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【NO3】 |
いよいよ『オグリ』の開幕。スーパー歌舞伎では『ヤマトタケル』と
並ぶ感動巨編の『オグリ』です。舞台は生き物、刻々とかわる毎日の
舞台の様子、感想など、みなさまのお便りお待ちしています。
合わせて『翔・八号』『五号』の感想もどうぞ・・・
■ YOKOCHIさんのとっても純粋な感動が、新鮮でかわいかったですね。
でも、そうです!あなたは紛れもなく「やばい世界」にはまったのです。そのうち15%ではなく、そのお給料の許す限りを、猿之助歌舞伎につぎ込むことになるでしょう。でもそれなりのものは、きっと返ってきますよ。
遅くなりましたが、中日劇場と演舞場の違いを簡単にレポートします。
大きな違いは春猿さん演じる六郎が、男らしく凛々しかったこと。演舞場でのイジイジした、判官様にその気を持った六郎ちゃんが、妙に普通になっちゃって、セリフも減ってました。六郎ちゃんの動きには目が離せなかったので、ちょっと淋しかったです。
後は地獄で、鬼が骨を探しに行かなかったことかな。セリフのカット、修正もあったようです。
ただ不思議なのが、休憩時間を合計15分くらい短くして、さらにカットもあったのに、上演時間も15分しか変わってないこと。カットになった分の時間はどこへ行ってしまったのでしょうか。舞台転換や人の出入りには余計な時間はかかっていないようでしたが。どなたかその分、たっぷり芝居をしてませんか?
さて、そろそろ目を先に向けましょう。
九、十月の「ヤマトタケル」情報です。
弥十郎さんの役(熊襲の兄タケルと山神)は、やはりそのまま団蔵さんに受け継がれるようです。信二郎さんの役(弟タケルと最後に出てくる使者)には右近さん、右近さんの役ヘタルベには亀治郎さんとのことです(役名が曖昧ですいません)。
また来年の「三国志」は五カ月のロングラン(演舞場、中日劇場、松竹座)になるとかならないとか・・・私たちも今にとどまっている場合ではありませんね。このスケジュールについていかなくては!「オグリ」が終わって一週間もたたないうちに、歌舞伎座昼夜通しの幕を開けるという、考えてみれば本当に驚異的な彼らのスケジュールに、尊敬と感謝!です。
1998年6月28日/ F.H.
■中日劇場の千穐楽で、オグリと、お別れをしてまいりました。
オグリは、それはそれは、素晴らしいお芝居でございました。序幕から大詰まで、どの場面も感動・感動の連続でございました。猿之助さんをはじめとして脇役・端役の皆様まで、心をこめて、演じていらっしゃいました。澤潟屋一門にとっては、当り前のことかもしれませんが、なかなか出来ることではございません。改めて感心いたしました。
また、笑也さんの美しさは、目を見張るばかりでございました。言うまでもなく、澤潟屋の美人姉妹?には定評がございますが、今回の笑也さんは、格別でございました。序幕の龍子。オグリに、思わず好きです、と言ってしまう照手。大詰でオグリに再会してビックリして声も出せない小萩。素敵な場面がたくさんございましたが、私が一番感動したのは、関ヶ原の場面でございます。またまた涙を流してしまいました。小萩は水仕女なのに、笑也さんは奇麗な衣装を着て、明るく可愛らしく演技をしているだけなのに、小萩の哀しさがヒシヒシと伝わってまいりました。今回も、同じ場面で涙が出て来てしまいました。リアリズムではないのに、強い説得力のある、不思議な舞台でございました。
【息をのむ 常陸小萩の美しさ 想ひ秘めたる
微笑み 哀し】
この場面は、物語の流れの中でも一番大切なところです。目の前の優しい人が照手だと知ったからこそ、オグリは心の底から反省したのです。明るく健気な小萩の姿が、オグリに生き返るための勇気を与えたのではないのでしょうか?
平凡な私たちにも、いろいろなことがございました。悲しいこと、苦しいこと、自分のイタラナサが嫌になったこともございました。そんな時に、落着いて平気な顔をしている家族に安心したり、普段とかわらない態度で、明るく働いている家族に励まされたりしながら、過ごしてまいりました。どんなに不シアワセな時でも、未来に夢を持って生きている小萩の姿が、この物語のメインテーマだと、受け止めています。
他の場面は華やかで楽しく、宙乗りなどの仕掛けもあり、舞台の上には大勢の人が登場し、歌舞伎らしさが満ちあふれていました。けれどもこの場面には何にもありませんでした。舞台後方は照明が落とされ、お囃子も音楽も殆ど聞こえてきません。舞台中央は、猿之助さんと笑也さんの二人だけです。役柄もあり、猿之助さんは、大きくは動きません。台詞も抑えていました。大切な場面で何も仕掛けない。何もしないのが大仕掛けという、今になって考えれば、大胆で危険な演出でございました。 しかし、見事に成功しました。演出のない演出、演技を感じさせない自然な演技、ウマサを感じさせないウマサ。成功の秘密は、猿之助さんの大きな存在感と、笑也さんの思い切りの良い演技だったと思います。笑也さんが明るく振る舞いながらも、小萩の哀しさを伝えることができたのは、台詞の緩急・強弱のバランスが良かったからではないでしょうか?台詞まわしと身振り・仕種が重なり合った表現力の豊かな見事な演技でございました。 笑也さんは、いつの間に、こんなに上手になったのでございましょうか?
私の流した涙は、小萩に同情した涙だけではございませんした。猿之助さんの涙にも、オグリの涙だけではなく、弟子の成長を喜ぶ師匠の涙も含まれていた、と信じています。
【晴れ舞台 照手・小萩の美しさ 想ひを秘めて
明るく 笑也】
1998年6月27日/ しのぶ.
■お待たせ致しました。オオボケ演劇大賞・オグリ編の発表でございま〜す。
さて、その内容を問われれば、独断偏見、無知蒙昧。言語道断、支離滅裂。見物役者、歓喜雀躍。抱腹絶倒、呵呵大笑。願望拍手、惚け親父。厚顔無恥的、恥知らず。・・なお、以下の文章は総てフィクションであり、また、澤潟屋一門およびグループ翔には一切関わりはございませんので、予め御承知おき願います・・そんなら、いっそ、およしなすったが、よござんしょっ・・・さはさりながら、へ〜ん集長ぉ〜。おめでた続きの澤潟一門、お祝いしようという気持。しっかと受けちゃあ、くれめぇぇ〜かぁぁぁ
≪主演男優賞≫
團蔵・・エ〜ッじゃ、ありません。閻魔大王こそ、この芝居の本当の主役です。閻魔様の気まぐれ?でオグリは生き返り、お蔭様で、感動感動の物語が展開されることになったのです。それに、あの衣装・・衣装方だけではラチがあかず、道具方の手を借りたとか??Sちゃんとかいう歌手は、上に乗ってるだけだが、3ヶ月も担いでいた團蔵さんの苦労は並みではない。そうそう、赤鬼・青鬼にも、一杯、飲ませてやって下さい。
≪主演女優賞≫
門之助・・イインデス!薬師如来様が、なかなかオグリをお助けにならないので、オグリと小萩が巡り合えたのです。並の役者には出来ない役です。門之助の人柄の良さが生きていた。
≪助演男優賞≫
猿弥・・鬼次も長殿も要の脇役です。一見、悪役のようで、実は観客の気持ちを代弁する儲け役です。違う役柄を見事に演じ分けていました。長殿のホドよいイヤラシサ??が気に入った。
≪助演女優賞≫
笑三郎・・近江屋の女将で誰も文句を言わないと思ったが、異議があった。20代でこの役をこんなに上手く演れるはずがない。年令詐称の疑いがある。戸籍謄本を取り寄せろと言うのだ。しかし、誰も耳を貸さず議事は進行した。アホタンな委員は、いつの間に何処かへ消えてしまった。
≪新人賞≫
亀次郎・・子役からの芸歴を考えれば、いまさら新人とは言えないかもしれないが、大学卒業後の初舞台である。初心に返って精進して欲しいという親心である。(ゴツン)痛ぇなあ・・坊ちゃん、イエ、若旦那はシッカリしてらっしゃるんだから、失礼なこと言うんじゃないよ。よそさんのことより、うちのセガレをなんとか、おしヨ。上のは、玉転がしを見に行って、階段から転がり落ちるし、下のは、ウロウロ歩きながら、妙なウナリ声を出してるし、何処で間違っちまったのかねえ(家族総出の楽屋落ち)
≪殊勲賞≫
段四郎、歌六、吉弥・・大黒柱を支える土台として、シッカリ働いて下さいました。お蔭様で若手の評判も上々でございました。感謝・感謝。
≪技能賞≫
春猿・・イイ役を3つも演ってズルイ、という委員もいた。しかし、毎日、舞台から落っこちるのは可哀相だという関東地区の委員の同情票が集まり決定した。中部地区の委員はポケ〜としていた。
≪敢闘賞≫
鬼鹿毛・・馬の足まで一緒になった宙乗りとは空前絶後であろう。万が一、粗相があれば下敷きになってしまうという命懸けの大役だ。無事に終ってホッとした。御苦労様でした。
≪怖いで賞≫
段治郎・・怖がっているのは、観客ではなく、段治郎の方だ。師匠を毒殺し、大先輩を斬り殺し、生き返った師匠をコヅキまわす。共犯者はいるものの主犯は段治郎だ。怖くなって当たり前である。
≪嬉しいで賞≫
竹三郎・・久しぶりの『キレイキレイ』です。ベテランとはいえ、役者の本心としては、演技派としての評判より、何倍も嬉しいのではないでしょうか。よろしゅうござんしたネ!
≪奇麗で賞≫
選考委員会は大混乱となった。委員それぞれに贔屓があり、お互いに譲らないのである。2回の休憩をはさんで延々6時間の議論をしても結論が出なかった。疲れました。
≪失礼で賞≫
笑也・・気をとりなおしてグランプリの選考にかかろうとした時、一部の委員が騒ぎ出した。受賞者の中に、笑也の名前がないというのである。事務局のあいまいな説明に腹を立てたYYKトリオは、委員長席に詰め寄った。これでは笑也さんに失礼だとの涙ながらの圧力に負けて、急遽、新しい賞を作ってしまった。こんな妙な賞をもらって笑也が喜ぶわけがない・・・
≪グランプリ≫
待ちに待ぁったる、グラ〜ンプリの〜、ャッ、はぁ〜っぴょうだ〜。バタン、バタバタバタ・・・・カメラは準備できてますか?それでは、発表いたします・・・グランプリ→大賞→大将→御大将→御大・・・お〜んた〜いなのだ〜〜
√これを書きてぇばっかりに、わけのわからぬゴタクを並べ、恥をさらして大慌て、スッタモンダのその挙げ句、いまさらボツとは、
√へ〜ん集長ぉ〜。そいつぁちょいと、ツレナカロウぜ〜 (ゴツンゴツンゴツンゴツン)痛ぇなぁ・・・味噌汁がさめちまうヨ。チャッチャッと食べて、セッセと稼いどくれ。
ボケボケしてると、千本桜はオイテケ掘にしちまうからネ。(ヒェ〜〜〜)
1998年6月27日/しっぺぇ太郎
■ んーむむむむ・・・なんと表現してよいのやら。中日劇場での「オグリ」25日昼の部!本当に言葉では言えません。アテラれちゃったかんじ。「エンノスケパワー」に・・・。
あたしの口から出てくる言葉は、当たり前の言葉でした。「キレイ、スゴイ」実際に見に行った人からそういう言葉が漏れると「なんて当たり前の表現なの! 他に言葉はないの? 文才のない人。」とか思っちゃうよなぁって。なんか・・・う〜ん。スゴイ。
階席の7列目のど真ん中なんつぅすんごい席で演者の顔、表情、目、指先、気合い、想い・・・押し寄せてくるかんじ。
最初は派手な舞台に派手な衣装・・・はぁ、すごいなぁ、踊りとか流石歌舞伎役者、練習とかすごいんだろうなぁ。こんなかに親戚とか親類みんな歌舞伎やさんって人何人いるんだろう。オグリは勧善懲悪ものかしら・・・等々いろぉんなことを考えながら見てたのですが、10人衆の話や馬の曲乗りや、照手が川へ流されていったりするうちにだぁんだぁん、本当に引き込まれてしまいました。気がついたら泣いているあたしがいて、いきなり第1幕終わってました。
あぁ、オベント取りに行かなくっちゃってあわてて予約弁当取りに行ってあわててつめこんで・・・。味なんてわかんなかった。きっとおいしいお弁当のはずなのにちょっと今想えばもったいなかったな。
すんごい長い時間って聞いたときは長いなぁお尻痛いかなって思ってたのにあっちゅうまでした。笑ったり、泣いたり、引き込まれて固唾をのんで見守ったり、本当に忙しかったのに、時間が経つのが早かった。
滝壺に飛び込むあのシーン・・・涙ダーダー、完全に思考能力ゼロってかんじ。ん〜なんといいますか、猿之助さんってはっきりいってズングリムックリじゃないですか・・・ファンの人には、悪いけど小柄だし、写真とかテレビとかでしか見たことないときは「こんなんただのおっちゃんやん」ってかんじでした。他の有名板東さんとかって、すぅっとした美丈夫だったり、筋骨隆々のたくましい男前〜だったりするのになぁって・・・。
その「おっちゃん」がすぅごく美しくて悲しくてキレイで格好良くて「今業平」かもしんないって・・・。きっと宝塚できれいなお姉さんが男装してんの一般の人が見てなんであんなきゃーきゃー言ってんのだろうかって思ってたのと一緒よね。宝塚は何回も見たことあるから、理解できるんだ。猿之助さんも理解できたよ。かっこよかったもんっていうか、もうかっこいいって言葉さえちょっともっと気品のある表現の言葉ないかなってかんじ。
その後、猿之助さん、飛ぶじゃないですか、あのシーン有名だし、「絶対に立たないで下さい」なんて釘さされるから始まる前はどんなんでしょぉって思ってたけどその時は前のシーン(入水前の述懐)に圧倒されちゃってて、確かにおぉっとは思ったけど、あぁ〜、飛んでるわ〜ってくらいのかんじでした。
それからされから笑也さんって本当にキレイ。顔だけ見てたら普通のお兄さんなのに仕草・目・手先・・・なんてなんてたおやかでにおわんばかりの美しさなのってかんじ!きっと化粧顔だけ見たら確かに男の人なんだろうけどうぅん、あれは違うわ!声だって仕草だってあたしとは大違い!!!(あたしってばハスキーで体も大柄でいっつもギャーギャーしてるので男としょっちゅう間違われるの。)
どうしたら、女らしくみえるのかしらって笑也さんに習いたいくらい!あたしゃ実際の女なんだけど女形に女の極意を習ってみたいって知り合いのおばちゃんに言ったら腹抱えて大爆笑して「あんたららしいよ」ってひぃひぃいってるし・・・。
小栗判官と照手姫が一夜の契りを交わすシーンでいわゆるよく漫画なんかである「あ〜れ〜」のシーン。(帯もってぐるぐるって脱がすシーン)良かったなぁ。塩焼き小屋の火事から焼け出されて転がり出てくるシーン。あの倒れ込み方。色っぽい!女のあたしがちょっちゾクゾクしました。おぉっ、色っぽいゼ、ネェチャン・・・みたいな言葉じゃちょっと違うけど、言い表し方がわかりません。唾飲み込んじゃったよ。なんか下世話な表現になっちゃった。
あとね、各一人一人がすごく洗練されてましたね。顔がこっちから確認できるからあの人さっきのあれやってた人だってわかる。まるでさっきと違うし、動きも仕草も言葉も・・・。普通のミュージカルとか宝塚も本当にすごいけど違うすごさ!気迫?かな?力?かな?すごい努力をかんじるし、怖いくらいの精神力を感じるし、今までのあたしの怠惰な生活が恥ずかしい。
煌びやかな嘘・虚構の世界だけど、その裏に息づく本当の世界が垣間見えて、それがきっと感動をもっと強いものにするんだよって思います。15500円は決して高くなかった!電車代・お弁当代・駐車場代あわせたら22000円くらい使ってしまったけどあたしの給料の約15パーセントも使ってしまったけど、じぇ〜んじぇ〜ん、後悔してません。(飲みにいくの控えなくっちゃ。でも、いいもん。)
終わった後、いろいろとぼぉっと考えてて、一日に何回顔洗うのかなとか、やはり稽古場は「男の職場」なんだろうなとかパックとか化粧水とか、基礎化粧はしてるんだろうな、銘柄なんだろうとかお風呂で歌の練習しちゃったりするのかなとか歌舞伎チックに最近の流行歌歌ってみてって言ったらやっぱできるんだろうな、どんなんだろうとか、盆栽とか、ガーデニングとか、そういう時間のかかるような趣味とかやれないだろうなとかわけのわかんないこととか考えちゃったりして・・・オバカナアタシ。
オグリ見たその夜、暑く寝苦しい夜だったせいか、閻魔さん、夢に出て来ちゃってちょっと怖かった。あたし、よっぽどやましいことあるのかしらん。
まぁ、今までの書いたことを集約しますと「やばい世界にはまったかも」・・・ってかんじ。
1998年6月26日/Yokochi
■「オグリ」で好きなシーンは数々あるんですけど、一番好きなシーンをとなれば、何というても国司として美濃にきた小栗判官と小萩(照手姫)が再会するシーンですね♪二幕目の餓鬼病の判官と小萩のいわゆる<泣きどころ>よりも泣ける〜(;_;)
私ってどうも悲しい時には泣けない体質のようで・・・あの二幕目のラストってどうも気がはってて無防備に泣けへんのです。(周りでいくらボロボロ泣いてはっても。)何しか、最後の判官さまの笑顔をみたら気が緩んで・・・(;_;)(;_;)演舞場でも中日でも(結局行ってきた(笑))判官さまの優しい笑顔にクラクラしてました。
オープニングの踊りも気に入ってます。なんかエッチぽくて(笑)というか、官能的で、できるもんなら代わりたいくらいですぅ〜オイオイオイヾ(^^;)代わってどないするっ。
こないだ行ってきた中日劇場、割と前のほうの席を頂いたんですっかり陶酔モード(*⌒。⌒*)で観てきたんですが・・・じ〜〜っと判官さまのお顔を拝見しておりますと、かすかながら鼻の下あたりにぷつっと吹き出物?のようなものが・・・。
「猿之助さんってあんなところにホクロなんてあったかなぁ・・・(゜_゜;)」と思うこと数時間。
そして出待ちの時間となりました。運よく?エレベーターに足止めされてお待ちになっている猿さまをチラチラ、否、ジ〜〜ッと。するとやっぱり鼻の下に何かぷつっと出来てるような??
「ここ、どうかなさったんですか?」とお付きの人に伺ってみると、「髭剃ってて、ちょっと切っちゃったんですよ・・・」やなんて!(゜_゜*)
そのやりとりが聞こえたのか、猿さまはフッと振り返り、照れ笑いを残してエレベーターに乗り込みお帰りになったのでありました。うぅ〜〜っ、可愛い・・・(*⌒。⌒*)
ようやく行けた名古屋は残念ながら日帰り。(翌日、家にお客さんが来ることになってたもので。)
7月は大好きな「千本桜」の通しやしィ〜♪た〜くさん楽しみたいと思います♪♪
1998年6月 20日 / Yuka蔵
■ご無沙汰しております。久々に戸部先生からの情報をお伝えします。
七月の『千本桜』の「すし屋」は東京の型だそうです。
初日前日に舞台稽古を観に行きますので、出来るだけはやく様子をご報告します。
さて、今回は戸部先生が話された澤瀉屋ご自身についてのちょっとしたお話をご紹介します。みなさん御存知だとは思いますが、澤瀉屋はものすごいパワーの「跳躍力」を持ってらっしゃいますよね。「蜘蛛の糸」や「四の切」などで存分に披露されてますが、パワーだけでなく、形も美しく、飛び上がった時に一瞬静止されるらしいんです。これはなかなか真似が出来ないそうで、ある花形の役者さんが、自分の方がはるかに若いという自信から高を括っていたら、怪我をされてしまわれたそうです。
「七月」が本当に待ち遠しいですね。また、ご連絡します。
1998年6月 20日 / T.Y
編集部より=「七月の歌舞伎座」を一日千秋の思いで待っている者にとって、授業の一環として初日前日の舞台稽古が観れるなんて、う、う、うらやましい!!ご報告、楽しみにお待ちしています。
■演舞場の「オグリ」が終わり、ぼーっとしている今日この頃です。楽日のような「見る度200%」の人ばかりだといいんですが、中日辺りは色んな人がいて、面白いやら何やらと(?)大変でした。判官入水の時のショッキングな宙乗りを見て、あるご婦人たちの一団が叫んでました。「猿之助はすごいもんだねえ〜、直美ちゃんのより、すごいよお〜」だって。(オイオイ・・笑)きっと中日劇場も大盛り上がりとなることでしょう。
先日、歌舞伎座の背景を描いている先生のセミナーへ行ったのですが、絵の具や筆なども良質のものが入手しずらくなって、水準を維持していくのも並大抵ではないというお話など、興味深く聞きました。桜や松なと゜を目の前で描いてくださったのですが、思いのほか大変な作業でした。その作業量たるや相当なものだそうです。
例えば、金色ひとつにしても昔の絵の具がなくて大変とのこと。歌右衛門さんなど「これは歌舞伎の金ではないからダメです」なんておっしゃったりするとか。また反対に猿之助さんの場合などは、御自身が舞台で本水を使ったりされる関係もあって、ある程度耐水性のあるものが必要となり、「金に見えれば結構です」と、現代の染料も使いこなしていらっしゃるとのことでした。どちらも、さすが・・・と思わせるものがあります。何にしても背景ひとつにまでスゴイ苦労と心配りがなされているのですね。
七月は「千本桜」ですので、背景にも注目して見たいと思っています。
1998年6月 1日 / Mami . H
■今年のスーパー歌舞伎は6年ぶりの「オグリ」。思えば、猿之助さんは昨年7月には歌舞伎座で古典としての小栗判官も手がけておりました。
10カ月前ともなると、私の脆弱な記憶力では心
許ないかぎりですが、新旧の対比ができるあたり心憎い演出です。
今回は、何といっても笑也さんがいい。照手姫には「きれい」だとか「かわいらしい」だとかを越えた「女」を感じることができました。科白にもカドが取れ、まろやかな印象が残ります。心地よい間(ま)やタメもあって、言いようのない色気が出ています。狂女を振りで見せるなんてところも十分表現できています。ずいぶんと稽古を積んだことでしょうが、あえて贅沢をいえば、この勢いでさらなる上積みを期待してしまいます。
猿之助さんの小栗判官も印象に残ります。インパクトある3度の宙乗りもそうですが、醜い姿になりはてた判官が照手姫に再会する場面が一番のポイントでしょう。愛する妻をおもんぱかり、自分が変わり果てた夫だとは言いたくても言い出せない――ともすればクサイ芝居に陥ってしまいますが、その葛藤を表現する表情なき表情が豊かです。
竹三郎さんの老女はピタリとはまっています。笑三郎さんの立役・老け役もおもしろい。右近さん不在の今回は、亀治郎さんが立役に回っていますが、これもなかなか味があります。何でもできるんですね。段四郎さんとは僧侶と弟子の関係にもなったりします。
鏡を使った演出もケレンが引き立ちます。廻り舞台を利用した別離の表現や、馬が場内を一周するような音響効果なども工夫されています。全体としてとてもいい出来だと感じました。 個人的には、体力的にも精神的にも少しばかりバテ気味だった自分に、気力をよみがえらせてくれた猿之助さんに感謝します。(5月2日所見)
編集部より=HP情報旅篭『 萬 屋 』 の ≪歌舞伎館≫から転載させて頂きました。呼び物は、古典からスーパー歌舞伎まで、幅広く堪能されるご主人の柔軟な感性で書かれた歌舞伎日記です。
■あーーーん! 終わってしまったーーー!! やっぱり『オグリ』は名作です。なんで何度観ても泣けるのでしょうか。感動できるのでしょうか。うーん・・・。各幕毎に趣向があり、笑いと涙があり、絶対飽きない、飽きさせないんですから。やっぱりすごいんですよね『オグリ』は!!
千秋楽の盛り上がりは毎回のことですが、ホント今回は異様な盛り上がりだったような気がします。特にあの2拍子は、すごかった!
カーテンコールで、一人一人に挨拶を促す猿之助さんは、一人一人に「成功したよ、ありがとう」っておっしゃってるようでした。
毎回千秋楽には、舞台中に千秋楽用の趣向があったりしましたが、今回は一幕目で、春猿さんが舞台から落ちても誰も手を貸さず!
一人で上がって来て、思わず苦笑していた・・・というのはありましたが、その後は特に目立つものもなく。それでもあれだけ、盛り上がるとは、やはり『オグリ』は何度観てもいい!そのままの『オグリ』でいい
!ということでしょう。
夫を思い、まだ行ったこともない土地なのに、照手は小萩の名に「常陸」と付けます。説経節の「をぐり」の解説には、「
"常陸の" と呼ばれることで、その度に夫を思える、小栗判官の妻であることを自覚できる」とありました。健気ではないですか、美しいではないですか。私たちは小萩のように、人を愛せるでしょうか。
私は、名古屋も行ってきます! 千秋楽ではありませんが・・・だからもう観られない!ということはないんですが、やっぱり東京公演が終わってしまったことは淋しいです。でもこれで役者さんたちも少し休めるんだから・・・と、考えることに致しましょう。また会える日を夢みて・・・。
追伸:北前様、お義父様のご看病と、ご葬儀、お疲れさまでした。『翔』は、どんなに待っている人が多かろうと、やっぱり後回しに決まってます!催促してごめんなさい。お忙しい中ホームページの更新をして下さっていただけでも、感謝です。懐かしの伏姫のセリフではありませんが、「いつまでもお待ち申し上げております」ので、まずは体調を整えて下さい。お義父様のご冥福をお祈り申し上げます。
1998年5月25日/ Futae. H .
北前=温かいお言葉をありがとう!(^-^;) 忌明け(四十九日)法要が終わり次第、なるべく早く発送する予定です。
■さきほど演舞場から帰ってきました。思えば92年の「オグリ」から毎年スーパー歌舞伎の千秋楽を観てきてたなんて(月日の流れって早いよ〜)。楽日の拍手の密度が濃いのはいつもだけれど、今回はいつにも増して観客席が暖かった気がします。
さて感動…をお伝えしたいと思いますがなんだか気が抜けちゃって、タメ息が出ちゃってます。去年の今頃から楽しみにしてた再々演。わたしにしてみればビックリするような回数のチケットを買い、一枚ずつクリアしてくごとに何回目って数えて。でも、この前の火曜日に行ったときにあと一回って思ったら悲しくなっちゃって(T_T)
。そして、今夜の千秋楽。
いつも初日と楽日は、客席の反応も見てみたいのともう一つの理由があって、三等席で観ることにしています。「オグリ」は特に三階での観劇に合ってますネ。鏡の効果がよぉく出るのです。鏡がビミョーに揺らいでいるのもいいんですヨ。夢の中の世界の様です。映り込む観客席、手前の本物の役者とは別に、後方や斜めの位置に違った角度で見える姿。三階での観劇の醍醐味です。花道の様子までわかるし。そしてラストはこういう風に遠くで観ておかないと、自分の中で幕がなかなか引けないのがもう一つの理由。これで終わりだよってことを、自分流にフェードアウトさせて実感しないと、気持ちが娑婆世界(^-^;;)になかなか戻ってこなくって。あ〜あ、終わちゃったよ〜(;_;)
「どうして遊行上人が熊野に連れてかないんだろうね?」って聞いてくるよな辛口な今夜の連れ。「そうだよね。へんだよね〜。」って言いつつ、他にもいろいろ細かい矛盾点をお互いに茶々入れながら、でも面白くって泣けて感動しちゃうのは何故??? やっぱ話がいいんだよナァ〜、うん。大好きなの!って思っちゃうのは何故なんでしょうねぇ。ふぅ〜って、またタメ息が…。
そうそうカーテンコールでは、ラストのテーマが2拍子で手拍子になってました。そして客席の隅々までニラミを効かす猿之助丈。丈に睨んでもらうと当分病気しなさそうでいいんです(^-^)。
いつものカーテンコールプラス2回はあったと思います。ひとりひとり前に出る時、亀治郎さんがすんごくうれしそうだったのが印象的。拍手をスッゴクたくさんしたら肩こりも飛んでったみたい。…さあ、明日も仕事だわ。←いきなり娑婆世界(苦笑)。 7月の歌舞伎座通いを楽しみにがんばろっと(^o^)v。
1998年5月23日 / 幸せごはん
■スーパーの楽って一種独特なものがありますよね〜。オオクニヌシもカグヤも楽を観れなかった私は、本当に堪能しました。
2ヶ月毎日続いた舞台。今日は、はっきり言って舞台を観るということはもとより、役者さんと共に、無事東京公演が終えられる喜びを共有したい、この2ヶ月、ワクワクドキドキの日々をありがとう!の気持ちを伝えたい、という想いが勝ります。どうやって伝えるのかって?それは、観客の情熱と拍手によって。
今日は、昼の部から客席の体温がいつもより高い感じ。地方からの遠征組の顔も沢山見えてます。芝居は、常と変わりなくすすんで行きましたが、(内心みんな楽ならではのお遊びを期待してたりして!?)心配していた笑也さん、(←初日に昼・夜とも猿弥さんにしてやられて!?吹いてたので・・・
^ ^; )やっぱりしてやられました。お掃除の場面があるでしょう?そこでついつい台詞ちょっとトチってしまった、と云っても何回も観てる人以外は、分からないようなちょっとした台詞の間の問題だったんですけど、結構気づかれて?しまって、爆笑されてしまいました。笑也FCの友達も来ていたので、みんなで「猿弥さんに、あんまり笑也さんを笑わせないで〜!」と夜の部に備えてメッセージを入れようか?なんて、言ってました。(もちろん冗談ですけど・・)
しかし、毎回感動するのが、判官さまの、思い入れたっぷりの湯壷に飛び込む前の悲しくも激しい述懐。そして、照手との再会(再々会?)で、照手を見つめる切ないような痛いような眼差し。(あ〜〜、こんな眼で見つめられたいっ!!)
もう幾度となく演じているのに、いま初めての吐露、いま初めての再会を体現する絶妙な演技。観客である私も、何度観てもいま初めてこの場面と出会ったように、深く深く心を動かされる。それは、やっぱり猿之助さんが、真っ白な人だからだと思うの。
ちょっと話はそれますが、猿之助さんの劇界での軌跡や戦ってきたものの多さを思うと、よくぞ、それにもかかわらず、純粋さや誠実さが損傷されることがなかったなと、感動してしまう。猿之助さんの中にある何かしら、良きもの・・・・なんて表現していいのか言葉が見つかりませんが、猿之助さんが根源的に持っていらっしゃる、その何ものかに触れたとき、私達観客の心もピュアになる。観る度に真っ白なキャンバスが用意されて、その時々の色彩が、景色が描かれる。よく、友人にも「なぜ、同じ演目を何度も見るの?」と聞かれるけど、それは多様な色彩を、いろいろな風を感じたいから。そして、ミーハーの王道(!?)としては、もう彼氏とデート!の気分で、そりゃ会える回数は多い方がいいですわ〜〜。(しかしデート費用は一方的な持ち出し・・・)
と云うワケで、東京オグリ最終デートは、昼の部以上の熱気の中での幕開けとなりました。お遊びはなかったけど、演技がちょっと濃い目の方も。(観てる方も濃い目!ですが!!)舞台上の物語の展開の切なさと、これが本当に観納めという現実的な寂しさとの相乗効果で、私の頬を伝う涙もいつも以上に大粒です。周囲も涙を零している人が多く、この私達の大粒気味の涙と、いつも以上の大拍手が、素晴らしい舞台を提示し続けて下さる猿之助さんへの、そして、一座の役者さんみなさんへの「ありがとう!」の表明です。
夜の部は、通常通りのエンディングの段階ですでに2拍子。一度幕が閉まったあと再び開き、鏡コロスの黒衣さんから始まって、役者さんすべてを紹介。猿之助さんは花道まで出て。私達観客も力の限りのアプローズです。そして、もう一度幕が閉まってそして開き、音楽も何もない舞台上に整列する役者さん達。拍手が、さよならに変わり、手を振って下さる役者さんと、私達と、この時を、劇空間を共有している幸福に包まれて、いつまでもこの時間が続いて欲しいと願ったのでした。
1998年5月23日 / Yasuko
■五月初めに「オグリ」を見てからというもの、気分は殆ど照手姫!ひたすら判官さま、猿之助さま恋しの毎日をおくっていまーす。
関ヶ原の場、私、夢にまで見ました。三列目のど真ん中でみたもので、もう猿之助さんと私の世界って感じでした。猿之助さんの目が涙でいっぱいになって、それがスーッと頬にこぼれ落ちたんです。
キャ〜〜☆*♪。
N.Sさんは「見た目は美しくないけど・・・」って感じたみたいだけど、私はあの場の猿之助さん、見た目も最高に綺麗だったと思いましたよ〜〜。何といってもあの、あの涙が・・・。キャ〜〜☆*♪。
でももう終わっちゃうんですね。見に行けなくても「いま頃、演舞場では」って思うだけで心が癒されたのに。ああ、地方ファンの悲哀・・・。
ホンマモンの「楽」には未だ行ったことないけど、感動の「楽」の様子(噂に聞いてる)など、出来れば詳し〜く教えてください。ヒナ鳥が口あけてエサ待ってるみたいに心待ちにしています。
1998年5月20日 / ヒナ子
■ 演舞場を出て以来「あ〜小萩、小萩」とつぶやいている私は変でしょうか?
ついに私も”オグリ”を見てきました。初演は見ていないので初めての”オグリ”です。
スーパー歌舞伎は「八犬伝」から見始めているのですが、今回は始めて見た時のように感動しました。「八犬伝」も鏡を使ったセットでしたが、私は「オグリ」のセットの方が断然好きです。私の見た席が3階席だったこともあると思いますが、いろいろな角度から舞台を見て本当に楽しめました。
舞台の後ろに写っている役者さんの後ろ姿を見るとか(後ろから覗き見している気分)、横に写った別の角度からの芝居を見るとか。でも当然のことですが、どこから見ても芝居にかける情熱のようなものがヒシヒシと感じられました。
見終わって一番心に残るのはやはり、小萩です。明るくけなげな小萩に心奪われてしまいます。(笑也ファンなのですいません)
皆さんがおっしゃっているとおり、”関ヶ原のあたり”の場面は胸が痛いですね。
(この場面のテレホンカードが欲しいと思ったのは私だけ?いや、出来ることならポスターが欲しい!)
とくに私が好きだったのは、小萩と判官が指切りをする場面。判官の右手をスローモーションのようにをゆっくり上げ、やさしく指切りをする。(うっ・・・)
それと、最後に判官が小萩に会いに来て名を明かす時の、小萩の驚きの余り声にならない様子。そうですよねえ、本当にびっくりした時ってあんな感じですよねえ。
團蔵さんもすっかりスーパー歌舞伎に馴染んでますよね。ご本人のお顔を見てびっくり!化粧をして舞台に立たれると、とても若く見える!!
笑三郎さんの女将はとても色っぽくて本当に楽しそうでした。
そして猿之助さん!! 見た目は美しくないけれど、餓鬼病になってからの切なく哀しい演技が特に好きでした。
あと、あまり名前は出てきませんが、私は猿四郎さんにいつも知らぬ間に目を奪われてしまいます。きびきびした動きとあの目に引き込まれるのですが・・右近さんの目の力と同じようなものを感じます。最近大きな役をやるようになり、喜んでいます。あまり知られてないと思うのですが、自主公演もされてるんですよねえ。ひそかに応援しています。
4月からインターネットを始め、このホームページに感激しています。友人には歌舞伎の話を出来る人はいないし、情報源は「演劇界」ぐらいしかなかったし・・・。毎日ぞくぞくと情報が入っていてわくわくしています。地方に住んでいるので、年に数回観劇のため上京しているのですが、今までは「あと1週間だ!」「あーもう2日で会えるんだ」と気分が高まりましたが、今回は家を出る直前まで皆さんからの情報を見て、そのページを印刷したものを持って東京まで行ったので、今までとはまた違ったわくわく感がありました。
夏はたぶん歌舞伎座に行けないけれど、皆さんからの報告を楽しみにしています。
1998年5月17日/ N.S
■ 松竹座、4月に続いて5月公演も行ってきました。華やかで、美しくて、面白くて、おめでたくて、「ああ〜歌舞伎はやっぱり最高やわァ…」って、しみじみ思いました。本当に、歌舞伎を知らなくても生きていくのには何の支障もないけれど、歌舞伎の楽しみを知っているのと知らないのとでは、もうもうもう!人生の彩りには大変な差があるって思うんですよね。
それにしても印象的だったのは、松竹座が連日満員の盛況だということです。特に5月の夜の部など、4月の中頃にはもう売り切れてしまっていました。世の不景気にも拘わらずここだけは別世界って感じでしょうか。
長い間 「関西ではもうとっくに滅びてしまった…」なんていわれるほど歌舞伎の不振が続き、私たち歌舞伎好きにとっては、「関西で歌舞伎を育てる会」(現在は「愛する会」と改称)の自主公演と、猿之助さんが毎年来て下さるのだけが楽しみ、というような日々が随分と続きました。
それが松竹座の開場で、毎月毎月歌舞伎がみられるんですよ〜〜。しかも満員の盛況で〜。本当にこんなうれしい日がくるなんて想像もしませんでした。
あと希望を言うなら、「関西・歌舞伎を愛する会」でもぜひ猿之助さんの公演をかけてもらいたいなァ〜ということです。猿之助さんとの衝撃的な出会いがなかったら(初めて舞踊『黒塚』を見た時は終わってからもしばらく席を立つことできませんでした)、私は多分こんなカブキ者にはなっていなかったはずなんですから。それに「関西・歌舞伎を愛する会」の世話役の女性によれば、会に入っている人の構成を調べたところ、意外にも(だって多分一度も猿之助さんを呼んではいないはず)猿之助さんのファンが一番多かったというんだから、きっと会員も喜ぶと思うんですけどねェ・・・。少なくとも私は飛び上がってよろこびます!!
『寺子屋』『角力場』『封印切』『身替座禅』どれも目いっぱい楽しみました。『鰯売恋曳網』も『伊勢音頭恋寝刃』も『助六』もそれはそれはたっぷりと酔わせて貰いました。けれど結局は最後にどれもが「猿之助さんだったらなぁ・・・」なんてことに行き着いてしまう私でした。
1998年5月12日 / Tomoko.N
■大阪まで遠征。松竹座の五月公演を観てまいりました。
番付のなかに小山観翁さんが口上の演出?の移り変わりとか思い出に残る口上について文章を書かれていました。
原文のまま抜粋します。・・・昭和38年5月の、初代猿翁、三代目猿之助の披露で、これは、猿翁病気のため、主役不在のまま興行をつづけたが、最後の三日間のみ、入院中の聖路加病院から車椅子で出勤、口上をのべました。前二日間は、素顔に紋付羽織袴、千穐楽のみ鉞銀杏(まさかりいちょう)の鬘、三升の定紋の柿色裃で登場し、これは古式の口上というより、お客様に語り掛ける調子で『・・何からお話し申しましょうやら・・』といって声をつまらせ、何卒、孫猿之助を呉々もお願い致しますと、切々と訴えた。誰の目にもこの衰弱ぶりでは、これが最後とわかりますから、文字通りの舞台、観客一体の、まことに感動的な口上になりました。ご本人も、それは覚悟の上だったのか、幕切れに、一同平伏しているとき、最後まで、頭を上げて、歌舞伎座の、それこそ『隅から隅まで』名残り惜しげに見渡し、幕が静かに曳かれる直前、深々と平伏した姿は、いまも私の脳裡にやきついています。
1998年5月12日 / しっぺぇ太郎
■ これまでホームページには二度程メールをお送りしていますが、実際に手にした『翔・八号』のあまりに美しい表紙に始まる、猿之助さんを想うファンの皆さんの心がこもった数々の手書きの文書に触れ、せめて感想くらいは筆をとって手紙をしたためなければ・・・という気持ちになり、拙筆ながらペンをとらせていただきました。
一読して『翔』はまさにファン誌における“最高峰”だと言っても過言ではないと思いました。猿之助さんを想うファンお一人お一人の熱い気持ちに圧倒されました。
斯く言う私はメールにも書きましたように坂東玉三郎さんの大ファンです。でも、皆さんほど玉三郎さんのことを想っているだろうか・・?・・と自問すれば・・・それは、皆さんに比べれば言うのも恥ずかしい程度でしかないということを痛感させられます。
特に巻末の座談会に登場されている藤山直美さんのお姿(ファンとしての)には打たれました。私が玉三郎さんの舞台を追いかけはじめたのも藤山さん同様中学生の時でしたが、以後にはお休みした時期もあれば批判的になった時期もありました。藤山直美さんのように、一筋に、一途に、という姿勢で玉三郎さんに向かい続けてこれなかったこと、正直に申し上げるととても口惜しいと感じました。私には結局、藤山さんが猿之助さんを受け入れられたように玉三郎さんを受け入れられるだけの感性がなかったのだナ・・・と――。
でも随分と回り道をしましたが、今は、猿之助さんの舞台に決して負けない(というと少し語弊があるかもしれませんが、玉三郎ファンの私にとってはやはり玉三郎さんが一番なので・・・)玉三郎さんの数々の舞台に足を運び、素直に感動をし、「玉三郎ファンでよかった!」言える自分自身になりたいと思っています。『翔』はそのことをハッキリと再認識させてくれました。
それにしてもこんなにも素晴らしいファン誌が八号で最終号となってしまうのは非常に残念でなりません。身勝手な要望ですが、十号二十号と続いたらどんなに素敵だろうと思います。けれとまた、『翔』のあとがきにもありましたが、“盛りの花”の時に勇気をもって自ら幕を引かれるということも大切なのかもしれません。身の程を知らずひたすら“いま”に固執する醜い姿をよく目にする昨今においては、一服の清涼剤のようにも感じられます。
『翔』 作りに没頭されてきた長い年月の間には筆舌に尽くし難いこともおありだったことでしょう。部外者ながら敬意を表します。本当にお疲れ様でした。
――と、まとまりのない文章となりました。これからも時々ホームページに立寄らせていただきます。(こんなことを書くとお叱りを受けてしまいそうですが)機会があれば猿之助さんの、大歌舞伎意外の舞台にも足を運んでみようと思っています。
グループ・翔の皆様、そして猿之助ファンのみなさま、どうぞお元気で、ますます煌きの日々をお過ごし下さいませ。
1998年5月8日 / Nagako.Y
■本日戸部先生の授業がありましたが、これといった最新情報はお話しになりませんでした。代わりにと言うわけではありませんが、『オグリ』のちょっとした裏話をお伝えします。
照手の牢輿を川に流す件、非常にいい場面だと思いませんか。あの場面、歌六さんと猿弥さん相当熱心に稽古されたそうです。根はいい悪人を演じるお二人の演技、私自身もあれは絶品だと思いました。
スーパー歌舞伎については確かにいろんな意見があります。古典に慣れ親しめば親しむほど、首を傾げるような場面も出てくると思います。しかし、こういうしみじみとした本当にいい場面がさりげなく用意されてるから、ついつい2度3度足を運んでしまうんでしょうね。ちなみに猿弥さんは私の先輩(日本大学芸術学部卒)に当たるんですが、戸部先生はよくお褒めになっています。「勘が良くて器用な、いい役者だ」と絶賛されてます。
さて、今回は戸部先生のお人柄についてご紹介しようと思います。失礼な言い方をしてしまいますが、先生はあれだけの方なのに決して偉ぶらないんです。歌舞伎好きの「大先輩」といった感じで大変親しみやすいお人柄です。人間としても大変尊敬できる方だと思います。大学院卒業生や先輩にも数多くのファンがいます。
また先生の復活狂言や整理された演目(澤瀉屋のものだけではありません。『妹背山婦女庭訓』、『雷神不動北山桜』や「阿古屋」の通しも先生の手によるものです)については、すっきりした分かりやすさと物語本来の面白さがあると思います。
結局現在の演出は、歌舞伎の歴史の中で、その時代その時代の名優達が自分達の演技を生かすためにアレンジを加えていったいったもので、現代の俳優が演じて、現代人がそれを観てしまってはなかなか難しいものがあります。そういった本来の物語と異なった部分をそぎ落として(先生はよくシェイプ・アップという言葉を使われます)、現代人が面白く観られるものが先生の本であり、演出です(こうやってみると澤瀉屋が常日頃口にされてることと全く同じですね).。
七月の『千本桜』が海外ヴァージョンだと前回書きましたが、これこそ真骨頂だと思います。『千本桜』の内容を一言で言い表すと、「義経のおかげでいかにみんなが迷惑を被ったか」というものだそうです。特に物語の全体像を短時間に凝縮した「序幕」などは大変優れたものだと思います。まだまだ先のことですが、今から本当に楽しみですね。今回は私の考えばかりを述べてしまい、申し訳ありませんでした。それでは。
1998年5月07日/ T.Y
■前回の観劇(4/22)から、ちょうど2週間!私にとっては、5月最初のオグリです。
一幕目、さすがに団蔵さん、そして亀治郎さんの声がかすれ気味
(後の閻魔さまやイジメッコはオッケーでしたが。いろいろなパターンの声を使うので、大変なのね。^^;
)
今日は前列より10列目ということで煩悩???から解放され、じっくり舞台全体を見渡せました。(でも、花横だったのでたまーに、チロチロと・・・・)やはり舞台から距離があると、ミラーの効果が少し違って見えますね。(本当は一度は三階席から観たいのですが、三階はわりと早い段階で売り切れていて、もう手に入りそうにありません。)
前方席だと、スタンバっている影が鏡の後ろに見えてしまったりするけれど、今日の席からだと、人物が真の闇の中から出現、あるいは消え込んでいくように見えたり、幾十にも映り込む姿が、より鮮やかな広がりをもっていたり。静止する役者さんたちも、そのまま永遠の中にとどまってしまいそうな、完全なる美しいストップモーションを体現しているように見える。猿之助さんも少しお痩せになって(遠目に見るから?カナ)、より、美貌が際立ちます。もー完璧なる物語世界。私に理屈は要りません!
ということで、友人ネタを、またひとつ。
歌舞伎観劇って<前提知識があることが前提>みたいなところありますよね?いろいろな意味で。それで、別に、特に勉強したりしなくても観劇歴が長くなるに連れ、なんとなくそのお約束がインプットされて、スプラッターな展開も、オカルト(!?)も、全然大丈夫!!猿さまが常におっしゃっている事ですが、生き変わり死に変わり、荒唐無稽大アリ、整合性無視大アリの世界ですよね。ですから、同行した友人が、最初の幕間で発したひと言は、私にとって、とても新鮮でした。チラシも読まず、ホントに真っ白な状態で舞台を観た彼女のその最初の疑問は、「こんなに早く主人公が死んじゃって、あとどうするの〜?」でしたー!!
そう、リアリズムな世界では、死んだらそこで終わりですぅ。生き返らせるなんて、SFかオカルトものじゃない限り承認できませんよねぇ。トリック満載のミステリーとか?まさか<死んでも生き続ける>なんて、思いもよらなかったでしょうね、彼女には!(なんたって「たのもー、はるばる娑婆よりやって来たー!!」ですもん。ハハハ、どうだ参ったか!すごいだろー歌舞伎のストーリー展開は!ってなもんですわ。
次に、 オグリを観た友人からの手紙を紹介させて下さい。わりとみんなとは違って?文のやり取りの省略部分なども肯定的な見方をしていて、おもしろいなぁ〜〜と思ったものですから、ご本人の了解のもとに送ります。
彼女は学生時代から歌舞研で、おもだか屋以外のもよく観てるし、文楽も聴いたりしているという方です。この間はアマデウスも観てきたらしい。(これも初演から観ているそうですが)かれこれ18年くらいの観劇歴を持っているのだけど、変に通ぶらず、話していてとても気持ちのいい人です。
「・・・・・ところで、今回のオグリは、前回にくらべて一幕目がスピードアップされていましたね。貴方が、書いていたように龍子の件があそこまで、あっさりとしてしまうとは予想外でした。おまけに龍子は、龍の娘ではなく卑しい生まれ育ちというようになっていたし。
今回は、あくまで照手に主眼をおいた、ということなのでしょうか。ここは、最愛の女性である龍子を失ったオグリの失意を見せ、ロマンの病と言われる所以は、8度の結婚と、東国の習いを破ってまで手に入れようとした照手との件で、見せようとしたのでしょうか。私も最初はこの省略ぶりに驚いたのですが、最近はこれもいいかなと思っています。
導入部分も意表をついていて、あっという間にオグリの世界にひき込まれますもの。文のやりとりもはしょりましたね。これも、あんれま、と思ったのですが、照手の登場が次ぎからになる、つまり判官が初めて照手を見る、その同じタイミングで、観客である私達も照手を初めて見る、ポイントが絞られるという風に(というかより印象づけられる)見ました。この一幕は前回にくらべて大きく変わったので、翔のHPでも賛否両論が出ていましたね。
それにしても、猿之助さんの素晴らしさ、笑也さんの美しさとけなげさ、どれもいいですね。それぞれが兼ねている役で新たな発見があるし(笑三郎さん、びっくりしたね。あんな<いい男>だったのね。)いろんな意味で「ただの再演ではない」熱意が伝わってきます。さすが猿之助さんだなー。
猿弥さんの長殿も少し大人しくなって(やっぱりノーパンしゃぶしゃぶはねー)女郎屋の長らしくなりましたね。最初はすごかったもの。
私は、判官の餓鬼病が治って、自分の体をうれしそうに眺めるシーンがあるでしょう?あの時の猿之助さんの表情が本当にうれしそうで大好きです。
照手は本当に、明るくてけなげで、スーパー歌舞伎のヒロインでは一番好きです。笑也さんの透明感を感じさせる演技もよかったです。(後略)Hiroko.F」
1998年5月05日/代打(キーボードを打つ事を打鍵と言うらしいので!)Yasuko.W
■ 4月29日水曜日に新橋演舞場の『オグリ』夜の部を観てきました。
実は以前TVで見たスーパー歌舞伎の印象があまりに悪く、これまで敬遠してきたのですが、昨年観た『當世流小栗判官』の印象が素晴らしかったので、今回はどう演じるのかという興味で出かけました。結論から言いますと、歌舞伎と思わなければ最高!です。
この劇のポイントは小栗判官と照手姫のラストの再会、その一点に尽きると思います。観客全員がこの新しい国主が小栗判官であることを知っている。知らないのは照手姫だけ。その照手姫が判官と知っての演技、これが上手くいくかどうかがこの劇の最大のポイントで笑也さんが完璧に演じてくれました。この一点で最高!となったのです。
あと面白かった点をあげれば、なにしろ花道上にはしごを立て、その上の碁盤に馬もろとも上がる所、びっくり仰天です。いくらワイヤーで吊しているとはいえ、馬の中に入っている人は大変。また、後半の大津の宿に登場した通行人たちの衣装が極めて当時(室町時代)の雰囲気を現していて興味深かったです。その他には、歌六さんと猿弥さんが演じた船頭。何故かここだけ完全に歌舞伎になっていて、妙な味わいが残りました。これはどう言えば良いのか分からないのですが、團蔵さん。商人の衣装にも驚きましたが、その動き、なんだかシェクスピアに出てくる道化のようで違和感が・・・。多分それが狙いなのでしょうが・・・。そして閻魔大王。巨大さが迫力満点。う〜ん、これ以上は表現する言葉がない。カーテンコールの閻魔さんはかなりヘンだった!!?
気になったのは、梅原さん的な説教臭さ。まあもともと説教節ですから、仕方ないのでしょうが、セリフで説教されるとうるさく感じます。これは以前も書いたと思いますが、歌舞伎と新劇の大きな違いは思い入れ。新劇は全てセリフで説明しようとするために、返って感動が薄れ、伝わるはずの感情が上滑りするのです。良い脚本は感情の襞を演技で補うように出来ていると思います。
そして最大の違和感は「ロマンの病」。ロマン!!!どこの言葉だ!!?忠臣蔵で師直が判官の顔を「半魚人のようだ」とからかうよりもひどい。もっと良い言葉はなかったのでしょうか、梅原さん??意図するところは理解できても、時代劇に電話やタクシーが登場するようなものではありませんか?これにはちょっと参りました。うしろのおばさんさえ笑っていましたよ!!
まあ、こうした細部の気になる点はあるものの、なにしろ猿之助さんと笑也さんの濃厚な演技が素晴らしいのと、鏡を使った舞台装置の工夫がかなり目を引くのと先程書いたポイントがきちんと演じられていたことで、満足です。
また思いついたので付け加えますと、歌舞伎との大きな違いの一つに、四季の意識、があります。歌舞伎の『小栗』は見事に四季が背景にありました。これは江戸が四季を常に意識する文化であることの現れで、さすがに鏡では困難でした。ただし猿之助さんのすごい所は、四季を枯れ葉と桜花を降らすことで表現したことでしょう。吉弥さん竹三郎さん、良かったです。亀治郎くん、見得を切る時、一人だけ「にらみ」を見せていたこと、見てますよ。笑三郎さん、眉をコバルトブルーで書いていたこと、しっかり確認しました。う〜ん、まだまだ言いたいことがあるような・・・。
まだ一月あります。ご覧になっていない方は是非足をお運び下さい。
1998年5月04日/ 「江戸ぐるめ」=HPの「江戸ぐるめ」さんより転載させていただきました。
■ はじめまして。こちらのHPは毎日のように拝見しております。贔屓にはたまらない内容ですね。私が澤瀉屋に出会ったのは高校2年、『オグリ』初演の名古屋公演です。以来ずっと贔屓でおります。
私は映画監督の道をずっと目指してまして、日本大学芸術学部映画学科を今年卒業後、今は大学院に在籍しています。もちろん映像を専攻しているんですが、なんとうちの大学院には戸部銀作先生がいらっしゃるんです。
戸部先生といえば御存知の方は多いと思いますが、「四の切」の宙乗りを始め数々の復活狂言を手掛けた重鎮のおひとりでいらっしゃいます。学部時代も、先生のゼミで舞台稽古を見学に行くときにはこっそり潜ったりしてたんですが、今年からは正式に授業を受けることが出来るようになりました。そんなわけで皆さんに最新の澤瀉屋情報をお知らせできると思います。
〈現時点の最新情報〉・七月の『千本桜』で「花矢倉」がつかないのは、歌舞伎座の上演時間の関係だそうです。現在は9時までに終わらなければならないそうです。また今回は「海外ヴァージョン」の演出になるということです。
『合邦』の放映は、NHK衛星で6月中旬だそうです。今回の映像は「ニュー・ディレ クション」ともいうべき、今までとはひと味違ったカメラ・アングル、サイズで撮影されてるそうです。澤瀉屋もお気に入りだということです。
同時期に、延期になってい た玉三郎さんの『阿古屋』の通しも放送されます。
1998年5月01日/ T.Y
■ 初めてmailさせていただきます。何かちょっと緊張してしまいます。いつも,まわりの目を盗みながら楽しく読まさせていただいております。(学校でしか,インターネットができないもので。)
私が猿之助丈の舞台(正確に言うと,笑也丈と春猿丈のあまりの美しさにクラクラしたことがきっかけですが。by
ヤマトタケル)に心惹かれるようになってから,まだ今年で4年目ですし,好きなものを観るだけなので歌舞伎の難しいことは良く分かりません。そんな私のたわいもない,舞台の本筋とは離れた感想ですが,ひとつふたつ書かせていただきます。
私のスーパー歌舞伎の観劇方法は,まず3階席で全体の流れをつかみ(どこから笑也丈がせりあがってくるのか,春猿丈がどこにいるのかを確かめているだけ,という噂もありますが...),それから1階席で観るというものです。
この前,初めて1階席で観ましたとき,特に印象的だったのが,小栗判官と小萩の関ヶ原の場面です。そのとき,落ち葉が散ってきますよね。その落ち葉が散る音がなんともいいのです。なんとなくさみしいような悲しいような懐かしいような,そんな印象を受けました。
それからもうひとつは,小栗判官と照手姫の出会いの場面。照手姫の多分かんざしが鳴っているのだと思いますが,鈴のようなきれいな音がするのです。なんだか照手姫にぴったりだなーと思いながら,聞いていました。このふたつの音は,3階席からだと気がつきにくいと思います。実際,私は葉の散る音にすら気がつきませんでした。
それからもうひとつは,3兄弟が並んで(門之助丈,段治郎丈,笑三郎丈)座っていて,段四郎さんが話している場面で,3人ともまったく瞬きをしないで結構長い台詞の間中いるのです。こんな事は,当たり前なのかも??しれませんが,すごいなーと思いました。(そんなとこ観てる方が変なのかしら??)以上くだらないことばかりですいません。お金もない学生の身分で(時間もないのです。)そう何度も観に行くことが出来ません。このページが更新されるのを楽しみにしております。それでは,失礼いたします。
1998年5月01日/やっぱり猫が好き
■ 先日のNHK教育TV「歌舞伎鑑賞入門」ご覧になりました?このページでも、しっぺい太郎さんが紹介してくださってた番組ですが。
それにしても、ど〜して!? どうして『四の切』が猿之助さんじゃないわけ?! 私もう、あきれかえってひっくり返ってしまいました。
何しろ講師がW先生だから、まあ一抹の危惧がないわけじゃなかったけれど、でも常識ってものがあるでしょうに! 猿之助さんの『四の切』の上演回数は千回超えてるんですよ。ということはそれだけ“猿之助さんの『四の切』”が支持されてるってことでしょう?
フツーの、一般的な感覚の人にとって、『四の切』っていったらいまや猿之助さんに決まってると思うのに。何が悲しくて菊五郎さんの不慣れな欄干渡りなんか見なくちゃならないんでしょ。
私菊五郎さん嫌いじゃありません。いえ普段は大好きです。でも狐は似合わないんだもの!
ホントに私、W先生の文章もわかんないけど、感覚もわかりませんわ。
1998年4月28日 /F. Y
■ 初めてメールを差し上げます。先日、休みの時間に翔のホームページを見つけました。
猿之助ファンのいかに多いかという事を感じています。斯く言う私も大ファンです。
最初に歌舞伎の舞台を観たのは、平成元年の7月の歌舞伎座でした。その時は、あまり面白いとは思えず歌舞伎とはこんなものかと言うぐらいでした。
その後、八犬伝の初演を新橋演舞場で見てまさにカルチャーショックを受け、歌舞伎と猿之助にハマッテしまいました。丈の言われる3Sそのものの舞台に引き込まれてしまいました。
その年の7月に、小栗判官を歌舞伎座で観て更に泥沼に引き込まれる様に、丈の魔力に引き込まれました。
何といっても感激した舞台は、狐忠信の四の切りです。観たい観たいと思っていてやっと観ることができ、また、花道のすぐ側であったので表情、仕種などよく観る事が出来、涙ものでした。
先日も、オグリを観てきました。いつもながらサービス精神に富み、観客の事を第一に芝居をしてくれる役者の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
一門の役者さんでは有りませんが團蔵丈の、乗りに乗った芝居に拍手喝采します。もっと共演してほしい役者さんの一人です。7月の歌舞伎座は、義経千本桜と知り今から楽しみでしょうが有りません。
取り留めの無い文章になってしまいましたが、猿之助丈が大好きであるという事は皆さんと変わりません。また、メールを送りたいと思います。今後の皆さんのご健勝とご健闘を祈ります。何処かで御会いできるよう願っています。
1998年4月27日 / Yutaka .I
■遅まきながら二回目、行ってきました!もう、すっごく感動、感動、涙、涙!!
一回目に観たときに感じた違和感も消え失せ、もう引き込まれっぱなしでした。些細なことでも涙がじわーっと出てきてしまうんです。やっぱり名作です!小萩、最高です!!(すいません、笑也ファンなもんで・・・)
ホントいうと、やっぱり句読点のうちかたとか、力を込めて言うところとかに多少のズレを感じなくもなかったのですが、そんなものブッ飛んでしまう(言葉悪くてすいません)ほどの美しさ!健気さ!!可憐さ!!!小萩はホント、夢と希望と光を与えてくれる太陽のような人です。次回観るのは千秋楽なんですが、それまで我慢できるでしょうか・・・一カ月もあります。
この日は私も初心者連れで行ってきました。率直なご意見がききたくて。もちろんおもしろかった、きれいだったとの感想はあったのですが、今一ピンとこなかったことが彼女にはあり・・・それは「あの小栗判官って人、あんな罰を課せられる程、悪いことした人なの?」という疑問が、最後まで引っかかってしまったのだそうなんです。結局、殆どのみなさんが感じている、序幕の発端の部分、龍子の件のカットが影響しているということなんだと思います。回りの気持ちも考えず、自分の本能の赴くままに行動し続けた彼の罪が、あまりにもあっさり描かれてしまったためなんだと思います。
決定版などとは言わず、改訂版の更なる改訂を願います。名作だからこそ、非のうちようのない作品にたどり着いて欲しいと思います。
話は変わりますが、もうひとつ行ってきました、笑也さん出演の『トップランナー』(NHK)の収録! 放送は5月8日(金)23:45から24:30です。『オグリ』のVTR有り、『ヤマトタケル』初演の稽古風景のVTR有り(
みんな若い!猿之助さんが段四郎さんに見えてしまった)。
45分の放送に2時間の収録時間。楽しく2時間が過ぎていき、カットされる部分が惜しまれます。
注目すべきは、笑也さんのVTRを見る姿勢。昔の舞台などは、照れもあるのか、観客席を気にしながら真後ろにあるVTRを横目で見るようだったのですが、『オグリ』のVTRはチェックも含めて真剣に、更に猿之助さんの、笑也さんについて語るVTRに至っては、観客に背を向け、椅子席にもかかわらず、まるで正座をするような姿勢で、しかもその間ビクとも動かず、師匠の言葉に集中していました。
笑也さんたちお弟子さんにとっての猿之助さんの存在のすごさに、改めて感動しました。
収録の中でも彼は言ってました。「師匠の偉大さって、すごいんです。例えば3000人のお客さんが目の前にいたとしても、後ろに師匠が一人いたら、そっちの方が気になるんです。すごい重圧なんです。」って。
他にも猿之助さんにまつわる話がたくさん聞けました。カットになっていないことを祈りつつ、予告編はこれぐらいに致しましょう。見てね!
1998年4月27日 / F.H .
■ 久ぶりでお便りします.私,昨年の巡業から澤潟屋のみなさんの舞台を見始めた澤潟屋初級者です.今までのスーパー歌舞伎は見事に見逃してきました.なんて不幸なことなんでしょう.でも,やっとのことで今年のスーパー歌舞伎に巡り会えました.
愛媛に住んでいますので,そうそう見に行くこともできませんが,2回見ることができました. あまり詳しく感想を書きますと,これから見る方のお邪魔になると思いますし・・・.
というわけで,心から応援している21世紀歌舞伎組の方たちに対する感想を中心に一言.
まず,笑也さん.なんて美しいんでしょう.龍子が影で照手・小萩が太陽という位置づけだったので,最後まで,笑也さん太陽みたいに元気で健気な小萩に徹していたようです.最後の近江屋の場面でのこれからハッピーエンドに向かう序曲じゃなくって序声のような,みなさ〜〜〜ん...からのせりふ.笑也さんの元気のよさに一人ほくそえんでしまいました.笑也ファンの私としては影の龍子をお姉さま風に演じているのを見たかったな,なんて思いましたけど.
次に,笑三郎さん.みなさんの感想通り.笑三郎さんのりりしい男っぷりがとっても素敵でした.段治郎さんは山賊や横山家高など激しい役もいいのですが,最後の役人役で涼やかに座っている姿もいいなと思いました.出待ちしてた時に見た野球のユニフォーム姿も良かったです...?
猿也さんは何をさせてもいい味出してますよね.うまいです.長役では頬に詰め物してたから少々しゃべりにくかったのではないでしょうか.あれ?まさか地のほっぺたではないですよね???
亀治郎さんも器用でうまいですねえ.さわやかな小栗一郎といじめっこは演じ分けてて楽しいだろうな.春猿さんの女盗賊もはまり役でした.
最後に猿之助さん.餓鬼病になってからの抑えた演技,感動して涙したのは私だけではなかったはず.あの抑えた演技と小萩の健気さがお互いを際立たせ道行きではよけいに涙をそそるのです.
2回目を見たといっても日程的に3日しか間があいてなかったので,違いはわかりませんでした.でも,展開がわかっているので,「御大,飛ぶぞーーー.あっ飛んできた!!」とか,待っていた台詞をききながら,「ここのこれがいいのよねえ.待ってました!」「泣かせるねえ.」なんて心の中でつぶやきながら見れる幸せな時間を過ごせました.
至福の時間を過ごすことができて幸せだったなあ......夢のような時間でした.翼があったら飛んで見に行きたいよお〜〜.でも名古屋までがまんの日々です.
それから,私も kanokoさんと同様心はちょっと7月に飛んでます.歌舞伎初心者ですので,千本桜の解説本(淡交社の写真一杯の)と今回の配役を見ながら,展開を読んで舞台を想像してはわくわくしています.
これからのみなさんの感想を読みながら舞台の変わっていく様が想像できればなあと思いますので,みなさんよろしく教えて下さい.それではこの辺で.♪♪♪♪♪
1998年4月25日 / Noriko.T
■ 『ネエ、三越にする?それとも松坂屋?』有楽町から演舞場に向かって、急ぎ足で歩いている時、家内がシャベリだした。こともあろうに、昼の弁当の仕入先を心配しているのだ。これから恋しいお方にお目に掛かろうというのに、しかも2ヶ月ぶりだというのに、まことにバチアタリなことだ。
しかし、この夫 婦は大真面目なのだ。(他人事みたいに言うな!)なにしろ、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、緊張して気合が入ると胃袋が鳴き出すという、妙な体質なのである。√腹がへ〜っては〜(ゴツン)痛ぇなぁ・・・銀座の真中で変な声、出すんじゃぁないヨ。恥ずかしいったら、ありぁあしない。
【懐かしの舞台中継・・のつもり】2度目の柝が入りました。間もなく開演で御座います。音楽が流れてきました。客席の照明が落とされ、場内は闇となりました。ザワメキもおさまってまいりました。目が慣れると、上手から下手にかけて舞台は全面の鏡です。早くも、舞台中央前方のセリが上がってきました。(拍手)御大と笑也、二人揃っての登場です。笑也の衣装はワインレッド。斬新な感覚です。客席からタメ息が漏れています。
すぐに踊りになりました。軽 快な音楽にのって、バレエを思わせるモダンな振りを取り入れています。二人とも楽しそうです。テンポが早くなっても、笑也は女形のままで乱れを見せません。御大は白塗りの二枚目、オスマシ顔で余裕をもって動いています。いつもながらの若々しさには、ただ、ただ、アキレるばかりです。
笑也は御大と離れ て下手に移動してきました。奇麗です。花道にさしかかりました。七三で体がかわりました。舞台中央の御大を見つめています。想いを込めたマナザシ、名残を惜しむ風情で動きません。スッポンを使っての引っ込みです。拍手と共にザワメキが聞こえてまいります。既に舞台と客席は一体となっています。序幕から演出のウマサが光っています・・・ここから先は舞台を観てのお楽しみぃ〜
扨て、公演が始まって3週間もたったのに、お便りの数が少ないのが気にな
ります。もっとも仕掛けの種明かしをするわけにもいかないので、遠慮されてるんでしょうネ。小生も、これ以上書いて良いのかどうか迷っているところです。迷ひ迷ひて吉野山。(ゴツン)痛ぇなあ。・・・千本桜は7月だよ。その前に中日だってあるんだから。男ならドッシリ構えてなってば。
ひとつだけ書かせて下さい。竹三郎さんは、お手の物のおばあちゃんと別に
もう一役演っています。奇麗で、声まで変えてましたので、小生はスグにはわかりませんでした。ニコニコして嬉しそうでしたヨ。
いずれにしろ、誰がなんと言おうと、オグリも本物の大歌舞伎です。文句が
あるなら観てからにしろってんでえ。『そんなこと言っちゃって、イインデスカ?』『イインデッス』♪♪オーレーオレオレオレー。♪♪澤潟屋あ〜澤潟屋あ〜♪♪
しかし、翼を下さい、などとは申しません。なにしろ御大は30年も
まえから宙(そら)を翔(と)んでいるのですから・・・
1998年4月24日 / しっぺぇ太郎
■ 先日、3回目の『オグリ』に行って来ました。私の席の後ろには、おばさま方が5人ほどまとまって座ってらっしゃいました。最初の頃はあまり認識していなかったのですが。…2幕目のラスト、照手が餓鬼病の判官を乗せた車を引いてく場面で、おばさま方が口々に「いいわねぇ〜」って言う声が聞こえたのです。『(⌒-⌒)でしょでしょ。ウフフ』<←私の心の声>。
で、3幕目からは、彼女たちをちょっと意識してしまったんですヨ。3幕目オープニングの街中の人々の様子に「まあ!お人形みたいねぇ〜?きれいねぇ〜」。イジメッコの場面では「ひどいわねぇ〜」。山賊に襲われるところでは「んまぁ〜、ヒドイッ」。
わりに前列でセンターの席だったので、これは来るだろうなって思ってた、判官が湯壺に飛び込む場面では、こちらをめがけて飛んでくる猿之助さんの姿に「おぉ、う☆うわぁぁぁ〜!☆★」ってな、超★ド級のどよめき。『(⌒-⌒)思った通り!いや、それ以上の反応。ウフフ』<←またまた心の声>。
そして、国守となって近江屋に出向いてくる、颯爽として花道を歩く猿之助さんの姿には「いいオトコねぇ〜。前とは、ぜぇ〜んぜぇん違うわねぇ〜。」とのこと。『(⌒-⌒)そうでしょ。そうでしょ』。
幕が下りてからも、「いやぁ〜、アタシ、さっきはほんとにビックリしたわぁ〜。」(←たぶん湯壺の所だと思いますが)「よかったわねぇ〜。」って、楽しそうに話し合ってらっしゃいました。
見てすぐ分かることを、芝居の最中にとくとくと説明されるのには辟易しちゃうけど(-"-)、こういうピュアな反応って面白いですよね。聞いてて楽しかったです。役者さんたちにも聞かせてみたい。
…で、私の感想ですが、前回以上に感動してしまって(;_;)
。本当に良かったです。やはり3階席では気づかない細かい所もわかるし。(3階席でガラスケースみたいに見えるのも好きですけどね)そして、次回は最接近、最前列・センター席なので、今からコワれるんじゃないかと心配です(^0^;;)。フ〜。
1998年4月23日 / 幸せごはん
■ 七月奮闘公演が『義経千本桜』の三役通しだなんて聞いてしまうと、『オグリ』を飛び越えてそちらに気持ちが翔んで行っちゃいそうな私です。
とは言いながら、もちろん『オグリ』、見て参りました。
この物語って、ホント、いかにも”歌舞伎(傾き)”そのものだ!って改めて感じました。
地獄(閻魔大王)、極楽(薬師如来)、そしてこの世を股にかけ、龍の女とは契るわ、やれ毒殺だ、蘇生だと、マンガの世界ででもなくてはお目にかかれそうもない世界。なのに歌舞伎でやるとスンナリ受け入れられて、ポロポロ涙さえこぼさせられてしまうんですよねえ。
それに舞台全体が、さながらきらびやかな万華鏡のようで、異次元の世界に迷い込んだような、えもいわれぬ感覚というか・・・、日常感覚の対極みたいな世界の中で遊ぶことが出来る最高の贅沢を堪能することが出来ました。
しかもスーパー歌舞伎には、さらにもう一つの楽しみが加わっているでしょ。
再演の度ごとに、再検討を加えられ練り上げられして、ずんずん良くなって行くのがスーパー歌舞伎の常。一つの作品が生まれて、それが完成していく過程を目の当たりに見られる、共に体験できる、もう少しおこがましい言い方をするなら、百人百様の観客が、百人百様の感想をああだこうだと言いまくることで、自分も創造過程に参加してるんだ!という気分が味わえるという、何とも贅沢なスーパー歌舞伎ならではの濃い濃い楽しみが。特に今回は「ただの再演ではない!」なんてコピーまでついているんですから、いやがうえにも期待は膨らみますよねえ。
そして確かに、台本はもとより音楽から衣裳から演出にいたるまで、再々検討され再々創造し直されていました。
初演の大成功にもかかわらず、ガラリと印象がかわるほどに手を加え感動がグーンと深まった南座での再演『オグリ』。それをまたさらに検討し直したというんだから・・・。私はそういう姿勢に、創造するということに対する飽くなき執念というか、底しれぬ猿之助さんのエネルギーを感じて素直に感動してしまうんです。
ただ、その「ただの再演ではない!」 という部分(前回と変わった点)については、個人の感想としては、◎、×、が入り乱れていて、結局全体としては○という印象に今のところ落ち着いています。今のところ、なんていい加減な言い方ですが、とにかくずんずん進化していくのがスーパー歌舞伎の特長なので、次に見たら◎、◎、◎で、嬉し涙にむせんじゃうかもしれないわけですから・・・。
では独断と偏見による(なにしろ私の物差しは、私が好きか嫌いか!というだけのいいかげんなものなので)感想を。(ならここまでが前置きかァ〜。ゲゲー!)
【◎ だと思うところ】
★ 先ずは何たって、猿之助さんが “美しい ” “きれ〜い ” ということを飛ばしては駄目ですよね。
とくに湯壷の中からよみがえってくる時の、あのシンプルな鬘、シンプルな衣裳の猿之助さんの美しさったら!“猿之助さんによけいな飾りは不要よ!”って再確認した気分でした。
それに再々演とくれば、当然役作りも深まっているわけで、凛々しく颯爽としたところも、激情のままに照手を求める恋に生きる“危険な男”となる場も、また餓鬼病姿となって惨めな旅を続けていくところも、本当にもう小栗判官そのものって感じでしたね。
★歌舞伎役者だけで固めた舞台は、台詞、間、動きetc、どれもに統一感があって、スーパー歌舞伎は確かに“歌舞伎”なんだ・・・と改めて感じさせてくれる劇空間になっていたと思います。
★『かぐや』 の藤原真人の時も、段四郎さんが演じると、それまでよりググーンと位取りの大きな、いかにも国崩しの大悪人という感じになって、お芝居全体が締まった気がしました。今回の横山修理太夫の場合も同様で、いかにも誇り高い古風な関東武者という感じがあり、娘の照手殺害の命を下すところなど、深い苦渋に彩られたより悲劇的な場になって(金田さんの時だって悪くはなかったけれど)、ドラマの厚みが一層増しましたよね。
★それから閻魔大王。あの閻魔大王って、実はあのドラマ全体(判官の旅路の全てを)を見守っているとても大きな存在なんですよね。だから閻魔大王がそれらしい
! ってこと大切だと思うんです。団蔵さんの閻魔大王は、裁きを下す絶対的な存在という感じがよく出ていて、これも前回よりグー。
★牢輿の照手を逃す鬼王、鬼次も、段四郎、吉弥さんとはちがった味わいでよかったと思います。
歌六さんも猿弥さんも共に台詞の上手い人たち(こういうリアルな台詞の時など特に顕著ですよね)だから、しみじみと心にひびく、美しい場に仕上がっていました。
★アっと驚きのヒットは誰もが口を揃えて言っているように、男臭い立役に挑戦した(なよなよ系じゃない)亀治郎さんと笑三郎さんでしょう。ともにゾクッっとさせるほど素敵でしたもん。「男の色気を出せれば・・」なんて亀治郎さんも番付の中で言ってますが、上等の色気がウワ〜ッと立ち昇ってましたよ。若いのに何をやっても歌舞伎の味が色濃くあるこの二人が本格的に立役で活躍するようになれば、先を行く右近さんにもすごい刺激になるだろうって気がします。新しいファンもドット増えそう。あっ、猿十郎さんの女形・桃の木も驚きのヒットに入れなくちゃあ。すごく綺麗で可愛くて色っぽかったですもん。
★それから笑也さん扮するスーパー歌舞伎のヒロインでは、この照手
が一番いいですね。幕間に男性客が連れの女性に「しばらく見ないうちに笑也って奇麗になったねぇ〜」ってえらく感心して話し掛けていました。
★それと猿弥さんの長殿。あざといなんて感想もありますが、私は抵抗なく楽しみましたよ。金田さんのあの飄々とした雰囲気はもちろん無理だけど、また違った“猿弥さんの長殿”になっていて・・・。
★正ちゃんスウェット(笑)、なくなって私も、ほっ・・・。可愛いと思わないでもなかったけど、あれで宙乗りするのはツライものありましたよねえ〜。それから、最後の近江屋の場での判官の衣裳の背中に張り付いていた鶴?。あれもスッキリなくなってやっぱり、ほっ・・・。も一度言わせてね、“猿之助さんによけいな飾りは不要よ!”
★全体にクドさ、説教臭が薄まった感じで、その分よりスマートになった印象です。
★いつもながらの演出力の冴え。鏡を使うなんてことがそもそも凡人には想像外のことなんですが、見事に使いこなして文字通り万華鏡のような世界を現出させたその手腕!スパンコールきらきらの衣裳って私の趣味じゃないんだけど、『オグリ』の場合は、きらきらの世界、という一つの統一感があってよく合っていると思っています。(きらきら衣裳が嫌いな理由?それはなんども言っているように、猿之助さんは飾りすぎない方が絶対ぜったい綺麗なんですもの。猿之助さんの発する輝きの濃さが、きらきら衣裳で薄まっちゃうと感じているのは私だけかなあ・・・)
そして次々と現れる美しいシーンの数々。第二幕・関ヶ原あたりで幕が下りた時、隣席の女性が放心したように「素敵だったわねえ〜」って口走っていました。私は思わず、「猿之助さん、やったね。ウフフフ・・・」と心でつぶやく・・・。
【× だと思うところ】
★私の中での×の筆頭は、やはり龍子との件のカットですね。あの前説は素敵だったし、後の本筋のためにもぜひ必要なんじゃないかと思うんです。いきなりダンスの場(ダンスじゃなく舞踊であってほしかったヨ〜)から始まったんでは、いっくらその後でいきさつを台詞で説明されても、ただ分かるのと、実感として分かるのとではその後の感動の深さが違いますもん。最後に大きく人間的に成長して近江屋を訪ねる場にしても、自分の夢におぼれてどうしょうもない若者だった頃の姿を見せておいた方が、その対比のあざやかで、成長の過程を改めて語る必要もなくなるくらいの説得力をもって、判官の成長、苦難の道のりの長さなどが瞬時に理解出来てしまうでしょうに・・・。
★動く鏡使いのバリエーションが減ったこと。例えば判官の恋文を照手の部屋に届けるところでは、今回は判官や十人衆が居並ぶ前で、俊乗がいきつ戻りつして恋文の往復をあらわしますよね。それでよく分かるし、演出としては面白いといえるのかもしれませんが、鏡がスススーっと交差した瞬間に照手姫の部屋になり、次にスススーっと交差したらもう判官や十人衆が居並ぶ部屋になっているというあの驚き!観客はみんな魔法にかけられたような驚きにどよめいた前回のほうが、鏡の効果という点ではおもしろかったと私は思います。
★今回衣裳では??が二つ。
登場シーンのあの衣裳。 プログラムの表紙にも使われて、いわば『オグリ』の看板みたいな衣裳ですが、女性に狂い、とんでもないいでたちで闊歩し、両親はもとより親戚中の悩みの種だった頃の正清の件をカットしているので、「なんで一人こんな変わったファッションで登場するんだろう!?」って違和感ありません?だってすぐ後に登場する両親は当然のことながらちゃんとした貴族のナリで登場するし、左近兵衛もそれらしい衣裳なんですもん。
後は小栗の里での判官の最初の衣裳!龍子との別れに傷ついて、その傷をまだどこかに引きずっている判官が、きらきらの極みみたいに華やかな衣裳で、頭に蝶の飾りなんかつけて座っているのって、なんかおかしい・・・。ここは、最初は緑の衣裳でいて、照手を訪ねようと言う時にあの華やかな衣裳に着替えて出かけた前回のやり方に戻してほしい気がするんですけど。
そのほかにも気になるところが(ささいなことばかりですが
)いくつか・・・
というわけで「ただの再演ではない!」『オグリ』、今のところ
〇 の私です。長くてすみません。
1998年4月23日 / Kanoko.S
■ 初日より2週間。どう舞台が固まっているか楽しみに劇場に足を運んだのですが、まずほっとしたのが、もうネタばれにはならいと思うので、言っちゃいますが、「ノーパンしゃぶしゃぶ」(←いくらなんでも、これはあまりでしょ)が無くなっていたこと。2日目に観た友人によると、言ってなかったとの事なので、あれは初日だけのお遊びだったのかも。
あと、前回、猿弥さんがじゃらじゃらし過ぎと書き込みしましたが、いくつかの部分はカットされていてました。江戸の歌舞伎は時事ネタの風刺が効いていたり、猿之助さんが、歌舞伎が大衆娯楽演劇だった時代のじゃらじゃら感?の妙味を現代に蘇らせたいと考えていらっしゃるとしたら、それには大賛成ですし、そういう部分もあった方が面白いと思いますが、若いOLの気を引こうと?男性上司が連発するすべるギャクみたいな演出は、あざとく感じる人もいると思うので、その辺の微妙な線を注意深く作ってほしいです。
龍子との件は、やはり欲しいです。私は笑也ファンでもあるので、単純に観たかった!という意味と、先日、<おもだか道>の先輩(!?)とお話させて頂いてつくづく納得しましたが、夏祭で道具屋を出し、合邦で序幕を付ける猿之助さんが、どうしてオグリでは、物語世界へ入っていく大切な(と私は思う)導入部をカットするのでしょうか。初演ではあったのに、という意味でなくて必要だと思ってます。
初日は、おもだか友達だけで観たのですが、20日はカタギ!?の友人達と出かけ、(歌舞伎も去年の小鍛冶が初めて、オグリはもちろんスーパー自体が初見。)何の予備知識も与えず、筋書きも終演まで買わず、一般人(!?私たちのように?おもだかってない)の素直な感想が知りたいと、聞いてみました。
まず、鏡の使い方が素晴らしい、特に猿之助さんが、土車で坂を登って行く道の立体的な使い方が、(それまで平面というか板に張り付いているので)二次元から三次元と云った感じで凄く良かったと。
そして、興味深かったのが、終盤、判官が照手に今までの経緯を述懐する部分「今まで観てきたストーリー全部説明してくれるのが、くどい。」と結構猿之助さんの本質!?を突いた事を言ってました。(う〜んこれでくどかったら、オオクニヌシを観せたらどうなるだろう?
^ ^ ;)
ここは、私は、完全に照手と判官の心理状態が自分の中に混在して、いつも、かなりハマって観ているので、それらの台詞は、大団円に向かう(ジャンプする)為のクッションと気にならないのですが。初演では龍子との件が付いていたことを説明すると、「最後にあんなにしっかりと、ストーリーの復習しなくても、あの部分をもっとこなれた台詞にして時間を省略し、もうひとつの出会いの物語も観せたら?」と言ってました。
それから猿之助さんの台詞、序盤、早いですよね。私は、後の世の中の闇を知り成熟した判官と、若くて情熱一途な判官との対比を出す為の台詞術なのかな?とも思っているのですが、素人目(耳)にも、「猿之助さん相手の台詞にかぶさっている」と映った(聞こえた)ようです。(って、私も素人ですが・・・^^;)
さて、初日に観た時は、最初のセリ上がり「本当になんて美しい一対なのだろう!」とため息と涙がこぼれそうでしたが、
3回、4回と観て、やっぱり奇跡のように美しい一対なのは、蒼白なお顔で土車に乗る猿之助さん(というか判官というか)とそれを引く笑也さん(照手)ですね。音楽が入り盆が廻り、夕暮れていくシーン。あ〜何度観ても官能します!!
みんな誉めてますが、笑三郎さんの立役、すっきり男前で素敵ですよねぇ〜。私も最初、客演の役者さんかしら、どなた?って思ってしまいました。それから男前と言えば道成寺のいじめっこ(←翔内ニックネーム?)の亀治郎くん!ここのところ女形の印象が深かったし、あんな悪たれ!が似合うなんて意外でした。台詞も声もぴったりだし、彼はホント<驚異>!です。
それにしても亀ちゃん、楽しそうに土車引きずり廻してますよね〜〜。まあ、みんな師匠を足蹴にする場面、素でどんな顔してお稽古していたのでしょうか?)期待の新人笑野くんも、あの若さにして踊りの名手と伺ってますが、何気ないところでも、いい形をキープしていて、さすが!といった感じです。
幕間のロビーでは、ダンボ耳になる私ですが、「ミラーの黒衣さんもエライよねぇ。」とか、「馬に入っている人を誉めてあげたいわ。」なんて言うのを聞くと私も嬉しくなってしまいます。ちゃんとそういう部分も観ていてくれるんだー、報われるよねぇ、と。(すっかり気分は身内)
でも、今日(22日)思わす、ひっくり返りそうになったのは、最初の幕間で「ねぇ、ところで、市川猿之助ってどの役やってた人?」という質問を連れにしてたおばちゃんでした。
1998年4月23日 / Yasuko
■2回目に観た感想です。もう、よかった〜! かっこよかった〜!! 感動した〜! …全てが傾いてます〜!!(^
0^)
初日は素直に言っちゃえば、配役も演出も前回との違いばかりが気になって、自分の中で煮えきらない感想でした。スーパー歌舞伎では、思い入れの一番深い『オグリ』。6年前の千秋楽の感動がそのまま凍結していて、良かったよなぁ〜っていう想いの塊だけが、大きくなり過ぎてたんですね。それに毎度の事ながら、初日って、観客席も緊張しちゃってるし。
そして2回目を14日に臨んだのです。そうしたら肩の力が抜けちゃったのか(この日は思わぬところでどよめいたり、観客席もピュアな反応)、はたまた初日で上書き
(^◇^;;)されちゃったのか、非常に新鮮な気持ちで観れたのです。とぉ〜っても、とっても良かったです。見終わったあとジワジワしちゃったのは、湿気の多いお天気だけが原因じゃありません。確かに、「ただの再演ではない」(^^;)と謳うだけのことはありますね。
オープニングの龍子との別れの舞踊の場面、さらっと流した今回の方がいいです。加藤和彦さんの音楽は、古典的なのに無国籍で重厚な雰囲気が素敵。『龍神伝』の時もそう思ったんだけど、サントラのCDって出ないんでしょうか? また、ミーハーがバレますが(^^;)、ミカバンド(リアルタイムじゃないけど)や坂本龍一さん・高橋ユキヒロさんがバックをやってらした頃の加藤さんもすごく好きだったから、今回の参加はとってもうれしいんです(^-^)。
新配役も良かったです。特に女形さんの大活躍。新じゃないけど、変わらないスマートさで、明るい資質がこの役にピッタリなのは<照手姫>の笑也さん。近江屋の女郎衆では、延夫さん・段之さん、ちょっとばかりおゲレツ(^^;)だけど、可愛いです。段之さん、存在感あるよな〜(^^;)。声がきれいでセリフもよく聞こえるし。新では、猿十郎さんの<桃の木>が、可愛いかったぁ〜。マジで、キレイなの(笑)。その後ろに控えてる笑野さんもいいですネ。竹三郎さんの翁のイジワル妻も、より強い印象。
立役では笑三郎さん、手練れた<女将>とうって変わっての、二男の<横山家兼>にはびっくりしました。最初観たとき、新人さん?って思っちゃたほどの別人ぶり。セリフ回しもシブくて男らしいし、今まで、なよなよした立役しか観たことなかったので、こういうのも本歌舞伎の方でやってくれないかしら…。かなりイケてます(^-^)
。
さらにはなまる急上昇なのは、亀治郎さん。三役とも良かったけど、とくに猿弥さんとつるむ<イジメッコ>の一方。初めて悪役を観ましたが、かっこいいですぅ〜(^
。^)。セリフ回しといい、身のこなしといい、シビレました(*^^*)。
あと新配役で良かったのは、歌六さんの<鬼王>、いい味出てます(^^)。猿弥さんの<長殿>、前回の強烈な金田龍之助さんとタメはっちゃうほどイイです。吉弥さんの<翁>も、その後襲いかかる不幸な出来事を盛りあげる(^^;)いいひとな感じが、よぉく出てて良かったです。
そしてなんといっても、メインの猿之助さんの<小栗判官>。キャー、もう〜、かっこいいです。かっこよすぎ!!(*^^*)
最初の方の、メソメソ泣いちゃったりするところも可愛い! 照手じゃなくても、母性本能くすぐられるよなぁ〜(^^;)。餓鬼病になってからは、ちょっとひつこい(^^;)
ところもあったけど、いろいろ苛められるのが可哀想で、可哀想で。(;_;)
←と、いいつつ、私もちょっと、苛めてみたいですけど…亀治郎さんと共に…(^^;)。(でも、あの役って実は楽しそぉ…ですね)
そして、快癒してからの美しいことったらないです。衣裳も最後がいちばん素敵です
(*^^*)。念仏踊りになっての大団円。ハッピーエンド好きななので、大〜好きなラストです。♪チャ・チャ・チャ〜ン、チャ・チャ・チャ〜ン、チャチャチャチャ・チャチャ〜ン♪って、かぶってきて、ラストシーンの桜吹雪になると、胸の奥がいっぱいになります。
あの《鏡》の発想は、本当に素晴らしいですね。とても斬新です。今回、まだ3階席でしか観てないのですが、花道の奥の方が見えたり、観客席が映り込んだり、同じ俳優が何人も映ったり、裏側が見えたり、それはそれは、幻想的でウットリします。3階でもとても楽しい。
そのほかの演出も、…例えば小栗十人衆が登場するところの硝子のケース越しにみえるようなとことか、横山親子が4人で、バッと身を翻すとことか、街中の人々の往来とか、そのほかたくさん、何気にかっこいい場面が目白押しです。遊行上人が立て札を書いて、群衆が集まってきて踊りながら車を引くところ等々…場面のつなぎ方もいいんです。バリライトも効果的だし、暗転がほとんどないのにも感心しちゃいます。眠ってるヒマは、ないですネ。
こんな、素晴らしい作品を主演して演出して、その上、他の役割(脚本・舞台装置等々)もしちゃう猿之助さんて、ほんとに人間とは思えない…。凄すぎる…。ふ〜。なんか、ご都合主義だよなとか、くどいなってのも、ちょっとは感じてるけど(^^;)
、それらを吹き飛ばすパワーで虚構の世界にハマれます。《ロマンの病》大歓迎です。小栗十人衆の気持ちがよくわかりますヨ。ファンは受け入れて、ついてゆくのみですね。
『オグリ』って、ストーリー、衣裳、装置、演出、全てが傾いてますよね〜。これこそ、スーパー歌舞伎中のスーパー歌舞伎です(^o^)v。 演舞場、そして中日劇場の千秋楽まで、どうかご無事に務められますように祈らずにはいられません。さ、3回目は一等席です。楽しみ〜♪♪なんか不評なようでしたが、わたし、<正ちゃんスウェット>結構好きでした…(^^;
)。だって、可愛いんだもん。パンフレットでは、正の字が消されてて淋しい。同じ様な意味合いで『流星』も好きです(^0^)。
1998年4月17日 / 幸せごはん
■ご無沙汰しております、お元気でしょうか。名古屋の金森です。
私の第2回個展の開催日が近づいて参りましたので、本日個展の案内状をお送りしました。名古屋までは、当然お出でになれないことと思いますので、そういう方々のために、今月19日のアップデートの時(多分夜になると思いますが)に、ホームページ上で先行展示会を行うことに致しました。今回出品作から2点を公開します。どうぞご覧になって下さい。
今回は、前回とはかなり趣を変えて、現代的なものが多くなっています。歌舞伎等の古典を扱ったものも、案内状にのせた「関の扉」くらいです。
書の世界も歌舞伎の世界と同様、色々としがらみが多く、なかなか新しいことのできにくい土壌があります。前回も、書の世界の常識から言えば、随分と翔んだことをしたのですが、今回は前回好評を得たのに気を良くして、さらに翔び抜けて見ました。
「関の扉」からロックまで、視覚的に楽しめる美しい作品30点を、書道界と全く関係のない方々にも特に見ていただきたいと思っています。ホームページのアドレスは
http://home.fwi.ne.jp/~luther/ です。
今は、この準備でてんてこまいで、オグリも5月まで見に行かれません。このホームページにも感想が色々載せられているようですが、私の行く頃にはどうなっているでしょうか。この時期はいつも、疲れがでてきて声の出ない人が多い頃なので、少し心配です。あの「正ちゃんスウェット」は、無くなって.....いないのでしょうね。
その日を楽しみに、この大変な日々をがんばっています。
1998年4月15日 / 金森潮華
編集部より=おめでとうございま〜す、全国の猿之助ファンのみなさま。あの「正ちゃんスウェット」は無くなりました!!
■今年の七月奮闘公演は、「義経千本桜」の通しだというのは本当ですか?
【 昼の部 】
序、堀川館の場 伏見稲荷の鳥居前の場
二、渡海屋・大物浦の場
三、道行初音の旅
【夜の部 】
四、椎の木の場
五、鮨屋の場
六、四の切
で、さすがに花矢蔵の場はつかないみたいですが、猿之助丈は「知盛」と「権太」と「忠信」の三役を完演されるんでしょうか。きっとそうだ!という気もするし、そうじゃないって気もする・・・。だって、猿之助丈の年齢(58歳)を考えたら、やめて〜、死んじゃうよ〜って言いたくなるくらいに途方もないことなんですもん。三役通し上演は確か昭和63年の7月以来のはす゜だから、実に10年ぶりということになるのではないでしょうか。あの猿之助丈をして10年も出なかったということは、それがどんなに大変なことかという証明でもあると思うのです。
あァ、それにしても、きっときっと、今度こそ最後の三役通し上演になるに違いありません。
七月の舞台を思うと、いまからもう苦しくって、なんだか涙ぐみそうになってしまうわたしです。
正確な情報をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。いまから、飲まず食わずになっても貯金に励まなくてはなりませんので。
1998年4月11日 / Tomoko.N
編集部より=その通り10年ぶりの、そしてきっと最後の、一世一代の、三役通し上演です。これを見なくて「猿之助ファンです!」とは言わせませんよ〜〜!!
■「ただの再演ではない『オグリ』」初日に行ってきました。
最初の「ダンス」にちょっとばかり腰が引けてしまいましたし、こんなにカットしなくてもいいんじゃないかしらんと思ったところもありましたけど、全体的には◎(二重丸)です、わたしは。
まず、あの地獄からの脱出シーンで、せり上がってきた判官様と小栗十人集が、白い着物をきちんと美しく着てらしたのにホッ。前のあの衣装は私はどーにも受け入れられなかったんですもん。前の衣装に比べると、宙乗りがちょっとやりにくそうでしたけど、でも、きれいでしたず〜っと。
それから、前はこれでもかっていうくらい繰り返し使われてた『ロマンの病』って言葉がぐっと減ってたこと。これにもほっとしました。それでもテーマは十分に伝わってたと思います。
配役も、どうかな?と少し心配してたのですが、歌六さんの鬼王(?)─でしたっけ、あの照手の牢輿を流す船頭さん─がすっごく良くて、亀治郎さんも、小栗一郎はちょっと新兵衛みたいな感じもしましたが、道成寺のいじめっ子はいかにも「歌舞伎の」悪い奴で、とってもカッコよくって、ああ、このひと立役もいける!とうれしくなってしまいました。
とにかくあの鏡の舞台はとっても幻想的できれいでした。古典歌舞伎のほうが好きな私ではありますが、あんまりお説教もされなかったし、この舞台、好きです。
1998年4月8日 /常陸のおはぎ
■とびっきり素敵なニ〜ッコリに出会えたMaki.Kさん、幸せじゃないですかァ〜。
ファンなら一度や二度、いや三度や四度は猿之助さん登場の輝かしい(!!)夢、見た経験あるんじゃないかと思うんですけど・・・。
もちろん私も両手にあまるくらいは見てるんですけど、な〜んかいつも“喜劇”なんですねェ。「猿之助さんが私の顔を覗き込み・・・」なんて、ロマンチックでいいわぁ・・・。
私のなんて、例えば・・・
『 ある冬の雨の夜こと。南座の外で一人赤い傘をさして出まちをしていたんです。(いや〜、こうして書いてみると出だしはなかなかムードあるかも・・)
ひとしきり待った頃、猿之助さん、やや長めの黒っぽいコートを襟なんか立てちゃって(フランス映画なんかに出てくる二枚目の感じを想像しょう)出ていらっしゃいました。猿之助さんを雨にさらしてなるものか!と傘をさしだす私。
で、四条通りまで出て、お帰りのタクシーを止めようとするのだけれど全然止まってはくれません。そうなるともう使命感の鬼になっちゃった私、雨の通りの真っ只中に飛び出して行って止めましたよ、身体を張って!
ずぶ濡れ状態でタクシーのドアを開ける私。(なんと健気な・・)
やがてスッと美しい身のこなしで乗り込もうとされた猿之助さん、ふっと私をご覧になって、突っ立っていた私の右手を取り、コートのポケットから取り出したものをそっと握らせ、何も言わず立ち去っていかれました。(ええわ、ええわ〜、フランス映画そのままやんかァ、ここまでは←←どこが!)
しばらくは放心状態で車を見送っていた私、はっと気がつき、猿之助さんが握らせた右の掌をそおォっと開くと、なんとそこには、小ぶりのおしゃれ〜な最中(誰?サイチュウなんて読んでるのは)が一つ、コロンとあったのです。し、しかも最中の表面には無数のひび割れが・・・。それ見たとたん「ということは、この最中、かなりの間猿之助さんのコートのポケットに入ってたんやわァ、ひィィー!!」と喜びにむせんでしまった私でありました』(アハハハハ・・)
しばらくはこの夢のことでファン仲間に笑われまくった私ですが、でも救いようのないアホというか、あれからというもの最中を見ると、なんだかちょっと切ない感じがするんですよねえ〜〜。
1998年4月8日 / Miyako.K
■「翔」は、本当に最後になってしまったのですね。スタッフのみなさんの(というか、ファンのというか…)思いがあふれた「あとがき」読んで、私、ウルウルきてしまいました。猿之助さん、きっと「翔」を胸にギュッと抱きしめて眠られたに違いないと思います。だって、「翔」は、ただただ猿之助さんのために出し続けられた、猿之助さんとともに歩んできた本だったんでんもの。
それはそれぞれの号が発行された時期と内容を考えるとよーく分かります。時に感動が、時に怒りが、そして猿之助さんへの深い愛が、本を作る起爆剤だったんですよね。
私は「翔」のイラストと絶妙の “合いの手”
が大好きなんです。とてもおしゃれで、味があって、温かくって、実にいいんです。いつも大笑いしてしまいます。
中でも今回の「猿様恋狂輪…」ときたら、あまりにすごくて、読んでる間中、“鳩豆状態”の私でした。
いつも過激な「翔」スタッフの方々が、藤山直美さんの“ど過激発言”を必死でフォローしていて、とてもおかしかったです。本当に楽しそうで、周りに人はいなかったのかしらん?とか思ってしまいます。私も直美さんのような立派な(どんな??)真のファンを目指したいと思いました。
それから「追っかけのススメ」。よかったです!迫力満点、説得力満点!!
猿之助さんについて、知らない人にも分かりやすくキチンと説明出来ていて、単に分かわせるというだけじゃなく、好きにならずにはいられないというような話しっぷりで、すごいですよー。そして何より素晴らしく羨ましいと思ったのは、皆さんの追っかけ方が、結果として猿之助さんの役に立ってきた(と私は確信してるんですが)ということです。
八号のお知らせをいただいた頃の私は、仕事に行き詰まり、家族の死に遭遇しetcで、毎晩蒲団の中で泣くような毎日を送っていました。軟弱ですよねえ。ホント自分でも情けなかった。
そんな状態から少し回復した頃、夢の中で、猿之助さんが私の顔を覗き込み「やっと笑顔になりましたネ」って、ニッコリして下さったんです。単なるファンの願望が見せた夢とは分っていても、夢の中でまで元気づけて下さったことがとっても嬉しかった!!〜アホでしょ、私。でも本当に素敵な、とびっきりのニ〜ッコリだったんです。
1998年4月7日 / Maki.K
編集部より=直美さんのお話を聞いたのは、大阪の難波にあるホテルの中のレストランでした。午後の4:30頃から7:00頃までだったんですが、当然周りには他のお客さまもいらっしゃいました。
直美さんって、舞台やテレビで見るとボリュームのある大き目の方だという印象があるでしょ。でも生の直美さんは、うっそ〜?!というくらい小柄で、私たちよりよっぽど細身の女性だったんですねェ。掌も小さくて、指も細っそり…。そしてもちろん、綺麗!!
でもパワーはさすがにものすごくて、興奮するにつれ声がどんどん大きくなる、テーブルを叩く、立ち上がるetc、それはもう、もう、もう…。周りのお客さんたちもしっかり直美パフォーマンスを楽しまはったはずですよ、タダで。
■仕事関係の人に、ちょっとお祝いを贈る必要があって、金曜日にお花屋さんに行ったのですが、翌日の配達を頼んだら、「日曜日はいかかですか?大安ですよ。」と言われ、普段そんなことは全然気にしない私ですが、「あっ、初日って、大安なんだー!!」と、なんだかとっても嬉しくなってしまいました。土曜日の夜のお花見も、満開の桜と、そして、咲き誇った花の間から覗く月も澄んで美しく、すべてがオグリのための吉兆のような気がして、幸福な眠りについたのでした。
オグリはもちろん、初演から観ていますが、はっきり言って、これは私は”ひいて”しまったのでした。(^
^ ; とにかく「ロマン」という言葉に引っかかっちゃって、実際役者の口から台詞として「ロマン」という単語が発せられた段階で、どうにも馴染めず、確か初演のオグリ、評判良かったと思うんですけど、趣向(ミラーの使用等)は斬新だったけれど、(ロマンチストの?)私は、どうも物語り世界に入りきれなかった記憶が・・・
まあ、そんな昔話(!?)はさておき、初日を観た感想ですまず、気になった点から。「龍子出ません。」という情報が一時あったのですが、「やっぱり出ます!」ということになって出た訳けですが、あのくだりってそんなに必要ないですかね?テンポアップ命(!?)の猿之助さん、さらっと流したい気持ちも分かるのですが、ついさっきまで、「龍子こそ我が理想の女性だー!」と叫んでいたのに、そんなにすぐ「照手ーっ!」に変わってしまうんかいな?って突っ込み入れたくなるくらい早い展開でした。(もちろんその間に時間的経過はあるのですが、とにかく目前の濃厚な記憶が新しいので。)
あと、まだ初日だってこともあると思うけど、猿之助さん、やっぱり句読点の打ち方、ちょっと変です〜!まあ、誰よりも膨大な台詞を覚えなければいけないので、ご自分なりの台詞を入れるリズムがあるのだとは、思いますが・・・。それから<場合>が(猿之助さん、日常会話でもそうだけど)<バヤイ>になるし、<名など>が<七度>に聞こえたり、(単語のアクセントの位置がおかしいのかな?)、台詞の粗が気になるんです〜。あと、判官さま、あんなに泣いてばかりいる人でしたっけ?
それから、なんだか今回、ちょっとあざとい演出というか演技が多いような気がしました。オオクニヌシで団蔵さんが、お客さん引っ張る演技したせいかなぁ、と私は勝手に思っているのですが、あの時の(今回もだけど)団蔵さんの演技は好きです。あざとくならないギリギリの線で、上手くお客さんを掴んでいたと思います。それは通常のというか持ち前の表現力に裏打ちされたもので、意図的な受け狙いには感じなかった。(意図があったにせよ。)でも特に今回猿弥さんは、やり(やらせ?)過ぎじゃないのかなあ。顔で笑いをとるのも??だし、最後の最後までじゃらじゃらやっていて、私は好きではありません。(ー;
別に普通の顔でいいじゃないですか?それこそ演技や台詞回しで、どうにでもなると思うのに・・・
さて、良かったこと・・・そりゃーもう、猿之助さんが綺麗なことですよぉぉー!!(:
:)感涙。最初のツーショットでのせり上がりは、もう目の前(2列21番)にどぉーんと上がってきて、茨木の鬼気迫る(文字どおり)イメージのまま1ヶ月半過ごした私の目には、100カラットのダイヤより眩しく(見たこと無いけど^
^;)輝いていたのでしたー!!(玉手より痩せられたのでは?気のせい?かしらん。)
そして、本来の意味での趣向が、やはり楽しいこと。(観てのお楽しみ!)通な方は、中央より下手、花道よりがお好きだと思いますが、前列の19〜21番お得!です。(あーびっくりしたよん!)ほとんど猿之助さん中央に居ます。
宙乗りは2階席下手の前列がラッキー席です。(今回はトヤに入らないので)まっ、私も初日と言うことで、かなりハイテンションなので、(しかも例のごとく、5時間後にはスタンバイしないと行けないのに、まだスーツケースのパッキングしてない〜!!HELP!)今後観ていくうちに、感想は変わっていくと思いますが。
1998年4月6日 / Yasuko.W
■春風の吹き始めた頃、「翔」が届きました。「ジグソーパズル」に短い投稿しかできなかったのに、「手紙偏」にも、私のモノと思われる一文があって、とても嬉しかったです。
内容はと言えば、いつにも増してファンの「燃え続ける心」がみなぎっていました。一冊まるごと「燃え続ける心」の固まりでした。
ここ数年、心身、公私ともにいろいろのアクシデントにみまわれて、「燃える」生き方とはほど遠い「タネ火状態」が続いている私にとっては、キラキラ、ギラギラ、まぶしいほどの輝きでした。
「投稿編」「手紙編」から「みんなで落ち込めば・・・」まで、共感できる、そうそう、そうなのよ!とどれもが膝を打ちたくなるようなモノばかりで、まさしく「猿之助ワールド」「翔ワールド」に浸ることが出来ました。
中でも圧巻は、やはり巻末の藤山直美さんのお話と、巻頭の講演の「追っかけのススメ」再現でしたね。読み進むうちに、大笑いしつつも、藤山さんや北前さんたちの、一途に燃え続ける生き方にいたく感動してしまいました。(もちろん、その対象である猿之助さまのすごさもビンビン感じつつ、ですよ)
私も、いまのタネ火をもっと大きく燃え上がらせたい!何かに夢中になって生きる日々を取り戻したい!と思いました。いまはまだちょっとお休み期間から抜けきれないというか、「いやし」の方を求めているような私ですが、そう遠くないいつか、またきっとメラメラと燃えるハートを取り戻します!!
みなさんもお元気で、いつまでもメラメラ燃えるハートでファンを続けてください。
1998年4月5日 /Sonomi.H
■なんか「連獅子で泣いた!」シリーズみたいになりそうですけど、ちょっと紹介します。
『この一週間ばかりは、夢かうつつか・・・という毎日でした。9月23日の夜の出来事を私は一生忘れないと思います。舞踊公演を見て、これほど心が震えるとは思ってもみませんでした。全身の血が逆流したようで、最後のカーテンコールでは涙で舞台がよく見えなかったほどでございました。いままでにも「連獅子」や「釣女」など(他の演者により)見た記憶があるのですが、今回のは感動の桁が違っておりました。体中が熱くなり、胸の鼓動がドックドックと聞こえ、何故か泣けて仕方ありませんでした。』
これは三年前の九月、寝屋川市の市職員組合が結成40周年の事業として、市民のために企画した一回きりの「市川猿之助歌舞伎舞踊公演」を見た市民から届いた感想です。組合の冊子に掲載されていたものですが、猿之助さんの踊りって、確かに人を泣かすとこあるんですよね〜。
因みに私は「黒塚」でも「双面道成寺」でも泣きましたよ。そうそう「じいさんばあさん」もいいし、「吉野山」のあの美しさも“涙もの”じゃないかと思うんですけれど・・・。
1998年4月 02日/Miyako.K
■「翔」誌がこれで終わりということですが、まさに百恵ちゃん(ちょっとふるい?)の引退といいましょうか、盛りに散る桜のごとく(だんだん大袈裟になってきました)といいましょうか。
でもね、熱い気持ちを最高に保ちつつ、あえて、幕を引くって、すごく素敵です!読者はみんな、心の中で、これからもズーッと「翔」の続きを作っていけると思う・・・
ただしHPは続けていらっしゃるんですよね。大変だとお察ししますが、是非続けて頂きたいと思っています。
ついでに今日はもうちょっと書かせていただきます。少々古い話ではありますが、素敵なエピソードじゃないかと思うんです。
歌舞伎の観劇歴は、いまだ短い私ですが、歌舞伎座の幕見席などで「今日はじめてなんです〜」というような人に出会った時は、つい嬉しくて、頼まれもしないのににわかガイド役をやっちゃったりすることがあるんです。それで忘れられないのが、昨年の猿さまと亀ちゃんの「連獅子」。
私の隣りに初老の男性が来ました。いかにも勝手が分からない、といった様子だったので、声をかけたら「普段、私のような者は劇場になど来ないのですけど、所用で東京に来て、時間があるので思い切って入ってきちゃったんです」とのこと。商談が上手くいかず落ち込んでいて、今晩を最後に戻る、というお話まで伺った私は奮い立ちました!「よっしゃー、貴方のやる気よみがえらせましょうー!!」みたいな。それで、トイレはあっちだとか、何時から始まるだとか、どういう演目だとか、解説までしてしまったー。
そして、猿さま&亀ちゃんの「連獅子」でしょ。
隣りの男性がみるみる生き返っていくのが分かりましたよ。ホントに猿之助さんにも見せて差し上げたかったー!!
舞台のお二人から発せられる”気”が隅々にまで漲っているんですよね。伝わってくるんですよね。
間の宗論のくだりでは、右近さん、門之助さんの絶妙のかけあいのところも、私が乗り出して見るものだから、つられて(?)見てくださって、大笑い大笑い・・・。そうして迫真のクライマックス!!
見終わってその男性はおっしゃいました。「ありがとうございました。大変よいものを見て、よかった・・・」って。そうでしょう、そうでしょう、そうでしょう〜。
仕事一筋で、多分生きていらしたその男性にとって、忘れられないひと時になったであろうことは、その目にうっすらと光る涙で充分過ぎるほどわかりました。わたしも猿さまの「連獅子」をみるたびに何故か泣いてしまうのですが、大の男まで泣かせてしまうんですからね〜〜。
1998年3月 29日/ Mami.H
■ごぶさたしております。みなさまお元気ですか?
今日(3/27)の朝日の夕刊に載っていた、『オグリ』の軽井沢での練習風景に思わず笑っちゃいました。だって〜、これじゃあ雪の上でそり遊びをしているとしか、思えませんもの。お茶目だわ〜(^-^;;)。この場面が出てきたら、感動的なところなのに、ちょっとニヤってなっちゃうだろうな(^^;)。
…春秋会が終わってからもうひと月が過ぎ、そして『オグリ』開幕まであと10日を切りました。なんかつかの間の、のんびりタイム…と言いたいところですが、そこはまた別の趣味等々…などであわただしい毎日を送っていたりするんですね、これが(^0^;;)
さてさて、みなさま春秋会は良かったですね。(って、全然タイムリーな話題じゃなくてすみません。)この時期は毎年ひもじい時に当たってしまうので、今回も3階席での観賞になってしまいましたが、上からでも大変面白かったです。
歌舞伎自体8年ほど観ていますが、『合邦』は観たことがなかったので、他と比べようはないんですが、通しにしてくださったので、本当にわかりやすく飽きずに観ることができました。
門之助さんの俊徳丸は、落ちぶれたあと哀れっぽかったのが、いい味出してたし、亀治郎くんの浅香姫もしっとりして愛らしかったです。彼は身体のこしらえというか、生かし方というか…、とっても<女形>なのが凄いです。まだ若いのになぁ…。
そして猿之助さんの玉手御前は、熱い女の人って感じがしてて、とぉ〜っても可愛かったです(*^^*)。こういう女の人が、年を重ねるとあの婀娜っぽくて包容力のある土手のお六みたいな女性になるわけね〜なぁんて、勝手に解釈(^^;)。
『茨木』は前に梅幸さんで観ているような記憶がうっすらと…。今回も結構地味な印象で、おもだか屋に『黒塚』があるなら、あえてやることもないなあって思ってしまいまいした。ま、観られたことは、それはそれで良かったですけどね。
そして、2月は演舞場の<浅草パラダイス>へも行ってきました。<翔>ではすっかりおなじみの藤山直美さんを、一度は生で観たくって。
いつもながら愛嬌あふれる勘九郎さん。そしてその奥さん役の直美さんは、本当に素晴らしかったです。愛嬌あるし可愛らしいし、そしてなんていうか動きがいいんです。リズム感に満ちてるっていうか…、ツボを得てるんですよ。何気にきれいに動かれるんですよ!それは、天性のモノなんでしょうね。…こういうすごい方も、熱い猿之助さんファンってのが、ホントにうれしいです、私(*^^*)。それと、他愛もないお話でしたが、小道具を使った小技のきいたギャグが面白かったです。
さ、『オグリ』はまずは、初日に行きます。なんだかはずみがついて<片手以上両手未満>な回数を演舞場に通うことにしちゃいました…(^^;)。ずいぶん配役や脚本も演出も変わってるようで、どうなるかほんとにワクワクドキドキ、ちょっとビクビク
(^_^;;)。だって、わたしもこの作品がいちばん好きなんですもん。(二十一世紀組では『雪之丞変化2001年』)
…ああ、期待するなって方が、無理ですよね(笑)。早く観に行きたい!! その頃には、たぶん桜も咲いてて、すっかり暖かくなってますように。
1998年3月 28日/ 幸せごはん
■めっきり春めいて参りましたが、猿之助ファンのみなさまはいかがおすごしですか。
先日はスゴイ「翔・八号」(本当にスゴイとしか言いようがありません!)が届き、目下のところ私の頭の中は「翔、猿、翔、猿、翔、猿・・・」という状態になっています。
思えば「翔」との出会いは、もう随分昔になります。囲む会の折りに「翔」の存在を知り、さっそく買い求め、あまりの内容の濃さに大感激したのが始まりです。こんなにすごいファンがこんなに沢山いるのだと驚くとともに、私が思っているようなことを多くの人たちが感じているのだという共感に溢れていました。
いつもたった一人でお芝居を観ていた地方ファンの私には、「仲間ができた!!」という感じがして、とても嬉しくなったものです。そしてなにより良かったことは、猿之助さんの、役者としてだけではなく、一人の人間としての深い魅力を強く感じることの出来る本であったことです。
私たちにとっては天上人のような偉大な人でありながら、気さくで優しく、少年のような純な心をいまもなおお持ちであること。そして芸術に対する真摯で熱い心を常に身体全体に漲らせていらっしゃること等々をひしひしと感じさせてくれました。そのうえに「翔」は、何故か生きる勇気みたいなものまでを与えてくれる本当にスゴイ本でした。
「翔」に出会ったお陰で、「バレンタイン企画」「七夕企画」ほか、楽しい体験もいっぱいさせていただいたことなども、心から感謝しています。
とりあえず本の方は最終号となってしまいましたが、「翔」の熱い心は読者に伝播して、これからも永遠に生き続けるはずです。
猿之助ファンのみなさま、これからも熱く、熱く、燃え続けましょう!!
1998年3月 24日/ Yukie.K
■先日このホームページで知り合った友人に8号を借りました。一門のファンといっても私の一番は笑也さんなので、なんどかこのホームページにお邪魔はしていても、『翔』を読むまでには至らないかなと思っていたのですが、実際手にした『翔』は素晴らしいものでした。
『翔』は猿之助さんについて語るだけのものではなく、目的を持った人間の生き方や、情熱などが熱く表現されたものでした。そう!真の「追っかけ」とは、その人からもらったパワーを自分の生きる力としていくことなんですよね。
私も笑也さんとの出会いから歌舞伎を観はじめ、日本舞踊を始めました。歌舞伎との出会いは私の人生を大きく変えました。いろいろなことに興味を持ち、いろいろなことに手を出し、結局何も残っていないという生活から、全ての好奇心や行動が歌舞伎に通じる、踊りに通じるという、一本筋の通った人生になりました。
まだ30代にもかかわらず、先の人生がとっても短く感じられます。知りたい事、やりたい事が盛り沢山です。短い人生、少ないお金、無駄に使うことは考えられません。こんな私を、回りの友人はうらやましいと言ってくれます。みんな何か人生の目的を持って生きたいんですよね。
ということで5号も読みたくなりました。少ない再版ということで、猿之助さん大ファンの友人と共有のものにしたいと思います。お手数ですが、友人の家に送って頂けますでしょうか。お願いします。
1998年3月 24日/Futae H.
■翔五号と「もう一冊」とお願いしていた八号、早速お送り下さってありがとうございました。五号は4月ころにと書いてありましたので、もっと遅くなるものと思っていましたが、お手許のを送っていただいたのではないでしょうか。ありがとうございました。
五号の梅原さんのインタビュー記事をさきほど楽しく読ませていただきました。梅原さんでなければ知らないことが語られていて面白かったです。梅原さんというのは学問的には偉い方なのでしょうけれど、いつまでも子供みたいに、何にでも没頭してしまう人らしく、一度電話でなにか依頼をしたときも若造の私相手に議論をはじめて、私のほうは閉口するやら感心するやらしたおぼえがあります。
聖徳太子論(隠された十字架)や人麻呂論(水底の歌)やら読みましたが、これはアブナイぞ(笑)という予感がしました。あんまり面白すぎて、推理小説以上に面白くて、なにかこちらまで狐憑きになりそうでしたもの!
五号には猿之助さんの卒論まで載っているのには驚きました。よく掲載をこころよく承諾されましたね。いかに猿之助さんが「翔」を、そしてご自分のファンを大事に考えていらしたかが、この一事でもわかるような気がします。
造形芸大の授業の最後の日の質疑つき講演のときにも感じましたが、猿之助さんはほんとうにオープンな方ですね。なにも隠さずにあるがままの自分を見てください、というふうな一種の勁い率直さとでも言えばいいのでしょうか、そんな姿でいつでもすぐそこに立っておられるような印象です。それは対ファンサービスとして高みから降りてくるというような普通の役者さんの姿勢とは違いますね。
また時々おたよりいたします。今後ともよろしくお願い申しあげます。
1998年3月 14日/ Sei.M
■「翔」を貸してた北海道の友達から、こんなお手紙が着ました。うれしいお便りだったのでとりあえずお知らせします。
「翔8号、読破しました。タップリの内容でした。ファンの方々の思いが込められた貴重な資料と思います。批評家がどーのこーの言うより、ファンの一言の方が核心をついていることがよくわかりました。
p.172の「どーも」のところ面白かったです。まさにこれこそがファンの心理ですねー。
最初の「追っかけのススメ」で「翔」の全貌がつかめましたし、最後の「猿様恋狂輪集会」の藤山直美さんには究極の猿之助恋狂を見た思いがしました。スサマジイですね。
編集長のバランスのとれた編集力はすごいと思いました。やはりこの人がいい味を出していると思います。Yさんも筆がたつおひとですねえ。
歌舞伎も音楽も、結局は観客や聴衆が育てて行くものなのですね。でもまず傑出した役者や演奏家の出現がなければなりません。
神が遣わせたとも思える猿之助さんがいて、素晴しい「翔」のようなファンがいて歌舞伎は華を咲かせるのでしょう。健全なファン魂を垣間見せていただき本当にありがとうございました。
幻の9号には「猿之助ロングインタビュー」をリクエストいたします。最大のカギを握るのはインタビューでしょう。猿之助さんの更なる魅力が引き出せることを期待しています(が、この号は夢に終わるのでしょうか..)。
それから日本語としての大阪弁っていいですね。柔らかいのにはっきり主張があるようでとてもいいです。大阪弁というより大阪弁を話す北前さんや藤山直美さんがいいっていうことですね。
この本を読んでミーハーも極限まで来るにはそれだけの実力を備えていなければならないことを知りました。一言でいうなら“立派です!”」
ね、いいお便りでしょ。
1998年3月 14日/ Fumiyo.Y
■昨日翔届きました。もう今「どこから読もうかしら、ああ早く読みたい!」と鼻息荒くなってます。鼻息荒くなってます。
実際に手にとってみて わかったのですが、ホームページとはまた違って、翔は本当に熱い手作り(表紙の一つ一つが手作りと聞いてびっくり!)のあたたかさに溢れた皆さんの情熱の結晶なんだ!って思いました。
やっぱり まずは8号の自分の文章を見ました。ちょっと照れくさいけれど、最終号(ほんとに最後だなんてさびしいです)に載せていただいて、最高にうれしかったです。参加したんだ!っていう気持、今まで歌舞伎を見に行くことしかしなかった私ですが、自分の思いを伝えられる喜びを知ってしまいました。
それにしても、翔には、雑誌やテレビでは知り得ない猿之助さんにまつわるエピソードが本当にぎっしり詰まっていますね。これからじっくり読ませて頂きます。
ところで、以前の私は、猿之助さんのファンではありましたが、ただHPを見るだけ、歌舞伎を見に行くだけで、ファンの人たちとの交流もあまりなかったのです。それがメールを頂いて、「行動を起こしてみることが大切」と言っていただいてから勇気が湧いてきたんです。そして去年の年末、聖路加ガーデンでの猿之助さんの講演会に一人で思い切って行ってみました。
円卓を囲んで食事がはじまったら、初めてお会いする方達なのに猿之助さんのファンという共通の思いがあるからか自然にお話ができました。
翔のお便り集の常連さんたちにも何人かお目にかかれましたよ。みなさんとても行動派でいらして、お話を聞きながら「うらやましいなー」なんて思いました。メールアドレスを教えて頂いたので、その後時々メール交換をさせて頂いています。
こうして お知り合いになれたのも、翔のHPがあったからこそですね。これからもHP楽しみにしています。
来月は「オグリ」ですね。ビデオでしか見た事がなくて、実際に舞台で見たくてたまらなかったので、待ち遠しいです。
小心者のA型の性格と、狩猟本能のまま突き進む射手座の性格が自分の中でけんかしているような私ですが、どうぞよろしく。またメール送らせていただきます。
1998年3月 12日/ Yumi. I
■遅れ馳せながら、第三回春秋会の感想です。
わたしは、初日と土曜日(楽の前の日)の2回行きました。初日の夜、2日目に観劇予定のHさんから電話がありました。
「いかがでした?」
「う〜ん、すごーくエネルギッシュでパワフルな庵室でしたけど....」
「それで?」
「え〜と、あのう〜、わたしそもそもあんましこのお芝居好きじゃなくて...ちょっと体調も悪かったしよくわかんなくて、どこかに梅幸さんのビデオあるはずだからそれ見て勉強してからもう一度見ないと何とも....」
実に要領の悪い、わけのわからん感想に釈然としない様子で電話を切ったHさん、翌日ケラケラ笑いながら電話をかけてきました。
「あなたの言うことすご〜く良くわかったわ」だって。
二人だけでわかっていても何のこっちゃかという感じでしょうけれど、要するに初日、二日目あたりは???という感じだったんです。通しでやることで、話はたしかにすご〜くわかりやすくはなる、でも、だからといって作劇の不自然さがなくなるわけじゃない、むしろそれが目だってくるみたいな感じが、わたしはしてしまいました。
年若い、か弱い美女が、主家の一大事に必死の思いで、文字どおり命懸けで打った大芝居だったんでしょうけど、何だってあんな妙なこと思いついちゃったんでしょ。あんまり無理がありすぎる、と私はどーしてもおもっちゃって、それでこのお芝居、イマイチ好きになれないんです。
猿之助さんの玉手も、初日のころは何だか元気がよすぎて「清姫じゃないんだから..
.」なんて思っちったりして。
それと、これを言っちゃあおしまいなんですが...。浅香姫は天下一品だと思ったし、俊徳だって台詞回しに若干不満がなくはないですが、風情がとってもよかったでしょ。それなのにどーして入っていけないのかと考えたら.....周りがみーんな若すぎるもんで、猿之助さんちょっとばかし老けてみえちゃう、でしょ?これで周りが、宗十郎さんや田之助さんだったらなあ....なんて思いつつ、土曜日に行きましたところ、良かったんですねえ〜、これが。五日前とは大違いで、玉手がとっても若々しくてきれいで哀れが深かったの。
結局春秋会って、猿之助さんのお勉強会ですよね。そうなんですよね。その意味では、すご〜く意義深い企画なんだと、深〜く納得いたしました。
あんまりろくな感想じゃなかったですね、ごめんなさい。
1998年3月 2日/ Kyouko O.
■ 京都のSei.Mです。 きょう、『翔』八号が届きました。
七号に圧倒された私でしたが、今回はそれにも増して熱気がこもり(こもるというより爆発したというほうがいいような)、しかも絶頂期に惜しまれて終わりたいという、勁くて粋なフィナーレの美学が背筋にピンと通った、本当に惚れ惚れするような魂の工芸品ですね。熱烈なファン魂が内容にも造型にも100%表現されたこんな逸品にはもう二度とお目にかかれないような気がします。きっと口伝てにまだまだこれからじわじわ広がって伝説化されて、そのうちどないしても全巻再版して!という要望が無視できないほど来るようになりますよ。
つい先ほど包装を解いて拝見したばかりですが、巻頭の「追っかけのススメ」、とても楽しかったですよ。やっぱり役者さんでも「追っかけ」でもホンマモンだからこそ出会える、人との出会いやできごとがあって、それが他の人がきくとそれこそ小説より奇なり、であったり、腹をかかえて笑えるような面白い体験であったり、そして最後には感動の残るお話になるのだなあと思います。
そういう意味で、巻末にある藤山直美さんを囲んでの座談も本当に面白く読ませてもらいました。もうメチャメチャめろめろのファンなのですね。
こういうのを読むと、なぜか、つくづく人間っていいなあというふうな思いがふつふつとこみあげてきて、つい涙ぐんでしまいます。(もともと少々感動屋で泣き虫なのですが・・・)
これほど人が人を好きになり、入れあげることができ、全身全霊で感動できるということが、藤山さん個人のことだけのことに思えないで、何か人間の可能性の豊かさを感じさせてくれるような気がして、その場には本来は無関係な自分まで心豊かな感じになって幸せな気分になります。
オリンピックの観客の言葉ではないけれど、本当に感動をありがとうございますと申し上げたいです。
ところで、こんな貴重なご労作をあと1冊いただけませんか、と申し上げるのは少し気がひけるのですが、実は前にも強い関心を持たれて差し上げた方(プロデューサー)に差し上げたいと思いますので、できればお願いいたします。よろしければ、いまお送りいただいた分と、あと1冊の計2冊分をお振り込みさせていただきたいと思います。
また、5号を再版なさるご予定とのこと、これも部数が少ないようですので、恐縮ではありますが、1冊だけで結構ですので、予約させていただけますでしょうか。 よろしくお願い申しあげます。
1998年2月26日/ Sei.M
■名古屋の金森です。「翔」は、なかなか読む暇がなくて(HP作りに追われていましたので)まだほとんど手付かずの状態ですが、編集長様の講演、「追っかけのススメ」一部始終は読破して、とても我々一般人にはマネできない立派なものと感心いたしました。「翔」の皆様はいつも、「アホな」とか「ミーハー」とかおっしゃいますが、どうしてどうして毎回内容は、とても深いものと思っております。
以前お借りした1〜4号は、順を追って読んで行くと、失礼ながら、1、2号あたりはイラストは稚拙、文字もつづけて書かれた読みにくいものだったのが、3号の頃から一足飛びに、現在の水準に近づいたように思いました。それでも、現在まで当初からの姿勢を貫いて、変にクロウトっぽくならないところが、翔の良いところですね。また、そうでなければこれほどの支持を得ることはできなかったことと思います。
そんな、軽くて、深くて、楽しくて、鋭い翔が、今回を限りとはいかにも勿体無いことです。(私達読者のためにだけでなく、歌舞伎のためにも)一度もお手伝いしたことがありませんが、その苦労は察するに余りあるもので、ぜひ続けてほしいなどと軽々しくは到底言えません。
ですが、いつかまた、手書きでなくとも、手製の表紙でなくとも、こだわりを捨てるということではなく、新たな道を進むことで翔Jr.(ジェーアールではありません。ジュニアです、念のため)となってでも、復活することを望んで止みません。できそうもないことを、やってのけてしまうのが「翔」ですものね。
長くなりましたが、本当にお疲れ様でした。
1998年2月25日/ 金森
■「春秋会」、16日と17日に拝見して参りました。丸本に忠実な通し狂言は、私の一番好きな演目で、いかにも歌舞伎を見た!という気分に酔いしれることが出来ました。
これまではいつも「庵室」のみでしたから、「毒酒の場」なども見たいものと思っておりましたので、わくわくしながら拝見。
どうしても十九、二十歳というよりは貫禄のある(?)玉手様でしたが、初日と二日目では台詞の間も微妙に変化していて、研究の跡が観客の私たちにまで分かりました。
「茨木」も、とてもよかったです。特に前半の引っ込み等、抑えた中に漲る他の優には見られない緊張感と迫力!猿之助丈ならではと思いました。
それから段四郎丈の渡辺綱がまた素敵。扮装がよくお似合いで、幕切れのカーッと口と目を見開いての見得など、まるで錦絵を見るようでした。
来年、再来年のことを言うなんて、それこそ「鬼」に大笑いされそうですが、残る二回に予定されているという「盲長屋梅加賀鳶」「ひらかな盛衰記」の通し上演への期待がもういまからふくらみます。
ご本が完成したとのこと。おめでとうございます。首を長くして待っておりますのでよろしくお願いします。それから北区堀船のS.Iさんもご希望ですので一冊お送り下さい。
1998年2月22日/ Shizuko.Y
■ずっしりとした重み、美しい表紙・・・。「翔・八号」確かに受領いたしました。
実はこの日のくるのを楽しみにしつつ、内心ビクビクと恐れてもいたのです。早く読みたい!けれどもそれが最終号になるのなら・・・という思い、お分かり下さいますでしょうか。
今号もやはりどこから読もうかと戸惑うほどの盛り沢山!
しっかり読ませる力作ぞろいの「投稿編」、ファンの心情溢れる「手紙編」、へぇ〜と新発見につぐ新発見の「ジグソーパズル」、文句なく笑える「みんなで落ち込めば・・・」等々。
しかし何と言っても最高は藤山直美様と北前様。お二人には相通ずるものがあり、正に双璧です。
思えば、「演劇界」で「翔」の存在を知り、第三号をお願いして以来もう何年になりますか・・・。その間に本の厚みも中身もズンズン増して、これが届くといつも徹夜。一人で悦に入り、フムフムと納得、そうやそうや!と膝を打ち、スタッフの文才、ユーモア、画才、企画力、行動力に脱帽して、明日の活力を頂いてきたのでした。
私も若い頃は、皆さんほどではありませんが、やはり行動力があったのでしょう。上京の折りに赤坂一ツ木のお宅を探し歩いたこともありました。お隣りが伊志井寛氏邸で、坂道の突き当たりだったと記憶しています。いかめしくも神々しく「市川猿之助一座」の古看板(小振りだったように思います)が掛かっていたことなど懐かしく思い出されます。
繰返しますが、「翔」が最終号だなんて本当に悲しい!淋しい!!
インターネットだのHPだのといっても、私には全然何のことだか分かりません。でもこれからはそちらの方に活躍の場を移されるということなので、私も一念発起、猿之助さんや皆様に負けずに勉強して、必ずHPを訪ねることに致します。
1998年2月21日/ Nobuko.U
■ 北前さま そしてグループ翔の皆様、突然のメール失礼いたします。 わたしは友人の「YUKA蔵」さんから「翔」の7号、8号を貸していただいて読むうちに大感動し、どうしてもお便りしたくなり、こうしてメールさせていただいてます。
ちなみにYUKA蔵さんとはニフティの歌舞伎フォーラムでお知り合いになりました。彼女のパワーと面倒見のよさで、いろいろと教えてもらう事も多いです。
わたしはいわゆる歌舞伎は好きなのですが、まだ「はまってから」1年くらいしかたたないので、猿之助さんの舞台もまだよく見ていない若輩ものです。一応関西人(京都在住)なので上方の役者さんを中心に応援しています。
猿之助さんの舞台は昨年9月にYUKA蔵さんと「カグヤ」に初めて行ってきました。そして11月には大阪での巡業も拝見しました。でも、それだけなんです。たった2回しか拝見していないんです。(正確にいうと「カグヤ」の千穐楽にもう1回行ったので、3回という事になりますが)
猿之助さんの大ファンという事もなく、といってアンチ猿之助とか そういうのでもない私ですが、「翔」を読んでとっても感動したのです。 いえ、感動したというなまぬるいものでなく、心をゆすぶらされて、涙が溢れ、夜に読み始めたためになかなか寝付く事が出来ないほど興奮してしまいました。
猿之助さんの事もまだあんまり知らなくてファンでもないわたしが、なぜ? と考えたのですが、それは「翔」の中でも書いていらっしゃるように、一言でいうと 「ファンの方々の熱い想いが伝わってくる本」 だった、という事だと思います。 しかもただの「ファンが作っている情報誌」なんて生やさしい言葉で表現出来るようなものではありませんよね、「翔」は。
大げさに聞こえるかもしれませんが、これは、すごく偉大な研究や発掘なんかをして功績をあげてきた人間の成し遂げて来た事にも十分匹敵するほどのことだと思うのです。 「市川猿之助」という歌舞伎俳優を求め愛してきた人達の成し遂げてきた熱い想いがわたしにもひしひしと感じられました。
そしてファンの話しにも一つ一つ、大きなドラマがあって、そのドラマが また、わたしに勇気と希望と感動をくれたのです。 だからこそ、特にファンでもないわたしの胸にさえも大きく響いたのでしょう。
人には色々な生き方があると思うのですが、一つのものを追及し追い求めて行く事の素晴しさというものをこの本は示してくれていると思います。 そして「人間ってかわいいんだ」って思わせてくれる本なんです。
わたしもこんな生き方がしたい、と思います。わたしの場合もけっこう歌舞伎にはまって去年一年はとっぷりと漬かっていたと自分では思っていたのですが、「翔」を読んだらまだまだ「甘い」ということに気が付きました。いろんな事を理由に、自分が歌舞伎を愛するという気持ちにブレーキをかけようとしていた私がいたのかもしれません。その迷いやいいわけをこの「翔」はぶっとばしてくれたのです。 何かを愛し、そして追及していくのに「年齢」や「世間の目」は関係ありませんよね? もしあったにしても自分の心に嘘はつきたくないですよね?!
みなさんのエッセイを読んで「すごいな」と感心すると同時にとってもとっても嬉しくなってしまい、そして勇気が出てきたのです。 「わたしもがんばろ〜」と。
とにかく内容が濃いので、泣いたり笑ったりと忙しく、まだ7号まではじっくり読めていませんが、「翔」はなんだか正座して読まなければ気がすまず、正座して読んでいます。
表紙も素晴しく仕上げてあるし、なにしろYUKA蔵さんからの借り物であるということで丁寧に読もうとしているのですが、なぜか「翔」を読むととっても興奮して手におもいっきり汗をかいてしまうので、表紙がしわしわになってしまわないかと心配しています。
で、とにかく8号だけでも借り物ではなく、なんとか手元に一冊置いておきたいと思うようになりました。 これを読んで、つらいとき、悲しい時、寂しい時、そしてなりよりもくじけそうになった時、読んで自分を叱咤叱責しようと思います。
8号はまだ販売されていらっしゃいますでしょうか? 手作りのためあんまり部数は多くないと思いますので、まだ販売が可能であるのかどうか心配です。 もし販売などされていらっしゃったら、その旨を教えていただけますでしょうか? よろしくお願いいたします。
なんか、興奮して支離滅裂なわけのわからない、そして長文のメールを勝手に送り付けて申し訳ありません。
とにかくとっても感動して、嬉しかったことだけでもわかっていただけたら幸いです。
で、本当に「翔」は8号で終わりなんでしょうか? せっかく読み始めたのにと、とても残念です。
1998年2月21日/ 京都在住 Masayo.O
■九州は連日15度を超す日が続き、梅が咲き競うなど、春の陽気ですが、そちらはいかがですか?
先日は「翔八号」をお送り頂きありがとうございました。
待っていた甲斐のある本当に素晴らしい装丁の「翔八号」。もちろん中身の素晴らしさはいうまでもありません。食べることも眠ることも忘れてといった感じで一気に読んでしまいました。
それにしても、本当にこれが最後の号なのか・・・と思うと、どうしてもっと早く「翔」に出会えなかったんだろう。北前さんたちや、Hさんに出会わなかったんだろう、と悔しくてなりません。猿之助さんへの想いを直接伝えるなどということが、なかなか出来ないでいる私にとって、本当に「翔」はとても大切なものでした。
でもこれからは自分自身の手で、何らかの形で気持ちを伝えて行きたいと思っています。地方に住んでいても出来ることを考えます。行けない分は、文献等でも歌舞伎の勉強をしてみたいと思っています。
九州も、やっと、博多に歌舞伎用の劇場が出来るので、猿之助さんにもぜひぜひ1ケ月とは言わず、何度でも来て頂きたいものです。九州は、まだまだ歌舞伎の未開拓地ですが、福岡、熊本などは、岩田屋の巡行等で猿之助ファンはたくさんいますし・・・。そうなったら、当然私は博多に引越します!!
別府のビーコンプラザで、松本幸四郎さんと染五郎さんの公演があるんですが、「勧進帳」と「鷺娘」のたった二本でS席18.000円、一番安い席でさえ8.000円もするんですよ。それでも完売したと聞いてびっくりしています。
でもこれでは若い人や初心者が気軽に行けるはずなどないではありませんか。せっかくの公文協公演でも、昼は貸し切りになってしまったりするし・・・。
ああ、地方でも気軽に歌舞伎が観たい!という訳で、猿之助一座の巡行が唯一の楽しみなのです。
>1998年2月21日/ Sanae.S
■今回の春秋会公演を観て、猿之助さんってホント、<努力>の人だな〜とあらためて思いました。猿之助さんは、スーパーマンとか宇宙人!!(常人とはレベルの違う才能の持ち主という意味で)みたいなイメージですが、決して万能の天才でも、生まれ持った資質として器用さを持っているわけでもなく、たゆまぬ努力によって芸を開花させてきた方なのだと、強く強く思いました。もし、神から与えられたものがあるとするなら、【継続は力なり】を実行できる、強い意志を授かったことでしょう。
私は、あまり観劇前に解説とかを読んだりしないのですが、さすがに今回は心配(?)になって、(一流のプロが集まって芝居を作るというのになんで、素人の私が<心配>するかねぇ〜(^^;
) ちょっぴり予習してしまいました。
何かの本に「玉手を三十路くらいとするいき方もある。」と書いてあるのを見つけ、どうしてこっちの方にしてくれなかったの〜と思ったり・・・もちろん歌舞伎でリアルな(肉体)年齢を見てしまったら、とんでもない事に(!?)
なる訳けですが、初日の感想では、いかんせん周りが若いので、十九・二十には厳しいものが・・・
それと、私の悪いクセ(?)かもしれませんが、最近初日って、芝居を観るというより、猿之助さんを観てしまうんですね。美しい型(この場合、<かた>でなく<かたち>というカンジ・・・)を見せる事を、かなり気にしてらしたと(私は)思うのですが、前半ちょっと、玉手のではなく市川猿之助の視線で、何回かチェック入れてらしたような気がするのです。
ですから、初日もですが2日目っていうのも結構興味深いかもしれない。(今回、本来は、初日から18・20・千秋楽と一日おきに観劇する予定だったのですが、同僚の怪我のため20日から急遽出張に出る事になり、20日の分は19日に振り替えてもらったのですが、千秋楽が観れず本当に残念です。)
でも、玉手18・19日とだんだん若返って(?)ましたよ!!特に大詰からの玉手、どんどん壮絶な美しさが増していきました。若いと言う事が重要であるかどうか私には分りませんが、若さゆえの一途な思い(思い込み?だってあんな回りくどい助け方しなくてもいいじゃないですかー!とそれを言ったらドラマが無くなるか・・・)が昇華されてゆく物語とも思う。
もっといろいろ書き込みさせて頂きたかったのですが、もう時間が・・・帰ってきたらもう一度あらためて投稿させて下さい!
話は変わりますが、今回ほど、劇評家がどんな論評をするか予測のつくものはありませんね。パロディでちょっと書いて(遊んで)みよう!と思ったのですがタイムリミットだ〜!!筋書きの石川耕士さんの解説をつくづく読んで、この芝居を創っていくの楽しかったんだろうな〜と思いますが。では、取り急ぎ。雑な文章ですみません!!
1998年2月20日/ Yasuko.W
■届きました、届きました「翔」が!!
遠い遠い北国の雪に埋もれてひたすら待ちわびていた「翔」だったので、足踏みっていうか、駆け足っていうか、コートも着たまんまでドタドタ大暴れしてしまいました。昔のように一人暮らしなら、そのまま座り込んで一気に読んでしまうところですが、食事のしたくして、お風呂沸かして待っていてくれる両親に申し訳ないので、(心ここにあらずで)夕飯食べて、お風呂に入って。で、それから蒲団にもぐりこんで、どっぷりと「翔」の世界にひたりました。
いつもの癖で、真っ先に巻末の「猿様恋〜」を読みました。関西人ならではのノリっていうか、もう、楽しくておかしくて、なのにすこ゜ーっく感動させられる内容で、泣いて笑って、また泣いて笑っての繰返し。
藤山直美さんって、ホントにステキな方ですね。ファンのカガミっていうか、直美さんのようなファンでいられたら最高だな!って思いました。私直美さんのこと前から好きでしたけど、ますます大好きになりました。「翔」の読者は全員彼女の大ファンになるはずです。ゼッタイに!!
そのあと「あとがき」を読んで、すごーくしんみりしてしまって、特に最後の「猿之助さん、最後の最後にお願いがあります。全国のファンの、言葉にならない熱い思いをありったけ詰め込んだ「翔・八号」、せめて一晩ギュッと抱きしめて眠ってやってはいただけませんか・・・」には胸キュン。
私、きっときっと猿之助さん、ギュッと抱きしめて下さったに違いないと思います。八号を手にし、読み終えたなら抱きしめずにはいられなくなるはずですよ。
私もその夜は「翔・八号」を抱きしめて一時間ぐらい眠むってしまいました。ホントです。「翔」のヒンヤリした肌触りが心地よくって・・・。でもグチャグチャにしたらイカン!と思って其のあと枕元に置きましたが、「翔」はすっかり人肌に温まってました。
それにしても「翔」と出会っていなかったら、同じ猿之助ファンになってはいたでしょうけど、こんなにも幸せな毎日は送れなかったに違いありません。私もついに四十路に突入。たいした人生じゃないことは分かりきっていますが、猿之助ファンになって、「翔」に関わった十数年間が、いちばん輝かしい時だったような気がします。もちろん猿之助ファンであるということは過去形ではありませんが・・・。
相変わらず猿之助さんの夢はみますが、近頃は夢の内容が以前とは変わりました。猿之助さんと楽しくお話ししてるんです。夢の中の猿之助さんは「待ってますから、またいらっしゃい」って、笑顔で言って下さいます。そんな日は一日機嫌がよくて、信号が全部青でスイスイ通れちゃったり、仕事がスムーズに行ったりとラッキーづくめ。
なかなか劇場にも行けない、パーティにも参加出来ないといった淋しい地方ファンの、これは切ない特技みたいなモンかもしれませんね。
1998年2月13日/ Seiko.T
■ 「翔」8号完成とのこと、おめでとうございます&お疲れさまでした。首を長ーくして待っております!
ところて゛・・・『龍神伝』については(結局4回行った!)、もう、何も言いますまい。(何か言いたげ・・・)
それにしても、東京での初日から一週間経て観た二回目は、空気がガラッと変わっていて驚きました。
セリフが変わったり、カットされたりということのほかに、セツトまでが変わっていたようでした。立っていた木が横になっていたり、死骸の山(おどろおどろしかった・・・)の背景が無くなっていたりと・・・。
開幕後も、全ての面で細かくチェックされて舞台が出来上がって様が顕れていて、興味深かったです。
NHK教育の『未来潮流』 見ました。裏方さんのご苦労、大変なんだなァとしみじみ感じました。国で何とかしなくてはね。技術者個人のレベルでは何ともしがたい難しい問題ですもの。
あの放送見たあと、歌舞伎座へ『助六』 を観に行ったんですが、傘やら刀やらキセルやらetc、食い入るように見ちゃいました。
大道具についても番組で触れられてましたが、特に猿之助さんの公演の時などは大変なんでしょうね。
もちろん古典とスーパー歌舞伎では苦労にも違いがあるのでしょうが、以前ある方が、「演舞場の装置関係の方々が、『華岡青洲の妻』のセットは手放しでも(繰返し上演されてますから)出来るけど、これはそうはいかないから・・と言って、『オオクニヌシ』のお稽古から見てくださっていたので・・・」と話されていたことなど思い出してしまいました。
そう言えば今年の秋、松竹座は『ヤマトタケル』ですね。「あの大きな装置が入りきるかしら?」と心配なさっていた方がいましたよ。私はまだ観たことがないので、ただただ、物語も、役者さんの演技も、セットも楽しみにしているばかりなんですけど・・・。
さて、いよいよ『春秋会』 ですねー。とっても楽しみです!
それではっ!!!
1998年2月12日/Mami.H
■ 先日、Yさんと共に参加した<囲む会>では、通し狂言にした『合邦』についてのお話をお聞きしました。歴代の方のいいとこどり(本人おっしゃるママ)を目下勉強されているそうで、どういう出来上がりなのか楽しみです。
それはそうと、お休みした一月の軽井沢の日々は、健康&ダイエット(^0^;;)の為にお散歩してらっしゃたそうで(一日一万歩とか…)、その姿を頭の中で想像しては(浅間山を背にして歩いてらっしゃるのかなあ〜とか)、ついニヤニヤ(^-^;;)
また、一月のアタマに地元の横浜・高島屋で、作家の『大佛次郎』展というのがあり、ちょうど、チケットもあったので、覗いて参りました。…一冊も御本は読んだことのない、不遜な私の目的は、ただ一つ。<歴代の鞍馬天狗写真コーナー>です。全員で2・30名いらっしゃる中で、猿之助さんもありました!。アップで、う〜ん、若い!(S36)。ストイックな感じが、お美しかったです。(*^^*)
それはそうと、教育テレビのこの前の<未来潮流>観ました。裏方さんの苦労が、ここまで大変だったとは…。ほんとに、猿之助さんのおっしゃるように、オリジナルのある今のうちに、それらを保護しつつ、後継のことも、ちゃんと研修制度を発足してかないと、取り返しのつかないことになりそうですよね。松竹も、今はそれどころじゃないだろうけど、国立劇場とかで、なんとかしてくれないのかしら…。そういうことにこそ、たっぷり公的資金を使ってくれればいいのに。脇役さん不足ってのも、ず〜っと、言われてますしね。ああ、歌舞伎は、国の宝なんですよ。…また、明日から、布教活動にはげまなくっちゃ(笑)。
1998年2月4日/幸せごはん
■ 『龍神伝』の公演が終わったので、感想を書いてみました。
観劇日・・・'98年1月9日<夜> &17日<昼>
(渋谷・パルコ劇場)
1回目に観た後、すぐには言葉が出ませんでした。「よかった」「悪かった」の判断が出来なかったんです。どう受け止めていいのか分かりませんでした。
連れの友人も同じ状態だったのでしょうか。幕が下りてすぐには何も言いません。何気にお互いを観ました。そして友人の言葉、「ねぇ、これって・・・なんか厭味っぽくない?」そうやねん(ー_ー;な〜んか鼻につくんよ、セリフの一つ一つが。「テーマは自然破壊と・・・ラブストーリー・・・??それだけ?やだわ。そういうのが素直に受け止められない自分もやだけどっ。」
全くもって私もそんな感じでした。言いたいことは分からんでもない。でも、もっと違う表現の仕方があるやろう??って。なんかね、職場のオバちゃんの愚痴聴いてるみたいやった。勝手なこと言いたいことを言いまくって結局「守りましょう」かいな(^_^;
あーあーお疲れさん。そして歴史は繰り返される・・・・・・(苦笑)よくなったように見えて振り出しに戻る・・・。う〜〜進歩な〜いっ。
21世紀歌舞伎組はみんなとても頑張ってたと思いますよ。主役の特に右近さんの「気」がすっごい伝わってくる。龍神の力強さは十分に出てたと思います。(小劇場じゃ狭すぎるくらい?)あと芝居が上手いなと感じたのは猿弥さん、笑三郎さんの2人。キャラクターをちゃんと掴んでますね。
演出はやや中途半端という印象。歌舞伎の要素をもっと取り入れた方がメリハリ出たんじゃないかなんて・・・・
舞台美術、照明、音楽はそれぞれイメージを掻きたててくれる、かなりのレベルだと思うんやけど・・・はっきりいってこの脚本には勿体無いよ(;_;)
背景画がいいですね。チラシを見た時に「これって絵なの?それともコンピューターグラフィック?」ってくらいの素晴らしさにビックリしてたんですが、河童さん(舞台美術)の息子さんが描いたことを知って「緻密さも遺伝するもんなのか・・・?」と思いました。
更に更に、あの背景画は アトリエ雲の作品だったのね〜〜(;o;)ひゃぁ〜〜。本物、初めて見ちゃった♪←感動〜〜っ。(私もデザイン関係のこと勉強してましたので、そのへんの思い入れはご容赦くださりませ。)リアルな背景にも意外にマッチする歌舞伎の扮装、いいですねぇ(^-^)
で、結局どうやったの、この芝居は。「よかった」の?「悪かった」の?
・・・・・・・・やっぱり判断は出来ません(^_^;
そういうことです。
1998年1月28日/YUKA蔵
■年頭のメールで段四郎さんを見に松竹座の初春大歌舞伎に行くと書きましたので、ご報告いたします。昨日は夜の部、今日は昼の部を観てきました。
段四郎さん、脇の奮闘公演で朝から晩まで出ずっぱりでした。
夜の部最初の出し物は先月の段四郎さんを小野春道に据えて団十郎さんの「毛抜」。団十郎さんの高音は野太い声で裏返るからあまり好きではないのですが、やっぱり粂寺弾正は団十郎さんかな。(猿之助さんや左団次さんもよかったけど)
二番目は鴈治郎さんの「雁のたより」。はっきり言って笑えました。内容は他愛のない芝居でしたけど、なんか上方歌舞伎を観せてもらったという感じ。黒御簾の唄も芝居にあってて良かった。今度は仁左衛門さんで見てみたいな。(関西の役者さんじゃないとできない芝居だね)ちなみに段四郎さんは治郎太夫役。無骨ものという感じの役柄で、にあってました。
夜の部最後は玉三郎さんの「阿古屋」。昨年の1月に国立劇場で観たときは、はっきり言って寝てました。今回は最前列だったので(玉三郎さんは目の前)寝るわけにはいかないのですが途中でやっぱり少々睡魔が襲ってきました。どうして琴の音色は眠くなるのだろうか??
段四郎さんは人形ぶりで岩永左衛門の役をやっていらっしゃいましたが、ピクピク動く眉毛に観客は大受け、関西の人はストレートでいいね。
さて、今日の昼の部は段四郎さんの頓兵衛で「神霊矢口渡」。この頓兵衛は今まで観た中では段四郎さんが一番かな。何と言っても憎々しいところが最高です。
いつも歌舞伎を観るときは足が伸ばせる最前列にしている(いつも一等席だということを自慢しているわけではあーりません)のですが、今回に限っては失敗しました。と言うのは、二幕目の鴈治郎さんの「土屋主税」。雪の日なので、演出上雪を降らせるのですが、客席前方に紙吹雪が降ってきて、(それもいっぱい)目の中に入って痛い思いをするは服には付くし、カバンの中は紙だらけ。
でも、悲劇は最後の「鷺娘」。客席前方はさっき降らせた紙吹雪がそのまま。しかも...暗転から緞帳が上がり青い舞台が見えてくると、やっぱり雪が降ってきた。それも半端じゃない雪の量。前に八十助さんの客席に雪が降ってくるとか言うキャッチフレーズの「近松心中それは愛」だったかな。見たことないけど多分そんな感じだと思う。
玉三郎さん白い着物から真っ赤な着物に引抜かれて、同時に客席も明るくなったとたん、2階3階席からどよめきの声、そう、客席前方は紙吹雪で頭は真っ白、着ている服は見えなくなるし、通路の赤いジュウタンも真っ白け。紙吹雪で目はショボショボ、せっかくの玉三郎さんが全然見えない始末。
よく歌舞伎座では「とちり」が一番いい席だと言うけど、やっぱりそう思いました。(意味がちがうかな)今日は昼の部が終わったら、せっかくだから「龍神伝」を観て帰えろかなと思ったけど、雪で(このやろう)新幹線は遅れてるようだったので、家路につきました。でも昼も夜もいい芝居で楽しい2日間でした。
98年1月26日/ Jun.S
■龍神伝最終日大阪公演を観てきました.私にとって21世紀歌舞伎組との初めての遭遇です.
11:00からの公演で,まずはどきどきしながら緞帳があくのを待ちました.みなさんの勢揃い姿ををこの目でじかに見られたことにまず感激.本当にみんな一つの舞台にいるんですもの.
右近さんは全力投球.その右近さんを春猿さん,猿弥さん達がそっと支える.笑三郎さんが右近さんの迫力と共鳴するように客席を巻き込んで舞台を盛り上げていく.
そして,笑也さん.初めの姿にうわあ.と思いましたが,最後は美しい笑也さんでした.姿も素敵ですが,声も素敵です.出番は少なかったですが,笑也さんの不思議な魅力を堪能しました.
あまり古典歌舞伎に精通していないためか,音楽,演出に対しても違和感は全く感じられませんでした.
ストーリーに関しては,人間の犯す罪に怒り,荒れ狂い,しかし,その後は泉の姫の愛から,【人を許し,慈しむことも戦いなのだ.】としめくくる.美しい泉の姫を傍らに抱きながらの龍彦のこのせりふには共感しました.じ〜〜んとそのせりふの意味を心の中で考えているうちに,泉の姫はさかなになっちゃいました.結局,泉,言い換えれば人と運命を共にすることになったということでしょうか.
最後の水中の場面は美しかった.
タマキが龍彦の怒りに乗じて,自分の復讐をなす場面からその愚かさに気づく場面はもう少し何かあればと思いました.
90分という時間はあっという間に終わりました. 私としては少し消化不良気味だったのと,今後この作品はもう観られないかもしれないと思い,結局大阪公演の最終の舞台である午後の部も観ました.やはり,2度目は私自身ほぼ展開がわかっているので余裕をもって細部まで観られたと思います.午前の部はカーテンコールがなかったのですが,午後の部はカーテンコールもあり,私もみんなありがとう,と心の中でいいながら腕が痛くなるくらい拍手しました.
パンフレットに21世紀を迎えるにあたり右近さんの、歌舞伎組を歌舞伎団にとの豊富があり,そうできるに違いないと思いました.
歌舞伎役者に定年はありません.今は中堅から若手のみなさんもベテランに変わっていくはず.どんどん舞台を踏んで,稽古をして,どんどん歌舞伎組も厚みを増していくはずです.今後もみなさんから目が離せません.21世紀歌舞伎組を今後も応援していきます.♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
98年1月25日/ Noriko. T
■『龍神伝』観てきました。まずは初日を観た後の私と友人の感想から…
なんかちょっとひどい言い方だけど、「くさい」お芝居になっちゃってたよね。
もっと「人間の罪」をアピールするべきだったよね。
龍神の怒りの原因に今一説得力がなくて、テーマがぼやけたような気がする。結局、龍彦と泉の姫は、愛の為なら人をも殺し、その罪もなんか簡単に償ってしまったような。
神という地位を捨ててただの魚になるなんて、なんかピンとこないし・・・
すきっりまとめようとしすぎて短くなりすぎ、人間たちの世界を描いた脇筋が、全部そぎ落とされてしまったのかなあ・・・だって段治郎さんと門之助さんの役が悪過ぎるもん!!もっと初めはいい役だったに違いないと思いません?
笑三郎さんは『雪之丞』の時の方が、「え〜!この人悪い人だったのお〜〜〜!」って感じがしてよかった。今回の役は最初っから、こいつは人間に復讐したくて龍彦をそそのかしているというのが分かり過ぎてつまらなかった。それから音楽も、芝居のしらじらしさを助長しているよね。大げさになっちゃうんだよね。ああいうオーケストラ風なのって。
舞台もねえ。泉が戻って絵が変わったところは確かにきれいだったんだけど、その前が長過ぎて、ちょっと暗いよね。
とにもかくにも、千秋楽までに手直しがあるかどうか。猿之助さんがどう観たか。それを楽しみに、18日は観劇することに致しましょう。そんな恐れ多いことを平気で話していた私たち。
それが、それが、見事くつがえされた千秋楽!!
私は泣いてしまったのです!!
どこが変わったの? どうしちゃったの? っていうくらい、何がなんだかわからないうちに芝居の中に入り込み、魅了され、そして目がウルウル。涙をいっぱいため込んで、手が痛くなるのも忘れて、カーテンコールには大拍手!!
龍彦は、単に人間が腐り果てお互いを殺し合ったりするだけなら、「人間は変わることができるんだ」と、人間たちの罪を見守ることができたけど、全てを許して自分の身を削られた泉の姫の魂を踏みにじることだけは許せなかったんですよね。それから龍彦が怒り出し、龍神となって暴れ出すということは、全てが見えなくなり、聞こえなくなり、疲れ果てるまで暴れ出すということ。己がわからなくなり、子供にも刃を向けてしまうほど見境がなくなり、誰にも止められなくなる、別の生き物に変わってしまうほど恐ろしいことだったんだということがはっきりしました。
また人間を殺した罪を償うために龍彦と泉の姫が神である象徴を差し出すシーンも、あんなにピンとこなかったのに、なぜかしんみりし、すごいことのように思われました。
初日では舞台上にいた人間役の二人( 門之助さんと段治郎さん)が、客席の通路の方に立ったため、私たち観客までが、芝居の中の人間の側に立ったように思われたからでしょうか。龍彦と泉の姫が、私たちに謝っているような、また私たちのせいで神の座を捨てることになってしまったような、そんな気にさせられました。「ごめんなさい。もうしません。自然を大切にします。だから二人は幸せになってねえ〜。」私の涙はそんな涙だったと思います。
これを猿之助マジックと見たのは私だけでしょうか。上から猿之助さんの魔力が降り注ぎ、何が変わったのかホントに細かいことまではわからないのですが、全てが洗練された感じで…大筋を変えなくても、ちょっとしたところをいじっただけで、こんなにも、舞台の印象って変わるものなんですね。ホントに素晴らしい舞台に生まれ変わっていました。
役者さん一人一人を見ても、ぶつけるところと抑えるところの緩急ができ、より自信を持って役に入り込んでいたように思います。
初日の感想をちょっとひど過く書き過ぎてしまったようですが、正直な気持ちだったもので…許して下さい。若手が演出から任されたのは今回が初めて。きっといい勉強になったことでしょう。(ちょっと偉そうだな、私…重ね重ねすいません。)でも、大好きな皆さんだからこそ。これからも期待してますよ!!
1998年1月19日/ Futae H
■またもや雪の市内を、ここで転倒して骨でも折ったら観劇出来ないよー!という恐怖!?と戦いながら行ってきました、渋谷パルコ。
初日から1週間以上も経ち、舞台も固まっているだろうという期待はありましたが、初日と7日を観たという知人から、すでに変わってた部分もあるという報告を聞き、あーやっぱり<初日>って観たいよねーと思いましたが・・・・。それに関係者各位!にお会いできるというのも、初日ならですよね。羨ましい(うらめしい)。
さて、前置きが長くなりましたが、相当結末に苦慮されたとみえて、(もしかしてもともとああいうエンディング!?)なんだかずいぶん(私にとっては)意外な展開でした。私たちファンは、上演前から、次回作についての予備知識というか、作品のテーマだとかがインプリンティングされやすいので、今日観る、この目の前の舞台だけから感じ取ろうという気持ちで臨みました。←ちとオーバーかな・・・(^_^;
)
前半は、泉の姫の、すべてを赦し我が身を犠牲にして・・・という姿勢が、人々の原罪を背負い贖う救世主・キリスト教的な救済の思想かしらん、などど思ったのですが、クライマックスは、突如として、ラブストーリーに転換して!?もっと深いメッセージはあるのだよ、と言われても、自分達の<想い>を全うして、泉に帰り行く神様?たちは、自らも恋をし、気まぐれに人々を愛し助けそして見捨ててゆくギリシャ神話の神様と同じでした。(あっ、泉の姫がとても気まぐれという意味ではないですよ。)
横内さんとは、同世代といえますが、(子供の頃ノストラダムスの大予言!が流行。世紀末的時代感覚。いじめや校内暴力で荒れた学校を体験した世代。)だから、戦いの描写の中でほんの一瞬のパートだけど、捕らわれ人に対して、<カエルの真似>をさせるところなど、典型的ないじめのあり方で妙に説得力がありました。(ええと、この説得力というのは、個人的に同時代感覚に訴えるという意味です。)
まあ、これは昔の軍隊にもあったそうで→<セミの鳴き声?>日本人が本質的に持っている陰湿さか。いや、どこの国の軍隊にも学校にもいじめはあるから人間のと言った方が良いかも。でも、人類の歴史(人類以前の類人猿を見ても!?)って、戦いの歴史でもあるから、人々が戦わず愛と平和に満ち溢れた理想郷なんてあるのかな?(来るのかな?)
自然破壊ということで考えれば、科学や技術が進歩し過ぎてこうなったのか、あるいはまだ未熟な段階だからこんなに自然が荒れるのか?と考えたりします。
人類にとってどの時代がいちばん幸福な時代だった(なの)だろうか?資源が枯渇するというなら、すごーいラディカルな(私の)思想では、もう、みんなで土に返って10万年後の人類のための石油(石炭???)となりましょう、ですか。
なんだか勝手にわたし的モードに入ってきてしまいしたが、(←観劇者の心は自由ということで許して下さい)プログラムを読むと、全然こんなこととは違う、作者のテーマの模範解答?が書いてあります。(だから観てから読んだ方がいいかも)
演出的なことでは、私は、音楽が勝っていた、と思ってしまいました。それは凄く音楽が優れていたという意味より、TVドラマや映画の手法で、このシーンにこういう旋律をかぶせれば<感動的>を作れる、あるいは視聴者の<涙のボタン>を押す事が出来る、というのがあるらしいのですが、ツケがなかったせいかもしれないけど、劇的緊張とか高揚の部分すべてに音楽(しかも邦楽のアレンジではないいかにもBGM的な)がかぶさるので、もっと視覚と聴覚の調和が欲しかったです。
千秋楽とあともう一回くらい観たいのですが、チケットが無いんですよ〜!!座布団席狙いで当日頑張るしかないですね。(どなたか急に都合が悪くなったって方いらっしゃいますか〜!?)
1998年1月14日 / Yasuko.W
■今朝、日本経済新聞のSUNDAY
NIKKEYにバーン!と大きな写真入りで『21世紀のカブキ映す「龍神」』って記事が出ていました。カッコいい、かなりインパクトのある写真で、読んでいるうちに「やっぱり猿之助ファンやったら観とかなアカンで!」って気になってしまいました。それに「年期の入った猿様御贔屓の皆様も、歌舞伎座でなきゃとか、松竹座でなきゃとか堅いことをおっしゃらずに、若手なんぞと、年寄りじみたことをおっしゃらずに」って、確かにそうやねぇ。
というわけで、早速シアタードラマシティに問合せてみることにします。
日経の記事を読んでいらっしゃらない方のためにチョット抜粋要約紹介しますね。
『歌舞伎の将来を模索しようと、市川猿之助門下の若手俳優が集まった二十一世紀歌舞伎組、十年目の新作。龍神伝説を基にした横内謙介の台本、躍動感ある佐藤浩史の演出、妹尾河童の美術、加藤和彦の音楽(へえー、猿之助さんの名前がない!?ってことは、もっと厳しく大きく育てるために敢えて突き放して見守ろうと路線変更したってことなのかな)が相まって、飽きさせないスペクタクルとなった。
かつて美しい水をたたえ、今は枯れ果てた湖のほとりで戦乱が続く。水争いが原因だ。千年の旅から戻った龍神(右近)は、変わり果てた湖と病に伏せる湖の姫(笑也)の姿を目にする。やがて人間たちの度重なる暴虐についに龍神の怒りが解き放たれる。
争いの無意味さ、自然との共生、「本当の強さとは許すことにある」といったメッセージが過剰なほど打ち出されるが、演技の過剰さとバランスが取れている。音楽の過剰さも負けてはいない。過剰の美学がここにある。(篤)』
過剰の美学かあ・・・。言い得てますよねえ。歌舞伎って正しく「過剰の美学」であり「削ぎ落としの美学」であり・・・とにかくあまり「観たい」と思えなかった『龍神伝』ですが、何だか楽しみになって来ました。
1998年1月11日 / Kanoko.S
■ 皆さま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申しあげまする。o(^0^)o
さてさて、初日『龍神伝』行って来ました。
前半の盛り上がりとってもいいんですが、後半はちょこっと小さな世界でまとまった感があります。…観る前に読んでたあらすじで、ここから物語が始まるのね〜って、勝手に思ってたんだけど、それは、前半部分(^_^;;) なんかチラッと『もののけ姫』を思い出しちゃったりする私。気を抜ける部分があまりなかったのもなあ〜。…緊張の100分間でした。
まあ、このへんにしておきますね。きっとまた、ずいぶん変わるとおもうし。…悪かないとは思います。予想してたよりはずっと。
いいところは、主役の右近さんがかっこいい!!!です。(『伊吹山のヤマトタケル』の後半、病に倒れた姿を彷彿)セリフ回しもスッゴイ迫力だったし、から回りすることもなかったですよ。とにかくかっこよくって、出突っ張りです。
あとは、笑三郎さんのタマキ・猿弥くんの黒太郎が人間的でいい役だと思います。加藤和彦さんの音楽も、場面にとっても合ってて素敵でした。照明もキレイ。ラストが『オグリ』っぽい鏡を使った演出で、水の中をとても幻想的に美しく見せてました。…まあ、終わりよければ全て良しですかね〜(^-^;;)
あ、猿之助さんは、後ろの方で観られていましたヨ。(終わった直後に、指をクルクル回しながら、 お隣の横内さんへ何か言ってらしたたようだけど、…何言ってたんだろ〜(^^;))
それから お正月のテレビの対談した場所は、このまえの藝術財団の講演会とおなじ所でした。そういえば、ずいぶん昔(バイク事故のずーっと前)、<週刊文春>だったかな…たけしさんが連載していたエッセイで歌舞伎を取り上げていて、まだ自分は観たことないけど、玉三郎さんとか猿之助さんは気になる!特に、スーパー歌舞伎観てみたいって書いていらしたことありましたね。
…まあ、今回の対談自体は噛み合ってないところがチョッピリなきにしもあらずって気もしましたけど
(^^;)、この2人のビックな顔合わせってのは、新年早々うれしかったです。
1998年1月6日 / 幸せごはん (^-^)