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 猿之助&歌舞伎ファン広場 


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  NO6】  



昨年は猿之助さんを追いかけて、お互い、東奔西走の一年でしたね。
今年も早々の春秋会に続いて新・三国志が開幕。またまた走り回る一年となりそう
ですが・・・どうぞみなさま、昨年同様よろしくお付き合いくださいませ。




二十一世紀歌舞伎組の巡業も無事、大分で千秋楽を迎えました。
そうそう、千秋楽といえば、この大分行きの前に浅草・昼の部の千秋楽も観てきたんです。絶間姫以上に大好評の亀ちゃんの千代!私はもう、涙を零しながら観てました。それは、芝居云々はもとより、またまた勝手に想い入れモードなんですけど、噂によると團十郎さんや菊五郎さんは(親心ですよね)頻繁に浅草の様子を観にいらしていたようなんですが、亀ちゃんの場合、段四郎さんは松竹座、猿之助さんは軽井沢で「三国志」と「春秋会」のダブル仕込み中。ご指導の芝翫さんは歌舞伎座ご出演中と、どなたもご覧になれない訳けでしょう? こんなに一生懸命やっているのに・・・、こんなに素晴らしいのに・・・・と思って、ちょっとそういう亀ちゃんの状況を淋しく思ってしまったんです。 ところが、幕間にロビーで段四郎さんを発見!前夜の松竹座の楽と共に帰京されたようです。
「あ〜〜段四郎さん、絶間姫は観れなかったにしても、寺子屋ご覧頂けて良かった〜〜!!」って、なんで私がそんなこと気に懸けるかね?と自問自答しつつも、とっても嬉しかったんです〜〜!
あと、驚いたのが、菊之助くんの道成寺。初日のテレビ中継とは大違いでした。
あの放映は観た方も多いと思いますが、終盤、観てるこちらの方も息が上がってしまうような、余裕のなさを感じましたよね。それが、堂々とした余裕たっぷり情感たっぷりのいい舞台でした。若さだけが放つ美しさと共に、指の先から視線の運び方まで、きっちり行き届いた踊りでした。
音羽屋ファンで毎週のように観ていた人は、本当に観る度に良くなっていくのが体感できたと喜んでいました。やっぱり千秋楽は、そういうテンションの(客席、舞台共々)高い空間であってほしいものですね。
いづれにしても巡業チームのみなさん、長い強行スケジュールの毎日、お疲れ様でした〜〜!
あっ、明後日は猿四郎さんの舞踊会ですね。
1999年2月4日 / YASUKO



やっと家のコンピュータも、ネット接続ができ、家でもみれるようになりました。
さてさて、やっと来ました25日。もう、この日をどれほど待ちわびたでしょうか。『ヤマトタケル』の千秋楽からですから、ちょうど3ヶ月になりますね。長かった〜。
昼夜公演両方とも行ってまいりました。
お昼が花道すぐ横の3列目4番。夜が真中のブロックの10列目13番でした。残念なことに、客席は結構空いていました。きっと、メイシアター&吹田市のPRの仕方が悪いんでしょう。吹田市報を見るまで私も知りませんでしたから。
今まで観た公演は、いつも満員だったんで、『なんで?』という気持ちになってしまいました。さらに、“鳴神“が終わると帰ってしまう人までいました。夜の公演の場合は、「終演時間が気になって」というのがあるかもしれませんが、お昼の公演なんですよ?
夜、隣に座ったおばさんが、「今回は花形が来てないのねぇ」なんていっていて、なんて失礼な!『みんな花形やっちゅうねん!』と心の中で叫んでしまいました。みんなの舞台を観てから、そういうことは言ってほしいですよね!もっとも帰りにはそのおばさんも「よかったわねぇ!」ってとっても喜んでましたけど。心の中で『そうやろ、そうやろ』と私は少し誇らしかったです。
母親は最初客席の入りぐあいを見て「見たい人が来てくれたんやから、べつにええやん」とか言ってたんですけど、鳴神が終わって帰っちゃう人を見て「ホンマ失礼やな!」ってさすがに怒ってました。ホンマに失礼ですよ。あれは。他のホールはどうだったんでしょう?
次ぎの巡業の時にメイシアターが削られてたらいややなぁ。
吹田市とメイシアターはもっとPRしろ!!ってね。見た人はみんな「よかった〜」って言ってるのに、絶対PRが足りないんですよ。
さて、愚痴はこれぐらいにして、感想を書きますね。

“操り三番叟”ですが、笑野chanがカワイ〜。猿弥さんすご〜い。門之助さん厳か〜、って感じでした。幕が上がって最初に出てきた
笑野chanは、ピンクの着物がとっても似合ってました。踊る姿も堂々としていたし、とても私と同い年とは思えないぐらいです。
顔も綺麗だし、カワイイし、踊れるし。今回の抜擢で、今後は大きな役がついてくるんでしょうか。これからが楽しみ。がんばって、私の目標になってほしいです。男の人を目標にして『〜さんみたいに綺麗になりたいわぁ』というのも、「ん?」って感じだけど、確実に私よりずっと綺麗だもの。目標にしてもおかしいことないですよね。
話を元に戻しまして門之助さんですが、なんかちょっと固かったように思いました。ふりが少ないぶん、逆に難しいのかもしれませんね。
それにしても、あの装束似合ってましたよ。この前が皇后と、おばばでしたから、翁姿を見て『ワァ…ヤッパリ、男前なんや』って思いました。あの装束を着て、座ってるだけでも絵になる。これも今日まで積み重ねてきたもののあらわれなんでしょうか。
そして、猿弥さん。すごい! この前松竹座に行った時、隣に座っていたおばさんと“操り三番叟”の話をしたんです。(松竹座の初春の公演の演目にも“操り三番叟“があるんで)そのおばさんは以前に右近さん歌六さん笑也さん段治郎さんというメンバーの、“操り三番叟”を
観はったらしく「右近さんのもよかったわよ。でも元気がよすぎて操り人形というより、ちょっとゼンマイ仕掛けのお人形さんみたいだったわ」って言ってはったんですね。猿弥さんのイメージもどっちかって言うと元気なイメージなんで、『ひょっとしたら猿弥さんもそうなってしまうかも』って思ったんです。しかし、猿弥さんの三番叟はちゃんと操り人形でした。見た目はちょっと(かなり?)重そうだったんですけど、すっごい軽やかでした。あのお化粧も似合ってたし。(あんまり誉め言葉になってない?)本当にすごかったです。
メイシアターの照明って、きついんですね。絶対、目 乾きまくってると思うんですけど、ぜんぜん瞬きしなくて、ほんと感心してしまいました。後見の寿猿さんも〈スマートにてきぱきと〉って感じで、すごくカッコよかったです。

次に“鳴神”ですが、延夫さんのお坊さん姿が、とってもかわいかったですね。
花道から出てくる前にすっごい咳込んではって、さがってからもすごい咳込んではったんでひょっとしたらお風邪をひいてはったんでしょうか。でも、舞台の上では、そんなそぶりはちっとも見せないんで、『やっぱりプロやわ』って思いました。
笑也さんの雲の絶間姫も、よかったです。滝壷に入って死のうして止められて、その時に言う科白の「死なせて、殺して」っていうのが、スッゴイ色っぽくって、ゾクゾクってしました。
段治郎さんの鳴神上人も、ほんとにお坊さんにしとくにはもったいないぐらいのカッコよさ。背が高いから荒事がすごい似合いますよね。
祖母は、「段治郎って、段四郎の息子やったか?」って。段四郎さんの息子さんは亀治郎さんだということ、ちゃんと教えておきましけど、けっこう歌舞伎を観てる祖母がそんな風に思うぐらい、段治郎さんの鳴神がよかったっていう事ですよね。
鳴神上人が、絶間姫の懐に手を入れる瞬間、『うわっ!いや〜!』って思ってしまいました。
ちゃんとわかってるんですよ。乳探りの場面があるということも、2人が男同士だということも。なのに『きゃ〜、段治郎さんのエッチ。笑也さんもなに感じちゃってるのよ!』って心の中で叫んでしまっていました。なんだか私の胸まで痛くなってきちゃうし、終わるまでずっとドキドキしたまんま。亀治郎さんと、辰之助さんの“鳴神“をテレビで見たときは、こんなにドキドキしなかったのに。やっぱりテレビと生の違いってことなんでしょうか。
最後の六法もすごくカッコよかったです。もっと花道が長かったら、もっと思いっきり六法ができたんじゃないかな?って思いました。
そして、笑野chanが、今度は後見で活躍してました。

次に“女伊達“ですが、他の二つは客席が完全に暗転にしないでやってましたけど、“女伊達“は突然暗転になったんで、『おっ、なんや?』って思いました。そしたら、幕が開いてパッと舞台の照明がついて、そこに、とっても美しい笑三郎さんと春猿さんが立っていました。吉原の賑やかな景色の中に、白と黒の着物をビシッと着こなしたお2人、カッコよくって綺麗でした。傘をクルッとまわし、渡すのが成功した後、手を取り合ってニコッと笑った顔がまたカワイかった〜。倭姫と弟姫の姿とはまったく違ったイメージでした。
春猿さんの目のまわりの紅が笑三郎さんより濃い気がしたんですが、それは、お2人の着物の違いでしょうか。笑三郎さんは白地で帯が赤、春猿さんは黒地で帯びも黒でしたもんね。
11月の松竹座で宗十郎さんが踊られた“女伊達“と唄は同じだったと思うんですけど、(覚えてるのは♪わっちゃお前にほの字と書いて〜というところだけなんですけど)踊りは、まったく違うものだったみたいですね。男伊達も出てこなかったですし。
“女伊達“が終わって時計を見ると、けっこう時間が経ってましたけど、『もっと長い時間見ていたかった』って思いました。本当に楽しい3時間でした。

次に皆さんを、そろって拝見出来るのは9月ですよね。(私はね)  3ヶ月がこんなに長かったんだから半年はもっと長いでしょうね。
4月から暫く松竹座で歌舞伎がないんで、4月からがつらい時期に入りそうです。がんばって耐えて、お金貯めて9月と10月にいっぱい観に行こうと思っています。
『熱烈猿之助ファンの妻を持って』を読み、「うちの親もそう思ってるのかなぁ」って思いました。最近、自分でチケットを買って、一人でも行ったりしてるんで、母親も呆れてきています。
でも、普通なら、同じお芝居を何度も観たりしない母親が、11月の歌舞伎を「もう一回観たい」なんて言い出し、『影響されてきたな』と思いました。母親もそのうち猿之助さんにはまっていくのでしょうか。私の親ですから、きっとはまったらとことんまで行くんでしょうね。
そうなってくれると、私の出費も減るんですけどね。(なんてね)
それでは、がんばって半年耐えます。またもや長々とゴメンナサイ。
1999年1月31日 / おさよ




近畿地方での二十一世紀歌舞伎組の巡業が無事に終了しました。私は大阪狭山市SAYAKAホールと八尾市のプリズムホールに行って来ました。
1月9日に東京方面で巡業がスタートしてからというもの友人からの報告に一喜一憂していたのですが、ようやく自分の目で見ることができました。いつも本公演では贅沢ができず、いい席に座れないのですが、今回は巡業でしたので、前の席でじっくりと観ることができました。
『ヤマトタケル』が終わって、残念ながら東京までは足が伸ばせなかった私は、たまたま巡業の演目がすべてこちらで(松竹座・南座)上演されたと言うこともあって、予習(?)万全で観ました。

『操り三番叟』は、門之助さん猿弥さん寿猿さんそれぞれすばらしかったですが、なんと言っても笑野さんの抜擢には驚きました。とってもお綺麗でお若いのに堂々と踊っておられました。近くの席の方も「あれ誰?」と言った感じでパンフレットをパラパラとされていました。
友人とも言っていたのですが、あそこで笑野さんに初めて注目した人の中で何人の方が、後の二つの演目にも後見として活躍されていたのに気が付かれたでしょうか。

『鳴神』は、顔見せの団十郎さん&時蔵さん、浅草の辰之助さん&亀治郎さんと言うことで、どうしても比べてしまったのですが、どれが一番というのではなく、それぞれにいいなと思ったところがありました。
笑也さんの絶間姫は、予想を越えた好演だったと思います。欲を言えば全体にもう少しメリハリがあったらもっとよかったと思いましたが、溜息が出るような美しさとともに絶間姫の「意志」が見えた気がしました。
段治郎さんは私が観た三回の舞台の中で、本当に一回観るごとにどんどん演技が良くなっていくようでした。観る度に濃く(?)なっていくので、息をのんでドキドキしながら観ていました。
また、白雲坊をやっていた延夫さんが本当に楽しそうに演技をしておられるので、舞台を観ながらついついつられて私までも口元が緩んでしまいました。

『女伊達』去年の松竹座での宗十郎さんがやられたのとはかなり違った演出になっていましたが、春猿さん笑三郎さんのお二人の格好良さ、粋さが存分に味わうことができました。
男伊達のいない女伊達だけの踊りだったので、「わっちゃお前にホの字と書いて・・・・」の下りでは思わず「えっっ」っと思ったり・・・二人が張り合ったり、手を取り合ってにっこり微笑んだりの場面にも引きつけられました。15分と短かったですがお二人の美しさを本当に満喫できました。
待ちこがれて待ちこがれてやっと来た舞台ですが、早くも関西を終えてもう九州です。役者さんも大変でしょうががんばって欲しいです。
ああ、次に舞台が観られるのは2月末の春秋会なのですね。待ち遠しいです。

PS:毎日日課のようにこの『翔』のHPを見て、ネットに接続していない友人にはプリントアウトして見せてあげています。陰ながら応援しています。がんばって下さい。また機会があればどんどん投稿しようと思っています。
1999年1月30日/ 春 霞




かぜが流行っていますが、皆さんお元気ですか。
さて、私も先日猿之助さんを囲む会に行ってきました。最初は後援会に入りたてでもあり、知り合いもいないので迷っていたのですが、猿之助さんのお話を聞きたいので、思い切って申し込んだのです。
当日はやはり女性が殆どで、男性は数えるほどでした。
少々気後れを感じつつ、同じテーブルの方に話しかけたところ、そこは同じ猿之助ファン同士であり、楽しくお話をする事が出来ました。
丈のお話のなかで虎の話がでたのですが、中国から来た方が素晴らしい演技をしたとばかり思っていたのですが、実際は違ったとゆう事などを知り、驚きました。
(初日の頃のアクシデントで負傷。その後はお弟子さんたちが交代で勤めたりと、たいへんだったとか。日によって虎の演技が違ったりしたのは多分そのためだったのではないでしょうか。でもどの日の虎も、そんなことは夢にも思わせないような出来栄えで、拍手喝采を浴びていましたよね)

さて、1年前には後援会に入る事など夢にも思っていなかったのに何故入ってしまったのかを、少々説明したいと思います。
やはり泥沼に引き摺り込まれるきっかけは、インターネットで「翔」のホームページを見つけてしまったことでしょう。皆さんの発言を伺っているうちに、自分も段々と感化されて行った様に思います。
また、「翔」(本)を送ってもらい、それを読んで益々興味が湧いてきました。
そうこうするうちに、後援会にまで入ってしまったというわけです。

ホームページを見て、私と同じ様に猿之助ワールドに引き込まれる人が他にも出てくる事を期待しています。とにかく仲間が増える事は非常に嬉しい事です。
2月に国立劇場でお会いしましょう、勿論他の劇場でも。
その時は宜しくお願いします。ではまた。
1999年1月29日/矢橋の橋蔵でした。

【編集部より】=やったネー! そういうの聞くと、HPやっててよかったなァ・・・って思います。「翔」作ってよかったなァ・・・って、しみじみ嬉しいです。猿之助さんは常々「男性にももっと見て欲しい」とおっしゃってますから、矢橋の橋造さんが泥沼に引き摺り込まれ、ついには後援会にまで入会してしまわれたこと、猿之助さんもきっとお喜びだと思いますよ〜。
面白いな、いいな、と思ったら、とことん惚れこんで、のめり込んでみる!!そうしてこそ初めて見えてくるもの、開けてくる世界があるのです。ただし、相当ハードな日々を送るハメにはなりますが・・・・。




月曜日25日に、吹田市メイシアターホールの二十一世紀歌舞伎組公演に行って参りました。

操り三番叟は、門之助さんの格調高い舞いから始まりました。舞台に向かって(本当はそうではないらしいですが)お辞儀をされるところなど、座長挨拶かと錯覚しました。笑野さんの千歳も良かったです。初め出てきたとき「あんなに可愛い人は誰だ?」と慌ててパンフレットをめくりました。笑也・笑三郎・春猿の三人衆とは又違った個性の笑野さん、今後が楽しみです。

猿弥さんは本当にお人形みたい。文楽で壽式三番叟を見たことがあったので、そのイメージでいましたが、糸操りだったのですね。上につるしてあった操作する板が去年見た中国泉州の木偶戯公演のものにそっくりでした。猿弥さんの踊りも首がふらふらするところ等、糸操り独自の動きを思わせるところがあって感心しました。
人形振りというと去年松竹座の阿古屋で段四郎さんがされていた文楽人形の人形振りしかみていなかったので、双方の共通点と相違点が楽しめました。

鳴神、あぁ、鳴神。本当にすごかった。十二月顔見世の団十郎・時蔵の鳴神を見に行って、亀治郎さんのはテレビで見て予習をしてこの日に臨んだのですが、圧倒されました。時蔵さんの絶間姫もすごく良かったので、笑也さんの絶間姫をどう感じるか不安だったのですが(時蔵さんはそう思わせるほど本当に良かったのです)、笑也さんの絶間姫もとってもとっても良かったです。

笑也さんの絶間姫は、時蔵さんのとは型やセリフが少し違っ たように感じました。特に鳴神上人が胸に手を入れる場面の動作やセリフの違いが際だっていたように感じました。
時蔵さんの絶間姫は、上人をだますぞという意気込みを時折見せます。胸に手を入れられて感じている場面でも、どこか演技(以前「義務と演技」というドラマや映画がありましたが……関係ないか)をしているように感じられました。 
一瞬だけ演技ではなくて、本当に“感じている”時間があるのですが、その前後は演技なのです。南座の三階から見ていたので、はっきりと主張できませんが、私はそう感じました。だから注連縄を切る前に、謝るセリフがちょっとわざとらしく聞こえるような気がしたんです。しっかりだますつもりだったと思うんだけど?ってつっこみを入れたくなりました。
笑也さんの絶間姫にはあまりその意気込み(だますぞという)は感じなませんでした。ですから絶間姫は本当に“感じている”ように見えました。その場面では会場が静まり返って、その中に絶間姫の「お上人様」という声がこだまする。体中がゾクゾクしました。どうして絶間姫の恍惚?の表情を見て女性の私まで“感じて”しまうのでしょうか。本当に不思議です。したがって注連縄を切る前に謝る場面では、初めは勅諚で来たけど、そのうち上人に情が移ってしまって、だましたくなくなった。それでも干ばつに苦しむ人々を思うとやらねばならぬ、という心情が感じられました。  

パンフレットでは「鳴神上人をだますところや懐に手を入れられてうっとりするところなど、演技なのか本当の気持ちでだますのか、そのあたりがむずかしい」と書いてありました。
またメイシアターの冊子(「MAYTHEATER PRESS」一月 号)でのインタビューで、笑也さんは大阪の土地柄や印象に残っているところを問われて「お客様の反応がとても良い土地柄なので、演じやすい反面、怖い時もあります。演技面では、東京で演じる時よりは突っ込んでたっぷりと、ややオーバーアクション気味に演じるようにしています。」と答えておられるので、吹田の絶間姫はややオーバーなものなのかもしれませんが、それにしても本当にすごかった。

私が市川笑也という俳優さんに魅力を感じるのは、この場内を静まり返らせてしまう時にセリフを発する、その時に、(猿之助さんは役者さんは気を飛ばすとおっしゃっていますが)、体中からにじみ出るオーラというか、会場中を包み込む空気を支配する力というか、そういったものを発しておられるからなのだろうと思います。

もちろん、段治郎さんの持っておられる男の色気といったものも相乗的に働いているのだと思います。団十郎・時蔵コンビでは、時蔵さんの色気を団十郎さんが引き出すというより、団十郎さんのおおらかな滑稽さ、二枚目半ぶりが舞台をコミカルな味のあるものにしていたように私には感じられました。
けれど段治郎さんの鳴神上人は、確かに貫禄はまだ不足ぎみでしたが、色香に迷ってしまうような、強いのに弱さも併せ持つ男性という面がなんとなく感じられ、かえってそこに魅力、色気を感じました。

二十代後半の私ばかりでなく、会場の熟年層の方にも好評で、私の隣のおばさま方も顔見世の鳴神を見ておられたようだったのですが、「これも現代風でよかったなあ。」「ほんとに良かった、おもしろかったなあ」とおっしゃっておられました。

六時半に始まった公演も鳴神が終わった時点で8時45分頃。女伊達が始まったのが9時前。というわけで、帰る時間を気にしてそわそわしながら見た女伊達でした。
15分ぐらいで終わって「もっと見たかった」と思う反面、家に帰る時間を思うとちょっと安心しました。松竹座のように終演時間を会場に掲示しておいてもらえると、心配なく楽しめるのではないでしょうか。と
笑三郎さんも春猿さんもセットも、きれいで、粋で、鳴神が濃かっただけにあっさりと見れて、これも本当に良かったと思いました。以上が感想です。
1999年1月28日/紅娘




1/23日に【浅草花形歌舞伎】を観て参りました
…なんだか今とってもコーフンしちゃってます(^0^)。それは猿之助さんおっしゃる処の「歌舞伎とは>瑞々しいエネルギーの燃焼」ってのを目の当たりにしたからなんでしょうか…。

いったい・いつの間にこんなに大きくなって、上手になっちゃったの〜???(!@o@!) ってな感じです。そしてテンションも高くパワーに満ち満ちていました。最後に【三之助】って認識して観たのっておととしの国立劇場かもしれないくらい、彼らを観てなかったので衝撃度が高かったのかもしれませんけど、ああ〜良かったです。めっちゃ感動してしまいました(*^^*)。
…これって初めて「雪之丞変化2001年」を観た時の感覚に近いのかな。あのときもボ〜っとなって劇中の人と化し(^^;) 、次の日またフラフラとチケットを買ってしまったくらいの衝撃だった>遠い昔の自分(笑)。(それまでだって「伊吹山のヤマトタケル」も観てたのに)
ひたむきな一生懸命さとすっごい爽やかな若さで、舞台が一丸となって燃えてるって、まさにそんな、あの、感じ。それに当てられて巻き込まれてしまったんでしょうか。
もしかしたら今だけの、今しか見られない、特別のキラメキなのかもしれません(きっとそうだと思います)。でも確かに「これよ、これ」って思ってしまったんですよ〜。

さてさて、落ち着いて、それぞれの感想です(^^;) 。

『鶴亀』
うむむ〜、これってこれだけの踊りなんでしょうか(- -;;)。従者の亀寿さんが一番よかったです。
『寺子屋』
新之助さんの源蔵が若いよ〜。玉太郎さんの戸浪も固いよ〜。亀治郎さんの千代は、まるで学芸会の中にひとり、プロフェッショナルな人が入ったかのように素晴らしかったです。ホントにあの若さで不思議なほどちゃんと歌舞伎なんだもの〜(*^^*)。辰之助さんの松王丸は、ん・ん・ん……。
でもね〜、面白かったですよ。思わず引き込まれてしまいました。思いの外の大健闘。
『娘道成寺』
きいたか坊主との押し問答もなくってあっさりした作りでしたが、菊之助さんがキレイ !!でした〜。
もう艶やかな大輪の花って感じ。ちょっとくにゃくにゃ柔らかすぎる気もしないでもないですけど(^^ゞ)、品もあるこぼれんばかりの愛嬌に見せられました。(以前・三人道成寺を観た時はあんなちっちゃかったのに…)
『鳴神』
…私的に、今回のメインイベントでした(笑)。もう亀治郎さんの雲の絶間姫は言うことなしです。色っぽくって、ハァ〜(#。#) 。固さもちょっとあったけど、可愛くってキレイでした(*^-^*)。
辰之助さんの鳴神上人は地でやってるかのような感じでしたが(ちょっとお上人様には見えないかな…^^ゞ)、荒事になってからは豪快で良かったです。
21世紀歌舞伎組と比べると、話はこっち(浅草花形歌舞伎)の方があっさりしてるけど、演者がこってり。21世紀の方は、話はよりおおらかにエッチ(^^;)で面白いけど、演者があっさり。ってところかな?
話も演者もこってりだったら、また違ってたんでしょうね〜(その反対もね)。
皆さん・ご意見さまざまでしょうが、私はこちらの『鳴神』の方が気に入りました。
『勧進帳』
これはめっけものでした。新之助の弁慶、辰之助の富樫、菊之助の義経。
いやぁ〜、もうどの子(^^;) もとっても良かったです。みなさんそれぞれが先祖の方々が乗り移ってらっしゃるんじゃないかと思うよな(^-^;)実力以上(たぶん)の出来だったような気がしました〜。こんなにテンションの高い『勧進帳』は久しぶり。
きっと評論家の先生がご覧になったらいろいろあるんでしょうけど、稚拙でも何でもそれを越える何かがある舞台って素晴らしいと思いました(^-^)。
気になった点は、新之助さんと辰之助さんがやたら早口になったり、新之助さんは顔が(特に目が)キレイで錦絵の様に立派なのに、腰から下が安定してないないのかなぁ〜、スピーディな動きがちょっとぉ(^〜^;)とも思いましたけど。
二人ともちょっと劇画っていうかゲームっぽいような印象はあるんですよ、良くも悪くも。メリハリがあってわかりやすいっちゃわかりやすいんですけどね〜。まぁ彼らには、どれもやっぱり早すぎる演目ばっかりだったんですけど、でもそういうマイナス要素を考えても、なお余りある【旬のおいしさ】でしたわ〜。
だから当分、亀治郎さんとの4人組を私的に【四天王】って名付けて(笑)、次の共演を楽しみにしております(あ・でも大阪へは行かれないんですぅ…T_T)。

お正月の教育テレビの歌舞伎中継のインタビューで、亀治郎さんが(亀柄のネクタイをしてたのがお茶目でしたね…^^ゞ)、三之助との共演を「一番望んでたことかも知れません」って言ってたのが印象に残ってます。もちろんファンだって心待ちにしてたことですもん。
…さぁて、うかうかしてられませんね〜、21世紀歌舞伎組 (^〜^;)。
…でもこういうのって、お互いに刺激になって歌舞伎の将来の為にも良いことなんですよね〜。切磋琢磨できるわけだし。亀治郎さんは両方共に出られるわけだから、楽しみなり(^。^)。
それではまた。
1999年1月26日/幸せごはん




はじめまして。
「ヤマトタケル報告白書」読みました。良かったですよお。猿之助さんの熱気が伝わってきて。
「ヤマトタケル」:前々からうわさには聞いていたけどなかなか見る事ができずに悔しい思いをしていた舞台ですが、松竹座でやってくれたのでやっと去年の秋に見る事ができました。
面白かった。見れてよかった。感激しました。
「白書」を読んでいて、あの舞台にはこんな苦労があったのかってかんじで・・。去年の感動を思い出しました。大碓と小碓の早替わりなんか、なんであんなことができるんだって自分の目が信じられなかったですしね。
でも音楽にしても、衣装にしても舞台にしても、ケンケンガクガクやって、あんな素晴らしい舞台に結びついているんですねえ。
カットした部分が余りにも多いのにもびっくり。是非、「伊吹山のヤマトタケル」みたいに、カットした部分も別に見てみたいものです。
猿之助さんの歌舞伎は見た後すごく元気が出てくるので大好きです。今年も何をしてくれるのか今から楽しみ。
ホームページ、これからも楽しみにしてます。頑張ってくださいね。
1999年1月25日/ 順子・N

【編集部より】= 恭子さんといい、順子さんといい、あたらしいお仲間が増えるのって、ホントに嬉しいことなんですよ〜。折りにふれ、いろんなことメールしてやってくださいね。楽しみに待ってます!!




仲見世通りは、人が溢れて、急ぎ足では歩けなかった。どの店の軒先にも、紅白の繭玉が飾られ、この町は、まだ正月が続いていた。
なにはともあれ、観 音様に初詣をすることにした。浅草の観音様にお参りするのは生まれて初めてという、正真正銘の初詣であった。青春時代に(ボケオヤジにも青春はあったのだ)8年間も東京に暮らしたことがあるというのに、今から思えば、バチアタリなことであった。
それでも図々しく、家内安全と健康長寿を御願いして、 浅草公会堂へ向かった。

【松梅桜 鶴亀ことぶき 千代の舞 観音様の 御加護あれかし】

明るく華やかな舞台だった。客席は若い人が多く、20代、30代の男性も みうけられ、歌舞伎の好きな人たちが集まったという感じだった。大向こうさんも5〜6人いて盛り上げて下さった。
小生は、気合いを入れて真剣に観て いたためか、終演後にボーッとして、眠くなってしまった。御大の舞台を、ファンの立場で気楽に見るのとは違い、保護者??応援団として見たせいか、妙な疲れかたをしてしまったようだ。

【鶴亀】明るく華やかな舞であった。初春の御祝儀として、ゆったりと格調高くまとめられていた。従者・亀寿さんが良かった。音楽に乗り節目々々のキレも良く小生の好みに合っていた。
【寺子屋】亀治郎さんの千代は評判に違わぬ、いやそれ以上の出来栄えであった。
花道から登場し 本舞台の門口での台詞を聞いた時ビックリしてしまった。<アルト>だったのだ。浅香姫・お里のソプラノ?、ヘタルベのテノール?からは想像できない声の使い方だ。
話は進み、源蔵に切りかかられた場面では・・♪文箱で刃を受け止めて、形 を改め経帷子を、見せてかねての覚悟を示す、♪母の台詞わぁ〜、デンデン、メッゾソォップラノォ〜〜√ここで吼えなきゃ男じゃないと、気合いを入れたしっぺぇ太郎、声張り上げて〜√おもっだかやっ・・・
台詞だけでなく、要所々々の細かな演技も丁寧に積み重ねていた。例えば、 野辺の送りをするため、戸浪が、奥から小太郎の遺骸を抱えてきた時、千代は黒紋付を脱いで、白装束に変る途中だったが、戸浪の方を向き、子供をおもう仕種を見せたとか。
しかし、上手なら上手で、年寄りの取り越し苦労が始まってしまった。この 日の舞台では、亀治郎さんの持ち味・魅力を出しきっていなかったような。他の人たちが自分の個性を前面に押し出していたのに比べるとやや物足りなさを感じた。お里の茶目っ気、ヘタルベの思いっきりの良さは、どこへ行ってしまったのだろうか。舞台に立つのが楽しくてしょうがない、という若々しさを感じられなかったのが残念なのだ。
(ゴツン)痛ぇなあ・・・馬鹿もいい加減にしとくれっ!千代はねぇ、子供を殺されて泣いてんだよ。おまけに、若旦那は御自分が泣いてるばっかしじゃあ済まねぇんだよっ。客を泣かせなくっちゃあ、いけねぇんじゃないか。何が茶目っ気だい。どこが楽しいんだい。四の五の言う前に、おまいの頭のタガあ、締め直して来いってんだ・・・

新之助さんは顔がいいから得よね、と家内が言った。演技としては一本調子 の感じがし、表情もあまり変化しなかったが、気持の動きが目に現れていた。多分、御本人は意識していないのであろうが、成田屋の目は<睨み>以外にも役にたっていた。
玉太郎さんは、過日の、シッカリした若侍の好印象が強い せいか、女方に成りきれていなかったように思われた。
辰之助さんは気力にあふれていた。√でかしゃったあ〜源蔵どのお〜、のと ころで√ぅとわっやっ、と声を掛けてしまった。しかし、√思うにつけ、桜丸は・・ごぉめぇ〜ん、では、その気にならなかった。翌日、某HPを見たら、点滴をうちながらだったとか。まったく気がつかなかった。演技の巧拙をいっては失礼に当たるであろうが、感じたままを書かせて頂いた。

【娘道成寺】舞台化粧をした菊之助さんは、素顔のとき以上に菊五郎さんソックリになってしまった。稽古充分でシッカリしていたこともあり、娘踊りの部分は、菊五郎さんよりも良いと思われた方もひょっとするとあったかもしれない。しかし、鐘に対する恨みは、強く表現しなかった。現在の菊之助さんの魅力を強調するために、総てを承知の上で、軽く流したのかもしれない。
道成寺の前の幕間に、富司 純子さんがロビーで御知り合いの方と歓談されていた。音羽屋夫人としての御立場もありましょうが、小生は、やっぱり母親だなと思った。

猿十郎さんが、寺子屋の村人役で出演していた。道成寺では所化も勤めてい た。ぶつかり合った時にバタンと倒れるほうの役です。相変わらず御元気ですが、勿体無いというか、贅沢というか。
笑子さんも所化役で出演していた。真面目にやっていたが、ついつい女方のクセが出てしまうのが微笑ましかった。筋書きによると笑子さんは、鳴神の後見もするとのこと。

主役・準主役をされた皆さんは、それぞれの個性があり、それぞれの魅力を 持つ若者たちです。豊かな未来に向かって頑張って頂きたいと願っています。

【競い合い 励まし合って 若獅子よ 想ひをつなぎ 天に翔たけ】

1999年1月19日/しっぺえ太郎



先日、浅草に行ってきました。
若い人たちの舞台だから、まだまだ御勉強芝居って感じがしないでもないけど、どこかに書いてあったように30年後は間違い無く、この人たちが歌舞伎界の中心にいるんだろうな、という実感がありました。
新之助君、よくもまああんな顔して成田屋に生まれてきたもんだ、と思います。
鬼に金棒じゃないですか、まったく。
それで、汗ポタポタかいて、必死で弁慶やってて、まだ未熟なんだけど、ヤなこと(意味もなく顔振り回したり、作ったり、やたらと声ふるわせたりみたいなこと)しなくて、真っ直ぐないい弁慶でしたよ。
口跡もいいしね。
それと菊之助君! まだ御勉強芝居って感じの中で、この人の道成寺は「本物」だと思いました!
時分の花が咲き匂うようで、はんなりして初々しくて可憐な少女の色気があって、ひたむきに無心に一心に踊ってる感じがして、すっごくよかったです!!思わず亀治郎さんの道成寺も観たいと思っちゃいました!!!
その亀治郎さんですが、やっぱりうまいと思いました、特に千代は。
でも雲の絶間姫となると、ちょっとまだ無理なのかな....。
あれって少女の色気じゃないでしょ、必要とされるのが。でもか〜わゆいんですもん。
大体辰之助君の鳴神上人にしてからが、修行を積んだ尊いお上人様っていうよりは、まだおぼこい少年に見えちゃって。
でも、一生懸命で、やっぱりヤなことしなくて、私は好きでした。
御曹司たちがこんなにうまくなってて(御勉強芝居なんて言いましたけど、どんどんうまくなってる、その途上だってことです)、こんなに華があって、それで努力もしてるってこと、21世紀歌舞伎組の人達は、知ってると思うけど......。
とにかく御曹司たちも21世紀歌舞伎組の人達も、みんな頑張れ、頑張れ、頑張れですね。
1999年1月19日/ Kyoko O




昨日、松竹座の夜の部を観てきました。2列目の9番、花道寄りの通路際という、た〜らた〜ら(涎が…)という席で。
普通、猿之助さんの公演だと、原則として(ということはタマに例外もあるってことですが。)3列目までは取らない、イエイエ取れない!私です。だって、ドキドキ、バクバク、芝居どころじゃない、なんて感じになってしまうんです。
昨年の10月、松竹座で久しぶりに最前列に座ったんですけど、手の置き場所はこれでええかな?とか、脚はキチンとしとかなアカンとか、コッチばっかり観てんとアッチも観な悪いしとか、笑い過ぎたかな?もっと涙ごぼした方がやり甲斐あるやろな…とか、とにかく疲れる、疲れる!!
「みんな一生懸命にやってはるのに、誰がそんなこと気にするネン!」って、分かり過ぎるくらい分かってるんですけど、理屈じゃないんですね。それにあんな至近距離から猿之助さんを見つめるなんて、考えただけでも汗は流れる、目眩は起こるで、私にはやっぱり毒がキツ過ぎるって思うから。(屈折もいいとこだけど、ホントのホントなんですゥ。まったく自分でもよ〜わかりません)
でも昨日は、ジッカリと観て帰ってきましたよ!
昼の部は千秋楽の日に観ることにしたんですが、運良く前がポツンと空いてたりして、私、こちらも迷わず最前列をゲット!この辺が猿之助さん出演の時と違うところやなァ〜、なんて思いながら。

さてその舞台ですが、どの演目も面白く見ごたえがあって堪能して帰ってきました。
土曜の夜ってこともあるのでしょうが、補助席も目いっぱい出ていて、客席は観るぞ〜!という気合充分。
どの演目のどの役者さんも、それぞれがその役に没頭している感じがあって、お芝居の面白さに加えて、「ああ、いいもの観られて、よかったなァ〜」って、とっても爽やかな気分にひたれた舞台でした。
『毛谷村』の段四郎さん、”気は優しくて力持ち”の見本みたいな六助で、いかにもピッタリ。でも初役だったんですね。福助さんの押し掛け女房お園とのやりとりにも、思わず笑いがこぼれてしまうような独特の面白味があったし、なかなかよかったです。それと段四郎さんの声って、強くてふくらみがあって、ホントによく通るいい声だなァと。それにしても『毛谷村』って、平和〜な感じのするお芝居ですねェ。
反対に『時雨の炬燵』は、地味でとっても辛いお芝居というか。
いくつもの義理と人情がぐっちゃぐちゃに絡み合って、「そりゃあもう尼になるより、心中するより、どもしょうがないわなァ…」みたいな。
でも流石 は 若き日の猿之助さんを虜にしたという”和事” だけあって、見事というか、絶妙というか。
笑わせて、楽しませてを繰り返しているうちに、舞台はいつの間にかグングン悲劇に突入していき、観客は三者三様の思いにもらい泣き。近松さんって、ホンマ上手やなァ〜って、つくづく感心してしまいました。
鴈治郎さん、秀太郎さん、扇雀さん、吉弥さんたちで固めた舞台は、間といい、味といい、独特でしたね。サラサラ軽妙に進んでるかと思ったら、ここぞ!という時には一転、クサイ乗りとしつこい突っ込み!これぞ大阪、これぞ上方って感じの劇空間になっていました。
特に揺れ動く女房おさんの心理を見事に表現しきった秀太郎さんはすごかった!別れを決意して花道を入っていく時の迫真の演技はゾクゾクもの。客席からも大きな拍手がわきおこりました。
そしてまた、ガラリと違う玉三郎さんの『娘道成寺』
酔いしれました。ほんと、酔いしれましたとしか表現のしようがありません。
出来れば花道の出のところからやってほしかったですけれど、松竹座の場合は時間の制約が厳しいので仕方なかったのでしょうか。
『娘道成寺』は、これまでにも玉三郎さんのはもちろん、菊五郎さん、鴈治郎さん、勘九郎さんのほか、春秋会では猿之助さんのものまで観ていますが、それぞれに印象が違って、やはり何度観ても興味のつきない演目ですね。
玉三郎さんの『娘道成寺』は、切ない切ない、ひたすら切ない・・・そんな空気が舞台全体を覆っていました。
目も眩むほど華やかな舞台で、溜息がもれるほどに美しい花子が、文字通り爛漫の花のように舞っているのに、とても切なくて哀しいのです。
晴れ渡った青空が、澄んでいればいるほど、高ければ高いほど、泣き出したくなる感じってありますが、玉三郎さんの花子はそれに似ているというか、とにかくそんな感じのする『娘道成寺』でした。
猿之助さんの『娘道成寺』、もう絶対に出ないのかなァ・・・。
玉三郎さんのとも、他の人のとも違った、”意思”を感じさせる、鐘をも焼きつくしてしまいそうなほどに激しく狂おしい恋に泣く猿之助・花子の『娘道成寺』。ああ、ホントにもう一度観たいです。
1999年11月19日/ Miyako K




ご無沙汰していますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、二十一世紀歌舞伎組の巡業は、東京圏最後の19日、新宿文化センターにやっと間に合いました。今回は右近さんという看板が一枚抜けた公演ですが、華やかに三つの演目が並び、しかも全体としてはなかなかやるじゃない!という感じの舞台で、やっぱり無理しても見に行ってよかったです。
というわけで感想です。ただし昔からの澤瀉屋一門ファンとして、期待が大きいからこそ今回はあえてちょっと辛口の感想になっちゃうところもあると思うのですが・・・。

「操り三番叟」。さすが、踊りの名手の猿弥さん、軽妙に楽しく見せてくれました。それと、特に後見の寿猿さん!とっても印象的でした。本当に後見に踊らされてる、って感じがあったんです。一朝一夕には絶対できない、老練な芸を見せていただいたように思います。
片や千歳の若い笑野さん、落ち着いていてきれいで、踊りもとっても上手。感心しました。

それに対して「鳴神」です。面白く見せて、観客も沸いていました。ただ、うーん、個人的には何だか歌舞伎十八番物を見たという気がしなかったんです。それは笑也さんの演技がスーパー歌舞伎の時とあまり違わないからじゃないのかしらと。たとえば、例の、偽の癪を起こす「アイタ!」も、あまりにもナマな感じでした。もう少し様式的なというか、そういう表現であってほしいなと思うんです。
色仕掛けで上人を誘惑するなんていうアブナイ場面にもかかわらず、格調を失わないのは、多分そういう古典の演技術が効いてるからんですよね。それがナマな表現になるとどうしてもちょっといやらしくなるような気がするのですが。
それよりも一番ショックだったことは、注連縄を切ろうとして蔦にすがって岩山に登るところです。
確か10年ほど前の「獨道中五十三驛」でも、重ノ井姫が滝壷に身を投げようとして同じ様に岩山に登るところがありましたが、当時は全然見せ場になってなくて、まあ10年前のこととて、ファンとしても「まだできなくても仕方ないよね」という感じでした。ところが今回の雲の絶間姫でも10年前の重ノ井姫の時と大差なかったような気がするんです。
確かにスーパー歌舞伎の笑也さんはきれいで光っていますね。
でも昨年暮の歌舞伎座昼の部のときに、ふと漏れ聞いた会話、「猿之助の所の人達はスーパー歌舞伎だけだからね、こういうのには出ないのよね」が胸に突き刺さりました。
「そりゃ誤解だ!」と言いたかったけど、あの絶間姫を見たら、やっぱりグッと詰まってしまうものがあります。ファンにとっては、それって、本当に悔しいことなんです。
そういう世間の偏見を打ち破るためにも、古典だって立派にやれるところを、一門の立女形であり、門之助さん、右近さんと共に二十一世紀歌舞伎組の“顔”である笑也さんに見せてほしい!!後に続く人達のためにも。こんな大役をやらせて下さる師匠のためにも。
でも段治郎さんの鳴神上人は“健闘”だったと思います。確かにまだ若すぎるので、あまり鳴神上人らしくは見えなかったけれど、何よりいいのは、教えられた通り、それこそ「やなことしたりせず」真っ正面から丁寧に一生懸命やってるのが伝わってきたことです。最初は硬かったけどだんだん伸び伸びしてきて、特にぶっ返ってからは長身が生きて大きく、六方も迫力があって、とっても魅せていました。

最後は「女伊達」。皆さんのおっしゃる通り、よく似合って本当にきれいでした!でも、私は欲深なので、二人女伊達という設定で、しかもあの二人だったら、もっと面白くできたんじゃないかなんて思いましたけどね。二十一世紀歌舞伎組の「売り」の一つ、きれいな女形コンビの魅力をもっと存分に発揮できるような振り付けにしてほしかったなアと。尤も、15分という短さでは仕方がなかったのかもしれませんけれど・・・。
それにしても私って、「よかった・・・」と思っても、何か言わなきゃおれない、手放しでは誉められないホントに因果な性格なんですねエ〜。皆さまおゆるしを〜。
1999年1月19日/SHOKO.Y




今年も全速力・・・と云っても一年は長いので、まずはゆっくりウォーミングアップから・・・
と思っても、エンジンかかると止まらない(止めれない)私(-_-;))) 誰かさん???を見習って『ブレーキの壊れたトラック』(←!?)は卒業しなければと自省しつつ・・・99年も走り出してしまいました。

12月は千秋楽とともに高熱を出し、流行のインフルエンザで(大掃除も結局途中で放り出したまま)年末年始を迎えました。
それでもしっかり、四天王&浅草中継は観ましたよ。ホント、猿之助さんの舞台を観つつ(録画といえど!)年明けなんて嬉しい限り。

実際の初観劇は、8日浅草夜の部となりました。
三之助は昨年より数段の進歩で、昨秋三人形を観たときも感じましたが、客席の、より強い期待と歓喜を促す「何か」が出てきたように思います。
もともと梨園の超御曹司たちですから生まれた瞬間から、DNAの継承を観たい!という歌舞伎独特(というか父子相伝伝統芸能特有?)の宿命は背負っている訳けですが、ファンの方には申し訳けないけど、私は数年前に三人吉三を中継(録画?)で観たときには、「悪いけど、これだったら三之助観なくてもいいや・・・」と思ったのが、三人形を観て以来「いや〜〜、これから彼らがどうなって行くのか、観ていきたい〜〜。」と思いました。

さて、やっぱり気になるのは鳴神です。
ちょっと辰之助くんには荷が重かったか・・・一生懸命なのは充分伝わってくるけど、どれもこれもいっぱいいっぱいで、で、どうしても顔立ちが幼いから、行を積んだ徳の高いお坊さんには見えません。
亀ちゃんはきっちり演っていましたが、色香で男を落とすには、「女」が不足しているような気がします。
花道からの出のとき、使命を帯びた毅然とした感じがあったのは良かったけど、白雲坊、黒雲坊&鳴神に夫とのことを語って聞かせる場面、もっと色気と、ある意味女のあざとさみたいな部分があった方が面白いと思います。
古典ものってまず『かたち』っていう処があるのかもしれませんが、このお芝居の見所は男女の機微の部分も大きいと思うのでその辺もしっかり魅せて欲しい。

その点は巡業の笑也&段治郎コンビの方が、私にとっては見応えがありました。
21世紀歌舞伎組の巡業はまず、初日の横須賀、そして茅ヶ崎と観ましたが、心配していた(←なんで?((~_~)笑也さんの絶間姫が、なかなか良い出来で、もしかして、笑也さん女性でこんな風に苦労してきた?と思わせるような(笑)目の配り方、さあさあひと芝居打ちますわよ(絶対落しますわ)という女の余裕、(特に「聞いてくだしゃんせ」あたりから。)あっ、あと乳探り(←凄いネーミング^^;)の前(「あ痛っ、痛たた・・・」の台詞に入る前)の間も絶妙でした。客席中の人が鳴神同様、絶間姫の話に引き込まれていくし、乳探りでは静寂が(!)客席を支配しましたもんね。。。
酔いつぶれた鳴神に向かって「本心からではない。」と詫びるものの、でもそれでも勅命を全うすること、ひいては自分の好きな男の役に立ちたいという意志の方が勝る訳けだから、民衆の難儀を救うためというかっこうのエクスキューズがあって良かったね、と思うのは穿ち過ぎ!?
あまりにも絶間の女の描写が自然で、新派っぽくなってしまうのとぎりぎりのところで踏みとどまっているという感じですが、私は笑也さんの絶間姫大好きです。
段治郎さんは、すっきり二枚目の上人で、やっぱり坊さんにしとくには惜しい(爆)約束を反故されたからって、一般人民をも困らせるような法力を使うような狭い了見ならさっさと還俗して、もっと甘美な人生を送りましょう。(←スミマセン。ちゃちゃでした^^;)
上背もありぶっかえってからの扮装も良く似合ってますが、段治郎さん、ちょっと体調が良くないのでわ?と思えるような、やや覇気に乏しいところがありました。

順序が逆になりましたが、操り三番叟ですけど、びっくりしたのが大抜擢の笑野さん。初日から臆することのない流石の踊り手です。(どちらかと云うと門之助さんの方が緊張されていたような。。。)
オグリの三幕目が開いたところで芯に立っていた時から注目していました。
美貌も資質の一つですから、それに加えて舞踊の素養がある、そして、昨年5月の軽井沢での勉強会では台詞もなかなか良かったですから、(←入門して日が浅いわりには)これからが本当に楽しみです〜〜。自分の出番が終わってからも後見が続き、終演まで大健闘でした。
三番叟の猿弥さん、ふとした表情の作り方が猿之助さんを彷彿させるものがあり、もちろん猿之助さんの部屋子として、小さい頃から芸を学んでいるのですから当然といえば当然ですが、前述したような血のつながりはなくとも(←DNAの継承!?)受け継がれていくものがあり、なんだか凄い感傷的な気持ちになってしまって、いつか遠い将来、舞台上に猿之助さんは不在で、お弟子さんたちの中にだけ猿之助さんの面影を見出す日々が来ることを想定してしまって、切なくなってしまいました。
というのは全く私の個人的な想い入れで、舞台上は明るく輝いていて猿弥さんキレイですよ〜〜。
顔も衣装もよく映えてます。
寿猿さんの存在は舞台上の猿弥さんとそして客席にいる私たちをも安心させてくれます。

女伊達はとにかく、最初の視覚的インパクトが強いので(場内が真っ暗になり、幕が上がったその刹那ぱっと照明がつくと、そこは華やいだ吉原の町〜〜という・・・私は立ち並ぶ引手茶屋の遠近法に観る都度感心致します〜〜。)どこの劇場でも歓声が上がります。「まぁ、ずいぶん、いろいろ観せてくれるのねぇ。」という溜め息とともに、感嘆の声が聞こえてきたこともありました。
今回、巡業用には、演目立てもいいし、時間の配分も適切だと思います。
女伊達は(時間的に)物足りなく思う人もいるかもしれないけど、(私の連れも『ずいぶんさっさと終わっちゃうんだねぇ。』とは言っておりましたが)あの最初の感嘆を持続(華やかな背景と光量の強さ、美しい女形の登場。豪華な出囃子など)させたまま、粋な踊りとシンプルな立回りがあって、すっきり終演というのが客席の生理にも合っていたと思います。
実は横須賀・茅ヶ崎の後は新宿〜沼津〜浜松と(私も巡業!?)観劇しましたが、どこでも観客が満足そうに劇場を後にする姿を目撃して、私もとっても嬉しかった!!

話は変りますが、24日は東京で「猿之助さんを囲む会」が開催されました。十二月の国性爺についてや今後の予定等、いろいろなお話がお伺いできて、そして、一ヶ月ぶりに猿之助さんのお顔が見れて、幸せでした(*^^*)
三国志については来月の記者発表で、いよいよ全容が明らかになるとのこと。お楽しみに〜〜〜!!それでは、今年も良い舞台との邂逅を期待して!(で、ブレーキの修理が間に合わない私は、絶間姫以上に評判がいいと噂の亀ちゃんの千代と、巡業千秋楽@大分も観に行く予定です。。。)
1999年1月13日/ Yasuko.W




こんにちは。はままつです。さっそくのお返事ありがとうございます。楽しみにお待ちしております。えーっと。もし、まだ配送の手続きをしていないのでしたら、勤め先にお送りいただけますか?不在がちなもので・・・。

さて、私が歌舞伎を 一番最初に観たのは、高校の時、歌舞伎教室で、吉右衛門さんの”四の切”でした。そのときから、興味はあったのですが、自ら観に行くという行動にまではうつせませんでした。今から思えば惜しいことです。
7、8年ほど前、アルバイト先の休憩室で’今度玉三郎観に行くんだ’という話になりました。
その人は、もと劇団員ということでしたが、歌舞伎はお初だったようです。
”いいなぁ、わたしも観てみたいんだけど、なんだか敷居が高い気がします”という話をしていたら、”わたしも行きたい、行こう”という人がいて、行くことになったのです。
演舞場でした。
2人とも、大感激&大興奮でした。そのときに、「オグリ」のポスターが貼ってあったのです。
それで観た「オグリ」は、おどろきでした。こんな世界があるとは、という。
歌舞伎って、こういうものなんだ、こんなにパワーがあるんだと思いました。
そして、「猿之助ってかっこいい!」 って、単純に思いました。(それまでは、名前しか知りませんでした。お恥ずかしい限りです。)
それから、毎月歌舞伎座に通うようになったのです。でも、東京以外までは追いかけるということはありませんでした。千秋楽もわざとはずしていたし。(いい席がとりずらいから)
が、ある時、たががはずれました。(笑)
きっかけは、なんだったんでしょうねぇ。よく覚えてませんが、再演時の”八犬伝”だったと思います。
当時、上司とあわなくて、会社が嫌で嫌でしかたがなかったのです。
一般事務という単調な仕事もいやでした。嫌で嫌で仕方がなかったけど、でも、何も行動に移せない自分も嫌だったのです。
そのようなときに、”不幸なのは何も生み出さないこと”という台詞を聞いた時に、だーっと涙があふれてしまって・・・。憑き物がおちたように、すっきりしました。
あいかわらず、上司も会社も仕事も嫌だったけど、そんなこと、たいしたことじゃない、わたしにはやりたいことがあるんだって思ったんです。
”ガラスの仮面”という漫画で主人公の北島マヤが”舞台に立っているときは、生きている、って思う”というような台詞をよく言いますが、逆にわたしは舞台を観ていて、その、舞台のパワーを感じるのです。残念ながら、わたしには、それを人に与えることはできませんが。
と、いうわけで、遅ればせながら、びょーき発症したわけです。
昔の舞台写真とかみると、猿之助さんと同じ時代を生きてきたかったっっっっっ!!って痛切に思います。
でも、まぁ、過去を振り返っても戻れないので、今、これからの舞台を追っかけようと。
そのために、働こうと、決心したわけです。
いまだに、会社も仕事も嫌で、いらいらする毎日が続くけど、まぁそれもこれも舞台のためだと。ある程度、割り切れるようになりました。
明日は、水戸まで行きます。もちろん会社は休みます。だって、そのために働いているのだから。
長々と書き続けてしまいました。ここまで読んでいただいてありがとうございます。もし、何か、いつかお手伝いできることがあれば、と思います。
まだまだ、寒いですので、お体には十分気をつけてください。
1999年1月11日/はままつ




寒いです〜。横浜も本格的に寒くなってきました(>_<)。 年々寒いのが苦手となってきてるので、早く暖かくなって欲しいモノです。 (北国にはきっと住めないんだろうなぁ…) 
さてさて、昨日(1/9)横須賀芸術劇場にて二十一世紀歌舞伎組の公演観てきましたよ〜。 
このホールって、今回の公演のこけら落としにふさわしいよい会場でホントよかったですわ。
おととしの秋も(あ〜もうそんなんなっちゃうんか…)思ったけど、もう音響が最高。つけ打ちの音も拍手の反響も耳に優しく響くんですわぁ。 
3つあった演目に全て長唄が入っているのですが、もう〜・その音楽が声が、心地よくて気持ちよくって。 
…特に杵屋崇光さんの声って良いなぁ〜って改めて思いました。 出突っ張りなので、この季節どうかノドの調子充分に気をつけてくださいませ<(_ _)>。

で、お芝居の感想です。

オープニングは猿弥さんの「操り三番叟」。軽妙にやってくれます。門之助さんの翁は ちょっと緊張してたみたい。笑野さんの千歳は落ち着いててキレイだったなぁ〜。 
私的に一番、気に入ったのは寿猿さんの後見(役名であるんですよ〜)。 
いつも猿之助さんの後見を一手に引き受けてるからでしょうね。動きがとってもよくって、 もうすごい光って見えました。最初に舞台に出たときの、四方を睨む時からカッコよかったし(^-^)。 

そして「鳴神」。 今、浅草で亀治郎さんたちがやってるのはまだ未見なので、後で比べるのも楽しみです。 
で・パンフレットにも書いてあったけど、現行よく上演される「鳴神」とちょっと違う型なんですよ。 
…これがなかなか(きわどくって)面白くって。ちょっとしつこくてくどい(笑)んですけど、 
それが良いんですわ。 
でも鳴神上人の段治郎くん、ちょっと爽やか過ぎちゃうかって。キレイなんですけどね〜、場数をふんで図太くなってく事に期待します。
お相手の笑也さんの雲の絶間姫はヒットでした〜(^o^)v 。文屋豊秀が好きで、役に立ちたくて必死に来たって感じしましたも〜ん。
…ちょっと脱線しますが、木原敏江さんの漫画「轟く滝の下で」で強引に最後はハッピーエンドになる二人(鳴神と姫)ってのを頭の中で想像しながら、観てたので、後味悪くなかったです。(やっぱそうじゃないと鳴神上人が可哀想すぎる気が…^- ^;)   

で、ラスト「女伊達」。幕が開くとそこはパッと明るい吉原。そこにこれはまたおうつくしぃ〜お二人 [笑三郎&春猿]が控えてるので、会場も沸きます。ほんとにキレイでうっとり(# 。#) 。 
席が上手側だったのせいか、近くだった笑三郎さんばっか観てしまったけど、理屈抜きに楽しかったです。 こういうあだっぽいのにキリリってした女形さんの出るのって好きだなぁ〜。 
まぁ「操り三番叟」を観てた時に『猿之助さんの三番叟が観たいかなって(前に観た段四郎さんとの 「二人三番叟」の感動が蘇ってきたりして)』、ちょっと思いましたけど(ああ猿弥さんごめんなさい…^-^;;) 
今年の観劇(感激)初めにはちょうどよい今回の公演でした。
何しろ3つ演目の配分が絶妙でしたしね〜。 
ふつう巡業の演目って2つしかないのが殆どなのに、3つあるってすごいですね。
だから、休憩があった とはいえ4時間近くありましたもん。さすがおもだかやらしい「太っ腹なてんこ盛り」(笑)。 
あとは今月、浅草も楽しみだわ〜。  
それではまた。寒さに負けずに行きたいと思います。でわ(^_^)ノ。 
…今夜から始まった大河ドラマ「元禄繚乱」面白いですね〜。 見るつもりなかったのにちょっとテレビつけたら引き込まれてしまいました。年末頃には討ち入りになるのなぁ…。でわでわ。
1999年1月11日/ 幸せごはん




松竹座の新春大歌舞伎の夜の部を9日に観劇してまいりました。
所用で 大阪に行くことになり 今までなら 用件が済んだらそのまますぐに 香川に戻ってましたが歌舞伎を知った今年の私は違います。大阪行きが決まった時から松竹座の夜の部だけでも見てかえろうと計画をたててチケットも発売日に予約してました。
欲をださないほうが いいお席ってとれるものなのでしょうか・・・花道近くの最前列、かぶりつきのお席が取れたのだから。

第一部の毛谷村、段四郎さんの 六助。。。
なぜか 段四郎さんとは ご縁があって 私が歌舞伎に目覚めて以来8月の屋島かがり火歌舞伎にも出演されていたし猿之助さんの舞台以外を観劇するときにも必ず出演されていらっしゃいます。
段四郎さんの六助からは人のよさ、大きさ、力強さ、かわいらさが感じられました。福助さんとのコンビも体型の差がかえってよくてちょっと美女と野獣(悪意はありません。。誉めているつもり)ぽくってなかなかお似合いのカップルでした。

第二部の 京鹿子娘道成寺 の 玉三郎さんには 悩殺されました。
12月に 歌舞伎座で玉三郎さんを見た時は まあ。。きれいね。。というくらいの感想だったのですが、今回は違った。
妖しくて、可愛くて、うつくしくて、可憐でというようにその瞬間、瞬間に女性の持ついろんな種類の魅力を見せてくれました。本当にあの方は芸術作品ですね。
ぼうぜんと 見る私は 玉さまが投げた手ぬぐいが私の あけたままの目に当たった瞬間我にかえりました。もちろん手ぬぐいはゲットしましたけど。
お坊さま達が投げる手ぬぐいも 一個ゲットしてなんて 私ってツイているのと感激、感激。
帰り道 今年は歌舞伎に関してはツイているかも 幸先いいわと勝手に 思い込み軽い足とりで新大阪駅についた私を待っていたのは寒波のための雪で新幹線のダイヤが遅れているとの情報でした。凍えながらいつ来るか分からない新幹線をプラットホ−ムで45分も待ちやっと着いた岡山駅では乗る予定のマリンライナ−はすでに発車した後、次の最終のマリンライナ−が来るまで一時間近くある。。。
ホ−ムに しゃがみこんで寒さに耐える私に向かって同行者が
「猿之助さんに 金毘羅歌舞伎に来て欲しいですよね。。」と 突然話し掛けてきました。
「私、今は猿之助さんよりも マリンライナ−に早く来て欲しい。。」と とっさに答えてしまい笑われました。それぐらい寒かったんです。普段の私だったら何に変えても来て欲しい!!と答えるのに。
幸運と不幸が重なった一日でした。それにしてもやっぱり おっかけには 体力が必要ですね。
1月2月と まだまだ寒い日が続きます。みなさま、雪でのダイヤの 乱れにはくれぐれも御用心ください。
1999年1月10日/ Kikuko T




ゴメンナサイ。「翔」5号、少し読んだだけで、その後はまだ読んでいません。ちょっと読んだ時、「これは読み出したら止まれへん!」と思ったので、冬休みの課題&定期試験が終わるまではお預けにしてるんです。
実は、今年になってから「お金を貯めよう!」(もちろん9.10月のために)と固く心に決めたんですが、母が松竹座の1,2月は連れてってくれそうもないので、自前で行くしかなくて、既に「本当にたまるのか!?」と心配です。
笑三郎さんのビデオも欲しいし、演劇界も毎月買いたい、バックナンバーも買いたい、というふうに欲しいものや観たいものがいっぱいで、結局は一年間ギリギリの生活をしていそうです。
実は「四天王楓江戸粧」もビデオは撮ったものの、同じ理由でまだ観ていません。
放送時間中は友達七人と友達の家で忘年会をやっていて「教育テレビ観たいねんけど・・・」なんて言える雰囲気ではなかったんです。それでもどうしても観たかったんで、午前3時近くになってみんなが眠いと言い出した時、「ちょっと観ていい?」ってやっと少しだけ観ることが出来ました。
一人で
「猿之助さんや!やっぱカッコええわぁ〜」
「笑三郎さんや!キレーな〜」
とか騒いでたら、「なんで顔みただけで分かんの?」とみんなに感心されてしまいました。
そういえば去年の今ごろは猿之助一門の方々も他の一門の方々も、顔と名前が一致する人なんて殆どいませんでした。僅か一年でここまで歌舞伎にハマってしまったのも「翔」のHPのおかげ(せい?)でしょうか。
以前猿之助さんが”はなまるカフェ”に出演された時、軽井沢の合宿所での食事風景を撮影した写真が出ましたよね。当時はまだここまでハマってなかったんで、ただ「いかにも合宿所いう感じの写真やなァ」くらいにしか思わなかったんですが、年末にその写真と、たくさんの靴が並んでる写真が、98年度の”はなまるカフェ優秀賞”に入ってもう一度観たら、
「うわっ、門之助さんと段治郎さんと春猿さんだったのねェ〜」と素顔でもハッキリ分かるようになっていて、自分でもビックリしてしまいました。

もうすぐ待ちに待った歌舞伎組の公演です。
フラッとホールに行ってはチラシを束で持って帰ってきてしまうんで、家には何十まいもチラシがあります。別に何をするというわけではないんですが・・・ファイルの中にも山ほどチラシが入っています。何か使い道を考えないと・・・と思いながらも「何に使うネン!」と自分で自分に突っ込んでしまう私です。
長々とゴメンナサイ。それではまた。
1999年1月 6 日/おさよ




明けましておめでとうございます。 
12月の歌舞伎座は昼夜共に楽しみましたが、年末の忙しさに負けて書き込みが年を越してしまいました。
ということで、久方ぶりにメールをお送りします。  

私は相変わらずの<玉三郎ファン>なので、12月もやはり玉三郎さんがメインの観劇となりました。
で、「昼夜のどちらがより…」と言われれば、昼の部の『蜘蛛の拍子舞』の方が見応えがあったかな…といった気持ちですが、でもどちらもなかなかでしたよね。
特に12月は多くの役者さんが風邪を引かれていたようで、私が観劇した時は猿之助さんも「コホコホ」状態でいらっしゃいましたが、凄い熱演でいらして、それだけでも感激!、でした。 
といったところで、昼夜の感想です。  

昼の部は、『敵討天下茶屋聚』が通し狂言ではありませんでしたが非常に面白かったです。
7月の『義経千本桜』同様、猿之助さんの芸達者ぶりを再認識しました。
きっと通し狂言はもっと迫力があって胸に迫るだろうな、と思います。
それから『蜘蛛の拍子舞』…これは玉三郎ファンとしては大いに満足致しました。
玉三郎さんの隈取りは6月の『日本振袖始』についで年2度目でしたが、美しい妻菊が蜘蛛の精となるその豹変振りには、やはり目を瞠ります。
そして、蜘蛛の精になったと同時に滲み出る玉三郎さんの<男>には、とってもドキドキしてしまいます♪♪。…なあんて蜘蛛の精は男でも女でもないのにねえ!?…私が勝手にそう感じているだけなんですけれど……。でも、そのくらい玉三郎さんの隈取りって迫力ありますよね♪。 

〜〜にもかかわらず、学生時代からの親友は「キレイな玉三郎さんが好きだから」と、『蜘蛛の拍子舞』の途中で夜の部に出演する役者さんの入待ちに3人で席を立ったというではありませんか!?。
この一言をお正月早々聞かされたワタクシは、「一体、何考えてんの??。舞台では役者さんが熱演されているのよ!。そういった心ない行動が贔屓の役者さんの評判をおとすってことがわからないの!?」と、憤慨してしまいました。
皆さんは入待ち・出待ちのためならば他の役者さんの舞台はどうでもいいと思われますか?。
自分の好みに合わない舞台だったからといって途中抜けが許されるでしょうか?。
(まあ、鼾をかかれるよりはましだ、とも言えなくはありませんが…)
我が友人ながら少なからず情けなくなって
「あなたのようなファンがいるから、玉三郎さんは入待ち・出待ちを禁止されているのよ!?」と言っておきましたが、
(「僕のファンクラブは評判が悪いから…」と仰りながらも、「他の役者さんに失礼になる」と入待ち・出待ちは原則として禁止です。)
彼女は…わかってはくれないだろうな…きっと…。
歌舞伎観劇の最低限のマナーって必要だと思うのですが…私の考えが間違っていますか?……少々考え込んでしまっています。 

と、昼の部は思ってもいないことにも遭遇して……でした…。  

夜の部の『国姓爺合戦』は、舞台がかなり目まぐるしく変化するので、ミュージカルの『ラ・ミゼラブル』を思い出しちゃいましたが、壮大なスケールのお話ですよね。
玉三郎さんはとてもお綺麗でしたが、猿之助さん同様かなり感情を抑えられた舞台だな、と感じました。
それから定番のお衣装……綺麗ではありますけれど……お地蔵さんのアブチャン!!、に見えてしまったのは私だけでしょうか!?。
それから猿之助さんも私にはどう見ても<狐忠信>(鳥居前)に見えてしまって…。
……ワタクシ、疲れが溜まっていたのかもしれません…。
でも、虎は可愛くて素晴らしかったですね!!。場内が大いに沸きました。京劇の方や立ち回りの方々の大活躍で躍動感溢れる舞台になっており、また史実では悲劇に終わる物語も華やかな大切りで幕となっていて年の終わりにふさわしい舞台だったと思います。 

…といったところでしょうか…。  

2月の春秋会には玉三郎さんがBプロに出演なさるのでそちらも楽しみです。
そういえば、玉三郎さんのファンクラブからの連絡より早く<おもだか会>から春秋会のお知らせが郵送されてきて驚きましたが、どうやら7月の舞台観劇の時にアンケートに記入した関係で発送されたようです。
猿之助さんの<春秋会>への力の入れ方をひしひしと感じた出来事でした!?。
1999年1月6日/ NagakoY                   

【編集部より】=本当にそういう無神経な人がいるんですよね、どなたのファンにも。だからこそ玉三郎さんも入り待ち出待ち禁止令を出されたのでしょう。さすが玉三郎さんだな・・・と思います。
もちろん猿之助さんや猿之助一門のファンの中にもそういう人たちがいますし、またそれをNagakoさん同様苦々しく思い嘆いているファンも大勢います。
贔屓の役者さんの素の姿を一目!と思うファン心理は、とーってもよく理解していますが、だからって上演中に席を立つなんてのはもってのほか!!入り待ち出待ちにだってやっぱりルールはありますよ。
そういう人たちは、自分たちの行為が結局のところは大好きな役者さんの足を引っ張っているんだってことを思わなくてはね。
あ、それから、「12月は多くの役者さんが風邪を引かれていたようで」 というの、本当にその通りで、猿之助さんもズーッと点滴しながら勤めていらっしゃったんだそうですよ。とてもそんな風にはみえなかったけれど・・・。




テレビ桟敷+ビデオ観劇でお茶をにごしているうちに、(仕事の)初日の幕が上がってしまった。新しいノートの後の付録に「年齢早見表」があった。昭和14年の項に、己卯(つちのとう)60才と書いてあった。それにしても御大が、うさぎ年とは意識していなかった。どうしてもイメージが合わない。狐年なら・・(ゴツン)痛ぇなあ。龍か虎なら納得できる・・虎といえば国姓爺・・強引に時計の針を逆戻りさせて・・一人合点の本歌取りの元ネタ探しをさせて頂きます。

◇序幕早々に春猿さんの皇后が殺されてしまった。千本桜の卿の君を思い出し春猿さんに同情をしていたが、第三幕で御先祖様の白髪頭で登場した。ファン泣かせとも言えるが、御大の遊び心+師匠の親心と受け止めて頂きたい。多様な役に挑戦することが修行であり、御本人の魅力の拡大につながる、本当のファンサービスだと思います。

◇笑三郎さんの柳歌姫。武芸の達人・男勝りの女性を女方=男性が演じるのだからヤヤコシイ話である。舞台の情景は小振りながらも碇知盛の大物浦。最後の台詞は、八大竜王・・・先年のツアー公演の典侍の局を思い出さざるを得なかった。

◇千里ヶ竹。猿弥さんの安大人。顔の造りでオグリの長殿を思い出し、臆病さを表わす花道の演出では、吉野山の速見藤太を思い出した。

◇虎が活躍すれば伊吹山の猪が浮かんでくる。

◇松江の湊で、亀治郎さんの栴檀皇女の足元にひざまづく笑也さんの小むつを見れば、兄姫の後を追うヘタルベを思い出し、配役の妙にうなづく始末。

◇平戸の浜の小むつの、歌舞伎では定番の女房衣装を、鮓屋の若葉の内侍だとは、サスガに言い過ぎかもしれない。

◇立回りになって、笑也さんの衣装が変わった。緋色の胴着に白袴。鳥居前の義経の衣装ではないか。静御前の笑也さんが演じるのだから楽屋落ちの味付けをしたパロディの傑作であろう。

◇肝心要の御大は、衣装は弁慶、鬘は暫く、揚げ幕内での台詞が『待ちゃがれっ。待ちゃぁがれ〜』と、くれば、鳥居前の忠信。三つもまとめて演じるとは、欲張りというべきか、貫禄というべきか。楽しさ嬉しさを通り越してアッケとられていました。

◇物語の本筋を損なわずに、上手に本歌取りをして、名作ダイジェストをオーバーラップした演出に感心しました。話を戻して、卯年といえば、亀治郎さんも年男。テレビ観劇の雲絶間姫は、初日のせいかダイジェストのせいか、元気がないような気がして心配していましたが、評判は上々のようです。浅草が私どもの生初芝居。楽しませて頂きます。
1999年1月6日/ しっぺぇ太郎




翔の皆様、そして猿之助ファンの皆様、あけましておめでとうございます。
新年そうそう ホ−ムペ−ジを 訪問したらさっそく 更新してあるじゃないですか...紅白を見ながらパソコンをたたいていらっしゃったのかしら・・と想像してしまいました。ご苦労様です。

昨年末は 歌舞伎座の千秋楽を観劇できて 大満足!!ほんと いい年が越せました。個人的には蜘蛛の拍子舞が一番素敵だったと思っています。あの舞台だけでもできることならもう一度見たい気分です。奇麗、奇麗の連続の舞台、出演者も豪華だし蜘蛛のぬいぐるみも(?)出るし、玉三郎さんの演じ分けが見事で初心者でも退屈する間もなく楽しめて一時間があっという間にすぎていきました。
観劇前には猿之助丈のお衣装がいまいち似合ってないという 噂(??)も聞きましたが、名前を聞いても、説明されてもちっともピンとこなかったあの衣装..事実まったく違うお衣装を想像してました。(だれか私の頭に合わせてはっきりと”えりまきとかげ風の襟”といって欲しかった。)
でも あの お衣装 、とーっても似合っていたし 素敵でした...もちろん あのお衣装でのプロマイドを買わせていただきました。
それにしても夜の部の 補助席の数は すごかったですね。こんな ところにまで..ここから見えるのかしら...という場所まで椅子がならんでいて人気のほどがうかがえました。
夜の部で 印象に残っているのは やはりあの愛らしい 虎...いえいえ、 猿之助さんの花道での飛び六法でのひっこみ!!!素敵のひとことです。はるかかなた上手の席だったことが残念です。もっと近くで見たかったな..。
21世紀歌舞伎組の皆さんも それぞれ 持ち味が出ていてよかったですね。。。昼、夜、違う魅力の猿之助さん、21世紀歌舞伎組の皆さんを観ることができて満足、満足です。

今年も 昨年後半に ひきつづき 地方というハンディにも負けずできる限り 観劇の機会を持ちたいと思っています。まず一月は松竹座と21世紀歌舞伎組地方巡業公演からです。では皆様とまた劇場で御会いできる事を楽しみにしています。今年もどうかよろしくお願いします。
1999年1月3日/ Kikuko T




新しい一年の始まりです。今年もどうぞよろしく、そしてもちろん『翔・猿之助ファンの広場』をご贔屓に。
大阪はとーっても暖かくよいお天気つづきで、最高のお正月だったと思います。ただし我が家は喪中(昨年義父が他界)ということで、どこにも出掛けず家でゴロゴロを決め込んでいたところ、今度は実父が年末に入院。実際には殆どゴロゴロ気分には浸れないままお正月が終わってしまいました。幸い心配な状況はなくなったらしく、本日退院。ヤレヤレというところです。
それにしても、ここだけの話、入院の知らせ聞かされた時 とっさに思ったのは「よかった、春秋会の時やなくて、十二月公演の最中やなくて」だったんですからねェ・・・。(お父さん、ゴメン、カンニン)

さて、感想です。今回は朝日、毎日、読売、産経、日経、東京新聞他と、身体がムズムズするくらい誉めてもらってファンとしては嬉しい限り。こんなに揃いも揃って誉めまくられると、「もしかしたら面白いことないんかなァ〜、退屈なんかなァ〜?」なんて却って不安になってしまりするって、天の邪鬼?屈折し過ぎ?
でもそれは杞憂で、私は昼・夜ともに充分楽しみました。ただし、奮闘公演じゃなく大一座の中に加わってとなれば、いつものように猿之助さんがおいしい役を一手に引き受けるなんてことは出来ないのだから、そういう意味での満足度は落ちるだろうことは計算に入れた上でのことですが。
一本目の『白石噺』 。出演者の皆さん本当にゴメンナサイ。見逃しました。前日、朝の4時近く(当日の朝ってことか)まで仕事してたもので、いくらなんでも6時起きは無理でした。

というわけで『敵討天下茶屋聚』から。
通しでなかったのは残念だけど、「今年の見納めに猿之助さんを瞼の奥に焼き付けて帰るネン」なんて思いで出かけた私としては満足満足の元右衛門でしたね。
卑しくて、小心で、小心ゆえにエスカレートする残虐さ。 虚勢、へつらい、小心、大胆。人間の心のうちにあるそれら相反するものが、元右衛門の中には誇張された形で凝縮されているんですよね。
猿之助さんはその二面性をくっきりと切り取るように強調して演じていて、そこが、猿之助さんの元右衛門をして「猿之助屈指の傑作。当代一の仁」(上村以和於氏)と評される素晴らしさになっているんだと思うんです。
それに、そういう理屈をつけなくったって、とにかくとにかく ”かっこいい!”
あの花道での本性をあらわす、”戻りの瞬間”のかっこよさ! じーっと当たりを窺う元右衛門の目がギラッ!(ほんとに音が聞こえるもん。ギラッ!って)と光る。もうあそこで私は半分死にましたね。
≪貸座敷≫での、あらわになった腕、脚、血走った眼差し・・・・。その一挙手一投足が”絵”になっていて、目が離せないというよりは、吸い付けられてしまうという感じ。
≪福島天神の森≫の場では、一転、白塗りに黄八丈、緑の帯。袖裏の緋色がチラチラのぞいて、これがまたまた色っぽい。
「びっくりするな、まだある、まだあーる!」悲運の伊織を返り討ちにする時のふてぶてしさ!憎ったらしさ!なのに観客は拍手喝采してしまう。思わず「キャー!私も殺して〜。ギリギリジワジワいじめ殺して〜〜!」なんてネ。(危ない・・・)
歌六さんの弥助はいつもながら実直で情の深い人物になっていて、すごくいい。
それから梅玉さんと門之助さん。登場するだけで既に薄幸の悲運を背負った兄弟という雰囲気がただよい、ハマり役って感じでした。憎ったらしい東間と元右衛門、可哀相な伊織と源次郎兄弟という図式が際立つほどこのお芝居は盛り上がるわけだから。
段四郎さんの東間はもちろん、松江さんの染の井といい、笑三郎さんのお吉といい、それぞれが役にピタリとハマッテいて、≪貸座敷≫≪福島天神の森≫に限って言うなら、最高によかったんじゃないかと私は思っています。

『蜘蛛の拍子舞』 見終わった時、「うわァ、この舞踊、当たりやなァ〜」って思いました。音楽もすごくいいし、三人揃っての連れ舞は綺麗、華やか、快い、嬉しい etc。猿・玉・左の全員が初役だったとのことだけれど、楽ともなれば流石によく揃っていて、思わずこちらの身体までが動き出しそうになるくらい楽しかった。
玉三郎さんの妻菊の出。透き通るような美しさで、体重だとか、体温だとか、そういうものを感じさせない、でもただならぬ緊張感のようなものが廻りの空気には漲っているんですね。しかも正体をあらわしてからも、血走った目、真っ赤な舌、描きなぐった隈取りなど怒りの形相は凄いのに(玉三郎さんの役者魂がビンビン)、雄の蜘蛛じゃなく、女郎蜘蛛だな・・・と思わす優雅さのようなものがちゃんとあって、サスガ・・・って思いましたね。
猿之助さんの頼光は、長所のいきた踊りじゃないような・・・って声もあったけど、付き合うなら貞光じゃなくやっぱり頼光だろうなって気がします。
それに私は、あのちょっともの憂げな、熱に浮されたようなトロンとした、けれどものすご〜〜っく綺麗な猿之助さんも非常に好もし〜く眺めていましたから。くどきのところなども、濃〜い二人の世界になってましたし。でも妻菊と頼光が手を取り合って踊るところ、妻菊の手の中に頼光の手がスッポリと隠れてしまった時は(猿之助さん、手足小さいでしょ)思わず「カワユイ・・」なんてつぶやいてしまいました。

さて、『国性爺合戦』です。
私、かなり好きですよ、このお芝居。だって、いかにも”嬉しいお芝居”って感じが溢れかえっているではありませんか。
プロク゜ラムの表紙絵(三代目・歌川豊国による『国性爺合戦』)を見ると、スーパー歌舞伎も真っ青っていうド派手さですよね。当時は大当たりを取ってすごいロングランを続けたってことだけど、この派手な表紙絵から察すると、たぶん超ど派手なエンターテイメント、スペクタクル、そして多分異国の物語だということが未知の国への憧れ、好奇心などを強く刺激してお客さんを集めたんじゃないかって。もちろんあの近松さんのことだから、それだけには終わらせず、しっかりお得意の義理人情のドラマも描きましょうってことで、甘輝館の件があるけれど、基本的には大エンターテイメント、大スペクタクルの”嬉しい嬉しいお芝居”として作られたものだったんじゃないのかって。
で、それは本当にその通りの舞台として見事に蘇っていたと思いません?
エキゾチツクな大道具、衣裳、中国風な下座音楽も楽しめたし、何たって大虎相手のあの立ち回りの楽しさったら。あんまり虎の動きと表情がチャーミングなもので、猿之助さんを見るのついつい忘れちゃうというのが少々欠点ではあったけど・・・。
でもあの時、猿之助さんまでが、「見て見て、この虎いいでしょ!」「かわいいでしょ!」みたいな感じでやってらっしゃって、そんな猿之助さんが私にはまたまたたまらなく「カワユイ・・」でしたね。
二幕目はじっくり芝居を見せる場ということで、いよいよ注目の玉三郎さん登場。
玉三郎さんの錦祥女は華やかで、凛として、けれどどこか肉親の情に薄い寂しげな影を宿していて・・・第一あのヒラヒラづくしの扮装がいかにもそれらしく似合うんだもの、やっぱり玉三郎さんでなきゃ〜っ気がしました。
錦祥女ってしどころ一杯の役どころだから、玉三郎さん随分乗って演じていらっしゃって、こっちも乗り出して見入ってしまった一幕でした。

それと特筆すべきは今回のバリエーション豊かな立ち回り!! 中でも京劇風のコミカル&スピード感あふれる立てはすぱらしく、それを見事にこなした猿弥さん、猿四郎さんはじめ大勢の演者の皆さんに拍手、拍手ー!!何たって『国性爺合戦』なんだから、華々しい合戦場面って不可欠ですもんね。終演後、楽屋口近くで猿十郎さんにバッタリ。思わず「今回の立て、素晴らしかったです!」と声をかけたら、「ありがとうございます。お陰様で歌舞伎座賞をいただきました」とニッコリ笑顔を残して帰っていかれました。

たしかに猿之助さんは心理描写もあまりない和藤内一役で、何だか物足りないという声、わからないでもありません。甘輝(段四郎さん)や呉三桂(右近さん)の方がむしろかっこいい、しどころのある役だな・・・って私も思うけど、あのお芝居の主役はやっぱりやっぱり和藤内なんですよね。それにあの華やかさと豪快さとそして色気が必要なハリキリボーイの和藤内役、しかも超ど派手なあの扮装に負けない人ってことになったら、結局んとこ猿之助さんをおいて他にはいない!って思うんです。確かに猿之助さん、どの衣裳もよく似合ってたでしょ。それに数々の見得、華やかで豪快な花道の引っ込み、パワフルな立ち回りetc。ネ、少々の不満はあっても(近松さん、もうちょっとおいしい役に書き直して・・・)やっぱりあの和藤内役は猿之助さんのものなんだなって気がするではありませんか。

それよりも今回は、有名な話にも拘らず「通しでは誰も見たことがない」というお芝居の完全通し上演を、猿之助さんがやってのけたってこと!やっぱり、これですよね!!
ごくタマに第二幕近辺の上演はあっても、退屈な芝居の代表みたいに言われ、結果ますます敬遠されることになるという芝居を、こんなに”面白く蘇らせた”その力量、その意思、その情熱に拍手しなきゃ〜って。
プログラム巻末の上演記録を見るとそれがどんなに凄いことかってこと実感出来ます。それによると、お芝居の全様を示すことが大きな使命の一つのはずの国立劇場でさえ、三度上演しているけれど、/千里ケ竹/から/獅子ケ城/甘輝館/紅流し/を経て/元の甘輝館/までが一回。あとはさらに/千里ケ竹/をカットしたものが一回。/甘輝館/の件をカットしたものが一回という有り様なんですね。

因みに今回の公演はどうかっていうと/大明御殿/海登の湊/平戸の浜/千里ケ竹/獅子ケ城楼門/甘輝館/紅流し/元の甘輝館/松江の湊/九仙山/雲門関/龍馬ケ原/石頭城/長楽城/元の九仙山/南京城/というわけで、素直に凄いな、偉いな、よくやったな!!って気になるでしょ。
私は舞台見終わった時、すごーっく誇らしい思いで一杯になりましたもん。
猿之助さんだからこそ出来た”仕事”だな。猿之助ファンでよかったな、って。
1999年1月3日/ Miyako K




北前様を始め、皆さま、あけましておめでとうございます。またポチポチ感想を送りますので、今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m

さて、千秋楽・夜の部を観て去年も無事に終わりました。
12月は昼夜それぞれ2回ずつ通いました。3階席で昼夜通しで観た5日は体調最悪で、そのせいか夜の部の『国性爺合戦』の二幕目は、ほとんど「白河夜船」に乗ってしまったのでした。ううっ。

改めて昼の部は15日に観に行きました。←最前列・花横で。
『天下茶屋聚』 確かに通し狂言でなかったから、話もすっきり終わらないけど、猿之助さんを堪能するってのにはふさわしすぎる演目。
もぅ〜・元右衛門がかっこよくって、かっこよくって(*^-^* )。3階席で観てた時もすごかったけど、間近で観るとホントに目が釘付け。猿之助さんの「自分を見よ」っていう気迫がビシビシ伝わってきて。
もう、そこに立って居るって状態だけでも、決してファンの贔屓目だけじゃなく、パワーが違うもの〜。最初のめくらから、もどりのシーンなんかすっごいカタルシスです。ほぉ〜んとに、かっこいいぃ〜\ (*^^*)/。屋根に潜む場面の虫をはらう仕草のコミカルなリアルさもよいです。
他では歌六さんの弥助の可愛らしさと、梅玉さん&門之助さんの兄弟って雰囲気が似てて良い組み合わせで、二人とも幸薄そうな哀れさがよかったです。

『蜘蛛の拍子舞』は、連れ舞がちょっとアカ抜けないような感じはしたけど、なかなか派手で楽しかったです。主役三方の綺麗なこと(#。#) 。蜘蛛の造型も素晴らしかったし。左團次さんと玉さんとが並んでる姿も、なんだかとってもうれしい。『天下茶屋聚』の暗めな気が晴れて、昼の幕切れにはふさわしかったです。

そして、楽日(26日)の夜の部『国性爺合戦』。だいぶ席は後ろでしたが、また花道横での鑑賞。今回は見逃さないよう気合いをいれました(笑)。
舞台装置・衣装と、そしてペモペモした中国っぽい音響が、エキゾチックな歌舞伎らしい傾いた趣向で。通しにしてくれたので、よぉく内容がわかりました〜。
スピーディに処理されてるので、あっちゅう間な一幕目。<虎>可愛かったですよね〜。ぐる〜っと竹の切り株の上を歩くところ、凄いです。
食事休憩後の二幕目、やっぱ(食後という条件もあるかも )錦祥女の口説きの場面で睡魔に襲われそうになるのをぐっと我慢(^^;) 。でもそれは一瞬で、また面白く中に引き込まれました。見終わってみると、錦祥女は玉さん以外に誰が・・って気がしてきちゃうほどハマってましたね。
そして大詰めのかっこいい立ち回り、単純にとってもスカッとして大満足(^ -^)。…夏の『義経千本桜』の時にカットされちゃった「花矢倉」の憂さが晴らせました(笑)。
亀治郎さんの栴檀皇女は可愛らしかったです。和籐内との唐語のやりとり、超可笑しかった〜(^^;)。なんか和みましたよ(笑)。
あと猿弥さんのバク転、意外性があってとっても効果的でした。三幕目の吾三桂と神様2人が碁盤目から通してみるってのも、面白かったです。
唯一の不満は日本国・日本国って言い過ぎちゃって、忠臣愛国な歌舞伎の物語に馴れてるはずでも、ちょっとへきえき〜。(そんなのは近松に言えって?…^〜^;) 
でも総体的にさすが猿之助さんが復活しただけあって、素晴らしく面白かったです。
芝居でみせるところと視覚的に楽しいところのバランスもとってもよかったし。歌舞伎ならではの、バカバカしさウレしさが目白押しでした (^-^)。一門の役者さんだけじゃなく、舞台に厚みが増していたのもすごーくうれしかったですし。

98年って、ワタシ内のスーパー歌舞伎ベスト1&2の「オグリ」「ヤマトタケル」、そして通し狂言で「義経千本桜」、その他にも通し狂言が2つも観られ、京都造形大の他にも大阪の歌舞伎セミナーもあった凄い年だったんですね〜。(その節はテレビ画面にも映ってしまった…^-^;;) 
さて、今年は21世紀歌舞伎組で幕開けです。そして若手の浅草。舞台上の猿之助さんには、2月の春秋会でお会いできます。またいっぱい素敵な舞台をたくさん観て、たくさん感動して、そのためにも自分自身も頑張って行きたいと思ってます。それでは長々と失礼いたしました。でわでわ〜。
1999年1月1日/幸せごはん

【編集部より】=ホントにねェ〜、通し狂言を打つって一本だけでも大仕事だと思うのに、「摂州合邦辻」「義経千本桜」「国性爺合戦」ですもんね。それに「オグリ」「ヤマトタケル」だってもちろん通し狂言なわけだから・・・。その上に、あの、あの、重量級歌舞伎講座を二回!しかも、あの歳で!!(#。 #) ← それを言っちゃイカン。
まったく、同じ人間の血が流れてるとは思えないですよね〜。




KikukoTさんのお便り(一つ前の)、本当は”私信”となってたんです。でも、なんかとーってもカワユイというか、ファンになり立ての頃のファン心理がすこ゜ーっくでてて、思わず15年前の自分の姿を思い出し、ニタニタしてまいました。
Kikuko T さん、ゴメン!カンニン! ルール違反してしまいました。でも私、基本的にこういうお便り、大好きなんですよね。
だって、直に表現してあるわけではないけれど、Tさんにとって、いま猿之助さんが、遠い遠い人ではあるけれど、どんなに大きく心を占領している存在かってことがよーっく分かるし、見てきた舞台がどんなにTさんをとらえたかってことも同じくとっても分かるんですもの。
とにかく 「猿之助さんが大好き!!」と、声高らかに、なりふりかまわず宣言しなくてはいられないというような人の存在が、私には何にも増して嬉しいことなので(あ、ここにも私がいる!みたいな気がして安心するんですよね、たぶん)、そして私が嬉しいことは、きっと多くの熱烈ファンにとっても嬉しいことに違いないなんて思い込みがあるので、ついつい載せずにはいられなくなってしまうという・・・。
”載せたい病”が疼くようなお便りは、私信と記されていても極タマにはこうなっちゃうこともありますので、要注意って感じですね。でもその辺りは、猿之助ファン&翔ファンにふさわし〜く(?)、おおらかに笑ってお許し下さるはずなんて勝手に確信しているというわけです。

実は私も泣きながら帰ったこと、泣きながら舞台を見たこと、何度かあるんですねェ〜。

≪ーーー 立ち止まったが最後、まっしぐらに引き返してしまいそうな気がして、風のように改札を駆け抜けホームを走り、エイッとばかり発車寸前の新幹線に飛び乗ったのに。
静かに列車が滑り出すと、何故なの?、ポロポロ泣けてくるなんて。
「悲しい別れの後なんだろう」と好奇の視線が注がれて、私は暗い車窓をにらんだまま「そう、たったいま、大好きな人と辛い別れをしてきたんです・・・」なーんて胸の奥で言ってみる。
超多忙の12月は、徹夜で仕事をこなしても、日帰りの観劇行が精一杯。しかも、豪華絢爛のあの花矢倉とカーテンコールの興奮をも捨て、最終列車めざして歌舞伎座を走り出てきたんだもの、「子供みたいに泣いたって、誰に迷惑かけるわけやなし、そんなにジロジロみんといて!」
悲しいからでもなく、嬉しいからでもなく、何が何だかわからなくても泣けるってことありますよね。

師走興行の夜、しかも月曜なのに、人人人で埋まった客席。気迫が漲り燃え立つ舞台。まったく『鳥居前』の忠信のあの雄々しさはどうでしょう。『吉野山』の匂い立つ妖しい美しさと、いよいよ哀切さを増した子狐の愛らしさと・・・。
「どうだ、素晴らしいだろ!猿之助さんは日本一やで!世界一やで!これが泣かずにいられよか!!」それにしても、車窓に映った自分の姿に切ないものがこみあげる。ああ、なんでこんなやっかいなものに足を突っ込んじゃったんだろう。
夢や目標のある自分の人生を、しっかり歩いて行く時の、飾りのように、心の寄り道のように、猿之助さんの舞台と猿之助さんがあるというのが理想だけれど、実際は、むしろ私の日々のど真中にドカッと居座っているようで、しんどいったらありません。
猿之助さんを知る前の、あの心静な日々よ、「 カムバーック !」 ≫

これ、昭和60年の暮れだから、ちょうど14年前「義経千本桜・忠信編」の時の私なんですね。ファンになって2年あまりの頃、後援会誌に投稿したものなんですけど、ね、一緒でしょ。

それにしても、あれからもう14年も経ったなんて、し、し、しんじられへ〜ん!という心境です。いまだにファンとして大した成長もせず、同じレベルに止まって、「キャー」とか「ヒィー」とか騒いでいるんだから・・・。これでいいのかしらねぇ〜。
12月舞台の感想は私もお正月休みに・・・。(一応主婦してるもんで流石に年末は忙しい)
どうせ書いても「キャー」「ヒィー」といった感想なんですけどね。
それではみなさま、一年間ホントにお世話になりました。よいお年をお迎えください。
1998年12月30日/北前 美耶子




秋楽遠征お疲れ様でした。東京では大変お世話になりました。
帰り道、羽田に 向かうモノレ−ルから 東京タワ−のイルミネ−ションを見た時、今度東京に来れるのは7月だな..それまで観劇できないんだな..と思うともう、せつなくてせつなくてさみしくてなさけないけど涙がでそうになりました。
どうして 私は 地方に生まれたんだろう...どうせ 田舎に生まれるのなら東京か大阪にもっと近い田舎に生まれたかったと思えてなりませんでした。
今日も 一日 仕事しながら ため息 ため息です。

えん と いう字を キ−で打った時 猿 とも 縁ともでますよね。 猿之助さんは縁之助さんとも私には言えます。本当にたくさんの縁を私に結んでくださいました。
歌舞伎に出会えた事 。それが おもだかやの舞台だった事。そして 北前さんや翔のメンバ−の方々をはじめ多くの猿之助ファンの方々と出会えた事などなど。
縁というものの素晴らしさを知った1998年の後半は 、私にとって とても素敵な時間でした。
とり急ぎ お礼かたがた メ−ルいたしました。また 千秋楽の感想は お正月休みにゆっくり書きたいと思っています。
1998年12月29日 / Kikuko T




十二月、私の初見は昼の部が7日、夜の部は9日でした。
初日、昼の部にはプロンプターが入っていたことや、国性爺も初日から数日アクシデントがあったりしたことを友人たちから聞いており、なんとなく心配だったのですが、7日昼の部を観たとき、そして9日と、いつもの熱っぽさのようなものが感じられず、(それはあくまでも私が感じなかったということですが)ずいぶんさらさらっと、舞台が進行していくなぁ、というのが第一印象でした。

天下茶屋の元右衛門は、すっかり猿之助さんのもので、ご本人も楽しそうに生き生きとなさってますから、どーにも悪い奴なのに、観てるこちらの方も楽しくなってしいます。
通しの舞台が面白いのをみんな知っているとは思いますが、元右衛門の魅せるところは十分詰まっているし、共演の役者さんのしどころも損なわず、これはこれで上手く纏まっていると思いました。
「敵討ちはどうしたん?」と叫んでいた知人もおりましたが(笑)。
(ハハハ、『返り討ち』天下茶屋なのだ〜〜!?)
今回の演目の中ではいちばん猿之助さんも綺麗だし。(とワタシは思う・・・)最初の按摩姿、大好き。シンプルで猿之助さんの顔立ちの美しさが引き立つ。(ミーハーとしてはやはりこれが大切!)
それぞれの役どころもぴったりで、いい舞台なのになぜかあっさり目の前を過ぎていくという感じで、ぐっと引き込まれるものがなかった。でも何度か幕見もしましたが、これが一番安定していたとは思います。

蜘蛛の拍子舞は、7日の観劇ではあまり三人が揃っているようには見えませんでしたが・・・猿之助さんの小忌衣も違和感があったし・・・(^^;)見慣れないだけでしょうか?
猿之助さんが貞光で、梅玉さんが頼光でも良かったかも・・・と。
それでは、ありがちすぎる配役?
そのあと一度幕見をして、そして楽に観たのですが、初見では違和感の強かった猿之助さんの頼光もこの日は前シテ、蒼白な雰囲気がちょっと漂っていて(だんだん役が乗り移っていくのかしら)でも、猿之助さんの長所が活かされる舞踊ではないように、私は感じました。

さて、国性爺合戦は復活通狂言ということで、期待値(最)大!で臨んだのですが、冒頭にも書いたように、なんだかいつもの、心臓の中にぐっと手を入れられて、魂を掴み取られるような激しさを感じられず、なんだか血中興奮濃度が低い自分を発見して「なんで〜〜!?」とずっと思っていたのですが、たぶん、和藤内にあまり感情移入出来ないからかしら?と思うに至りました。
確かに、おもだかニュースのコメントを読み返してみれば、「芝居的な活躍がない人物」と紹介されてます。「それを荒事に当てて豪勇の存在感を出す」と・・・。
しかし、ここのところずっと、猿之助さんの演じる役の心理描写に共鳴し、涙を流し、あるいは何かを仮託するというような見方をしていたので、そういった部分での物足りなさを感じてしまいました。

道具立ても立派だし、下座の音楽もとても良かった。
顔合わせの大きな芝居なのに、猿之助さんにしどころが(少)ないというのは、ちょっと(かなり)淋しい。
視覚美(?)も、はっきり言って、最初に見たときは、あまりの極彩色の氾濫に引いてしまったのですが、後に三階席から観たときは、全体のバランスからあれくらいでないと主人公としては際立たないのね、と認識しました。
(玉三郎さんの衣装も ^^;)
江戸時代には、見知らぬ国への憧憬(と想像)だったのかもしれませんが、現代の私たちにとっては二重のパロディですね。

あと、大道具の展開の良さも上からの方がよく分かりました。
でも、なんだか段四郎さん(←の扮装を見てつい『関羽』と思った人多数!?)や歌六さんの方がすっきりした衣裳でカッコいいんだもん。。。。

あるいは顔合わせの芝居というのは、こういう物であるというのがはっきり示された舞台とも言えるのかもしれません。
猿之助さん(だけ)が芯になってぐいぐいと引っ張るというものでなく各役者さんに均等に配分されるというか。
最初の観劇はやっぱり猿之助さんが何をするのか・・ばかりに気を取られる。でも、何度か観て(といっても今月はあまり観劇できなかったのですが)そして、楽日にやっと、私なりに国性爺の面白さが分かってきたような気がしました。

若手の役者さんについては笑三郎さんは短い場面でも情の深さが良く出てたし、笑也さんも、女の可愛らしさから一変して、若武者風の立ち廻り、かつてはトンボも返っていた笑也さんだからこそのしっかりした殺陣でした。
トンボといえば、猿弥さん・・・。まさかバック転まで披露してくれるとは〜〜。猿四郎さんの、切れのあるきびきびとした動作もさすがですね。立廻りの要のところでは必ず魅せてくれます。
門之助さんと春猿さんの白髪良かったです〜〜!!二人とも九仙山の方が雰囲気があって良かった。なんかあの場面、色彩の氾濫から解放されてほっと(?)するんですよね。右近さんの濃さがあのシンプルな場面ではドラマ的にはちょうどいいカンジだし、あの戦の場面を碁盤の幻想で見せるのは面白い趣向だなと思いました。
これって今回のオリジナルでなくてもともと本行もそういう演出なのかしら?

大掛かりで、とても手間暇かけて丁寧に作られた舞台というのはよく分かるし、確かに虎狩りや立廻りは観る者を沸かせる力はある。
朝日の劇評にあった「快作・労作」というのもつくづく納得。でもその話をしてた時、おもだかな友人が「でも傑作じゃないのね?」と言った一言に私も引っかかります。
たぶん、歌舞伎の趣向自体を純粋に楽しむという目で観ていれば、とても面白いものだとは、思いますが。
(きゃ〜〜、なんだか長いわりには纏まりのない文章。でも感じたことを素直に打鍵していたらこうなってしまいました・・)

追伸:疾風のようにお車に乗られ、軽井沢に向かった猿之助さん・・・なんだかとても遠い異星に旅立っていってしまわれたような寂しさを感じます・・・早く帰還して下さいね〜〜(と叫べど、春秋会までお会い出来ないのですね。。。)
1998年12月29日/Yasuko W

【編集部より】=猿之助さんへの思いゆえに舞台への思い入れも深くなるんだけど、もっとおおらかにゆったり観ないとしんど〜くなるよォ。歌舞伎っていろいろあるんだから、いろいろ。それに何たって通し上演の初演なんだもの。
「ヤマトタケル」だって12年をかけて現在の舞台になったんだし、「千本桜」だって「忠臣蔵」だって、初演時から傑作だったと思う?
一つの舞台が生まれ、それがどんどん秀作になり傑作に育っていくのをあーでもないこーでもないとワクワクしながら見続ける楽しみって、すごーっく大きいのだから、むしろそういう楽しみをより多く持つことが出来る猿之助ファンって、とても恵まれてる・・・と思っているのですが。




北前様、お疲れ様でした。ひるです。25日はちゃんと御挨拶もせず、失礼いたしました。
千秋楽は出待ちなさったのでしょうか? 私は知人に挨拶しただけで帰ってしまったのですが、すごい人でしたね〜ぇ。

で、舞台の感想を。私も北前さんと同じく25、26日と観ました。
最初の観劇日は昼夜とも1列目の花横あたり。めちゃくちゃ良い席なのに、なんだか観てても気が乗らない。面白いことは、面白いんだけど、なにかちょっと引っかかるものがあるような気がして……。

次の日は、両方とも3階席。ところが、ところがすっごく面白い!!
2回観てようやく面白さがわかるなんて。
別に話が複雑なわけでも、台詞が難しいわけでもないのに…。
で、その理由を考えてみました。『国性爺合戦』って当たり前ですけど、義太夫のしめる割合が大きいですよね。
しばらくちゃんとした義太夫狂言をみてなかった私は、そのテンポをすっかり忘れていて、一回目の観劇の時には違和感を感じてしまった……。って違うかな?ただ単に私がおバカで、始めてみるお芝居を一回じゃぁ理解できなかった。ってのもあり得るセンですが……。

今回の収穫は、男装の麗人(^^)な笑也さんと、思わず手を伸ばしてとってしまった蜘蛛の糸。蜘蛛の糸や笑也さんの写真を手に、にへらにへら笑いながら過ごしております。
それでは、良いお年を……。
1998年12月28日/ ひる




猿之助様一門へのファンレターはどこへだしたらいいのかと聞かれたのですか・・・
「株式会社おもだか」でしたっけ? あそこへ出せばいいのかなぁ???
ホームページがある人は、掲示板に書き込んだり
お便りコーナーに出れば本人に見てもらえるのかな???
友達に聞かれたんですの。教えてください!
1998年12月24日 / りんご

【編集部より】=公演中の劇場気付で出すのが最も早く確実に届く方法だと思います。公演が無い時は、後援会あてに出すといいでしょう。
因みに猿之助さんの場合は・・・
『おもだか会』/〒160-0015 新宿区大京町20−3 福住ハイツ206/03−3359−5205

※「株式会社おもだか」というのはプロダクションであって、後援会とは別になります。お間違いなく。いずれにしても、役者さんにとってファンレターほど嬉しいものはないと聞きますから、ドシドシ書いてお出しになることを是非おすすめします。名文じゃなくっても、通の鑑賞眼なんかなくっても、感じたままを飾らずありのままに書きさえすればいいのですから。
因みに私(北前)の場合、最初のファンレターが16枚という(!)
会社休んで、お姉ちゃんと3才の弟を母に預け、ご飯食べるのも忘れて、正真正銘一日がかりで書いたんですね。たしか結びの言葉は、「これからは、客席の片隅から人知れず静かに深く舞台を見つめる、そういう本物のファンに育って行きたいと思います・・」みたいなこと書いたような・・・・。
(何ィー!人知れず!?深く静かにィー?!アッハハハハハ〜・・・)




『十二月大歌舞伎』、20日の夜、21日の昼と行ってまいりました。私の今年最後のお楽しみ、虎年の最後を飾るにふさわしい「国性爺合戦」は、いかにも中国の舞台という感じで、赤がふんだんに効果的に使われて、とてもあざやかでした。衣裳もやはり中国風で、とても華やかでうつくしいものでした。中国雑技団の人が中に入った虎は大変可愛く、(目がパチクリ!)とても活躍していました。
下座には胡弓も入っていて不思議な音色を奏で、なかなか面白かったですよ

和藤内はあまり心理描写とかがなく、したがって見せ場もいつもより少ないように思いましたが猿之助さんが立っていらっしゃるだけで私には充分に楽しいものでした。
そして、珍しく笑也さんの立ち回りもありました。後で筋書きを見ると、むかし梅田コマでやったとき笑也さんは虎の後ろ足だったとか。

また、20日の日はNHKの歳末たすけあいで 幕間にロビーで右近さんたちのサイン会があったりして(もちろん並びました。お陰で予約していた歌舞伎そばは、一口食べたところで5分前のベルがなりましたが・・・くっくっくっくやしい。)本当にとても華やかでした。

21日の昼の部は私のとても見たかった「天下茶屋聚」でしたが、猿之助さんの悪人/元右衛門がすごっくよくて、面白くて大笑い。これは是非通しで観たいなと思いました。
そして最後の「蜘蛛の糸拍子舞」。
白塗りの猿之助さんはとても派手で古風で綺麗でした。玉三郎さんもいつものようにとてもあでやかで、左団次さんと三人で踊るところなど、もう華やか華やか、本当に素晴らしいものでした。また、蜘蛛の正体を現してからの玉三郎さんは、顔に隈取りをして、真っ赤な口をカッと開き、あっちこっちに蜘蛛の糸をあざやかになげ、派手に動き回り、いつも綺麗な玉三郎さんしかしらない私はとても感激しました。
私は今年の予定がすべて終わって、いま放心状態ですが、また来年に向けて(来年は段四郎さんが出演される松竹座の正月大歌舞伎の初日から私の一年ははじまります。)エネルギーを蓄えます。
それでは、北前さんはじめ「翔」の皆さま、そして猿之助ファンの皆さま、よいお年を!そして来年もよろしくお願いいたします。
1998年12月21日/康子 S

【編集部より】=こちらこそよろしくお願いします。この一年も猿之助ファン同士として沢山のあたらしい方々といい出会いをすることができました。本当に感謝、感謝です。




昨日、職場の熟女トリオ(修士1年生で、飛び抜けて年齢が高い3人)で「国性爺合戦」にいってきました。
一人は、学生時代に「音楽」の講義をとっていたら歌舞伎鑑賞があって(30年前の千葉大って結構文化的だったのね)、そのおかげで授業以外でも何度かいってた、けど20年ぶりだっていう人。もう一人は「いや〜、小学校以来だよ!」っていう人。
二人ともとっても喜んでくれました。
『小学校以来』の人は「寝ちゃうんじゃないか」とかなり心配してた(本人が)のですが、「面白いね〜、眠くなるとこなんか無かったよ!」
『20年ぶり』のほうは「場面転換がすっごくスムーズで、ずいぶん進歩したのね!」というので、あれは猿之助さんがとっても神経使って一生懸命工夫してらっしゃるんで、まだまだチンタラのろいのもある、と説明しておきました。
二人とも声をそろえてたのは、「猿之助さんって、かっこいいねェ〜」って。それと「あんなに声のいい人だとは知らなかった、台詞がとっても分かりやすいね」ですって。!!!声いいんだって!、うれしいわあ〜。
ただ『小学校以来』 はエレクトーンかなんかの先生でもあって「歌舞伎は素人だけど耳だけはいい」んだそうで、「猿之助さんって、他の人とちょっと台詞回しというかイントネーション違わない?」なんて言うんですよ。私「荒事だからね、そのせいもあるのよ…、それにその独特のところが猿之助節というか・・・」なんて。
昨日のトラさんは、また振りつけ変わってました。前は側宙だったのが、今度は「連続後方宙返り」。同じ人らしいんだけど側宙で捻挫かなんかして、2、3日猿四郎さんに変わって、今度は振りをかえたらしいです。
とにかくかわゆいです。見慣れてきたら、昼よか夜のほうが面白いくらい。

昼の元右衛門はそりゃすっごくいいけど、やっぱり通しじゃ無いのはもの足りないです。
頼光様は、特にえぼしになってからがとおーっても綺麗ですよ。 小忌衣がイマイチ似合ってなかったかな?って気がしないでもないけど。でも踊りそのものは、”拍子舞”というだけあって、よく揃い(初日頃はピタッって感じじゃなかったですから)文句なく楽しめます。
ではまた。
1998年12月21日/ Kyoko O




国姓爺合戦は、初心者が観て面白く、歌舞伎通にとっても見所が沢山あり、御贔屓違いの中級者が観ても納得する、懐の深い芝居だと思いました。だが、しし・・・澤潟屋贔屓の皆様の中には、満足はしたけれど大満足では無かったと思う方がいらっしゃるような気がします。(ゴツン)
「痛ぇなあ・・」
「ぜいたく言ってんなぁ、おまいさんのこっちゃないのかい・・」
「そりゃまぁ、そうだがよぉ。考えてもみねぇ。オグリ、千本桜、ヤマトタケルと立て続けに2回ずつ見ちまったんだぜ。歌舞伎の歴史に残る名作ばかりじゃねぇか!!目が奢ってもしょうがねぇやな。なにもかも御大が悪いんじゃねぇか(ゴツン・ゴツン・ゴツン)イテテテテ・・」
「お芝居のハナからキリ迄、ニヤニヤ、デレデレして喜んでたなぁ、何処のどいつだぃ。おまけに掛け声を3回も掛けちまってさぁ。今度は3列目だから、大人しくしてるって言ったじゃぁないか・・」
「ありゃあ声のヤツが勝手に出ちまったんでぃ。おいらのせいじゃねぇや(ゴツン)痛ぇなあ・・」
「また言い訳かい。男らしくないよ・・」
「てやんでぇ。おめぇこそ、もっと女らしくしろってんでぃ。」(ポカリ)!バタバタバタンの大立回りぃ〜

<閑話休題>御大は『古典の手法を駆使して国姓爺を復活させる』という主旨のお話をされていましたが、看板に偽り無しでございました。
大掛かりな舞台装置と、小さな工夫を上手く組み合わせたスピーディーな場面転換の見事さに加えて、それぞれの場面、エビソードは、いいとこ取り=本歌取りの集大成のようでした。歌舞伎に詳しい方ほど楽しみが多いのではないでしょうか。
そこで、小生も、つたなき本歌取りを御披露申し上げ奉りまするぅ〜

【水くくる 祥花もみじと 見まごうは 情義ハザマの 錦なりしか】

◇祥花→この歌では、紅葉に対応してサクラと詠んで下さい。無理矢理、祥という字を使った、手前勝手な当て読みなので、世間に通用するわけではないことを御承知おき下さい。祥の字には、幸せ、慶事、尊い、とかの意味があるとのことです。
◇情義→ナサケと読んで下さい。芝居では、人情と義理が両方からんでいますので、文字は情義としましたが、言葉の感じが堅いうえに、三角定規と間違えられるかもしれない?(ゴツン)痛ぇなあ・・なお、本歌は、古今集から、百人一首に撰ばれた歌です。

【千早ぶる 神代もきかず たつた川 からくれなゐに 水くくるとは】

ことによったら、原作者の近松さんも、この歌をヒントにして、紅流しの場を作られたのではないか??と思っていますが・・・ 楼門の場での、玉三郎さんは、美しさ、風格・存在感だけでなく、ときおりちょっと甘えた台詞廻しをまじえて、親を慕う娘の気持ちを表現するなど、見事というか、流石というか、当たり前というか・・・申し分ありませんでした。 
甘輝館では、母・渚の宗十郎さんが素晴らしかった。自然体の柔らかな演じ方なのにグイグイと引きつけられ、涙を流してしまいました。千里ヶ竹の場では、虎さんを相手にお芝居を楽しんでいるような感じでした。一月の国立劇場では<散切りお富>を<復活上演>されるとのこと。御大と同じ志を持ち、実行をしていらっしゃいます。御活躍を期待しています。 
第三幕は、歌舞伎には珍しい?澤潟一門では当たり前?得意とする大活劇。歌舞伎のキの字が、ニンベンなのがもっともだと納得させられました。絡みの皆様が大奮闘でした。なかでも、猿四郎さんが、殺陣軍団のキャプテンとして出ずっぱりの大活躍でした。名もなき役ばかりなので、一般人?は、気が付かなかったかもしれませんが、敢闘賞をさしあげたいと思います。 
この場は、一門の皆様が入れ替わり立ち替わで登場してきました。『アレッアレッ。みんなで出て来るじゃん』と家内がつぶやいていました。いろいろなパターンの立ち回りを見せて下さいます。本歌取りも様々です。
御大は欲張りで一度に二つ(三つかな?)まとめてやってました。観劇中にわかった元ネタは、御大と笑三郎さんだけだったのですが、感想を書こうと思い出しているとイロイロとわかってきました。配役にも楽屋落ち風の仕掛けがあったとのではないかと思います。例えば・・(ゴツン)痛ぇなあ・・で、ございます。 
BSの歌舞伎講座で、御大は<見得はクローズアップ>と解説されましたがイイトコ取りのパロディは、オーバーラップであり、名場面ハイライトであり一粒で二度も三度もおいしいファンサービスなのだと実感しています。例えば・・(ゴツン)痛ぇなあ・・男だったら我慢おしよ!
1998年12月20日/しっぺえ太郎




北前さん、こんばんわ。ご無沙汰しています、歌六さんファンの南です。
先日BSで放映していたワークショップ。ああいう内容だったんですね。

実はあのワークショップの募集を知ったとき、「おお!これは応募せねば!」と思いながらも、うっかり締切日を忘れてしまって応募しなかったのです。知り合いが応募したのですが、書類選考は通過したものの、次の選考で落ちてしまったんです。
その子が「南さん、ワークショップの発表が中座であるから見に行きませんか?」というので「ああ、いいよ」と言ったのだけど、一向に詳細を言ってこない!ギリギリになって「見学希望者が多くて選にもれました」
その時はただの発表会だと思っていたので「まあ、いいか」と思っていたのですが、まさかあのような内容だったとは!
行きたかった!出たかった!

軽い気持ちで放送を見ていたのですが、気がついたら正座で画面を凝視していましたよ。テレビの前から離れられなくなってました。

私は10年以上お芝居をしています。猿之助さんのおっしゃられていたことは過去に先輩諸氏から言われたことと一致するのですが、そういう場合「言葉」だけで言われたり、こちらがその「言葉」を受け止められる状態じゃなかったりで、理解度はかなり低かったりします。後になって「ああ、そうか」というのが多いのです。

でも、あれだけの長時間、実演をまじえて下さると実にわかりやすい。お話を聞いていて感心したり、反省したり。見ていたらだんだんと耳が痛くなってきましたよ。
「歌舞伎の講座」という枠にとらわれず、演劇の講座としてもとても良い番組だと思います。

もう一つ思ったことがあります。
番組中に一門の方々が懸命に受講生に教えておられるシーンが見受けられました。人に教えることって難しいですよね。普段自分が自然に出来ていることなんて特に教えにくいと思います。でも教えることによって自分の中に理論が生まれていくと思うのです。形になっていくと思うのです。それって役者をやっていく上でとてもプラスになるような気がします。一門の方々はとても良い機会を与えられているなあと思いました。そういう経験が一門の力量向上に繋がるのだと思います。

猿之助さんが番組で見せてくれたのは単なる歌舞伎の講座だけじゃなかったような気がします。

ああ、もっと前にこんな講座見たかったです。
どなたかの文章で「この講座を教材に」というのがありましたね。賛成です!生徒さんをどんどん感動させてあげてください。長くなりましたが、この辺で失礼します。

追伸:「講座」を見ていて‘キレのいい、殺陣のうまい’この人は誰なんだろう?と思った方がいらっしゃいました。猿四郎さんでした。大きな役を貰って、実力をもっともっと生かして欲しいと思いました。がんばれ〜!猿四郎!
1998年12月20日/ ・:*:・ ゜★,。・ 南 '☆ ,。・:*:・°




「BS2の放送、再放送して下さい」ってNHKにメールを打ちました。そしたらそういう希望が多いらしく「再放送を検討します」というメールが返ってきたんです!!本当にそうなるとうれしい!形式的なサービス回答だけじゃないことを祈ってます。
友達にビデオを撮ってもらったんですが、7・8日のぶんはそれぞれ別のテープに撮ってくれたんですが、9・10日のぶんは3倍速で一つのテープに撮ってあるのです。こだわる私としては、再放送があった時にはそれぞれを別のテープに標準で撮って、永久保存版にしたい!と思っています。
1998年12月16日/ おさよでした。




大歌舞伎見てきました。
第一感想
・・・ううん・・・すっげぇ・・・ってかんじ。 もっと堅苦しいものかと思ってたんですけど、結構笑えたりするところもあってイメージと違ったデス。
11日昼の部を2等席(でも、花道の横)
12日夜の部を3階席(前から3列目ど真ん中)で見ました。

昼の部
やっぱり思いましたが、調子というか、テンポのいいのが楽しいですね。
3幕全部お話が違うというのがちょっと付いていくのが大変でした。
それから、イヤホンガイドがないとちょっとまだ分からないとこもありますね。超初心者には。

「敵討天下茶屋聚」
猿之助さん面白かった。
すごいリアリズムで
藪蚊にさされたりするところ・・・笑いました。
「蜘蛛の拍子舞」
玉三郎さん初めてみたけど、流石に綺麗ですね。
でも、あたしは笑也さんや笑三郎さんも好きですね。はっきり自覚しました。
やっぱりああいう、テンポがあって面白いのは、楽しいですねえ。
でもでも、やっぱりすっごく長いので、腰やお尻がいたくなるし、1度は眠くなってくるんですよ。
鍛錬がたりんのかな???

夜の部は
「昼の部より眠くなるよ・・・たぶん」っていってる人もいたけど、昼より私は好きだな。
お客さんがマダムっぽい人やお金持ち母娘(無論二人とも着物)が多くて、昼より大向こうかける人がおおくて(あたしもやってみたい)、面白かった。

猿之助さん、いいねぇ・・・!
ひゃーかっちょええーっていかんじで、楽しかった。

すごい面白ろかった! 猿弥さん、
その声にしびれた! 左團次さん、
そこはかとなくかわゆかった! 亀治郎さん、
気高くて美しかった! 笑三郎さん、
・・・書ききれませんね。 よかったです。行って本当によかった。
正直もっと違うもの(難しくて、堅苦しくて、退屈で・・・)想像していたので・・・。
では・・・また! 1998年12月16日/りんご




ご無沙汰しています。七月頃に一度お便りさせて頂いたアツコと申します。
BS2の「歌舞伎講座」中継、とてもおもしろかったです。歌舞伎の講義なんていうと、誰もが堅苦しくて退屈で難しくて、なんて思い込んでいると思うんです。それが、歌舞伎の全てを体系的に、論理的にきっちりと講義して、しかもあんなに面白い!
「猿之助さんは教育者としても超一流だ 」という梅原猛先生の言葉を読んだことがありますが、深く納得しました。
それはKikukoさんもおっしゃってますが、歌舞伎が好きで好きで大好きで、伝えたい、分かって欲しい、好きになってもらいたい!!そういう祈りにも近い思いが猿之助さんの中にあるからで、その通りそういう思いが渦巻いているのが見えるような講義でしたね。猿之助さんが、とにかく大好きな歌舞伎のことを話すのが楽しくて嬉しくてしかたない!みたいな感じだったのがなんかカワイかったです。

紋付き袴の”素”で演じられた「連獅子」「正岡」「松の廊下の刃傷」「封印切」「弁天小僧」「毛抜」「一本刀土俵入」などなど、どれも本物の舞台以上に引き込まれました。”素”だからこそ、よけいに役者さんたちの真剣な眼差し、集中力、気迫等が迫ってくる感じで、ついテレビに向かってるんだってことを忘れ息を殺して見入ってしまいました。

学校の教材に使いたいという意見、本当にそう思います。大方の生徒が寝たおしちゃうような(引率の先生までが眠っちゃたりするのよ〜)鑑賞教室に大金使って連れていくより、この放送を見せる方が、よっぽど興味を示すんじゃないでしょうか。そして次は絶対に本物の舞台を見てみたい!って気になること請け合いです。
あの「歌舞伎講座」は、毎年京都造形芸術大学で講義されている公開講座と同じ内容なんですよね。ヨーシ、来年こそは何がなんでも聴講しよう!!
1998年12月13日/ アツコ




はじめまして。日刊演劇マガジンの方にも書き込んだのですが、8日、10日、11日とBS2の歌舞伎ワークショップを見て深く感動、何か言わずにはおれない気分なもので、ちょっとお邪魔させていただきました。

私は福井県は鯖江市在住の一中学校教師です。 授業のほかには演劇部の顧問も務めているのですが、これは特に演劇について学んだことがあるから、というようなことでは全くなく、ただ歌舞伎が好きで、時々はるばる東京、名古屋、大阪くんだりまで出かけたりしていたところ、勝手に「適任者」にされてしまったというだけのことなのです。

けれども授業のほかに演劇を通して生徒たちと接してみて感じたのは、演劇は正しく総合芸術であり総合教育の手段としてとても有効だということでした。教育の場にもっと演劇を、もっと感動の体験が出来る場をつくることが必要だと痛感しています。

なんだか前置きが長くなってしまいましたが、表題のとおり、猿之助丈とその一門による「市川猿之助のスーパー歌舞伎講座」、全10時間30分を拝見しました。
前々から、丈が芸大の教授であることを知っていましたし、大学での熱血講義の噂も聞いていました。けれど、10時間30分にわたる講義は想像をはるかに超える、正しくスーパーな歌舞伎講座でした。

当然歌舞伎についての講義ですから、歴史から、狂言の種類から、演出・演技術からと、多岐に亘って縦横無尽に語られる内容を通して、歌舞伎を全体的にゆったり大きくとらえることが出来たことはとてもよかったと思っていますが、それよりも印象的だったのは、聴講生の人達全員がなんとも言えないほどいい表情をして講義を受けていたことです。歌舞伎の魅力に引き込まれ、好奇心の塊のようになって丈の話に、またお弟子さんたちの真剣な、火花が散るような実演に見入る彼らの目の輝き!私はいまだ生徒たちの目をあんなに輝かせる授業をしたことがありません。

いろんな意味で、深く感動し、考えさせられた、とても素晴らしい放送でした。いまはあの素晴らしい放送を何とか生徒の教材に使いたいものと考えています。全部は無理でも、一日目のデモンストレーションの2時間だけでも是非生徒達に見せてやりたいのです。
ただ、残念でならないのは、衛星放送であったことです。衛星放送であったからこそあの長時間放送が可能だったのかもしれませんが、地上波による放送であったなら、もっともっと多くの人が見ることができたのにと思うからです。
1998月12月11日/鯖江の女




ズーッと待っていた「歌舞伎講座」、終わってしまいました。
それにしても、平日の 昼間に BSを 見ることができる人ってごく限られていますよね。そんな環境だけでの放送ではあまりにももったいない番組です!
本当に あの 番組の素晴らしさは 想像以上でした。何しろ10時間もの放送ですから週末ゆっくり見ようと思っていたのに、最初の日の放送を10分も見たらもう止まらなくて、延々4時間見続けてしまいました。明日仕事なのに...と思いながらも....。

やっぱり 猿之助さんは 素晴らしい 方ですね。役者さんは いっぱい いらっしゃって、演技で歌舞伎を伝えられる役者さんはいらっしゃっても、あれだけ歌舞伎について(演技ではもちろん)言葉でも人々に伝えられる方はぜったいにいないと思います。
どんなに 歌舞伎を愛して 大切に 思っていらっしゃって 人々に伝えたいと思っていらっしゃるか...、その熱い思いが画面からビンビン伝わってきました。

私、最初は 気楽に 布団にはいって 寝転んで ビデオを見てたのに、皆さんの一生懸命な姿をみてテレビの前に正座して見なきゃいけないわ!!!って気になりました。
はじめは、 歌舞伎ファンではあるけれども特に 猿之助ファンで ないという子には放送があることを伝えていなかったのです。初日の放送を見て、とっても後悔して、木曜日の放送はぜったいに録画するようにすすめました。
それで 今日 聞くと、 さっそく 帰って 見て 、昨夜寝たのは 2時すぎとのこと。やっぱり彼女もちょっと見たが最後やめられなくなったんですね。
「猿之助さんのこと う−んと 見直したでしょ?? 株は上がったでしょ??」と聞くと大きくうなずいてくれました。(ところでメガネを取ると猿之助さんって、とってもハンサムな事に初めて私は気がつきました。遅すぎる??)
26日の 観劇日まで あと 半月。舞台はもちろんですが、またお会いできる事も楽しみにしています。
1998年12月12日/Kikuko T

【編集部より】=はい、遅すぎます! はっきり言わしてもらいますが、猿之助さんは、ハンサムです!




今日は12月9日、猿之助さんのお誕生日です。バースデイケーキ買って帰ったら、家族は当然??てな顔。
「急に食べたなってんもん、ええやん」
「それやったらフツーのショートケーキでよかったのに、もったいな・・・」
「ええの!このま〜るいのんがたべたいの!」 なんてワケのわからん言い訳して切ってたら、脇からジーっと見透かすみたいな視線を送ってるヤツがいる。
うん?って思って振り向いたら、我が家に来てまだ半年にしかならない喜助(猫)がニタニタ笑ってるではありませんか。(ホントにそんな気がした!)

ところで、朝日の劇評、結構早めに出ましたね。やっぱり劇評は早目に出なきゃ意味ないですもんね。
ファックスで送ってくれた人がいて、<千里ケ竹虎狩りの場>の写真に「へぇ〜、これが噂の・・・」とばかり見入ってしまいました。
「労作、力作、快作である」「この作品のスケールの大きさが目の前によみがえった。猿之助とスタッフの大きな功績だ」(国性爺合戦)って。素直に嬉しいね。
めったに出ないめずらしいお芝居だけに、猿之助さん、玉三郎さんはじめ皆さんそれぞれが初役に挑戦ということですが、それぞれが熱演でなかなかいい!ってね。きっと初役のオンパレードで、全員にいい意味の緊張が漲っているのでしょう。
大好きな元右衛門についても、「元右衛門の愛嬌、悪に戻るすごみがなんとも魅力的だ」って。本当に猿之助さんの元右衛門は、憎ったらしくて、かっこよくって、セクシーで、ゾクゾクものですもん。ただ、通しではないから、矢橋の橋蔵さんのおっしゃるように物語としての面白さに欠けると言う点はあるだろうな・・・という気はします。猿之助さんの主張の一つでもある”通しで見せる”ってことがどんなに大きいかってことですよね。
それにしても、「玉三郎初の、<蜘蛛の拍子舞>は、はでに糸が飛ぶ」 はないですよねェ〜。それしかないみたいな書き方で、玉三郎さんのファンならずとも、もうちょっと書くことあるやろに・・・って気がしてしまいましたけど・・・。

ああ〜、早く行きたい、行きたい、行きたい!
でも、12月って、給与、賞与、年末調整と、経理担当者にとっては最高に多忙な一ケ月で、どうしても楽ギリギリにしか行けないんです。ホント、待つ身は長い・・・。

PS=『市川猿之助のスーパー歌舞伎講座』当然ごらんになっていますよね。実際のワークショツプの素晴らしさがTVではどこまで伝わるかって不安があったんですけど、とってもよくまとまっていて、歌舞伎の素晴らしさ、おもしろさ奥深さが、ワクワクドキドしながら見て聞いてしているうちに、自然としっかり分かってしまうという、最高のワークショップ中継になっていると思いました。それと共に猿之助さんの素晴らしさ、そして一門のお弟子さんたちのキラキラした輝きもよく出ていて、たった一回の放送だけだなんて、もったいない!!と思いません?!
ぜったいに絶対に再放送してほしい。歌舞伎ファンのためにはもちろんだけど、歌舞伎を知らない人のためにこそ、ぜひ再放送を検討して欲しい!!って思います。
1998年12月9日/Miyako K




猿之助ファンの皆さん御元気ですか
5日に歌舞伎座の昼の部を観てきました。天下茶屋の安達元右衛門は、期待どうりの出来でした。
しかし平成5年に通しで観ているので、どうしても少し物足りなく感じてしまいました。元右衛門が酒で失敗して段々悪に染まって行くくだりなど、非常に面白かった事を覚えているものですから、あの件がないのは惜しまれます。次回はやはり是非通しでお願いしたいものです。
それと、折角、梅玉丈との共演なのに、もっと同じ場で顔を合わせて舞台で競い合ってほしいですね。
玉三郎丈、左團次丈、梅玉丈などとはなかなか共演の機会が無く、今回の共演はファンとして非常に嬉しい事なのですから。
千秋楽には夜の部を見に行く予定です。きっと熱気がすごいのでしょうね。今から期待しています。
春秋会もAプロBプロ共見に行く予定ですので、皆さんもぜひいらしてください。待っています。
1998年12月9日/矢橋の橋蔵




5日に昼夜通しで行って来ました。もうもう・・・大満足です。昼夜ともとっても充実していて見応えがありました。詳しい感想を書きはじめると長くなってしまうので、今日はとりあえす゜大満足の舞台でした!ということの報告のみですが・・・。

ところで発売中のソワレ1月号に猿之助さんと京劇俳優の李宝春さんとの対談が載っています。見開きの2ページだけですけど、李さんとはどちらも俳優同士だった親御さん達からのおつきあいだそうで、その当時の写真も載ってます。
これはほめてるんですけど、猿之助さんて若いころより今のほうがずっと素敵ですね。男は40過ぎたら顔に責任をもて、とは誰の言葉だったかしら? やっぱり若いころの表面的な美しさではなく、生き様が磨き上げ、内面から魅力がにじみ出る40過ぎの顔がよくなくては駄目ですよね。特に役者さんは。
骸骨とその上に載った皮が多少きれいなんてのはすぐにうつろいます。

そういえば、先日は笑三郎さんのお蔦さんを褒めて下さってありがとう。
松江さんのお蔦さん、何となく想像できます。「演劇界」にも土地の親分の思い者なんだからもっと派手にやったほうが・・・と書いてありました。松江さんって、お行儀のいいキッチリとした芸風の方だから、、それがプラスに作用することもあればマイナスに作用することもあるということなんでしょうね。要するに「崩れた色香」がもっと出ればってことなんでしょうか。
では、楽の日にお会いできるといいですね。
1998年12月 8日 / しずか                            




La Vie de 30ans(ラ・ヴィ・ドゥ・トランタン)という、婦人画報社発行の、雑誌の1月号に“年末年始は歌舞伎・能・狂言・雅楽へ”という特集がありました。電車の中でつり広告を見てバイトの帰りに本屋さんへ寄って、立ち読みしてたんですけど、財布の中のお金で何とか買えそうだったんで、買ってかえりました。税込みで700円です。
市川染五郎さんのインタビュー。ちょっとした歌舞伎のいろんなことの解説。雅楽の東儀秀樹さんのインタビュー。お能の梅若靖記さんのインタビュー。狂言のお豆腐狂言で有名な茂山千三郎さんと、茂山逸平さんのインタビュー。歌舞伎大好きなリリパットアーミーという劇団の座長さんのわかぎえふさんのインタビュー。などなど。
最後に公演スケジュールが載っていてその下に、“近松門左衛門の世界を市川猿之助が魅せる!”と、書いてあり小さいですが、猿之助さんの和藤内姿の写真が載ってます。隣には三之助の写真があり、下の文章に『若手の市川亀治郎にも注目』と書いてあります。なんとなくこの一言と、わかぎえふさんのファンでもあるんで買ってしまったんですけどね。
ただし猿之助さんの情報は写真と歌舞伎座の公演スケジュールが載ってるだけでした。だから、猿之助さんにとってはやっぱり物足りない雑誌かもしれないです。

ところで、『松竹座千秋楽』の感想を読んで、「観慣れてる方の観方と、観始めて1年の私の観方は違うんだなぁ」と感じました。実は私も行っていたんです。でも私は十分楽しめたし、今大阪に歌舞伎役者さんがいらっしゃらないことにすごく寂しさを感じています。私も“花桐いろは”の娘役の人が女優さんだったのは、ちょっと嫌だったんですけどね。(何が嫌なのか上手くは言い表せないんですけど)梅玉さんに「華やかさが足りないような・・・」とのことでしたが、確かに猿之助さんに比べたら、おとなしい感じですけど、猿之助さんには猿之助さんの、梅玉さんには梅玉さんの、吉右衛門さんには吉右衛門さんの魅力や演じ方があるのだから、と私は思います。
今回観たのは夜の部だけでした。1回目に観たときと、今回と“松竹梅〜”の中のネタが少し変わってたんですよ。前回は侍が「♪お七はどこじゃ、お七はどこじゃ」と歌いながら探している時に、一人が饅頭をとって「この饅頭、食べたらおいちいね〜。おいちいね〜お七いねえ〜」(ばんざ〜いていうかんじですね。大喜利みたいですけど)て言ってたんですけど、今回は突然十手を取り出して「♪男だったら一つにかける〜」と歌い出して、他の人が「親分!」ってその人に寄っていって「八はいるけどお七はいねえぜ」というネタでした。この人一番おいしいところを持っていってる気がしました。花道から出てきたときからむっちゃ嬉しそうな顔をしながら、入ってきてたんで、『この人絶対何かするわ!』って予想はついてたんですけどね。
今回観に行ってまた好きな人見つけちゃった。(気が多すぎ)右近さんや笑也さんたちと同じ今回名題試験に合格した、宗丸さんです。これからちょっと応援していこうかなと思いました。
“一條大蔵譚”のとき〜桧垣〜が終わってから〜奥殿〜までの5分間の休憩にオペラグラスを買いに行かされたんです。3階席(実質4階)から2階のロビーまで。階段を駆け降りまた駆け上がり戻ったら、母親が一言「早かってんねぇ」て。他になんかあるやろ!ご苦労様とか、お疲れさまとか。どう思います!
母親は「次は寝るかも」って保名の前に言うんです。でも、結局寝ずにちゃんと観てました。しかし許せないのは横の2人。途中で二人で笑い出すし、なんなんこいつら!と思いながら腹立たしい時間も過ごしました。
ところで座ってた席がなんと、3階1列目の5・6番。これってちょうど花道の真上なんですよね。もうお分かりですね。“ヤマトタケル”で、猿之助さんが入っていったところです。正面からあの宙乗りを見たらどんな感じなんやろう?て思いながら、休憩時間は過ごしてました。
あ、それから、ずっと書こうと思って書き忘れてたんですけど、“ヤマトタケル”の千秋楽に行ったことを母親に言いました。(ちゃんとその日のうちに)「自分だけな〜、そんなことしてな〜」と嫌味ったらしく言われました。でも、どうやった?て聞いてきたんで、感じたままを言いました。その影響もあったのかな?今回もう1回みたいって言い出したのは。
帰りには「ここが楽屋口やで」って母親と楽屋口のところに行きました。でも、終わったばっかりで誰も出てくる気配がないし、雨が降ってたんで帰ってきました。
皆さん12月は歌舞伎座に行かれるんですよね。うらやましい。私は皆さんの感想を読みながら悔しさに浸って歌舞伎組の公演を待ちます。ということで、おさよでした。
1998年12月03日/おさよ




松竹座・十一月大歌舞伎の千秋楽に行ってきました。九、十月と人に言うのもはばかられるくらい通った松竹座ですが、演目により、演者により劇場の雰囲気もかなり変わる感じがするもんだなぁ〜と。
まず、金曜日だったにも拘らず、補助席も出て、3階までも大方は入っていたのですが、特に十月後半の、超満杯、芋の子洗うみたいな連日の客席を知っている者には、ちょっと物足りない気のする客席ではありました。
それと、全体的に平均年齢が高いかなァ〜というのと、九、十月はもっと客層にバラエティがあったなァ・・・という感じがしました。

「花桐いろは」って、随分珍しい狂言とのことでしたが、いわゆる「新歌舞伎狂言」なので、感覚としては商業演劇の時代劇に近い感じで見ていられる、予備知識なしでも、誰にもよく分るといったお芝居でした。歌舞伎人口の少ない大阪でお客を呼ぶためには、こういうわかり易いお芝居で引っ張るということも必要なのかもなァなんて思いつつ見ていました。
泣いたか?泣いたか?もっと泣かしたろか?というような筋立てで、素直〜、且つ涙腺感度良好の私としては、やっぱり最後のあたりクグッっとくるものがありました。
ただ、落ちぶれた人気女形・花桐いろはの娘をやるのが何と女優で、後半はこの娘の泣かせる台詞で引っ張っていくという感がなきにしもあらず。
梅玉さんは前半の全盛時代の”花桐いろは”より(ちょっ華やかさに欠けるような・・・)、落ちぶれてからの、過去の栄光を捨て去り、けれど実はそれに固執してもいるという屈折した演技の方がよかった気がします。
劇中、”花桐いろは”を追っかけしてる娘たちや奥さん連中が登場するんだけど、猿之助さんのストーカー騒ぎのエピソードが入って受けていました。
「五十間四方以内に近づくことまかりならぬ・・・・・」なんて。メートル法がちゃんと尺貫法に直ってるところなども笑えるでしょ。

「一本刀土俵入」はさすが公演回数の多さを誇る人気狂言だし、吉右衛門さんの演じ分けも鮮やかで見ごたえがありました。吉右衛門さん、カッコ良く台詞聞かせてました。ただ、松江さんのお蔦、情があって良かったんだけれど、欲をいうならもうちょっと捨て鉢に生きている女の”色香”も感じさせてほしかったなァ・・・と。
その点、本公演ではまだ実現していないけれど、京都造形大の授業で、また中座のワークショップなどで度々目にした笑三郎さんのお蔦にはそれがあったと私は思ってるんですが・・・。

昼夜通して約一月ぶりに”歌舞伎の空間 ”に身を沈め、それなりに堪能した一日でしたが、見終わった後、何だかな〜んとなく納得できない気分が残りました。
演目の選び方というか、ならべ方というか、観客のことあんまり考えてるとは思えないんですもん。
だって、昼の部は二本とも新歌舞伎の涙頂戴(私は嫌いじゃないけど)で、女優さんは活躍するし、見得もなければツケもなし、もちろん色彩的にも地味〜。「ヤマトタケル」の方がよっぽど歌舞伎だったなァ〜って気分でした。しかも二時半過ぎには終わっちゃって、後ろのお客さんも「エッもう終わり?」なんて言ってました。
対して夜の部には舞踊が三本も出て、その上に「一条大蔵譚」だから、見得、ツケ、華やかさどっさり、いかにも歌舞伎、歌舞伎した世界なんです。おまけに「松竹梅・・・」など笑いもどっさり(あまりにドタバタの軽い笑いで、吉本の芝居見てるような気になりましたけど)で、何か片寄り過ぎてると思ってしまったんですけど。
それから 「一本刀土俵入」「一条大蔵譚」(昼夜を通して 私は一番よかった!)の力の入った吉右衛門さんにたいして、「松竹梅・・・」の吉右衛門さんは、おふざけの役柄みたいなものだから仕方ないのかもしれないけれど、あまりにも軽く流している感じがして(勘九朗さんの軽く流す感じともちょっと違う)、むしろ笑う気がちょっと削がれてしまいました。
これって、おふざけの場まで一生懸命に力を入れてふざけなくては気の済まない猿之助さんを見つけているせいなのかもねぇ〜。

あ・あ・ぁ・ァ〜、あと三日よ、三日!
大好きな猿之助さんの、思わず「殺してー!」なんて言っちゃいそうな 悪〜い奴(元右衛門)にまた会える!玉三郎さん他との共演もス、スゴーイ楽しみだし、それにも増して14年ぶりに取り組む復活通し狂言上演という大目玉!!ほんと12月歌舞伎座は見逃せませんよねー!!!
1998年11月29日/Miyako K




「翔・6号」をお貸し下さり、本当にありがとうございました。”回覧用”をつくり、それを次々と回覧していくというのも、相当な労力ではないかと思ってしまいました。
もう九年も前なんですねェ、この号を作られたのは・・・。当時と今では随分状況は変わっているのだろうと思いますが、猿之助ファンとして色々と鬱屈した想いがあって、こういった一冊になったのでしょうね。何度も何度も読み返し、頭の芯が熱くなるような感覚がしました。

さて、話はコロッと変わりますが、先日の日テレ「アメリカ横断ウルトラクイズ」に猿之助さんの舞台が問題として出題されていました。
質問 = ”ヤマトタケル” ”オグリ”等、三代目市川猿之助が確立したジャンルを何と言う?
答え = もちろん”スーパー歌舞伎 ” ですが、番組の中では不正解でした。(バカ者だー!)
読売テレビが9,10月公演の協賛だったことを思えば不思議ではないのでしょうけど、それを抜いても世間の話題からかけ離れたものは出題対象にはならない訳で、「これはスーパー歌舞伎が完全に根付いたってことじゃ〜〜!」と思い、嬉しくなりました。

歌舞伎座前には12月の大っきな看板が掲げられ、猿之助さんたちの写真を見たら、「うわぁ〜、いよいよだァ・・・」と、目頭が熱くなってしまいました。
タイムリーな記事も新聞に出て、写真の下には ”虎と戦う市川猿之助 ” だって。(もうちょっと別の表現なかったのかしらねェ〜)
なんて言いながらも、何だか嬉しくて、ずーっとずっと、眺めて読んで、しています。それではっ!
1998年11月29/Mami H




寒くなりましたね。皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
今日、12月のチケットが届きました。それを見るたびに顔がニヤけてしまう・・・。
HPのぞくと、売り出し日当日は皆さんもなかなかチケットホン松竹の電話がつながらなかったようで、まだ私はラッキーな方だったってことに気がつきました。

さて、お便りしたのは、今週、BS2で「能と歌舞伎に遊ぶ」という番組があったのですが、まさか猿之助さんが出るとは思わなくてノーチェックだったのです。それで今日何となくお昼休みにNHKのホームページをのぞいていたら、16日(月)に猿之助さんの演目が放送されているじゃないですか。
「キャー、見逃した!!」と思った時、気が付きました。
「うん? ”黒豚 ”?って何??」
これって「黒塚」の間違いですよね!
天下のNHKでもここまでのミスをするんですね。し、しかし”豚 ”はひどすぎる・・・・・。
いけないとは思いつつ、笑わせてもらいました。
1998年11月18日/Kikuko T

【編集部より】=うっそ〜!?と思って覗きに行ったら、確かに”黒豚”でした。しかも”猿扇十種の内”だって。それも書くなら”猿翁十種の内”だろうが〜・・・って、怒りたいんだけど、私も思わず大笑い。ホント笑うしかないわ・・・。




お元気ですか?何度と無くお騒がせ致しましたが、ようやくメールを打つ事が出来、嬉しくてなりません・・・と、言いつつ、実はまだ半信半疑なんですけどね。
ちゃんと届く事を願って、初メールを打たせて戴きます。

とはいえ、何しろ7月の舞台以来、猿之助さんとも歌舞伎とも御無沙汰してしまっているものですから、その後観た芝居やら、色々感じた事など書かせて戴こうと思います。

「小劇場」といわれる芝居を観る機会が多く、人気劇団や、まだこれからという若い集団や、元々弟はこちら方面に詳しい事もあって、様々な劇団を知る事が出来ました。
10月に、劇団M.O.Pの「夏のランナー」を、半ば弟に引きずられるようにして観ました。
戦後、プロ野球が復活して、その事に刺激を受けた人々が自分達も草野球を始める事によってたくましく復興していく姿を、大いに笑わせながらテンポ良く感動的に描いた舞台でした。
本当に面白い良い舞台と出逢えた幸福というものを、今更ご説明をする必要は無いのですが、本当につくづくこの芝居を観る事が出来て良かった!と、内心弟に深く感謝したのでした(面と向かって言うものか・・・あはは)。
こうも強く思ってしまった理由の一つは、今年の初芝居「龍神伝」があったからでした。
本格的に芝居にのめり込んで観るようになって十数年になります。もちろん、まだまだ未熟な集団の芝居も観ましたし、演技力とか脚本とかまだまだ未完成でしかない芝居も観ています。でも、それでも不満はありませんでした。若い役者達の一生懸命で熱い気持ちは、十分伝わってきましたから、むしろその潔いくらいのストレートぶりは清々しいくらいでした。
しかし「龍神伝」からは、そのようなものを感じられなかったのです。あれだけ実力のある、熱い舞台を観せてくれる21世紀歌舞伎組から、私には何も伝わってこなかった・・・ショックでした、彼らのいつも同様の熱演にも拘らずです。これはむしろ私自身の感性のせいであろうかと、オロオロしました。
「翔」のホームページを拝見して、楽日に近づくにつれ様子が変わり、どんどん感動的な舞台になっていったそうですので、安心すると共に、新しいものを創り出す事の困難さを思い、それに挑み続ける猿之助さんの偉大さを改めて思ったりしました。
何でこんなにも、忘れたいとすら思った「龍神伝」について考えたかというと、私たちの斜め後ろの席に横内謙介氏がいらしたからでした。
「夏のランナー」は、客席数が300にも満たない小さな劇場で上演されました。芝居の登場人物は29人、舞台の規模からすれば大人数といえるかと思いますが、一人として無駄なものはなく、全てに意味があって活き活きと存在していました。
全ての登場人物に意味が見出せなかった「龍神伝」を思い出し、そして来年の「三国志」を思ったのでした・・・頑張ってね〜!あの長大で大人数の物語を料るんだから!!!と、内心祈りにも似た叫び声をあげていました。

さて、ザ・コンボイという集団をご存知でしょうか?
8人のダンサーによるエンターティメント集団で、そのステージの魅力は口コミで伝わり、公演のチケットは即日完売、私も12時間並ぶというオソロシイ経験をしました。そうまでしても彼らのステージは、実際に観ねばならない!と思わせる魅力にあふれていました。ここ数年、ようやく気付いたマスコミが扱うようになりました。
そのメンバーの一人が、初めてソロ・プレイを行いました。
初日、ダンサーはずいぶんと痩せてしまっていて、このプレイに賭ける想いを否応無しに伝えたのですが、その最終日はさらに痩せてしまっていました。
わずか三日間とはいえ、この公演に賭ける姿の劇しさに胸を打たれました。暗転の一瞬の間に聞こえた激しい息づかいに、その懸命さ、ひたむきさがひしひしと伝わり、その一瞬がなんと愛おしいものかと思いました。
アンコールは、そのダンサーの思い出をたどるようでした。ダンスと出逢い、夢中になり、やがて苦しみも知り、挫折しそうになっても乗り越え、支えられ、声援を受けとめ、さらに踊り続ける姿を、情感たっぷりに表しました。無駄の一切を削ぎ落とされた身体は美しく、しなやかな長い腕は大気を抱きしめ、そして晴れ晴れと踊るその様は、観るものを幸福にしました。
鳴り止まぬ拍手の中、さすがにダンサーも感激の様子で、達成感と安堵感と、そしてピークはとうに超えている疲労とで少し虚脱感も漂わせていましたが、その時大きな花束を抱えてザ・コンボイのメンバーが現れました。ダンサーの中にあった全ての感情がとうとう堰を切ってしまったかのように、彼は泣いてしまっていました・・・
なんて美しいものであろうかと、私は不思議なくらい平穏な気持ちでそのシーンを堪能していました。一人の芸術家が、迷いや不安や焦りから開放され、さらなる芸術の高み目指し歩み続ける事を始めたと、そんな事を思っていました。
こういう瞬間に立ち会えた幸福を、つくづく感じます。
生身の人間が表現する舞台に魅せられ、見続ける幸福はこういうところにあります。つまり「感動」という事です。

さて、長くなりました。
だいたい、本当にちゃんと届くのかなぁ・・・まだ疑っている・・・
今日、12月の切符が届きました。23日の夜です。とっても良い席を戴きました。
これがあるから、何とか仕事頑張って、何とか世間と戦っていけます。御多忙の事と思いますが、どうぞお身体お気を付け下さい!!!
1998年11月17日/ ★☆☆千香子★☆☆




もう最高に面白かったです。一番最初の演目が“花桐いろは”という演目でした。
先代の梅玉さんが50年前にやられた演目だそうです。主人公の花桐いろは役が梅玉さんで、その元恋人役が時蔵さんでした。この時蔵さんのお役の名前が“おさよ”だったんです。もう舞台の間中誰かが「おさよさん」という度にドキドキしてしまいました。特に梅玉さんが「おさよさん」といった瞬間の『ドキッ!』が一番でした。(別に私を呼んでるわけじゃないんですけどね。でもうれしい)
信二郎さんもちょっとだけ出てらしたんですけどね。ほんまにぼんぼんという感じのする方ですね。
私が猿之助さんの一門を見出したころには信二郎さんは一門を離れてたんであまり信二郎さんの強烈なイメージというもんがなかったんで、舞台の上での役のイメージがそのまんま今の私の中での信二郎さんのイメージになっています。
いつも古典を見に行くときには予習をしていくんですけど“花桐いろは”は、50年前に上演されていらいされていなかったみたいで(後ろの上演暦を見ると)本などにも(演目辞典などにも)のっていなかったんで、ぜんぜん話の内容がわからないまま見てたんですけど(一応パンフのあらすじは読んだんですけど)もう最後には涙が止まりませんでした。

最初は振り袖を着て“お夏笠物狂”を踊るんですけど、最後に老俳優となった花桐いろはが売れっ子の役者の“お夏笠物狂”に「あかん」と後ろでつぶやいたことに、役者が怒って「それならば踊ってみろ」といわれ、踊る場面があるんですね。その時に梅玉さんの格好は振り袖とはかけ離れた巡業の格好なんですけど、踊りだすとまるで最初の振り袖姿で踊っているように見えてくるんですね。そして舞台の幕が開き巡業者の役で舞台に立つんですが、途中で倒れてしまって運ばれてきて「親方の名前を教えてください」といわれ、「花屋。初代花桐いろは」と名乗るんですね。もうそのころには涙が止まらなくってボロボロないてました。

その次の“一本刀土俵入り”も、吉右衛門さんがかっこよかったです。でも、“一条大蔵譚”の、一条大蔵卿がとってもおかしくって、最前列で笑いまくってました。作り阿呆から、キリッとした顔がまたかっこいいんですね。で、また作り阿呆に戻る。もう最高でした。
梅玉さんの“保名”もなんか吸い込まれそうな感じだったし、(よく分からないですよね。ゴメンナサイ。年上の方にこんな言い方はどうかとも思うですけど、抱きしめてしまいたくなってしまうような気持ちで見てました)
宗十郎さんの“女伊達”も、りりしくてかわいかったです。来年の歌舞伎組の公演で笑三郎さんと春猿さんが“女伊達”をやられますよね。2人になるとどうなるんだろう?と思いながら見てました。
この時信二郎さんのほうを見ると絶対に目が合ったんですね。(また私が一人で思ってるだけかもしれないんですけど)そらすのもなんだし、でもずっと見てるのも変だし、なんとな〜くそらしながらでもまた見るとまた合うんですね。最後にはずっと見てましたけど。きっといやな客になってたと思います。

最後の“松竹梅湯島掛額”は、八百屋お七のパロディで、何でもありの喜劇なんですね。梅玉さんは素の顔に戻るし、時蔵さんは笑いをこらえるのに必至だし、何といっても吉右衛門さんの「だっちゅ〜の」!もう、笑いましたよ。しかもちゃんと手までつけてました。
こういう時の1番前は最高ですね。役者さんのちょっとした表情の変化も見えますしね。もうとにかく面白かったです。お七のパロディなんでちゃんと人形振りもあって、時蔵さんががんばっていらっしゃいました。母は時蔵さんのファンで(7月歌舞伎からですけど)カレンダーまでしっかり買っていました。
実は楽日に見に行くことになったんです。(またもや)昨日電話をかけたら3等の1列めも空いてるということだったんで、その席を取りました。顔見せにお客さんを取られてるからかまだ良い席があるみたいです。ぜひ行ってみてください。昼の部は泣いて、夜の部は笑えますから。それでは。
1998年11月16日/ おさよでした。 




先月の大阪での盛り上がりを未だに引きずっています。本当に素晴らし「ヤマトタケル」でした。
走水のところで春猿さんが水の中に消えていく時に乗る台車をお友達が写真に撮ってきてくれて見たのですが、台の上は畳でした。千秋楽の最後の片付けで松竹座の出入り口に置いてあるのを撮ってきたのだそうです。なるほどと感心しました。
12月歌舞伎座も、もうじきですね。楽しみにしています。
何時もは人に頼んでチケットを手に入れているのですが、玉三郎さんとの共演ということで中々チケットが取れませんでした。
15日の朝から電話をかけて、初日の分を自力で取りました。10時にチケットホン松竹に電話を掛けましたがつながらず、結局4時までつながらず、お昼も食べずに頑張って電話をかけまくりやっとつながった時にはもうくたびれはてていまいました。おかげさまでというか、努力のかいがあって、チケットを初日、千秋楽と取ることができました。
何時もお友達に頼んで楽しているから、「チケツト取りって大変なんだなー」と気が付いたという貴重な日曜日でした。
今回は東京の歌舞伎座なので、着物を着てでかけるなど目いっぱい観劇を楽しもうと思っています。
夜の部「国性爺合戦」は初めて見るので早速雑誌メイプルを購入し予習をしてから見に行こうと思います。
歌舞伎座は7月以来なので通うのが嬉しいです。一幕見でまた木枯らしに震えながら並ぶのも乙なものですし?
暑い7月、寒い12月、特に12月は暮れの忙しい時期だというのに・・・猿之助さんにはまって歌舞伎通い。でも、やはり見なくては今年は終わりませんものね。
1998年11月16日/お仕事中の美翠です




かけまくって、かけまくって、意地になってかけまくって、トイレに行く間、お茶飲む間も母親の手まで動員してかけまくったんですよ。
それで何とやっとつながったのはもう夕方近かった!!
しかもそんな時間だから、当然のことながら土日は14列15列目あたりしかないという有り様で・・・。
堺くんだりから大金はたいて(私には大金なんですゥ)たった一回見るために行くというのに、それはあんまりやでぇ〜と思ったけど、
泣く泣く押さえました。
抜けるような青空がまぶしい最高の日曜日を丸一日も使って取ったチケットがあれか・・・と思ったら。でもそれは「人気の証拠や!」と思って健気に喜ぶことにしよ。
でも、おかげで「ヤマトタケル」の余韻に浸りまくって、未だに地上30センチあたりをフワフワ歩いてる感じやった毎日からちょっと抜けられそうな感じです。
そのかわり 猿&玉共演の舞台への期待でまた次のソワソワに突入するというわけやから、結局はおんなじことですかね。
1998年11月15日/Junko N




疲れました....。まだお昼なのにパワ−を使い果たした気分です。
10時前に先輩と二人で十分な打ち合わせをしてスタンバイ。電話を2台、交互にかけて10分後、何と、つながるじゃないですか!!すごい!ラッキ−!!と思ったらなんとチケットホン松竹のコンピュ−タ−が故障して10時まえから動かなくなり、復旧のめどがたっていないとの事。直り次第、座席の販売を行いますので、また、電話を掛け続けてくださいとのことで呆然として電話を切りました。
今度つながった11時前もまだ故障中.....またまた、かけつづけ、再度つながった11時20分にやっと予約ができる状態になっていました。
私としては、会社の先輩と、(おんなじ課...しかも課に女は私たちだけ..)御一緒する事になっているのでできたら有休をとらずにいける土日に行きたいと計画していました。それで、第一候補.19日、第二候補、12日の予定だったのです。
でも松竹座で熱い楽を思い出し「千秋楽もいいなァ・・・」なんて。私が利用しようと思っているエア−&ホテルプランは26日からは年末設定になっていて、料金がポ−ンと上がっていているのですが(ほんまに1万以上高いんです。予算オバ−になってしまう..)まあそれも候補にあげとこうかと考えていました。

で、どうだったと思います???? 19日も12日ももう、残っているのは 隅っこの1−4番くらい、しかも、19日の夜は、もう一階席は残っていないとの事。特に、夜の部の人気が高いようですね。ともかく、後ろの方のすみしか空いてないんです。一等席。まだ、昼前ですよ昼前!!おそるべし、熱烈ファン...後援会....歌舞伎座会特別会員....それにしてもすごい人気!
というわけで12月12.19両日は断念しました。それで、結局、休まずにいけて、まだ一番お席が“まし”だったのがなんと千秋楽の土曜日だったのです。意外でした。昼がは列。席は二人離れましたがなかなかのお席が取れました。一幕ごとに替わりたいと思います。夜はに列ですが、おもいっきり端のお席しかあいてませんでした。全くすごい、人気ですね。うれしいような....残念なような....。
で、結局千秋楽に海を越えて東京遠征を決行することになりました。また、千秋楽を体験できるなんて...うれしいです。財布は痛いけど....。これで追加公演でもあってこの日が千秋楽でなくなったら私は泣きたい!!!(勝手な話ですが...)
私の同行者は主婦の方なので、年末のかたずけは早くしとかなきゃ..とおっしゃってます。連れ出す私は少々こころが痛みますが。でもやっぱり...楽しみ!!!!
1998年11月15日/ Kikuko T




この前の感想は、とにかく興奮状態で、さらに授業が迫っていたということもあって、後で自分で読んでも訳の分からないことを書いてるな〜と思いました。今はその興奮状態もさめ(あんまりさめてなかったりもしますけど)もうちょっと落ち着いた感想が書けると思います。(前回とダブってしまうこともあるかもしれませんが、そこらへんは 許してくださいね)

まず楽日の感想を一言で言うならば“最高”でした。(ぜんぜん興奮さめてないかんじ (;) )みんなから感じるパワーが違うし、気合も違ってました。なにがどう違うというのを言葉で表すのはすっごい難しいけど、簡単に言ってしまえば以前に感じたものが倍ぐらいに感じられたと言ったらわかりやすいかな。
ヤマトタケル(猿之助さん)の気高さ。兄姫(笑也さん)と弟姫(春猿さん)のかわいらしさ。(もちろんみやず姫もかわいかったですよ。相変わらず)倭姫(笑三郎さん)のすべてを包み込む優しさ。(というか神々しささえ感じました)ヘタルベ(亀治郎さん)の純粋さ。タケヒコ(歌六さん)のパワフルさ。帝(段四郎さん)の威厳。皇后(門之助さん)の憎らしさ。(もうこれ1番感じましたね。あのにくったらしい笑い方。ついつい「うわー、やなかんじやなぁ」と口にしてしまうぐらい。でも、それだけ演技がよかったということですよね)兄タケル(團蔵さん)と弟タケル(右近さん)の豪快さ。等など、すべてが『おっ、今日はなんかみんな違うぞ!』と感じました。

ところで私見る度に思ってたんですけど、大碓と小碓が双子にはどうしても思えませんでした。それはきっと2人から感じた年齢があまりにも違いすぎたからだと思います。小碓は『とっても純粋な少年』という感じがしたし、大碓は『知恵も権力もある男性』という感じがしました。小碓は10代の半ばから後半ぐらいかなぁという感じがしたけど、大碓は20代後半から30代前半ぐらいに感じました。だっていきなり弟姫を襲ってるんだもん。

でもひょっとしたら周りが大碓をそんな風にしてしまったのかもしれない。皇后の心のうちを知ってしまったからああなったのかもしれない。帝を慕い、愛しているからこそああなってしまったのかもしれない。と今なら思います。(観たときは『兄姫がいるのに妹まで襲うのか!』と思いましたけどね。)
最初は小碓が言うようにぜんぜん性格が違ってると思ったけど、最後は『ん?ちょっと似てるかな?』と思いました。それは山神が言うように最後に“傲慢”なところが出てきたからな?と思いました。

さすがに3回も観に行くと早変わりの場面で、猿之助さんなのか吹き替えの人なのかが分かりますね。大碓の屋敷で、小碓姿の猿之助さんが、上手のほうに下がるときに鬘に手をやってはずしかけながら下がっていく姿が見えてしまったんですね。(3階だから見えてしまった!)『早変わりは大変だけど、もうちょっと我慢して!』と心の中で思ってしまいました。
でも、2ヶ月間もあの早変わりをはじめ出ずっぱりの奮闘を続けられたなんて、本当に大変やったでしょうね。
お稽古のときに早変わりをしに入ったら、早変わりのスタッフが1人もいなかったという事もあったそうですね。「本番ではそういうことはないですけど」ともおっしゃってましたけどね。(TVのインタビューで)
吹き替えの人もタイミングが大事やから、2ヶ月間やっぱり大変やったでことでしょう。でも、誰がやってはったんでしょうね。いまだに誰やったんやろう?って思います。

最近、花道でヘタルベがしゃべってる場面をよく思い出すんですね。(何故か)でも、顔は亀治郎さんなのに声が右近さんなんです。右近さんのヘタルベは観てへんのになんでやろ?と考えるんですけど、答えが出ないんですよね。なんでなんでしょうね。(ビデオで観た右近さんのヘタルベの台詞は「あれはなんだ!」しかなかったと思うんですけど。あの、イノシシが出てくる場面ね)
今でもこんな感じで、頭の中が真っ白になると“ヤマトタケル”のあちこちのシーンが頭の中に浮かんできます。
白鳥となった美しい宙乗りのところとか、さっき書いた「船頭どもよ船を出せ〜!」のところとか、笑也さんが台詞をかんだときのあのむっちゃかわいい顔とか、段治郎さんの琉球の踊り子姿とか、猿弥さんの犬神使いの「持ってま〜いりま〜した」というあの場面とかね。その日によって浮かんでくる場面は違いますけど、いまだに劇場に居る感じでいてたりします。(やっぱり興奮さめてないですね。やっぱり)ちょっと袖の長い服を着たりすると、つい真似してはばたいてみたりとか(家でですよ。もちろん。人がいっぱい居る所ではしてませんよ)
13日に松竹座に吉右衛門さんを(吉右衛門さんだけじゃないですけどね)観に行くんで、その後は今よりももう少しはさめてるかなぁと思いつつ、松竹座に行くと却って興奮状態がまたよみがえってくるかも・・・なんて思う今日このごろです。

そうそう、母親が「百済観音さんが見たい!」というんで、この前法隆寺に行ってきたんですね。メインは今、特別拝観が行われている百済観音と救世観音なんですけど、他にもいろいろ重要文化財(いわゆる国宝です)があったんですけど、その中に薬師如来尊があったんですね。それを見て『おぉ、門之助さんや。』と思ってしまったんですね。国宝を見ときながら門之助さんを思い浮かべてる自分に驚き、あきれてしまいました。『あぁ、こりゃはまってるな。もう病気やな』と自分で思いました。自覚してもたらもうあかんな、おわりやなぁと思いつつ、いくところまでいったろやないの。という気でいたりもします。

ホンマ12月東京に行きたいです。でも、お金ないし、学校あるし、クラブあるし、親は許さんやろし。だから、皆さんいろいろ感想聞かせてくださいね。(でも感想聞いたらむっちゃ行きたくなるんやろなぁ)
も〜早く来い来い1月。はよ来てもたら困るけど、でもはよ来て欲し〜!(歌舞伎組の公演の時って定期テスト期間なんですよね、実は。それでも行きますけどね)
歌舞伎組の公演までヤマトタケルと吉右衛門さんと歌舞伎組の本と笑也さんの写真集(この2冊この前買ったんです)にひたって、がんばって生きていきます。皆さんは今ごろ、お休みなのかな?もう次のお稽古に入ってるのかな?右近さんはしっかりバカンスしてきたみたいですけど(!!)。でも、休める時に休まないと。ほとんど休みがないらしいですからね。ゆっくり休んで欲しいと思いつつ、早く次の舞台を観たいと思ってしまうファンってほんと勝手なもんですよね。
あ〜、も〜ホンマに早く来い来い一月!また今回も長くなってしまってゴメンナサイ。あと心配なのが段之さんなんですけど、千秋楽前から休演されてたんですよね。大丈夫なんでしょうか?もし知ってらしたら教えてください。ということで、長々とゴメンナサイ。
1998年11月10日/おさよでした。

【編集部より】=吹き替えは大碓が猿十郎さん、小碓は延夫さんだと思います。それにしてもいまだに袖の長い服を着ると、ついはばたいてしまうだなんて・・・愛い奴、愛い奴。




11月7日に豊田に市川猿弥さんがみえて、「おもしろ歌舞伎やじうま話」として講演なさったんですよ。
面白かったです! 写真で見るよりも「いい男!」でした。

浜松から女の子きてました。HP見て来たって! 他にも滋賀からも見えてました。(常連さんみたい・・・ヤマトタケル8回も見た!っていってましたから

二十一世紀歌舞伎組を招いて開催する豊田市民向けの歌舞伎講座企画の担当に割り振られちゃった時はホント面食らいましたよ。どうしていいものやら見当つかないし、「歌舞伎のカの字も分んないのに・・・どうにでもなれ」なんて気分で、正直あんまりやる気わかなかったですね。
それがネットで「翔」を知って、『オグリ』や『ヤマトタケル』観てビックリ。
そして歌舞伎講座第一回『おもしろ歌舞伎やじうま話』の猿弥さんのお話にますます親近感持っちゃって、12月はついに東京遠征!とは。私もしっかりハマっちゃったもんですねェ。

まったく「人間どこでつながっているか分からないなァ」って。

「今日の話は責任もって、ネットに書き込んどきます」とお約束(猿弥さんに)しましたので(笑)、簡単にですがご報告です。

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当日の猿弥さんのいでたちは
黒スーツ・黒シャツ・グレイに黒水玉ネクタイ・くろに斜めのチェックいりの靴下・黒革靴!しぶいっ!
ちょっとでも痩せて見えるようにって言ってました。

いらっしゃりたくても、いらっしゃれなかった方のために
ちょっと内容をご紹介!!!


  東京生まれ。
  一人っ子。

  今の市川猿弥さん(31歳)は2代目で1代目は女性。
  小学校の時のあだ名は色が白くて丸っこいことから「シロブタ」。
  両親は、新潟出身で上京した。

  
  芝居好きの母親が児童劇団にいれた。
  歌舞伎の子役やったのがきっかけ。

  荒事が好きだけど、女形もやってみたい。
  「踊りの猿弥」などと言われているが、実は踊りはそれほど好きじゃない。
  理由は、頑張って踊っても、歌舞伎の世界じゃ踊れて当たり前の世界だから。
  でも最近はちょっと好きになってきた。

  女形は日に焼けると白粉がくすんでみえるので焼くことができないが、立役は全然OK!

  お酒大好き、カラオケ大好き。
  猿之助一門はカラオケ好き。
  歌本のとりあい。
  よくつるんで遊びに行ったり、飲みに行ったりする。

  妻と一緒にカラオケとかも行っている。
  3年前に結婚したが、巡業が多いと妻と会わない時間も長いのでいつまでも新鮮。

  猿之助さん
  超きびしくて、すごい人。怖い。
  毎日芝居の勉強ばっかりして芝居のことばっかり考えている。
  右近さんとディスコに行ったときにも芝居のこと考えていて、オグリの鏡ばりの舞台を思いついた。
  本当は舞台全面にコンピュータ制御のテレビを並べたかったが予算上あきらめて鏡にした。

  右近さん
  超酒好き。遊ぶの大好き! 

  笑也さん
  駄洒落の好きないいお兄さん。
  気さくな身近なかんじの女形。

  1月の公演の練習は、それぞれ別々に稽古して、いろんなところにいろんなことを習いに行って
  初日ちょっと前に集まって全体を合わせるんですって。
  それで息がピッてあっちゃうんだもん。
  さすが、すごいね・・・。
  超すごい!


こんな感じのことをトークされて、
あとは歌舞伎の豆知識のいろいろとか、1月公演(巡業)のことなんかを話されてました。

部屋子と弟子の違い、隈取りは中国の京劇のメイクがもと、
「き」について、「あいびき」にすわっているのは立っていること、
着肉、歌舞伎十八番・・・

実は知らなかったことばっかりでした。

でもって・・・
なにしろ関係者なもので・・・控え室にもちょっと出入りしたりするわけで、ほんのちょっぴりだけどお話もしてしまいました。
あたし、甘酒出してあげたのぉ・・・。うれしかったです。

次は笑也さんの講座です。
歌舞伎ファンのみなさま、一門ファンのみなさま、よろしければお出かけください。

1998年11月9日/ りんご