満足、満足です。
今年も 昨年後半に ひきつづき 地方というハンディにも負けずできる限り
観劇の機会を持ちたいと思っています。まず一月は松竹座と21世紀歌舞伎組地方巡業公演からです。では皆様とまた劇場で御会いできる事を楽しみにしています。今年もどうかよろしくお願いします。
1999年1月3日/ Kikuko T
いただいたご意見ご感想は、「翔」HPお便り集の中に掲載させて頂きます。但し時に
ほんのチョッピリ手を加えさせていただくことがあることをご了承ください。
HP掲載がご都合の悪い場合はお手数ですがその旨をお書き添えください。