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 猿之助&歌舞伎ファン広場 


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  NO2】  




『翔七号に対する御意見を』というお言葉に甘えて、感想を述べさせて頂きます。
実のところは感じることが多すぎて、まとまりがつかなくなってしまいました。部分的には、お気にさわる内容もあろうかとは存じますが、最後まで御読み頂ければ幸甚です。
【序幕】 総合評価(みんなまとめて、めんどうみよう)
某演劇評論家風に表現すれば『元気一杯で楽しい。それなりに魅力的ではあるが、メリハリに欠け、味わいが乏しい。もっと格調高くまとめる工夫が必要だ。』ということになります。・・・この文章を読んで腹を立てるか、大喜びするか。わかっちゃねぇなぁと思うか、良く御わかりでと思うか。
・・いずれにしろ、この本は大成功です。編集スタッフが意識して盛り込んだことも、無意識のうちに阿吽の呼吸で伝えようとした『想い』も含めて、狙いどおりに出来上がっているからです。そして、その『想い』は確実に読者に伝わり、感動の輪を広げていると確信しています。
但し、インパクトが強いのはモロハの刃です。強い共感を与えると同時に、強い反感も与えてしまいます。小生にしても、体調を調え、気合を入れて読まないと『トンデモナイコト』になりかねないからです。ウキウキしたり、大笑いをしたりするだけなら、問題はないのですが、落ち込んだり、腹が立ったりしてくることがあるからです。(スタッフの皆様には、おわかり頂けないでしょうが)
特選素材を揃えたからといって、良い料理が出来るわけではありません。シェフの腕が必要です。さらに、厨房のメンバー全員の役どころをわきまえた得意技を活かした活躍が欠かせません。妙な味付けをせず素材の味を活かして上手に仕上げたスタッフの皆様の、芸と御尽力に敬意を表します。いろいろな御苦労もあったはずです。しかし、同情する気には、全然なりません。(うらやましいとは思いますが)
仮に、この本が何とかコンクールにノミネートされたとしたら、小生が審査委員だとしたら・・・何とか大賞には反対します。そして、審査委員会特別賞にします。必ず、してしまいます。

【二幕目】逐次勝手解説(てあたりしだい、いいたいほうだい)
@感動伝授手習鑑 最大の目玉は、学生に実演をさせることです。しかも、たとえ数日間とはいえ現役のプロがきちんと指導して稽古をさせるのが見どころです。そして、学生たちが、それにこたえて頑張ってくれたことが、オジサンを感動させました。
若い頃に一流の人に接し、真剣に生きている人たちとの体験を共有できたことは一生の宝物です。この一週間のために、この大学に入学する価値は充分あると考えます。
☆☆☆ それにしても、これだけの内容を、細部にわたって再現されたスタッフには、きっと、お稲荷さんがのりうつっていたとしか考えられません。特に、イラストが雰囲気を上手に表現していました。
余談 囲碁の棋士に藤沢秀行というとんでもない人がいます。私生活はメチャクチャを通り越したほどながら、棋士としての力は超一流で実績もある人です。この人が若手のプロ棋士を集めて、年2回の強化合宿を、毎年行っています。若手を指導するのではなく、一緒に勉強するのだそうです。
将棋の棋士の米長九段のことも追加します。将棋の世界では10年位前から若手がタイトルを全部とってしまうようになっています。また研究会もいくつもあり新戦法もいろいろ生まれていました。そんな時に40代後半の米長九段は頭を下げて若手の研究会の仲間に入りました。数年後、50才で名人位を奪回したのです。その米長九段の言葉→頭を下げるのはいいけれど、毎回、お土産を用意するのが大変で・・・(お菓子やお金ではなく)こっちも相手の役に立つことを提供しないと仲間に入れてもらえないので勉強をするようになりました。(御参考。勝負の極北=クレスト社、平成9年3月発行)
この大学の講義は、学生にとって有意義なだけでなく、弟子達にも、猿之助教授にも意義ある物に違いありません。一流の人にとっても、凡人にとっても、若者との交流が若さを保つ秘訣だと思います。特に、芸術家にとっては、心の若さが大切なことだ考えるからです。
A投稿、お手紙 ここを読み出すと心が乱れて困ります。小生も自分では、かなり思い切ったことをしていると思っても、皆様に比べると、たいしたことはないなあと、安心したりバカバカしくなったりします。同じ文章を読んでも、笑ってしまう時と腹が立ってくる時とがあるのが不思議です。御本人は御自分の感動を素直に書いているのに、こっちが勝手にヤキモチをやいているだけなのですが・・・
当然のことながら皆様は、御大のことを良く知っていらっしゃいますし、歌舞伎についての勉強もしていらっしゃるようです。それを思うと、小生の過去数回の投稿の知ったかぶりが恥ずかしくて情けなくなってしまいます。それでも図々しくこのように大それた感想を書いているのですから、我ながらわけがわかりません。
B第6号 第6号を読まないのに、第7号に書かれたことだけを頼りにして感想をいうのは、マナーに反することと承知の上で失礼させて頂きます。
◆芸術院賞に限らず勲章、褒賞等の国の権威と芸術・文化の実力とは無関係です。不満を言うのはエネルギーの無駄遣いだと思います。しかし、芸術・文化に対して国が何もしなくても良いということではありません。国立劇場を全国各地につくるとか、養成所をプロコースだけでなくアマチュアコースもつくるとか、実質効果のある施策は必要だと思います。それが芸術・文化を国が支配することにつながるのならば、何もしてもらわない方がいいような気もします。
◆良い批評、良い論文の基本は、事実をキチンと伝えることだと考えます。その事実に対して自己責任で評価をしているのならば、善悪・好嫌にこだわるべきではないと考えます。眼光紙背に徹し、行間を読み取る努力をし、離見の見をもって、判断すべきでしょう。また、事実の裏付けがなく抽象論だけしか書かれていないものは、何の値打ちもなく無視すればよいだけのことです。(政治、経済等の直接生活に関連することは別です。念のため・・・)
芸術(広い意味で)に接する時に重要なことは、自分の感性を大切にすることだと考えます。同時に、他人の感性を許容することも必要だと考えます。自分のわずかな体験だけで、部分を知っただけで、全体を評価して是否を決め付けるなどと言う不遜な態度はお互いに慎みたいものです。
◆第6号を関連する人たちに送ったのは、素晴らしいことです。『猿之助さんの迷惑にならないように』と、助言された方も偉いし、素直にしたがった編集スタッフも立派です。総理大臣にまで送ったのは御愛敬ですが、宮様にもお送りしたのはヒットです。

【千穐楽】翔美麗時空超越(こころはればれ、いついつまでも)
もうすぐ完成する第8号が最終号とのことだけでなく、バックナンバーの在庫もないとのことですので、小生としては、遅かりしではありますが、最終号とした大英断を評価します。十数年の天津風、艱難辛苦を乗り越えて、良くぞここまで続けられたと感心しています。内容の変遷を推察して、花も盛りの引き時と拍手を贈らせて頂きます。
拍手喝采の理由は、もう一つあります。それはインターネットのHPを開設されたことです。時代の変化を取り入れて、形にこだわらず心をつなぐ道を準備されているからです。この機会に皆様も『筋金入りの猿之助ミーハー』を自主廃業されたら如何でしょうか?そして『チョベリグ、イケイケのエンノスカー』を新装開店して頂きたいと願っています。
その節には、小生も、幕外、軒先なりとも、お近くに御留め頂ければと存じます。あわせて、猿之助師匠の応援だけでなく、弟子達の応援なり御指導もお願い出来ませんでしょうか。新米ファンも暖かくお迎え頂き、幅広く、歌舞伎ファン全体の交流の場となれば、万々歳でございます。
とはいえ、無理をなさらず息長く続けられますよう、心からお願い致します。
1998年1月6日 / しっぺぇ太郎




けましておめでとうございます。初めてお便りさせていただきます。
私の周りには歌舞伎を見る人が皆無なので、これまでは何かジメジメとおたくっぽくファンやってたのですが、夏に「翔」のHPに出くわして、「急に明るい処に出た ! !」 みたいな気分になれました。
それからは中毒みたいにしょっちゅう覗きに来ています。
いつのまにか常連の人の名前も何人か覚えてしまいました。あれこれ想像をたくましくして読んだりするのも楽しいです。
後援会にも入っていないし、地理的な条件から(経済的な条件と直した方が正確かも…)舞台も思う存分は見られませんが、皆さんの臨場感いっぱいのお便りを読んでは感動や楽しさをたくさん分けてもらっています。こんな恵まれない(?)ファンのためにも今年も楽しいお便りをたくさんお願いします。
それからグループ翔の編集部にお願いです。猿之助さんの写真をのせることは難しいのでしょうか。写真があるといいのになぁ…と覗きに来る度に思っていますので。
「宵越しスーパートーク」、るーてるさんのおっしゃるとうりでした。いつものたけしさんからは想像もつかないほどの、「創造」に向き合うとても繊細で真摯な態度、表情に感動してしまいました。そしてそんなたけしさんを見詰める猿之助さんのすごく真剣な表情がとても美しくて印象的でした。
最後に、多分みなさん笑三郎さんのHPも覗いていらっしゃると思いますが、更新された「笑三郎NOW」をご覧になりましたか?軽井沢での猿之助さんのお正月がちょっとだけ分かります。
なんかまとまりのない文章になってしまいました。お許し下さい。今年もどうぞよろしくお願いします。
1998年1月3日 / さちえ

編集部より=写真を入れる事はもちろん望んでいるのですが、版権だとか、肖像権だとか、なかなか難しい問題をクリアしなくてはならないみたいで、そう簡単ではないんですねェ・・・。




明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
翔8号の進み具合はいかがですか。「おめでとうどころじゃないわ。」としかられそうですが・・・ 
さて、年が明けてしまいましたが、12月公演には23日に行って来ました。
「小鍛冶」の童子は噂に違わずきれいでした。ただ、なりの割に案外バタバタした踊りのように感じられたのは意外でした。後ジテになってからも、蜘蛛の踊りとか変化ものをいろいろ見てきた今となっては、それほどどうということもないような気がして・・・。
1度も見たことがなかったので非常に期待していたのですが、踊りとしては、「二人三番叟」の方が私は好きです(文楽座を使うなら)。 
大晦日の深夜のテレビトークは、話の内容はファンにとっては特に目新しいこともありませんでしたが、たけしさんの緊張した様子がとても興味深かったですね。何だか社長室に呼ばれた新入社員というか、先生の前の生徒の風情というか、終始視線が下がり気味で言葉を選びながらのトークは、他の2人のゲストに対するものと随分違っていて、「やっぱり、猿之助さんって人を緊張させちゃうのよね。」「私達一般人がビビるのも当然よね。」と、変なところで納得して見ていました。 
昨年とうって変わって、今年は猿之助さんのないお正月でとても寂しいです(テレビもないし)。
1月の「囲む会」は行かれますか。るーてるは行きます。今回は久しぶりに、5時間の囲む会で何ともお得ではないですか。(そういう問題ではないですが。)もしかしたら、お目にかかれるかも知れませんね。
 だらだらと長いメールで、貴重なお時間を無駄にさせてしまい申し訳ありません。お体に気をつけて、無事8号を発刊して下さい。 
1998年1月1日 / るーてる




さてさて、もう終わっちゃっいましたけど、12月の感想を。
まずは『毛抜』。こういう古典歌舞伎ならではの馬鹿々しさ満載の話って、ホッとしちゃいます。段四郎さんの弾正も、……もう言いませんが、後半はだいぶ柔らかみ出て来てました。小柄が立つって、驚くときのポーズの手がピン!ってなるのがきれいな形でいいです。ああ、でも猿之助さんの弾正はね〜、ふわ〜っとが大きくって、色気があって可愛かったんですよね、ふぅ〜。段四郎さんも、違う男っぽい色気ならいっぱいあるのになあ…、はんなり系はまだちょっと。(言わないってたくせに、言ってるやんけ〜\(- -*))ふっくらして可愛い春猿の錦の前。段治郎さんの悪役は、大きくて格好よかった(弥十郎さんがいなくなったら、こういう役は全部回って来ちゃうんでしょうかね〜?(^-^;;))、キリッとした門之助さんの腰元も良かったです。
そして今回のメイン『小鍛冶』は、もう猿之助さんお得意の<バンバンダンダン系>だから、私が言うのもおこがましいですけど…、とってもうれしそうに楽しそうに元気に踊ってくださるから、こっちもたくさんパワーをもらえた気がします(^-^) 
最初の童子姿もキレイ〜だし、24金は眩しかった(!@o@!) 澄まし顔がお人形のようにキレイな勘九郎さん、羽左衛門さんも重みがあっていいんだけど、3人が奏でるハーモーニーは、猿之助さんのエネルギーが特に特に突出していたみたい…な気がする。(右近の会の3人の方が、それぞれ拮抗していて緊張感があったような…)
膝をたくさんつかう動きも凄いけど、花道を一回前に出てから、一気にバックして走ってく技には、何度みてもビックリです。右近さんたち若い3人が踊るところも、皆さん踊りが上手くっていいです。いやあ、これからもちょくちょく観たい演目となりました。
切りの『盲目物語』、新歌舞伎にありがちな生っぽい感じがちょっとニガテですけど、きれいな玉三郎さんも勘九郎さんも、二役きっちり演じわけてて楽器まで弾いちゃうってのが、いい趣向でした。
そして、夜の部『酒井の太鼓』…は、寝てしまったので感想語る資格ナシ。(すみません(^^;))
『連獅子』は、そりゃあ孝夫さんキレイでしたよ〜。でもぉ〜、おもだか屋に馴染んでる者にとっては、なんだかお地味。(が、一緒に観た玉さんファンの友達には、おもだか屋のはやり過ぎよって言われちゃいましたけど…)
そして『梅ごよみ』。いやぁもう、女形さんは皆さん良かったです。特に玉さん、着物の選択がウットリです。亀ちゃんのお蝶も可愛いい。惜しいのが丹治郎が、なんだか浮気ばれた、ただの小市民って感じで、とても3人の美女からモテモテの人には……う〜ん(- -;;) 団十郎さんも、違う男の色気(『三十歳直侍』とか…)なら存分にあるんですけどね〜、はんなり系はちょっと。(って、さっきも、書きましたね。私)
あと、久々に信二郎さんがけっこうキレイな姿で出てきてくれたのがうれしかったかな。一座離れちゃってから、巡業ぐらいでしかかっこいい役見られないんですもの。
さて、北前さまをはじめとして、今年お世話になりました皆様、来年もよろしくお願い申し上げまするです!
98年は大々好きな『オグリ』の再演や、松竹座の『ヤマトタケル』も今から凄い楽しみです。さ、1月『龍神伝』もどんな風に仕上がるのか、ドキドキ…、でも期待は脹らんでます。 Futaeさんの紹介してくれた<BENE>にも、寄りたいしな。ランチに行こうかな…金欠病だから(苦笑)てなわけで、今年はこれぎり〜。ちゃんちゃん。
1997年12月29日 / 幸せごはん




グループ翔の皆様、寒くなりましたがお元気でしょうか。来年は少しでも楽しく過ごすため、猿さまカレンダーを飾りました。おおっ、どれもカッコいいー!特に12月の「袴垂の安」、これぞ大人の色気というところでしょうか。
さて、宝塚『歌劇』誌1月号の特集、もうお読みになったでしょうか。是非とも沢山な方々に読んでいただきたいスーパーな対談ですね。
ただこの対談の中で、暗転・・・舞台転換はスピーディーに、というところがありますが、今月の『小鍛冶』を観て、転換の時の闇もまたいいもんだなァーと逆に思いました。スーパー歌舞伎や宝塚などもそうですが、早すぎて息つくヒマもない!というような時困ることもありますね。足を組み替えようとか、涙を拭いて、凝りそうになった首を回そうとか・・・。そんなことする余裕もなく集中しまくって見続けなくてはならないってなかなか大変。もちろんそれだけ集中して観させてしまう舞台を作り続けるってもっともっと大変なことだとは思いますけれど。
それにしても猿さまの言葉、「3分あればいい舞台がいっぱい出来る」には参りました。たかが3分、されど3分かァ・・・。うーん、深い・・・。

『小鍛冶』は、夏に右近さんのを観て、同じ年に猿さまのを観られるという贅沢!ことに試験勉強中は観劇禁止という禁欲生活を送っていたので、余計にグッときました。童子の出からもう、ふぅーっと吸い込まれるように入り込んで観入ってしまいました。
猿さまの稲荷明神は、格調とド迫力が共存。それなのに刀を打ち上げるまで、木陰に行ったりするところなど、人間ばなれしていて(当り前だー)なんか可愛かったです。可愛いなんていったら失礼かもしれないけれど、やっぱり狐はこうでなくっちゃね。
猿さまの舞台って、1階で観ても、3階、幕見席から観てもいつも素晴らしいなあって思うんです。『小鍛冶』の場合など、3階や幕見席からはド派手なあの引っ込みは観えないんで残念なんですが、それでもなお、あの遠ーい幕見席で殆どの人がブワァーッと立ち上がって見つめいる様子、猿さまにも見せてあげたーい!!

それから14日にHPを覗いて猿さまの講演会のことを知り、すぐ電話して幸運にも『文化芸術財団の会』に参加出来ました。ロケーションのとてもよいレストランで、何よりのクリスマスプレゼントになった気がします。
お話の内容としては、熱烈ファンにとってはお馴染みのといったものだったのでしょうが、猿さまがああいう形でお話されるのを聞くというのは、私にとっては初めてのことだったので、もうそれだけでウルッときてしまいました。参加者が多くてよく見えなかったので、邪魔にならないように後ろで立って聞いてたんです。カメラマンが角度を変えてかまえる度に、クイッと首を動かしてさりげなくキメていらっしゃっのにも、さすがァ・・・と思い、猿さまのバックに夜景がそれはそれは綺麗に見えていたのですけれど、時おり飛行機が飛んで行く−−その光がこれまた綺麗で、「いやぁー、カッコよすぎるー!」といちいち感動してました。
同じテーブルになった人たちが、初対面同志にも拘わらず、猿之助さんの話題一つで盛り上がって止まらなくなってしまうという光景を目の当たりにして、「本当にすごい人なんだー」と改めて思いました。
年の瀬にこういった機会に恵まれて本当によかった!!HPに載せて下さったお陰です。

お正月はBSで見るべき舞台中継が沢山あるし、『龍神伝』も楽しみです。八十助さんの『河内山』が観たいので浅草の『新春歌舞伎』にも出かけます。
またお正月休みに近松の全集なんぞを呼んでみようと張り切って図書館で借りてきました。国文の講義でやった記憶はあるんですが、当時は興味なんてわかなかったもんなあ・・・。
何だかとりとめなく書いてしまってすみません。それでは1998年も頑張りましょう。そして翔の皆様にとっても1998年がステキな年でありますように・・・★
1997年12月28日 / Mami.H




汗がタラタラ、金歯がピカピカ頭の上で大暴れ
・・・何といっても場所が良かった。前から4列目の花道の真下というか真横と言うか。御贔屓の皆々様には、申し訳ございませんが、家内共々、思う存分、楽しんでまいりました。√どお〜だぁ〜。まぁいったかぁ〜。こんなことを自慢すれば、嫌われることはわかっていますが、自慢したくなる気持も、翔のお仲間の皆さんには御理解頂けるのではと・・・。
とにもかくにも、『小鍛冶』は素晴らしかった。知ったかぶりの感想や解説なんぞは無用の長物。
デモネ、チョットハ、イワセテクダサイナ。
この舞台は、猿之助と勘九郎の一騎打ちのような気がした。うわべの意地の張り合いではなく、お互いの力を認め合ったうえでの力比べだと思った。ストーリーとは逆に、踊りとしては宗近が合槌になる。勘九郎が気合充分でしっかり受けているから、御大が思う存分に力を出せるのだ。
それにしても、御大の動きの良さには、毎度のことながら感心・感心・感心です。それほど身軽なお身体には見えないのですが(ゴメンナサイ) それまで神妙ながらもイイ顔をしていた勘九郎が途中で眉間にシワをよせて頬をふくらませていた。気合を受けていたとも見えるが、ことによったら笑いをこらえていたような気もする。御大がノリマクッテ楽しそうに踊っていたから勘九郎も楽しくなってしまったのだろうと思うのですが・・・
配役を逆にしても味のある舞台になるはずですが、多分ダメでしょう。勘九郎が上手に踊れば踊るほど、御大は自分も暴れたくなって動き出してしまうでしょうから。宗近が暴れだしたら話はブチコワシになってしまいます。
そこで御大は考えるのだ。オオそうだ!!二人小鍛冶にしよう。三人小鍛冶 も面白そうだ。一緒に小生も考えた。新作・初演は若手にやらせてみよう。父狐=右近、母狐=笑三郎、子狐=春猿、宗近=段治郎。待てよ、笑也をどうする??前段の童を使い女に変えて派手にしよう。ついでに眷族も登場させて両花道で賑やかに演ってやろう。(どんなもんでぇ)√ばあぁ〜かめぇ〜。それじゃあまるで『四天王楓江戸化粧』じゃねえか!√おそれいりまして、ござりまするぅ〜。

上演順序とは逆ですが『毛抜き』について・・・
春猿が被り物をとって顔を見せた時、あちこちから『オーッ』という声が上がった。何故か家内が得意そうな顔をしていた(自分が誉められた訳でもないのに)・・・
全体としては、華やかで楽しい舞台でしたが、ちょっと??というところもありました。家内の感想は、@→段治郎って、けっこうイイ男ね。A→なぜ毛抜きが宙に浮いていたのかが分からなかった。B→笑也の着物の着方が変だ。まあ、@については『オレと比べてどうだ?』なんぞという馬鹿話で済みますが、AとBについては、この芝居のメインテーマに関わることであり、重大です??せっかく役者がそろったと言うのに、芝居の素材も面白いのに、料理の仕方がまずいというか、肝心のところで時代のズレがおきてしまったというか。もう少し手を加えて修正すればさらに良いものになったと感じるだけに、残念、残念。毛抜きは歌舞伎十八番の内なので、さすがの御大も台本、演出を変えることまでは手をつけなかったのでしょうか?
√ならば変わりて拙者メが・・・ 前述のAについて。毛抜きが宙に浮いたのも、姫の髪の毛がヒラヒラと逆立ったのも、同じ理由だった。そこに気が付いた弾正は頭が良いということになるのだが、羅針盤(針型方位じしゃく)で説明されても殆どの観客にはピンとこないと思う。考えオチのはずが観客の間抜けオチになっては失礼だ。羅針盤は、江戸時代後期には新技術・新商品?として、新鮮でニュースバリューがあり話題になっていたので洒落になったのだと想像する。しかし、現代では不思議なことではなくなってしまったために、かえって、わかりにくくなってしまったと思う。思い切って大きなU型磁石を使うほうが良い。または、電波発信機のようなものにしても良い。わかりがよくて、馬鹿馬鹿しすぎて、だまされたぁーという感じで、ワァーと来るに違いない。
前述のBについて。笑也の着物の着方が変だというのは、家内の勘違。男役(少年役)という感覚がなかったのである。ピンクの衣装で目元に紅を利かせた化粧なので男装した少女役と思ったらしいのである。ヤヤコシイ。勘違いの本質的な理由は、美少年趣味に対する当時と現代の受け止め方の違いにあるのでしょう。リアルにしてわかりやすくすると、品がなくなりそうな気もしますし、悩んだ挙げくが現在の型かもしれません。とすると、当時の文化風俗の勉強?にもなるし、入門編・スタンダードバージョンとして評価すべきなのかもしれませんが。・・・などと言いながら、大胆不敵な、楽屋落ち編・コミカルバージョンを夢見ています。
【キャスティング】弾正=御大、巻絹=段治 郎、万兵衛=春猿、玄蕃=笑三郎、錦の前=右近、秀太郎=猿弥、民部=笑也。この組み合わせで、あくまで喜劇として演って欲しいのですが。どう考えても一般受けするとは思えないので、松竹さんは無視するでしょう。その前に翔の皆様に殺されてしまうかもしれません。√おぉ許し下されませー。
翔7号については感じることが多すぎて困っています。冬休みにまとめてみます。
1997年12月22 日 /しっぺえ太郎




8号の校正、今朝送りました。疲れましたけど、楽しかったです。最後の号に参加できてホントに良かった。
さてさて、8号を、全部読み通したことは、わたしにとって多大な影響がありました。最近、ちょっと猿之助さんに対してクールにひいてたところもあったのですが・・・仕事(?)で強制的にでも読み進めなきゃいかんというのは、思ったより全然苦痛でもなくって、代えって力づけられました。世の中にはこんなにも、猿之助さんのことを様々に思ってくれてるファンがいるんだなあ〜って。自分たら、些細なことにこだわってたような気がして……。だから、今はなんだか、素直に熱いですよ〜、わたし。昨日も、藝術財団の講演行っちゃいましたし(笑)まあ、例のごとくのお話でしたけど、姿みられればいいんですもん、ファンは。
同じテーブルに、笑也さんファンでHPをみて参加したって方がいましたよ。あとは、神奈川のどこかの市の職員で、猿之助さんに講演を頼みたいなあ〜って方とか、(さっそく寝屋川の話とかして、励ましちゃ、いました)等々、なかなかお食事時間も、楽しく話が弾みました。

さてさて、8号で特に特に、印象に残ったことなど…。
まず、最初の北前さんの初講演(うそでしょ〜、スッゴイ上手ですよ)とっても素敵でした。何度もウルウルきまして、ラストの直美さんのインタビューにノックアウト。もちろん、サンドされた皆さまの投書、お手紙も大変面白く共感しつつ読ませていただきました。
特に同じ方向を向こうとする追っかけのあり方とかこれは、私のことだわ(笑)って、深く同感。
解散してしまいましたが、私は米米クラブの大ファンでもあったのです。講演の中にあつたあの新聞も取ってあります。エンターテイメント性にとんでて、楽しいステージってのが猿之助さんとの共通項。 8年ぐらいファンでした。石井さんは歌舞伎を良くみてて、歌舞伎座で偶然あったファンの話も聞いたことあったし(團菊祭の5月)、やっぱりインタビューで玉三郎さんのファンクラブにも入ってたってのをみたことありました。ちょっと脱線しちゃいました。
で、<あ、この人死んじゃう……>ってのって、私も思いましたよ〜。
寝屋川での公演を知った時は、巡業でもないこんな時期にこんなとこで…って思ったけど謎が解けました〜。こんなことなら、行けば良かった〜(;o;)
それと、あの『黒塚』のススキも!!!
あとは、直美さんのインタビューですね。もう、なお一層、勝手にスッごい親近感もっちゃいましたよ。。そっか、あの俳優祭(夜の部観てました)の時はそういういきさつあったんだあとか。私が前に夏、出待ちをしてた時に見かけたときそうそう、確か、小学生くらいの男の子が一緒だったんですが、あの子が扇次郎くんだったんですね。(歌舞伎役者なんですか?)北前さんもそうですけど、直美さんも関西人の血の性(?)いちいち、過激に笑いをとるところがあって、もう〜、ほんとに面白かったです。
それと投稿編で特に感心したのは「S社の研究」。一般の方が一般に売り出されている書籍であそこまで、分析してくれてるなんて、S社の人ちゃんと読んで考えてくれなきゃねえ〜。T宝は今年<もののけ姫>が当たりましたからね〜、ますます、差をつけられたでしょうね。でも、<北京原人>T社でよかった。マーケティング足りなくて当たりそうにないんだもん。
能の面打ち師を祖父に持つ方の投書もなるほどって思いました。そうですよね。血筋って言われはじめたのって、ホントに最近のことだし、そういうものに、私は違いますが、大抵の人々は弱いんだもん。他のこぼればなしの数々も、どうしてそんなことわかるの〜?!って、ただ感心しました。あちこちに、隠密をばらまいてんのんか〜(笑)
ああ、またのんべんだらりと長いメールになってしまいました。もう、歌舞伎座公演終わっちゃいますけど、感想は25日の前の席で観てから、送ると思います。年賀状もなんにもしてなくって。バタバタしてま〜す。
1997年12月22 日 / 幸せごはん




土曜日に、今月二度目の歌舞伎座に行ってきました。貸切の日だったのですが、友達のご主人が勤めてる会社の貸切だったので、一等席が格安で手に入りました。ラッキー!
で「毛抜」ですが、初日に比べるとだいぶ柔らかくなってたと思います。段四郎さんのまばたきも多少減ってたし。
友達は歌舞伎が二度目でしたが、ケラケラ笑いながら見てました。今回は楽しめましたよ。
ただ、ちょっと小姑っぽいけど気になったのは、磁石をもって天井裏に潜んでた猿四郎さん。槍でつきおとされてから、終始磁石を天井に向けてもってるんだもん、あれじゃ初めて見る観客にはなんだかわかりませんよね。
一階「と」列で見た「小鍛冶」は最高でした。音楽は素晴しいし、今、格でいったら最高の羽佐衛門さんがどっしり控えててくれて、それで勘九郎さんが相槌で...。やっぱりこういう舞台で、他を圧倒して輝く猿之助さんを見るのが私はたまらなくうれしいです!
「小鍛冶」の亀治郎さんを見て、友達がびっくりしてました。「うそ!あの人も男やの?」指先から何から、線があまりにきれいでたおやかなので、女の子にしかみえなかったとか。これでもうちょっとお化粧うまくなってくれたら最高なんだけど。(まったく、いちいち憎たらしいことひとこと言わなきゃおれないヒトなんですねぇ、ワタシって)

 1997年12月15日 / Kyoko.O




こんにちは。12日にTBSの花マルマーケットに右近さんが出演していました。観た方はもう分かっていると思いますが、小鍛冶の猿之助さんのあの金歯は24金だそうです。右近さんのは18金と言っていました。
13日に歌舞伎座へ行って来ました。よかったですよ。毛抜はもうメンバーが良くて、(私が思うにですが。)
「小鍛冶」は、やっぱり、良かったです。狐のあの妖気を演じるのは、猿之助さんの右にでる人はいませんね。
盲目物語もなかなかの感動でした。今年の歌舞伎鑑賞はこれで終わってしまいましたが、来年も出来るだけたくさん観に行きたいと思っています。
それから14日午後4時、「文化芸術の会」へ猿之助さんの講演会の問い合わせをしましたら、まだほんの少し空きがあるそうですよ。私も早速頼みました。今から行こうかどうしようか迷っている方、電話してみたらいかがでしょう?一人で参加なので不安なのですが、すぐに講演が始まるそうなので、行って来ようと思います。それでは。
1997年12月14日 / Eiko.T




12月12日、これでやっと私の12月が始まった!!というカンジですわ〜。府中公演から今日までの、本当に長かった事!!
『毛抜』思わず造形大の個人授業を思い出したりなんかして・・・(いいのか!!)段四郎さんは、こういうお役も絶対手の内に入れられる方だと思うし、猿之助さんも(たぶん!?)そうして欲しいと思っていらっしゃるのでは?
ちょっと他のHPにも、書いてしまいましたが、これってホント、現代の物語としても充分いける、科学的トリック!?を使ったミステリーOR謎解き探偵物語。しかも、バイセクシュアルな主人公。最後に、さあ結婚のお祝いのギフトを差し上げましょう、スパーッと首が飛んで終わるなんてシュールだわ〜。
いやぁ、江戸って凄すぎ!と思うのがこういうものに、出会った時ですね。歌舞伎ファンで良かったことのひとつは、万一犯罪者となった暁も歌舞伎好きな上品な(!?)お嬢さんだったわよって(たぶん!!)言ってもらえるでしょう。これがビデオや小説だったら、同じ内容を面白がっていても、ただのホラー・スプラッター・SM好き(!?)の危ないヤツでした、となってしまうのよ。
それにしても、段治郎くんは大切に育てられてますねー。本来なら、あれだけの容姿だもの白塗りの超二枚目やったら、何人かの女性は気を失うのではないかと思うけど、それじゃあ、あんまりそのまんま過ぎるという事でしょうか?今回の玄蕃も、嫌味ったらしさがちゃんと出ていたし・・・。
ストーリーはめちゃめちゃモダン?(ポスト江戸!?)なのに、見た目が超古風というのも歌舞伎らしくて、三重丸です。

『小鍛冶』 猿之助さんの美貌を再確認するのは、こういう時。童子、凄く綺麗だった!!は列10番とちょっと上手寄りの席でしたが、そのせいで、斜め横顔が本当に綺麗で見とれてしまいました。あの、ロングヘアーは絶対似合う!!美しさも、ただ単純に美しいという事ではなく、人間でないもの・・・何かの化身とか、妖しさや神秘を内包した獣性なんかを演じたら当代一!!の猿之助さんだけが醸し出せる美しさでしたね。
勘九郎さんも華のある役者さんで、幕が開いた瞬間の観客を惹き付ける魅力は素晴らしいものがあるけど、猿之助さんの場合、劇空間を支配しますもん。
9日(雅子さまと同じねっ)にお誕生日を迎えられた猿之助さん。猿さまの身体はいったいどうなっているの?ニンだハラだといろいろ業界ではあるみたいですが、役者が自分の体を使って精神性も芸術性も体現していくことを考えれば、あの、肉体的表現力があるからこそ、芸の力も高いと言えるでしょう。そして、猿之助さんの凄いところは、身体的驚異を凌駕して、観る者の心や魂を揺さ振り、掴んでしまうところでしょうね。最終的に、私たちが<超猿之助>になってしまうのは、視覚的に強く訴えかけるもののせいではなく、この、魂がどこか別の世界に連れて行かれる感覚、そしてそれを与えてくれる猿之助さんへの陶酔、ですね。
もー巡業も舞踊だったのに、歌舞伎座もぉ!?猿之助さんのお芝居観たいよーと、思っていた私ですが、これ、大満足・大感激してしまいました。猿之助さん小鍛冶だけだしいいやー、と思って遠征サボってる地方のみなさん!!交通費かけても観に来る価値ありますよー。
997年12月13日 / Yasuko.W




私が歌舞伎に興味を持ったきっかけというのは実は2つあって、こんな事を書くのはかなり恥ずかしいのですが、一つは最近曳かれるようになったある女性の趣味が歌舞伎鑑賞であること、もう一つは、とても好きな作家である加藤周一の随筆集で絶賛されていて、ぜひ観たいと思っていた野村万蔵の狂言と歌舞伎とが、歴史に見ても、とても近い存在であるらしいことがその人との会話の中で解った、という2点です。
もちろん、ちょっとでもこうした舞台芸術に関心のある人なら知っていて当然のことなのでしょうが、私のようにバリバリの理系人間、といっても文学部に進むか数学科に進むか迷ったりはしましたが、には結構、新鮮なことだったのです。
「翔」で面白いなと思ったのは、その歌舞伎に対するフリーク振りはもちろんですが、ホームページ作りの苦労話、あるいはホームページを自分たちで作ろうと思い立ち、本当にそれを実行してしまう行動力とその表現の的確さです。実際、あの話をもっと膨らませて書けば、立派な単行本に成りうるんじゃないかとさえ思います。
私自身、外資系のソフトウエア会社に勤務しており、直接の担当ではありませんがWeb page作成用のさまざまなツールを提供しているという点でも興味をひかれました。あくまでボランティアで作成されている雑誌に締め切りの厳守を望むのは無理な相談で、むしろまもなく本当に完成することを知って驚いています。とても楽しみにしています。
それまでの間、7月号を購入、5、6月号を貸し出し、ということでお願いできるでしょうか。お忙しい中、申し訳ありません。
いつか、彼女と一緒に観劇に行けるようになるといいなと願いつつ。
1997年12月12日 / Kousuke.M

【編集部より】=きっとそうなる!と確信します。「翔」の八号には歌舞伎ファン同志が観劇を重ねるうちにゴールインしちゃったという(東京と大阪という距離があったにも拘わらず)、とっても嬉しい投稿が掲載されているのですよ。願わくばその女性も猿之助さんのこと大好きなら嬉しいのですが・・・。



今日は。8号を千秋楽に間に合わせようと追い込みの真っ最中とお聞きしました。さぞかしお忙しいこととお察しいたします。
ところで歌舞伎座の昼の部を見てきました。「毛抜」。うーん、荒事の似合う段四郎さんですが、こういう荒唐無稽な芝居となるともっと理屈抜きの楽しさ、ぱあっとした明るさがほしいですね。実直な人柄がこの場合は災いするのか今一つ盛り上がりに欠ける気がします。一昨年猿之助さんが弾正をやったときにはもっと派手で色っぽくて面白かったように思いました。(こういう言い方すると、猿之助さんは実直じゃないと言うんかい!てなことになりそうだけど)
「小鍛冶」は素晴らしかったです。踊りで、ひとつひとつの動きそのものにドラマを感じさせてくれる人って猿之助さんのほかにいないんじゃないかしら。うまいなあと思う人はいても。皆さんも言っていることですが、ぴんと張り詰めたような雰囲気そのものもとても魅力的でした。
それから「盲目物語」についても少々。予想していたより面白かったんですが、勘太郎君のどこをどうすれば玉三郎さんになるのかわからん??でも勘太郎君、やせてなかなかいい娘役になりましたね。
勘九郎さんはたしかにうまい。うまいんだけども役者のサガというか、ついやりすぎるみたいで、目の見えないしぐさで笑いをとっちゃったりするもんだから、一途にお市の方を思慕する弥一の哀れさがちょっと薄れる様に思ったんですけど・・・。
勘九郎さんと玉三郎さんの合奏がお見事でした。
1997年12月12日 / Shoko.I




9日に行って来たんですけど、その時のことです。1階席2階席は何と六割方が茶髪、金髪、ピアス系のあやしげ若者団体だったんですよ。客席に入るとチョット「オオッ」って感じ。でもまぁウルサイとかいうことはなくって、まァまァの観劇態度でホッとしてたんです。
で、帰りにトイレに行ったら、真っ白とブルーの口紅塗った子が会話してました。
「ねたァ?」
「ウウン、案外ねなかった」
「よかったよねェ」
「ウン、面白かった。私、まん中のが一番良かった」
「ああ、あのおどりみたいのヤツ〜? よかったね〜。アトのも面白かったし」
「あれは分かりやすかったモン。まん中のはよく分かんないんだけど、何かさァ・・・」
「思わず見ちゃうんだよね〜、スゴイよね〜」

この子たち、ちゃ〜んと観てたんですねェ〜。
1997年12月11日 / Naoko.HI




待ちに待った、12月がやって来ましたね。昼の部は行けませんでしたが、初日の2日、会社帰りに『梅ごよみ』を見て参りました。今月の夜の部は、段四郎さんと亀治郎さんが、猿之助一座を離れて出演なさっておられます。亀治郎さんが『梅ごよみ』のお蝶をなっさておられ、玉三郎さんと勘九郎さん扮する深川芸者のなかで、それはそれは初々しく、また芯のしっかりした娘役を演じてらして、さすが亀治郎さん、素晴らしかったです♪♪♪ 12月は、昼夜とも、とても楽しみです。 7日に小鍛冶を拝見する予定です。猿之助さんの『小鍛冶』初めて拝見するので、今からうきうきしています。
1997年12月 5 日 / Takako.M




初日のご報告です。と言ってもあんまりお便り頁向きではないんですけど。
とにかく一本だけだし、しかも「切り」じゃないもんで何だか中途半端といいますか、へんてこな気分でした、何よりも。
でも舞台そのものはとっても良かったんですよ。最初の童児が禿になりゃしないかと、いくらか内心ひそかに心配してた人がいないこともないというようなうわさも無きにしも非ずでしたけど、杞憂でした。
すごくきれいだったし、どこか「この世のものならず」みたいな雰囲気ただよっちゃってたし
それに宗近が勘九郎さんでしょ。あの鎚音の緊迫感が実に、何とも言えずぞくぞくして「ああ役者が揃うっていいなあ」と思いました。
ただ、私、後半の金歯ギラーッはいまいち好きじゃないんです。せっかくあれほどきれいなお顔で、頭もよく似合うのに、どうしてあんなのつけちゃうんだろ、ぶつぶつ...。
「毛抜」については..、そうですねェ、何だか生真面目なおじさんが一生懸命受けないギャグ飛ばしてるみたいで. .。理屈抜きに楽しくなるはずのお芝居なのに、ちょっとまだそこまでにはなれなかったんです。みんな一生懸命やってるのはいいと思うんですけど。もう少し回を重ねると、理屈抜きに楽しい雰囲気がでてくるのかな?
入りもいまいち。これだけ豪華メンバーがそろつた十二月公演だというのにね。やはり世間は不景気なんですねえ...。
1997年12月 4 日 / Kyoko.O




多忙なまま過ぎ去った11月。私は、身も心もあまり良い状態ではありませんでした・・・(ー_ー)
人というものは現金なもんで、12月にあって急に元気になったりして(笑) だって、初日なんだもぉ〜ん♪今日、これからT.Iさんと一緒に歌舞伎座<昼>に行くことになっています。なんなんでしょうねぇ〜。昨日までうだうだしていた自分とは別人のように元気です。(ちょっと左瞼が腫れぼったいんですけど・・・。)なんか落着かないんでメール書いてます(^_^;)
この顔合わせでこの演目この配役・・・発表当初は「なんでやねぇ〜んっ!」と怒っておりましたが、この際なんでもええねん、早よ観せて〜〜!!・・・・・・時の流れというものは人の気持ちをかえるにはもってこいですわね(^^;)
猿之助丈が御出演の<昼>のチケットは2回分手配しておりましたが、昨日、突然会社で仲良くしている方に「ねぇ、12月の歌舞伎座ってまだチケット取れる?」なんて聞かれてこれ幸いに1回追加!をもくろんでおります\(^O^)/止められはしないだろうと分かっていても、一応BENちゃんにお伺いたててみたりして・・・。
この年の瀬に3回・・・自分でも大丈夫なんかな(^_^;と心配になりつつも心はすでに歌舞伎座にむかっているという・・・。な〜んてこったぁい。(立場っちゅもんをわきまえなアカンって、ホンマに(ー_ー; )
白きつね ふところ具合はいとさみし <ゆかぞう心の俳句> それでは、皆様、一足お先に行ってまいりますm(_ _)m
1997年12月 2 日 / Yuka.Y




 はじめてお便りします.愛媛県のNoriko.Tと申します.
11月19日に香川県高松にて義経千本桜・碇知盛,奴道成寺を見させていただきました.歌舞伎の公演は今回でたったの2回目ですが,すっかり魅了されてしまいました.
猿之助さんの舞踊は華があってユーモアたっぷりだったし,右近さんの知盛も迫力満点で素敵でした.本物の芸に接したという感じでしょうか.鳴り物の音も実際に耳にすると美しく,こんなに澄んだ,心に響く音がするのかと感動の連続で,時間があっという間に過ぎてしまいました
愛媛県に住んでいるためなかなか身近に歌舞伎と接する機会がない私にとって地方公演はとても嬉しいことです.高松くらいまでなら車でかけつけます.
来年は龍神伝の大阪公演を見に行く予定にしています. 一つお訊ねしたいのです.21世紀歌舞伎組の後援組織はあるのでしょうか?
今後も猿之助さんと21世紀歌舞伎組を応援していきたいと思っています.翔のみなさんもがんばって下さい.♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
1997年12月 01 日 / Noriko.T




22日の熊本公演報告です。昼の部に行きましたが大盛況でした。一階は満席!二階は自由席のため、開場の一時間以上前から長い列ができていました。
「碇知盛」の時は、開幕後しばらくは遅れて着席する人たちもいたりして、落着かない客席でしたが、
相模五郎の魚づくしのやり取り辺りから大きな笑い声や拍手が上がり出し、笑三郎さんの典侍局には「綺麗ねぇ」の声がそこかしこ。そして右近さんのクライマックスの熱演には、会場全体が息をのんでいるようで、私語一つ聞こえませんでした。
幕が降りた後には大きな拍手がおこり、涙を拭いている人もいて、お客さんは全員とても素直に反応していたように思います。
ただ、とにかくここは地方なので、悲しいかな歌舞伎初体験の観客が多く、拍手のタイミング等がよく分からず、周囲を気にするというか、合わせるというか、そういう不慣れな感じがありました。

さてお待ちかねの「奴道成寺」 、では猿之助さんの登場に大拍手。三面の踊り分けや、坊主頭を毬に見立てたりのくだりにも拍手と笑いが絶えず、長唄の追いまわしの相方でも拍手がわくなど、舞踊に関しては東京と殆ど変わらない反応が返っていたように思います。観客が満足げな顔で、口々に「よかったねえ」だの「美しかなあ」だのと言い合っているのをきいて自分のことのようにうれしかったです。
分かり易いお芝居と華やかな舞踊。とてもバランスがよく、地方では珍しく納得のいく(猿之助さん以外では、このように豪華な演目は持って来れないのでは?)公演だったと思います。
何だかレポーターみたいな文章になってしまいましたが、私が「碇知盛」「奴道成寺」共に目いっぱい楽しんだのはいうまでもありません。

1997年11月 30 日 / Sanae.S



メール集、いつも楽しませて頂いています。地方公演ももう終わりですねェ。
さて、宝塚で大ファンだった人(とても渋い持ち味の人でした)が退団してしまいました。何だかちょっと
興味が失せる感じがしています。どんなに応援していても、30代で結婚して辞める・・・するとそこで終わり、なわけですから。
常に若い時分の華を見せる!というものでもあるのですが・・・。 その点、歌舞伎の世界は、ズーッと見続けていられる・・・というところがいいと思います。そして自分も一緒に成長(?)していくという・・・。
ところで「経営熟」読みました。
やっぱりあの若さは、ピーターパンのような気持ちから来ているのか・・・。笑也さんの「邦楽ジョッキー」を聞いていたら、スゴイこと言ってました!!「うちの師匠がやりたい!って言ってるんだけど、絶対辞めて下さい!と皆で止めているものがあります」って。何でもそれは防火服を着込んでの『火だるま六法』だとか。キャー、かっこいいー。でもあまりに危険すぎます。燃えるのは心だけで充分ですよね。

さて、ちょっと古い話になるのですが、歌舞伎座の1階にある舞台写真コーナー。あれ、初日に撮るのかなァと疑問に思っていたので、八月に行った時、売り場の人に聞いてみたんです。そしたら「たいてい二日目くらいでしょうか。勘九郎さんは注文が多くて実は大変なんですよ」ですって。「七月は随分出るのが遅かったけれど、猿之助さんも同じ頃なんですか?」と聞いたところ「撮影はやはりその位ですが、猿之助さんの場合はいっぱいお持ちしても、気に入らない!というのも多くて、勘九郎さんよりもっとうるさいです(笑笑)」だなんて。何でも聞いて見るものですねェ。でもハネた写真も猿之助さんなら
とってもステキに違いないのに・・・。

そうそう、妙なポスターを見ました。パチンコの新機種だと思うんですけど、名前が「スーパーカブキ」。
衝撃的 !!! パチンコやらないので分からないんですが、どんなのでしょうか。ちょっと気になります。

最後に、先日カルチャースクールで、花組芝居の加納幸和氏の「歯に衣着せぬ歌舞伎講座」というのに参加したのですが、これといって収穫がなく、ちょっとガッカリさせられました。評論家のやる講座よりはましかも、と試しに言ってみたものの、「鳴神」の台本をちょっとした注釈のもとに、只、読みすすめていくという工夫のなさ、つまらなさ。話しが脱線してばかりで、歌右衛門さんが舞台稽古で酸素吸入しながらやっていらしたことなどに及ぶと、皆クスッと、でも申し訳なさそうに笑ったりと、何とも不思議な講座風景でした。
つまらなさに、加納幸和氏には申し訳ないけれど、講座中、図書館で借りた「演者の目」をズーっと読んどりました!この方がよっぽどタメになるわァ・・・と思いながら。演技論ではあるのだけれど人生論として読める箇所もあるし・・・。
特に「碇知盛」の件は、公文協公演で右近さんのを見た後だったので、興味深く読みました。
舞台のみならず、猿之助さんの文章にも、魅了されています。
1997年11月 25 日 / Mami.H



√さて、その次に控ぇえしは、月の兎が姿を変えた、右近の旦那の晴れ姿。
歌舞伎を見る楽しみの一つは、役者の大変身を観ることだ。カグヤの耳助と 知盛が同じ人だとは、普通ならわからないと思う。両方ともコナシテしまうのだから、右近もサスガである。
後半の手負いになってからの知盛はかなりの ものだった。部分的に、猿之助の雰囲気を感じたのは当然として、なぜか松緑流だなと思ったりした。前半の、銀平と白装束の知盛については、ヤヤ物足りなさが残った。演技力ではなく、総合演出というか、芝居全体の組み立てに対する考え方の違いだと思う。小生の個人的な好みと、ちょっと違っていたのだ。
渡海屋の店先の場は、ファンサービスの場だと考える。物語の伏線とか、 役柄の暗示とか、芸術性の高い難しい話は抜きにして、もっと明るく楽しく演ってほしかった。銀平は、若々しく、二枚目半的なところを強調して・・白装束の知盛は、白塗りのお公家様の格好良さと可愛らしさ?を出して。声も無理に低くしないで、張りのある通りの良い地声を使っても良かった。前半と後半の対比をハッキリさせる演出もあるとおもいます。
最後は奴道成寺です。ちっと前の、お便り集で、観客の反応が悪いので 御大がヤケになって足を踏み鳴らしていた、とのことでしたが、足拍子について、少々お話をさせて下さい。
御承知のとおり、道成寺の原典は能曲です。娘道成寺は、さりげなく アチコチに能舞の振りを取り入れているとのことですが、この奴道成寺は最初の部分にハッキリと取り入れた以外は、踊りとしては原典とまったく関係ないものになっています。最初の白拍子の衣装のガラと着付けは完全に能舞です。そして、足拍子を強く踏むところも、そうだと思います。能舞では、足拍子が重要とのことで、音を良くするために、能舞台の下にカメを埋めて、響きを良くしているとのことです。地方の舞台ではそこまで手を掛けているわけはないので、変な音がしたのではないでしょうか?
道成寺と関連した髪長姫伝説について、アノ梅原先生が、解説している 本があります。『海人と天皇』です。文庫本の上下2巻です。奈良時代の歴史に興味のある方は、お読み下さい。
また、この本には、ヤマトタケルの 最初の台本では、タケルに良い台詞がないと、御大が不満をもらしたので相談して書き直したというエピソードも紹介されています。研究論文ではないにしても、やや硬めの本の中に、歌舞伎のことを堂々と書いているのは梅原先生らしいおおらかさと、スーパー歌舞伎や猿之助一座に対する愛情の現れだと思いました。
いろいろと勝手なことを書きましたが、約一ヶ月もの間、毎日、移動して 公演を続けるのは、物凄いことだと感じます。どこかの球団の地獄の秋季キャンプなんぞ・・・でしょう。しかも御大自らの出陣・遠征ですから感心するばかりです。若手の育成にも役立ち、ファンの拡大にもなります。文字どおり、二十一世紀にむかって頑張って頂きたいと願っています。
1997年11月 24 日 / 悉平太郎




たまたま覗いたのがクセ(?)になり、時々遊びに来ているうちに何となく影響されたらしく、昨日八尾に行ってきました。歌舞伎を見るのも、従って猿之助さんを見るのも初体験でしたが、イヤなかなか楽しいものでした。
当日券を求めたところ、ちょっと端ではあったのですが、12列目の席で、階段状の客席のため、邪魔物がなく舞台が見渡せ、実際よりは随分近くの席に座ったような感じがしました。
一本目の「碇知盛」は、最後の場面(碇を身体に巻き付けて入水するところ)になった時、ああ、この図柄はよく絵や何かでみたことがあるぞ!ナルホドこういう物語のクライマックスだったのか?と、少々賢くなった気がしました。右近さんの熱演には、見ているこちらも思わず身体に力が入ってしまうほどで、生の迫力とはこういうものかと、これも体験してみなくては分からないものでした。
笑三郎さんの典侍局も見ごたえありましたね。緊張感が漲っている感じがして、右近さんの迫力とはまた違う種類の迫力を感じました。
そしていよいよ、猿之助さんの踊り、です。
一言でいうなら、びっくりした!!ということになるでしょうか。およそ私が考えていた日本舞踊というものの概念をふっ飛ばすようなモノでした。
シャナリシャナリなんてものではなく、超派手! はじける躍動感! あふれるユーモア、しかも曲芸かと思えるほどの三面替え(?)までが入っている。イヤイヤ客席はおおわきでした。
地方公演は靜かな客席か゛多いようなことを書いていた人もいたようですが、昨夜の客席は随分わいていたようです。1本目が始まる頃は後部に空席がかなりあったのですが、仕事を終えてかけつけたのか、猿之助さんの踊りが始まるころには空席がグンと減っていて、やはり猿之助さん目当ての観客が多いことが分かりました。
このホームページが縁となり、私の人生に一つ思ってもみなかった楽しみが加わった事、感謝します。

1997年11月 18 日 / Yousuke.G



こんにちは。お友達が吹田<夜>を観にいったそうで、その感想をくださいました。お薦めした甲斐があって楽しんでもらえた様子(*⌒-⌒*)嬉しい内容なので、ちょっとご紹介しますね。

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猿之助様を拝見いたしました(^^) もうめっちゃ面白かった! 猿之助様のパワーって、圧倒されます。 希有の本物の舞台人やなあ、と思う事しきり あの早ワザでお面を付け替えるところなんか、息を飲んで観てました。 最後に鐘に乗ってはるところなんか、舞台人としての大輪の花を咲かせておられました(^^)  
「碇知盛」は粗筋を読んでなかったんでわかりにくかったんだけど、観ているうちにわかってきました。(^^;)  わたし、笑三郎さんがいいわあ、と思ったの。 町民のおかみのときは、しっとりした女房らしかったし、お局のときも平家の無念さが伝わってきました。 観念して入水する前の嘆きには、思わずジンときてしもた(^^;)   
右近さんの知盛にも相当リキ入ました(笑) あの役、すごいパワー要るやろうね。 最後の、碇の綱を身体に巻いて海に落ちて行くとこなんか、壮絶でした。  まだまだ歌舞伎ビギナーなんで、見所なんかはまだ心得てませんが、観てるととっても楽しい(^^) 生舞台って、やっぱりええわ〜〜〜(*^-^*)

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歌舞伎を観なれてないから内容がわかるかどうかってのが不安・・・だとおっしゃっていたのですが、筋書きを目でおって観るとセリフを聞き取るということをしづらくなる、今回の巡業の演目は分かりやすいから、あらすじを読まないで観てみて!というアドバイスを素直に受け入れてご覧になったようです。本興行の猿之助歌舞伎も観ていただきたいのだけど、京都に住んでいらっしゃるのでなかなか機会がなくで残念(;_;)地方にお住まいの方にはなおさら機会の少ないことなんですね。年に1回の全国の貴重さを考えてしまいました。
<追伸> お堅い分野の雑誌ですが『月刊・経営塾』の今月号に猿之助さんの記事があるようです。新聞広告に載っていました。私も本屋でチェックしようと思ってます。
1997年11月 18 日 / Yuka.Y



こんにちは。私ごとですが、「古筆」という平安、鎌倉時代にかかれた和歌や絵巻物の見方を先生に教えていただいてます。そこで図らずも、猿之助さんの話題が出たので、ご紹介します。
先生のお祖父さまは田中親美さんとおっしゃるかたで、「古筆」の第一人者でいらっしゃいました。当時、国文学や美術関係等の著名な方がよくおはなしをうかがいにお宅にいらしたそうです。その中に、なんと猿之助さんのお祖父さま、猿翁さんも時々いらしていたそうです。
やはり猿翁さんは猿之助さんのおっしゃるとうり、勉強熱心な方だったのですね。その時、猿翁さんが「孫はえらい役者になる」と、よくおっしゃっていたことを、おじいさん(田中親美)から先生がきいていました。
先生が、「ほんとうにそのとうりになっていますよねー」とおっしゃってました。さすがに猿翁さんは猿之助さんのことを良くわかっていらしたんですね。そのおはなしを聞いてとても嬉しく思いました。
猿翁さん、猿之助さん、田中親美さん、先生という私の尊敬する方々ばかりの不思議なご縁のお話でしたので、とても嬉しく、「古筆」の勉強にますます熱がはいりそうです。
11/3・4で猿之助さんにパワーをいただいたので、12月まで頑張ります。それではまた。
1997年11月 11 日 / Takako.M




笑わないでくださいね。『カグヤ』であのおおきーなお月様を2か月間も見続けていたせいとしか思えないのですが、この頃お月さまを見ると何故か<胸がくるしーくなる>私です。もの悲しくなって、人恋しく、もとい猿恋しくなって涙がこぼれそうになるんです。「あそこにはウサギがすんでるのよネェ」とか「花園の花は今日もよく咲いていたかしら・・・」とか、そんなことを思ってしまう。
まだ引きずってるの?って言われそうですが(皆さんもまだ引きずってますよネ)、『カグヤ』って、しみじみ月を見るとか、風の色を感じるとか、静けさの音を聞くとか・・・、そういう何時の間にかどこかに置き忘れて来てしまったような感覚を、再び取り戻させてくれるお芝居だったような気がしています。
あァ・・恋しいよ〜、猿之助さんが恋しいよ〜。
今日も「右近」のHPを覗いては、巡業スケジュール表を眺めて猿之助さんの居場所を確認。でも私の待つ神戸文化ホールまではまだ2週間近くもある・・・。あァ、長いなあ〜。
ところで幸せごはんさんのおっしゃる通り『残菊物語』の猿之助さん、ホントにステキでしたよね〜。
あの頃からの見続けていらっしゃるファンも多いそうですが、もう言葉にならないほど羨ましいです。
1997年11月 10 日 / Tokiko.S




HPをボーっと見てたら、突然、名指しされてビックリ〜。 YASUKOさん、心臓に悪いですよ〜。こうみえても、私気ィ小さいんだから(^_^;;)
さてさて、そうそう、私も11/3の横須賀芸術劇場、夜の部観てきました。『碇知盛』は、前回右近の会で観たときにはどこからともなく睡魔が襲ってきちゃいましたが、今回は、欧州公演と同じだというテンポアップバージョンだった為か、無事全部観ることができました。ラスト20分あたりが、右近さんの持ち味フルスロットル!でスッゴイ見せ場ですよね。
現在はおもだかやの演出でしかやらないと言われる、背面から全面の飛び込みにほうっ〜と見とれ、彼の『義賢最期』('93年)の〈仏倒れ〉が見事だったのを思い出しました。潔く死んで行く若い武将がなんて似合うんでしょうネ。それを見送る段治郎さんの弁慶が、思い入れをするのにもじ〜んときちゃいました。
ほかは、しっとりした典侍局の笑三郎さん・口跡爽やかな相模五郎の猿弥さんが良かったです。
猿之助丈でも、ぜひ観てみたくなりました。
そして、お待ちかねの『奴道成寺』。もう〜、うれしそうに楽しそうに、バンバンダンダン床を踏みならして踊る丈の姿を観てると、つくづく、こっちもうれしくなっちゃいますね。そして、やはり[娘]じゃなくて、[奴]の方なんだなあってのも思ったです。(もちろんキレイだったけど、なんか今思えば相当、猫(?)を被られてたんですね『娘道成寺』は(^_^;;) 今回の派手で豪快な感じがすっごく良かった。
3種類のお面をつけかえながら瞬間瞬間、振りを変えるあの技はいつもながら、ほんとにホレボレしちゃいます〜。ってとこですね。
劇場はホントに見易くて良かったですよ。私は1階の真ん中よりは後ろの席でしたが、前の人の頭が気にならなかったです。5階まであるオペラハウスなんてのは、はじめてだったし。確かに音響は響いてました。
客層は、結構年齢層が高くて…。地方だと東京の劇場だと行き辛いお年寄りも来やすいからなんでしょうかね?

そして、放送されてからひと月ぐらいたってしまいましたけど、三之助プラス亀治郎くんの『東京フレンドパーク』、とっても面白かったです。最後、景品は〈たわし〉しかとれなかった亀治郎くんだったけど、それまでが伯父さんを彷彿するような一生懸命な八面六ぴの活躍ぶりに、好感度大アップ。ひと味違ってました。(司会の関口さんにも「亀治郎奮闘公演」なんてからかわれてましたね)
また、4人ともリアクションが面白くって、歌舞伎を見ない友達にも、その前の週の某アイドルグループの回より何倍も良かったって言われましたし。

さて、Mami.H さんの書かれてた『残菊物語』。7年ほど前にNHKで放送されたのを観たことがあります。時は明治、芸に未熟な歌舞伎界の御曹司(二世菊之助ですよ。寺島さんや守田さんなんて名前がたくさん出てきます)が、下働きの女性(岡田茉莉子さん)に励まされながら、芸の修行して成長していくって話。(でも、悲恋(;_;) なんですが…)やはり、歌舞伎を見ない年上の友人が、大昔テレビドラマで『鞍馬天狗』をされてたのを観ていて、キリッとしていて良かったよ。って言ってたのが、ピンと来てなかったのが、ああなるほどと思いました。
猿之助を襲名したS38年の作品なので、お若くて、もう、相当カッコいいです。今の俳優さんにはなかなか見られない、育ちの良さそうなキリッとした賢そうな精悍な姿です。その上、役柄が自分の大根役者ぶりにぐれちゃうことも出来ない、イジイジした役で可愛いいんです〜。映画内の劇の場面では『積恋雪関扉』の墨染が可憐です。
こういうのがあって、今の猿之助さんもあるってのがいいですね。 なんだか、また勝手なことばかり、いろいろ書いてたら長くなってしまいましてすみません。この辺で失礼します。
1997年11月 8 日 / 幸せごはん




新宿文化ホールで、巡業観劇は2回目。これから楽しみにされている方々も大勢いらっしゃることと存じますが、まあ・・・きいておくんなまし。
m(_ _)m 1回目は川口で夫婦共々足を運んだお話は先にもこのお手紙コーナーで紹介していただいたとおりでございますが、実は、2人して疑問に思っていたことが1つ、あったのでございます。それは・・・『奴道成寺』の鐘入りで猿之助丈がもっているもの。あれは何だ〜〜?何持ってるの〜〜?と気になっておりました。ああ、いや、ここまで読んで「ばかねぇ〜、あれは・・・」とおっしゃられては話が続きませんので、今しばらく(ー_ー)O なん・なん・なぁに?なぁんだろっ♪(うっ。つい唄ってしまった。)それはひとまず、脇に置いといて・・・と。
川口リリア・ホールの時に、 眼目のクドキがすばらしい〜っと感じ入り、ぶっ返りもすぱーっと決まって気持ちは、わーーーっ(*⌒O⌒*)となっておりましたが、なんかヘン、と思ったのが、その後の踊り。唄でいうと「はぁは、そうじゃいな」のあたりですが、鈴羯鼓(?でよいのでしょうか、あの手にもってかちゃかちゃと腕や床を打っている楽器の名前って。)を使った振付けが、「のり移ってる」感じがしなかったもんで、んん〜〜?とちょっと引っかかるもんがありました。筋書きをみても、特に何も書いていないし、わかんないなぁ・・・。4日(新宿)でも観るし、その時、もう1回しっかり観てみようってことでそれも保留。
さて、4日。自分のなかの疑問点を解決だ〜。とばかりに気合が入って おりました。それが、情けないお話。しょっぱなの聞いたか坊主の前フリですとーんとふに落ちました(笑)な〜んだ、安珍・清姫は関係ないんだ。(そうとも言い切れなかったりして(^_^;)男子禁制の鐘供養ってことはわかっていたけれど、理由まで聞いてなかった私の手落ち。思い込みってのはすごいですね(^-^;)「道成寺」ってきいたら、鐘に恨みは数々ござぁる〜でしょ?最後は絶対、清姫の霊がのり移るもんなんだって思ってたから、わかんなくなっていたのですが、あの手にしてるものは「お宝」なんですね(^_^;はっはっは〜。そうよ、どっかで見たことあるものだなぁ・・・って思ったら、「勧進帳」とかでも献上してるわ。あ〜あ〜、納得(笑)そんなことがYUKA蔵の心の中でありましたとさ、というお話。(「奴道成寺」は初めてだったんだもん・・・。←言い訳。)
最初に疑問が解決してくれたお陰で、肩の力は抜け、楽しませて頂きま した。男とバレるふとした仕種とか・・・1回目で気がつかなかったところもわかって自己満足(*⌒-⌒*)
会場の反応も新鮮でした。客層が、公文協だとだいぶん違いますね。初めて歌舞伎を観るお客さんも多いように思いました。いわゆる見せ場に関係なく、すごいと思ったところで「ほぉぉ・・・!」ってなったり、歌舞伎座だったら、ここで拍手があるなってところで全然なかったり (笑)なにが可笑しかったって、猿之助さんがムキになってるところです。さっき私が気になってた・・・っていってたところで、これでもかっこれでもかっ!ってくらい激しくかちゃかちゃ打ってて、なのに歌舞技の反応の仕方が分からない客席からは拍手がこない(^-^;)結局、そのまま鐘入り(笑)私も長唄のリズムにのってしまってたので、拍手がこないなぁ〜って人事のようにのんびりしておりました。ごめんね、猿サマ。さあ、これで私の巡業話はおしまい。あとは各地の皆さまの報告を楽しみにしておりますので、どうぞよろしく!
1997年11月 6 日 / Yuka.Y




劇場フェチとなったわたくし・・・?まずは、劇場チェーック!!から。ここは、今回私が訪れた中で一番「覚悟を決めた」劇場だと思いました。横須賀芸術劇場が、ちょっとバブルで浮かれちゃって、「すかしたもん造ってみました!という雰囲気(←あくまでも私の印象)だとすれば、府中の森芸術劇場は、使用者と来訪者に誠実な劇場と言えるかも。
今日真っ先に嬉しかったのは、『本日売り切れ』の、張り紙を見た瞬間ですね。(ここのどりーむホールは2,027席!)まあ、それまでも他の劇場で当日券が出てたと言っても、売れ残りの券というより、後方の1〜2列が(一階席の場合)空いてたのでたぶん、座席表を見て良い席が残ってないわ〜と、購入を控えた人もいたのでは・・・と推察するのですが。歌舞伎座と違って巡業で使うホールは客席の傾斜の角度が大きいので、最後方でも大丈夫です。
ここは、飲食物の販売店の売り子さんも、黒い蝶タイに、黒のエプロン、白いシャツ!と可愛いユニホーム。車椅子用のトイレ、専用リフト、客席の通路の幅と行き届いてました。 (他の劇場だと、いざ車椅子で来たものの客席間が狭く、移動できなかったりするじゃないですか。専用トイレまでは、造る所あるかもしれないけど、どうせやるなら、ここまで気を遣って欲しいね)というわけで、私はこの府中が、劇場としてはいちばん気に入っています。観劇するまえに、優しい和んだ気持ちになれる劇場です。

笑三郎さんが、いつ局になるか・・・「銀平どの〜」と呼びかけた後、一度子役の方を向いて、そしてまた障子の方に向き直った時かしら。最初の頃は、障子が開いて<知盛>の姿を見た瞬間かなと、思っていたのですが。なんか、三さん最近肝が据わってきたと思いません?この芝居の責任者!ってカンジがする。猿之助さんが軽井沢セミナーで、「笑三郎は、まだ若いので(実年齢以上の役が付くので)たっぷり芝居をしてしまう。」とおっしゃってました。
でも今回は、「たっぷり演ってますよーっ!感」はなくとも、情感はしっかり出ていて良かったです。
私は、右近さん、銀平の方が良かったな〜。知盛は、スプラッター状態(!?)になって花道から出てきた後から、すこし台詞が聞きづらいことがあった。まあ、精根使い果たし、血まみれで死にそーなんだからもつれても?仕方ない?けど・・・って、それじゃあリアルの芝居だー。
立派に演ろうとし過ぎちゃったのかなと、思ってしまいました。それ以前の舞を納めるところまでは、キマルところは綺麗にきまって凄く良かったのに!YUKAちゃんの「段ちゃんおいしいとこ持ってくよねー」には、大納得!!さんざん、みんなが芝居したあと、それはないだろう!!っていうくらい、おいしすぎるー!!私も、ほら貝ふきたいよっ!!!知盛が海に沈んだあと、皆で一礼するところや、まったくの静けさの中に、ほら貝の音色が響き渡るという美意識が好きだな〜。そして、最後のツケが、鮮やかに物語の終焉を飾っています。
奴道成寺」の不満は、最初の引き抜きが、いまみっつ!だったこと。踊りが良ければそんな事、どうでもいいじゃないの!という向きもあるかもしれませんが、この会場の観客は、こういう所にとっても素直に驚嘆してくれていたので、これが、もっと綺麗にきまっていれば、もっと凄いどよめき(?)を引き出せたのにー。(それでも充分どよめいていたけど)でも可愛いんですよ、最後、鐘に昇った後、ご近所の席の人達ったら「あら、まだ着替えるの?」って!!これって、楽しい綺麗な踊りだったのね。今日強く実感しました。
外はもう、かなりの冷気を帯びた季節だけど、舞台上には美しい桜と、艶やかな、猿之助さん!!幸せな5日間(結局8観劇!)でした。
1997年11月 6 日 / Yasuko.W




「おおぉぉぉー!!」客席への扉をあけた瞬間、思わず見得をきってしまいましたね。
<バァ−ッタリ!>というのは嘘ですが、茅ヶ崎川口まではぼーっとしていた私も、ここで一気に目が覚めました、横須賀芸術劇場。ギリシャ神殿どころか、ルクソール神殿の大列柱も真っ青!!といった(!?)プロトドーリック式の円柱が、舞台両脇を一階席から五階席を貫いて天井までどぉ〜んとそそり立ち、客席も正面ブロックは、一・二階を連続させた階段状。二階席の上手・下手から三・四・五階席は欧米のオペラハウス仕様のバルコニー席。こういうスタイルの劇場で歌舞伎を観たのは、国内では初めてだったので、新鮮でした。
海外公演バージョンの碇知盛には、ピッタリ?すでに見慣れた大道具も、なんだかより美しく感じるではありませんか。前列五列目最上手に座っていたので、役者の台詞はオペラのごとく響き渡るし・・・というか私の許を通り抜け、立ち昇っていくという感じ。(いつもは、ぶつけられそう!なカンジの猿弥ちゃんの台詞も朗々と歌うように聞こえました。)三味線の音は凄い勢いではね返ってきましたね。鼓や太鼓は、ぽ〜んと行ったきりなのに、私の席だと何故か三味線は返ってくるのだ。
本来なら、芝居そのものをちゃんと観なくちゃいけないんだろうけど、ホール自体が気になっちゃって、幕間に、三・四・五階とそれぞれのバルコニーから全体を眺めました。
ここは、面白そうよー! 猿之助海外公演の雰囲気がちょっぴり味わえます。
ただ同じように流線形の客席・バルコニーを造ってみても、欧州の場合建築物そのものに多用されるのは石、日本はコンクリート。天使の彫刻も?ラファエロの名画も(当ったり前だよーっ)ないわね。でもでも、ここオススメです。少々遠くても、次回チャンスがあったら是非、行ってみて!どこの席でも興味深い観劇が楽しめると思います。座席表だけ見ると後方に思える席でも、実際は何処の階のどの席でもオッケーです。
ところで肝心の舞台はどうだったんでしょうって?たぶん劇場でお会いした、洞察力のスルドイ<幸せごはん>さんあたりが、投稿して下さるんじゃないかしら。いや、して頂きたいです!!この場を借りて、お願い申し上げます。
1997年11月 3 日 / Yasuko.W




川口リリアに行って参りました。それにしても「カグヤ」の楽から一週間も経たないというのに…。なんというタイトなスケジュール!!
日程表を日々眺め、どうぞご無事で最後までー♪ と祈らずにはいられません。
…… 内容は、ご覧になってのお楽しみ〜ということで。 でもプロク゜ラムの表紙を何故に白拍子姿になさったか…?ということがちょっと残念。(ごめんなさい)
「奴道成寺」でのあざやかさ! 大変見ごたえがありました。寿猿さんのいぶし銀のごとき後見ぶりも、拍手!拍手!!
「碇知盛」の方は、いーい場面で寝息をたてている男性あり。頭どついたろか!!喋っているカップルにも、ケリこそお見舞いしませんでしたがムーッ。地方公演は隣近所の観客に恵まれることも大切なポイントと言えましょう。
11月。歌舞伎座では顔見世で八十助さんの「奴道成寺」が出ています。が、私の<心>は猿之助軍団と共に旅します。あー、身体が東京なのが辛いけど、仕事にも一応いかねば…。
1997年11月 2日 / Mami.H




川口総合文化センター<昼の部>に行ってきました。
YUKA「右近さんの知盛ってなんか軽かったわぁ・・・(・_・)台詞にあんまり重みがなくって期待してただけにちょっとがっかり。」
BEN「でも貫禄いうのは年輪やからね、演技以前の問題や。」
YUKA「そりゃそうやけどぉ。銀平は右近の会で観た時よりも線が太い感じになっててよかったと思うな。あと、入水自殺のところ!碇の持ち上げるとこあたりから感じ出てたやん?」
BEN「あの場面は一番おいしいところやからね。そりゃ、力入るわ。」
YUKA「実は、弁慶の方がおいしかったりして(笑)」
BEN「ほら貝弁慶はそれこそ“ごちそう”やからね。段治郎には勿体無い。」
YUKA「やっ!ひど〜!段治郎くんも頑張ってんのにっ。(フォローしてみたりして(^_^;)話は海外用のショートバージョンやったけど、観やすかったわ。お柳の亭主自慢話って結構辛くない?あれが短いのは正直いって嬉しい(^-^;)」
BEN「ツボは押さえてたしね。」
YUKA「そういえば・・・BENちゃん、猿之助さん観るのって7月以来?」
BEN「そやなぁ〜。あ、違う!造形大以来や。」
YUKA「(誰が素のこと聞いてるんよ(ー_ーメ)舞台のことやっちゅーねんっ。)・・・道成寺嫌いのBENちゃんにしてはマジメに観てたんとちゃう?」
BEN「いつも寝ててYUKA蔵にバカにされるからなぁ(笑)」
YUKA「終演後に『所化の右から○番目の人って誰?うまいやん!』って聞いてきたからビックリしたわ、起きとったんか〜って(笑)」
BEN「踊りもわかる男にならんとな。」
YUKA「じゃあ、先生。いかがでしたか?『奴道成寺』は。」
BEN「うーん・・・(しばしの沈黙・・・)あんなもんなんじゃないですか?」
YUKA「そんなん感想になってないーっ!アンタに舞踊の感想求める方が間違いやったわ。(反省のYUKA蔵)」
BEN「舞いづくしがなかったね。」
YUKA「(・o・)舞いづくしですか。(こいつ・・・娘道成寺はここしか観てへんな・・・?)ほらもっということあるでしょ。三つ面で見せてくれるとことかっ。」←眼目のクドキというらしいことをパンフレットで知りました。(スイマセン。私も素人なんで。)
BEN「面の早替えはなかなか大変やなぁ。くわえるアゴも疲れるし。」
YUKA「(もうエエわ・・・)やっぱり自信あるんやろうなぁ・・・立役も女方も素でやってるのと同じ様なもんやもん、アレって。お面って表情ないし、体で見せようと思ったら、相当やで。」
BEN「おっ。舞踊評論家・YUKA蔵が語る!その割には造形大で踊ってたの見てたらめっちゃ下手やった」

YUKA「(むっ。いらんこと言うヤツっ。)BENちゃんはそう思わんかったん?!なんてことなしにひょうひょうと踊ってはったやんっ。」
BEN「うーん。最後の三つのお面持った決めのポーズは『俺が猿之助様だぁぁ!』って感じで威張ってたなぁ。」←パンフに写真、載ってます。
YUKA「(また、そんな言い方する・・・(ー_ー;)あー、まぁそうそう。『1人で3役やってたんだよ〜〜』ってポーズでしたわね。」
BEN「BEN之助としてはやっぱり、猿之助さんには台詞のあるのをやって欲しいわ。」
YUKA「観てるだけの舞踊は寝てしまいそうになるんやろ?(結局、そうなんやん・・・)残念やなぁ〜。12月も『小鍛冶』だけやし、『春秋会』までお預けやね。」
BEN「段四郎さんで我慢するわ。」←『毛抜』が好きらしい。 詳しい感想は『YUKA蔵の歌舞伎大好き!』を見てね♪これから観る予定の人は観てから覗いてみる方がいいかも。や〜〜〜っまた宣伝かいっ!(スイマセン・・・)
1997年11月 2日 / BEN&YUKA




はじめまして。東京23区という立地条件を生かし、演劇やライブを見まくっている、そのために働いているようなOLです。東京というところは、大ホール、小劇場、コンサートホール、ライブハウスと何でもあるところ…眠らない街なのですが、それゆえにコレ!というものに巡り合うのが大変というか。
演劇はお下劣なものを除いて色々行きますが、日本ものに親しんだキッカケが宝塚なんです。日常の世界から離れて夢をみる時間を過ごすために劇場に行く私にとっては、男女の俳優が共演してリアルにやる演劇世界より、女性が工夫して演ずる男役、また実際より女らしくみせる女役の魅力とともに、和洋何でもありのドラマ…、ナマっぽくない舞台のよさが心地よかったのです。
世の中全体が、どうしても西洋志向の強い昨今、日本の物(演劇、音楽、ファッションetc)に目覚めることなく一生を送る人も多いでしょう。ところが宝塚で舞台化された「忠臣蔵」や「雪之丞変化」に何故か惹かれ、いつか歌舞伎を見てみたいと思いはじめたものの、どーも敷居が高くって。
「歌舞伎とは老優が延々と眠い芝居をやるもの」「有閑マダムしか見ることができない!」「古典芸能だから変えちゃいけないんだ」なんて思い込みが私にはありました。友達などもみんなこんな考えです。ところが猿さまの公演月の、若い人の多いこと!びっくりしました。歌舞伎がこんなにワクワクするものだったなんて。

生まれて初めて歌舞伎座に踏み入った(覚悟のもとに)のが、昨年の八月。勘九郎・八十助さんの「こりこりばなし」でした。夏は動員を増やすためか、お気楽なものをやってるんだなーというのが素直な感想でしたが、三味線の音色に強く惹かれた自分に驚き、これだけの男性が真剣にやっている歌舞伎というものを、もっといろいろ見てみたいなあと思ったのです。
それからは会社帰りに歌舞伎座の幕見席に通ったり、解説本を漁ったり…。そうこうしているうちに、偉大な伝統を守って梨園の御曹司たちが頑張ってるのは分かるけど、なんか心にいまいち響かないなァーと、消化不良になっている自分に気付いたんです。それで以前から気になっている猿之助という人を見てみたいなと思うようになりました。当時の私の知識と言えば「スーパー歌舞伎」と「反骨の人」というニつだけ。それもただの本の受け売りでした。
十月の国立「四天王楓江戸粧」で初めて猿さまの舞台を見た時の衝撃ったら!!ただただグイグイ惹き付けられ、何にも知らなかった私でしたが、「この人には凄いカリスマ性がある!」と思いました。
特に右近さんの坂田金時と共に踊られた山姥が忘れられませんでした。慈愛あふれる…というか。
それまでは地味で退屈で…なんて思い込んでいた日本舞踊でしたが、人生の悲哀をこんなにも滲ませることの出来る奥深いものだったとは…と驚きました。それと、おばあさんになってもこんなにカッコイイんだから、二枚目をやったらどんなにスゴイんだろう。この人のもっと色々な演目を見てみたい!と。
一度ハマると、どんどん深入りしたくなるのが常な私は、「食わず嫌いだった歌舞伎にやっとたどりついたのだから、挽回すべく(出来るわけありませんが)頑張ろう!」「猿さま一門がやるものは何でも見てやろう!」と、自分で勝手に目標を決めて今日まできました。(大袈裟な…)
まだ一年とちょっとにしかなりませんが、猿さまの創り出す<今を生きる歌舞伎>を見て、しっかり生きている(生きようとしている)一人として、同じ時間を共有できたことを嬉しく思っています。出来るものならば、猿さま20代の頃まで溯り、全て見てみたいところですが、そうもいかないし、眠る前に「市川猿之助の仕事」(演劇界増刊)を眺め、我慢しましょう。

先日、松竹大谷図書館で、「残菊物語」のセピア色のスチール写真( 端っこが欠けてました)を見て、とても感激しました。お若い頃は映画でもご活躍されていたのですね。写真はセピア色だったけれど、透明感のある方、という印象を持ちました。
「翔」の中の「猿様恋狂輪集会」じゃないけれど、私も、熱いハートの猿さま、そして一門のファンになったからには、「どうしてこの人たちが歌舞伎をやり続けているのか?何がこんなに夢中にさせるのか?伝統とは?新しい時代の風邪とは?」とか、またこれだけ多くの方々がひしめく歌舞伎界で、「どうして猿さまに強く惹かれるのか?」という答えを見つけるためにも、誰の歌舞伎、どんな歌舞伎というようなことにこだわらず、ひろく見続けて行きたいと思っています。

それにしても猿さまの舞台を見た時はいつも「心洗われた、明日から頑張ろう」と思っても、仕事に行ったら、つまらない事で人を嫉んだり、落とし入れられたり…などあるもんだから、なかなか人間としてのランクが上がりません。(悲しい)
日頃コンピュターとばかり向き合っているので、心のひだにしみるような舞台に触れると、涙が止まりません。「カグヤ」が正にそういう舞台でした。
1997年10月30日 / Mami.H




初めてお便りさせて頂きます。私は笑也さんのファンクラブに所属するものです。ファンクラブ内での情報交換でこのホームページを知ってから、ほぼ毎日チェックさせて頂いています。みなさんのお便り読ませて頂きながら、こんな新参者がいきなりお便りしてよいものかと思っていましたが、『カグヤ』の千秋楽に行ってきた為、これを機会に思い切ってお便りすることにしました。
さて、前置きが長くなりましたが、千秋楽も客席まるごと涙と拍手の渦でしたねえ。私はこの日が、今回の公演を観るのが初めてだったのですが、松竹座は噂に聞いて想像していた以上にこじんまりとした劇場で、一階の後ろの方にいた私は、遅れて入るお客さんが気になったせいもあってか、はじめのうちは現実の世界から抜けきることがなかなかできませんでした。
またこの日が初めてだった私には、どうも猿十郎さんの千秋楽用と思えるノリにちょっとついて行けませんでした。(客席には受けていましたが)
ですが、帝とかぐやの出会いのあたりからグングン舞台に引き込まれ、大好きな第一幕の幕切れを迎えることができました。そのあとの2幕目、3幕目は言わずもがなです。
最後の雲の上のシーンからラストまでは絶品ですよね。ここまでの印象がシンプルなので、一気に盛り上がるというか・・・やはり笑也ファンの一押しは、羽衣をまとった時の無心なれど無心ではないあの表情と、帝に呼び止められて立ち止まり、また歩き出すあのタイミングです。もう涙がゴーってあふれだします。
私は初演時、あの雲の上のシーンでなんともわかりにくかったのが、「二人の過ごした時間は、鳥の羽ばたきよりも短く、星の流れるよりも永かった・・・」みたいなセリフでした。このセリフの意味が???って感じだったのですが、今回はそれが無くなっていましたので(多分・・・、それとも、ありました?)、すっきりし、またその分よく泣けました。はい。
カーテンコールは演舞場と同じく3回。割れんばかりの拍手とスタンディングオベーションの中、猿之助さんは先ず日輪の女神姿で登場。笑也さんが龍の玉を撫でて祈ると(会いたい人にあえるおまじない)、帝に早替わりした猿之助さんがスッポンからセリ上がり、こんどは猿之助さんが龍の玉を撫でて祈ると、演舞場では作者横内さんが登場しましたが、今回は「来年9月10月『ヤマトタケル』上演決定!」の垂れ幕が!!客席はいやが上にも盛り上がり、猿之助さんはそれを見て「龍の玉を撫でて祈って、来年またお会いしましょう。」と、お茶目にジェスチャーでおしゃってました。
夜行バスで行ったにもかかわらず(ほとんど眠れなかった!)、目はギンギン、全く飽きさせない、素晴らし舞台でした。ありがとう、猿之助さん!! ありがとう、みなさん!!

追記:笑也さんのファンになった方。一緒に笑也さんを応援しましょう。笑也ファンクラブの会誌は特にいろいろやっていておもしろいですよ。
1997年10日 29日 / Futae .H



大阪初のスーパー歌舞伎公演の結果は、大、大成功だったと思います。
初演の舞台を観た男性から「甘ったるくてクサイ芝居だよ」と聞かされていたけれど、何しろ初公演なんだからと出かけた女性が大感動して報告。???と再観劇した先の男性も「同じ芝居とは思えない・・・」とびっくりしたって話しを幕間のロビーで小耳にはさみました。
それはもうホントにその通りで、HPをのぞいてもみんなが言ってるし、私自身も当初の予定9月1回、10月1回が、終わってみると合計8回に(ウン?待てよ、9回だったかな?)になっていたほど好舞台に変身してたんです。
猿之助さんの舞台創りはいつだって上演ごとに練り上げられていくってことは、ファンならよーっく知っていることですが、『カグヤ』においては、『オグリ』の再演時の変身ぶりに以上にそれが顕著だったような気がします。物語の基本的な部分はどこも大して変わっていないと思うのに(たぶん?)どうしてあんなに舞台の印象って変わるものなんでしょうね。ほんと、舞台って不思議でおもしろい・・・。
ところでこの『カグヤ』公演には、舞台上のドラマの他にもう一つ劇的な現象があったのですよ。それは客席のドラマチックなまでの変貌ぶりです。
9月初めの開幕当初は、日によっては2、3階に空席のある日があって、スーパー歌舞伎の客席は超満杯で当り前と思い込んでいたファンにとっては(猿之助さん以下役者さんたちには尚更だったと思うけど)、ウッソー!?なんでー!?って感じだったんです。
でも、そう言えば、松竹座は開場当初こそ満杯だったけど、八月も 客席はかなり空いていたし、同じ九月公演の南座も、勘九郎さんや鴈治郎さんの熱演にも拘わらず空いているし・・・。ということは、やっぱり関西には未だに歌舞伎人口が絶対的に少ないのだということなのです。
一時は全く火が消えたみたいになっていた関西に(南座の顔見世は続いていたけれど、あれは歌舞伎ファンが支えているというより、観光行事、接待行事みたいな面もあるので、あまり参考にはなりません)、毎年猿之助さんが来て下さり、また松下電気の労組有志が中心になった「関西で歌舞伎を育てる会」(現在は「歌舞伎を愛する会」)が、これも毎年頑張って、孝夫さんや勘九郎さんを中心にした歌舞伎公演を打ち続けた結果、また数年前の歌舞伎ブームのおかげもあって、徐々に歌舞伎ファンが戻って来はしたのですが、それでもせいぜい延べにして2ケ月、よくても3ケ月間劇場を埋められれるかどうか程度の数でしかありません。
それが松竹座の開場で、3月からズーッと歌舞伎やってるんだから(6月は「西太后」でしたが)、もうみんな歌舞伎疲れと観劇資金カラっけつ!という状況。そこへやってきた『カグヤ』公演だったのです。しかも大阪の人たちはまだスーパー歌舞伎の面白さを全く知らない!!
けれど日に日に、人が人を呼んで、評判が評判を呼んで、10月に入ると客席は一変!
とくに10日過ぎからは、エエーッ、こんなとこにまでェー!?というところにまで連日昼夜ともに補助席がビシーッ!!最後の数日はついに2階も3階も、階段という階段、通路という通路に立ち見の人たちがあふれかえる状況にまでなったのです。
当日券売り場をのぞいたら「友達に是非見るようにすすめられたんで」 とか、「もう一度2階から見たいので」とか、「娘にも見せてやりたい」とか、「三幕だけでも見せてほしい」とか、それはもう是非見たい、本当に見たい、という人たちでごった返していました。
そして当初は猿之助さんも「何だか靜かな客席だねェ・・・、受けてるのか、受けてないのか・・・」なんておっしゃっていたらしい客席が、千秋楽は1階2階3階全てにダイナミックなスタンディングオベイションがおきて、客席は拍手と歓声のルツボと化しました。
ホントに大阪ってそういうところなんです。いい!となったらクチコミのすごさ、速さは天下一品。そしてまた、「よかった!」「ありがとう!」をストレートに表現せずにはいられないというのも大阪人の性。
気が早いといわれそうだけど、いまから来年『ヤマトタケル』のチケット争奪戦が思いやられます。
1997年10日 27日 / Miyako.K



おひさしぶりで〜す。(京都造形大の感想以来です)
さてさて、私も、10月7日に『カグヤ』観てきました。ここのHPでも、先に観たどの友達も誉めた意見ばかりでしたので、とっても期待してたのを、少しも裏切ることなく胸いっぱいの感動で、帰りの夜行バスで大阪を後にできました。
どこを、どう変えたかってってのは、あまりわかりませんでした。三郎と織江の〈恋の花〉が咲いたってのが、なくなってたのくらいっきゃ。なお一層、横内さんの、日本語ならではの耳触りのよいキラキラしたセリフに磨きがかかって、ウットリしてしまいました。
舞台装置関係では、立体化した龍がちょっと小さくて、蛇っぽく見えちゃったのとか、帝が閉じこめられた光の檻がまぶしすぎて、前のが良かったかな〜と。
配役では、猿也くんならではの車持皇子が代わってたのがちょっと淋しかったかな。ああいう、阿呆なのに品があるってのは彼の真骨頂なんですもん。皆さんおっしゃるように、段四郎さんの藤原真人は、大きさがグー。段治郎さんの三郎も、良かったです。信二郎さんも素敵だったけど、もっと良かった。彼は、一門の若手の誰の横に来ても似合いますねえ〜。
幕が開いてすぐの頃のカグヤって、こんなにヤな女だったけ〜って、思っちゃいました(^◇^;;) 帝と出会ってから、どんどん可愛らしく、また人格的にも成長していったようにみえたのは良かったけど、かえって、帝は素晴らしすぎる人でつまらないかも。もう一つのキャラクターの、日輪の女神の方がイキイキしてて好きです。月の帝から贈られた金のガウンをバッと羽織るところなんて、すんごくワクワクしちゃいました。(SHOKOさんと同じくわたしも、あそこの場面がイチバン好きです。おお〜!って感じがなんだかカタルシス〜、ヘンですかね〜?)
猿之助さん自身も、なんとも楽しんで演じてるようにみえるし。丈のああいう、悪婆系の女性ってとっても包容力のあるイイ女で、大好きです。ま、セリフがおかしかったり、登場人物の性格に一貫性がないかもしれないし、話しの底も浅いかもしれません。KAYANOさんや、SHOKOさんの意見も同感するところたくさんあります。でも、わたしは、観てる間その世界にひたれて、見終わった後幸せな気分で帰ることさえできれば、オッケーです。『オオクニヌシ』があまりにもブーだったから、基準が甘くなってっるのかもしれませんが…(^_^;;) 来年、六年ぶりの『オグリ』は、いやがうえにも期待が高まりますねえ〜。以上、わたしの勝手な意見でした。
1997年10月18日 / 幸せごはん 




いつも楽しく遊ばせて(?)もらっています。人のを読んでニタニタしてるだけじゃなく、たまには私も書こうかな・・・と。
今日久しぶりに(9月24日以来)行ったら、昼夜ともギューギューの満杯!でした。10月に入って日毎に客足が伸びてるんだって。1時間早めに行って当日券売り場に行ったら、次々当日買いの人が来て、窓口の女性が話してました。
「だんだん2度、3度って方が増えてますからねェ」 だって。うれしいですね。誇らしいですね。
そのあと時間があったので、ポケーっと楽屋口が見えるあたりに立つともなく立っていたら10時5分くらいに歌六さん、すぐ続いて猿十郎さんがいらして、楽屋口を通り越してすぐ目の前の牛丼屋さんに、いかにも常連(?)ぽく入って行かれました。
因みにここのメニューは牛丼大盛りが530円、グルメ定食が650円、納豆定食350円、焼き魚定食430円てな感じです。さすが庶民的な道頓堀界隈ですねェ。
そのあと颯爽とした空丸を見た訳だけど、「きっと朝食だから、納豆か焼き魚か・・・」なんてことが頭をカスメて、ちょっといけませんでした。
舞台? もちろん最高によかったです。ただやはり、クライマックスにテーマを繰り返す、あのクドサさがなければもっといいのになぁ・・・と個人的には思ってるんですが。 では今日はこの辺で。ショーモないご報告でスンマセン!!
1997年10月18日 / Youko.K




帰りの新幹線の中でおもわず涙してしまいました。また、11月も12月もあるのに、劇場を後にするたびもの凄い寂寥感が襲ってくるのは何故?・・・という感傷はひとまず置いて、観劇リポート!
15日<昼の部>さすがの猿之助さんも、ノリきれない時があるのね〜と、ちょっとびっくり。自動的(?)に台詞を喋ってる猿之助さんというのを、初めて見たような気がする。これは、一緒に観ていた数人の知人も、「なんだか、今日はさっぱりしてるね。」と言っていたので私の個人的な感想だけではないと思います。9月に5連続観劇をした時は、昼夜こんなに全力投球で、どうやって集中力と精神力を持続させるのだろうと、感嘆したのですが。でも、二幕目くらいから、いつもの猿さまになってきました。
<夜の部>昼とうってかわって(!?)猿さまはじめ、素晴らしい熱演でした。これは、2〜3日おきにカグヤを観てる!!という大坂のコも、今夜はいつもにも増して凄いと絶賛してました。昼でいちど、クライマックスで盛り上がって、また最初から演じるのだから、夜のほうが、気持ちのもっていき方が難しいのではなんて思っていたのですが。泣いてましたね〜みんな・・・この日は昼夜とも、最前列にいたので、錯覚じゃないと思うし、他のコ達も言っていたけど、役者さんも泣いていたような気がするんですけど。
私は、スーパー歌舞伎の時はいつも、主人公(今回なら帝)の台詞なのか猿之助さん自身の(実人生の)台詞なのか交錯してしまって切なさがより倍増されて、涙がこぼれてしまいます。
16日<昼の部>あっとびっくり蓬莱の玉!!一個だけ枝から はずれてトントンと跳ねてころがりながらそのままいくと客席にというところで吉弥さんが、ナイスキャッチ!笑也さんも、すかざずアドリブで、「どうして玉が、跳ねるのじゃ」と。(あれって跳ねるものだったのね。そうよね、弾力のある素材を使わないと落とす度に粉々になってしまう)猿十郎さんもそれを受けて、いつもの台詞のあとに、「玉も跳ねれば、私も跳ねる」とかなんとか言いながら跳んで!ました。初めて観た人は、もともとこういう演出かと思うようなナイスフォロー。
それにしても、この日も、どうしちゃったのというくらいの大熱演。まさか、猿さまへのお手紙に、『昨日の一幕目は、いつもの熱風が吹いてこなかった』なんて、書いたからじゃないよね〜!?
それと宙乗りの時、じーっとこちらを見てくださったの!!(あ−シアワセ!(な、勘違い!?だとしても、世界で一番幸せな勘違いよっ)
どの、シーンも素敵だけど、凄くいいなと思っているのは、竹取の屋敷で、竜の玉が光を発し、帝カグヤ・耳彦織衣と入り乱れるところ。これからの物語の展開を予感させるような、それぞれの揺らぎが感じられて。
カグヤは、また音楽がいいですよね。ステージとストーリーがシンプルな分音楽が際立ちますね。このシーンは特に、もう、この旋律しかない!というメロディ−を奏でている。
カグヤが去ったあと、(一応)雄々しく、人生を決意しちゃったりするじゃないですか。でも、帝ってどこか無防備な感じがするんですよ。なんか、抱きしめてあげたいような気持ちになりませんか?そこが、猿之助さん自身とダブって見えてしまう。猿之助さんって、私たちとは全然別の精神世界に棲んでいるような、手の届かない高みにいらっしゃるような方なのに、どこか無防備な感じが露呈していて母性本能(?)をくすぐられませんか。だから、あんなに多くの女性を熱狂させるのではないかしら。(きゃ−っ!不遜だったらゴメンナサイ)
その反面、観劇中は、猿之助さんに、熱く抱擁されている気がするの。身も(?)心も、しっかり掴まれているような・・・舞台が終わるたびに淋しくなるのは、その心地よい腕から解き放されなにかしら、見捨てられたような気持ちになるから・・・そして、また抱きしめてほしくて、通ってしまうのですね〜。(でも、私は今回で最後です。千秋楽情報お待ちしてます。)
1997年10月17日 / Yasuko.W
 




 わざわざ大阪まで行くほどじゃない、とパスするつもりだった「カグヤ」でしたが、結局行ってきちゃいました。結論から言うと、やっぱり行ってよかったみたい。皆さんの言われるように、大筋はどこも変わらないのにちょっと余計な枝葉を落として整理し直しただけでずいぶん印象が変わるものですね。そういうところもスーパー歌舞伎を見る楽しみの一つじゃないでしょうか。初演の時からどんどん練り上げられていく過程を見られるってことが。 
でもね、どうせだったら今度はこんなところも直してほしいな、と思うことも多々ありますね。それは脚本の責任だと思うんだけど、
ちょっといい加減、ちょっと雑なところが目に付きます。 古典ファンの(平成に江戸を求める無謀な?)私としては、古典の場合なら趣向ってことで荒唐無稽さを楽しめるんだけど、新劇風にリアルな演技をするスーパー歌舞伎だとどうも引っ掛かっちゃっていまいちのめり込めないところがあるんです。 
その一つが言葉づかい。。「お寂しゅうはあられませぬか」なんて、カグヤは人間界では、竹取の翁の拾われっ子で、お姫様じゃないでしょう。それが、織衣がカグヤの「侍女だったり、こんな曲がりくねった変な敬語つかったり、ちょっとお姫さま扱いし過ぎなんじゃないかしら。芝居の中でも「山里の娘」って言ってるんだし。だいいちこの科白、響きが悪いですよ。
「したが」という言葉がやたら出てきましたが、侍言葉風の「かたじけない」もそうですが、特定の人に使わせてそれでキャラクターを描き分けるんならいいけど、老若男女誰も彼も使うとおかしい様な気がしました。全体にちょっと科白が雑な印象を受けるんです。 
三郎役が笑三郎さんより大きい段治郎さんに変わって、カップルとしての相性は良くなりましたね。でも、初演の時も思ったんですが、あの二人の死に方がちょっと物足りない。せっかく織衣が目まで潰した割に、二人ともつまらない斬られ方で死ぬでしょ。科白も、も一つインパクトがないし。より壮絶、よりドラマチックに死んだら、あの二人の恋がもっと生き、帝とカグヤの恋との対比が際立ってこの芝居のテーマがもっと明確になるように思いました。 
笑也さんは確かに古典と違ってスーパー歌舞伎ならはまってるんですけどねー。形の悪さで、せっかくのお顔のきれいさがつや消しって所が目につくのが残念。特に「胸が苦しい」とか言って、耳彦に抱えられて上手に引っ込むところ。スーパー歌舞伎でも女形は女形。もっときれいに体を殺してほしいです。 
よかったのはKANOKOさんも言ってらしたように、真人役の段四郎さん。初演の時の弥十郎さんは大した悪役にも見えなかったのが、段四郎さんのように敵振りが大きいと芝居全体が引き締まりますね。それから猿之助さんの帝はもちろんきれいですが、私はあの日輪の女神が好きなんです。ツキヒトからド派手な衣装をもらって喜ぶところ、猿之助さんならではのなんともいえない愛嬌と色気があってとっても可愛いですね。(あそこが一番好きなんて言ったら、叱られるかなあ) 
以上、思いつくまま感想を素直に言わせていただきました。なんだかアラ探しばかりしてる意地悪婆さん風で、どないしょーかと思ったんですが、色々な意見があっていいんじゃないか、と開き直ってお送りします。
1997年10月15日 / Shoko.I 



16日に観て、一度でいいわ・・・なんて思ったのに、やっぱり猿之助さんの引力に吸い寄せられるように22日にまた行ってしまいました。
それにしてもスーパー歌舞伎は殆ど全て、
主人公が猿之助さんそっくりの人柄であり、生き様だという気がします。日輪の女神が語る台詞の中の帝がイコール猿之助さんに思えました。私のような年配者は(私だけかもしれませんが)、古典の猿之助さんの方が好きなのですが、でも、これはこれでとっても楽しめました。
でも少し言わせてもらうと、帝がカグヤに語りかける時、いちいち「カグヤよ」と言いますが、あの「よ」はいらないような気がするのです。なんだか耳につきました。それからスーパー歌舞伎の時の猿之助さんのクセ(?)というか・・・、語尾を上げて長く引く言い方は、やはり今回も私は好きになれませんでした。
それから歌六さんの芝居の時はすごく古典を踏まえた演出法 (音、所作、引っ込み、等々)を用いてあるのに、肝腎の猿之助さんの出番にはそういうところが少なかったような気がしたのですが。
それと、私には日輪の女神の性格がよく理解出来ません。帝の相手が分からぬうちは心を砕いて手助けしながら、相手かカグヤと知れると、手のひらを返した様に怒り狂って罰を与える。その理由は日輪の女神がいろいろと説明しますが、あの台詞を全て聞き、全て理解したとしても、何だか現代人の、一人息子を溺愛している母親が、自分の気にいらない娘と結婚しようとしていることを怒り狂って反対しているような、ただのヒステリックな女性としか感じられませんでした。
それが女神の舘では、陽気で、おおらかな神さまになっており、何だか一貫性に欠けるような気がするのです。私は何よりこの日輪の女神の性格をなんとか納得出来るようにしてほしいと思っています。
何だか文句ばかり言っている気がしますか゛、大好きな猿之助さんが創られた舞台ですから大好きですし、いいところももちろん数え切れないほどいあります。
でもだからこそ気になるところはやっぱり気になるのです。
1997年10月13日 / Kayano.H



ちょっと笑える、でもその後がちょっと心配なお話を一つ。
9月23日に「カグヤ」を見て大感動されたご夫婦があります。で、その数日後、もう一度見たいので10月23日に2枚チケットを取ってほしいと会社に電話がかかりました。もちろん勝手知ったるチケット手配、という訳で即手配。ところが返事をせぬまま外出したものだから、結果を心配したご主人から留守中に何度も確認の電話があったらしいのです。
それで私、よほど心配なんだと気を利かし、自宅に連絡。電話に出られた奥様に言いました。
「23日のチケット2枚取れましたので、ご主人様にお伝え下さい。でもお揃いで2度もご覧になりたいなんて、ファンとしてはスゴーック嬉しいです!」と。
すると一瞬沈黙があって、
「あの、私はその日仕事なんですけど。主人、私と行くとお願いしたんですか?」

ギョ、ギョーッ!!
「もうすぐ返って来ると思いますので、お返事させていただきます」
それから15分ほどしたら掛かってきましたヨ、ご主人様から。もちろん取り消しの電話でしたけど。
それにしても何度も何度も電話で確認するほど取りたかったチケットなんですよぉ。ね、ね、クサイでしょ。
まったくもう! 奥さんと行くんじゃないなら、「ない」といってくれよー。「もう一度家内が見たいと言いますので」なんて言うんじゃないよー。
奥様と見た「カグヤ」があまりに素晴らしかったので、今度は別の可愛いひとと肩寄せ合って見てみたい・・・なんて思ってしまったのかもね、あのご主人。なんだか、カワユイ。
ところでその後、あの夫婦の仲は、どうなったか?? 心配です。
1997年10月12日 / Tomoko.N




思わず「分かるっ!その気持ち」と言うのと、私も知りたいのでお尋ねします
1月に 、安くて超お得な3階最前列で観ていたのです。何がお得って、乗り出せば、花道もバッチリ見えるじゃないですか。別に花道を観る時だけではなく、やっぱり観劇中って、気合?入っちゃうから、背もたれにでれ〜って座ってられないんですよね。別に立ち上がるとか(!)腰を浮かすとかはしないですよ、もちろん。普通に、姿勢よく観てる訳です。乗り出すといっても、ちょっと前傾姿勢?をとるだけですよ。ただふつーに(私にとっては)座ってたのに、後ろにいたオバサンに肩をぐっとおされ、「下がって観てよ。」と言われたの。
私は小柄ではないけど、周囲の人と比べて、後ろの人の邪魔になるほど大柄でもないです。その時、私は内心はっきり言って(どんな姿勢で観ようと、私の自由でしょ)と思ってしまいました。だって運悪く凄い巨漢の人や、胴長?の人が前に座ることもあるでしょう。その人たちに少しずり下がり気味に?座ってくださいと、リクエストは出来ないもの。それに、赤の他人にいきなり体を触られるというのも、不愉快でした。
こんな、私の方がやはりマナー違反なんですか?
見ずらいのは歌舞伎座の構造上の欠点だと思うのだけど。だから、座り方の問題じゃなくて。だって4時間ちかく観るのだから、前述のように立ち上がったりしない限り、その人が一番楽で、見易い姿勢で良いと思うんです。あの,千人以上の観客の中で他人が見易いようにと、自分が犠牲?になってあげるなんて人はいないハズ。
劇場が扇型の階段状の造りでない以上、多かれ少なかれ前の人の頭は邪魔よ。それが絶対許せないというのなら桟敷か、各階の最前列を購入するしかないんじゃないかしらん。
1997年10月12日/ Yasuko.W




こんにちは。今日は、皆さんに歌舞伎を見るときのマナーについて伺いたいです。実は、この前歌舞伎座へ見に行ったときのこと。私は、3階席に座っていました。その時、いつも私は、ちょっと見にくいので、前かがみで自分の見やすいように工夫して見ているのですが、今回後ろの方が私をつついて見えないので背中をつけてみて下さいと、言われてしまいました。私は、背が小さく、座高が低いので、前の方が座高でも高かったらそれこそ見えません。やはり、背中をつけて見た方がよいのでしょうか。ご意見をお願いします。 後、もう一つですが、右近さんのファンクラブに入っている方詳しい入会法を教えて下さい。(料金・申し込み方法など)
1997年10月11日/ Eiko.Tanaka




なんどもお邪魔してスミマセン。でもおかしくて、嬉しくなっちゃうお話なので皆さんにもおすそ分けしたくなっちゃいました。
近くに大衆食堂を一人でキリモリしている、いかにもコテコテの大阪のおばちゃんといった女性0さんがいます。でもこの0さん見かけによらず、若かりし頃は新劇の舞台に立っていたこともあって、舞台に関してはなかなかうるさい人でもあるのです。ただ歌舞伎は高校時代に懲りたきり(全くもう、鑑賞教室なんてヤメテシマエ!)一度も観ていないと言うので、是非にと勧めたところ、「歌舞伎みたいなもんより家で寝転がってテレビ見てる方がエエ・・・」といやがるご主人と一緒に松竹座へ。
結果は0さん、大感動、大興奮!翌日食堂を覗くとお客さんそっちのけで大騒ぎでした。
とにかく圧倒する豪華さにマイッタって。それは衣裳がスゴイとか、舞台装置が大掛かりだとか、出演者が大勢だとか、そういう次元のことじゃなくて(あ、もちろんそれもあるんだけど)、とにかく全ての意味での超ゴーカさに感動したって言ってました。
さておかしかったのはイヤイヤついて行ったご主人の方です。最初「男が女になってる思ったら何やしら背中こそばいわ」とかなんとか言って、見る気なさそうに見てたのに、そのうちズンズン姿勢が立って来て、三幕頃にはもう完全に前のめり状態。ついにはメガネをゴソゴソ、ゴソゴソ。(泣いている?)
その上翌日の早朝、四時頃に「うーん、ウーン」とうなされたんだそうです。

0さん 「お父さん、どうしたの!しんどいの?!」
ご主人「夢か、よかった、フーッ」
0さん 「どんな夢やったん、えらいうなされてたよ」
ご主人「お前が盗賊にさらわれて、腹切られるとこやったんや。そいでワシ、お前助けよと思ってな・・・」
ですって。

ご主人、夢に見るほど「カグヤ」の世界にハマってたってことでしょう。よほど強烈なインパクトを舞台から受けたんですよ、このご主人は。ね、ね、そうですよね。猿之助さん、やったネ!!
それから「歌舞伎は男ばっかりやと聞いてたけど、今日は絶対に女が二人混ざってた」ってきかないんだそうです。どう見ても男とは思えないって。
さて、その二人とは誰でしょう。答えは二つ後ろの お便りの1997年9月25日/ Kanoko.Sのところを
ご覧ください。では今日はこの辺で・・・・。
1997年10月 4日 / Kanoko.S




≪カグヤ≫ 6日と23日に観ました。全体に随分と洗練度の増した舞台に変身していましたネ。初演を観た人は多分全員そう言うんじゃないでしょうか。
スーパー歌舞伎の中でも≪カグヤ≫はまだ成長過程にある作品だから、予想していたことではあるけれど、ズッとズッと、予想以上の出来上がりでしたよ。感覚なんてホントいい加減なもので、初演の時は、あの少女小説じみた甘ったるいラブストーリーが気恥ずかし(年配者ばかりか若い人でもそう言ってた人、私の周りに結構いましたもん)かったのに、スッキリ洗練されてくると、大筋ではどこも変わっていないお芝居なのに、まるで別ものみたいに好く見えてきちゃうんだから。
他にも似たようなこと言ってた人がいたと思うけど、美しい、ただひたすらに美しい、そして優しく懐かしく、心に染みるようなそんな舞台。こういうスーパー歌舞伎が一つくらいあってもいいな・・・なんて。
まぁ、≪カグヤ≫の脚本については、いまでも何だかあちこち矛盾してるなァとか、ご都合主義だなァとか思っているけれど(細かいこと言い出したら、破綻のない本なんて無いのかもしれないし)、小さな矛盾や、ご都合展開や、あれやこれやもすべて見事にぶっ飛ばして、観客を酔わせ、泣かせてしまう凄さ!!これはもうひとえに猿之助さんの演出力の勝利だ!って思いました。
冴え渡る満月を背景にした竹薮のシーン、桜のシーン、天空のシーン。 闇夜に、おそらく生まれて初めて真実泣いただろう帝の啜り泣きが細く長く響く中、日輪の金色の輝きが音もなく満ちてくる、あのシーンetc。そしてあの階段の効果的な働きと、ホントに美しく、目を見張るような場面の連続でした。それと何と言っても、猿之助さんの帝の美しさ!!ほんとにまるで雛人形のようでしたね。
笑也さんもああいう役だと美しくて、可愛くて、自信を持ってのびのびやっていらっしゃるのがよかった。笑三郎さんの織衣も初演のときより若くて可愛らしくなっていて、段治郎さんとのコンビは、ピタッと絵になっていました。
それから特筆すべきは段四郎さんの藤原真人! いかにも国を乗っ取ろうとするような大きな悪人で、これがスゴーっくカッコよかったんです。やっぱり敵役はああでなくっちゃ〜。
とにかくそれらが相まって、ナンか、ドコか、ナゼか、ヘンな気もするんだけれど、結果として「よかったー!」「綺麗だったー!」「泣かされたー!」になっている、≪カグヤ≫ってホントに不思議〜な舞台なんですよねェ・・・・。

1997年9月25日 / Kanoko.S
答え=笑三郎さん、春猿さんでした。



きっと観てる間中、私の体から煩悩の後光がさしていたに違いないわ・・・(*⌒。⌒*)
初演ではなんとも思わなかったのに、妙にどきどきしてしまった・・・。帝って好みやわ〜♪♪なれるもんならカグヤになりたいわ。←底無しのアホ・・・。
大阪初お目見えとなったスーパー歌舞伎。当初の予定では、『ヤマトタケル』を・・・と言うことを聞いていたので、仲間内ではちょっとブーイングがありましたが開演してみれば手のひら返したように「エエわ〜♪初演の時よりずっと良くなってる!」という声が大半。
私は『カグヤ』の舞台装置が好き。シンプルだけど大胆。あの派手な衣装にぴったりだと思います。月の世界と人間界、大きく分けてこの2つが舞台となりますが、その違いは衣装のコンセプトにも出ていて、月の世界の者か人間か一目で分かり、また視覚的にも楽しめるデザイン。月の帝が日輪の女神に献上する衣は「これでもかーーっ!」ってくらい派手やしねぇ(^_^;
この作品がいわゆるラブ・ストーリーで初演時はどうもこっ恥ずかしいというか(^_^ ;そんな印象が私にはありまして・・・イマイチ入り込めなかったのですが、今回、あんまりにも爽々としたイメージの帝に終始ドキドキしてしまいました(*⌒-⌒*)でへへ〜。ええやないの、かっこいいやないの♪ひやぁぁぁぁ♪とまあ狂いっぱなしでして・・・聞けばそのころ東京でダンナのBENちゃんは職場の本社引越しやらデータ分析でてんてこまいやったとか・・・(笑)困った嫁でございます(^_^;
再演にあたって多少の改訂はあったと聞いていますが、かなり印象が変わっていました。もう、大満足です♪
あの公演以来、『月のうさぎの唄』や『盗賊の唄』が耳に残って頭にぐるぐる回ってたりします・・・(^_^;誰か止めて〜っ!(一緒に観てた友人が終演後「なぁ・・・、アンタもしかしてうさぎと一緒に踊ってなかった?」・・・・・・BENちゃんに教えてあげなアカン!と思うてついつい手が振りをなぞっていたようです。それに加えて「こんなに真剣にお芝居観てる人初めてみたわ〜」とも言われてしまいました。ははははは。)
今回は大阪公演なのでそうそう通えないのが、私にとってええのか悪いのか・・・その辺を問われると何ともいえませんね(^_^;
1997年9月20日 / Yuka.Y.




9月12日から14日の2泊3日、昼夜・昼夜・昼!!の観劇。(プラス入り待ち出待ちですから、役者サンより長時間劇場にいたかも?)
まずは、滅多に経験出来ない12日昼の部の団体貸し切りの様子から。全席ご招待ということで、当日キャンセル分を主催者から実費で売っていただいての観劇となりました。
ウーン、これがお弁当付きご招待の実態か!という訳で、幕が開こうが、セリやスッポンが上がろうが(下がろうが)、花道を引っ込もうが、ここはノースポール、北限の地?生物の生存は許されないのね〜といったような冷たい空気が流れていました。ホント最初の三、四十分はそんな雰囲気でしたのよ。きっと観劇慣れしていないのでどう対応していいのかわからないね、ここは私が率先して拍手をと、使命感を燃やしたりしましたが、人々の手は箸でふさがっている。(幕が上がる前から食べているのだ!そして開いても食べ続ける!)
でもでもさすが我らの猿さまよっ。私は超能力者になったかと思うくらい、周りの人たちの意識の流れが変わって行くのが分かった。皆がどんどん引き込まれていくのが体感出来るのです。もうホント自然発生的に拍手も湧いてきて、それは、観劇慣れ

した人たちが、ここは見せ場だからとする拍手とも違って(あるいは猿さま、待ってました!とするのとも)気分の高揚をどうにも表明せざるをえないといった拍手!

この『カグヤ』に関しては、七月大歌舞伎で盛り上がったあと、ご不満のむきもあるみたいですね。でもね、「平成」に「江戸」を求めるのは無謀!?です。(それは内容という意味ではなく、質感ということ)私は、勝手ながら『平成のフェアリーテール』と名づけ、とっても気に入ってます、この物語。もしかしてスーパー歌舞伎の中で、いちばん好きかもしれない。シンプル・イズ・ベスト!の典型ね。
人工光の氾濫しない、大気の澄んだ千年の昔の人々の見た月の大きさや明るさ。それは、その時々の心境によっても違って見えたかもしれない。そして、そんな美しい月を背景に繰り広げられる、生きていく中で誰もが通り過ぎる「恋」の物語。大冒険や大スペクタクルも、ワクワクさせる観劇の楽しみを与えてくれるけど、このシンプルで優しく懐かしい物語が、それ以上に心に瑞々しく響いて来る。ちょっと大上段に構えて言うなら、哲学が(もし)何かしら普遍的なるものを希求しているとするなら、ラブストーリーこそ普遍です!!
『ヤマトタケル』の時はバブル突入直前。ゴージャスな衣裳、大道具、演出の斬新さなど観客を圧倒することで引き付けましたが、『カグヤ』は世紀末(!)の疲れた私たちに癒しを与えるような、慈雨のような物語。
猿之助さんも、雛人形のように綺麗だし。(← 日輪の方じゃないですよっ。念のため・・・)
この心地良さに抱かれたいがために、また朝いちばんの大阪行きのフライトに飛び乗ってしまうかも。 1997年9月17日/ Yasuko.W 




はじめまして。 9月12日夜の部、はじめてスーパー歌舞伎を見に行きました。私は2年ほど前に、21世紀歌舞伎組の「雪之丞7変化クリスタルバージョン版」(まちがえてたらごめんなさい)を姉と見て以来、歌舞伎に興味を持つようになりました。姉は、以前から笑也さんのファンで、、半分無理矢理連れて行かれたのですが、そこで春猿さんのあでやかさ、あだっぽさにみせられて、ちょくちょくを市川猿之助さん一座の歌舞伎をみるようになりました。今回は、姉ではなく友人を無理矢理引き連れて、前から2列目でみました。
私が、歌舞伎の舞台にみせられている理由の一つに、甘っぽい役者さんのおしろいの匂いが挙げられます。21世紀歌舞伎組の時も前列2列目でみたのですが、役者さんが登場する直前に甘っぽい匂いが漂い、なんともいえない気分にさせられます。(あれは、何なのでしょうか?)
それにしても「カグヤ」は、楽しかった。クシナ姫の笑也さんは、美しく、気が強く、そして可愛かったです。何故、男性なのに、あれほどまでに女心を表現できるのか?ふしぎでした。赤目の春猿さんもとっても可愛いかったです。右近さんとのやりとりの手は、手話なのかと一瞬思いました。・・・春猿さんのファンクラブってあるんでしょうか?そういった情報があれば、HPにのせてください。(各役者さんのプロフィールもあれば、うれしいです)
1997年9月17日/ Eiko.F




何も考えずにたまたまチケット取ったというのに、今日16日は中秋の名月に当たっていました。しかもスーパー歌舞伎1200回の記念日でもあったんです。という訳で、夜の部の一幕が終わったところで、花道にススキと萩の花が出され、帝に扮する猿之助さんが挨拶(なかなか感動的な内容でしたヨ)をされるという超お得な観劇となりました。しかも観客全員に陶器製のカワイイうさぎのエッグスタンドがプレゼントされるという・・・ほんとにラッキー過ぎて申しわけないような夜でした。
それにしても『カグヤ』は絶対、絶対2F最前列が最高ですね。特に松竹座の2Fは舞台ととても近くて、しかも全体がみわたせるのです。1Fのかぶりつきあたりで役者さんのアップをジットーっと
眺めるのも嫌いじゃないけど(好きと言え、大好きだと!)、この舞台に関しては2Fをお勧めします。もちろん3Fでもバッチリですよ。それくらい『カグヤ』は上から観た方が美しい。
1Fのそれも前方でばかり観ている人がいたとしたら、その人は『カグヤ』の素晴らしさの半分も観ていないんじゃないのかな・・・なんて。
好みの問題だから、個人的には「うん???」なんて感じる箇所も多々あった『カグヤ』でしたが、初演に比べて随分洗い上げられ、「うん?」度もかなり減って、いっそう美しさが増しました。
9月1回と10月1回でいいや・・・なんて思っていたけれど、この調子じゃあ少なくとも4、5回は通ってしまいそうな予感がします。
「4月以来、松竹座の芝居毎月全部観てきたけど、今日のが最高!一番よかったわ」
これ、後ろの席にいた美人の親娘ずれが席を立つ時に言っていた言葉です。
ムフフフフフ・・・嬉しい・・・・
1997年9月16日 / Tomoko.N



今日(9月6日)、みなみの松竹座で「カグヤ」(昼の部)を見てきました。週末は朝の5時まで仕事というひどい状態でしたが、それが終わってほっとして夫婦で見にいき、たっぷり楽しんできました。 3等席(5階)の4列目だから、いくら内容が良くても見にくいかなあ・・・と思って行ったら、とても見やすい劇場で、観劇には全然問題なかったし、おまけにクライマックスの宙乗りでは馬にまたがった<帝>と<かぐや>がぐんぐん私たちのほうへ近づいてきて、二人の視線に間近に触れられて、一挙に特等席に早変わり。感激でした。
 はじめのうちは、台詞が説明的で長すぎると思い、求婚者たちが宝物を探しに行く、私が竹取物語で一番面白いと思っていたエピソードがすっとパスされていたので、あれあれどうなることかと思いましたが、飽きさせない展開(演出)のスピード感とお手のものの舞台仕掛けの巧みさ、そしてすばらしい衣裳!!渋い脇役の名演技や若手の訓練された気持ちのいい動きに、すぐに没頭してしまって堪能し、終わってみるとすっかり感激して胸が熱くなっていました。
 とりわけ、最後の別れの場面とそれにいたる数場での猿之助さんと笑也さんの美しさ! 衣裳も場面全体も(舞台美術、照明)実に美しくて、惚れ惚れしました。(3等席だから双眼鏡と肉眼とで、細部の美しさと場面全体の美しさを欲張って両方味わうのに苦労しましたけど!) 
<かぐや>が羽衣をまとってスッと雰囲気が変わり(しかもすっかり無感情になったのでもなく!その微妙な雰囲気の表現!)、背をみせて静かに、実に静かにゆるゆると月の舟へといくところ、そして思わず声をかける<帝>、その声に一瞬立ち止まる<かぐや>・・・あのシーンは絶品というほかありません。
 そしてあの帝が孤立して、孤独をひきうける場面のモノローグ、あそこは<帝>と<猿之助さん>をかさねて見ずにはいられないところです。
 こんなこと言い出せば、場面を全部たどらなければならなくなります。ちょっとした動作まで。たとえば右近さんの<耳彦>。本当に兎の体重になったかのような軽やかさ。階段をユーモラスに跳ねていく軽やかな足取り、何でもないターンのみごとなステップの決まり方・・・。
 それにしても、数え切れないほどの早変わりで、主役と準主役級の二役こなされて、ほとんど出ずっぱりで、フルに体を動かされた上に、過剰・苛酷と言いたくなる長台詞(いくら何でも喉の酷使です! 私は脚本家に恨みごとを言いたい!)を全幕こなされる猿之助さんのエネルギーはいたいどこからくるのでしょう?! こんな力のはいった演技を、昼の部と夜の部と一日二回も連日続けられるなんて、いくらプロフェッショナルといっても、ちょっと想像もつきません。
 <カグヤ>の月に祈りが届くなら、どうかどうか猿之助さんの健康をお守りくださいと祈りたい気持ちです。いつまでも、このようなすばらしい舞台をつづけて、たくさんの人を楽しませ、はげまし、リフレッシュさせつづけて下さるように、と。
1997年9月6日/ Sei.M




とんでもなく長い間ご無沙汰致してしまいましたが、思い切ってお便りをさせて頂きました。私のこと覚えていて下さるかも不安なのですけれど・・・
『翔・6号』が届いたのは、忘れもしない、平成3年、私の結婚式の前日でした。それ以前より、『翔』と猿之助さんに対して素直な気持ちを持てなくなってしまっていた私は、新しい環境に馴染むのにかなりのエネルギーを必要としたこともあり、『第6号』に正面から向き合うことが出来ないまま何年もの月日を過ごしてしまいました。その間歌舞伎からも猿之助さんからも完全に遠ざかって。
昨春、長男が幼稚園に通うようになったことから、時間的、精神的にもゆとりが出来、やっと最初から最後まで(子供が寝てから朝の4時まで一気に)読み返しました。そして「お手紙を!」と思いながらまたずるずると今日まで引きずってしまったのです。
とにかくいま私はグループ・翔の皆様、読者の方々、そして猿之助さんに謝りたい気持ちで一杯なのです。
私はいったい、どうしてあんなにイキがって、猿之助さんに対して、またファンの皆様に対しても失礼な、不愉快な言葉を書き綴っていたのだろうか。一部の声に惑わされて、自分自身の眼で猿之助さんの真の姿を観ることが出来なくなっていた私は、「盲目的なファンになりたくない」と豪語しておきながら、結局盲目になっていたのだ、ということに漸く気がついたのです。
去る2月11日、長野オリンピック文化・芸術祭参加の『市川猿之助公演』を観に行って参りました。演目は『引窓』『鬼揃紅葉狩』のニつ。猿之助さんの舞台に心底感動し、心から思いきり拍手したのは何年ぶりだったでしょうか。そして、そんな風に素直に反応出来た自分自身が嬉しかったのです。それからさらに半年・・・
六月に第二子を出産。また当分観劇の機会はなさそうです。でもいつか子供たちが大きくなったら一緒に、歌舞伎座か演舞場に行きたいと思います。それまで猿之助さんが≪定年≫だなどとおっしゃらずに舞台に立っていてくださることを切に切に願っています。

グループ・翔の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げております。
1997年9月5日 / Mamiko.T



大阪初演(ホント私も信じられないわ)のスーパー歌舞伎の前評判は上々みたいですよ。文化芸術振興施策として大阪府がやってる“半額鑑賞“日というのがあって、知人がセッセとハガキを書いて申し込んだのですが、「カグヤは全然当たらなかった」って言っていました。お姉さんや友達の名前まで使ったんだから「絶対当たる!って信じてたのに・・・」だって。
ちなみに同時に申し込んだ「ーーー」は5人の内の3人が当たったとか。『カグヤ』は多分、いえキット希望者が殺到したんですよネ!!なにはともあれ目出度い。ウレシイ。
スーパー歌舞伎で選ぶなら、個人的には『カグヤ』よりも、『ヤマトタケル』や『オグリ』だと思ってる私だけど、それでもやっぱり客席は満杯でなくちゃあファンのプライドが許さないもんネ。
というわけで、先日、頼まれもしないのに松竹座に「チラシ2、30部送ってください」なんて電話して、それをセッセコと心当たりに郵送。おかげでこのところは、毎夕帰宅すると、チケット希望がFAXに入っているというミニ・チケットホン状態になっちゃいました。
ファンって有り難いものですよネー。(自分で言う?!)
1997年8月30日 / Tomoko.N




大阪初演(信じられないよネ)のスーパー歌舞伎第一弾『カグヤ』 、いよいよ開幕間近!
ミナミ界隈(松竹座の近辺)は、どこもかしこも『カグヤ』のポスターだらけ。いやが上にもムードがもりあがっています。
『翔』HPのお知らせページにも出ている、ワイドで幻想的な写真が入ったステキなポスターで、朝夕の通勤時間に、チラチラ見ては心ときめかせている私です。
ほんとのこというと、『カグヤ』のポスター、ちょっと不安だったんです。まさか、日輪の女神がデーンと大きく載ってる、あれ、じゃないだろうなって。あれだと何故イヤなのか?って。だって知らない人が見たら、きっとあれが「かぐや姫か・・・」なんて思い込むに決っているではありませんか。何故思い込んではいけないのか・・・って?う〜ム・・・熱烈ファンに、それは、言えません。(笑)
1997年8月28日 /Chieko.O




16日土曜日、右近の会を見て参りました。私は初めてだったのですが、上方の延若型の権太、なかなかの好演でした。椎の木の出は、結構いなせな雰囲気があり、おや?と思ったのですが、その後、徐々に柄の悪さが出てきて、良かったです。鮓屋はよく舞台にかかりますが、椎の木から見ると、ストーリーも完全に理解できます。特に、今回発見したのは、この3幕は夕方からその日の深夜(あるいは明け方)までの出来事だった、と言うことです。首実験の時、松明を持って来るなど、そうしたことを強調しており、なるほどと感心しました。全体的に、非常に合理的に作られた内容で、丸本に忠実と言うことは、それだけ作者の意図がきちんとしていた証でもあります。歌舞伎座舞台にかけてもおかしくない内容で、是非是非、近い内にまた見てみたいものです。春猿さんの小金吾は、刀の握り方などちょっと気になりましたが、はかなく命を落とす若武者を好演。田之助さん、幸右衛門さんが厚みを増していました。『小鍛冶』は、文楽の太夫を起用したり、大薩摩が登場したり、胡丘が音を奏でたりと曲の面白さが目立ちました。 舞踊としての出来は分かりませんが、躍動感溢れる動きは充分楽しめました。
【編集部より】=HP「江戸ぐるめ」さんからの転載です。



いや〜、よかったですよ。京都造形大学の特殊演習『歌舞伎』。(今年は7/29から8/2)
6年前から気にはなっていたんですが、今年、ようやくタイミングが合って初参加できました。(モチロン、一般聴講生としてですが)
マジで、タイムマシンで10ウン年前に戻って、一般生徒として参加してみたかった。でも、それはそれで、猿之助丈にマンツーマンで、指導されるコトになったら(そんなことないって?)倒れちゃうかも知れないから、やっぱ、一般聴講生で落ちついて離れてみてる方が、気楽かしらん。・・・なんて、お馬鹿さんなことを言ってないで、その、楽しかった充実の講義の目玉を、ご紹介いたしましょう。

1. 有名狂言のハイライトを素顔で。
丈を初めとしたご一門で、なんと、素のお顔での演技で、観られるんですよ〜。『実盛物語』の実盛・『先代萩』は政岡・『毛抜』は粂寺弾正は、猿之助丈ね。『連獅子』は丈と、右近(以下敬称略)。一門では、『判官切腹』が、門之助の判官で、右近が由良之助。『松の廊下』は、門之助と段治郎の師直。『封印切』は、笑也と右近・・・などなど様々な演目から他にもたくさん。
・・・そのなかでも、わたしが特に良かったのは、笑三郎のお蔦と段治郎の茂平での『一本刀土俵入』。他もそうだけど、セットは組めないので、金屏風の上と下からで最初は??なんて、思ったけど、終わってみれば、いちばん泣けちゃいました。
それにしても、どれもみんな素の顔でやってるのに、ばっと一瞬に、その場で役に入って、役柄の人に見えちゃうその力量がすごいですよ〜。これは、貴重〜!

2. 衣装をつけたり、化粧をしていく様も。
1日目は、猿弥の曾我五郎と笑也の赤姫が、素の姿から化粧して、衣裳をつけて行く所まで見せてくれたんですよ〜。結構、お姫さまのメイクって簡単なんだなあ(五郎さんに、比べてですよ)とか、五郎の4人掛かりでの着付け(あのぶっとい帯結んだりするのがね)、もーほんと、大変なんてのが、目の前で同時進行でわかるんですよ。これだけでも、感激なのに、3日目なんて、猿之助丈自ら、あの仁木弾正のお姿を、やはり、素の顔から衣裳つけて、『床下』の引っ込みの場まで、やって下さったのです。ましてそのうえ、あ〜これは、次のところで・・・。

3. はじめてみちゃった、ろうそく芝居。
そう、その3日目、仁木弾正のお姿で、こんなのは、普通の劇場では消防法とかで、絶対ムリだからなんておっしゃて、教室内のライトを落として、差し金の先に和紙に包まれたろうそくの明かり(4・5本はあったかな)で、もう一度、引っこみの場を、再現して下さったのです。個人的に、この場面は、マイベスト猿之助場面のナンバー3に入るほど好きだったので大感激。
それに、ろうそくのあかりで観ると、畏れおおさひとしおって感じ、すっごい迫力で良かったです。

4. 生徒さんたちに、指導するところも観られます。
毎日、休憩なしの、4時間授業って感じでしたが、終わったあと、そのまま、一般聴講生達も(教えてはもらえないけど)生徒さん達に、丈や一門の方々が、指導して行くところが観られます。
皆さん、ものすごく、緊迫感漂ってて、真剣。(特に、講師の方々)生徒さん達も、最初、どうなることかと思ってたけど、なんかだんだん、憑かれたようになって、ずいぶん、上手くなって行くんですよ。普段のお稽古の時も、こんなんかなあなんて思って、とても興味深いモノがありました。

5. 踊りや立ち回り指導も受けられる。
ちゃんと、早起きしなきゃダメなんですが、毎朝10時から体育館で、右近・猿弥・笑也・猿四郎・段治郎・春猿・延夫ら一門の若手に、舞踊や立ち回りのお稽古をつけてもらえるんです。
ま、生徒さんがメインなんで、一般聴講生の場所までは指導には来てくれませんが、参加はできます。わたしは、一度だけ、『藤娘』の回に参加したけど、いやあ、むつかしかった〜。日本舞踊なんて、動きあんましないし、まあ、だからこそ、美しい形を決めるのが大変なんだよね。講義の中でも何度も猿之助丈は、おっしゃってたけど、歌舞伎は美しくなければいけないって。その、美しさには、素人はなかなか到達できないってのがよくわかった。
まあ、他にもたくさん、良かったことはあるんだけど、長くなってきたので、この辺で失礼します。まずは、参加してみてくさい。

最後に北前さま。今回はほんとに、お世話になりました。同行者も紹介していただいちゃったし、他にも、HPを通してのいろいろな方々に会えて楽しかったです。あのあと、『翔』7号も、ちびちび、読み始めて、こんな素敵なファンを持ってる、猿之助丈のファンでまた良かったなあと、しみじみ思ってます。
ああ、それにしても至福の5日間でした。毎日、猿之助丈に、お会いできたんですもんね。だんだん夕方になってく教室で、ヒグラシの鳴き声などバックに丈のお話を聴いてたなんて、なんて、贅沢。元気をもらえたこの夏の思い出を胸に、これからも、がんばろっと。
1997年8月10日 / 興奮さめやらぬ、幸せごはんでした。




BEN「いやぁ〜、充実メニューやったねぇ。」
由 華「講義も実技も私ら皆勤賞やもんなぁ。ホンマに真面目に通ってたわ。」
BEN「2人で参加したからね。俺なんか『藤娘』まで踊ってもうたがな(恥)」
由 華「立回りも面白かったね。某役者さんに『夫婦でやるってのもすごいなぁ』って言われてもうたけど・・・。」
BEN「講義も合間合間に実演が入るからすごいよ。1日目のデモンストレーションで『先代萩』の御殿と『忠臣蔵』の判官切腹を観た時なんか思わず芝居に入り込んで泣いてしもたもん。」
由 華「ふっと横見たらBENちゃん、鼻すすってるんやもん!ビックリしたわ。まぁ、私も『連獅子』の素踊りで感動して泣きかけてたからなぁ。無理ないか。」
BEN「素やからなおさら演技力が伝わってくるって言うのかな?見た目では騙されへん分、やっぱりすごいわ。」
由 華「東京からわざわざ行った甲斐があったね。」
BEN「あれで2万円なんてタダみたいなもんやで!猿之助先生も丁寧すぎるくらい解説してくれはるし。講義で時間内に終ったことなかったもんな(笑)」
由 華 「『傾く』の説明で何回も『現代の言葉に直したら“ナウい”ですね』っていうのにはマイッタ・・・。先生ぇ〜せめて“イケてる”って訳してくださ〜い。」
BEN「みんなの面前で顔してくれはるし、教室に向かう道で偶然出くわして 50cm位 後ろからついていった日もあったし・・・世界の猿之助がちょっと身近になったような気ぃしたわ。」
由 華 「歩きかたかわいいよね〜♪ ムーミンとかペンギンとか・・・なんかそんな感じかな。効果音つけたいくらい(*⌒-⌒*)」
BEN「しかし、最終日の質疑応答にも几帳面に一つ一つ答えてくれてはったよな。」
由 華 「アンタの質問には困ってはったやない!歌舞伎の同時代性の回復について・・・やっけ?こむずかしいこと聞いてからに・・・」
BEN「現代劇の歌舞伎バージョンを構想中ってゆーてはったで。自分は恥ずかしいから一門の若手をモルモットにして(笑)。そういうアナタは猿之助先生に『有難うございます』って言われてたやない。」
由 華 「えへへへへぇ〜(*⌒-⌒*)」
BEN「由華 すご〜い!世界の猿之助に公けの場で『有難うございます』って言われとおる!」
由 華 「うふふふふぅ〜(*⌒-⌒*)」
BEN「で、何、聞いたんやっけ?」
由 華「ここまで引っ張ってそれはないやろ!スーパー歌舞伎の次回作のことやんか。それは私の希望が実現したらいいね、ってことで、大好きな『三国志』についてちょっと私見を(*⌒-⌒*)」
BEN「翔の編集長をはじめ、スタッフの方とか、このホームページをご覧の方とかにも会えて楽しかったね。」
由 華「皆様、どうも有難うございました。」 <これぎりぃ〜!!>
1997年8月5日 / BEN & YUKA



「なんて贅沢な!!歌舞伎の演出法、演技術を、狂言、舞踊の種類を教えるために、なんでプロの役者がいちいち実演してくれちゃう訳?!しかもこの豪華な顔ぶれで!!これがどんなにすごいことか、このコたちには分かるまい!!」というのはたぶん、一般聴講生は、毎年、思っていることでしょう。
猿之助さん、右近さんによる『連獅子』を観た時には、思わず目に涙が・・・。コンタクトが曇って見えなくなるからと、堪えつつも、ここが今この瞬間において、世界でいちばん贅沢な空間じゃないかと思え、感極まってしまいました。その後も『実盛物語』『先代萩』『毛抜』『弁天』と、猿之助教授自らの実演の数々。これじゃ、昔南座にかかったタイトル、“猿之助のすべて”!!
素の演技や、舞踊を観るチャンスというのは皆無に等しいし、またそれらを初めて観て、表情や目の色のわずかな動き・変化が、塗ったり豪華な衣裳を着けている時より際立って、豊かな情感を生み出していました。
どうせやるなら本物をという、猿之助さんらしい理念は賛同できるけど、本音はやはり「もったいない!!」という感じでしたね。
これは猿さまファン、歌舞伎ファンは聴講に行くべきですよ。大学側の主旨とはちょっと違うかもしれないけど、もったいなすぎるもの。一等席1〜2回サボッても(猿さまごめんなさい)、交通費、宿泊費かけて受講する価値はあります!!

それにしても驚きというか、感動というか、はたまた憤りというか、いまも目に焼き付いているのは、生徒が脱いだ袴や使った小道具をいかにも自然な感じで片付けていらっしゃった猿之助さんのお姿でした。この学校の教育は?、親のしつけは?といった生徒への怒りよりも、愛する歌舞伎の大切な小道具、衣裳であるがゆえに、あれだけの地位にありながら、自らの手で後片付けをされる猿之助さんのあり方に衝撃を受けたのです。
あれだけの大御所の役者で、他にそんな人がいるかしら? 猿之助さんは人間的にも本当に素晴らしい人。(いまさら何当り前のこと言ってんだってカンジかしらん)

最後にちょっと・・・
体育館での学生の実技演習も遅くまで見ていたのですが、聞こえて来た会話の中で私が一番ウケちゃったのは、、仁木弾正の衣裳と格闘?している学生に向かって笑三郎さん「ねえ、それ着てるの?脱いでるの?」と尋ねたところ、たぶん「着るんです」と答えたと思うのですが、春猿さんがしなしなと近寄って「あなた、それ一人じゃ無理だわよ」と美川憲一ばりのおっしゃりよう。その後二人がかりで着付けてもらって・・・。ああ、なんともしあわせな生徒たち。
1997年8月3日 / Yasuko.W



京都芸術大学での歌舞伎講座、受講して本当に良かったです。これも偏に、気の合う同行者を紹介してくださった「翔」のおかげです。
歌舞伎入門者の私にとっては、講義も実技も、そして聴講生の皆さんのお話しも興味深く、非常に刺激的で充実した日々を過ごしました。なによりも、役者さん達の素の姿を間近で見れたのが贅沢でしたね。(それゆえに熱狂的になってしまいましたが)
残念ながら、病院通いのため、最終日の講義を受けずに帰ったこと、折角お会いできた北前さんにも、BEN&YUKAさんにも挨拶せずに帰ってしまったことなど、残念に思っています。
私のまわりには、歌舞伎好きな友人がいないので、同じ趣味をもつ人達に会えたことなどもとても嬉しく思いました。ただ、いくら贔屓の役者といえども、”ストーカー”まがいの行動はとらないようにしなくては、と半分興奮状態の自分に言い聞かせていました。
実は、8/2(土)予定より早く診察が終わったので、その足で”笑三郎の会”へ行きました。運よく当日券が手に入ったのですが、満員の会場で、何と、歌舞伎講座の一般聴講生4人に会いました。(皆、偉いっ!!)会の感想は割愛しますが、舞台で踊っている笑三郎さん、春猿さんの京都での姿を思い出し、今までよりも少し近い存在に思え、頑張れ!と、心からの応援をしてきました。
長い1週間が終わり、これで今年の夏休みもお終いです。7月からすっかり歌舞伎漬けで、歌舞伎貧乏になっていますが、まだまだ入門者ゆえ、おもだか屋だけに限らずたくさんの舞台を見たいと思っています。H.Pも楽しみにしています。頑張ってくださいね。
1997年8月3日 / Tomomi.I